なつかしの小田急線 9
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小田急の複々線化が遅れたのは、沿線住民からの反対運動のためと数年前に聞いたが 1082.1083Fの予定が2051.2052Fに変更になったと想像 50000系が(10000系や20000系の様に)他社に譲渡できないから代わりに8000系が譲渡されるみたいな感じになったな VSE…ほんともったいねえ。
GSEでてもフラッグシップだったよに 1000/2000系が本来の編成数で推移してたのは2001年4月〜2004年3月までの僅か3年弱だったらしい 2600/旧4000/旧5000/5200も本来の編成数で推移してたのは僅かな間だったと思われる 現実には、小田急相模原の飛び込み事故(LSE)の影響で展望車はやめたいんだろうね 2006年…箱根湯本分断
2008年…小田原分断
2022年…藤沢分断 そこだけ複々線の当時、東北沢の新宿寄りに通過線から待避線への渡り線があるのが不思議でならなかった >>259
ということは所要時間は1分も無かったんだろうか? >>261
あれ、下北沢東北沢間の列車事故の時に乗ってて通ったわ。すごい揺れて新鮮だった。 >>261
当時の下り急行線は営団折返線のバックアップも兼ねていたので、シーサスの小田原寄りにも急行線への渡りがあり、折返線として利用するときは東北沢の手前で安全側線に進路が構成されるようになっていました。開業前に営団5000系が試運転で入線していました。東北沢の踏切より新宿側は代々木上原の構内扱いだったのだと思います。 赤の部分の渡り線ね
カーブの中にあったので16番ポイントだけど35km/hとかの制限だったように覚えてる
https://i.imgur.com/RfugVZx.jpg >>264
えっ営団5000も僅かながら小田急に来たの? 確かに千代田線に5000が走ってたのは聞いた事があるけど小田急乗り入れは元々6000だけだったよね? > 東北沢の踏切より新宿側は代々木上原の構内扱いだったのだと思います。
ということだから共同使用駅の中ってことじゃないのかな? 幻となった計画
・2600形の8連14本化計画
・1000形の4連10本/10連12本化計画
9000形半固定化は最初から繋ぎだったろうが 叔母が小田急から千代田線経由常磐線方面へ出かけたら帰ってこない
小田急車両に乗ったのに上野へ行ってしまったという。
白に青線の国鉄(JR)車の事言ってるらしかった >>264
小田急乗り入れ不可な5000系なんか使うか?
専用折り返し線だったら5000系6000系も関係ないが。 >>271
万一の場合に備えての試運転だから、実際に使う可能性がある車輌は
試運転したんじゃないかな。もっとも103-1000はしてないかもだけど。
東北沢駅にあった渡り線も2度ほど使われたそうだが、あれも9000を使って
代々木上原3-4番線からの逆線発車で折り返す試運転はしたんじゃない? >>272
103系がしてたら能勢電鉄を天神橋筋六丁目駅に入れるのと同じ。
9300系は24時代に誘導障害試験で天神橋筋六丁目駅に行ったが。 初代5000形は晩年、今の3000形と連結する事もあったが、まるで103系とE231系が連結してる様なものだったと想像した >>265
赤の渡り線、向きが逆だったかと。下りは緩行線から急行線、上りは急行線から緩行線への渡りだったと思います。赤い線の向きの渡りは上原寄りの急行線がY字になるところにあり、2番から緩行線、緩行線から3番にも進路が作れるようになってました。 >>265の赤い線の渡り線向きは逆。下りは緩行から急行へ、上りは急行から緩行へ。
さらに下り急行線の渡り線よりすぐ新宿方に安全側線。それと千代田線シーサスの真下、
下り方(図では左側)にもう一つ渡り線あり。東北沢駅内通過線に、上りから下りへの背向渡りあり。 ありがと
向きが逆だったか
もう30年近く前のことだからすっかり忘れちゃってる
こんな位置の渡り線何に使うのかと疑問に思ってた >>275
8000更新と3200の連結は
青梅線で201と233を混ぜて使ってる様なものだな
201も魔改造すれば良かったんじゃない? >>280
国鉄からJRになった時点で201の運命は決まっていた様なもの
これがずっと同じ持ち主ならなんとかなったのかもしれないが、201は全国組織→分割民営化だからね 1991年11月当時は「大型通勤車を1995年3月までに82両新造」ってあったらしいが、実際に1991年度〜1995年3月の間に作られた通勤車は1091〜1094F、1553〜1556F、1081F、2051・2052Fで計80両だったよね
つまり当時は8両固定を新造する計画はなかったのかそれとも… そもそも例の多摩線土砂崩れ事故がきっかけで8両固定編成を生み出す事になり、そのまま8両固定編成が増えていった様な感じ ロマンスカーは今後は新造せず、将来的には京王ライナーや東急Qシートみたいなものに移行すると想像した デュアルシートにする意味は小田急ではないじゃん
終日長距離の特急の需要があるんだから まぁ、今は湘南新宿ラインがある事で途中(小田原/藤沢)までそれを利用する人が多くなったんだろうな
小田原/箱根湯本や藤沢で運転系統を分断した時点で薄々感じてはいたけど >>282
1081x8は1095x10にするつもりだった(らしい) 成城学園前と世田谷代田〜東北沢が地下になる事になったから複々線工事の長期化に拍車を掛けたって感じだな 観光用にGSEとMSEがあれば他は4ドアL/Cでもいいな 一度も使わなかったワイドドア車の収納式座席
(阪急8200系ですら使ったというのに) もっと言えばJR東の湘南新宿ラインが開業した時点で小田急の衰退は始まっていたと言える
(HiSEやEXEが登場した時はまだ湘南新宿ラインは開業していない) 江ノ島特急はいつ消えてもおかしくないな
特急消えれば藤沢完全分断完了 多摩線のホームウェイも無くなったからね
もっとも小田急永山〜唐木田を特急券無しで乗る客が後を絶たなかったと想像するが… 多摩線は近くに京王相模原線があるからか利用者が少ないと想像 今は江ノ島への手段はJR東/江ノ電で、箱根への手段も小田原まではJR東で十分なんだろうな 湘南新宿ライン開業もそうだけど、JR東が近郊型という区分を廃止して4ドア車になった事により、JR東と小田急で車両のグレードがあまり変わらなくなり、その点では早いという事で湘南新宿ラインを選ぶ人が多くなってしまったんだと思う また埼京線と相鉄が直通運転を開始した事により、新宿から海老名へは埼京線・相鉄線経由で行く事もできる様になった(ただ途中に駅間がかなり長い区間があるが…)
これも小田急線の輸送形態変更に影響を及ぼしていると思われる スレチ!と言いたいところだけれども、本来の板は崩壊かな…。 50000系は10000系や20000系とは違い、譲渡すらしないというのが残念だが、その代わり(?)に8000系が西武に行く事になった HiSEの頃は湘南新宿ラインすら無かったからあの様な企画が出来たと思う
新宿〜小田原ノンストップももっと多かったと想像する >>305
相鉄が国鉄と直通運転を開始するなど、古老は腰を抜かすはずだ。 10000系/20000系よりも更に短命だった50000系 50000系が史実70000系の様な構造で作られていたら、10000/20000を超える短命車にはならなかったはずだ >>3
MMR人事部長は関係ないだろいい加減にしろ 技術的に変わったものを投入すると短命に終わるってことがよく分かった 結局面白みのない30000が一番実用性がある
中に乗っちゃえば外から見えないし不満もない 50000系VSEには3回乗った。最初に乗ったのは
デビューしてからまだ1年も経っていない
2005年の9月で箱根からの帰りの事だった。
デビュー間もないVSEに乗れた事は本当に
嬉しかった。そのVSEが20年持たずに
引退に追い込まれるなんて思ってもいなかった。 7000が最終段階の頃
秦野の古老から
「国鉄を追われた技師が作った王国」
と聞いた SE車は国鉄の設計だったけど、その後の特急も国鉄の技師によるものなのか 8000形って
同年代で考えると
デザインのヒントはウォーズマン? 8000形は時期がやや早いが西武新2000系に相当 西武では新2000系を新2000系相当(でもこちらの方が少し早い)に置き換える様な感じ 新2000系は93年頃まで作っていたので、10年前の小田急8000形で置き換えられるのは複雑な気分だ 小田急1000形が西武6000系に相当するが、小田急の方が4年早く登場しているのを見ると色んな意味で規格外さを感じる 小田急8000形…1983年就役
西武(新)2000系…1988年就役
小田急1000形…1988年就役
西武6000系…1992年就役 そう言えばこの前8061Fの搬出によって8000形は4連9本と6連10本の計96両となり、漸く8000形の現役両数が1000形を下回ったんだな(とは言っても2両の差だが)
(1000形は残り4連7本と10連7本の計98両) てか2020年以降に廃車になった小田急の車両はこれで1000系62両/1500系36両/8000系64両/50000系20両の計182両だけど、新型コロナウイルス期間中にも関わらず、豪快に解体してくれたよな
(1500系と50000系は全廃) というか通勤車の廃車が162両って事は順当に8000から置き換えていれば今頃8000が全廃(8000は元々160両)になってたはずなのに、どうして…
(2〜3年前は何か事案があったかの様に8000を無視して1000/1500をバンバン潰してた) ただ1000の更新は2021年度までに全車更新ってなってたが実際には2022年3月時点でも98両しか更新されていなかったから、うーん…
(いつぞやの旧4000新性能化みたいに金沢八景に送って更新も考えていたけど、金沢八景が許してくれなかった?) 京王は6000全廃によって一時期7000〜9000までの本線系ステンレス車が綺麗に揃っていた時期もあったが、小田急は8000がある時期に1000の廃車を開始した事によって、ステンレス車が綺麗に揃わなくなってしまった
順当に8000を置き換えていれば今頃1000〜新5000までのステンレス車が綺麗に揃っていたはずなのに、どうして…
(やっぱりワイドドア車という黒歴史があったのがネックなのか?) 小田急4000系は地下鉄直通が主体なのでなので、帯色を緑にしてほしい。
そうすれば千代田・常磐とも同じになる。
稀に常磐ではE531の快速と間違える人がいる。
同じ青系の帯なので。 >>330
小田急はイメージリーダーみたいな感じで、クリームに青線塗装を残したがってる
ような感じもする 京王だって6000系が現役の時に8000系1両廃車してるがな >>332
最終的には西武に行く事になっているし8000形は手厚く扱われている感じ
一方で1000形は当初は新車並みのリニューアルだったのが一気に廃車(しかも譲渡すら無し)に転落した事を考えると、リニューアル車もそれほど大事に扱われなさそうである
現に5200形がリニューアル後それほど年数経過せずにあっさり廃車された例がある 4000系の取手乗り入れは平日の1往復のみで孤塁を守っている。 2020年以降に廃車された車両が今のところ通勤車162両(8000系64両、1000系62両、1500系36両)、特急車(50000系)20両
通勤車は最初が8264Fだったからそのまま8000系を淘汰していれば、50000系と8000系が同時引退していたはずだが、
8264Fの次が1081Fの内6両とクハ1155.クハ1255だった辺り、わざとやった様な感じが否めない 2020年以降に廃車された通勤車→162両
8000系の総数→160両
まぁ今後はさすがに8000系から淘汰していくと思うが
6+4両の編成は無くしたいだろうし 1095Fと1096Fは、6+4両廃止に向けての試験(当初はこのまま1000系を4両10本と10両12本に再編する予定)だったろうけど以降は6+4両廃止については(貫通化を予定していたものを含め)新車で置き換えていく事になったんでしょうね ただ6+4両廃止(?)自体が、新5000系内で起きた車内傷害事件がきっかけになっているのではないかと思う
(まだ10両貫通の新5000系だったからあの程度で済んだけどこれが6+4両の編成だったらもっと大変な事になっていたかもしれないと思うと…) とりあえず1000更新打ち切りは変わらないにしても、未更新のまま残った車両の廃車を8000の後にしていればどれほど良かった事か
それなら西武に譲渡できたはずだし 順当に8000から置き換えていれば8000が2023年度に全廃で、2024年度から1000の廃車に着手していたはず
間違いなく西武だったらそうしていたはずだね
8000は8264Fの事故がきっかけだけど、1000は元々事故とかは無かったし1000の大量廃車はわざとやった感が否めない でも考えてみたら8000が一番均等的な仕様だから残るのも当然か
90〜00年代当時在籍していた通勤型で、
2600.旧5000.5200.旧4000新性能化改造は車輪径やギア比が特殊
9000もギア比等が特殊
1000は新造当時では珍しかったVVVFだからこれも規格外
でも、8000の新製時の仕様は他社の同時期の私鉄車両と似た様なシステムであり、小田急幅広通勤車全盛期の他形式の様な規格外って感じは無く割と普通の80年代の私鉄車両って感じ そうか、8000形が西武に行く事になった事から1000形が余計に勿体なく感じるのか(しかも当初は更新予定だったのが急に廃車・解体だから) 東京メトロ8000/02→更新してすぐ廃車・解体
小田急1000→本来は更新予定だったものが突如廃車・解体
これはもう更新という考えは無くなったと言える ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています