国鉄の広大な車輌転属・貸し出し
東北⇔九州の転属も普通にあった。
夏の北海道は内地からのかき集め編成列車が設定された オハネ14 3→オロ14 851
品川→尾久→宮原→[改造]→宮原
瀬戸、さくら、みずほ→北陸→だいせん→あすか中間車 >>188
十和田湖のトップシーズンは秋の紅葉
国鉄時代の秋に十和田湖で熊本ナンバーの路線バスを見たことがある 早岐の14系が1978年10月改正で尾久に転属する際、日本海、ゆうづるで営業運転に入りながら青森経由で尾久へ移動している 1976年3月改正で品川の24系24形が青森に転属する際、半月前に品川へ新製配置となったばかりのカニ24 20・21も一緒に青森へ転属したが、
はやぶさ・富士で一旦西鹿児島を往復した後、東京到着後に編成ごと尾久へ移動し、ゆうづるのそのまま運用に入って青森へ転属している モハ484/485-1001→モハ182/183-1803
秋田→向日町→福知山→[改造]→福知山
耐寒耐雪強化型モハユニットトップナンバーは国鉄末期に向日町へ移籍、その後福知山へ
最終的に交流機器を撤去され直流化 クモヤ494/495-1→クモヤ192/193-51
水カツ→大ムコ→金サワ→名カキ→[改造]→海カキ
架線検測車。DC/AC50Hz/AC60Hzの三電源だったが最後は東海所属になり直流化。
車体色はローズピンク+クリームからブルー+イエロー。 >>200 それ面白いね。牽引は65 500だったんだろうけど、東京着後そのまま尾久に引っ張って
行ったのか、それとも北局からお迎えが来て
65 500は単機で東機に引き上げたのか?
当時の局報が残ってたらなあ。
便洗手配 尾久客車区長
とかなってたんだろう。 東京〜九州〜北海道と華麗な転属歴があるオハネ14-78の歴史
1972年9月5日に新製されて品川客車区に配置され、さくら・みずほ・あさかぜで使用
1975年3月に早岐客貨車区に転属されてあかつき・日本海・明星で使用される
1978年10月に尾久客車区へ転属され、北陸・北星・ゆうづるで使用される
1982年11月に北海道へ回送されて耐寒耐雪工事を受けてオハネ14-512となる
(耐寒耐雪工事と500番台付与後は1983年6月2日、札幌運転所へ正式転属)
1983年6月に札幌運転所へ転属したオハネ25-512は利尻・大雪・まりもに
使用されるが急行利尻の間合い運用として急行宗谷・天北の運用にも入る
寝台特急「北斗星3.4号」の北海道(札サウ)持ち編成の定期列車化と個室化の
ためにより、A・B個室合造車の増備車として改造されるために工場入場
1989年3月11日発の北斗星4号にオロハネ25-555「SA1/B1」を連結したが運用により、
オロハネ25-555は北斗星1・2号は勿論の事、臨時北斗星にも使われた 以上 スハネフ14 44
向日町→早岐→尾久→金沢→宮原→出雲
短期間で転々と移籍していたけど民営化後は「出雲」で落ち着いた モハ484/485→モハ188/189-500
青森→[改造]→長野
形式間改造車両
車体は載せ替えたがシートなどは流用 SL末期なんて広域転配だらけだけどな
北海道から九州、九州から北海道とか車検の関係でなんでもあり >>208
そのシートも数年後には載せ換えるんだなw 1985.3 高二 EF15 淘汰 EF60 竜華転出58を置換
旅客用に
*82.11 まで高二には上越仕様のEF58がいた
*80年代前半品川駅に行くと一つ目のDD13や
EF15貨物が普通に見られた
*EF60の旅客牽引は珍しい。500番台のブルトレ以来か? 84時点で紀勢東線はまだ旧型客車を使用。西線は12系に置換済。冬期暖房対応不要によりEF60で置換可能だった。 EF60+12系は長続きしませんでしたね
松本から転属してきた165系は長く活躍しました
たまに臨時急行で里帰りしていたし(笑) >>212
東海道山陽のEF62と一緒、敗戦処理だからね