夜行列車総合スレ★24
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日本の夜行列車も2021年7月現在で定期運転しているのはサンライズ「出雲」・「瀬戸」だけになり、
臨時列車で何とか走っていた「ムーンライトながら」もコロナ禍などの影響で正式に運転終了とされ、
残るサンライズもいつまで運行が継続されるか不透明な状況で今後が気になります。
その一方で「ななつ星」「四季島」「瑞風」「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」
「WEST EXPRESS 銀河」など、豪華な客室を売りにする寝台列車は従来の夜行列車とは全く趣向が異なる、
ツアー方式クルーズトレインへの業態転換が特徴ですが、これらもコロナ禍で今後が不透明になっています。
当スレでは、もはや輸送列車としては絶滅寸前となった夜行列車全般について、
過去の列車の思い出話を中心に語ることで雑談などをします。
辛うじて現役である列車やクルーズトレインは、鉄道路線・車両板の個別スレでお願い致します。
夜行列車総合スレ★23
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1626902756/ 前スレからのテンプレを最新版で
昔からの現役夜行列車の関連スレ(路車板より)
寝台特急サンライズ瀬戸・出雲☆彡PART108
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1632811938/
285系電車サンライズ・エクスプレス(寝台特急サンライズ瀬戸・出雲)Part3
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1629687987/
クルーズトレインの関連スレはこちら(生き残ってるものだけ)
JR西日本117系改「WEST EXPRESS銀河」Part4
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1610740981/
廃止された夜行列車のスレは懐かし板に色々と
東武の尾瀬夜行・スノーパルは東武系スレを参照? ブルートレインや寝台電車など寝台特急が一番華やいだ頃って1975年くらいなのかな?
さくら、みずほ、はやぶさ、富士、あさかぜ(11・12レ)、出雲、いなば、紀伊、あかつき、
明星、彗星の一部、日本海は新型の14系14形や24系24形(一部25形)になっていたから 1970年代前半までじゃね?
それピークに利用客は右肩下がり。 >>5
一番乗客が多かったのはその時代だろうな
だけど狭いA個室と食堂車をつなぎヘッドマークをつけたのはわずかな列車だけ
むしろ華やかだったのは青函トンネル開通直後くらいではない? >>5
東京発着の寝台特急以外に食堂車が営業してたころかな
1971年から1975年3月改正前までの間だと思うよ >>8
個人的に1975年3月までは同意だが、1968年10月改正からで良さそうな。
寝台特急の本数的には >>5の1975年3月改正後がピークだったが、
急行のままでいい列車の格上げや、東京発着以外の食堂車・ヘッドマークの省略で
輝きはなかった。
>>6-7
利用客が右肩下がりになったのは、1976年11月国鉄の大幅値上げが契機だった。 東京発着でいえば定期あさかぜが3往復走っていた時代がいいように思える
あくまで個人的な考えで押し付けるつもりは毛頭ないけど 何を基準にするかだよな
列車の本数か、乗客数か、食堂車の営業やA個室の連結や。
個人的には個室が充実したJR化後〜みずほ・あさかぜ1・4号廃止までの期間かな?
あくまでも編成の充実度でね。
斜陽の時代なのはわかってる。 「特別」急行があって、普通のまともな急行があった時代。
しかもその急行が、グリーン車や食堂車まで付いていた時代。事実上1972年以前なんだよね。 訂正 1973年度がピークでした
ttp://pbs.twimg.com/media/Ejeol7iU0AEncKw.jpg 絵本「ブルートレインさくらごう」の頃(80年頃)がピークだと思ってた。
73年から80年で利用者は半分になってるんだな。 新幹線の岡山開業までが華だったな
ゴーサントウ改正以降で夜行列車時代が終焉
度重なる国鉄の運賃値上げで利用者離れ
夜行から少しづつ飛行機に流れて
国鉄分割民営化でピリオドが打たれたと
いってもいい夜行列車群 オワタ 52cm3段のカイコ棚だったけれども各車に給仕係が乗っていて車掌も何人も乗っていた時代
70cm2段でだいぶマシになったけれども人手も全然かけなくなった時代
判断に迷うよね >>20
腰を丸めうつむきながらしか駅弁が食えない3段寝台と缶ビール流し込んでも頭があたらない2段寝台では居住性が全然違う。2段寝台は定員が3分の2なのに料金はわずかなアップだけ間違いなく2段寝台の時代のほうがいい >>21
余程の胴長短足出ない限り頭はつっかえない >>16に寝台特急の本数は出ているが、その他の夜行列車の本数はどんなものかな。ピークはいつくらい? >>18
西日本では大きかったが、まだある程度の利用はあった。
新幹線で東京〜博多が7時間かかり、0系普通車の居心地が良くなかった。
直通ならB寝台の方がいくらか安かったのもあるし。
また上野発着の夜行は需要旺盛だった。 1970年代前半までは昼間の特急に自由席を連結しなかったし、下り特急はつかりやみちのくも
盛岡〜青森間のみほんの数両を自由席にしていたので特急(特別急行)の威厳みたいなものが
感じられた時代でもあった。夜行急行でも全車寝台車+指定グリーン車+普通車指定席のみで
編成を組成し、自由席を設けなかった列車も実際にあったからね。
>>21
2段ハネの登場が既にブルートレインの凋落化を物語ってる、編成が短く運行本数も少なくなってる
のに2段化で大幅な定員割りになってヒルネの朝までそのまま放置の寝台が物語っているよ。
国鉄の人員削減と利用者の減少が著しく招いた負のループ 新幹線の延伸もあるしジャンボジェットなどの大型航空機の登場もあるな 特急は特別な列車で急行が庶民の列車だったというが昭和40年代東京〜九州の列車は特急列車が大半で急行は1本か2本しかない。特急がガラガラで急行は満員だったのか? >>27
むしろ逆。急行「桜島・高千穂」は、東海道本線内が日中の運転だったせいもあって
ガラガラだった。
ただ夜行急行「銀河」は東京〜関西で2往復の設定があったし、特急格上げ前の
「出雲」「瀬戸」は時間帯が良かったので、それなりに賑わっていた。 >>28
東京〜九州の利用客はどうしてた?
特急は特別な列車だったからやっぱり桜島高千穂にのってたんじゃないの >>31
なので直通の寝台特急は連日満席だった。
寝台券取れない連中は、新大阪か岡山で乗継ぎ。 昭和40年代と一言にいうがヨンサントオの白紙改正やエル特急の誕生など
特急の大衆化がものすごい勢いで進んでた時期じゃないか
ついでに昭和30年代後半には特急網が全国に波及しているし
東海道新幹線開業をきっかけに151系の地方転属も進んだ
特急の威厳とか言うのは戦前のイメージでかたっとらんか? 昭和40年代すでに客の多くは急行より特急を選んでいたというわけか 昭和40年代は特急より急行や準急がまだ幅をなして本数もおおかったので
急ぎの旅客で無い限りは急行を選ぶ客は多いと思われる
上越線でいえば特急ときより急行佐渡・よねやまなどの急行列車の方が本数が多いし、
信越線でいえば特急あさまより急行妙高・急行信州などの急行列車の方が本数が多い ガキの頃、親に連れ垂れて信越線沿線の親の実家に行くときは、
急行白山か、妙高、のどちらか、たまに上越線経由のよねやま
特急が少しずつ増えても、急行ばかり乗っていた >>30
東京〜九州ブルトレの寝台券が取りづらかったため、名古屋〜博多で「金星」が
設定された。「金星」の走行時間帯は「あさかぜ」「みずほ」などと似通っていた。
>>34
新幹線岡山開業で更に進んだ。 >>35
上野から仙台方面は急行では まつしま、いわて、あずま、もりおか、ときわ などの急行も走っていたよ >>35
エル特急化後は、上越線はときと比べ、水上以北は急行が少なくなった。
信越線はまだ信州・妙高の本数が多かったが、あさまがエル特急化後はそうも言えなく
なった。
いずれにしても昭和48年10月改正以降は、特急の方が便利になった。 1965年の毎時各2本化・ひかり3時10分運転、そして翌年の準急大幅格上げにより、新幹線のこだまへ移転し、1968.10までには近距離分離用以外不要になっていた
ひかりとこだまが同一料金となるのは1975年博多延伸から(名古屋以西は1972年岡山延伸から)
1968.10
金星15M/16M 名古屋2242→博多1005 博多1850→名古屋0615
はやぶさ5/さくら2 名古屋2254→博多1031 博多1858→名古屋0633
あさかぜ9/10 名古屋2345 →博多1120 博多1700→名古屋0433 戦友の供養で毎年上京していた福島のじいちゃん
昭和50年代末でも特急なんて勿体ないと急行まつしまで行き来していたな
まつしまは昼まんべんなく+夜行だったけれども
あづまは早朝上り+夕方下り+夜行という福島基準ダイヤだったね >>40
「ゆうづる」だと583系のと客車のとで上野から青森まで2時間近く所要時間に差があって、「終着駅殺人事件」のトリックにもなったけど、「金星」が客車と同じようなスピードで走っていたのはなぜだろう?
貨物とか他の列車に当たるから?
普通に走れば9時台、場合によっては8時代に博多に着くことも可能だったろうに。
小野田に停車していたから、山陽の中小都市がいい時間になるようにダイヤを組んでいたということか? ゆうづる2号(13M)上野20:00→青森5:08 所要 9時間 8分 583系
ゆうづる5号( 7レ)上野22:11→青森9:25 所要11時間14分 20系
ゆうづる1号とゆうづる2号は途中営業停車駅は水戸、平、仙台のみで極力速度を上げて
青森からの接続する青函航路3便に間に合わせていたので表定速度が高く、20系のゆうづる
郡も青函連絡船との接続はあるけど一ノ関、北上、花巻、盛岡、一戸、八戸、三沢、野辺地
の各駅に小まめに停車(客車ゆうづる群は列車によって停車駅の相違あり)するのと客車だと
電車に比べて加速が悪く、EF80からED75への機関車交換もあるので差が出てしまうのかも? 電車の「ゆうづる」速いなあ、昼行の「みちのく」と所要時間同じか >>42
山陽本線が曲線や坂が多くて、電車特急でもスピードが出せなかったことや、
「金星」があくまで東京〜九州ブルトレの補完で、スピードもブルトレに合わせていた
事情があったような。当時は特急が特急を抜かすのは禁じ手だったし。
「金星」以外で「明星」「月光」「きりしま」とか、「しおじ」「つばめ」など、
山陽本線のスピードはどうだっただろう?
>>43
在来線特急全盛期の山陽本線は、他にもそんな所はあった。
福山・尾道・三原も手分けしてたのはあったし、岩国・柳井・下松・徳山も
そんな感じだった。重化学工業のビジネス客がが均等に需要があったからだろう。
また尾道と三原の中間駅・糸崎が運転上の拠点で、乗務員交代のため特急停車が
程々ある厄介さもあった。 「ひばり」でも、西那須野、黒磯、須賀川、本宮、二本松、白石とかは、手分けして停車していたな。急行は全部停まるけど。
黒磯から白石に行く場合とかはどうするのかとおもってたけど、そういう場合は急行なんだな。 >>46
へー山陽本線に坂が多いんだ?
ばかだろ
ワンハンドレットとあだ名が付けられる社長が作った路線で、唯一の急勾配が瀬野八だけ
あと山陽本線として編入された関門トンネルだけだよ
その代わりに急カーブが多く、これが原因で速度があげられない >>48
急カーブといえば上郡〜三石と新下関〜幡生のSカーブくらい >>48
バカはお前w
曲線とカーブは何が違うんだw 本由良から厚東を経由して宇部に至るルートも急ではないがカーブで高低差を克服してるな ここのスレ、すぐマウントとりたがりで喧嘩腰な奴が居るね。 蒸気機関車の時代に敷設され、現在も長大貨物列車が走る線区は冗長なカーブと緩勾配で構成されるのは仕方がない 金星583系の運用って、向日町から雷鳥で北陸へ向かった編成をしらさぎで名古屋へ送り込んでたの?
それとも明星で鹿児島へ向かった編成を金星で名古屋へ向かわせてたの? >>54
583しらさぎ:1978/10改正直前まで、雷鳥:1978/10改正〜じゃなかったか?
神領留置も絡んでいたことは、頭の片隅に記憶があるけど >>56
そうなんだ
だったら明星、なは、有明あたりから金星へ変身させてたのか 上郡−三石間の急カーブは半径400m 神戸から95.5km付近なら96km過ぎまで
新下関〜幡生のSカーブは半径360mと半径350m 神戸から523km〜524kmにある
里庄以西で半径400mが再び出てきて、尾道の手前神戸から220km〜221kmにて半径302m
一応、福山までは曲線緩和工事をやったものの、そこで国鉄の資金が尽きてしまった
糸崎と三原の間付近神戸から229km付近に半径300mがあり、三原からはうんざりするほどの400m以下の急カーブの連続
山陽本線で一番の急カーブは半径180mだがこれは和田岬支線であり、本線は神戸出発してすぐの半径200m
なにか? 山陽の583の夜行が遅いのは客車夜行や貨物と雁行してるからだよね
ゆうづるはそれを避けるために583と客車の時間帯を分けてた訳で
勾配とか曲線は関係なくね さあ 盛り上がってまいりますた
電車と客車で所要時間に大差ない条件が重なっていたと
考えるのが妥当じゃねえの 岡山→門司の間で追い抜く急行5列車・荷物1列車
3レ 0241/0245-0826
倉敷303レ、柳井215レ、宇部1213レ、小月211レ
15M 0326/0330-(0907)
岡山41レ、呉線経由中の301レ、下関215レ
5レ 0341/0345-0926
倉敷41レ、岩国301レ
貨物時刻表あるけど、すでに雁行は突き崩せたから調べる必要なし 特急同士追い抜いてはならない規定があるため、並走
ただし、臨時は国鉄時代に14系寝台初特急使用である臨時のはくつる51号が定期はくつるに抜かれている
名古屋で20系の昼寝ができればよかったんだけど >>54
そのあたりは、少なくとも鉄道ピクトリアルの1983年8月号に運用流れの概略表が出てたのを
さっき確認してきた
1978年改正までは、金星の間合いでしらさぎに入ってたけど(一旦神領区入庫の上)、
1978年以降は、西日本夜行と雷鳥で運用を分けてた(雷鳥は耐雪改造車の限定充当) 金星ねえ
名古屋で寝台セット状態で入線
九州内はガラガラだったな 金星はやがて普通車指定席だけの臨時列車に格下げされていく 山陽路は夜も列車密度が高かったという結論で内科医
いつか何かの本であかつきと高速貨が抜きつ抜かれつ走っていたという記事も読んだな
東北路は先発組がブッ飛ばして後続組がこまめに停まるダイヤが組めたんだね >>66
金星の14系座席車で名古屋〜西鹿児島の臨時列車は、昭和40年代後半からあった。
新幹線博多開業前は、名古屋・関西〜九州で多数の臨時夜行列車を運転してた。
新幹線博多開業後に九州方面への臨時列車の本数は激減したけど、
金星の臨時列車は利用率が多くなかったのに、JR化後まで運転されたのは不思議。 1974年夏臨では名古屋〜熊本の運転だった臨時特急「金星51号」(14系ハザ12B)はその後間もなく
1975年3月改正で西鹿児島まで延長され、本家の583系「金星」が1982年11月に廃止された後も
走り続け、夏臨では1992年まで多客期の常連列車として設定されていました。
その中で異色だったのが1986年の夏臨で運転された臨時特急「金星51号・52号」で14系ハザ10両が
基本となる全車指定席だが3号車と4号車に名古屋鉄道管理局の欧風客車オロ12を2両連結して指定席
グリーン車にした事である。それも個室グリーン車で部屋売りだけど個室内は寝台みたいなベッドもあったので
家族連れには喜ばれたけどPRが下手で空室の方が多かった。
ちなみに2両のグリーン車は欧風客車「ユーロライナー」の中間車である。 昭和43年10月改正での門ミフ583(581)系で特急金星が絡む運用
因みにヨンサントオ改正で門ミフが受け持っていた583(581)系運用は
昼行特急は つばめ(名古屋〜熊本1往復)、はと(新大阪〜博多2往復)、
寝台特急は金星(名古屋〜熊本1往復)、明星(新大阪〜熊本1往復)、
月光(新大阪〜博多2往復)の合計7往復
【門ミフEC(583「581」系)1組運用】
博多(16M)名古屋(5M)熊本(6M)名古屋(15M)博多
16Mと15Mが特急金星で5Mと6Mは特急つばめで1組の運用が
終ると翌日の16M→5M→6M→15Mと同じ交番仕業を繰り返す
南福岡、神領、川尻などの基地回送は省略してあります ユーロのオロ金星臨で使ったことあったのか
一等船室みたいな良きクルマでしたね >>69
>名古屋鉄道管理局の欧風客車オロ12を2両連結して指定席グリーン車にした事
>ちなみに2両のグリーン車は欧風客車「ユーロライナー」の中間車である。
ちなみにも何も「欧風客車オロ12」ってだけでユーロとわかるでしょうに。
しかし、今どきなら個室はもう少しPRできるだろうねぇ。写真があれば拝んでみたいね
色々乗りたかった。 ユーロライナーの中間車は寝台のカルテット個室に似てて折り畳みのベッドが個室内に2箇所ありました 中間車がカートレインだか金星だかに使われていた時
名古屋で留守番していたスロフは多客臨の急行たかやまで
グリーン車営業してたことがあったな 余った展望車と14系座席車を連結したパターンだとユーロライナー赤倉とかもあったな
ユーロライナーは他のJTと違ってバラ売り運用が多かったイメージ バラ売り運用ユーロライナーはカートレイン名古屋でも走ってる >>67
東北は青函連絡の有無で役目をはっきり分けてたもんね
山陽はよう分からん ヨンサントオの時刻表見たけどやはりナゾの
急行ながさき 朝7時東京発翌朝7時長崎着
既に東京大阪4時間新幹線あるいは、夕方4時代発翌日昼前後着の特急さくらが
走れる時代になぜに24時間掛けて走る?
団体客で満席の事もありますって。
24時間一緒に居たい人達の為の列車かなあ >>80
そのころの庶民にとって新幹線や寝台特急が高嶺の花だったってことだろ。
時間はかかってもいいから、乗換せずに少しでも安く行きたいというひとのためのものでは。
昭和の頃までは、時間がかかっても乗換なし、の需要がまだあった。昼間なら「白山」とか「つばさ」とか。大宮で乗り換えて新幹線乗るくらいなら「まつしま」で行くとか。 >>80
そのながさきって、前身は九州観光だよね。10系ハネ600番台のやつ
36.10で設定されたとき東京−長崎26時間かけてるからそういう列車なんだよ
クルーズトレインのはしり その手の列車だと全車両オロネ10で構成された新婚旅行専用列車もあったよね >>83
周りもみんな新婚旅行っていうのも、どうなんだろうな。 >>85
スラム街だろうw
全車指定席を、小田原から自由席という中途半端な施策にしたので、18きっぷシーズンに指定席券を取れなかった夜行客が、見事に嵌まった結果。 普通乗車券で乗ってもらえない列車なんて存在する意味ないよ 新婚専用急行の場合、全車オロネ・オロネフではなく、必ず1両だけスロフが入っていた 急行 こずくり、じゃなくて、ことぶき
だね。24時間急行ながさきの方が元祖だったりして オロネフ10は事実上ことぶき専用車両だったイメージだけど他の列車に連結された例ってあるのかな? ことぶきで思い出したけど国鉄時代は「ことぶき周遊券」があったな
A寝台(1等寝台)やグリーン車が乗れて後にグリーン周遊券に変わった
割引率が大きくてお得なキップだった
JRにも継続されたフルムーン夫婦グリーンパスもお得だけど夫婦合わせて
88歳以上という制限があって繁忙期は使えないため、サラリーマン現役
だとなかなか使う機会がなかったけどリフレッシュ休暇の際は大活躍したよ
フルムーン夫婦グリーンパスで北斗星のデュエット往復利用で北海道旅
したのも今は思い出になってる >>91
新婚列車のオロネ10の車体が停車中に左右に揺れてたという伝説がある
プルマン寝台の上で落成された奴も少なからずいるんだろうな あんなカーテン1枚で隔てられただけのところでみんなセックスしてのか?
アンアン言ってもガタンゴトンでかき消されるだろうが。
きっぷ拝見って車掌が来たら慌てて引き抜いて服着たりするのか? 流石に事を始めるのは検札も終えて寝静まった頃だろ?w >>95
いくら新婚でサカっているとはいえ検札が来る前からやったりはしない
それにやる時は女から脱がした浴衣を口と鼻に押し付けて窒息させながらやるから
喘ぎ声は出ない >>94-99
昭和50年代だった気がするが、昔時刻表の投稿コーナーで新婚旅行中の奥さんが
寝台車内でセックスして、そこで命中してできた息子が相当な鉄道好きの内容があった。
その息子が当時小学1・2年生だったようなので、現在生きていれば50歳前後だなw
当時と比べると、JR化後にできたロイヤルやスイートなどの個室は、
格段に行為をしやすくなっただろうw 性液の染み付いたシーツや寝具を片付ける整備会社の人たちのことを考えろよ シャワーあってもバスタオルないし更衣室もないに等しい、化粧直しやブローもろくにできない寝台列車で新婚旅行など嫁さんその場で逃げ出してしまいそう
昔はよかった…のか? おちんちん!
おまんちょす!!
甲賀忍法まんぐり返し!!
とか言いながらやってたのかな? そもそも何故新婚旅行という風習が定着したかというとだな
↓ >>101
それを言ったら、ラブホテルと取引してるリネン屋は?w >>102
20系が主力で、幅52センチの三段式寝台が主流だった昭和40年代では、
二段式の開放A寝台は上級な寝台だった。 14/24系より20系の方が寝やすい
幅や高さは関係ねえ
ただ、オロネ14は実に快適だった >>100
1990年6月に結婚した俺たち夫婦は新婚旅行とは別に同年8月に北斗星のロイヤルで
北海道へ新婚旅行(道内はレンタカーで帰路は飛行機)へ行ったのだが偶々往路で
乗った北斗星1号(9号車2番)でデビューしたてのオロハネ25 556だったのだが
ロイヤル内で夜のお仕事をしていたらハネムーンベイビーじゃなくて北海道旅行の
北斗星ベイビーが出来たため、男の子だったので「ほくと」と命名 >>108
新婚旅行行った2ヶ月後の一番取りにくくて高い北海道へですか?バブルの時代とはいえうらやましいです >>108
新婚旅行行った2ヶ月後の一番取りにくくて高い北海道へですか?バブルの時代とはいえうらやましいです >>111
取引する整備会社は、その理由で拒否できないだろう!
嫌なら別の会社に回すと言われる。
ラブホ前提でなくても、子どもの寝小便はありそうだし。 子どもの寝小便ならまだ綺麗な方だな。性液は性病感染症の危険がある。 あの当時まさか夜行バスに潰されるとは思ってもなかっただろうな
東京〜大阪の国鉄バスのドリーム号はあったが運賃が8000円と東海道線鈍行乗り継ぎと大して変わらない上にあくまで「鉄道の補助」と割り切ってて宣伝に消極的だった
盛んに宣伝したのは新幹線若返り工事で午前中運休した時位だったがみんな移動自体やめて代替列車もバスも閑古鳥鳴いてた 今なら脱炭素の機運を受けてワンチャン夜行列車の復権ありえそうだな
環境先進国のヨーロッパなんか寝台特急バンバン運転されてるし
ただバス会社とか東海が絶対首を縦に振らないだろうけどな 寝台車と座席車が混じった編成は寝台車が機関車寄りにある気がしますが、これは何か理由があるんでしょうか。寝台車の方が重いからとか? >>104
なぜ結婚すると新婚旅行に行くのかは不明だけど非日常的な場所だと子作りしやすい環境というか、
そういう雰囲気になれるのかも知れないけど昭和から平成になると結婚しないまたは収入格差で
結婚できない可愛そうな連中が増えて女性も男女雇用機会均等法により賃金是正で正社員や正職員
なら気ままに1人で生きる事を楽しむ人が少数ながらもいるので結婚しない人が増えてる
更なる社会進出のために結婚より仕事を選んで彼氏はいるけど結婚はしない人は今後も増えそうな予感
逆に結婚はしたいけど収入や容姿などで女性に相手にされない哀れな男性も更に増えそうな予感w
>>108
ハネムーンの2ヶ月後に北海道とは贅沢なプランで羨ましい限りですがハネムーンは何処に行かれたのかな? >>116
脱炭素で鉄道どころかコロナを契機に移動せずにオンラインで済ますってご時世ですぜ
それもスマホ画面越しにな >>117
加減速時に連結部の前後動ショックが小さくなるからじゃない?
A寝台もおおよそ編成の最前部だったくらいだし。
上り列車やトワイライトエクスプレスとかは反対になるけど >>117
全く関係ない
まず等別にして、
個室ないし個室寝台はできる限り編成端、つぎに寝台車、座席車で組成
展望車がある場合は優等側を後ろ側へ、それ以外の場合は前側へ
ロとハの間は食堂車を配置
荷物車は頭端式の上野地上ホームや東京駅の設備配置から、必ず鹿児島側へ連結(少なくとも編成丸ごと方向転換なしの東京・上野発着は)
WW2前「富士」が分かりやすい
1940年富士(編成丸ごと方向転換のため、常に上(スニ)が進行方向側)
スニ 東京ー下関
マロネ 京都ー下関
スハネ 京都ー下関
スハネ 東京ー下関↓
スハ
スハ
スシ
スロ
マロネ
マロネ
マイネ
マイテ 東京ー下関↑ >>120
それに全席個室とかにしないと防犯セキュリティとかもあるしコスト面で利益でないだろうしね
途中停車駅の人員経費とかもいるし 夜行列車なんてもう必要ないだろ
高級な温泉宿や高級なホテルと
セットになった金額高めのプラン
なら面白そうだが 貨物の最後尾に客車くっつけて
貨物ターミナルに到着したら客車だけ分離して旅客駅におくるっていうのも面白そう
途中下車することなく、ただただ列車に長く乗りたいというニーズには応えられるな >>126
まともな人にはニーズはない
まともでない人には乗ってもらいたくない >>125
それ、完全にクルーズトレインの領域だろ
移動時間が大きく短縮できるのであれば、日帰り化・出先での泊りにしろ
地に足が付いた建物の中で夜を明かすのが、安心感やいざと言う時の物資の調達などでは
格段にいいだろうからね >>123
末期のムーンライトながらは閑古鳥鳴いてたがサンライズは満員御礼もしばしばだった
ムーンライトながらはスリとか多く特に女性客が敬遠してたはず
国鉄時代だと鉄道公安官が乗ってパトロールしてた? >>126
車両しか見ないとそういうアホな発想が湧いてくる 引退する国鉄型とかE231あたりの通勤電車をベースに戦前の寝台車みたいなロングシートを区切ったような寝台を載せればローコストで夜行列車が完成するな
夜行バスに対抗できる運賃とダイヤを工夫すればある程度の需要は見込めるはず
横になって移動できるのは大きいからな WEST EXPRESS 銀河はグリーン個室もあっていいぞ
これからは何でも宿とセットで金額を釣り上げないと
JRの儲けは薄いからうま味がないとやらない
E653系改造でいいから同一クラスの列車が欲しい物
都内から青森まで高崎・新津経由で一泊二日で1万4千円
くらいの宿とセットでいいんでないかい?
浅虫温泉プランと大鰐温泉プランなんてどうかな >>131
たとえばどの区間に何両編成で料金どの位の設定を考えてる?
感覚的に儲からない気がするが >需要は見込めるはず
利益が出るとは言ってないし、そのための経営資源の投入の是非など全く考えてもいない 夜行列車の話ではないが、どういう理由で発売枠がこういう設定にされてるのかを想像できないヤツが夜行列車は需要があるとか言い出すんだよな
ttp://twitter.com/JR_Central_2020/status/1450391498227216390
在来線の魅力【JR東海公式】 @JR_Central_2020
11月20日〜23日の4日間、急行「飯田線秘境駅号」を運行します!
当日は駅員、乗務員によるおもてなしや沿線住民の皆様による物販などを企画しています。
きっぷは乗車日1ヵ月前の午前10時から全国のJRの主な駅で発売します。
詳しくはJR東海HPで! ttp://shupo.jr-central.co.jp/iidasen/
↓
@howlin_style
飯田線秘境駅号の10時打ちお願いしたら9時50分の時点で満席ってどういうことやねん・・
@Rapid_75
去年の駒ヶ根発飯田線秘境駅号、3号車だけはマルスでも指定券買えたが、今年はほぼ旅行商品かよ…
@shakeonigiri210
飯田線秘境駅号下りは団体の枠が多すぎて個人の枠が少なすぎるので10時打ちしてもほぼ席が取れない。
もう席が秘境になってるんだよなぁ(怒りの声)
@jkoug1231
本日10時打ちの結果
飯田線秘境駅号惨敗。団体で既に9割方埋まっていて、JR窓口での販売は20席くらいしかなかったよう。これはキャンセル待ちも厳しいね…
@JR211_313_383
11/20下り飯田線秘境駅号
窓口入手できた人ほぼゼロか?団体でほぼ埋められていた模様。10時打ちでも確保不可あり。
下りの人気列車に乗車したければ高額ツアーに誘導する流れに違和感を持つ。
団体枠の上限(例えば50%)を設けてせめて窓口の10時打ちくらいは購入できるようにほしいですね。
@dakoutai
団体枠の暴挙は最近目に余るな…
近いところだと11/20下り飯田線秘境駅号、過去は谷川岳山開きや踊り子のラストラン…
ほとんど旅行会社が押さえちゃって、いわゆる10時打ちという、一般の人が出発日1か月前の10時ジャストに申し込んでも取れない仕打ち。
@waidobyu
飯田線秘境駅号の11月20日(土)発車分の10時発売分で文句垂れてる方、学習しようよ・・・
何年も前から団体枠がある事ぐらい知られてるんだからさ・・・
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) そもそも民営化後よりも数倍の利用があった1970年代後半に国鉄が夜行列車の採算性を計算したところ、話にならないくらい真っ赤なのが
判明して、国会では夜行列車の全廃論までブチ上げられてたんだよな
その当時の鉄道ジャーナルの表紙がこちら
ttp://img.aucfree.com/q383151930.1.jpg わかっていたら旅行会社に申し込めばいいのに
どんな生い立ちや職業であっても金さえ払えば受け付けてくれるはずだぞ 個人的な欲求を満足させるために応分の負担もせずに相手にひたすら要求するだけの駄々っ子でしかないからな
126 名前:回想774列車[sage] 投稿日:2021/10/23(土) 08:56:22.38 ID:K5fqMo0J
貨物の最後尾に客車くっつけて
貨物ターミナルに到着したら客車だけ分離して旅客駅におくるっていうのも面白そう
途中下車することなく、ただただ列車に長く乗りたいというニーズには応えられるな
133 名前:回想774列車[sage] 投稿日:2021/10/23(土) 12:29:30.89 ID:K5fqMo0J
クルーズトレインのたぐいは面白くない >>139
おいおいいくら公共企業体であったといえ原価も把握せず列車を走らせていたのか?
まあ百歩譲っても1966年に国鉄に累積赤字が出た地点でヤバそうな事業の損益は再検証するだろ、
それが1970年代後半に採算性を計算したら大赤字が判明て…幼稚園児のお店屋さんごっこ以下のレベルじゃないか 昭和43年の24時間ながさき、団体で寝台で埋まるとはどういう団体なんだろう?
この頃フランキー堺の喜劇映画で団体ものが
いくつもあるけれど、この時の時代精神的な
何かがあったのかなあ?まだビデオも衛星放送
もない昭和50年代中頃まで、年末とかに
鉄道喜劇もの映画がテレビ放映される事があってかぶりつきで見てた。貴重な鉄道動画とちょっとお色気を期待して。何か旅館で夢だもんなあって夢と思って女の人とやっちゃって、責任
取らされてそのまま祝言でトホホって話があったが、24時間ながさきにちょっとダブるw >>142
国内の旅客輸送の輸送機関別分担率の推移
ttp://blog-imgs-18-origin.fc2.com/i/s/h/ishizumi01/200905132307185b5.jpg
1960年代までは国内輸送量の約7割を鉄道が担っていたという今では考えられない状況であったが、1978年時点で新幹線は東京〜岡山間が
開業していただけであり、在来線が国鉄の屋台骨だったわけで、国鉄が赤字だったとしても輸送力確保のために簡単に止められる状況には
なかったからな
1970年代になって自家用車の普及と高速道路網の拡充、そして航空機の台頭により鉄道、特に夜行列車の重要性が低下したことで、採算性の
議論が出てきて精査してみたら予想以上の赤字だったって流れだったはず 加えて1970年代の国鉄はマル生の挫折により職場環境が極端に荒廃し、何をやるにも労働争議が起こるなど事業構造を簡単に変えられる
状況にはなかったことも災いした
1975年のスト権ストの失敗により潮目が少し変わったが既に時遅しで、後はご存知の通り世の中では国鉄の分割民営化へ一気に流れていった 訂正
× 1978年時点で新幹線は東京〜岡山間が
○ 1973年時点で新幹線は東京〜岡山間が >>138
鉄屑は安いキップを使って他に金を落とさないからな
夜行列車や鉄道ファン向けの列車は全て企画商品として段枠でいい
JRも他に金を落とさない塵鉄屑に指定券だけ売っても
儲けにならないから今後ともツアーやパック旅行商品が増えるだろうな
現在走ってるサンライズも100%団体やツアー枠にしてもいいぐらい >>147
> 現在走ってるサンライズも100%団体やツアー枠
本当にそうなった時点で、乗車券制度は「(乗車距離にかかわらず)利用当日限り有効」と
一気に改められることになるんだろうな >>143
宗教とかなら本山に参拝する人とかそこら辺の利用があったんじゃない?天理や富士山周辺はそういったとこだし
東京や長崎でと言われると思いつかんけど 今は知っている列車の話とか今の列車についての改良とかは別板の該当スレでやってもらえませんかねぇ 訂正
今「走っている」列車の話とか
>>1に
>辛うじて現役である列車やクルーズトレインは、鉄道路線・車両板の個別スレでお願い致します。
とあるし このスレが総合板にあった時代と、立ち位置が完全に変わってしまったんだな(溜息)
事実上、夜行列車自体が思い出だけしか語れない時代になってしまったなんて、
10年前でもまだ完全には信じられなかった(現実として受け入れられなかった)と思う ★★電車3段式★客車3段式
電車と客車の違いて皆理解してたのだろうか?
普通に考えたら電車⊂客車だもんな ベッドの解体しない寝台では上段の方が良いかも。下段は上段の客に気を使う。
上段なら朝11時12時いつまで寝ててもだいじょぶ。博多あさかぜの上りで有楽町まで寝てた事ある。 >>159
朝の富士山は見ないとダメだろ、弁当売りに来たら気になるだろうし
まあ乗り慣れてたら前夜に食料買ってるだろうし富士山などどうでもいいのか知らないが >>159
上り「銀河」のA寝台下段に乗ったとき、起きたら品川だった。 >>157
★3段客車寝台
上段1,300円
中段1,300円
下段1,400円
★★3段電車寝台
上段1,600円
中段1,600円
下段1,900円
★★★2段客車寝台
上段1,900円
下段1,900円
A寝台
上段4,500円
下段5,900円
A寝台個室6,400円
昭和50年の寝台料金 >>162
同年11月にそれなりに上がったな。
A寝台が上下7000円、個室が9000円は随分高くなったと思った。 どれが適正な値段か難しいが定員から逆算すると2段式B寝台A個室寝台が安すぎる設定だな 現行の料金制度で開放寝台があったら
3段寝台と電車3段の上段中段:5500円
2段寝台と電車3段の下段:6600円
A寝台上段:10000円
A寝台下段:11000円
となるはず
1984年改定をベースに消費税を加味した金額だがA寝台は消費税制定前の通行税と現行の消費税がどっちも10%で同額 >>162
46年前でその値段か
もし今も夜行寝台列車運行してたならいくら位がJR側としては妥当なのかな?
B寝台開放型で1万切るくらいで個室だと1人1万五千くらいかな? >>162
1975年3月の山陽新幹線岡山開業時の寝台料金ですね。
当時自分は高校2年生でまだ寝台にのれる身分ではなかったのでその料金では乗った事がない。
因みに1975年改正といえば東京から西鹿児島(鹿児島本線経由)への運賃が5310円でした。 >>167
>西鹿児島(鹿児島本線経由)への運賃が5310円
今なら東京駅から乗車券購入で\5,310だと愛知県の
西小坂井までしか行けない 距離298.4km ムーンライト松山と高知のグリーンは廃止前に乗ってみたかったな >>170
2000年台になって一度だけ乗ったことある。
外観はボロボロだったけど、座席の間隔は広いし、バスと比べてシートも大きいから快適だった。
カーペット車の方は、何だか汚れが染み付いてあんまりきれいでなかったような記憶がある。 初めて夜行列車のグリーン車に乗ったのは高校3年生の冬休みだった時で網走駅で急行大雪を
待っていたら60歳くらいの人から自分も若い頃は同じ様な装備(銀箱&三脚)を持って撮影で
よく北海道を訪れたと言っていた人で急行大雪はその人からグリーン指定席を取ってもらい
札幌まで生まれて始めての夜行グリーン車だった
スロ54だと思ったけど北見駅の19分停車で立ち食いそばを食べて札幌に到着した時にはお礼だけ
言って自分は乗り換え列車のホームに急いだのでそのままだったけど住所を聞いて帰宅後に礼状の
1本でも書けばよかったと後悔したよ 思えば最初で最後の旧型客車グリーン車だった >>172
グリーン券代受け取ってくれなかったのか? >>173
釧網本線でDE10が牽く旧型客車や混合列車を撮影して当時まだ駅員がいて硬券入場券や硬券切符が買えた
北浜駅から釧網線網走行き客車列車に乗った時にその60歳くらいの人と出会って車内で会話したのですが
均一周遊券で同じ装備にて現役SLを撮影してた頃を懐かしんで色々と雑談してたのですが予定を聞かれると
急行大雪(網走〜北見間は普通列車)に乗る事を告げるとグリーン車を奢ってくれる話になって自分は自由で
充分なので辞退すると悲しそうな顔をしたのでご好意を受けました
自分は夜行列車泊と駅寝でワイド周遊券にて目一杯道内を回る予定で当然急行券・グリーン券を払えるような
予算もないので代金を支払う事はできませんでした ああ一つ気になるのは、冬休みの北海道で駅寝しようとしてたところだな
夜中はストーブも消されるだろうから激寒だろうに >>176
寝袋持参でも、やはり限界はあっただろうからなぁ(新聞紙等でバリアを強化したとしても) 道内で6系統の定期夜行列車(利尻、大雪、狩勝、からまつ、すずらん、43レ・44レ)が
走っていたゴーサントオ改正くらいまでは深夜でもストーブや暖房が入って駅寝可能な駅は
ありましたよ。一番よく寝れたのは函館駅青函連絡船待合室の長いすで改札内なため、
浮浪者も来なくて治安もよかった。羽幌線のとある駅の待合室で友と寒くて震えていたら
当直勤務だった助役さんがストーブに火を入れてくれて朝までゆっくりと寝る事ができた。 ユースは酒飲めないから駅で寝る方がましとか言ってた奴いたな 「ドリームにちりん」のリバイバル運転(11/26〜27、当然ツアー列車として)、ですか 783系
www.jrkyushu.co.jp/common/inc/news/newtopics/__icsFiles/afieldfile/2021/10/26/211026_dream_nichirin_1.pdf >>178
昭和53年10月以降も、道内夜行列車の客扱い駅は深夜でもストーブを焚かれて
駅ネが可能でした。
概ね国鉄時代は大丈夫だったでしょう。 実施日は11月26〜27日で、車両は783系特急型電車「ハイパーサルーン」を使用。往路の
博多→南宮崎間は、かつて運行されていた「ドリームにちりん」と同様、夜行列車として運行される。
行程は往路が博多11月26日22時50分頃発→小倉→大分11月27日1時37分頃着・2時40分頃発→
宮崎→南宮崎7時43分頃着、復路が宮崎11月27日12時07分頃発→小倉19時09分頃着・
19時27分頃着→博多21時15分頃着。往路の大分駅では軽食を販売する予定だ。このほか、
JR九州ホテル宮崎のデイユースプランや食事プランも用意する。
旅行代金は普通席(1名参加・2名参加は同額)で往復4万6000円、片道(往路夜行)3万3000円、
片道(復路昼行)2万3000円。グリーン席(一人あたり)は往復4万4000円、片道(往路夜行)
3万8000円、片道(復路昼行)2万8000円だ。10月27日9時30分からJR九州トラベルデスクの
ウェブサイトで申込みを受け付ける。 >>185
当初は787系。後に783系に置き換わり。 ドリつばは最後まで787系だったけど
ドリちんはドリつばが消えるより先に783系化してたしな >>187
変な省略の仕方だなぁ…w
他の人は何と省略してたんだろ。 意外とJR九州って新規の夜行列車作らないね
その辺渋そうな西日本がウエスト銀河を作ったのは想定外だった ミトーカ氏はななつ星の企画のころから親子向けの夜行の構想を話してたけど
ななつ星の当たり具合を見て或る列車とか36+3みたいな
豪華路線のデイユースの列車に力入れるようになっちゃったからな >>178
>道内で6系統の定期夜行列車
懐かしいなぁ、深夜でも旭川駅や帯広駅でも終夜待合室は開放していたのでお世話になった
特に帯広駅は22時台、0時台、4時台、5時台に2往復計4本の夜行列車が走っていたので気軽に
駅寝できたし、新得駅でも同じ様に待合室での駅寝可能だった いま北海道で24時間(に近い時間)解放している駅ってもうないよね
旭川は全面改築後もかろうじて大きな駅といえる規模だけれど
函館や帯広は駅としては本当にちっちゃくなったね(´・ω・`)サビシー 自分は名寄駅や上川駅の暖かい待合室のお世話になった 日本も上下分離してイギリスみたいに車両だけ所有する民間の鉄道会社が作れるようになれば夜行列車の復権もあり得るか?
それなら高速バスに対抗した値段設定も可能だろうし 日本ではもう不要だろうし、復活はまずないな>普段着姿の延長での夜行列車 >>198
日本でもできるぞ
三田線・南北線とか京都市完全移管前の東西線みたいに
あとロイヤルエクスプレス北海道も運行の一部をJR北海道に委託だけど
営業自体は東急が行っていた
問題は線路を所有する組織が乗ってくれるかどうか >>193
>>196
昔の名寄駅は宗谷本線以外に名寄線と深名線が乗り込むターミナル駅で
帯広駅は広尾線と士幌線が乗り込んでいたので今と比べると賑やかだった
国鉄時代の北海道ワイド周遊券は国鉄バスも乗り放題だったので同じ
線区を戻らないで国鉄バスで別のローカル線へ移動できるのが良かった 伊豆急行でも夜行列車が走る 伊東駅発22:30→南伊東駅着7:50
詳細 ttps://va.apollon.nta.co.jp/1000643/files/izukyu-pam.pdf >>198
費用対効果でまず大丈夫なのか?
初期投資して回収可能かつ利益だせるのか?
夜行列車予備入れて3編成はいるし乗務員やサービス担当の人とかのコストやセキュリティとか考えるとムズいんじゃない?
いくら上下分離方式っていっても >>194
列車も来ないのに夜開けとく理由もないだろ
何かあったら管理責任問われるのに
有人なら最終が出たらさっさと駅を閉鎖するのは当然 東京から福岡まで12ftコンテナで荷物や機材を送ったら9万円くらいかかったけど
市内の配送料金がそれぞれのターミナルで1万円ちょいかかったから
純粋に鉄道だけだと7万円弱ってとこ
そのスペースに6人詰め込んで一人当たり1万円台前半
人間扱いではなく貨物扱いでもそれくらいだから
人間を運んでもいうほどLCCやめて夜行で行くかっていうほど安くはならんよねえ 結局日本の夜行列車って高速道路が発展してなくて自動車のスペックも低いから長距離移動ができずかと言って飛行機は一部の金持ちしか乗れない
そういう時代背景があったから成立した移動手段であってそれらが解決したらあっという間に立場を失うのは当然なんだよな >>206
例え5000円以下でもコンテナ車は揺れて乗り心地悪いから勘弁
普通に株主優待割引の飛行機で行きます 夜行列車が消えたのは、東北や中国山地を走っていた気動車急行が消えたのと本質的には同じ理由だな >>209
新幹線と高速道路の開通に絡んでる一面があるから、正しいとも違うとも言える。
ただそのあたりは、在来線特急の食堂車が消えた理由にもなりそうだけど。 トワイライトエクスプレスやカシオペアのような、最後尾車両からの展望が売りの列車は、片方の行路は機関車の後ろを展望する形だったんでしょうか? 函館と青森で向きが変わるから青函間だけは最後尾で展望できたよね >>213
それ逆だろ、と一瞬思ったけどスロネフの1番個室客目線だとそうなるのか >>206
??「え、鉄道にとっては人間より貨物の方がお客様じゃないの」 8001列車の1号車1番に乗ると青森〜函館のみ前に機関車が来て展望が出来ないけど
その時間帯は寝てるかラウンジカーで函館車掌区(後の函館車掌所や函館運輸所)の
車掌が青函トンネルの説明会を行っていたのであまり関係なかったなぁ >>207
そりゃ90パーセント以上の客にとって交通機関なんて単なる移動手段だからな
所要時間と値段と検討して最適なのを選択するだけ
移動に十時間近く(あるいはそれ以上)かからざるを得なければ夜間移動する方が効率的だから
夜行が成立してただけの話 飛行機の国際線ではエコノミーの座席夜行が普通に存在してるしな、カーテンもなければ更衣室なくトイレも貧弱、パウダールームもないからコンタクト入れれないし眉毛もうまくかけない。
それでも、女性客が乗るのはそれしか選択肢がないからか 夜行列車なんて昭和の遺産だよ サンライズ出雲・瀬戸が残ってるだけで奇跡なのに
自己都合的というか非常識というか、貨物のコンテナ車に人間乗せるとか意味不明な
脳内妄想ばかり夢見て現実性がないプランばかり描いてるのは困ったもの
そのくせクルーズトレインにWEST EXPRESS銀河やリバイバル運転の夜行列車は宿と
セットになってるからとか、気軽に乗れないツアーだからと毛嫌う癖に己のエゴみたいな
自我満々の妄想をチラシの裏の様に書いてくるから始末に終えない
今後リバイバル運転を含む夜行列車などが運転を始めたとしてもツアー系式で宿がセットに
なってるプランが増えるし、キモ鉄ヲタ排除の目的で自分もそう願う どうした急に。薬きれたか?朝から5chで意味不明なレスしてないで現実みろよ >>219
このスレは思いつきだけで人件費の採算などを考えずに妄想を書く気持ち悪い鉄ヲタが一部混じってるからなw
特に1970年代の繁忙期は夜行列車の自由席が非常に混雑したのでよいイメージがなく、2段ハネや個室を連結した
ブルートレインを含めていまさら夜行列車と言われても新幹線の整備も進み、飛行場も就航本数も増えていまさら
夜行列車に乗りたいとは思わないのが本音 >>219
遺産だと言うなら大事に残していかないと駄目じゃんw >>223
今となっては「負のレガシー」なのかもしれないなw 夜行列車に乗りたいとも思わない人間がこのスレに出入りするのもある意味不思議。
普通なら関わろうとも思わないものだろうが。
自分の昔の経験から若い人間を啓蒙しようとでも思っているのだろうか。 ↑自分が理解出来ないことは何かの陰謀と決め付ける残念な人 雰囲気がかつての10系20系寝台列車の世界そのものでため息が出る。昼行でも寝台車両連結
するんだね。
https://youtu.be/O7ilLIrpF0k >>227
サボに昆明があるので、長距離夜行の区間乗車に過ぎない。
昔大阪〜青森で運転してた「きたぐに」に、新潟〜弘前を利用したようなもの。 >>228
理由は知らないけどツアー系式の夜行列車やクルーズトレインを好んでない輩は少なくない
気軽に乗れない、割高になる、シングルだと参加しずらいなのではないかな 知らんけどー >>228
連中は乞食根性が染み付いてるからな
余計な条件が付いていることとを徹底的に嫌う
供給側の事情などお構いなし ツアーって旅行商品であって移動手段ではないからな
皆が求めてるのは移動手段としての夜行列車 要するに余計な金は使いたくないという貧乏且つ我侭な大人になれない鉄道ヲタク >>229
なるほど。気が付かなかった。さすがだね。
中短距離用に座席車も連結してるんだ。
もちろん昼区間でも寝っ転がって過ごしたい人は寝台に乗るんだろう。 >>235
中国の長距離列車は、富裕層にも貧困層にも対応してるので、昭和30〜50年代にあったA・B寝台と、グリーン車も普通座席車も連結してた夜行急行と同じ性格と思えばいい。 × 皆が求めてるのは
○ 乞食根性の鉄ヲタが求めてるのは
そりゃあ相手にされんわな >>230-231
わざわざJRの駅の窓口に出向いて買わないといけないものと
自宅でポチって代理店から書類が送られてきて
あとは旅行日を待つだけなのとでは後者の方が明らかに気軽なんだけど
連中の言う気軽の基準がよくわからないな
>>236
でも車販の売り子やってるおっちゃんが娘を海外留学させられるくらいには裕福よね
日本の車販の給与体系とは全然違うんだろうけど >>238
旅行代理店のWEBサイトにネット予約してクレジットカード決済だから楽
実際に1ケ月前売りで早くから並ぶなんて手間がかかるだけなんだよね
連中の言う気軽の基準
・ニートなので安く乗りたいから ・指定券だけ購入してダフ屋行為したいから
・時刻表に掲載されない夜行列車は夜行列車だと思わない時刻表バカ
・キモ鉄ヲタで奥さん、彼女がいないため、1人でツアー参加するのが恥ずかしい カシオペア紀行の体験乗車プランなら
余計な観光も宿泊もないから移動手段として使えるのでは? 【ネット限定】「カシオペア紀行 青森行き」 体験乗車プラン[カシオペアツインコース]11/6発
1人利用「カシオペアスペシャル弁当+軽食弁当」→夕食「カシオペアスペシャル弁当」+朝食「軽食弁当」¥134,800
1人利用「懐石御膳+洋食セット」→夕食ダイニングカーで「懐石御膳」+朝食ダイニングカーで「洋食セット」¥139,800 原価厨と一緒だろ
だったらお前が企画しろといわれてオシマイ >>241
1名利用の体験乗車プランはカシオペアツインの1階部屋だそうです >>243
彼女じゃなくて一緒に旅行に行ってくれる女なんてそんなにいるもんか?
旅費全部出すならまだしも。 1人あたり139,800円奢りならついて来る職場の女いるかも?
俺はバツイチだから誰を誘っても迷惑はかからないフリーだけど
14万円近くも出すなら海外旅行の方がいいな(今はコロナで無理だが)
2人で28万円の海外旅行、楽しみ スポーツ観戦とかコンサートとかならありかもしれんけど
夜同室でお泊りは流石にないだろ 人それぞれだから別にいいのでは?
例え彼女でなくとも「Like」な関係か、
一夜限りの「Love」な関係に
なるかは神のみぞ知る・・・みたいな 日本の鉄道はオワタんだよ。
普段の移動はLCC、ゆっくり旅情味わうには船、あるいは中国に行く。国鉄はただ本や模型やネットで懐かしむのみ。
リアル鉄道はもう要らんからレール引っ剥が
してハイエースとトラック走らせろ。 >>250
鉄道貨物の需要はあるだろ
自動運転電気トラック実用化にはまだ時間かかるし、なにしろトラックじゃ大量安定輸送に欠ける。 >>250
お前バカだな、新聞とかニュース見ないのか?
鉄道貨物を全てトラックに変えたら温室効果ガス排出が増えて
現在日本も参加しているCOP(気候変動枠組条約締約国会議)
にクリアーできなくなるぞ >>250
「日本の旅客鉄道は色々な意味で終わった」と言うのなら、一応同感するけどな
普段着の延長で(さほどの特別な料金を払わずに)鉄道に乗りながら非日常を体感することが、
今となっては事実上容易に出来なくなった気がする 温室効果ガスを削減するならそれこそ夜行バスに規制かけて鉄道を復権させるしか方法はないけどな そこまでくると移動そのものがタブー視されかねん
鉄道もダメでしょう 削減対策で欧州は航空から鉄道にシフトしてる事実がある 言うほど復活はしとらんけどな
Nightjetなんて所詮2編成分割だし
各編成の定員はたかが知れている
5+5両が基本で2つの出発地から途中組み換えで
2つの行先に組み替えていく都市が平面に存在する欧州ならではの
効率化手法を取ってるから日本じゃマネできんよ
元CNL就航都市でパリみたいにそこから外れる都市はNJでも復活してないしな 夜行の話じゃないよ
昼間の短距離航空便は、航空会社が鉄道で運行している
鉄道が上下分離だからできるんだけど ドイツのことなら航空会社同士でやってるコードシェア便と同じことやってるだけだぞ
ICEの席の一部をルフトハンザ便名でルフトハンザの窓口で売るだけ
昔は列車丸ごとのルフトハンザエアポートエクスプレスなんてのもあったけど
3両ないし4両編成でこれも輸送力はたかが知れてる 将来の話は鉄道総合板
サンライズについては鉄道路線・車両板
でそれぞれやれ
あと、これらの話題についてここで書くバカへ反論せず居たないしスレへ誘導しろ これは夜行がレアになって乗りたい奴もいるかな?w
個人的には乗る気がしない。
https://youtu.be/0HGUlKvFFBY >>266
415系の夜行列車は興味ない
まだ455・457系(近郊改造車除く)なら
分かるけど客車でないと萌えないな
12系+20系or24系 14系座席車もいいね
自分が最後に乗った「らしい」列車が八甲田だからかもしれないけど 東武から借りますかね?
ってかどうも労務者風オヤジがボックス
シートでワンカップ飲みながらさきいか
くちゃくちゃ食ってそうだ。 JR東日本にある12系客車は高崎に6両と上沼垂に7両あるけどSL列車に使うので難しいかな?
1回片道だけの運行でいいから上野〜青森間を夜行で走らせてほしいけど無理でしょうね
帰路の新幹線をパックした単独・複数利用可能なパック商品にしてもいい
本当は14系座席車がいいけど東武の14系はEF81が牽引できる状態なのかは不明 >>272
高崎はSLが検査で休止気味なので、12系の稼働はできそうだけど、
ELまたはDLの機関士が区間によっているかどうか?
カシオペアが定期的に動いてるなら、同じ区間でできそうだけど。 上野〜高崎〜長岡〜酒田〜秋田〜青森ならEF81で走れそう コロナ前に秋田−青森で12系夜行やってたよな。秩父や大井川も同じような短距離を往復で
やってたけど、首都圏で運行する客車はカシ以外にないでしょ
SL臨ですら上野に入ってこない。推進もじきになくなるんだろうな コロナ禍になる前は試で推進運転を年に数回やってなかったっけ? ムーンライトながらは急行にしないと赤字垂れ流しだったってマジ?
ほぼ9割が青春18きっぷ客で採算性最悪で満員でも赤字だったしJRから見たら「走らせたくない」のが本音だったはず >>281 ウテシはずっと前向いて運転してるから
たまには後ろ向いて運転しないと首が回らなくなるよ。 機関車の運転士が窓から顔を出して後ろを見るのって
連結の時と引き出しの時で推進運転関係なくやってるわけで
ちなみに推進運転の時の前方監視は客車のブレーキ担当に任せてる
止めるときは身を乗り出して確認してるけど 瀬戸内海を眺めながら食堂車で朝食というレポは多く見かけるが東京行きの食堂車で朝食というレポは見かけない。
9時以降到着となるあさかぜ以降の列車はともかく朝7時着の出雲は朝の食堂車は何時から営業してた? >>288
上り出雲は朝の営業なし。
そのあたりがあって、みずほと同時期の30年前に先だって営業休止になった。 >>284
頭のネジがいくつか外れてますよ、お前さん 出雲4号の食堂車、朝食営業休止はJRになって既に辞めていたよ >>289
確かに、東京駅着6時56分だかに食堂車の営業は要らないな。
RJにしても、下りで取材して上りは飛行機だったのか。 >>292
列車追跡も大体1号だったな。
出雲に限らず、東京を出発する下り列車の追跡が主流だった。
ただ列車追跡特別版で、国鉄時代の4号を取材したものを1度見たけど、
朝はコーヒーとサンドイッチの車内販売だけだった。 1981年の出雲4号が山陰本線雪害で2時間以上遅延した時に乗り合わせたけど
食堂車で作った弁当を車内販売で売りに来たけどご飯がホカホカで美味しかった
同時に食堂車調製のサンドウィッチとホットコーヒーも飛ぶように売れて車販嬢と
コックさんが1組になって車内を巡回してコックさんはホットコーヒー専属で
在庫が切れそうになると食堂車までコーヒーを取りに行ってた >>293
「大山おこわ定食」が上りの4号で売り切れてしまって食べられなかったというのがあった。
確か、そのあと、帰りの「やくも」で食べたとか書いてあった気がする。 寝台特急出雲の食堂車を担当する日本食堂米子営業所は上り列車基点で食材を
積み込むから上り列車で人気の大山おこわと大山蕎麦がセットになった品目は
上り列車で売る切れると折り返しの下り列車では売る切れる事が多かった
これは日本食堂長崎営業所や日本食堂門司営業所もそうで1975年以前のあさかぜ
食堂車を担当してた日本食堂博多営業所も同じであったが白米や日本食堂共通
メニューだったカレーの缶詰などは東京口でも積む事は出来たけど沿線の名物
だったメニューは上り列車で売り切れると補充がつかないため、下り列車では
売り切れが度々見られた 新しいところだとトワイライトエクスプレスも
上りのパブタイムは売り切ればかりで
先に出せるものを聞いたほうが早いなんてことがあった
最終運行時の上りは悪天候による運休が重なって
パブタイム用の食材が使えなくなったので
まだ使えたランチ用のオムライスでしのいでいたし >>297
日本食堂博多営業所持ちのあさかぜは下り1号・上り2号と
下り2号・上り3号のみで、下り3号・上り1号は日本食堂
門司営業所が担当していました。
>白米や日本食堂共通メニューだったカレーの缶詰などは
>東京口でも積む事は出来た
東京南鉄道管理局管内に日本食堂在来線食堂車詰め所は無かったと
記憶するけど特注品は取り寄せる事ができたの?少なくとも上野や
東海道新幹線は管轄が違っていたけどな
国鉄時代の東京発着ブルートレイン食堂車の受け持ち担当は米子、
門司、博多、長崎の各日本食堂営業所しかなかった >>299
あれ、1977年9月まで存在した、下関あさかぜの食堂車は門司営業所の担当だった? 1972年3月15日から1975年3月9日の下関あさかぜは下り3号・上り1号で門司営業所です
1975年3月10日改正からはあさかぜが2往復に減便されたので1977年は論外でしょ?
そもそも話の流れは>>297の1975年以前のあさかぜ食堂車を担当した営業所の話題ですから
関連のない1977年を振られても困ります >>301
出雲の話の流れは75年3月以前で限ってないだろう!
屁理屈言わず、知らないなら知らないと素直に言え!バカヤロー!
75年3月改正から九州ブルトレの食堂車は、さくらを除き門司営業所に統合され、
クルーは門司で交代になった。
車両が下関所属だったので、クルーは関門間を一般の電車で行き来した話を
聞いたことがない。
同改正で山陽昼行特急が全廃されたので、その絡みの食堂車業務はなくなっているし。 このスレに1972年3月15日〜1975年3月9日の
期間中に実際定期あさかぜ3往復の何れかに乗って食堂車を
利用した人っていったい何人くらいいるのだろう?
俺は昭和32年生まれだけどあさかぜに乗ったのは昭和53年
の8月が最初だった、乗ったのは上りあさかぜ2号 >>304
大体60代後半以上でしょうね。
40歳前後だと、食堂車営業時代の経験がない人が大半だし。 カルシウム足りないくらいでイライラはしないので、
文言から相手の意図を察する知能
感情を動かす情緒
が機能不全なだけだと思います。 昭和49年8月に臨時あさかぜ乗ったけど
食堂車なしだった模様。その少し前は
ナシ連結してたらしいけど営業してたん
だろうか?してたとしたらよく人が集まったな。。 新幹線の食堂車も40代前半だと下手したら経験ない人多そう
0系のに限ると尚更 >>308
自分も、営業中のグランドひかり食堂車・200系ビュッフェに辛うじて使えた/乗れた感じだからなぁ(40代前半)
周遊券も最終年度に1度しか使ったことがない 0系の食堂車しらないのか?
というか新幹線はそれしかなかったから0系なんて呼び方しなかったが 新幹線の食堂車は0系と100系しかないしビュッフェは200系にもあったけど
それすらも経験したことない世代なんかな?
親と一緒に乗ったとかだろうな
夜行列車じゃないからこれくらいにしとかんとなんか言われるからスマン 50代前半だが、0-37は富士山見えなかった時に利用した 42歳
夜行の食堂車は1993年に「北斗星5号」で使ったのが初めて。あとはトワイライト2回と北斗星1回くらいか。
新幹線は小1のときにひとりで乗って、スープだけで食べた覚えがある。1986年、0系。食堂車は確か93年にカレー食べたとか、96年だかに朝乗ったらコーヒーすらなかったとかあったけど、大学生になった翌年になくなってしまった。
ビュフェは、高校生のころ、寝坊して新幹線でショートカットするときにコーヒーだけで利用したことが何回かある。程なくして0系ひかりは引退したように思う。 あさかぜ
さくら
ひかり
車内録音したが、いずれも食堂車は〇号車と放送してる
100系の2階は、グリーン車専門で
食堂車は行ったこと無かった 初めてのビュッフェ経験は
1970年のひかりビュッフェ
大阪万博の帰り1970年だった 0系ビュッフェ営業末期の博多-名古屋のひかりで乗った時はカウンターに駅弁等車販販売品が並ぶ実質売店営業だった
なはの列車名が昼行から夜行にコンバートされた時なぜ1往復のみで他は明星になったのだろう
明星の列車名は熊本、博多発着でも使ってたから西鹿児島発着は全てなはにしてもよさそうだし
のちに京都発着に固定されることはあったが明星がどんどん減ってあかつき併結、定期が廃止されて
20系使用の臨時明星→霧島が定期なはと同じ25形に変わってやっと増発名目の臨時がなはを名乗るまで
なはは常に1往復だった 那覇へはパスポートが必要で道路は国道県道ではなく軍道、右側通行でバスの扉は右側…
なんて時代は知らないだろうな
「なは」の列車名はそんな時代からある
ディーゼル時代も寝台特急時代も「なは」に乗って那覇に行った人とか大阪を訪れた那覇の人とかどのくらいいたのだろうか 5年前に往路は飛行機だけど復路は
那覇港→鹿児島港→きりしま→にちりん→ソニック→のぞみ→関東をやりました
楽しかった >>318
"特急なは" は1968年(昭和43年)10月1日改正で大ムコ車キハ80系気動車で
大阪〜西鹿児島間に設定されたのが最初でその後、1973年(昭和48年)10月1日
時刻改正にて大ムコ車485系11両の電車化。
その後、1975年(昭和50年)3月10日時刻改正にて大ムコ車583系12両運転へ
切り替って"特急なは" は寝台特急の仲間入りをするが沖縄返却は1972年(昭和47年)
5月15日の事だった。
1984年(昭和59年)2月1日時刻改正にて583系10車から25形客車へ変更 以下略 >>318
なは号は昼行特急として出来た
沖縄返還記念が由来だったっけ?
新幹線延伸につき夜行列車と化した
鹿児島方面行きの夜行列車はあかつき明星だったけどそこになはが加わった
その後時代の流れにのってダイヤ減量に伴い明星は廃止
あかつきは長崎方面のみとなった
明星からしたら軒先貸したら母屋取られた感満載という感じと確か言われてた >>323
600円の切符で小児断片の数字が150か、急行料金300円指定席料金300円小児は急行料金は半額だが指定席料金は大人と同額だった時代なんだな それでも「なは」が残った理由は本土復帰運動の名残じゃねーの 九州ブルトレ(富士)旅行から東京に帰る途中、京都梅小路によって、
最終の東京行き上りひかりを利用したのだけど、
前後して、583系下り「なは」がホームに停車していて、
ああ、あれに乗ればまた戻れるんだなぁと思ったのを思い出した
昭和54年春のことだけど、記憶違いじゃないよね 九州の親戚の家に毎年のように邪魔してた。そのころの記憶の糸を辿る、、
53年行きも帰りもゼロ系 54年行きあさかぜ
滞在中博多長崎記憶が曖昧だがブルトレ昼寝
だった気がする長崎博多は14系雲仙東京への帰りは全日空SR 55年行きみずほ? 帰りゼロ系、かなあ?56年行き はやぶさ西鹿児島まで、 西鹿児島博多 有明、帰り あさかぜ?かなあ
57年受験で行かず、58年夏 行きブルトレかなあ?帰りさくらEF70 同年年末年始 行きあさかぜ、59年夏 行き紀勢まわり青春18 帰りブルトレかなあ? 60年61年受験で行かず 62年春行きあさかぜ 帰り ブルトレかなあ? 続 63年夏行きもあさかぜかなあ? 平元年2月24日
行き日航JA8176 帰り3月JA8120? 同年 夏 100
系 帰り JA8164かなあ? 同年年末行き青春18大垣夜行+ふるさとライナー九州 平2年年始帰り あさかぜ 平2年春免許、夏と年末行ったかなあ? 平3年春車入手 同年年末年始 車 平4年 3月
往復、車 以降 行き車 帰り オーシャン東九 などなど
随分記憶が曖昧になって来て寂しくもある。
チラシの裏ゴメン >>322
> 沖縄返還記念が由来だったっけ?
沖縄返還祈念だな 新幹線岡山開業前は
寝台電車
月光 新大阪-博多
明星 新大阪-熊本
きりしま 京都-西鹿児島
ブルトレ
博多方面行は全部あかつき
新幹線岡山開業時
寝台電車
月光 岡山発着
明星 京都・新大阪発着
きりしま ダイヤ変更のみ
ブルトレ
博多方面行は全部あかつき
新幹線博多開業時
なは・明星 鹿児島本線系統
あかつき 長崎本線系統 自分が大学2年生だった1977年に夜行列車で日本列島を外周する旅をした事がある
一日目:上野〜青森 急行十和田2号(自由席)
二日目:青森〜京都 急行きたぐに(自由席)
三日目:京都〜米子 普通山陰(B寝台)
四日目:米子〜下関 急行さんべ(自由席)
五日目:下関〜大阪 急行くにさき(自由席)
六日目:天王寺〜津 普通南紀(B寝台は新宮まで)
七日目:大垣〜東京 普通340M(グリーン車)
本当は九州や北海道にも行きたかったけど同じルートを走るためによる
一筆書きキップが途中で切れてしまうので本州一周というプランになった >>331
1977年の上り大垣夜行なら340Mでなくて344Mだよ >>326
昭和53年10月改正から、なはは京都発着だったので、記憶は合ってる >>331
同じ地域(ワイド周遊券B券エリア)で北海道内の夜行列車5種を連続15泊とか
九州内のながさき・かいもん・日南で10連続泊夜行列車とかはあるけど
コンスタントな同じエリアでない地域での夜行列車連続宿泊は1980年3月に
平戸口駅から東根室駅への旅でながさき・山陰・442M・青函11便・からまつで
5夜行船中泊したのが最高かも >>335
種公の取り巻きではなかったけどTTTTには加入していたよ
しかし1981年くらいから列車撮影(旧型客車やEF58の沿線撮影)
中心の趣味に変わり乗り鉄趣味から足を洗ってTTTTからも
脱退してヤツの本も買わなくなったよ
そういえばラビや大井も撮り鉄転向だったけど俺は組織からも
消えたからその後は分からない
今となっては全て過去のもので懐かしいけどな 俺の高校大学時代は明けても暮れてもラグビー三昧だった 11年前に解散したTTTTだが昔はまともな人が多かったけど
1988年くらいからヲタク度合いが増えて気持ち悪かったらしいよ
知り合いが入信したんだけど鉄ヲタ臭がすごくて翌年の会費は
払わずに放置で退会になったらしい
交通部会の方は50代が増えて加齢臭プンプンだったらしいw ラグビー部の部室も独特の男臭さがあったが
鉄オタ臭て… >>336 >>338
昭和時代だから成り立った組織だな。種本売るための手段でもあったけど。
昨今はインターネットや新幹線が発達し、スレタイの夜行列車も無くなって様相が変わった。 今は鉄道趣味団体自体の人が減って凋落化してる
鉄道友の会やRsecがいい例 >>331
1984年だったかな、鉄道ジャーナル社の
旅と鉄道で本州一周鈍行乗り継ぎ特集
をやってたような記憶がある >>331
博多行きの夜行急行さんべを下関で降りて、大分発の急行くにさきを下関から乗ったのは
九州まで行くと同一ルートを通ってしまい一筆書き乗車券が途中で途切れてしまうからの
配慮だという事は気が付いたけど夜行列車で朝到着してその日の夜の夜行列車に乗るまで
暇になる時間はどうして潰していたのだろう・・・気になります >>342
かつてのブックマートよりはまし
専門書エリアがある分薄まってる
でも理工系はあんま変わらんかw >>344
実際は別途運賃を払い、関門トンネルをくぐって九州入りしたのも考えられなくない。
下関で下車すれば幡生→下関の運賃が発生するので、それなら九州に入り時間を潰す
のも有り得る。
またはその逆で厚狭・小郡方面へ行き、秋芳洞観光や、宇部・小野田線の旧型電車を
別途運賃で乗ったのも有り得る。
もちろん朝から夜まで下関で過ごした可能性もあるけどw >>332
そうでした、上りは340Mでなくて344Mですが347Mに比べて344Mは乗車回数が少ない
>>334
どうしても日本海側を進むと下りも上りも急行さんべを使わないと工程的に無理が
生じて前後に急行だいせんor普通山陰とセットにしないと難しい!どうしても夜行
急行ロングラン1位の急行きたぐには外せないし、日本海ルートと一筆書き乗車券に
縛られなければ道内夜行2本乗り継ぎ+津軽1号〜441M〜または急行妙高で長野へ抜けて
急行きそ〜名古屋から921レで天王寺・新大阪から急行雲仙、西海、阿蘇、くにさきで
門司に出て日南〜西鹿児島〜かいもんでさらに鳥栖から普通ながさきへ繋げば片道の
長い夜行列車旅は出来るけど学割でも費用の点で問題が出そう
>>343
鉄道ジャーナルか旅と鉄道か、更なる特集の別冊だったかは忘れたけど夜行列車以外に
昼間の夜行列車も混じっていたような?もうかなり昔なので記憶に乏しいけど自分も
その本を購入して読みました
>>344
見て回るようなない場所だと待合室で仮眠をとっていた事が多いです!貧乏学生だった
のでルート以外に乗ると費用も嵩むし、当時は青春18きっぷもまだなかったので歩いて
いける程度の観光以外は寝ていた方が多かった旅でしたし、就職をしたらそんな時間はなく、
60歳定年した時には夜行列車自体が消えていた(サンライズでは動きようがない) >>348
忙しい会社におられたみたいだが夜行列車での出張などは多かった?
俺のまわりには会社員時代は夜行列車での出張が多かったという人がいないのだよ、本当に昭和40年代50年代は夜行列車に出張族が多く乗っていたのか疑問なんだが >>349
就職すると仕事が忙しくても、そうでもなくても多客期以外に8連泊とかの夜行列車旅
を行うのは意外と難しいよ!特に途中駅から乗車する夜行列車自由席の確保とか
考えるとサラリーマンが長期で休めるのは繁忙期や多客期になってしまう!自分は25歳で
結婚したので一時期鉄道離れしていた時があって特に30歳台はマイホーム購入資金稼ぐ
のに必死になってて趣味は押さえ気味だった
夜行列車での出張は日本各地に事業部・事業本部・支店他があったので1979年〜1987年
を中心に寝台特急は利用したけど思い出に残ってるのは1981年くらいまでの東京発着
ブルートレインの食堂車や在来線特急の食堂車かな? >>351
大手企業で労組がしっかりしてたので当時は忙しい時期でも年次有給休暇申請は
容易く取れたし、早期に計画年休としてなら5日間(年度末繁忙期除く)とか
取れて10年に1回もらえるリフレッシュ休暇や20年目と35年目に貰える褒章休暇
も行使したけど家族旅行が中心で趣味では使えなかった
残業も行った時間外手当でもらえたけどホワイトカラーエグゼンプションが
始まると残業何百時間しても1円も付かない地獄の負の連鎖が始まったけど
自分は管理職だったので残業は1円も付かなかったけどね >>347
日本海運用にも入ってたから、そりゃつるぎにも入るだろ
緑カニも同様だよな >>347
トワイライトガマEF81は20系だった臨時夜行急行のあおもりも牽引しているよ 車体色とマークが暗色系同士で埋もれちゃう日本海と違って目立つからな つるぎ、HMがかっこよかったよな。EF70によく似合ってた。特に白い方。58が牽いてるのも撮りたかったけど
機関区公開でしかない。劔だもんな。かっこよすぎる。そういやあの山から名付けたんだなって後年、登った
後に気付いた。彗星や日本海もそうだけど関西のHMはかっこいい でも彗星のヘッドマークってテールマークと比べて
彗星のしっぽの部分に手抜き感がぬぐえんかったやろw 宮原ワイパー付きのEF58が牽引するHM付きつるぎは恰好よかった
彗星のHMはEF65 1019の赤い機関車と何気によく似合っていた DF50の彗星もかっこいいよな。上越仕様の赤い81が牽くはくつるもかっこよかった
>>358
彗星っていう漢字が直線ばかりだから狙ったんじゃないかな
色といい秀逸。日本海、つるぎ、ゆうづる、はくつる、はやぶさ、瀬戸、あの辺のHMのデザインは凄すぎる
ほとんど黒岩さんなんだっけ 昭和50年代合理化を理由にヘッドマークをつけない時期があったが、ヘッドマーク付けるのはそんなにたいへんなのか? >>364
赤字と労組の問題だろ。
ヘッドマーク付けて客が増えるなら付けてる。
ファンが増えて増えたのかも知れないけど、数字には表れないからな。 つけるのが多分運転士とかがつけるの面倒くさがるんじゃないのか?
その頃の組合的に
運転業務じゃないから付け賃よこせとか言ってそうだし
じゃあ車両区でとなるとそこの人も俺らの業務か?てなりそうだしな >>367
ヘッドマークやサボ取り付け交換は下請け整備会社の仕事だよ >>368
旧国鉄時代でも下請け整備会社てのはあったんだ
リネン類の会社はわかるけど >>358
ヘッドマークはテールマークが作られる前の
20系時代に使われていたものを
関西ブルトレのヘッドマークが復活したときに復刻したもの
東京ブルトレはずっとヘッドマーク付きで
富士もテールマークのデザインに合わせた
丸いヘッドマークだったが
上記のタイミングで戦前の復刻版の富士山型に変わった >>360
PF1019が牽いた彗星は俺も宝殿〜加古川の橋梁で撮影したよ
青系のヘッドマークは赤系の機関車の方が映える
EF651019or1118が牽引した瀬戸、エルム、トマムスキーのHMは映えてた >>369
あったよ。東京機関区のヘッドマーク整備も。 >>369
機関車に限らず車体の清掃・洗浄作業なんかは下請けの仕事だったよ >>347
折り返し列車の車内整備や行先方向が書かれたサボの交換も国鉄の外郭団体である
弘済整備や○○美装などが行っていたし、機関区や客車区にも民間会社が入り込んで
車両の清掃や車内整備などの仕事をしていた。
ゴーサントウ前の東京23:28発の大垣行き347Mは静岡20:22発342Mが22:46に
東京駅9番線に到着すると客扱いが終るとホーム側の扉を閉めて反対側の扉を開けて
車内整備を終らすと静岡⇔東京のサボを抜いて東京⇔大垣のサボに入換えると車掌が
乗り込んで整備を確認すると23:00くらいにホーム側の扉を開けて客扱いを開始してた。 出雲1・4号のEF65は両エンドにヘッドマークを付けてたな 大阪だったら奈良快速とか新快速とか大看板つけてたし、パノラマカーだって運転士が看板取り替えてた。外注や委託するまでもなく運転士がヘッドマークの取り付けすればいい話ではないの
運転士は酒飲んでるから足元おぼつかなく危険だからか? 旧型国電時代、アンチクライマーを足場に、ホームから乗り出して
中央貫通扉にある行先表示板を交換(紙芝居のように入れ替える)していたけど、
あれは結構危険な作業だと思うわ すまん、外から身を乗り出して、ていうのは非貫通の旧型国電のことだったな
もちろん貫通扉があれば、これを開けてできるんだろう
そのためについていたってこともあるのかな
https://contents.trafficnews.jp/image/000/047/963/large_210730_sabo_01.jpg >331
>348
そのような夢の夜行列車乗り継ぎが出来た時代が懐かしい >>383
1980年10月改正が、最初の夜行列車削減が振られた。
その後1982年11月、1984年2月、1985年3月改正で多くの夜行列車が廃止され、
国鉄最後の1986年11月改正では惨状だったけど、今思うとまだまだ残ってた状態
だったか。
分割民営化後も好景気が相まって、高速バス対抗で夜行快速が新設もされたけど、
整備新幹線建設や車両の耐用年数で方針が変わり、もう希望も持てない。 >>384
1982年11月、1984年2月、1985年3月改正で国鉄夜行列車も終ったと思う
>>385
ムーンライトもミッドナイトも定期列車化されたのはJR化後だよ
もう夜行列車が終わってしまった夜行列車末期だな >>378
電車のは金具にひっかけたり枠に落とし込んだりで交換は割と簡単
(新快速や奈良快速は看板そのものは固定でパタパタ式)だが
機関車のは金具に引っ掛けたうえネジ止めする必要があったんで手間だったとかなんとか 485系列ボンネットのヘッドマークはよく盗難されたとか。
その対策が京都車の引っ込んだヘッドマーク。最初見たとき電幕化したのかと思った。 >>383
今の新幹線網は当時は夢だったんだけどな パタパタ式のHMと言えば直流・交流両用の急行電車に
取り付けていたヘッドマークがなつかしい
ゆのくに、立山、くずりゅう、などなど 夜行急行「のりくら」は登山客多かった?
あんなところに夜行など必要なかったのでは >>389
当時は夢→今は悪夢、か(夜行列車愛用者にとっては) >>391
自分が乗車した時の夜行急行「のりくら6号」(707D・名古屋23:49→5:27金沢)に登山者はあまり見かけなかった
寧ろ名古屋23:55発の夜行急行「きそ6号」(801レ)長野行きの方が山男列車的なイメージで登山客やハイカーは多かった >>391
名古屋・富山間はキユニ併結で新聞輸送も担ってたからね 夜行急行のりくらもキユニ26で新聞輸送が主体で旅客収支は関係なかったと思う
季節臨としで夜行急行のりくら6号が金沢から穴水まで6707Dとして延長して
さらに穴水から宇出津まで延長運転してた頃は2回だけだが乗った事があるよ なるほど新聞輸送か
真夜中に出る短距離夜行は大概そうだったのか?
例えば会津若松行き夜行急行とか >>398
455系の一部区画が、新聞置き場で設置していたの? >>388
昭和40年代も、向日町のボンネット車は電照式マークがあった。
485系だけでなく、181系にも。 四国のうわじま1号と中村行き731Dも新聞輸送がメインの列車だったけど、岡山-宇野間はどのようにして運んでいたの? >>393
夜行列車愛用者にとっても新幹線無かったら不便すぎるぞ
趣味だけじゃ生きていけんのだから 夜行列車に翌日の朝刊を積むのなら大急ぎで編集して印刷して駅まで運んで、こりゃ毎日てんてこ舞いだな千秋楽北の湖と輪島の対決はその新聞に
載せることできてたのだろうか 四国の最深部向けの全国紙朝刊は前日の18時には刷り上がってた
大阪駅を18:40頃に出発する雲仙・西海のマニに載せて岡山に21:20頃到着
岡山駅では跨線橋に併設されたリフトで宇野線のホームへ移動させ、各駅停車列車に増結されたクモユニに載せて宇野駅に23:00頃到着
宇野駅では桟橋に併設されたリフトで連絡船の甲板へ積み込む
連絡船には専用のスペースがあり、航海中は施錠されてた >>405
千秋楽は17時頃には決着がついてるから余裕
ナイターでも延長戦とかになると途中経過しか掲載されてなかった >>405
野球ナイトゲーム(当時の言葉でナイター)なら、2100時終了で原稿占め2130、制作・校了・製版で2230、2300に刷り上がりでトラックで駅へってイメージ
選挙とかだと、あと30分引っ張った挙げ句に、なんかトラブル起きて積み込み間に合わずとか 時間との戦いだなー
今でも深夜に新聞販売所まで届ける中型トラックは爆走してるけどw >跨線橋に併設されたリフト
>桟橋に併設されたリフト
テルハ各駅で大活躍だったんですね
夜行ちどりはルート的に新聞輸送とは無関係でしょうか >>410
山陰地方の新聞輸送なら京都からの「山陰」か、
夜行「だいせん」が担ってただろうから、夜行「ちどり」はそのあたりはどうも。 中国新聞の需要は山陰でも極少数かも知れないがあったんじゃね? >>411
やっぱりそうですよね(^_^ゞ
だとしたら純粋な陰陽連絡夜行だから
それはそれで感嘆 「ちどり」は真夜中のスイッチバックで運転士と車掌が入れ替わっていたのだろうか?
まあ今では路線自体がなくなってしまったので同じルートを遡るのは不可能になってしまったが >>414
> まあ今では路線自体がなくなってしまったので同じルートを遡るのは不可能になってしまったが
広島からの直通は無くなったが路線はまだ廃止されてないぞ? 備後落合駅は岡山局の管轄
そこから広島方向は広島局・宍道方向は米子局のそれぞれ管轄
だから備後落合駅で運転士は交代
ただし、三井野原駅発着のスキー臨は備後落合−三井野原間広島局が運転 真っ暗闇の木次線を千鳥足で進む夜行ちどり
スーツくんあたりが再現してくれたら嬉しいなぁ >>410
夜行ちどりは標準が4両編成で、グリーン車1両・普通車指定席1両、自由席2両だった。
少なくとも昭和50年以降は荷物車などを連結してなかったが、
普通車の一部区画を仕切り、荷物室にしたのはあったかもしれない。 >>410-419
ちどりの沿線地域に届ける新聞を当時広島で印刷してたかどうかだろう 下り夜行急行ちどり3号(617D)松江23:45 → 広島 5:00
上り夜行急行ちどり3号(618D)広島23:55 → 松江 5:20
基本編成(岩国車)1号車:キハ58(指)、2号車:キロ28(グ)、3号車:キハ28(自)、4号車:キハ58(自)
夜行急行ちどり617D・618Dの関連する運用(夜行急行ちどりの前後区間)
617D
[普通]627D・松江22:40〜23:12米子
618D
[普通]424D・岩国22:59〜23:51広島
[快速]3628D・松江05:21〜07:58鳥取
米子 [普通627D] 松江 [急行617D] 広島
岩国 [普通424D] 広島 [急行618D] 松江 [快速3628D] 鳥取
>>414
木次線の三段スイッチバックでは運転士と車掌が入替わっていました
>>419
自分が乗車した1978年7月は普通車の一部区画を仕切った荷物室はありませんでした オハフ33、オロハ30、オハフ33などの客車で運転していた1953年11月から1959年4月までの
急行ちどりが木次線、出雲坂根駅〜三井野原駅(1958年8月31日までは三井野原仮乗降場)間の
三段式スイッチバックをC11やC56などが牽引したであると予測するけど三段スイッチバックを
進む時に後退する際は推進運転みたいに走ったのか興味が尽きない。 急行「津軽」とかで12系+一般寝台車の編成になった時、
後者の冷暖房とかどうしてたの?
先週の新日本紀行(1979年)でやってて、気になってた 12系は蒸気暖房の引き通し管と電気暖房の引き通し線付いてるから >>423
急行津軽のオロネ10(A寝台)とオハネフ12(B寝台)の冷房は自車発電での電力供給をして
寝台ではないけどグリーン車・スロフ62の冷房も同様に自車発電で電力を供給していた。
暖房については牽引機のEF58、ED75、ED78orEF71に山形以北のED75-700はEG搭載なので
12系座席車とマニ36にEG用の電源ケーブル引き引き通し管を経て暖房用電源を送っていた。
急行津軽の10系寝台と12系座席車の併結は1978年10月2日から1982年11月14日の約4年間で
期間的には長いものではなく、直流区間の牽引機がEF58からEF65PFに変わった時には津軽も
20系寝台や14系寝台+14系座席者、そして14系座席車のみに変わった。
因みに奥羽本線の一部が電化前でディーゼル機関車が牽引していた時は寝台車や旧型客車の
座席車にはDD51に搭載してあるSGから暖房用蒸気を送気していた。 >>425
詳しくありがとう
12系が一般客車と併結可能なよう各種引き通しがあったのは知っていたんだけど、
こと冷房に関して一般客車の数が多いのでどうだったのかなぁと思っていた 満鉄で採用されていたSG利用の冷房はなんで本土では採用されなかったんだろうな ふと気になったんだけど過去に名古屋〜長野〜直江津〜新潟のルートで走った夜行列車ってある?
長野なら急行ちくまがあったり、新潟ってだけなら急行きたぐにが走ってたけど上記のルートは覚えがないなと >>428
SG (steam generator)は蒸気発生装置でスチーム暖房の熱源を作る
ボイラーなのだけどそれから冷房にどうやって転換していたのだろう?
>>429
名古屋〜長野〜直江津なら急行きそ(801レ)ならあったけど
名古屋〜長野〜直江津〜新潟はなかったと思うけど??
お役に立てなくて申し訳ない 吸収式冷凍機
当時は窓を開けると難があるから空調つけようだったから、日本、特に東海道線はそういう所が少ないからな >>431
>当時は窓を開けると難があるから空調つけようだったから、日本、特に東海道線はそういう所が少ないからな
よく読むと意味不明だぞw >>429
急行「赤倉」はそのルートだったが夜行列車ではない。
中央西線電化で「しなの」が振り子新車で颯爽と走るなかスピードアップもされず嫌がらせのような非冷房ディーゼル、それが80年代まで続いたのは200キロ以上は料金が均一な安い急行料金の魅力か >>430
過熱蒸気を動力にコンプレッサーを動かしていたんだと思う。
そう言えば昔、ガス冷凍庫ってあったよね。原理は似ていると思う。 あじあ号の冷房の冷媒は液化アンモニアじゃはかった? >>438
随分マニアックなこと知ってるなあ
俺は自分の部屋のエアコンの冷媒が何かすら知らんぞ あじあ号の冷房は液化アンモニアって自分もどこかで聞いた(見た)ことがあるよ。
そんなにマニアックかな? フロンという言葉は知っているしそれが何か地球環境によくないということは知っているが、法整備によりどのように社会が変化していったかは知らないし、もとよりフロンというのがどのような特性をもつ物質でなぜこれまで使用されていたかも知らない、代替フロンなどと言われたらチンプンカンプン
みんな常識としてそんなこと知っているのか? 満州防衛のために内地から派遣された兵隊を乗せた列車が小さな駅に着くと、
朝鮮族の小学生ぐらいの生徒がホームに整列していて、日本語の歌を歌って
歓迎してくれたそうだ。 >>442
まあ家庭用エアコンだとフロンの補充ってあまりしないかもだけど
クルマだと結構あるからね
交換すると伝票に書いてある
というかオゾン層破壊くらいみんな知ってるだろ フロンの代替もオゾン層に影響あるっていうことで
更に代替の物質が登場して、今がそれだっけ? フロンガスのオゾン層破壊はウィーン条約、モントリオール議定書で知ってるでしょ?
代替フロンガスはオゾン層こそ破壊しないものの、フロンガスと変わらない地球温暖化係数
であることから、先進国は2036年までに2011〜2013年比85%の削減義務が課せられました 冷房の原理がアタマに入ってないと理解しづらいかもね 空気を圧縮してから減圧すると温度が下がる これを応用したのが冷房
それを空気使うより安定的に効率よく行うのが冷媒 昔はフロンで今はR-32と表記されるハイドロフルオロカーボン(HFC) 文系で体育会系の俺には冷房の原理などと言われても頭に入らん 水野晴郎はゲイ
淀川長治もゲイ
上野駅13番線ホームのトイレ 上野駅13番線ホームのトイレでオエー、ゲーェって吐いたのは俺 >>435
電化・電車化された急行「赤倉」は新潟運転所上沼垂支所の165系10連になって
編成は上越線の「佐渡」と共通運用となったけど速度アップもしたけど何の因果か
1985年3月ダイヤ改正で「赤倉」は旅客の流動に応じて名古屋口を特急「しなの」に
託し、長野(松本)〜新潟間にスジを残した。しかし、愛称名は「南越後」に
改称され、「赤倉」の名はこの時点で一旦姿を消したのが残念なところ。 >>458
要因はどちらも、上越新幹線の開業だろ。
大宮暫定開業で一部急行の廃止で、「赤倉」運用に余裕ができた。
しかし新幹線上野開業で「佐渡」「よねやま」が全廃になって、新潟運転所のグリーン車付き165系の運用も廃止になった。 客車列車が発車するときは車掌が大型のトランシーバー持ってなにやらやりとりしてから発車してたが、平成になって北斗星でもやっていたな。
ビーとブザーが機関車の運転台でなる仕組作るのそんなに大変だったのか? >>460
北海道のレッドトレインはブサーで発車合図していたらしい。駅長、助役の居る駅はレピーター点灯で発車。 機関士と車掌のやり取りはブザーでは全てカバーできないから、いずれにせよ無線のやりとりは残る
だったら無線で出発指示する方が確実だわな 1970年頃の東京発着ブルートレインの発車合図はブザーだった
同じく東海道線・山陽本線のEF58牽引急行荷物列車の発車合図はブザーだった
函館本線を走るレッドトレイン末期はCタイプ無線に切り替っていたな〜 ブザーって出発信号に付いてたあれ?
駅の近くに住んでた頃は毎朝あの音で目覚めてた あれは駅員じゃないかな
鳴った瞬間に待ち構えてたように汽笛がなってた 車掌が扱う車内出発合図ブザーのついた客車はごくわずか
大抵車掌が扱う無線か旗、主要駅なら駅員が扱うホームの出発合図ブザーで出発合図していた 所定165系のはずの急行が113系代走になったら国鉄時代はそのままだったが今では快速扱いにして払い戻し? >>467
JR東日本 旅客営業規則 第57条の5(急行券の特殊発売)
> 車両の故障等により、固定編成車両(特別急行列車の編成用とした車両。以下同じ。)以外の車両によって
> 全区間特別急行列車を運転する場合は、編成車両の変更に伴う特別急行料金の払いもどしをしないことを条件として、
> 特定の特別急行料金によって編成変更特約の立席特急券、自由席特急券又は特定特急券を発売することがある。
今は全部特急の話になっちゃってるけど、基本は国鉄時代とそう変わらないみたい
すでに手元にある(特別)急行券と引き換えに、特約により割り引かれた(特別)急行券と差額を受け取る、ということかな
全額払い戻しにはならないようだね >>468
> 今は全部特急の話になっちゃってるけど
昔から全部特急の話だよ 過去に711系やキハ40の急行列車があったくらいだから113系でも料金返納はないと思われ ソ連の核は綺麗な核
ポル・ポトはアジア的優しさ
北朝鮮は地上の楽園
珊瑚自作自演事件
南京・慰安婦捏造
教科書書き換え「誤報」事件
朝日・武富士裏献金事件
拉致問題切り捨て
サイレント魔女リティ
風の息遣い
五味ボマー
変態新聞
村木局長犯人扱い
その他人民裁判ならぬマスコミ裁判は数知れず
そしてマスコミお得意の「報道しない自由」
これでも貴方は新聞を信用しますか
これでも貴方は新聞を購読しますか
よく考えて下さい 固定編成は特急の話で、急行はたとえ103系で運転になっても払い戻しはないよ。これは、急行料金は単に速達料金の性格なのに対して、特別急行料金は速達料金だけでなく、一部設備料金の性格を併せ持つからだよ。 ピロピロピロピロピロ、ピロピロ…
ブー
ポーー
(門鉄) >>474
なるほどな
繁忙期の四国なんか急行の増結にキハ20まで動員してた >>476
JR化後も、キハ400の利尻・宗谷に、キハ56・27を増結したし >>478
キハ400より車内設備が大幅に落ちる。
あと一般型のキハ40も増結したような。 半分スレチだけど、四国気動車急行ネタ
キハ20系は通票通過授受ができないため、必ず進行方向の後ろ側に連結されていた
ただし、キハ52など一部はタブレットキャッチャーと保護板が取り付けられ、進行方向前側にて増結運用されている >>481
そういわれてみればキハ20はいつも最後尾だった
土讃線夜行の731Dに急行型が使用されていたのも、間合い運用の他にも、途中の小駅は通過していたのもあるのか >>479
大社線の大社駅まで乗り入れていた急行だいせん5号(705列車)懐かしい
自分が乗った時は出雲市〜大社間のみ普通125列車だったけど急行区間は
B寝台とA寝台ナロネ21改造のナハ21が指定席で季節列車の急行だいせん7号
(6707列車)は12系座席車8両編成なのに全車指定席で自由席を連結しない
気高さみたいなのを感じた次第 だいせん5号の折り返し大社発出雲市行きは学生やサラリーマン乗り込みブルートレインで通学する高校生などとテレビで紹介されていた だいせん5号の折り返し普通列車は通勤時間帯で20系の折戸が開いたまま走ってるシーンを見かけた事がある >>485
ブルートレインの子供向けの本かRJかで見たな。あとは20系「おが」の秋田以遠で、ドアを開放したまま八郎潟の鉄橋を渡っているのも記憶にある。 >>486
自分も同じ様なのを見た事がありますが
天王〜船越間の八郎川橋梁だと思います 20系ってドアエンジン無いから客室側から解錠できるんだっけ? 20系ノーマルは自動施錠機能のみ設置
ドア開閉は手動(キハ20系のような閉めるときだけ自動(半自動)ではない)
12系と併結可能な20系(1000番台・2000番台)はドアエンジンが付けられたドアに改造されて、完全自動化 同期である151系で全自動化されたのに、なぜ20系は全自動化しなかったんだろ?技術的な問題? 電車と客車の違いとか?
制御電圧も電車はDC100Vだけど客車はDC24Vだし
今までの技術の流れとか違うだろうし 小田急ロマンスカーはLSEでも半自動にしてお姉さんが開けていた >>487
そうかもしれない。
失礼。
西村京太郎の小説に「おが」から鬼怒川に死体を落とすのがあったのを思い出した。 >>491
>20系ノーマルは自動施錠機能のみ設置
列車が一定速度以上になると折戸上のツメが下りて一定速度以下になるとツメがエアーの力で上がるだけの機能
20系あけぼの1号に乗った事があるけど停車駅でもない黒磯駅や米沢駅に運転停車中に簡単に折戸が開くし、
走行中にツメを指で持ち上げれば走行中でも扉を開ける事は可能だった
本件は1972年に新刊発行された斉藤栄の"日本列島SL殺人事件"(のちに死角の時刻表)にて20系扉がトリック
として書かれている その折戸が走行中に開く事故が最近近鉄でありビスタカーなどの近鉄特急は点検作業員が各停車駅で外部から力を加えて点検している。 237形
駅に停車すると、業務用ドアを手で開けて出られた >>498
斎藤栄や辻真先の鉄道物推理小説は、途中で読みたくなくなってしまう
ストーリー展開で、テンポが良くない。
トリックが稚拙でも、西村京太郎のは読みごたえがあった。 さくらのヘッドマークの絵柄って酒の黄桜と同じデザインだなw >>502
キザクラのCMソングの元歌があるらしい
https://www.youtube.com/watch?v=RWyKJ7LKBT4 >>502
さくらのヘッドマークって、花が白と赤のがあるらしいが、どういう使い分けだったんだろう? 電機に限る
子細は不明
EF58+旧客 1955.3〜1958.9 紺小桜
EF58+20系 1959.7〜1962ないし1963 白小桜
EF58/EF60 500/EF65 500/EF65PF+20系/14系 1963〜1985.3 桃色地白桜(平面)※
1975年から一時期赤桜(平面)を付けて運転していた
EF65PF/EF66+14系 1985.3〜単独終わり 緑地白桜(平面)
九州側EL+20系/14系 1962?〜1975.3 赤桜(お椀)
関門・九州側EL+20系/14系 1984〜単独終わり いろいろ(お椀)
緑地白桜系 ノーマル、花びらが白ふち桃色
赤桜系 囲み無し、円囲み白 >>506
関門海底隧道専用機のEF30、車体に光が当ってギラって恰好いい
白いさくら花に赤文字(ピンク文字)の方がマークがはっきり読めるからいい
ちなみに九州内だとED72やDD51のさくらマークもいいなぁ >>507
「ブルトレの機関士に女性がいたか?」ならいなかった。
女性の深夜労働禁止が長らく撤廃されなかったから。
90年代の後半に撤廃された時は、既にブルトレ撤廃の方向に進んでいた。 JR貨物て華やかなイメージがなく女性が近寄りがたい雰囲気ではないか、コーポレートカラーだって自ら決めた色で九州と赤を取り合いして負けたというわけではなさそうだし。 だよな。貨物だけは男の世界だと思っていた。
戦時中を除いて女性初の運転士は秋田内陸縦貫鉄道だったな。 そういう施設だったら浦安のリバ鉄にだいぶ前から女性運転士いるぞ JR貨物は愛知機関区にDF200を運転する女性機関士もいたな 50半ばのオッサンだけど、昔のブルトレ紀伊が名古屋から関西本線に入ってから紀伊半島を南下していくって今日初めて知って衝撃を受けた(笑)
ずっと大阪回りで南下していくものとばかり勝手に思い込んでいた 50半ばのオッサンだけど、昔青春18でゴハチ撮りに大垣夜行で出発、名古屋から関西本線に入ってから紀伊半島を新宮まで南下ってエラい時間かかる事したけど高校生の浅知恵だったと思ってる。
ずっと大阪回りで南下していく方が楽だったのではと思っている。 夏の灼熱の中、各駅出発ごとのキハ20の床下からのエンジン排気熱で死んだw 教訓 いつまでも いると思うな 親と金
どこまでも 電化と思うな 紀勢西線 字余り 50のおっさん鉄なら紀伊の事故はかなり有名かと思うけどなぁ
45歳のおっさん鉄である俺でもリアルタイムで覚えとるよ あぁ、事故そのものはご存じだったってことですか すみませぬ >>505
あれ小学生の頃、東京駅まで写真撮りに行ってて不思議だったなあ
65PからPFの頃、両方あったもんなあ
みずほも不思議
クリーム色のそっけないやつと金と銀のカッコイイのと格差あった
出雲も文字が金出雲と銀出雲があったな
富士はやぶさは安定してたような べつに区別とか使い分けとか、特になさそうな気がするなぁ
単なる遊び心みたいな カニ24のスカートが長い鉄仮面なのか短い端整タイプなのかも小学生の頃は重大問題だった
100番台はなんか荷物車っぽくて人気がイマイチだった カニ24の初期型は馬面の自分を見ているようで嫌だったw そこへ行くとカニ21は、ホント洗練されていたよね。
ある意味、職用なんだし、意匠にこだわらずに工作を簡単にして切妻でもいいんじゃねぇ?とか思えるんだけど。 ナハネフ23などをアレンジしたような、切妻車体の電源車…やはり似合わない気がするw それが100番台なのでは?
カニ24、0番台の頃からもう国鉄はお金なかったからな。曲面は金かかるから折妻にして、窓も同じ大きさにして
飾り帯とマイクロスカートつけるくらいがやっとの抵抗だったんでしょ。それすらできなくなったのが100番台 60半ばのオッサンだけど、昔のブルトレ紀伊が名古屋から関西本線に入ってから紀伊半島を南下していくって今日初めて知って衝撃を受けた(笑)
ズルーザーエンジンのDF50に牽かれて直列8気筒直噴式の「ポンポンポンポン」というリズミカルな音を上げて走ってるのには驚いたわい 愛称は紀伊でも三重県が守備範囲だからな 自分は1983年に乗って多気で始発の参宮線に乗り換え
そのために参宮線の始発が4時頃からあった
今でも伊勢市の上り始発は4時台だね そういやDF50の紀伊もC11のさくらもヘッドマーク付きの写真は
その撮影のために特別につけたものだったそうだね DF50が牽引するブルートレインと言えば富士、彗星、紀伊、
あと羽越線でもなにか牽引していると思うけど? みずほ(分割大分時代)
羽越線はないと思われ(20系・14系・24系では) と言うか、羽越線最初のブルートレインは、1968年10月からの「日本海」
急行時代ならDF50牽引もあっただろうが、寝台特急になって牽引実績はない。
上野から高崎線筋のブルートレインは、1975年3月からの「北陸」が最初だし。 羽越本線は末端区間じゃないから編成長いもんね
DF50じゃ無理だし
重連じゃ不経済 >>542
急行日本海の牽引実績はあるけど
あれも新潟で切り離し増結があったから編成短いんだよね >>544
DF50は敦賀以北の北陸・信越本線でも急行日本海牽いてたよ DF50などで特急を牽引するなど最終手段だったんじゃないのか?
もっとパワーもスピードもある機関車で牽くことを模索し検討しどうしても無理だからという理由で決まったはず。
常識的に考えて特急に格があった時代DF50が特急を牽引するのはおかしいだろ。 >>545
DD51の登場前ならそれで凌ぐしかなかったんでしょうなあ スルーでお願いします
522 名前:回想774列車[] 投稿日:2021/12/13(月) 02:14:13.16 ID:ejOWuHey
50半ばのオッサンだけど、昔のブルトレ紀伊が名古屋から関西本線に入ってから紀伊半島を南下していくって今日初めて知って衝撃を受けた(笑)
ずっと大阪回りで南下していくものとばかり勝手に思い込んでいた
523 名前:回想774列車[] 投稿日:2021/12/13(月) 04:16:55.70 ID:8Vc/xClK [1/3]
50半ばのオッサンだけど、昔青春18でゴハチ撮りに大垣夜行で出発、名古屋から関西本線に入ってから紀伊半島を新宮まで南下ってエラい時間かかる事したけど高校生の浅知恵だったと思ってる。
ずっと大阪回りで南下していく方が楽だったのではと思っている。
537 名前:回想774列車[] 投稿日:2021/12/14(火) 09:09:23.65 ID:QCWriQRB
60半ばのオッサンだけど、昔のブルトレ紀伊が名古屋から関西本線に入ってから紀伊半島を南下していくって今日初めて知って衝撃を受けた(笑)
ズルーザーエンジンのDF50に牽かれて直列8気筒直噴式の「ポンポンポンポン」というリズミカルな音を上げて走ってるのには驚いたわい DF50はSGが無かったので10系寝台や旧型客車時代はSG搭載したDD51の方が便利だと聞いた事がある カニ24 100の貫通扉って推進運転のブレーキ弁取付以外に用途なし? >>537
おお!同志がいた!
やっぱり勘違いするよな?
紀伊を利用したことなくて、さらに当時は大阪環状線から阪和線乗り入れできないって知らなければさ >>554
何でスルーされないといけない?
かつての夜行全部の走行ルートを把握してないと書き込んじゃいけないルールでもあるのか? お引取りください
自作自演がバレてないと思ってるのはあなただけです どうでもいいけどアンカーもまともに打てない奴は同じくらいおことわりだわ >>552
カニ24形100番台は1977.10下関運転所が持つ安芸・あさかぜ2/3号・瀬戸に投入されて
その後に品川客車区持ちのあさかぜ1/4号に投入されているので上野発着の推進運転用の
簡易ブレーキ弁の取り付けなどなかった。
1982年11月ダイヤ改正でカニ24113-116の4両が向日町運転所から秋田運転区へ
転属となり、出羽そして津軽1往復を格上げする形で増発されたあけぼの1・6号の
電源車がカニ24-100番台の限定運用になって上野乗り入れを考慮して推進運転用
の簡易ブレーキ弁ケーブルの接続端子が急遽改造されてその後に至った。 >>552
100番台の貫通扉については1970年代後半の鉄道ピクトリアルに書いてあったと思うが 貫通扉に握り棒まで付いたカニ24の100番台だけど
その後の改造で非貫通にされて握り棒まで撤去された
恰好の悪い100番台がおったなw 112だっけ? 草はやしてるけど、形式は変わったのと予備とはいえ
今となっては唯一の現役車なんだよなあ >>561
そう、カニ24 112
貫通扉を無くして非貫通にして取手棒を削除した以外に推進運転でのワイパー増設
発電装置の更新が行われ、屋根上のファンが2基に減少、更に側面のルーバーが
埋められている点など 夜行列車の始発駅からの乗車、終着駅での下車、全区間乗車もイイんだけど、「まず、ここから乗る(降りる)人は、そうはいないだろう」と言う駅から、わざわざ乗る(降りる)って言うのが好きだったなぁ。
ブルトレなら「糸崎」「尾道」、銀河なら「米原」かなぁ・・・。
銀河の「大船」乗車は、予想以上に多かった。 一度、家から名古屋経由で米原へ行き、きたぐにで北上してみたかった… >>568
それを当てはめると、岩国や福山乗降は想定内?
あと「きたぐに」米原乗降や、夜行「だいせん」「山陰」の福知山・豊岡などはどうだろう? 一応、夜行列車・寝台列車100泊以上の経験があり、車内睡眠のコツは心得ているつもりではいた・・・。
でも、直近で言うと「日光紅葉夜行」、諏訪花火大会の時の「ムーンライト信州」では、ほぼ眠れなかったorz
でも、長岡花火大会の時の帰りの夜行は、しっかり眠れた。
それってさぁ、停まって時間が長かったからかなぁ?
だいたい夜行列車で目が覚めちゃうのって、駅に停まった時なんだよねwww
久々の夜行列車に、鉄分が興奮状態を引き起こした可能性もないとは言えないが・・・。 >>568
わかる。
早朝夜中でなくて、誰が乗り降りするんだろう、という駅。
山陽本線なら、下松や光なら工場関係者の乗り降りがあったと容易に予想できるが、「あさかぜ1・4号」の宮島口なんかはどんなひとが乗り降りしていたんだろうと思う。
夜行で宮島口まで来て、いきなり朝の連絡船で宮島に行くひとがそんなにいたんだろうかと。 >>576
山陽本線は新幹線博多開業前の在来線特急が、停車駅が振り分けられバラ付いていた。
福山・尾道・三原と、宮島口・岩国・柳井・下松・徳山・光と、防府・小郡・宇部・
小野田・厚狭の群で特急停車は1列車でうち1〜2駅停車が標準だった。
宮島口も特急が一部停車した駅の1つだったが、昼行特急が全廃されてから
「安芸」〜「金星」〜「あさかぜ」で1往復が停車してた。
なので在来線特急全盛時代から特急停車駅の面子が強いだろう。
東京〜九州ブルトレも、列車によって山口県下の停車駅がバラついていたのもその表れ。 山口県は地形的な影響もあるのか一極集中されてないのがいいですね
子供の頃に時刻表で読んだ「厚狭から寝台券なしで乗車できます(そりゃ当然なんデナイノ)」が懐かしいです >>579
昼夜兼用効率化の表れ。1968年10月改正から概ね新幹線岡山開業の改正までは、
山陽・九州方面の特急は581・583系を中心に設定されていた。
「金星」は東京〜九州ブルトレの混雑救済目的で設定されたが、
当時日中に名古屋〜熊本を結んでいた「つばめ」も共通運用化がされた。
新幹線岡山開業で「つばめ」が名古屋撤退後は、「しらさぎ」増発に充当された。 >>579
名古屋〜博多という距離から考えるとEF58が牽引する20系では速度が遅くて時間がかかるので
1967年10月1日改正から門ミフに581系が先行投入されて「月光」と「みどり」昼夜使用して客車に比べ、
速度も速く、寝台も20系に比べてベッド幅が広くて好評につき、増備車となる583系が門ミフへ
投入されると1968年10月1日から「月光」「金星」「明星」「つばめ」「はと」が共通運転で博多〜名古屋・
名古屋〜熊本・熊本〜名古屋・名古屋〜博多・博多〜新大阪・新大阪〜博多・博多〜新大阪・新大阪
〜熊本・熊本〜新大阪・新大阪〜博多・博多〜新大阪で運用するようになった。
その後1970年10月1日改正からは門ミフ581・583系グループは「きりしま」「しおじ」「有明」も仲間に
加えてその後に至った。客車「金星」は臨時なら運転しており名古屋〜博多間を14系ハザシで繁忙期に運転。 >>582
一瞬意味がわからなくてオロネ25かオハネ25の通路側窓なのかと思った サンライズ出雲下り臨時がもしも定期になったらここの住民は東京→大阪移動乗るのか乗らないのか
>>582じゃないけどかなり怪しい
>>582のレスはまさにタイムリー >>584
スーツ交通氏あたり真っ先に乗りそうな悪寒 金星は東京−九州ブルトレを補完する目的かつ名古屋客貨車区が手狭だったことから、
月光で高効率運用ができた581・583系を投入して作られた
金星として名古屋へ到着した後、すぐさま名古屋つばめとして往復し、再び金星として博多へ戻っていた
下りが名古屋発2242。さくら2135・みずほ2154とはやぶさ2254の間に挟まれていた
上りが博多発1850。はやぶさ1740・みずほ1807とさくら1858の間に挟まれていた
当然、新幹線博多開業で定期は空きが目立つようになってしまった ヨンサントウ改正での南福岡581・583系運用表によれば
6004Mと6003Mのスジがあるのだけど列車名分かりますか?
因みに列車の区間はミフ→ムコ→ミフの運用です 朝起きたら銀世界だったってあったな
あとトンネルを抜けたら一面とか 朝起きたら銀世界どころか雪原のど真ん中に停車していた。よくよく見たら関ヶ原駅だった。東京発サンライズ出雲での経験。 >>587
6003M 下りはと1号、6004M 上りはと2号
ちなみに
6009M 下り月光1号、 6010M上り月光2号
もあったよ >>590
6004Mと6003Mの件、ご教示ありがとうございます 今から41〜42年前に浜田から東京まで出雲4号に乗ったら山陰線兵庫県内で
大雪に見舞われて更に関ヶ原付近の大雪で東京駅に着いたのが3時間以上の
遅延で朝は食堂車謹製のご飯がまだ温かい幕の内弁当とハムサンドウィッチ
が車内販売で飛ぶように売れていた
食堂車謹製の幕の内弁当とお茶に車内販売のコーヒー代が特急料金全額払い
戻しで朝の飲食代がすべてチャラになってお釣りがきてラッキーでした
食堂車で朝食営業すればよかったのにと思ったくらい 今のご時世だったら、始発駅から急遽運休してしまうんだろうけどね その食堂車謹製の幕の内弁当のおかずと容器がどんなものだったのか気になる 始発駅で乗り込み翌朝まで動かず結局運休になった場合、特急料金は払い戻しだが寝台料金は払い戻しなしとなるのかな? >>592
その当時は出雲に○号という号数表記はなく、出雲は一往復だった
いなばが出雲に改称してから出雲1.4号と出雲3.2号になったんだよ
かくいう俺も一往復時代の出雲は○号って書いてしまう癖があるけどw >>592
当時はしらさぎにも食堂車があったし
名古屋あたりで経木かプラの容器を積み込んだのかしらと想像(妄想) >>597
2021年今年から41年前というなら1980昭和55年いうことになる勿論1980昭和55年は所謂ダイヤ改正が10月あったわけであるがいなばは1975年から1978年までの間の僅か3年半少しの短い命だった事になる
41~42年前見落としたのか或いはジジイ時間感覚ないか知らんけど
もし前者でかつもしも受験生ならケアレスミス気をつけた方がいいw >>598
容器だけ積み込むんなら弁当積み込んで車内で販売した方がいいだろ
沿線の駅弁業者には営業所経由で手配できるんだし
幕の内弁当が食堂者謹製ならあらかじめ車内調製幕の内弁当用の食材と容器とラベルが
積まれてたんだな >>161
銀河は適当だったのかな?
自分も起きたら品川w
上段だったが靴が忘れ物と思われたのか?なくなっていて焦った
ホームまで割と近かったので事なきを得たが、歩いている途中で見つかったら怒られてたと思うw >>594
容器は入れ物も蓋も昔からあるような質素なプラスティック容器でやや小さめで
中身は車内で炊いたご飯に和朝食メニューの玉子焼き、甘塩鮭の焼き物、蒲鉾、
野菜の煮物、昆布の佃煮など、限定50食とか車内放送では案内してたけど車内で
作るサンドイッチの紙箱に貼るシールに日食米子と調整日時が書いてあった
推測だけど翌日の下り列車で提供する和朝食の材料を使ったのかも知れない?
郷土料理は現地の営業所でないと手に入らないけどお米や共通的な食材は東京の
営業所で工面できたのかな?詳しくは分からないけど
弁当を入れたプラ容器はどこかで積んだか最初から積んでいたのかも知れない
食堂車で作る車内販売用の紙箱入りハムサンドウィッチ何回も買ってるけど
ブルートレインの食堂車で作る弁当は自分にとっては最初で最初の経験だった 訂正
サンドイッチの紙箱に貼る丸いシールに日食米子と調整日時がスタンプしてあった 1980年代のはやぶさとか富士だと車内調製弁当は
食堂のウェイターが各車に注文を取りに来てたけど
内容はとんかつ弁当とうなぎ弁当だったな 寝台特急食堂車で作る弁当といえばトワイワイトエクスプレス謹製の
車内予約限定のお茶付き弁当(プレヤデス弁当)が思い出されるが登場
して数年が経過すると下り8001レは金沢駅の駅弁会社・大友桜で作った
弁当を積む事になって終了 奥羽本線系は悪かったんじゃない?
でも秋田とか弘前辺りから連絡船乗りたい人だっているよなぁ
夜行列車に限った話しかな 年の瀬で思い出したが、平年4年〜5年にどこかのテレビ局がオリエントサルーン?ジョイフルトレインを貸し切りにして東日本エリア一周した企画あったけど覚えている人居る?
たまたま朝に窓を見たら羽越本線を上っていったのを覚えている。 >>610
急行八甲田・・・・・・1時間15分(但し多客期に運航される青函連絡船臨時便とは接続いい)
急行津軽1号・・・・・44分
急行十和田1号・・・1時間38分
急行十和田2号・・・43分
急行十和田3号・・・23分
>>611
>秋田とか弘前辺りから連絡船乗りたい人だっているよなぁ
特急いなほ、白鳥、1982年11月15日以降なら一部の特急たざわ
とか利用すると思う >>612
TBSテレビの39時間テレビの企画で仕立てられた列車で、めぐり愛エクスプレス
1992年の12月30日から1993年の元旦にかけて、函館から門司港駅まで走り、
編成は夢空間3両+スハフ14+スハネフ14+レインボー3両という豪華な編成 >>615
それそれ!
フジのオリエントエクスプレス企画とか元気あった時代だった >>615
ルートは江差線、海峡線、津軽線、奥羽線、羽越線、信越線、北陸線、湖西線、東海道線、山陽線経由でしたな
>>616
フジテレビといえば「完全走破!上野〜札幌寝台特急北斗星の旅」もよかった >>617
> フジテレビといえば「完全走破!上野〜札幌寝台特急北斗星の旅」もよかった
完全走破シリーズは青森-熊本間高速道路の奴もあったなあ
皇居上空あたりから始まって螺旋状に空撮で23区内全部うつすなんて番組もあった >>618
どちらもビデオ回してとってあるわw
JOCX-TV2(ドゥ)と題して放送してた深夜延々系(解説なしBGMのみ)には
今はきれいに整備された渋谷川(宇田川)を下水道まで遡るなんて言うのもあった
こういうコンセプトの番組はバブル崩壊後に一旦消えてしまったけど、Youtubeで復活したね
BS-11でも同じコンセプトの番組が10年くらい前にあったよ >>419
青森県青森市から熊本県八代市までを縦断した車窓からの映像を、およそ2時間半に
編集して放送された「完全走破!日本縦断2002キロ高速道路の旅」も見応えがあった
自分も当時の番組をVHSテープに録画したけど両方ともテープ劣化で画質が悪くなり、
その後にCS放送のフジテレビ739(現フジテレビONE)でDVDで録画する事が
できたので今では大切に保管して偶に見る事もある アンカー訂正
×= >>419
○= >>618 >>619 完全走破!上野−札幌寝台特急北斗星の旅 は2倍速くらいで放送してくれないかな
2倍速だと放映時間が8時間かかるので無理かな? >>620
スカパーのチャンネルNECOで、最近は無いけど北斗星と09年頃に撮影の鹿児島〜旭川の高速道路日本縦断番組を放映してるな。
夕べ92年制作のミナミの帝王一作目を日本映画チャンネルで見たけど、急行ちくまで大阪駅から夜逃げするシーン出たが、他のホームにもブルトレが見られた。 115系の夜行列車は罰ゲームだろ
座れなかったら床に新聞紙敷いて雑魚寝する羽目になる
大垣夜行を113系で運転した時も不評だったのでムーンライトながら91・92号に移行した 大垣夜行からムーンライトながらではなく、運転区間を浜松まで短縮した113系使用の普通電車へ格下げしておけばよかった
そうすれば、当時新製していた383系を銀河へ投入でき、昼寝させず大阪しなの・東海へ充当できた >>624
>座れなかったら床に新聞紙敷いて雑魚寝する羽目
345/347M時代の大垣夜行知らないのか?
混雑時、G車にG券買って、通路で名古屋まで立ちっぱなし
なんて当たり前だぜ
座れるだけで天国 夏休みに大垣夜行のグリーン車に乗るのに、東京駅のホームに19時に並んだりねwww
待ってる間に隣のホームに銀河51号が入って来て「どうせ広島行くんだから、こっちの方がよかったかなあ、金額そんなに違わないし・・・」とか思っちゃったりさぁ・・・。 >当時新製していた383系を銀河へ投入でき、
寝言は寝てから言え
機関車は東持ち、客車は西持ちの全車寝台の銀河に、東海が高価な振り子車両を新製して振り子を使いもしない全車座席の夜行急行に置き替える
そんなこと東海が間違ってもやるわけがない ちくまも振り子は使ってなかったよな
折り返し昼行運用に入れるから銀河とは違うんだけど さらに東海にも使えただろとか言ってるだろコイツ
つまり383を追加新製しないと実現は不可能な 373系の代わりに383系を増備するんだよ
ちくまは1997.10で臨時化 >>626
流石にキハ80系の夜行列車には乗った事がないので列車名と区間を教えてください
ちなみに自分はキハ181系の夜行列車なら1991年1月18日に神戸から南小谷まで
シュプール白馬・栂池9号に乗った事あり 行先は白馬コルチナスキー場でした 「80系」だけなら普通は80系電車つまり元祖湘南電車のこと
不定期夜行電車急行「はりま」東京−姫路間 1960.6〜1961.7 コロナ禍でムーンライトながらが完全廃止になったのはいいキッカケだった
東京〜新大阪間、最短2時間22分なのだからもう夜行列車は必要がない
更に東海道本線普通・東京発静岡行きが消え、沼津行きの本数も減ってるけど
沼津行きも熱海止まりでいいと思う
新幹線のぞみはエクスプレス・カードを作成してエクスプレス予約が一番安い 安価な高速ツアーバスに潰された感あるよな
バスファンの中には「偽高速バス」と軽蔑する人がいた 敢えて過激なこと書くけど
一般車と優先順位が変わらないバスこそ偽公共交通機関じゃねえかよ
公共性が高い乗り物なら個人の車よりも道路交通上優先されるべきなのに
申し訳程度のバスレーンじゃ優先されてるうちに入らねえよ 381と383は、しなのもちくまも名古屋からひがしは振り子つかってたんだが...
大阪から名古屋までが振り子切。これは、架線が対応してなかったから。 >>632
>373系の代わりに383系を増備するんだよ
1994年8月 383系(量産先行車)落成 各種試験走行ののち1995年より繁忙期の臨時しなのに投入
1995年8月〜1996年1月 373系落成
1996年6月〜1996年10月 383系(量産車)落成
383系を373系の代わりに増備するとか、寝言は寝てから言え 373系は間合いで東海道線東京口の普通列車にも使われていたのを知らんのか 銀河を383系化
ちくま機関車委託は10年契約だから、1997.4.1まで更新不可
つまり、3月改正では切り替えられないから、1997.10の改正で切り替えるしかない
それまで大垣夜行・急行東海は165系でそのまま運転し続ける
1995.10.1 富士川を373系化の上で特急ふじかわ化
1996.3.16 伊那路(不定期)なども373系化の上で定期特急化
4本減(373系は3両10本で製造終了)
1997.10.1
銀河 383系化通常6両・繁忙期10両。グリーン席指定・普通席自由
東海 特急化の上383系化
2018M→大阪(→宮原→大阪)→102M
→東京(ホーム上整備)→31M→静岡→32M(6両。あと4両は静岡運転所)→東京(→田町電→東京)→33M(6両)→静岡→34M→東京(→田町電→東京)
→101M→大阪(→宮原→大阪)→2015M
ちくま 臨時化(381系使用)
大垣夜行 浜松発着化の上、東日本211系10両(グリーン車2両連結)で置換
東京→浜松夜行(下)→浜松→朝東京行→東京・・・東京→夕方浜松行→浜松→浜松夜行(上)→東京
定期1本・不定期1本・臨時最大3本(全て品川発着)まで対応させる
大垣夜行送り込みと返却 廃止 サンライズ北斗星
サンライズあけぼの
サンライズ日本海 前面雪だるま状態で上野トーサン番に進入してきたEF64北陸が懐かしいな >>640
通常は15両編成の東海道線に
2ドア9両しかも6両が運転台付きで入ってきて
束から迷惑がられてた >>647
JR東海が勝手に突っ込んできたように言うなw 朝5時台東京発の下りと22時台東京着の上りやんけ
その頃は朝の下り東京発は踊り子送り込みを兼ねた185系普電もあったから
そればっかじゃないだろうw 寝台特急「北斗星」「カシオペア」が引退し、国鉄時代から活躍した583系も全車引退と
なるなど、夜行列車が次々と姿を消している。いまや貴重な存在になりつつあるが、
「一度でいいから乗ってみたい」と憧れている人もいるのではないだろうか。
Q. 鉄道旅行で夜行列車に乗車したことはありますか?
・ある 306人(59.4%)
・ない 209人(40.6%) 113系大垣夜行は東日本車だったら東海道線東京口用では付属編成を2本つないだ4+4の8連にせざるを得ずロングシート化改造車が混在してるので間違えて充当するとクレーム殺到になってた
幕張から6連を借りれば4+6の10連になった
ATS-P標準装備ではあるが 113系「TC M' M TC」の×2ユニットの8両で充分だったのに
それにロングシート化改造車が嫌なら乗らなければいいだけ 113系の付属編成にロングシート改造車なんてあったか? 横コツにあったっけ?
船フナはロング改造車混在していたけど 編成組み換え以前は、K57〜K63(基本編成)の7本だけが国府津113系のオールロング編成だったはず
スカ線へのE217投入後の差し替えなどで、特に中間車の状況は大きく変わっているかもしれないけど >>640
えっ!あれって間合い運用だったの??? >>657
もうムーンライトながらの間合いだったのを知らない奴が出てきたか!
臨時化して、373系から置換えから13年なるので、無理もないかw
それに、ムーンライトながら運用に絡まなくなってから数年間は、373系のまま東京〜静岡を往復してたので、仕方ないか! >>654
横フナはその後、横クラに変わってる
>>658
今では普通の静岡行きさえ消えてしまった 東海道本線東京口普通夜行に必要なのは、快適性ではなく超繁忙期の輸送力
快適性を求めるなら銀河でも昼間のこだまでも乗ればよい
最大3本運転されたことがあるものの、2002年8月11日下りで大量の積み残しを発生させてしまう MLながらの大混雑は格安切符によって作り出された不自然な需要なんだし
そんな需要は格安切符をやめるかそんな需要の受け皿を完全にやめて
確実に他に流れるようにするかどっちかだ
その切符がない期間は空気輸送なんだし
学生が休みになって輸送力に余裕が出る列車に客を誘導するために作られた切符なのに
その切符があるせいで臨時列車を出さなきゃならないとか本末転倒な状況になってた
日ごとのばら売りにした方がローカルピンポイントで使ってもらえそうなもんだが
最初はバラせたのを一葉化したくらいでそれはやらないんだよね 青春18きっぷでさえ完全廃止してもいい頃だと思う
国鉄じゃなくて民間企業なのだから赤字ローカル線は
どんどん切り捨てて、乗らない列車は廃止するなりして
儲けが薄いきっぷも廃止してこそ民間企業 大垣夜行
今世紀になってからも積み残しを発生させていたなんてびっくり
ちょうど(脱法)格安ツアーバスが席巻しはじめる頃ですね 期間限定で復活させたい夜行列車は数多くあれど車両がないとか、
三セク化で走れない区間があって現実的に無理なのでもういいや。
東京〜名古屋なら新幹線のぞみで最短1時間34分、東京〜新大阪なら
新幹線のぞみで2時間22分、どう考えてもこの区間に夜行列車なんか
必要ないし、無駄意外にありえないと思う。
新幹線に乗れない貧乏人は無理して旅なんかしなくていいぞw
>>662
青春18きっぷなんて早急に廃止するべきだと思われ >>662,665
前倒しでの廃止を懇願した方がいいのかも
新幹線・飛行機絡みで、移動面での時空が地図と比べて大きく歪んでいる気もするだけどなぁ 東京−静岡−浜松の夜行高速バスが走っている事
浜松なら昼寝せず東京までどうにか折り返せる(ついでに静岡地区の上り通勤ラッシュ・下り帰宅ラッシュも吸収できる)
長停車は定期・週末不定期まで東日本の小田原・熱海へ押し付けられる
静岡折り返しの臨時3本は国府津(追加配線が必要。臨時は下り小田原通過)・そして東海の沼津を使う
大垣夜行・定期ながらで発生していたホームレス使用をほぼ排除できる 青春18きっぷは数多くの定期普通夜行(43/44レ・青函航路深夜便・441/442M・733M・347/344M・はやたま・山陰・
ながさき)が各地に残っており、普通列車の本数も多く、今みたいな細切れ運転ではない長距離の普通列車が多くて
普通列車乗り継ぎ旅行がしやすかった1982年から1984年くらいが一番楽しかったといえる。
特に1982年夏季用は1日券4枚と2日券1枚のセットで10,000円とお得だったし、旧型客車全盛期だったので常磐線経由の
上野発仙台行きや東北線経由の上野発一ノ関行きとかの長距離普通列車もあって日本各地で普通列車の長距離列車が多い
ため、乗り鉄には最高だった。
現在の青春18きっぷは乗れない線区が多く、乗れても接続が悪かったり本数が極端に少ないなどの理由で近年の青春18は
全然価値がないよ そんな使えないきっぷなんて廃止にすればいいのに・・・ 青春18が発売された頃は一関行きはもうないから。常磐の221レや高崎2321レ、北陸523レはあったけど
18切符、需要喚起にはいいんだから続けたほうがいいでしょ。普段乗らない奴が乗るんだから
客がいようがいまいが電車は走らせてるんだしな。ムーンライトや長距離快速みたいな臨時を走らせなくて
よくても売れるなら、運営側はいまこそ楽でしょうがないだろ。3セクもおこぼれで乗ってもらえるしな
なぜやめろやめろ言うのかがわからん JRの工作でしょ
それと自分たちが18きっぷで充分に楽しみ終わったからもう要らんだろという老害 でも18じゃないと乗らないじゃん
そんなの喚起してるのは18利用であって夜行利用でも普通列車利用でもない
だからムーンライトシリーズは軒並み消えた
所詮安く行くために仕方なく使うものでしかなかったわけだ ムーンライトが軒並み消えたのは、バカ議員共が指定席ネットダフを合法にし続けたためドタキャン転売横行で採算が取れなくなった
もう一つは夜行用車両にこだわりすぎた
指定席料を得るため本体を食いつぶした本末転倒
大垣→MLながらはともかく、
ML九州は下関まで短縮して転換クロスの115系4両×2と3両×1でよかった
ATS-P2の関係で大阪−岡山間はクモヤ145(もちろんATS-P2装備)を連結
ML高知は18客排除だから全席自由の急行化そして夜行には不向きだけど当時余っていたキハ185系4両編成で運転
どうせ京都−岡山間はATS-P2の関係でEF65牽引だし
ML信州は松本行の下りだけでよく、「あずさ」の特急車両をそのまま充当すればいいだけ。グリーン席は車内販売
MLえちごはそのままでもいいけど、空気ばねのキハ40系かき集めて、上野−(EF65牽引)−黒磯−郡山−会津若松−新潟で運転してもよかったような
ミッドナイトはどう考えても「はまなす」で充分すぎるため廃止。最繁忙期以外はスハフ1両を23時から/6時半まで函館駅ホームに停車させておけばよかった気もする 静岡辺りで対向列車にリターンして宿代浮かす人がいた
北海道の急行でも見られた 青春18きっぷは廃止していいから新たな通年使える普通列車・快速列車専用のきっぷがほしい
全てのJR旅客会社の普通・快速列車が利用できて在来線特急の自由席なら自由席特急券を購入すれば
乗れる特約にして5日間分で30,000円でどうだ?第三セクターもそのまま乗車可能 >>670などを読んで、自分もふと思った
どこかの段階で18だけでの移動が苦行になって、結局は特急料金なども払って
実質的にカネで時間を買うような状況に改心する可能性もあるんだな…と
安く移動できるのはいいけど、「長時間拘束はかったるいし、限られた時間がもったいない」って感じで
そして今日それを実行しようとしてるw(片道は18を使うけど) なんでお前らは本数も多くて早い新幹線を使わないの?
長距離なら飛行機っていう手もある
そこまで貧乏なのか?
普通にフルタイムの正規で働いていたら新幹線なんて
簡単に利用できるだろ?
非正規でも偶になら新幹線くらい乗れるよな?
そうかお前らはニートや無職なんだろう 働けバカ野朗www >>676
一見便利そうで妥当な値段に感じるが実際に発売したら買う奴少なさそう
一般人は乗り鉄みたいなことはしないし、ゆとりパスみたいな企画商品は既にある
鉄オタにとっては1日\6000は無駄に高く感じる
それなら要日だけとか要所だけ特急使いたいところ 何がええだよ、そんなもんがあるから必要な対価を払わなくても
ただ安ければいいなんて価値観がのさばるんだ
何かあっても国が助けてくれると暢気に構えていた時代に作られた切符なんか
いい加減どうにかしないと
一日散歩切符とかときわ路パスなんか後継を考えるのに
結構いいモデルケースになると思うけどね
ときわ路パスは自治体の補助が入っているからスキームの点でもね 青春18とは鉄オタの冒険と挑戦とロマン
1枚3000km以上、限界まで乗ってこそ
そのぶんなんかの時には気前良く家族で函館まで新幹線往復したり飛行機はまず使わない 2004年あたりなら、臨時ながら使えば1回分で横浜から八代まで行けたな
今はながら無いから、始発を乗り継ぐと門司か下関が限界 >>691
東海道線始発の品川4:35発に乗れれば日にち跨ぐけど小倉(0:05着)までは行ける
総額 13,460円が2,410円で乗れるのでお得といえばお得だけど流石に今なら新幹線を
使ってしまうけど若い頃にこのルートで乗った事はあった
大垣夜行乗り継ぎや東京駅始発乗り継ぎに比べて乗り換えは意外に楽であったが
品川4:35発って時間に乗れる人は限るからなのだと思う 学生時代に実家が高輪に
あったので品川駅まで歩いて行ける距離だったので品川始発は何回もお世話になってる
今でも熱海や静岡くらいまでなら乗ってもいいかなって思うけど早起きするのが
面倒なので熱海や静岡くらいでも新幹線を使うだろうな >>693
さすがに品川以西でないと、その始発はな。
ただその品川4時35分発、分割民営化してしばらくは、185系の乗り得電車だった。 自宅から徒歩圏内の駅から品川435に乗れるのは羨ましいね。
若い頃、時刻表でシミった時にこれに乗れたらいいんだけどな〜なんて事が何度かあったね。 大井町・大森・蒲田住みなら乗れるで、東北・高崎線始発も。 >>678
無職で悪かったな しかし22歳から60歳まで働いたぞ
今は年金もらってるけど厚生年金満額もらえるのは65歳なので
現在は62歳から65歳まで特別支給の厚生老齢年金(報酬比例分)
と個人年金保険で遊んで生活しているよ
俺も新幹線使う派なので>>678の言いたい事は理解できるけど・・・ そういえばまだ昨年3月のことだったわ
品川435→小倉ネカフェ泊→日豊まわり鹿児島サウナ泊→下関→山陰まわり京都→東京
サウナできっちり疲れを取るのがポイントかな
やはり強烈な思い出になる旅になるからよい 品川4:35発は、ほりのぶゆきの旅マンで結局神戸あたりまで行ったの思い出した。 品川4:35発と東京5:20発とでは快適さも違うし行ける距離も全然違う
品川4:35発だと小倉まで行けるのに対して東京5:20発では新山口までしか行けない
それに青春18きっぷ期間で東京5:20発から乗り継いでいくと同じ様な目的の同士が
乗ってるようで乗換駅での窓際席取合戦で疲れを感じるけど品川4:35発だと
何事にもスムーズだった
乗れる人が一部なので同じ目的の同士も皆無なので乗り換え駅での席取も楽である 青春18きっぷは制約ある割りに使えないけど北海道旅行の際は「北海道&東日本パス」は急行はまなすの自由席に
乗れて盛岡〜青森間の第三セクター区間も使えて更に連続した7日間使えて1日当りの単価は青春18きっぷより安い
1,620円で快速海峡号廃止後も特急「白鳥」の自由席に限り、蟹田〜木古内間に無料で乗れて本当にいい切符でした。
夏は7月1日から、冬は12月10日からまだ学生の夏休みや春休みが始まる前から使えたので上野から始発乗継で
青森まで乗る時も乗継で>>703の言う壮絶な窓際席取合戦も無かったので楽に旅ができて楽しい思い出が残ってる。
流石に社会人になると往復北斗星の個室ばかり使っていたけど北海道新幹線開業後は北海道&東日本パスも魅力が
亡くなって北海道方面は鉄道には乗らなくなって長距離カーフェリーに車を積んで道内は自分が運転するの旅に
変わってしまった。 句読点がやたら多い人と句読点を全く使わない人は、大抵いわゆるヤバイ人である >>704
2000年頃までは結構使えたぞ。
東北〜北海道も、ムーンライトえちご〜ミッドナイトに乗り継げた。
北海道&東日本パスは、ミッドナイト廃止と、東北本線三セク化の代償で設定されたようなもの。 2000年代はまだ山陽方面の夜行快速も臨時であったし、移動はしやすかっただろうなぁ
最終的にフェリーの快適さについていけず、夜行バス共々消滅したのがね >>708
夜行バスは関越道や碓氷バイパスの印象があって乗りたくないな
18きっぷシーズンだけでいいから、夜行快速が欲しいわ
安全で大量輸送が可能なムーンライトシリーズは正義 夜行フェリーは寝台列車と雰囲気的にはやや近いし、穏やかな瀬戸内航路は割と使ってる
夜行バスは駄目。あれ乗るくらいならネカフェ止まって在来線で移動し続けた方がマシ >>707
東京から札幌まで行くのに2夜行もかけて行くのが信じられない
自分が学生の時は上野19時台発の八甲田に乗れば青森で35便か5便に
接続して函館からはおおぞらかおおとり接続で札幌には15時台到着
そのまま終着まで乗れば釧路21:42着、網走21:46着だったし更に
函館から急行宗谷に乗れば稚内22:45着で1夜行で最果てまで行けた 根室とか丸三日かかる
鉄オタには時代が戦前とかどんどん古くなっていく感じ
だがそれがいい >>713
?
特急やら急行やら優等列車使っていいのならそりゃ1970年代でも1夜行で稚内まで辿り着けるだろうさ
ドヤ顔するようなものでもないな
ムーンライトえちごやミッドナイトだけは夜行快速で速達性もあるが
村上―函館間は普通列車にしか乗れないんだからそら2夜行にもなるさ ムーンライト(のちのムーンライトえちご)が165系時代は快適だったが
特急車両を使うようになって逆にサービスダウン、ミッドナイトもキハ56や
キハ27の時はよかったけど183系化されるとこれまたサービスダウン
そしてムーンライトながらも廃止、新幹線新規開業で旧線は三セク化の仕打ち
まるでJRは18乞食に対して嫌がらせをしているようで傍目に見てておもしろい >>716
ムーンライトシリーズは全廃
並行在来線は軒並み3セク化
青函区間の特例もローカル線も廃止(特にJR北)
快速系や普通は減便・廃止の嵐(特にJR西)
ここ20年(八戸延伸以降)は18きっぷの実質値上げが酷すぎる
改悪連発だから、1枚(5回分)あたり税込み11000円にしろ
JRは民営化したら、想像以上の守銭奴になったなw ムーンライトえちごは485系になってからアコモデーションが劣化したな >>713
懐かしいな
おおぞらは札幌、滝川、富良野経由でロングランだった
おおぞらでもおおとりでもフル乗車だと食堂車で
2回飯(昼食と夕食)を食べるのが何気に楽しみだったわ 銀河、はまなす、能登・・・
夜行急行すら無くす無機質なJRめ 老朽化のタイミングで乗客が激減してたから、まぁ残るわけがない 「ムーンライト九州」とか末期の車内は酷かったと聞いたことがある。騒音と臭気で。
「山陽」に乗ったのは30年近く前。混んでたけど、車内で騒ぐのとかは目立たなかった。20年前に「高知」に乗ったときはそもそもガラガラだった。 >>725
ドリームにちりんの車両はバリバリ現役ですが ヨーロッパはSDGsの観点から夜行列車が復権してるらしい
日本もこの流れに追従しないのかな?
今なら脱炭素を掲げれば復権のチャンスありそうだけど >>728
そもそも「夜間に長距離移動しなければいい(自宅かホテルで過ごしましょう)」とされるだけでしょ 復権とかいうけど、なんだかんだ言いながら昔からずっとやってるからな、欧米の夜行
上下分割を選ばずに狭いくせに6つに分割しちゃった時点で、夜行は継続できなければ新規でなにか
やることはないのは予想できたでしょ
ナイトジェットみたいに国どうしで融通してるところもあるのに、面倒を避けるために社内路線だけで
クルーズとかおかしな視点でしかJRにはできないからな
中曽根や三塚みたいな奴らを恨みなさい 吉幾三も武田鉄矢もその他スターは上京したときは夜行急行か夜行普通。
そして大成功して國に帰省するときには当時庶民じゃ乗れない飛行機。 疑似的なツアー形式の「夜行列車もどき」は残るとしても、
今までの形の夜行列車は、国内ではサンライズが恐らく最後となるんだろうね
サンライズ廃止となった時点で、運賃制度も「移動距離にかかわらず、利用当日限り有効」となって
夜行列車が復活する可能性は制度面からも完全に潰されることになるんだろうか >>731
高島忠夫は何かのテレビ番組で151系こだまの写真を見て「ボンネットの特急、懐かしいですね。僕はこれに乗って上京したんですよ。」って言ってた
金のある家柄だったのかな? >>728
15-20年位前から国内旅行回帰傾向になって
サンライズですら切符を取りにくくなりはじめたころですら
じゃあ夜行列車の運行を拡大しましょうとなるどころか
廃止の流れが止まらなかったんだぞ
日本人が所詮ファッションでやってるに過ぎないもので
何でそういう流れになると思うのか >>724
銀河の24系は形式廃車、はまなすの客車もJR内では一部のJTを除き形式廃車
能登の489系も2015年には形式廃車、よって車両新製でもしない限りは無理
代替車を使ったとしてもJRがやる気ないので無理 時刻表に掲載される
夜行列車は淘汰される運命なので仕方がないよ
>>730
別に恨んでなんかないよ、時代の流れだからなるようになっただけ
結局は儲からない夜行列車なんて走らせても人件費がかかるだけなので続ける
訳がない 通年乗車率が高い夜行列車なんてJRになってから存在しなかった
三段ハネを二段ハネに変更してから更に収益は落ちているからな >>733
実家金持ちだけど
上京したのは1951年とこだま登場のずっと前
もちろんその後何度も東京と関西の間の往復に利用したとは思うけど
それは映画スターになってからだから本人の収入か映画会社の金で乗ってる筈 ドイツなんてオーストリア国鉄が参入するまで夜行が一度全滅してたんだが
フランスも季節臨以外は全滅してた サンライズなんて7両で定員140人しかいないもんな
昼行特急の車両なら2両分とちょっと
しかも客の入れ替わりがないんだから余計 寝て起きるだけの列車ならそれこそ3段式で良かったろ 寝台に野心ありそうなのがJR西日本くらいだから、あの会社が動かなければサンライズの廃止で寝台特急全廃になるだろうな >>743
10年程前までは、自社完結の「あけぼの」を残してた東日本の論理だったw
しかし車両の寿命が来ておしまい。
サンライズも20年以上経過したから、いつ終了してもおかしくない。
「銀河」については、40年経過の117系からどこまで持たせるか?サロンカーなにわが相当長寿になってるから、しばらくは何とかなるかw >>744
サロンカーなにわは客車だし、電車と違って長持ちすると思うよ
それにサロンカーなにわはJR西日本では唯一の宮内庁主催の
お召列車として使われているし、過去に6回もお召列車で使われて
いるのであと15年くらいは走りそうな予感
WEST EXPRESS 銀河は所詮117系改造車の電車なので
あまり長くは持たないような気がするけどどうだろう? 12系、14系は電源と空調が命取りになってるんですが
北びわこ用の12系をつぶすのでしばらくはしのげるが
それもいつまで持ちますやら
JR北も従来の床下エンジンの維持はあきらめて
床置き型の発電機を入れたしな なってないだろ。ばんえつの12系は1年ちょっと前にエンジンを換えてるしな
北海道はいろいろあって床下エンジンやりたくないんだろ ばん物の処遇が発表されるとき自分の発言をよおく覚えとくんだねw H100やキハ261の次の増備型が床置きエンジンになったらその通りなんだろうけどなあ SL銀河がまさか運行終了するとは。それも客車が原因。 >>743
あかつきもトワイライトも廃止になったな
クソみたいな新幹線を増やして寝台特急は廃止とか終わってる
ホテルや新幹線は無駄に多いから、そっちを減らせ サンライズはリニア名古屋開業まで運転される
もっともJR東海が折れてルートを変更しない限りは、2033年頃から271系の内装をいじったレガートサンライズが運転するハメになりそうだが >>750
SL銀河の客車は北海道の50系(オハフ51)を改造してディーゼルエンジンを載せた
キハ141系気動車を使いまくって更に塗装変更と一部改造しただけの車両なので
50系時代に酷使されて更にキハ141系でも学園都市線などで酷使されてその車両を
手直し改造してるだけなので長くは持たない事は最初から分かっていた事
SLやまぐちみたいに運転日が多ければ35系客車みたいに新製したのだろうけど?
>>751
新幹線やホテルの方が儲かるから夜行列車なんて今更いらない
夜行列車に乗りたいならWESTEXPRESS銀河がありまっせ >>753
SL銀河が命取りになったのは50系客車由来の部分ではなく
気動車化の際にキハ56から移植してきた台車だ >>754
1両だけだろ、DT22。あとはボルスタレス
こんなの適当な理由つけてるだけ。おまえらの会社だって事実より市場が納得いくようなプレスリリースだすだろ
>>748
へー、覚えとくよ。ばんえつが無くなるときはエンジンが理由なんだね >>754
キハ56から移植してきた台車、そうだったのか。
その経緯からすると新車導入なんて・・ないだろうなぁ 総合車両製作所技報すら間違えるからね
DT22Aは片軸(エンジン側)だけ動輪
キハ143はどちらとも台車新製
そして動力台車は非運転席側でこちらは2輪とも動輪 山口線と比べて釜石線って思いのほか集客力ないのかね
フォルクローロ遠野もいつの間にか閉めちゃったし
東海道新幹線とは比べるべくもないけれど
山陽新幹線沿い・東北新幹線沿い(仙台以北)の違いって意外と大きいのかな >>756
ボルスタレスはいてるのはキハ143の1両だけだ
キサハはTR51だぞ >>759
一日に片道しか運行できないのも痛かった ・始発が花巻(新幹線接続駅じゃない)
・釜石に観光地としての魅力が弱い
こんなところでは 全区間乗車にこだわるようなオタでもなきゃ新花巻でも十分だろうけど
三陸のあたりって未だにあまちゃんとか言ってるからなあ >>763
銚子電鉄は澪つくし21年引っ張ったからな 新幹線の営業区間は1985年頃のままで良かったな
永遠に利用者が増える事は無いし、人口減少も少子化も昔から予想出来た
在来線はまだしも、新幹線が赤字とか終焉が漂うわ >>765
国鉄民営化後に、整備新幹線法が施行されて止まらなくなっている。
西九州新幹線なんか、あんな中途半端な開業では作る意義がないし、九州新幹線も首都圏需要がなく、関西への需要も怪しいようではw
ただ上越新幹線よりは、北陸新幹線の方が優先させる必要があったかもしれない。
田中角栄の影響力と、碓氷峠のトンネル技術が確立してなかったので、上越新幹線が先になってしまったが。 整備新幹線
嗚呼甘美な響き
西九州新幹線は九州新幹線と同じ手法ですね
今に武雄−新鳥栖も「造るしかなくなる」 夜行列車の絶頂期・・・戦後復興から高度成長時代まで
夜行列車の低迷期・・・1985年からバブル時代くらいまで
夜行列車の終焉期・・・2005年くらいから
夜行列車の終り・・・・コロナ禍不況
60歳台や70歳代は一番夜行列車が輝いていた時期を知ってる世代
50歳台もまだまだ多くの多方面を行く夜行列車に乗ってる世代
40歳台は本数も大幅に減って一時期の半分以下まで削減したけどギリ夜行列車を知ってる世代
30歳台以下は知らなくていい世代なのかも 今の50代半ばから70代は夜行列車なんて反吐が出るほど趣味や旅行に出張で乗ってるから
いまさら夜行列車に未練なんて無いと思ってる人が多いと思ってるけど40歳未満はそうでない
人が多いから夜行列車に未練があるのだろうな? >>769
夜行列車低迷期は、その5年前の1980年あたりからだろう。
>>770
40代前半までは、食堂車が営業されて輝いてた頃の東京〜九州ブルトレを知らない世代だから、物足らないかもな。 40手前だけど子どもンときは夜行列車や急行列車だけで一冊の本が出来るくらいまだ余力あった。 途中でバカ停するの多かったな
ドリームにちりんは大分駅で2時間停車
エキスポドリーム号やナインドリーム甲子園は走行時間のほとんどがバカ停という変わった形態 急行かいもんの熊本バカ停で車内盗難が多発したそうな >>771
東京〜九州ブルトレの食堂車が輝いていたのも1982年くらいまでだよ
1983年から沿線の名物料理が消えたけどまだメニューの種類が多くて
選ぶ楽しみがあったけど国鉄消滅で日本食堂長崎・門司・米子の各営業所
が撤退してから内容も陳腐化して終ったと思った >>772
国鉄分割民営化が今から35年前だから、既にJRで青函トンネルも瀬戸大橋も完成した時だったか? >>776
急行はまなす誕生に瀬戸が高松まで延長してましたね。
利尻もまだ客車。 ここ、夜行に殆ど縁のない20代はお呼びじゃないスレ? >>777
その直後なら一本列島も相まって、一時的に夜行列車は活性化した。
しかし1993年に八甲田・津軽などの廃止から、また衰退が始まった。 >>778
興味があれば構わないが、「時代錯誤、時代遅れ」「年寄りの戯言」などと貶すなら、消えてもらいたい。 北斗星などの北海道ブルトレの全盛期が最後の盛り上がりか?
それとも自分には縁はないが、クルーズトレインから勢いづいて…とかはないかなあ。 >>779
それまでは個室化改造もせっせと進行してたけど
そのちょい後のサンライズとカシオペアの登場あたりで
ここまでやってもダメだったって空気になったもんなあ >>781
勢いづいたから東と西が九州の後を追ったともいえる >>783
言われてみれば確かにそうですね。
水戸岡氏が著書で豪華寝台列車を提案された時は、できればいいけど無理だろうと思っていました。
当時の感覚を忘れていたけど、そしてブルトレとは価格が違うけど、今は新しい夜行列車の時代なんですよね。 少なくとも移動目的で夜行列車を利用する需要はないな >>780
実際時代錯誤、時代遅れだし年寄りの戯言だろ
それで良いじゃないか >>787
爺さんプライドの塊だね
初心者なんだからここがどういうところか勉強しようね >>780
俺に関しては鉄になった時にはサンライズ以外全滅してて、寝台特急への憧れと、当時乗ってた人の昔話を聞きにここを覗いた
最近各社がやってる団体夜行に参加するくらいにはのめり込んでるので、どちらかと言えば興味がある方だと思う 煽ってるアホ>>786は構うだけ時間の無駄なので放置で >>790
煽りと捉えちゃう時点で偉そうにしたい老害ってことなんだよなあ
皆で仲良く平等に話そうって気が全く無いんだから
俺達偉い
俺たちの時代最高
年功序列絶対
こういう感じよね
5chでは超初心者なんだから腰を低くすればいいのに
出来ないんよね そもそも、今までの系譜での夜行列車がもはやサンライズしか残っていない時点で
夜行列車に対する価値観を実際に乗車する形で共有するのは
極めて困難になってしまっているからなぁ
実際に乗車できる環境が今でもあるのなら、あえて多くを言わなくとも伝えることができるものも
色々とあったんだろうけどね >>792
だから懐かしスレで立っている。
そして思い出話も多い。
また昭和時代のボックスシートが当たり前で、旧客・20系客車が活躍してた時代と、国鉄民営化前後から冷房が当たり前で、特急型のシートや寝台が主流だった世代とはまたギャップがある。
そこで「時代錯誤」などと言う奴がいるなら、そもそもこのスレの存在意義なんて全くなくなる。 >>793
確かにギャプはあるよね
昔は夜行列車といえば種類も多く、客車タイプの夜行といえば旧客、10系や20系寝台が当たり前だった
1972年に新型寝台車14系が登場してさくら・みずほ・あかつき他に登場したけどまだまだ20系全盛期
そういえば新宿発では岡谷行きの臨時普通夜行や新宿0時過ぎ発の臨時アルプスも品川客車区の旧客を
使って中央線に旧客夜行が走らない時期は旧客を川崎駅の側線に留置してた時もあった 川崎駅の側線懐かしい!
153系が留置されていたこともありましたね 新幹線や飛行機が値上げしまくって庶民には到底手が出せないレベルの乗り物にならない限り夜行列車の復権ってあり得ないんだろうな
というか世の中それくらいでいいと思うけどね
特に飛行機なんか東京大阪間10万とかが適正だと思うわ >>794
自分が高校生(昭和48年〜昭和50年)の頃は客車の座席夜行急行といえば旧型客車ばかりだったよ!
初めて新型急行用座席車12系や新型特急用座席車14系を使った夜行は全車指定の臨時夜行特急ばかりで
ゆうづる52号(12系100円引き「1972.3」)、あかつき51号(12系100円引き「1972.10」)などが
最初であり、その後夜行急行にも12系・14系座席車が使われるようになっていく!
1975.3〜阿蘇・くにさき・雲仙・西海(14系ハザ)、1975.3〜銀河51号(12系)1976年10月からは
銀河51号に14系ハザを充当、1976.10〜十和田「6201レ・6202レ」(14系ハザ)など!
1978(昭和53)年10月2日のゴーサントウ大改正から臨時夜行急行を中心に12系座席車を使うように
なったけどまだまだ旧型客車が多かった!70年代の関東の夏は地球温暖化かヒートアイランド
現象もなかったので暑くても走っていれば黒磯以北からは涼風が入ったものだった! >>796
貧困層増えてるし衰退化してるからまた昭和30年代の水準に回帰するのでは。 東京ー大阪はのぞみより特急こだまのが興味ある
383系を使えば、6時間切る事も可能だな >>793
昔の懐かしい話をするだけなら
「時代錯誤、時代遅れ」「年寄りの戯言」なんて言われないよ >>797
> 自分が高校生(昭和48年〜昭和50年)の頃は客車の座席夜行急行といえば旧型客車ばかりだったよ!
昭和48年の10月からきたぐにと音戸の下り2号、上り1号が12系客車に変わってる
旧型客車ばかりという訳ではない >>796
やっぱり割に合わないというところがあるんだろうね
元取ろうとしたら高額且つ席が埋まるくらいの客が必要だから、JR九州が最近やってる夜行団体やJR西日本のWE銀河みたいなスタンスか、カシオペア紀行みたいな高額化が主流になりそう >>796他
そんな状況になるとしたら、鉄道運賃や高速道路の料金・ガソリン等も同レベルで値上げすることになって
庶民・個人での長距離移動自体が、移動手段を問わず完全に高嶺の花となる時代になってしまうんじゃないかと思う
そんな時代に本当になってしまったら、何を楽しみ/心の糧にして行けばいいんだろうなぁ >>800
言う奴も現れるぞ!
しかし悲しいながら、夜行列車のコストパフォーマンスが悪過ぎるから、見通しは暗く過去の遺物にされてしまう。
高速道路を建設されて、並行区間に高速バスを走らせると敵わなくなっている。
まして寝台特急のB寝台利用も料金が高すぎて話にならない。割引きっぷで生き永らえていた列車以外は、事実上昭和時代でお役御免だった。
ただ夜行列車に建設的意見を出して、否定的意見で糾弾してしまうと、鉄道不要論にまでなり得る。
例えばあずさで現在新宿〜松本の利用者は珍しくなっている。この区間も高速バスが安いので、コスト面で話にならない。
更に東京〜高山も高速バスが安くて速いので、新幹線〜ひだに乗り継ぐ客は、ほとんどいないだろう。
高速道路建設を推進して、鉄道は維持コストがかかるのに、国は鉄道に必要な予算を計上しない歪んだ交通政策になっている。
そのため日中の特急すら不要になっていき、都市間輸送も高速バスで充分になってしまうだろう。 新幹線+ホテルより寝台特急利用のが安いケースもある >>804
> ただ夜行列車に建設的意見を出して
この時点で板的に間違ってるけどな >>796
特に飛行機なんか東京大阪間10万とかが適正だと思うわ
お前頭湧いてないか?LCCで関空〜新千歳が9千円台の時代だぞ
もし飛行機の東京大阪間10万が適正なら新幹線も在来線も現行運賃料金も3倍
夜行バスも高速バスも青春18きっぷも3倍にする事になってしまうぞ
もっとCPIを理解しろよ、夜行列車が飛行機に負けてそんなに悔しいか?
バカな奴だ、もっと時代の流れってものを考えろよ >>806
ではお前は、大都市通勤圏路線以外の鉄道不要論者かw 新幹線も仙台ー博多だけでいいな
それ以外の地域は輸送密度的に不要
鹿児島とか北陸とか明らかに要らん >>812
夜行列車が壊滅したのと同様、在来線特急の都市間輸送も高速バスなど負けて交通機関として青息吐息だろうが!
死ね! >>813
他でやっていただけませんかね
ここは
鉄道懐かし板の夜行列車総合スレなんで >>813
コロナオミクロン株大幅感染での利用者大幅減少、そして原油高騰で高速バスも青色吐息
って日本経済新聞のスマホ有料ニュースに掲載されていたぞw >>819
コロナ以前の分析をしろよ!
コロナ以前から夜行列車が今の状況、日中の特急も高速バスにやられていた。
あずさはコロナ以前から甲府以西ガラガラだし、南風も3両が多かったし。 >>820
だから板違いですよ
他でやってくださいね 予讃本線の急行うわじま1号。
準夜行と呼ぶ鉄道雑誌もあったな。始発高松発が0時過ぎ。
高松発車後の車掌のアナウンスのあいさつは「おはようございます。」
実質始発列車なのだろうが、観音寺くらいまでは、夜行より終列車の雰囲気。
夜の仕事の女性客が多かったかな。 急行ちくまも存続して欲しかったな
長野ー大阪は新幹線1本で行けないから、乗り換え無しの夜行は価値がある 大阪−長野はしなのさえ無くなっちゃいましたね(´・ω・`)
まさかのサンダバで金沢乗り換えってことかしら
うわじま1号と銀河53号は私も印象深い列車でした
発射時のあいさつは「おはようございます。」 だったのですね >>824
> 発射時
結構な角度で?
未だお盛んなら羨ましいw >>801
>昭和48年の10月からきたぐにと音戸の下り2号、上り1号が12系客車に変わってる
前から、何で12系が定期急行に投入されるのが遅かったんだろうとずっと疑問だった
12系はそもそも昭和45年の大阪万博の臨時列車として投入されたと言うけど
万博なんて半年で終わるんだから昭和46年からさっさと定期列車に投入すればいいのにと思ってた
俺が勝手に想像するが
昭和45年当時、定期の昼行客車急行なんて白山(47・3で489系特急化)とニセコしかなかった
昼間時間帯を走るのがめっちゃ長い夜行客車急行ですら桜島・高千穂・きたぐにくらい
そして当然夜行よりも昼行の方が冷房完備の12系のニーズは高かった
だから昼間走る臨時急行に冷房完備の12系が最優先で投入された
(夏涼しい北海道に12系が1両も投入・転属されないままだったのもそのせい)
桜島・高千穂は当時もう廃止が検討されてたのか?
きたぐにはメインの東海道山陽スジではないので放置、ニセコは北海道は夏涼しいので放置
そして昭和47年11月きたぐにの北陸トンネル火災事故が発生
イメージチェンジのためにきたぐにに新車投入しよう…12系だ…なし崩し的に12系が定期急行に投入され始める
ってことなんかなあ…と 10系寝台車は冷房化されて、10系座席車は非冷房のままだったからね
それで分かるわな >>827
最初しか読んでないけど、12系、きっかけは万博だけどアレ用だからな。本当に大口の波動用
すべて無に帰したけど。新幹線の駅ですらw 当時は定期列車の方が混雑していたから、
客を分散させるために臨時列車に12系を使ったって聞いたな。 12系が北海道へ投入されなかったのは、冬季における折り戸の凍結不開閉問題を解決できなかったため
同様な理由で14系500番台はわざわざ引き戸に改造されて投入された
また、12系は70・71年の年末年始に臨時特急「金星」として運転していたとの情報がある
万博が終わってからは繁忙期の山陽臨時客車(大抵夜行)急行で全席指定があるのは大抵12系
混雑する定期(大抵夜行)急行の混雑緩和を図ったのだろうと推測 >>829
レス読んで最初はピンと来なかったが創価臨か、新幹線は新富士駅のことか
昭和45年て創価はもうそんな大勢力になってたのかと思ったけど
公明党が結成されたの昭和39年だしそんなもんか 大阪万博終了後の12系団体のお得意さんは集約臨の創臨と天臨
他にもツアーや農協団体専用列車で走ってるけど8000番台の予定臨を
使っているところを見ると集約臨が一番のお得意様みたい
特に創臨は身延線の富士宮駅にから離れたところに12両編成を5本
置けるスペースがある
12系や14系は成田臨や高尾臨などの団体初詣臨も運転本数が多かった トミックスからちくま、だいせん編成が発売されたけど、12系のテールサインって行灯型じゃなかったの? >>831
>冬季における折り戸の凍結不開閉問題
それ以前にユニット窓からの隙間風対策してないから無理
50系51形みたいに二重窓改造してないから無理だと思われ >>834
記憶が正しければ確かに行灯を使っこともあったけど、アコモ改造で3000番台となったときに14系と同じような幕式に変わったね。 >>831
12系は1988年の夏にはまなすの増結用で北海道入りしたね。
さすがに冬場はなかったが。 12系14系はなんつったって台車が良いよいね
客車ならではの最高峰の乗り心地 1969年6月 スハフ12 1〜8 と オハ12 1〜20 の計28両が試作車的な位置づけで落成 宮原に配置
1969年7月26日〜9月23日の繁忙期 初の営業運転 大阪〜広島間を昼夜で運行 臨時急行「宮島51号」「音戸51号」(全車指定席)
12系12両 スハフ+オハ+オハ+オハ+スハフ/オハ+オハ+オハ+スハフ/オハ+オハ+オハ+オハ+スハフ ×2本
1969年12月〜1970年2月 スハフ12 9〜25 オハ12 21〜86 オハフ13 1〜17 の計99両が順次落成
>>837
ttp://pbs.twimg.com/media/FGXYT8sUUAAGj19.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/FGXYUiFVEAQr1D1.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/FGXYVGPVcAEOwpk.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/FGYqSQ1UYAQCnA9.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/D_AEenGUwAIf_LH.jpg >>839
4枚目みたいな長い客車列車はもう二度と見ることがないんだろうな。 1988年の6月〜8月は本州の12系座席車の団体専用列車として札幌入線が多かった
ジョイフルトレインでは長野の12系ロ.ロフ(白樺)や盛岡の12系ロ.ロフ(ふれあいみちのく)
他に毛色が変わった車両では宮原の14系0番台寝台車とか >>839
>>840
その長い客車列車の先に見える旧函館駅舎(乗船通路)にも涙目 てか、この頃の12系って車齢20年足らずだったのね
思えば遠くへ来たもんだ 1988年のGWや夏は快速海峡がマキシマムの編成で運転されてたし
12系臨客も12両がザラで函館から先も空知運転区のDD51では足りなくて
JR貨物・鷲別区や五稜郭区のDD51も借りて牽引していたらしい >>839
その画像は団体か多客臨のせいかんナイトかな?
はまなすだと所定の14系7両に12系6両の13両だったんだよな。 >>832
戦後に布教活動をやりまくったおかげで昭和30年代には会員数20万人くらいいたらしい >>839
> 1969年7月26日〜9月23日の繁忙期 初の営業運転 大阪〜広島間を昼夜で運行 臨時急行「宮島51号」「音戸51号」(全車指定席)
早い時期から急行に使われてるね
やはり797は記憶違いが多いな
まあ50年前とかじゃ無理もないが まあ江戸時代から庶民の旅行なんて宗教絡みが多いからな >>633
https://s.kota2.net/1642482185.jpg
626じゃないけどこの北海51号はキハ82系の夜行列車だろ、北斗51号の方はちょっと微妙な走行時間帯だが
まだキハ183系なんて存在しない時期だから
https://s.kota2.net/1642482174.jpg
こっちのはくたか51号もそうだよな、189か489系だろ
というか昼行特急用車両がそのまま臨時列車として夜行を走ってた時代 >>850
いや交流区間に入るのに189な訳ないな、自分で訂正 >>851
というかまだ189系登場してない
489系が登場した時刻改正の時の時刻表だけど
このはくたか51号は向日町の485系と思われる
少し右のあさま53号は181系なのか489系なのか分からないなあ >>849
それ逆
江戸時代に庶民の旅行は許されなかったが
参拝旅行は許されたので
お参りにかこつけて旅行してた >>850
8025Dと8027Dは夜行列車ですね
でもこの時代はワイド周遊券でも特急には乗れず
自分なら函館0:05発の岩見沢行き43レに乗っていたかも? >>853
でも講とかは信者代表して参拝に行ってた訳で
先にそれがあるからお参りにかこつけて旅行する人も出てきたわけよね >>804
鉄道の場合は、排他利用を担保しているからでもある。第一種鉄道事業そのものを不可能にすることから始めなければ >>847
大夏臨6の1
宮原操 … 大阪10:00→8301レ(下り宮島51号)→広島15:32 … 広島21:55→8312レ(上り音戸51号)→大阪04:48 … 宮原操
大夏臨6の2
宮原操 … 大阪23:20→8311レ(下り音戸51号)→広島06:54 … 広島10:30→8302レ(上り宮島51号)→大阪15:57 … 宮原操 >>858
大夏臨6の1って輸送番号?
局報を見てた自分からすると臨B○○○(臨時客車運用番号)でないとよく分からない >>859
まあ181系が妥当なんですが
改正前のあさま銀嶺には先行で489系も投入されたとか
翌年夏の下り51号、上り54号が489系だったという情報もあるので
489系の可能性もゼロではないのかなと
直流区間のみでも489系が余っているならそっち使いたいでしょうし はくたか51号下:大ムコ481・485・489系混成
サシ1両・サロ2両付の12両(6M6T)
あさま53号下:長ナノ181系
上野)クハ180+モハ180-モハ181+モハ180-モハ181+サロ180+サロ180+クハ181(サロは181の場合あり)
もしくは
上野)クハ180+モハ180-モハ181+サハ180+サハ180+モロ180+モロ181+クハ181 >>861
昭和47年3月改正当時の白山が1往復で、489系は車両不足の山陽特急によく駆り出されてたからどうだろう?
たまたま何かで上野に現れていれば有り得るが。 1972.3 大ムコ
広義の485系組成19本(11両15本・12両4本)・予備車なし、うち489系だけの組成12両4本(489系だけサハが組み込まれている)
489系だけの運用定期3本・他運用定期13本(うち検査休1を含む)+臨時2本
つまり臨時も運転している時の予備は全489系編成だけ
富山・東大宮のヨを変更しての長岡経由9021M・9022M、そして山陽8021M・8022Mは全て485系混成で行われているものの、
予備として待機している全489系編成が使われている可能性もある
大ムコ489系配置@1972.3
クハ10両、モハユニット15組、サロ10両、サハ4両、サシ6両
6M6Tだから余り:クハ2両、モハユニット3組、サロ2両、サハなし、サシ2両 >>864訂正
○サシ1両・サロ2両付の11両(6M5T)
×サシ1両・サロ2両付の12両(6M6T) >>869
1972.3.15時点の大ムコ481・485・489系配置全車番をレスしたら答えてやらんでもない >>870
おいおい
そんなこと言わないで教えておくれよ >>872
戦っている?
おいおい酔狂なこと言うじゃあないかw
でなんて資料? >>870
これ見たら自ずと答えは出そう
ttp://www5.big.or.jp/~hagi/rail/lexp/485/muko.html#a7203 >>874
1964年に485系が新製配置で在籍していたなんて言うパチ物資料出されても >>850
常磐尾瀬って初めて見た
しかも両毛線経由
車両はなんだったんだ
Mってことは455?401? >>875
481とか483はハイフン表記だね
>>876
おそらく両毛線桐生へ定期乗り入れしていた403系と思うけど、415系かもしれない
どちらとも当時非冷房 常磐尾瀬って初めて聞いたよ!
グリーン車連結のマークが付いてないし、急行や快速の表記がないから401とか403とかじゃない?
当時はそんな欲のない商売はしてないと思うよ。 「常磐尾瀬」は1974年に走った時は勝田区の401系・403系共通運用です >>879
おいおい何でそんなこと知ってんのよ?
凄えやつがいるもんだ 常磐尾瀬って平を金曜日の夜出発して翌日土曜日の早朝沼田到着
その後バスで尾瀬入りするんでしょうけど
帰りの常磐尾瀬平行は日曜日の16時台に沼田を発車
この間尾瀬観光客はどんな感じで動いてたんだろう? 平成初期の民営化後にあった臨時列車
急行「上越スキー号」や「尾瀬フラワー号」は知ってたけど
そのルーツ的な列車が国鉄時代にあったとは驚いた
なにがすごいって水戸線・両毛線経由なのがすごい
仙台ー金沢直通新幹線もこの系譜の最新系と見えなくもないかも >>881 沼田からバスで終点の大清水に午前6時前に到着、そこから尾瀬沼までハイキングして大清水に昼過ぎに戻りバスで沼田へというコースでは。大清水から尾瀬沼まで徒歩で片道2時間くらいかかる。福島県側の桧枝岐に近い尾瀬ヶ原までの往復は無理。 日帰りかよw
>>882
安中貨物もR初期までは夜行でその経由だったんだよな
ローカル線でも無人駅は少ないし、貨物もあったから車両さえ都合つけば走らせるのに
苦労はなかったんだろうな >>882
急行常磐草津
急行常磐日光・常磐那須
常磐蔵王銀嶺
普通ひたち蔵王銀嶺
急行ひたち銀嶺
急行ひたち上越銀嶺
急行ひたち磐梯
急行ひたちふるさと
準急ひたち銀嶺
快速ひたち銀嶺
普通ひたち銀嶺
なんてのもあったらしい 常磐尾瀬のネタで盛り上っていますが1970年台半ばに国鉄仙台支社の尾瀬方面行きの
片道臨時夜行列車も運転日限定ですが走っていました。仙台駅を21:00に発車した臨時
臨普通夜行の尾瀬フラワー(9542D)は東北線を郡山まで上って磐越西線に入り、会津若松から
会津線〜只見線〜会津線経由で会津田島駅に5:25に到着するルートでしたが途中の会津
若松駅では3時間以上も停車させて会津田島駅で朝を迎える様に調整していたのだと思います。
車両はキハ58やキハ28だと推測しますが会津田島駅では尾瀬に向かうバスが待っていたの
かもしれません。
8時間25分も所要した普通9542Dとはうって変わり、帰路は普通でなくて臨時急行尾瀬(9515D)
として運転されて会津田島駅を16:44に発車すると終着の仙台駅には22:29着で運転所要時刻
5時間45分というダイヤで走りました。尾瀬に近いのは会津田島でなくて会津滝ノ原駅ですが
当時の会津滝ノ原(現会津高原尾瀬口)駅にバスが停められるスペースがないからです。 碓氷峠経由の急行能登とか乗ってみたかった
気付いたら横川ー軽井沢は廃線になって、新幹線が長野まで開業してた 「金曜日夜行→土曜日尾瀬ケ原(山小屋宿泊)日曜日尾瀬ヶ原→日曜日夜帰宅」はわりとメジャー。
子供の頃、親の仕事仲間と一緒に連れて行ってもらったけど、長岡夜行使った。
帰りも普通列車だったけど、その頃は中電が水上まで行ってたから、上野まで乗り換えなしだった。
急行も走ってはいたけど、当時は100kmチョイなら普通列車っていうのも当たり前だったかなぁ・・・。
ちなみに自分の父親は日帰り(土曜夜行)で「富士山」とか「赤城山」なんてことがフツーだったらしい。
土曜の夜に東京→御殿場の夜行に乗った話を聞いたことがある。
そう言えば、古いアルバムをめくっていたら、東武の5700系の夜行でおちゃらけてる親父の写真があった。 >>888
> 「金曜日夜行→土曜日尾瀬ケ原(山小屋宿泊)日曜日尾瀬ヶ原→日曜日夜帰宅」はわりとメジャー。
ああ山小屋があるんですね
これで納得しました >>889
東京から長野廻りで福井に行く時代があったなんて隔世の感ですが
もうすぐ歴史が繰り返されますね
感慨深いです EF62だと上野地平ホームの音がEF64の比でなかったろう 旧型客車に10系寝台を連結した福井行き(信越線廻り)も金沢行き(上越線廻り)も実家が小松市だったので
大学生の頃は帰省でお世話になったけどA寝台・B寝台車とグリーン車以外は非冷房で夏は暑くては地獄でしたよ
急行越前や急行能登は何回も利用したけど急行越前が廃止になると急行能登が急行越前の跡を引き継ぎ信越線
経由で運転されて14系寝台車3両+14系座席車5両に変わったけど就職すると能登のB寝台利用に変わって寝台での
急勾配66.7‰を感じたものだった
特急北陸が2段ハネ化すると北陸での帰省に変わってその後ソロが連結され、ブルトレ青色吐息削減にて北陸が
廃止されると羽田空港から小松空港まで旅情のないつまらない飛行機ばかり乗るようになった お前ら常磐尾瀬とか細かいところまで見てるのな
俺は新潟まで行かず長岡なんて中途半端な終点の臨時急行信濃川と
越後湯沢が終点の急行ゆけむりしか注目してなかったわ
しかもそれぞれ1本のみならず2本ずつあるのな
しかも長野原草津口なんて夜行としては短距離な行先の急行野反湖が併結相手だし
最初はスキー夜行かと思ったけど
運転日はゴールデンウイークや6月だし普通の観光とか帰省用なのか
当時の輸送はどんだけクルマや高速道路が発達してなくて国鉄頼りなのかと感慨深かったわ 山行でしょ。いまは谷川岳山開きが残ってるのが奇跡ってくらいで、自分も飯田線が旧国が残ってた頃の
アルプスしか知らないけど、それでも車内は人とキスリングだらけで凄かった。MLながらの混雑なんか可愛いもん
それより前ならクルマも高速もないし、そういう需要は旺盛だったのは想像できる >>893
その羽田-小松便だって何時まで保つか分からんぞw >>894
> お前ら常磐尾瀬とか細かいところまで見てるのな
川越線のディーゼルカー結構はやいな
大宮-川越23分と今と変わらんのがある
夕方の客レも26分だから意外とはやい
朝夕だけ川越駅の停車時間が長いのは解結の為だな
というのが俺の見た感想です
> しかも長野原草津口なんて夜行としては短距離な行先の急行野反湖が併結相手だし
でもよく見ると終点に着くのは信濃川のほうが早いのだw >>893
自分は実家が長野県で昔は盆と年末の帰省には夜行急行「妙高」だった
オロネ10と10系B寝台に旧客の座席車が5両の計8両編成で長野までなら
新宿23:55発の長野行き441Mもあったけどホームに並べず面倒なので
妙高に乗るほうが多かったけど帰路は長野発新宿行き普通442Mが空いてるのと
確実に長野駅から座れたので帰路のみ乗る事は多かった >>899
仕事納めも夜まで仕事だったの?
どうせなら越前53号で帰省とかやってほしかったw 臨時ながら、これだけ短距離の夜行列車があったんだし、新宿・両国→銚子・安房鴨川なんてのも成立しそうな気もするが、やっぱないでしょ? 初日の出の臨時で高尾−銚子はあったな
高尾1時半、銚子4時半だから夜行かどうかは微妙なところだけど
終夜運転みたいなもんだからそれは夜行なのかっていう
>>897
川越線、日進から先はいまだに単線だからな。車両以前の問題 >>901
>>902
釣り客用に両国発の夜行ってあった気がする
↓の鉄道ピクトリアルで見た気がする
2021年9月号 特集:房総地区 鉄道の興味
http://www.tetsupic.com/contents/index2021.html 秋田の583呼んで両国発着の往路夜行の房総潮干狩り団臨やったことあったね >>903
ダメだ、列車名で色々調べてみたけど出てこないよ〜orz
>>904
あった!あった!
総武系完結にこだわらなければ「ウイングはくつる」「ハイランドスケート」「アルプス」があったね。
「アルプス」は寝台が付いていて、秋葉原から乗った記憶がある。
名無しの普通列車かなあ? >>903
ダメだ、列車名で色々調べてみたけど出てこないよ〜orz
名無しの普通かなあ?
>>904
あった!あった!
総武系完結にこだわらなければ「ウイングはくつる」「ハイランドスケート」「アルプス」があったね。
「アルプス」は寝台が付いていて、秋葉原から乗った記憶がある。 >>905
1989年の秋臨では、中央本線の臨時急行「アルプス91号」が、千葉22:31発→白馬7:12着として設定されました。
しかも14系客車 (寝台2輌+座席4輌) です。上野→(常磐線)→我孫子→(成田線)→成田→千葉 というルートで
客車を回送して千葉駅では長く停めておく場所もないので成田駅電留線で4時間以上停車させて千葉駅には
発車2分前の入線でした
自分は成田線で回送を撮影して千葉駅から乗って大糸線内まで乗車しました
確か乗車日は1989年10月6日だったように記憶している 中央西線の客車夜行急行アルプスは多種多様な客車を使っていた
・旧型客車
・12系座席車
・81系ロ.ロフ(お座敷列車)
・12系ロ.ロフ(お座敷列車)
・14系座席車
・14系寝台車+14系座席車
81系ロ.ロフは品川客車区の81系お座敷列車を使って運転区間は
下り逗子→白馬、上り信濃大町→逗子で運転 12系ロ.ロフは
81系のお座敷列車が廃止になり12系を改造した品川区のお座敷
列車"江戸"で運転された あったな、お座敷アルプス
大糸線でED62が牽いてるのを撮りにいった覚えがある
>>906 >>907
その千葉発の客車アルプス、秋葉原ってことは機関車であの電車線いったのか
聞いたことはあるけど最近でもあるんだね >>911
夜で総武緩行線や中央快速線の退勤輸送ピークも終わっていたしね。 >>908
尾久〜上野〜松戸〜我孫子〜成田〜千葉の回送がバカ停ばかりで単線片ポールの成田線だけでも
我孫子12:40-13:10、新木13:24-14:25、安食14:44-15:12の各駅でバカ停があったので
列車&徒歩移動でも成田線の沿線撮影地で2回は撮影可能でしたが自分は順光ポイントでの1発狙い
>>911
錦糸町、秋葉原、御茶ノ水経由ですよ
御茶ノ水では1分間の運転停車があり、総武緩行線から中央快速線へ入るための保安装置の
切換とBタイプ無線のチャンネル切換などがあったのだと推測されます >>909
1985年から運転が始まった"お座敷アルプス"は急行でなくて快速の種別で運転してるよ
全車グリーン車なので急行扱いだとグリーン料金が高くなり利用者も少なくなると思われたのか、
普通列車のグリーン指定券としてマルスに収容してたけど全車グリーン車指定席ですが、
快速扱いなのでグリーン料金は快速・普通列車のグリーン料金が適用されて1985年当時の
グリーン料金は150kmまで1,700円、151km以上が2,000円と普通の急行アルプスの急行券+
座席指定料金と大差ない金額でした。
ちなみに1985年の快速お座敷アルプスは横須賀線の逗子駅発で鎌倉、大船、横浜に停車しながら
26分停車の品川で進行方向を変えて山手貨物線経由で新宿駅に到着後、中央線経由〜大糸線経由で
白馬まで運転されて帰路は信濃大町発の逗子行きとして運転されて1985年夏臨の運転日は
逗子発基準で7/21・28・8/4・8/18
参考までに翌年以降の「お座敷アルプス」は、1986年夏は快速、1987年夏は急行で設定されている >>915
はい、現に牽いて来ましたし、乗りもしました。
ちなみに、多客臨ではDE10もサロン東京を牽いて、通っています。
快速で「バーディー」とか言ったはずで、内房方面の行き先だったような記憶があります。 夜行鈍行は経費的に満員になっても赤字だった?
ムーンライトながらは急行にしないと満員でも赤字で会社から見たら「運転したくない」のが本音だったはず
急行にすると今度は夜行バスに太刀打ちできない 基本乗車券のみなら立ち客多数、特急ならほぼ座席が埋まるくらいは必要だろうから、まぁ赤字だったろうな 何かホームレスが大垣夜行を宿代わりに使って静岡辺りで引き返す事象があったみたいだな
往復の乗車券が無いと不正乗車になる
北海道の急行で上下がすれ違う駅で折り返すテクが周遊券全盛期の時にあった MLえちごの間合いで快速フェアーウェイなんていうゴルファー向けの列車もあったな >>924
485系化されたら黒磯より北まで延長運転していたっけ >>921
夜行列車は毎日乗車率100%で走っても赤字だよ
全車指定席で毎日満員で走っても線区の収支とか関係するし、
有人駅の駅員配置に運転士と車掌に車両の検査保守とか
あるので黒字経営の夜行列車は難しい
最初から運転しないのが一番だと思うよ 人件費と電力の無駄
黒字の夜行列車なんて下り大垣夜行(165系)の東京〜横浜くらい >>925
快速フェアーウェイは485系に代わっても黒磯まで運転
>>926
>黒字の夜行列車なんて下り大垣夜行(165系)の東京〜横浜くらい
の下に(青春18きっぷ適用期間中除く)と注記してほしいな 夏に臨時かなんかで会津若松延長があったような。仙台車であいづもあったような気がする
そのころは583もディズニー臨できてたし、北斗星もあけぼのも北陸、能登もあったから
2000年初頭までは、まだ楽しかったんだよな 個人的には1993年12月1日改正で八甲田と津軽が廃止になってもう夜行列車は終わりだと思った
急行能登も1993年3月で14系ハネ・ハネフ・ハ・ハフが電車になって他の夜行列車も消えた
1998年春にワイド周遊券やミニ周遊券が廃止になって完全にトドメを刺された感じ >>929
> 1998年春にワイド周遊券やミニ周遊券が廃止になって完全にトドメを刺された感じ
これもネットの弊害の一つかな ブルトレみたいに夜中は運転停車のみにした方が駅員を夜中に配置しなくてよく経費圧縮できただろうが
快速ミッドナイトは函館⇔新札幌・札幌で乗車する場合のみ指定券を発券できた
高速バスのクローズドドアシステムに似てる
ブルトレにはそんな制約はなく上野〜大宮だけで寝台利用とか可能だった ムーンライト高知は繁忙期以外全車グリーン車にしてた理由が謎
料金的に高速バスに太刀打ちできないのでは? >>929-930
1997年に大学に入学して、周遊券はその年の夏に1度だけ使ったのが最初で最後になってしまったなぁ
その時には辛うじて八甲田・津軽は臨時で走ってたし、後者には実際に乗った(583のB寝台下段で移動)
今となっては、当時のような旅行は様々な面でもう完全に不可能だよなぁ(溜息) >>929
1993年に廃止(臨時格下げ含む)や愛称が消えた夜行列車
かいもん、日南、妙高、まりも、ゆうづる、八甲田、津軽
1994〜1995年に廃止(臨時格下げ含む)や愛称が消えた夜行列車
みずほ、あさかぜ、つるぎ
1996〜1999年に廃止(臨時格下げ含む)や愛称が消えた夜行列車
鳥海、出雲2・3号、瀬戸、2921M(新大阪〜新宮夜行) >>934
八甲田・津軽は1998年の冬臨で完全廃止になりました
ワイド周遊券で安く旅する学生には八甲田と津軽は必要不可欠な列車だった >>935
まりもは2001年〜2007年に定期気動車特急で復活しただろ >>935
>2921M(新大阪〜新宮夜行)
これ言い出したら大垣夜行や上諏訪夜行など他にもあるだろが >>932
恐らくバブル期の発想。
また車両がジョイフルトレイン的な改造だったので、元々客車が少ない四国にとっては、それを使わざるを得なかったのだろう。 >>935
急行まりもは1968年10月に急行狩勝との統合で1回廃止になっている。
>>938
上諏訪夜行は1992年3月に421Mが1521M甲府行きとなって事実上の廃止。
列車自体は1521Mとなって上諏訪まで運転されたけど1993年12月1521Mを廃止。
(以後は松本行き臨時快速8421Mが運転されていたが1998年の春臨で完全廃止)
165系の定期大垣夜行は1996年3月15日で廃止、ムーンライトながらになる。
>>939
夜行出羽の廃止
@ディーセル夜行急行出羽は1982年11月14日で廃止。
A寝台特急出羽は1993年12月1日、鳥海に統合されて廃止。 ムーンライト高知は
ムーンライト山陽に余力があり(14系4両)、
瀬戸大橋開通記念ブームが過ぎ去って余力が出て、
そのブームにあやかろうとして改造した四国12系グリーン席客車(6両)がほとんど使われず、
土讃線夜行がバス代行化(89.7.1〜)されて深夜職が浮いてしまった
ことで設定された
一時期は山陽4・高知3・八重垣5の3段列車として運転されていた
のちに山陽4・松山3・高知3の3段列車となってしまったけど 石川さゆりじゃ無いけど、昔は上野発の夜行列車、良く乗ったなぁ... 八甲館も乗ったなあ
青函部分がとにかく遅くて長くて疲れた
退避時間がゼロだったら快適だったろうに >>945
>八甲館
急行八甲田? 八甲田丸?
青森〜新中小国信号場間と木古内〜五稜郭間が鈍かったのは快速海峡 八甲田の間合いの臨時海峡かはまなすの間合いの14系海峡を勘違いしてるとかかな >>946
単線のままだったので(涙)
今となってはそれで間に合っている? スーパー白鳥に乗って津軽海峡線の爆走から江差線のノロノロ運転のギャップ差 >>944
青森行き八甲田の盛岡駅15分間停車は一種の風物詩だ >>951
八甲田が事実上の朝を迎える駅が盛岡
15分停車で朝食の駅弁購入するのにちょうど良く
3社(伯養軒・村井松月堂・むつ弁)のワゴンが
ホームで待機してて有り難かった >>947
あれ間合いというのかな?
青森で一回降ろされたのかそのまま乗ってたのか忘れた
14系は静かで乗り心地良いのにシートが戻るから腰がおもいっきり疲れた記憶
>>952
チャララララララン チャチャ チャチャ チャ チャン♪
みなさまお早うございます。列車は盛岡駅を定刻通りに発車しています。
列車はこの先 一戸 二戸 三戸 八戸と停まってまいります。
これが強烈に記憶に残ってる
こっちは12系上野19時台か20時台発のだったかな >>953
八甲田が12系客車の時代は二戸じゃなく北福岡だな
八戸以外全部通過だし >>953
青森で一回降ろされてもそのまま乗ってても急行八甲田と快速海峡83号で別の列車
急行八甲田(103レ)が旧客から12系へ切り替った頃の停車駅は上野19:08、大宮、宇都宮、
西那須野、黒磯、白河、郡山、福島、仙台、塩釜、小牛田、一ノ関、水沢、北上、花巻、
盛岡、八戸、三沢、野辺地、浅虫、青森6:17着
北福岡駅は1987年2月1日、二戸駅へ改称されている 12系八甲田は臨時だったんかな
一戸二戸三戸八戸の放送は強烈な記憶で間違いない 俺の乗った夜行列車(どれも複数回乗車)
上野発 455系 急行 ばんだい
165系 急行 佐渡
20系 寝台急行 天の川
新宿発 14系 快速 ムーンライト
165系 快速 ムーライト
485系 快速 ムーライトえちご
大阪発 24系24型 寝台急行 銀河
新潟/新津発
165系 快速 ムーライト
485系 快速 ムーライトえちご
新津発 10系 急行 鳥海(寝台)
60系 急行 鳥海(グリーン)
津軽/八甲田には縁が無かった...(;^_^A
>>956
> 12系八甲田は臨時だったんかな
多分そう
八甲田81号(津軽81号併結の場合が多い)
12系客車で上野を夜の8時前に出て一戸、二戸、三戸、八戸の順に停車 >>942
上諏訪夜行は1992年3月に421Mが1521M甲府行きとなって事実上の廃止。
列車自体は1521Mとなって上諏訪まで運転されたけど1993年12月1521Mを廃止。
↑
上諏訪じゃなくて松本に変更ね
当時よく乗ってたから覚えてるわ
https://www.youtube.com/watch?v=GCGBfcyEfyk
証拠は↑の00:30頃からの映像 >>960
上野発 12系 急行 ばんだい(臨時)もあった(;^_^A >>955
1986年国鉄最後のダイヤ改正での急行八甲田(14系座)停車駅
上野 大宮 小山 宇都宮 西那須野 黒磯 白河 郡山 福島 仙台
一ノ関 水沢 北上 花巻 盛岡 沼宮内 一戸 北福岡 三戸 八戸
三沢 野辺地 小湊 浅虫温泉 青森 >>965
四戸も昔はあったんだぜ
地名が変わったんだわさ 「一戸」から「九戸」までの地名のうち、なぜ「四戸」だけがないのか。
過去に「四戸」があったとすれば、それは現在のどの地区にあたるか。
平安時代末期から中世にかけて陸奥国糠部郡(ぬかのぶぐん)に馬産を中心とした「一戸」から
「九戸」までの行政区域が存在したが、寛永11年に糠部郡が北郡・三戸郡・二戸郡・九戸郡に解体、
その後再編された。これにより、一戸町・二戸町・三戸町・五戸町・六戸町・七戸町・八戸市・
九戸町が現存するが、「四戸」のみ復活しなかった。「四戸」にあたる現在の地域は、
馬淵川下流域の浅水・剣吉・名久井・福田・苫米地・櫛引・島守地区。 八甲田だっけか
上りの寝台が夜遅くなってからだったのは 八甲田と海峡を同じ席番で買えば降りずに済むと思っていたがやはり無理なのか そういえばやっぱ一回降ろされた記憶 座れなくなる状況ではなかった
大学生の頃、夏で暑いから一丁函館まで涼みに行ってくっかというノリだったなぁ
個人的にカニ好きの理由からスハフ14の発電機上の席に座った
意外と室内はそれほど煩くはなかったような 蟹といえば山陰客レ時代に遠征しに行ってほぼ毎日3食蟹めし食ってたなぁ
700円か800円くらいだったかな???
もちろんスハ43の山陰かユースが宿だった >>969
定期列車の急行八甲田として寝台が連結されていたのは1978年10月1日改正まで
仙台〜青森間で回転させる10系寝台車を連結していたが上り八甲田の青森発車時刻は
深夜AM0:02だったが上り青函連絡船の最終便接続をとっていたから
>>973
山陰方面はかにめしと言うよりかに寿しが多かったような?自分も山陰ワイド周遊券
を握り締めて夜行急行さんべ・普通夜行山陰を宿にしてカニ寿し食べながら旅したよ >>974
細かく言えば、確かに山陰本線沿いは「かに寿し」が基調。
種村直樹氏は、鳥取駅のかに寿しは絶品と推していたな!
他駅のかに寿しはどんな評価だったか?だけど。 1977年に鳥取駅のアベ鳥取堂謹製「元祖砂丘かに寿し」を
買ったら500円くらいの価格だったけど当時の学生にしては
500円の駅弁を買うのは散財であった
1977年の東京都最低時給が345円だったので学生からすれば
高価な駅弁だったけど味は最高に美味かったけど因幡米を
使ったご飯もカニに合っていた >>976
現在は1,280円もするよ
\900くらいまではよく食べたけどそれ以降は買ってないわ
https://www.abetori.co.jp/item/194/ 急行「はくと」車販で かに寿司700 幕の内600 だったか いつも幕の内買ってたな 80年代 出張の帰りに出雲4号に乗ると鳥取駅に着くとホームの立ち食い蕎麦屋でかに寿しを
売っていたのでそれを買って翌日の朝食にしてた俺だけど1980年は食堂車にまだ元気が
あるので出雲市駅や松江駅から乗り込んだら寝台のきっぷ確認が終ればすぐに食堂車へ
直行して大山おこわ定食予約したらアマサギ南蛮漬けで乾杯
翌朝にやや軽い二日酔い気味で酢の聞いたかに寿しが美味しかった >>980
あ〜あ〜・・
函館山線も撃沈みたいだし・・
町に別途大金出せとか言われたって無理
結局は国の考えだよね、もうローカルに鉄道はいらないと
鉄道?知らんわ、民間会社で勝手にやったらいいんじゃね、無くなっても知らん
まあ地元にはバス転換のがいいかもね
小型バス数台と運転手だけで同等以上の交通が手早く構築できる
自治体が集まって路線規模丸ごとバス転換することも可能
そのかわり未来はまた真空地帯になるだけだけどね 儲からない線区はバス転換でいいと思うよ
現在のJR北海道で儲かってるのは旭川〜札幌〜新千歳空港駅と
小樽〜札幌くらいなので石北線と宗谷線も普通列車の本数を
減らすとか赤字線は廃止にしないとJR北海道という企業が危ない >石北線と宗谷線も普通列車の本数を減らすとか
なくなっちゃいますがな・・・ >>987
高速道路延伸とともに鉄道廃止でも仕方がないと思うよ
きっちり除雪やって冬でも安定輸送できるなら鉄道残す価値もあるけど無理でしょ? 釧網本線も釧路〜標茶・知床斜里〜網走だけ残して標茶〜知床斜里はバス代行輸送
石北本線は新旭川駅〜北見まで残してその先はバス代行で全線見ても更に廃駅可能な
駅がありそう
宗谷本線は初夏は離島へ行く旅人もいるみたいだけど一時期からすれば半減しているし
この先コロナも終息しないのでコロナ禍での離島産業に頼る事も出来ないから音威子府まで
残してその先はバス代行でいいと思う 無論普通列車の本数削減も必要
砂原支線(急勾配の介在する駒ヶ岳駅経由をバイパスする平坦な線)はバス代行で
充分だけど同線はJR貨物の上り五稜郭行き貨物列車が走っているので要対策 砂原支線は新函館北斗〜長万部間が廃線なるなら自動的に無くなりそう 鉄道好きって、そのくせ、なぜか、経営者視線で考える奴が多いのな。不思議。 >>992
経営者に決定権があるんだから
予想するのに経営者目線で考察するのは当たり前だろ このスレッドは1000を超えました。
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