国鉄の広大な車輌転属・貸し出し
東北⇔九州の転属も普通にあった。
夏の北海道は内地からのかき集め編成列車が設定された EF30 1 米原機関区→門司機関区
昭和26年4月 スハフ126/16 オハ12-5 オハ12-7 オハ12-8 オハ12-9 オハ12-11 スハフ12-16 スハフ12-6 オハ12-5 オハ12-7 オハ12-8 オハ12-9 オハ12-11 スハフ12-16
サイエンストレイン エキスポ号
竜華の12系を土崎工場でパビリオンに改造
当時線路がつながっていない北海道と四国以外の全国を展示巡業
終了後、土崎工場で復旧、オハ12-11を除く6両は航路で高松に移籍 >>139
1970年代にもキハ55系が耐寒改造を受けて札幌に転属し、
冬季は札幌以南限定という条件で永続的に使用されたことがあったし、
キロ28の131と198も1973年に札幌に転属して急行ちとせ限定で使用された。 耐雪試験のため、長野機関区から夕張線に貸し出されたDF50-33 天オト→千マリ
モハ72(オレンジ)113系(ブルーライナー)
関東では斬新な感じに見えた 千マリのブルーライナー、
ゆびづめちゅうい のドアステッカーを貼ったまま走ったんかな >>96
大分所属機(後に九州所属)は転属、赤2号塗装変更、重連総括化と短期間で変化した 終戦前後 国鉄から東武鉄道へ貸出
昭和19年1月頃 貸出したまま譲渡
ナニ6051 戦災→昭和24 クハ435種車(うそ)
オニ9756 明治39年新橋工場3軸ボギー
→のち 熊谷線で使用
ナニ6050 明治35年新橋工場
ホニ5912 → のち熊谷線で使用
ホニ5914
進駐軍専用日光向け車両 昭和23年貸出24年返還
オロ31 7 (軍番号オロ23156 NEWTON)
オロ35 68 (郡番号オロ2345 HUNTS VILLE)
以上鉄ピク113
あと同じ頃、啓志線のキハ41000だったかと17m客車の貸出があったはず 大和路線の103系も本当に元山手線車だったみたいだね カニ22 53→カニ25 1
品川→向日町→青森→[改造]→長崎→向日町
パンタ付カニから24系電源車になった サハ165-1→クハ455-501
宮原→新潟→[改造]→鹿児島
山陽から上越そして南九州へ サハ455-1→クハ455-701
金沢→勝田→金沢→[改造]→金沢
サハ時代は直流、交流60Hz、交流50Hz区間を走行 クモニ143-2/3→クモハ123-2/3
長野→大垣→[改造]→広島
荷電から旅客用に変身
民営化後はさらに下関へ クモハ100-139→クモユニ147-2→クモハ123-43
池袋→中野→[改造]→豊橋→[改造]静岡
首都圏で満員の乗客、飯田線で郵便荷物、身延線でローカル輸送 クハ165-112
下関→宮原→神領→大垣→静岡
宮原時代は153系に混じって新快速ブルーライナーとして活躍
末期は大垣夜行などで東京まで乗り入れ これを言ってはおしまいだが、国鉄時代は
全国レベルで波状的に玉突きで車輌の転配が行われるのが当たり前だった。
以前どこかのスレで確か昭和38年高崎線への
115系新製投入が筑豊本線のC51の玉突き淘汰
する様子が書かれていて興味深かった。
曰く 115系→高崎→80系→山陽線広島→C59(C60に改)→鹿児島線熊本鹿児島→C55→筑豊線路若松直方?→C51→廃車
というような感じだったと思う。 今は国鉄時代みたいに中古車活用による全国転配ができなくなったため、
JR東日本は中古車を海外に譲渡してるぐらいだからな。
もしJRが全国一元だったら海外譲渡ではなく今でも地方(中京関西含む)に
たらい回しを続けてるのは間違いないだろう。 >>165
JRから私鉄への電車譲渡も意外と増えてきていますよ
上信電鉄(107系)
富士急行(205系、209系、371系)
三岐鉄道(211系)←NEW えちぜん鉄道(119系)
ハピラインふくい・IR・IT(521系)
IGR・青い森(701系) >>165
今も長距離の急行や普通列車残っていると思う サハシ455-18→クハ455-201
南福岡→金沢→[改造]→仙台
九州から北陸、姿を変え東北へ渡り歩いた元祖先頭車化改造車 EF65 513〜517
東京→吹田第二→新鶴見→広島→吹田第二→沼津→高崎第二
民営化後はずっと高崎なのも良き EF15 58
沼津→稲沢第二→宇都宮→新鶴見→竜華 昭和28年 稲沢、東海道名古屋電化
33年 宇都宮、東北線宇都宮電化
(EF58違って勾配のある山陽線向けには
EF60が開発されつつあって西には進まない)
43年 新鶴見、首都圏東西連絡運用見直し
(翌年のEF65PFの宇都宮投入も控えているため)
47年 竜華 阪和線EF52置き換え用
こんな感じ? スハフ14 1
秋田→沼津→名古屋→美濃太田→高松→東武
国鉄→JR東海→JR四国→東武
国鉄だけでなくJRも渡り歩き遂に東武鉄道まで進出 名鉄キハ8500形
名鉄→会津鉄道→マレーシア・サバ州鉄道
JR高山線や只見線・磐越西線、東武鬼怒川線にも乗り入れ実績あり サハネ581-14〜19,36
青森→札幌
民営化直前、つまり青函トンネル開業前に渡道
とりあえず貰ってみたものの有効活用されなかった 元京王2000系・5000系
京王→伊予鉄→銚子電鉄 オハネフ24 18→スハネフ14 103
青森→[改造]→早岐→尾久
東北〜九州〜北陸 EF64 40
甲府→岡山→米子→岡山→高崎→篠ノ井
伯備線電化開業時に岡山転属、米子に貸出 東海道山陽線のEF58
下関集中配置後の荷レEF62
東北高崎線のEF58
引退後の荷レのEF64
EF60や65と共に四角い機関車はこの先50年後だって100年後だって荷物引いて走ってるんだろうな、写真撮る価値なし、と思っていた時期がボクにもありました。。 キサシ180
名古屋、尾久→米子
「しなの」「つばさ」運転終了後は「やくも」へ集結したもののすぐに廃車 昭和50年前後、新幹線が西に驀進する一方で上野口の東北上信越方面は盆暮れは多客臨で
ごった返してた。
中でも名古屋局の客車までが奥羽方面への臨時列車に駆り出されていたのが面白い。
普通に尾久や品川に貸し出されたのかと思いきや、名古屋発の東北臨として米原北陸線経由で日本海を秋田青森まで北上、間合い的に上野行きで南下、折り返して北上、返しでまた日本海を西南に下る。
これなどは国鉄本社主導で各鉄道局を跨いで
季節臨を捌いた例と言えるだろうね。
同様に千葉局佐倉の客車が東北臨に駆り出さ
れたようだが、もちろん年末年始限定。
盆は逆に各局から海水浴臨で借りる側だったろう。 房総地区は電化されるまで気動車天国だった
メーカーから出荷されたばかりのピカピカの新車を夏の海水浴臨に使ってから各地に転属していたことも 十和田湖とか信州の国鉄バスも新車を投入して夏が終わると全国に散った 103系中央西線名古屋口
京浜東北・横浜・青梅・五日市線からの転属車両 EF60 104→EF67 1
高崎第二→[改造]→瀬野→広島
関東平野を走り回っていたがセノハチの後押し機関車に変身 EF58 36
高崎二区→浜松区→宇都宮区→長岡二区→米原区→下関区
箱型車体から流線形に設計変更された変形機
米原時代は関西ブルトレの先頭にも立った クハ115-551(旧モハ115-67)
クハ115-552(旧モハ114-67)
新前橋→小山→広島(ここまで改造前)→新潟→長岡→新潟
クハ115-553(旧モハ115-69)
新前橋→広島(ここまで改造前)→新潟→長岡→新潟
1984年越後線、弥彦線電化時にモハから改造された3両
1990年代前半までは新潟近郊中心の運用だったが
長岡転属以降信越本線柏崎以西を除くすべての直流電化区間に範囲を広げ
上越国境を越える運用も少なくなかった
2014年〜2015年にE129系投入により惜しまれながら運用離脱し廃車となった EF81 42[長岡]→[酒田]→[富山二]→[門司]〜EF81 407に改造
EF81 43[長岡]→[酒田]→[富山二]→[敦賀]〜トワイライト専用機
ほぼ同時に誕生した1番違いの機関車だが運命は大きく変わってしまった オシ14 1→オハ14 701
品川→向日町→早岐→品川→[改造]→下関
九州ブルトレの食堂車として転々とし、最後は20系と組んでホリデーパルの一員に オハ14 3→オハ14 701
秋田→尾久→名古屋→[改造]→美濃太田
ユーロライナー増結用ユーロピア
ホリデーパルと同姓同名になってしまったけど出会うことはあったのかな >>189
阪和線や仙石線も元京浜東北線
というか青い103系で京阪神緩行線以外は、全て京浜東北線が由来である模様