国鉄の広大な車輌転属・貸し出し
東北⇔九州の転属も普通にあった。
夏の北海道は内地からのかき集め編成列車が設定された 1985.7.25.
敦賀機関区で御召機関車撮影会
[敦賀]EF70 36、EF81 120
[長町]ED75 121
[鹿児島]ED76 55
[篠ノ井]EF64 58
50Hzや直流機まで借りてきていた 早期落成で宮原配属前のオハネフ25 0番台を
南シナに貸出して臨時のあさかぜ51号に使った。
100番台200番台はそれからまもなく当たり前
になったが折妻イケメンのゼロ番台のあさかぜ
が走ったのは最初で最後であったろう。
臨時のあさかぜはその前は20系で、その後
また20系に戻りなんとJRになるまで続いた。 地味なところで EF58 114
東海道線電化開業(つーことは山陽線は
まだ蒸気機関車)のために新製。
そんな石器時代は東京機関区でブルトレ塗装で
20系を牽引。
電化の西進と共に広島機関区まで流される。
が山陽新幹線開業、大阪京都口寝台特急削減
により北遷されて宇都宮機関区でEF56 57を追い出す。その頃は山手貨物線でもクワガタみたいな茶色いEF12とか15とか普通に見られた。
間もなく電気暖房化でSGを去勢されて機械の
体になる。EG化されHゴム化されたゴハチなんてPFみたいなもんじゃんという言われなき誹謗中傷を受ける。田端機関区に佇む114号機の
前梁側面のジャンパ栓はかつての山陽ブルトレ
牽引の栄光の名残りであった。 >>23 >>24
浦和電車区のクハ103ATC車が国鉄末期の転属回送の控車として関東→関西→関東を同伴した
雑誌投稿で写真が残っているはず クハ103-13・クハ103-14
池袋→品川→明石→豊田→宮城野 EF64 1-12
[福]→[稲二]
奥羽本線板谷峠用に新製されたが交流電化に伴い中央・篠ノ井線に転勤 EF62 山地の勾配をぐんぐん登る設計なのに高二、信越本線から下関の東海道山陽線に転じて平地を高速で突っ走る使われ方して寿命を縮める
C62 東海道山陽の平地を高速で突っ走る仕様
なのに最後は函館本線山線に回されて高速で
勾配を無理して登る使われ方をして寿命を
縮める。 クハ115-2100の一部
沼津→新潟
身延線用として新製されたが、越後・弥彦線電化開業向けのために
温暖な太平洋側から寒さ厳しい日本海側へ転勤 ED60 4・5
作並機関区→鳳電車区→竜華機関区 EF5844
長岡→・・→宮原→下関→竜華
茶色大窓ツララ切→・・→標準色Hゴム→→シールドビーム2灯化
活躍場所&仕様は時代に合わせて変化 サロ113
大船・幕張→高槻・宮原→幕張
定員48名が災いして関西に転属したものの、需要は少ないので関東へ復帰 >>48
>東北の支線特急で分割併合を計画されたクハ481-200は
>隙間風の問題で結局温暖な九州に放出されたし
そのクハ481-200番代は、JR九州になってRED EXPRESS仕様に改造される際に非貫通化改造された。 サロ481-26/27→→サロ181-1051/1052→→サロ110-302/303
大ムコ→鹿カコ→新ニイ→静シス→南コツ
481系として生まれ181系に変身し113系に再変身 クハ111-86/407
日根野→幕張
国鉄末期、阪和色のまま関東に移動 クハ481-201(※クロハ481-213時代もあり)
盛アオ→秋アキ→門ミフ→天ヒネ→福フチ※→金サワ
東北→九州→関西→北陸 まさか西のクハ103初期車が国鉄時代に関東から来たものだとは思わなかった
クハだけ初期車が多い事に当初はあれ?と思ったがまさか元関東車だとは
(ちなみに僕はJR化後生まれなので国鉄時代の事はよく知らない) クハ103−1には1991-1992年に大阪環状線で乗った 2004年11月5日〜12月17日まで、
小山115系7連1本が幕張へ貸し出され、サハ1両抜いて6連で
千葉以東の総武・成田線で運用(当時の房総ローカルでは珍しい全車ロングシート)。
これは2004年9月4日夕方、豪雨で酒々井駅線路が冠水。
そこを113系6連が酒々井駅へ進入し、機器類が水没し故障。
不足を補うために、小山から湘南色塗装のまま貸し出され、
幕は幕張用のものをきちんと使用されていたものの、
千葉駅では「成田へ行くのに、この色の電車で合っているのかしら」などと、不安そうに見つめる客がいた。
12月21日に7連に戻して東大宮へ回送され、翌年1月に宇都宮線でのさよなら運転で使用された。 阪和線の車両は、京浜東北線のお下がり車両って当初は冗談で言おうとしたが、まさか本当に元京浜東北線車だったとは… クモユニ143
沼津→長岡→幕張
仕事を求め北へ南へ クモハ103-48とクハ103-48
両者とも4色経験 壮大な矛盾といえば
1980年ごろのキハ28の転属もだな
新潟地区急行冷房化を目的に九州から冷房車を転入させた一方
非冷房車を新潟から九州に転出させた
上越新幹線開業による急行列車の縮小とか
越後線・弥彦線電化が迫っている時期で
気動車がすでに余剰となる気配濃厚だったのにな
新幹線開業で大半が廃止になるのだから
非冷房28を新潟地区でそのまま使い
温暖な九州で冷房28をキハ26などの置き換えに回せばよかったはず あと越後線・弥彦線電化の数年前にキハ40系を大量投入して
車齢20年程度と更新すればまだまだ使えるキハ20を廃車にしたのは
無駄遣いの最たる例だろ
鉄道ピクトリアルの中でも批判的内容の記事があった
上記路線電化を機にキハ40系の半数が西日本方面に転属したのだし
結果として壮大な金の無駄で大失敗だったということ
キハ28の九州と新潟地区の交換もしかり
夏の暑い九州に非冷房車を転出させるのは愚の骨頂 キハ58 105
和歌山→水戸→千葉→大分→千葉→水戸→盛岡→弘前
架線注意 >>84 通勤通学対策もあるのでは?越後線にキハ35も入ってたが、2ドアのキハ20系はラッシュ時の乗降に時間がかかりダイヤ乱れの原因になる。キハ35は冬季、隙間風多いからキハ40系大量投入して置換え進めるのが無難。 南アーバンのクハ103広域転配車で2011年以後も残存した非ユニット窓車はクハ103-127と-135の2両のみ キハ58 1
新潟→鹿児島→小郡→豊岡→福知山→豊岡→米子 1985.4.29.
米原機関区撮影会
[米原]EF58 36、EF58 74、EF58 96
[宮原]EF58 138
[東京]EF58 61
厳密に言うとEF58 61(新鶴見より貸出)以外は廃車前提だったけど
この撮影会のためにわざわざ整備された 415-500の一部
勝田→南福岡→鹿児島
つくば博用に登場したオールロングシート車両
国鉄末期415-1500増備中に一部が九州へ玉突き転属
民営化後もさらに最南端へ異動 国鉄民営化直前、予讃本線・土讃本線高松〜多度津〜琴平間電化用のため、
静岡運転所から四国へ送り込まれた111系 デカ目グロベンでしたよね
いかにも「くれてやった」感じ オハ/オハフ50-2000→5000
61-11で仕事を失った50系電暖付は青函トンネル開業用として62-3までに全国の工場で改造された
種車は米子、福知山、亀山など西日本より
改造は後藤、広島、鷹取、名古屋、松任、長野、大宮、土崎、五稜郭、苗穂、釧路
全国組織ならではの短期集中工事 カニ24 3
向日町→品川→青森→秋田→向日町→鹿児島→熊本 >>88
キハ58の1号車は終始一貫して非冷房のままで一生を終えた EF81 400
酒田区等からかき集めたEF81をEF30の後釜として門司区及び大分区に配置
何故か全車日立製で統一されていた DD51 791
鷲別→美濃太田
二代目ユーロライナー専用塗装機ははるばる鷲別からやって来た キハ47 502
新潟→高松→高知→徳島→松山→徳島
新潟で生まれた後、四国全県制覇 100系G1~G7編成他 JR東海→JR西日本に譲渡 クハ455-55 金沢→仙台
クハ455-65 仙台→金沢
ほぼ同時期にトレードされているけど、なにか理由があったのか不明 EF65 1019
広島→下関→宇都宮→田端
呉線電化開業用として新製配置
昭和62年3月初代スーパーエクスプレスレインボー専用色になる EF81 81
富山第二→内郷→田端
日本海縦貫線輸送力増強用として新製配置
昭和60年3月御召列車牽引のため整備 105系4扉車
改造種車は常磐緩行線等から捻出された103系 381系
出雲→日根野
昭和61年に6両編成×3本=18両が移籍 国鉄時代は関西では国電は嫌われていたと想像した
何でも私鉄に客が流れていたとされている模様
JR西日本になって独自設計の221系が登場し、一気に客をJRへ取り戻したそうな >>107
117系の登場で国鉄にもある程度戻ってたけど、それでも1976年11月以降の
運賃格差は如何ともしがたいことから急速なシェア拡大にはならなかった。
JRになってから221系の登場に加えて運賃格差も縮小し、阪神大震災からの
復旧が私鉄よりも早かったこともあって、JRが一気にシェアを拡大した。 キハ180-23 米子→高松
キハ180-24 向日町→高松 クモハ475-40+モハ474-40
門ミフ→金サワ
交直流急行型は特急型に比べて広域転配が少ない DD54の置き換え用のために早岐・鳥栖などから米子機関区に転属したDD51 EF80の置き換え用のために酒田・富山などから田端機関区に転属したEF81 クロ481
1-2:仙台→南福岡
3-5:仙台→鹿児島(クハ481-600化も同時施工)
101-104:仙台→南福岡 583系→715系1000番台
向日町→仙台
小倉、郡山、土崎の各工場で改造 >>36
クモハ165-141(クモハ165のラストナンバー)
新潟→大垣→松本→日根野 クハネ581
盛アオ→門ミフ
定員の多いクハネ583を優先的に東北特急へ充当するため
クハネ581は玉突きで転属 119系
豊橋機関区→静岡運転所→大垣車両区
(近いっ) 583系ラストナンバー8M5T
南福岡→青森
九州特急全廃時、ほとんどは向日町に転出したがラストナンバーは青森へ >>113
1981年 ちょっと古臭い初期型24系や25形の
ゆうづるは見た限りいつもEF81牽引になってたな。一方でかろうじて残っていた旧客鈍行
は皆EF80だった。 EF80は初期型はもう見かけず、一番若いのは29だったかな。
北陸からやってきたEF81に全て置き換わるんだろうと思ってたが、1985年に302と301?が
関門に帰って行ったのは意外だった。
EF80は新金線通って新小岩まで顔出してたのが
面白いねえ >>121
門司区に301/302が帰ったのは先輩EF30淘汰の最適解ですからね
日本海縦貫線育ちも合流して民営化前後に重連仕様になった 昭和61年11月1日の国鉄最後のダイヤ改正で特急「まつかぜ」廃止により、
キハ181系12両が向日町運転所から米子運転所へ転属
キハ180を先頭車化改造したキハ181-101も含まれていた。 >>122
301と302は田端ではゆうづるも牽引してた
はずだけど、写真が見つからないね。
その後門司に帰ってからは同様に東京・関西と
九州間のさくらはやぶさみずほ富士あさかぜ
なはあかつき彗星全てマーク付きで引いてたはず。花形運用で東から西というのはかなり珍しいかも。まさに広域配転の醍醐味かな? >>124
EF81301
短期間ながら「ゆうづる」「さくら」画像ありましたよ
ヘッドマーク復活直後で良い時代でしたね
民営化後は重連で貨物仕業に従事することになりましたし DD50 4
DF40が改造工事中、土讃本線で使用された EF65 501-504
東京→下関→沼津→
ブルトレ牽引時代は毎晩約1000kmを走り続けていたから実際は書類上だけ下関へ移籍
PFに主役の座を渡してからは地味な貨物運用へ 128(σ・∀・)σゲッツ!!
128キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
128(・∀・)イイ!! キハ82-33+キハ80-39+キハ80-40+キハ80-41+キハ80-53+キハ82-37
鹿児島→函館 129と言えばEF58 129。
このスレの趣旨とは逆であるが
61 68 124 148らと共に新製以来ずっと東京機関区を離れなかったカマのひとつである。
お召や創臨含めて首都圏の臨時客車列車の旺盛な需要に蒸気暖房で柔軟に対応する為、或いは東京機関区持ちの台車検査の代車として程度の良いのを置いておきたかったという事か? キロ80 5→キハ82 902
尾久→秋田→[改造]→鹿児島→和歌山→秋田→札幌
「はつかり」のデビューから全国各地を転々とした
最後は「オホーツク」脱線事故にあい現地解体の廃車 一方でキロ80 3・4は改造されず終始一貫してキハ81と運命を共にした。 >>131
確か廃車までの走行距離がいちばん短かったんですよね
モッタイナイ >>131
そんな129も最後は下関移籍組になり荷レ運用で引退 オハネ14/スハネフ14の一部
早岐→尾久→[改造]→札幌
九州ブルトレとして走り始めたが
最終的には北海道を走り回ることに カニ24 3
向日町→品川→青森→秋田→向日町→鹿児島→熊本
北から南まで発電し続けてきた 千葉気動車区
1968年頃全国各地に配置予定の新車を海水浴臨に充当するために借り入れていた 本州から北海道に貸し出されたキハ55
急行「すずらん」で使用されて苗穂機関区に配置されたが、厳冬期になると本州に戻された モハ484/485-1501〜1507
青森→札幌→青森→向日町→上沼垂
1985年から1986年にかけて一時期だけ向日町に所属 EF65 1001
[新]→[宇]→[新]→[宇]→[宮]→[新]
国鉄末期、一時期だけ宮原に所属
サロンカーなにわなど団臨運用に充当 スハフ14 31(→スロフ14 703)
秋田→宮原
「サロンカーなにわ」展望車の種車
これ以外6両の種車は品川→宮原 DD51 1027
熊本→東新潟
転属時に旋回窓など耐寒耐雪仕様に改造、しばらくは九州独自の赤プレートのまま モハ112/113-219.230→クモハ112/113-813.814
千マリ→大船工場で改造→福フチ
福知山線城崎電化用として幕張から福知山へ
自力回送で西へ
クモハ113は民営化後さらに交直流化され
金サワへ移籍 >>76
>>79
名目は山手線/京浜東北線のATC化だけど
まさに国鉄の中央集権体制の弊害だよね。
東海道緩行線の105系(仮称)の却下、新快速の列車線禁止ともども大鉄局はぶちきれるわ。 EF30 1 米原機関区→門司機関区
昭和26年4月 スハフ126/16 オハ12-5 オハ12-7 オハ12-8 オハ12-9 オハ12-11 スハフ12-16 スハフ12-6 オハ12-5 オハ12-7 オハ12-8 オハ12-9 オハ12-11 スハフ12-16
サイエンストレイン エキスポ号
竜華の12系を土崎工場でパビリオンに改造
当時線路がつながっていない北海道と四国以外の全国を展示巡業
終了後、土崎工場で復旧、オハ12-11を除く6両は航路で高松に移籍 >>139
1970年代にもキハ55系が耐寒改造を受けて札幌に転属し、
冬季は札幌以南限定という条件で永続的に使用されたことがあったし、
キロ28の131と198も1973年に札幌に転属して急行ちとせ限定で使用された。 耐雪試験のため、長野機関区から夕張線に貸し出されたDF50-33 天オト→千マリ
モハ72(オレンジ)113系(ブルーライナー)
関東では斬新な感じに見えた 千マリのブルーライナー、
ゆびづめちゅうい のドアステッカーを貼ったまま走ったんかな >>96
大分所属機(後に九州所属)は転属、赤2号塗装変更、重連総括化と短期間で変化した 終戦前後 国鉄から東武鉄道へ貸出
昭和19年1月頃 貸出したまま譲渡
ナニ6051 戦災→昭和24 クハ435種車(うそ)
オニ9756 明治39年新橋工場3軸ボギー
→のち 熊谷線で使用
ナニ6050 明治35年新橋工場
ホニ5912 → のち熊谷線で使用
ホニ5914
進駐軍専用日光向け車両 昭和23年貸出24年返還
オロ31 7 (軍番号オロ23156 NEWTON)
オロ35 68 (郡番号オロ2345 HUNTS VILLE)
以上鉄ピク113
あと同じ頃、啓志線のキハ41000だったかと17m客車の貸出があったはず 大和路線の103系も本当に元山手線車だったみたいだね カニ22 53→カニ25 1
品川→向日町→青森→[改造]→長崎→向日町
パンタ付カニから24系電源車になった サハ165-1→クハ455-501
宮原→新潟→[改造]→鹿児島
山陽から上越そして南九州へ サハ455-1→クハ455-701
金沢→勝田→金沢→[改造]→金沢
サハ時代は直流、交流60Hz、交流50Hz区間を走行 クモニ143-2/3→クモハ123-2/3
長野→大垣→[改造]→広島
荷電から旅客用に変身
民営化後はさらに下関へ