古き良き時代の近鉄電車 4号線
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前スレ
古き良き時代の近鉄電車 3号線
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1491446521
関連スレ
【モニ5181】近鉄伊賀線【モ5000】
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1316284462 宇治山田から先は、スピード出さないから
鳥羽線+志摩線=飛ばしません
だったっけ? 志摩線は認めるが鳥羽線は線形良いから結構速いよ
飛ばしませんなんて揶揄されるのが口惜しい 鳥羽線も路盤自体は高速走行可能な複線規格で建設されたけど、
開業当初は五十鈴川−鳥羽は単線分だけしかレールを敷いてなかった。 河内山本駅の敷地が越境してたことが新聞に載ったのはいつ頃だっけ?
♪まんだ〜いひゃっかてん!のイメージソングが響き渡り、
六角形の八光信金の看板。。懐かしい
他の駅にない雑然とした街並みが好きだったし、
今もわずかに面影を残してくれてるのが嬉しい ラビットカーの1次車ユニットと、単独車の6851〜6854は
車番が大きいけど、あれって書き番じゃなくて切り抜きだったの??
沿線民なので現役時代にナマで見てるけど、書き文字にしか見えなかったんだけど ああ、やっぱり私の記憶どおり、書き文字で合ってますよね。
では↓はどう思われます?やはり贋物ですよね?
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/495554988
正面運転台窓上の車番ということなんですけど。。 >>48-49
しかし鳥羽線は半径500〜2000mのカーブが連続して直線はほとんどなく
勾配もきついから、同じ頃改良された伊賀上津〜榊原温泉口に比べると線形が悪く感じるんだね
それでも朝熊→池の浦では130km./h出せる部分があるんだけど。 志摩線は中之郷〜船津あたりの単線で急カーブを時速30km/hくらいで走る区間と
青峰トンネルの130km/h運転区間が混在するのがいいね。 >>52
1次車は数字の字体がデカイだけで
ちゃんと最初から最後まで貼り文字で
ペイントじゃないよ
ペイントは1次車のラビットマークだけ
俺も沿線住民で毎日ラビットカーは見てたし
製造時のパンフレットに写っている正面写真も
ちゃんと数字の厚みが確認できる あくまで自分の想像だけど切り抜き文字を磨き出し等で仕上げるのではなく
白もしくは白っぽいグレーで塗装していたのでは?
時代によって違うのか線区による違いかは判らないけど
他線区の車両でも写真等では塗ったように見えるものもあるね この動画の最初の方に、上本町〜布施が線路別複々線だった時代の地下線出口の貴重な映像が
https://www.youtube.com/watch?v=O7JOpwh04sE 昭和44年の年末にシールドが貫通して翌年3月15日に開通
半世紀たって土木技術も上がってるはずなのに、今の工事はあんんでこんなに遅いんだ?
今ならシールド貫通から開通まで2〜3年かかるだろ >>60の最後にもう少し長い前面展望動画があるね
自動改札機の形は全然違うとはいえ、駅の内装(柱の色など)や走ってる電車が50年たってもほぼ同じとは。。。 >>62
難波発着の特急の難波線乗り入れ開始は、開通から6日後の3月21日からだが、
開通当日にスナックカーが難波駅を発車する映像があるが、祝賀列車なのだろう >>60
27分50秒あたりからのソラリーの行先案内の表示の映像が貴重
奈良線旧急行に始まって回転中も画像を止めながら注意深く見てゆくと
奈良線臨時特急や特急そして大阪線特急等が出てくるけど大阪線特急が
「座席指定 特急」なのに対して奈良線特急は単に「特急」の表示であるのが確認できる 「行先あんない」が大阪市営地下鉄と同じ表現。
デフロスタや特徴的な渡り板が懐かしい。
>>62
上六の地下西改札の有人ラッチは有名。
オーバル形状が優雅だし、そもそも何レーンも並んでる有人ラッチ自体が国内ですでに貴重 鳥羽から賢島行き普通に乗ったら
転換クロスシートで窓脇の造花が有った
683だったのかな フジテレビのピンポンパンに出ていた緑色のキャラクター それカータン
つボイノリオがよくラジオ番組でものまねしてた ものごころついたくらいの頃に
大和西大寺で吊り掛け音のする
特急車輌を見た記憶がかすかに
あったのだが後に683とわかって
記憶は間違いでなかった と 18000は旧品流用というバイアスが掛かってたのに加えて名阪特急12000等に比べると細身なもんで
貧相に見えて仕方なかった
今更だが、謝りたい どうせすぐ後に18200系を新造するならはなから部品流用などしなければ良かったのにな
結局長持ちさせられず20年もしないうちに廃車しちゃったでしよ >>77 部品流用で完全新造より安くついたから、20年使えばコスパ的に見て十分なんでは? 18000
吊り掛けながらあの静かさは
車体構造からから?
ただ、ジョイント音は大きいから、
走行関連由来かな >>77
最後の数年は団体向けにたまに使われるくらいであとは車庫で昼寝ばかりの毎日だったとか。
実働10年ちょっとじゃない? >>76
その感覚わかる
色もスズメバチカラーからちょっと逸れた、色落ちモードの黄色と紺色
名阪や伊勢志摩よりも一段も二段も落ちる
一度も乗車経験は無かったが乗り心地はどうだったんだろ >>81
18000
加速はゆっくりだが、静かな吊り掛音
100kmは難なく出る
減速時、ブレーキシューの音は一般的な吊り掛け車と変わらない
ジョイント音はしっかりと大きめ
西大寺〜京都間で、しっかりと柿の葉寿司を売りに来る
以上は音が今もあるので良く聞いている
揺れは余り無かったと思う >>77
新造の見通しがついているからこそ、急場しのぎをした、といえるのではと。 グリル近鉄の各種押寿司、また食べたい
もう二度と食べられなくなってしまって久しい。。 >>87
松花堂弁当も好きだったな。
東京へ新幹線で行くのに名古屋駅の駅弁を買わずに、わざわざ近鉄名古屋駅の改札外売店まで買いに行ったよ。 売店がファミマに塗り潰されて、味気無くなった
大手コンビニとの提携は世の流れとはいえ、、、 ファミマはサークルKサンクスを統合化した頃からダメになってるな
パン類に当たりがない 戦前の京阪電車びわこ号の写真を見たら、背景が都ホテルだったな。 近鉄は奈良電を合併するまで京都には無縁でなかったの? 関係者には申し訳ないが京都でデパートといえば大丸と高島屋。
丸物はアウトオブ眼中 >>96
奈良電は大軌と京阪が折半して出資したから、広義では会社設立の大正後期から関わりがあったことになるね。
それにしても、近鉄はあので首の回らない奈良電をよくぞ、主要幹線にしたものだと感心するわ。 京都線は、920系がつりかけ音を唸らせて澱川鉄橋渡ってたのが思い出
その時にはもう18000系は引退してたのかなあ >>98
知ってるよ。大丸は「ダイマルさん」呼ばわりだけど、丸物はランク外。笑 KBS京都ラジオ「まるぶつWAIWAIカーニバル」
丸物百貨店が岐阜にお店を持っていたから、京都だけでなく岐阜でも放送があったんだよな。
丸物が京都近鉄になって番組名がきんてつWAIWAIカーニバルに変わった。 昭和57年頃に見物に行った
サブローシローが司会してた
屋号は近鉄百貨店になってた つボイノリオはKBSと岐阜両方のわいわいカーニバルに出演したことがあるって自慢してたな。
昔の久津川駅の写真を見たら、踏切横にでっかい丸物百貨店の看板広告が掲げられていた。 >>99
ありゃ住友不動産所有のファッションビル+レストラン街で、
阪急やマルイは一テナントにしか過ぎない。
隣に高島屋があるのに普通の百貨店形態にするかということ。 店は狭かったし、本格的なデパートとは少し違った
>>104
サブシロ時代が最後の華かな
二人のモノマネラリーは鉄板、
その後全国区になってひょうきん族でも芦屋雁之介や桂三枝はよくウケてたのは周知のとおり。
最末期は売れてない役者みたいなのが司会して客も減って悲惨 駅は八条口にあるのに店は烏丸口にあって
なんかチグハグなんだが出自が違うからどうしようもないな >>108
そんなこと言ってたら別府や吉祥寺など自社の駅がない場所にも立地してたのはどうなるよ >>108
それでも昭和40年代まで、烏丸口まで線路を延ばすための免許を持っていたから、あながち関係ないとは言えないかも。
駅の場所は中央郵便局の隣接地を想定していたらしい。
奈良電が近鉄に合併したのが昭和38年。丸物が京都近鉄になったのが昭和53年。 東寺や伏見にも丸物の小さい看板があったな
たぶん他の駅にも。。。
それでもやっぱり京都人は大丸か高島屋にゆくのでした >>109
同時ではない
カルダン化と冷房化は1982年
改番(と名古屋線転属)は1987〜1989年 そういえば9000系も奈良線・京都線から名古屋線に召し上げられたな。 >>103
シンガーソングライターの中村行延が司会してたあの番組か?
>>113
1000系の京都線版と言えなくもないな。 >>61
> 半世紀たって土木技術も上がってるはずなのに、今の工事はあんんでこんなに遅いんだ?
工事費用の配分の問題と働き方改革が関係しているらしいが他の要因もあるかと思われる。
詳しくは専門家ではないので知りまへん。 >>114
9200も3本高安へ
8810も1本高安いったけどFC11とFL54トレードすれば形式統一できるのに 奈良線と大阪・名古屋線の車両では主幹制御器の抑速段のノッチ刻みが違うとか。
その上、特急は奈良線車両と同じだと何かで見た覚えがある。 >>119
抑速段だと「保チ」「進メ」だな。
奈良に住んでたから、奈良線・京橿線のイメージが俺的には近鉄のイメージとして強い。
京都線だと、たまに急カーブ手前の上り勾配(下り勾配ではなく!)で抑速「進メ」段を使って減速する運転士がいて
驚いたことがある。 京都線で抑速段を使ったのを見たのはいずれも京都行き。
高の原手前の下り勾配と小倉手前の下り勾配。
>>120
常用制動は電空併用で込めてから電制の利き始めにタイムラグがあるから、それを嫌がってはじめから電制が利く抑速段を使用したのかも。 https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1614044047
伊賀線スレの新スレ
>>118
俺も、いやほとんどが同じことを思っているんだよな。
>>119-120
シリーズ21は線区に関係なく指令式。
南大阪線の6000番台車と京都線の3000番台車も指令式。 指令式と進め保ち式って主幹制御器の操作方法はどう違うのかね?
大まかで結構なのでこの点は説明があるとよい。 奈良線
保ち 現在の速度を維持
進 速度-
戻し 速度+
大阪線
ノッチに応じてブレーキ力が定まるから勾配に応じて均衡するノッチ選択
要は電制 大阪線の抑速制動が指令式になったのは単位スイッチ制御を使用してたから? >>125
その単位スイッチも2470系で終わったはずだね。 古き良き時代の近鉄
このタイトルで思い出したがMM’ユニットを考案したのも三菱電機の松田元彦氏?と近鉄の赤尾公之氏で共同で考えたものらしいが本当か? ↑
松田氏は知らないが赤尾氏がMM’ユニットの開発に絡んでたのはどうやら事実らしい。
福原俊一氏の日本の電車物語新性能電車編に赤尾氏の説明もあった。 >>130
三菱と言うより三菱電機と言うべし。
その後三菱電機はこれも近鉄との共同開発で換気装置(ファンデリア)の一種であるラインデリアを製品化している。
>>129
赤尾氏の説明はどの本かまでは忘れたが他の本にもあったな。
ただしその本でもミニコラム程度の説明しか書かれていないと記憶。 ラインデリアと聞くとぱっとサイデリアを連想する
CMで小林亜星がランドセル背負って踊ってた
いま思うとどうかと思う ラインデリアというと、非冷房車(冷房準備車以外)でこれを標準装備としていたのは近鉄と京急くらいだったっけ。
他社だと、むしろ冷房車の補助送風装置として利用される例が多い印象がある。
やはり普通の首振り扇風機と比べて風が弱くて物足りないのかなぁ。 子供の頃に近鉄8000系ラインデリア車の天井を見て、見た目の雰囲気で冷房車だと思っていた。
しかし冷房車なのに何故窓を全開にするのか不思議に感じた事があったな。 >>121
遅レスで恐縮だが弱め界磁進段に制限がかかっているのが標準だった8000系列で
スイッチを入れてメーター読みで120手前まで加速させた運転士を思い出した
南行き急行で木津川台が出来る少し前の山田川付近での出来事
その後もその運転士とは奈良線系統で何度か遭遇したが
常に飛ばすスピード狂だった >>135
阪急3000系は昔遅れたら120q/h振り切ったが今は遅れても110q/h以下しか出さない。
115q/hまで許容だが。 皆さん、近鉄電車をご利用くださいましてありがとうございます。
この電車は大阪難波行き快速急行、難波行きの快速急行でございます。
この電車は途中、学園前、生駒、鶴橋、上本町、日本橋に止まります。
次は学園前、学園前でございます。
学園前を出ますと、生駒まで止まりません。
休みの日に大阪へ行くときによく聞いた車内放送。
今は阪神と相互乗り入れして、放送も英語入りの自動放送に変わってしまった。 たまに肉声放送(のみで)やってるけど
変な価値観の奴が吹き込んで以降、
現在はゴザイマス式でなくなったのが残念。 まもなく西大寺、西大寺、近鉄百貨店前でございます。
奈良、生駒、難波方面はお乗り換えです。
西大寺を出ますと、京都まで止まりません。
お出口は左側で、扉は内側に開きます。一歩下がってお待ちください。
特急券はホームの係員にお渡しください。
乗車券付き特急券をお持ちの方は、係員にお見せください。 一度、京都線の各駅停車ですさまじい運転に遭遇したことがある。
車両は確か1020系。
発車時はノッチを入れたらすさまじい勢いで加速し。
停車する時もATSの速照にひっかかるぎりぎりの速度で駅に進入し、停止するまでブレーキの緩解動作はわずか。
どの駅も早着気味だった。
その後、再び同じような運転を見ることは未だできていない。