【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】5レ
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5レの食堂車といえば、「みずほ」「北斗星5号」になるか >>前スレ994
>閉店しましたが、
>静岡県静岡市清水区のつばめ鮨で、
>ビュフェで寿司を握っていた方がお店を営業されていました。
>検索すれば少し情報が出ると思います。
去年の鉄ピク4月号153系特集でサハシ153の寿司コーナーを撮影した写真に
寿司職人が写っているが、もしかしたら本人? サハシ153の寿司の場合、車内ではどの程度、包丁を使ってたのか?
ネタを一口大に切って車内の冷蔵庫に入れといたのか、それでは鮮度が悪くなるから、揺れる車内で包丁でさばいてたのか? >>4
それこそピクのビュフェ特集(07年10月号)につばめ鮨に取材したのがあるけど
ネタは塊で搬入したのを車内でさばいて寿司や刺身盛りにしたそうだ(大体は普通の寿司屋と同じようにやった) 日本の食堂車の営業時間って7:00〜21:00でしたっけ? >>6
基本はそうだったけど、>>5が出してるピクのビュフェ特集見るとオシ16をつないでた彗星は
東京21:40発大阪8:22着
大阪22:15発東京9:00着
のダイヤで営業時間は夜が23時迄、朝が6時から
新幹線の無い時代、東京大阪間でロネの比率が高い列車だったから需要はあったけど、みんな口を揃えて「採算は取れてなかっただろう」って言ってるね
まぁ従業員に多少の無理はお願い出来た時代だったし >>6
食堂車が営業していた頃の上り東京行出雲は、東京到着が7:00前後だったから早朝5:30くらいから営業していたんじゃね? >>8
いや、朝は食堂車営業なしで車販のみ。
上りの食堂車営業の効率悪さのため、「出雲」の食堂車営業は「みずほ」と同時期に終了した。 >>4
当たり前だろうけど、寿司メシは車内で仕込みではなく積み込んでいたんだろうね 北陸トンネル火災事故の火元のオシ17はマスゴミが
車籍を見て「昭和一桁製のボロ車」と報道したそうだが
(言うまでもなく車体や厨房は事故15年前の製造)
もしゆふいんの森3.4号が事故を起こしたら
「昭和30年代製造の…」などと報道されるのだろうか? >>9
下りの朝も採算怪しかったからな。
出雲市で切り離すから8時で店じまい。
富士ぶさの食堂車を付属編成に移した時の巻き添えなんだが
分割民営化で運用分離されたんだから浜田まで連結しろよとw 24系食堂車の新製両数抑制だったっけ東京ブルトレ食堂車の付属行きは
まだ富士が西鹿児島まで走っていた時期か
後のBソロも付属で上りはやぶさで熊本まで開放Bに座ってた思い出 >>11
昔ほど熱心に調べるマスコミはおらん
それだけ鉄道の地位は低下した 低下したのはネット上のデマを真に受けて記事を書くような記者の質だろうw >>12-13
博多あさかぜを25型化した時に拠出した産物。
昭和50年代に入って、国鉄は在来線食堂車を新規製造しない方針に変わってたので。
そのとばっちりで他に
・下関あさかぜ25型化と同時に食堂車廃止。
・くろしお電車化で食堂車廃止。
・489系はくたか・白山の食堂車不連結。
・やくも電車化で食堂車廃止
など 食堂車は人手の問題もあるだろうけど、採算取れないんだろうな >>17
すくなくとも5人いるから、粗利で30万は無いと厳しかったのでは。
セルフサービス食堂車を断念した時点で、廃止方向だったのだろう。
>>12
上りも同じようなもので、事実上の営業時間は出雲から豊岡ぐらいまでじゃやない? >>10
・すし飯を積み込む→準備ができ次第営業開始できる
・車内で仕込む→米を炊いてさらに酢飯にするまで小一時間は営業できない
考えるまでもなくわかるだろ
米から酢飯に仕込むまで5分10分でできる技術があるなら別だが >>18
80年代後半の出雲4号で乗ったときの記憶だと確か松江出た辺りで営業始まって城崎か豊岡で店仕舞い
一応18時‐21時半程度の営業時間だが20時過ぎの鳥取出たあとはあんまり人いなかったかな 特急「まつかぜ4号」の食堂車も「まつかぜ」4号が福知山に到着した頃には、
メニューは大半が品切れになっていたようで、飲み物やサンドイッチくらいしか
ありつけなかったとか。 >>19 大阪行き下りで、静岡から名古屋辺りですし飯あるいはネタが切れた場合は、すし終了としたのだろうか?
残量を見て名古屋のような主要駅の系列店の厨房に電報で連絡、ネタやすし飯を準備してもらって補充。それとも、車内に電気釜持ち込んであって、すし飯は適宜作ってたのか? 模型のはなしだけど、東京−九州間を除けば日本の夜行寝台特急に必要だったのは
オシ16のような飲み屋だったのではないかというのがある。 >>23 酔客が居座ってどんちゃん騒ぎで苦情続出、ということになるんでは? >>20
なかなか貴重な証言やね
今も山陰は夜が早いからその習慣の延長じゃろ サハシのそば列車はガスが使えないから、
天ぷらは事前に準備していたんだろうな >>26
駅の立食いそばの天ぷらそば同様に、工場で予め調理した天ぷらが駅まで運ばれて、
始発駅で他の食材と一緒にサハシに積み込まれていたと思われる 九州ブルトレの食堂車のメニューの「玄海御膳」の天ぷらや煮物などは、
オシ24やオシ14の電熱コンロでコックが天ぷらを揚げたり、煮物に火を通したりして調理されていたな ピクの153特集見返してたらサハシ153が電子レンジ開発前で熱い料理出せなかったとあるな
電熱ヒーターとかはあっただろうけどお茶コーヒーの湯沸かし用だったのか
あと電子レンジ未搭載車もあったみたいだがメニューどうしたのか ビュフェの天ぷらは出来合いを積み込んだものでも
電気コンロと天ぷら鍋があれば車内で揚げること自体はできる
むろん大昔の石炭レンジでも可能
つか >>26 はガスでないと天ぷらが揚げられないとでも思ってるのか キサシ180には電子レンジが装備されていたようだが、キシ80には電子レンジが無く、トーストでも焼き魚などでもオーブンや電熱コンロでで焼け具合を調整しながら調理されていた トーストや焼魚を電子レンジで調理って…
オーブンレンジじゃないんだから。 新幹線0系のビュッフェのカレーはレトルトカレーを湯煎にかけて温めているのが、
カウンター越しに見えていたが、新幹線や在来線特急の食堂車のカレーは、
レトルトカレーを鍋に開けて加熱して塩とバターで味付けしていた。 特急車両の食堂車は電熱器を使って揚げ物料理をしてだろ。
よく揺れや急ブレーキで鍋の油がびっくり返らなかったと思うとすごいよな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています