153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 16
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
>>前スレ980
70系1979年まで残っていましたか。中央西線だけでなく岡多線でも走っていたな。
80系は次年の1980年3月に中央西線でお別れ運転して消えた。(東海道本線は1978年3月) 153系一族の廃車は早かったですな。てっきりローカル運用で生きながらえると思ってました。
ローカルといえどアコモが合わなかったでしょうけど、165・455系やキハ28系はシートいじって生きながらえましたよね。
やはり国鉄ゆえでしょうか、分割民営化まで生き延びれば、案外長生きしたかもしれません
なぁ >>5
153系にはクモハがなく電動車が全て中間車だったので最低でも4両編成にしなければ運用できなかった。
これは80系も同じ理由だった。モハ153・152をクモハ化改造する方法もあったと思うが、すでに
165系があり、こちらを将来ローカルに回し、費用面や老朽化具合を見て改造しなかったのでしょう。
でも、1両も153系は(原型の)保存車が無いのは残念です。 >>5
101系や153系など初期の新性能車はみんな老朽化速かったね。
腐食対策がほとんど考慮されてなかったようだし、157系は下降窓が、181系は初期の過酷な長距離運用と末期の豪雪地帯での運用が
それに拍車をかけたとも言えるかも知れない。 101系は、とりあえずミレニアム超えは果たしたから、それなりに長寿だと思うよ。
181系は、新製車も淘汰されちゃったから、これは短かった。 1960年〜66年に製造された401系、421系は90年代まで使われてたんだが。
153系登場の2年後にデビュー。大がかりなメンテナンスをするか、しないかで違ってくるのでは? 新性能電車は概ね20〜25年程度の寿命と考えられていた
したがってメンテナンスもそれを前提に行っており、廃車寸前の車に予算はかけられなかった
しかしそれではもったいないと国鉄末期に始められたのが特別保全工事
車齢15〜20年の車を対象に2全検程度の延命を企図して更新工事を施工 修学旅行用電車
155・159系は短命だったけど、167系は長生きしたように思います。
乗車の記憶がある先輩はいらっしゃいます? >>14 冷房化されたかが分かれ目となった。4両ユニットでは使いにくいんだろう。
私鉄含めて70年代後半から80年代前半、冷房化されなかったため、比較的短命に終わった新性能車両が少なくない。冷房化の遅れた地下鉄用車両は別。 >>13
交流電気機関車はけっこう特殊な部品が使われていて、その部品が確保できなくなり
メンテナンスが困難になったのも廃車が早くなったな原因だな。
その点、電車は共通部品が多かった。 サイリスタのメンテ問題でED77/78のほうが75より先に廃車されたしな。
高性能より汎用性として。 75と77/78では、ベースが同じなので性能自体はほぼ一緒
磁気増幅器の性能がサイリスタに劣るというわけでもない
75は数も多いので部品のやりくりがしやすいし、形式統一したほうがメンテナンスも楽
軸重制限さえなくなれば、より小型の75ってことになるよな
客車列車がなくなって、暖房のことを考える必要がなくなったのも大きいか
電車も完全標準化されるまえの第1世代新性能電車(MT46、CS12)は、
のちに登場した第2世代標準仕様(MT54、CS15)に球数で負けたことも、
淘汰が早かった理由だろうね >>14
名カキの347M(345M)で、並んで居た場所に、サハ159が来た時には
マジ、隣の車両に移動しようと思うぞ
移動してる間に座席無くなる可能性有るから、我慢で乗るけど >>21
9号車より8号車の方が回避率が高そうに思えたが
両方ハズレとかあったんだろか >>21
サハ159を避ける理由は?
シートが窮屈だからでしょうか? 159系ならレアで喜んで乗るけど。
夏場だったら勘弁だが夏場は夏場でモハ152は避けてたな。あれは冷房効き過ぎて寒い。 159系
中央西線の臨時快速なら、イヤでも乗れた
あの線はクハ164とか、楽しませてくれた 北海道を除けば、No.1韋駄天急行だったくりこまに乗った人の感想聞きたい。
はつかりとは、10キロ分の最高速差しかないほどの高速運転をしてたということだが、MT54唸りっぱなしのよく揺れたとかだろうか。
あと青森県という豪雪地帯を455系が運用してて、冬季に問題なかったのだろうか。 >>26
やっぱりモハ車って冷房効き過ぎるんだな。ムーンライトえちごも寒かった。 停車駅の少ない急行では寒いくらい効きすぎるAU75は
通勤型や近郊型向けなんでしょうかね。 ↑
訂正。
急行型向けの集中冷房装置はAU72でしたね。
昔の冷房装置は温度調整などせずにひたすら冷やし続けていたのでしょう。 昼間のAU13は冷房効かないんで、昼間はパンタ付きの車両を選んで乗ったわ。 中京快速に乗り込んでから冷房車に移動しようとしたら空席が無く
ガラ空きの非冷房車ですごした思い出
つかその頃は現在ほど夏場の気温高くなかったんだよな 非冷房車乗ったことありゃわかるけど、夏場の冷房車の有難さ・・・ >>36
夏休み期間に連結された快速ミッドナイトのキハ57非冷房車による自由席車、北海道でもそれなりにキツかったなぁ…
扇風機は回ってたけどムシムシした中減光して真っ暗、何か異様な風景でしたね。当然、あまり寝られませんでした。 >>28
乗ったことがあるのは快速格下げ後だねぇ。
当時小牛田住みだったんだけど、
小牛田→仙台間はかなり軽快に飛ばしてた印象(実際の所要時間は調べないと分からない)。
小牛田→盛岡は座れなくて立ちんぼで辛かった印象しか残ってないわ……。 古い動画見たら、平成初期の205系山手線とか窓全部開いていた。コロナ知らずだ。
4月頃の動画なんだけど、暖かい春の陽気は窓開けで十分。今は直ぐ冷房点ける。 昭和や平成初期は冷房使用期間が定められてるのが普通
京急や小田急は4-5月でも暑けりゃ使用可で
6月までダメという事業者もあったな 205系までは天井にベンチレータがあったのも。
冬場でもラッシュで蒸し暑いと勝手に開けてた。 それ、今や115系や211系だけしかないけど、せっかくあるのに全部閉位置だ。 つり革や握り棒の代わりに
天井近辺の設備を使う人ってなんかすごい >>37
キハ27な
サブエンジン冷房だっけ?
北海道急行型普通車のAU13搭載車はアルファコンチネンタルのキハ59平屋部分だけだった覚えが >>38
なるほど、サンクス。
急行くりこま走行区間の優等列車は、はつかり・はくつる・ゆうづる・八甲田なら乗車経験あるが、くりこまは小学低学年の時に消滅してしまったので、乗る機会は無かったな。
そもそも交直流急行型電車に乗ったことがない。
大垣夜行の165系一度きりのみだよ。 >>47
> そもそも交直流急行型電車に乗ったことがない。
東北ローカル北陸ローカル九州ローカル乗ったことがないということなのかな。
交直流急行型電車は急行電車時代より、Local運用なってからの方がずっと長い 2倍くらい長い間使われていたのでもし東北北陸九州に行ったことがあるのなら乗ったことがある可能性高いと思うよ。
単に急行型電車気づかなかっただけで。
ちなみに自分は急行型は腐る程乗ったが急行電車ということになると立山しかも富山〜糸魚川間の快速区間がメインで、急行区間となると確か1回だけと思う。
当時既に交直流急行型電車というのは、少なくとも北陸地方に関する限りでは、敦賀〜福井〜金沢〜富山快速メインで、当時既に交直流急行型電車というのは、少なくとも北陸地方に関する限りでは、もはや急行よりも快速がメインだった。
交直流急行型電車いうのは正直言って、最後まで急行だった直流と比較すると、あまりにも分不相応役不足だった思う。 >>48 「最後まで急行だった」直流急行電車ってどれくらいあるの?
153は新幹線博多開業後にかなりの数が新快速に回されてるし。 「東海」じゃないの?
今話題の「ながら」になる1996年まで急行だったし 信州・妙高・アルプスの165・169は普通や快速にされたし
あとは田町の153伊豆運用かな 1997年(平成9年)
3月22日:高田駅- 新潟駅間の特急「みのり」、1往復で運行開始。
10月1日:長野新幹線開業に際し、以下のように変更する。
急行「赤倉」2往復が「みのり」に吸収され全廃。「みのり」は長野駅 - 新潟駅間2往復、高田駅 - 新潟駅間1往復となる。
1997年まではあったいうことになるな
2003年に全廃されている訳だから残り
6年は急行運用はなかったことになるが1985年に急行運用が全滅となりその後35年も北陸ローカル運用続けた(最後の
5年は七尾線かつクハのみではあったが)交直流急行型と比較した場合には流石に最期までとは行かなかったけどもかなり晩年まで急行運用を続けることができた165系電車は快速ムーンライトえちごで急行同然活躍だったことを含め幸せな人
?生だったと言えるのではないかと思う >>32
AU12だと車内で調節ができた。
OFF→送風→弱→強だったっけ?
169改めクハ455 324はOFFは操作できないようになってた。 >>36
四両×2の八両だと半分が暖房車だったからそれに当たると
(ヽ''ω`)・・・ 国鉄の集中式冷房装置は
「冷房1」21℃
「冷房2」26℃
でサーモスタッドが作動し送風に切り替わる
「半減」と言って2台入っている冷却ユニットを片方止める機能もある >>53
AU12は停止する前に30分間送風運転しないと、中のドレイン水を排水出来ないんだっけ? >>49
房総急行の153系
57.11でそのまま廃車じゃなかったかな >>49
西の153系は急行運用から退くのが少し早かったが
田町、幕張、大垣の153系は最期まで急行型の使命を全うした感がある >>56
ドレイン水を排水出来ないと言うよりも、熱交換器が結露して水が降ってくる 数年前までAU12を積んだ海坊主色電車が北陸本線で乗れた
初めて見たときは目を疑ったよ DML30系を搭載した91、181、66・67は何れも屋根に大仰な
放熱器を載せていたのに65はなにゆえあんなにサッパリ
してたのだろう? >>62
床下強制冷却で設計したから。
自然冷却に頼って失敗したキハ181とは違うのだよ。 65は他車でまかなう前提でトイレ削ったけどね(当時は全車トイレあります時代)
改造エーデルやゆぅとぴあは65のみで組むからトイレ付けたんだっけ? >>64
そう
記憶が正しければ、燃料タンクの容量を小さくしてトイレタンクスペースを捻出したんだっけか 秩父のは最後哀れだったよ。先頭車が半分にぶった切られて足回りもなく、ラーメン店になってホンダの新工場の前で店開きしたんだ。ところが工場の開業が延期になって、あえなく廃業。しばらく放置されてたがいつのまにかどっかに消えた。 電動方向幕の165系や475系があったら見てみたかった。 追加料金の必要な急行、準急より、昼間長距離快速がいいんじゃね?
GoToより鉄道で安く移動できるように補助金だせばいい。
東京〜大阪往復購入で4000円ぐらいで。
車両はクロスシートの旧型でじゅうぶん。 >>72
現役の急行型車両に乗れるのもあとひと月半か。
この2両もめでたく半世紀超え達成で、七尾線のオンボロポンコツ電車は、全車両半世紀超え達成できてからの即全廃だな。 >>75
そのために三社調整なんてやるわけ無いやん
なぜ銀河が西エリアだけなのか
補助金出すならビジネスマン減ってる
東海道新幹線利用格安プランに考えるだろ 165系東海間合いの大垣夜行のサロは指定じゃなかったの?
グリーン券買って床寝じゃなぁ。 >>80
普通列車グリーンは自由席のみだし東海のグリーン車も
自由席。
なので大垣夜行でグリーン席を確保するために何時間も前から
ホームに並んで待っていたらしい。普通グリーン料金が300円
のころの話だが。
比叡に乗った時は満席の普通車に恐れをなしてガラガラの
グリーン車に移ったな。 懐かしいね。青春18使えない時期はG車選んで乗ったもんだ。
80年代だと名古屋まででも合計6000円くらいしたっけか。 >>80
車両指定(定員制)だったな。満席になったら販売終了。
>>81
下り(大垣行き)は人気で東京駅は常に並んでいたな。
上り(東京行き)は年末年始やお盆休み以外は容易に購入できた。
153系から165系に変わったころのグリーン料金は東京〜名古屋間1500円だった。 >>83
購入は座席数に関係無いよ
車内で販売はしなかった
だから、G券持って通路に座るも当り前な
345m
まあ、混雑時は3時間前でも危なかった >>83
>153系から165系に変わったころのグリーン料金は東京〜名古屋間1500円だった。
76年11月の国鉄大幅値上げでその値段だった。
165系に変わったのはその6年後の82年なので、もう少し高くなってなかったか? >>84
東京駅は札止め有ったよ。まぁ、隣の駅で買えばいいんだがw グリーン席座られなかったら全額払い戻し無ければ馬鹿馬鹿しい >>87 自由席グリーン、車掌に相談して着席できなかったことの証明もらえれば、降車駅でグリーン料金払い戻ししてくれるのではないのか? >>88
その制度って国鉄時代にあった? 今の東海道やスカ線じゃ普通だけど >>87-88
車掌の証明で払い戻せた。
今でも首都圏の普通列車グリーン券を事前購入して、車内に空席がない場合に、
グリーンアテンダントの証明で払い戻せる事とほぼ同じ。 >>89 国鉄時代からあったはずだが。ただし、非着席証明受けるにはグリーン車から移動しなくてはならない。デッキにいるとグリーン乗車とみなされる。手続きがややこしいからあまり知られてなかったのでは? 東京駅ではG列24人以降の人には駅員が移動を促していたね >>85
83だが、名古屋〜東京間1983年の夏休みに乗ってその料金だった。
現在の料金も151キロ以上1990円なので、それほど変わっていないですね。 今
沼津〜宇都宮 236km
休日なら780円かな
使わない手がない >>94
大垣〜東京と
大垣〜東京乗り換え成田は同じG料金
東京ミニで使った手
東京着は4時台なので、ただの時間つぶしだが 東海号のグリーン車で車掌さんが足でも伸ばして
いってくださいと座席を回転してくれたのはいい
思い出。 あずさのグリーン車で窓開けてたら
車掌さんが、降りるとき締めてってねって言われた
それも
思い出。
関係無いので下げ >>98
1000番台は一部の窓に開閉機能が備えてあった。 >>97
>>99
スレチついでに、
先輩は189系あさまで、窓開けて駅弁買ったって言っていたな
周りがポカンとしていたそうな >>99
ますます189系と区別がつかなくなったw 窓開くのは189系の端っこから2番目の窓だよ
183-1000は開かなかった筈 しかもあんなデカイ一枚窓をまわりに乗客がいる営業列車で開けるバカが本当にいるとは思えないが >>100
それ自分。駅弁スレだか食堂車スレで書いた話。
然程混まなかった時間帯の列車だから出来た。
2列分開く窓で隣の列の客がいたらやらないよ。
189の端から二番目だね。開けたら他の席からも人が来て
「へー開くんですか」と。好景気の時代だと
あさまは指定から先、ハイシーズンはGから埋まるような列車で
自由席に妙に空きがある日があった。
急行妙高のサロ169の落とし窓から買ったこともあるよ。 169時代は自分が小学生-高校生くらいまでの70年代-80年代初め頃
妙高で軽井沢行くというのが父親の癖で、土曜の朝のあさまはいつも混むから
急行のグリーンに乗ると一番ゆったりできると言っていた。
上野7:47発妙高2号(のち3号)志賀1号で湯田中行き併結。
父の会社の別荘があって子供の頃からよく行ってた。
横川10時前、釜飯買ってそのまま持って軽井沢で降りて別荘で昼飯だったな。 >>96
東海号のグリーン車の車掌さん
降りるときにデッキでお見送りしてくれたわ >>102
189系はサロ以外の全車でも2番めの客室窓が開くんだっけ? >>107
>189系はサロ以外の全車でも2番めの客室窓が開く
189系は各車共通 スレチな話題に食いつくなんて皆優しいな
東海の間合い運用区間に住んでたし
上信越方面に縁が無かった 157系の窓開け弁当買いはキツかったな、窓が下降ろしで固かった。 >>113
157でやりましたか。急行サロも普段誰も開けないから固着してて硬いもんでしたね 軽井沢の169って売店がか何だかんだになってるヤツだろ
黄色の コロナ禍は一過性のものだから待てばいいが
そうでなくても流行らなかったということか
維持費の工面ができなくなったか 朝の普通菊川行きが富士川号間合いの165系であった。 廃止直前の急行「ばんだい」とかセミクロスシート化改造したのを急行に充当した事なかったか?
「準遜色急行」ともいえる >>117
有料だったんだっけ?
無料ならそこまでお金の心配はしなくても良かったと思うけど >>120
仙台車はグリーンライナー仕様に改造されたのを急行運用に入れてたね。
もちろん廃止を見越して改造を始めたわけだから過渡的なものだったけど、
確かに遜色急行とカテゴライズして良いのではないかと思う。 165系でクロスシートを撤去したのはありましたか。 >>123
165・167・169系はリクライニングシートに取り換えたのはあるが、
451・453・455系のようにデッキ付近をロングシートにしたものは記憶にない。
交直流電車急行車両は、1985年3月改正で全廃されて全車ローカルに転用されたが、
直流の電車急行は「東海」が1996年3月まで、「赤倉」が1997年まで活躍して息が
長かったのがありそう。
また新前橋・三鷹・田町に団体用の165系などがあって、臨時大垣夜行にも使用された
こともあった。
ローカルオンリーだった紀勢本線の165系も、確かセミクロス改造されてなかった。 >>123.124
ピク165増刊の記事だと169にセミクロ改造いた
3連x2本で該当はMcM'8と27,T'c12と18
(三鷹転出のMcM'27とT'c18はその時に復元) 元急行列車(=165系=交流車の事情を知らなかった頃)はフルクロスシートという認識だったので
北陸の475系に乗った時驚いた。 ばんだいで急行にセミクロ入ってたのか。知らなかった
東北地方はJR化以降しか知らなくて。
地元宮崎は1989年までは汽車ダイヤで朝の通勤時間終わると
午後まで普通がない酷いダイヤでしたよ。
国鉄時代は6両サロ開放→いきなり3両激混み!
平成入ってホッとしたエリア >>128
延岡〜宮崎が一時間ヘッドで普通が走るようになったのはイヒのお陰? ばんだいはどうだろ?
サロの入った基本編成での運用で、これにグリーンライナー車はいない。
基本編成6両中3両が改造車だった可能性否定できないが、
郡山から付属編成のみで走ってたまつしまに入ってた可能性は高いが……。 可能性が高い、じゃない。実際見たんだわ。
寝起きでボケボケの文章ですまん。 >>129
まだイヒはそこまでは・・全国シティ電車ダイヤが大分より遅れてきた感じ。
他地域は1984-87に済んでたからね。
イヒ効果は90年のヘリ墜落が決め手で、まぁバブルだったしイケイケで
「787系よこせ!シーガイア作って国際会議誘致するぞ」 の時代だからね。
駅高架化は凄く良かったけどね。
ウチ高鍋なんで475・457が毎日のお友達でサロ改造クハの600番代が楽しみだったね。 播但線にあったスーパーロングシートのキハ58を急行に入れたら非難轟々だな >>119
甲府口の間合いもよく使ってた
JR直後だと、8時過ぎに着く身延発、16:30頃の鰍沢口行、22:10頃の身延行
朝の1本以外は空いてた >>135
あれは連続立体交差事業で自治体主導だよ。
1986年から機関区潰し始めて93年春に出来た。
帯広が後追いしたホーム別改札は結局去年普通になったけどねw
スレチにならんよう画像でも
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org688937.jpg >>126
国鉄時代に廃止の「赤倉」は名古屋−新潟の列車。
JR化後に「とがくし」が改称され、それが長野新幹線開業まで走っていた。
ムーンライトえちごと同じグレードだったので、特急格上げでサービスダウン。 >>130
60・3改正直前のざおうとまつしまじゃないかなその話
ばんだいは先に59・2の段階で磐越西線内の快速にされたし(これで急行もざおう6両+まつしま3両に短縮) >>133
ロングとは別に、急行但馬の間合運用があったな。
国鉄急行色の。 >>136
この抑速付きの太軸マスコン好きだなぁ
ガキの頃165系でかじりついて見てた >>138
そういやそうだ。「ばんだい」を「ざおう」と読み替えていただくということで。 >>137
ボックス席のK編成も運用に就くことがあったよ 開業当初って、むしろ上等車がロングシートじゃなかったっけ?
その昔の学研の図鑑での記憶。 >>140
これは初期型ならではだよね。増設運転台は新型マスコンになってて
パネルもメーターが立ち上がってる。写真のサロ改造とかがそう
>>144
大昔は車幅も狭く狭窓だと向かい合わせは狭くて
広いソファーに座る洋式の生活様式がオシャレだったからね。
マイテ、スイテの展望室もソファー重視だし >>134
急行 富士川号 浜松行 (静岡ー浜松間 普通) もあったよね。 >>145
キハ58系の計器パネルも寝ている。そしてこのボタン式スイッチ。 >>148
いや、58系は寝てなくこの一番下だよ
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org689014.jpg
上が小湊キハ200で国鉄10-20系タイプの寝てるやつ
真ん中はキハ52-100で20系だが後期の58風パネル
もっと後の58系パノラミックはキハ65や40系に近い 165系や455系は速度計だけ独立して付いてるのが不思議だな
113系の後期型から計器パネルに一緒に入れてる >>152
特急型も昭和30年代のは独立してたよ。
機械式記録速度計の名残り。
ボンネット型やキハ82などもそう。 >>150
いいねぇ
>>136 見てて思ったんだが、
主電圧が定格1.5kVから外れて2kV近くを指してるけど、
どのあたりまで許容されてたんだろう。
周辺機器用電圧も100Vを上回る115Vあたりを指してるし。
(>>150 だとほぼ100V)
たしか、50/60Hz両用の変圧器を60Hzで使うと、やや高めになるという話なので、
これはこれで普通なんだろうな。
>>136 のユニットは457系だったのかな? >>155
日豊線単線区間の新富あたりで撮ったと思う
き電区間長めでも電圧降下は起きないし
60Hzだと高い数字出るんだろうね。
ちな編成はGk-12
http://red.ribbon.to/~shigetomi1/saibu/saibujrqec475.html
クモハ475-モハ474-12にクハはサロ改の606
475初期型でブレーキ音が101系みたいな「ツチー」って音の >>154
BVEで再現するときに速度計が斜めになるので苦労する欠点はある >>151
何れにせよ前面窓より下で視界はいい。103系もそうだけど。 >>156
そっか、旧型マスコンとの兼ね合いで、Mcなら457系は時期的にあり得ないんだね
60Hz用の変圧器は小型だから、き電電圧変動の影響が大きいということなんだろうか。
東北で見た50Hz交直車ではここまで高い数字は出ていなかったような。
まぁ、電動機や周辺機器も、脈流や電圧変動あたりを当然考慮してるから、
これくらいの変動はなんてことないんだろうな。 413系用クハ455の車体のせかえをしなかったのは
何か裏事情があるのかな。 >>160
他の種車(クハ/サハ451)は改造当時は経年20年以上だったけど、クハ455は改造前のサハ455が経年15年くらいだったから、改造費抑制のため大きな車体更新は省略したはず。 阪和線新快速に153を投入するのは難しかったのだろうか?
東海道、山陽線の新快速で4M2Tにしていて、阪和線に回すにはモハが不足する。そもそも予備がない、ということだろうか? 50/60両対応は乱暴な言い方で55Hz対応の変圧器積んでるみたいだな
50Hz用を60Hzで使うと冷却油ポンプの回転数が速くなりすぎて焼損する
60Hz用を50Hzで使うと冷却油ポンプの回転数が落ちて変圧器が過熱する 北陸の475系なんかは変圧器を換装して事実上457系になってた車両もあるらしい。 >>163
接続される機器の方について、電圧変動の余裕を大きく取れさえすれば、
50Hz用の変圧器で60Hzも賄うことは可能なんだよ。
最初の50/60Hz両対応変圧器は、495系事業用(架線検測)交直流電車が最初だが、
これは、483系、453/455系搭載の50Hz用変圧器TM9の改良型であるTM9Aだった。
TM14やPCB対応後のTM20は、50Hz用を基本に素材や設計を一部変更して、
60Hz時の高インピーダンスによる電圧変動を減少させる工夫がされている。 TM14、TM20は、485系、457系などの50/60Hz両対応交直流電車の標準変圧器ね。 >>164
581系は715系時の実車調査で実質全車583化していたとか国鉄末期の交直流電車の変圧器周りは実態が謎だらけ
PCB油搭載の初期変圧器の処分と保守部品共通化で形式変更等の表立った手続きしないでやっていたということかね PCB化以降は全部50/60両対応になってたのか? >>168
うん、PCBは1975年ころから原則使用禁止になったから、TM14などPCB使用変圧器は全車シリコン油使用のTM20(両対応)に交換されてるはずだね。 ただ片方だけ対応で違う周波数の路線を走行した事例がないな
急行しらゆきは仮にもし電車化した場合50/60Hz両方走行するため457系必須だったが廃止まで気動車だった さらに謎は本来モーターはMT54なのにMT46の音がする車両。
俺が聞いたのは北陸本線と東北本線の急行型と常磐線の415系。 モーターの音は冷却ファンの音に支配されるようだけど、
MT54にMT46類似の冷却ファンをつけたものもあったようで、
その場合はMT46と同じような音がしたそうだ。
西武の601系電車がMT54同等の日立製電動機を搭載していたが、
これがまさにこのパターンだった。
ただ、国鉄でそれをやってたかどうかは確認できてないな。 あとはギヤ比かね
モーターブン回せば確実に音が変わるし
715系や西武601/701/801系はこのパターン それそれ。冷却ファン構造と回転数の話。
MT54の46風には常磐線403で末期に出会って録音したなぁ。 一番がギヤそのもの
二番が冷却扇だね
西武のMT54はまるで別物感覚
まあ、HSC車だし >>162
113系がラッシュ時の間合い運用に快速等にも入っており、
私鉄型スタイルの路線で頻繁に乗降があることから厳しいのではないかと。
あとMT46の4M2T電車で雄ノ山峠越えは避けていた節がある。
101系や国鉄末期の借入111系も峠越えは避けていたはず。 >>136
架線電圧計が一つだけ?
交直流電車は2つじゃないの? >>173
冷却ファンを車体側に装備していた711系は力行でかすかに音がするだけでとても静かだった。 もしかして、>>136 の2kVって、
変圧後の電圧を指し示しているのではなく、
き電電圧を10倍して20kVとして読ませているのか? もしや近隣で713系や783系が回生ブレーキを使ってたから高い電圧が出たのか?
高調波が発生しやすく波形が乱れるので787系は発電ブレーキになった
交流電化区間では高速域が鈍るので2000V位掛けないと直流者と同一にならないはず(VVVF車はプログラム次第で全く同一に出来るがE531系は直流1800Vを出力してるとか話もある) >>178>>180-181
宮崎民でもそこまで詳しく知りませんわw
713の回生が強力って話は聞きますけど
ただ>>136の写真はちょうど20年前の2001年2月
これ高鍋から乗って新富で交換待ちのときに撮ったはず
当時の時刻表探せば交換列車は分かると思うけれど
多分485だと思うなぁ https://xxup.org/DcAQp.mp3
クモハ165の音上げます
感の良い方は、区間が簡単にわかるかも
やっぱ、165は蹴込板バタンバタンが無いと
クリープを入れないコーヒーみたい(笑 >>183
ありがとうございます。懐かしい。
踏切の音でスピード感を味わえますね。
レールの継ぎ目が短そうなので支線っぽいけど何処だろう? 鉄道はやっぱジョイント音があると良いね
100km/h程度まで加速して、80km/h程度まで減速、そこから再加速か >>183 氏のは新潟県内かなぁ
定尺レールは東海管内でこんなに飛ばせる所思い当たらない。
新カヌのクモハの向きかなと。 >>181
回生ブレーキ使用による高調波で九州電力から怒られたの >>190
なるほど。発車前のブザーが東海っぽいしそうかも。 結構、簡単かなと思ったけど
難しかったですか
>>185の
>80km/h程度まで減速
これが、普門寺信号場で、今も75km制限が掛かっています
>>187
>定尺レールは東海管内でこんなに飛ばせる所
手持ちで、165系つがいけが、春日井〜千種間で
定尺レールを110kmで快走してますよ
これは放送入ります
急行型で一番好きな音です
https://xxup.org/HNpZg.mp3 >>189
一番の要因は波形乱れによる力率低下
今のVVVF車はPWMコンバータで綺麗な正弦波にして架線に戻してるが初期の交流回生ブレーキは他励式インバータで矩形波を逆流させてたようである 軽井沢の169系、載せられたトレーラーが川崎ナンバーだったから、神奈川方面に運ばれるのかね? やーねー。
高さ制限でクーラー下ろしたのかしらん。 超低床ロングのトレーラーなんて稀少種だから港湾エリアのナンバーしか無いぞ。 陸送は通常通り
タイヤの仮台車で、夜間に行われた模様 まあ持て余すわな
これに限らずマニアが買い取ってもメンテが大変だしそのマニアが
死んだりしたら遺族は処分するしかない。 185系の車齢40年ってすごいよな
時間軸で考えると、151系や153系が2000年頃まで活躍してたのと同じ長さになる >>210
一列車の走行距離が200キロ以内で、短かったがありそう。
ムーンライトながらは例外だけど。
151・153系は一列車の走行区間は、東京〜大阪・名古屋の距離なので長かった。 末期鋼製車で腐食対策とか手厚く出来ていたのが大きいかと >>211
急行宮島、特急つばめ(東京〜広島)を忘れていますよ >>211 交直流の特急、急行用車両は?そんなに短命ではないのでは?
急行もりおかが東京、大阪間並み。新幹線博多開業以前には大阪から博多に行く交直流急行が何本も走ってたし。 結構走行距離が長い急行型電車
「はやとも」→「玄海」 名古屋―博多、名古屋地区で通勤輸送のアルバイト
「もりおか」は上野から盛岡到着後、「あぶくま」で白河まで戻る
登場時の「せっつ」は東京から大阪到着後、「比叡」で名古屋まで戻り、「するが」で東京圏間近の沼津まで戻る
(いずれも翌日そのルートをたどって折り返し) 山手の一日運用の方が過酷だよね
加速停車を何回も繰り返す
500回は超える >>216
名古屋でのアルバイト、中央西線で中津川までだったかな。
今となっては全然イメージわいてこない。 急行型電車の運転室背後の仕切り壁の助手席側にも遮光カーテンあった? 交直流急行型は本来の急行運用よりローカル運用のほうが長かった印象。
自分の記憶では「ゆのくに」廃止直前S57.11.14に京都→草津間で葬式鉄したのが最後。 >>213-214
151・153系より185系が長持ちした理由を強化するわけだから、いちいち屁理屈言うな!
東京〜下関の臨時急行「長州」も存在してたし。
>>215
電化区間ならどこでも使えたから、それはあっただろうな。
車両の価格が高いので、関門間でローカル用の415系が経年が高いのに今でも
頑張っているのもある。
>>219
急行の間合運用は、中津川まで行ってなかったような。
神領の出入庫を兼ねて高蔵寺までか、瑞浪くらいまででは。
>>221
何だか583系にも同じことが言えそう。
特急運用より急行「きたぐに」運用が長かった。 >>222
ちょっと検索かけてみたけど、どうやら中津川まで入ってたようですわ。
google検索かけると、Wikipediaと、当時の写真掲載してるサイトひっかかるよ。 >>222
583系の全盛期は昼夜フル回転していた初期の頃だけで
急行格下げや近郊型改造で後半は悲しかったですね。
「きたぐに」はホームライナー的な存在で大阪→京都間
よく乗った懐かしい思い出。 >>227
583系は3→2段への対応ができなかったからねぇ。
国鉄末期、明星で用いられていた583系改造715系が
現川で14系15型のあかつきに抜かれる様をみたときは、
なんとも言えなかった。
このころ、明星とあかつき1往復は併結されてたんだっけな、そういえば。 サロネ581見てれば二段化自体は不可能じゃ無いと思うが
むしろ問題は値上げ後の寝台列車離れ(関西〜九州)と向かい合わせクロスシートが急速に時代遅れになって昼行特急への充当が困難になったことかと
急行への転用も急行自体が廃止整理の流れだし接客設備も昼行はクロスシート問題つきまとうし(新急行かもしかやJR化後の58系のシート改造見てると583オリジナルじゃ無理)夜行も電化区間の転用先無いし シュプール号で簡易2段化可能なのあったが上段を収納して中段下段のみ使う格好になるので高さが中途半端だな ずらっと並んだボックスシート。
自由席、どこに座ろうかと迷っていたのは今思えば贅沢な悩みでしたね。
景色がいいから進行方向左側?すれ違いの対向列車を確認したいから右側?
モーター音も楽しみたい派はクモハやモハに積極的に乗車されていたのかな。。。 >>231
そうかもしれないですね
原型で残っているのはリニア館の165系のくらいでしょうか?
いすみのキハ28はテーブルがついちゃいましたよね? 中央東線急行の禁煙車は方向転換された奇数向き(松本向き)のTcだったかな? キハ56/27はそこそこ保存車あるけど車内見学は出来るのかな
小樽に行ったのは20年も前なので現況を知りたい >234
そもそも、長モトはTCは全て松本向き
MCは新宿向きのみ >>236
そのとおりなんだけど、
禁煙車は上り下りどっち側の先頭車だったかなという話
併結される列車それぞれの下り側Tcだった記憶があるので ボックスシートのテーブルの栓抜きでビンジュースを飲みたかった。。。 >>238
中央東線
特急は新宿方の1号車だったけど、急行は記憶にない ローズピンクとクリームの国鉄急行色は片開きドアの急行型車体では問題ないけど
両開き2枚ドアの地方向け近郊型車体ではちょっと違和感がありそうな気がします。
赤色+白帯の初代北陸色が個人的には好きですが何故長続きしなかったのかな?
身延線向け115系と同じでしたよね。 455って言ったってデッキなし・一部ロングシート化されてるから、いすみで成功した全国共通の「懐かしい」で人が集められるか疑問。
写真に撮るにしても1両だけ急行型っぽいのじゃチグハグだしな。 根本的なことですが,どうしてクハ412にしなかったのだろう 基本は奇数で附番が優先、ってことじゃね?
どうしてクハ711-200をクハ710にしなかったのかが気になる。 クハ412に統一しなかったのを聞いてるんでしょ?
サハ455が車齡が比較的若い(457系グループになる新製冷房車)から改造費抑制で運転台設置と車内近郊型化で済ませたんじゃなかったの >>248
不思議と雪国や北国の新潟も五能線も北海道も暖色系だったのが、みんな寒色系にお色直し。 >>248
初代北陸色は褪色が激しいかったからな
後に高岡鉄道部在籍のキハが似た様な色にしたけどイマイチだったからな >>249
ちょっと中途半端だよね
3両中2両はまだ走ってそうな近郊電車だし。455の方を指定席車にでもするんだろうか? >>251
711系のクハは旧国でいう奇数向きだから、どっち向きも同じ形式。201系あたりから始まる向きによって形式を変えるのは、床下の電/空の向きを編成単位で揃えているため、偶数向きのクハは形式を変えています。つまり、両頭のクハを並べると床下の電/空がイレコになります。
クハ164とか例外もありますけど。
183系のクハ化改造でクハ182という形式ができて、不思議に思って調べたことを思い出しました。 信越線と中央線の165・169系では、東京側にMcが来てたけど、
これって、編成全部が入れ替わっていたということでいいのかな?
正面のジャンパーを見る限り、McはA位、Tcは@位にあるものを使ってるようだから、
いわゆる海側配線で、東海道線とは逆に見える。
(もちろん、Tc クハ165が両栓構造なので、主として中間車の話ね)
だとすると、通常奇数向き(配線はAC位側)となる長野・松本側にくるTcそれ自体は偶数向き(配線は@B位側)で、
同様に、通常偶数向きとなるMcは奇数向きのままということになるけど、
鉄道誌などのでたまに見かける、「Tcが奇数向き、Mcは偶数向き」という記述はおかしいよねぇ。 すまん、最後の段落がちょっとわかりにくいな
通常奇数向きとされる側(長野・松本側)に配置されたTc車それ自体は、編成上は偶数向きのままで、
通常偶数向きとされる側(東京側)に配置されたMc車それ自体は、編成上は奇数向きのまま、ということになる、
でいいんだよね? >>256
117系&185系は153系の後釜ってことで・・・
117系はクハ116・117なのにほぼ同級生の185系はクハ185−
0・100なのは何故なんでしょう? >>259
117系の場合、トイレの有無の関係もあるんでない? 3月12日で七尾線から455系引退か
最後の国鉄急行形電車が引退するというのは感慨深い >>260
その後の中京向け117系は両方ともトイレ付きだったり、短縮化で増備された100・200番代クハはトイレ無しだったりとイレギュラー過ぎるけどw >>257
碓氷線を通過する車両は重い車両を麓側に寄せるするルールがあったので、165系などは東海道と向きが逆になっていまいました。長野の形式は一貫してこのルールが踏襲されていたかと。塩尻移転後は松本に来る名鉄局の165系と向きが合っていなかったです。後からできた169系も他の長野車と合わせていますが、協調するようになってからも縛りがあったかは存じません。 >>257
>>265
中央線に関しては碓氷峠とは関係なく、もともとが東京口の時点で東京方が奇数向き。
101系、103系、301系、115系、165系、181系みな共通。
篠ノ井線電化で中央線と信越線が電化路線としてつながった時に奇数/偶数の向きが一致したのは
たまたまの偶然。 中央東線は品川から山手線で新宿に入れた向きになってるからね 165(9)系 東京基準のMCの向き
長モト 新宿より ホロ付き =松本よりがTC ホロ無
長ナノ 上野より ホロ無き =長野よりがTC ホロ有
高シマ 上野より ホロ無き =高崎よりがTC ホロ有
新カヌ 新潟より ホロ無き =上野よりがTC ホロ有
長ナノの169を長モトに転属させたときは
篠ノ井線経由で、ホロの付け替えだけだったのね
あまり深く考えた事ないけど >>266
>>267
なるほど、ご指南ありがとうございます。
新宿から入れるから、必然的に向きはそうなりますね。納得です。 ガキだった30年以上前、松本に住んでたけど、松本駅では長モト車の165が大半の中、南越後運用の新ニイ車の165が入線してきたときには向きが逆だし、デカ目でタイフォンは白のカバーで覆われるなど形態の違いに興奮したなぁ。 皆さんレスありがとう
中央東線については、品川でスイッチバックする必要上、もともと東京側が奇数向きになるんだねぇ。
結局、奇数向き、偶数向きというのはあくまで路線での方向で、
車両自体の向きとは関係ないということでいいのかな?
で、信越線は東京・高崎側が偶数向きだけど、碓氷峠関連で編成がまるごと反転されてる(逆向き運用)のか、
それとも、信越線だけ、高崎側を奇数向きにしてるって捉え方なんだろうか?
問題となるのは、併結の際のジャンパーとホロということになるけど、
これが統一さえできれば、実はあんまり大した問題じゃなかったのかな?
まぁ、165系に関して言えば、奇数向きしかないMc クモハ165は前面同士では併結できないはずだから、
なんかめんどくさいねぇ。
どうもこのあたりが以前からよくわからなくて、レスにまとまりがなくてすまんね 『パノラマエクスプレスアルプス』はどういう機構なんでしょう。 >>272
新宿方3両は方向転換してジャンパ改造
他に異種併結改造もしてるからそのためのジャンパ増設やブレーキ改修もした 紀勢本線の165系の送り込みは、日根野電車区から新大阪へ6両編成で回送後、
新大阪発新宮行き快速として運用され、途中、紀伊田辺で後部3両を切り離し、
前寄り3両編成が新宮まで走り、新宮到着後、紀勢本線の普通列車になる運用と
新大阪発新宮行きの紀伊田辺で切り離された3両が紀伊田辺発の新宮行きの初電と
なる運用、日根野発新宮行きで新宮到着後、折り返し紀勢本線普通列車になる運用で、
紀勢本線内を交代で何往復かして新宮に到着後、夕刻の新宮発日根野行きで日根野電車区に戻る運用が
組まれていた。 ムーンライトえちごも閑散期は3両、繁忙期は9両とフレキシブルな編成組成していたね。 >>276
貴方は俺かw
新宮に着いたら、JR発足記念号みたいなのが停車していた記憶が… >>277
その時点ではまだ民営化され別会社になったんだ、程度の認識だったが、
そこから各社バラバラに歩み始め、社を跨いだ直通は減っていき、
今の状態になったことを思うと・・・・・・・ >>276
その行は大垣行きに乗った、超満員。
続行便も出たな。 >>277
新宮でキハ58系に乗り換えて、亀山でまた165系、だったかな。
途中、ユーロライナーとすれ違って大興奮した記憶が。。。 関西本線名古屋口は電化当初、神領電車区配置の113系が運用されていたが、
113系はのち165系に置き換えられて関西本線名古屋口から撤退したが、
上尾事件の時のようにラッシュ時に使用してはならない165系がなぜ、
113系と置き換えられたのか >>281
上尾事件当時の高崎線と関西本線名古屋口じゃあラッシュ時 >>281
上尾事件当時の高崎線と関西本線名古屋口じゃあラッシュ時の込み具合が
全然違うのでは?
単線だからすれ違い等で停車時間も長いだろうし。 >>283 輪中の低湿地帯が広がっているから家を建てるには盛り土が必要で高くつく。そのため、60〜70年代、近鉄名古屋線にしても予想したほど乗客数増えなかったとか。近鉄に対抗するには165の方がベターだろ。 >>281
113系は最低4両でないと運用できないが、165系はクモハがあるので3両で運用できる。
乗客が少ないからだろうね。本音は2両で運用したかったのかも? >>285
現在313系2両編成も運用されてるなw 新宮夜行の日根野165系は信州出身だからモハ164は低屋根800番台でしたね。
国鉄末期の広域転配を実感。 >>281
朝ラッシュ時間帯でも全員が着席出来るくらいの混雑しか無かったからね。
165系で3両になっても座席数はそんなに変わらんから問題無し。 35系⇒113系⇒165系⇒213系⇒313系
座席はだんだん向上している 紀勢本線の165系は晩年は車両故障も多く、日根野から新大阪へ回送される新宮夜行の
165系6両編成が、車両故障で東岸和田で立ち往生していた。 >>287
今も活躍の岡山115系300番台は、もと中央東線車だな。同じころに転配。 日根野の165系はATS-P装置を戸袋の二人掛け席潰して置いていたっけ?上沼垂はデッキに直置き。助手席側後ろの邪魔な箱。 明日で国鉄〜JR急行型というカテゴリーが絶滅するはずだったが、オンボロポン国鉄型マニアの鳥塚の馬鹿により絶滅しないのか。
アスベストがふんだんに使用されてる産廃ゴミ車両だから、ヤバいな。 >>210
最も古いのはトンキン五輪年に製造され、ようやくやっと遂に明日で絶滅するスーパーオンボロポン国鉄型シーラカンス化石415系800番台の経年57年を、お前は知らんのか? 明日で国鉄急行形電車の歴史が終わると思うと感慨深い デッキの記憶があいまいなのですが、
運転席と反対側の妻面には開閉可能な窓はありましたっけ?
キハ28にはあってキハ58にはなかった・・・? 助手席側の乗降ドアの前側にある小窓のことかな?
下側は動かないけど、上側が下に降ろせる構造だったような あと、気動車については、タブレット閉塞区間が多かったので、
窓ガラス破損防止のために、あえて設けなかったということだったはず
乗降ドアの窓にプロテクタを装備していた車両もあった >>299
3位・4位側の妻面ってことかな?
冷改前は3位・4位とも下降する窓があったけど、冷改後は冷房用配電盤を設置した都合で28・58とも4位側だけになったよ。 >>283
今でもそうだけど、関西本線名古屋口なんてラッシュと言える状況がないだろ。 >>303
編成が短いので春田-名古屋は酷いぞ。輸送力からしたら大した量では無いが変電所の容量不足でこれ以上編成伸ばせない。 >>300
その小窓ってクハだけでクモハは設定なしでしたっけ?
今話題のクハ455−700にもないですよね。
>>302
なるほど、冷房改造が理由ですか。ありがとうございます。 >>308
交直流型Mcのみの特徴で、機器冷却用の通風孔が設置されてる
直流型McにはTcと違いはないよ パノラミックウィンドウで前方を見て、小窓から風を受ける。
最高のカブりつきじゃないですか! >>300
ムーンライトえちごであそこ開けてタバコ吸ってる奴居たような。見たことはないが居ただろうな。 昨日で国鉄急行形電車の歴史が終わったと思うと感慨深い そういえば、国鉄型急行型電車(455系の場合、165系も同じだったかな?)って、
McとTcで、前位(1エンド)側の座席の配置が異なってたんだよね。
Mcはデッキ側の壁を背に、後向き、幅も狭い。
Tcはデッキ側の壁が正面、前向き、幅は他のと同じ。
幅は中間車も同じ(デッキ側の壁を背)なので出入りのじゃまにならないようにというのはわかるんだけど、
客室内長さが14,110mm(455系)で変わらないのになぜレイアウトを変えてるんだろう? クハの2シートは前向きだったのか。クモハは風洞があるからデッキ窓がなくて背面側にした。 >>316
クモハ455には、デッキと室内を隔てる壁の中にMGや電動機冷却用の風洞があるけど、
その分はデッキ側が120mm狭くなっている(他のデッキと同じ1060mm)し、
戸袋窓も同じ大きさのものが付いてるので、
室内側は全く変わらないんだよなぁ。
しいて言えば、床下点検口の有無くらい。 先頭車の前寄り戸袋窓部分2人用席の話ですね。
現役当時は窓が開かないからハズレ席と思い、積極的に座ることはなかったです。
近郊型改造でまっ先にロングシートされた区画。 クハ155、159、167だと、小さいながら開閉できる窓だった。
クハ167なら乗り心地もよく、ちょっとした個室気分かも。
これはTcながら他系列のMc同様デッキ側の壁を背にした配置だ。
修学旅行用なので、一列だけ反対の方向を避けたのかも。
https://livedoor.blogimg.jp/kuninaka_mai_k/imgs/a/3/a3176ea1.JPG
交通博物館→鉄道博物館のクハ167のモックアップは
今はこの小窓しか残ってないんだよな
昔は休憩所を兼ねてたから、大窓2枚の合計5-6列くらいあったと記憶してる
クハ153-500の寸法図面を借りてきた。
急行型電車のTcは基本的にはデッキ側の壁が前だな。
風洞のスペースでデッキを隔てる壁が厚いMcと異なり、
Tcは強度的に薄い壁側に設置できなかったのかとも思ったけど、
クハ167とかのパターンを見る限り、そういうことでもないのかなぁ。
https://coqtez.blog/wp-content/uploads/2017/08/Tc153_500_drawing.jpg >>319
デッキ越しじゃあんまし前面展望望めないな。似たような造りに四国の2100やキハ110系0番台がある。尤も国鉄時代じゃ遮光カーテン降ろされた。 >>319
万世橋にあった頃はそこそこ長さあったね
レプリカとは言え折り畳みテーブルもあったし
休憩所として最適な形式選択だったと思う >>319
これ確か修学旅行用電車だった筈だよな
153系と確かに後に共通運用を組んで、大垣夜行や間合い中京快速で活躍したが特殊な系列を一般化するのどうだろう? >>321
お弁当をここで食べたこともあるわ
そういう家族が結構いたし
旧万世橋駅に向かう階段の踊り場を利用した休憩所もあったっけ >>320
デッキを隔てる壁に明かり窓が設置された車両があるけど、
これはロングシート改造時の施工だよね(構造上、Tc車限定)。
ボックスシートのオリジナルはただの壁だった。
クハ455-60(金サワA19編成) 借り物
やっぱ60Hzラインはいいなぁ。
https://livedoor.blogimg.jp/riyotoyukai2011-tabiikuzou/imgs/0/d/0d2aed48.jpg 詳しい人教えてください。
キハ65は12系客車や165系急行型電車と同じ上段下降下段上昇窓でしたよね。
キハ28&58の1枚上昇窓は80系電車と同じでしょうか? オンボロポン国鉄型車両バカのアホ社長鳥塚は、産廃ゴミクハ455のアスベスト除去をきちんとやれや。 東海号のサロには何度か乗ったことがあるが、
窓を開けて見たことはなかった。 腐ったよ。
だからユニットサッシに換装されてた車両いたでしょ。 天ワカのキロ28は塩害対策で年2回転車台で方転してたから 下降窓と腐食は、よく言われるんですが
名鉄を転々として最後に揖斐線で走っていたモ700ではそういうのを聞いたことがない。 昔の車両の分厚い板と構造は大丈夫なんでない?
一畑デハニなんて現役でまだ動くしね。
昭和30-40年代の軽量薄板はダメだったとは言うね。
昭和50年代半ば以降の耐蝕性高い鋼板
(185とか201とか小田急8000とか)は40年いける。 157系の場合は水抜き穴の不備と腐りやすい鋼板と断熱材のアスベストが水を滞留してしまった結果だからねえ。 205系量産車が下降窓で登場(先行車はユニット窓)したときは、
ステンレス車体ということを忘れて、思わず大丈夫かよとか思ってしまったわ。
思わず〜だと思う、って日本語の使い方、よかったっけか? >>327-329
産廃ゴミカスクハ455の長年腐れ縁仲間、スーパーオンボロポンコツ化石ガタガタ415系800番台と同級生くらいなお前らクソジジイ老害虫どもは、コロナ感染なんかして来年の春迎えられないかもなw >>338
なるほど、北鉄は改造してるんだね。
北鉄の場合は前面Hゴム化とかも顕著だから
雪や寒さ対策もあるようにも思うね。 まつしまとか佐渡とかって、新幹線ができた後も走ってたが、乗る人いたのかな? 急行型って最後のロットまで信号炎管は助手側にオフセットしたままだったっけ? >>343
まつしまは3両で足りたところでお察し。
基本編成6両の併結「ざおう」は相当混雑したらしいけど。 昭和59年夏
快速くりこまの乗車率の高さに驚いたな
速いだけではなく冷房付きというのも魅力、当時は 昭和50年代前半の記憶だが
ばんだい・まつしま じゃ会津若松行きばんだいのほうが混んでたね >>345
そういう利用実態が山形新幹線につながったと聞いたことがある。 >>347
それは特急がバンバン走ってるのと「あいづ」1往復だけの路線の違いじゃないか? >>349 東北本線優等列車で観光客の利用者が相当な部分を占めていたということなんでは?ビジネス客大半の東海道とは違う。
東北新幹線開業当時も観光客需要取り込まないとやっていけない、そして上越新幹線は観光新幹線だと言われてたな。 >>343
あと大宮での乗り換えを嫌う層のために残していたって側面もかなりある。 東北新幹線開業直後の「まつしま」は、郡山以北の客はかなり少なかったんじゃないかと思われる
大宮乗り換えのデメリットが目立つ=少々遅くても急行が有用になるのは、所要時間から見て須賀川以南だろう
なので付属編成の3両でよしとして、「ばんだい」「ざおう」に基本編成を割り当てたのではないか 傍証として「あぶくま」は廃止されているし
特急のまましばらく残った「つばさ」「あいづ」の東北本線内の停車駅は急行並みに多かった その時期のまつしまは、実質、ばんだい・ざおうの増結車がついでに仙台まで走ってただけっぽい感じだよな 新特急なすの
快速ラビットが走り始めてからもしばらく走ってた
停車駅にほとんど違いはなかった >>353
特急停車が増えたといっても60・3までは宇都宮以北も郡山以外の停車駅が分散してるダイヤだったから急行よりは少なかった
ついでに新幹線開業前より本数に余裕出たからあんまりスピード下がらなかったが
(それいったら急行も特急の通過待ちが激減して一気に10分くらい詰まったけど) >>355
急行時代のなすのより停車駅が増えた(同じ時間帯のまつしまと比べたらもっと増えた)特急だったしね… クハ455 701は急行色になって改めてみると
地域色ではあまり気にならなかったオリジナルとの差異が結構目に付くな
幕の下の固定窓とか運転台直後の戸袋ないところとか小窓がなくてクモハっぽいところとか
甲種では前面が出てなかったけどシールドビームも気になるポイントになってくるんだろうね
急行色のシールドビームも700番台以外の先頭化改造車やリバイバル車にもいたけどさ 先頭化改造車も顔だけなら最後尾に顔を出していたクハ412と同じ
幌枠が前面と面一だから幌がついてなかったらのっぺりして見えるはず
あの社長ならその辺分かってて外さないと思うけど キハ58をディスクブレーキ化したのがキハ57、寒冷地仕様にしたのがキハ56。
キロ28をディスクブレーキ化したのがキロ27、寒冷地仕様にしたのがキロ26。
キロ28を2エンジン化したのがキロ58。
キハ28を寒冷地仕様にしたのがキハ27でいいの? >>362
概ね合っているけど寒冷地仕様というか北海道仕様ね。
キハ58系は基本はどれも一緒だけど配置区により寒冷地仕様や暖地仕様になってたりする。キハ/キロ28には500番代という寒冷地区分はあるけど。 >>362
形態的にはそうなんだが製造は形式の順番通りなので艤装簡略版が58/28という >>キハ57
ディスクブレーキだけでなく、空気バネが大きな違いかと パノラマエクスプレスアルプスのクモロ165はフジサン特急まで本線走行した実績は無いのかな?そもそもなんで6両貫通固定編成にしなかったのか。 何言ってるのかよく分からないのだが、エスパーすると
「パノラマエクスプレスアルプスが国鉄・JR時代にクモロ165を先頭または最後尾にして走ったことはあるか」
という意味でいいの?
ちなみに自分は知らんのだけどさ。
わざわざ電照式のヘッドマークまで用意したんだから、使っただろうと推測はしてる。
中間に167系とか、なのはな挟んで走ったのは知ってる。 落成試運転は3両ずつだっけ?
でも伴車が付いたんだったかな。 >>367
RMだかのニュース記事で、富士急行線内を3両で走行したってのがあったような
割と落成してから間もない時期だったかな >>370
この当時の富士急は6連で走るだけの電力が無く、3連に分割し15分間隔空けないとあかんかったからな 急行「かわぐち」は165系基本編成(McM'Tc)だったな
そういうことだったわけね >>363
さらにキハ80系初期車の台車交換で捻出されたDT27に履き替えたキロ28やキハ58も存在する、余ったDT22はキハ17や
キハ20の初期車に転用された。 キハ57って今まで横軽仕様だと思っていたけど違うのかな? >>377
アプト→EF63による粘着運転に切替後も妙高用として3年くらい走ってたよね。 >>378
EF63による粘着運転対応は後の施行だよ
新製時のキハ58と違う点、ディスクブレーキと空気バネはアプト区間通過用 アプト時代はラックレールへの干渉防ぐため空気バネそのまま動作させていたんじゃ?
空気抜くならコイルバネでよかったわけで アプト式の時速18km/hからの急ブレーキと
粘着式の38km/hからの急ブレーキじゃ車両にかかってくる力は全く違うわな >>379
そんなことは十分判ってるよ。単に粘着運転下でも走ってたよねと言いたかっただけなんだけど…。 >>383
そんなことを言われてもだなw
言われた方の身にもなってみろ 横軽はアプトでいいよ。
リッゲンバッハは足尾にしか無いし アプト式のラックレール、でOK?
キハ57は冷房改造後、一部は四国へ転出したみたいだけど
空気バネで乗り心地が良かったからなのかな。 アプト式の後の碓氷峠の話だから粘着でok?(すっとぼけ) >>388
空気ばねの整備の関係らしいね。
国鉄末期の小海線の中込じゃ嫌われてた。
東海じゃキハ82の台車履かせたすげぇのが居たが。 碓氷峠のネタは粘着してる奴がいると話の歯車が合わない >>391
前にも書いたが、名古屋局でも嫌われていた
53.10で長野運転所が面倒を見るのを拒否したのか、名古屋局も受け取り拒否をしたから、
仕方なく四国へ(当時の中の人の談)、それ以外は「冷房を使用しない」中込へ追放
これ以降も名古屋局で急行用2エンジンキハが余剰になると即長野局へ追放、これも中込へ
JR東海のキハ58DT32使用車は110km/hのため仕方なく履き替え
>>393
両方とも名古屋と美濃太田に居た
キハ57は結構トレードされていた
キロ58は
名古屋 1〜4 使用列車 きそ のりくら(金沢から14時すぎに名古屋に戻り、16時30分ごろ金沢に向かうやつ)
美濃太田 5〜8 使用列車 名古屋までローカル、名古屋から紀州で天王寺、折り返し白浜(だったか・・・)
翌日紀伊田辺から名古屋に戻り、夕方のローカルで美濃太田に戻る、4両配置2両使用
長々すまん キハ65の上段下降下段上昇窓よりキハ58系の1枚上昇窓の方が好きだったな。 今や下降窓ばかりの新型車。脱出するとき考えると上昇窓でないとな。 一生に一度あるかどうかのシチュエーションだろ
死んじゃえば一生に一度きり確定だが 下降窓でも、このスレに沿ったサロ165はキロ28は
めっちゃ開いたんだよ。
サロ169の窓のつまみ下げて釜飯買った自分が保証する。
https://pbs.twimg.com/media/EhGthvRUYAANkWB?format=jpg ごめん、最近Twitter、jpgにLargeとかMediumとか余計なのも付くし
ブラウザから貼るのもうっかりしてしまった サロってこんなに開くのかよ、
知らんかった。てか画像シチュ羨ましいんだがw 特急型サロよりふいんき良いね。
なんだかゆったりしてる。 >>398
何この80年代テイスト丸出しなナウなヤングw 申し訳ない、自分の写真です。
1985年8月19歳w 夏だけアルプスの基本編成が大糸線内間合い運用に入り、
繁忙期以外は付属編成4両でした。
G解放あまり知られてなかったから空いてましたよ。 その頃、俺は代ゼミの夏期講習の真っ最中であった…
日本航空123便が消息を絶ったニュースもこの頃 同世代だw
大糸線普通は新車になったけど冷房なかった >>409
同世代じゃないか、その頃俺は都内の某高等職業訓練校に通っていた。 金サワの
キハ55が 大町〜糸魚川直通やら
急行白馬が終わりを迎えるころかな? まだ2歳児。
もうビュフェ込みの長大編成の急行列車とか知らない世代。
精々東海、赤倉くらい。 85年の夏か。123便が焼津を横切った時にちょうど真下辺りを113系に乗ってたんだよな
花火が遠くであがってたのを覚えてる
夜行山陰だったと思ったら、当年の3月になくなってるから20系だいせんに乗ったときか
山陰の旧客と瀬野八のEF59を目的に旅した帰り 1985年夏といえばオレは高3で旅行する余裕は無かったが
つくば万博に大垣夜行で凸した部の後輩連中の土産話を聞いた思い出
往路デッキで一晩過ごすのは辛かったとね >>398
差し込み枠からはみ出したサボは、国鉄(JR初期も)長野ならでは。 最高速維持は58系だと直結加速時5ノッチにして90キロを越えたら
4に戻して維持してたね。10パーミル弱の勾配の所はなんとかそれでいける。 >>419
>10パーミル弱の勾配の所はなんとかそれでいける。
赤倉なんてそれかな
多治見→中津川 そこそこの勾配があって、停車駅手前まで、ずっとノッチ入れてた
東線の、韮崎→小淵沢はそんなごまかしきかないから
アルプスはどういう運転してたのかな?
>>417
きっちり5分でオフしてるね >>420
417はフルノッチだよね。4に落として長時間だとこれくらいの音程
2003年くらいかな、末期の南九州
https://xxup.org/BNJEP.mp3 アルプスも4で粘ったんじゃないかなぁ、
速度は落ちてくるが・・ 昔のピクに載ってたが輸出用にDMH17HSとかあったんだな
小型機関車用のDMH17Sは日本国内でも使われてた
ただキハ58に積んだら5ノッチ5分が5ノッチ3分とかになってた? キハ52単行だけど
連続33‰だと、直結不可だった
キハ58+28+65の一般的な山岳編成
連続25‰で、40km/h以下
いくらキロ58まで投入したアルプスと云えど
連続25‰だと、直結5ノッチで40km/hの維持は難しい
韮崎手前から小淵沢まで、大凡30kmの多くの区間で25‰
よく壊れなかったね キハ58の準急幕、小牛田車でわりと晩年に見かけたな。
新製時のままの幕だったのか、使い回しだったのか…… キハ58/28のパノラミックウィンドウ車はキハ65と似ていた記憶ですが、違いはあったのかな。 キハ58モデルチェンジ車は雨樋位置は従来車通りのまま高い張り上げ屋根(屋根高さは冷房準備車のため低い)と一段窓と引戸
キハ65はキハ91と同じ通常雨樋位置と2段窓と折戸
前面の造作は細かくは知らない 451/471系と717/413系の屋根形状も違うそうですね。
発生品のAU75をそのまま載せたらすき間があるとか・・・ 新宿ー黒磯【快速フェアウェイ】
結構混んでた気がしたんだけど?なぜ先になくなったの? フェアーウェイ、そんな乗車率よかったのかね。見た感じガラガラだったけど
理由はしらないけど、きっかけはえちごの臨時化とその次のシーズンから東大宮の183に
なったからじゃね ゴルフ客多かった。485系化で那須塩原まで延長していたような。 まぁ同じ4文字だから・・・
ゴルフ客多かったのかね。末期の黒磯行は外から見たときはあまり乗ってなかったような
会津延長で乗ったときは、休み期間中だからヲタと普通の客ばかりだった
まぁゴルフバッグ担いで乗らないだろうからわからないけど 電車でゴルフ行くって首都圏だと普通なのかな?ゴルフ場って車以外だとアクセスしにくいよね。 最寄り駅から送迎バスが出てるところが多い
電車で行けばビールも楽しめる >>442
ゴルフ宅急便とかで用具は送って
駅からはクラブバスって人も一定数はいる 1990年前後に165系で走った「平塚七夕祭り号」って乗ったことある人いる?
ネットでも全然情報出てこないんだけど、臨時列車走らせるほどの人出だったら何故113系じゃなかったのだろう? 当時はまだ波動輸送用の165系が数多にあったからじゃね? >>434 >>441
165時代はともかく485になった頃からの宇都宮以北は特になんともだったなフェアーウェイ
(しかもダイヤ的にはあれが普通列車の間に挟まってることで新幹線との接続悪くさせてた)
485化後の郡山や会津若松延長もやったのはわかるし乗ったこともあるが駅でさえ周知されてたかも些か怪しかったし… 新宿〜黒磯と言えば新特急なすの。あおばのなすの改称でおはようとちぎになったんだっけ?しかし、なぜあおばの名前を変えたのか不明。 「あおば」は仙台城がある青葉山からだから仙台行にちなんでる
湯沢止まりになって「たにがわ」になったのと同じ
そういや白河発なすのってあったよね。最初みたとき455のなすのってなにか間違えてんのかって思った >>452
おお、ナカーマ
当時の子供向け鉄道本では なすの:165系 と書いてあるのに、
白河発(4号)って謎の謎でした。
黒磯までED75が牽いてくるのかと思ったほど。 キハ58 1000の存在が謎だった
400番台が799に達して修学旅行用の800番台と被らないよう飛ばしたが1001ではなく1000から始まってる >>426
紀勢線のキハ58系統は53-10電化直後でも準急幕入ってるのがあった。
当時紀勢線「きのくに」系は何故か最後尾車両の助手席側を開放していることがままあった。
シーズンオフに乗ったとき最後尾助手席にずっと座ってきたが、終点天王寺到着直前に
幕を回転させてみたら「準急」があったのでそれを表示した。
折り返しのきのくには先頭車「準急」表示のままもうもうと黒煙吐きながら白浜に向かっていきました。 東京マリンと聞くと、アン・ルイスのグッバイマイラブを思い出す
テレビでよく流れるからかな? 急行東海は96年に廃止されたから綺麗に近代化されたホームと発車メロディとの組み合わせの動画とか結構アップされている。なんかまだ走っていそうな感覚。 末期の急行東海は前面幕に【[急行]静岡】と行先入りだったのが違和感 jr東海は前面 行き先表示、束は面倒なのか普通とか急行とか種別出したまま。 >>464が言ってるのはそういう意味じゃなく、”国鉄急行型”の前面に
行先併記なんて随分格が下がったなぁ って話じゃないの?
俺も嫌い。 前面行先なんて普通運用か快速運用のみの世界 側面はサボのまま。
電動方向幕改造した急行型は秋アキの急行月山、よねしろくらいか。 >>466
前面行先で使い始めて、廃車間際には種別どころか白幕になってた
勝田の401系一族……急行型ではないけど。
>>467
仙台の455系は晩年、側面にLED方向幕仕込んでたけど、あれ結局使われなかったんだよね? >>468
急行形で行先がデフォってのはJR化後のみだろうけど
近郊型だと各地色々やり方あるよね。
国鉄時代から関西111・113や南福岡の421も行先だったし、
勝田401、房総半島内113は平仮名入の手動行先から始まり、
後年は青地普通がデフォ、めんどくさくなった勝田は真っ白。
乗客案内を快速に統一した最末期の勝田403/415は
青地普通と真っ白併用だったが普通じゃまずくなって程なく真っ白。
これが2003-2004にかけて切り替え期の写真。
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org694003.jpg 全部なかったかのように埋められるのに比べれば
真っ白とはいえ形として残っている方がいいかもしれない
デコが広いとデザイン的に間抜けになるしな 割れると架線下修理が危険だから埋められたと聞いた北陸の種別幕だけど58上越のようなつらら切りじゃダメだったのかしら
あと新潟165が同じ目に遭ってないのは北陸交流区間で何の事情があったのか
いずれピク増刊号で交直流急行型出て欲しいところ その代わり新潟の165系の一部はMc車の主電動機空気取入口を撤去。何かヘンだった。 >>472
あれ、なくても大丈夫だったのかねぇ
モハ164-500は簡易運転台のために妻面に取入口が設けられなくて、Mcと同じように設置されてたな
数少ない珍車を探す目安にしたもんだ >>473
室内側に取入口付けたのかも。デッキと客室仕切りの鴨居にあったような。
115系0番台も雪切り室がなくて客室妻壁にあった。当然客室が負圧になるのでサッシから隙間風が入って寒かった。 脱線すまそ。
>>469 豊田の115も国鉄時代は行先表示だったが流石にかいじ運用は急行表示だったような >>469
ちっと脱線するけど、勝田車が白幕にしたのって、
取手以南で(電車区間の)快速と停車駅に差が無くなったから、
種別出して案内するとかえって混乱するからじゃなかったっけ? >>474
クモハ475も車内吸気だったように思う。録音した時
上の方からモーター音が大きく聞こえたよ。
上沼垂の165の越後線運用ではまっ白幕見たなぁ。
>>475
豊田はJR化後も行先だったね。松本車の
1000番台は水色時代は快速・普通表示で
短期だったりんご色時代に行先を使ってた。
>>476
ちょっと書き方が解りにくかったかも知れない
401デカ窓が残ってたつくば博の頃は「めんどくさくて白」を見てる
青地普通が入ってない古幕のがあったんだと思う。
403/415の白はE231含めた「快速」に統一した旅客案内を始めて
2004年春には全部白に。 豪雪地生まれなのに外気取入口から雪が入るとか。昭和30年代後半じゃまだ雪切室が実現してなかったからだと思うが、シールゴムの無い貫通扉の隙間風もあっただろうし上越運用の佐渡とかウテシはさぞ寒かっただろうな。 同じ湘南色でも113系を見慣れていると
165系は橙色が狭いので違和感があった。
今にして思うとその差が近郊型と急行型
の格の差だったんだなぁって気がする。 165系のチョロQに付いていた解説で塗り分けを「髭面の山男」と評していて言い得て妙と思った 口元を髭か覆面で覆った禿頭の山賊に思えたが同じような感じ方が他に居たのか。 ハゲたヒゲ男は昔から言われてるよ
153系は特に低運転台はさしずめシーマンだなw 153系も新快速充当の車両は、前面種別幕に行先を掲示してたね。 結局区所別に装備って取り替えやってるんだよね
113スカ色転属車新快速も行先だったみたい
形式関係なく同じ幕つけてるんじゃないかな
名カキは真っ白け >>482
153系は警戒色の意味もあって前面黄かん色一色にしたのかな 利用者数見たら、こりゃ今治切れんわ
https://opendata-web.site/station/38/
新居浜、西条より多く宇和島と八幡浜足す数字よりも多いとはなぁ・・ >>492
ありがとうございます。 こりゃ懐かしい・・
JR四国スレで西条から松山に短絡線があって
遠回りしなきゃ良いのに、って話がありそのレスでした。 そういや気動車急行って、キハ65で富山から名古屋の急行のりくらしか乗ってないわ30年前に 12系客車が死にかけています。
もう気楽に乗ることは出来ないのかな。 12系、大井川で何年も前から期待してたらあんな調子だし
東の高崎の車しか今後望みがないね。 >>497
播但線や東北本線盛岡以北で頻繁にあった頃とちゃうか?
他にも七尾、芸備、山陰にも近郊改造した12系あったが、ラッシュ限定だったしな 12系客車は165系電車、14系客車(座席車)は183系電車と同じなんだっけ? 12系は1ランク上のキハ65のシートピッチだね。
14系は簡易リクライニングの183や485後期形と同じ。 >>501
Yes!
あっ、わたらせのトロッコの伴走車も12系じゃなかったか? >>485
折角前面自動幕なのに使わなかった103系は謎 房総は113系の前面幕でせっかく気動車時代の路線別色分けが復活したのに209系置き換えで無くなってしまったのは
残念だった。 >>502
確かそう
しかもわたらせのはシートが原色
真岡の客車は違うのかな? >>501
秩父鉄道のはデコラとモケットが交換されているので国鉄急行感は薄れているのが残念 >>505
真岡の50系のモケットはいつの間にか205系などと同じ緑色柄のものに張り替えられていた >>500
キハ65が最後の急行形車両ということか >>509
66-67も続番で急行で使用してるという話あるが、
いわゆる急行型の設計は65がラストだね。 >>510
6〇形は新系列大馬力エンジン搭載で特急型以外に付与された番台では? 急行用だとキハ54 527-529とかキハ110の0番代があるけど
型式分けされてるわけじゃないから
急行型のラストはキハ65系だろうね キハ66は急行はんだ、あさぎりの運用持ってたんだよね。
といっても急行型というより汎用型という印象。
たとえば185系みたいな。 >>512
急行仕様が基本番台である以上、キハ110型は急行型の形式と屁理屈を言ってみるw 300番台があったから、キハ110系は特急型だ、って無理あるよなぁw 特急仕様と急行仕様と普通列車仕様が全部あった形式ってキハ110の他に何かあったっけ? 意味合いは違うかもしれんが、581/3系はそうだな
普通列車仕様は形式名変わっちゃったけど 519じゃないけどあえて言うならロネが入ったのはきたぐにオリジナル仕様なのかな >>518
キハ47ってどうだったっけ。急行が無いか シートピッチは急行型並みだが窓側に肘掛けがない<キハ40系列 つやまはわざわざデッキ付きのキハ48を転属させてなかったか
シート交換とかのアコモ改造やってなかった手抜きで即廃止見通してたような? 急行つやまは余ったキハ181系ぶち込んだ方が良かったのでは?と言う人がいたが国鉄時代に特急やくもで迂回運転したらトンネル内壁にラジエーターを擦っちゃったので津山線入線禁止だったとか
キハ120が制限50キロでキハ40が制限30キロとか変なトンネルがある >>526,529
本来の急行形車両のデッキ仕切り壁側(出入り扉の両端)にあるシートが軒並みそれだったはず。
窓下の肘掛けをなくすことで、出入り扉前のスペースを稼いでいた。 キハ47で特急はありえない
急行ではいかんのですかね。 >>528
同様な速度制限やってた関西線は修学旅行臨でキハ181系入ってたど。めっさトンネルで減速してたけど。 >>532
かつて関西本線を特急あすかは何系車両だった?
あすかもやはり減速運転していたのだろうか? あったねえ
間合い運用で走らせてみたものの需要無くて終了 >>530
そういえばそうでしたね。すっかり忘れていたな >>533
関西線は元々私鉄の買収路線で規格がやや小さいのに加えて、老朽化でトンネル内部に補強が入った事によって断面がさらに小さくなった事による措置。
国鉄時代は10系寝台車が走ってた路線だからキハ80系列程度では問題は無い。 普通に格下げされたキハ58系って車内放送オルゴールの牧場の朝は撤去された? >>541
どこの線のキハ58かは知らんが、2000年の年末に乗った紀勢線のキハ58の普通で鳴らしてたな。たまたま録っておいて良かったわ。
あのオルゴール、受話器型マイクに内蔵されてなかったっけ?他の58も多分あるのはあるけど鳴らさないだけでは? なんなら小湊のキハ200にも入ってるし気動車の放送装置には基本的に組み込まれてるものと思ってた 一般型、急行型はあくまでマイクに内蔵タイプで
例外はJR四国チャイムのキハ58・65の電子音で別の機械だな。
https://youtu.be/ZG6OP8nL41Y 電車みたいにボタンを押すタイプで放送器本体に付いているのでないのか。
165系には鉄道唱歌がついていたのかな?165系ムーンライトえちごや大垣夜行に乗ったとき残念ながら車内放送の記憶が無い。
優等列車だけかと思いきや一般型にも付いていたのか。キハ40系列には無かったような。あと、50系客車にハイケンスのセレナーデが付いていたような記憶がある。 >>528 キハ181のラジエータが狭小トンネルにかするという話、東北の方でも似たような都市伝説あるな。北上線だったか。
現在、津山に保存されているキハ181が米子からDL牽引で岡山に、それから津山に回送されたそうだが、その途中で津山線の狭小トンネルの一つ、福渡トンネル通っているはずだが 客車はハイケンスのセレナーデ
気動車はアルプスの牧場
電車は鉄道唱歌
電車用は壁つけタイプで、ゼンマイ式、電動、電子音があった
気動車用は受話器一体型のゼンマイ式しかみたことないが、他のタイプがあるか知らない >>546
ラジエーターが問題になるのってキハ180とキロ180じゃね? 車両限界には収めてるだろう。
それなら接触するはずないと思うが…
あくまで都市伝説なレベルでは? >>548
確かに
キハ181系と書かないとな
>>549
トンネル側の問題だろ
津山線は中国鉄道が戦時買収で国有化されたものだからトンネルは独自規格なんだよ
北上線も元軽便線だから
>>528が本当にあったことなのかどうかは知らんけど >>550
北上線ってキハ181系の定期運用あった線区やん… >>553
20系おがもあったし
都市伝説なんだろうな
線区勘違いしてるのかもしれんけども 入れる規格の路線・車両なら問題なくて当然で、入れるはずなのに擦ったとかいい加減すぎるだろ
線路か構造物の位置がズレてたってことでしょ 買収路線の身延線なんかもかつては低屋根車しか入線できなかったし地域ごとの事情はあるでしょう 規格内だと思ってても、
長年の保守でだんだんとズレていって、
挙句の果てに接触ってパターンは結構あるんだけどね
ななつ星が接触したのも記憶にあたらしいところ オヤ31を使ってこまめに限界測定すればどっかでずれて内壁接触は防げたはず
北海道で四季島だけ25キロ制限のトンネルがあるが車体がデカくてクリアランスに余裕がないためか?
断面積は24系客車とほぼ同等 >>557
身延線の低屋根化は後年の改造だぞ。
激しい落雷時に折り畳んでたパンタに、架線に落ちた雷の電気が飛んで電車燃えちゃった事故が有ってパンタ折りたたみ高さって概念が生まれ、そこから低屋根化が始まった。 予讃線がもっと厳しいが実際はJR四国と他社で絶縁距離の基準が違うようである >>558
>規格内だと思ってても、
>長年の保守でだんだんとズレていって、
それは検査をきちんとしてないから、建築限界を満たしてない=規格外になってることに気づかなかっただけでしょ
規格を満たしてるのに当たった訳じゃない >>560
離隔距離はその前からやってたよ。その事故、落雷じゃないような気がするが 桜木町で架線の絶縁距離が強化されたのが最初でその影響が車両に及んだのが中央東線と身延線
旧国の全低屋根車はその先駆け >>564
手違いで身延線非対応車を編成に組み込んでそいつのパンタが畳まれてしまいアーク放電起こして架線溶断だったはず そして低屋根にせずともパンタ畳高さでギリなんとかなるのが
PS23パンタってわけだが、身延だけはそれでもヤバく
115-2000作る段階でも若干低い車体が必要ってことね
他線区はそこまでではないようだが というわけで、桜木町事故は折りたたみ高さとは関係ないよね。概念もなにも身延線の事故の
前からパンタ折りたたみ高さの制限はあって、この事故が起きたから余計厳しく離隔距離を
とるようにしたって話で
で、このときに列車が燃えちゃったのは屋根を絶縁してなかったからで、この時に気付いて対策を
してれば桜木町はあれだけの惨事にはならなかったかもねっていう話
>>559
そんな制限あんの?秘境駅のあたりは狭くてD52やC62は苦労したって話は
読んだことあるけど
四季島もななつ星も一杯で作ってあるから空気バネだと予想つかないことがあるんだろうな
昔の非電化トンネルは本当にギリギリだからな。精度もよくないだろうし
まぁキハ58はそれで張り上げにしてかっこよくなったからいいけど
で、なんの話なんだよw 播但線和田山電化は低屋根必須か?
トンネル断面が小さくて工事が難しく電化を断念したとか
下手したらトンネル掘り直しが必要なレベルのはず >>571
生野トンネルは低屋根化しても厳しいだろな
震災後に221系を凸配給で運んだ際にパンタ外して運んだ位だし 播但線はトンネル断面小さいがキハ181系が問題なく走行できてたんだな
特急が走行する路線なので念入りに保線してるためか?
津山線は保線がいい加減としか思えない 走行する列車によって保線の基準が違ったりはするだろうけど、いい加減とか無茶苦茶失礼な物言いだな JR西は保線レベルを予算の都合という名目で下げてるから
あながち間違いじゃない。制限15キロはかつて無かったものが
保線レベルを下げたことにより生じた。 保線レベルを下げてようが、その基準に合った保線をしてれば「いい加減」とは言わないでしょ
そんなの現業の人をバカにした言い方でしかない アスペルガーかよ。
保線レベルを下げる時点で旅客をバカにしてるだろ。 そんなスピードしか出せないなら廃線にしてしまえ!とは過激な思想をお持ちで。 民間企業に乗りもしない路線を残させる方がよっぽどバカにしてるけどな 自分がアスペだと自分を棚に上げてすぐ他人をアスペ扱いするんだよな。
普通の人はアスペって言葉がまず出てこないのがわかってらっしゃらない。 路線の保線レベルは線路保有各社の権限で適切に管理しているだけのこと
速度制限の標識が設置されてるってことはそういうこと
高い方の速度でも整備新幹線開業で在来線区間の最高速度を特急グレード(130km)から高速貨物対応まで切り下げた鹿児島本線(鳥栖以南)とか
ほくほく線もはくたか対応(160km)から切り下げたから信号のGG現示も機能停止してるし 呉線なんかも山陽新幹線全通後は最高速度落としたよね。 >>575
制限15って何処だよ
最早自転車レベルやん >>586
昔はキハ58の急行が走ってたのに(´;ω;`) >>583
急行型車両スレだけど脱線したので線路保守の話になってる。 >>540
関西鉄道の規格は小さくはない。元々明治は幹線の大半がそうだしな。 >>591
それマニアックすぎw ちどり、みよしの方が近年まで多かったやん。
Wikiみて悲しくなったね。平成13年時は備後落合-比婆山8分
現在16分・・これが保線基準下げて制限掛けた結果やね。 雨の日は必殺15キロじゃ!
ごらぁぁぁぁーー!
っうのがあったな >>546
亀だが、北上線で擦ったのは誤ってカバー付きAU13を載せたキハ58じゃなかったか >>513
そりゃ117系や185系の先祖だから当たり前 >>596
キハ58に車高の低い14系客車用カバー付きAU13を載せてしまったやつだね 四国の58にAU12・AU12六角形・AU13を混載したクーラー見本市み
たいな車両が無かったっけ? >>598
雪切り室が出っ張っててそこをゴリゴリと… 四国におったマヤ34もクーラー擦って変形させたまま多度津に報知してあった。
たしか2005年頃 北陸の交直急行型 妙高高原方面の信越線 初入線なのか スキー臨位あったかと思ったよ キハ66の国鉄一般色の写真って、どっかにないかなぁ。急行色が元祖と言う奴が大杉。
出来れば4ユニット位繋げたの… 登場時は急行色の塗り分けで赤色部分が一般色の朱色と同色って話だっけ
間違っても一般色の塗り分けじゃないが 赤11号と朱色4号か
落成した当時から急行色と思い込んでたわ
とんだフェイントだなw キハ66に一般色塗り分けをイメージしてみたがキユニ28初期車や最近のなんちゃってリバイバルのキハ40系見るのと同様の違和感があった
考えてみたら国鉄当時の一般色塗り分けってキユニ28以外は広幅車体(&高運転台)がいないからか
一般色はストレート車体に貫通扉窓と同じ高さの運転台窓ってのが無意識に刻まれてたわ
キハ66&40の高運転台窓は貫通扉窓より一段高くて前面のクリーム色が窓高さ揃ってるキハ45系より間延びした印象に
それにしてもなんでキハ65より更に運転台窓の位置高くしたのかキハ66
今月末全車引退かついに乗る機会無かったな ちょっと待て
登場から4年で急行色に変更してたのか
そりゃ国鉄時代でも急行色しか見てないわけだわ >>609
顔はキハ40と共通に見えてたが実際どうなん
昔Nゲージで117系にキハ40の顔挿げ替えて
66/67タイプを造ろうと思ったんだよなー >>611-612
テールライトとタイフォンの位置が違うよな
キユニ28とかキニ58はなんか急行型とは違うと思ったらキハ40の顔だって気付いたことがあった
キハ40を一般色や急行にするとなんか違和感があるのはそれなんだよな。テールの位置 なぜかわからないが、デッキがあるというのはいいね。 今長崎空港。
佐世保駅、長崎駅とも写真展やっていて1枚だけ当初色の「はんだ」の写真があった。確かに多少色褪せただけとも思ったけど、シーサイドライナーで46年はねーだろうと。当初の爆音仕様で直方にいた時は半分くらい運用離脱していたらしいし、今のキハ200並の足になってから長崎が引き受けたんだろうにと。
さて、103系3000番台並みに過去が無いとは言え、
最後のキハ58/65籍を引き継ぐキハ70/71はあと何年使うのだろうか。 413系と455系は同じユニットサッシでも
高さが若干違うのかな。
えちトキの復活国鉄色を見て思った。 >>617
補足。諫早到着時にアルプスの牧場鳴らした。 >>617
あの写真展クオリティーの差がアレだよな 今年は平塚七夕祭り臨時は走らないの?
昔は165系で走ったらしいが コロナであるわけないじゃん。利権国際運動会はやる矛盾。 平塚七夕祭り臨時って165系であったね
1990年頃?
新宿発だった気がするが、どれだけ乗る人いたんだろう?
215系でも走ったのは知らなかった >>622
今年は規模を縮小してやったみたい
臨時は出てるのかね? 臨時有明でED75+12系ってのがあったんだな。12系代走特急は座席が特急型の14系より遜色なので料金割引いたとか。
シートピッチの広い12系とキハ65は他の急行型に比べれば快適。 12系発車の時のガツンは高音が特徴だった
旧型車とは全然違う
50系とも違う独特のな音 キハ65はトイレがないから
(1)指 キハ65
(2)G キロ28
(3)自 キハ57
(4)自 キハ58
とかだとG車抜けないとたどり着けない 最悪G車方転すればいいんじゃ
急行型気動車って電車と違って冷房引き通しのために向き固定って聞いたことないが 新宿から平塚までの165系の臨時快速平塚七夕祭り号にどれだけ客がいたか気になる
全席自由席だったのだろうか? 三井野原銀嶺って、キハ58系だったろうな。
半夜行でキハ17とかだったら… >>631
今も平塚七夕祭り号が走ってたら185系辺りで走ってた? 質問良いですか?
なんで大宮じゃなくて宮原とか上尾辺りから臨時が出てたんですか?臨時快速は >>633
湘南国際マラソン臨時は185系だったとおもうけど、あれは自由席ありましたっけ? 超亀レス失礼します。
>>222
急行「長州」には、153系は原則として使用されず、1964年10月に季節列車として165系にて運転されています。
MT比同一だと、瀬野八(上り)で補機を必要とする153系は、新幹線開業前までの急行「なにわ」系統用12両編成による「宮島」など、同区間を通過する列車には一部の列車への使用にとどまりました。
ただし、クハ164であるとかサハ153などは一時的に組み込まれることはあったかも知れません。
さらに、1966年に167系が製造されると、まさに急行「長州」に必ず使用され、もっぱら167系があてられるようになります。 153は「鷲羽」や「とも」がメインだから、200qそこそこじゃないのか? MT46って熱冷却問題があって連続走行ダメなんだよね。
特急の151系はギヤ比とM車数のおかげでギリOKだったとか 失礼、逆だっけ・・
勾配の負荷だと駄目なんだったか、)セノハチの
東京大阪6時間半は大丈夫なのはモロモロとかの高Mで耐えたんかな >>635
大宮始発にすると、大宮支社と調整が必要だけど、宮原始発にすれば、高崎支社内で完結するから
一時、鉄ヲタの悪行に怒った大宮支社長が大宮支社管内のイベント列車禁止令を出したとか出さなかったか噂があったかな? マリンブリーくじらなみ
熊谷から上野始発の到着前に乗ると、好きな席選べた
接続が到着すると、必死な顔のおじさんが
わんさかと乗り込んできた >>646
まあ近くの海よりきれいなのは事実だからな 埼玉北部から一回東京出てわざわざ湘南や千葉の海行かんだろ
伊豆は結構遠いから新潟行きたいのはわかる。
一方栃木県民は茨城に行きたがるw 柏崎あたりは群馬、埼玉ばかり。
で、上越いくと長野が目立つ。 >>642
151・153系(165系M車含まず)の上りセノハチ越えには補機をつけた。
いっぽう、旧型の80系はMT比同一でも補機をつけていない。 >>650
だから何?
それって釣りかけとカルダンだからか? >>650>>652
80系のモーターってやたら頑丈で無理が効く奴でしょ
142kWあってトルクも太く旧国って各地の勾配線でぐんぐん登ってたわな。 元西武、いま大井川の機関車に使ってるくらいだからな 歯車比も新性能電車諸々よりも小さいのに勾配区間でも登るってやはりトルクが高いんだろうな。
歯車比が小さいのは多分電動機が高速回転できないとかが理由なんだろうけど… 80系だと2M3Tや4M6Tとか組んでた事あったな
もはや客車列車並の加速度しか出ない 数字見てみたら一発だった
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org697656.jpg
80系 2Mで1,108kW 引張力 5,780kg 歯数比2.56
153系 MM'で775kW 引張力 4,200kg 歯数比4.21 MT46のMT比1については、153系はもちろん、それよりギア比の小さい151系であっても、
能力的にセノハチを登れないというわけじゃない。
あくまで主電動機の温度上昇が限度内に収まらないためだ。
主電動機の温度上昇の限度を超えないようにするには、電流を抑える必要があるけど、
界磁ノッチを全界磁に戻しただけでは足りず、
ノッチを下げて電圧を下げたところで電流は減少せず、
速度が下がって、運転時間が伸びるので、温度上昇はそれ以上となる。
結果として、主電動機の絶縁破壊の恐れが出てきてしまうのでそのままでは使えないという話。 いやいや
吊掛け、トルク無いだろ
あの加速と車両重量から逆算すれば数値が出る、
トルクは加速だから
80形は高速運転の為
回転増やせない分、高速ギヤ比にせざるを得ないので
尚更、引張力が低い
山岳路線で80形が使われたのは
車両がそれしか無かったから
車内設備から、地方路線に72・73形使うわけいかんからね
性能悪くても、無理が効く吊掛けならでは
ちなみに2M2Tで、1.49km/h/s >>659
> 性能悪くても、無理が効く吊掛け
これの根拠は? >>661
機関車が未だ吊り掛けを採用する理由を考えれば
簡単じゃね
先ずは自分で考えてみよう >>659
お前あほ。
トルクは単純に機関車の方があるだろ?
機関車は加速悪いだろ?
バカにつける薬はないな!
トルクがあれば、ギヤ比が低かったりしても、加速力の低下は少ないというのを、間違った自分勝手な解釈をしたんだろうが、恥ずかしいぞ!ww >>659
お前あほ。
トルクは単純に機関車の方があるだろ?
機関車は加速悪いだろ?
バカにつける薬はないな!
トルクがあれば、ギヤ比が低かったりしても、加速力の低下は少ないというのを、間違った自分勝手な解釈をしたんだろうが、恥ずかしいぞ!ww 結局一時間定格引張力と速度の数値見りゃわかるでしょ
80系より72系のほうが引張力は2割高いが2割速度が低い
同じモーターなんだから当然 >>662
機関車が未だ吊り掛けを採用する理由は?
お前の主張の根拠を俺が考えちゃ意味ないだろう だから、性能の問題ではなく、温度上昇の問題なのだが… MT46搭載車でユニット当たりの出力が100kW×8=800kWじゃなくて775kW(モーター1個当たり97kW)と若干低く出力算定されてるのが不思議だな
MT54はちゃんとモーター8個分の960kWなのに 中央線も、71形廃止、115系化で
スイッチバックが多数廃止された
25‰の勾配途中にホームが設置
勾配での起動、115といえど、大変だった様だが >>671
>>670を読んでそういうレスを付けるのおかしくね?
日本語読解力ゼロだな。 >>673
頭悪いのか
確信犯なんだかわからんが
71形や80形じゃ、勾配での起動に問題あるって
理解出来ないのかな?
ちなみに
115系の勾配上で起動ですら
簡単では無い事、わかってる? 中央東線のスイッチバックは、複線化で軒並み廃止。ただし、初狩は貨物入れ換え設備として残したほか、単線区間の東塩尻は、交換設備として残した。
72850含めた71形は古くから使われているが、80系は東線甲府までの運用は昭和48年以降で、韮崎・新府・穴山・長坂のスイッチバック時代とは重ならず、東塩尻のみしか使っていないはず。
あと、昭和25年から数年、都内から甲府に低トンネル徐行にて入線したことがあり、それは停車があれば初狩・笹子・勝沼に入ったかも知らん。
旧型は起動トルクはありそうだが、鋳鉄制輪子でブレーキを徐々に緩解するのが難しそうにも思えるが、実際どうだったんだろうかね? 複線化で廃止とか複線化で解消って表現はちょっと誤解を産まないか? 誤解を産む表現だけど、複線のスイッチバック駅は本線横断など支障が発生し効率が悪く、国鉄は原則複線化とともにスイッチバックを解消した(例外あり、長坂など)。
で、急勾配ホームとなった駅は客車列車を通過させ対応した。停車できるようになったのは新性能化ではなく電車化だ。
旧性能電車が走っていた急勾配ホームは買収線区などいくらでもある。 >>676
なにが誤解になるのかわからんけど、福米みたいに複線化でも解消できないところはあるし
中央のこの区間は複線化でスイッチバックやめたよね
一番の理由は保安上の問題と交換しなくてよくなるから本線上にホームを置けたってことでしょ
電車の性能もあるけど、それは二の次
釣掛は粘着いいとか無理が効くとかいう新説も生まれてるしなw >>679
複線化で解消だと
複線化するとスイッチバック要らなくなる
とも読めるよね
実際はあなたの言うように違うわけで >>675
>旧型は起動トルクはありそうだが
>>657の資料から
115の方が引張力は大きい、車両重量も軽い MT46によるセノハチでの運用に関しては、
ギア比が高めの153系の場合だと、
6M6T(Ts、Tb各2両運用)時代はEF61 + 控車オヤ35による後押しが必須だったが、
ヨンサントオでTs、Tbの減車で6M4Tになった際には、補機運用はなくなっている
電動機の温度上昇を加味した運用だと、MT46ではこのMT比3:2あたりが限度だったということかな
151系は早々に481系になっちゃったし、いずれにしてもMT比1では無理だったということしかわからん
ちなみに、上記減車はヨンサントオより少し前に行われており、
このときのサハシ153が改造されてサハシ169となって運用に入った
そんなわけで、169系にはTbの新車はない >>682
MT46は清んだサウンドでだったけど、頼りなかった。もっとも乗って実感できたのは101系111系と153系で、特急型は防音徹底してたからわからん。 >>682
サハシ153には「すしコーナー」があったが、サハシ165・169では「そばコーナー」になったと聞いた。 >>686
サハシ153形 寿司
サハシ451、165、455、169 そば(うどん)
なので違うよ とはいえ、「急行」まではほとんどの列車が止まる韮崎では、スイッチバック廃止後(ただし引き込み跡は残っている)も、80系やEF64牽引PC(旧型・12・14系)が停車〜発進してるから、問題あろうが難しかろうが、日常的にやっていたことなたは違いない。 静岡に153系の寿司コーナー風の寿司屋があったらしいが、行ったことがある人いますか? いや、153系そのものじゃなく
ここの>>762-764の話じゃないの?寿司屋のことって 清水にあったつばめ鮨だろうか。
大将が当時鮨コーナーに乗務していて、自身も鉄道好きと聞く。
残念ながら、ムレ香が嫌いで鮨をたべないので行くことは無かったが。 特急こだまの食堂なら行った事あっぞ
万世橋の4Fだかのヤツだが >>696
カレーとスパゲッティしかないのに食堂を名乗ってた例の店はちょっと… >>696,697
スパゲッティ・ミートソースを初めて食ったのがこだま食堂だった
C57135が来て間もない頃だったと思う
でも、急行のビュッフェは一度利用してみたかった
年齢的にギリギリだったはずなんだけど 72年の時点で玄海のビュッフェは営業してたっけ?
小学生のときに岐阜駅で見かけたのだが。 急行ビュフェの妙高営業最終って51年11月末って記述見たな。
C57135が51年5月搬入だそうだから >>698氏の記憶通りかな
その年だと自分中1。親もC57好きだったから48-50年は
宮崎や室蘭本線のC57追っかけて休みには北海道・九州ばかり行ってて
電車急行に目が行かなかったのが悔やまれる。 ピク月号の記事だと山陽九州方面は73年11月末までにビュッフェ休止とのこと 変わったところでは、名古屋-大阪間の準急「比叡」は70年3月改正で営業休止
ビュッフェの営業廃止というと、やはり上野口の動きだよなぁ
並行する特急増発によるビュッフェ要因確保のため、
「佐渡」「よねやま」などの上越急行、「いわて」「みやぎの」などの東北(常磐)急行で、73年10月改正に営業休止
「信州」「妙高」などの信越急行、「アルプス」などの中央東線急行は76年11月30日をもって営業休止
自分は子供の頃(74-5年頃)親に連れられて高崎行くのに、赤羽からいずれかの急行に乗ったけど、
時刻調べずに最初に来た列車(湘南色の急行で「日光」「なすの」以外ならどれでもいい)に乗っていたので、
もし信越急行だったらまだ営業していたんだよなぁ
高崎駅では他にも、以北に向かう80系とかも止まってて、これにも乗らなかったことは今考えるとホントもったいない アルプス編成が冷房MG都合で82年までサハシ連結は有名だけどビュッフェ休止日考えるとどこの線区も実車が抜かれるの意外と遅くないか
そんなにハザ半室分の座席減るのが不味いほど旅客旺盛だったのか
混雑常態ならビュッフェ営業も要員確保以外に近隣車両以外からの旅客の来店が望めなかったとか特に自由席 キハ28オンリーで走行した事ある?
落成したごく最初の頃は平坦線でキハ28オンリーで走行も考えられてた 房総半島の犬吠とか58は入らないで28オンリーあるぞ。
ただ、28だけじゃなく26とか混じる場合も >>703
単にサハ(165、164で合計13両)が足りなかったからじゃないの?
同じ容量のMGを積んだサハシ165は12両もあったわけだし そもそもキハ58系にユニットなんて概念はないよ
1両で走れるんだから 58・28なんて急行以外でも汎用で
筑肥線新線開業前なんて
35、20、26-600(ロング)、47と同時併結とか普通だからな >>707
冷房編成の話だったら逆に58が28を必要としてたんじゃなくね? >>709
元々も何も最初から最後までキハ28は単独で走行可能だが 千葉配置のキハ28は冷房化の際に冷房装置+電源用4VK搭載の車はもちろん冷房装置のみの車があったね。
平坦線ゆえキハ58は必要なくキハ28で十分、電源機関も各車にいらないから…ってことの結果。 >>707
房総にはおかげでキハ28冷改車なのに改番無し(=4VK非搭載)という珍車が誕生してそいつらの一部は電化後そのまま転出後も未改造のまま生を終えたという >>714
走行可能と言ってるのに冷房関係ねえし
冷房にしたってキハ28冷房車で電源なしは極少数だしなあ ピク増刊でもキハ28非電源冷改車(キハ車冷房B工事)の実数は4VK化を後年実施した車両(キハ車冷房F工事)がいる関係で特定仕切れなかったみたいね
なおB工事のまま廃車のキハ28は12両らしい 冷房なんてどうでもいいじやん。キハ58冷改造車+キハ52なんて編成普通にあったし。
国鉄型気動車でユニットってキハ66,67だけという認識。 >冷房なんてどうでもいいじやん。
そんな君には最後まで非冷房だった山田線の58をオススメ クーラー載せててもキハ58+キハ58で夏季走った事も有ったし >>705
列車が高密度な総武線東京口がキツくないか?
加速の良い電車が多いのでキハ58で加速度ブーストしないとダイヤ構成上ボトルネックになる なんで東北にキハ65入れなかったのかね
最悪キハ91量産試作車(2-8)の編入改造とか出来たでしょうに(78年廃車)
82年の東北新幹線開業直前に架線下DCで非冷房で窓全開の急行おがの写真見て頭抱えた
即DC急行全廃じゃなかったろうし58+58するくらいの線区も冷房化出来たでしょうに 新宿まで中央線の山手線の内側部分で電車の合間を縫ってキハ28が走行してたとか今じゃ考えられないな
都心のど真ん中を気動車が走ってた >>725
製造量少ないから、北日本より熱い西日本・九州を優先しただけだよ。 >>726
秋葉原への急勾配をキハ28オンリー編成で毎日上り下りしてたんだから キニ58は常磐線で割合平坦だが列車密度が高く加速度を上げる為に2エンジンにしてたな
交流区間に跨るための苦肉の策だが95キロが限界
交直両用クモユニがあれば100キロ以上出せたのに >>725
福島米沢の所要時間もひどかったしね
新幹線がもう少し遅かったら
電車おがが見られたのかもしれない 計画のみのクモユニ411の出番か
1Mで更に交直流装備積むって積載量減りそう値段高そう >>725
>>730の区間でのキハ181の惨状に懲りたのでは?
でもアレは大出力猿人よりも屋根上ラジエーターの失敗が…
>>729
前任キニ55の台車をDT22に振り替えたのも高速運転の為なのかな >>732
ソース探しててネットでまだ見つけてないんだが
かなり前に本で仙鉄局だったかがDML30機関を嫌ったと言う話を読んだ記憶ある。 キハ65の恩恵を一番受けたのはアルプスだな
キロまで58にしたくらいだし
それでもキハ28-2500入れたのは、洗面所の関係かな?
181系はしなのに入れたのが問題だったんだろ
トンネル多くて、熱が逃げず
氷柱を車内でに積んで運転とか
つばさも、補機無しで行く前提だったが
結局ダメだった
設計が甘すぎたんじゃないの そもそも東北のキハに冷房車が少なかったからな
キハ65はエンジンも台車も違うから所属区は面倒だろうし、夜行でトイレ減らす訳にもいかないだろうしな >>734
トイレは多分無関係かと
キハ28 1500台とキハ65(含500台)の登場時期が僅かに時期が違うがその1年差が決定的な時期
昭和43(1968)年度中にキロ冷房化完了が必須目標で新系列機関も43-10向けのキハ181系実用化に全振りギリギリの時期で結果キハ65は間に合わない 東北地区の急行冷房化は優先順位が低かった。少なくとも国鉄本社の認識は。 4VKが付いてない冷房化改造のキハ28は今月号のピクに載ってる
車番が2000番台じゃないことで判別できた
ただ冷房の重みで加速が悪くなってそう >>734
根本的には放熱器だろ。
183系はその辺りを考えて作ったんだし。 >>737
そりゃ暑い方からいれていくよな。S57の頃でも水戸や新潟には28の2000番台あったけど
夜行のいいでや出羽を出してる秋田山形郡山には2000番台ないからな
>>736
関係あるでしょ。ハザの夜行に乗ったことないのかね。飛行機だって国際線用はトイレ倍増だろ
そういや洗面台もあったよな、キハ58。誰が顔洗うんだよっていう汚さだったけど 房総地区は臨時で稀にキハ58が入ってたようだが片方エンジン切ってたのか? >>743
臨時で稀にというよりも、房総夏ダイヤ対応で新車投入、秋口に本来の配置区へ転属だったから、夏に限れば稀ではなかった。
当然エンジンは2機とも運転したよ。ってか、なんで片方切らなあかんの。 >>703
サロ165は冷房改造が先行したため、自車給電のみ可能な冷房電源を装備。
ちょっと本質的な意味では、誤解を招く。
McM'TsTsTbMcM'Tc
の基本編成で、冷房電源MGは5両給電可能なものをTbもしくはTcが搭載。
以上から、Tb(とTs)以外の冷房電源はTcから給電すれば足りたわけで、単にTb代替となりうるTcもしくはTがなかなか確保できなかっただけということになり、Tbでなければならなかったわけではなく、たまたま松本運転所にあったTbが、中央東線系統のレジャー客の主体だったスキー客やハイキング客にも荷物を置きやすいとして好評だったこともあり、あえて急いで置き換えようとまではしなかっただけ。
電源自体は、自車のみ給電でも充分だった。 今朝、クモハ165-108先頭、中間167系メルヘン、後ろの編成は不明の大垣夜行に乗った夢見たわ。何故か一部ロングシート改造、デッキ仕切撤去?と言う謎改造されていた。
車掌は東海。それも中間編成の運転室に居た。
大垣夜行なのに午後に途中駅から乗った。 俺は大垣区にサハ164ではなくサハシ165が転属した 東海の営業休止のビュフェで 立ちんぼした夢を見るか んじゃサハシ455が連結された7両編成で板谷峠越えようとしてノロノロ運転になる夢でも見よう。 455系は山形から北には行かなかったのですか。
あと交直流対応を本領発揮できる羽越本線。 >>752
70系当時から村上以北に急行一般型電車は投入されないままだからな
防寒気密対策が作された特急型485・583系が殆どだし >>752
確か90年代、改軌するまで快速「仙山」間合い運用の山形ー新庄が朝夕に1本あった 165系などの、グリーン車でない普通車にも、キノコ型ではないがAU12型クーラー搭載のものがあったけど、キノコ型と同様に、結露した水をくみ上げるためのポンプがついていたのかな?
ちなみに、AU13型はポンプレス。 車両総数自体足りなかったよね、交直流電車。
国鉄末期の近郊車両不足も寝台電車改造するくらいだし。
羽越線はひたすら架線下DCだったのは特異 >>756
北陸の471系に残ってた気がする。冷房切して30分送風運転。あとシリカゲルを入れていた気がする。 >>756
普通車のAU12型クーラーは、よく結露水が降ってきた。自分でスイッチいじれるから、寒いからと送風にしないでいきなり切るのが原因。
ポンプの有無は知らん。 >>759
気動車用はポンプ付き
煤煙でポンプが詰まって破損とか多かった >>757
幾度も出たネタだけど、「しらゆき」の電車化が特急格上げになってしまったのは
このスレ的には残念だったよね。 >>759
気って直ぐに入りにするとコンプレッサーに負担が掛かる >>761
複周波数の457系でも新潟以北の豪雪には到底対応出来ないからね >>759
東北の元クハ169-904のクハ455-324のACスイッチのOFFは操作できないよ
うに金具で覆われていた。
>>762
70年代の家庭用エアコン(冷房機能のみ)も再起動するときは三分間は
送風にせよと注意があった。 >>763
雪切り室がないとモーターが雪を吸い込んで故障しそう
車内側から取り込んでも対策になるが騒音が大きくなる
485系1000番台は雪切り室なしだが大丈夫だったのか? >>752
日本海側の急行が気動車だったのは非電化区間への直通列車を併結する列車が多かったから。 そういえば、磐越西線の電化区間、架線を引っ剥がして完全非電化にするようだね
SL運行上の見栄えは良くなるけど、455系急行「ばんだい」の時代を思い出せなくなるなぁ 早とちりしてしまった
会津若松〜喜多方間のみだったわ >>770
上野口の急行・特急を電車化したかったからじゃね? 喜多方が新潟鉄道管理局と仙台鉄道管理局との境だったからだろうねぇ
南小谷と同じ理由かと思われる なるほどそういえば南小谷も全然大した駅じゃないですね >>744
エンジン片カットは北海道のキハ54で夏季にやろうとしたが重くて加速が悪くなるので結局通年2基駆動にしてる
使ってないエンジンが重荷になる
通常の営業運転でやった事例はいすみ鉄道だけ? 国鉄のディーゼルエンジンって最終ノッチ5分って制限があった訳で、カタログスペックが怪しいと思うんだけどね。
JRになって、各社が手を入れて大きく進化したと思う。 >>774
JRになった頃のDD51が単機や荷が軽い時にエンジンカットやってたが、エンジン不調になるってすぐ止めちゃったな。 >>774
いすみは少なくとも夏場に関してはエアコンを使ってるから両方回してる。 >>770 会津盆地の中で会津若松に次ぐ市だったからでは。
電化が会津若松止まりでは自治体や地元の政治家が許さない >>779
旧2区の代議士は会津若松、田村のイメージ。喜多方は唐橋東(社)くらいか。 >>766
一応、仙台-青森の電車急行はあったな
ただ上野-青森を走破する電車急行は臨時でもなかった
東北線よりも豪雪地帯の羽越線、奥羽北線を1000番台ではない485系で運用してたから
上野-秋田も455系で問題ないっちゃなかったんだろうが・・・ >>777
DD51だと構造的にエンジン片カットは2軸駆動にならないか?
DD13は2基のエンジンの推進力が一旦真ん中に集められるため1基でも4軸駆動を保てる 165系に奇数、偶数向きあったらクハ164って形式あったのかな? >>784
クハ164は元クハ153を改造したやつ。 クハ153と改造後のクハ164を外観から区別することってできた?
前者低運転台なんだから、新たな全面塗装をすればよかったんだろうけど、
165系の髭面は子供顔のクハ153-0には合わないだろうし、塗り分けポイントも難しい 「前者」じゃなく、(クハ164)「全車」(が低運転台)の間違い >>784
ただ、クモハ165が原則奇数向き(ジャンパ線が運転席側)で使われたので、
クハ165は偶数向きでの仕様(ジャンパ線なし)がほとんどだったんだよね >>789
例外は新前橋所属車で横軽の関係上クモハが偶数向きだった。 KE57AとKE64とは互換性があるし、接点部分を見ない限り区別できないでしょう >>791
編成全体が反転してるだけで、Mcは変わらず奇数向き片渡り構造のままなので、
>>789 の例外というわけじゃないような クハ165はモハ165があったために奇数専用を用意する羽目になったな
特急型みたく冷房回路も両渡りだったら扱いやすかったのに
そもそもモハ165は21両しかなかったが153系と定員を合わせるために作ったとしか思えない >>789
クハ165の偶数車は名古屋局と大阪局+JR後の静岡くらいじゃないかな
名古屋局(確か大阪局も)は番号できちんと区別していた
クハ164も名古屋・大阪局移籍後は奇数偶数別々の向きになっていた 奇数用クハ165はせめて番台を分けるべきだった
番号が奇数用偶数用が混在しててぱっと見判別困難 >>794 >>796
非冷房時代は両栓だったので、番台を分ける必要はなかった
冷房改造により片栓化
大阪名古屋両局以外は基本的に偶数向きのみなので、番台を分ける必要がない
モハ165の製造理由
波動用として、4両1組が使いやすかったからじゃないかな
McM’TTcでも良さそうな気がするが、その時点ではサハ165の新製を嫌がった気がする
なお、モハ165-1〜17は、全てTcMM’Tcの4両セットで波動用として投入されている(と思う) 運転台無し中間車は大体が座席定員の減少嫌った営業サイドの要求 >>797
飯田線の急行「伊那」は大垣電車区所属の165系で、
豊橋←「TcMM´Tc´」と「McM´TTc´」→上諏訪
の2種類あった。Tはサハ153だった。 165系のクハとクモハで謎の一つは、一番運転席よりの座席の方向だな。
クハは前向き、クモハは後向きと分けたのはなぜだろう。 >>800
クモハは仕切壁に主電動機冷却のダクトが入ってるから壁の窓を設けられなかった。故に窓が無ければ前が見えないので壁に背を向けてもいいからあの配置。クハの東日本車は更新時にみんな埋められたけど。 >>800
JR西車は「ハーフボックス席」の部分にATS-P車上装置を付けたので定員が2名減った >>782
盛岡及び秋田管内の青森県区域は道内レベルの酷寒対策を要するからな
機器はともかく車体の酷寒対策が急行型は客車を除いて盤石ではない事も理由 クハ164への改造はよりによって初期も初期のクハ153(元クハ96)が選ばれたのだろう。
高窓のならそれほど違和感が無かっただろうに。 >>805
おまけに宮原配属分は早期に淘汰されたからな JR東海での全廃が2010年代にずれ込んでたらATS-PTの置き場所に苦慮してただろうな
東みたいに洗面所潰すか西みたいにハーフボックス席潰すか >>803
> 盛岡及び秋田管内の青森県区域は道内レベルの酷寒対策を要するからな
485系1500番台「はい?」 >>807
洗面台は潰してないよ。
デッキの助手席側に設置。 >>803
機器の対策は分かるが、車体の酷寒対策ってどのような内容でしょうか? ご教示いただければ幸いです。 ドアレールヒーターの強化とかあるんでない?
尤も、「あつい!」マークは115系にもあったが >>811
ありがとう。ドアレール、なるほど。
ただ、客車を除いての意味がわからんとよ。 >>812
国鉄時代の急行型の意味じゃなくなるけど、14系500番台があって
折戸でなく引き戸にしたのが酷寒地対策。道内急行が旧客から
一気にそれに置き換わったからね。 折戸見るからに隙間多そうだものなぁ
戸袋いらないってんで設計者の星さんは好きだったそうだが >>801
デッキ仕切り壁の窓はロングシート化したときに設けられたんだと思ってたよ。
画像探してたら、昭和40年代のクハ165の室内写真でも設置されてた。 >>813
そういえば、クモハ451/471初期車の外吊引戸、711系試作車の4枚折戸、
どちらも普通の引戸に改造されたんだっけ。 >>805
40.10、宮原のMcM’11本を下関に転属させる際、比叡等準急用4M6T編成の増結用だったため、相棒になるTcは無かった
編成組み換えでTc8両は捻出できたが、不足分のMc104M’68とTc109〜112を新製
ここからは想像になるが、当時の宮原(大阪局)が、どうせ放り出すならと初期車から追放したのではないか
(初期車から放り出す例は他にもあり、状態不良車を優先して放り出した例も書籍でちらほら見かける)
宮原からすれば、車齢7年を追放し、車齢3〜4年の500番台を残すのは当然かと
この辺りの3年は技術進化の差が結構ある
>>806
手元の資料によると、54.9〜55.11なので早期というほどでもない
他の153系からしても同時期になる
新快速の117系投入に伴い、青白に塗っていたクハ165が余剰となったため、それに押し出され廃車
なお、大垣分も他の153系と同時期に廃車 折戸って、最悪ドア開かないからね。山陰の12系客車でも経験したよ
たまたま雪が吹き溜まって、さほど寒くなかったから車掌が洗面台のSG湯w
かけて溶かしたけど、氷点下じゃ冷えた金属に湯かけても凍ってやばい。
津軽とか八甲田の客車も冬季大変かもしれんね。
外吊り戸も開かなくなるよなぁ、キハ30系もベンチレータだけ寒地用の新潟平気だったのか気になる。 >>819
だから道内急行型のキハ56/27や近郊型はデッキ付き一段上昇二重窓で引戸だった
因みに12系客車は其れに非対応で導入されなかった >>821
道内の急行客レは旧客からいきなり14系500だからねぇ
二重窓化と戸袋作れない12系じゃ無理で特急型の急行使用と
大雪が82年秋-83年夏だけ10系寝台と14系座席併結という
珍列車だったんだっけか。 >>819
八甲田のデッキの雪まみれは経験あるね。あけぼのの25型が個室に改造された時に、引き戸になったのもそれが原因かと。 キハ65は折戸、洗面所トイレ無しととことん定員増やしたな。せっかく単独で冷房電源賄えたのにキハ58とペア組むことに。 65形は58形の冷房電源と編成のブースターとして運用することを前提に
開発されたからな >>824
キハ65とキハ58の定員は同じ(84人)。シートピッチを拡大したから洗面所スペースがなくなった。
そもそもキハ58との混成が前提なのに、頓珍漢だな。 水タンクを積むところがないからな。定員減らしてまでキハ58みたいに屋根に積むのが嫌だったんだろ
折戸なのは台車が干渉するからだし キハ65は重量や床下などの制約があるから、便所が付けられなかったんじゃなかったか?
どうせ付けないならと、その分サービスでシートピッチを拡大したと >>828
同時期の12系客車もシートピッチを拡大してるから最初から居住性
向上が目的では? 12系客車は北海道型として711系のような窓にするプランは無かったのかな。 >>829
キハ65登場当時の雑誌(鉄道工場というかなり専門的な・・・)に書いてあった記憶がある
結果的にシートピッチ拡大
記憶違いだったらすまぬ ん、(運用コスト削減のため)トイレなし前提で計画したと記憶 オールキハ65はエーデル車で実現したが国鉄時代だとトイレが無くて大不評になったはず キハ65形で特急料金取っていたのかよ>>>エーデル >>827
キハ60みたいにDT25にすれば引き戸にしつつ2軸駆動に出来てステップと両立できた
しかしあれは下揺れ枕を逆U字型に曲げて推進軸を台車下部に通すとか強引な構造だった
DMF31の結果が思わしくなく結局DMH17HにされてしまったがDT22に交換して1軸駆動になった? >>835
固定窓だしリクライニングシート装備だしで
窓割不一致と速度が遅いことを除けば実質キハ181だから(震え声)
エーデル化の際に一部はトイレ設置したけど、
タンクやらの都合で発電セットを撤去したので
発電セット・トイレ付キハ65は艤装的に難しいんだろうなと察した。 特急「秋田リレー」は般客用キハ110系300番台で
ある意味キハ65系よりひどいな
新車ながら、窓割りが不一致なのは同じ >>841
あれはどうして急行ではだめなんのだろう >>842
ありは暫定的の簡易式だから。キハ54 500番台だって急行礼文に使われたあとは一般型格下げ。 >>843
JR東海は臨時列車を急行で走らせるってことを結構やったけど
もう九州は急行料金制度が廃止されてるみたい。
https://www.jrkyushu.co.jp/railway/ticket/rule/03/
DC-EXPの急行えびの、くまがわ時代で終了だった様子。 153系替え(こ)だまに乗れたら
間違いなく、デンスケ持って乗るわ
今より良い時代なこと たとえば冷房不調で払い戻しがあるように特急料金は車内設備に対して支払うものなのだから逆に急行料金では説明がつかなくなる >>848 >デンスケ持って乗るわ
デンスケ・・・懐かしいな。
そのデンスケで録った鉄道音集。
昭和の鉄道写真と鉄道サウンド セピア色の線路
http://mahoroba.kir.jp/
「録音機材」のバナーに紹介されています。 >>645
くじらなみや青海川だった90年代はその手の連中は少数だったな。
祖父の家が長岡にあるので、92年93年の花火大会の時に乗ったわ。
青海川の185系にはグリーン車もついてたけど、一人も乗ってなかった。
2009年に183系のマリンブルーに乗ったら同業者だらけで驚いた。通過駅が増えて
宮内で方向換えて海水浴客に絞ったのにねぇ。 >>848
151系こだまの時代はデンスケはあったのだろうか?オープンリールの時代では? 正直117系や185系も前面がクハ153やクハ111の様に貫通路が有れば良かったんだけどな >>853
デンスケは元々業務用のオープンリール録音機だから、151系こだまの時代からある。
マニア絶賛のヤツは、「おもてに飛び出すデッキメカ」カセットデンスケ。こちらは70年代前半だったかと。 カセットデンスケ買えたのは80年代、メタル対応になった頃。
ちょうど高校−大学生でアキバの石丸で11万でバイト代叩いて買ったよ。
世代的にギリ旧国最終期と旧客しか録ってないが。 >>857
>80年代
そのころは、カセットデッキに
入力レベル調整機能や
マイク端子2つついたものも売っていて。
W600xD250xH400くらいのサイズで7-8万で買えた
重量は7-8kgは有ったと思う
単一電池の消費が半端なく、6だか8本入れても、3-4時間しか録れなかった
東芝か三洋かどっかのメーカー
バック担いで、347(5)M〜飯田線1221M
153系やクモハ54の音は、今でもよく聞いてる
余りに重くて、後
ナショナルだかの、Wカセットデッキ(内臓ステレオマイク)に逃げた
それでも6万はした
18キップなんてものが無かったせいか
繫盛記でも、列車が空いていたのは、良いことだったけど。 >>859
18切符は高校生だった82年から。最初は「のびのび」って呼んでいた。 >>862
1982年か
飯田線に119系が投入され
全てが終わった感、半端ない年だね 1982年、特に57-11改正は「急行」スレにとっては
かなり大きな変革の時だな。
東北上越新幹線開業で旧客急行が12・14系化され
特急格上げもかなりあったからね。この年と
60-3改正の急行大特急化が急行型の運命を変えたとも思う。 57年春からだな、青春18。57.11前だからS57の夏休みはボーナスタイムだった
上野口のEF58牽引の高崎行と常磐にも旧客残ってたし、北陸もEF70で残ってた
国鉄全線、5枚つづりの6日間。2回使った覚えあるな。あの夏は楽しかった
>>861
それをいうなら、繁 忙 期 だな >>855
117系は言わばスピンアウト版のクハ115−3000番台がそれな
185系は157系の純粋後継モデルだから有り得なかっただろうな >>867
> 157系の純粋後継モデルだから…
豪華準急の後継? どこが?
185系は、183系と165系の後継です。 >>868
153系があなたのことを涙目で見ています >>867
115系3000番台って元から117系仕様で作ったの? 車内パーツだけだよ。そもそも台車も制御器も
115のままであり117とは違う。
窓だって117の高級バランサー付きじゃなく
安い引掛け上昇式で車体構造も115-1000の2扉ってだけ。 >>871
都落ちした117のモハユニットを115系化改造していなかったっけ? >>872
やってる。それが3500番台で制御回路を115用に変えてる >>871
>窓だって117の高級バランサー付きじゃなく
それ、100番台だけでしょ >>874
急行型からスレチになるからここまでにするけど
201系と同時期だけに上段下降にバランサー入れる贅沢さなんよ。 201系は変に金掛けすぎ
バランサー下降窓のくせに、田窓
車両ナンバーSUS切り抜き文字
150kwモーターも、車両重量重くて実力発揮に足枷 >>870
カバー無しのむき出し蛍光灯を見ると117系仕様ではなかったと思う。 転換クロスシート、木目調化粧板、蛍光灯カバー。
急行型より豪華。 房総急行のヘッドマーク
『鹿島』に鹿の顔ってちょっと無理矢理な気が
鹿島神宮に因んだ何かが良かったんじゃないかな >>879
鹿は「鹿島神宮に因んだ何か」に含まれるだろ 房総急行の話が出たので古い写真見ていたけど、犬吠は漁船?かな
さざえは記憶があるが・・・
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org700295.jpg
S55.5新宿
古いコニカのスライドスキャンでこれ以上いじりようがない、すまぬ
コニカだから色が・・・だが、退色は少ない、当時からこんなもの >>888
おぉ眼福。 犬吠は銚子港の漁船だね。
S55の5月でまだグリーン帯塗り潰ししてないんだね。
これは意外だった。53年度あたりから消えたイメージだった。 >>881
その方程式に倣うと
犬吠は狂犬病の野良犬
水郷は郷ひろみ 鹿島の鹿は、奈良春日大社から神の使いとして来たんじゃなかったっけ? >>891
単に鹿の字が含まれてるという話じゃないぞ
鹿は神様の使い、乗り物なんだよ
だから鹿島神宮では鹿園があって大事に飼われてる
奈良公園の鹿は神話上鹿島神宮から来たんだぜ 房総急行には外房、内房、犬吠、水郷と4文字でウで終わるという完璧の法則があるんだから、やはり鹿島だけは異質
『神宮』なら法則に合致したのに
あと新宿・両国と成田を行き来する『空港』もあればな
綺麗に6列車揃ってバランス良かった それに東金経由で成東へ行く『成東』もあれば房総急行七福神が揃う >>894
両国駅前に都電のちょっとしたターミナルが出来て、両国駅に航空便のチェックイン・出国審査が出来るシティエアターミナルが設置され、成田空港まで「急行 空港」が多頻度運転される世界を妄想してしまった。 国鉄時代に鹿島線が水戸まで達していたら
水カツの451系が急行列車として両国まで
401系が佐原や千葉まで顔を出していたろうか? >>894
本家「神宮」(お伊勢さん)から文句が来るわ >>851
それ超つまんない。
なんでやたらとクハやサハばっかりで録るの?
モハで録らない痛恨のひとりよがり。
デンスケじゃなくて、半分詐欺みたいなもんだからクモスケだなww
録り直ししようがないから、糞の価値もねぇ! モーター音も好きだが、
トレーラーの繊細な音も悪くない
コンプレッサー音を収録するならT車に乗らないと ジョイント音有れば車も悪くない
T159の音あるが、軽快なジョイント音はなかなか >>894
総武、みさき、なぎさとか知らんのか
そもそも房総急行とひと括りにされるけど鹿島は常陸国発着だからな
厳密な意味で房総じゃねえしw >>897
現状通り電化区間は鹿島神宮までで
急行→特急水郷に接続して
佐原水戸間にキハ58系の急行が運行され
1985年にときわ・奥久慈と同時に廃止
あるいは大洗まで交流電化されて
水カツの車両が上野から乗り入れていたかも
そしてJR化後に香取から全線が第三セクター化され
全線電化廃止になっていると思う そうなると鹿島は上野佐原間(水戸経由)の愛称となり
奥久慈併結のDCのときわは史実より早く消滅し
上野から奥久慈・鹿島として運行され
水戸で分割していたと思われ
千葉側からの電車急行は水郷のまま >>902
為らば実際には無かったが鹿島は香取にした方が房総に相応しい筈 >>905
鹿島神宮まで行くんだから
話の噛み合わないやつだなあw >>877
非冷房111系モハを挟むクハ115は、当初冷房準備車だったからねえ。 >>903
愛知環状鉄道や阿武隈急行のように電化線もあるので
さすがにそれはないかと。 国鉄時代に鹿島線が水戸まで繋がっていた場合の運行形態を話すなら、水戸と千葉の管理局界と交直のデッドセクションどこになるかから話さないと 路線の経緯から考えればスタジアム以北でデッドセクションだろうな なんか変な書き方になった
北鹿島(現鹿島サッカースタジアム)のすぐ北あたりでデッドセクションってことで
管理局境界も同じあたりになりそうだけど、セクションはどっち持ちになるかね? 国鉄は『茨城県内の電化路線は交流』という法則があるから
鹿島線・交直セクションは香取―十二橋しかないのだよ >>913
今既に鹿島サッカースタジアムまで直流電化なのに何言ってるんだ?
常磐線も取手は直流でデッドセクションはその先だ
東北本線の古河付近も当然直流だし
茨城県に入る前に直流から交流に変わるのって水戸線だけだぞ >>913
バカみたいw そんな法則、全くない!
取手は茨城県。でも、完全に直流。
そもそも、単に柿岡の地磁気観測所対策だから、土浦〜友部辺りがネックで取手付近以北の交流化で対処しただけ(水戸線しかり)。
直流区間真っ只中の古河駅も茨城県。
よって、極端な話、常磐線との接続区間まで全部が直流になってもおかしくない話。 全区間直流電化だとコスト的に見合わないとは思うけどね
水戸まで直流電車が直通出来るというメリットも考えられるけど、
遠回りだしねぇ 水戸方面から鹿島と千葉経由して東京都心へって速達無理だから急行設定しても需要無いよねえ
大洗鹿島線って全線電化開業計画あったとは知らないが 仮に新宿・両国―成田線―鹿島線―水戸を結ぶ急行列車があったとしても
『つくばね』の様に鹿島線内は料金不要の普通か又は快速だろうな
鹿島線が電化尚且つ交流なら水カツの451・453系が使われるだろうから
入出庫の関係で水戸止まりでなくスイッチバックして勝田まで足を延ばす
普通列車は401・403系で水戸方面から来て鹿島神宮か佐原までが南限
非電化なら水スイの気動車で鹿島神宮で『鹿島』『あやめ』や鹿島線・普通列車と連絡 >>918
それ冷蔵庫先生が妄想したルートではある
やるかどうかは別問題として 鹿行なんて千葉県にくれてやる
代わりに茨城県は関宿をいただこう >>923
おっ!有り難い。神栖市と鹿嶋市貰えば東総のクソ銚子という
企業誘致も出来ない赤字垂れ流し自治体の分を
回収できるぞ!! 国鉄は115系遜色急行『かいじ』のためにサロ165-14を少改造してスカ色に塗るなんて手間掛けてまでグリーン車を連結していたが
そこまでする必要あったのかね?
セミクロスシートでも急行料金徴収してたんだし、普通車の一両をグリーン車『ということ』にして「この車両はグリーン車だから!特別料金を払え!」でも問題なかったろ >>926
ハ→ロに形式変更しないと色々面倒だと思う。 サロ115が製造されていたらサロ165の色違いはなかったでしょうね >>928
寧ろ余剰化したサロ163/165を改造すれば済むのに早期淘汰が発生したのが解せない >>927
グリーン車付の急行編成を運用の都合などで普通列車とする場合にグリーン車を普通車扱いする例もあったから
「すいやせんwwこの『かいじ』はその逆ってことでww」と車掌が誠意を以て説明すれば乗客にも「そっかーじゃ仕方ないかー」と納得して貰えたんじゃないかな ただ出張旅費規定ってのがあったから、無理矢理キロハ28 1ってのが出来たらしい。
今は、フルムーン対策グリーン改造ってのが。 少し前の話だが、原形キハ65だけで編成組んだ事はないけどさぁ、キハ91ってのがあったよな。
もしキハ91に手を焼いてなきゃ、ひだや南紀に181が入ったらしい。…名古屋は、つばさ転用受入拒否したと言う。 冷房ナシ・ボックスシートなのに特急料金取る(153系特急『こだま』とか)よりも
冷房ナシ・セミクロスシートなのにグリーン車料金取る方がやっぱアレかw >>934
しなの含めてね。山岳地帯と東海道本線のハイスピードの2律背反で検修が頭抱えたらしい。やっぱり予燃式や最終ノッチ5分って、フルスペック出せるとは言えんからねぇ。 スレチだが昭和20年代にはロングシートで2等運賃取ってた
クロハ55とかサロ48とか >>937
毛唐には並ロのクロスシートはピッチが狭すぎたんだよ。
ロングの方がまだ快適だった。 >>937
戦前の一等・二等寝台の昼間時もロングシートですが? >>937
膝と膝を突き合わせる上に背もたれ板張り3等車よりは全然マシだったんだろう
昭和30年代の私鉄の中距離運用考慮したフカフカで奥行きのあるロングは結構座り心地良かったしあんな感じだったと想像する
…などと考えたら昔大垣駅で165系大垣夜行から113系初期車に乗り換えた時の苦しみを思い出した >>939
一等展望車にロングシートソファあったろ ソファーみたいなふかふかロングシートは最近だと名鉄7000系白帯車位しか例がないな
ドアエンジンが座席下に入ってるための苦肉の策でもある 昔の2等車価値は、設備よりもDQNとの分離だよ。「変なヤツが来ない安心感」を買ったのだ。 等級制だった頃は運賃も2倍でまさに特別だった
未だに引きずってたら東京〜新大阪の新幹線が計算上28000円になる 急行富士川に乗車したとき、走行中運転士が碇ゲンドウの如く
両手放しで手を組んでいた記憶があるが、ノッチはともかく
ブレーキを持っていなかったから違和感があったのだな。 フカフカと言えばサハ45•75•85の椅子。 >>942
パノラマDXに豪華ロングシート有ったよ。後に一般車化されて消えたけど。 後継車両が有ったら今でも急行列車が残っていただろうか。 あくまで営業施策考えるのが先で車両製作は後だからね。
特急に移管すると決まって特急型を作ってる訳で何も変わらんよ。
だから特急型使用の急行が後年まで残ったんだし。 多層建て列車なら滝上町に知人がいたから
R273の高速バスが出来た84年も
急行「紋別」にわざわざ乗っていったな。
「大雪」「はぼろ」と繋がっていて
夏休みは13両になる日があったくらい。 多層階編成でない気動車急行というと、犬吠などの房総地区にうわじま、いよなどの四国地区、それにたかやま(高山本線)、赤倉(名古屋・新潟)といったところかな。
和歌山で南海線乗り入れ編成の分割併合を行う急行きのくにを、多層階急行に含めるべきか? >>955
愛称同じで切り落としや行先違いを含めるかどうかだね。
犬吠は水郷併結ってあったんじゃない? >>956
特急ひだの富山行きが高山で半分以上車両を切り離す(名古屋行きは増結)のは
急行のりくらからの「引継ぎ」ですね。 >>955
宗谷 天北 狩勝(富良野編成の併結はあった) ニセコ すずらん(季節急行)あたりはどうかな
中央本線 きそ は微妙か
関西・中国ならだいせん、砂丘
九州では、晩年の気動車急行は比較的単純化されていた(由布 火の山 くまがわ)
間違っていたらすまぬ >>959
狩勝と宗谷が併結してたのって客車時代? 気動車になってから?
宗谷じやなくって名寄かな、はぼろだっけ
狩勝+はまなす+天北の併結はあった >>960
客車時代があったかどうかはわからん、すまぬ、
あれらは登場時は併結だったな、その後も天北は何かをくっつけていた気がする
そういう観点から見ると気動車赤倉はすごいな、
昭和40年ごろ基本編成10両になって以来、57.11まで編成は小変更くらいでほとんど変化無し
車両面での変化はキロ28 2500投入による普通車指定席冷房化くらい。
登場から電車化まで、20年近くほとんど進化しなかったという・・・
せっかくだから赤倉貼っておきます(S50/1975・8 金山、たいした写真ではない、すまぬ)
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org700974.jpg たしかに赤倉すごい
キロ28除くとキハ58ばかりだった
で、自由席は非冷房車 名古屋からのシュプール号が赤倉を冠していたのは往年の急行赤倉を意識したのだろうか?
とがくしと南越後が統合した時に赤倉が復活したのは驚いたな。
でも戸隠が急行区間から外れたからそうなるか。 >>953
一部地域ってどこだろう?
>>955
房総地区は多層建ての宝庫だと思うが
両国(新宿)を出て千葉で分割、一方は房総西線先回り、他方は東線先回りで一周、千葉で併結して両国(新宿)に戻るなんてのを普通にやってた 同一愛称名で支線または私鉄に入る列車を調べてるけれど
私鉄側で車両を持ってる場合、愛称を新設せず国鉄の愛称で
増結○号車という扱いが多かったのかなぁ。
南海の「きのくに」 島鉄の「出島」 はそうで
名鉄の”急行”「北アルプス」は国鉄経由地鉄まで入る。
国鉄持ち列車なら妙高・志賀のように私鉄に入る編成の愛称を変えるものなんだろうね。
ただ富士急車のキハ「かわぐち」があったのは例外的か。
島鉄的なやり方なら「アルプス号 この車両は富士急行河口湖行き」となるから。 >>967
大糸線直通の急行(季節や臨時だったかも) 多層建て気動車急行天国の東北でも、「おが」「出羽」はちょっと異質だったな。 >>967-968
増1-3号車の「白馬」松本行を併結だったよ >>964
多層階が当たり前か否かなら、中央西線とか信越本線、飯山線あたりか
途中切り落とし、季節列車併結などあったが、当たり前と言うより例外レベル 多層建て
最初の頃は面白がって?というか、できるからって幹線系を軸にして枝線に分割、枝線から
併合ってやってたけど、1本遅れると破綻するから短期間でやめたよな
そのあとは多層ってほどでもないような 今残ってる多層建列車はみどり、ハウステンボス、秋田新幹線、山形新幹線か。 >>973
きのさき、まいづる、はしだて がある。 多層建てと言えばサンライズの2列車も…いつまで走ってくれるかな。コロナ収束後にでも息子を連れて乗りたいんだけど… 同じ愛称なら、サンダーバードや寝台特急さくら、あかつきは行き先分かれるだけだから多層建て列車にはならないのか。 >>967
秋田青森間で「きたかみ」と併結
秋田運転区キハ58系ハロハハハ
1日目 秋田―仙台―秋田(併結)青森
2日目 青森―金沢(略)
3日目 (略)金沢―青森
4日目 青森(解放)秋田―仙台―秋田
しらゆき・きたかみ合わせて4日で1循環 2列車併結って多層建て列車って言うかな。まぁ2階建ても多層なんだろうけど
名前の違う列車が2回は分割併合してほしいところ >>966
> 国鉄持ち列車なら妙高・志賀のように私鉄に入る編成の愛称を変えるものなんだろうね
DC時代と電車化してしばらくは長野行と湯田中行は同一名称だったよ ながと、さんべだっけ?
途中で二つに分かれて再び併結 >>981
しんじ(山陰本線経由、山口線経由)
やくも→やえがき→さんべ(山陰本線経由、美祢線経由) そういうのって、再併結するときにダイヤが狂ったらどうしてたんだ? 新日本紀行でキハ58系
タブレット携えて駅長が運転士に直立敬礼する光景は絵になる >>986
磐城浅川駅がCTC化されるちょっと前だったね
急行「奥久慈」(当該区間は普通列車で列車種別は白地)の懐かしい映像 >>944
片道7時間程度も揺られるのなら、倍払ってても快適な車両で、というのはわからんでもないが… >>989
特急・急行料金も二等は三等の二倍では? >>991
料金は交通税を含んだ額だと思ってたけど いまも等級制ならいくらという意味なら、通行税は既に廃止されている >>993
時刻表に掲載しているのは税金を含んだのが書いてあるので。
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