ワッチョイ無し【巨星】骨法です パート14【墜つ】
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>>945が何をどうやってどこまで調べたのか気になる
何も調べずに行ってない? >>947
>戦国時代なら想定は誰でもするだろうが、逃げる以外の対策はなかったんじゃないかな。
負けて逃げる武士たちが武装した農民(野伏)にあっさり狩られるのが現実で、
多対多の戦いでは結局は数がものをいうってのも古今東西の兵法が教えるところだし。
ソースは? >>953
横からだけど
新陰流だと柳生宗厳は『兵法百首』で「多勢に無勢は兵法(剣術)の外」って書いてたり
柳生十兵衛が残した『月之抄』では宗矩に多人数と戦うにはどうすればいいかって聞いたら
「そもそも多人数を相手にしようと思うな」と言われ
それでもどうしようもない時はどうすればいいかと聞いたら
「逃げ回って何とか一対一の状況を作るくらいしかない」
って答えてたりはする 新陰流が当時の剣術の中で特別タイマンに特化してるという話も聞かないし
戦国生まれの宗厳や宗矩でそういう認識なら
それが一般的な認識だったんじゃないのかな >>261
>ヤノタクもインタビューで言ってたけど
>ナイフ術なら試合に出ろとか言われないから
>ずっと幻想の中に生き続ける事が出来て良いんじゃないかと思う
>
>これが日本刀だと
>スポーツチャンバラに出ろと言われてしまうので
>ナイフというのは上手い落とし所
ヤノタクが入門する前からナイフ対策の技もいずれやりたいと
堀辺師範は言ってたよ >>958
>ヤノタクが入門する前から
じゃなくて
「ヤノタクが入門していた時期に」だったかもしれない
ヤノタクが骨法に入門したのは1990年だったかな?
覚えている人、いますか? >>958
ナイフ対策とナイフ術は違うんじゃないか? >>956
そう、柳生なんかは「多対一で勝つ方法は無い」と言い切ってたし
当時トップレベルだった新陰流でその程度なんだから他の武芸なんてお察し
そもそも戦場では剣術の達人より、剣術の師範でもなんでもない普通の槍持った騎馬武者の方が強かったのが現実
凡夫でも甲冑着て軍馬に乗って槍を持てば達人より強くなれるわけで、
皮肉だが、戦国時代のように現実に殺し合いやっててみんな武装してた時代ほど武芸に意味は無く
人々が武装しなくなった平和な時代ほど武芸に価値が出てくるんだ
「武芸の差は武器で埋められる」から、みんな武器持ってる戦乱の世では大した意味が無いって事 宮本武蔵からして話盛ってばっかだし、堀部と大差ないんじゃない。 武蔵の伝説が肥大していくのは死んでからだし
武蔵に限った話じゃないからそこを攻めるのもな 武蔵とか前田慶次って 当時の有名人の周りをうろちょろしてた人で
実際は特に何もしてなくて記録が残ってないから後の世の作家が話盛りやすかったんだよな
武蔵なんて同姓同名が10人以上いて どれがどの武蔵の武勇伝かはっきりしてないし
坂本龍馬なんかも実際は討幕派相手の商人であって政治的にはあんま活動してないとか >>965
武蔵が複数人説は綿谷雪が唱えた説だけど(今から見たら)論拠はすごく薄いから俗説と考えていい
綿谷の時代でそう解釈するのはしょうがない部分はあるけど 刃牙の武蔵が戦を語るのは違和感あるわ。
関ヶ原と島原の乱位しか参戦してないじゃん。しかも何の活躍もしてないし。 >>966
そなんだ
現在では結局一人と考えて良いのかな?
まあ関ケ原とか戦国時代の人だから
詳細な記録が残ってない部分もあるだろうね >>967
最近の研究だと大阪の陣では水野勝成の下で客将として迎えられてたという見方がほぼ確実
水野隊は大阪の陣でも最激戦区だったからそれなりの経験ではある
https://mizunoclan.exblog.jp/14496991/ >>969
>最近の研究だと大阪の陣では水野勝成の下で客将として迎えられてた
その頃何歳何でしょうね
結構若くないすか? >>970
年はリンク先にも書いてますけど31歳だそうです。
それが客将として迎えられる人の年齢として若い部類にはいるかは、すみません不勉強なのでわからないです。 >>971
こちらこそ失礼しました 日本史に明るくなく
関ケ原と勘違いしてました
あの時代の31歳はベテランでしょうね
関ケ原で人材も結構死んでるでしょうし
それから10数年で武将の病死も多そう >>955
>>956
>>961
君ら、柳生新陰流に対多人数の型が幾つかあるのを知っていて言ってるのかな?
君らは現代でも護身術の指導者が、最大の誤審とは危うきに身を置かない事だと言えば
護身術には危険処理は不可能と切って捨てるのかな?
大丈夫か? 古流にそういう技があるとか無いというのは単なる史実であって
現代護身術とは別問題だぞ。 >>977
応用はできるかもだけど
それが古武道大会演武みたいな死んだ型
でなく実用性のある生きた型になってるか
どうかって気もする >>931
仙田ってほとんど練習も試合もしてなかったし腹出た中年体型。
寮として使ってたマンションを提供した金持ちのボンボン。 北朝鮮が核を落とし暴力が支配する世界、
一子相伝の最強暗殺拳骨法の正統伝承者を巡っての骨肉の争い。
で骨法技のウンチクを入れながらっていうメディアミックスを
してれば受けたかもしれない。 骨法が世に出た80年代半ば世間はカンフーブームの名残りがあった
それがもし90年代半ばならバーリトゥード丸パクリの総合格闘技風武術
として世に出ただろうな。古代日本にも独自の打極投の武術があって、
俺はそれの正式継承者だと言ってそう。 東南アジアでカチン族の武術ってのが90年代に出てきたけど、すぐにグレイシーのパクリってばれて消えたよ 柘植が小柄な部族に格闘技を指導したと書いてた
あと、草ムエタイの試合に飛び入り参加して勝ったとか 少なくとも確かな実力が伴っていれば多少のハッタリは反故にできたのかもしれないが
伝承もウソなら腕もヘボだから弁明のしようがない 所詮はどんな流派も創始者は詐欺師だ
でも、本人が強ければそれが伝説になって嘘も歴史になるが
骨法は堀辺がヘタレ過ぎた
そもそも本人が戦いもしなかったんだから 今書店で並んでる吉丸先生のお弟子さんの合気技術本に
換骨拳時代の堀辺さんの写真がある。 >>991
人脈はあるのに、
肝心の技術面に活かせなかったのか痛かったな。 人脈と言っても手首を捏ね繰り回してるだけで天下無双だと言ってるような集団ではどうにもならない >>990
最上晴朗は堀辺正史と戦って負けて弟子入りらしいが… >>991
堀辺が骨法名乗って一躍時の人になったのを
かつての修行仲間はどんな気持ちで見てたんだろう。
ショーンKを見て「ホラッチョだ!」
「あいつ昔から変わらねえな」と口にした
地元の同級生と同じ感想抱いたのだろうか。 佐川派自体が誇大広告だから
正統じゃない、合気がわかってない、という低次元の憤りしかないよ このスレッドは1000を超えました。
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