153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 18
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153系、157系、165/169系、
451/471/453/473系、455/475/457系、
キハ55系、キハ56/57/58系、キハ65形、
スハ43系客車、10系寝台車、12系客車
などの急行形車両について、楽しく語りましょう♪
ベルが鳴り終わりますと、ドアが閉まります。
閉まるドアにご注意下さい。
前スレ
153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 17
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1630357542/
関連スレ
修学旅行用155・159・167系・キハ58スレ
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1250373002/
【キハ55】日光型総合スレッド【157系】
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1252886038/ >>3
うおおお
懐かしいお
真夏竜さんカッコ良かった 石立鉄男が出てるから大映ドラマかと思ったら東映制作だった
だからテレ朝なんだね カントの効いたカーブを通過する長大編成がたまらない
このアングル考えた人は神 このスレ的には石立鉄男といったらパパと呼ばないでのキハ58系急行じゃね?
銚子だからキハ58はゼロでキハ28だけど 急行宗谷、サロベツにキハ182が組み込まれていたっけ? ディーゼル車のく比叡51号 名古屋⇒大阪
↓
くろゆり51号 大阪⇒下呂
↓
のりくら5号に下呂で連結して名古屋へ戻る >>14 >>15
前スレで1981年8月の比叡51号について質問した者です
前スレの回答に対する補足と思われます
前スレで回答してくださった方と今回補足してくださった方ありがとうございました >>16
でもさ
くろゆりって971年までなんだよ
関係ないでしょ 971年と言うと藤原摂関政治の前かな?牛車しかなかった気がするけど。 まあ時刻表で確認していないから何とも言えんけど、
この大阪から下呂への臨時列車、「たかやま」名乗っていたこともあったかな、ここは記憶があいまいだが
しかし、高山まで行かないので、以前使っていた「くろゆり」を使ったとかはあるかもしれん
ただ、どういうわけか片道のみの設定
いつか忘れたが、名古屋局の局報では、美濃太田持ちで
美濃太田(回送)→名古屋(比叡51号)→大阪(臨時)→下呂(回送あるいは普通併結)→美濃太田
ということもあった
また、下呂美濃太田間を臨時急行として(ライン号だったかな)運転、
下呂温泉の客を、ライン下りに誘導?していたこともあった
適当な記憶ですまぬ >>18
この年に円融天皇が黒百合廃止令出したの知らんのかな? 東武鉄道オハテ12
四国のオロ12を改造して普通展望車化した意欲的な車両だと思います
クロスシートに肘掛けがないので12系純正ではなくて他車用を流用したみたい >>13
キハ400系の中に1両だけ連結されてて違和感たっぷり >>24
6050、そろそろ終焉の時が近づいてるみたいだね。
後継の車両もなさそう。
会津は電車全廃を決めてるし、野岩はどうするんだろうか?? >>21
東武に行った四国のオロ12は座席は3列グリーンだった
から、純正の椅子は付いていなかった。座席を調達したんだね。 国鉄の頃、四国は急行型気動車不足で、多客時の増結は一般型もよく繋いでた。
まあ、一般型の急行もよそにはあったが、通勤型ロングシートのキハ35も使われてた。
臨時急行は旧型客車。 遜色急行特集で非急行型のキハは三等車四等車五等車呼ばわりされてたな
客車は60系使用急行の写真が 北海道なんて普通にキハ22の急行が跋扈していたからな 原則でいえば、(準急行料金と)普通急行料金は速達料金なので車両については問われない 急行いなわしろも只見線直通編成(?)は1両じゃなかったかな?
これは通常キハ52で、急行充当用の車両は首都圏色に塗り替えず
元のツートンカラーを維持してたとか
キハ23が入ることもあったと記憶している >>33
北海道は、キハ40もあった。
四国では、回送を兼ねてキハ20やキハ52
が急行の増結に入ったことがある。 いなわしろがキハ23で代走になった時は、キハ23はタラコだったの? 23は横型エンジン1個だから28並みでしょ、で、4VK無いから静かだよ 481系と483系は上野で顔を合わせたかも知れんが、451-455系と471-475系の出会いは実現しなかったんやろな。
上野-長岡-金沢の電車急行でもあれば上野で出会ったかも知れんが。 急行「しらゆき」が457系だったらどうなっていたか
金沢〜青森を走破するため交流20000Vが50Hzと60Hzを両方走行する事になり457系必須
複周波数は東北⇔北陸・九州で相互に車両転属するのには役立っただろうがやった事例あったっけ? 3電源の415系、485系、583系は大量生産されたのに
457系は少数派だったのは登場時期が悪かったんでしょうね。
もうちょっと早く開発が進んでいたらよかったのに。 いるかと思ったが457系ユニットの50Hz60Hz間転属なさそうね
非電動車もHzまたぎ転属少ない
(出戻りは未チェック)
みんな大好きクハ455-201が種車サハシ時代に改造直前に転属していた気がする? でんしゃばっかり出来たって電化が進んでなけりゃ意味が無い >>40
3電源車が3電源区間を走破したのは白鳥だけでは? 在来線で50Hzと60Hz両方揃ってる都道府県は新潟だけ? >>41
43.10改正対応車だったら457系で出てもよかったんだろうけど、
設計変更が間に合わなかったかな
ないしは50・60c/s(Hz)両用の機器がまだ高価だったとか
43.10改正対応の新形式車や設計変更車が多すぎた 普通車:2扉デッキ有り転換クロス
グリーン:1扉回転クロス
の車両を作れば急行も安泰だっただろうにと思う 68年竣工は455が仙台15ユニット475が金沢5ユニット
457の1ユニット目は69年9月で43-10向けは455と475の最終ロットで十分という扱いで明らかに新形式起こすのを先送りした感じ
50/60Hz機器(=変圧器)を特急用優先説はメーカー製造能力不詳なのでなんともだが数は確かに多い(43-10向け485は仙台15ユニット583は南福岡18ユニット青森25ユニット)
そもそも既に特急優先になったのがこのダイヤなので急行型の増備はユニット数見ても抑制傾向
各幹線の電化開業時期加えればなお傾向わかるか? 43-10自体が特急偏重、急行のいずれ格上げ見越してた時代ってのがね。
「急行はお古でいい、何百キロのってもリミット300円か周遊券で乗られ放題だし」
という後年の長距離快速のようなサービス列車に投資が難しかったんだと思うよ。 1968年10月の普通急行券 2等/1等
〜100km 100円/220円
〜200km 200円/440円
〜400km 300円/660円
〜1000km 400円/880円
1001km超 500円/1100円
特別急行券 2等/1等
一部列車の特定区間 400円/880円
〜400km 600円/1320円
〜600km 800円/1760円
〜1200km 1000円/2200円
1201km超 1200円/2640円
(立席券は100円引く) ひかり 2等/1等
〜200km 600円/1320円
〜300km 1000円/2200円
〜400km 1200円/2640円
401km超 1600円/3520円
(全車指定席)
こだま 2等/1等
〜200km 500円/1100円
〜300km 800円/1760円
〜400km 1000円/2200円
401km超 1300円/2860円
(こだま自由席は100円引く) パーラーカー 500円
普通列車,急行列車の座席指定券 100円/200円 どのみち急行型と言うカテゴリーは消える運命
今や近郊型も消え失せた 401・403・421・423系の後に3電源対応としての415系という流れに従うと、
同じく3電源対応の457系は451-455・471-475系の後だから『467系』が妥当だった? >>60
クハ/サハ(シ)/サロ451
クハ/サハ(シ)/サロ455は50/60Hz共通。 >>60
457系は165系の3電源バージョンだから、300たして465系になるのがスジ
415系は113系の3電源バージョンだから、300たして413系になるのがスジ
115系の3電源バージョンがあったら415系ってことになるけど、これは車種自体が実現せず
ちょっとひねりが加わって、417系となった 交流急行型 751系50/60Hzがあったなら東北と九州で使えそうだ 東北の優等列車は東北新幹線以前は域内完結無理(基本東京志向)なので青函トンネル開通以前はそもそも交流専用はほぼ不要
九州も山陽新幹線前は山陽直通急行主体で域内便も電化時期の問題(鹿児島本線70-04)で457追加投入で済ませてる
結局両方とも新幹線見えている時点で新形式起こしてまで域内専用で既存車と運用分ける面倒はやらないよ >>63
直流電化は元々都市部が多いので、汎用車としてはキハ47由来の2ドアセミクロスは馴染まんね
ライバル対策でグレードアップした117や213系の転クロになるんだよな
どちらも近郊型の代替じゃなく153系・165系の代替用 結局は仙台近郊で終わったけど、東北本線の黒磯以北が軒並み417系に置き換えられていたらどういう世界線になっていたかは興味がある 黒磯構内の完全直流化がもう少し早かったら、417が黒磯〜新白河を単振動していたかも知れないんだな >>64
周波数以外に気候も違うから同じ形式でも北海道仕様と九州仕様を番台で分けるんじゃないか? >>67-68
ちょっと胸アツな感じだ。東北地方は普通は客レってのが701まで続くから
北陸や九州(筑豊除く)とは電車に関する事情が違うんだよなぁ
単に貨物削減で電機が余ってるからだったんだが・・・
思えば455系の数と機関車余裕から磐越西線も朝晩はED77牽引50系だった。 北海道といえば、711は「かむい」として急行に使われたんで
実質交流急行型でもあるね。 デッキ付きで遜色ないし
それでも数が足りてないからED76-500牽引客レが
札幌圏でも結構走ってたね。84年夏に張碓の海で泳いだ頃は旧客で
小樽博臨時のキハ56系や82系快速などが走った年。 711系はあくまで近郊型だよ
急行に使われたは基準にならない 勿論それは承知の上での話だよ。デッキ付きでクロス主体だから
417〜413・717よりよっぽど急行形的って言う意味。 後の世から見ると451・471系から始まり457系で終わる一連の形式は、
周波数の区別は形式ではなく番台で分け、形式変更は電動機出力増強と抑速ブレーキ有無くらいで良かったのかもな。
451系基本番台→東北用、同300番台→北陸・山陽・九州用
453系基本番台→東北用、同300番台→北陸・山陽・九州用
455系基本番台→東北用、同300番台→北陸・山陽・九州用、同500番台→3電源対応
みたいな。
これは近郊型、特急型も同様。
ま、飽くまで後の世から見た話だが。 300番台が九州って機関車みたいだな
で、500が北海道 国鉄の形式変更基準?次第だからなあ
ED76 500とかEF64 1000とか115-3000とかの実質別形式の単一形式押し込み事例あるけど モハ62/クハ66は別名になったのに対してモハ72970は72系 163系を中止して165系を大量増備したのに近郊型は113系と115系を共に増備したのはなんでだろう?
115系大量増備じゃ不具合があったのかた。 急行形と異なり近郊形は距離が短いからでしょう
平坦区間しかないのに115系は過剰投資 急行型は都市間輸送が主で日本は東海道以外は何処かしら勾配かかるからな
平坦だけを走る近郊とは違うだろ
上野口だって一部を除いて115の必要ないけど、先を考えて115にしただけで
163は新幹線が出来たら走る所ないしな 当時は東京⇔名古屋や大阪⇔広島とかすごい長距離の普通列車がごろごろあったけれど。 >>75
そういやEF75がそういう区分の典型だったな。
基本番台:東北線電化用
300番台:九州用
500番台:北海道試作型
1000番台:高速貨物用
700番台:奥羽・羽越用
481系なぞこの例に倣えば489系以外は全部番台区分で賄えたかもな? >>78
113系登場時には111系が64ユニット?作られていた
で、少なくとも64÷4=13編成分で200両近くが作られたことになる
で、111系と普通に混用できる113系が作られた
113・115系の混用が可能かどうかはとにかく、ここまでの両数になると、今更115系として増備するメリットはなかっただろう
で、だらだらと113系として増備された
多分113系として増備したほうがやりやすかった、また113系のほうが車両価格が安かったと思う
113系は限流値の関係から、115系よりも性能的に劣っていた、との証言もある 153では山陽本線もキツかったわけで
やはり165化は必須だったんだな。80系も居たものの
普通電車は令和4年現在も115が走ってる状態
交直の方は鹿児島・盛岡電化のタイミングで抑速が付いたのも
連続勾配控えてるからと、わかりやすい >>87
> 153では山陽本線もキツかったわけで
> やはり165化は必須だったんだな
山陽に関して言えば153系も電動車比率上げるだけで単独走破可能になったんだから
165系が必須ってこともなかっただろ
163系でも普通に行けた筈 163相当の線区に投入された165は耐寒耐雪装備が準備工事等で簡略化されていて該当車番も確定している
113は111込みで2900両程度製造(国鉄電車としては103系に次ぐ大量形式)わけでさすがにこれの大半を115化はやり過ぎだし将来新幹線や特急化に玉突き転配確定の急行型と違って大半は首都圏関西圏の大都市近郊区間で寿命まで使う(予定)なわけで 中央東線の都内の直上高架化が進んだのは
115.165系など山岳対応の車両が多く
アップダウンを自由自在に設計できたため
一番に高架化が完成した総武線は
両国から西船橋まで平坦な設計なので
最後まで153系が運行されていた
急行の東京乗り入れATC装備をしなかったのは
153系が両国の勾配に耐えられなかったから しらゆきを電車化する場合455・475系の変圧器交換で457系に編入が起きてたはず
新製したら金がかかる 北陸471系は末期にMT54に取り替えされたので実は473系。 >>63
117系 115-3000「オレたちは?」 115系は半自動扉で把手部分の引き代で実質開口幅が1,100mm
そのため寒冷地でやむを得ない東北 高崎線を除き、混雑の激しい東海道 横須賀線には投入する代物ではなかった >>90
その頃は新宿発着の貨物列車はもうなかったのかな 113系は半自動なかったっけと思って調べたら
湖西線用は半自動だった 電磁波犯罪被害者の症状
体が異常に熱い
ノドが異常に乾く
異常に疲れる
スマホを所持していないときは被害が軽減する 房総急行は千倉電化の時に冷房165系を新製配備したのに、47-7で183系特急に座を奪われ
50-3以降山陽で余剰になった非冷房153系が続々転入、165系は中央やら上越やらに「召し上げ」られてしまった。
とちゅうから「形式改善」ならぬ「改悪」された例だったなぁ。 >>98
千葉は国鉄総局から睨まれた上、住民層も昭和時代は関東最低を保証するよ。
バブル以降近代化されたと思う地域だが
ガキの頃、夏の民宿でぼったくり同然のサービスだった記憶があり
親も辟易だったらしく、二度と千葉には行かなかったね。以後伊豆ばかりになった。 >>90
一番面倒なA-A基準対応改造したくなかっただけでしょ(183も113も新製車)
勾配問題「だけ」ならそれこそ他所に165供出させて下関153冷改車押し込む話もまだ辛うじて出来た時期だし 改造面倒なら新宿発で良いと思った
急行=新宿駅,特急=東京駅と分担 >> 102
秋葉原付近の緩行線、両国付近の快速線、勾配はほぼ同じだよ そう考えると
房総線千葉以遠からの優等列車の新宿直通って
急行の全特急化…82年11月だっけ?…で一旦途切れたが
成田エクスプレスである意味復活した感じだな
3月の改正では千葉の停車が増えるみたいなので尚更 153系でも1/30勾配は短時間なら能力的には問題なかったはず
総武線御茶ノ水秋葉原間は短距離だし、他に理由があったのでしょう 宇田氏の本に、153系がジャンパ不良で1ユニットしか動かず、
2M10Tで宇野から岡山まで行った話しがあったな
変なところで止まらぬようにと、ヒヤヒヤもんで祈るように運転したとか、
岡山から宇野は4M8T になるから多分大丈夫だろうと見送ったとのこと >>104
「しおさい」「あやめ」の各上り1本が新宿行きで残ったはず。
「あやめ」は一度、5年くらい新宿行をやめたけど、復活したと思ったよ。
秋葉原で日比谷線に乗り換えが出来て便利だったから、わりとよく利用したから覚えている。
ウソかホントかわからないけど、千葉の乗務員が新宿乗り入れの習熟と言うか、練度維持のためもあって新宿乗り入れの列車は残してあるって聞いたことがある。 >>107
この先も団臨で新宿に入る事があるから残したんかな? クハ153全面橙色の登場時の評判はどうだったんだろう? >>109
大窓車(低運)には違和感なかったな。塗色変更後の155・159系でも同じ。
けど、小窓(高運)の橙一色は、「そりゃないぜ」だったな〜、クハ165に合わせろよ!とか
思ってた クハ401/421だと、低運はクシャおじさんみたいだった >>113
なんかカワイイと思う
子供っぽい顔つきというか 低運車の顔は砂川啓介の方が似ていると思う。
昔、夏・冬休みにアフタヌーンショー見ててそう思ってた。 全面橙色は低運大窓で最高に見えるように設計されていたんですね。
だから高運小窓で違和感を覚えたのか、納得。
クハ111=最寄駅でよく見かける
↓
クハ165=たまに見かける
↓
クハ153=ほとんど記憶なし、雑誌で知り得た
私の実体験ではクハ165の上半分橙色ですら派手だと感じていたので、クハ153を知った時の衝撃はすごかった。 153系というとブルーライナーという人も多いのかな(特に関西の人)
自分はその中でも低運が好きだった
高運はヘッドマークがないと口ひげみたいでなんか違う
そういえば、これもれっきとした国鉄色なんだな 451/453系や471系は生き残ったが153系は生き残れなかった 逆ね
順調に(急行型じゃないけど)後継車が投入されて寿命全うした153と地方故に投資が後回しにされて普通用で生き残らされた交直流急行型と
国鉄財政もう少しましだったら417(か713)増備だったかと >>120
軽量構造の走りなので防錆対策が未熟だった? 153系時代のほうが長距離を使ってるイメージあるけどな
東京大阪間って、60年代当時はどちらかというと短距離という感じだったし
で、新幹線電車よろしく消耗してしまった 東海道・山陽筋の急行型や特急型は5年程でモトが取れたらしいね。
一方、東北筋なんかは10年でなんとかやっとって感じだったらしい。 因みに
153系、乗りごごちも音も
165系とは全然違うぞ >>122
東京〜姫路(急行はりま)や東京〜広島(急行宮島)とか長距離を走っていたのも >>121
国鉄末期に新型の一般型車両が造られず交直流急行型電車や583系が普通列車用に改造されたのは、
ローマ帝国が衰退して城壁を作れなくなり水道橋に城壁代わりに改造していたのを彷彿させる。 153系はモーター音は静かでドスの効いた165系より快適だったが
100km/h位になると細かい横揺れが発生した(115系よりマシだが) 153系→♪クァ──+クォ──
165系→♪グァ──+グォ── 池沼かよw
MT46と54の差はいうほど記憶にないな。55は特徴あるけど
DT24とDT32の差の方が大きいだろ。まぁそれもよくわからんけど、181と485は違った。
あれは車高が低いからかも知れん。 MT46と54も全然違う音だし、DT24と32も違うね。
個人的にはベローズ空気ばねが下にあるDT24や東武の
ミンデンドイツみたいな台車の乗り心地が好き。
ダイレクトマウントはメンテ性は良いんだろうが一段落ちるね。
>>129
古くてガタ来てるだけじゃないかな、横動がひどかったら
151系の高速運転には耐えられなかっただろうし。 車内でタバコを吸う奴
車内に灰皿がないから吸いようがない ロングシート車は吸殻を床に踏みつけそのまま去る輩も居た
先日宇都宮線で高校生を殴ったチンピラも同類だろう そういえば、153系と165系では灰皿の形が違ってた そう言えば155系や157系は灰皿がついていたんですかね?
ついでに聞いちゃいますが、近鉄20100型あおぞら号とかも。 国鉄の修学旅行用は灰皿ついてたよ
近鉄もついてる画像見たことある
休養席だけかもしれないが >>137
丸っこいのが旧型でその後は角ばったタイプ。
丸っこいのは特急型車両の回転式クロスシートのシートバックに貼ってあった
>>139
一般用途に使うときのために灰皿は備えていた。 >>128
一番の違いは台車
DT24の振動の収縮がとても速い
それに比べるとDT32はふわふわしてる
だからと言って、DT24の乗り心地は悪い訳じゃ無い
音は
153はジェントル
165はワイルド そんなに違うんだね
「せっつ」「なにわ」で大阪まで行ってみたかったなぁ
サハシ153で寿司喰って サハシの普通席は前後方向に短いから雰囲気が少し違っていたんだろうな。
広さで例えたら783系の客室程度か。 1等車はさんでサハシが2両連結されてる豪華編成でしたね 155系など修学旅行型の2列シートってどれくらいの幅? >>146
俺は替こだまなる列車に乗って見たい
151より楽しいと思う
共に知らないけど 星晃氏が国鉄を去った直後からの101系や20系客車が更新もされずの大量廃車
昨年の生方良雄氏の死去から1年経たずでVSEの引退発表
カリスマ技術者が去るとクーデターが起きた様になるのは、何か因果関係がある様に思える >>152
ありましたよ
座席の手すりの形状とか
網棚とか >>152
165系初期車はほぼ同様
冷房(準備)車の頃より座席背もたれが厚くなり把手も半月状から角型になった ビュフェ2ヶ所の列車は何かの使い分けしていたのですか。
メニューが違うとか? ビュッフェで1等車を挟み込むことによって2等の客が1等車を通り抜けることを阻止した RJ誌によると153系は冷改するには車体強度が不足していたらしい。 153系は、確かに車体強度不足のところをやむなく無理に冷改せざるを得ない状況だった。
モハ152に集中式クーラーを設置する際、屋根の骨組み強度不足で改造はかなり大変だったし、クハ153に冷房電源(自車含め5両給電可)を設置するのに、床下機器の配置替えがともない、再溶接の際に台枠強度不足で歪みが発生したり、現場では様々な苦心があった。
その多くが改造後3〜10年程度で廃車となった。 153系は、確かに車体強度不足のところをやむなく無理に冷改せざるを得ない状況だった。
モハ152に集中式クーラーを設置する際、屋根の骨組み強度不足で改造はかなり大変だったし、クハ153に冷房電源(自車含め5両給電可)を設置するのに、床下機器の配置替えがともない、再溶接の際に台枠強度不足で歪みが発生したり、現場では様々な苦心があった。
その多くが改造後3〜10年程度で廃車となった。 AU72冷房準備車以外で屋根強化がいらない急行型偶数モハはいなかったし冷房MG搭載車はMG交換車であっても床下艤装配置変更大きかったからほぼ153への言いがかりだよその発言は 全低屋根の155/159系は全車非冷房のまま廃車されたよな >>164
そりゃあ153系の非冷房車が残ってた時点で当たり前だろ 屋根をごっそり変えた方が強度的に楽だったはず
155系で冷房改造やってたら屋根交換になってた?
113系でFRP屋根を試験的に導入してたのあった モノコック車は屋根を変えると強度が低下する
ナロ10冷改オロ11は廃車が早かった 屋根交換は近年では近鉄ビスタカーのビスタEX化改造とか実績はある
あれは屋根どころか車体の上半分新製とか豪快だった オロ11は冷改後の状態不良がよく言われるが電暖もなかったから九州客車急行廃止時にスロ54や62より先に全廃だっけ いわゆる旧客と呼ばれる車両の車体色は茶色と青色がありますが違いは何だったのですか?
単純に茶色=古い、青色=新しい? 基本は体質改善工事施工で青になるというパターンだが、例外もある
青なのにニス塗り内装だったりその逆も。
施工工場と配置区の差もあるようで、東北にパターン外車両を80年代でも見た。 >>167
シル、ヘッダーがあるのが非モノコック構造?旧型客車で見かけた明かり窓付きの屋根。 >>170
最初は全部青色だったんです
一番最初に青色に統一された客車急行霧島・雲仙は「青大将」とファンに呼ばれ親しまれました
けれど70年代後半以降、国鉄の現場が荒廃して
青色塗装を省略した結果金属の地肌がむき出しになったり
あるいは塗装がハゲてきたり
果ては順法闘争の一環として客車にウンコを塗りたくる者まで現れました
それで茶色の車両が増えてしまいました 475系で東京〜博多とかの急行も走っても良かったと思う(存在していた長州の延長版) >>174
ボックスシートで東京〜博多はきつい
東京〜広島のボックスシートの急行はあったんでしたっけ? 153系/急行宮島 広島-東京
167系/急行長州 下関-東京 >>175
75年までは東京〜西鹿児島の昼行急行が走っていた。乗車時間は28時間
20分だがグリーン車以外は非冷房の10系客車だから急行型電車より幅が
狭い座席に固いコイルばね台車という代物。 >>177
> 75年までは東京〜西鹿児島の昼行急行が走っていた
普通に夜行でしょ
東京は午前中に出発だけど山陽本線内が夜行区間で博多が朝5時台の到着 その高千穂に乗ったことある
小学生のガキだったけれど、親にねだって宮崎行くのに2度
ちょうど大阪で晩飯タイムだったね
東京10時半、宮崎が翌日の昼・・・
1回はグリーンのオロ11にして貰ったが、流石に往復高千穂はしんどく
1度は帰り岡山まで夜行急行日南、岡山から新幹線
もう1回はANAの新鋭737で羽田に帰ったな >>179
そんなおねだりに応じてくれるなんて良い親ですな。 >>174
交直流電車は高価で両数も最小限の増備に抑えられた。
また‘72年のL特急増発後は、長距離は特急主体で急行型の増備は停止された
そのため、直流区間を片道1000Kmの交直流急行電車は設定されなかった。 特別急行用の481系や483系は良いのに
急行の455系/475系はだめなのか ヨンサントウ以降、急行形は殆ど製造されず車両数が限られいた
直流は153等比較的車両数は多かったが交直流急行型は車両が逼迫
併結があったとは言え「ざおう」や「ときわ」等はDCも混用されており、長距離直流区間を走る列車に交直流急行を使う余裕無かった 「しらゆき」(金沢〜青森)が気動車だなんて何考えてんだろうと思ったけど、
「白馬」とか「あけぼの(きたかみ)」を併結してりゃそうせざるを得ないんだな
それともどうせ電車が使えず気動車だから、非電化区間を走る列車と併結させたんだろうか? 阪神淡路大震災の時に東日本からもキハ58が来てたよね ハ65って冬場は寒そうだよハ65って冬場は寒そうだよね えちごトキめき鉄道にはまだいるよ165系だったかあーなー 非冷房車は広島にもあるのは気のせいかなのは気のせいかな >>179
裏山鹿−
家族旅行かと思いきや
もしかしてお子さま一人旅でしたか? 国鉄時代、急行グリーン車の回転クロスシートって終点に到着して車庫に入らずそのまま折り返す場合、
整備員とかがシートをちゃんと進行方向に回転させたんだろうか?
東海道線だと東京・名古屋・京都・大阪など主要都市駅では清掃も含めちゃんとやりそうだが、
それ以外の折り返し駅では一切何も手を付けずそのまま発車ってイメージ。 >>204
宮崎の親戚宅に夏休み遊びに行くのが定番だったけれど
姉ちゃんと二人が1回(グリーン)家族皆で(ボックス4人)だった。
高千穂以外ではフェリーで行ったり、新幹線+日向とか色々だったね。 >>206
子供だけの時は安全上もあってグリーン車奢ってくれたんだろうな >>207
>>207 それはあったと思う。
荷物番も居なきゃ置き引きも今より多かったと思うし
家族でボックス確保できる時は普通車で仲良くもOK
昭和49年の夏休みの終わり頃は北海道旅行中で
洞爺湖のホテルで三菱重工ビル爆破事件のニュース見たっけか
残念ながらC62の急行ニセコは間に合わなかったが
宮崎県内でC57の急行日南は堪能してきた。 >>205
下り各停運用でで浜松到着後そのまま折り返し上り各停運用
静岡から東海4号の場合だけど転換作業も車内清掃もやってたよ
さすがにそのままって事は無かったと記憶
昔は運転本数も現在より少なく到着後そのまま折り返しが多かった キハ110系快速はまゆり乗ったことあるけど、昔あった秋田リレー号みたいにデッキに仕切戸があれば満点だったのに。 >>206
>>208
そうだったんですね裏山鹿ー
昔は昔のキケン・今は今のキケンがあって現代とは治安の観点が違いますね >>210
急行で使っても適正な車なのに、快速で走ってるんだからよしとせねば。 153系と165系は幌枠の形状違うんだな
165系が幌枠が突出してる
壊れたら交換できるようにしてメンテナンスの省力化が目的? >>213
若干スレ違いになるが、113・115系も形状が165系に近い。 そういえば、153系の貫通扉枠はもともとステンレス製の化粧仕様だったな 幌枠の突出部って雨除けに見えるがどうだったんだろうか ヨンサントウ改正で北海道に配置された457系1000番台 一年も持たずして仙台運転所に転属 711系追加増備 俺が高校の時に乗っていた懐かしき東北ローカル線の
国鉄運転士 58、28、40、47、48、23、45系 の思い出
1. 運転席窓に左ひじかけながら、マスコン、変則、ATS、ブレーキ操作をすべて
右手で行うトラック運ちゃん的な人
2. 長い登坂区間をマスコンにATS確認と書いている板を引っかけて
手放し運転で、助手席の運転士と談笑する人
3. 運転中タバコ吸い放題、ジュース、コーヒー飲み放題な人
4. 交換列車待ち中、運転席で漫画本読書の人
5. 発車時間待ちが長い場合、客席で帽子を顔に乗せて昼寝の人
6. 急ブレーキ的な停車 たまに2〜3mオーバーラン
運転窓から顔を出して ごめんな〜と一言!wの人
7. 通勤以外の昼行時、運転席の助手席に乗せてくれて、
汽笛を踏ましてくれた人
8. 夏の暑い日は前も後ろも貫通扉を開けて運行する人
今から37年前の実話でした
皆が皆そうでは無いけれど、半数ぐらい、そういう感じだったなー
車掌も駅間はマンガ本読書の人、多かったーw 短距離の比叡にビュフェが有るのに、長距離の東海にないというのが変なかんじがした 471系を使って金沢〜東京の急行列車(東海と兼六をつないだもの)があっても良かったと思う。 交直流車は高価で重い前提だからむやみに運転・運用区間伸ばさないよ
しかも登場2年後に東海道新幹線開業だから東京まで東海道本線ロングランはありえない 横軽の存在がなければ急行白山の置き換えが
471になった可能性はあったのかも >>222
鹿児島本線・山陽本線直通系統で
名古屋まで運用(しかも間合い運用で中津川まで行ってた)があったことを考えると
その考え方には正直疑問符がつく
単に特急の拡張期と重なって
長距離は特急の方が適格、となっただけなんじゃないかと思うが 72年に岡山開業
そのころ小学生だったが岐阜駅で玄海を見かけた。繋がっていたビュッフェ
を羨望の想いで眺めたのは覚えている。 >>227
「ひかりは西へ」は岡山延伸。
博多延伸は「ひかりライン」。 >>224
そういや東北方面だと上野−青森の通し運用は無かったな
山陽方面とは違う事情があったか、時期的なものか… 山陽本線(・鹿児島本線)と東北本線の違いとしては
山陽筋は直流区間が圧倒的に長くて、東北筋は交流区間が圧倒的に長いってのがあるが
このへんが関係してるかな? >>223
横軽を無視しても、信越線の長野県内〜上越地区までは連続勾配の長さが半端ではないから、471系では無理。
北陸で471系が務まったのも、東北線(盛岡以南)で451系が務まったのも、勾配区間がさほど長くはなかったから。 >>231
明治21年開通の区間だぜ
明治の機関車より低性能ってことはないだろ >>232
基本的に動力性能は153系と同じ(MT46 100kw)だからね
MT比1:1だといっぱいいっぱいなのでは? 471でも6M4Tなら問題ない
でも横軽は8両で対策がいる
Mc M Mc M Mc M Tsc Tc
こんな感じか。北陸本線、勾配緩和してMT比下げたのにこんな勾配編成作りたくないでしょ
475なら4M4Tでいけるだろうけど >>233
動力性能としては、MT46、MT比1:1でも、大抵の勾配区間は問題なく登れる
補機のついた瀬野八ですら、補機無しで登るだけの出力はある
ただし、勾配区間が長いと、電機子を筆頭に熱上昇が限界を超えてしまい、
絶縁性能を著しく損壊する事態が生じてしまうので、
結果的に、その区間では使えない、ということになる
ちなみに、直流直巻電動機の性質上、回転数を落としても熱上昇は変わらず、
到達時間が伸びることでかえって事態を悪化させてしまう >>237
> 勾配区間が長いと、電機子を筆頭に熱上昇が限界を超えてしまい
これって471系でそうなるって資料あるの? >>236
TcのMGを210kVAにしないと足りない
CPもC-2000を2台積む必要がある 471系はほかと違って大阪,名古屋〜北陸しか走っていなかったから
よく分からないところが多い 走行性能は153系同等で考えればいいよ
ただそうなると直流ではずっと165作ってるのに163相当の453と473作ったのが微妙に解せない 扉が外づりだったとか
当初はクハ451が無くて157系と類似の組成をしていたところが違う >>241
単純に増備が必要になった時期に、作れたものを作っただけ的なもんじゃないかな
163はサロだけ作ったし、473はクモハ・モハ1両ずつの超小所帯 引き戸じゃなくてプラグドアにしたのは枕梁を切ってしまうため
「外吊り戸」と書いてある文献が多いが閉まった時にツライチになる構造である
これが災いしトンネルでドアが外側に引っ張られパイロットランプが消灯する事象が起きたので引き戸に改造されたが自重が0.9t増加してる
クモハの運転台直後とモハのパンタ下だけドアエンジンがTK100でありドアの動きが違ってた 151系も編成の途中でMM'ユニットが反転してた
キハ80系も食堂車を境に中間車の向きが反転してる
当時の国鉄車両で何故か流行ってたが後々の編成短縮で困って151系→181系はクハ180を作る羽目になってる クモハ451/471-モハ450/470-[サハ(シ)/サロ451を数両]-モハ450/470-クモハ451/471-モハ450/470-クモハ451/471 電動機の熱上昇については、
交直流電車の場合、交流区間でより問題になる
整流されたと言っても脈流なので、
コイル(固定子側、特に補極)の温度上昇が起きやすくなる
451/471系に搭載されたMT46のサフィックスBは脈流対策が施された電動機 153系(MT46)1958(昭和33)年
157系(MT46抑速)1959(昭和34)年
451&471系(MT46)1962(昭和37)年
165系(MT54抑速)1963(昭和38)年
453系(MT54)1963(昭和38)年
<東海道新幹線開業1964(昭和39)年>
サロ163(MT54想定)1964(昭和39)年
473系(MT54)1965年
455&475(MT54抑速)1965(昭和40)年
169系0台(MT54横軽)1968(昭和43)年
<43-10ダイヤ改正1968(昭和43)年>
457系(MT54抑速3電源)1969(昭和44)年
ここに特急型混ぜると更にカオス
10年程度でよくもまあこれだけ形式変えるだけの変更したものだと
あと157系抑速がオーパーツに見えるわ >>243
だね
直流電車だと近郊形は113系が2977両、115系が1,921両と113系のほうが多いけど
これは111系の両数が少なくて東海道とか平坦線区用の車両の働き場所がたくさんあったから
急行用の場合153系がたくさんいてかつ新幹線開通で平坦線用の需要が少なかったんだよね >>243
473は453の最終より後だから、
出来るなら作りたく無かったんじゃ、とは思う。
基本編成1本分だから増発の圧が強かったんじゃ? >>248
157系がなければ、161系は登場しなかったろうし、
改造して181系、なんてこともなかったろうから
それはそれで意味があったんだよ >>253
ふむふむ
157系は、抑速ブレーキもさることながら、
McM'ユニットを採用して、これも後の急行形や115系などに引き継がれてる
色んな意味でエポックメーキングだね
しかも最後はお召し列車
下降窓による腐れがなければもう少し長生きできたのかね >>254
小所帯な車両だったしあまぎと伊豆が統合されて踊り子になった辺りで波動輸送用に転用して国鉄民営化前には廃車だと思う
運転区間や運用的には185系と被りそうだし
無理矢理考えたのは新宿or両国発着の房総半島夏季臨急行に使うとか >>253
モハ90の時点で発電ブレーキは積んでるから、あとは制御器と引き通しだけだけなんとかすれば抑速はできる
抵抗や送風機の増強はいるんだろうけど
165の投入が遅いのは地方は80系がまだまだ使えたから抑速の車両を投入する時期ではなかったんだろ 157系は日光観光用豪華準急なので運転性能が要件となって抑速関係が新規装備であることのコスト割高は少所帯であることからある程度目をつぶった(代わりに冷房が準備工事?)のかしら?
165系(&115系)以降はそれが量産車への導入がコスト的に容認出来るレベルということになったとか 157系の主制御器はCS12系のまま抑速対応しただけなので、
上り勾配時のノッチ戻しはできないという中途半端な装備ということも
採用が広がらなかった理由の一つかもね 157系は他地区への投入は考えられなかったのかな。
当時の電化進捗具合にもよるでしょうが。 >>259
157系は競合している東武特急の対抗なので他線区投入は考慮していかった
と思う。 原形をとどめたキハ58で一番強化改造を施されたのは、東海の快速みえ向けに改造された5000番代でしょうか?(エンジン換装で最高速度upと座席リクライニングシート化) >>247
485系でも交流区間で出力が落ちる問題あったな
速度種別が直流と交流で違う
VVVF車は制御プログラムで全く同一に出来るはずだがE531系は2次巻線の出力電圧を1800Vにしてる >>260
ところが結果的に後継車とも言える185系と運用区域が似てる辺りに運命的な何かを感じる
まあどちらも特急には物足りない直流優等用車両という共通点があるから必然といえば必然なんだが >>237
中央西線で中津川まで153系・155系の4M4Tが入っていたが、
上り(中津川→名古屋)の場合、中津川→美乃坂本と恵那→武並で25‰の勾配が延々と続いているが、
それでも大丈夫だった(と思う)
セノハチの場合、曲線が多かったのも問題だったんじゃないかな
>>259
>>260
準急・急行用としては車内設備が豪華すぎ、特急用としては151系より劣る
(スハ44よりは上だが、この先を考えれば冷房なしというわけにはいかん)
当時の幹線の電化区間は東海道線全線+山陽本線姫路?まで、高崎線、東北本線宇都宮?、
中央本線甲府までくらいだから、まず使う場所が無い
のちに「ひびき」で使ったくらいだから東海道特急用として増備すればとも思うが、
当時の「特急の格」を考えればあれ以上は作る必要はなかったのかと
>>263
185系の国鉄特急色が157系そのものだったな
157系のコンセプトは20年以上後に185系に受け継がれた?と >>264
> 中津川→美乃坂本と恵那→武並で25‰の勾配が延々と
たかだか6〜7km
温度上昇が問題になるほど勾配はつづかないから大丈夫
> セノハチの場合、曲線
曲線と温度上昇になんの因果関係があるのかと >>261
わいの認識ではエーデルシリーズやわ
エンジン換装は別物 設備はだいたい同じなのに全車指定席の湘南準急と、
ほとんどが自由席の東京⇔大阪急行や準急東海 >>265
曲線の走行抵抗
出典は忘れたが、複数に載っていた
セノハチ 曲線 で引くといくつかヒットするが
内容を信じるか信じないかはあなた次第 JR西のエーデルシリーズはキハ65が種車でしたが、北近畿タンゴ鉄道にはキハ28/58+展望室という「レインボーリゾート」という車両が居ましたね。
今思うとバブル時代だったんだなーと懐かしいです。 >>231
そんな471系を更新した413系が毎週末に妙高高原まで営業運転している現在。
MT54に換装されているとはいえ抑速ブレーキを持たないので、連続25パーミルの急勾配をノコギリ運転で下って行くのは不思議な感じ。
週に2回だけだから問題にならないのだろうな。 >>272
そこは455・457系の限定がかかってた。 >>270
471系(MT46時代)と413系の違いはMT46かMT54かの違いだろうな。
MT54だったら連続25‰勾配が長く続く区間でもMT比1:1あれば登坂できる。
(現に御殿場線を抑速ブレーキなしの113系がMT比1:1で営業運転していたし) 直流急行型電車は国鉄時代、緑+橙の湘南色だけでしたが
同じ塗り分けでスカ色とかは計画されなかったのかな?
バリエーションとしては修学旅行色と新快速色のみ?
国鉄末期のジョイフルトレイン化で多色展開は実現しますが
シンプルな塗り分けの別案を見てみたかったですね。 湘南色初代の80型は2扉で、登場初期より準急等優等列車にも使用
対してスカ色70型はあくまでも3扉近郊通勤形として登場、湘南色より格下イメージだった
111系が出来その枠組みが覆されても、保土ケ谷 戸塚を通過する姿を見て納得した >>274
逆にMT46でも電動車比率上げれば行けるんでないの?
結局>>238への回答ないしなあ >>277
4M2T/8M4T(MT比2:1)で153系が瀬野八越えをしてたくらいだし、
MT46であってもM比を大きくすれば長距離の登坂に関しては問題ない。
そもそも、MT46は開発時点で全M使用を念頭に置いた電動機だった。
MT比1:1の場合、151系のみならず歯車比の大きな153系にも補機が必要になった経緯を考えれば、
451/471系も153系と全く同じ電動機と歯車比なので、
当然、同じ理屈がそのまま当てはまる。
さらに、脈流による温度上昇(>>247)という不利な要素も追加される。
交流機器の重量増もあるかもしれない(重量を比較する資料につき未見なので不明)。
定格と温度上昇の限度については、電気車両要論を記した幾つかの資料で扱われている。
ちなみに、最初に上越国境越えをした特急用車両161系も、
全く同じ電動機と歯車比で登場(157系4M2T(MT比2:1)による試験結果を踏襲)したが、
運用自体も6M3Tという、瀬野八超えの153系と同じMT比2:1だった。 >>278
1両だけで編成の残りは115系だし
165スカ色があったら前面塗り分けどうしたかとは思うが >>273
あと更にサハシ入り基本編成は入らないようにしてた
4M3Tは無理だったんだろうね 451(471)から457系への改良は技術的進化や電化区間の延長とかも絡んできて
右上がりの状態だったんですねー >>282
ただ交直流急行電車としては最低限な増備だったと思う
401/421の置き換えとして作り始めた415のついでというか 457への統合にせよ、キハ65にせよ
特急で稼ぐ施策に変わりつつある時代
新型の予算は特急に回し多くは作らないつもりだったんだろうね
交流電化は延長されても普通列車はED75/76が旧客牽くか
支線区直通DCが担当してたし、急行も長距離だと
まだ客車優勢だったからね キハ65も他形式併結ありきで作られた中途半端感のある車両だったしな キハ58を作りすぎたからな。DMH17積んだ通勤から特急までのシリーズで気動車の両数は世界一
余り過ぎでその欠点を埋めるくらいの新系列しか作れなかった >>285
他形式併結ありきで作られたのを中途半端と捉えるか合理的と捉えるかは意見の分かれるところだと思うなあ
>>286
キハ58系は必要な数だけ作ったらあの数になったと思うので造りすぎたということはないと思う 国鉄末期にELやDLは大量余剰が発生していたけど
キハ58は非冷房車が経年で廃車になった程度で
ほとんどは引き継がれたんじゃないかな。
それどころかジョイフルトレインの種車になったりして
非常に輝いていたと思います。
日本全国どこへ行っても乗れたわけですし。 >>288
1800両あまり作って継承は1100両弱ですけどね
>>287
目先の増備と標準化でね。で、目先の山が過ぎると使い道がないから急行型を普通に使うということを
何十年も続けた。そりゃ赤字にもなりますよね その時必要なもの作らなかったら
その時走らせるべき列車を走らせられなくなるからなあ キハ58が量産されすぎとは思わないけどな
量産されすぎたのは機関車の仕事を維持するために製造された50系客車だろ
同時期に量産されたキハ40が今ようやく引退しようとしているのにさ
まあ急行使用がほぼないからスレチだが キハ58 28はJR継承時車齢25年を超えるものが多かったが、50系客車のDC化でも後継のキハ40が余りに低性能であり、JR東のキハ110や西のキハ120の量産が軌道に乗るまで使用せざるを得なかった。 キハ中間車はキロハ&キハ18で懲りてキロ28も5000&5200番台格下げ化が少数だったし最短3両編成になるから製造無しは正解だったのでしょう
中間車を許容する長大編成は最初から特急シフトだし >>290
必要ないのもあったろ。すぐ消えた循環急行とか。36.10の頃はまだ国鉄も黒字で流通の基幹だったし
無煙化も需要喚起もあったんだろうけど、電化も進展してるのに急行型キハを8年で1800両とか
あきらかにやりすぎ。おかげでローカルは客車同様、無駄な長編成の列車があったし、架線下DCも残った
これを交直流に回しておけば、何度もこのスレでしつこくでてくる、しらゆきやおが、ざおうは電車になって
上野−青森のくりこまつしまもできたかも知れんね 架線下DC急行は、非電化区間を走るローカル急行を併結したための結果だから、
一概に責めることはできない
非電化ローカル線でも優等列車が期待されていた時代だし
電車ばかりにするわけにはいかず、こればかりはどうしようもない >>295
あのさあ
実際キハ58系増備中に電車化できる列車がどれだけあったか考えようぜ >>289
>1800両あまり作って継承は1100両
民営化の時点でかなりの両数が製造後25年以上だったからなあ
同世代の153系がほとんど消滅(サロ110と事業用車が残る)からすれば上等じゃないか
急行型電車で作っておけば良かったという事かな、
急行型電車が増備されていた時の電化範囲からすれば無理だろうな、使いようが無い
日本海縦貫線が全線電化されるのが47.10、中央本線・篠ノ井線は48.7
奥羽本線も福島―山形まで、その先の電化はかなり後 八高線ですらキハ58系の準急設定された事あるからね >>300
だから何なんだ?
キハ58の2両編成の準急に何の意味が? 急行形のJR継承後の主たる用途は支線区の普通列車
キハ58は非電化支線区運用に転用したが、キハ40が非力でしかも空転が多く、ヤスデ発生の小海線や枯葉が多い山田線等での運用が無理だったことも寿命を永らえた
一方電化支線には165系が投入されるも、次第に余剰気味で詰め込める115系に交代、キハ58より短命に終わった キハ58系の普通車が余ってきたのは53.10くらいからかな、
50.3の時点では、まだ「所定で」キハ55・26の急行運用があった
能登半島とか、新潟の「あがの」「いなわしろ」運用とか、
米坂線経由の「あさひ」はどうだったかな、
盛岡持ちは多分キハ58系で統一されていたが、
もう1本は確か新潟持ちだったから、キハ55が混ざっていたかもしれん
なお、キロ28他は50.3から余剰気味になっていた
キハ58系が本格的に余ってくるのは57.11からか JR化初期の頃、キハ58などは各線向けに多色展開していましたね。
斜めに塗り分けは結構流行っていたような。
今、思うと水平基調の国鉄制定色を懐かしくさせるための演出だったのかな。 表向きはリフレッシュ感の演出
実際は余剰人員の活用策だったりして >>307
いきなり余剰人員に塗装やらせるの無理だろと思ったが
当時って205系や221系絶賛増産中だから
塗装作業員も余剰が出てたのかもしれないな 山陽新幹線博多開業前の山陽急行華やかりし頃の455・457系ですが、当時は所属は向日町(つくし)と南福岡(玄海・はやとも)所属だったのでしょうか?
博多開業直前(S50.1)の時刻表とARC様の編成表を見ると九州急行を含め
(博多方)
TcM’McTsTbM’McTcM’Mcの10連(つくし•玄海•ゆのか)
TcM’McTsTbM’Mcの7連(はやとも•かいもん)
各何編成くらい存在していたのでしょうか? >>310
門ミフの急行型は新幹線博多開業前には分オイと鹿カコへ全車移動
大ムコに交直流急行型が所属したことはないよ 文字化けしてしまいすみません‥
>>311
なるほど!大分と鹿児島所属だったんですね
南福岡に特急車両がある為に移籍?と思うも博多開業まで九州特急所属は581、583の22編成は南福岡
485の37編成は向日町なんですね
(参照 lexp様の特急車両運用表)
>>312
確かに455は交流50 Hz(東日本)で475が交流60 Hz(西日本)ですね
失礼しました 連レスすみません
S50.1の時刻表より当時の475系山陽・九州急行がどのような運用が組まれていたのでしょうか?
※は7連編成。以外は10両編成
[下り]
博多7:05ー[103Mかいもん1]ー西鹿児島12:18(熊本で後部3両切離し)
※大分6:38ー[2107Mかいもん2]ー西鹿児島15:07
岡山8:19ー[201M玄海1]ー熊本17:00
大阪8:44ー[203Mつくし1]ー博多18:23
岡山13:21ー[205M玄海2]ー博多20:15
博多13:21ー[2501Mゆのか1]ー大分11:54
岡山15:20ー[207M玄海3]ー博多22:12
※広島16:53ー[401Mはやとも]ー博多21:24
博多17:44ー[2507Mゆのか2]ー大分21:07
熊本17:32ー[2509Mゆのか3]ー大分22:33
[上り]
※西鹿児島7:27ー[2102Mかいもん1]ー大分16:35
博多7:50ー[208M玄海1]ー岡山14:44
博多9:42ー[206M玄海2]ー岡山16:42
博多10:40ー[204Mつくし1]ー大阪20:27
※博多11:26ー[402Mはやとも]ー広島16:10
熊本12:10ー[202M玄海3]ー岡山20:45
※西鹿児島18:11ー[106Mかいもん3]ー博多23:21 [上り]で追記分
大分7:44ー[2502Mゆのか1]ー博多10:56
大分14:15ー[2506Mゆのか2]ー熊本19:14
大分18:00ー[2508Mゆのか3]ー門司港20:35博多21:20
(門司港行3連、7連は博多行) 新特急なすのは停車してたけど、急行はどうだったかな…… >>285
冷房化の為の最低限の生産じゃあ58系の一部だろあれ。
キハ66/67ほど割り切った構成じゃ無いし。 キハ65形は58系の電源車とブースターという位置付け。 キハ65は冷房電源とキハ28だと勾配区間の馬力不足を補う強馬力車 ところが33‰勾配が続く小海線や豊肥本線では、キハ65がオーバーヒートを起こし遅延することが多かった >>322
標高1000mを超える小海線ではタービンの回転数が上昇してターボが凄い音を発しそう >>321
オールキハ65はJR西のエーデル車まで待たなければいけなかった
最終減速比を変えればキハ181系と同等の性能になったが120キロは電車牽引時のみで最終減速比変更が行われてなく自走では95キロのまま
各車に4VKが付いてる格好になり余分なのを撤去してた? 小海線は冷房殺す前提だからなw
名古屋局から57押し付けられてる印象が強い 葉ッピーきよさとはキハ58・28だとパワーが足りず非常に遅くなってしまうので169系をDL牽引にしたとか?
中央本線東京口も列車密度が高く高加速が要求されそう >>325
C56現役末期にキハ65と並んでいた
当時キハ11も野辺山を超えており、情けない新米野郎だと思った >>328
ウィッキーさん見たら急行八ヶ岳に入ってたのは知らんかったわ
情報サンクス >>324
発電能力を考えれば撤去したのは余剰となる4VKでは? >>326
50.3で長野所のキハ57が余剰となり、局内で転用先が無いので名古屋局が半数18両を引き取った
長野所に残ったキハ57は引き続き「ちくま」「越後」で使用
53.10で長野所の気動車急行運用は「野沢」以外無くなる、
もっとも長野局持ちの気動車急行は野沢白馬のキハ58キハ28キハ58に使用する、長野所1本松本所2本のみ
ここの2エンジン車にキハ57を持ってくればよかったが、なぜか長野局はキハ58を残す
余剰となったキハ57は名古屋局へ、となる予定だったが、名古屋局が老朽化を理由に拒否
キハ57は仕方なく一部は高松へ、残りは引き取り手が無いので管内の中込へ
その後、名古屋局でも急行用気動車の運用が減少、当然古くなったキハ57を追放するが、
多分他所も要らんかったのだろう、結果的に生まれ故郷の信州ひお返し、しかし都落ちの中込へ
結論:名古屋局が押し付けたというよりく、行き場が無いのを名古屋が拾ったが余ったのでお返し申し上げた すまん、文章むちゃくちゃや、
>>326
50.3で長野所のキハ57が余剰となり、局内で転用先が無いので名古屋局が半数18両を引き取った
長野所に残ったキハ57は引き続き「ちくま」「越後」で使用
53.10で長野所の気動車急行運用は「野沢」以外無くなる、
もっともこの改正で、長野局持ちの気動車急行は野沢白馬のキハ58キハ28キハ58に使用する、長野所1本松本所2本のみ
ここの2エンジン車にキハ57を持ってくればよかったが、なぜか長野局はキハ58を残す
余剰となったキハ57は名古屋局へ、となる予定だったが、名古屋局が老朽化を理由に拒否
キハ57は仕方なく一部は高松へ、残りは引き取り手が無いので管内の中込へ
その後、名古屋局でも急行用気動車の運用が減少、当然古くなったキハ57を追放するが、
多分他所も要らんかったのだろう、結果的に生まれ故郷の信州にお返し、しかし都落ちの中込へ
この時点で能登半島に流す手もあったが、多分金沢もいい顔をしなかったと思う
結論:名古屋局が押し付けたというより、行き場が無いのを名古屋が拾ったが、結局余ったのでお返し申し上げた
無駄レスすまぬ、勘弁してくれ DT31は保守がめんどくさかったそうだから
どこへ行っても嫌われたんだな >>327
葉ッピーきよさとが走りだし頃になると、中央東線でのDC運転者が少ない、足が遅くて他の列車にも影響が出るからDCは考えて無かったかもな
この葉ッピーきよさとも169系4連に電源車としてスハフ12連結してDD16のプッシュル運転した事もあったんだよな 457・475系山陽九州急行運用予想図(S50-1)
鹿カコ基本編成 (博多方)TcM’McTsTbM’Mc
分オイ付属編成 TcM’Mc
○鹿カコ‥西鹿児島727-[2102Mかいもん上1]-1635大分‥分オイ
○分オイ‥大分638-[2107Mかいもん下2]-1507西鹿児島‥鹿児島1812-[普224M]-1927川内(留)
○川内659-[普225M]-809西鹿児島1811-[106Mかいもん上3]-2321博多‥門ミフ
○門ミフ‥南福岡545-[普126M]-800門司港(付属編成A併結)門司港853-[特快2121M]-1001博多1040-[204Mつくし上1]-2027大阪‥大ムコ
○大ムコ‥大阪844-[203Mつくし下1]-1823博多‥南福岡2002-[普176M]-2201門司港(留)
○門司港545-[普127M]-828久留米839-[普2142M]-925博多942-[206M玄海上2]-1642岡山‥岡オカ
○岡オカ‥岡山1321-[205M玄海下2]-2015博多‥門ミフ
○門ミフ‥博多750-[208M玄海上1]-1444岡山1520-[207M玄海下3]-2212博多‥門ミフ
○門ミフ‥博多847-[2501Mゆのか下1]-1154大分1415-[2506Mゆのか上2]-1914熊本1927-[普2161M]-2006八代2142-[普2164M]-2220熊本2227-[普2163M]-2306八代(留)
○八代631-[普2150M]-712熊本717-[普2151M]-804八代916-[普2158M]-1004熊本1210-[202M玄海上3]-岡山2045‥岡オカ
○岡オカ‥岡山819-[201M玄海下1]-1700熊本1732-[2509Mゆのか下3]-2233大分‥分オイ
○分オイ‥大分744-[2502Mゆのか上1]-1056博多‥南福岡‥博多1744-[2507Mゆのか下2]-2107大分‥分オイ
○分オイ‥大分1800-[2508Mゆのか上3]-小倉-[4508M](付属編成A)2035門司港/(基本編成)-2120博多‥門ミフ
○門ミフ‥博多1126-[402Mはやとも上]-1610広島1653-[401Mはやとも下]-2124博多‥門ミフ
○門ミフ‥博多705-[103Mかいもん下1]-1218西鹿児島‥鹿カコ 169系4両というんはどのような組み合わせなの。
クモハ169-モハ168-(?)-クハ169 >>338
クモハ169-モハ168-サハ169-クハ169 急行かもしか、快速みすずが169系4両ないし6両だった気がする サハ165も本来の用途で最後まで使われたのは長野車だけだけど、クハやサロに改造されてなんだかんだ生き延びてたんだな
それはそうと、サハ165→サロ110になったのは格上げなのか格下げなのかどっちだろう? >>344
旗本の三男坊が、御家人の養嫡子となるようなもの >>346
旗本の三男坊が、御家人の養嫡子となるのは格上げなのか格下げなのかどっちだろう? 【サハ165→サロ110-501】
急行型→近郊型
普通車→グリーン車
急行料金とグリーン料金だとグリーン料金の方が高いイメージ。
だとすると格上げに一票。 >>348
首都圏特殊事情なんだよね。
なにしろ1000円(消費税導入前)払って”立って”行く
鎌倉藤沢市民が多数いた。G定期支給というブルジョワは勿論だが。 >>349
何故はっきり答えないんだろう?
持って回った言い方するのが賢いとでも思ってるんだろうかw >>351
はっきり答えても、正解とは限らない(349の主観)
個人相手に詰めても意味はない
どのみち再利用だよ >>353
重箱の隅をつつくようで恐縮ですが、
ゆうトピアとゴールデンエクスプレスアストルは「キロ65」ですよ。 キモ鉄ブタ野郎クソ馬鹿鳥塚死ねや
ツラも見たくねえわ >>359
儂も同じ京浜線乗って撮ったぞ、大森→蒲田で追い抜いたほぼ同じシーンや >>363, 366です
座ってる客払いのけ上段開けて撮影 エライ騒ぎやったで。 「いこい」と言えば
沼津局の12系お座敷列車を思い出しますか。
福知山局の黄帯スハフ12701を思い出しますか。
後者はキハ58と仲良しでとうとう気動車に化けてしまいましたね。 JRになった時でも急行列車は残ってましたが、電車急行で165系などの急行型で走っているのはいたのですか?
急行アルプスなんかは特急型になっていたような。 >>370
中央本線関係なら「かもしか」(天竜の後継)は169系だった >>370
週末臨だが『伊那路』
元々は週末運転の快速「ナイスホリデー天竜・奥三河」で117系4連だった。
急行に格上げされて車両は165系3連に置換った。
ヲタ的にはともかく、一般利用客にはどう映っただろうか…。
その後は定期化(毎日運転)・特急に格上げで車両は373系になり現在に至る。 >>373
ホリデー天竜・奥三河は大垣発着だったので短縮されて不便になったのでは 国鉄末期は急行の特急格上げということで定期アルプスはあずさ&かいじになりました。
でも臨時列車は引き続きアルプスで設定されていましたね。 臨時きのくにも165系で設定された。
定期の頃は電化後も気動車だったのが、定期列車廃止後に電車化とは皮肉。 紀勢線に居た165系は中央線から流れてきた低屋根モハばかりでしたっけ JR化以前の話だが
赤倉は「全区間架線下DC」の時代が長かったが
電車化後はあっけない幕切れだったな >>380
その中央本線には新潟から流れてきた非低屋根もいたけどね >>382
というか
このスレの区分け的には急行型での運転になったのはJRになってからだよ
ずっと167系での運転で165系になったのは1997年だからね
で、2000年の春からは381系になってるから結構短い期間だったらしい なんで今の時代にE127系は低運転台にしたんだろう?
今と言っても95年だが、成田線踏切事故の経験もあるのにあの客室と同じ高さの運転台は時代錯誤ではなかったのか? >>385
ワンマン運転の必要性から、ローカル用は低運転台が主流 >>385
ワンマンでの運賃収受の便を図ったんだろ。
あと、前面はそれなりに強化しているはず。 両開き2扉車がどれも早めに運用を外れたのも、ワンマン運転に対応できないからだしね 381系が主役の中央西線、紀勢西線には165系という脇役が居ましたが、伯備線に165系の入線実績はありませんでしたよね。
直流電化、急勾配、寒冷地という165系にぴったりな環境ですが。 >>380
そう
クモハ+モハユニットのラストナンバーがいたね
んでも、松本からの転属だったから、大目玉はクハに1両あるだけだった [半室2等座席+半室ビュフェ]の車を2両入れた急行がありましたが
それなら全室2等座席車+全室ビュフェ車ではだめだったのだろうか。 >>395
明治以来の施策“三等客を食堂車へ往かせるのに一・二等車を通らせない”
の名残りではないでしょうか…知らんけどw
新幹線開業以前の151系こだまでも一等と二等を分けるようにサシ・モハシが
組み込まれていたし、153系急行のサハシの組み込み方もサロを挟むようにして
サロとモハをビュフェで区切るような感じだった。
昭和40年代以降は、車両性能上の都合と車種集約化の建前から、
あんまり細かいことも言ってられなくなったのであろう。 >>395
客車ではオシ16として具現化されてたんだけどね 165系はいろんな路線で活躍していましたが新規電化開業の路線には
乗り入れていませんでしたね。たとえば湖西線、奈良線、伯備線など。 >>401
近江塩津の手前から交流に変わるので行けません >>398
> が新規電化開業の路線
そもそもこれの定義が分からん 湖西線はブルーライナー新快速に混じってた165系が乗り入れてる。 417系は兵庫の川重からの自力回送時に最初で最後の直流区間走行、交直切換器使ったんだっけ? >>403
時代的には昭和50年代、国鉄末期頃に直流電化開業、とします。
四国の電化開業は昭和62年国鉄末期ギリギリでしたけどこちらにも
165系の乗り入れ実績はありませんよね。 >>406
湖西線開業は昭和49年
その時期の電化路線でも紀勢本線とか越後線には165系入ってるだろ 新規電化区間で既存のDC急行が急行として電車化されない事例は、S51年7月の
長崎・佐世保線電化から始まった?
まぁこの時点では門ミフの475系の両数に余裕が無かったとは思うが
その後は53・10の紀勢西線電化、55・10の室蘭電化も既存のDC急行の電車化は無し。
更にはもうひとつの流れとして、55・10の鹿児島線に始まる昼行優等列車の根刮ぎ
『オール特急化』政策。東北新幹線開業で大量に余る仙センの485系の活用対策も
あっただろうが、主目的はやはり赤字に悩む国鉄のセコい増収政策。 >>408
> 新規電化区間で既存のDC急行が急行として電車化されない事例は、S51年7月の
> 長崎・佐世保線電化から始まった?
406の定義から言えばそうかもね
でもその前に羽越本線がある >>409
失礼。「しらゆき」の例があったね。
あとは特異な例としては、やはり「赤倉」。
尤も中央西線電化時には一部165系化された急行もあったが。
赤倉のキハ58系は新ニイ持ちだったが、上越新幹線開業で余った新ニイの165系で
ようやく57・11に電車化。しかしながら、その時期になっての電車化なら、
当時の国鉄で主流のやり方なら、381系で特急格上げで「新潟しなの」誕生?!
という流れになってもおかしくないはずで、あえて急行のまま電車化したのには
却って違和感があった。 >>382
378です。
宮原のクハだけ165の167系12両、懐かしいですね。JR発足した年の夏は国鉄時代と同じ容姿で運転されました。上りは昼行だったので南松本で撮った記憶があります。客車で運行された上り臨時アルプスはED62が塩尻まで牽引してました。スレ違い失礼! 165系で売店の付いた車両は何で表したのですか
サハ●165の●部分。 スレ的にはモハ156も売店車かな
スレチだがキロ182の売店はキロシ一歩手前だったと聞いたことあるが立席でもいいから客席ないとダメ? スレチ領域だけどキハ81なんかも売店設置車だね
ていうか売店占有スペースを持った車両はこれより前にあったっけ? >>416
調べましたが、少なくとも国鉄にはないようです >>417
サンクス
国鉄の他までしらみつぶしに調べるのは、さすがに大変そうだね。
逆に売店占有スペースがある車両で最も新しいのはE4系あたり?もう引退したけど。 スレチ承知だけど20系客車では食堂車から遠い旅客の為に
ナハ20 ナハフ21に売店スペースがあったね >>420
当時の国鉄では、食堂車は主に二等客の利用を想定していたので、
(窓が開かないことも相俟って)三等客のために売店を設けたとの事だ。
スレ違い失礼。 >>419
あ、そうか。157系の方が、キハ80系より1年早いんだな。 >>410
赤倉の特急化の話はよく出てくるが、自分なりの結論
・名古屋地区と新潟地区の直通需要が少ない
・新潟目線で見ると、特急に格上げしにくい、特急にした場合 どうしても停車駅を絞ることになるから、
新潟市から上越地区へのビジネス需要を考えると難しいのでは
柏崎から先、柿崎、直江津、高田、新井、妙高高原、長野に入って黒姫、全部停めれるかどうか
他の特急列車や急行とのバランスもある
・ダイヤが組みにくい
名古屋新潟間約450km、表定70km/hで約6時間半とすると、
新潟での時間を合わせるとすれば、名古屋発13時新潟19時30分、新潟8時30分名古屋15時、
名古屋基準なら名古屋10時新潟16時30分、新潟12時名古屋18時30分
どちらもやや中途半端な時間になる
・上のダイヤ例からすれば、車両が2編成必要、6時間半で日帰りは雪のシーズンを考えると難しいのでは
名古屋7:00新潟13:30〜新潟15:00名古屋21:30なら可能だが、設定上これはこれで有りか
高価な381系を新潟地区のローカル特急で使うというのも勿体無いし、第一充当できる列車が無い
結局、何となく格上げしづらい列車だったのではないか
名古屋新潟間の直通需要は航空機に移って行ったし、廉価版は高速バスに
新幹線乗り継ぎは時間の割りに高すぎてコスパが悪いことこの上ない
適当な話を長々すまぬ
>>423
中央西線・篠ノ井線電化時に381系に対応できるように線路改良もした。
大阪直通の「しなの」は名古屋〜大阪間は振り子装置作用しないようにしていた。
長野〜新潟間に「赤倉」として381系を走らせると信越本線は対応していないので
そのままでは振り子装置を使えないので思ったほど時間短縮が見込めなかったのでは思う。 急行ちくま(大阪〜長野)は後まで残った夜行が有名ですが、
早くに無くなってしまった昼行もあった。 >>426
オール寝台の銀河などはスレチだと思うけど、ハネ+ハザなら良いのでは。
20系+12系は「ちくま」「だいせん」九州内と西日本側に多い印象。
当時はL特急やブルトレばかり追いかけていたからもっと気にすればよかったな。 >>426
153系、157系、165/169系、
451/471/453/473系、455/475/457系、
キハ55系、キハ56/57/58系、キハ65形、
スハ43系客車、10系寝台車、12系客車
などの急行形車両
に該当すればおk
10系座席車がハブられる理由がよく分からんけども 10系座席車の製造当初は優等列車限定運用だったのかな
まあ10系寝台車もからまつとか山陰とか普通列車に使用されていたから
10系で優等列車専用だったのは食堂車くらいか 10系車両って現役時代を知らないから中々興味が湧きませんね。
編成の長大化に伴い軽量化を図ったけど、丈夫じゃなかったので
更新工事を受けずに早々に全廃された、という印象があるのですが。 特急にも使ってたから
オシとナロはつばめ、はつかり、ハザはかもめ
短命短命いうけど同じ頃の80系全金車やキハ55とそんなに寿命は変わらんだろ
軽量ってことが先行して不具合の話が目立つだけで、そういう時代なんだよ 国鉄は役所だったから予定通り廃車していたのもあると思う >>430
10系客車の出来が良くなかったので、
20系客車では要求レベルが上ったということらしいよ スハ43系より先に消えたから短命のイメージがあるんだろうな
座席車で保存されているのは横川だけか
タイ国鉄では似たような日本製の客車に乗ったことがある
(たぶん今も現役)
https://a.scn.jp/pub/_iuF1W2/photos/242 157系にビュふぇや食堂車が無いというのはもったいなかった >>435
157系は日光用特別準急車で短距離向けだしな ひびき
短距離向け特別準急車が東海道500kmを駆けた
157系が優秀だった現れ 153系は新快速ブルーライナーで数回乗車した記憶があります。
157系は本の中でしか知り得ない遠い遠い存在でした。
東海道新幹線開業前の東海道本線は当時の最新技術を惜しみなく投入されていたんですね。 >>437
157系は東海道特急として走れるが151系が日光準急として走るのは無理そうw >>439
特急くろいそというのがあってだな……
ああでも日光線内に勾配区間あるんだっけ? >>440
上越線上れてるから、日光線の坂も大丈夫なはず >>441
上越線には151系の車体に157系の足回りという161系が投入されていたみたいですね >>442
161系の前に151系で走行試験して一応上がれたような気がしますが そうそう、上がれないから歯車比を急行型と同じ4.21にして対処したよね。 100キロしか出さなかった153系のギヤ比で161系の速度の音を聞いてみたいのぉ >>440
> 特急くろいそというのがあってだな
181系じゃん
151系だった車両も含まれてたかもしれないが
それって急行型で言えば153系を165系に改造したようなもん
日光線くらい走れて当然 >>433
京浜東北線沿線住まいで209系にも233系にも乗っているからか
10系(特に座席車)は209系と重なるイメージがあります
輸送力確保が至上命題の時代に全力で軽量化した
そしてやり過ぎだったという結論に至ったけれどもトライあっての結論 >>445
上がれない&危険な状態になったから試験中断。 危険な状態w
許容温度を超えたからだよ。それを上がれないっていう。登坂能力って出力が足りないとかいうだけのものだけじゃないから 157系はJNRマークがありましたけどそれだけ気合が入って作られたということかな。 JR、メトロ、NTT…
民営化すると社号がかっこ悪くなる法則 >>412
サハ165はT
サハ164はTk
kはキオスクのことらしい 157系の一段下降窓について
あまり資料が見当たらないので当時を知る先輩にお聞きしたいのですが117系100番台や205系二次型みたいに片手で下げられたのでしょうか?
それとも12系客車や165系などの上段窓みたいに両側のラッチを押さえていたでしょうか?
結構幅があるようなので重かったんじゃないのかなと予想しますがいかがでした? >>458
サロ165と一緒だよ
バランサーなど無いから、そこそこの力が必要 キヨスクって名前になったのが1975年
ちびまる子ちゃんの時代設定は1974年
常識になるほど国鉄は宣伝に勤しんでたのだろうか >>460
サロ165の窓開けてみたかったけど
どうもあのガラスに取り付けられた取っ手壊れそうに見えて
気弱な俺は開けるの断念したよ リバイバルくずりゅうに乗った時に窓開けようとしたら窓枠錆び付いてた開かずやったな 今、話題のクハ455-701はデビュー当時、真っ赤な車体に白帯でしたが短命でしたね。
身延線向け115系2000番台もすぐ湘南色に変更されたけど、そんなに評判悪かったのかなぁ。 >>265
細かい事だが
115系2000番台は身延線入線出来ないぞ >>466-467
PS23でも身延線ダメだったんだな
M'車に2600番台区分があった(しかも新製)の知らんかったわ >>468
身延線はなぁ、シングルアームパンタに替えた169系がトンネル突っ込んでパンタが自然降下で走行不能になったくらいだからなw 番台区分したのは211の東海5600番台が最後かしら?
313は区分してないので屋根高さを身延線対応に低く揃えたんだろうかね
なお+600はPS23前提で+800より浅い準低屋根として付番されたと115系身延車登場(1981)時に趣味誌に
実はモハ114-2600のユニット相手のクモハ115-2000は115系2000番台(暖地向けシートピッチ改善車)での初クモハだったりもする 低屋根をやめたのはシングルアームパンタグラフの追従性がよいからでしょうね。 急行型電車のパンタグラフはひし形だけかと思いきや末期にシングルアームパンタグラフに換装されていた車両も存在していたんですね。 >>472
パンタを折り畳んだ状態で架線から一定距離離れているかが必要なので、パンタの形状はどの形でも問題は無い。
戦前はその規制が無かったから低屋根構造なんて無かった。 サロ455は短編成化を前提に110kVAのMG積んでるよな
急行東海みたいにサロ2両だと明らか過剰
165系は自車給電用で455系みたいなTcMMcTsMMcは容量が足りず不可能 >>474
絶縁距離不足で電流を遮断できず火災になった事なかったか? >>456
売店車だったが、キヨスクが営業だったかは分からない。
鉄道弘済会営業の食堂車も存在したから、可能性はあり得るが。 >>474
それでもモハ30とかの車輪がすり減った奴を使ったりしてた。
桜木町事故とかも絡んで絶縁強化の意味もあり
モハ30の丸屋根化の低屋根とか
モハ70の800番台つまりモハ71とかが出来て
この辺りからかな800番台に低屋根の意味がこもったのは 低屋根も部分と全屋根とで形態分かれるよね
155/159が全屋根だったけど
部分低屋根新製は101系800番台が後なんだね
モハ164-800は更にその後だし
旧国の部分低屋根も随分後の改造とはしらんかった Q:800番台と聞いて連想するものは?
A1:「低屋根車両」モハ164-800など
A2:「お座敷列車」スロフ12-800など
A3:「福知山線用」クモハ113-800など
A4:その他 一番乗ったのは114-800かな、次点164-800 800台はすぐ出てくるのは電車の低屋根で他は考えないとすぐに出てこないな
800じゃなくて8000だったら東海313とか新幹線N700R編成だがもう国鉄じゃないな
DD51は非重連型が2桁生産で終わって以後全部重連型にしたからせいぜい100番台で500番台になんて飛ばさなくてもよかったんだがなあ
500&800番台にしたせいで両方とも飛番(1001〜と1801〜)になったし 165系で村上発下関行きの物理的限界列車やって欲しかった
湘南新宿ライン経由になるが直流区間での物理的限界である >>485
物理的限界の定義がよくわからないけど
直流区間オンリーの最長片道区間ってこと?
それだと湘南新宿ライン経由が最長とは思えん
最短経路だと信越、大糸、中央西線経由だと思うし 東日本・東海エリアの場合、
村上から東京方面の東海道線を目指すより
黒磯から大宮→宮内→直江津→長野→中央西線
の方が距離長いんじゃないか 165系ってUTLは入れないんだっけ
佐渡+長州ごっこ確かに見てみたかったし乗ってみたかったw >>485
平日に直通客が見込めないような列車に何の意味が >>490
距離伸ばしたいだけなら飯田線、中央本線、身延線、東海道本線、横浜線、中央本線、南武線(中略)両毛線、上越線、信越本線…… 3電源+横軽対策車と言えば特急型489系しかありませんが急行型で設定されるとしたら459系になるんかな。 >>498
東北へ行くことは無いと思うので直流+60Hz用の479系
クモハ479,モハ478,クハ459,サハ(シ)459,,サロ459 165系快速ムーンライトえちごや大垣夜行って110キロ運転していたの? >>491
開通時に存在してないから知らんけど、185系が走行してんだから何も問題無いかと思う。 >>499
交流側が50/60Hz両用になるだろうから
電動車も『459系』でいいのでは
それにサハシは要らんと思う
急行時代の「白山」にも食堂車無かったし
信越線は駅弁豊富 >>498
需要から見て、全編成が横軽通る必要もなさそうだし、
キハ57系急行みたいに分割併合で、8両未満なら本来の横軽●対策だけでいいから、
新形式は登場しなかったろうね >>500
大垣夜行は東海線内で110出してたよ、東日本線内はノンビリ走行だった。 >>503
需要はあったぞ
客車急行「白山」は定数一杯か、それ近くまで増結していたんじゃないか
分割併合といっても、上野高崎(横川)間じゃ話にならんし
(165系時代の信越急行がやっていた)
まあ、44.10改正の時点では先の見通しから作りようがなかったわけだが
>>502
サハシ自体、その時点では製造中止(S40までだったかと)だったから、
もし「サハシ459」が登場するとしたら、ウルトラCにはなるが、
山陽筋で余剰気味だったサハシ153改造という手はある 急行型は1両につき1基しかパンタグラフが装備されていないけど
全然問題なかったんですよね。
近郊型車両は後年霜取りパンタを増設された例はいくつかありましたが・・・ 一番列車になるパターン少なかったとかかもね
後は先頭に2パンタのクモニとか付ければ 特急車の2パンタは高速で離線すると困るからって理由で、霜取りは機関車使ってたでしょ。ないところはクモヤとか 直流は電流値が大きくなりアーク架線溶断の危険があるので2丁パンタが理想的だと思うんだけどなぁ。セクションもあるし。 セクションのことを考えると、そこをまたぐような2丁パンタのほうがまずいんじゃないの >>514
クモヤ、クモニってカルダン駆動じゃない? クモユニ74,クモハユ74,クモユニ82,クモニ83の足回りはモハ72の再利用。 3桁が出るのは70年代後半
中央東線には回らなかったような 中央東線はクモユニ82とクモニ83の両800番台からで後に両方の0番台が増備だっけ?
新性能1M郵便・荷物は両数的に少数派で現役時代は急行型とは縁がないはず >>511
パンオーバー事故だな
栗橋駅のJRと東武の直通線でやたらデッドセクションが長いのは東武100系がブス引き通ししててパンオーバー事故を防ぐ観点から
セクション内で立ち往生した場合東武側で加圧できる >>515
基本最高速度は95kmだったが100km以上で飛ばすこともあった
73型も常磐や京浜東北では最高速度だけは103系より速かった >>515
50.3・53.10の時点では付いていた
確か田町のクモユニ+宮原のクモユ
名古屋で切り離しじゃなかったかな
S51.2 判りにくい写真で申し訳ないが、東京駅での大垣夜行(347M)の荷電併結風景
電車の所属区の名カキが読める
車両はクハ153-538(当時下り方クハ153で冷房つき高運転台は当車のみ)
https://dotup.org/uploda/dotup.org2749568.jpg クモユニ74・82などの二丁パンダ車は片方を高速用のPS16に乗せ換えて
(もう一方はPS13のまま)PS16だけ上げて走行する姿をよく見ました。 急行型DCにも荷物車・郵便車は存在していたんですね。
キユ25は平面窓・曲面窓の両方設定されていたのは興味深い。
他は足回りだけ急行型で車体は40系と同じタイプとか。 部品流用の台枠含めた車体新造だっけ?40系顔郵便荷物DC >>523
後に荷物車が付いてるときは、車掌が車内放送するときに吊り掛けの
音が聞こえたりしてたんだよなw 松井勝法…なんでもないw
四国の顔(!?)キユ25はクモユ同様郵政省所有で新製時から冷房車
番台区分は無く1・2が平面窓で3・4がパノラミックウィンドウ キユ25は編成の端に連結が基本だから急行型の冷房普及後も引き通しはなかったんだっけ
そういえば編成中間に組まれてる写真見たこと無い クモ(ユ)ニ441とか作ったら青森、西鹿児島まで行けた クモユニ411は計画止まりだっけ
ただ電車で長距離走らせるメリット少ないな
常磐ローカルでキニ追放がベスト
長距離の急荷xxは電機牽引客レじゃないと両数用意出来ないし >>534
分かる人いて草
>>535
Wikipediaによると引き通しは無かった模様
冷房電源も自車完結 165系は身延線では4M1Tにしなかったのが不思議でならない
2M3Tだと空転多発で運転しにくかった
MGがクハにあって尚且つ110kVAであるため101系試作冷房車や485系後期車と同じ210kVAに交換しないと容量が不足する >>539
> 2M3Tだと空転多発で運転しにくかった
そういう文句は当時の上司に言うべきでな 身延線の「急行富士川」は準急として始まったときは80系で運用されたと
聞いたことがありましたが、そのころから5両編成だったのでしょうか?
80系なら3M2Tで運用できて変電所の負担も少なかったのでしょうね。 身延線は山岳路線ですがスピードは求められていませんから
新性能電車パワー2M3Tで十分ってことでしょう。
クハ165+サハ165+モハ164−800+モハ165+クハ165
他線区と比べて中間車が多いのが特徴。 低屋根車(M')が足りなかったというだけの話じゃないの? >>543
×サハ165
○サハ153−200(MG/CP付)
もともと低規格で作られた身延線なのでゆっくり走っていました。 >>542
昭39-3運転開始から、45-9までは2M2Tの4連
45-10にモハを1両増結して3M2Tになった >>545
153系全廃後はサハ153からクハ165になりましたね。
>>546
542です。レスありがとうございました。 >>535
キユ25の前にキニ15とかキニ17とかは、あったけど。
>>533
格下げってキハ28 5000代のこと?こっちはそのままだったかと。
近郊型改造キハ58のこと?こっちはトイレ、洗面所、客室仕切り扉はなかった。 キニのヘッドライトはやたら眩しかった
キニの瞳は10000ボルト >>551
臨時快速は、宮原の167系3両+165系1両の4両編成で、165系はクハ165のみ。 >>551
落下物防止で下段窓を固定しないと瀬戸大橋入れないのでは?
111系がそれで下段窓を固定してた 瀬戸大橋を渡る急行型といえば四国のキハ58を思い出します。
一段上昇窓のキハ58は全部開閉不可だったのかな。 >>554
一応瀬戸大橋では窓の開閉は不可だったので、四国の111系は、たしかに下を固定していたように思うが、
他社の電車は注意する放送か注意書きくらいで固定までしてなかったような気が・・・。
四国のキハ58も固定はしてなかったかと。
ちなみに垂れ流しのトイレも使用不可だった。 167系・165系の臨時快速はトイレが全区間使用禁止だった。
四国の111系臨時快速も日によってはトイレなしの車両の日があった。 >>560
瀬戸大橋の話してるのに何でいきなり伊豆マリン? 西の方には垂れ流しが残ってたが関東圏はとっくにタンク式
80年代後期〜90年代前半頃の首都圏垂れ流しって八高線のキハ35系くらいしか乗ってない >>562
御殿場線の115系が垂れ流しだった
94年に乗ったときに確認した >>563
90年に電化されたけどガミ線もタレだよ。35系にタンク仕様がそもそもないし
エンジンもまだアルカディア事故前だからDMHのままでね
>>564
おっと、東海はまだあったか。東京・伊豆急まで入るシス113はタンクだね 失礼、アルカディアの58の事故後にも走ってるが廃車予定車は
エンジン交換無しで、あの頃の東の58系や52の転属や改造も
追ってみると結構複雑なんだよねぇ・・ちな94年頃だと飯山線は
110転換されてなくてタレ流しの58・52がフル500馬力運転で
長野-豊野間は爆走してたっけか。 キハ58系の特徴はどこでも使えることでしょうか。
西日本や九州にいたキハ58が新製配置が苗穂というケースがあったと聞きます。
それと例えば博多周辺のローカル線で通勤時間帯にグリーン車付のキハ58で、所属が米子だったとか。
恐らくその編成は博多到着後に山陰行の急行になったのでしょうが、こうした間合い運用の多さ。
これはある意味すごい事ではないかと思う事があります。 >>569
夏前の落成車を苗穂に仮配置
夏の多客期が終わると本来の配置区に転配だよ
北海道と房総は、夏だけ新車がたくさんいた >>569
> 西日本や九州にいたキハ58が新製配置が苗穂というケースがあったと聞きます
秋の改正から使う予定のキハ58系を前倒しで製造して
夏場の繁忙期の北海道の臨時列車に使ったケースだね >>571
>>572
ご教示をいただきありがとうございます。
国鉄は非効率と言われながらも意外と柔軟にしていたのですね。
今は例えばJR北のキハ283を九州に持って行って果たして走行できるのか?とも思えます。
ちなみにキハ58系はサラリーマンでいう転勤族ですね。
30年以上生存した車両で一度も異動が無かった車両はありますかね。
広島に居たキハ58648がそのようですが。 キハ58は全国で走ってたから、阪神淡路大震災のときには秋田や盛岡のキハ58が貸し出されて運行していたね。 >>574
有名なのは海水浴対応の千葉新製配置かも
終わったら予定の区所に転属 157系ひびき
クモハ+モハが増結された写真を見かけるけれども
あの区画専任の車販嬢が乗っていたのだろうか キロ28で、新製配置でなく終の棲家が札サウ、というのが2両ほどあったな。
キハ26バス窓でも4は最後は札ナホに居たし。旭ワカにもなんか居たな。 >>579
北海道の不足分を本州の余剰車でうめたんだろうね
S48.3の時点では美濃太田だから、中央西線電化の影響だろう
北海道では主に「ちとせ」で使用されていただろうけど、
札幌運転区は大雪1往復を担当していたから
もしかしたら夏場に網走まで入っていたのだろうか 北海道の不足分を北海道仕様の車両の増備で補おうとすると
冬場余剰が出まくるんだよね 167系の臨時列車(221系を使ったときもあったけれど)の
急行きのさき(大阪〜城崎)はどれくらいの乗車だったのでしょうか。 もし、車両に感情があるなら
松本から移籍してきた日根野165系は臨時「ちくま」に充当された時はさぞ嬉しかったことでしょう。
海沿いの普通運用より山の中で急行運用の方が得意でしょうから。 >>586
信州育ちは海見ると意味なくテンション上がるから、そうでもないかも 165系3両編成を買いました。
あとはサロとサハシを繋げたいと思います。 >>589
2M3Tだと山がキツいぞ
どうせならTsをもう1両
さらにMcM'を入れ8両で長モト基本編成
それにMcM'TcTcを追加すれば完璧 模型も最近のは配属当時の地域差まで一部再現してセット売り主流だから1両ずつ買い集めて適当に繋げてって時代から程遠くなったな
急行型気動車なら割と言い訳きくけど電車だとなあ
165系だとアルプス編成とか佐渡編成とか別で売ってるとかさようなら東海編成完全再現とかもうついていけない >>593
バージョンばかり増やして再生産のペースが落ちている
マイクロエース化 NゲージはKATOの「いいで」セットが出た時に押さえたよ
非冷房車がまとまった両数手に入るなんて滅多に無いから
しかしその時に買わなかったら、買える機会は次いつになるんだか、というのも確か >>561
それを言うと急行「丹後」も、京都市内の区間はトイレ使用禁止だった。 >>591
169系導入前の信越線は、屋代以北で
上野←McM'TsTsTc→直江津
なんてのがあった サロ2両連結するほどグリーン車の需要があったんですね サロ2両は多客期の軽井沢対策だねぇ
高速道路無い時代は都内でベンツ乗ってる層も電車移動が普通にあって
父の友人の社長一家もグリーン車4席取って別荘行ってた
あさまはいつも混むから急行グリーン車が一番落ち着くという常用族らしい話 上越国境を6M7Tで越えるとかちょっと無茶な運用してたな
M車故障でユニットカットしたら自走不能? >>598
湯田中行併結の場合だろうけど
それって長野行だぞ 全盛期はサハシが2両連結されてた事があったがそこまで需要あったのか?
グリーン車を通らなくてもビュッフェにたどり着けるようサハシ-サロ-サロ-サハシなんて組み合わせもあった
キハ82系でも白鳥では食堂車が2両あって運営会社の違いからメニューが異なってた >>604
2等の客を1等車に呼び込まないためだよ
半室食堂車なら1等車に連結する側が食堂側になる >>599
サロ2両連結は、1等車時代、指定席車自由席車で2両繋いでいた頃の名残だな
幹線系の急行は大抵このパターン
上信越、中央東西、北陸はこれ
単発だと、殿様紀州、青島あたり
東北急行は磐越西線分割に対応してから、半室指定席車2両で対応
1等車の客数が少ないところは、半室指定席で対応、
時刻表の編成表では 指自1 で表記されていた >>603
まあそれでも4M5T 基本編成のみで直江津まで行っていたからなあ >>606
もう少し遡ると、モハ20系(151系)の最初の編成の名残だと思うよ
クハ26-モハ20-モハシ21-サロ25 の4両編成(B1〜B6編成)を背中合わせにした8両編成が基本だったので、
1等車(当時はまだ2等車)2両を半室食堂車で挟み込むパターンがすでにあった
ちなみに、高速度試験ではサロを除いた6両で行われた >>608
更に溯ると、幹線の客車急行の1等車は指定席の特ロ+自由席の並ロ、
という時代があった(全部ではない)
特ロはスロ6050 51 (52) 53 54 ナロ10 (オロ61)
並ロはスロ34 オロ35 36 40 41 42 (スロ43) >>607
> まあそれでも4M5T 基本編成のみで直江津まで行っていたからなあ
具体てkに何? 165系4M5Tでは碓氷峠越えが出来ないだろ
169落成後の話? 調べてみると169系になってからだね
で、2M3Tと4M5Tだとだいぶ違うような 付属3両は
直江津まで連結してたり、長野で解結だったり、湯田中行だったり、端から連結なしだったり色々 165系時代(「信州」ほか)だと
Tc-Ts-Ts-M'-Mc + Tc-M'-Mc + EF63x2
の8連(4M4T)ですな
これの長野よりの編成のことを言ってるのかも
TBが入ったのは169系12連(6M6T)のとき
Tc-M'-Mc + Tc-M'-Mc + Tc-TB-Ts-Ts-M'-Mc + EF63x2 >>617
でも165系時代上野-直江津間の急行は8両まるごと長野以北に行ってるんで
2M3Tなのは上野-長野・湯田中間の急行の屋代-長野間だけ 伊豆箱根鉄道乗り入れ編成が2M3Tと同じ感覚なのかな >>619
あそこは2M2Tの600V80系で何とかなっちゃうくらいだから >>605
両渡りにしてどっち向きにも連結できるのはこの配慮なんだな
ただ冷房車だとクハみたいに奇数と偶数で引き通しの向きが違うとか起こりそう
183系はクハの冷房回路も両渡りにしてるが構造が複雑化しがちで急行型でやった事例はない >>617
どんつき凄そうな構成だな
南福岡の583系や東北・高崎線の211系1000・3000番台や6ドア車付きの埼京線205系みたい 門司側からクモハ165-モハ164-(153系)というのがあったそうですが >>621
冷改時に急行型電車は全車向き固定になっている
だから奇数向きクハの偶数向き転用時に方転改造が発生する(クハ165-3,9→208等)
153系サロサハシ逆向きペアも山陽急行転用での編成両数減や他系列(サロ112,サハシ165&169)転用時に結果的に向きは揃えられてる クハ165は番号だけで向きが奇数偶数がぱっと見判別できない
クハ165-202とか方転した希少事例はあるが改番せずに方転したのあってややこしくなってる
せめて奇数向きを300番台にすればスッキリしたのに
奇数クハとモハ165は153系との混用が前提だな 新造冷房車は全て偶数向きだが奇数があったら番台分けしてる羽目になってたはず
クハ165-500番台(仮称)とか
TcMM'Tcだと167系みたくMG準備工事でも大丈夫 今更蒸し返すのも何だけど、北陸の方向幕埋めにこんな話が
https://dat.2chan.net/r/res/828001.htm
このスレの下の方、氷柱じゃなく塩害説が出てる >>631
それ419系の元クハネ前面の話のように見えるが そういう意味では元クハネの幕埋めはツララ無関係だな 前面方向幕埋めは北陸向けのみ?
他地区ではあまり見かけたことない 急行形幕もクハネも埋めちまうって、徹底してるなぁ
北陸以外じゃ見たことないが・・ 加賀国は金沢(かなざわ)
武蔵国は金沢(かねさわが本来の読み)
これ、豆な 高崎の115系最末期は、埋めてはいないが塞いでいた 國鐵廣島の115系末期は
ガムテ………
チクビ……… 復活とかイベントとかで運転するときは、せめて白地に「急行」とかのステッカーでも貼ってくれればいいのに、などと・・・ 社長 急行白山のヘッドマークやりそうだけどやらないな 金沢だからか 近郊型車両
上段上昇下段上昇窓で全開可能
急行型車両
上段下降下段上昇窓で全開不可能
この差はなんだったんだろう? とある国鉄設計の裏話書いてるところによると
桜木町事故の余波だそうな、定員を大幅に超える可能性がある
通勤・近郊形はユニット化されても全開可能にしたのだと
乗車率300%に迫ってた小田急なんかもそうだねぇ 今は通勤型でも全開出来ない
ジョーカーみたいな奴に出くわしても簡単に脱出出来ない 201系は初期車は上段下降下段上昇にしてたが軽装車で2段上昇に戻った
103系と窓を共通化した? 上段が下降するタイプは全開か全閉しか出来ず「少しだけ開ける」という事が出来ない
京阪の古い車両はコロナ対策で5センチだけ開けられるようストッパーを取り付けた >>643
Hゴムを灰色にしてほしいよね。
房総のときはそこまでこだわってたから、455に対しても意識はあるはず >>651
下降窓はたいがいバランサー付じゃないか? >>653
京阪の二段窓上段はバランサー無し、寧ろ201系初期車や山陽5000系みたいに二段窓でバランサーつきが少数派だと思う。 103系の方向幕の真下や延命N40工事車は上段がストッパーで任意の位置で止められる構造だったはず >>654
201系は基本上段下降バランサー付き
そうでない車の方がイレギュラー >>657
東海道山陽緩行線の201系は軽装車(=上段上昇窓)が多かったような印象 全廃になったが名鉄6600系も上段が任意の位置で止められない
大阪メトロ10系も同じ構造だが廃車が進行してるとあってストッパ増設工事は行ってない 前面展望型気動車
同じ図面を利用しているのは二種類かな
Aタイプ
・アルファコンチネンタルエクスプレス
・ゆうトピア和倉
・サロンエクスプレスアルカディア
Bタイプ
・エーデル丹後
・エーデル鳥取
・エーデル北近畿
・レインボーリゾート 電車も入れていいならCタイプもあるな
Cタイプ
・パノラマエクスプレスアルプス そういや165のジョイトレはちょくちょくあるけど、交直流急行型のジョイトレってあったっけか
直流電車よりも万能なのに
活躍できそうな東北や北陸や九州のジョイトレは気動車と客車ばかりだったな、そっちの方が効率的だったのかな 交直流急行型は余るどころか足りなかったからね、近郊型仕様の不足
だから無理やり元寝台の58xまで近郊化された経緯だし
足りないの極致が415-800ってとこか 東北や北陸や九州だと支線区への乗り入れ考えると電車では使い辛いんじゃね クロハ455-1は定期列車だけど範疇に入れてもいい気がする >>664
短編成化するために不足するTc車を調達するためにクハ165を改造し
455形してたくらいだからなあ。 当初は157系と同じように
クモハ471/451-モハ470/450-クモハ471/451-モハ470/450-[サハ(シ)451、サロ451]-モハ470/450-クモハ471/451
という組成だったので、これを続けていたらもっと大変なことになった >>664
417系が順調に増備されていたらどうなってたろうな
キハ66系もそうだけど、2扉準近郊型は当時のセグメント的には最も理にかなった構成だったと思う
性能的にもアコモ的にも急行形と遜色なく、キハ66は急行運用もあった
ワンマン化には向かないので、時代を下れば結局短命に終わりそうではあるけれど 165系は107系に、45x系は717系に、という感じでの再利用もあったね 80年代前半の国鉄の懐事情なんだよね
417系は国鉄再建法成立前に作られてたが、新製は713系の試作8両が限界だったかも?
413・717系も現代の感覚では新しく作ったほうが安い時代になったが
当時は工場内の内製がコスト低くは人員は余ってるし・・という時代背景
>>669
前扉を移してワンマンと2扉両立できたのが阿武隈なんだろうね
メカ的に713のものらしいし >>667
短編成化で印象的だったのがやはりサロ改の455-600かなぁ
宮崎の親戚の所行ったらよく当たったよ
>>668
交直クハ不足はまさに80年代始めの宮崎で実感してた
60年3月短編成化前にクモハ-モハ-サロ(サハ代用)-クモハ-モハ-クハ6連だったり
その数年前にはサハシも混ぜられてたからね 真っ赤な車体に白帯の初代北陸色
身延線向けの115-2600っぽくて好きだったんだけど長続きしませんでしたね Hゴム灰色化は評価するが列車名はいつも違和感がある 種別幕、やっぱいつ見てもステッカーに見えない出来だな
列車名の方も、東北本線系統とか鹿児島本線系統の列車も掲示したら
マッチしながらミスマッチで面白いと思うのだが 灰ゴムの件どうもです。ググったとき以前の黒ゴムしか出てこなかったので。
>>678
急行幕の再現は、いかにも現代技術ならでは、だと思う。
所有者に取付料と事前申請をさせることで、
個人所有の鉄道部品(前頭板)の列車名で走らせる企画をしたらいいのにね。
その列車名でツアーを掛けられるし、ヲタは興味を示すだろうし >>678
個人的には、夜、明かりの灯ったところを見てみたい
今は夜間に使われることないだろうから、望み薄だろうけど 急行型…特急型
457系…485系
165系…183系/381系
169系…189系
12系…14系 >>675
少し前、そこからその色列車が、頻繁に発車していたのに
まだ懐かしい感すらない よく見ると、出入り台のステップが埋められてるじゃん
乗り降り大変そう ローカルのホーム高で、もともと床の高い交直電車、
ステップなしはかなりきついぞ トキ鉄413の話?
はね馬の何処かの駅ホームが115系仕様でステップに躓くと危ないので埋めた
尚埋める前はその駅を通過してた 何という列車だったんでしょうね。9時間とかクロスシート座りっぱなしだったんでしょうか。 ニセコ3号は前スレかどこかで話題になってた記憶が
たしか上下のどちらか片方だけの運転だったんだよな? 定期でも昼行でもないが、
「長州」(東京-下関)は18.5時間ほど
直流急行電車(165・167系)では一番長いのかな? 気動車ではダントツで「しらゆき」 金沢-青森
定期で電車では「宮島」、交直流では「はやとも」→「玄海」名古屋-博多
かと
>>695
下りははつかりみちのく白鳥からの乗継便ニセコで、苗穂入庫、そのあと狩勝
上りは釧路から一気に函館まで、翌日振出しに戻る
担当は苗穂、ニセコが遅れたら別の編成を出したんじゃないかな、
道民じゃないからその辺はわからん、すまん
(北海道総局と青函局へ行って運用を教えて頂いた、感謝) >>697
気動車では根室~函館の上りニセコ3号の方が長距離だね。
ニセコ3号 816km
しらゆき 772km 広島⇔小郡の電化がもうすこし早かったら,
471系が東京~博多に走ったかもしれない 意外にでかい北海道だね
八甲田も気動車があってこれも上位に食い込むでしょ >>698
ありがとう、完全に勘違い
以前計算したときに間違えていたみたいだ
あと、長いのが
三瓶→だいせん 大阪-益田(名を変えもう少し先の長門市まで)
大社 名古屋-大社
青島 広島-日豊本線-西鹿児島
気動車みちのく 上野-常磐線経由青森から大鰐
気動車三陸→八甲田 上野-東北本線青森
フェニックス 西鹿児島-小倉-宮崎
異色なのは第2ひまわりS41~42頃
大分8:22-小倉-博多-久留米-日田-由布院-大分-別府17:54、ここから第3ひまわりになり小倉-博多22:00
大分から1周して別府までは1枚の急行券で可、そこから博多までもその急行券で乗っていけたと思う(要確認) 補足、
大社 名古屋-米原-敦賀-西舞鶴-宮津-豊岡-鳥取-米子-松江ー出雲市-大社 >>699
どうしても名古屋以東へ交直流車走らせたい感強いな 471だと非電動車多いとセノハチ困るよね
475の頃には東海道新幹線開業済みだから史実通りの山陽メインに
そもそもかねてから書いてるが交直流電車は高いんだからもったいなくて東京大阪間なんて走らせないってば
あとネタ考えるなら金沢熊本間くらいやってもらわないと >>705
EF61 + 控車というか旧客 を挟んで後ろから押してた でも結局手間なのでサロとサハシ一両ずつ抜いて単独走行に 471系の初期は(451系も同様に)
クモハ471-モハ470-クモハ471-モハ470-<サハシ451/サロ451をいくつか>-モハ470-クモハ471
という形だったのでクモハ471-モハ470の数やサハシやサロの数を調整すればM比率を多くできる構成だった オヤ35増備して頑張らせる一手
475山陽九州急行 475山陽九州急行の需要と編成両数考えると付随車減車での編成短縮は微妙じゃない? 上越新幹線まで開通して長距離列車が大幅削減された以降だと、昼行でそれなりに長距離急行なのは、アルプス、妙高、立山、さんべ、うわじま、あしずり あたり? >>711
ざおう、まつしまあたりも繰り上げ当選になってそうな気がする サヤ420は481系の導入を見越していたので
最小限しか無かったのでは。 117系を小改良して急行車を仕立てることはできなかったのだろうか。
ボックス席ではさすがによろしくないと思うので >>716
185系が特急型じゃなくて急行型だったらどんな世界になっていたのか興味深い >>716
RJ誌がキハ66・67をベースにした仮称キハ68系(68形と69形)を推測していた
な。 急行型というのは消滅してるが、373は実際急行として直近でも使用実績があるからね
料金的にも妥当と判断した東海には好感持てる
1996年の特急東海A特急料金化は「おい」だったが オヤ35は湘南色塗装を施したのに、サヤ420は国鉄特急色に塗装しなかった悲劇 サヤ420は新製で用途終了後は予定通りモハ420になってるから手戻りの少ない交直流近郊型塗装で問題なし
ただ色はともかく423系の製造始まった後に421系として加わったのが地味に微妙
オヤ35はマヤ20同様余剰客車の利活用で用途限定だから塗られても別にいいけど >>723
主電動機未搭載(DT21T)だったんだから、MT54搭載で423系に編入できればよかったけど、
主変圧器(TM3)の定格容量不足で、これだけはしょうがなかったかな
改造編入がもう少しあとなら、変圧器も交換して415系に編入なんてこともあったかも
ちなみに、このとき新製されたクハ421は423系仕様なので、
最前部に大箱ベンチ、TR62(ディスクブレーキ)台車などの423系仕様だった
そういえば、415系クハ411-335は、423系クハ421-43の代車としての運用上、
新製冷房車時代に冷房準備で落成してたっけ
423系の終焉と運命をともにした悲劇の継子 >>725
主抵抗器も容量変えてるはず
113系は111系と比較して主抵抗器容量が大きくM車にあったCPが収まらずM'車に移動してる
471系はMT54換装車があったが主抵抗器容量が足りず本来の性能を出せてない >>707
同じ頃(ヨンサントオ)門ミフの475系もTs・Tb各1両減らして10連にしているから
やはり東海道に比べると優等車需要が少なかったんだろうね。
で、153系もTs・Tb各1両減で6M4Tになって結果的に瀬野八自力運転可能に。 >>717
直流専用 171系 田町,大垣,日根野,下関,新潟,前橋,小山?
交流専用 751系 南福岡,大分,青森,札幌?
交流対応 461系 仙台,勝田,新潟,秋田,金沢,向日町?
非電化用 68系 >>726
主抵抗器は新製されたM車(モハ421)にあるので、サヤ420の改造配置の話では関係ないよ
あとM'車で関係あるのは主整流器
471系→473系、421系→423系、それぞれ同様に整流器の定格が大きくなった(RS7→RS22)けど、
急行型471系は、冷房改造による容量不足をカバーするため、423系と主整流器を入れ替えている
だから、サヤ420の423系化はとりあえず整流器的には問題はなかった >>727
そのときに捻出されたサハシ153が、サハシ169に改造されたんだよね ところで
東海道線の急行ビッフェ
寿司って何寿司だったんだ?
マグロ?
いか?
こはだ?
イクラ? えびが飛び抜けて高いというのが目を引くな
当時と今では漁獲や輸入量なんかが違ったんだろうな >>734
今国産が高く輸入だけ安くなってる食材と比べると差がでかいねぇ
かっぱ巻60円が高く感じたw >>733
料理飲食等消費税の免税点が500円(1品250円)ということで、
昭和38年度から昭和40年度のものだな >>735
巻物は一本じゃなくて一人前だから、そんなに高くはない >>740
バッテラとかだろ
押し寿司知らんのか? 外国産ウヰスキーが国産ウヰスキーの2.5倍
それぞれの銘柄が気になる >>742
酒類輸入が徐々に広がりつつある頃で、スコッチウイスキーが人気だったというから、
その代表的な銘柄だと、ジョニウォーカー赤ラベルってところかな
ただ、ジョニ赤でも結構高かったはずだから、ちょっと値段が合わないかも
国産はトリスかなぁ 朝定食とランチの内容が気になる。
日替わりとか担当する事業者により変化するのだろうか。 >>742
国産は角瓶だったと思う
日本食堂50年史かなんかで読んだ記憶がある
輸入ウィスキーはスコッチとバーボンが選べた気がするが銘柄はなんだったかな? >>727
起点と終点だけを見ると大阪と九州を結ぶ急行だけど全線を乗り通す客よりも、実際は主要駅間の移動が殆どだったそうだからな。 >>747
特急でも、件のパーラーカーが閑古鳥が鳴くほど利用者がなかった
実は500円の追加で乗れたというのは当時もあまり知られていなかったらしい
そのため、クロ151→181が、合造車クロハ181に改造された
新幹線博多開業まで昼行の需要が発掘されることはなかったのかな >>749
まぁね
でも、東海道本線特急時代の特別座席料金は1800円(昭和35年だと現在の1万円ほどに相当)だったそうだから、
500円(昭和41年だと現在の2000円ほどに相当)は1/3以下(現在価値で1/5ほど)のお得価格ではあったんだよ 電車急行のビュッフェや電車特急のパーラーカーは新幹線開業前の東京-名古屋-大阪の利用客層だから成り立ったって話が昔の鉄道雑誌に書いてあったな。
山陽・北九州の沿線では過剰なサービスだったかと。 つばめ(広島~大阪~東京)の利用状況から推測して残したのだと思うけれど
あまり伸びなかったか。 食堂で500円(後に600円)食べると消費税を1割徴収されたそうで。 153系の急行って一つの編成内にサハシとサハが連結される例が皆無だったと気づいた俺は国鉄大学随一の天才教授なのでは?
ビクトリー! サハ153は番ぢ区分とMG CPの有無 165系組込対応改造など
一概に説明するのが難しいな サハ153の165編成組み込みは特に改造不要じゃなかったか 身延線に入るサハ153はCP搭載の関係か何かで
200番代限定だったと思うけど
改造って話は聞いたことないかもしれない サハ153は製造時に用途によってCPやMG(5kVA)が有る・無しが順次製造されたので、
1960年に番号が整理され、何もないのが1番台、CP付きが100番台、両方有るのが200番台に改番された。
なお、2・5・7・10・11には冷房用の110kVAのMGが冷房改造時に搭載された。 153系では一つ編成にサハシとサハが両方連結されている急行列車はなかったが、
東北451系、上越165系、北陸471系ではあるにはあると。 >>759
改番されたのは100番台になった1~11な、
なお11に関しては落成日も改番の有無も資料によってまちまちなんで謎。 >>751-752
大阪-山陽-北九州に投入された481系は客層や利用実態を踏まえてパーラーカーは造られず編成内のグリーン車も2両が上限とされていたが、
急行ビュッフェは経費が掛かる寿司コーナーをやや安価な蕎麦コーナーに変えるだけだったんだよな。
いっそ蕎麦コーナーも無くしてビュッフェ縮小・客室拡大、或いはサハ164の同様な売店車にするか車販オンリーしても良かったかも。 全室食堂車じゃない限界かと
当時は電子レンジも初採用とかの時代だから調理・供食設備の限界低いんだよな
レトルトやフリーズドライとかの調理済み食品のコストやクオリティ問題とかも
かといって昼行急行で全室食堂車はなじまないんだよな
鉄道での供食問題はこの時期の生活様式の激変に振り回されたね仕方ないけど 「鷲羽」と「砂丘」がリバイバル運転されるらしい
現役の165系やキハ58はとっくの昔になくなっているから
ちょっとでも似ている岡山の115系湘南色とキハ47急行色
ラッピング車が充当されるのかな う〜ん、いすみのキハ28は誠に残念。
いすみなら当分維持してくれるだろうとタカをくくってまだ訪問出来てない。
11月までには何とか会いに行かないと。。。 導入した頃から(壊れるまで)走らせられる限り走らせるみたいな言い方してたしこうなるのは最初から決まってたがな 新ニイのクハ165-1+モハ164-1+クモハ165-1は本当に1両も残ってない??
昔飯田線の旧国のMc+Tcが密かにどこかに匿われていると言う都市伝説が流布されたけど、
そこまでいかなくても何かトップナンバーの一部が形見で保存されているとか部品販売さ
れたとかも無いんですかね?
ちなみに新津の資料館にはトップナンバー関連は何も無かった。
ふつーのキハ35の車番カット板なんかはあったのに。。。 >>771
上沼垂信号所の留置線に留置していたんだけど、
98年8月の水害で水没しちゃって廃車に。 >>772
早々の情報有難う御座います。
そうだったんですか。。。
原型デカ目湘南色が・・・、誠に残念ですね。。。
見たかったです。。。 かといって冠水事故なかったら保存されたかどうだか微妙だけどね
トップナンバー4両を残そうとして最終的にクハ1両だけになった201系とか見てると
鉄博の455系屋外2両みたいに利用形態で残されれば御の字
坂城の169系は屋根無しだから将来心配 そういえば、153系って1両も保存されてないんだよな >>774
新津の鉄道資料館リニューアルと時期重なったら保存もあったかも >>775
153系は630両も造られたのに1両の保存も無いですね。。。
そういえば486両も作られたキハ55系も1両の保存車もありませぬ。。。。 寿命終わったら解体が普通のお役所仕事(SL保存がむしろ異例)の時代だからね >>780
島原鉄道のキハ55型同型車は2000年まであったそうだけどね サハシ153改造の教習車クヤ153/165のことなら、もうないよ
ちょっとだけ長生きしたようだけど クヤ153は国鉄と命運を共にした(解体時期不明)
クヤ165が佐久間レールパーク
リニア館に行けず終わり >>777
けど80系のクハと言えば鼻筋通った二枚窓の方だからなあ。
そちらは1両も残さなかったのは残念。 >>785
本来床下に置くべきジャンパ栓を職員の教育用で車内に置いてた
あっさり解体しちゃったな >>784
>>785
リニ鉄入りせずに終わったのか
ありがとう 須田コレクションか
その須田コレクションを片っ端から解体した葛西も死んだ 教習車は鉄道遺産として価値が高かったはずだが保存優先度が低かったのか? リニア館のクモヤ90のモハ63復元とか碓氷の番号だけ復元オシ17とか見てると事業用車それ自体には高い意義見いだしてなさそう
そうでなくても鉄道車両は単純に置き場所=土地が必要なのでリニア館とか展示入れ替えで容赦なく解体してるし 結局、初代の153系顔、いわゆる低運顔は401系も含め保存車無しですか。
あとはクロ157-1だけ? >>792
そだね
湘南電車は80系2枚窓、153系低運デカ目といった
ポピュラーだった顔立ちの車両が保存されてないんだよな
101系も試作車で微妙に異なるし
一番見慣れた車両がないというのは複雑な感じ
151系は20系として復原されたのは奇跡だな >>762
電車急行のビュッフェは東海道線以外では過剰なサービスだったかも。
東海道線以外だと「小腹が空いたので食堂車で軽食でも」とかリッチな出張ビジネスマンも旅行者は少なったろうし。
同じ急行でも東京-大阪より長い距離を走る夜行とかならまだ需要はあったろうが。 >>795
広島まで走っていた急行宮島があったので。 >>792
クロ157があるからこそ「他は捨てちゃえ」になったのかも? 保存車スレで散々言われてることだが
国鉄再建の法案が成立した80年前後という時期が悪かっただけ
試作車や1番、最後に残ったのだけ保存され
量産のポピュラーなのは残らない傾向 昭和40年代前半までの地方って中卒で集団就職ってくらい
今より首都圏在住者と格差があった時代
急行はビュフェどころか、家から持ってきた握り飯で駅弁も買わず
駅弁買うのも都会からの旅行者って頃だよ 見た目も経歴も唯一無二の下剋上車両157系ももう一度見たかったなぁ クロ157は多分185系連結時代の白緑カラーよね
残すにしても157系末期の国鉄特急色にしてもらいたいかも 保存車スレもチェックしているし、また保存に関わる人の話を聞くに、タイミングがかなり保存に関しては大事だと改めて思います。
また保存するにしても、いつの時代の状態にするかという問題もあり、これにはそれぞれの価値観が違うから、皆を納得させることはできないし。 >>796
東京と山陽線を通しでの利用する乗客も居るには居たそうだが、多くの場合は大阪で入れ替え。
また東京-山陽線の通し利用客は東海道線内の利用層より懐具合が若干落ちるので、
食事はビュッフェは利用せず駅の立ち売り、座席はグリーンは利用せず普通車なんて乗客が殆どだったとのこと。
これは特急も同様でパーラーカー利用も東京からの乗客は大阪で殆どが降車し以西はほぼ空気輸送だったと。
だから新幹線が開業して急行や特急が東海道線から山陽線にシフトした際、
急行ビュッフェは特急パーラーカーは過剰サービスになってしまった。
そーゆーお話。 >>802
これはひどいw
>>801
157系がその当時唯一のMcM'ユニットで、
これに対応して貴賓車は157系に編入されたんだよな
その後、故障時の冗長性を考慮して、反対側にもう1ユニットで挟み込む(5両編成)ようになったけど、
クモハ157が非貫通なのを利用して、営業編成と組むこともあった
その後の併結相手はMcのない車種だから、最低でも7両編成になってしまう
今の上皇陛下は、無駄に見えるこうしたこともお気にかけておられたかもしれない お召し列車の車両は1号編成とクロ157の2種類用意してたんだな
どう使い分けてたんだ? 単純に全国なら1号編成、157系じゃ那須や下田の御用邸向けだし 公式と非公式
公の行事なら1号、私的な移動、休暇とかはクロ。伊豆行くときに1号の時もあったけど旗なしだった >>810
ずいぶん前の鉄道雑誌に宮廷ホームへの城内信号機に「✕」が付いていたのが載っていたが
線路はまだ繋がっているのでしょうか? あれって廃線放置状態じゃなかったのか。
相当ボロボロだし心霊スポット扱いされちまうぞ。 クモハ-モハ-<サロ,サハ(シ)を数両>-モハ-クモハ
という組成をとったのは
157系や451系、471系の初期以外であったかな。 >>813
スレチになっちまうが101系6連でそういうのがあったな 451・471系は当初157系みたいな組成だったな
どこかで引き通しがクロスしてる事になる
151系やキハ80系も途中でクロスしてる 1つの編成でMM'ユニットの向きが前後で反転してるのはJR化以降では215系と371系しかない
快速ばんだいとパノラマエクスプレスアルプスは後天的な改造で反転連結可能になってる >>815
オールM計画が一時先送りにされたときに、電装準備T車が2両挟まれたときだね
更に頓挫して、電装準備Tc車が投入されて、その後オールM計画はご破算に >>816
サロ・サハシで引き通しをクロスさせることを前提にしてたからね
使わなくなったサハシが外せなくて困った原因の一つ 交流急行車の組成がそのままだったら
普通列車に転用できなくて困ったことになった JR化後の後天的な改造では105系でクモハ同士背中合わせ併結対応にしたのあった
電動車が反転すると床下機器が逆向きになってメンテがややこしくなりそう 旧国は偶数車と奇数車で床下艤装反転させてたんだっけ
別形式名乗らせろと思うよ 先頭はクハだが初期の151系も4両ずつで背中合わせに繋いでたよね 急行型は両デッキだったからあまり意味なかったけど
151系と80系気動車は反転させて編成美を実現させてたね >>826
高速度試験のとき
サロx2抜きの3連(クハ、モハ、モハシ)背中合わせで行われたけど
引き通しのクロスはどう処理したんだろう
サロだけじゃなく、モハシも両渡りだったのかねぇ 昭和50年改正の181系8M4Tときは8M化でモロ連結を維持するために編成内で2回引き通しをクロスさせるというわけわからん対応のためにサハ1両をクロス対応改造させてた(もう一カ所は従来のサシ) 東海道線東京口のサロでも引き通しの向きを変えたり両渡りにしてたのあった
トイレと車掌室が中央側に来るように方転してた モハシ21は両渡りではなかったようなので、
高速度試験でのモハシ同士の背中合わせの際に、
延長用ジャンパを用意してたすき掛けしたんだろうな
スレチすまんね >>831
伊豆とか東海とかの急行サロでの話?
113系サロは色々やってたのは知ってるが 電連付けるのに床下機器と干渉しやむなく方転させたサハ102なんてのもあったな
片町線撤退で電連撤去しても逆にした引き通しを戻さず逆向きのままで方向幕の位置が逆で目立った >>832
実際の細かい方法は不明だが、通称「おばけジャンパ」でつないだ、と言うのは聞いたことがある 急行券を若干値上げ,普通車を転換クロス座席の急行車両を導入して
維持するということにできなかったのだろうか 差別化としてはこのあたり
普通急行 2扉/普通車:転換クロス,グリーン:回転クロス
特別急行 1扉/普通車:回転クロス,グリーン:リクライニングシート/エアコン保証/座席確保の保証(全車指定席) 例えばキハ66をベースで2扉デッキ付にして急行用として
とりあえず急いでいくなら急行料金で,快適に行きたい人は特急料金を払って特急に乗ってもらう。
比率は急行2便に対して特急1便程度。 やってないだろ。もう当時急行型なんかだすような風潮じゃないからステンレスの急行型気動車は計画倒れになって
結局、キハ185になったんだから 80年代だと踊り子で一応結果が出たので、幹線は値上げしても特急格上げ
地方線区は急行で存置という形だったが、新車は要らず残存車で済んでしまったな
それらの車両の廃車時期にも格上げってのがあったねぇ 新特急なんて名称は半ば開き直りだわな
京阪神の新快速より遅そうだし >>845
> 新特急は旧急行だからな
その理屈だと「新急行は旧急行だからな」になってしまう >>839
デッキはないけど、
キハ75の急行かすがでようやくその形になったという感じでしょうか。
キハ75の急行たかやまとか想像してしまいました。 名古屋~紀伊勝浦や名古屋~飛騨古川(富山)とかやってくれれば面白いのに。 近畿なら京都/大阪~城崎,天王寺~新宮,大阪/名古屋~金沢,大阪~名古屋とか >>846
それをいうなら
「新急行は旧準急」
でしょ
実際にそういうことがあって、ただの値上げだと言われたようだ >>843
踊り子の前に有明でやってみて
それを東京地区に持ち込めるかどうか試した、って流れじゃなかったっけ? 九州には急行が結構有ったと思う
ぎんなん,かいもん(博多~熊本~西鹿児島)
いなさ,弓張(博多~長崎/佐世保)
ゆのか,日南(小倉~大分~宮崎) 全体を値上げすれば急行が無いのに特急が有るという
変な事態は発生しなかった 車のグレードもスタンダードがあってデラックスだったのに
スタンダードはとっくに消えてデラックスの上がいくつも出来て
デラックスが最下級になった挙句消えた
そんなもん よく遜色特急形式として185系が論われるが、特急安売りのパイオニアは房総の183系だろう
2デッキ、食堂車ナシ、短距離と異常に値上げした準急列車に過ぎなかったし >>857
それでも、簡易とはいえ普通車のリクライニングシートの先駆だし
これすらなかった185系よりはかなりマシ 153系は東海道線での酷使が祟ったのか短命だったな
東海道新幹線開業後もしばらく東京~大阪の急行とかあった
JRに承継されなかった >>859
山岳線区向けじゃなかったから潰しがきかなかった >>859
短編成が組めず地方での使い勝手が悪かった 唯一転属先が考えられる紀勢線でもローカルが4・6両じゃ過剰だよね >>859
もともと部材が13年で廃車になる前提で造られた車両だから天寿を全うしたと言えるんだが。
その後の急行形が長生きし過ぎるだけ。 >>863
それについては、他形式のように電動車の先頭車化改造という手があるけど
153系はやはり他形式より長距離を酷使されたことが大きいのではないかと思う
同じような151系→181系は全車台車を履き替えてるけど、やはりJRへの継承なし 471系がMT54に取り換えつつも2010年位まで残存してたとか驚異的過ぎ
あともうちょっとで車齢50年到達してたがわずかに届かず 153とかは高耐候鋼板以前だったからそれも延命見送られた要因だったかも
157ほどボロボロじゃなくても廃車を躊躇わない程度には傷んでいただろうし まだ走っている451系,453系(の足回りや天井)の方はあまり知られていない 元々クモハが存在してた165が余ってるレベルなんだから古くて性能低い上に使い勝手も悪い物をわざわざ残す理由がね… 在来線電車での耐候性高張力鋼板採用第1号が201系量産車だったので耐久性が全然なかった
国鉄初は新幹線0系だが高価だったのか特許絡みなのかで在来線でなかなか採用されず >>866 >>870
現えち鉄のやつのこと?
北陸筋に残ってた当該系列、たしかに交流電車は忘れられがちだよね。
急行形(近郊形含む)電車の大目玉なんて近年まで残ってたことに今更おどろく >869
単純に、溶融亜鉛メッキの技術が無かっただけだろ 153系『伊豆』→185系『踊り子』で値上げしたんだから、
ついでに『東海』『ごたんだ』も165系→185系に置き換えても良かったのにな。
同時に大垣夜行も185系化すりゃ中京の117系新快速との夢の顔合わせ見られたかも知れん。 165系、ドア位置から考えてちょっとの改造でワンマン化できたのになあ、とは思う
魔改造含め、115系や213系のワンマン運用はちょっと無理がある、とか感じる今日この頃 >>878
最低でも3両必要なのでワンマンカ-には使えない ワンマン化するならさすがに717-900みたいな2連化改造より車両置き換えだよななあ モハ164(M')の先頭車化改造での2連(115系で実例あり)という方法はありえた モハ165は153系と共通運用するために作ったとしか思えない
21両しか作られなかったし後々の転用で困ったはず
急行東海は中間にクモハを入れると定員が減って153系と揃わない サハ451も一応作ってみましたって車種だよな
たった3両 >>882
国鉄も元よりそのつもりだったろう。
だから最初の配置は新幹線開業後に153系が大挙して押し寄せた山陽本線だったと。
あと『東海』の中間にクモハが入っていた事はある。一時期3号車がクモハという編成があった。
それから12両→11両に減車されていたから東京方の先頭車はクモハ165。
寧ろ謎なのはモハ164の500番台。
クモハ164を製造すれば鷲羽用増結ユニットは方向転換は不要だった。 >>865
定員減るのを嫌ったのと2両での営業運転は考慮してなかったのでは >>883
JRになって運転台機能停止で再び出現してる
ありそうでなかった奇数モハの「モハ475」も出現してる >>883
国鉄も最初はMcM'を両向き使用可能にして、電動車の間に一等車やビュフェなど付随車を挟み込む想定だったからな。
これは東海道線特別長距離列車用151系、日光特別準急用157系、非電化幹線特急用80系気動車と同様の作戦。
それが科学技術の発展ともにTcが造られてMcM'の単一方向が揃えられる時代へと変化。
更に451系・471系の後から実践投入された165系からはMcM'Tcを最小単位をとする戦略に変更され、
それが455系・475系にフェードアウトされたと。
なお急行型車両製造の末期に生産されたサハ455は北陸新快速用であり、急行列車での使用は想定されていなかった。 湖西線の途中で交直切り替えとか最初に考えたやつ誰だって感じだよね
新幹線の進捗で、JR西は交流区間がなくなるから、
交直車ももう必要なくなるんだな 北線線だけを交流電化にしたのが拙かったな。
中央東線高尾以西、中央西線中津川以東、篠ノ井線全線、信越線・軽井沢以西-直江津-長岡以西も交流電化にしておけば万事解決だったのに。
奥羽線板谷峠の様に既に直流電化済でも交流電化に転換した線区もあったんだし。 471系を使って大阪~新潟や大阪~長野とか,457系で大阪~秋田(~青森)があったらそういえるけれど
実際には無くて急行運転は富山まで。
直江津まで行ったのも普通列車になってから だけど、せめて近江塩津まで直流で乗り入れて、乗り換え接続を考えていたら
もう少し湖西線自体の利用価値があがったろうに
まぁ、今は昔の話だけど あとどこかで60Hzと50Hzとのデッドセクションが必要。 >>892
大量の隧道の存在を無視しちゃだめよ
直流ですら再建でなく電車側の特殊装備で対応してるのに 中央線を交流電化しようと思うと
莫大な費用がかかるな
もう造り直しい 中央線東西が交流電化になったとしたら、
初の交交セクション(周波数切り替え)が誕生することになる (当時の考え)
交流電化のメリットは地上設備費用が安いこと
沢山の隧道堀直すなら交流のメリットなし 従来のトンネル掘り下げて穴を拡張すれば、まあなんとかいけるやろ。
それでかかる費用は中央線のみ運賃加算で解決と。 >>903
車両側でしか見れないアホ。
交流2万ボルトは架線側の絶縁距離もそれなりに必要だから従来のトンネル断面では距離が取れない。 >>904
だからトンネルの地面側を掘り下げりゃ穴の拡張になんだろ 七尾線がトンネル掘り下げてまで直流だったの知らんのかね トンネル掘り下げるって、出口に掛かる橋梁も掛け替えるのかよ
安くなければ意味がないのに >>902 奥羽本線福島・米沢間や仙山線は、直流から交流にするため多数のトンネルを掘り下げたのか?交流車両の方が粘着力高くって積雪時の勾配区間に向くんではなかったっけ?
七尾線の場合は、そこまでコストかける必要なしとされたのだろうけど。 >>910 自己レスだが、VVVF以前の抵抗制御直流車両は交流車両に比べ、加速時に加速度の変化があり空転しやすいそうで。VVVFでその差は少なくなったが。
積雪時の勾配区間では空転回避は重要だからな。 トンネルも直線だけなら掘り下げられるけど曲線が入ると交流区間では新たに掘り直した早いので付け替えだらけ。
交流の多段制御による粘着メリットも交流モーター使えば直流でも同じ事出来るんだけどね。 堀り下げ&交流厨が必死だが
当時、キミよりも遥かに有能な技術者が出した結論だから ヲタが思いつくようなことは、だいたい鉄道会社の方も検討した上で、やめとこう、ってことになった話が多いんだよなw 457系は50Hz区間と60Hz区間では能力差あったのだろうか。 『どうしても史実通りの方法しか認めたくない厨』があれこれ強弁してますなw >>912
再粘着性能については、流石にどの時代の話だよって感じ 両対応の変圧器は50Hzで所定の冷却性能を満たしつつ60Hzでポンプが焼けないようにしてるんだな
50Hz用を60Hzで使うと冷却ポンプが過回転になって焼ける
60Hz用を50Hzで使うと冷却ポンプの回転数が下がって冷却能力が不足する >>918
なんとかならなかった七尾線の実例があるのにいつまで言ってんだ >>857
157系を磨いたら183系になっただけ。 >>859
新幹線が出来て一般化したら153系の居場所は無くなるしかない。
だから後継も造られなかった。 >>925
2両増結編成で簡易運転台がついたもともとの理由は、
宇部線の入線制限による増解結作業の利便のためだから、
「鷲羽」のためというのは間違ってはいない
「比叡」その他の宮原所属車についても同様に組み込まれていたというだけの話
単なる増結用なら、簡易運転台は必ずしも必要なかった 宇野線。。。
なぜ宇部線になったかは自分でもわからん 北陸の普通列車に471系を流用したのは悪手だったと思う。 >>927
モハ164の500番台は製造単位の絡みなのか新製配置が『鷲羽』の様な運用はない高シマだったのが3両くらいあるのよね。
そういやモハ164の500番台も国鉄末期の『東海』に連結されているのを見た様な気がするが、これは記憶違いかな? >>936
最終ロットの3両(512-513)は髙シマ(新前橋)新製配置だったみたいだね
波動輸送用ということで、ついでに作りましたってとこなのかなぁ
宇野線(今度はちゃんと確認w)の改良により12両編成の入線が可能になり、
本来の役割はなくなって、クハ165を相手にした通常のMcM'Tcユニットとして使用されるようになった
70年代の関西地区で引き続き使われたのち、ほとんどが東海道に集結
そんなわけで、「東海」への組み込みもあったのは確か また間違うてしもた
最終ロットは512-514
70年代関西云々は盛大な勘違い
下関にいた時に前にも話題になったクハ164(←クハ153)が相手になったパターンが多かったみたい
すまんねぇ >>937-938
その年度に国鉄が貰える予算などの関係もあり「この時期に製造するモハ164は運用の如何に関わらず兎に角全て500番台仕様で」って事だったんじゃないかと。
巨大組織ってその辺の細かい融通が効かないというか大雑把な感じだし。
800番台でも新製配置が中央線以外という車両もあった筈。 >>939
> その年度に国鉄が貰える予算
そんなものがあったら巨大赤字抱え込まないよ >>927
比叡と鷲羽は共通運用だったんじゃないか
比叡の輸送力増強+出力向上(4M6T→6M6T)のために増結
鷲羽運用時、宇野線は4Mが限度だったので、岡山で解結
大阪岡山間の輸送力増強には寄与 そもそも高運転台はワンマン運用に向かない。
キハ40が一部でワンマン運用されているが、乗務員は人間工学的な意味合いで結構無理を強いられている。
近郊型115系のモハ→クモハ改造で低運転台にしたのは、ワンマン運用を考慮してのこと。 モハ165-7+モハ164-831なんてユニットが静岡にありましてな
元から組んでたのか組成変更でこうなったのか
>>940
その為に利用債というのがありまして >>945
「その年度に国鉄が貰える予算」の話だよ
「その年度に国鉄が使える予算」の話じゃない
債権は貰ってるわけじゃないしな えっ、お金が貰えたんですか?
誰からですか?
国鉄の仕組みってわかりますよね >>942
「鷲羽」や「比叡」などは、昭和38年10月ダイヤ改正時に10→12両編成に増強されたけど、
モハ164-500を含む増結用編成の新製配置は宮原なので、共通運用だったいうのはそうだろうね
>>927 で言いたかったのも、一応そういうことだったけど、ちょっと言葉足らずだった
新幹線開業1年後の昭和40年10月ダイヤ改正時に、宮原所属のモハ164-500が全車下関に異動
「比叡」は大幅削減されたけど、車両はどういう扱いになったんだろう
下関所属車が名古屋に足を伸ばしていたのかどうかわからない
ちなみに、このとき「鷲羽」の常時12連化が果たされて、モハ164-500を含む増結用編成は本来の役割を終えている >>948
40.10改正で、比叡は宮原のビュフェ組み込みの「急行」編成となり、
なにわ・山陽急行(ながと)と共通運用となる。
ビュフェ組み込みの急行編成は47.3の新幹線岡山開業まで宮原所属
(43.10で12両から10両にはなるが)
一方、鷲羽・とも系統は4M6Tの10両にMM'を組みこんで6M6Tの12両になるが、
このMM'の転用が実に巧みで、編成数減からの転用など、複雑な連立方程式の如く
ざっと乱暴に言えば、増結用165系McM'と編成数減の分だけのクハ153が出てきて、
そのクハ153はのちにクハ164に改造
捻出されたMM'は鷲羽編成に入れ12両化
なお、編成数減はビュフェ込みの急行編成で、余剰となったサハシは165系に改造
サハはそれほど余らなかったんじゃないかな(4両が大垣に移動している)
>>945
モハ165-1~5はモハ164-801~805とユニットを組み、当初田町の波動用、50.3に神領へ
モハ165-6~17はモハ164-828~839とユニットを組み、当初関西・岡山の波動用
こちらは47.3改正で大垣に、のちに一部が神領へ
貴公がおっしゃるユニットは組み替えているような気がする
波動用のため、運用に融通を利かせるべく800番台にしたのでは
長々すまぬ >>951
比叡のビュッフェといえば、あまりに短時間運用で赤字が出て
早々に営業をやめたんだよな
それにしても、面白い展開だったんだね
手元に岡山での「みずしま」の写真があるんだけど(昭和41年9月)
低運転台153系顔の先頭車の次に、2つの大箱ベンチを載せたモハ164-500が写ってる
これ、時期的に先頭車はクハ164だと思われるんだけど
クハ153のままで件のMcM'5と編成を組まれていたものはあったのかな?
あと、昭和40年の下関異動の時に併せて、
クハ165もわずかながら新製配置されていた記憶があるんだけど、
どうだったっけ?
>>949
「びんご」→「とも」は廃止まで「鷲羽」と共通運用だったので事情は同じ びんごはもう少し伸ばして広島まで行くわけにはいかなかったのだろか 153系準急ごときに瀬野八補機なんてやってられなかったんだろう
急行「宮島」に乗るか、補機不要な80系電車の準急「とも」に乗り換えてくれということだね モハ164の500番台の存在はコロタン文庫・国電全百科で知っていたが、なぜモハ164に回送用運転台を付けたかの記述はなかった筈。
『鷲羽』増結用の特殊車両と知ったのはそれから大分後に古書店で購入した鉄道ファンか何かの急行型電車特集だった。
ただ急行型サロや特急型サシと違ってモハ164の500番台の回送用運転台は山陽急行時代、定期的に使用されていたって事なんだよな。 >>954
クハ165-109~112
McM'501~511の11本に不足分Mc104M'68を足した計12本のMcM'で下関の165系はスタート
宮原での余剰クハ153は8本、クハ4両は新製
47.3で宮原へ、48.7の中央西線電化時に神領へ
宮原時代に奇数偶数向きに分かれたと思われ、神領時代も踏襲(編成実見で確認)
下関には、S45にMcM'Tc1本が冷房つき新車で入っている
これらの多くは47.3の「伊那」「富士川」165系化の材料になっているが、
実際は951の波動用165系や、鷲羽系統縮小によるニートになった大量のサハの転配も含め、
なかなか複雑な動き方をしている(当然だが静岡所や神領の80系まで絡んでくる) 急行になってもびんご(後にとも)は残っていましたが >>960
41.3改正
びんご1号 大阪720→三原1130
びんご2号 新大阪1755→三原2205
びんご1号 三原715→大阪1140
びんご2号 三原1150→新大阪1610
関西支社から中国支社に 1駅だけ はみだしている >>869
101系や103系など通勤型は何故2.3ミリの板厚だったのだろう? >>956-957
呉線経由でも難しかったのかね?
まあ、難しかったから、実際に設定されなかったんだろうけど >>963
呉線の電化前の話だからね
電化後の各急行列車の末期は、何本か呉線経由になったはずだよ あー、そうか。電化の時期ってのも重要なポイントだね。 その時間帯に呉線経由の急行が必要ならキハ58系で設定してるでしょ そういや昔長崎発の出島弓張だったかな?が終点が呉でなんでだろうと思ったことを思いだした >>967
最近ふと気がついた
造船関係者とか、米軍あるいは自衛隊関係者の出張用かな
なお根拠はない >>867
オンボロポン国鉄型マニアの貧乏JR西では別に驚異的ではない。
去年までしつこく生き残ってた化石的凄まじいボロさの415-800は経年57年だからな。
近畿エリアで長年酷使されて、金沢に改造転用された時点で既に経年30年近く。 急行能登路の一部が電車運転になったときに475系は使えなかったのだろうか。
せっかく残っている急行車なのにそれを使わずに415系で運転。 >>968
確かに重工もあるしありそうだな
>>969
ありがとう >>971
475系はすでに近郊型化改造されていたから415系800番台でも大差ないとの判断かな
また、本線系統の運用で手一杯だったのも一因でしょう 本線の連続高速運転は475の方が良いんでないかな
その頃残ってるキハ58の能登路には乗った >>971
セミクロスシート化改造されてて「準遜色急行」にならないか?
急行ばんだいで最後の方にあったとか
165系とは違い交直流急行型は波動用にリクライニングシート化改造された車両がなかった デカ目ライトって大きさの割に暗かったらしい。ハイビームにしても大して照らさず乗務員には不評。 >>975
そうはいっても415系のほうが遜色度が上だと思う 車みたいにハロゲンランプ化はしなかったんだろうか
個人的には、従来型のシールドビームは逆に暗いというイメージ そもそも鉄道のヘッドライトって前頭運転をして存在を示してる意味で自動車みたいに前を照らす役割ではないからね。
前照灯でなく前部標識や前灯が正式名称。 シールドビームは電球とレンズが一体になってて壊れたらごっそり交換になる欠点がある
昔の自動車用のシールドビームも灯具ごっそりASSY交換である >>983
壊れたら懐中電灯で代用できる
大阪メトロで前照灯が壊れて懐中電灯を置いた事例がある まぁ、それ前提で作ってるから、留め具のネジ外すだけで交換できるけどね そういえば、戦後すぐ位の頃、
前照灯の電球がよく盗まれたという話を聞いたことがあるけど、
家庭用電球と同じものが使われてたの? >>984
万国共通サイズの160Φとか180Φならともかく
今となっては希少なセドリック230の異型角型シールドビームなんて
オクじゃ10万以上で流通してるよ >>988
スレチで悪いけど、いすゞフローリアンの異形ヘッドライトなんかも
探すの大変そう、日野バスのオーバル角目はデコトラ屋に行けばあるのか? 北陸の475系が最後までデカ目だったのが意外
広島みたいにチクビーム化されてもおかしくなかったはず >>987
直流100ボルトじゃなかったかな?デッドセクション通過時は片目だけバッテリー電源で点いている。 >>971
電化前の七尾線は急行も普通列車もキハ28,58で統一されていた
だから電車化されたときもこの流れで415系800番台で運転されたのでは 東海の165系は松本発大垣行きがあったり名古屋着後関西線入る運用に化けたりと
面白い運用が多いな このスレッドは1000を超えました。
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