夜行列車総合スレ★24
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
日本の夜行列車も2021年7月現在で定期運転しているのはサンライズ「出雲」・「瀬戸」だけになり、
臨時列車で何とか走っていた「ムーンライトながら」もコロナ禍などの影響で正式に運転終了とされ、
残るサンライズもいつまで運行が継続されるか不透明な状況で今後が気になります。
その一方で「ななつ星」「四季島」「瑞風」「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」
「WEST EXPRESS 銀河」など、豪華な客室を売りにする寝台列車は従来の夜行列車とは全く趣向が異なる、
ツアー方式クルーズトレインへの業態転換が特徴ですが、これらもコロナ禍で今後が不透明になっています。
当スレでは、もはや輸送列車としては絶滅寸前となった夜行列車全般について、
過去の列車の思い出話を中心に語ることで雑談などをします。
辛うじて現役である列車やクルーズトレインは、鉄道路線・車両板の個別スレでお願い致します。
夜行列車総合スレ★23
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1626902756/ 前スレからのテンプレを最新版で
昔からの現役夜行列車の関連スレ(路車板より)
寝台特急サンライズ瀬戸・出雲☆彡PART108
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1632811938/
285系電車サンライズ・エクスプレス(寝台特急サンライズ瀬戸・出雲)Part3
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1629687987/
クルーズトレインの関連スレはこちら(生き残ってるものだけ)
JR西日本117系改「WEST EXPRESS銀河」Part4
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1610740981/
廃止された夜行列車のスレは懐かし板に色々と
東武の尾瀬夜行・スノーパルは東武系スレを参照? ブルートレインや寝台電車など寝台特急が一番華やいだ頃って1975年くらいなのかな?
さくら、みずほ、はやぶさ、富士、あさかぜ(11・12レ)、出雲、いなば、紀伊、あかつき、
明星、彗星の一部、日本海は新型の14系14形や24系24形(一部25形)になっていたから 1970年代前半までじゃね?
それピークに利用客は右肩下がり。 >>5
一番乗客が多かったのはその時代だろうな
だけど狭いA個室と食堂車をつなぎヘッドマークをつけたのはわずかな列車だけ
むしろ華やかだったのは青函トンネル開通直後くらいではない? >>5
東京発着の寝台特急以外に食堂車が営業してたころかな
1971年から1975年3月改正前までの間だと思うよ >>8
個人的に1975年3月までは同意だが、1968年10月改正からで良さそうな。
寝台特急の本数的には >>5の1975年3月改正後がピークだったが、
急行のままでいい列車の格上げや、東京発着以外の食堂車・ヘッドマークの省略で
輝きはなかった。
>>6-7
利用客が右肩下がりになったのは、1976年11月国鉄の大幅値上げが契機だった。 東京発着でいえば定期あさかぜが3往復走っていた時代がいいように思える
あくまで個人的な考えで押し付けるつもりは毛頭ないけど 何を基準にするかだよな
列車の本数か、乗客数か、食堂車の営業やA個室の連結や。
個人的には個室が充実したJR化後〜みずほ・あさかぜ1・4号廃止までの期間かな?
あくまでも編成の充実度でね。
斜陽の時代なのはわかってる。 「特別」急行があって、普通のまともな急行があった時代。
しかもその急行が、グリーン車や食堂車まで付いていた時代。事実上1972年以前なんだよね。 訂正 1973年度がピークでした
ttp://pbs.twimg.com/media/Ejeol7iU0AEncKw.jpg 絵本「ブルートレインさくらごう」の頃(80年頃)がピークだと思ってた。
73年から80年で利用者は半分になってるんだな。 新幹線の岡山開業までが華だったな
ゴーサントウ改正以降で夜行列車時代が終焉
度重なる国鉄の運賃値上げで利用者離れ
夜行から少しづつ飛行機に流れて
国鉄分割民営化でピリオドが打たれたと
いってもいい夜行列車群 オワタ 52cm3段のカイコ棚だったけれども各車に給仕係が乗っていて車掌も何人も乗っていた時代
70cm2段でだいぶマシになったけれども人手も全然かけなくなった時代
判断に迷うよね >>20
腰を丸めうつむきながらしか駅弁が食えない3段寝台と缶ビール流し込んでも頭があたらない2段寝台では居住性が全然違う。2段寝台は定員が3分の2なのに料金はわずかなアップだけ間違いなく2段寝台の時代のほうがいい >>21
余程の胴長短足出ない限り頭はつっかえない >>16に寝台特急の本数は出ているが、その他の夜行列車の本数はどんなものかな。ピークはいつくらい? >>18
西日本では大きかったが、まだある程度の利用はあった。
新幹線で東京〜博多が7時間かかり、0系普通車の居心地が良くなかった。
直通ならB寝台の方がいくらか安かったのもあるし。
また上野発着の夜行は需要旺盛だった。 1970年代前半までは昼間の特急に自由席を連結しなかったし、下り特急はつかりやみちのくも
盛岡〜青森間のみほんの数両を自由席にしていたので特急(特別急行)の威厳みたいなものが
感じられた時代でもあった。夜行急行でも全車寝台車+指定グリーン車+普通車指定席のみで
編成を組成し、自由席を設けなかった列車も実際にあったからね。
>>21
2段ハネの登場が既にブルートレインの凋落化を物語ってる、編成が短く運行本数も少なくなってる
のに2段化で大幅な定員割りになってヒルネの朝までそのまま放置の寝台が物語っているよ。
国鉄の人員削減と利用者の減少が著しく招いた負のループ 新幹線の延伸もあるしジャンボジェットなどの大型航空機の登場もあるな 特急は特別な列車で急行が庶民の列車だったというが昭和40年代東京〜九州の列車は特急列車が大半で急行は1本か2本しかない。特急がガラガラで急行は満員だったのか? >>27
むしろ逆。急行「桜島・高千穂」は、東海道本線内が日中の運転だったせいもあって
ガラガラだった。
ただ夜行急行「銀河」は東京〜関西で2往復の設定があったし、特急格上げ前の
「出雲」「瀬戸」は時間帯が良かったので、それなりに賑わっていた。 >>28
東京〜九州の利用客はどうしてた?
特急は特別な列車だったからやっぱり桜島高千穂にのってたんじゃないの >>31
なので直通の寝台特急は連日満席だった。
寝台券取れない連中は、新大阪か岡山で乗継ぎ。 昭和40年代と一言にいうがヨンサントオの白紙改正やエル特急の誕生など
特急の大衆化がものすごい勢いで進んでた時期じゃないか
ついでに昭和30年代後半には特急網が全国に波及しているし
東海道新幹線開業をきっかけに151系の地方転属も進んだ
特急の威厳とか言うのは戦前のイメージでかたっとらんか? 昭和40年代すでに客の多くは急行より特急を選んでいたというわけか 昭和40年代は特急より急行や準急がまだ幅をなして本数もおおかったので
急ぎの旅客で無い限りは急行を選ぶ客は多いと思われる
上越線でいえば特急ときより急行佐渡・よねやまなどの急行列車の方が本数が多いし、
信越線でいえば特急あさまより急行妙高・急行信州などの急行列車の方が本数が多い ガキの頃、親に連れ垂れて信越線沿線の親の実家に行くときは、
急行白山か、妙高、のどちらか、たまに上越線経由のよねやま
特急が少しずつ増えても、急行ばかり乗っていた >>30
東京〜九州ブルトレの寝台券が取りづらかったため、名古屋〜博多で「金星」が
設定された。「金星」の走行時間帯は「あさかぜ」「みずほ」などと似通っていた。
>>34
新幹線岡山開業で更に進んだ。 >>35
上野から仙台方面は急行では まつしま、いわて、あずま、もりおか、ときわ などの急行も走っていたよ >>35
エル特急化後は、上越線はときと比べ、水上以北は急行が少なくなった。
信越線はまだ信州・妙高の本数が多かったが、あさまがエル特急化後はそうも言えなく
なった。
いずれにしても昭和48年10月改正以降は、特急の方が便利になった。 1965年の毎時各2本化・ひかり3時10分運転、そして翌年の準急大幅格上げにより、新幹線のこだまへ移転し、1968.10までには近距離分離用以外不要になっていた
ひかりとこだまが同一料金となるのは1975年博多延伸から(名古屋以西は1972年岡山延伸から)
1968.10
金星15M/16M 名古屋2242→博多1005 博多1850→名古屋0615
はやぶさ5/さくら2 名古屋2254→博多1031 博多1858→名古屋0633
あさかぜ9/10 名古屋2345 →博多1120 博多1700→名古屋0433 戦友の供養で毎年上京していた福島のじいちゃん
昭和50年代末でも特急なんて勿体ないと急行まつしまで行き来していたな
まつしまは昼まんべんなく+夜行だったけれども
あづまは早朝上り+夕方下り+夜行という福島基準ダイヤだったね >>40
「ゆうづる」だと583系のと客車のとで上野から青森まで2時間近く所要時間に差があって、「終着駅殺人事件」のトリックにもなったけど、「金星」が客車と同じようなスピードで走っていたのはなぜだろう?
貨物とか他の列車に当たるから?
普通に走れば9時台、場合によっては8時代に博多に着くことも可能だったろうに。
小野田に停車していたから、山陽の中小都市がいい時間になるようにダイヤを組んでいたということか? ゆうづる2号(13M)上野20:00→青森5:08 所要 9時間 8分 583系
ゆうづる5号( 7レ)上野22:11→青森9:25 所要11時間14分 20系
ゆうづる1号とゆうづる2号は途中営業停車駅は水戸、平、仙台のみで極力速度を上げて
青森からの接続する青函航路3便に間に合わせていたので表定速度が高く、20系のゆうづる
郡も青函連絡船との接続はあるけど一ノ関、北上、花巻、盛岡、一戸、八戸、三沢、野辺地
の各駅に小まめに停車(客車ゆうづる群は列車によって停車駅の相違あり)するのと客車だと
電車に比べて加速が悪く、EF80からED75への機関車交換もあるので差が出てしまうのかも? 電車の「ゆうづる」速いなあ、昼行の「みちのく」と所要時間同じか >>42
山陽本線が曲線や坂が多くて、電車特急でもスピードが出せなかったことや、
「金星」があくまで東京〜九州ブルトレの補完で、スピードもブルトレに合わせていた
事情があったような。当時は特急が特急を抜かすのは禁じ手だったし。
「金星」以外で「明星」「月光」「きりしま」とか、「しおじ」「つばめ」など、
山陽本線のスピードはどうだっただろう?
>>43
在来線特急全盛期の山陽本線は、他にもそんな所はあった。
福山・尾道・三原も手分けしてたのはあったし、岩国・柳井・下松・徳山も
そんな感じだった。重化学工業のビジネス客がが均等に需要があったからだろう。
また尾道と三原の中間駅・糸崎が運転上の拠点で、乗務員交代のため特急停車が
程々ある厄介さもあった。 「ひばり」でも、西那須野、黒磯、須賀川、本宮、二本松、白石とかは、手分けして停車していたな。急行は全部停まるけど。
黒磯から白石に行く場合とかはどうするのかとおもってたけど、そういう場合は急行なんだな。 >>46
へー山陽本線に坂が多いんだ?
ばかだろ
ワンハンドレットとあだ名が付けられる社長が作った路線で、唯一の急勾配が瀬野八だけ
あと山陽本線として編入された関門トンネルだけだよ
その代わりに急カーブが多く、これが原因で速度があげられない >>48
急カーブといえば上郡〜三石と新下関〜幡生のSカーブくらい >>48
バカはお前w
曲線とカーブは何が違うんだw 本由良から厚東を経由して宇部に至るルートも急ではないがカーブで高低差を克服してるな ここのスレ、すぐマウントとりたがりで喧嘩腰な奴が居るね。 蒸気機関車の時代に敷設され、現在も長大貨物列車が走る線区は冗長なカーブと緩勾配で構成されるのは仕方がない 金星583系の運用って、向日町から雷鳥で北陸へ向かった編成をしらさぎで名古屋へ送り込んでたの?
それとも明星で鹿児島へ向かった編成を金星で名古屋へ向かわせてたの? >>54
583しらさぎ:1978/10改正直前まで、雷鳥:1978/10改正〜じゃなかったか?
神領留置も絡んでいたことは、頭の片隅に記憶があるけど >>56
そうなんだ
だったら明星、なは、有明あたりから金星へ変身させてたのか 上郡−三石間の急カーブは半径400m 神戸から95.5km付近なら96km過ぎまで
新下関〜幡生のSカーブは半径360mと半径350m 神戸から523km〜524kmにある
里庄以西で半径400mが再び出てきて、尾道の手前神戸から220km〜221kmにて半径302m
一応、福山までは曲線緩和工事をやったものの、そこで国鉄の資金が尽きてしまった
糸崎と三原の間付近神戸から229km付近に半径300mがあり、三原からはうんざりするほどの400m以下の急カーブの連続
山陽本線で一番の急カーブは半径180mだがこれは和田岬支線であり、本線は神戸出発してすぐの半径200m
なにか? 山陽の583の夜行が遅いのは客車夜行や貨物と雁行してるからだよね
ゆうづるはそれを避けるために583と客車の時間帯を分けてた訳で
勾配とか曲線は関係なくね さあ 盛り上がってまいりますた
電車と客車で所要時間に大差ない条件が重なっていたと
考えるのが妥当じゃねえの 岡山→門司の間で追い抜く急行5列車・荷物1列車
3レ 0241/0245-0826
倉敷303レ、柳井215レ、宇部1213レ、小月211レ
15M 0326/0330-(0907)
岡山41レ、呉線経由中の301レ、下関215レ
5レ 0341/0345-0926
倉敷41レ、岩国301レ
貨物時刻表あるけど、すでに雁行は突き崩せたから調べる必要なし 特急同士追い抜いてはならない規定があるため、並走
ただし、臨時は国鉄時代に14系寝台初特急使用である臨時のはくつる51号が定期はくつるに抜かれている
名古屋で20系の昼寝ができればよかったんだけど >>54
そのあたりは、少なくとも鉄道ピクトリアルの1983年8月号に運用流れの概略表が出てたのを
さっき確認してきた
1978年改正までは、金星の間合いでしらさぎに入ってたけど(一旦神領区入庫の上)、
1978年以降は、西日本夜行と雷鳥で運用を分けてた(雷鳥は耐雪改造車の限定充当) 金星ねえ
名古屋で寝台セット状態で入線
九州内はガラガラだったな 金星はやがて普通車指定席だけの臨時列車に格下げされていく 山陽路は夜も列車密度が高かったという結論で内科医
いつか何かの本であかつきと高速貨が抜きつ抜かれつ走っていたという記事も読んだな
東北路は先発組がブッ飛ばして後続組がこまめに停まるダイヤが組めたんだね >>66
金星の14系座席車で名古屋〜西鹿児島の臨時列車は、昭和40年代後半からあった。
新幹線博多開業前は、名古屋・関西〜九州で多数の臨時夜行列車を運転してた。
新幹線博多開業後に九州方面への臨時列車の本数は激減したけど、
金星の臨時列車は利用率が多くなかったのに、JR化後まで運転されたのは不思議。 1974年夏臨では名古屋〜熊本の運転だった臨時特急「金星51号」(14系ハザ12B)はその後間もなく
1975年3月改正で西鹿児島まで延長され、本家の583系「金星」が1982年11月に廃止された後も
走り続け、夏臨では1992年まで多客期の常連列車として設定されていました。
その中で異色だったのが1986年の夏臨で運転された臨時特急「金星51号・52号」で14系ハザ10両が
基本となる全車指定席だが3号車と4号車に名古屋鉄道管理局の欧風客車オロ12を2両連結して指定席
グリーン車にした事である。それも個室グリーン車で部屋売りだけど個室内は寝台みたいなベッドもあったので
家族連れには喜ばれたけどPRが下手で空室の方が多かった。
ちなみに2両のグリーン車は欧風客車「ユーロライナー」の中間車である。 昭和43年10月改正での門ミフ583(581)系で特急金星が絡む運用
因みにヨンサントオ改正で門ミフが受け持っていた583(581)系運用は
昼行特急は つばめ(名古屋〜熊本1往復)、はと(新大阪〜博多2往復)、
寝台特急は金星(名古屋〜熊本1往復)、明星(新大阪〜熊本1往復)、
月光(新大阪〜博多2往復)の合計7往復
【門ミフEC(583「581」系)1組運用】
博多(16M)名古屋(5M)熊本(6M)名古屋(15M)博多
16Mと15Mが特急金星で5Mと6Mは特急つばめで1組の運用が
終ると翌日の16M→5M→6M→15Mと同じ交番仕業を繰り返す
南福岡、神領、川尻などの基地回送は省略してあります ユーロのオロ金星臨で使ったことあったのか
一等船室みたいな良きクルマでしたね >>69
>名古屋鉄道管理局の欧風客車オロ12を2両連結して指定席グリーン車にした事
>ちなみに2両のグリーン車は欧風客車「ユーロライナー」の中間車である。
ちなみにも何も「欧風客車オロ12」ってだけでユーロとわかるでしょうに。
しかし、今どきなら個室はもう少しPRできるだろうねぇ。写真があれば拝んでみたいね
色々乗りたかった。 ユーロライナーの中間車は寝台のカルテット個室に似てて折り畳みのベッドが個室内に2箇所ありました 中間車がカートレインだか金星だかに使われていた時
名古屋で留守番していたスロフは多客臨の急行たかやまで
グリーン車営業してたことがあったな 余った展望車と14系座席車を連結したパターンだとユーロライナー赤倉とかもあったな
ユーロライナーは他のJTと違ってバラ売り運用が多かったイメージ バラ売り運用ユーロライナーはカートレイン名古屋でも走ってる >>67
東北は青函連絡の有無で役目をはっきり分けてたもんね
山陽はよう分からん ヨンサントオの時刻表見たけどやはりナゾの
急行ながさき 朝7時東京発翌朝7時長崎着
既に東京大阪4時間新幹線あるいは、夕方4時代発翌日昼前後着の特急さくらが
走れる時代になぜに24時間掛けて走る?
団体客で満席の事もありますって。
24時間一緒に居たい人達の為の列車かなあ >>80
そのころの庶民にとって新幹線や寝台特急が高嶺の花だったってことだろ。
時間はかかってもいいから、乗換せずに少しでも安く行きたいというひとのためのものでは。
昭和の頃までは、時間がかかっても乗換なし、の需要がまだあった。昼間なら「白山」とか「つばさ」とか。大宮で乗り換えて新幹線乗るくらいなら「まつしま」で行くとか。 >>80
そのながさきって、前身は九州観光だよね。10系ハネ600番台のやつ
36.10で設定されたとき東京−長崎26時間かけてるからそういう列車なんだよ
クルーズトレインのはしり その手の列車だと全車両オロネ10で構成された新婚旅行専用列車もあったよね >>83
周りもみんな新婚旅行っていうのも、どうなんだろうな。 >>85
スラム街だろうw
全車指定席を、小田原から自由席という中途半端な施策にしたので、18きっぷシーズンに指定席券を取れなかった夜行客が、見事に嵌まった結果。 普通乗車券で乗ってもらえない列車なんて存在する意味ないよ 新婚専用急行の場合、全車オロネ・オロネフではなく、必ず1両だけスロフが入っていた 急行 こずくり、じゃなくて、ことぶき
だね。24時間急行ながさきの方が元祖だったりして オロネフ10は事実上ことぶき専用車両だったイメージだけど他の列車に連結された例ってあるのかな? ことぶきで思い出したけど国鉄時代は「ことぶき周遊券」があったな
A寝台(1等寝台)やグリーン車が乗れて後にグリーン周遊券に変わった
割引率が大きくてお得なキップだった
JRにも継続されたフルムーン夫婦グリーンパスもお得だけど夫婦合わせて
88歳以上という制限があって繁忙期は使えないため、サラリーマン現役
だとなかなか使う機会がなかったけどリフレッシュ休暇の際は大活躍したよ
フルムーン夫婦グリーンパスで北斗星のデュエット往復利用で北海道旅
したのも今は思い出になってる >>91
新婚列車のオロネ10の車体が停車中に左右に揺れてたという伝説がある
プルマン寝台の上で落成された奴も少なからずいるんだろうな あんなカーテン1枚で隔てられただけのところでみんなセックスしてのか?
アンアン言ってもガタンゴトンでかき消されるだろうが。
きっぷ拝見って車掌が来たら慌てて引き抜いて服着たりするのか? 流石に事を始めるのは検札も終えて寝静まった頃だろ?w >>95
いくら新婚でサカっているとはいえ検札が来る前からやったりはしない
それにやる時は女から脱がした浴衣を口と鼻に押し付けて窒息させながらやるから
喘ぎ声は出ない >>94-99
昭和50年代だった気がするが、昔時刻表の投稿コーナーで新婚旅行中の奥さんが
寝台車内でセックスして、そこで命中してできた息子が相当な鉄道好きの内容があった。
その息子が当時小学1・2年生だったようなので、現在生きていれば50歳前後だなw
当時と比べると、JR化後にできたロイヤルやスイートなどの個室は、
格段に行為をしやすくなっただろうw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています