夜行列車総合スレ★23
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日本の夜行列車も2021年7月現在で定期運転しているのはサンライズ「出雲」・「瀬戸」だけになり、
臨時列車で何とか走っていた「ムーンライトながら」もコロナ禍などの影響で正式に運転終了とされ、
残るサンライズもいつまで運行が継続されるか不透明な状況で今後が気になります。
その一方で「ななつ星」「四季島」「瑞風」「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」
「WEST EXPRESS 銀河」など、豪華な客室を売りにする寝台列車は従来の夜行列車とは全く趣向が異なる、
ツアー方式クルーズトレインへの業態転換が特徴ですが、これらもコロナ禍で今後が不透明になっています。
当スレでは、もはや輸送列車としては絶滅寸前となった夜行列車全般について、
過去の列車の思い出話を中心に語ることで雑談などをします。
辛うじて現役である列車やクルーズトレインは、鉄道路線・車両板の個別スレでお願い致します。
※個別スレへのリンクは>>2以降で
前スレ(夜行列車総合スレ★22)
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1616100843/ 昔からの現役夜行列車の関連スレ(路車板より)
寝台特急サンライズ瀬戸・出雲☆彡PART106
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1622691364/
285系電車サンライズ・エクスプレス(寝台特急サンライズ瀬戸・出雲)Part2
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1600158897/
クルーズトレインの関連スレはこちら(生き残ってるものだけ)
JR西日本117系改「WEST EXPRESS銀河」Part4
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1610740981/
廃止された夜行列車のスレは懐かし板に色々と
東武の尾瀬夜行・スノーパルは東武系スレを参照? 客車が時速120キロ走行対応で66が120キロで九州ブルトレ引っ張ったらかなり時短したかも。 前スレの続きといえば1985年からEF66が牽引機になったことやな
貨物用とは言えカコイイので華があって良かったと思うよ
より良かったのは、引き続きEF65も使っていたところ SGなんかが必要なわけでもないし、
貨物用とくくるのはどうなんかね
特急貨物用だとしても、特急旅客車を牽いてもおかしくないでしょ
あの横ラインは特急色の特徴でもあるわけだし 貨物は緩急車が連結されなくなってSGの必要性はないけど
荷物列車はオユ車内で働く郵政省スタッフのために暖房は必要だった
そういえばヨはダルマストーブだった区間もあった 客車もそうだけど、本当に4〜50年前って冷暖房は特別だったよな。 暖房はもっと前から普通にあった
>>8
貨物はSG関係ない。緩急車は石炭や石油ストーブ >>9
通勤型にも冷房が標準装備になったのは1990年前後だったと聞いてる
つーか、地下鉄はさらに後だったよな 24系2段式は更衣室がなかったな、寝台で着替えろということか、元3段式の14系には更衣室があった >>12
2段B寝台はあぐらかける、3段は上体起こせないので着替え無理 >>12
583系でもあった
西日本車はスキー置き場
東日本車はシャッターのついた荷物置き場があった 九州の夜行は下りはある。だけど上りはない。何のこっちゃ? つまりだね、特に高校だが、関東の高校は基本的に7月20日から8月31日までしっかり休みになっている。最も夏休みの講習や部活に自分が必要を感じて行く事も
ある。
一方で、最近ようやく分かったのだが、
九州の高校はほとんどが、土曜日と冬休み、
夏休み生徒を徹底的に拘束する。すなわち、講習や部活を任意選択を建前にして、実質強制して決して休ませない。特に地元で3番手4番手の
自称進学校と呼ばれてる所は朝の講習0時限と
放課後の講習7時限あるいは8時限、土曜日の
講習、冬休み夏休みの6時限の講習を実質的に
強制する。従って関東の高校生は夏休みは九州の親戚の家に下り夜行に乗って遊びに行けるが、九州の高校生はそんな暇はない。九州のいとこが小学生の頃は活き活きしてたのに何で
中学そして高校に上がって恰も自分の人生がないように鬱屈してたのかようやく分かった。そんな九州のいとこの家に夏休み遊びに行き、大してやることもなくうろちょろしてるもんだからコイツは一体何やっとんじゃ?学校行かんでいいのか?という複雑な顔と目で俺を見ていた理由が分かった。つまり九州特急は下りはあるが上りはない。
」 >>4
バブル崩壊前に計画されていた、JR東海・西日本・九州が共同して投入する九州エクスプレスが実現したとしても、最高速は110キロのままだろうしな。
しかし計画していた頃にちょうど貨物からEF200試作機が落成したから、寝台特急の120キロ化と更なるスピードアップに三社がうちにもこの機関車をと、興味を示していた可能性もあったと思う。
もしこれが実現したら、倒壊に嫌がられたEF200の運命も変わっていただろう。 自分は長距離だと夏休み・冬休み・春休み期間中に旅行する事が多かったので往復夜行列車に
乗る事が多かったけど夏休みはお盆期間中を外して期間が短い冬休みは12/29〜1/3は確実に
混雑するから試験休み(私立高校なので)の1週間を使って旅したりしてた
昔の土曜日は学校も役所も一部の企業も昼12時までの半ドンで自分が就職した会社は1988年
から完全週休二日制の導入になって3連休も増えたけど俺は25歳で結婚したので乗り鉄趣味は
凍結になったけど生まれた長男が鉄道好きでブルートレインを利用して家族旅行はよく行った >>16
東海は機関車+客車は避けてたと思うよ。
運転士の養成もそうだし、線路にかかる負担もよろしくない。 当時の東海道山陽は110km/h区間が大半を占めており機関車牽引列車が120km/h出せる区間は現時点でも存在しないんですが EF200の最高運転速度は110km/h、スペックで設計最高速度120km/hとは
書かれているけど実際に営業列車として120km/hだして走るのは無理だよ
瞬間的に120km/hで走れるかも知れないけど通常の運転速度として不可能 >>18
東海旅客鉄道は富士はやぶさが廃止になってすぐに東海道線の
在来線電気機関車は乗務員ハンドル訓練をしなくなった 乗り心地を考えりゃ、カンベンしてくれ
ってもんだろ。120km/h >>18
バブル時代に倒壊は、九州寝台特急を置き換えるのに電車化なんて殆ど考えてなかっただろ。
下関あさかぜと瀬戸は、のちに瀬戸がサンライズで実現したように少しはあっただろうが。
>>19
実現することはなかったんだから、当たり前だろが。
しかしJR貨物がEF200の最高速を120キロにしてたのは、東海道山陽本線で機関車牽引列車で、速度向上の実現性があると判断したからだろ。 東京へ着いたブルトレは踊り子号として伊豆急下田へ運転すればよかったのに
食堂車もあるしB寝台はグループ席として向かい合わせを4人〜6人で発売
料金はグループ席で6人分の特急料金(運賃は人数分)、個人の客はA寝台個室利用となるが定員からして安売りは出来ないし2人利用も好ましくないので
A個室料金相当の料金で販売する。機関車と客車を夕方まで遊ばせておくよりまし 下田となると往復で6時間は見ておかないといけないから、夜行の間合いでは
整備時間が取れなくて無理だろう。
あと、4人とか6人単位での販売では利用しずらいと思うぞ。割増料金を払うほど
魅力的な設備とも思えない。 やっぱりだめか、300人位しか客を乗せられない奴が1日片道分しか仕事をしないのではなあ >>25
120km/h運転化は電車列車と気動車列車のみで機関車列車では現時点でも実現しないのは技術的にも経済的にも割に合わないからだぞ
EF200は速度向上による旅客会社の軌道整備の発生と継続的な負担の増大を全く想定・調整してなかった上に、変電所の容量も全く足りない
ことがあとから分かるなど、貨物サイドの勝手な先走りでしかなかったEF200のスペックなんて何の参考にもならん 韓国のKTXは機関車が前と後ろにあるけどあれは電車列車?機関車列車? それ以前にEF200で運転すると110km/h運転ですら送電容量が足りず電圧降下が著しく発生する箇所がいくつかあることが
試運転の結果から判明して会社間で揉めに揉めた結果、貨物が費用の大部分を負担する形で変電所の増強までやってるからな >>26
そんな寝言を言ってるのはお前と堀内重人くらいだぞ 平成初期までの繁忙期の踊り子は東京15時発まで定期列車の設定があって、自由席はデッキまで満員となることも珍しくなかったのに
14系座席車まで動員して捌いていたのに、ブルトレを間合いで踊り子に運用をしたらとか乾いた笑いしか出ない 中国は25G客車くらいから120km/hに対応してるんだよな
在来線も高速鉄道も同じ標準軌なのは有利だ >>36
佐川の貨物は前の車両は機関車ではないのか、よくわからん 90年代以降
にしてつはかた号(山陽道開通で時短)
のぞみ博多へ(内輪)
スカイマークエアラインズ(KEIO博多線撤退)
脱法ツアーバス(東京−長崎もあったね)
これだけ喰らえば110km/hだろうが120km/hだろうがもはや時間の問題よ
国営か民営かはさておき全国一体運営だったなら
九州特急のクルーズトレイン化も可能だったのかしら(遠い目) 下りなら
東京・東京・大東京の夕景を眺めて出発
湘南の海を眺めて夕食(根府川で少し長めに停車)
早めのお休み放送は「いま富士山の近くを走っています」
瀬戸内の海を眺めて朝食(周防大島・大島大橋見えたー)
こんな感じでね 今の広島発東京行き最終のぞみ64が夜8時過ぎで夜行列車の入る余地ないだろう。
広島始発も東京10時前に着くし、少なくとも東海道〜山陽スジで夜行列車の
ビジネス客のニーズはほぼ潰えてる。 単なる個人的な趣味の問題でしかないのに
社畜自慢、奴隷自慢とすり替えて
のぞみの時間に間に合わないくらい
働いてる人がいるんだから夜行列車が必要
なんて言い出すオタがいるのが
その手の話をややこしくするんだよね >>26
東京到着が早くて東京発車が遅かった「出雲3・2号」「瀬戸」「銀河」ならそれが出来たかも
知れない(100%無理だと思うけど)が予備車が少ないブルートレインは品川で休んでいる時に
整備・清掃・汚物処理・消毒が必要だけど交番検査や不具合箇所の修繕とかもあるので不可能。
>>40
湘南海岸は平塚市までだよ、茅ヶ崎〜平塚で馬入川橋梁を渡る時に見えるのは相模川の河口だし、
国府津駅通過時に一瞬見える海岸は見えるけど西湘海岸(大磯町・二ノ宮町・小田原市)なので
湘南海岸は見えない訳 付け加えるのを忘れたけど銀河52号で戻ってから14系座席車臨時踊り子で伊東往復して
品客に戻るとその夜の銀河52号で大阪に戻った宮原客車区の変臨運用は実存した このスレは過去の夜行列車を懐かしむスレ
ヲタの妄想夜行列車展望なんて必要ないから このスレは過去の夜行列車を懐かしむスレ
ヲタの妄想夜行列車展望なんて必要ないから このスレは過去の夜行列車を懐かしむスレ
ヲタの妄想夜行列車展望なんて必要ないから 同じ事を3回も連続して書かれたらどんなバカにも分かるだろうw
このスレは空気が読めない人が多すぎてID:XzjDx41Mが3連打したのかも 結局、元々総合板にあったこのスレが、サンライズ以外完全に消滅したことで
懐かし板に完全移転してしまったからなぁ
鉄道などを取り巻く様々な情勢まで考えれば、夜行列車が今後全滅することがあっても
盛り返すことはほぼ確実にないだろうし、そうなると思い出話しか実質的にできなくなってしまうか 新幹線は1000人の客を乗せて1日で東京〜博多1往復半3000qの営業をするわけだから
その3分の1しか距離を走れず3分の1の人しか運べない寝台特急の適正価格は単純計算で新幹線の9倍東京〜博多で20万円
寝台特急はどう考えても成り立たない >>54
しかも、新幹線か飛行機で移動すれば
在来線やクルマよりも移動拘束時間が大幅に短くなり、
目的地次第では車内での飲食を考える必要さえもなくなる可能性があるとなるとねぇ
短縮された移動時間の分を、現地での長時間滞在に廻せればメリットも大きいし、
新幹線と夜行列車での運賃+料金がさほど変わらなかったら、
そりゃ夜行列車は単純な移動目的では論外ってなるか このご時世、コロナ禍前でもサンライズ移動なんて許す企業もないだろうから
今更出張に夜行列車の話題を出すのもナンセンスだと思うがね
夜行列車で出張なんて国鉄末期かせいぜい1989年くらいまでが限界のはず JR化後も、山陰・山陽地区からは新幹線乗継往復よりちょっと安くて
B寝台も使える指定席往復割引きっぷがあった、それの利用者で広島〜岡山
から東京でB寝台満席なんて日もあったが、そういう割引きっぷで満席に
なるから儲かるどころか赤字な寝台列車になってしまったのだろう。
逆方向の東京発は設定無かったし。 公務員の旅費規程で寝台料金は普通に書いてあるし自治体とかで管理職A寝台一般職B寝台という規定があるところもあるみたい
JRはすでに解放寝台の規定を廃止している >>54
新幹線博多開業からしばらくは、東京〜博多で新幹線より寝台特急のB寝台がいくらか安かった。
その後国鉄の度重なる値上げや、B寝台の二段化などで崩れていった。
寝台特急は値上げになると、特急料金と寝台料金の両方アップするのが痛い。 B寝台が2段ハネになってからは黒字の寝台特急なんてないと思う
3段寝台が満席だと儲かりそうだけど20系出雲や20系はくつるは
黒字になっていたかも知れない
25形や15形の登場に2段改造が寝台特急末期だったのかも知れない 鉄道を収益事業と捉えるか公益事業と捉えるか。警察や自衛隊や消防を「儲からない」
とは言わんよね。せめて「お金があまり
かからずに済む」 でも警察は特定の時期にネズミ捕りとかやってポイント稼ぎはするからねえ
追っかけ可能なネタがその時期にあるともう最悪 >>61
鉄道は公共性はあるが公益性はない
警察消防と比べる時点で発想が半世紀遅れている 寝台車が利益上がらないのは1列車で使い回しができないからだよ
区間利用でも始発から終点まで席をおさえてるのと同じ 少しでも有効利用しようと「ヒルネ」制度もあったけど
中国の寝台列車は客が入れ替わってもリネン使い回ししてる 公共性と一言で言っても国営に近い3公社の日本国有鉄道なら仕方がないけど
今は分割民営化した普通の民間企業だから赤字や儲からないのなら廃止するのは
企業理念といて正しいと思う
昨今のJR北海道は極端に乗車率が劣る駅や線区は廃止や一部廃線になってるのは
仕方がないし、今後廃駅や一部廃線などは更に増えると思う
2031年の札幌駅新幹線開業で函館〜東室蘭〜苫小牧か長万部〜小樽のどちらかか、
最悪両方は第3セクター丸投げになりそうな予感 北海道新幹線はスレ違い。
さらに、最悪両方は3セク丸投げなんて、制度も議論も無視した……夏休みだっだ JR北海道は札幌まで新幹線が開通したら儲かってない大赤字線区はバス転換してもいいかもな
赤字負担分をJR北海道や北海道民が被ってくれればいいけど関係ない地域の人に負担させるのは
脱赤字を考えて廃線や廃駅に3セク化や大幅運賃値上げも利用者負担という事で仕方がないよ 定期貨物が走ってる新富士〜札タ〜五稜郭と臨貨が走る北見〜札タだけは
確保してそれ以外は廃止は可能って事だよね?五稜郭〜木古内はどうせ
道南いさりび鉄道線だから無問題でおk 東京五輪は大成功したから、次は札幌冬季五輪招致だな。
五輪効果で北海道の鉄道の起死回生図れるかも。 始発駅でホームに停車中の客車て機関車がまだ来ないうちは、照明やエアコンがつかず真っ暗だった気がするけど
よく覚えていないわ もとよりエアコンなどついていなかったな
年取ると色んな記憶がごっちゃになってなかなか思い出せん >>75
飛行機と新幹線札幌開業があるから夜行列車の出番はもうないよ
2031年以降になればJR北海道の線区も半分くらいは3セクや廃止で
消えているかも知れないし、夜行列車どころじゃないと思うよ
>>77
車両基地からの回送だと寝台特急を除いて照明は切ってある夜行列車
もあったけど車掌が乗ってから照明を点けるケースもあったよ
20系+12系時代の急行上りかいもんは西鹿児島駅をに入線しても
担当レチが乗り込むまで照明は消えていたけど冷暖房は入ってた >>78
いっそ、札幌中心に旭川、稚内、北見、釧路、室蘭と新幹線網を整備して地方航空を潰す機会もある。実際、スーパー北斗は航空客奪ったし。 >>78
機関車なかっても電気ついたり冷暖房つくの? >>78
> >>77
> 車両基地からの回送だと寝台特急を除いて照明は切ってある夜行列車
> もあったけど車掌が乗ってから照明を点けるケースもあったよ
時代による。ってか、国鉄末期以前は回送でもレチ乗ってたよ。で、始発駅までの間に冷暖房(暖房)調整。 >>80
旧型なら電気は車軸発電+バッテリー、冷房は冷房用エンジンなので機関車関係なし。暖房は機関車からの供給だけど、拠点駅には地上から供給できた。
20系、12系、14系、24系は客車(電源車)のエンジンだよ。 客車ごとに、車軸発電+鉛蓄電池とか頼りなくて、或いはクーラーの為にいちいちディーゼル発電とか冗長で効率悪くハイコストで20系24系の集中電源方式洗練され方には改めて感心させられるものがあるね。と言うか旧型客車時代でも電源のシステム化でセミ集中電源化とか
考えられなかったのかな? 鉛蓄電池なんて
ちょっと放電するだけでどんどん寿命が縮まる
代物なんだけど 12系2000番代と50系5000番代の電灯と冷暖房は機関車給電 >>83
大量にあった上にシンプルな構成だったから保守的にも現場で対応しやすいし、
使う電力は多くないからこそ、旧客の電源管理は成り立ってたんじゃね? その非効率とされる冷房は10系寝台車と郵便車くらいなものだから
現場も「いずれ無くなるし」くらいに考えていたのかな?
元をただせば電力は室内灯が点けばよいだけだし
暖房はSLのスチームを引き通すだけだったし >>83
鉛蓄電池は安価、当時はほかにまともな蓄電池など手の届く価格でなかった。
メンテ(液量管理と、揺らすこと)すれば結構長持ちだし。 車軸発電機つきの旧型客車ってすごく重そう。
これ見ると引き出すときに台車あたりからキーキー音がしてる。
(14分26秒〜、塚口駅)
https://www.youtube.com/watch?v=mTIbNIz1DRg&t=14m26s 上り東京着のブルートレインが品川に回送されると電源車のエンジンは停められたので
エアコンも照明も停まるけど白金番線の洗浄ラインを通って電源車に給油が終って
札の辻番線に並ぶと電源車のエンジンはかかって夏場だと品川出区3時間前にはエアコン
が入れられるので東京駅から乗るときには車内はキンキンに冷えている状態になってる >>22
鉄道ファンでEE200-901の記事を31年前に読んだ時、貨物列車の120キロ運転も想定している、という記載があったんだが? 旧客の時代1両で2両分の電気を賄うってことが確かあったよね。1両に車軸発電機+蓄電池を積んでもう1両にも給電するヤツ…前車が母車、後車が子車って呼ぶんだったか?
うろ覚えゆえウソやったらゴメン。 今みたいなリチウムイオンバッテリーとかあれば蓄電池の持ちはよかったかも? 室内灯と言っても当時は電力バカ食いの白熱灯だから電池の消耗も無視出来なかったんじゃないかな。白熱灯の前は石油灯?そしてその頃
ヘッド、テールライトもカンテラだった時期と同じかな。ほんの足元しか照らさないで
闇夜を突っ走るC51とかおっかねえ。 >>93
客車じゃないけど初期のワキがそうだったね 最晩年の113系神領車を使った大垣夜行はATS-Pがないのに東京駅に入ってたんだな
今だと安全面で大問題になりそう >>95
灯油ランプ→ガスランプ→白熱電球だね。そして蛍光灯→LED灯。蛍光灯になったのは10系客車からだったっけ?
車軸発電機のプーリーベルトが車軸間と言う保全整備がしにくい位置にあったのは、標準軌化の際、台車は既存のままで車軸だけを変える為だったらしい。 車はダメだが昔は機関車は乗務前に酒飲むのは認められていた
冷蔵庫にもビールが入っていたみたいだし不規則な勤務だから集中力を持続するのに酒は必要だった
規則が変わったのは名古屋や西明石でやらかしてから 西明石で列車線から電車線に移るブルトレというのは珍しくなかった?
米原経由のサンダーバード位の頻度であったの? >>103
1982年3月 寝台特急「紀伊」が名古屋駅でDD51を連結する際に飲酒運転の
機関士が速度を上げて紀伊の14系に衝突して車体が大きく凹んで脱線事故。
1984年10月 寝台特急「富士」を牽引するEF65PFを運転する機関士が飲酒
運転で速度規制がある西明石駅構内を原則せずに高速運行してカーブを曲がり
きれずに25形の車体がホーム淵に当って脱線事故。
国鉄ぐるみの規律の乱れが問題となった。富士の事故と同日、奇しくも運輸省は
国鉄の分割民営化方針を正式に表明している。 その事故の前からも規律の乱れは目立っていたからなぁ。
「順法斗争!」と言いつつ、実態は活動家のやりたい放題で
浅草橋駅放火など民営化反対の国労=中核派が暴れていて
世論も国鉄解体で一色だった。動労=革マルは民営化賛成に
回っていた、上尾事件〜首都圏国電暴動を契機に世論が一気に
国鉄改革に傾いて国労vs動労と路線対立が鮮明化していった。
確かやらかした運転士の所属は動労じゃなかったっけ。俺たち
は国鉄解体されても次があると傲慢さが目立っていたというし。 >>101
飲酒操縦は昔から駄目だよ。認められていたなんて何を根拠にデタラメを。
ただ、何を以て飲酒操縦とするかの基準がなかったから、黙認していただけ。
冷蔵庫のビールは本当のようだがね。
事故を受けて、法律は変えずに飲酒の基準を明確にしたり、会社側の管理基準を示して、処分しやすくしただったと記憶。 >>106
浅草橋駅の事件は1986年に起きたんじゃなかったか?
スレ違いだろうからこれだけにしとくけど 国鉄時代(1970年代)は運転しながら漫画本読んだり
あんぱん食いながらの運転が中央線快速や中央線緩行線で
平然と行われていたから当時から国鉄はたるんでいた その頃は酒気帯び運転でも事故起こさなかったらおとがめなしの時代だ。
散髪屋の親父が煙草くわえながらハサミをにぎり居酒屋での年齢確認などありえない、シートベルトをしない車やノーヘルの原チャリも違反ではなかった アスベストにダイブ
水銀整流器のタコや水銀体温計を割って遊んだり 水銀整流器といえばED71だな
1970年以降シリコン整流器に交換する
工事が一部の車両に施工されたが 昔の機関車やキハ82とかは運転台に灰皿があったんだな
客室から運転席が見えなければ運転中の喫煙が黙認されてたようである 喫煙に関しては貨物だと推奨されている。485系でも最近までついていたし。 腕章や帽子を忘れても機関車の運転はできるが、タバコ忘れたらイライラして運転できない。 >>119
DD51の運転台にある灰皿は客室と同じタイプ 灰皿、栓抜き付き小テーブル、コート掛け
弁当と塩ビ製お茶入れ 灰皿、納戸のどこかにしまってあるな。栓抜きもある
国鉄末期やJR初期の工場や機関区公開で捨て値で売ってた 【旅行】長距離、循環、かつての「国鉄旅」は魅力的だった日本中へ「乗り換えなし」で行けた往年の日々 [七波羅探題★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1627944827/ 新星が魅力的だったのは車内でやることが寝ることだけだったからでな 新星の寝台で寝て仙台からは全席指定の韋駄天くりこま
急行十和田と時間帯は同じだが周遊券では利用できない贅沢乗り継ぎ >>128
455系が青森まで運転されていた(東北本線全区間を制覇していた)と言うのも、
個人的なイメージ(盛岡以南メインの運転)からしたら驚くべき事実ではある 急行くりこまは仙台〜青森間で特急はつかりや特急やまびこに抜かれるための
停車駅もあったので東北新幹線盛岡開業後の快速くりこまになっての方が表定
速度が上がっているのが笑える 急行くりこまは2往復あった時期もあるから
下り2号のことじゃないの(棒 上りの1本目(やる気なし)
速いと有名だったのは下り1本目と上り最後 急行くりこまは乗った事がない、上野から青森まで行く自由席連結の夜行急行が八甲田1本、
津軽3本、十和田3本の計7本あったので直行プランしか眼中に無かったのかも知れない
1977年だと・・・
上野19:10(八 甲 田)6:15青森
上野19:27(津 軽1号)9:06青森
上野20:10(十和田1号)8:12青森
上野20:50(十和田2号)9:07青森
の4本が青森行きの直行夜行急行だったし、青森着が昼前後なら十和田3号や津軽2号もあった
上野から昼間に下るなら食堂車付のはつかり、みちのく、上越線・羽越線経由の青森行きなら
食堂車付のいなほを選んでいたと思う >>134
急行「くりこま6号」と夜行電車急行「いわて」の乗り継ぎが急行「十和田4号」青森発上野着がほぼ同じ
1980年改正で「くりこま6号」に自由席が設置され東北新幹線開業までの期間、ワイド周遊券でも急行券なしで
乗り継ぎができた。
「くりこま6号」でディーゼル急行を追い越すのを眺め仙台でそのディーゼル急行の到着を見届け、それから2時間待ちとなるが >>136
その乗継ぎは当時なら、通常は夜行いわての始発、盛岡で乗換えになるだろう。
始発駅からなら好きな席を選べるので。
どうしても瀬峰で気動車急行の追い越しを体験したいなら仙台乗換えだろうが、
当時そこまでしたい奴がどれだけいたか?
また仙台乗継ぎなら、運転日が多かった夜行まつしまの選択もあったし。 1974年だと仙台駅で急行十和田5号より48分後に発車した急行くりこまは
沼宮内駅で十和田5号を抜いて青森駅には急行十和田5号より25分も早着した >>128
> 周遊券では利用できない
急行券と寝台券、指定券変えばいいだけじゃん 周遊券利用する連中なんて今の18乞食並みの貧民なのに
別払いなんて頭の片隅にもないよ >>139
社会人やバイトしてる大学生なら寝台特急券や寝台急行券に指定席急行券を
買って乗る事は容易い事だけど高校生の時はそれはかなり難しかったよ。
自分は私立の大学付属高等学校だったから親の負担も大きくてそんなに臨時の
小遣いも要求できなかったから北海道・東北・北陸・九州の各地へ行く時は
ワイド周遊券を使って往復は極力安く行くために八甲田、十和田、津軽、越前、
能登、九州方面は新大阪から阿蘇、くにさき、雲仙、西海の自由席が当たり前
だったのは年代の差かも知れない。
ゴーサントオまでは北海道ワイド周遊券のB券でも特急自由席が利用出来ない
時期でもあったし考え方も価値観も違っていたと思うよ。因みに自分が高校生
だったのは1974年から1976年の夜行列車の本数がそこそこ多かった時代。 >>141
それよりも、変なところで改行するから、読みにくてしょうがないのだが。 読点を全く使わないヤツと、読点が無駄に多いヤツはまず間違いなくヤバいヤツな >>140-141
国語の問題だよ
「周遊券では利用できない」の解釈の問題
急行券と寝台券、指定券を買えば周遊券を運賃部分では使えるんだから
「周遊券では利用できない」というのは表現としておかしい
「周遊券のみでは利用できない」と言わないと
別払いが金がなくてできないならそう素直に書けばいいだけ
>>143
自分の書き込み欄の端に来たら改行してるんだろうな
他人の環境は考えてない >>145
>別払いが金がなくてできないならそう素直に書けばいいだけ
昔の高校生がそんなに金持ってる筈ないだろw
学生なのだから趣味以外に授業が終ればクラスの男子や女子と
喫茶店でお茶して帰ったり、デートしたり更に体育会系の
部活しているといろいろ金は使うからな
タバコも隠れて買ったりするからw >>146
> 昔の高校生がそんなに金持ってる筈ないだろw
あんたズレまくってるな
国語の問題だと言ってるだろ 周遊券は金のない学生しか使えなかったとでも思ってるようですね 移動距離を問わず、国内外の旅行どころか近距離の(不要不急の)移動さえも
堂々とは表立って行えないような時代へと一気になってしまうなんてねぇ
夜行列車なんかも、ほぼ完全に思い出のかなたになる訳だ >>141
ワイド周遊券B券で特急自由席が使えるようになったのは53・10どころか、
その3年後の昭和56年から。
理由は九州の幹線を特急だらけにしたからだが、まだ急行だけでも不自由しなかった
北海道ワイドまで適用されたのは驚きだった。 >>146
確かに座席まで全車指定になってた、夜行狩勝・だいせん、十和田3号には殺意すら
感じた。
別の夜行で代替ができたから、「嫌なら乗るな!」だっただろうが。 >>153
その気持ち、痛いほど分かります
その後に狩勝は自由席が連結されたけど1両のみ
道東方面はからまつばかり愛用してたよ 九州ワイド周遊券はよく使ってた。
往復では寝台特急や新幹線だったから
周遊券の恩恵はなくてただの乗車券代わり
だったけどそれでも普通に乗車券買うより
安かった記憶。親戚の家に居着くと出かけるのも面倒で周遊区間内も大して乗らんかった。 >>154
自由席設置は「からまつ」廃止の引換えだったね。
1年後に石勝線経由の夜行「まりも」に替ったが、旧客時代夏のシーズンの自由席混雑は
どうだったかな? >>155
ワイド周遊券は特急に乗れなくて乗車券代わりに使っても学割だとお得でしたよ
鹿児島本線は455系の急行かいもんが、日豊本線も同じく455系の急行日南が走って
いたし他にも急行列車が設定されていたが宮崎〜西鹿児島間はDC急行だったような? コロナとは言えお盆だと言うのにJETSTARの成田福岡は4900円くらいで乗れてしまう。かつてのあさかぜの寝台料金よりも安く特急料金とほとんど変わらない。晩と朝食堂車行ったらそのくらい飛んでしまうのではないか?
つくづく鉄道は終わったなと思う。当時は往復で万札が何枚も飛んであたりまえだった。 >>157
昭和末期頃の名古屋発南近畿ワイド周遊券は、名古屋が自由周遊区間に入っているうえ特急自由席がロハ、そして学割3割引きで往復経路が東海道線京都経由可だった
いろんな使い方をした人がいたのではないかな >>158
あさかぜの食堂車で夕方から夜に豪遊すればそれだけで4900円は飲食費で消えるよ
日本食堂門司営業所が担当していた食堂車ならメニューも豊富でエビフライ単品や
牛タタキにビールを飲んで途中からウィスキーに変えて〆に関門定食でも食べれば
それくらいの金額はいっちゃうよ
当時は飲食税が別に1割課税されたからね >>158
4900円は安すぎだが、それは手数料込みの金額?
まあJAL・ANAでも早く買えば羽田〜福岡が1万円以下。
東京〜博多は寝台料金込みで片道2万円以上、九州ワイドを組合わせれば
全行程の交通費が6万円はしたので、お手頃に素早く行けるようになったものだw
丁度食堂車が廃止になった1993年頃は、成田−ロサンゼルスの航空券と
ほぼ同じくらいだったので、九州行くなら気軽にロスへの感覚だった。 昨日の松山→成田がジェットスターで6000円ちょっと >>159
その頃の南近畿ワイド周遊券は3種類の夜行列車がエリア内で使えて便利でした
南紀 921レ 名古屋 15:21 → 5:00 天王寺
南紀 924レ 天王寺 22:40 → 12:08 名古屋
紀州 1915D 名古屋 22:58 → 5:47 紀伊勝浦
きのくに 312D 天王寺 23:30 → 5:23 新宮 大学時代の
ワイド周遊券がある時に北海道へ行っておくべきだったと今後悔してる。
当時は離島旅行に明け暮れてた。
離島も最高だったが北海道の路線がどんどん廃止になってくのを見ると悔やまれる。。。 山陰に乗って、京都→米子まで乗って境港から隠岐に渡った事あった、
当時は若かったから屁でもなかったが今は体力的にも時間的にも無理だろうなぁ >>164
今の大学生は、(夜行列車等も駆使した)鉄道旅行どころか
(移動手段を問わず)完全に旅行どころではないご時世に直面してしまっているのがなぁ
しかも、時間とカネをかけて旅行するんだったら、寝転んでスマホでも眺めていた方が
格段にいいんじゃないのかって時代にもなってしまっている気はする
自分自身が大学に在学していた時が、周遊券最終世代だとも思うけど(1997年入学)、
色々と根本的に時代が変わってしまったな >>163
その頃の南近畿ワイドは亀山〜名古屋はフリーでないので夜行を名古屋から乗るなら別払い 夜行で思い出すのは
隠岐まで行った時の山陰
急行だいせん
夜中に高松出発する鈍行(名前あったかな?)
信州まで乗った名前忘れた臨時の夜行急行
おなじみの大垣ー東京
これぐらいしか乗らなかった(寝台特急は除く) >>168
夜中に高松出発する鈍行(名前あったかな?)の件
高松0:30「急行うわじま1号」6:55宇和島
高松0:34「普通731D」7:51中村
国鉄時代に高松駅を深夜に発車する定期夜行列車はこの2本だったはず >>169
中村まで行った思い出がありますね〜普通だったんですね。ありがとーーー 731Dは山間部の小駅は通過するし、急行用車両の間合い運用で冷房も効いてて快適だった 中村行きの731Dも帰路の高松行き762Dもグリーン解放が連結していたので必ず
3号車のキロ28ばかり狙って座っていたよ 編成にキハ65も連結してたので
どの号車も冷房が効いてて涼しくて最高だった想い出がある 特急日本海は深夜時間帯でもやたらと停車駅多かったのはなぜ
座席車をつないでいたのか >>173
1975年3月10日から1976年2月28日までの下り日本海1号(6003レ)と
上り日本海2号(6004レ)は座席車連結だったよ >>174
それは座席車連結じゃなくて14系座席車のみでの運転、それも繁忙期の指定日のみ運転だろ
ttp://blog.livedoor.jp/railart/archives/3164039.html 14系座席車と言えば末期の「紀伊」は、名古屋での酔っ払い運転の影響もあって
スハネフが足りなくなりスハフ14を緩急電源車で連結するのがデフォだった。
マルス売りはせず車掌からなら指定席特急券は買えたのだろうか。 >>172
1980年10月以降なら、それはグリーン開放でなく普通車格下げ済。
急行では普通車指定席の扱いだった。
それ以前なら普通列車グリーン券が必要だった。
>>173
日本海が20系1往復のベースのまま、その後2・3号も深夜の金沢・高岡・富山に
停車してたな。
当時でも青森直通列車が少なく、地域からの要望だったかもしれない。
今は三セク化されて、当時の見る影もないが。 >>176
買えなかった。その14系座席車はあくまで定員外扱い。
「みずほ」でもそんなケースがあった。 さくら・みずほ・出雲3・2号の14系ハネの2段化改造の時もスハネフ14の変わりに
スハフ14を編成に組んでいた時があったけどその時もハフはマルス発売しないで
単なる緩急車とディーゼルエンジンを使っているだけだった。 いなばにスハフ14ーオハ14が入ってた時は普通車指定席として切符売ってたんじゃなかったっけ?
あれは北陸トンネル火災事故を受けての難燃化工事だったか いなばは機関車がEF58だったのは仕方がないとしてヘッドマーク付けていなかったのは何故? 1976年〜1977年のいなば(2003レ・2004レ)の8号車がスハネフ14からスハフ14に変わって全車指定席で
発売されていた時期がありましたが繁忙期はB寝台として売られています。北陸トンネル火災事故を受けて
スハネフの防火強化対策工事が行われて客車が足らない繁忙期を除いて策がとられていたようです。 >>182
担当機関区でもある浜松機関区の労働組合との絡みと聞いていますよ
浜松機関区のEF58にはヘッドマークステーを持たない機関車も一部在籍してましたが 紀伊 いなばも東京機関区のEF58ならヘッドマークが掲載したのかも知れない 昭和36年 新婚の両親が福岡からさくらで上京した時は寝台が取れずに座席車だったらしい。
多分博多回転車の最後尾のナハフ20だったの
だろう。せっかく新婚旅行兼ねての上京なの
だからちゃんと前もってナロネでも取っておいてやれよと母親が気の毒ではある。さらに
東京についた翌日から出張に飛び回るという、
この時からの母への冷遇がその後長く続く
不仲の原因のひとつであり微妙にそれがオレや兄弟に影響を及ぼしていると言えるだろう。
そういう九州との縁があって、20系あさかぜはじめ新幹線0系やしおじ、登場間もない日航747SR、全日空モヒカン747SR、24系25型あさかぜ、14系15型あかつき、100系新幹線、青春18、ふるさとライナー九州、オーシャン東急フェリーなど俺の記憶の中での経験はなかなか豊かなのは幸福なことであるw 俺も高松から高知へDC夜行に乗った記憶がある。それから さんふらわあ に乗って鹿児島へ行った、CMでやってたカメラのレンズでタバコに火をつけるのも真似してやったなぁ。 >>186
気持ち悪い改行すんな
昭和36年 新婚の両親が福岡からさくらで上京した時は寝台が取れずに座席車だったらしい
多分博多回転車の最後尾のナハフ20だったのだろう
せっかく新婚旅行兼ねての上京なのだからちゃんと前もってナロネでも取っておいてやれよと母親が気の毒ではある
さらに東京についた翌日から出張に飛び回るという、この時からの母への冷遇がその後長く続く
不仲の原因のひとつであり微妙にそれがオレや兄弟に影響を及ぼしていると言えるだろう
そういう九州との縁があって
20系あさかぜはじめ新幹線0系やしおじ、登場間もない日航747SR、全日空モヒカン747SR、24系25型あさかぜ、
14系15型あかつき、100系新幹線、青春18、ふるさとライナー九州、オーシャン東急フェリーなど
俺の記憶の中での経験はなかなか豊かなのは幸福なことであるw
こんな感じにしろ
というか他のまともなレス見て勉強しろよ 読んだのかよ。それもいちいち貼りなおすとか嫌がらせか >>186
当時、個人での指定券購入は1週間まえからの発売
もっともその他団体等の割当の枠があり駅員へのコネでどうにかしてもらえたという話も聞いたことあるが 俺は東京生まれだけど両親が長崎県佐世保で俺が生まれる前に転勤で東京に移動して盆と年末年始の帰省は
毎年帰っていたので俺が知ってる限りは急行西海で東京と佐世保を往復していたけどオシ17の食堂車も何回も乗っていたらしいが
急行西海は座席車も寝台も乗っている
1970年くらいからの帰省では寝台特急さくらに乗るようになったけど14系に変わる前の20系さくらは佐世保編成にも
A寝台のナロネ21(長崎編成はナロネ22連結)が連結されていたけど乗るのは一番安い寝台であったけど夕飯と朝食は20系も
14系14形に変わってもよく利用させてもらった思い出がある
門司から鳥栖までがED73でそれ以降は長崎と佐世保までDD51が牽いてたけど急行西海(一部雲仙併結)は下関までEF58〜EF30〜
ED72〜DD51のリレーだったらしいが子供の頃は機関車の事は興味なくて写真さえ撮影していないのが残念
父親は定年になる数年前に佐世保にもどったのだが自分は就職で東京に残って実家帰省する時もさくらには乗ったけど帰省では
板付空港まで飛行機を使い、博多から佐世保まで特急利用が増えて国鉄がJRになった頃くらいから
長崎空港まで飛行機で直行なんてのも珍しくはなかったが1990年か1991年にひさびさにさくらに乗ったら
食堂車の営業やメニューがえらく陳腐化凋落化して驚いた事があった 親は地方出身だが子供は東京で生まれて鉄道にあまり興味がなく利用もしない人が増えたから夜行列車が消えていったって話か
まぁ俺もその一人になるんだけど 西海 って昔は東京発着やったの??
西海といえば西海雲仙 で急行として新大阪発着しか知らない。 ボクにとっても雲仙・西海(と阿蘇・くにさき)は14系の関西対九州夜行でしたが
60年代までの雲仙・西海は東京発着だったんですね 東京〜佐世保を走る「西海」の歴史
1954年10月1日:急行「西海」が運転、ただし1号車(マイネフ29)と2号車(マロネ29)は大阪〜博多で運転
1958年10月1日:全編成が東京〜佐世保で運転(但し荷物車と郵便車は除く)
1961年10月1日:急行「雲仙」を併結
1965年10月1日:「西海」に連結してあった食堂車が「雲仙」に連結
1968年10月1日:運転区間が短縮されて大阪〜佐世保間に変更
〃 〃 〃 :下り1号と上り2号は全車座席車化急行「べっぷ」(大阪〜大分)を併決
〃 〃 〃 :下り2号と上り1号は食堂車不連結へ
1975年3月10日:一往復へ削減、14系座席車のオール座席車へ「雲仙」も併決
1980年10月1日:西海も雲仙も廃止、余剰になった一部の14系座席車は北海道へ移動して500番台化工事後に
急行ニセコや臨時夜行急行すずらんで使われた >>191さんには関係のない話ではあるが、
さくらが14系になった時佐世保編成にA寝台が無いと問題にならなかったのだろうか?
子供の頃児童書で憧れた開放式A寝台、東北新幹線全通後に
「日本海」でようやく乗ることができたが寝台はずっとセットしたままだった。
この時乗ったオロネ24 4は現在京都に保存されている。 >>196
14系「あかつき」3往復(25レ・26レ・27レ・28レ・31レ・32レ)にもオロネ14が投入されていたので
「さくら」の佐世保編成までオロネ14を入れるほど車両に余裕が無かったのだと思います
それに品川客車区の14系寝台14Bは「さくら」以外に「みずほ」と「あさかぜ下り2号・上り3号」
と共通運用だったので基本編成と予備編成に両方オロネ14を組む事は不可能に近いと思う
ちなみに14系の「あさかぜ下り2号・上り3号」は1975年3月9日までで、余剰になった車両は
翌日から「いなば/紀伊」に投入されている 東京発着ブルトレがプッシュプル回送するようになったのって平成何年から? >>194
14系座席客車急行「阿蘇」を熊本-博多間で乗車した(単なる急行列車として)。
485系(東北で押し出された200番台)かもめ(回転クロスシート)、
581系有明(ボックスシート)より快適だったなぁ。
それでも、夜行となるとしんどいんだろうねぇ。 >>196
オロネ24 4は新製後1973年8月28日に向日町へ投入されてその後、品川客車区から
青森運転所→秋田運転所→更に青森運転所へ戻ると2013年3月4日に廃車扱いになってる
見事な転配歴だけど古巣の関西に戻って解体されずに保存されてるのは嬉しい話 >>193
>>195が言ってる前は進駐軍専用列車だったんだよな
それが占領が終わって西海になった。十和田もそうだな >>193 昭和39年9月の時刻表見ると
その後の関西発着の特急急行がゾロリと東京発着で驚くゾ >>197
そもそも14系寝台車は「さくら」へ運用するために新製されて1972年3月に投入してるんだから、
「「さくら」の佐世保編成までオロネ14を入れるほど車両に余裕が無かったのだと思います」
ってのは理屈としておかしい
新大阪以遠と肥前山口以西の各駅間のA寝台の需要が投入するほどだったかどうかって
観点からの話じゃないと >>197
その「下りあさかぜ2号・上りあさかぜ1号」だが、1975年3月改正で分割併合が必要な列車へ14系を捻出するために20系に変更された際に、
博多発着の基本編成と広島発着の付属編成の両方にナロネ21が連結されるようになったんですけど さくらの長崎行きと佐世保行きでは明らかに佐世保行きの方が需要少ない
これはあかつきも同じだし極端な話、鈍行夜行ながさきもも同じであった
しかし趣味的な話では佐世保行きあかつきは筑豊線経由でDD51牽引なので
非電化区間ファンやDD51ファンにはたまらない存在だったに違いないw >>203
二段寝台ならともかく三段の14系14形でA寝台の客がどこまで減るか発注の時点で予想がつかない
となると20系に倣って基本付属の両方にロネをつける発想があってもおかしくないかと。
10年後ですらあけぼののようにロネ2両連結の列車があったわけだし。 20系時代後期でA寝台が2両連結されたのは
あけぼの・急行天の川・急行津軽だけかな?
あけぼのに付いては24系化後も約2年間のみ
オロネ24が2両連結された時期もありました >>208
「さくら」が14系になる直前の20系「さくら」は、基本編成にナロネ22、付属編成にナロネ21が連結されてたし、14系が投入された
1972年3月当時は北陸トンネル火災事故もまだ発生しておらず、今後は20系に代わり14系を継続的に増備して行く計画で、
「さくら」用車両を製造するにあたりオロネ14の製造数を抑制する要素は全くないわけで
にも関わらず「さくら」の付属編成にオロネ14を組み込まなかったのは、佐世保発着にはそこまでの需要はないと判断したか、
まだ右肩上がりだった寝台需要を踏まえて寝台幅70cm化による編成定員の減を少しでも抑制する事を優先したからではないか 佐世保と言えば造船関係者のエラい人とか、議員さんとかがA寝台の客だったんだろけど、
そのあとどこ行っちゃったんだろうね?
飛行機かな?と思って47年3月時刻表見た
けど大阪ー大村空港は一日何便も出てるけど
羽田直行便は無し。長崎編成のA寝で
佐世保編成に乗り換え?B寝で我慢?
大阪まで新幹線?福岡まで飛行機?はてさて 佐世保に東証一部大手企業の造船所ってあったっけ?
長崎県の造船所といえば長崎市の三菱重工業長崎造船所
が頭の中にちらつくのだが・・・ >>204
下関あさかぜと勘違いしてないか?
14系あさかぜは >>197の通り、新幹線博多開業で廃止になり、それをいなば・紀伊に転用したけど。 >>199
ガラガラな時が多く、4人分占拠できることが多かったから、座席夜行でも快適だった。 >>209
20系津軽は、削減された十和田の車両を転用したので、A寝台は1両だっただろう。
座席車が元A寝台だった言えばそれはあるがw 呉 <----> 佐世保は元々は海軍関係者の移動用だと
思うけどね。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kure_chin/data/timetable/timetable_s2510.html
昭和27年当時、呉経由で佐世保行きの特殊列車が
2往復も設定されていた。全車2等以上。 >>214 佐世保重工業って旧海軍を引き継いだ
造船会社があるよ。そしてその関連の手足となる企業が無数にある。
昭和48年から東京長崎直行便なんだ。
飛行機だったら長崎佐世保に車で2時間近くかかっても飛行機+ハイヤーになるかねえ。
時刻表47年の次持ってる昭和53年のを見ると
全日空トライスターが一日2往復、あとTDA
DC-9が3往復。トライスター就航は確か昭和49年、同じ年には日航に国内線747SR 昭和54年
には全日空にも747SR。福岡大阪札幌沖縄の
幹線からさらに長崎のような亜幹線にもぶっとい機材をブンブン飛ばされてはもはや国鉄は
勝てる気がしないw >>219
> 飛行機だったら長崎佐世保に車で2時間近くかかっても
すまん
長崎と書いたが空港は旧大村空港な >>218
海軍じゃなくて連合国の奴らだな。連合軍専用列車が特殊列車になって、佐世保延長は
朝鮮戦争が始まったから
いまも軍港だけど、佐世保はそういう軍関係の需要が廃れたからでしょ。長崎は造船がメイン
だから軍がなくなっても需要があったけど 終戦後の引揚げで南風崎がよく出てくるが
南風崎て読み方調べないと読めないな 南風崎(はえのさきえき)駅は浦頭港に到着した船が戦地からの
復員者・引揚者がこの駅より専用列車に乗り込んだことで有名 東風 こち
西風 ならい
南風 はえ
北風 あなじ 165系ムーンライトえちごの自販機っていつ頃まで販売していた? 1975年3月改正
東京1825→9レ(あさかぜ1号)→博多1053
博多1658→10レ(あさかぜ2号)→東京0930
品川20系 15両 ナロネ22×2+ナロネ21×1連結
東京1900→13レ(あさかぜ2号)→下関1027
下関1605→14レ(あさかぜ1号)→東京0730
下関20系 8両 ナロネ21×1連結
広島20系 7両 ナロネ21×1連結
いなば・紀伊に転用するため14系あさかぜを20系に置き換えたと見るのが自然 1973年10月改正
東京1825→9レ(あさかぜ1号)→博多1051
博多1658→10レ(あさかぜ2号)→東京0930
博多発着 品川20系 15両 ナロネ20×1+ナロネ22×3+ナロネ21×1連結
東京1855→11レ(あさかぜ2号)→博多1121
博多1733→12レ(あさかぜ3号)→東京1000
博多発着 品川14系 8両 オロネ14×1連結
下関発着 品川14系 6両 オロネ14非連結
東京1900→13レ(あさかぜ3号)→下関1027
下関1605→14レ(あさかぜ1号)→東京0730
下関発着 下関20系 8両 ナロネ21×1連結
広島発着 広島20系 6両 ナロネ21×1連結
>いなば・紀伊に転用するため14系あさかぜを20系に置き換えたと見るのが自然
↑は撤回、スマソ 1980年まで20系の狭い寝台が「あけぼの」に使われていたのが信じられない、他の交通機関と競合がないからか。 >>229
20系はベッド幅狭い分収容力高いから重宝されていたんじゃないかな、
宮脇俊三氏の本によれば一週間前発売で東北夜行列車の寝台はどれも
プラチナチケットっぽい。 >>229
それはあった。
あと国鉄時代は西高東低で、上野発着列車は比較的古い車両を充当してた。
そのため「ゆうづる」も含め、九州・関西ブルトレからの玉突きで車両を新しくしてた。
1980年の24系化は「ゆうづる」→「あけぼの」に転用。
「ゆうづる」は関西からの25型で、一部に段化。
そして関西からのブルトレは最終新製車で。 1975年の時刻表見ると、日本海・明星などメジャー系統にオール座席車編成が。
北陸とか安芸とか短距離列車を特急格上げするよりそっちに20系まわせよとw >>229
逆に考えてみようか
三段B寝台とA寝台の編成で寝て起きる時間帯の上野〜秋田利用としようか
4000〜5000円の差なら三段式も選択肢になるやろ
今でも >>235
輸送力は20系より座席車の方が上
20系は乗務員が余計に必要
20系は寝台のセット解体要員の確保要
日本海と明星の座席車列車は季節臨
北陸と安芸は定期 >>237
季節臨ってなんだよ
6000台7000台は季節列車
8000台9000台は臨時列車(8000台は予定臨)
定期列車以外は人員確保が困難と、言いたいことは分かるけど >>234
誰が乗るんだよ的な呉線経由の安芸にまで25形を入れてたな >>239
寝台利用を多くするための遠回り+チンタラでしょ
特急である必要はあったのかね >>238
季節臨も知らないとは…
季節臨と多客臨とでは要員確保の考え方が根本から異なるんだが 季節列車は上野発着の夜行列車で言えば急行おが(20系→14系寝→20系)、急行十和田(14系座)など
国鉄時代は8000番台がモリスジの予定臨、9000番台はダイヤグラムに記述がない設定臨だった 「列車ダイヤはこう進化を遂げた 〜日本の鉄道はニーズにどう答えてきたのか〜」 (交通新聞社新書116) 著者: 和佐田貞一 より
ttp://books.google.co.jp/books?id=BZ47DwAAQBAJ&pg=PT162&lpg=PT162&dq=%E5%AD%A3%E7%AF%80%E8%87%A8+%E3%81%A8%E3%81%AF&source=bl&ots=D0YDSui0Yp&sig=ACfU3U0m9Dpb9wnnTKm6xpsOQo--I7BJDA&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjLz9aKubjyAhXF3WEKHc0NAbEQ6AF6BAgqEAM#v=onepage&q=%E5%AD%A3%E7%AF%80%E8%87%A8%20%E3%81%A8%E3%81%AF&f=false
第1章 ダイヤは列車という商品の設計図
多様なニーズに対応する列車種別
■運行期間による分類
毎日運行(指定日に運休となる列車等を含む)とする定期列車、ダイヤ改正時にいつでも運行できる様、運行時刻、車両、乗務員は準備しておき、
運行日は需要に応じて定める季節臨時列車(単に季節列車ともいう)、輸送需要のピークや団体利用のために臨時にダイヤを設定する臨時列車
がある。このうち、ダイヤ改正時に運行時刻を定めておくものを「予定臨」、運行時刻をその都度定めるものを「モリ臨」(モリスジ)という場合もある。
第6章 乗りたいときに乗れるダイヤの難しさ
新幹線・特急での波動への対応
〜(略)〜
一般的に工場生産品ではストックが出来るので、需要に対し平均的な生産を行えばよいが、列車の運行ではストックが出来ないため、日々の需要
に合わせた運行を行わなければならない。ダイヤ改正時に定期列車に加えて日々の波動に対応するための季節臨時列車(季節臨)、予定臨列車
(予定臨)の運行計画を作成する。年間で運行日数が多く見込まれる列車は季節臨として運行時刻を定め、車両・乗務員運用も計画しておく(運行
日を指定するだけで運行が可能)。
和佐田 貞一(わさだ ていいち)
昭和46年群馬大学大学院(機械)修了。同年国鉄入社。昭和48年東京システム開発工事局(コムトラック開発)、昭和56年運転局列車課(新幹線
担当)、昭和61年同(総括)、昭和62年JR西日本鉄道事業本部運輸部輸送課長、平成5年同営業開発室長などを歴任し、平成19年西日本ジェイ
アールバス社長に就任。平成24年同退任。昭和から平成にかけて数多くのダイヤ改正に従事し、“ダイヤ革命”の基礎作りを行う。 >>243
ID:uTNc1mY4が合ってるじゃん >>240
昭和50年3月に誕生した「安芸」「北陸」「北星」は、体のいい特急格上げ。
急行時代よりスピードの優位性なし。
赤字国鉄の増収目的が見え見えだった。
この時期から「寝台特急」の定義に疑問が持たれた。 短距離夜行はスピードあげてもしょうがないでしょ。北星あたりは喜ばれたっていうな
実際は値上げだから乗りもしない田舎者が特急になったって喜んだだけだろうけど
>>246
季節臨は言うよ。まぁ言ってただな。いま季節列車で話題になるようなのないから聞いたことないだけでしょ あさかぜ51、52号のスジは臨時高速貨物Aが使っていたのは有名。時速110出していたでしょ。 >>248
昔から季節列車としか言わなかったけどなあ 北斗星3・4号も6003レ・6004レは季節列車だったからな 10系ハネと20系とでは居住性違うだろ
「安芸」は格上げ前の「音戸」(寝台列車の方)はそれなりに乗ってたので
(多客期には臨時合わせて3往復あった)格上げしたはいいが
なまじ特急化でスピードアップしてしまったので客が逃げた
呉線経由したはいいが肝心の呉到着が朝4時台じゃ使うのためらう >>249
12時間を超えるから、そのくらいはしないとだめだろうね。
寝台列車は12時間程度が使いやすいと思う。
サンライズ出雲はその典型、発着時間も上下とも申し分ない。
下りはもう少し早めでもいいかもしれないけど、観光客ならこれでいいのかな。 >>252
通路の折り畳みイスの有無でどう感じるか?だな。
特急格上げで料金が割高になったのもあるが、
そうすると上野〜金沢は長い間、スピードに大差ない寝台特急北陸と急行能登が共存し、
10系と20系の差の時期があったけど、北陸は振るわなかったような・・
14系二段化が遅れたのも、国鉄末期廃止の検討もあったとか。
能登が電車化で寝台がなくなり、首都圏〜北陸の割引きっぷが充実してきて、
14系北陸は息を吹き返したような。 まえから疑問だったが列車番号の後ろにレとついてるのはどうゆう意味なんだ。時刻表には数式しか書いていないが レは「客車列車」ってことでしょう
これが電車だと「M」、気動車だと「D」が付くはず 客車列車つまり機関車がエンジンなしの車両をひくやつだろ、それは数字だけでカタカナはつかないのではない 客車列車の列車番号は正式には、1-4桁の番号のみ。
ただ、単独で表記する場合、番号のみだとなんの数字か分からない(時刻?、距離?)ので、425列車の意味で425レと表記した。 >>246
昔の中の人が公式に使ってた言葉を否定するほどお前は偉いのか? 後頭部を見えないバットで猛烈フルスイングされた気がした そして夜行列車が今でもガンガン走る別世界へと、>>263は旅立ったのであった >>260
少なくとも国鉄は旅客サービス上そういう言い方はしてなかったよ
駅での案内や時刻表の表記なんかも季節列車、臨時列車
国鉄の何処かの部署でそういう言い方をしていたのかも知れないが
それは俺達には分からないよ
むしろ当時を知らないのはあなただと思うよ
当時を知らない本での後付知識に見える >>266
だから何としか
旅客サービス上の話なんかしてないんですけど 知らなきゃ知らないって言えば済む話なのに、聞いたことがない、国鉄内部のことなど分からない、
当時を知らないのはお前だ、後付けの知識だろと、ソース付の事実をお気持ちの披露で頑なに否定
お前が知らないのがこのスレにおいてそんなに重要なことか?
いったい何が言いたいのかさっぱりわからん そもそも俺達っていったい誰のことよ
勝手に代表面するなよ >>267
> 旅客サービス上の話なんかしてないんですけど
俺達って旅客でしょ 中の人が中途半端な知識で無駄に話しかけてくる鉄ヲタを嫌う理由がよくわかる 客車でなくてもレが付く列車は電車や気動車にあった
非電化区間に電車が入線する際にディーゼル機関車が牽引すればレが付くし、
電化区間に気動車が入線して電気機関車が牽引すればその区間だけ
列車番号はレになる
極端な例ではノースレインボーエクスプレスが青函区間に入れば
青森〜函館間は○○○Dが○○○レになる
時刻表の列番や運転報・共通通達・A行路乗務員時刻表(タリフ)にも
レは書いてないけど列車のレは略してあるだけ
現に発車合図を送る時も下記URLの動画みたいに8001列車と言っている
https://www.youtube.com/watch?v=4DiovmSCKvc 季節臨も予定臨も8000台9000台も客には使わない用語だろうに
客にとってはどれも運転日注意の臨時列車でしかない >>273
普通に季節列車、臨時列車って使われてたけど
列車番号も普通に時刻表に出てるわけで 国鉄時代には交通公社時刻表の最初のページに季節列車のご案内があったぜ すれ違うだけなのに交換すると言ったり
保土ヶ谷駅を東海道線だと言ったり
なんか鉄オタというのはなあ これじゃあ「ぼくのかんがえたさいきょうのだいや」を鉄道会社に送りつけるアホが出るわけだ
>>277
そうだよ 関係者でもないのに、業界の人が業務の中身について解説した本の中身を俺は聞いたことがないと否定する人間がいることにすごく驚いている >>252 >>254
確かに20系の方がよかったけど、北星、北陸特急化のあと、すぐに急行に使われ始めたからな
台車と緩衝器がいいから乗り心地がいい、発電機を含めてクーラーの音がしないし固定窓だから
静かってとこか。20系、本当に静かだった
まぁ客が逃げたのはそんな細かいこと以前に値上げだろうけどな
S50年辺りの値上げは酷かった >>280
関係者でもないのに内部用語使うのもねえw 子どもが今入手できる資料だけで知識ひけらかそうとするからね
仕方ないね >>281
20系の静音性(静粛性)は素晴らしかった
初めて乗ったのは1971年に博多あさかぜで乗ったが
北陸やあけぼのでも乗ってラストは天の川だったと思う ふと今思い出した。昔、本当によく弾いて唄った伊勢正三(風)の「北国列車」
この歌にでてくる列車は?降りた駅は?また今夜も夜更かししそうだ 三段寝台は22時出発翌日7時到着ぐらいだったら今でもいけるんじゃね >>289
寝台料金1万円で15両編成750人が連日満席になるなら採算合いそうだがそんな区間ある? ボーイング747-400SR 600人乗り
福岡ー東京 フルチャージ 25800円 x 600 =
15480000 1レグ最大 1600万で 1日 6レグ
1500万 x 6 = 9000万 搭乗率 平均4割だと
3600万 ジャンボ一機でそんだけ売り上げるのかよ 日航すげー 首都圏に一日ひとつ家建つ
そりゃマイケル・ジャクソンの妹CMに採用するわな と思ってた時がありました。 北星は新幹線開業まで、北陸もかなり後まで残ってたことを考えると
やはり速達のひかりで2時間、各停タイプでも2時間40分(広島まで)程度で
行けるところに夜行はかなり無理があった
音戸(寝台列車)にしても広島回転車があったぐらいで広島から西は客はあまり多くなかったし 3段式開放寝台が今の時代に受け入れられるかどうかだ、出張族が乗ってくれない
ことにはどうしようもない。鉄ヲタや若者のための列車にしかならんなら儲かって
もしないだろう、しかも昼間は車庫でニートする車両だしな。683系を無改造の
まま走らせて、昼間もニートさせずに東京では「ひたち・ときわ」に使えるとか
すれば可能かもしれんが、それでもしないのは自明だわな。 しかし黒字化と儲けを考えると3段寝台がベストと思われる
もう少し屋根を高くして下段・中段・上段それぞれに5pくらい
高さに余裕があればいいけど昔の14系・24系と同じ3段寝台の
スペックだと客が呼べるか微妙 高さに余裕がないくせに屋根裏に空調の風洞入れてたからなあ
フランスの3段クシェットだと上段はちょっと通路側にずれてて
屋根のドームの下にすっぽり収まるようになってた
そして空調の吹き出し口は窓下 昔高松から中村まで夜行あったよな
瀬戸大橋開通日に高松行って
ついでに四国西半分回るために乗った記憶があるわ >>294
ネット社会で働き方改革が推進される令和の時代に、誰が何のために夜行で出張するのか
夜はシャワーに入れず朝のドライヤーや化粧もまともにできないのに、それでもなおかつ夜行で出張しなければならないほど重要な任務を背負っている人てそういないと思うけど >>300
出張でわざわざそこまでの移動(苦行?)をするんだったら、
国内なら新幹線・飛行機+ホテル泊で充分に代替できるだろうし、
それができるような出張体系にもするでしょ
そもそも、ネット会議等で充分に代替できるのであれば
出張の必然性自体が以前よりも激減することにもなるんだろうと思う ただ出張で寝台特急利用は、国鉄末期でも相当減ってた でもコロナ禍でネット会議がクローズアップされる前から
スカイプ利用などのテレビ会議的なものは
ずっと前からあったのに使われなかったくらいだから
そう簡単に置き換わりますかね
今ですらなんだかんだで移動する人増えてきてるしな >>303
医療職だが、有料のいわゆる勉強会はほぼネットになった。
主催する方も、会場の選定もいらないし、人気不人気を読まなくていいから、メリットが大きいとの事。
参加する方も、移動時間がないから、かなり便利。
自分が最後に寝台(はまなす)に乗ったのもこういう勉強会を理由にしてたから、もう新幹線ですら乗る機会がグッと減った。
会社勤めの営業はわからないけど、少なくともお金を出す方からしたら、旅費を減らす方向になるのは必然だと思う。 >>297
10系、20系、14系、24系、583系の三段B寝台の上段には10回以上乗ってるけど上段から
落ちた事はないし、転落した話も聞いた事ないけど安全ベルトや柵がない海外の一部寝台車は
危険でソビエト連邦チェルネンコ政権にモスパックでシベリア鉄道のロシア号に乗った時は
上段寝台に転落防止の柵やベルトがなくてあれは落ちるかもと思ったほどだ
>>298
高松0:34発の中村行き731Dですね キハ58 キハ65 キロ28の5両編成でした
JR化か瀬戸大橋開通日で列車番号が変わっていたかも知れません
>>302
夜行列車での出張は1980年くらいまででしたが下り銀河での出張は1985年以降は無かったような? 1986年2月下り銀河に乗ったが空いてた記憶がある。だから早々に廃止されるかと思ってたたんだが、それから22年もそのまま生き残ってたんで驚いた。逆に22年遡ると1964年、新幹線も出来る前だ。車齢10年位の急行格下げ
になったばかりのまだまだ綺麗な24系25形
だった。
特急として10年 急行兼業で22年。
22年と言うとかつての10系寝台でそれだけ走ったのは少数派だろう。 >>306
86年2月の銀河はまだ3段式の14系では?11月の改正で24系25形投入 >>303
>そう簡単に置き換わりますかね
出張が既になくなったと同然の夜行寝台利用に戻ることなんてなおさらありませんね 夜行バスなら東京−大阪間3列独立シートで4000円くらいだからね
大垣夜行(ムーンライト)終わった理由がよくわかるよ
不便を懐かしむのは良い思い出だけど今座席指定すら無かった頃の
18きっぷ時期の大垣夜行に乗りたいかと言われるとね >>304
昔なじみでよく顔を出す営業マンでも品質と値段と提案力が劣れば他社の製品になる。 >>304
感染対策の一面もあるから、テレワーク形式なら自宅から全く移動しなくても会議に参加できるのが
コロナ禍で一気に(良い面で)見直されたのであれば、仮にコロナ禍が一応は収束できたとしても
出張等に関しては、完全には昔みたいには戻らないだろうね(もちろんある程度の出張需要は復活するとしても)
出張せずに済むとして、移動に要する時間も費用も通信料程度で代替・節約できるとなれば
企業側でも相当のメリットとなるだろうし、そりゃ夜行列車はほぼ完全に蚊帳の外となるか >>303
>高松0:34発の中村行き731Dですね キハ58 キハ65 キロ28の5両編成でした
JR化か瀬戸大橋開通日で列車番号が変わっていたかも知れません
>>298は瀬戸大橋開通時なので、普通車オンリーの編成。
そもそも1980年10月改正でキロ28は格下げされてキハ28-5000に。
1985年3月に50系客車化されて、高松→高知の運転に。
そして瀬戸大橋ダイヤ改正で、再度気動車化。高松〜窪川の運転。
しかし翌年あたり廃止される。 >>312
瀬戸大橋開通直前の3月に乗ったときは、すでに50系PC4両の高知行きになってたぞ >>311
お父さんが平日家にいる仕様になってない家が多いのに 今年は殆ど在宅リモートワークだけど自宅で仕事するとエアコン連続運転なので
意外と電気代がかかる。勤務先からは在宅勤務手当てが月1万円もらえるけど
電気代に毎日昼ご飯を作る嫁への心的負担を考えると夫婦不仲にもなる可能性も
あって早くコロナ収束して通常出勤したいよ
自分はコロナ禍になって特に2020年は出張は0になってしまった >>312
303じゃなくて>>305へのレスか
引用符は引用部分全部につけてくれよ >>315
コロナ終息して欲しいけど今のところは在宅で
感染リスクがさがるんだから、お金もらえるだけマシかもね。
コロナに罹ったら不仲なんていってられない。 家庭外濃密セッ○○でもらってきて、家庭内感染させなかった俺が通りますよ 鍋皿洗いゴミ出し洗濯干し冷蔵庫チェック位は余裕でできる
通勤しない分時間あるから家事分担見直して機嫌良くバイトに送り出してやれよ >>315
在宅勤務になって片道45分の通勤時間がなくなりそのぶん寝坊できるし、ワイシャツやスーツの
割高なクリーニング料金も無くなり、毎晩残業で遅かった夕飯も毎晩6時半スタートなので我家の嫁は
喜んでるよ 程度問題だよな。
毎日毎日夜中まで残業してたのが、早くなるとそれは喜んでもらえるだろうが、普段から5時6時に帰ってきて、家事もそれなりに分担できているのが、今度は四六時中家にいる、となればさすがにストレスだろう。
熟年離婚と似たようなものかもしれない。 対人が苦手な俺は在宅テレワークや在宅リモートワークは大歓迎
一軒家なので書斎を仕事部屋にして家族には迷惑をかけないようにしてる
付き合いの飲み会は1年半以上ないし、馬鹿にならない飲み会費や帰路の
タクシー代が大幅に浮いたので家内は喜んでいる コロナ禍がムーンライトながら完全終了のとどめの一撃になったのも
(当然、複合要因が絡んでいたのは承知の上で)、
色々な意味で象徴的な出来事だったな
リモートワーク等も絡んで、表立っての旅行・出張・広域移動がはばかられる時代にまでなると、
息苦しさも次第に増幅されてくるようには思うけど サンライズ以外残っていないのはほぼ全滅と言って良い 「ちくま」と「だいせん」の寝台車が14系15形寝台車に
変更されたのは1994年12月、その前は14系14形だった 白帯より銀帯のほうが格上?
さくらより富士やはやぶさ >>333
銀帯は14系15形と24系25形
B寝台が2段化されて白帯から銀帯に変わった
24系については25形登場後に増備された車両や
25形メインの編成に連結された食堂車なども銀帯 博多あさかぜが金帯化されて「これでマダラ解消!」と思ったら
九州特急自体が徐々に衰退して大人の事情も絡んで放置プレイになって
最後は15型の白帯と銀帯の混在とかシッチャカメッチャカになって
悲しかったナシ(´TωT`) >>334
それは誤解を招く表現だぞ!
24系・14系は三段→二段に改造されて銀帯になったとも取れる。
また食堂車のオシ24は、25型に連結されても長らく白帯だった。 >24系・14系は三段→二段に改造されて銀帯になったとも取れる。
取らねーよ 銀帯、かっこよかったな。ピカピカの新車をPが牽いてきたのは忘れられない
カニ24もかっこよかった >>337
> 取らねーよ
それはお前が真実を知っているからだ 早朝の出雲4号を後追いギラリで撮影すると25形の銀帯が光って恰好よかった
しかし金帯が増えると逆光後追いではイマイチ光らなかった 金帯や銀帯って、意外ときれいに撮れないんだよなぁ
食堂車の白帯だけがやたらきれいに映える 昔の若い女性て寝台車を利用してたの?
2段B寝台など更衣室もないし >>342
それなりにいたはず
昔のジャーナルとかの寝台特急の乗車記事見た時女性の乗客はいた
撮影モデルとかにもなってた人いた
着替えはB寝台ならカーテン閉めてどうにかしてたんじゃないのかな? 昔の寝台特急車内で見かけた若い女性といえば1980年の夏に
まだ14系14形寝台車だった下り寝台特急ゆうづるの同じ号車に乗ってた
20〜22歳くらいの女性4人グループで北海道旅行と聞いたけど眩しかった
因みに俺はまだ18歳で始めて年上の女性に好意をもったというか
魅惑な美人年上女性のフェロモンにやられてノックダウンの俺だった
さすが、はまなすと日本海の乗り継ぎで青森の時間つぶしに困ってた人達は言うことが違いますわ はまなすと白鳥は接続良かったんだよな
苫小牧から京都まで乗ったわ 着替えはカーテン閉めてどうにかして下さいでは現在の女性客は乗らんわな 14系、24系寝台には更衣室があったが、目的通り使われたものか?
三段式寝台時代は、浴衣がなかった前提なので、時代背景も今ほど綺麗好きまでなかった時世で、寝る時まともに着替えた人が多かったか? 昔の若い女客だが個室じゃない時は車内では着替えずそのまま寝たよ。
そのまま寝て翌朝そのまま行動する前提で服を選んで
乗車前に着替えておいた。
こまこました身支度は下車後駅のトイレで。
>>305
回答ありがとう。
三段上段とか怖そうだなと思ってた。 着替えるとこのない長距離国際線の飛行機や夜行高速バスと同じだろうね
ゆったりめのワンピースで乗ってる女性客が多い 高速バスや飛行機ではバッチリメイクだが寝台車ではすっぴんでメガネ 悪いからそんなに見なかったけど緩いジャージ
みたいなのに着替えてたイメージ。
そうだ姉貴とその友達と乗った時はゆるいワンピース来てたような記憶 >銀帯は14系15形と24系25形
>B寝台が2段化されて白帯から銀帯に変わった
この文章から「24系・14系は三段→二段に改造されて銀帯になったとも取れる。」とか、頭の出来を疑う >>361
普通にそういう解釈も出来るよ
全角引用符君w 模型作ると白帯の塗装って難しいよな。
昔のKATOの20系とか妙に太くてカツミの
HOと帯の太さがあまり変わらんかったしな。
色も実車は少しクリーム入ってたと思うけど
KATOのはただの白だったような 。
んでもそれで良いんだよ。出来の良い1分の1
スケールの模型見たければちょっと早起きして
上野か東京駅行けば良かったんだから。。
1分の1の模型の塗装も、あたりまえに見えた
のはちゃんと塗装職場に腕の良い職人がいたからなんだよなあ。スレ違いだけど、房総の183系200番台が末期に前照灯尾灯周りの羽根模様
の朱色塗装の角が粗末なマスキングで尖ってた
のは悲しかったなあ。技術は失われるものなんだと。 全角引用符を馬鹿にするあたり、オツムの出来はお察し 「書かれてない事を勝手に推測しない力」というのはわりと訓練が必要で日本では主に数学がそれを鍛える
海外では言語教育というカリキュラムで鍛えられる >>361
2行目は1行目にある形式の概要説明でしかないわな
>>365
まさにそれな もういいだろ。本当にしつこいな
人間の出来を疑うわ 大元の >>334 の後段の文章は当時どの車両が銀帯だったのかを言ってるだけで、銀帯が2段寝台を示すものであるとも新製時から銀帯だったとも一切言っていない どこかの行の頭に1000以上の数字があるときに>を使うと
レスアンカーがおかしいというエラーを返してくるので
全角を使うか引用符の後ろにスペースを入れるかしないといけない
こいつの場合は関係ないけど >>370
行頭が数字の場合はブランク入れるわな
別のスレからのコピペの時もレスアンカーはブランク入れてリンク外したほうが親切だ >>363
補修程度の場合、上塗りするだけだから、
どうしても凹凸ができる >全角引用符なんて馬鹿しか使わんだろ
メールをまともに使ったことがないのはよく分かった
そりゃあ会話が成り立たないわな それにそもそもEメールでも全角引用符なんて使わんよ 引用の際に全角のインデント記号が一般的に使われてる理由がわからないヤツがいるとは
教育って大事だな >>376
> 引用の際に全角のインデント記号が一般的に使われてる
この時点で間違ってるw 自分の知らないことは知らないって言えるようになりたいですね
ビジネスメールの返信時の効果的な引用方法とマナー 「>」の使い方
ttp://docoic.com/2310
メールの引用返信とは? 引用の種類や引用マークについて解説
ttp://news.mynavi.jp/article/20210128-1675696/
メール引用の種類と特徴まとめ。引用に関する設定方法も図解します!
ttp://blastmail.jp/blog/mail/quote
引用を使ってビジネスメールへ返信するときのマナー・書き方を解説
ttp://library.musubu.in/articles/11312 >>378
html上で半角>を表示できない間抜けなページってだけだよ
全角にしろなんて書いてないだろ
何で>使わんのか謎すぎる
事情も知らずそのまま鵜呑みにするって凄えやつがいたもんだw 教育に失敗した人は自分が理解出来ないことは何かの陰謀だと決め付けるってのを思い出した >>381
http://hissi.org/read.php/jnr/20210827/bVF5OEdjU1o.html
深夜2時台から深夜3時台にかけて昼から夕方近くまで多くの書き込み
ID:mQy8GcSZはお暇なんでしょうね まだ夏季休暇中なのかなwww IPくるくる変えて自演ご苦労さまw
こういうことはすぐ覚えるんだなw >>380
まともなレスが出来ないレベルのやつが教育を語るな
俺はこれでも教免持ちだ 全角の「>」が書いてあるサイトに「全角にしろと書いてない」とか、何言っちゃってんのこの人 教免持ちだとは言ってるが、教職に就いたとは言ってないw >>386
全角の「>」が書いてある理由は説明しただろ
>>387
だから何?
>>388
効いてますねw 俺の専ブラ、デフォルト設定で「>」で始まる行を引用行と自動認識して色が変わるんだけど、それはバグだ!と絡んできそうw >>390
ああ表示の時か
それはお前みたいな馬鹿が絶えないからだろ 確かに教職につけるタマじゃないわな
うちの近所に毎日ネットにかじりついてる教免持ちのニートがいるよ 聞いてもいないのに過去の栄光を持ち出すヤツが有能だった試しはない件 >>382
1 位/61 ID中
しかも2位以下に大差をつけて独走中 伸びてると思ったら、俺様の常識から外れる奴はバカだと思い込んでるバカが暴れてるのか
いいぞ、もっとやれ 俺様ルールから外れることを極端に嫌いその対象を徹底的に攻撃するのはアスペの典型的な症状な >>397
> 俺様ルールから外れることを極端に嫌いその対象を徹底的に攻撃するのはアスペの典型的な症状な
お前のことだよw 周りの方こそ異常だと決め付けるのもアスペの典型的な症状な 「俺はこれでも教免持ちだ」
ここが今日のハイライトwww 無意識で言ってるなら相当な・・・まぁそう言うことだよなw コイツ、
>実際そんな呼び方してるの聞いたことない
>駅での案内や時刻表の表記なんかも季節列車、臨時列車
>国鉄の何処かの部署でそういう言い方をしていたのかも知れないが
>それは俺達には分からないよ
>
>むしろ当時を知らないのはあなただと思うよ
>当時を知らない本での後付知識に見える
>俺達って旅客でしょ
>関係者でもないのに内部用語使うのもねえw
って言い放って「季節臨」を強硬に否定してた基地外と同一人物じゃね? 自分が知らないことは頑なに相手を見下して否定するところも一緒 「> }や「w」の使い方、そして改行位置が不規則なのも完全に一致してるしな
>>402
だよねえwww ガチキチが嬉々として突っ込んでくる前に誤変換を訂正しとく
「> } → 「> 」 >>409
まだやってるよw
IPクルクル自演君w
そういうことじゃなくまともな書き込み覚えような これで確定だな
そうやって陰謀論にしてこなければ教免しか自慢出来るものがない人生にはならなかったろうにねぇ 二日連続で夜中の3時に何やってんだかね
「まともな」「正しい」
この言葉を常用するヤツにその具体的な要件を聞くと、なぜか決まって答えずに怒り出すんだよな もうわかったって。本当にしつこいな
かまってる奴も同類だろ Youtube見てると中国やロシア行けばまだまだ
20系24系的なるものは楽しめるな。
中国は寝台もそうだけど座席車も昔ながらの
緑の客車が走っていていい味出してる。昔と
違う点は手入れが行き届いていてピカピカであることだ。 自分が知らないことを言ったりする人間と自分が理解出来ないことをする人間を片っ端からバカ呼ばわりする人間でも、教免は取れるということは分かった。 >>417
> 片っ端からバカ呼ばわりする
こうやって盛るんだよなあw
お前がおかしいだけなのになあw 自分が理解出来ないものはこの世において下等で不要なものと決めつけて、その存在を否定し消してしまう人間がいる。
そしてこの手の人間は自分の思い通りに進まないことがあると、その原因をその下等で不要な理解出来ないもののせいにしてそれ以降の思考を止めてしまう。
って筑波大の教授が言ってたのを思い出した。 >>417
そもそもお前のおかしな書き込みに最初に文句言ったのは俺じゃないしなw 私、昨日は一切ここに書いてないんですけど、自分を批判する人間を次から次へと同一人物扱いしてくるとか、かなりの重症ですね。 そうそう、この筑波大の教授はこんなことも言ってた。
この手の人は根拠なく他人に対して道徳的に優位にあると思い込んでいて、他人を見下したり上から目線で命令したりもする。 教免自慢バカが今日も早朝から元気なようだが、そろそろスルーだな
時間は十分あったにも関わらず、批判は全て一人の自作自演と端から決め付けて自分の殻に閉じこもりっぱなしだし
>>419
ほんとそれな まだ自作自演続けてるよ
自作自演してたら自作自演と言われるのは当たり前だわなw >>423
> この手の人は根拠なく他人に対して道徳的に優位にあると思い込んでいて、他人を見下したり上から目線で命令したりもする。
お前のことじゃんw >>415
緑皮車は減ってきたから写真に収めるなら早いうちに… まだ何か言ってるようだが、ただただ見苦しいだけだな
大学准教授に関する怪文書を学長宛に繰り返し送って昨年刑事罰を喰らった、夜行列車復活を主張している自称運輸評論家と同じ臭いがするな
自分は有能だと心の底から思っている
人の話を端から聞く気がない
完全に論破された主張を何度も繰り返し垂れ流す
物証を伴う反論を喰らうとダンマリになるか、バレバレの嘘を重ねるか、人格攻撃に走るか、俺は聞いただけだからソイツに聞けよと開き直る
自分で立ち上げた夜行列車復活を目指すFBでは、自分に反論したり間違いを指摘した人を粛清しまくった結果、無能な連中の隔離施設と化す ID:gClPAhe/
ttp://pbs.twimg.com/media/E0MgjAVUYAEP_nX.jpg ttp://hissi.org/read.php/jnr/20210828/TUZsTFdTWnQ.html 14系ハネの早期落成車が急行瀬戸に使われたというのは結構知られてるが、昭和46年末に
臨時はくつる下りとゆうづる上りでも
走ってるんだね。52センチ寝台があたり前の
時代にさぞかし乗客に驚かれただろう。
当局にとっても冬の東北で新形式のストレステストが行えて一石二鳥かいな。 神様の本に書いているけど、テストではなく純粋な帰省客・そのUターン客のための列車
特急にもかかわらず、途中で583系はくつるに抜かれるのは内緒
ちなみに全両召し上げられた急行「瀬戸」は10系寝台車が代わりに連結された >>434-435
その臨時はくつるで、食堂車は営業した? >>433
ttp://hissi.org/read.php/jnr/20210828/Z0NsUEFoZS8.html
1 位/58 ID中 >>436
オシ14が新製配備されるのは、1972.3.3
また当時の時刻表にも食堂車のマークはない ID:gClPAhe/
ttp://pbs.twimg.com/media/E97DCcgVIAA_iJC.jpg 14系14形寝台列車の食堂車(オシ14)連結開始時期
因みに同じ日にオロネ14も連結されている
さくら 1972.3.10
みずほ 1972.3.15
あさかぜ 1972.3.17(下り2号、上り3号)
あかつき 1972.10.2(下り2・3・4号、上り1・2・3号)
いなば※ 1975.3.10(いなばは最初から食堂車非営業) ナシ20からオシ14なら特に変わらないんじゃね
オシ17からナシ20は石炭レンジから電気だし、マシ35からオシ17は定員増えて大変とかは
あるのかも >>434
はくつるとゆうづる利用者なら、583系寝台利用者もけっこういたんでないの? >>434
臨時ゆうづるに14系ハネが始めて投入されたのは昭和47(1972)年1月3日の
8008列車(臨時寝台特急ゆうづる52号)で南シナの14系寝台車だと思われます
尾久客車区への14系ハネ配置は1978年10月頭に門ハイから北オクへ転属した
のが最初で盛アオは14系ハネの配置がありませんでした
以降ゆうづるの14系ハネ投入は1978年10月2日に7列車(9号)と5018列車(8号) >>447
昭和46年末じゃなくて昭和46年年末、昭和47年年始と表現すべきだったんだろうな
対になる下りの臨時は昭和46年12月30日運転のはくつる51号8007列車だけど
ゆうづるの方は年越えちゃってるもんね ああソソ、昭和46年から47年の年末年始とでも
書いた方が良かったねスマソ。うん品川客車区への早期落成車だね。ところで早期落成車っていうのは、どういうものだったんだろう?
発注ロットの一部がラインから出ていわゆる
納品待ちで工場内に置いとくだけだったもの
をラインから上がり次第所謂納車して貰ったのか、それとも敢えてメーカーが工程見直しや、
場合によっては人工増やしてまで早くラインから出るようにしていたのか? 宮原の25形ゼロ
番台の臨時あさかぜとか、夏の房総の海水浴臨
とかが有名だよね。 昭和45年度第3次債務負担 いわゆる試作車
オハネ14 1〜7、スハネフ14 1〜3
試作車は旧客との併結前提であったため、SG管と電気暖房線が付けられていた
量産車はSG管と電気暖房線なし(のちに北海道用に改造されたものだけSG管設置)
該当する急行瀬戸の実編成を知っている者はわかっていると思うけど、14系の後ろにオシ17が連結されていた
EF58 ツD4(55)−実車54。最高速度95km/h
だから、14系寝台車の100km/h運転は1971年12月・1972年1月が一番最初(直流区間でEF65による110km/hをしていたかどうかは不明)
量産車は昭和46年度本予算から
1972年2月4日新製配備が最初
当然1971年12月・1972年1月には間に合わない ID:Bqja6k7oのマウントのとり方はちょっと好きになれないなあ なるほど、早期落成でもあるけど元々テスト
編成という事でもあったのかね。
しかしせっかく20系で築いた同一系式だけで
で運用するシステムだったけれど、わざわざ
SG引き通しまでして敢えて他の雑形式との
併結で何をテストしたかったのだろう?
14系座席車なら分かるけれど。 ガキンチョは何もわかっていないな
10系寝台車は冷房電源を1両ずつ搭載していたからエンジン直上はウルセー状態だったわけ
まあスハネフ14も同様だったが
そして1両ずつ搭載していたもんだから手間暇かかるし、何より10系のやりすぎ軽量化で腐食が急激に進んでいた
だから、14系が一通り特急用に配置できたら、10系寝台と旧客の夜行急行の10系寝台を置き換える予定だった
でぇも、きたぐに北陸トンネル火災事故で14系寝台の特急増備すらストップ
昭和50年代前半のごたごたで寝台需要が激減
結局北海道以外旧客と連結することなく済んでしまった ID:Bqja6k7o=ID:JA6DkqTfだとしたらちょっと悲しいね EF65-500牽引で、東京〜西鹿児島を24時間超時代の特急「富士」
https://youtu.be/S4wuo4AdtCw 14系14形→24系24形→24系25形 これ1年ごとに進化してるんだよなあ
E231からようやくE235の現代の周期からは信じられないが >>451
急行瀬戸に14系ハネ連結は1971年9月30日(上り40列車は翌日10月1日)からだよ
対象は急行瀬戸下り2号(39列車)と上り1号(40列車)で39列車の編成は以下のとおり
EF58+マニ+@オロネ10+Aスロ54+Bスハネフ14+Cオハネ14+Dオハネ14+
Eオハネ14+Fオシ17+Gスハ+Hスハ+Iスハ+Jスハフ+Kスハ+Lスハフ
12〜13号車は東京〜岡山のみ 客車は全て品川客車区所属
急行瀬戸(39列車/40列車)への試験的な14系寝台車連結は1972年3月14日で終了して
翌日15日から20系14両編成(カニを含むと15両)の特急瀬戸へ格上げしているが
ちなみに35列車(下り瀬戸1号)と36列車(上り瀬戸2号)は特急格上げ化で廃止
20系化された瀬戸はナシ20にナロネ21を2両連結された走行区間が短い寝台特急の
割にデラックスな編成だった えっ?
14系14形 1971年9月
24系24形 1973年8月
24系25形 1974年3月 >>461
特に進化してないからね
2段化は技術的には進化じゃないし
むしろ分散電源から20系の集中電源に退化とも言える >>464
スロ62や10系の冷改車、もっといえば車軸発電なんて分散電源もいいとこじゃないですか 多分、北陸トンネルでの『きたぐに』事故がなければ24系は造られなかったんだろうな
夜行列車編成端の荷物車連結も荷物専用列車への移行していた時期だし >>465
その冷改は20系の後だけどね
>>466
新聞輸送用でカハネニ14とか出たかも >>460
牽引機がEF65PFなのとオハネフ25のテールマークが文字なので1978年7月下旬から
1979年6月30日の期間と推定されますがコックが3名乗ってるシーンも見れたので
ゴーサントオ改正以前のように見受けられます。
品川客車区から日本食堂門司営業所のスタッフが乗り込むシーンが特に懐かしい
そうえいば北斗星も最初の頃は尾久客車区から乗り込んでいました 文字だけの方が好きなの俺だけかなあ。
絵入りはなんかしつこくてね。あさかぜ位
ならシンプルでいいけど。
14系24系が出てきた昭和40年代後半は
迷走してた感じだね。当時幼稚園位の
オレ、どんな時代だったかと思う。
47年4月幼稚園に行きたくないオレ
ギャン泣き。保育園の記憶も少しあるから
それは46年4月。東京東部だけどオニヤンマ
なんかがまだ飛んでた。ベトナム戦争やら。
日航機ハイジャックがしっちゅう起きて
世間がかたづを飲んで見守っていた。
アポロも飛んだな。 俺もどっちかいうと文字だけの方が好きですね
しかも東海道以外はヘッドマークなしの方が好きという異端
って、要するに自分が育った世代の問題 >>421
俺も文字マークだけの方が好き
さくら、富士、日本海、ゆうづる、明星、彗星など
確実に文字だけの方が恰好いい ナウなヤングだから夜行列車もL特急もイラストマークに限る >>473
まさに >>460 頃の富士に乗った世代だが、同じ意見
赤い車体のED76やDF50にヘッドマークはなんか違和感がある
EF30、EF81-300の銀色車体だったら?の世界
ちなみに、富士といったらPFに丸いヘッドマークのイメージ
手元にある大百科、全百科は
P+文字テールか、PF+絵テールばかりで、なんかもどかしい >>469
片道¥6,400は高すぎ。東武の昼間の鈍行で行けば¥1,383なのに。 >>470
53年10月改正で、食堂車のコックの人数変わったの?
EF65PF化、9月は既に完了してたな。 オレもナウな別府ヤング劇場の471だが、
ED76のヘッドマークだけは84年に復活して
嬉しかったよ。20系全盛期にヘッドマーク
ついてたんだって寂しい思いしたからなあ。
テールマークは20系のみずほのバックが水色とかあけぼののピンクとかが一番素敵だと思う。
筑豊線のDD51あかつきも撮ったっけ 。 そういえば、ヘッドマークって平面タイプと球面タイプがあったけど、
どちらが好きだった?
球面タイプのほうが洗練されてるが、個人的に馴染みがあるのは平面タイプ
まぁ、平面タイプは一種の手抜きなんだろうけどね >>478
乗らないの?
貴重な夜行列車なのに?? >>481
個人的には両方好きだけど沿線から撮影すると球面タイプHMは
光線が順光でも全部の面に光が当たるのは難しかった
あかつきの4文字全て光らせて撮影するのは至難の業だったよ ヘッドマークのイラストはセンスが試される 日本人好みの気の利いたデザインは良かったな ヘッドマークはDF50に付けた紀伊や富士のマークが好きだったな
EF58に付けてたあかつきのマークも印象深かった
自分がまだ中学生だった頃だが西鹿児島行きと佐世保行きの14系14形
オシ14とオロネ14を含む14両編成でセニハチは補機が連結されていた 電車みたいに前に運転席があるのがかっこ良かったがそれだけ。
馬力もなく線形のよい東海道線でも全然スピードが上がらず103系に抜かれる情けなさ、特急列車を引っ張るなんておこがましい >>488
電車と比べちゃだめよ ただ103系は加速性能が良かっただけの話 DF50はモーターで動いてるから電車と比べても良さそうだけど、無段変速だし起動時も過負荷運転できたのだろ 昭和の歌の中にはたくさん列車が出てくる。有名どころで、
津軽海峡冬景色
雪国
なごり雪
木綿のハンカチーフ
あゝ上野駅
思えば遠くへ来たもんだ
etc...
津軽海峡冬景色はおそらく八甲田と思われる。雪国は津軽っぽい。
なごり雪はよく分からないが東北方面の列車で、思えば〜は武田鉄矢の故郷が福岡県あので特急あさかぜ?
木綿のハンカチーフとあゝ上野駅は、珍しく上り列車を歌っているが、前者は田舎から東へと向かう列車だから銀河か或いは北陸か。
後者は集団就職列車だから夜行普通列車だろう。
以上個人的な解釈。色々検証してみると面白いかも。 解釈は自由だけど、
なごり雪は高千穂、東北本線系ではない
津軽海峡冬景色は(青森早朝着のイメージで)十和田かゆうづる
木綿のハンカチーフは、小さい町から東の都会(東京?)行きなので、阿蘇、霧島、高千穂、安芸あたりかと。銀河では何処の田舎町から乗車するのだ? 木綿のハンカチーフは当時のCBSソニーディレクター白川隆三氏がモデルなので
出発地は氏の故郷である福岡県田川市 日田彦山線のキハ66で小倉
新幹線か九州特急で上京なのね 津軽海峡冬景色は青函連絡船に乗り継いで凍えそうな鴎を見つめている風景があって
ブルートレインに乗ってきたような雰囲気がないから
夜行区間が北に偏っていた=青森着が早朝の八甲田一択のイメージ 津軽海峡冬景色のリリースは1977年1月1日
1977年当時の定期夜行急行考えると青森駅着が早い順に書いてみた
上野19:10(八 甲 田)6:15青森
上野19:27(津軽1号)9:06青森
上野20:57(十和田2号)9:07青森
上野23:21(十和田3号)11:40青森
急行津軽2号の青森着は昼過ぎなので除外した
上記列車は1977年現在で旧型客車だが十和田2号は1977.10.1から20系に変更 >>492
「なごり雪」と言えば、作詞者伊勢正三の出身地である九州のイメージ
実際に本人が日豊本線津久見駅をイメージしたと言っているそうだ
そうすると、急行「高千穂」あたりかな
ちなみに、同じ伊勢正三の「22歳の別れ」は、
このときに列車に乗って上京する女の目線とも >>500
十和田1号(6201レ)は1968年10月1日から季節列車の不定期
尤も6201レは1972年3月14日までは十和田2号として運転されていた >>499
旧客や12系だった頃の定期八甲田だと青函航路定期便は
接続時間が1時間15分後の5便まで接続が悪かったけど
ゴールデンウィークや夏休みや年末年始の繁忙期には
臨時35便があったけど青函連絡船接続考えるとゆうづるや
はくつるには敵わない 上野発時刻が1時間半も違う津軽1号と十和田2号が
ほぼ同時に青森に入線してくるダイヤの妙よ
青函連絡船の時代だね 津軽海峡冬景色の背景は青函連絡船接続もよい「ゆうづる」「はくつる」だと思われ
「八甲田」や「十和田」は連絡船との時間的接続はよくなかったのが理由かな 昔、キネ旬の蒸気機関車にその話が出てたな。
結論は八甲田になってて、理由は朝早く着く列車の方が雰囲気が良い。
ゆうづるやはくつるだと接続が良すぎて、急いで乗り換えないと良い席を確保出来ないから、
のんびり歩いて感傷に浸っている場合でもない。
って、かなり強引に結論付けてたよ。 >>497
津軽海峡冬景色の発売日が1977年1月1日だと作詞したのは1〜2年前かな
>>507
なるほど納得
1978年10月1日まで八甲田にはスハネ16が連結(仙台⇔青森)されて
いたので雰囲気的にもピッタリかも? 八甲田だと接続悪すぎ
連絡船待つ間は、海鳴り聞いているより何か食べるよ 特急を優先しているんだから当たり前でしょう
接続の良さも特別だから特急なんだよ 津軽海峡冬景色の演歌調とかけて
スハネ16のボロさととく
その心は
世間からの虐げられ感 特急優先というか、北海道連絡は常磐経由に任せてただけだな。電化されて電車使えば
それが東北経由でも可能になったってだけで。いまさらすぎる話 優遇されなかったら虐げられてるって
なんか日本海の向こうの人たちが言いそうなセリフなんですが 583系ゆうづる、583系はくつる は青函連絡船接続が中心
逆に20系、14系、24系ゆうづるは盛岡以北の駅へ停車するのが
中心だったけど連絡船接続も悪くはなかった
そもそもゆうづるが常磐線経由なのは東北線経由だとその時間は
貨物が多いので比較的貨物が少ない常磐線にしたとか70年代の
鉄道ジャーナルに書いてあったよ 東北線改良前は平坦な常磐線が重用されたってことだろ
停車駅も水戸と平だけの列車多かったし 上野〜大宮は上越・信越系統と、上野〜郡山・山形は磐越西・奥羽線系統も
走っていて、夜行の仙台以北の列車はなるべく常磐線にしてたんじゃね。 新聞購読を止めて、月3000〜5000円、年間36000〜60000円の節約
その上日本を貶め、国民を虐げる売国新聞の世論工作の影響力が減って一石二鳥
これはもう新聞購読を止めるしかない >>516
機関車が牽引する客車なら分かるけど青函連絡船接続の速達列車であった
583系ゆうづるに松川〜南福島や貝田〜越河の勾配区間はあまり影響ないよ 青森発着東北常磐経由関東夜行のうち、仙台以南で常磐経由が多かったのは、
東北経由側は福島まで奥羽線継走が多くて青森発着東北常磐経由関東夜行を入れる余地が限られていたため
あと黒磯の地上切替は見ごたえがある分面倒で、特に牽引列車の通過可能枠が限られていたことから、少しでも枠を増やすため機関車の交換が不要なEF81(田端機)を福島以南の貨物運用に充てていた時代もあった
※EF81に列車選別装置が付けられるのはJRに入ってから。だから、黒磯駅ではEH500みたいにいったん止まっていた まぁどれもその理由なんだけどね。一つの理由に固執するのは老ヲタらしい
速達列車が常磐ばかりで片側は海じゃないかって仲通りの議員かなんかに言われたらしいけど
常磐はそのおかげで主要都市が少なくて勾配も貨物も少なかったから、余裕があって北海道
連絡は常磐経由になったって話で 上野から奥羽線経由の夜行列車は確かに多かった
津軽2往復、あけぼの2往復、急行出羽1往復、ざおう1往復に
季節列車のおが1往復の合計7往復
田端機関区のEF81は常磐線専用で東北線で走るEF81牽引列車は
小山から水戸線経由で常磐線へ入る貨物以外に皆無だったと思う
下り東北線を走る機関車牽引列車はEF58("あけぼの"のみ65PF)に
牽かれてEF58が東那須野駅方へ避難すると架線への電源をDC1.5kV
からAC20kV「50Hz」に変えて高久駅方からED75が接近して連結と
いう手間のかかる一連の地上切換を行っていた >>523
まだまだ青いぜ
tnk-ko.a.la9.jp/gallery1/ef81_index.html 長崎全線フル新幹線建設派分裂症 ID:k2DMbPGf0
736 ニューノーマルの名無しさん 2021/09/10(金) 09:45:25.29 ID:k2DMbPGf0
佐賀は年間22億円で負担で5000億円の公共投資がゲット出来
儲けの出る武雄から新鳥栖までの在来線もゲット出来るのに
アホ
757 ニューノーマルの名無しさん 2021/09/10(金) 10:12:35.79 ID:k2DMbPGf0
>>744
国土交通省が佐賀に配慮して年間22億円×30年を提示してる
在来線の武雄ー新鳥栖は第三セクター、運営はJR九州で利益分で22億円を返せば良い
在来線は赤字とか言うなよ、JR九州が怒るよ
761 ニューノーマルの名無しさん 2021/09/10(金) 10:29:35.72 ID:k2DMbPGf0
特急は残るよ
諫早から肥前山口経由して新鳥栖、博多までな
765 ニューノーマルの名無しさん 2021/09/10(金) 10:36:54.11 ID:k2DMbPGf0
武雄温泉と博多の間に特急を走らせて黒字になるの? 長崎全線フル新幹線建設派分裂症 ID:k2DMbPGf0
736 ニューノーマルの名無しさん 2021/09/10(金) 09:45:25.29 ID:k2DMbPGf0
佐賀は年間22億円で負担で5000億円の公共投資がゲット出来
儲けの出る武雄から新鳥栖までの在来線もゲット出来るのに
アホ
757 ニューノーマルの名無しさん 2021/09/10(金) 10:12:35.79 ID:k2DMbPGf0
>>744
国土交通省が佐賀に配慮して年間22億円×30年を提示してる
在来線の武雄ー新鳥栖は第三セクター、運営はJR九州で利益分で22億円を返せば良い
在来線は赤字とか言うなよ、JR九州が怒るよ
761 ニューノーマルの名無しさん 2021/09/10(金) 10:29:35.72 ID:k2DMbPGf0
特急は残るよ
諫早から肥前山口経由して新鳥栖、博多までな
765 ニューノーマルの名無しさん 2021/09/10(金) 10:36:54.11 ID:k2DMbPGf0
武雄温泉と博多の間に特急を走らせて黒字になるの? こっちのほうがいいわ
youtu.be/-uuQYGDjMtM?t=100 そういえば洗面台のたんつぼはどの列車にもついていたな このスレ楽しいー
常磐夜行が多かったのは黒磯対策や奥羽夜行対策もあろうけれども
上野−日暮里からして別線だったから上信越夜行対策にもなったよね
それと津軽海峡冬景色の主人公は我含むここの住人みたいに
時刻表と睨めっこしてなんなら青森駅ホームと跨線橋の走り方も研究して
・・・なんていうタイプではないw >>532
ゆうづるが20系の時はED75P型限定運用だったけど
14系寝台車や24系寝台車になってED75M型や末期は
700番台も区別なく牽引したけど自分はヒサシが付いてた
ED75M型の51号機から100号機が特に好きだった >>534
ヒサシ付赤ベコカッコイイよね。ブルトレ牽引の実績あったんだ。
逆に700番台は洗練されて好きじゃない。 >逆に700番台は洗練されて好きじゃない。
こういうひとことが無駄に揉める元になる
700番台カッコイイよね。ブルトレ牽引に最適。
逆にヒサシ付赤ベコはドンくさくて好きじゃない。
って書かれるといい気しないだろ? 自分はすっきりした700番台好きだけど否定されても単に個人の感想だからどうとも思わないけどな… ED75もM型、P型、300番台、500番台、700番台と多種多様に
北は北海道から南は九州で活躍して700番台の一部は青函連絡船で
海を渡って苗穂工場でED79へ改造されたグループもいたが現在
まだ車籍が残ってるのは757,758,759,767, 777だと思ったけど
廃車になってるのもあるかも? >>541
何が? 誰に言ってるの? 独り言かよw 赤べことか呼ぶのが好きじゃないなw
ツララ切り付き、仙台と福島新製配置だから、あけぼの、新星は牽いてるな
あとはどうだろう。ゆうづる、水戸か内郷の初期型が牽いてるのは子供の頃、見たことある
代走だろうけど。常磐の75はひとケタ多くてボロかったから覚えてるな
そもそも100km/hだしてたのかね、ゆうづる ツララ切り付きは20系時代の「はくつる」の牽引してる写真を見たことある JR後の75M型牽引旅客優等列車は初期のニセコ、初期の北斗星トマムスキー、
シュプールニセコ、カートレイン北海道、臨時十和田、臨時おいらせ、八甲田
くらいかな シュプールニセコは一度乗ってみたかった
山線を走る寝台列車はあれくらいだし
乗る機会がないまま廃止されてしまった 交流機は馴染みが薄くて全部同じに見える。
違いが分からないからいつまでも無くなる気がしないw 確か一度博多からEF70の牽引する
さくらに乗り込んだがふーーんと言う感じだった。
あっ ED72 73だけは別。鳩胸が格好いい。
一度吉塚駅で上りあさかぜを引いてるの見た
事があって既に速度が巡航速度まで出ている
爆走で格好良かった。あれ、常磐線綾瀬付近ののEF80のゆうづるなんかも機関車のブロア音ギア音?激しくて爆走感あったがもしかして
交流機もギア比が低くてブロア音大きい? ブロア音といえばEF62やEF64も捨てがたい
>>529の動画の4分50秒前後から聞こえる急行越前を
推回入線する時のEF62のブロアー音がかっこいい >>549
100キロで爆走するED72は門司〜博多だけ。それも14系や24系に限る。 >>546
初期のトマムスキーに、ヘッドマークが無かったのが残念だった。 シュプール号などのスキー列車に明らかにスキー客ではないのを時々みかけたな 初夏に尾瀬に行く夜行列車、激コミだったな
乗客の中心だったシニア層、もうほとんど墓の中なんだろうな シュプールに
ナウな鉄ヲタが乗ると
無茶苦茶浮くだろ シュプールに
ナウな鉄ヲタが乗ると
無茶苦茶浮くだろ 今年の7月も臨時夜行快速列車「谷川岳山開き」が運転されたよ
7月6日だけの運転だったが上野23:35→土合3:10で185系6Bで運転 本州から北海道へ行くスキー寝台夜行列車
北斗星トマム(サホロ)スキー
シュプールニセコ
以外にあったっけ? 奥羽線の横手という中途半端なところから札幌に行く寝台列車がなかったっけか
確かフランス語みたいな不思議な名前だったはず >>560
臨時急行だけど「ブルートレインin北海道」と「トラン・ブルーサッポロ」があった
何れも横手〜札幌で運転されて尾久の24系で前者はニセコ・小樽経由の山線経由、
後者は洞爺・苫小牧経由の海線経由で運転期間は数日のみだったけど時刻表への
記載もあった。
尾久の24系5両+カニ1両の計6両編成で時刻は「ブルートレインin北海道」の横手発が
18:18発、札幌発が17:57。 「トラン・ブルーサッポロ」の横手発が18:05発、札幌発が
20:43発。
1991年7月の「トラン・ブルーサッポロ」回送スジ
上野22:23(回8405レ)08:18秋田15:10(回9436レ)16:24横手
横手10:55(回9443レ)12:15秋田20:19(回8406レ)5:59上野
(尾久〜上野と上野〜尾久の推進回送スジは省略) >>561
ル・トラン・ブルー(le Train Bleu)だとフランス語の青列車という意味です そういえば、そんなのあったな。
何で横手始発なんだっけ?
佐貫始発の青森行きなんてのもなかったか?
管理局か何かの境目でもあるのか? 青函連絡船というのは貨物は積み替えせず車輛のまま載せて、乗客は乗り換えさせていたのは(列車によっては深夜や未明に)なぜ?
81系ディーゼルは重かったから? 悪天候や火災などの非常時に避難が困難だったり遅れるため
詳しくは宇高連絡船の過去の事故参照 >>566
本州の客車やディーゼルカーは冬季になると道内では走れないのが理由かと?
特急いしかりでデビューした極寒冷地仕様の485系1500番台でさえ過酷な
厳冬期では故障が多くて使い物にならなかったくらい
営業列車を車両甲板へ乗せるのは防災的な理由だと思うが連絡船に乗せると
ディーゼルエンジンは切るので冷暖房は途切れて車内灯も消えるためもあるけど
重さも関係すると思う
青函連絡船は連絡船と埠頭桟橋の間に浮遊桟橋があって重い車両だと沈むので
青森駅や函館で貨車を車両甲板に押し込む時や引っ張る時にか貨車とディーゼル
機関車の間に控車を何両も連結して浮遊桟橋にDE10??が浮遊桟橋の上に
乗らないように操車してたからね 連絡船に納まるように編成分割したり再連結する方が乗り換えさせるよりもはるかに時間がかかるだろ
運行系統も本州側は東北と奥羽の2系統あるし >>563-564
561ですがトラン・ブルーサッポロ、言われて思い出したわありがとう
横手も札幌もスキー出来るのに、なんでこの2都市を結ぶんだろうと思ってたわ 両極端な雪質だから、どっちも楽しもうという需要に答えたとか? 団体じゃないのかね。余った分を一般に向けたとか
>>566
面倒で時間とコストかかるから。貨物と違って人は移動してくれるしね
重さは関係ないと思う。荷物車や郵便車は航送してたし、連合軍に言われて1等寝台だけを
航送してた時期もあった。洞爺丸でやめたけど 専務車掌がカレチ常務車掌はジレチ
ヒラの車掌はレチというのか? >>574
国鉄時代の車掌電報略号は 車掌「レチ」、荷扱い車掌「ニレチ」、専務車掌「カレチ」(リョカクセンム
レチの略)、車掌長「レチチ」(レチチョウまたはチーフの略)、
>>573
ブルートレインin北海道については不明だけど1991年7月3日に運転された下りのトラン・ブルーサッポロは
1ケ月前売り当日の夜に懇意にしてるみどりの窓口で残席数を確認してもらったら定員の9割近く売れ残って
いたので団体枠があるとは思えない状況だったよ。同年7月6日運転の上りトラン・ブルーサッポロは未確認。
>>576
それも調べてみたのだが7月上旬に秋田県内で行われる花火大会は秋田県能代市の能代港下浜ふ頭特設会場
から打ち上げる"港まつり 能代の花火"のみで有名な大曲花火大会や田沢湖竜神まつり花火に雄物川花火大会
などは7月上旬には行われれていないのである。 車掌の地位や役割分担がわからない、特急や急行には専務車掌がドア開けたりする車掌が別にいたのか? >>579
白鳥とか長い編成はグリーン車に乗客専務
後ろや中間車に2人車掌が乗っていた 貨物の車掌は、普通車掌(末期は列車掛)だからレチ
大昔の特急・急行は、車掌長、専務車掌の他に普通車掌がいたようだ
ただドア扱のある電車・気動車時代なら、車掌長と専務車掌の乗務だから、専務車掌の1人がドア扱や発車合図など運転業務を兼務した。車掌長がグリーン車、専務車掌のうち下っ端(運転兼掌)が最後尾が定位置 >>579
国鉄末期10年あたりで、車掌の数が段階的に減ってきた。
皮切りは45年前の1976年10月、この時は寝台列車のセット解体を民間委託に換え、寝台特急の車掌が大幅に減らした。
80年10月や、82年11月、84年2月も転機で、列車の短編成化は、車掌減らしの1つの契機。
そして民営化後、地方のローカル列車ワンマン運転や、最近ではJR東の特急全車指定席化も、車掌減らしの目的がある。 専務車掌と車掌長は鉄道公安官でもあり司法警察権付与されていて
カバンに手錠や必要とあれば拳銃の携帯もしたんだっけ。 公務員時代だったからこそ、できていた面もあったのか>警察権持ち >>583
寝台特急の車掌していた人から話を聞いたことあるけど手錠は聞いた。拳銃は流石に聞いたことない。警察署で何回か訓練したとか。 マニ30現金輸送荷物車の車掌は拳銃持ってたんじゃないかな。 むしろ鉄道公安官が国鉄民営化で警察組織に組み込まれたときに
初めて拳銃射撃の訓練をしたとか聞いたことあるけど 車掌のフランキー堺が拳銃持ってるイメージが
湧かない。手錠も湧かない。 鉄道公安官は正式には鉄道公安職員といい鉄道公安職員手帳をもっていた 民営化時に俺は警察官ではなく鉄道員だとJRに入社する(残る)人も多かったと聞く >>580
スワロー前のあかぎ
14両で7-8人乗ってたよ
車掌の数 >>590
自由席の飛び乗りが多く、検札要員確保があっただろう。
また185系では通り抜けができなかったし。
スワロー化やひたち・あずさの全車指定化は、そんな要員をなくしたい意向があった。 >>565
佐貫発青森行きは俺も覚えてる。
列車名は、ひたちふるさと号だったかと・・・ 手錠を持っているかいないかは車掌区にもよる
長距離列車でも車掌長のカバンに入っているかどうかのレベル
拳銃は鉄道公安職員だけであり、車掌は持っていない
車掌のうち、一部は司法巡査記章(バッジ)が与えられて司法巡査の任についた(逮捕できるのもその司法巡査記章を持った者だけ)
ちなみに裏側には通し番号が付けられている
もちろんなくすと大変だから、よほどでない限り本物は住まいに置き、イミテーションを付けていた
車内でだいたい窃盗やスリをした者は車掌が手錠を嵌めない状態で乗務員室へ押し込め、鉄道公安職員がいる駅で身柄を引き渡していた
ただ、JRになってから新幹線で被疑者を車掌室に押し込んだため車掌室の窓を開けて飛び降り自殺されてしまったケースはある 国鉄では専務車掌以上になると研修を受けて司法巡査、鉄道公安職員が司法警察員(巡査部長以上相当)だった。
分割民営化で公安組織は警察に移行したが、民間がダメだからではない。事実、一定規模以上の船舶の船長は、民間船でも司法警察員だよ。 Youtube見てると海外の列車旅動画で車内
撮るため車輌跨いで撮ろうとしてる人いるけど、多分防犯上の理由で、編成あっちこっち行ってると車掌に目を付けられて自由に行き来出来てるようには見えない。
治安レベルは昭和30年代わざわざ車掌補が1両1両に乗っていた時と変わらないんだろう。
オレもオロネから最後尾のオハネフまで
ウロウロ歩き周り、おおこのオハネフは山側に
通路があると驚いたりしたものだけどそれと同じ事を海外でもやろうと思うと現場にかなり迷惑がかかるだろうね。 昭和53年の夏に下りあさかぜ2号に乗った際に車内を全部歩いて1号車、7号車、8号車、
13号車に連結してあるオハネフ25の切妻側が全て東京よりに固定してあるのに驚いて
1両1両見て回ってたら車掌に怪しく見られたけど当時まだ高校生だったのとブルー
トレインが好きだと言ったらいろいろ教えてくれた。
当時の下りあさかぜ2号と上りあさかぜ1号は広島駅で付属編成を解放したり連結したり
していたけど基本編成と付属編成の連結面が><ではなく、>>なっていたので何で
切妻どうし連結しないのが不思議だったけどオハネフ25の100番台は向きが東京寄りに
固定なのでそれが出来ない訳が大学に入った頃に分かった >>591
千葉地区じゃホームライナー廃止しちゃったよ。
それとJR東の2階建てグリーンのスイカでタッチも車掌なくすためだよな。 >>598
発車してしばらくは車両間のドアにカギがかかってる列車とか
列車の通路をふさぐように車掌の仮眠用ベッドがある列車もあったな >>599
「富士」「はやぶさ」「出雲」が25型化された当初も、オハネフはそんな向きになっていた。
博多「あさかぜ」25型化で、7号車にオハネフ25-200が充当されて、下り方の向きになった。食堂車を8号車に移したのが理由かと思ったけど、違うのかな?
あと昭和53年にあえてモノクラスの下関「あさかぜ」を選んだの? 下関あさかぜは広島や山口に便利な列車だしそんな変わった選択か? >>604
食堂車やA寝台がないモノクラスなので、当時俺なら博多あさかぜを選んだ。
博多あさかぜも山口県下では時間帯は良かったので。 >>565
>>593
佐貫駅発着だと"青森ねぶた号”もあった
9031M 佐貫06:12→16:41青森 485系7両 運転日1997.8.3〜4
9038M 青森22:20→08:04佐貫 〃 〃 >>584
よく勘違いしてる者がいるが、国鉄職員の身分は公務員じゃないぞ
旧電々や専売公社みたいに公社職員だ 「富士」「はやぶさ」「出雲」のオシ24が5号車から8号車へ移動したのはまだ20系だった
博多あさかぜが20系でそれを25形にする際、オシ24が足らないのでその分を捻出するために
富士・はやぶさ・出雲の各オシ24を基本編成の5号車から8号車に移動させて付属編成は
途中駅までの運用なので運用スパンを短くして浮いたオシ24を博多あさかぜ用としてる
さらに本件の食堂車の位置組み換えする際に7号車のオハネフ25を200番台に変えたが
1978年1月27日東京着の富士は回送のオシ24も連結されたため5号車と8号車にオシ24が
連結された姿が登場した ちなみに片方のオシ24は回送なので営業休止であった >>608
とはいうものの、鉄道省以来の名残りか
事業所を「役所」と呼ぶ職員は多かった。 >>610
正確に言えばその通りだろうが、博多あさかぜ置換え準備には変わらないだろう。
大体そんな準備は改正の事前に行うもの。
東海道ブルトレ牽引機のEF65-500から1000番台に置換えも、同年10月改正に伴うものだったが、8月で1000番台へ置換え完了したし。 >>608
ピク掲載の旧国鉄職員の方の回想で、何かの届出の書類の職業欄、団体職員と記入しろと指示されたはなしがあったかと。 職業分類で、
団体職員って農協や漁協、NHKも?
市町村役場の職員は公務員? 「準公務員」って、どこまでを言うんだろうな
都合のいい時だけ公務員を名乗れるってことにもなるんだろうし
団体職員の話が出てきて、ふと思い浮かんだ 報道は会社員、団体職員、公務員、○○作業員、○○工、飲食店従業員、風俗店従業員と差別化している。 ケチるときは民間に準じてるのでと言われ
規則で縛るときには公務員に準じてと言われるのが準公務員
公務員法の適応も受けないのにな >>616
マスコミなんてムラ言葉し放題だからな
あてにならないよ。定義も曖昧
一般に浸透はするだろうが 客車は南シナで機関車は東だもんね(・◡・)ノ 夜行列車の運転士は深夜手当加算で給料が高かった?
2時間ごとに運転停車して交代するためそれほど激務ではない
夜行バスは走行距離500km未満は一人乗務出来るとかちょっと異常(関越道のあの事故が起きる前は670kmで東京〜大阪を一人で乗務できた) >>623
間違えた
500km未満じゃなくて400km未満だった >>613
上野駅職員の方がパスポート作りに行った時のエピソードだね >>623 極端かも知れんがそれって1990年前後の
ソビエト他東側諸国の崩壊、が原因であるか、
或いは原因は他にあるけれども同時並行の現象であると思ってる。つまり労働組合が直接の関わりがある訳では無いが少なくとも思想的な源流を持つ社会主義国が崩壊した事で弱体化、労使間の緊張とバランスが失われ、規制緩和など経営側の原理が極端までに突っ走ることになった。具体的には国鉄JRで1990年あるいは国鉄民営化で大事故の性質が変わってしまった。
例えば
名古屋駅での飲酒運転事故=組合が強すぎた
対
尼崎事故=無謀なダイヤによる遅延取り戻し そうなってるのは日本だけなのでソ連関係ないやん
日本を蝕んでるのは足の引っ張り合いだろ
自分が良くない立場に居たら自分の立場を良くしようではなく
周りの立場を自分と同じ悪い立場に落とそうという考えが社会にこびりついてる >>621
急行銀河は客車は宮原客車区でも機関車は東京機関区(後の田端運転所)だったけど
20系時代は客車は宮原客車区で機関車も宮原機関区だったが臨時銀河はその時によって
運用が変わり、機関車は田端や宮原でも14系座席車は品川客車区、尾久客車区、宮原客車区、
岡山電車区や広島の14系ハザだった時もあった
品川客車区のいなば・紀伊は浜松機関区のEF58だった 客車は謎のカタカナがつくのに、機関車はなぞの漢字が一文字だけ何で表記の仕方が違う? 電車や気動車や客車のカナ=機関車の漢字ですね
んで機関車だけ鉄道管理局名を冠しなかったのは何故なのかしら
いなば・紀伊は[浜]のゴハチでしたね >>627
四国に午前3時台に高松に着く「半夜行列車」があった
宇高連絡船との接続でこうなったが寝不足になりそう
急行鷲羽でも午前2時半に宇野に着くのあった >>635
機関区と客車区で見分けやすいように符号化してたんだろう。
機関車は単行で走ることはあるけど、客車は必ず機関車とセットだ。
東京機関区(東)のEF65に東京南鉄道管理局品川客車区(南シナ) 多分昭和56年10月10日、中学二年の時に
朝品川終着の上り臨時銀河の牽引がEF58 101
宮原だった。この時点で前照灯が原型で
窓も原型小窓、その後昭和59年下関集中配置になった時はシールド豚鼻2灯になってたから結構末期近くまで改造してたんだなと思う。
当時はそう滅多に出歩けないから、たまの
日曜日に写真撮りに行こうと思うと上野口
などは大忙し。東京品川は上野口が落ち着いてからという感じだったな。何分ちゃんと計画して撮るという知恵のないおバカ中学生だった。
a >>627
夜行って単語自体は「夜に走る」ってことだが、
わざわざ「夜行列車」という単語で呼ぶときは、
中〜長距離を走行する、深夜帯に走行し、早朝以降に目的地へ着く列車、という認識で
いいんじゃないのかなと。 >>653
客車、電車、気動車のカタカナ2文字は電報略号で機関区より電車区、運転区の
数が多いため管理局の次に受け持ち区のカナ2文字が続きますが機関区は電車区や
運転区に比べて数が少ないのと区名札のサイズに1文字が限界(例外は長岡の2文字
もある)なのかと思いますがあくまで私の推測ですか・・・
>>637
宇和島発の急行うわじま8号、高松3:37着と窪川発の快速762D、高松3:45着ですね
宇高連絡船4便(4:00出港)宇野港行きで下り急行鷲羽は3便(2:45出港)高松港行きに接続
>>639
EF58 101は寝台急行銀河や寝台特急つるぎで何回か撮影した事がありますが
ライトの豚鼻シールドビーム改造は1982年くらいだと思ったけど当方の記憶違いかも?
竜華区流の豚鼻ライトは嫌いだったけど原形小窓、原形ワイパー、SG排煙口原形
(ガーランド形)、PS15パンタだったので来れば撮影していました
そういえば138号機、143号機も同時期に豚鼻ライトに改造されていたような? >>640 その定義だと東武の尾瀬夜行は会津高原尾瀬口にAM3:18に着いてしまうから「早朝以降の到着」ではない、ということになる。厳格に解釈すればの話。
4:20のバス発車まで車内に居られるわけで、その時間も乗車時間と捉えれば「夜行」ということになるか。
深夜時間帯に車内を減灯させるか否かが、遅すぎる終電ないし早すぎる始発と夜行の違いとする説もあるが。 >>635
機関区と客車区で普通に被るからでしょ。東京と品川ならともかく、他は機関区と客車区
同じところにあることはいくらでもあったから。宮原や尾久だってそうだし
それに昔は客車区より機関区の方が多いだろ。機関区の格が上とかいうマウントもあったらしいし 国鉄時代から機関区と客車区や電車区などかぶるのは意外と多い
釧路と釧路、青森と青森 秋田と秋田 竜華と竜華 岡山と岡山 広島と広島
下関と下関 鹿児島と鹿児島 大分と大分 高松と高松などなど
小樽は築港だし、岩見沢も富山も敦賀も高崎も第一と第二があったので被ってはない >>643
東京機関区や宮原機関区は昔から名門機関区と呼ばれていた
>>644
新津、福島、酒田、函館、盛岡もあった >>645
☓東京機関区や宮原機関区は昔から名門機関区と呼ばれていた
○東京機関区や宮原機関区は昔[は、]名門機関区と呼ばれていた
末期は国鉄最大の荒廃職場のひとつだった。 国鉄千葉動力車労働組合の入る佐倉機関区の荒廃も酷かった
JRになっても千葉動労はストライキをやってたし酷いものだ でもそういう話を聞かなくなってから
みんなの給料が上がらなくなっていったんだよね、日本だけ 民営化はともかく分割を主張したのは、社会党系の国労を弱体化したいというのが自民党の狙いでもあったんだとか 国労の組員
無事、jrで余生遅れた人って
どれくらいいるのかな? 動労千葉って、2000年代に入ってもストとかやってたよな。駅の電光掲示板で見かけた。
国鉄がなくなって10年も15年も経つのに未だに何やってんだと思った覚えがある。 千葉動労は成田空港の三里塚闘争にも関係してるんだよね
JR東日本千葉支社管轄の各線では、動労千葉の争議行為に伴う間引き運転や
運休(久留里線など)、順法闘争列のノロノロ運転で遅延が発生していた >>645
昭和50年代に親の田舎に行くのに何度かブルトレ乗ったけれども、引き出しとか停車の時の衝動が乱暴で、アルバイトが運転してるのかと思った。関門海峡や九州では運転がとっても丁寧だった 動労本部 革マル派 →JR総連(他と合流したものの、結局ほとんど出ていき旧動労主体となる)→JR東日本と対決路線に転換して大幅に組合員減少→今に至る
動労千葉地本 中核派 →動労千葉→今に至る >>652
未だにやってるよ
列車の運行には影響しないので広くお知らせしていないだけ
直近のストは2021年3月12〜14日
ttp://doro-chiba.org/nikkan/3-12%ef%bd%9e14%e3%82%b9%e3%83%88%e8%b2%ab%e5%be%b9%ef%bc%81%ef%bc%93%e6%9c%88%e3%83%80%e3%82%a4%e6%94%b9%e3%83%bc%e3%83%af%e3%83%b3%e3%83%9e%e3%83%b3%e9%81%8b%e8%bb%a2%e6%8b%a1%e5%a4%a7%e5%8f%8d/
3月13日に開催された館山商工会議所での総決起集会の様子
ttp://doro-chiba.org/wp/wp-content/uploads/2021/03/p20210313-03.jpg
あと10年経つと約半数は鬼籍に入ってしまいそうな年代しかいない
ストライキの概要
ttp://doro-chiba.org/nikkan/%e6%9c%ac%e6%97%a5%ef%bc%93%e3%83%bb%ef%bc%91%ef%bc%92%ef%bd%9e%ef%bc%91%ef%bc%94%e3%82%b9%e3%83%88%e7%aa%81%e5%85%a5%ef%bc%81%ef%bc%93%e6%9c%88%e3%83%80%e3%82%a4%e6%94%b9%ef%bc%8d%e3%83%af%e3%83%b3/
闘いの配置について
@ワンマン運転拡大阻止、ジョブローテーション粉砕、地域と安全の切り捨て阻止に向け、木更津運輸区、鴨川運輸区、佐倉運輸区、
千葉運輸区を対象として、3月12日泊勤務から14日明けまで、ストライキを配置して、要求の実現をめざすこととする。
A3月13日、館山商工会議所ホールにおいて、スト貫徹!動労千葉総決起集会を開催する。
3月13日(土)13時30分 館山商工会議所
B3月18日 貨物春闘団結集会
3月18日(木)12時
Cストライキ期間中は、全組合員を対象にして休日勤務、超過勤務、所定以外の業務(休憩時間変更を含む)は一切行わない。
Dなお、会社による不当な業務運営および組織破壊攻撃が行われた場合は、戦術を拡大する。 >>654
昭和51年に寝台特急さくらに乗った時はEF65Pの運転よりも九州内のED73の運転が特に酷かったよ
帰路のさくら食堂車で名物料理のちゃんぽんを食べるときに丼の下にお皿が敷いてあって酷い運転でも
ちゃんぽんのスープがこぼれない様に敷いてあるらしい >>657 >>654
機関士各々の資質があっただろう。
「紀伊」の名古屋駅事故や、「富士」西明石事故が露呈するまでは、何でもありの
状態だったから。
運転前に飲酒する機関士ばかりではなかっただろうが、質の悪い機関士に充たると最悪!
当時の国鉄幹部は、職場が荒廃してても組合の反発が怖かったので黙認状態だった。 酩酊状態で点呼、乗務したり飲酒しながら走らせてる奴もいたと思われても致し方ない事故だったからなぁ 70年代後半に、バリバリの頃の葛西が、静岡と仙台に赴任した動画。
これを見ても当時の国鉄の職場が荒廃してたのが分かるし、葛西はよくやったと感じる。
https://youtu.be/4du6oSq2Iew >>660
葛西さんが東京機関区に視察に行って、そこで乗務員達が葛西さんをヤジったんで、真っ先に東京機関区は潰せと言ったのはは有名な話。 それは山之内さん
葛西は総務の方だろ。現場にでてない 過去に、24系、14系座席車、12系が編成内にまとまったことってあるんでしょうか? >>659
そういうの組合が放置していたくせに
今どきの組合は安全管理がどうのとかどの口が言ってんだって思うわ 元JR東海社長の須田寛が
何でも反対の労組を抑えるための最強スローガンが
安全だと何かの本で書いてた
安全に反対するのは不可能だからだと 軽自動車乗りには安全馬鹿と言い登録車を罵る奴がいる >>664
夢空間は24系で正解だけどスーパーエクスプレスレインボーは
スロフ14、オロ14の14系座席車だよ 最近、地方私鉄で夜行列車もどき体験列車みたいな商品が散見さるが
何が良いのかよく分からん?
寝台でも無い限り、夜行列車は安く移動できる手段に過ぎず
金に問題無ければ、新幹線や寝台使う罠 「夜行」っていう言葉の響きがいいんだろ 郷愁を誘ってヲタを呼び寄せる訳だ で「百鬼夜行」になると >>669
ttp://pbs.twimg.com/media/EzJqHheVkAMwWFX.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/Dx1wFbWVAAIePeh.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/Ez-ps8xUYAkWSid.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/EVRw7gHUEAEPTIN.jpg
ttp://pbs.twimg.com/mediaEtYmVpmVIAIGNwW.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/D8PmJUxVUAATVAt.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/EDnDbiDU0AAZa5p.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/E-IjeKpVgAIpFh3.jpg ttp://pbs.twimg.com/media/EtYmVpmVIAIGNwW.jpg >>674
田端のEF81が北陸本線走行とは珍しいが、長岡で付け替えたのか?
夢空間は上野〜大阪の上越・北陸本線経由や、上野〜出雲市の上越・北陸・山陰本線経由
で運転されたこともあったけど、その際も田端のEF81が北陸本線に入ったことがある? 末期のはやぶさ・富士は
東京をあと1時間早く(17時)出発していれば夕方のラッシュを回避できて
大阪からもっと使いやすくなってたと思うんだが。 >>677 東京から17時台に九州方面行き夜行に乗る客いるか?
新幹線使えば23時には博多到着可能というのに。 >>673
夜行怪速百鬼号…
今となっては非日常を体験するって感じなんだろうな>夜行ツアー >>677
大阪からは、なは・あかつきがあったからね >>678
いないいない
北斗星やカシオペアみたいな観光列車ならともかく、17時台発の
夜行列車で九州へ行く人間は今時ヒマな鉄ヲタくらいだよ
東京17:09「のぞみ53号」22:06博多
東京17:30「のぞみ55号」22:30博多
東京18:09「のぞみ57号」23:06博多
東京18:51「のぞみ59号」23:51博多
自分なら羽田20:00発の飛行機で飛んで福岡に21:55着
福岡のホテルに宿泊した方が楽だし金額的にも問題ない
これなら定時退勤で一旦帰宅して着替えてからでも間にあう
長距離の夜行列車はリバイバルトレインみたいにツアー系式で
走らせれば充分だと思うし、一般客のニーズは低いと思われ 急行高千穂
東京14:35
名古屋20:04
大阪23:00
小倉9:51
大分12:49
宮崎17:08
西鹿児島19:46
のぞみ41号 東京14:30→小倉19:13
ソニック49号 小倉19:41→大分21:02
にちりん1号 大分7:00→宮崎10:15
きりしま7号 宮崎10:17→鹿児島中央12:27
…いやちょっと調べてみたくなっただけ >>681
結局、移動に要する時間も貴重なもので、目的地まで少しでも速く移動できれば
移動中にはできない様々なことを、縛りなく自由にできるってことなんだよな
新幹線や飛行機が普及したら、夜行列車が衰退・滅亡するのは
一般人から見ればある意味必然となるか
ただでさえそんな状況である上に、コロナの影響で出張や長距離移動が
テレワークやリモートワークに変わったことで、新幹線や飛行機でさえ
一気に危機的状況となった訳で、2020年代後半は一体どうなるんだろうね >>682
7時間しか短縮されていないのか・・・
夜行列車って、(移動だけに限れば)効果大きいな。 2020年代後半はリモートワーク等で人々が分断されてしまったことを後悔し昔の生活が見直され、イベントで夜行開放寝台を企画したところ大盛況
各地で夜行列車復活、、、
まぁ1000%ないけど EUみたいな理由での夜行列車復権も、新幹線網とコロナ、
往年の本線が三セク化等で分断されたことを考えたら、
日本ではまずありえないだろうからなぁ
「日用品の購入以外ではほとんど移動しない生活」がコロナで一気に定着するとしたら、
それはまた色々と弊害も大きそうだな >>678
18時台でもいない
ならラッシュを回避できて、大阪から使える時間にしたほうがいいと思った。 もう夜行列車なんて時代ではないと思う
サンライス出雲/瀬戸も今月末で廃止になっても
全然問題ないし、現状の交通システムで充分だよ
在宅テレワーク・リモートワークで通勤や
出張が大幅に減ったのだから新幹線の運転本数も
減らして通勤電車の本数も減らした方がいいと思う >>689
新大阪20:30発 熊本7:00着くらいの夜行列車ならまだ現実的
寝台車を新たに作って定期夜行列車復活なんて100%ないと思うけど
鉄ヲタは東京駅を明るい時間に発車させて長い時間乗りたい基地害だから
利用客のニーズとかを一切考えない脳天気なヤツが多いから困った物だ >>685
いや、んだから、大分で動かないで一晩泊まってるからさ。 >>691
仮に1億分の1でも可能性があるとしたら大阪〜仙台かなとは思う(3セク抜きだと)
かつてのこだまとひばりの所要時間を足せば12時間で走破できるんで
20時発8時着にすれば京都名古屋福島あたりからも利用可能で仙台行は武蔵野貨物線、
大阪行は山手貨物線を経由すれば大阪行は新宿にも営業停車(0時30分頃)できる
伊丹の運用が21時までなのでギリギリ競争力もあるかな、と妄想 >>681
まあね。1000キロ超えると新幹線や飛行機の方が有利になる。夜行の強みは、最終新幹線より遅く出て、始発新幹線より早く現地に着くこと。
1000キロ超えるブルトレは、まだ飛行機が高嶺の花の時代でそれしか移動手段が無かったことは、ここの諸兄はおわかりだと思う。
逆に北陸やムーンライトえちごみたいに中距離夜行は馬鹿停で時間稼ぎ。 86.11で東京九州ブルトレは全て名古屋−九州間にすればよかった
「名古屋駅で特定の新幹線と乗り継ぐ場合に限り、乗継割引を行います」を付けて
ただそれだけ
さくら
みずほ→あさかぜ
はやぶさ
富士
名古屋駅を、22時からだいたい15分間隔で出発(直接東海道下り本線へ)・6時半から7時半までの間に到着(稲沢線経由で入線)
新幹線との乗り継ぎを考慮して、関西本線乗り場(12番・13番線)は16両化かつ上下方向ともエスカレーター付
ただ、さくらの増車・食堂車廃止と博多あさかぜの延長運転により、みずほは86.11で廃止
長崎発着:オシ14をオハネ14と差し替え
佐世保発着:オハネ14を増結し、スハネフ14をスハフ14と差し替え(後記)
どたばた
さくら−あかつき運用で、座席車連結(スハネフ14をスハフ14と差し替え)
走行距離調整のため、さくら−あかつき運用の14系15形は名古屋→JR東海保有
オシ14が6両すべて余るため、すべてオシ24 100番台化して日本海連結
富士は都城まで延伸
富士・彗星編成は向日町→JR西日本へ
なは・彗星は門司以東併結
出雲3/2を24系25形へ変更
銀河は14系化して品川→JR東日本へ >>696
その当時はまだ飛行機はB寝台利用より高く、東京発着ブルトレの利用率は悪くなかった。
それに国鉄時代の看板列車を4社跨ぎを維持する前提で、民営化後に廃止しにくくした。
新幹線で名古屋乗継ぎについても、当時B寝台や新幹線が使える「九州往復割引きっぷ」
があって、名古屋で乗継ぎもOKだった。 >>693
1000億分の1でも可能性はないと思うよ いや1兆分の1でも可能性はないだろう
コロナ禍で大赤字に転じたJRが今から鉄ヲタの妄想空論のために車両を新製する訳がないわ
くだらない脳内妄想するなら現状をもっと捉えて考えた方がいいと思うぜ
何でも鉄ヲタ目線で考えるなよ お前気持ち悪いぜw 田舎モンにとっては都心まで直通していたことが存在意義であってだな >>697
東京(羽田)−福岡(板付)間は国鉄JRが高いものの、博多−板付空港間はバスでかつ道路渋滞しすぎで全く時間が読めなかったため、国鉄JR利用が多かった
しかし、1993年に博多−板付空港間に地下鉄が通り、これで一気に飛行機へ流れて、翌年博多あさかぜ臨時化・みずほ実質廃止となった
ただ、食堂車が名古屋22時発車・6時半着では利用客が少ないだろうから、静岡20時発車・8時45分到着にしたほうがよいかも
出発順序
静岡下り 富士、季節みずほ(熊本だけ)、はやぶさ、さくら、あさかぜ(熊本)
門司上り 富士、あさかぜ(熊本)、さくら、季節みずほ(熊本だけ)、はやぶさ
季節みずほ運転時は、はやぶさのロビーカーはオハネ25へ変更(オシ14改造のロビーカーをみずほの喫茶として使うため) >>701
東京発着九州行きの寝台特急というよりブルートレインの列車も客車も牽引機もない現在、
アイディアを書いても意味がないよ。せめて1990年台前半ならそういうアイディや企画も
ありだと思うけど今更寝台特急や夜行列車が復活する可能性は等しい。復活はないだろう >>701
福岡空港に地下鉄が開通と同時に、九州ブルトレの食堂車が全廃になっている。
列車としてのステイタスが、その時は低下していた。
名古屋・静岡発着で首都圏から新幹線乗継ぎが前提なら、食堂車がそれ以前から
不要だし、京都・新大阪で関西発着の寝台特急接続で充分だっただろう。
それでも東京発着で残ったのは、乗換えを嫌うのと、>>700の要因があった。
また新幹線乗継ぎで料金負担の増大もあった。
分割民営化直前の改正で、東京発着ブルトレが10年前の本数を維持する必要が
あったか疑問だけど、列車としての地位は5年程で大きく変わってしまった。 >>702
飛行機を使えば1〜2時間、新幹線でも2〜3時間程度で行ける場所だと、
わざわざ夜行列車に半日以上乗るよりは飛行機・新幹線を使った方が
移動拘束時間の面でも格段にいいってことになるし、それ以外の様々な状況まで考えたら
ツアー列車以外での寝台特急や夜行列車の復活は、この国では今後もまずありえないだろうね
結局、物理的に復活できない体制にまでなってしまったら、もう手遅れなんだろうし 鉄道模型で機関車交換して、往時を偲んでる。
九州ブルトレのすれ違いとか、それだけでわくわくするよね。 高崎の旧客使って
上野〜仙台 夜行、日帰りとかのツアーなら乗ってみたい 夜行列車復活ぉぉぉぉぉぉぉぉ
なんて喚いてるアホは、4列激狭格安夜行バスにしか乗れない経済力しかないんだろ。
4列バスは身動き取れないけど、列車の座席なら普通車でもまだ身動き取れるから。
首都圏〜京阪神の3列グランドリームレベルの夜行バスでさえ7千円前後で乗れる。
そもそも社用族の選択肢に入らなくなった段階で夜行はクルーズ列車しか必要無くなった。 >>702
1986年の時点で牽引機も車両もなかったのかへーお前の世界はそうなんだ 西武新宿線の急行が田無から各駅停車になってるようなもん はやぶさが盛岡より先は各駅停車状態の列車が多いのも同じよね >>711
ここのスレ、変に僻んだ奴が居座ってるから。 夜行列車もブルートレインも過去に400回くらい乗ってるのでいまさらどーでもいい!
ここのスレ住人も若いやつを別にすればもう沢山乗っただろ!
いまさらブルートレインや夜行列車の復活妄想や無意味な根拠もない提案みたいなのも
過去ばかり追ってネガティブな鉄道ファンの希望提案ばかりで飽き飽きするな! >>710
>ただ、食堂車が名古屋22時発車・6時半着では利用客が少ないだろうから、静岡20時発車・8時45分到着にしたほうがよいかも
過去形もマトモに使えんのか 新幹線の半分位の客しか運べず、新幹線の3分の1しか営業距離を稼げないのだから。新幹線の6倍の値段をつけないと稼げない。
それだけの値打ちのある寝台列車をつくれるかな? 1986年時点の仮定の話をしているのに過去形が必要なのかという疑問 この板は「鉄道懐かし板」だぞ
現行や将来の話をするなら、「鉄道路線・車両板」や「鉄道総合板」でやれよ
鉄道路線・車両板
寝台特急サンライズ瀬戸・出雲☆彡PART107 ※ワッチョイあり
鉄道総合板
夜行列車廃止に物申す! >>724
停まってるじゃん
それでもご不満と言うなら
同じ市内だから
だと思うよ >>724
それを言ったら、愛知・静岡県内ももっと停まってになる。 >>681
これ改めて眺めるとすごいよね
最高速度が「ひかりは西へ」時代の1.5倍なんだよなと実感 >>719
そこで全車A個室スイートの豪華寝台特急ですよ 2015年現在のSA2の料金を更に値上げして
片道特急料金込みでスイート1部屋(2名分)61,000円+乗車券代2名分のセット価格にして更に
手数料や諸費を入れてJR東日本ならびゅーのインターネット販売や旅行会社で発売すればいいと思う
宿やホテルを同時申し込みにしたり帰路は飛行機をセットにしたプランや完全なツアーパック商品
でもいいし、繁忙期は片道のみのシンプルな販売なら鉄ヲタでも利用できるだろう
毎日運転だと3編成必要なので上野〜札幌間の週3往復が基準で青函トンネルはAC25kVで函館〜
東室蘭は非電化なのでそれに対応する供電・配電が必要なので四季島みたいな動力システムを構築して
運行すればよいけど・・・・無理だろうな
コロナが収束してもコロナ不景気は数年続いてGDPが落ち込むだろうしコロナで財政がかなり減らした
日本は近い内に回収すべく消費税15%化になると思うので更に景気は冷え込むだろう
俺は年金生活者だけど来月10月は年金受給日なのでサンライズ出雲のA個室に乗って温泉宿と
美味いものでも食べにいくかな >>712
通勤時間帯の「ヒルネ客」需要
2段寝台1ブロックに4人が寝ているが
畳むと6人が座れるのでそこにヒルネ客が座る
もちろん柳井防府宇部小野田厚狭(当時)など
新幹線が停まらない駅への直通需要もあった >>724
福岡県内については島内の特急があるし
スピードの速い電車特急から逃げ切る必要もあった >>733
>>716が中規模都市が連なっていると書いていて
>>729が柳井など新幹線の停まらない駅を挙げていて
誰も柳井が中規模都市とは言っていないし
下松については言及もない >>732
では福岡県でも同様の話になる。
>>735
むしろビジネス客だろう。山口県から九州へは新幹線以外速達列車がなかったから、
新幹線の停まらない駅からの需要がある程度あった。 薄暗い所に6人座ってると結構異様 誰も居なくてゴロ寝が最高 夜行新幹線って無理なのかな
単線運転できる設備用意したのにな 保守時間確保だけでなく、日中はニートしている夜行専用編成を用意するのが
無駄と考えているだろうからやらないだろう。今の座席車編成をそのまま
運用したとしても、寝台をぉぉぉぉ!個室をぉぉぉぉ!と不満しか言わない
アホが湧くことは確定的に明らか。 昭和20年1月 東京九州方面
東京 門司 博多
急1 830 920 1130 鹿児島2035
急3 1030 1200
普33 1410 2125 2341
急5 2000 2115
東京門司 急行で25時間 博多 27時間
2021年 オーシャン東九フェリー
東京港 1930 新門司港 翌々 535 2泊3日夜行列車とか出ないかな
七つ星みたいな循環ではなく 日豊線経由の富士の24時間が限界。今じゃ誰も乗らんだろう。 陸路で36時間もかかるような距離だったら、空路を使って5〜6時間で移動した方が
様々な面でいいと思うんだがなぁ(特に移動中の拘束時間の面から) そうだろうけど、それも運賃料金との兼ね合い次第な気もする かといってJRの普通運賃にも満たないフェリーの料金なんか持ち出されても運行する側は割に合わないしねえ >>744
実際24時間以上乗り通したのも、マニアか暇人だけだったしw >>748
特急の少ない末端区間も途中でにちりんに抜かれて本数補完の意味がなかったんだっけw はやぶさで青森に着いた時
上野発の夜行列車〜♪
これ、絶対にないわとつくづく感じた 青森についたときは♪上野発の夜行列車降りた時から〜
なのに函館につくと♪はぁーるばる来たぜ函館ぇ〜
と雰囲気が一変するのは何故なんだぜ >>750
南宮崎行きの下り富士は大分駅でにちりん5号に抜かれた
南宮崎発の上り富士は中津駅でにちりん44号に抜かれた はやぶさも有明やつばめに、
さくらはかもめに抜かれていたでしょ。 >>754
それって富士が西鹿児島まで行っていた頃にはやぶさと富士ですり替えたやつじゃなくて? >>756
トリックに使われるであろうと思われるネタなんだろうなと思って記しただけで、
特に深くは考えてなかったw >>752
「津軽海峡・冬景色」は北海道へ帰っていく女の途中の話(海峡の途中)
「函館の女」はストーカー男が被害女性を探しに函館中をうろつく話。 >>756
小説の方はそうだけどファミコン版のブルートレイン殺人事件は
さくらとはやぶさが舞台になる >>752 青森は過去数百年の間に数限りなく起きたケガツの為に生きたくても生きられなかった人の怨念が渦巻いてるので、それが旅人に
憑依して考えが後ろ向きになる。青森は今でも
日本一の短命県であるが、これはしょぺえ漬物でもケて年寄りは早う片付かねばワケもんが飢えるという慈悲の心による。
一方で蝦夷地は辺境の地とはされるが、ケガツの影響を受ける稲作文化でなく、それなりに狩猟で豊かな生活を送って来て年取らば順当に部族の神になっていったアイヌの人達の土地なので、暗い怨霊漂う事無く、前向きな気持ちに
なるからである。 ムーンライトながらは防犯上の観点で特に女性客に敬遠されたはず
個室寝台のあるサンライズの方がセキュリティで優れてて値段が高いのに稼働率が高いとか
夜行バスでも青春エコドリーム号は安価であるが繁忙期に見知らぬ客が隣に来るので忌避する乗客が多い はやぶさやさくらって平成に入ってから停車駅増えたらしいね
柳井や下松に停まるようになったのもこのころ
なんで? 石油コンビナートなど工業地帯のお得意さん客の都合だね。工場の車でさっと駅まで送迎できるようになってる。 >>765
JRになる前は熱海通過で沼津停車が多かった
熱海は乗務員交替だな 運転停車にするほどの深夜早朝でもない >>614
そう。
あと団体職員というと日本赤十字社員とか、特殊法人系だな。
>>623
国鉄時代の車掌業務経験を本にしているのを見たら、特急や急行の夜行業務をしてもとにかく安月給だったとのこと。
だからネタになった乗客達の話で、借金を抱え取り立て屋と田舎に金策に行く客から金を貸してくれって申し出があっても、勘弁してくれってことだった。
運転士なんか優等列車車掌よりも実務時間が遥かに短いんだから、夜行乗務でも低賃金ぶりは推して知るべし。
>>648
JRになったら比較的高給になったな。
特に本州三社運転士。 >>768
国鉄時代の1列車(さくら)と3列車(みずほ)は東京〜静岡は
静岡運転所の担当だったので静岡駅で静岡運転所や浜松機関区の
乗務員と交代していたよ
JRになると全て会社境になる熱海駅で交代になったけど 九州新幹線のみずほとさくらについてどう思う?
@他の愛称がよかった
Aみずほとさくら逆のほうがいい
Bそのままでいい 取り合いみたいになっちゃったからな、さくら、はやぶさ、みずほ
つばめを速達列車にしろとは思う。ときだってそうしたんだし
さくらは長崎新幹線に譲るのかな 1975年3月10日改正でも下りブルートレインは「さくら」「はやぶさ」「みずほ」の順に発車していた
【東京駅発 下り夜行列車】
東京16:30(さ く ら)11:48長崎・11:27佐世保『14系14形 食堂車営業』
東京16:45(はやぶさ)14:46西鹿児島『24系24形 食堂車営業』
東京17:00(み ず ほ)11:23熊本・12:19長崎『14系14形 食堂車営業』
東京18:00(富 士)18:26西鹿児島『24系24形 食堂車営業』
東京18:20(出 雲)9:54浜田『24系24形 食堂車営業』
東京18:25(あさかぜ1号)10:53博多『20系 食堂車営業』
東京18:43(あさかぜ53号)11:23博多『20系 食堂車営業』◆4/25〜5/6運転
東京19:00(あさかぜ2号)10:27下関『14系14形 食堂車営業』
東京19:25(瀬 戸)6:00宇野『20系 食堂車営業』
東京20:40(いなば)10:55米子『14系14形 食堂車非営業』
東京20:40(紀 伊)7:18紀伊勝浦『14系14形』
東京21:55(銀河51号)742大阪『12系座席車』◆3/20〜4/7・4/25〜5/6
東京22:45(銀 河)8:00大阪『オロネ10、スハネフ12、スハネ16など』
東京23:28(347M)7:13大垣『153系、155系など』
東京23:59(銀河52号)9:34京都『車両不明』◆4/26〜5/2
◆臨時列車は交通公社時刻表1975年3月号に記述のあった夜行列車のみ掲載
間違いがあったら訂正よろしく 間違えて瀬戸を食堂車営業にしちゃった
連結されてないのに 国鉄末期に乗った上野発石打行きも半夜行だな。
新前橋まで定期・その先は臨時、ちなみに115系。
石打到着は三時ごろ、到着後はすぐに回送。 >>774
1975年春臨の臨時急行銀河53号(9115レ)の客車は旧型客車だよ >>772
九州内で肥前山口を颯爽と通過する「みずほ」
大都市大阪を無視する上り「みずほ」
名古屋、静岡、横浜、東京と各県1駅のみ停車で豊橋や沼津には停まらない「みずほ」
どう考えてもさくらよりみずほの方が上だと思うが >>772
と言うより「つばめ」と「みずほ」逆ではないか。
「さくら」にしたのは九州のミスだな。
「はやぶさ」を採用してれば、東に取られなかったのに。 「はやぶさ」の生息地からすれば東北で正しいんだけどね
あとは「富士」争奪戦ってところか >>775
なすの化、とき化であおばとあさひが余ってるよ >>780
その時は富士はやぶさがまだあったんじゃなかったっけ
富士はリニアがやりそうな気がする
東海以外は使えないしな >>774
このスレの俺らなら暗記まではせずともほぼ覚えてるやろ >>783
> 東海以外は使えないしな
JR東日本から富士急直通でも使えると思うが >>783
あったが、既に寝台特急としての廃止が確定してたから、九州新幹線の列車名は、
はやぶさにしても問題なかった。 >>774
キリの良い時間発車が特急らしくて気持ちいい ヘッドマークもないいなば紀伊が14系で、伝統のあさかぜが窮屈な20系だったのか? そりゃロネのために20系で残してたようなもんだからな >>781
はやぶさは「薩摩隼人」のイメージと合っていたので
東北に行ってしまったのは複雑な感じ >>772
みずほは長らく「さくら3・4号+はやぶさ3・4号」
過去には「はやぶさ2号+富士2号」的な列車だったので
みずほ>さくらには非常に違和感がある >>782
あさひは朝日連峰、あおばは仙台の青葉城だからな。長崎新幹線とはさすがに無縁過ぎるだろ。
「あさひ」は日の出のイメージと言ってしまえばそれまでだが。もともと「みどり」も
大阪ー大分の電車特急だったし。 >>780
知恵袋で東日本が
東海西日本九州にはやぶさを使用してよいか確認取ったと言ってた。 >>792
あさひは米坂線急行時代は沿線の朝日連峰
新幹線時代はただの朝日が由来 東海道・山陽新幹線はシステムの都合上ひらがな3文字にこだわってそうに思う。
長崎行き速達が「かもめ」線内各停は「みどり」になりそうだ。 >>793
それ九州のつばめの時だよね
それは九州の元社長が言ってた
はやぶさはそんな必要ないでしょ
ソースあるのかね
>>786
問題あるだろ。確定してたか?
なんでそんな言い切ることが出来るのか >>774
>>東京19:00(あさかぜ2号)10:27下関『14系14形 食堂車営業』
→20系が正しい >>797
つばめの時は貨物を含めたJR他6社から了解を取り付けたみたいね さすがはヤフー知恵遅れ
そしてこういういちゃもんをつける割に東海道本線最速特急だった愛称が
元地方準急の愛称の下の系統においやられて
東海道新幹線で優等系列に使われていないことは気にしていないんだな 列車名が他社に移った例って
きらめき(西→九)
白鳥(西→北)
はやぶさ(九→東)
みずほ・さくら(東→西九)
これくらいか >>803
自己レス訂正
さくらは受け持ちは九州だったわ >>779
みずほは岐阜と小野田に停まってたかw
肥前山口は分割・併合がなく、停車させる必要なかった。 >>774
定期あさかぜ3往復あった内の11レ・12レの「あさかぜ2号1975年3月10日で廃止、
1975年3月10日より13レ・14レが「あさかぜ2号」となり客車は20系を使用して
13レ・14レは食堂車と開放A寝台を連結。
14系客車は「いなば」+「紀伊」に転用され、11レと12レは臨時あさかぜ51号として
8011レと8012レにてスジを確立して運転。臨時あさかぜでも食堂車を営業していた。
1976年8月7日、東京〜博多間で24系25形による8011・8012レのあさかぜ51号が
運転され、初の東京駅発着2段B寝台列車となった。臨時あさかぜ51号は21日(
上りは22日)まで運転された。
1977年9月25日、13レ・14レを24系25形(14両)化 A寝台と食堂車廃止
1978年2月 1日、9レ・10レも24系25形(14両)化 A個室寝台と食堂車連結 徳島線特急、つるぎにすれば良かったのにねえ。
使えない理由があったのかな。
北陸新幹線用に予約済みとかw >>810
徳島本線・徳島線で急行や特急で走っていたのは「剣山」だよ
剣山は徳島県の最高峰の100名山に選ばれた山だけどつるぎとも
なれば北アルプス北部の立山連峰にある剱岳になるので無理かな? 徳島線に特急列車が走っていることが不思議すぎる
固定クロスの鈍足急行で十分だろ そりゃ客単価アップのためでしょう
普通列車で使うくらい特急形がだぶついてたんだし >>797
東北新幹線の「やまびこ」、上越新幹線の「とき」、山形新幹線の「つばさ」
これらが決まった時は、まだ在来線特急の名称が健在だっただろうが!
なので九州新幹線が「はやぶさ」で何が文句ある! JR九州がつばめ、みずほ、さくらの名称を一気に使ったのだから
JR東日本がはやぶさを使ってもなんら問題はないと思われ 東京発鹿児島中央行きが設定されたら「はやぶさ」になり、新青森行きは「はつかり」で収まっただろう。 みずほは新幹線の最速達列車にこそふさわしい愛称だったのかもしれんが、ならさくらを変えるべきだったな。
もとは長崎行きの愛称だし
みずほとさくらが同居してるのがやはりバランス悪い >>816
九州がはやぶさ使いたかったのに東日本が取っちゃったから
仕方なくみずほにした説 >>817
東北新幹線ははつかりが1位だったのに高輪ゲートウェ〜イ駅と同じ出来レースだったんだろ 東海道新幹線開業時の列車名称は「ひかり」と「こだま」、のちに「のぞみ」も加わる
東北新幹線開業時の列車名称は「やまびこ」と「あおば」
上越新幹線開業時の列車名称は「あさひ」と「とき」
新幹線が開業後は「なすの」「はやて」「はやぶさ」「たにがわ」「MAX」などに
名称が変わり、山形新幹線や秋田新幹線の併結や北陸新幹線の開業で新幹線名称も増えた
しかし東海道新幹線が57年前の今日(10/1)に開業しても「ひかり」「こだま」が名称
を変えずに走っている事は奇跡なのかも知れない
昭和39年11月に当時7歳だった私は両親と始めて「ひかり」に乗ったが最高時速210km/h
運転で東京駅から大阪駅まで4時間かかり、キップ購入時はなにかがあった時のために
氏名・住所・性別・青生年月日をかかされた
高度成長時代に向けて東京オリンピックまでに開業を間に合わせた東海道新幹線はEXP70
こと大阪万国博覧会では海外旅行者から新幹線は走るパビリオンとまで言われた安全で早い
高速列車だった「ひかり」と「こだま」が今でも名称を変えずに営業走行事故もなく
走っているのは奇跡だと言えるだろう >>825
追いつかれそうにはなったけど、抜かれはしなかった。
>>824
18年間は単独の新幹線愛称で定着してたからな。
ただ現在のひかりは、B級になってしまったけど。 運転区間の半分を新幹線と被らない出雲は寝台列車の中ではかなり存在価値高かったのではないか
鳥取東部には最終の飛行機より遅く出発し始発の飛行機より早く到着してたし >>827
3段式B寝台を復帰させて寝台料金実質タダの出雲B3往復きっぷは好評だったらしい。
けどその割引きっぷじゃなきゃ乗ってくれないから儲からない矛盾。晩年の寝台列車は
満席でも儲からない列車になっていってた。今のサンライズも満席でも儲けが出ない
列車になってるし、後継車両はないな。 名古屋深夜1時発の東京行きいなば紀伊(のちの出雲2号紀伊)は関西線ホームから発車していたのか? >>828
出雲B3往復きっぷは客を取られた夜行高速バス対応でバスより安かったので
JRの儲けは無かったし、出雲市・松江・米子・鳥取エリアの販売のみで
関東圏からの発売は無かったので関東の利用者は使えない企画キップだった
1993年現在で夜行高速バス・スサノウの片道11,840円 往復23,680円、
出雲B3往復きっぷだと出雲市〜東京往復で21,600円と安く、JRの通常往復
割引では36,490円でなんと42%の割引になる >>829
時刻表に掲載されていた時のカシオペアは利用しなかったの?w >>830
紀伊が10番線に到着して機関車付け替え東海道線上りホームへ入れ換えで東京寄りに連結と考えるのが自然では 関西線は名古屋駅の東京方面から分岐しますから"紀伊"が名古屋に着いた時にはDD51は
枇杷島駅側についている。名古屋駅でスイッチバックする形で"いなば"と連結して東京に向かう。
紀伊到着時
←枇杷島方
DD51+BcBBBBBc
いなば到着時(ホームの位置関係は無視で)
BcABBBTdBBc+EF58
DD51+BcBBBBBc
EF58がお出迎え DD51は切り離し
BcABBBTdBBc
DD51 BcBBBBBc+EF58
連結
BcABBBTdBBc+BcBBBBBc+EF58
DD51 美しくだけではダメ、力強く逞しくが備わってないと。 >>835
13両編成の 特急おおぞら が長かくて恰好よかったと思うし、キハ82の文字マークもよかった。
特に3D〜4003Dのおおぞら2号は1号車から6号車は函館から旭川まで走って7号車から13号車までは
札幌から滝川、富良野経由の釧路行きで2号車と9号車がグリーン車で3号車が食堂車、他の車両は
全て指定席だったのを覚えている
1979年の改正から2両だけ自由席に変わったけど走行時間も10時間以上で全区間フル乗車すると食堂で
2食ないし3食は食べる事になる道内を走り抜ける特別急行では乗車時間が一番ながかったと記憶してる
ゆうづる1号と2号に接続する青函連絡船3便の接続を受けたおおぞら2号は函館駅を9:35に発車すると
途中札幌に13:40着、13:45に発車して滝川駅で旭川行きの8号車から13号車を切り離して1号車から
7号車は富良野線経由で釧路着が19:37着の10時間2分の長旅だった。
道内には他にも10時間運転する長距離特急が存在して函館発網走行きおおとりが10時間1分で運転、
更に函館発の山線経由で札幌を経由して旭川に向かう特急北海は繁忙期に網走まで延長していたので
こちらは臨時延長運転ながら函館から網走まで10時間29分を要した
全ての列車に食堂車を連結してかにめし定食、いくら丼、北海定食に焼き魚(ほっけ開き)やイカの
北方焼きなどの名物料理も美味しくて何とか記憶に残っている 訂正
1976年のおおぞら2号(3D〜4003D)の編成は1号車から7号車
までが釧路行きで8号車から13号車までが旭川行きでG車の位置と
食堂車の位置は同じ >>841
835って明らかに誤爆だよなw
>>839
駄目だよ誤爆に食いついちゃ
せめてキハ82系仕様の夜行列車の話しなきゃ 583系夜行のはくつるで一夜を明かし連絡船で函館に渡ると待っているのは80系の最果て特急の両雄おおぞら5号とおおとり、前者は真っ先に183系に替わり新しいイメージの列車となり、後者は昭和末期まで最後の食堂車営業列車として80系特急として君臨した。 >>839
おおぞらの自由席設置は1978年10月改正から!
13両編成で恰好良かったのは、個人的にはグリーン車2両付いてた
1D・2Dの函館〜札幌だな。こちらは好き好きになるけど。 >>826
れ?そうだっけ?
ガキん時に読んでたコロタン文庫の「特急・急行大百科」の巻末で、富士のA個室寝台同乗記があって、
1往復しか無いから改めて書く必要も無いが、当時の時刻では下りが翌朝7時1分に柳井に着く便で、
九州内走行のレポート部分の中で「にちりんに道を譲る」って書いてあった記憶あるんだよね。 >>848
実はその「特急・急行大百科」が手元にあるので確認してみた。
「富士」同乗記では、直見駅で運転停車のため止まったとあるが、
「上りにちりん5号の通過を待つ」とあり、追い抜かれではない。
その後も、「途中の駅で再び「にちりん」と交換とあり、やはり
抜かれることはない。
結論としては>>826で正しい。 DF50で特急などをよく牽かせたなと思う
DD51ではダメだったのか?それが無理だったとしてもDF50重連くらいできただろ
東京へ直通する日本を代表する寝台特急をローカル準急みたいな粗末に扱う理由がわからん 大昔は急行を追い抜く急行や、急行を追い抜く快速なんてのも普通にあったが、新幹線以外で、特急を追い抜く特急はいつごろ現れたのだろう。
特急同士の追い抜きが出てこないよう、苦心してダイヤを組んでいたと聞いたことがあるが。 急行の格上げで特急の本数が増え、九州や北陸の電車特急が大幅高速化された頃じゃない
昭和60年頃か >>854-855
国鉄時代にはなくJR化後。「北斗星」も当初は「北斗」に抜かれなかった。
確か最初は「トワイライトエクスプレス」でなかったか。
北陸本線や道内の特急の間隙をぬって走り、スピードは二の次だった。
臨時列車扱いだったのもあるだろう。
九州で寝台特急が昼行特急に抜かれるようになったのは、1992年の
787系「つばめ」登場からと記憶してる。
急行が急行を抜いたのは、国鉄時代に上りの電車急行「くりこま」が、
気動車急行「たざわ」を抜いただけしか記憶にない。
臨時列車を含めれば分からないが。 安芸が呉線走行中に山陽線経由の他の特急に抜かれてたと記憶してるが 寝台列車トレンド入り
もうすぐ「トロピカル〜ジュ!プリキュア」の放送が始まるよ! あすかが寝台列車で修学旅行へ行くよ!いってらっしゃ〜い
第31話「トラブル列車! あすかの修学旅行!」 #precure #トロプリ >>857
それは直接抜かれたわけでないから。
それを言うと上野〜青森の列車で、あけぼのが奥羽本線回ってる間に東北・常磐線経由の列車に抜かれるや、小樽経由の北海が、室蘭・千歳線経由の北斗より遅く札幌に着くも含まれてしまうだろうw 寝台特急紀伊も抜かれたわけではないが津を直前に発車した近鉄の鈍行に四日市では30分近くも差をつけられていたし >>860
亀山でスイッチバックのタイムロス考えれば健闘だろう >>859
安芸は合流駅が使命をほぼ終えている終点じゃないから 大垣行きは臨時が浜松かどこかで定期に抜かれたっけね?確か88年の年末だったかなあ113系遜色大垣行きに乗った時そうだった気がする。
やばい詳細が明確に思い出せん >>862
事実上広島が終点だったようなものだろう。
あとは呉線停車駅の客が役割だったけど、関西発着の寝台特急には不適な区間だった。
東京〜広島夜行急行時代は、上手く役割を全うしたけど。 >>863
375Mが臨9375Mに抜かれたのは豊橋駅だよ 安芸は事実上呉線沿線の新聞輸送列車だったよ
俺の実家は祖父の時代新聞販売店をやってたけど、安芸の到着時刻に合わせて引き取りに向かってたらしい
14系が使われなかったのもそれが理由 真夜中2時頃にデッキに立ちすれ違う列車が通るたびに時刻表見てにやにやしながら何やらつぶやく
そんな気味の悪い奴らや >>866
呉線内の営業停車は呉だけだったように思うが
そんなに小まめに運転停車(新聞卸し)してたのかね >>869
竹原には停まってた。あと広も停車駅だったような。 >>869
> 呉線内の営業停車は呉だけだったように思うが
単なる記憶違い >>861
四日市は亀山より手前
津なら話はわかるが >>865
1997年や1998年は大垣駅を先に発車した9372Mが名古屋駅で372Mに抜かれていた。
>>869
安芸(1001レ)呉線営業停車駅 広4:28 呉4:38-39
安芸(1002レ)呉線営業停車駅 呉23:58-59 広0:09 竹原0:48
運転停車駅は不明
自分も1977年の年末に安芸へ乗ったけど新大阪駅を22:58に発車するが55分後の
新大阪23:53発の寝台特急さくらに抜かれている。因みに安芸の広島着は5:11、
さくらの広島着は4:26だった。自分は岩国まで寝ていたから気が付かなかったが
下関から名古屋に帰る際に乗った特急金星の車内で時刻表をめくっていたら
気が付いたのよ。 >>850
おお、当時の俺のバイブル本を今でも所有してるのか!凄いぜ。
ああ〜 納得。日豊線だから通過待ちはイコール列車交換ってことか。
斗星の落部みたいな抜かれ方だと思ってた。 1975年の時刻表によれば小倉〜西鹿児島の7レ時刻は以下の通り
小倉9:33-37、大分11:44-51、宮崎15:40-48、西鹿児島18:26
7レの前後に走る特急にちりんの時刻も書いておく
にちりん2号 小倉8:42、大分10:51、宮崎14:14止
にちりん3号 小倉11:42、大分13:45、宮崎17:27、西鹿児島19:52
当時の特急にちりんは8往復で宮崎止まりが7往復、よって7レが
特急にちりんに抜かれる訳はないのである
上り8レも特急にちりんに抜かれる事はない事を時刻表で確認済み >>857 >>864
気動車時代の「かもめ」が小倉で切り離して、先に発車した佐世保行きが筑豊本線を経由してる間に、博多経由の長崎行きに抜かれてたのと同じ事だろう。
互いの停車駅佐賀では、長崎行きが先行してた。 >>877
あかつきでもあったっけ、そんな感じの状況 >>865
浜松で定期の若いグループ客の一部が、先に臨時が出ると思い込んでホームに出てのんびりしてたら定期が動き出してパニクってた
豊橋で追いついてホッとしてた
思い出話すまん 九州新幹線は
のぞみタイプはやぶさ
ひかりタイプつばめ
こだまタイプはと
で鳥の名前で揃える手もあったのに
みずほとさくらとつばめって語呂よくない >>876
まだ日豊本線は電化前なのか?
富士はDF50でにちりんは80系ディーゼルだとしても時間かかりすぎでとても特別急行と呼べる走りではないな >>878
そのあかつきは西村京太郎サスペンスのネタにもなったやつw ダイヤのことを延々と述べるぐらいだったらついでに
弁当の話でもしたらんかい >>878
そちらは門司で切り離して、博多経由の長崎行きが先に発車したはず。
>>881
1975年当時の電化は南宮崎までだった。
確かにDF50区間、宮崎〜西鹿児島の表定速度は50キロ以下だった。 短編成のブルトレならDF50でもDD51でも誤差レベルだろ >>885
DF50とDD51のパワーの差はあるよ
DF50=1,200PS / 900rpm
DD51=2,200PS / 1,500rpm
宮崎機関区のDF50は500番台が中心だったので
500番台のスペックを記載
九州内のDD51は筑豊線関連他の貨物や旅客を
牽引するために集中配備されてたので日豊線まで
回らなかったのだと思う >>888
DD51がまわらなったのではなく、まわさないと駄目だろ日本を代表する列車なんだから
扱いが軽すぎる >>886
呉市が広島県第二の都市なので、それなりの需要はあった。
新幹線開業でかえって不便になったものの、今では広島空港へは広島市より近いのでは? >>886
戦前は日本最大の軍港だったし、おかげで戦後も造船は盛んだったけど、不況になっちゃって
需要もなくなったんだな
>>885
亜幹線の単線ならそうかな。だから最後はそういうところに追い込まれてるんだな >>890
筑豊炭鉱や北九州の炭鉱が活気付いていた頃は石炭を黒いダイヤモンドだと称し、
ド級のローカル線を走っていた「富士」よりも石炭輸送の貨物の方が儲かって
いたから本土南端の非電化区間の特急にDD51は回せなかったのだと思われる >>890
> 日本を代表する列車なんだから
走行距離が長いだけで日本を代表する列車ではなかっただろ 夜行で、寝台·グリーン·普通車指定席·自由席まで備えた列車はあったんでしょうか。 新幹線開通前の上野発着の夜行急行はそうだね
能登とか越前、津軽、十和田とか。十和田は1960年代なら食堂車もついてた
20系初期やそれより前のあさかぜやさくらなんかの東海道の夜行の座席車は指定だよね オホーツク9/10号ってたった5両で896に該当してたな 583きたぐにって、普通車指定席ってあったっけ
もしあったら、それに該当する最後の列車だったことになるのか(それ以外の3つは確実にあったし) >>899
普通車指定席はないよ
B寝台、A寝台、指定席グリーン車、普通車自由席のみ
12系座席車や14系座席車の急行きたぐにの時は
普通車指定席の連結はあったけど きたぐには1972年3月改正で普通車指定席が設けられて
1978年19月改正でグリーン車が外されるまでの間だけかな? >>900-901
なるほどです(ありそうでなかったのか) >>904
立山には非営業の食堂車も付いてたか(雷鳥と共通編成だったこともあるけど) 14系きたぐにの孤立した指定車ってなんか意味あんの? >>891
地図上の直線距離なら近いかもしれんが、道路事情や公共交通機関の整備度合いでは、比較にならないだろう。
呉から広島空港への直通バスなんて一日に3本しかない。
呉→西条→白市なんて移動するはひとはまずいないだろう。 >>906
キハネフ14が足りなかっただけだったりして
57-11の話だし特急用車両だから >>902
急行「きたぐに」の普通車指定席は1972年3月15日から1985年3月13日まで
普通車指定席の連結位置と時期について
1972年 3月15日〜1975年 3月9日まで 2号車 旧客のスハなど
1975年 3月10日〜1978年10月1日まで 2号車 スハフ12
1978年10月2日〜1982年11月14日まで 6号車 オハフ13
1982年11月15日〜1985年3月13日まで 11号車 スハフ14
1985年3月14日以降は583系電車に変更して普通車指定席は廃止
>>905
急行「立山」といえばどうも455系で運転していたイメージがある
サロ455を2両連結してビュッフェのサハシ455も連結していたが
夜行列車は非営業だったけど昼間の急行立山では営業していた >>912
一晩過ごせると言うか過ごさせられるのは超混雑時だけじゃね?
居心地はよくなさそうだ 583系の食堂車、サシ581は天井が高くて独特な感じでサシ481とは一線を画していた
583系・夜行列車での営業食堂車は利用した事はないけどみちのく、はつかり、ひばりと
しらさぎ、雷鳥で食堂車を利用した事がある ひばりやしらさぎが583系で走ってたのはいつの時代? 中央線の夜行アルプスのビュッフェカウンターで寝るつわものがいたらしい
あんなとこから落っこちたら大怪我するぞ >>915
サシ581 埋め込み前照灯がなんかかわいい >>906
「きたぐに」に運用されていた当時の宮原だが、14系寝台車は13両のみの配置で以下の陣容だった
スハネフ14 配置3両 使用2両 48 49 50
オハネ14 配置7両 使用6両 56 57 58 61 64 86 87
オロネ14 配置3両 使用2両 8 9 10
で、3両しかない電源装置装備のスハネフ14に検査と故障が重なった場合、スハネフ14の代わりにオハネ14を連結する運用とされたため
きたぐには編成端に1両だけスハフ14が連結されていた × きたぐには編成端に1両だけスハフ14が連結されていた
○ きたぐにの寝台車は編成中間に封じ込めとし、編成端に1両だけスハフ14を連結する編成とされた ホントに足りなかったのか
だから僅か3年で余っている583に変わったのね 機関車の付け替えが面倒
583系が余っていた(正確には利用客が低かった夜行立山分を廃止して転用)
銀河の20系を置き換えたかった
これらにより583系化
向日町立山→同きたぐに
尾久津軽→全座席化
金沢能登→尾久能登(車両は"妙高"を使用)
宮原きたぐにと上2つの寝台車→同銀河
ただ、宮原銀河の14系は1986.11にだいせん・ちくまの20系を消滅させるため再度変更となった
だから、銀河は14系で置き換えるよりも715系1000番台化する30両分をそのままにして置き換えたほうがよかったと思う
MMユニット8組 (3組×2)+予備2組 交流部分撤去→車体新製の車両に載せる
クハネ5両 (2×2)+1
サハネ9両 (4×2)+1
つまりクハネ581が4両余る そもそも宮原客車区に14系14形寝台車の配置は1両もなかった 急行きたぐにの編成が
12系座席車と10系寝台から14系寝台車と14系座席車に変更になるが宮原客車区には配備が
ないため、品川客車区と尾久客車区から余ってる14系寝台車を合計13両を転属させて急行きたぐに
の寝台車に投入しているが予備車の他に工場入場もあるのでその際は>>920記述のとおり
スハネフ14-48,49,50、オハネ14-58,61,64,86,87、オロネ14-8,9,10は尾久から転属
オハネ14-56,57は品川から転属させて全て急行きたぐに専用で使用
いつまでも自転車操業のような14系ハネの車両運用では大変だったので余剰気味だった
583系に変わり、14系寝台車は金沢運転所や更に尾久客車区からの14系ハネ15両も加わって
急行銀河を14系寝台車化させる。銀河が25形2段ハネされると今度は急行だいせん、ちくま
に使用されて一部は尾久や出雲転属やオハ24-700番台改造で熊本転属、オロネ24-100改造
後に宮原に残った車両もいた >>925
下りきたぐにが青森行きだったのは1982年11月14日までな >>910
1982年まで青森発着時代の「きたぐに」普通車指定席は上りのみだった。
>>916
1978年10月改正で終了 >だから、銀河は14系で置き換えるよりも715系1000番台化する30両分をそのままにして置き換えたほうがよかったと思う
>MMユニット8組 (3組×2)+予備2組 交流部分撤去→車体新製の車両に載せる
1984年度初の時点で国鉄は民営化されることが決定的になっていて、効率化と地域輸送改善のために客車普通列車の電車化気動車化、短編成化による
フリークエンシー向上を全国で強力に推し進めていたこの時期に、その流れに逆行することになる銀河専用電車の新たな改造など当時の国鉄がやる訳がない >>916
583系のしらさき:1972年3月15日〜1978年10月1日
583系のひばり:1972年3月15日〜1978年10月1日
ちなみに夜間に走る寝台電車の有効利用で昼間の定期列車の運用に入って
はつかり、みちのく、ひばり、雷鳥、しらさきの他に にちりん、有明など
の定期特急にも入っていたが盛アオ・大ムコ・門ミフ車においての寝台電車
間合い運用である "しらさぎ"が"しらさき"になっていた
こりゃあ失礼 >>929
元々昼夜兼用なんだから昼行列車は間合いじゃないよ 無改造であっても銀河に583系を投入するメリットが全く思い付かない
・上下共に前後を多数の貨物列車に挟まれているダイヤであり、電車化のメリットである到達時間短縮が全く見込めない
・電車化すると架線のない品川客車区構内には留置出来ないことから狭隘な田町電車区構内に583系12両編成を長時間留置せざるを得ない
・電車化で担当が東京機関区等から田町電車区等へ変更となるため労働争議が不可避 >>929
イラストヘッドマーク入るまえの話か…
ということは >>934
それでも運転終了直前にはイラストヘッドマークを付けて走ったけどね >>933
田町電車区では寝台車の整備は行った事がないので無理だと思う
毎日山貨〜東北貨物線経由で東大宮まで回送して夕方には戻すのも
時間の無駄だし、銀河は20系→14系→24系でよかったのだと思うよ
それはそうと1997年冬臨で臨時急行あおもりが青森車583系で
運転された事があるけどどなたか経緯知ってる人いますか? >>932
座席グリーン車があることを考えれば間合いではないな、ところで食堂車は夜行で営業することを想定してた?もしくは昼行? 大阪−東京−新宿・・・東大宮
川崎駅の留置線でもいいけど
583系(直流だけ)銀河にすれば、繁忙期以外座席(全席指定)の設定ができる
当初は14系座席車・のちに485系 2011・12年冬臨時まで
そして大垣夜行廃止時に583系座席よりもいい座席を使うため「ムーンライトながら」を新設不可能となり、
211系10両を用いた浜松折り返しの夜行にするしかなくなる
583系(直流だけ)銀河はきたぐに臨時化となる2012年、287系全席自由(グリーン席は車内販売)で置き換え
583系(直流だけ)は2012・13年冬臨時(全席座席)でもって廃車。これで繁忙期臨時設定終了
との道筋を付けられる
機関車牽引のままでは2009年に終了せざるを得ない 583系は、昔は電気回路の関係で食堂車を外さないと西村京太郎の小説で読んだことがある。
「ゆうづる」から死体を阿武隈川に突き落とす話。 >>938
お前の脳内妄想や夢のお話は自分のブログにでも書いておけばいい
ここはお前の趣向を書き込むスレではない >>939
その前に死体を突き落とすくらいの開く窓あるのかよと >>946
車販準備室だかの窓が手動で開いて、被害者が小柄な女性だったから通すことができた、じゃなかったか?
「再婚列車殺人事件」に収録されていた気がする。 食堂車には搬入口あるから
サシ581、天井高くてよかったな
つくば博のとき、青森の583乗ったらサシがまだ繋がれてた。椅子もなくがらんとしてたな
向日町の方はもうサロネがあって座る分にはなにも変わらんってサロ乗った覚えがある サシ581食堂車の天井は高くて中には殺風景だと評してた鉄道ライター
もいたけどあの独特な高い天井が好きで個人的にはファンだったな >>949
最後はサロ581でその気分を堪能してたってことか 20系座席車も天井高かったんだよね
リクライニングだと、かえって落ち着かないかも >>948
搬入口はあるけどいつでも開けられるわけじゃないけどな
当然走行中はロックされるしラッチ使って走行中に開けたら緊急停車だ >>949
「気分を害したのならば残念だ」
今の謝ってないアピール >>949
つくば科学万博'85の時にエキスポライナーとエキスポドリームで
走ったけど自分はエキスポドリームで実際に乗車したけど20系を
使ったエキスポライナーとエキスポドリームも運行された カバー付きナイフスイッチ、略してCKS(Cover knife switch) >>949-951
寝台車はある程度高さ寸法を取る必要があるので仕方ない。
14系でも寝台車と座席車では、高さが全然違ってたし。 >>951
ナシ20も天井が高くていい雰囲気だったが残念ながら走ってるナシ20で食事はできなかったが
弁天町駅近くの交通科学博物館 ナシ20食堂車内でポークカツ・ランチを食べる事ができたのが思い出 >>962
ポークカツ、食堂車で食べたよ
オシ14やオシ24だったけど
酒のつまみに単品で頼めるのが嬉しい
そういえば海老フライの単品や
ミックスフライの単品もあった
日本食堂門司営業所の担当列車 >>954
はぁ? 何で俺が気分害さないといけないの?
気分なんて害する訳ないのにバカかよw
気持ち悪いやつだな 食堂車やグリーン車を釣り天井にせずに高いままだったのかコスト削減か 逆にグランシャリオやダイナープレヤデスは種車が485系なので天井が低かった 走る20系や583系の食堂車で作りたての食事を食べてみたかった >>964
オメーじゃねーよ
誤解だから極めて残念だ >>969
某鉄道ライターの発言を>>954で記したってことだよね >>962
動かない食堂車のはなしなら、仙台駅裏にあったサシ581転用喫茶店がなつかしい。
1987年秋、とある推薦入試に行った折に利用。
最初からムリ目と諦めていたため雑誌に広告出してる模型屋に行ったりと遊びに行ったようなもので結果はお察しw >>963
1979年はヒレカツの部位を使って"ひと口かつ定食"もあった
あと厨房で焼くハンバーグステーキ定食の単品もあったよ >>971
ほぼ同じ頃、新宿貨物駅跡でサシ581を2両つかった食堂があったな
隣接して劇団四季の専用仮設劇場キャッツ・シアターがあった頃で、
キャッツの劇中に登場する魔術師ミストフェリーズ(もちろんネコ)にちなんだ名前だった
探してみたらサシ581-11+18だったようだ 北斗星の食堂車オシ24 504を使った東川口のグランシャリオの外装がボロボロになっていると
先日テレビの民放番組で紹介されていたがコロナ禍でお店(本店とグランシャリオ)の経営状態も
厳しく、塗装にかかる700万円が捻出できない事を伝えていた
自分も営業を始めて早々に車でランチを食べに行ったけど今は定年退職を迎え、第二の人生のために
神奈川県西部へ家内と老後を楽しむべく移転したので川口までだと高速道路経由でも2時間くらい
かかるのでなかなか行けない >>974
サシ481-26を転用したイタリアンレストラン「ヴェズビオ」ですね
首都圏だとJR蒲田駅付近でサシ481を使ったレストランがあり、日本各地に
485系などの食堂車を再利用したレストランや喫茶などがありました ヴェスビオは南宮崎駅前にもあったな
小倉駅前にはフレンチの店があったけど
それが今はパン屋の屋号になってる 箱根のラリックにあるワゴン・リみたいに保存活用できればいいんだけどな
関門トンネルで長年活躍したんだから門司港の博物館に1両あってほしい 箱根のはインテリア保存のついでだからな
だから外装はNIOE末期そのまんまになってる 雰囲気だけなら、交通博物館のこだま食堂が最初かな? >>975
食事代の他にグランシャリオ保存費で1人500円取られるのが痛い
1人ならともかく家族3〜4人で行くと入場料も嵩むんだよね
ランチとディナーで2回は行ったけどその後はご無沙汰 カシオペアのE26系はステンレス製だから100年後でも
心配ないかな。 >>971
つばさ模型さんも閉店しちゃったからなあ >>982
屋外で静態保存となると劣化はかなりなスピードで進行するしずっと運行できるわけでもなさそうだし
さすがに100年はキツいかと? >>976
485系のやつでしたか
ありがとうございます
旧国鉄が人員整理かつ収入増めざして各地に食堂車転用してレストランにしたんでしたっけ? ◎人員整理
△収入増
だと思う哀しいけど(´TωT`) >>981
鉄オタでも保存費を払うのが痛いという位なら、興味ない人はそんな高い店に来ないだろ。
定期的な修繕費用が必要なのは初めからわかってることだし事業計画そのものが成り立ってなさそう、コロナの為だけでないような気がする >>985
あのころ、あちこちのホームにできた立ち食いうどんやそばも、人員整理の影響だな。
うどん茹でてるオッさんが、元機関士だと言っていたと記憶している。 日本国有鉄道の分割民営化という解体で新会社JRに残れても余剰人員対策で地方の駅員や
運転所・電車区・車掌区などで運転士や車掌、検修業務や工場で働いていた人がもっと
世間を知るために畑違いの仕事をやらされていた
それが嫌で自分から自己都合退職させるための策だと聞いた事があるけど転勤は業務命令
なのでうまく使えば最低限の退職金で正社員を辞めさせる事ができる施策として使える だからさぁ国鉄がいかに余剰人員抱えたかって事だよ 無料パス出したりして 税金湯水のように投入しても巨額の赤字 国の組織として、予算をできるだけ引っ張って、人をいっぱい雇うのは
組織としては正しいよ。
性質上、お金を貯めてはおけないんだから、人を多めにやとって、仕事に余裕を持たせるのは当然の考え。
コロナで役所の職員が困ってるけど、それだって、人手に余裕があったらこなせる。
それが、国民からみたら、無駄だって事で、民営化されたんだろ。そっちは政治の問題だから、そういう流れになったら仕方ない。
郵便もそうなったし、今度は水道かな なんかコンピューターの専門職を銀行の営業に回したみずほ銀行に流れ弾が当たってるな このスレッドは1000を超えました。
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