なつかしの小田急線 9
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前スレの1000の人
少しは考えてくれ
誘導できなかったじゃん ,. "´;;;;;;_;;;;;;;;;;ヾヽr-、
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.|;;ゞi i .、'iユ=|r==;i´ r'iユ=、_ゝ-_、i;;;;;;;;;i
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. !ソ `'ー一彡 .::::. `ヽ、_. / .:: .ir-,/
! /// ,r'´ゝ=、__rュ,.ソヾ、///: /r.i
!_ i { _,. - 、, ...、_ ,,) i i r'
.i `ヽヽエエニヲ,ソ" ´ ./゙
丶 ヽ二二ン∪ /
ヽ、 , - ∪ ノ/ 小田急ブリッ!
ヾ、.::::::::::..,,___../
/⌒ヽゝ  ̄ ソ~⌒ヽ
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小田急ブリッ! | .| l ノ ノ
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,>、 ヽ / /ヽ 小田急ブリッ!
(( / \ \ / / ヽ )) 田中が結婚したからってお前らが結婚できる可能性が増えたわけじゃないぞ? >>5
そんなことはないよ。
じゃ、少し話題振るか。
一度だけ行われた8000+旧吊り掛け4000の連結運転、どのくらい協調したんだろうな。
旧4000の加速度は2.1km/h/s、8000はデータがないけれど2600程度とすると、2.7km/h/s
さてどのくらい?ドン突きはあったのか・・・ 関連スレ
新宿−下北沢−京都の直通が存在しなかった理由
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1674313975/
>>2
人に文句言う前にもっと早めにスレ立てて誘導もしておけや >>6
他社じゃ普通にツリカケとカルダン組んでたからね
国鉄でさえ当たり前のようにツリカケの荷電が繋がってたりした 新宿でクモニ83よく見たな・・・
足はボロだけど、運転席覗いたら115系と全く同じだったんで驚いたもんだ スタンプラリーの台帳に2200や2300はあるのに1800の顔が無い悲しい 小田急が全駅にスタンプ置いてた頃のスタンプラリー参加したかった 昔の小田急線といえば営団6000系
いかにも古くさい外観の、まさに昭和の電車
ただし登場は意外と新しく1971年とのこと
(なおジャカルタではまだ現役で走ってるかも知れない) あの宇宙的な営団6000が古臭いとは、釣りか??
と一瞬思ったが、平凡なデザインはいつまでも変わり映えしないが
奇抜なデザインは時間が経つと古臭く見えるのかもしれないね
気合入れて造った古い高級マンションの手すりとか 非常扉に窓がないデザインとか「古のSFチック」な空気がムンムンだ 小田急の踏切音は独特で昔は良く聞いてたけど、今は普段使う区間が高架化されたので、逆に残っている地平区間の踏切音を聞くと違和感を感じる 小田急の踏切音は国鉄タイプ。
甲高い私鉄タイプとは違っていて安定した音がよかった。 >>19
えっ、昔の国鉄も小田急みたいな踏切音だったの!?
(ちなみに僕は国鉄時代は生まれていないので、国鉄時代の事はよく知らない)
小田急顔大型車の車体幅が113/115、ドア位置が103とそれぞれ全く同じ寸法だった事といい、小田急って意外に国鉄を参考にしていたと想像した パイオニア台車で鋼製車ってのは小田急だけだっけ?
東急、井の頭、南海はステンレスだったから そういえば昔の小田急電車は西武とはまた違った国鉄臭があった
寒色系の内装とか。東急京王京急の、もろ私鉄というのと少し雰囲気が違うかんじ
昭和の終わりごろバイト駅員していたら、分割民営がらみで国鉄から転職してきた人が
新入社員で入ってきた。そのひとはあっという間に運転士になって、ずうっと運転しているのを
結構最近まで見かけた そうかなぁ? 小田急の明るい外装に大型車の広い車内
何より音が静かでソフトな乗り心地。中型車は私鉄臭プンプンだし
前面展望が効いて最高だったが・・
京急も800以前は寒色系内装だったから別に違和感無かったが
むしろなんか国鉄っぽいと思ったのは色以外の西武かな 西武は私鉄の中じゃ密着連結器にするのが早かったかな 小田急もまあまあ早い方だけどそれより10年くらいは早いんじゃないかな >>23
そのおかげで最近のE231/E233/E235ベースの私鉄車を見てもあまり違和感を感じなくなった
小田急顔大型車はある意味、通勤車の標準化の先駆けとなったかもしれない(なお足回り) 私鉄と旧国鉄の関係
東武/西武…東京北鉄道管理局
京王…東京西鉄道管理局
小田急/東急/京急…東京南鉄道管理局
京成…千葉鉄道管理局
とイメージしてみる 今更ながら・・・・・・
祝!小田急と千代田線の相互乗り入れ45周年! 9000形は実質的に5000形とほぼ並行製造だったので一応小田急顔世代だよね?
8000形からは明らかに別世代だけど まあ、9000/8000/1000ともに基本は小田急顔ベースに時代に合わせた改良を施したものに見える
小田急顔の正統進化というか 8000は車体こそ鋼製だけど1000以降のグループって感じ グループっていうんなら、併結前提電磁直通の1000は
オールステン車体でも8000同等で、2000から変化して
3000では暫定併結したが非貫通固定編成時代になる 3000から全く違うデザインになった感じ
8000/1000はまだ小田急顔の面影があったけど 一方、他社車両との関係は8000/1000が突然変異なだけで他は国鉄→JR東の車両に影響された作りのものが多い 小田急が京浜東北をパクったのは3000に始まった事ではない 新3000のすぐ後に出てきた205先頭化改造車はちょっと露骨すぎないかと思った
前面がラウンドさせてあるとはいえ パクリ? 全く見当違いで笑うしかない
本当に小田急ファン? 6000が無いのは旧営団車との重複を避けるため?
でも10000(HISE)とメトロ16000が共存してる時期があったが 一昨日買った「小田急2000年代の記録」ってな本の5200系を
紹介している所で「5000系と9000系のあいのこ」と書かれて
いたのにはたまげた。令和の時代にあいのこってw >>42
言葉狩り。
誉められたことではないが、ここには、そういうことは雑音さ。 幻に終わった2000形10連だが、図面はあった模様
8連にM車とT車を各1両ずつ加えた様な組成になる想定だった模様
(2090-2040-2140-2190-2290-2240-2390-2340-2440-2490?) >>44
追加
パンタグラフは2140.2240.2340.2440に設置される想定だった模様 模様模様模様 w
元運転士のTwitterで見たと書けよ 昔の6000は和紙みたいな化粧板でドア窓も小さく
非冷房で扇風機だった
小田急通勤車冷房化100%達成後も6000だけは扇風機でハズレと言われた 番号の重複を厳格に守ってるのは都営陣営だっけ?
京急は1000~2000番台しか、京成は3000番台しか使わせてもらえない、とか
まあ、利用者にはどうでも良いことなんだがなあ
小田急も順番通り5000の次は6000で良かったのに 因みに都営地下鉄5000と都電5000が重複していた
8年間くらい >>47
また小田急が8000形登場以前の車両を全廃した後もその8000形より古い車両(6128F以前)が乗り入れていたからね >>51
それだと6000形は長期に渡って重複してたなw これは迂闊ッ
三田線6000なんか印象に薄いもんですから、小田急とも関係なくすみません 似て非なる車両
2600形と5000形
1000形と2000形 >>55
2600と5000。実は乗務員室ドアの高さが50ミリ違う(5000が高い)。 2600が8連改造された時
編成番号が1からではなかったのは何故だったんだろう?
VVVF 化されたのは末尾6だった気がするが
非VVVF の8連にも末尾6があった記憶がある >>52
しかもIGBT VVVF 化されて
内装も明るいインテリアになり
当時としてはリッチな改造だった >>57
オレの推定だけれど、2651Fと2654Fの残りを使って新2654Fにしたでしょ。
もし新2651Fにしてしまうと、下り方の4輌が2621-2721-2821-2871になって、
まだ在籍していた同番号の車輌とかぶるからだろう。
なので8連×14本の計画で、新2653F〜2663Fが抵抗制御、2664F〜2666FがVVVF
というように付番することで重複をさけるつもりだったんじゃないかと。 >>60
なるほどね
結局はVVVF は1本のみだったな >>62
車体修理未施工の6連2652Fをどう改造する計画だったのかがわからないよね。
おそらく2604-2704-2804と同じく、M車のみ車体修理施工で、2653Fに組み込みだと
思うのだけれど、そうすると2764を廃車した時点で、VVVF車用のサハが不足。
なので、2752も追加施工の予定だったか、あるいは2764廃車時点で
8連化途中断念決定だったのか。謎ですな 当初は1081Fと1067〜1069Fを組み換え/一部中間車化改造して新1081/1082Fにする予定だったんじゃないかなと想像 1000は当初、4連10本と10連12本にする予定だったんじゃないかと思う まち BBSの伊勢原板に伊勢原からのビール 発送の貨物列車について興味深い 書き込みがあり。下記からの書き込み。
https://machi.to/bbs/read.cgi/kana/1680025642/373
ここは 独特の運営で、なんだか知らないけども大量に削除される時があるので注意。 小田急旧4000とJR東103-3000は似たような存在(だよね?)
素人なので詳しくは知らないが >>67
旧4000は大半新製。流用は主電動機、パンタ(割と新しい)、ドアエンジン、CPくらい。
103-3000は72系時代は、台枠、下回りのほとんど全て、パンタなどほとんどが流用。
72系から103-3000にするときも、検査予備品の流用などなので、ほとんど新製部品は無い。 >>68
旧4000ってドアエンジンも再利用してるん?片開きABFのを使えるんかな・・
CPはC-2000に取っ替えた時代の印象しかないが、初期3連はDH-25積んでたんだっけ 旧4000って今風で言えば時代に合わせたサスティナブルな編成だったんじゃないかと
旧国電の足廻り活かして大型化→ 2400のモーター再利用馬力アップして冷房化100%に貢献
冷房化というかあまり効かない冷風だったと思うけど 上には上が居て
直ぐ隣に相鉄2100と言う化け物が… >>69
ドアエンジンも再用しているよ。両開きでもロッドの違いだけだから問題無かったのだと思う。
カルダン化直前に旧4200番台と4300番台以外は新品に交換。
CPのDH25は当初は全てのMcとTc車に。5連化時にC-2000Mに交換(Mcは撤去のはずだがしばらくDH25を
残したものがあった)。3連はしばらくそのまま(一部のTcは2台搭載)だったが、さらにC-2000Mに交換。
カルダン化ではこれらを流用。
>>70
旧4000に旧形国電からの改造(流用)は無い。全て自社車輌からの部品流用。 >>73
サンクス、納得
4000カルダン化の頃に替えた新ドアエンジンの音は8000みたいな音だったね
道理で江ノ島線沿線在住時3+3各停でDH25の音を聞いた記憶があったわけだ・・・
HEも多かった時代で非冷房だらけだったなw >>73
そうだった
ABF っていうの?バス窓一枚扉の吊り掛け車がいたね
あれから足廻り流用して大型化したんだっけ?
>>71
元ネタはコデっていうつい最近まで検測で使ってた黄色の吊り掛け車だっけ?
アルミボディにのせかえてしばらくは吊り掛けだったってことかな? >>76
そのバス窓は違うんだ、それが旧型国電63形由来の1800で
戦争の関連で車両不足から鉄道省の20m 2800mm幅大型車
当時小田急通勤車の主力は16mの1600だった時代・・
バス窓車体は後年小田急側で更新後の姿
あのモーターは小田急と互換性なしでこの過去スレでも何度も書かれてる
特性が小田急標準三菱高回転モーターと全く違う国鉄型
ABFは1600、1700、1900、1910、2100という三菱モーターの
自動進段式制御器。1400以前のはHBという手動進段式で
それが最初廃車になって4000の製造開始時に使われたモーターになるよ >>74
あの8000タイプのドアエンジンに換えてから、2編成くらい「パシュー」って感じの
音がやたら大きい編成がいたよね。あれの理由がわからない。4016Fか4021Fがそうだったような。
>>75
ちがうのよ。中の人じゃ無いのよ。ただのマニアw
>>76後半
相鉄の2000系は、一度同じような形状の車体に更新されたのだけれど、いかんせん17メートル車
だったから、アルミ車体の2100系に更新。その時には吊り掛け駆動・旧形台車のまま。
後年直角カルダン化と冷房化されたけれど、さすがに今は老朽廃車に。 西武線にもあったな
旧国の足回りで作っといて、後でカルダン化冷房化したやつ 江ノ電も20系が1世代前の500の足廻り流用してるんだったな
あれも元々は吊り掛けだった >>78
音のでかい4000いたねぇ、懐かしいw
4000って東急車輛で製造してるのが多いはずでなんか関連性がありそう・・
8000、1000のドアエンジンも従来の小田急車と動きが違い
従来はプシューのあと間があってから加速してゴロゴロゴロッピタっと閉まるが
8000のは東急や京王の車みたいに一定速で閉まってた
70-80年代当時の東急8000の「ピキー」とやたらうるさいドアエンジンも
80年代後期に排気部分改造して静音化出来たくらいだから
東急車輛はその辺弄るのがお得意かもしれないな 幻の1000形10連12本化計画は多分
()内は実行
1051-1001-1101-1151-1251-1201-1401-1351-1301-1451
(1052-1002-1102-1152-1252-1202-1402-1352-1302-1452)
1053-1003-1103-1153-1253-1203-1403-1353-1303-1453
1054-1004-1104-1154-1254-1204-1404-1354-1304-1454
1055-1005-1105-1155-1255-1205-1405-1355-1305-1455
(1056-1006-1106-1156-1256-1206-1406-1356-1306-1456)
1067-1017-1117-1167-1068-1018-1118-1381-1331-1168
1069-1019-1119-1169-1081-1031-1131-1181-1431-1481
1091〜1094F(元から10連)
の計画になる予定だったと思う
2018〜2019年に1067.1069Fを4連のまま更新、その前の2017年7月に新5000形の設計を開始した時点でこの計画は中止になったと思われる 余談だが東急9000/9020(旧2000)系も全廃になるみたいだね(こちらも旧2003Fを10連で更新したけど一度も運用に入らないまま更新車を極力活用した5連3本に組み替えてしまった時点で長く使う気は無かったと思われる) 因みに、僕は2600/旧5000と103系地上車、9000と103-1000をそれぞれ似たようなものだと認識している
9000は地下直特別仕様という点が、103-1000と類似している 実質103系時代から京浜東北線をパクっていた事になる小田急線 >>84
2600形は各停運用前提設計、初代5000形は自社線内急行系運用前提設計だから同格に語っている時点でおかしいだろ 2012年度に更新された8000形は12両とも既に廃車されているんか… >>88
2600と5000は、それほど厳格に急行用、各停用と分けて運用されなかったからな。 そういう問題じゃなく103系に例えることが無駄すぎて可笑しいだけ
2600は1983年までは併結なしの各停・準急中心運用であったのは間違いない 18m車が消え始めた頃からNHEが突然急行運用に入るようになったな
NHEで乗れるようにスジ寝かせたのかな 2600は、単独運用時代でも普通に6連急行運用も、快速準急運用もあったのだが。 2600は雨天時に加速が著しく劣り遅延の原因となった
故に停車駅の少ない優等列車に回したかったのかもしれない >>90
初代5000形は起動加速度が2.4と低いから急行系で使うしかなかったという感じではあったけれど、
自社線内急行系運用前提だから低めの設定だったのは確かでしょ。
快急運転開始当初は主力だったほどだし。 9000形は地下鉄乗り入れ仕様で起動加速度が高かったので、千代田線乗り入れ運用撤退後は主に各停で運用されていた。 6連は低出力で高速伸びなかったから急行では使いにくくはあった 会社に通勤するのが嫌だったけど、2600に乗るのが気晴らしで楽しみだった
起動した一瞬だけドスのきいたひびきとか、減速する時は車でいうエンジンブレーキが利いたような音から
回生?が切れてフッと無音になるとか 旧5000は増備途中から車内の荷棚の形状が変わっていた事が確認されたが、どの車両から変更されたのかは不明
恐らく製造中断前と再開後で違う? >>100
5062Fまでが2600/初代4000と同じで、9000配備完了後の5063Fから広告付き吊り革で9000の室内レイアウトに変更。
側面種別表示もランプ切替式から9007F以降の幕式に変更。 >>101
5063F以降は製造時期的に5200と同じスタイル(一段下降窓)でも良かったような気がするけど、
なんでそうしなかったんだっけ?
単に、5200スタイルの設計に間に合わなくて急遽今までの5000の小改良版として追加したのか。
あるいはそもそも5200を出すこと自体が想定されていなかったのか。 5200と103系ATC車が同期と言う事実
子供たちにサービスする小田急は商売を分かってる 最近になって東急4000、5000みたいに大きなお友達を妨害する車両も出てきたな・・・ 小田急に限ったことじゃなく、東武以外の私鉄は昭和期何処でも前見せてくれたもんだ
関西は特に小田急でいうHEまでのかぶりつき席があるしな 90年代は湯本乗り入れてないのではなかったかな?
引退直前の数年はあった様な気がする 中型車が消えた頃からか、突然他形式と併結するようになって驚いたよ 2600の他形式との併結はよくわからない点が。
最初は旧塗装時代にFM系と8連が組めないか試運転したけど併結開始せず。
その後は5000と連結試験したものの、やはり併結開始せず。
最終的にHEと連結試験して併結開始。なんで5000との試験の時
併結開始しなかったのだろう。時代的に逆10連が割とあったから?
5000は1800や4000との併結も考慮と当時のパンフにあるのに。 へぇ 5000とツリカケの組み合わせ見てみたかったな
まぁ、脱線で一気に消え去ったんだろうけど >>112
> 5000は1800や4000との併結も考慮と当時のパンフにあるのに。
初代5000の起動加速度がやたら低いのは、そのせいもあったってことか?
確かに、起動加速度をHE並みにすると、1800や初代4000との併結ではぎくしゃくしそうだが。 元々は5200/8000/9000だけしか乗り入れていなかったような 登山線の話? 安全上、下段窓が開く車両を入れないようにしたと 確かに逆10両終了後にN6の他系併結が始まった覚えが ごめん全然記憶違いだった、、、
N6併結開始と同時に湯本行きHEが無くなったことと混同していた
http://odapedia.org/archives/2002794.html 湯本行きHE廃止が1982年7月改正でN6併結が83年だっけか
新宿地下ホーム完成が81年でその辺りの頃が一瞬あれっ?と思うことある >>113
8000が1回だけ改造前の旧4000と連結した事があったとかなんとか 車両が足りなくなり仕方なく改造予定だった4000の3x2が起用されたんだっけ?
4000はツリカケにしては高性能だったし、性能差もそんなにないだろうから問題なく走ったろうね 何年も前の書き込みのコピペ。当時書き込みしてくれた人ありがとう。
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鉄道友の会小田急部会の当時の会報に
編成や運転時刻が掲載されています。
運転されたのは1988年(昭和63年)9月22日で、
平日の朝ラッシュ時に車両故障が起こり、
その編成の代替として急遽運転されたようです。
編成は8054×4+4020×3+4021×3と書かれています。
併結運転当日の状況は次のとおりです(小田急部会会報より抜粋)。
小田原6:49発急行新宿行き8254×6が伊勢原で運転打ち切り(故障?)、
海老名検車区に留置中の4020×3+4021×3を急遽本厚木へ回送、
小田原6:34発各停本厚木行き8054×4と本厚木で併結、
本厚木発急行新宿行きとして運転。
新宿到着後、折り返し急行小田原行きとして運転。 今では通勤車は軽視される傾向が強くなってるよね
カレンダーもロマンスカー専門になったし 仮に通勤車も重視していたら海老名のミュージアムは"小田急博物館"として通勤車も収蔵されていたかもしれないが… まぁ1000形1700番代はどの道保存されない事に変わりはなかったと思うが。
通勤型としては日本一のドア幅だったとは言え黒歴史と思われる 下北沢は井の頭線があるためどのみち地下にせざるを得ない
高架だと東武の新越谷みたいな事になる 何か長電に行ったHiSE10000系も稼働率が減少しているみたいだが 何故か川重製を選んで日車へ搬入してたな
最後まで手元に置いたのは日車製
トップナンバーとイタリア帯 ついでにRSE20000系も富士急に行ったのは川重製だけ RSEの場合は単にトップナンバーを残しただけだと思うけど >>124
海老名みたいな主要駅に博物館というのが場違いだよ、
それが通勤車の展示スペースが確保できないのかまでわからんが。
東急は宮崎台
東武は東向島
メトロは葛西
と皆急行や快速が通過するような駅だし。 >>134
快速停まらんから浦安より格下だし、
海老名クラスの主要駅ではないでしょう? >>133 社有地でスペースあったから造ったわけだろ。他に適切な立地の駅あるか? 新松田と小田原の間、開成のような中間駅だったら割と安く土地確保できるのかもしれないが、都区内からそこまで行くのは時間かかって不便だからなあ。
そっちに造ったら、また辺鄙すぎるとか鉄オタが不安言い出すだろ。経営のことわからずに文句ばかり垂れるんだから。 時期が違ったら縮小後の大野工場用地とかになってた?
でももっと主要駅だな 地下化した後の土地ならそれなりにあるけど車両通せるような道が無かったわ ただ事故の事を考えると展望車は不利なんではないかと思われる GSEはそのへんボンネットで衝撃吸収するなど十分検討されてる 2600って登場時から回生車だったんだな
あの時代に登場した車両は他社は非回生車ばかりで小田急でもその後に登場の旧5000は非回生車だったみたいだが 最末期の小田急の抵抗制御通勤車は
2600→抵抗制御車では珍しい回生ブレーキ
4000→東武8000の様に電制無し
5000/5200→抵抗制御車では標準的な発電ブレーキ
と揃っていたんだな また、前面形状だけで簡単に制御方式が分かる様にもなっていたし(例外はあったが)
小田急顔→抵抗制御
ステンレス車→VVVF
上記以外(小田急顔ではない鋼製車)→チョッパ
また直流モーター車が鋼製車体で、交流モーター車がステンレス車体とほぼ綺麗に分かれていたという事にもなる もはや1000形は、それまでの小田急通勤車とは一線を画す、当時としては斬新な車両を目指していた事が伺える
(9000形も営団千代田線に乗り入れで、営団側が斬新な6000系を用意していた事から、その6000系に引けを取らないくらい斬新なデザインにしていたとも) 06系と371系
どちらも他社のオンリーワン
いずれも相当する小田急車が1000形世代
(僕は1000形/1500形/2000形/10000形/20000形を1000形世代という事にしている) 座面が高く奥行きが浅い座席、今で言う硬い座席みたいな存在だったんでは? 50000系は70000系の様なボギー車だったら良かった EXEで「ロマンスカーらしさが無い」という意見が無ければ… 50000系導入前に7000系で50000系用とみられる何かしらの試験を行っていたそうだが(僕は見た事無いけど) >>157
当時はモノレールって呼ばれてたような<3000形防音カバー試験車
結局は全密閉モーターに落ち着いたけど 特急車解体して1062Fは編成で保存とか、細かく言えば会社が違うからだけど、意思に統一が無い 1000更新中止は半導体不足が影響している(元々補助金を使って更新する予定だった)のが理由と聞いたが でも実際には電気指令式ブレーキに改造するのが面倒だったんじゃないかと思う 50000系は7000系が引退した時点で、既に運命は決まっていた
連接式は整備に手間が掛かる
この件は以前から承知していて30000系が通常構造になったのもその連接式が厄介だからと思われる
しかしながらその30000系が不評なため50000系でロマンスカーらしさを復活させたが、それが仇になった 2000〜2004年頃はロマンスカー関連の広告に30000系が使われていたのが10000系等に戻されていたので、やはり当時は30000系は不評だったという事が分かる 地下鉄スペックに特急のハコを載せました
って感じだからな 30000系はシステム的には2000系の特急車版みたいなものだね 高架化に伴い経堂車庫が廃止され、代わりに喜多見に車庫が設置された 50000系はまず第2編成が今月に廃車となり、続いて第1編成が11月までに廃車予定 不人気なEXEが一番乗り心地の良い皮肉w LSEも座席はひどかったし展望優先のは快適性とは相反するな ヲタには不人気だが、通勤利用者からは大好評
かも知れない VSEの展望席部分、猛暑のとき冷房の効きが悪い。冷房のダクトが通ってないからだろうけど。GSEは冷房きく。 1000系はダルフィニッシュ仕上げ車体や三菱GTO-VVVFはJR東の209系の元になった様な感じ 9000形に一本化するか、当初から5000形に戻る予定だったかの2説あるが >>178
当時の雑誌に5000の増備は、9000の新製のために「中断」と明記されていたような。
なので重装備な9000を延々と増備する計画は無かったと判断出来る。
旧4000の増備が割り込むことになるのであったが、それは脱線事故による
変則編成解消のため 新潟交通の小田急そっくりの電車(2200?)残してほしかったな 9000形は営団千代田線乗り入れのため、あの様な特殊仕様になっていた模様 新潟交通のは小田急色のままで、いつまでたってもよそ者扱いと感じた
南瓜色に塗って仲間に迎え入れてやればいいのにと思った、10年くらいは在籍した? >>183
日比谷線乗り入れ車も考えてみ。営団3000と東武2000、東急7000で
逆に共通点があるかい?
当時は「乗り入れ車に共通設計を取り入れる」という考え方自体がなかったのだよ。
もっとも小田急9000と国鉄103-1000は共通点が少し見いだせる。 9000形は車体だけなら小田急顔大型車の地下鉄直通仕様版って感じ 車体長にドア数、それに基本的性能が標準化されていればよいのでは? 2600と(旧)5000は前面はほぼ同じだったが、運転感覚は大きく違っていた模様 (旧)5000は好評だったが2600は悪評だったと想像 >>190
運転士交代のとき、引継ぎで『これ、後ろも5000だから』というのを何度か聞いたことあります。発電ブレーキの立ち上がりが凄かったから、掛け始めとか気にしていたのだと思います。バーニヤ制御なのに雨の日はよく空転する形式だったような。 2600の8連化も9000の半固定化も結果は共にイマイチだったと想像する 昔、町田駅出発の時車掌氏が発声する「しゅっぱつあんどしんこう」はなんか”車掌氏全員訛ってる?”と思って聞いていたが、
正しくは「出発反応進行(しゅっぱつはんのぉすぅぃんこぉぉぉ)」なのだと判って納得した。 >>192
相当な経年車をわざわざ全部組み替える計画は、やっぱり無謀。
特にT車を集めて8連VVVF車にするとか、正気の沙汰とは思えない。
8連化最後になった新2656Fが出た段階で、T車の残存数の関係から、
既に8連化自体が中止になったと思われる。 今となっては1000の10両固定化が3本で中止になったのも、この2600の8両化中止と似たようなものを感じる
(多分4連10本と10連12本に再編する予定だったと思われる) 2600の8連化と9000の半固定化は、共に他形式との混結回避のために行おうとしたものと思われる
(形式によって特性がバラバラだったと想像) 今はドアが閉まってから発車するまでの時間が長いが、昔はこれも普通に発車していたらしい >>194
土砂崩れにより被災した2671Fの内2両がそのままで撤去が不能のため現地解体されたが、残った新宿側4両を有効に活用するという側面もあったんでは? 向ヶ丘遊園が今はないんだから、西登戸駅に改称してもいいんじゃないかな?
(多分当時の方向幕の整備が面倒だった?) 読売ランド前って言うが京王よみうりランド駅の方が読売ランドに近いと見た
前に行った事があるが読売ランド前駅からバスに乗るほど読売ランドは遠い >>201
向ヶ丘遊園→稲田登戸
読売ランド前→西生田 「向ヶ丘遊園」の名称は駅だけのものではなく、
周辺にも向ヶ丘遊園や向ヶ丘を冠した商業施設、マンション等が多数ある
今となっては小田急の意向だけで変更できるほど、簡単なものではないのだろう >>204
確かに、東急の学芸大学と都立大学の例もあるし >>198
2671Fは最終増備車だし、車体修理を受けていたことは大きそう。
あれが2652Fだったら、編成ごと廃車で終わりだっただろうか。 旧4000形って92両全て東急車輌に送って新性能化したんだよね
だったら1000形も総合車両製作所に送って更新していれば違ったのにね
(そもそも総合車両製作所でやるなら8000形のVVVF化の時点で東急車輌→総合車両製作所に送って改造してるだろうが) 今の(京王と)小田急はやると決めたらかなり早い
その気になれば100両近く新車導入する事もあるし 昔から片瀬江ノ島駅だが、かつての方向幕は「江ノ島」表記だった >>209
阪急電鉄は迷走と放置ともたもたするのが非常に悪い! >>211 近鉄もそうだが新車導入する金がないからでは?中途半端な数だけ導入する。阪急もサスティナのを導入すればいいのに 阪急神戸線の8000系はやたらと予備と朝のみの運用に入ってるけど車体の耐久性が7000系のアルミ車に比べたら低いのか?
ローテーションで満遍なく終日運用に入れて走行距離の均等化をはかったら短期間で車体の接合部や骨組みの劣化が進行するのか?
(経済設計かも?) 阪急8000で思い出したが、小田急1000と阪急8000って似てる
いずれも節目の年(小田急開業60周年/阪急創立80周年)に合わせて設計し、それまでの車両とは一線を画すデザイン、初のVVVF本格採用というのが共通してる 明日、大森第四小学校の男子生徒全員をこ ろ します。 休校にしてください 阪急7000系は耐久性大ありだからな。
8000系は下げてる感じがする。
満遍なく終日運用に入れたら短期間で車体の劣化が進行するんだろ。 50000系は防音カバーに連接式だったからかなり整備がし難かったと想像 タイミング次第なら、1000が西武に行っていたはず(そもそも1000は当初は廃車する予定は無かったが) 1251,1253,1254no3hondakedagana 小田急の一般車が他社へ転出するのは2200形が富士急、新潟交通に転出して以来か
一般車が他社に譲渡されるとは、もう未来永劫無いだろうと思っていたが
思わぬところで実現することとなったな 何で譲渡無いんだろっていう話題で
以前に少しだけ盛り上がったね >>221
見た限り小田急車は6連で使う様なのでそうだろうね
8000形も4連に関しては引き続き廃車なんじゃないかなと思っている
部品取りはするだろうけど 4連は1000形以来製造されていない
(代わりに8連が製造される様になったが) 2020年以降の廃車車両(2023年8月まで)
2020年…8264F.1081Fの内6両.クハ1155.1054F+8255F.クハ1255.1068F+1751F.1053F+8251F
2021年…1062F(除籍).1752F.1059F+1753F.1060F+1755F.1051F+1756F
2022年…1754F.1061F.1253F.1254F.1251F.1058F.8056F.8259F.8055F.8062F.8054F
2023年…8060F.8052F
以下は予定
50002F.50001F.8254F.8256F >>223
多分、先頭車と中間車で車輪径が違い、どちらも特殊サイズ(先頭車は小径車輪、中間車は大径車輪)だったのが響いていたと思う(よって電装化できない)
また、9000も重装備で小田急内部でも嫌われていたみたいだし 下北沢が地下にならなかったら旧5000はもうしばらく残っていたかもしれない 特に5200は車体修理から10年ほどで廃車になった >>228
実質150kwモーターの5000が廃車で、140kwの8000は残存の意味がわからん。
だからそれは俗説だろ。 むしろ複巻モーターはトルクや速度が落ちるんだっけ確か 5255,5256,5258の湯本運用は見たかった気がする
赤帯を締めた俗称はシャア専用で 考えたら今ではGSEとMSEがMT異径車輪みたいね 8254Fは西武に行かず解体される様子だが、貫通扉等は部品取りされている模様 >>231
150kwってなんのこと?
通勤車としちゃギア比も高速よりよね >>237
主電動機の出力だが、旧5000系列の主電動機出力は135kW 旧4000の新性能化改造後はかなり頑張って旧5000に合わせた感があるが、それでも完全には合わせられなかった様な感じ 小田急は340Vで定格出してたので、375V換算150kW >>240
なるほど
1360Vってのは渋沢辺りの電圧なのかね
そもそも力行すれば架線はその位に下がるけど
2600形でも500v×3計算なのに5000形は何故? 9409F中間車新造以来、1551〜1556Fが組み換え/一部中間車化されるまで小田急は編成内での入籍日が揃ってない編成は皆無だった
(旧4000の新性能化は除く) 今ではドアが閉まってから発車するまでの間が長くなってしまった小田急線だが、昔は普通に発車していた 小田急の複々線化が遅れたのは、沿線住民からの反対運動のためと数年前に聞いたが 1082.1083Fの予定が2051.2052Fに変更になったと想像 50000系が(10000系や20000系の様に)他社に譲渡できないから代わりに8000系が譲渡されるみたいな感じになったな VSE…ほんともったいねえ。
GSEでてもフラッグシップだったよに 1000/2000系が本来の編成数で推移してたのは2001年4月〜2004年3月までの僅か3年弱だったらしい 2600/旧4000/旧5000/5200も本来の編成数で推移してたのは僅かな間だったと思われる 現実には、小田急相模原の飛び込み事故(LSE)の影響で展望車はやめたいんだろうね 2006年…箱根湯本分断
2008年…小田原分断
2022年…藤沢分断 そこだけ複々線の当時、東北沢の新宿寄りに通過線から待避線への渡り線があるのが不思議でならなかった >>259
ということは所要時間は1分も無かったんだろうか? >>261
あれ、下北沢東北沢間の列車事故の時に乗ってて通ったわ。すごい揺れて新鮮だった。 >>261
当時の下り急行線は営団折返線のバックアップも兼ねていたので、シーサスの小田原寄りにも急行線への渡りがあり、折返線として利用するときは東北沢の手前で安全側線に進路が構成されるようになっていました。開業前に営団5000系が試運転で入線していました。東北沢の踏切より新宿側は代々木上原の構内扱いだったのだと思います。 赤の部分の渡り線ね
カーブの中にあったので16番ポイントだけど35km/hとかの制限だったように覚えてる
https://i.imgur.com/RfugVZx.jpg >>264
えっ営団5000も僅かながら小田急に来たの? 確かに千代田線に5000が走ってたのは聞いた事があるけど小田急乗り入れは元々6000だけだったよね? > 東北沢の踏切より新宿側は代々木上原の構内扱いだったのだと思います。
ということだから共同使用駅の中ってことじゃないのかな? 幻となった計画
・2600形の8連14本化計画
・1000形の4連10本/10連12本化計画
9000形半固定化は最初から繋ぎだったろうが 叔母が小田急から千代田線経由常磐線方面へ出かけたら帰ってこない
小田急車両に乗ったのに上野へ行ってしまったという。
白に青線の国鉄(JR)車の事言ってるらしかった >>264
小田急乗り入れ不可な5000系なんか使うか?
専用折り返し線だったら5000系6000系も関係ないが。 >>271
万一の場合に備えての試運転だから、実際に使う可能性がある車輌は
試運転したんじゃないかな。もっとも103-1000はしてないかもだけど。
東北沢駅にあった渡り線も2度ほど使われたそうだが、あれも9000を使って
代々木上原3-4番線からの逆線発車で折り返す試運転はしたんじゃない? >>272
103系がしてたら能勢電鉄を天神橋筋六丁目駅に入れるのと同じ。
9300系は24時代に誘導障害試験で天神橋筋六丁目駅に行ったが。 初代5000形は晩年、今の3000形と連結する事もあったが、まるで103系とE231系が連結してる様なものだったと想像した >>265
赤の渡り線、向きが逆だったかと。下りは緩行線から急行線、上りは急行線から緩行線への渡りだったと思います。赤い線の向きの渡りは上原寄りの急行線がY字になるところにあり、2番から緩行線、緩行線から3番にも進路が作れるようになってました。 >>265の赤い線の渡り線向きは逆。下りは緩行から急行へ、上りは急行から緩行へ。
さらに下り急行線の渡り線よりすぐ新宿方に安全側線。それと千代田線シーサスの真下、
下り方(図では左側)にもう一つ渡り線あり。東北沢駅内通過線に、上りから下りへの背向渡りあり。 ありがと
向きが逆だったか
もう30年近く前のことだからすっかり忘れちゃってる
こんな位置の渡り線何に使うのかと疑問に思ってた >>275
8000更新と3200の連結は
青梅線で201と233を混ぜて使ってる様なものだな
201も魔改造すれば良かったんじゃない? >>280
国鉄からJRになった時点で201の運命は決まっていた様なもの
これがずっと同じ持ち主ならなんとかなったのかもしれないが、201は全国組織→分割民営化だからね 1991年11月当時は「大型通勤車を1995年3月までに82両新造」ってあったらしいが、実際に1991年度〜1995年3月の間に作られた通勤車は1091〜1094F、1553〜1556F、1081F、2051・2052Fで計80両だったよね
つまり当時は8両固定を新造する計画はなかったのかそれとも… そもそも例の多摩線土砂崩れ事故がきっかけで8両固定編成を生み出す事になり、そのまま8両固定編成が増えていった様な感じ ロマンスカーは今後は新造せず、将来的には京王ライナーや東急Qシートみたいなものに移行すると想像した デュアルシートにする意味は小田急ではないじゃん
終日長距離の特急の需要があるんだから まぁ、今は湘南新宿ラインがある事で途中(小田原/藤沢)までそれを利用する人が多くなったんだろうな
小田原/箱根湯本や藤沢で運転系統を分断した時点で薄々感じてはいたけど >>282
1081x8は1095x10にするつもりだった(らしい) 成城学園前と世田谷代田〜東北沢が地下になる事になったから複々線工事の長期化に拍車を掛けたって感じだな 観光用にGSEとMSEがあれば他は4ドアL/Cでもいいな 一度も使わなかったワイドドア車の収納式座席
(阪急8200系ですら使ったというのに) もっと言えばJR東の湘南新宿ラインが開業した時点で小田急の衰退は始まっていたと言える
(HiSEやEXEが登場した時はまだ湘南新宿ラインは開業していない) 江ノ島特急はいつ消えてもおかしくないな
特急消えれば藤沢完全分断完了 多摩線のホームウェイも無くなったからね
もっとも小田急永山〜唐木田を特急券無しで乗る客が後を絶たなかったと想像するが… 多摩線は近くに京王相模原線があるからか利用者が少ないと想像 今は江ノ島への手段はJR東/江ノ電で、箱根への手段も小田原まではJR東で十分なんだろうな 湘南新宿ライン開業もそうだけど、JR東が近郊型という区分を廃止して4ドア車になった事により、JR東と小田急で車両のグレードがあまり変わらなくなり、その点では早いという事で湘南新宿ラインを選ぶ人が多くなってしまったんだと思う また埼京線と相鉄が直通運転を開始した事により、新宿から海老名へは埼京線・相鉄線経由で行く事もできる様になった(ただ途中に駅間がかなり長い区間があるが…)
これも小田急線の輸送形態変更に影響を及ぼしていると思われる スレチ!と言いたいところだけれども、本来の板は崩壊かな…。 50000系は10000系や20000系とは違い、譲渡すらしないというのが残念だが、その代わり(?)に8000系が西武に行く事になった HiSEの頃は湘南新宿ラインすら無かったからあの様な企画が出来たと思う
新宿〜小田原ノンストップももっと多かったと想像する >>305
相鉄が国鉄と直通運転を開始するなど、古老は腰を抜かすはずだ。 10000系/20000系よりも更に短命だった50000系 50000系が史実70000系の様な構造で作られていたら、10000/20000を超える短命車にはならなかったはずだ >>3
MMR人事部長は関係ないだろいい加減にしろ 技術的に変わったものを投入すると短命に終わるってことがよく分かった 結局面白みのない30000が一番実用性がある
中に乗っちゃえば外から見えないし不満もない 50000系VSEには3回乗った。最初に乗ったのは
デビューしてからまだ1年も経っていない
2005年の9月で箱根からの帰りの事だった。
デビュー間もないVSEに乗れた事は本当に
嬉しかった。そのVSEが20年持たずに
引退に追い込まれるなんて思ってもいなかった。 7000が最終段階の頃
秦野の古老から
「国鉄を追われた技師が作った王国」
と聞いた SE車は国鉄の設計だったけど、その後の特急も国鉄の技師によるものなのか 8000形って
同年代で考えると
デザインのヒントはウォーズマン? 8000形は時期がやや早いが西武新2000系に相当 西武では新2000系を新2000系相当(でもこちらの方が少し早い)に置き換える様な感じ 新2000系は93年頃まで作っていたので、10年前の小田急8000形で置き換えられるのは複雑な気分だ 小田急1000形が西武6000系に相当するが、小田急の方が4年早く登場しているのを見ると色んな意味で規格外さを感じる 小田急8000形…1983年就役
西武(新)2000系…1988年就役
小田急1000形…1988年就役
西武6000系…1992年就役 そう言えばこの前8061Fの搬出によって8000形は4連9本と6連10本の計96両となり、漸く8000形の現役両数が1000形を下回ったんだな(とは言っても2両の差だが)
(1000形は残り4連7本と10連7本の計98両) てか2020年以降に廃車になった小田急の車両はこれで1000系62両/1500系36両/8000系64両/50000系20両の計182両だけど、新型コロナウイルス期間中にも関わらず、豪快に解体してくれたよな
(1500系と50000系は全廃) というか通勤車の廃車が162両って事は順当に8000から置き換えていれば今頃8000が全廃(8000は元々160両)になってたはずなのに、どうして…
(2〜3年前は何か事案があったかの様に8000を無視して1000/1500をバンバン潰してた) ただ1000の更新は2021年度までに全車更新ってなってたが実際には2022年3月時点でも98両しか更新されていなかったから、うーん…
(いつぞやの旧4000新性能化みたいに金沢八景に送って更新も考えていたけど、金沢八景が許してくれなかった?) 京王は6000全廃によって一時期7000〜9000までの本線系ステンレス車が綺麗に揃っていた時期もあったが、小田急は8000がある時期に1000の廃車を開始した事によって、ステンレス車が綺麗に揃わなくなってしまった
順当に8000を置き換えていれば今頃1000〜新5000までのステンレス車が綺麗に揃っていたはずなのに、どうして…
(やっぱりワイドドア車という黒歴史があったのがネックなのか?) 小田急4000系は地下鉄直通が主体なのでなので、帯色を緑にしてほしい。
そうすれば千代田・常磐とも同じになる。
稀に常磐ではE531の快速と間違える人がいる。
同じ青系の帯なので。 >>330
小田急はイメージリーダーみたいな感じで、クリームに青線塗装を残したがってる
ような感じもする 京王だって6000系が現役の時に8000系1両廃車してるがな >>332
最終的には西武に行く事になっているし8000形は手厚く扱われている感じ
一方で1000形は当初は新車並みのリニューアルだったのが一気に廃車(しかも譲渡すら無し)に転落した事を考えると、リニューアル車もそれほど大事に扱われなさそうである
現に5200形がリニューアル後それほど年数経過せずにあっさり廃車された例がある 4000系の取手乗り入れは平日の1往復のみで孤塁を守っている。 2020年以降に廃車された車両が今のところ通勤車162両(8000系64両、1000系62両、1500系36両)、特急車(50000系)20両
通勤車は最初が8264Fだったからそのまま8000系を淘汰していれば、50000系と8000系が同時引退していたはずだが、
8264Fの次が1081Fの内6両とクハ1155.クハ1255だった辺り、わざとやった様な感じが否めない 2020年以降に廃車された通勤車→162両
8000系の総数→160両
まぁ今後はさすがに8000系から淘汰していくと思うが
6+4両の編成は無くしたいだろうし 1095Fと1096Fは、6+4両廃止に向けての試験(当初はこのまま1000系を4両10本と10両12本に再編する予定)だったろうけど以降は6+4両廃止については(貫通化を予定していたものを含め)新車で置き換えていく事になったんでしょうね ただ6+4両廃止(?)自体が、新5000系内で起きた車内傷害事件がきっかけになっているのではないかと思う
(まだ10両貫通の新5000系だったからあの程度で済んだけどこれが6+4両の編成だったらもっと大変な事になっていたかもしれないと思うと…) とりあえず1000更新打ち切りは変わらないにしても、未更新のまま残った車両の廃車を8000の後にしていればどれほど良かった事か
それなら西武に譲渡できたはずだし 順当に8000から置き換えていれば8000が2023年度に全廃で、2024年度から1000の廃車に着手していたはず
間違いなく西武だったらそうしていたはずだね
8000は8264Fの事故がきっかけだけど、1000は元々事故とかは無かったし1000の大量廃車はわざとやった感が否めない でも考えてみたら8000が一番均等的な仕様だから残るのも当然か
90〜00年代当時在籍していた通勤型で、
2600.旧5000.5200.旧4000新性能化改造は車輪径やギア比が特殊
9000もギア比等が特殊
1000は新造当時では珍しかったVVVFだからこれも規格外
でも、8000の新製時の仕様は他社の同時期の私鉄車両と似た様なシステムであり、小田急幅広通勤車全盛期の他形式の様な規格外って感じは無く割と普通の80年代の私鉄車両って感じ そうか、8000形が西武に行く事になった事から1000形が余計に勿体なく感じるのか(しかも当初は更新予定だったのが急に廃車・解体だから) 東京メトロ8000/02→更新してすぐ廃車・解体
小田急1000→本来は更新予定だったものが突如廃車・解体
これはもう更新という考えは無くなったと言える >>309
小田急が長らく常磐緩行線との車両の直通運転が行われていなかったのは、恐らく当時の国鉄が許してくれなかったから?
(9000は常磐緩行線乗り入れを想定していたみたいな事を聞いた様な気がするが) >>346 そもそも小田急、千代田線乗り入れにあまり積極的でなかったから。新宿行かないから小田急デパートの客が減る。 喜多見のことでしょ
当初案は喜多見まで千代田線が来るものだった >>351 世田谷区内で小田急に並行して走る幹線道路が無いから、喜多見まで結構曲がっくねったルートになるんだな。時間短縮のためには現状のルートの方が良いわけで。ただ、用地買収等の問題があった。 路線バスとしては屈指の頻回幹線の渋24のルートみたいな?
うろ覚えで以前世田道下を通るとか何とか計画を耳にした やはり無計画に1000形を94両も解体したため8000形になった感が否めない
(でも当初の計画では1000形は全てリニューアルする予定だったが) >>336
小田急の4000系がE531系に色が似ているというけど、それを言ったら緩行線のE233系も快速線E231系に色が似ているという事になるぞ
まぁいずれも窓上の帯の有無で少しは見分けられるが >>334
でも京王はその代わりに予定には無かった1両を製造しているのでプラマイゼロ
(今だったら間違いなく丸ごと廃車と思われるが) 2400形は明らかに重量バランスが悪そう
というか2400/2600/5000/5200は先頭車と中間車で車輪径の差が極端になっている 2400形はクハが16mでデハが19mだったらしい
京急/京成/東急や当時の京王の様な18m車ですらないという 2400系がダンプとぶつかって多摩川に転落した時,大ぜいの負傷者が狛江の佐藤病院に
運ばれた。一年後その病院は18歳の入院患者の放火で全焼多数の死者が出て、狛江に
消防団だけでなく消防署をつくるきっかけに、現在でもちっちゃい診療所があるが、周囲
の区画はかつて大病院だったことがしのばれる >>360
昔は物騒だったのだな。
>359
きちんとした理由があってそのような構成になっていた。 >>358 NSE3100系は先頭車が中間車より4m長いけど。連接車とはいえ、重量バランス保たれてるの何故だろうね? >>358
いやそのバランスっつーか敢えてなるたけ電動車を重く長くして、粘着力をキープ
した苦心の作ですぜ。電動車の車輪径が異なるのもその意図、因みに国鉄103系も。 2400形は車体の耐久性が低い経済設計的な造りをしてるのが悪い。 末期はいつもフラットが凄かったように覚えてる。HE車。 >>366
途中で書き込んじゃいました。103系は電動機の直径が大きくなったことが直接の原因かと。だからDT33は軸距も2300ミリ。301系のDT34は下揺れ枕が無いので車輪径だけで対応出来た。 >>358
Tc車の車輪径が小さいのは、バネ下重量軽減のためと聞いたことがあります。直進性が悪くなるとかで、台車だけ払下げた三岐鉄道はすぐに電動車のFS330台車に履き替えたようです。 三岐は元西武線のツリカケのT車をFS30にしたらバランス全く駄目ですぐにFS330に替えたとどこかのサイトで見た 小田急の一時期Tc車の車輪径が762ミリなのは、曲線通過の時の転向性をよくするため。
ピクに書いてあると思う。9000の時に先頭車がMcになるため廃止。
以後5200では、5000の源設計の関係から復活するが、8000で正式に廃止。
もっとも、NSEは中間台車のT台車FS46でも762ミリにしているので、
>>368のような理由もあったのだろうと思う。 まるでSLだか旧型電機だかの先台車みたいな考えだな MT異径車輪でも各社でそれぞれ異なる
阪急…T台車762mm、M台車860mm
103系…T台車860mm、M台車910mm
小田急…先頭車762mm、中間車910mm 車輪は単一仕様と思っていた
形式によって変えてるのか
すごいなあ 引退した50000系は、まだ喜多見の車庫にあるみたいだが、喜多見から搬出される可能性もあるんだろうか? このままだと8000辺りに牽引されての廃車回送とかになると思うが 海老名のミュージアムにはまだ1両分置けそうなスペースがあるみたいだが… 1000のワイドドアも結局、1両も残らなかった
日本一のワイドドア車だったが改造に改造を繰り返していたくらいだから社内的には失敗作と認めたんだろうか? 1000の通常ドア廃車は最初はコロナによる運用見直しでワイドドア車の道連れになったものだと思っていたが、結局6連も3本廃車になった辺りやはり中間車化改造が面倒と判断されたのもあると思う 本人が失敗作だと思うなら堂々と主張すればよいだろう ワイドドア車に関してはドア改造前も改造を繰り返していた模様で、余程の計画ミスだったと想像した
ドア改造前にやった事としてドア間5人掛け収納可能座席を6人掛けの通常座席に交換、吊り革を三角形から通常の丸形に交換、通路部のスタンションポールを撤去など 吊り革の形って結局2024年になっても何が正解なのかわからないな 質問です
戦時中から1970年代ごろにかけて、偽厚木で貨物用として相模線と小田急の連絡線があり、戦後はずっと小田急の側線として使われたようなのですが
この連絡線が本来の用途として使われたことはあるのでしょうか?
有識者の方、教えていただけますでしょうか。 >>386
本来の用途とはどういうことですか。
砂利線として使われたことがあるのか、貨車以外の列車の行き来があったのかとか
聞きたいわけですか。 西武譲渡第一号は8261Fで確定
また、1800以外の小田急20m4ドア通勤車が譲渡されるのも初めての事例となる >>386
亀レスですが、
厚木の連絡線は、東海道線の迂回路として作られたものです。国鉄の車両が厚木の連絡線・新宿の連絡線を通って、運行されたというのを読んだ記憶はありません。 >>391
国鉄の車輌(当時は運輸省だったりはするが)が新宿を通ってというのは、
かなりな事例が存在します。鉄道ピクトリアルの各特集号などを読んでみて。 本来なら展望車は排除したいと思われる
小田急相模原の事故があったので 復刻塗装って2003年か
最近だと感じるってことは年取った証拠だな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています