なつかしの名鉄スレパ-ト23
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蛇足ですが本線特急の停車駅は新一宮、新名古屋、金山橋、神宮前、知立、東岡崎
・・・ラッシュ時のみ国府特停があったと記憶してます 一時有ったパノラマカー8両編成が止まれた駅はいくつくらいだっただろう。 >>632
残りの8本は新鵜沼-河和 新鵜沼-常滑が4本づつ? 本線新岐阜−豊橋 4
本線新岐阜−蒲郡 2
犬山方面−常滑河和 4
津島方面−三河線 4
ただし、上下で運転系統が入れ替わったりする
犬山線−蒲郡や本線新岐阜−河和など 今は岐阜ー豊橋2本 新鵜沼ー豊橋2本 岐阜ー中部国際空港2本 名古屋ー河和2本
とミュースカイ2本 の10本が基本でしたっけ? 空気読まずに失礼します。
YouTubeで1989年頃の名鉄の前面展望を見たのですが、駅の簡素さに驚きました。
駅に駅舎がない!当然自動券売機もない。
あるのはホームだけ。
こんなの、キセルし放題だったのでは? >>637
そう言うキセル問題もあったので2000年代初頭に名鉄が駅集中管理システムを導入した。
無人駅からの乗車客は車内で車掌に切符を買うのが普通で、切符の集札も運転士と車掌がしてたので
昔の乗務員は仕事量が多くて大変だった。 >>637
そう言うキセル問題もあったので2000年代初頭に名鉄が駅集中管理システムを導入した。
無人駅からの乗車客は車内で車掌に切符を買うのが普通で、切符の集札も運転士と車掌がしてたので
昔の乗務員は仕事量が多くて大変だった。 >>637
混雑時には駅に係員がいた。
そう出ないときは車掌が改札
⇨出口が運転席側の場合は車掌も前に行ってた。 玉ノ井や大須など終点が無人駅だと、事前に車内で集札
「ただ今から乗車券を集めさせていただきます。お手元にご用意願います。」 >>642
新岐阜→430円
豊 橋
コレクションするのを見込んで窓口で硬券を買ってたな
50年前は今より千円以上安かった。。 4月から豊川稲荷、森上、尾張横須賀三柿野を無人化するらしいね
森上なんて今までよく有人駅で生き残ってたなーなんて印象だけど
終着駅でも容赦なく無人化してるからそのうち本線、犬山線、常滑線の特急停車駅+津島、西尾、豊田市、栄町、新可児くらいしか駅員残らなさそう
どこの駅にも当たり前のように駅員がいた時代が嘘みたいだ 弥富
佐屋
×日比野
津島
森上
×萩原
×苅安賀
新一宮
×奥町
苅安賀は新一宮高架の頃にタブレット廃止で無人化
他3駅はトランパス導入時だったか?
弥富は気づいたらJR(東海交通事業)管理に 津島線が極端だな。
津島
×藤浪
×勝幡
×青塚
×木田
×七宝
甚目寺
須ヶ口(本線)
一時は全駅有人駅だったからな。藤浪有人化した時はクス玉用意してあったし。 まもなく通学定期券以外は券売機で買えるようになるし
精算とチャージも全部機械がやってくれるので
駅員がいる必要性が無くなってきているのは確かだね >>615
あんたのレスさえなければパーフェクトだったのに >>642
全駅行の硬券が容易できていたの?
それとも小さな駅へは金額式のを使ったの? 常備がない行先や経路は、補充券で作成
もともと硬券だったが、小さくて見にくいせいか大判の軟券に変更
自動改札の本格導入で普通券の窓口発行機を入れたので、
補充券は瀬戸線→本線系など限られた存在に 本揖斐で小牧までの乗車券を買ったら下車駅選択式の硬券だった。
券面に同じ運賃の複数の駅が印刷されていて、目的地の駅を赤枠の判子で囲うやつ。
別の機会に谷汲で新舞子までの乗車券を買おうとしたら常備券はないからと言われ、とりあえず黒野までの乗車券を購入。
黒野で乗越精算したら、補充券式だった。きっぷは下車駅でしっかりと回収されたよ。 駅名が2〜4つ書いてあった硬券、懐かしいな
実際に手にする機会は少なかったけど
最寄駅が昔から無人だったので、
なじみ深いのは地図式の車内券
色違いの金額入りと、金額もパンチするモノと 新岐阜~空港で走る予定だった一部指定席の急行は
どういう停車駅になるはすだったのかきになる。 常備の硬券が存在したということは、ある程度の需要があったんだろうが
益生(近鉄)から東岡崎ゆきの硬券を見た時は常備するほど客居るのか?
と考え込んでしまった 本揖斐→690円
大 里・山 崎
(新一宮)
玉ノ井・犬山口
(新一宮)(各務原線) 4両だった3400系から抜き出した中間車の足回りどの車両へ流用されたのだろう >>654
資料を漁ってみたけど停車駅限定としか分からなかったお。
空港開港前の計画では本線の快速急行は堀田、前後は通過で検討中されてたみたいだお。 >>658
初期の快速急行だと神宮前、鳴海、知立、新安城、東岡崎だった。東岡崎までは急行標準停車駅から堀田を抜いただけ。
今も鳴海停車の特急があるが快速急行があった時代の名残。 鳴海停車は昼間だけ。
豊橋-(国府:一部の列車だけ)-東岡崎-新安城-知立-[鳴海]-神宮前-金山橋-新名古屋-国府宮-新一宮-新岐阜 >>657
5300は旧番号が明らかだが、6750は種車が明示されていない
名目上は3850や3900、一部3400の機器流用だけど、
同時期廃車の他車の部品や予備品なども多数再用してるからと推測
サ2450の足回りはク6650(2次車)で再利用されたのだろうが、詳細は分からず
FS13は9両分発生、再利用は8両
1両分2台車が余った計算 FS13は9両分発生、9両に再用だ
廃車 9両 2451〜2453・2901〜2903・2951〜2953
新造 9両 2301〜2304・6653〜6657
FS16
廃車 4両 2904・2905・3954・3955
新造 4両 6651・6652・6751・6752
FS107
廃車 26両 3851〜3860・2851〜2860・3901〜3903・3951〜3953
新造 23両 3301〜3304・3351〜3354・6683〜6687・6753〜6757・6783〜6787 3850に付いていた5000や5200タイプのABF主幹制御器も
一切使用されなかったからかなりごちゃまぜだったはず。 そうそう、1980年代中頃から廃車になったALの機器や台車等も
殆どが取り外して台車はHLに付いてた古い台車付けて回送してたから
AL廃車発生の予備部品は後年迄結構潤沢だったかもね。
だから台車以外は残ってるALの機器在庫一斉セール状態で6750を
作ったのかも。
一つ残念なのは3400のローラベアリング付きのD16を残さなかった事。
1セットぐらい残せばあんな他車メーカーの台車で保存せずに済んだのに。 3300や6750の制御装置、AL車標準品のES568なんだよな
3850のABFMは流用せず
他車の解体発生品が多数あったので、標準化を優先したのだろう
保守の都合もあろうし 666(σ・∀・)σゲッツ!!
666キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
666(・∀・)イイ!! 7500系の運転台が切り取られて養老で個人所有されていたんだけど数年前から行方不明になったとか。
解体ならもったいないね。
運転台機器無くてボロボロでも言ってくれれば貰いに行ったのに キハ8000の本線特急って乗車率高かったのですか?
乗ってみたかった‥ >>669
朝の豊橋からの名古屋行は満席の日が多かった。
知立を通過していたのも、知立からのお客に指定券確保されないようにするためだった。 豊橋の窓口に空席状況のカレンダーが貼ってあった
常に満席、土曜のみ空席あり、とおぼろげな記憶
その頃の指定券は3週間前に発売開始
1月前発売になったのは、パノラマスーパー登場時だったか 一部列車の知立,岩倉,太田川通過も短距離利用の拒否だったのだろうか >>670
営業最高速度が95km/hでスジを寝かせないようにするためにも一部駅を通過せざるを得なかったというのが真相。
走行性能に関してはSR車の110km/hに比べたら見劣りするのが8000系の泣き所なのよ。 >>673
そのことを記すのを忘れてました、お恥ずかしい。
ご指摘ありがとうございました。 1987.2.12改正
新名古屋605→豊橋704
豊橋709→新名古屋816
朝はダイヤが詰まってるから、知立に停まろうが通過しようが大して変わらない
知立通過は、乗車制限の意味合いのほうが大きいわな
立ち乗り多数で通路も埋まってたし
満員の車内で、車掌氏は必死こいて検札&集金 >>675
>>673の話は色んなところで書かれてるけど、
> 知立通過は、乗車制限の意味合いのほうが大きい
は初めて聞いたな
どこかに書かれてた? 一宮市尾西歴史民俗資料館で下記企画展が開催の由。
冬季企画展「名鉄蘇東(起)線〜起と一宮間の交通機関の歴史〜」
令和7年2月8日(土曜日)から令和7年3月16日(日曜日)まで
https://www.city.ichinomiya.aichi.jp/rekimin/1010271/1060719/1060722.html >>676
>>675はただのヲタの妄想だよ
乗車制限って、豊橋から乗せようが知立からだろうが取れる座席料金は同じなんだから、名鉄が知立からだけ乗車制限を書ける意味がない 金山(橋)た神宮前の配線変更のときって工事運休があったんですか? >>677
客が多すぎてバスに転換されたと聞いた時はビックリした記憶が・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています