なつかしの名鉄スレパ−ト22
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普通列車の特別通過を実施していた駅って、殆ど廃止されてるね。
弥富口や学校前とか。
残っているのは江吉良くらい? >>64
おっと、すっかり忘れてた。
ありがとうございました。 大山寺と徳重・名古屋芸大もそうでしたね。
この2つは利用者が少ないから通過していたわけじゃないですけど。 椋岡と結城は廃止されてますね。
ナ球の通過…有った気がしますね。どなたかお詳しい方、宜しくお願いいたします。
西尾口と美浜緑苑も普通の通過ありましたね。 子どもの頃、昭和50年代の初め?に西尾線に乗りに行って
西尾口通過した記憶があるんだが、その記憶してる駅の光景が
今とかけ離れてる気がして、記憶がグチャグチャになってる気がするw
(安城に向かって左カーブ上に駅がある)
しかし、子どもの頃に西中金に行って、帰りに枝下駅に貨物(無蓋車)が
いたと思って後から調べたら正しかったりしてね。 >>72
すまん。右カーブです。
(西尾に向かっては左カーブに) 当時は屋根の強度が無く搭載不可能と言われていたが・・・
本当は名鉄の技術力が無かったのかも 5000形だったら劣化の進行がはやいからクーラーに耐えんだろ。 >>79
豊鉄に行って、路面電車用のクーラーを載せて冷房化された
技術力っていうより、名鉄は古いのにカネかけて冷房化するまでもないという判断だったんじゃないかな
豊鉄にしてみれば、あれでも最新型だったから何とか活用しようと知恵を絞った、と
都電7000しかり名鉄800しかり、豊鉄は他所の車両を魔改造して活用するのに長けてる
その「知恵」が技術力なのかもしれないけどね 5000と5200が冷房化されたら、当然5300は存在しないわけで。
となると、これらの廃車がいつになったのか妄想すると、7300が1997年
7000系の編成廃車が1998年だったかなので、1998年廃車じゃなかろうか。
5500系よりは前と思うので、全体的に2〜3年程度は廃車が後ろ倒しになった気がする。
5300の最後の廃車がついこの前なので、ここで歴史が合うw 何年か経つと必ず5000、5200の冷房化の話題出てくるな。
過去のスレで答え出てるぞ!
5000は冷房化云々の前に車体がボロボロ、雨漏りしてたからな。
5200は補強して冷房付けても車体屋根が5500より深くて
古く天井が低い新名古屋トンネルの問題で不可となった。
更には5000、5200は半鋼製ALより先に廃車が決定していたが
諸事情により度々先送りされていた。
理由は突貫制作車両のため床下機器の配置が1両ごと違ってて
配線も滅茶苦茶で保守が激面倒だった。(名鉄住商職員談)
で、トンネル問題クリアの豊鉄は問題なしとゆうわけだ。 旧5000形の劣化問題で阪急とアルナに相談して調査してもらった事あったな。
置き換えるしかないとの結論だった。 本来なら1970年代に特別整備無しで廃車だったと聞く。
しかし諸事情等々・・・。
で、7300は5000、5200の機器を使う予定だったとも・・・。
ALは使えるとこまで使う、もしくはHLのAL化に使うとも・・・。
当初の真相はいかに。 7000系を全廃させて続いて5500系を全廃させる計画だったが、
東海豪雨で5505Fが廃車になったことで、5500系を先に全廃させる計画に変更した。
という話もたまに聞くが、1編成の不足でそんなに計画が狂うのかよと。 >>77の元発言には5000系(旧)について言及は無いんですが >>85
実は、名鉄は阪急と仲良い(マジ)
日急作った時の出資元にもなっているし、関西テレビのいわゆる「阪急ドラマ」も
一時期東海地方でも放映された時には、阪急でなく名鉄が提供元となっていた。
まあ、その昔名鉄百貨店やら名鉄東宝で世話になったからね。
ちなみに当時、近鉄とは関係はあまり良くなかった。 1500V車での冷房改造車は6600と3400以外にありましたか? 阪急電鉄とアルナは鋼製車体の技術が素晴らしいからな。
あの職人技の海老茶色の電車。 >>83
> 5200は補強して冷房付けても車体屋根が5500より深くて
> 古く天井が低い新名古屋トンネルの問題で不可となった。
非電化ローカル線の昔のトンネルならともかく、普通にパンタ付の電車がガンガン走ってたんだぜ?
5200のパンタ部だけ低屋根にしてたわけじゃないし
屋根が深いのは全高が高いんじゃなくて5500系と屋根のカーブの取り方が違ってただけだろ
こうやって都市伝説が作られていくんだなあ >>86
瀬戸線用の6750系二次車も足回りカルダン化予定だったが結局釣掛のまま全廃。
どの形式の足回り流用するつもりだったのかな? >>93
さらにMとTをひっくりかえさないといけないので結構な手間。 >>92
そのカーブの頂点が高いとゆうこと、5500のようにカーブが平たくなく頂部が僅かに突き出る状態になっていて
冷房乗っけた状態の車両頂部と架線だかトンネル天井だかの隙間の差がその当時問題になったと聞いた。
あと、過去に既存更新HLも全て冷房化する案もあったが理由は5200と同じ問題で却下になったと聞いた。
3780も3730や3700と屋根の形状が違い5500の形状に近い。トンネルと屋根の形状問題は確かにあったのでは?
わたしは憶測を語ったのではないのだよ、真相はともかく当時の職員から聞いた話を書いただけなのだよ。
そうゆうのであれば>>79 >>81などは都市伝説以前のくだらない個人の妄想でしかないのだが。
お前は何故それが指摘できない?お前の妄想だからか?
あの頃はアポ無しでも度々鳴海や新川の工場見学させてもらえて迷鉄らしいオモロイ話が聞けた。
オモロイといえば、大江の「電車の火葬」は傑作だったな。当時2度ほど遭遇したがあれは完全に狂ってた。 >>95
瀬戸線に7500の足回りは役不足じゃないか?
本線で120km/h運転する1000系に流用するのはわかるが、線形が悪くて中速域の走りを重視する路線には合わない。 >>96
この間発売された鉄ピク2月号の40ページに、5500と5200が繋がった写真が載ってるね。
肝心な部分が架線柱に邪魔されてるけど、若干5200の方が背高に見えますね。
(私の目が悪かったらごめんなさい) 正しいと思う
いまとなって一番分かりやすいのは、GM5500板キットのイラストかね? >>97
あともう一つ、6750系はMT編成。5500・7500系はオールM編成。
同じMT編成で(車体の)状態の悪くなった6000系あたりだったのかな?
結局適した種車が無かったのでカルダン化やめた? >>96
> オモロイといえば、大江の「電車の火葬」は傑作だったな。当時2度ほど遭遇した
があれは完全に狂ってた。
そう言えば、人事部の高卒向けリクルーティングでの学校回りでもオモロイ話があり。
名鉄は1965年頃から北部九州出身の高校新卒求人を始めて、ハロワ(当時職業安定所)
の他対象にすべき高校にも挨拶回りをしていた時のこと。久留米か佐賀かの工業高校
に挨拶に出向いた時、進路を担当する教員が「名鉄?西鉄や国鉄の偽物企業は来んで
よか」と面前で塩蒔かれたなんて話もあったな。
そりゃあの地域にしたら余所者ローカル企業だけど塩蒔かれるレベルの企業かね?」
と謎がってたわ。乗務区の上な方から聞かせてもらった。
まあでも名鉄は今は知らんが昔は電車もバスも九州出身そこそこいるってよく耳にしたな。
ある職場では半数が北部九州出身でプチ県人会まで出現したってのもあったよ。 ちょと古いですが、土木図書館の資料から・・・
昭和15年2月発行 土木建築工事画報 第16巻2号より「名古屋駅前地下乗入工事概要」
ttp://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/16-02/16-02-2897.pdf
ttp://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/16-02/16-02-2898.pdf
ttp://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/16-02/16-02-2900.pdf >>103
最初のPDFの最後のガーター写真、どこだろう。東枇杷島? >>102
平成初期くらいまでかな?
鉄道もバス養成も、九州からかなり採用してたねー。
岩倉、二ツ杁、安城、知立、高横須賀、大里だっけ?寮生もいっぱい居たしね。 >>104
省線並行區間とあるから、金山橋北方の中央本線をオーバークロスするところじゃないか? 104ですが、すっかり名駅北側と思っていたわ。
路面電車線との交差かと。
南側なのかな。よくわからんなw このころは近鉄と繋がってたんだな
直通列車とかあったんかな >>109
近鉄名古屋線はかつて1067ミリだった。正月に豊川稲荷まで初詣臨を運行していた。
伊勢湾台風の被災復旧時に1435ミリに改軌。 本文章、最初のPDFにあるように、笹島町(省線名古屋駅前)から東枇杷島町営業線取付点までを対象とした
概要ですので、掲載されている写真も同区間の工事概況を示しているものと思われます。
写真10の場所、私は東枇杷島から栄生の間かとも思ったのですがわかりません・・・(苦笑) 阿久比さんから・・・近鉄車が豊川に
ttp://www.agui.net/imglog/19/19img-76.html >>112
豊川稲荷ではなくて、豊川まで行ってたんだ >>96
遅レスだが、豊鉄1900が路面電車用クーラーで力業で冷房化したのは妄想じゃないんだが
鉄ピクの記事すら「都市伝説以前の妄想」だというなら話は別だがwww >>96
お前が言ってるのは
「オレの友達の兄貴の知り合いが言ってたんだけどさぁ」というのと変わらん
「言っていた」ということは事実かも知らんが、言った内容の信ぴょう性は全然別だよね >>114
>遅レスだが、豊鉄1900が路面電車用クーラーで力業で冷房化したのは妄想じゃないんだが
そのことはこのスレの住人ならほとんどの人がわかってると思うよ。96氏が無知だわ そういえば、最近特定旅客の話題はほとんど聞かないな。
さすがに名鉄に敵を作りすぎたか。
幹部や経営陣に顔が利く人、誰もいないもんね。
特定旅客が一番暴れ回っていたのは、犬飼氏が現役の頃かな。 >>119
駅助役や社歴長い予備助役の中には、特定扱い上手い人いたな。
社員守りつつ、特定に対しても優しい気さくな対応でね。
特定、機嫌良くニコニコしてたわ。
単純な奴やと思ってた。 >>98
ボーボー燃やした。
屋根が油布仕上げのALは木の部分が多いから壊すより燃やした方が早くね?とゆう感じの
実証実験だったらしいと後で聞いた。3601Fと3550が何両か火葬されていた。
当時大江で下車してホームでしばらく見てたが、酷い臭いと熱風で暑く次の電車で退散した。
近隣も酷い臭いやら煙やら火の粉飛んでさぞ迷惑だったろうに・・・、たしか1987年だったと思う。
>>103
オモロイ資料ありがとう。東西連絡線で繋がる直前の貴重な資料。
>>104
右わきに水路が映っている。奥は東海道線の築堤?
栄生を出発して最初のカーブの何処かでは?
>>118
当時キハ10の2両で犬山や知立からの運用も稀にあったからね。
それにあたると辛いなと思った。 >>104ですが
>>121
右わきのは水路ですか。人が通る通路と思ってましたw
まあ、栄生か東枇から下りて歩けばわかるかもと思います。
>>122
御意。 >>122
当時明智から新可児へ、そこから犬山行になってそのまま犬山まで乗ったが定期運用ではないと思う。
しかし広見線の複線区間は50mの50Nレールが多くて軌道の状態も良かったが、もうイヤってぐらい激揺れだった。
いつもの区間よりもかなり飛ばしてたと思うが、あの時何キロぐらい出してたのだろうか?
>>123
私には開口部の下の方が水面に反射してるようにも見えるのだが・・・画像が悪くて確証はない。
今でもその近辺に小さな川がありガーターが架かっている、しかし小さな水路?は確認できない。暗渠になったのか?
古い地図でも小川はあるが水路?と思われるようなものは確認できず・・・。
このコンクリートの開口部自体がGoogleの空中画像では確認できなかったし、ストリートビューでも確認できなかった。
もしかすると人が立っているあたりの高さが今の地面の高さなのだろうか?だとすると今は地面の下とゆうことになる?
私はその小川に架かるガーターなのではとゆう予想で調べていたのだけれど・・・。(写真左側が栄生方面?)
そして石垣の脇の橋脚?みたいな構造物が今でもその小川に架かるガーターを支えている橋脚に似ている気がする。
いずれも確証はないよ。 御嵩乗り入れや碧南⇔猿投のLEカー運行は知っていたが
犬山行きは知らなかった >>121
燃やしたのまだ最近なのですね
もっと昔の話かと思ったら
確かに狂気の沙汰ですね(笑)
彼処もアポなしで行っても見せてくれたり車内とか案内してもらえたりと、本当におおらかな時代でした 名鉄提供番組ネタで構わん?
ふるさと紀行だけど、昔ってオープニングにパノラマカー出てなかった?
チビの記憶でスマソだが。
後年、CBCラジオの土曜朝にやってた映画紹介コーナーの冒頭でミュージックホーンが流れて
ふと昔のふるさと紀行の開始冒頭を思い出したりした 名古屋鉄道と名鉄百貨店が提供のCBCラジオ「ターミナルサロン」の番組開始時にパノラマカーのミュージックホーンが流れたね。
平日は毎日ラジでミュージックホーンが聞けたと。垢ぬけないといかダサいというか、だがそれがいいみたいなw ×平日は毎日ラジ
○平日は毎日ラジオで
名鉄のCMは「内海夏子の冒険」と、疾走するパノラマカーの空撮が映るCMが好きだったったなぁ ゴリ夢中2007年1回目やってたが
今は亡き5300.5700が出てた。 ようつべで廃線になった路線の展望ビデオみると、
線路は短尺、4種踏切何てのが普通で、いかに名鉄が不採算線維持大変だったかわかる。 1964年の運賃
豊橋から
国府 35円
東岡崎 100円
知立 140円
神宮前 190円
新名古屋 210円
新一宮 250円
笠松 275円
新岐阜 280円
-------------------
新岐阜から
笠松 25円
新一宮 40円
新名古屋 90円
神宮前 110円
知立 170円
東岡崎 210円
国府 265円
豊橋 280円
(×[いくつ]くらいすると今の価値ですか) ↑単純に他のものと比較すると×8〜10くらいなのですが
物価自体が安かったのでそこを考慮するとどれくらいなのか? >>133 東京・新大阪間、超特急ひかりで一等車で行くと5030円、都バスの運賃が20円、
中華そば(外食)59円、公務員の初任給(大卒)19100円といったところ。
中華そば2杯分の値段で新岐阜から神宮前まで行けるということになるか。 6000系1次車のデビュー当初は7000系と同じ黄色と言うか山吹色のカーテンだったが
この色は7000系デビュー当時から同じだったの? 俺の手元にある保育社カラーブックス「日本の鉄道」
P95のモ7009の展望室内の写真を見ると
茶色というか濃いベージュっぽい色のカーテンが付いている
ちなみに座席のモケットは登場時のピ−ターパンブルーのようだ 俺が知る限り、最初の頃7000系は若草色のペラペラのカーテンだった記憶・・・シートモケットは濃いグリーンでビニールの枕カバー
シートモケットが臙脂で布製枕カバーのやつは、表側青、車内側白でオレンジの横ストライプの少し厚手のものになってた
車体更新後か何かのタイミング? 1961年の7000系カタログのカラー写真ではシートはモスグリーン系で、これは確か1980年代中頃まで残ってたのがあった。
シートカバーは白又は白に近い灰色、カーテンはターメリック系?の黄色っぽい茶色か山吹色のような色。
昔のプロモーション写真なのでスポット修正入ってるかもしれないが・・・。 ↑訂正
カーテンの色がモスグリーンに近い茶色がかった山吹色のような色。
シートモケットが濃いグリーン。(クーピーペンの青緑みたいな色)
でした。 パノラマカーの赤いモケットは、座席指定特急の設定と同時だったようなことをどこかで見た。
その後、白帯車が背もたれを高くして茶とオレンジのモケットになった。 なんにせよ7000登場時と6000の登場時のカーテンの色は
全く別物というのは間違いない ついでに8000系はどんなカーテンだったんだろうか? >>143
80年代初期に高山まで乗ったけど、紅いモケットに>>138の青白カーテンだった
要は7000系と同じ なつかしの名鉄部品即売会
明治村で名鉄部品即売会が開催された年が何度かあったと思うけど、明治村で名鉄部品即売会が開催されたのって平成何年頃でした? >>145
2010年頃じゃなかった?
今のスタイルになってから。
昔は今津島で年末やってるようなスーパー高額とかはあり得ず、逆富士で1万。これ平成一桁の話。 俺は犬山のしか行ったことないなぁ
3902Fの部品まだ家で使ってるは S60年に猿投でやってた行先板の即売会は行ったよ。
その頃から整理券方式だったけど、のんびりした雰囲気で。
イラスト板の、みはま等を売ってた。
P車の世界のパトカー展を2000円で買った。 >>146
遅くなったけど教えてくれてありがとう。2010年=平成22年かぁ。最近といえば最近だね。10年前だけど
>>149
>P車の世界のパトカー展を2000円で買った。
まさにそれが聞きたかった。P車の系統板が1000円だった時代があったみたいだけどいつ頃かな?って。
自分は明治村が名鉄部品即売会デビューなんだけど明治村の頃は既に子供には買えない程高かった。
P車の系統板が1000円だったのは明治村より更に20年も前、昭和の終わり頃の話なんだね 名鉄の即売会、一時期は勝手に名簿作って名簿に名前記入して朝晩集まって点呼やってたらしい。その頃の人達はそこまで手間かけて何を買ったんだろ? イラスト板? 特急いなり号は国府から高速になります
一般のお客様もご乗車になりますのでご了承下さい 特急で豊川稲荷へなんて今では考えられんな
あちこち特急があったなんていい時代だった 初詣特急大増発!はいいけど、2月の旧正月までの間は
大量のP車が特急に借り出されて、本線高速や急行には6000が
支線急行にはAL車が大増殖という魔のダイヤのイメージしかないw
初詣ダイヤのキャッチコピーの「新春快走」をもじって「新春迷走」
などとこき下ろされていたなw >>155
いなり号は豊川線内だけ特急で本線内は高速だったの??? 新岐阜-新一宮-国府宮-新名古屋-金山橋-神宮前-<無停車>-国府-豊川稲荷
豊川稲荷-<無停車>-東岡崎-神宮前-金山橋-新名古屋-国府宮-新一宮-新岐阜
普段には無いノンストップ区間が特徴的だった。 ほかにはパノラマDXが有ったときは国府も通過していた 帰りの先頭座席取った!⇒7700系だったときの絶望感。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています