ドアカットの思い出
まだまだ名前の出て来てない駅がわんさかありますなあ 竜飛海底見学列車に乗って下車/乗車じですが、
ドアが開くのは1か所のみ
これはドアカットしていたのでしょうか?
それとも風祭のように、非常コック扱い? JR東のライナーは特殊なドアカットだったな
乗車位置を制限して乗車時検札するために1両だけ車体側面のドアコックを扱う
185系だと係員がいない側のドアも手動で開けられてしまうので阻止する要員も配置してた
客用ドアが1か所だけの485系の方が扱いが楽だっただろうに >>40
西鉄2000はあった
梅屋敷も
腰越はいまだに 奈良は頭端ホーム伸ばすまでポイントの上まではみ出してたようだが出発信号どないしてたんやろ?
>>109
ホームはあるけど段差が大きい弥富とか 田浦はドアカットしてる箇所も万が一開いた時に備えて
トンネル内にめちゃくちゃ狭いホームが設置されているな
力士みたいな人だと乗り降り不可レベルの狭さだが 風祭はどう考えてもスイッチ増設の方が楽だったが定年退職したOBの受け皿的な役目もあったな
駅員も年配が多かった
JR東日本のライナーもドアコックでドア扱いとか人海戦術だったが余剰人員の活用だった 余剰人員を抱えられる余裕があるのね
さすがJRさま ホームが短いからそのぐらいカットしてるとしても不思議ではない >>29
国鉄時代の北海道には正式な駅ではない「仮乗降場」がそこかしこにあって
ホーム長も1両分くらいしかなかった。
なので
気動車2両の場合は「1両目の後寄り」と「2両目の前寄り」のみ乗降可能。
車掌も最後尾じゃなく連結部付近の乗務員室に居た。
ちなみに
1両単行の場合でも停止標識の関係で同じく「後寄り」からしか乗降できなかった。