ワッチョイ無し【巨星】骨法です パート19【墜つ】
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>>552
超スローモーな動きだし、どうなんだろうね。
あまり語られないジャパボク期の話も聞きたいな。 >>548
この人ってパンクラスの選手と同級生って嘘ついて恥かいて消えた人だね。 >>555
昭和骨法上げするバカはプロレスをやたら格闘技として評価するよなw >>554
HPに書いてある説明だと、あのゆっくりの「ゆうけん」で技を練ってから、「しんけん」に進むのだそうだ
健康に良いというアピールも含めてシステマの影響があるように思う >>543
でも、その人は強かっただろ?
そしてその人は相当に憎んでるから
そりゃ悪口しか言わないだろう
そう言う裏が全く読めない人?
ところでその人、日本には帰って来てるのか? >>561
相手が受けてくれる見せ技と抵抗して来る相手に掛けるガチの技を混同する昭和骨法脳w >>559
500円や弟子の動画とか見ても弱いのわかるじゃん 別に試合で勝つ、とか喧嘩で勝つ、とか普通の連中はそこまで求めてないだろ?
ピアノや習字などのお稽古事と一緒さ。
そういう意味で派手な昭和骨法の方が面白そうだよな。 それと汗臭い男とくんずほぐれつの寝技なんて気持ち悪いよ。
かと言って立ち技メインのペチペチ平成骨法も不気味でキモい。
そうなると派手な蹴り技の昭和骨法の方が興味深いよな。
まあ、それでも昭和骨法やるよりは普通に伝統空手かボクシングでもやった方がいいだろうな。
本当の意味での練習法の方法論が確立されてるわけだし。
昭和骨法も結局は本人の身体能力が一番モノを言うわけで、練習の方法論が確立されてるわけではない(というより、堀部道場自体が机上の空論ばかりで方法論は最初から最後まで確立されてはいないが)最上晴朗と廣戸聡一についてこれる、
一部の身体能力に優れる道場生が(職人技を盗むような感覚で)独学するよりないだろうな。
堀辺正史と道場生の距離が近い昭和骨法の場合、堀辺が介入して事実上の「邪魔」をする可能性もあるから、伝統空手かボクシングをやる方がコスパもいいし確実だろう。 廣戸さんは見た目だけでなく身体能力もセンスもジャッキーチェン並みだし何者なのだろう 単なるアクション俳優崩れだよ、そりゃ演舞は上手いだろうね >>567
キャメルトロフィーっていう四駆のレースの日本代表にもなってるね。
身体能力凄かったのだろう。
時代が時代なら那須川天心みたいになってたかもな。 >時代が時代なら那須川天心みたいになってたかもな。
こんなこと書いてるから信者とか言われるんだろ… 佐藤誠の本、楽しみだな。
ほとんど資料の残っていない昭和骨法の謎がわかる >>574
骨法のネタは出尽くした感があったから、ここに来ての新情報投下に期待 キャメルトロフィーって今は、やってないが相当過酷なレースだぞ。 便乗して北條も本書きそう。
〔皆さんは骨法を誤解してます!〜イジメなんてぜーんぜん無かった〜〕 ミスターもフランス書院から出版したりして
「おぢさんとエッチしよう」 本当は小柳津が事実を書けば面白いけどな。
廣戸最上も少しは知っているしジャパボクもお布施の始まりや寝技に変わったのも知ってるし。
でも書いたら船木廣戸最上を倒し骨法トップにチョッとエッチなことしようとしただけとか言い訳する電波系な本になりそう。 >>579
性犯罪者が自伝出すのは色々社会的な問題が・・・ >>579
>>580
「愛と憎しみ、そして哀しみの骨法」〜青春を捧げて道を誤ったボクの反省記〜
・入門前夜〜剣道と日拳に明け暮れたボク、そして青学入学
・入門〜先生、師範代、そして佐藤さんと出会ったボク
・事件勃発〜最上さん、廣戸さん、佐藤さんを中心に皆去っていって1人になったボク
・師範代就任〜弱冠19歳で師範代になったボク
・青学中退〜専従者の道を選んだボク
以下続く って言うか、ミスターが昭和骨法を書くんなら絶対に買うぞ。 小柳津は日本拳法なんかやってなかった筈だぞ
剣道しか経験ないのだけれど。。 大原ってキャラなくてつまらんな、骨法らしさゼロだね >>585
キャラが立ってないからね。
でも寝技骨法好きのアンチ広戸にとっては最高のキャラだろ 俺的には骨法と言えば堀辺正史の骨法の極意と喧嘩芸骨法の2冊で完結してんだよね、要するに立ち技系で蹴り技中心の昭和骨法。
元々は空バカ観て「大山倍達すげー、極真すげー」と思い込みつつプロレスと相撲とボクシングを漠然と観つつ、佐山タイガーの蹴り技やカブキ、猪木、前田のそれに魅了され、1985年頃にプロレスも見なくなって、
武道やら格闘技やらボクシングやらともご無沙汰距離置いてる時に堀辺正史の書籍と出会って前述2冊を一気に読んで「すっげーうさんくせーけどおもしれーw」と思ってるとこに明治大に入った遊潤が、
骨法やるかボクシングやるか悩んだけれども、ボクシングにきめたよ、という報告をきいて「やっぱりうさんくせーんだw」と思ってしばらく経ってから「第一回骨法の祭典」のビデオを観て、
何だこの太鼓は?くねくね歩きは?ペチペチは?浴びせ蹴りなど派手な蹴り技はどうした?なんだこの学芸会みたいなお粗末さは?書籍に出ていた指導員の人達はどこいった?
それ以降、骨法への興味を完全に失いネットで小柳津弁当をみて「キャッツアイスタイルから柔道スタイルに変更したのか?」程度に流し見して、小柳津の惨敗を後に知って「コンセプト」が極めて短期間に変更される、
なんちゃって武道なんだと知り、いつの間にか小林よしのりとくっ付いて「武士ズム」を出してて、人知れず逝去した、と。
プロレスラーとしてのライガーの存在は知っていたが1985年以降はプロレスを観なくなったんで堀辺正史が新日ブレーンをやってたのは知らず、骨法とプロレスの関わりに関する知識は猪木の浴びせ蹴りくらいしかなかった。
だから何?ってか。
要するに俺も蹴り技の昭和骨法にしか興味がなかったわけで、寝技とペチペチの平成骨法を持ち出して「廣戸聡一と最上晴朗は試合に出ないから弱い」とか言われても困るんだよね。
上レスにもあるが、基本コンセプトが短期間でコロコロ変わる骨法で違う時代のコッパーを同一に語っても意味ないんだよね。 NO.3佐藤の骨法本楽しみだな〜
せっかくだから、最上晴朗と廣戸聡一も骨法本出して欲しいね
そして中川カールによるインタビュー形式の骨法本(小柳津弘、北条誠、大原学、カポエイラ須田竜太、霄洋明などに取材) >>586
廣戸最上は未知数だが、No.3の佐藤は柔道二段で全日本プロレスの元練習生だから寝技も強そう。 >>588
小笠原と骨法家協会(笑)の田中さんも追加 小林よしのりに堀辺正史の事をいろいろ突っ込んだら絶対に逃げるだろうな。
同じく永井豪に突っ込んだら「あの時はね〜、僕も若かったし…色々と反省しなきゃなんないよね…」みたいなことを申し訳なさそうに言いそうだよな〜。
ところでドリーム代って宝くじの共同購入だろ?
もし、万が一間違って当たってたらどうなったんだろ?
「普段からお世話になってる創始師範と局長に寄付」ってことになって堀辺正史の生活費になったんだろうな〜 >>587
「いつの間にか」が10年くらいあるじゃんwただ、その感じはわかる
俺はUVFで負けたのも知ってたけど、そこで完全に失墜したって感じはなかった
その時期惨敗を喫するなんて他もよくあった
その後もなんのかんの、堀辺さん自身はメディアに出て喋ったりしてたし、
何よりその後設立するPRIDEや、隆盛を迎えるK-1が起こす格闘技ブームに目を奪われて、
骨法のことがあんまり印象に残ってないんだよね
中の人やコアに見てた人は違うと思うが、ぼんやり眺めてた大方はそんなもんじゃないか
骨法に興味を興味を持ったのはやっぱ中の人たちの暴露話からなんだよな
あんなに知られてた団体に、こんなことあったのかっていう異常さに関心が出てしまった
言われてみると、俺もあんまり骨法の強弱には興味ないのかも
ただ、実像の一部として、強さの実像も知りたいとは思うけど 堀辺正史のお陰で武道全体を割り引いて見れるようになった。
そして宮本武蔵などの武芸者も話半分で見て聞いて、山師に近い存在なんだなとも思うようになった。
今では著名な武者修行者の殆どがある種の役者で、対戦相手、立会人、サクラとしての野次馬、弔う僧侶も含めて「劇団」を構成していたんだと本気で思っている。
要するに口先と演技の上手い戦国時代の「堀辺正史」だ。
堀辺正史が新日プロレスに潜り込んだように武芸者もまた大名に剣術師範として潜り込むのを画策してたのだろう。
その流れを汲むのが現存する全ての「日本武道」だと思う。
堀辺正史の失敗はガチ系の試合に弟子を出したこと。 小柳津北條の凡人時代に骨法が注目されたの失敗だったな。
その後のヤノタクとかの烏合ワイルドフェニックス勢が生まれたの良かったが、
そいつらは骨法に反発したからであって骨法で強くなった訳じゃないし。 なにも宮本武蔵まで疑うことはないだろう、そんなに時代を遡っても事実など確定できないさ そこまで根も葉もないかはわからないが、武蔵も基本、盛ってたと思うよ
胡散臭い連中が開いた流派が江戸時代まで続き、スポーティになったおかげで美化されてるところはある
武芸者だけでなく、戦国大名は歴史と家系を盛り、武将は手柄を盛り、職人は技術のルーツを盛り、
寺院は縁起と功徳を盛り、商人は商品の効能を盛りまくった時代だからなあ
堀辺さんと同時代でも、武術系は似たようなとこがあった
堀辺さんはプロレスや格闘技ブームに乗って、検証可能な世界で商売しようとしたのであんなことになったが、
少なくとも古武術系の人は堀辺さんを非難できないと思うよ 武術は哲学の分野だから検証可能な実験の場に出てはいけないんだよ >>596
>>598
>>599
宮本武蔵は複数居たって説もあるな。
実像は小説やバキのそれとは違うはずだ。
それ以前に収入源をどうしてるのかってことだな。
全国行脚で名を売らなければならぬドサ回り芸人歌手に近いものがあるから、定職に就くわけにもいかないし、名を傷つけるからヤクザの用心棒をやるわけにもいかない。
川崎のぼる「ムサシ」で土子泥之助の弟妹が泥之助の試合の野次馬から木戸銭を集めるシーンがあったが、建前としての弔い料名義で集めてたのではないだろうか。
そう考えると武者修行者≒旅芸人一座という>>596の説もありえなくもない。
江戸時代の力士も大名お抱えの士分だったのだから、お気に入りの武者修行者を大名が士分として抱えても不思議ではない。 >>603
当時、そう思った連中が多かったと思うよ。
あれを読んで入門したら廣戸聡一も最上晴朗も佐藤誠も誰も居なくなってて、ペちペち主体の異様な道場と知って見学した後に少なくない数の者が入門せずに帰ったはずだ。
だから会費三ヶ月分前納や、見学不可になったんだろ?
最上廣戸時代は道場破り歓迎だったのも、お断りになったし。 佐藤なんて誰も認知してないだろw
昭和ヲタマジキモいわ ペチペチペチアーック!漫画やゲームだとあんなに強いのに >>605
人が多すぎて面倒くさいからそうなったんだろ >>607
そりゃ、あれだけ格通で取り上げられたらね。
別に小柳津の力かじゃなくターザン山本と力だし。
その時期道場は儲かっただろうな。
会費以外に逆お年玉やドリーム代、父の日、母の日と金集められて。
申告もしてないだろうし。 >>610
そういう変な風習が始まったのも昭和骨法時代の指導員が抜けてからだし
それとライオネス飛鳥以外の女道場生がいないのはモモコが嫉妬するからって聞いたがマジ? 道場破りへの対処
昭和骨法・・・歓迎のスタンスで最上晴朗と廣戸聡一が対処、二人の不在時には堀辺正史が木刀持ってハッタリで追い払った
平成骨法・・・相手出来る指導員が居ないので一切お断り 元々最上さんも道場破りでその時は堀辺自ら相手をしたんだからそこは認めようや >>613
単にそいつが弱すぎただけという可能性を考えないのか
しかも武道の世界では単なる技術交流を道場破りなどと称することがままある 道場破りお断り!
こういう態度は潔くて好感が持てるぞ >>615
技術交流が道場破りだあ?
んなの聞いたことねえぞ 堀辺がやってた合気柔術では、互いに両手首をもって
腕があがったとかあがらなかったで勝った負けたなどと(脳内で)言ってた
終わっても看板を外したりしないし鼻血をだすとか顔面が陥没するとか
そういうことは絶対にない >>617
本人の中では道場破りに脳内変換されてたってことだろ。
余所者がくると多少ムキになるケースもあるしね。 >>618
それで「勝った」と言ってることはあるけど、技術交流を「道場破り」とは言わないよ
これは合気柔術系に限らないけど、懐疑的な言動をした他流経験のある見学者を痛い目に合わせて
「道場破りを撃退した」とか言ってる例はあるね 船木は、新日にいたときにいわゆる「道場破り」は見なかったそうだ
ただ、海外修行してるとき、地元のプロモーターにプロレスラー志望者のスパーの相手をしてくれと頼まれた
何かの経験者らしく、鼻っぱしらを折って欲しかったらしい
船木は依頼通りガチガチに極めまくった
これと似たようなことはあるんじゃないかな
まあ、相手はそこまでやるつもりではないだろうから、仕掛ける側が圧倒的に有利だが 昭和の頃は知らんが、現在は何処の道場でも道場破りが来たら断るだろう。
何処の誰かも知らないヤツと試合ってトラブったら面倒くさいしな。
それでもボクシングジムとかには勘違いヤンキーが来るらしいが、道場破りと言うより腕試しだろう。 >>622
「イキってすぐスパーしたけど、すぐに鼻っぱしらを折られた」とか、ボクサーやキック選手本人が語ることがあるね >>623
広島県内のヤンキーで無敵を誇った竹原もジムの下っ端プロにボッコボコにされて気を失ったとか どっかに書いてあったホージョー評
「思いっ切り明るくて、めっちゃくちゃ楽しくて、すっごく人懐っこくて、実は信じられないくらいズルい男」 >>611
金集めについて北條全く答えてなかったね。
皆さんは誤解してますだけでさ。
百子は常にイライラしてるらしいから嫉妬以前じゃないかな。
そもそも骨法には更衣室もないみたいで女子受け入れる体制なかっただろうね。
あったら小柳津が隠しカメラ付けたと思う。
>>625
その通りな印象。
Dropkickのリンクからも外されてるし、それも何かトラブルじゃないかな? こんだけ多くの人に印象残せて
今も語られ続ける。歴史の格闘分野じゃ
名を残せて、マァマァの人生だったな。 >>610
格通が取り上げる様になったのは骨法の祭典以後、それ以前から東中野は大盛況だった >>625
ハリウッド映画のキャッチコピーみたいだな >>603
胡散臭くてインチキ臭いけれども、変な説得力のある読みやすい本だったよね。
一気に読んで姿見で掌打のポーズをとったよ。 >>628
でもそれ以前は週プロで取り上げられてたから効果絶大。
60万部のバケモノ雑誌だったしね。
骨法の祭典が評価され格通に載ったわけじゃなく祭典の後援やビデオ販売はベースボールマガジンだったからね。
宣伝だよ。 >>628
思い出したが、骨法の祭典って格通(ベースボールマガジン社?)が後援って言うかプロデュースしたんじゃなかったっけ?
賓客席に二宮清純だっけか、著名なスポーツ評論家やその他がズラーッと並んでるのを見たような記憶がある。
(太鼓どんどこ、すり足スリスリのペチペチ、アーックに皆さんリアクションに困ってたようだが) 学研ムック、二見書房2冊買って、独習したぜ!
道場近かったら通ってたかも ターザンは有能なアジり屋で、編集の実務はさほどやってない
彼を信奉し、週プロを聖典と崇める若者を自分の権限で編集部に入れ、彼らを馬車馬のように働かせた
レトリックが豊かで口が達者、自分の「村」を作る
ターザンも気質が堀辺さんに似てる >>636
ターザンチルドレンは鈴木健くらいだよ。
他は別にターザン信者じゃないし。 ターザンと聞くとクルマ雑誌オプションのレーサーのターザン山田を連想してしまう。 >>633
当時は普通に好評だったよ、総合で惨敗して逃げ出したから評価落として遡ってバカにされてるけど >>632
でももクソも格通に載って道場生が増えたってのは間違いって事ですわ >>632
谷川が格通誌面で今迄骨法を完全無視してた理由を大会を開いてないからと言い訳してたんだよ、大会も開いた事だしこれからは他の格闘技同様に骨法も載せますと >>640
あのまま競技続けてもグレイシーに勝てたと思えんし
骨法のメジャー化あきらめての競技路線撤退は仕方ないわな。
格通が東中野の武道サークルを持ち上げすぎたと総括したのがすべて。 >>643
そりゃ格闘技素人堀辺の指導体制でグレイシーに勝つのは無理だろw >>636
>>637
ターザンはあの時代のプロレス・格闘技を
盛り上げたという意味では功労者ではあるな
人間的にはどうしようもないがその辺は
プロレス・格闘技関係者も五十歩百歩だし >>640
好評ってベースボールマガジンが褒めてただけで、なんじゃこりゃって意見多かったぞ。
フルコンタクトカラテとか批判してたし。
>>646
そこは石井館長とターザンでしょ。 石井館長は商売っ気が強い大山かな、谷川や柳沢が梶原
ターザンがどれだけ自覚的だったか知らないが、谷川や柳沢は自覚的にK-1を極真に見たて、梶原であろうとした
入れ込みすぎて興行運営する側になったが、この展開は望むところだったんじゃないかな 谷川は石井に使われてただけだよな。
梶原、大山はお互いに高めあった感が有るけど。 >>650
梶原一騎は当時巨人の星 あしたのジョー
キックの鬼やタイガーマスク等で大ヒット作家
同じコリアンとして大山を引き上げたってのが正しい
(梶原は大山道場時代から倍達との関係を標榜してるが
中村忠先生いわく 第4回あたりの全日本開催以前は見た事も無かったとの事) >>651
つまり春山一郎やら安田英二、石橋雅史などとの美談は嘘っぱちとw 梶原一騎は性格傾向や人脈がそんなんばっかりだから在日だと言う説があるが、明確なソースはない
評伝が書かれたために祖父の代まで経歴がわかっており、日本人と考えてよい
猪木も人脈がそんなんばっかりで、今も北朝鮮と親密だからよく疑われるが、これもネットの噂にすぎない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています