153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 17
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
153系、157系、165/169系、
451/471/453/473系、455/475/457系、
キハ55系、キハ56/57/58系、キハ65形、
スハ43系客車、10系寝台車、12系客車
などの急行形車両について、楽しく語りましょう♪
ベルが鳴り終わりますと、ドアが閉まります。
閉まるドアにご注意下さい。
前スレ
153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 16
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1610624897/
関連スレ
修学旅行用155・159・167系・キハ58スレ
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1250373002/
【キハ55】日光型総合スレッド【157系】
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1252886038/ 長くなったので過去スレは別レスに分けました(勝手に済まん) >>3
乙
最初のスレに前スレさえ載っていればDAT落ちでも遡れるからいいんじゃない? >>1-3乙
このスレはなんだかんだで話題尽きないね。 455の朝から晩までボックス(海側)取れた
嬉しい 残っているのはクハ455という名称だが、元は北陸本線の車両だから475系グループだし、
更に元は北陸線快速用として製造されたサハ455だから457系グループというややこしさ 急行東海が走っていたときって駅案内板はLED化されていた?まだパタパタ表示? 急行東海が何年間走っていたと思うのか?
もし最終年度なら1996年と書けよ、人に質問するに甘い!
しかも何処の駅だ?東京はLEDだし静岡はパタパタだ 定期気動車急行で最長距離を走ってたのって何だろ?
多分「宗谷」ではないかと思うんだけど。 >>16
昭和の地方駅は、パタパタよりもグルグルってか幕式のイメージ >>19
函館−根室のニセコの方が長かったのでは >>21
ちょっと調べてみたら、たしかにそっちが長いね。
根室→函館の上りだけの運転だったのが、ちょっとだけ惜しい。 ニセコの次は宗谷じゃなくてしらゆきの772.4kmなんだよね
函館-稚内って思ったより近いんだよな
682.5kmしかない >>22
ヨンサントオで根室本線の急行は狩勝に統一されたのだが
なぜ上り1本だけニセコだったのか謎 みちのくの方が長そうって思ったけど、石勝線ないころだからか
C57も小樽−釧路とかいうロングランやってたんだよな。北海道、恐ろしいな
>>24
上野から青森近くまでいけるよな。北海道でかい 今更だが国鉄時代の58系気動車って、なんでグリーン車には運転室付けなかった? 準急の55系ですら好調で編成長くなる時代に急行用で2等車に運転室付けてまで編成短くするのに備えたり定員減らす理由がなかったからでしょ
国鉄値上げ時代とか急行斜陽の時代は想定してなかったで終わり
幻のステンレス急行型ではキロ用意する気あったのだろうか? >>30
> 今更だが国鉄時代の58系気動車って、なんでグリーン車には運転室付けなかった?
キハ+キロの2両編成の列車とか、全車キロの列車とかがない限り要らないじゃん 電車ではクロは結構あったのにな
でも逆に急行型気動車の普通車は中間車がなかったから
ローカル転用がスムーズにできて長い間使うことができた
というのはある 電車でのクロはM車がMM'ユニットだから11-12連組まないエリア向きと
通り抜け防止に先頭というのが好都合だったから
九州はそれが定着してJR化後もクロハやクモロになってる
分割併合気動車列車は支線行きはモノクラスにせざるを得なかったけどね。 >>33
151系パーラーカーは客車展望車後継のつもりで作ったので編成端に
485系クロは 書き込み中に送信してしまった
485系クロは東北方面の編成長制限(磐越西線のあいづ用?)で食堂車入り6M3Tのために新造及び既存サロ改造
ボンネット車ばかりなので非ボンネット車登場前の話
のち九州みどりに転用されて便利に使われるのは結果論
それ以降の国鉄クロクロハは10年以上間があいて分割民営化直前の地方特急短編成化の約3年間での改造で新造無し
大量改造直前に余剰クロ481を3両クハ481に格下げ改造(600番台)
していたくらいなので方針が二転三転しているのがうかがえる >>32
簡易運転台のことじゃないか?
電車のサロみたいなイメージで 急行型なら、Thsc + M' + Mc という編成もありだったかも
ローカル急行でもグリーン車に乗りたいという需要はあったろうし キハ26系にはキロハがあったり伊豆急にもクロハがあったから
昭和30年代の格差社会感は今以上だったのかもね
短区間でも下等車は嫌という客層は
パリのメトロ同様かも
身なりとか住まいとか凄まじい差だった様だし サロやキロの優等車を2両入れる長大編成の幹線急行時代の計画から20年程度で新幹線と特急化推進で急行自体が長距離輸送の主力から外されてシュリンクした訳だがその頃には153系全廃に見られる通り車両自体置き換え時期だったわけで
急行が相当数残ってかつ後継車両の新造を許すような情勢が許せば運転台付優等車は計画されたかもね
後の地方転用や短編成化を見越したのは165系のモハモハユニットの製造を抑制したくらいかな
サハ165や455は冷房電源用で少数だし >>38
民営化直前にグリーン車が大量に必要になったのは
フルムーンパスがグリーン車OKなのに
連結がないと苦情が来たからだったと思う
有明では3両編成に半室グリーンの列車もあった 783系のようなセンターデッキの車体は、合造車が造りやすいな 下降窓と普通の窓が半々のキロハ28は見てみたかった気もするな。急行なら編成両数が
長いのとキロ25やキロハ25の経験から運転台をなくしたんだろうけど
>>38
あれもモロにしなかったのはなんでだろうな。普通車からの改造で窓割がおかしくなるのが
嫌だったんだろうか。窓も改造したのあったよね >>45
新性能電車は2両ユニットということもあり
グリーン車を電動車にするのは極力避けられた 優等車の騒音対策で動力車は避けようとしてたからな
電動車どころか特急の冗長化対策の3MG化でのサロMG搭載でももめたはず
急行型に無理矢理話を引っ張るとキサロ90とかか
トレーラー入れての新系列機関の試験目的だろうけど
でもあれ自車用の4DQ-11P積んでるんだよね それがキロ28の後期改造4VKとはホント落ちぶれたもんだとしか >>46-47
151はモロあったけどね。それが理由じゃないと思うよ。スロには冷房電源積んでたし 需要増で12両化したときに増結分の二等車も電動化せざるを得なかった 東海道筋は二等旅客も多かったのだろう
今でも東海道新幹線グリーン3両付いてるし 電化区間が限られてたい新性能電車黎明期の151系と、電車も気動車も広域転属が当たり前になってきた時期の形式である485系じゃあちょっと事情も違うからな
仮にモロ483とモロ482のユニットを造ったとしても、それだと『あいづ』や他の東北特急では過供給
(例外は『ひばり』の最混雑列車くらいか)
モロ+モハとユニットなら問題は解決できるが、結局それも転属を想定すると面倒だし
例えば仙台から向日町とか金沢とかに移動する際に
「こっち(向日町)もサロは充分にあるから電動車は欲しいけどモロなんて要らんよ」
となるし 新幹線なら36型あるけど在来線は動力付き食堂車って特急や気動車含めてもモハシ150(180)とキシ80くらい
水タンクがとにかくネックになる 実は4DQ機関の音を聞く機会に恵まれなかったんだがどんな音だったのだろうか? >>56
モロ181・180-100「うちら、出戻りやあらしまへんよ」 >>59
新造車があったのは知らなかった。151系からの転用車だけだと思ってた。
それとモロは161系にも存在してたのね >>60
製造は3ユニット6両でうち1両は最後の奉公のモハ格下げ早々に事故廃車(モハ181-202) この文脈で、151・161・181系を分けて語る必要あるのか? >>63
151系最後にやめた、という見方もできる
と
181系最後にやめた、という見方もできる
だとかなり差があるような >>65
181系ってまず151系ありきの系列だろ。
481系や183系というなら話は分かるが。 モロ153やモロ450が出現しなかった理由は概ね語られてるみたいだし、この話はもういいんじゃね? じゃあクモハ450やクモハ470が造られなかった理由を頼む
交直流急行型電車は最初クモハとモハのユニットで方向転換して使う予定だったそうだが
それならクモハ同士のユニットにすれば方転の手間も省けたのに >>67
それを言ってしまうと、165系も153系ありきの系列ということになる
変更された内容(MT46、CS12 → MT54、CS15)はほぼ同じなわけだし
>>70
2Mは性能過剰だし不経済 それよりモハ450モハ470が作られなかった理由が気になる
モハ165は少数だが存在した訳だし それを言うなら奇数のモハ451と471だな。サロ、サハシ組み込めば8両貫通できたから
最初の常磐や北陸の地方急行はそれで充分だったんだよな
確かに東北や山陽の455や475の新幹線開業前の編成をみたら、モハ455やモハ475はあっても
よかった気はするけど
>>47
はずって
クロ481の100番台は床下MGなんだけど >>72
モハ450/470(M')はあるけどね
まぁ、モハ451/471(M)の話ということで
編成が長い場合がメインなら、McよりMのほうが無駄な運転台がなく座席数やコストの面で有利だけど、
直流電化区間ほどの需要がない交流電化区間(そもそも論として、交流電化というのはそういうもの)では、
小編成での運用がメインと考えられたということが大きいだろうね
無駄に車種を増やすこともないわけだし、実際それで正解だったと思う >>74
>>74
だからクモハ同士のユニットなら例えば大阪方に2ユニット、北陸方に1ユニット、その間にサロとサハシを挟めば10両編成組めるし
クモハモハユニットを両向きで使える様にして必要に応じて方向転換などの手間も省けたのにと思うんだがな >>73
451・471系にMcを設定した時点で将来のローカル線区運用を考慮
して短編成対応にしたのにMを作る理由がない。
モハ165は需要が多い東海道本線での運用のために追加された形式。
だから451・471系とは状況が異なるし製造数も20両に過ぎない。 モハ165の製造数見てもまぁ大して意味はなかったって事かな。
166対21じゃねぇ 交直流急行形車両は急行としては
結果的に長編成で大幹線のみの運行に終わった印象
短編成だったのは磐越西線くらいで
長崎線佐世保線や奥羽線山形以北や羽越線は
最後まで架線下DCだった >>75
Mcはともかく、M'cは交流機器が乗るし、
何より構造上トイレの設置が困難で、当時は容認できなかったのでは
直流車のクモハ164ですら存在しない理由のひとつがおそらくこれ
何より大きいのは、方向転換の手間のほうが車種を増やすよりも合理的だった、ということ
1965-70年当時、国鉄職員は過去最高の46万人もいたんだから 6両って「ばんだい」「日南」「かいもん」くらいかな。
九州のは併結なしで全区間サハシ外したら6連だから
「まつしま」「いわて」等併結ある「ばんだい」より短編成と言える 運転台増やす=ただでさえ高い交直流車両なのに製造単価上がってかつ運転台の分客室減るから営業サイドからはずっと嫌われてるので最初からクモハx2はやり過ぎでしょ
あと後知恵になるけど455系以降は付随車にMG積むからクモハx2単独じゃ冷房使えないね(元475&457の717-200&900台は直流区間走らないから冷房電源を変圧器巻線から取ってる) >>79 の構造上、というのは、相手ユニット側にパンタ(及び遮断器などの交流機器)が載り、しかも低屋根になるということね
>>78
長大編成のディーゼル急行、蛇が前の蛇の頭や尻尾をくわえたのがぞろぞろ続くというイメージw >>79
>>81
その場合パンタ付のクモハ450/470は実在のモハ450/470のトイレ洗面所を省略し、そこに運転室を設ければ座席定員は減らないでしょ
まあ451系も471系も登場から一年ほどでクハ451を造るという方針転換をしてるから結局は実際の通りでも良かったとは思うが、
それでもモハ450/470の製造はクハ451製造と同時でも良かったとも思うんだよな
あと165系は451/471系より後に登場して、こちらはクモハモハクハを最小単位として設計・製造されているから、451/471系とは事情が違うし 同じ列車名で直流電車と交直流電車が使われたのって急行だと『なすの』特急だと『あさま』だけだと思ったが
もしかしたら山陽新幹線開業前の急行・特急でも結構そういう例はあったのかな? >>85
山陽線系統ですぐ思いつくのだと「鷲羽」とか。 いやダイヤ改正で形式が変わったのはナシやで
飽くまで「なすの」の様に同時期に直流と交直流が併用されとった列車のみや >>85
特急だとくろしおが一時期381と485の併用 >>85
うずしおの宇野停泊が末期481だったけど >>88
> いやダイヤ改正で形式が変わったのはナシやで
そうだよ
しおじ、はと、鷲羽は「同時期に直流と交直流が併用されとった列車」だよ
例えばしおじは1970年10月1日から1973年9月30日まで181系の列車と485系の列車と583系の列車があったよ はとは牽引で博多に行ってた以外は交直流車じゃないの?
鷲羽はいつの話しか教えて欲しい。因みに70年代岡山にいた。 鷲羽は47-3改正から50-3改正まで、153系と475系が1往復ずつ。 新幹線開業前は
特別急行>普通急行>準急行>普通
↓
超特急(新幹線)>特別急行>普通急行>準急行>普通
↓
新幹線>特別急行>(普通)急行>普通
↓
新幹線>特別急行>普通
(今)
急行が無くなったのに特別急行というのはまずいと思う。 急行料金を払って乗車した思い出
【475系】
・S57.11.14(最終日)
・急行ゆのくに(京都→草津)
・いわゆる「葬式鉄」でした。
【165系】
・H8頃の夏(日付失念)
・臨時急行アルプス(甲府→塩尻)臨時急行ちくま(塩尻→京都)
・ちくまはガラガラで1ボックス独り占めでした。 >>93
はとは新幹線岡山開業で岡山-下関間の運転になった当初は181系と485系併用してた
1972年3月15日から同年11月30日までの短期間だけどな >>97
> 急行料金を払って乗車した思い出
俺急行伊豆に一回乗ったのが唯一かも知れない
特急じゃなくて普通急行に限れば
急行乗車なんて数限りなくあるが子供の頃は親に連れられてだから自分で急行料金払ってないし
自分で切符買って旅行するようになってからは周遊券ばかりだった 急行券、周遊券使える時代で自由席ならまずそれ優先で
むしろJR化後のほうが単体で買う機会が多かったかも。
九州で博多-宮崎えびの全区間とかね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています