国鉄の広大な車輌転属・貸し出し
東北⇔九州の転属も普通にあった。
夏の北海道は内地からのかき集め編成列車が設定された クモハ100-139→クモユニ147-2→クモハ123-43
池袋→中野→[改造]→豊橋→[改造]静岡
首都圏で満員の乗客、飯田線で郵便荷物、身延線でローカル輸送 クハ165-112
下関→宮原→神領→大垣→静岡
宮原時代は153系に混じって新快速ブルーライナーとして活躍
末期は大垣夜行などで東京まで乗り入れ これを言ってはおしまいだが、国鉄時代は
全国レベルで波状的に玉突きで車輌の転配が行われるのが当たり前だった。
以前どこかのスレで確か昭和38年高崎線への
115系新製投入が筑豊本線のC51の玉突き淘汰
する様子が書かれていて興味深かった。
曰く 115系→高崎→80系→山陽線広島→C59(C60に改)→鹿児島線熊本鹿児島→C55→筑豊線路若松直方?→C51→廃車
というような感じだったと思う。 今は国鉄時代みたいに中古車活用による全国転配ができなくなったため、
JR東日本は中古車を海外に譲渡してるぐらいだからな。
もしJRが全国一元だったら海外譲渡ではなく今でも地方(中京関西含む)に
たらい回しを続けてるのは間違いないだろう。 >>165
JRから私鉄への電車譲渡も意外と増えてきていますよ
上信電鉄(107系)
富士急行(205系、209系、371系)
三岐鉄道(211系)←NEW えちぜん鉄道(119系)
ハピラインふくい・IR・IT(521系)
IGR・青い森(701系) >>165
今も長距離の急行や普通列車残っていると思う サハシ455-18→クハ455-201
南福岡→金沢→[改造]→仙台
九州から北陸、姿を変え東北へ渡り歩いた元祖先頭車化改造車 EF65 513〜517
東京→吹田第二→新鶴見→広島→吹田第二→沼津→高崎第二
民営化後はずっと高崎なのも良き EF15 58
沼津→稲沢第二→宇都宮→新鶴見→竜華 昭和28年 稲沢、東海道名古屋電化
33年 宇都宮、東北線宇都宮電化
(EF58違って勾配のある山陽線向けには
EF60が開発されつつあって西には進まない)
43年 新鶴見、首都圏東西連絡運用見直し
(翌年のEF65PFの宇都宮投入も控えているため)
47年 竜華 阪和線EF52置き換え用
こんな感じ? スハフ14 1
秋田→沼津→名古屋→美濃太田→高松→東武
国鉄→JR東海→JR四国→東武
国鉄だけでなくJRも渡り歩き遂に東武鉄道まで進出 名鉄キハ8500形
名鉄→会津鉄道→マレーシア・サバ州鉄道
JR高山線や只見線・磐越西線、東武鬼怒川線にも乗り入れ実績あり サハネ581-14〜19,36
青森→札幌
民営化直前、つまり青函トンネル開業前に渡道
とりあえず貰ってみたものの有効活用されなかった 元京王2000系・5000系
京王→伊予鉄→銚子電鉄 オハネフ24 18→スハネフ14 103
青森→[改造]→早岐→尾久
東北〜九州〜北陸 EF64 40
甲府→岡山→米子→岡山→高崎→篠ノ井
伯備線電化開業時に岡山転属、米子に貸出 東海道山陽線のEF58
下関集中配置後の荷レEF62
東北高崎線のEF58
引退後の荷レのEF64
EF60や65と共に四角い機関車はこの先50年後だって100年後だって荷物引いて走ってるんだろうな、写真撮る価値なし、と思っていた時期がボクにもありました。。 キサシ180
名古屋、尾久→米子
「しなの」「つばさ」運転終了後は「やくも」へ集結したもののすぐに廃車 昭和50年前後、新幹線が西に驀進する一方で上野口の東北上信越方面は盆暮れは多客臨で
ごった返してた。
中でも名古屋局の客車までが奥羽方面への臨時列車に駆り出されていたのが面白い。
普通に尾久や品川に貸し出されたのかと思いきや、名古屋発の東北臨として米原北陸線経由で日本海を秋田青森まで北上、間合い的に上野行きで南下、折り返して北上、返しでまた日本海を西南に下る。
これなどは国鉄本社主導で各鉄道局を跨いで
季節臨を捌いた例と言えるだろうね。
同様に千葉局佐倉の客車が東北臨に駆り出さ
れたようだが、もちろん年末年始限定。
盆は逆に各局から海水浴臨で借りる側だったろう。 房総地区は電化されるまで気動車天国だった
メーカーから出荷されたばかりのピカピカの新車を夏の海水浴臨に使ってから各地に転属していたことも 十和田湖とか信州の国鉄バスも新車を投入して夏が終わると全国に散った 103系中央西線名古屋口
京浜東北・横浜・青梅・五日市線からの転属車両 EF60 104→EF67 1
高崎第二→[改造]→瀬野→広島
関東平野を走り回っていたがセノハチの後押し機関車に変身 EF58 36
高崎二区→浜松区→宇都宮区→長岡二区→米原区→下関区
箱型車体から流線形に設計変更された変形機
米原時代は関西ブルトレの先頭にも立った クハ115-551(旧モハ115-67)
クハ115-552(旧モハ114-67)
新前橋→小山→広島(ここまで改造前)→新潟→長岡→新潟
クハ115-553(旧モハ115-69)
新前橋→広島(ここまで改造前)→新潟→長岡→新潟
1984年越後線、弥彦線電化時にモハから改造された3両
1990年代前半までは新潟近郊中心の運用だったが
長岡転属以降信越本線柏崎以西を除くすべての直流電化区間に範囲を広げ
上越国境を越える運用も少なくなかった
2014年〜2015年にE129系投入により惜しまれながら運用離脱し廃車となった EF81 42[長岡]→[酒田]→[富山二]→[門司]〜EF81 407に改造
EF81 43[長岡]→[酒田]→[富山二]→[敦賀]〜トワイライト専用機
ほぼ同時に誕生した1番違いの機関車だが運命は大きく変わってしまった オシ14 1→オハ14 701
品川→向日町→早岐→品川→[改造]→下関
九州ブルトレの食堂車として転々とし、最後は20系と組んでホリデーパルの一員に オハ14 3→オハ14 701
秋田→尾久→名古屋→[改造]→美濃太田
ユーロライナー増結用ユーロピア
ホリデーパルと同姓同名になってしまったけど出会うことはあったのかな >>189
阪和線や仙石線も元京浜東北線
というか青い103系で京阪神緩行線以外は、全て京浜東北線が由来である模様 オハネ14 3→オロ14 851
品川→尾久→宮原→[改造]→宮原
瀬戸、さくら、みずほ→北陸→だいせん→あすか中間車 >>188
十和田湖のトップシーズンは秋の紅葉
国鉄時代の秋に十和田湖で熊本ナンバーの路線バスを見たことがある 早岐の14系が1978年10月改正で尾久に転属する際、日本海、ゆうづるで営業運転に入りながら青森経由で尾久へ移動している 1976年3月改正で品川の24系24形が青森に転属する際、半月前に品川へ新製配置となったばかりのカニ24 20・21も一緒に青森へ転属したが、
はやぶさ・富士で一旦西鹿児島を往復した後、東京到着後に編成ごと尾久へ移動し、ゆうづるのそのまま運用に入って青森へ転属している モハ484/485-1001→モハ182/183-1803
秋田→向日町→福知山→[改造]→福知山
耐寒耐雪強化型モハユニットトップナンバーは国鉄末期に向日町へ移籍、その後福知山へ
最終的に交流機器を撤去され直流化 クモヤ494/495-1→クモヤ192/193-51
水カツ→大ムコ→金サワ→名カキ→[改造]→海カキ
架線検測車。DC/AC50Hz/AC60Hzの三電源だったが最後は東海所属になり直流化。
車体色はローズピンク+クリームからブルー+イエロー。 >>200 それ面白いね。牽引は65 500だったんだろうけど、東京着後そのまま尾久に引っ張って
行ったのか、それとも北局からお迎えが来て
65 500は単機で東機に引き上げたのか?
当時の局報が残ってたらなあ。
便洗手配 尾久客車区長
とかなってたんだろう。 東京〜九州〜北海道と華麗な転属歴があるオハネ14-78の歴史
1972年9月5日に新製されて品川客車区に配置され、さくら・みずほ・あさかぜで使用
1975年3月に早岐客貨車区に転属されてあかつき・日本海・明星で使用される
1978年10月に尾久客車区へ転属され、北陸・北星・ゆうづるで使用される
1982年11月に北海道へ回送されて耐寒耐雪工事を受けてオハネ14-512となる
(耐寒耐雪工事と500番台付与後は1983年6月2日、札幌運転所へ正式転属)
1983年6月に札幌運転所へ転属したオハネ25-512は利尻・大雪・まりもに
使用されるが急行利尻の間合い運用として急行宗谷・天北の運用にも入る
寝台特急「北斗星3.4号」の北海道(札サウ)持ち編成の定期列車化と個室化の
ためにより、A・B個室合造車の増備車として改造されるために工場入場
1989年3月11日発の北斗星4号にオロハネ25-555「SA1/B1」を連結したが運用により、
オロハネ25-555は北斗星1・2号は勿論の事、臨時北斗星にも使われた 以上 スハネフ14 44
向日町→早岐→尾久→金沢→宮原→出雲
短期間で転々と移籍していたけど民営化後は「出雲」で落ち着いた モハ484/485→モハ188/189-500
青森→[改造]→長野
形式間改造車両
車体は載せ替えたがシートなどは流用 SL末期なんて広域転配だらけだけどな
北海道から九州、九州から北海道とか車検の関係でなんでもあり >>208
そのシートも数年後には載せ換えるんだなw 1985.3 高二 EF15 淘汰 EF60 竜華転出58を置換
旅客用に
*82.11 まで高二には上越仕様のEF58がいた
*80年代前半品川駅に行くと一つ目のDD13や
EF15貨物が普通に見られた
*EF60の旅客牽引は珍しい。500番台のブルトレ以来か? 84時点で紀勢東線はまだ旧型客車を使用。西線は12系に置換済。冬期暖房対応不要によりEF60で置換可能だった。 EF60+12系は長続きしませんでしたね
松本から転属してきた165系は長く活躍しました
たまに臨時急行で里帰りしていたし(笑) >>212
東海道山陽のEF62と一緒、敗戦処理だからね たまたま余っていたEG機を持ってきただけだもんね
セノハチ自力登坂のメリットはあったけれども
ゴハチ由来のスジにやっとこさ乗っかれた山男
哀れだったな(´TωT`) 左遷という表現がぴったりのEF70/ED74
北陸に特化した高性能なのに九州へ飛ばされ、たいして活躍しないまま長期休車後廃車解体 >>216
左遷、でもないかなあ、横滑りか
どちらも北陸ではありえなかった特急牽引機になっている
ED74は日豊本線の富士、EF70はみずほ、こちらは博多あさかぜも牽いていたかもしれん、誰か補足を
(EF70牽引のみずほは香椎で撮影) >>217
EF70はさくらや鳥栖辺りまでははやぶさ、鹿児島本線回りのあかつきも牽引していた気がする
特急ブルトレが14系や25形化されて以降の鳥栖以北の鹿児島本線や長崎本線のブルトレ牽引ではED72、ED73、ED75-300、ED76、EF70と特に分け隔てなく使われてたと思う
日豊本線でのED74は彗星も牽引していたと思う
EF70とED74の九州転用は左遷どころか実際には真逆でむしろ栄転と言えるかも DD54
米子→福知山
故障多発の欠陥機関車
末期はかかりつけの鷹取工場に近い福知山機関区へ集結 >>219
使い勝手の悪い少数派には丁度良い使い所なんだよ 九州の旧客はSGだったからEG搭載のEF70/ED74は貨物かブルトレ牽引しか出来なかったんですよ
軸重制限で南九州に入線不可だったのも短命理由のひとつでしょう ED74は単純にいらない子を押し付けた
EF70はED72、73の置き換え名目で押し付けた 「北陸トンネル用にEF70、それ以外の区間はED74」という当初計画だったけど
輸送量増大にするため結局EF70のみ増備という方針転換になった
60Hzで転用きくのは九州しかない DD51 0番代やEF58一次型もいらない子扱いされて真っ先に転出させられる事が多かった EF55 1
昭和61年国鉄最後の年に復活
高崎二区に所属したが生まれ育った沼津機関区まで遠征
二俣線遠江二俣機関区の転車台で方向転換と今では信じられないような活動をした夏 エキスポライナー583系
盛アオ車だけでなく大ムコから貸し出されたサロネ含む12連も充当された オロネ14 8→オハ25 553の華麗な歴史
品川「さくら」「みずほ」「あさかぜ」東京発着
↓
早岐「あかつき」「明星」「日本海」超広域運用
↓
尾久「北陸」「北星」「ゆうづる」上野発着
↓
宮原「きたぐに」急行格下げ
↓
出雲「出雲」特急返り咲き、民営化
↓
[改造]
↓
宮原「トワイライトエクスプレス」24系編入 国鉄時代の新製配置
これは末端の車輌区の要望は関係なく各管理局の車両課が本社に申請をしていた
既存車輌の移動
これは末端の現場からの要望をもとに、車輌区から各管理局に要望が出て
最終判断は管理局同士の間、もしくは管理局内で決まった
車輌の配属は各局であり、その中での配置は局が決めて末端の車輌区に伝えていた
しかし実際の運用や管理は現場がやるわけで上が決めた配置は机上の空論にすぎず、特に既存車輌の配転に関しては柔軟な対応が遅れがちであるため
現場は仕方なく貸し借りという方法での車輌のやりくりを解決策として生み出した
この貸し借りは局を飛ばして全国の各車輌区同士での了解だけで取りあえず必要な車輌を確保でき、後追いで局に連絡することで最終的に移動も返却も可能であった モハ112-69→モハ112-801→モハ414-801
大船→鳳→日根野→奈良→[改造]→福知山→向日町→[改造]→金沢
太平洋側、日本海側の両方を走った キハ65 502→キハ65 7001
松本→大分→[改造]→熊本
中央東線から九州へ異動、民営化後にジョイフルトレイン化 クハ111-110
南フナ→広ヒロ→広セキ→静シス→名シン→名カキ
クハ111-476
南フナ→広ヒロ→広セキ→天ナラ
クハ111-477
南フナ→広ヒロ→広セキ→名カキ
大船転出時、スカ色の塗分ラインで湘南色化された変形車両たち DD51796→DD181
岡山→米子→郡山→[改造]→郡山
山形新幹線の除雪機関車は西日本出身 >>165
逆に関西では今も私鉄に客が流れていたと想像
JR西日本になって周辺私鉄並に質を良くした221系が登場し、私鉄に流れていた客を一気にJR西日本に取り戻す事に成功した説があるため >>235
関西地方は国鉄末期にすでに117系が導入されていた、その後継は213系だったかもしれない。
関東は近郊型と通勤型を統合して4扉にするような事はなくて、近郊型3扉、通勤型4扉のままだっただろう。
東北は701系のような3扉ロングシート車両ではなく、417系、713系のような2扉ボックスシート車をステンレス車体にした車両で客車列車を置き換え
同等の車両を九州にも導入。配転可能にするため50Hz,60Hz両用 >>236
国鉄のままだったら、あるいは全国組織のまま民営化されていたら211系が関西にも導入されていて、逆に京阪旧3000系の早期廃車は無かったかもしれない(8000系も1本のみで終わっていたと思う)
史実で京阪旧3000系の8000系への置き換えが行われたのは、JR西日本が221系を投入した事による対抗策で「旧3000系のリニューアルじゃダメ」という判断がされたため
つまり221系が無ければ京阪特急の展開も違っていたと思う ちなみに京阪旧3000系は富山地方鉄道や大井川鉄道に譲渡されたが、逆に3扉化して京阪での続投とはならなかったのは同じ京阪の1900系の3扉化改造を行うのに苦労したためと想像する >>237
>211系が関西にも導入されていて
113系の置き換えで導入されていただろう
1990年代には新快速213系 快速211系 普通205系
N40リニューアル改造はなく、20-30年で廃車 >>239
実際の221系は、関西地区に211系が導入されなかった代替も兼ねている模様
(それで新快速/快速だけでなく大和路快速にも投入された) E217系のボックスシートも3ドア近郊型の後継というよりは、当時の関東私鉄/地下鉄のいくつかの車両(東急9000/相鉄8000・9000/営団9000/都営6300/横浜市営3000A)にボックスシートを導入していた影響という解釈で良さそうだし つまりJR東は近郊型は実質廃止され通勤型に統合されたと >>238
1900で苦労して懲りたというより、3000では1900以前と構造がかなり
違ったんじゃ?裾絞り軽量とか真ん中にドア開けちゃうと車端部が空く割に中央に3扉
が集中するとか >>243
横須賀線なんてついにセミクロス廃止だからそう言えるな。
混雑考えりゃ仕方ないが。