なつかしの小田急線 9
>>309
小田急が長らく常磐緩行線との車両の直通運転が行われていなかったのは、恐らく当時の国鉄が許してくれなかったから?
(9000は常磐緩行線乗り入れを想定していたみたいな事を聞いた様な気がするが) >>346 そもそも小田急、千代田線乗り入れにあまり積極的でなかったから。新宿行かないから小田急デパートの客が減る。 喜多見のことでしょ
当初案は喜多見まで千代田線が来るものだった >>351 世田谷区内で小田急に並行して走る幹線道路が無いから、喜多見まで結構曲がっくねったルートになるんだな。時間短縮のためには現状のルートの方が良いわけで。ただ、用地買収等の問題があった。 路線バスとしては屈指の頻回幹線の渋24のルートみたいな?
うろ覚えで以前世田道下を通るとか何とか計画を耳にした やはり無計画に1000形を94両も解体したため8000形になった感が否めない
(でも当初の計画では1000形は全てリニューアルする予定だったが) >>336
小田急の4000系がE531系に色が似ているというけど、それを言ったら緩行線のE233系も快速線E231系に色が似ているという事になるぞ
まぁいずれも窓上の帯の有無で少しは見分けられるが >>334
でも京王はその代わりに予定には無かった1両を製造しているのでプラマイゼロ
(今だったら間違いなく丸ごと廃車と思われるが) 2400形は明らかに重量バランスが悪そう
というか2400/2600/5000/5200は先頭車と中間車で車輪径の差が極端になっている 2400形はクハが16mでデハが19mだったらしい
京急/京成/東急や当時の京王の様な18m車ですらないという 2400系がダンプとぶつかって多摩川に転落した時,大ぜいの負傷者が狛江の佐藤病院に
運ばれた。一年後その病院は18歳の入院患者の放火で全焼多数の死者が出て、狛江に
消防団だけでなく消防署をつくるきっかけに、現在でもちっちゃい診療所があるが、周囲
の区画はかつて大病院だったことがしのばれる >>360
昔は物騒だったのだな。
>359
きちんとした理由があってそのような構成になっていた。 >>358 NSE3100系は先頭車が中間車より4m長いけど。連接車とはいえ、重量バランス保たれてるの何故だろうね? >>358
いやそのバランスっつーか敢えてなるたけ電動車を重く長くして、粘着力をキープ
した苦心の作ですぜ。電動車の車輪径が異なるのもその意図、因みに国鉄103系も。 2400形は車体の耐久性が低い経済設計的な造りをしてるのが悪い。 末期はいつもフラットが凄かったように覚えてる。HE車。 >>366
途中で書き込んじゃいました。103系は電動機の直径が大きくなったことが直接の原因かと。だからDT33は軸距も2300ミリ。301系のDT34は下揺れ枕が無いので車輪径だけで対応出来た。 >>358
Tc車の車輪径が小さいのは、バネ下重量軽減のためと聞いたことがあります。直進性が悪くなるとかで、台車だけ払下げた三岐鉄道はすぐに電動車のFS330台車に履き替えたようです。 三岐は元西武線のツリカケのT車をFS30にしたらバランス全く駄目ですぐにFS330に替えたとどこかのサイトで見た 小田急の一時期Tc車の車輪径が762ミリなのは、曲線通過の時の転向性をよくするため。
ピクに書いてあると思う。9000の時に先頭車がMcになるため廃止。
以後5200では、5000の源設計の関係から復活するが、8000で正式に廃止。
もっとも、NSEは中間台車のT台車FS46でも762ミリにしているので、
>>368のような理由もあったのだろうと思う。 まるでSLだか旧型電機だかの先台車みたいな考えだな MT異径車輪でも各社でそれぞれ異なる
阪急…T台車762mm、M台車860mm
103系…T台車860mm、M台車910mm
小田急…先頭車762mm、中間車910mm 車輪は単一仕様と思っていた
形式によって変えてるのか
すごいなあ 引退した50000系は、まだ喜多見の車庫にあるみたいだが、喜多見から搬出される可能性もあるんだろうか? このままだと8000辺りに牽引されての廃車回送とかになると思うが 海老名のミュージアムにはまだ1両分置けそうなスペースがあるみたいだが… 1000のワイドドアも結局、1両も残らなかった
日本一のワイドドア車だったが改造に改造を繰り返していたくらいだから社内的には失敗作と認めたんだろうか? 1000の通常ドア廃車は最初はコロナによる運用見直しでワイドドア車の道連れになったものだと思っていたが、結局6連も3本廃車になった辺りやはり中間車化改造が面倒と判断されたのもあると思う 本人が失敗作だと思うなら堂々と主張すればよいだろう ワイドドア車に関してはドア改造前も改造を繰り返していた模様で、余程の計画ミスだったと想像した
ドア改造前にやった事としてドア間5人掛け収納可能座席を6人掛けの通常座席に交換、吊り革を三角形から通常の丸形に交換、通路部のスタンションポールを撤去など 吊り革の形って結局2024年になっても何が正解なのかわからないな 質問です
戦時中から1970年代ごろにかけて、偽厚木で貨物用として相模線と小田急の連絡線があり、戦後はずっと小田急の側線として使われたようなのですが
この連絡線が本来の用途として使われたことはあるのでしょうか?
有識者の方、教えていただけますでしょうか。 >>386
本来の用途とはどういうことですか。
砂利線として使われたことがあるのか、貨車以外の列車の行き来があったのかとか
聞きたいわけですか。 西武譲渡第一号は8261Fで確定
また、1800以外の小田急20m4ドア通勤車が譲渡されるのも初めての事例となる >>386
亀レスですが、
厚木の連絡線は、東海道線の迂回路として作られたものです。国鉄の車両が厚木の連絡線・新宿の連絡線を通って、運行されたというのを読んだ記憶はありません。 >>391
国鉄の車輌(当時は運輸省だったりはするが)が新宿を通ってというのは、
かなりな事例が存在します。鉄道ピクトリアルの各特集号などを読んでみて。 本来なら展望車は排除したいと思われる
小田急相模原の事故があったので