短命に終わった車両 3 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>327
というか7700って、京阪2600-0系と同じで書類上は代替新製だっけ? 東急7700は1000が先に廃車になった不条理もあって生き残ってるだけだからな
普通に7700から置き換えすれば今頃7700は残らなかったのに 無理しても7700を残す理由があったのか、1000に何かしらの欠陥があって残せなかったのか 中古車販売も東急のビジネスの一環だから、価値ある中古車を
地方私鉄への販売にまわしたんじゃないの? >>331
1000系は地下鉄乗り入れの8両編成が基本だから、自社線で短縮するにしても、地方私鉄に売るにしても、その部分の調整が難しいから、1000系の廃車が多いのでは。
救いは、日比谷線ファミリーで唯一、5ドア車を作らなかったこと。
メトロも東武も、18m3ドアという、地方私鉄には最適なフォーマットなのに、5ドアの存在がネックになっているからな。
それでも、中間車に運転台をつけるより、まだ、クハを電装化するほうが難しくないのだろうか(05系の北綾瀬支線など、前例は多い)。 メトロ07って、どこまでB修するの?
あんな少編成だと、スケールメリットも無いからコストも結構かかるだろうよ
修繕は最小限で次に繋ぐんじゃないの?
メトロだって、なるべく保守の手間や部品ストックは最小限にしてコウトダウンしたいと思うけどね
ところで、千住の03はどうなったんだろうね? >>165
2000系は2003Fが機器更新中らしいが・・結局209の2200番代みたいに更新したのにすぐに廃車になったりしてw >>336
池上線新7000統一予定で1000も廃車。
↓
金融危機と東横ATOワンマン化で東横を5000系列に統一することになり池上線置き換えは中断。
↓
廃車予定の日比直1000を1500に改造。
だったような。 廃車廃車と盛んに書いてるが、完全破壊→リサイクルということ? >>337
当初の計画では、2007〜2011年までに
雪が谷検車区所属の全28編成中、19編成を新7000系に置き替える予定だった
なので、1000系の一部は当初から残すことが決まっていた
https://web.archive.org/web/20071028074857/http://www.tokyu.co.jp/railway/railway/east/poster/Ikegami-Tamagawa-newcar.html
ついこないだ(11月14〜15日)
6年ぶりの増備車、7108Fと7109Fの2編成が甲種輸送された
https://www.tetsudo.com/topics/8156/ >>339
しかしなんで中途半端に1000系を4本だけ廃車する予定だったんだろう
せめて上田は日比谷線直通廃止まで待てなかったものか‥ >>6
仮にその時代に導入されるとしたら18m車による10連もあっただろうという意味だろ
もしそうだったら20m車による9連もありゆる >>6
仮にその時代に導入されるとしたら18m車による10連もあっただろうという意味だろ
こんな仮定もわからんのか
もしそうだったら20m車による9連もありゆる >>340
車体の老朽化や、部品が枯渇する前に
車両ごと置き換えたかったのだろう
※当面は「まるまどりーむ号(7255F)」のみ温存(2015年廃車)
昇圧以前の主要機器不統一による
非効率な運用や保守からの反省じゃないかな
当時(750V時代後期)の、別所線の上田原電車区では
保有車両の一部が、まともに稼働できない状態だったとか 1000でも7000でも高崎支社にあげればよかったのに。 >>343
上田の置き換えの捻出の7200が豊橋に持っていったからね。車庫が火事になって1編成燃えたからで。
仮になかったら豊橋に1000を持っていった可能性がある。 >>342
詭弁でごねるならもう少し頭捻ろうぜ
菊名駅に20bの8両が停車できるようになったのが1991年、桜木町が廃止になったのは2004年、渋谷が地下に移ったのは2013年
桜木町や旧渋谷のホームをあと20b伸ばせたかどうかは微妙
ちなみに20bの8000系が初登場したのは1969年 >>345
豊鉄の高師車庫の火災は1800系導入直後の2001年。この時は部品取りで確保してした2両
のうちの1両を整備して廃車車両の代替車とした。
上田から購入した2両は新豊橋駅の改良工事完成に伴う発着線増加(1面1線→1面2線化)
による増発用で、購入した2両に部品取り用のもう1両を組み込んで3両編成1本を増備した。 っていうか束が車両をボンボン使い捨て過ぎなのもただ単純にJトレ(新津と横浜)を維持したいだけという気がする
231-500番代が営業開始する辺りまでは普通に103が走っていた
>>105にも書かれてるが >>261
>>348
JR通勤車を新津に回したから東急車両はその分ラインが空いて、その東急車両を維持するために東急は5000系列量産に方針転換したが… JR東日本が車両のサイクルを短縮するために量産に徹した新津を建ててその煽りで東急車両を買収した
結局サイクルを元に戻したから鉄道車両メーカーが過剰になってしまった
むしろ、車両の使い捨てをする方が目的 魔改造やジョイフルトレインも国鉄から引き継いだ余剰人員に余剰車輌をいじらせるのが目的だったからなあ。
それらがなくなるとぱったりと作られなくなった。 >>350
東急車両解散は金融危機によるものだが。 東急車両は鉄道車両どころじゃないからなあ。トレーラーの牽引される車両部分やゴミ収集車や
道路清掃車も作っているし。たまに都内でも走ってるのを見るが、前2輪 後ろ2輪だけど3輪みたいな
ロードスイーパーも東急でしかもう作っていない。 新京成8900形のサハ
1993〜1995年にかけて製造された8900形だが6両に統一の際、この中間車2両は2014年に廃車解体となった
ステンレスだから8800形のような先頭車化改造が困難だと判断されたものと思われるが、何とかならなかったのか・・ 改造困難で20年くらい使った付随車なら何ともせずに解体するのが妥当だろう
10年ちょっとで解体した東急1000の中間M車ならまだしも >>355
その辺りは新明和が引き取ったんだっけ? 今でもたまに (と)TOKYU って銘板の付いたトレーラー見かけるね >>361 大した話題がないから、誰も上げないだけ >>357
上田が日比直廃止まで待てたならその池上の中間車の解体はなかったのに・・ その当時はまだ日比直廃止なんて考えなかったからでは? これもスレチだけどさ
東急としても、色々何回も計算が狂った模様
1.9000が本来用途の副都心線に乗り入れ出来なくなった
2.8500更新より新製の方が安いと気がつき東急車輛支援もあり新5000を大量増備しようとしたが、JAL破綻で増備最小限
3.9000 10連はサークルkがこれ以上増やしたく無いから無理で、大井町線に転属
4.そのあおりで少数派8590が廃車、一部売却(8500より新しいのに・・)
何の為に新6000を入れたのやら・・笑 >>365
その時点で8090を急行転用するのは不適当と判断されたんでは? >>366
今や京王では最古参だからな。
新車入れば当然廃車の対象でしょ。 >>53
ワイドドアの後に10両固定編成が登場して、ワイドドアはそこで製造打ち切りになっている
だから10両固定編成登場が1〜2年早ければ、ワイドドアは登場しなかっただけということ >>348
205に関しては231-500量産による転用の時点で、内装のリニューアルはできそうだったかもしれないが
結局は先頭車化改造車の改造部分と武蔵野用5000番台の機器、仙石線2WAYシート車以外はほぼ原形のままで終わった
つまりその時点で既に使い捨てしまくる気があったんだろう 103系を淘汰するの方が
231製造ペース超えて急務だったんかな >>340
池上線は2013年度まではVVVF化改造車15本+1000系13本のままで
2014年度から順次1000系を3連化(1011-1310に中間車1両を組み込み1011F復帰も)し、
それで足りない分を新車で賄えば良かったのに
この場合は1000系のオリジナル先頭車がすべて池上線で継続使用だったから、地方譲渡分はすべて先頭車化改造車になってしまっていたが・・
7715は故障が多かったうえに異端車だったから優先的に潰したかったのは分かるが、なぜそれ以外は1000系が中心だったのか・・ >>335
東急2000系と似たような存在の京成3600も廃車になっているからね。
209-1000も余命短いだろうし。 >>339
それは2011年度までの製造予定数であって、この時点で1000系を一部残すなんて言っていない。
>>156にも書かれているが、当初は2012年度以降に新7000系を更に9本増備で池多摩を新7000系に統一。
そしてその後日比谷線直通廃止で1000系自体が東急から全廃だったと思われる。
ただ、この時点では日比谷線直通廃止がまだ決まっていなかったので何とも言えないが、
日比谷線はその後20m7両化されているので、直通廃止がなかったにしても2020系ベースの7両の新車を導入して1000系はどのみち廃車されている。
>>375
上田側が2008年度に車両更新を計画していたので、おそらく7600・7700系が全廃してからの1000系譲渡という訳にはいかなかったものと思われる。
かと言って暫定的に7600系を上田に譲渡という訳にもいかなかったんだろう。
というか計画的だった場合、今頃1000系は東急にいないはずだったし、福島や一畑は原型先頭車を譲渡、
他の東急旧7000系が残る私鉄にも1000系を譲渡していたと思う。
1500化された以上、1500に改造されたものは池多摩に残るだろうが、原型の1000系は1017以外、
7700もろとも新7000系増備車に置き換え対象となるだろう。(1017は1024→1524の様に1500化されるとして)
となると、新7000系は20Fまで必要…
長野電鉄が今後3両の譲渡車を5本導入して元営団3000系を置き換える噂があるが、
実績を積んで03系という穴もあるけど、03系は短編成化の場合制御系の総取り替えが必要なので、東急1000系の池多摩用を譲渡という事も考えられる。
20m3両では信州中野から先に入れないため、8500系追加譲渡は考えにくい。 >>377
特急が20m3両だから、おそらく8500系に抑速ブレーキがないのが原因だと思うが…
かと言って8500系に抑速ブレーキ付ける訳にいかないだろうから、次の譲渡車は18m車だろう。
後1024→1524は福島交通譲渡車の部品取りで更新しただけと思われる。 103系最終増備車
モハ103-792/102-2049
モハ103-79 103系最終増備車
モハ103-792/102-2049
モハ103-793/102-2050
1984(S59)〜2002(H14)
59・3の山手線増発により製造。
201系でさえ後半にかかってた時期に、赤羽線(現・埼京線池袋-赤羽間)10両化と同時に、わざわざ風前の灯だった103系を製造。
山手線に201系は無理だったとしても(電機子チョッパ制御だから、本当なら山手線のほうが向いていたのだが)、総武線や東海道・山陽本線など、当時、201系を投入していた路線は他にもあったのに。
よほど201系を作りたくなかったのか。 >>380 ごく少数の増備で、103の製造ラインがまだ残っているのであれば、201を別の線区に入れて、そこから103を持ってきて山手に数両だけ入れるという方式より効率的なんでは?
赤羽線10両化のための103の編成組換えで、どうしても不足する分だけ増備したってことでしょ。 >>381
>103の製造ライン
電車って専用ラインで作るものじゃないんじゃね?
201系に混ぜて作れると思うが >>382 航空機でも製造ラインと言ってるんだけどな。自動車工場で見られたようなベルトコンベア式のものではなく、一つの工場で複数機種を生産できるが。
要するに、治工具や部品調達含めた製造システムが稼働可能かということ。 >>383
>要するに、治工具や部品調達含めた製造システムが稼働可能かということ
それ無かったら修理どうすんのよって話だよなあ
当たり前な話過ぎて条件に入れるようなことじゃないような気がするよ >>380-381
59-2のダイヤ改正の時、最低限の新製で済むようなダイヤにした。
だからこのとき、115を中心に先頭車化改造車が大量に発生した。
編成短縮して輸送力増強する路線に転配、って言うのが難しい
415系や通勤電車だけは新製で賄ったんだが、201を1編成投入して
それを玉突き転配するよりは、103のモハを2ユニット作る方が
カネがかからなくて済んだ。 まあ結局平均20年くらい使ったわけだし
その後の使い道は埼京線の10両編成な訳だから10両組むのに足らん分を増備するのが
最も自然だったんだろう >>384 治工具や部品調達に不足があるのであれば、別の部品に取り換えるとか、同型車の予備があったら部品どりするという手があるよねえ。地方私鉄でよく行われるやり方だが。 >>387
修理できるなら新車も作れるでしょ
簡単なことさ >>388
自動車の修理工場なら何でも修理してくれるだろう。 エンジンだって載せ替えしてくれるだろう。
でも新車は作れるかなー? >>380
京王だって7000のビード車増備の最中に6000の都営直通用製造してたけど >>389
自動車の修理工場で新車が作れるかどうかは関係ないわな >>366
京王のプレスリリース見てくればいい、アスベストの関係だと。 >>392
京王7000系の件は
1989年製以降はノンアスベスト塗料(断熱塗料)仕様であったはずが
本来含有してはならないアスベストが混入した塗料を
製造元の日本特殊塗料が誤って供給してしまったことが
廃車予定車における検査で発覚
同じ塗料を使用していた
8000系19両の中間車化改造(2011.11-2017.9)施工後のことだった
https://response.jp/article/2017/10/20/301358.html
https://response.jp/article/2017/10/20/301362.html
相鉄9000系も同様に
知らないで、YOKOHAMA NAVYBLUEへ更新時に
アスベスト含有する断熱塗料の塗布部分を
飛散防止措置をせず施工してしまった
http://www.kanaloco.jp/article/294978 >>390
当時は7000系が各停専用で優等は6000系を継続増備する予定だったから、
新宿線直通は6000系を増備したと思われる。 >>394
なんでそんな拘りがあったのか理解出来ない。 都営側に乗り入れ系式をあまり増やしたくないのと京王側の各停利用者への見返りで乗り入れは6000継続、各停利用者へはそれまで優等用のお下がりばかりだったことへの詫びも含めて7000を優先したのだと思う 京王は編成美を追求する会社なんじゃないの?
だから足回りがほぼ同じ6000と7000を混結させるって発想がなく、
7000登場後も既存の6000を編成増強用に生産続行した、のかも。
都営地下鉄乗り入れ用の形式を増やすのを嫌ったのもあるだろうけど。
のちの9000の増結車に6000と7000の2コテを使ったから、編成美追求は
理由にならないのかも知れないけど >>40
えっ相鉄8000と京急1500は事故廃車だったの? >>397
6000と7000は制御装置(6000全廃後7000はVVVF化)もブレーキ指令も同じだったが回路の関係で混結はできなかった筈
8000も同様
9000は6000も7000も併結できるようそれぞれの系式車との読替装置があったから混結できた >>396-397
7000系地上用に増備し6000系は乗り入れ改造すればよかったのでは? 地上用の6000系の最後に作った6717〜6719Fのグループはアンテナ架台とかを準備して落成していて後に
クハ6730形が分散式冷房車の初期型の地下鉄乗り入れ車を取り替えるために全てアンテナ追加して乗り入れ対応改造してる。
このグループは運行幕からLED表示になっていた。
6719Fから改造した6749Fには6999っていう形式があり、20以降も作ったら恐らく形式が枯渇してインフレしていた。 >>401
いまの9000もそうだけど、20本目は、6730Fになったかと。枯渇するのは21本目から。 >>397
600V時代からの強烈なコンプレックスの発露だろうね。14m車5連で地べたを這いずってた姿を二度と再現したくなかったという。だから今から見れば鉄チンのしょぼい6000を10両清一編成を目指してひたすら増備したのだろう。 >>374
山手線205転用は103潰しが目的ではなく、山手線のD-ATC化が主目的。 >>394 >>395 >>396
当時の京王の各駅停車は、2000系・2010系などの18メートル車6両編成で運転されていた。
それを各駅停車のみの停車駅のホームの長さの関係で、7000系の5両編成で置き換えたの
だが、7000系を優等列車用に8両編成で新造して6000系を各駅停車に転用しても、5両編成
化により3両の中間車が余剰となることや、>>399氏が仰るように、7000系の8両編成と6000
系の2両編成の混結が不可のため、優等列車用は6000系のままとして、7000系は5両編成
で各駅停車用として投入した。(その数年後には各駅停車のみの停車駅のホーム延長に
より、7000系も5両→6両→8両編成へと増結されている。) >>106
207は当初から片福連絡線絡み以外は増備の予定は無かった。
京阪は7000系増備で2000番台の車両を置き換えるつもりであったが、8000系の人気が出て、旧3000系を8000系に置き換えることになったため、その期間中通勤車の製造は中断された。
(後に計画が再度変更され、1本のみ残っていたが)
また、7200系も9000系が企画されなければ、その分7200系を増備して少しでも2000番台を置き換えていたはず。 >>406
その後優等用は8000系に移行したが、各停用は7000系を継続増備する予定だったため、各停10連化用も7000系で増備された。
(4連・2連と10連化用増結中間車) >>406
1987年デビューの7020番台は8コテで製造されたが… >>91
>>107
南海2000系は、当初21000系置き換え用として計画されたが、まず輸送力増強用に3本が登場し、しばらくはこの3本で打ち止めになる計画。
しかし92年のダイヤ改正で金剛に急行が止まるようになり、朝ラッシュ時の急行が連日遅れが常態化してしまった。
その理由に2000系と21000・22000系を併結させた際の相性の悪さがあったため、増備再開を前倒しし最終的には22000系も置き換えられ、21000・22000系と同数の64両が製造された。
この際に22000系も6両が廃車となっている。
(32両中、24両が支線に転属(うち12両は貴志川線)、2両が熊本に譲渡)
ちなみに2000系が当初の計画通りに21000系のみ置き換えだった場合、1000系50番台は増備されていた。 >>410
結局2000は本線でも走ってるわけだしその廃車された22000を本線転属は駄目だったの?
7100と車齢変わらないから本線転用しても意味はなかったから? >>314
結局更新の対象外になってしまったけどな >>409
だから、7020番台は各駅停車のみの停車駅のホーム延長後の新造だから、当初から8両編成
というだけのこと。この時点(87年)で7000系の5両編成は消滅していた。 >>408
8000系も10コテでなく6+4で作ったのも八王子・高尾山口運用を考えたのかも知れない。
高尾の土砂崩れでクハがオシャカになっての代替車による実質的10コテ化がそのまま他の編成にも
波及したようなものだが。
ただし相模原線特急新設当時は6000をそのまま使っており、しばらくして8連車の8030番台を作った。
その当時地下鉄乗り入れ対応車でない8000系の出庫目的に橋本発本八幡行きと言うのもあった。
ワナがあり、桜上水で強制的に乗り入れ車(都営車)に乗り換え。 >>413
7020系が出たときは5連は6連化にとどめてたはず
6連を8連化したのは7020系登場より後 >>414
8000登場当初の休日ダイヤだと、特急が6+4で
高幡で京八行きと山口行きとで分割併合してたんだが。
6連が京八発着で4連が高尾線だったから、運用上余る6連1本が動物園線に
って運用だった。のちに6連と4連の行先が入れ替わったらしいが。 >>414
平日夕方の橋本発本八幡行きの快速は若葉台にて8000系から6030系に車両交換だった
はずだが…(2003年のRP誌臨時増刊号特集「京王電鉄」内に写真付きの説明文があったと
思う。)
なお、1992年5月のダイヤ改正から10年ほど、上りの最終電車が京王八王子発岩本町行き
だったが、この電車は桜上水で車両交換だった。(京王7000系・8000系→都営10-000形)
>>416
2001年3月のダイヤ改正から、行楽シーズンダイヤの特急は6両編成が高尾山口発着・4両
編成が京王八王子発着に変更された。 西武、結局10000系も数年後にはこのスレの仲間入りになりそう >>418
この92年5月ダイヤ改正で、都営車に関しては10-250・10-260Fの2編成が増備されたが、2編成とも2017年に廃車となった。
また、京王車に関しては7725F(当時は8連)と8801+8701F〜8806+8706F(当時)の10連6本が編成単位で導入された他に、
7706〜7710Fが8連化され、新造の7106〜7110と7556〜7560が組み込まれた(既存の7106〜7110と7156〜7160は7206〜7210と7256〜7260に改番)
その後 VVVF化により7106〜7110が電装解除され7506〜7510となり、この際既存の7200番台の車両は7100番台に戻された(7710Fは7702Fの中間車を組み込み10連化されたため、7729Fに改番)
今回、7000系の廃車が開始されたのに伴い、92年製も6両(7506・7508・7509・7556・7558・7559)が廃車となった。
7506・7556は7706F全車廃車の煽りで廃車となったが、7708・7709Fは92年製を抜き取り6連化されており、この際92年製中間車をそのまま廃車したため、おそらくは暫定的な6連化で、
5731〜5735Fが本来のライナー運用に就いた際に運用持ち替えで廃車されると思われる。 >>319 >>320
っていうか6000が営業開始前の試運転で秩父線走ってなかった?
他に旧101のVVVF試験車の試運転も 351系
1993年に登場したスーパーあずさだったが353系導入により、早くも廃車が出た
最終的には今年度中に全廃となる予定
束のJR型特急の廃車は253系・651系に次いで3例目となった ただ>>419が挙げた西武10000系でも最後の編成は短命になる可能性も低くない
とはいえ後継の赤矢が全部置き換えるかどうかわからないので何とも言えんが >>425
束が車両をボンボン使い捨て過ぎなのもただ単純に新津と横浜を維持したいだけという気がする
231-500や常磐快速用が営業入りする辺りまでは普通に103が走っていた 今JR型やらVVVFやら軽量ステンレスやら平成生まれの車両を惜しげもなくやすやすと捨ててるのを2002年頃のJR東オタに言っても信じられないだろうな
っていうか、103全廃した辺りから頭おかしくなってる
103全廃の翌年に209試作車が廃車なんてw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています