【Gr.C】グループCを語るスレ其の28
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古き良き時代、懐かしのグループCについて語るスレです。
現代車との比較は構いませんが、あくまで話題はグループCについてにしましょう。
グループCに対する批判、煽りなどは極力控えてください。荒らしはスルーしましょう。
※前スレ
【Gr.C】グループCを語るスレ其の27
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1555937254/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured ロンドーの話に入り損ねた
タイヤがちっこくて可愛いよねw
1/43のミニカーも持ってる >>997
上手く言えないけど、トップチーム、トップカテゴリー乗れたことで満足してしまったと言う感じ。 岡田秀樹は88年のWECでポール取ったけどジャガーやワークスポルシェにはついていけなかった
その前年の和田孝夫もポール取ったけどてんで話にならなかった
そのまた前年の中嶋悟も幻のポール取ったけど本番では全然ダメだった
日本人は一周は速い人もいるけどレースペースだとダメなんだろうね Gr.Cの時代(82〜92年)
WEC(82〜85年)
82年 ポルシェ4勝 ランチャ3勝 ロンドー1勝 チャンプ=ポルシェ
83年 ポルシェ7勝 チャンプ=ポルシェ
84年 ポルシェ10勝 ランチャ1勝 チャンプ=ポルシェ
85年 ポルシェ8勝 ランチャ1勝 日産1勝 チャンプ=ロスマンズ
WSPC(86〜90年)
86年 ポルシェ7勝 ジャガー1勝 ザウバー1勝 チャンプ=ブルン
87年 ジャガー8勝 ポルシェ2勝 チャンプ=ジャガー
88年 ジャガー6勝 メルセデス5勝 チャンプ=ジャガー
89年 メルセデス7勝 ポルシェ1勝 チャンプ=メルセデス
90年 メルセデス8勝 ジャガー1勝 チャンプ=メルセデス
SWC(91〜92年)
91年 プジョー3勝 ジャガー3勝 マツダ1勝 メルセデス1勝
チャンプ=ジャガー
92年 トヨタ1勝 プジョー5勝 チャンプ=プジョー
JSPC+富士LD+WSPC
82年 ポルシェ1勝
83年 ポルシェ6勝
84年 ポルシェ5勝 MCSグッピーマツダ2勝
85年 ポルシェ4勝 童夢トヨタ1勝 日産1勝
86年 ポルシェ6勝
87年 ポルシェ3勝 トヨタ2勝 ジャガー1勝
88年 ポルシェ5勝 ジャガー1勝
89年 ポルシェ4勝 メルセデス1勝 トヨタ1勝
90年 日産3勝 トヨタ2勝 メルセデス1勝
91年 日産3勝 トヨタ3勝 プジョー1勝 メルセデス1勝 ジャガー1勝
92年 日産4勝 トヨタ2勝 プジョー1勝
93年 日産1勝
I 83年 全日本耐久 M=ポルシェ D=シュパン 富士LD トラスト
84年 全日本耐久 M=ポルシェ D=長坂 富士LD トラスト
85年 全日本耐久 M=ポルシェ D=高橋国 富士LD アドバンノバ
86年 全日本耐久 M=ポルシェ D=高橋国 富士LD アドバンノバ
87年 JSPC M=ポルシェ D=高橋国 富士LD アドバンノバ
88年 JSPC M=ポルシェ D=岡田 富士LD フロムA
89年 JSPC M=ポルシェ D=高橋国 富士LD オムロン
90年 JSPC M=日産 D=長谷見 富士LD ニスモ
91年 JSPC M=日産 D=星野 日本LD ニスモ
92年 JSPC (C1)M=日産 D=星野
(C) M=トヨタ D=リース >>7
フォローありがとうございます
これら次からテンプレに入れますか? ロンドーの話題いいね。M379、378。確かにタイヤ小っちゃくてかわいいね。以外にくそ速くて、1980ルマン優勝してるけど。1981ルマンのジャン・ルイ・ラフォッセの死亡事故は強烈だけど。カーナンバー25のM379 私はアジアの片隅のこんなに小さな国に、かつてヨーロッパ勢と渡り合えるCカーが存在していた事を誇りに思うね。
何度もあと少しで優勝を逃したトヨタ、続けてれば優勝の可能性が多いにあった日産、実際に優勝一番乗りしたマツダ
全部素晴らしいメーカーだ だから今でもグループCを懐かしむ人が多いわけで
その後のスポーツカーレースはバレストルに嬲られ空力ルックになり魅力ない Gr.Cカーによる最初のWEC優勝車は ロンドー
ポルシェがいなかったことが幸いしているのだろうが、、、 >>7 は
リンク切れが多くて テンプレから外したんじゃなかったけ? >>11
ロンドー=イナルテラ!相当なマニアやね。それも年季が入った。 77年までは、イナルテラLM。78年からはロンドーM378.82年の956登場まではロンドーM379かポルシェ936が最速だったろうね。 ロンドーと言えばOTISだなw
OTISの偉い人がうちはエレベーター会社で正直モータースポーツに広告出しても
意味ないんだけどロンドーの心意気に惚れた、みたいなコメントしてて
そういうのあるんだーって思ったな。
ジャンロンドーって自分の熱で周りを動かすことが出来るチャーミングな人だったのかもね。 >>4
当時のレースなんて見てなかった人は こんなところに来たって面白くないでしょ・・・
スレ立てたり仕切ったり変わった人だな・・・ >>14
Gr.Cのレギュレーションも簡潔で優秀だったよね。
各チーム個性もあり、本気の殴り合いが楽しかった。 >>21
??
何か気に障ること書きましたか?
自分は当時からレースも見てますが 1982年のWECJAPANの時、持ってきたロンドーを買う、買って国内で走らせるって人居なかったのかな。
SSRの浜田社長とかに動いて欲しかった。 >>26
82年時点ではロンドーも速いM379でなく、CカーのM482に生産が移ってたかな。買いたくても中古しかなかったかもね。あの時点で3年落ちなのできついかな。
956相手ではDFVのロンドーはきついな M379 や M382 は 銭湯力を無くし
C2 に移行して走り続けたんじゃなかったっけ >>25
オープニングラップからついて行けてないから車が持ったとしても無理な気がします
オカピーは少しは粘ったけど和田さんなんかあっという間に抜かれてたもんね 86C は、決勝中盤にジャガーに周回遅れにされたものの、
その後数周 一定間隔で走っていたから渋滞に引っかかるとかしなければ
ジャガーと同レベルのタイムだったんじゃないかな。 >>32
付いて行けないっていうか付いて行かないっていうか
ブーストも違うし予選の気合一発を本番で再現しても意味ないし
ドライバーよりマシンの問題っしょ >>34
付いて行かないんだったら日本人のポールってスポンサーへのアピール以外の意味ないってことですよね?
強い車と速い車、強いドライバーと速いドライバーは違うってことですかね?
藤田直廣さんがワークスポルシェに乗ってたら日本人ドライバーの物差しになれたのかもしれませんね
藤田さんはバリバリワークスポルシェのドライバーのシュパンを遅いってはっきり言ってましたからw
ですが高橋国光、健二さんや関谷政コさん、岡田秀樹さんはクレマーポルシェやザウバーメルセデスに乗ってますし
その時はさして速くも強くも無かったですから当時の日本人にそんなに強いドライバーはいなかったんだと思いますね >>35
ポールって中嶋トムスだけじゃない
あのときはトヨタのためにポールだけは取りに行ったんだよね
他は序盤で飛ばしても意味ないしね
ワークスとは体制も車も違う
同じ条件で比べなけりゃ比較はできないよ 1986年富士500マイルの序盤は星野日産とリーストヨタの争い。
1985年鈴鹿1000kmの序盤は星野日産独走。 85年鈴鹿1000q 星野日産
富士500q 長谷見日産
86年富士500マイル 星野日産
鈴鹿1000q 星野日産
富士500q長谷見日産
87年富士1000q 長谷見日産
鈴鹿1000q リーストヨタ
WEC 和田日産
富士500q 和田日産
88年富士500マイル 長谷見日産
89年富士500q リーストヨタ
WSPC リーストヨタ
富士1000q 長谷見日産
富士500マイル 長谷見日産
鈴鹿1000q リーストヨタ
IC富士1000q ラッツェントヨタ
90年以降トヨタ日産以外のPPは91年菅生500qのアンドスカートヨタ、菅生500マイルのファビのジャガーのみ。 >>29
富士LDで燃費に苦しむ956相手に勝ったグッピーの例はともかく、ロテックM1-Cみたいに1984年のWEC inJapanで
ノングランドエフェクトカーでかつ燃費もキツいC2なのにポルシェに次ぐ6位(C2優勝)なんて事有りましたから。
83年にM382なら結構やれたんじゃないかと。
ロンドーはクラシックなスペースフレームにノングランドエフェクトカーでしたけど
車重が軽いんですね。ルマン仕様で830kgぐらいで1000km位だったらもっと軽く出来たかと。
コレ結構なアドヴァンテージだと思います。DFV付で値段が2k万位なら・・・・・・。 1988年のWECJAPANで岡田が運転して遅れてたポルシェの話が出ていたけどその頃は
プライベーターにも水冷ヘッドの3リッターエンジンが出回っていたのかな? 86のトムスはポールは幻だったけど序盤は飛ばしまくってトップ走ってなかったっけ 走ってない。
トムスがトップ走ったのは7月の500マイル。 >>41
序盤飛ばしまくったのはブルンの2台
ララウリとイェリンスキー
シュトックとギンザーニが続いた
ポルシェ956/962Cの独走だったよ >>44
1987年のトヨタ87C36号車はリタイアするまでジャガーとトップ争いしてましたよね その年だっけエンジン冷却用にめちゃ燃料濃くして黒煙吐いてたのは。 1回目のピットストップで燃費の差が大きくそこで事実上勝負はついていた。
ただこのレースペースカーラン多かったから燃費に余裕できて、もしトヨタが最後まで残ってれば何かが起きたかもしれない。
ミノルたんがやる気失っていた年だったので、最初から童夢でなくトムス2カーで行っていればと悔やまれる。 本物にかなり近い956/962を造れるとか
まあ、新規モノコックはヒストリー的には微妙だけど、それ以外の部品はオーナーにとっては有り難いのかも
http://www.slackmotorsport.com/Porsche%20962.htm ヴァイザッハはどう思ってるんだろ
パーツならまだしもモノコックとは 見れない…
話題になったドラマじゃないが
テセウスの船的な… >>52
Slack Motorsport 962sと検索すると出てくるよ >>51
現役時から色んなコンストラクターが互換モノコック作ってたし問題ないだろう
これが正規シャシーナンバー名乗ったら問題視するだろうけど GTIとかはバイザッハお墨付きとかって言われてたよね?
Slackは何かやり取りがあるのかな ポルシェも356やナローなんかは社外パーツ屋が多数存在してるから
956/962用のパーツを作る所があってもおかしくはないかな
それだけヒストリックカーレース用にパーツの需要があるという事なんだろうね 別物みたいなモノコック作ってるとこはポルシェ962って名乗る必要あったんだろうか >>57
その点クラージュはエンジンやミッションとかポルシェと提携してたから
正規品を供与されたけど、962とは名乗らなかったね レナウン、民事再生手続きへ コロナで販売減
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59166740V10C20A5I00000/
もうマツダのスポンサーしてた頃のレナウンとは違うとはいえ
やっぱり寂しいね ミニカー屋も困る
787B の再販予定あるようだし
この秋 初期のCカーで
ローラT600 のミニカーが発売されるみたいね >>61
どこが再販するの?オートアートかイクソあたりかな? >>63
スパークかありがとう
あそこは良く再販するね
個人的にはhpiのをイグニッションから出して欲しいが マツダスピード、レナウンの前は アルファキュービュクだったかな?
チャージのマツダスピード・ ウェア 持ってる人は、希少品だね。
Cカーの時代は、アパレルが元気が有る時代でもあった。
メインスポンサーで 赤、黄/黒、緑、黒、ガンメタ、ピンク…他 マツダ車の スポンサーではなく スタッフ・ウェアが、
レナウンの前 一時 アルファキュービック製だったと記憶。
違ってたら すまん。 >>65
ハセガワはタミヤと比較するとたばこメーカー以外は申請していない可能もあるね
最近だとR91デイトナがキャメルは消えてるけど版権料が高そうな
ロレックスは付いてるしね >>61 でウソを書いてしまいました
ローラ T600 は Gr.C 仕様ではなく
セミクローズドの G.6 仕様でした。
多少のことは気にしないということで >>66
アルファキュービックじゃなくてJUNじゃないの?
レノマ84Cも13B積んでたけど。 >>70
88年広告 確認したら
白/青の 757、767時代は、アルファキュービック。
イグニッションには、オレンジ/白の 初チャージ767
ミニカー販売してほしかった。 ハセガワから出たナビコネクションマツダ767Bだけれど
DFRを積む前に、ロータリーエンジンでも何戦か出走していたんだね >>71
「フィニッシュライン」?
その時レナウンがスポンサーについてるよ。 そういえばフィニッシュラインだった個体は今は日本に居るやつだったな レナウンがついたのは確か1988年のWEC-JAPANからだったっけ
当時のマツダスピードの社長が「マツダなら完走率が高いのでいい宣伝になります」と口説いたらしいが
スポンサーについてもらった途端リタイアが続発したので
その度に社長はレナウンに謝りに行っていた
とは黒井本より >>73
wikiによると初めからDFRと書いてある
どこの中古のDFRかとかエンジンメンテは何処とか知りたい所 >>75 それ89年限定のNo.201。同年 他の2台がCHARGEの時な。
88年 No201、202、203(757)全車 青/白 メインは、MAZDAのみ。
89年 No201 フィニッシュライン No202&No203 CHARGE
88年マツダスピードの スタッフウェア&販売品が、アルファキュービック。
その後は >>77
ちなみに、91年 ミノルタ・トムスのスタッフウェアも、レナウン製。 >>81
アルファキュービックが脱税であげられたの何年だっけ?80何年だと思うんだが。戸谷さんも捕まったと思う。 別にスポンサードでなく、今のインパルのウェアのサプライヤーがプーマってレベルの話でしょ。
757のどこにもアルファキュービックのステッカー貼ってない。 0250 神様仏様名無し様 2020/05/19 01:36:44
さっきまでNHK−BSでWSPC第3戦シルバーストンの予選のナマ中継やってたけど日産R90CKが4位。
小河等もドライブするトヨタ90C−Vが9位。厳しいな。
メルセデスC11がポールポジションなんだが、2号車ドライブしてこのレースがデビュー戦のはずだった21歳のミハエル・シューマッハ、規定違反で失格。
こんなんじゃ将来期待できないだろうね。
ル・マンにはメルセデス欠場するし、日産にもチャンスあるかねえ? 0273 神様仏様名無し様 2020/05/21 00:20:12
今NHK-BSの生中継終わりました。WSPC第3戦シルバーストン、最後まで優勝争いしてた日産R90CKの2台だけど1台はサスペンショントラブル、もう1台は最終ラップガス欠でリタイアorz…。優勝ジャガー。メルセデスはまさかのリタイア。小河等のトヨタ90C-Vはリタイア。
ル・マンではメルセデスいないし日産に期待したいな…。WSPCの生中継やるからってんで無理してBSチューナー買ったんです。
それにしてもWSPCに日本車、日本人が出て生中継で見れるなんていい時代になったな。数年前には考えられなかった。NHKの実況はくそだが。フジのF1、今宮の解説が良いと感じるくらいw
フジのF1アナは有賀さつきの方が良かった。 あの1990年ル・マンから今年で30年。
語ってくれ。 日産は今でも色々話題になるけど、トヨタは記憶に残るような出来事が無いな 1990にYHPとタカキューがぶつかった詳細がイマイチわからん >>89
トムスに恩返しする。と言った 鈴木亜久里が
90C-V を壊しまくった。 トヨタ90C-VはJSPC富士開幕優勝したのに総合的にR36Vが失敗だったのかね。シーズン終盤には89C-V引っ張り出されたり。 車体の問題 もしくは
立て続けに クラッシュしたこと 亜久里はモンツァでクラッシュ、スパでクラッシュ、ル・マンでクラッシュ。
舘さんへの恩返し、になってなかったな、全然。
そんなこと考えないで素直に日産から出てればね、89年から。89年なんて暇だったんだし。
90年に日産いたら勝てたかも。 >>94
89年だと鈴木利男選手から鈴木亜久里選手へのチェンジだから
SUZUKIからSUZUKIへだから外人さん辺りは面白がりそう >>92
90C-Vはワイドトレッド化したのが裏目に出てハンドリングのバランスが崩れたと言われてる
ナロートレッドの89C-Vの方がハンドリングがマシって事で引っ張り出されたりした。
91C-Vはバランス改善の為にロングホイールベース化された トヨタも90年までBSタイヤで世界選手権を戦ったけど、
当時のミシュランやグッドイヤーと比べて能力的にはどうだったんだろうね?
ダンロップはTWRからダメ出しされたけど 当時はミシュランタイヤもヨーストがダメ出ししてたよね 91C-Vのフロントカウルの後端はサイド面と辻褄が合ってなく被せるように少しワイドに出来てたけれど、トレッドに関しては変更無くロングホイルベース化のみだったの? >>99
1990年だけミシュランだけどJoustが勝負に出て外したという感じ? ヨーストはミシュランになって絶好調の89年から一転した。 皮肉にも1989年のヨーストがグッドイヤーで調子が良かったから
ワークスのザウバーとジャガーに取られてミシュラン履かざるを得なかったんだよね IMSAではGOODYEARの供給を受けているから、
世界選手権向けのキャパシティーの限界だったのかもね。 >>106
スパイスとかロイドはグッドイヤー履いてるから恐らくお金の問題だったと思う 89年メルセデスに追いつく寸前だった日産が、翌年にはメルセデスに離されるどころかジャガーにも抜かれたのはやっぱタイヤだな。 1985 ダンロップ3
トヨタ 38号車DL(リタイア)
マツダ 85号車DL(24位) 86号車DL(19位)
1986 ダンロップ4 ブリヂストン1
トヨタ 38号車DL(リタイア)
日産 23号車BS(リタイア) 32号車DL(16位)
マツダ 170号車DL(リタイア) 171号車DL(リタイア)
1987 ダンロップ3 ブリヂストン3 ヨコハマ1
トヨタ 36号車BS(リタイア) 37号車BS(リタイア)
日産 23号車BS(リタイア) 32号車DL(リタイア)
29号車YH(リタイア)
マツダ 201号車DL(リタイア) 202号車DL(7位)
1988 ブリヂストン4 ダンロップ3 ヨコハマ2
トヨタ 36号車BS(12位) 37号車BS(24位)
日産 23号車BS(リタイア) 32号車BS(14位)
85号車YH(リタイア) 86号車YH(リタイア)
マツダ 201号車DL(17位) 202号車DL(19位) 203号車DL(15位) 1989 ダンロップ6 ブリヂストン3 ヨコハマ1
トヨタ 36号車BS(リタイア) 37号車BS(リタイア) 38号車BS(リタイア)
日産 23号車DL(リタイア) 24号車DL(リタイア) 25号車DL(リタイア)
32号車YH(リタイア)
マツダ 201号車DL(7位) 202号車DL(9位) 203号車DL(12位)
1990 ダンロップ7 グッドイヤー3 ブリヂストン2 ヨコハマ1
トヨタ 36号車BS(6位) 37号車BS(リタイア) 38号車DL(リタイア)
日産 23号車DL(5位) 24号車DL(リタイア) 25号車DL(リタイア) 83号車GY(リタイア) 84号車GY(17位)
82号車GY(22位) 85号車YH(リタイア)
マツダ 201号車DL(リタイア) 202号車DL(リタイア) 203号車DL(20位) 1991 ダンロップ3
マツダ 18号車DL(6位) 55号車DL(1位) 56号車8位(DL)
1992 グッドイヤー3 ミシュラン2 ブリヂストン1 ダンロップ1
トヨタ 7号車GY(リタイア) 8号車GY(8位) 33号車GY(2位)
34号車BS(9位) 35号車DL(5位)
マツダ 5号車MI(4位) 6号車MI(リタイア)
1993 ミシュラン3 ダンロップ2
トヨタ 36号車MI(4位) 37号車MI(リタイア) 38号車MI(8位)
22号車DL(5位) 25号車DL(6位) >>100
91C-Vはフロントトレッドを拡大してる(リアもわずかに広げてる)
フロントのワイドトレッド化は、前年にトムスがフロントだけワイドトレッドにした89C-V改を投入して
成功したから91C-Vに取り入れたと思われる >>111
1992年のル・マンでBSタイヤを使ってるのはSARDだけか
1993年は使用するユーザーが無しだしな 89年LM 3台の767B
201&202は、同形状カウル等で、昨年型767の進化型なのは判るが
203は、ドアミラー、大きなライトカバーのFカウル、Rウイング(含ステー)、
キパイ廃熱プレート、Rカウル等、767Bではなく 見た目”767”なのだが
なんで 767Bの呼称 なんでしょうか? 767Bとはサイド排気の意。
203は88年式767のサイド排気仕様と思ってください。 とは言っても767B用のモノコックは2つだけで、3つめは767からアップグレードしたものだったような
まあ、今回の場合は冷却周りの強化や出力アップによって767B相当の性能になったから統一したんじゃないのかな? 88年ル・マンで後方排気だった767は整備性が悪く苦労した。 スミマセン、ご存知の方がおられましたら教えてください。
91年のルマンで優勝したときの787Bのフロントホイールカバーについてです。
おそらく白色が正しいと思うのですが、たまにミニカーで水色のホイールカバーを装着したのがあるのですが、このような仕様はあったのですか?
またたまに画像でグレーに見えるホイールカバーは単純に白いカバーがブレーキダストで汚れてそう見えるだけでしょうか? 車検場にはあの水色ホイールベーンで来た
金+ロゴは知らない(博物館保存仕様?)
タミヤのプラモだとフラットアルミ塗装指定になってたけど、あれどー見ても白だよねと思ったから当時からフラットホワイトに塗ってた >>120
ルマンに寄贈したヤツは水色にボルクレーシングロゴだった 保存なんちゃって787Bのシャシーナンバー知りたいね
787Bは全車健在、787も90年の#202〜91年の#56は787のままマツダUSAに
一時期小樽に置いてあったやつは元767Bかな? 小樽(EX05)のは新規に造ったやつじゃなかった?
そもそも767Bは767から改修したやつも含めて全て動態だったような?
レプリカのシャシナンと現状
002 EX01 767? 輸送中に破損、既に破棄済み
002 EX02 767? レーシングパレスに猫ばばされ、もしかしたら海外で767Bになった?
002 EX03 757-001? 国内で良く見る個体
002 EX04 787-001? ルマンミュージアムに寄贈
002 EX05 新規(モノコックは木製?) 本社に返却 シケイン無し時代のル・マン動画見るとやっぱりストレートの迫力が全然違うなぁ。
トップスピードだけ見れば今のプロトと60〜70km/h違うんだもんね。 今回のレーシングオン現代に生きる銘車たち、LM07Cで歓喜。 >>127
全日本で1987年に2戦走っただけだけど中古だわな
BHオークション2020で外人に落札さされたわけじゃないようだな サードみたいに径の大きなタイヤに合わせて小変更した辺りかな。
とはいえエンジンメイクスが違うんだから作業量は多かったんだろうね。 オースポのルマン特集、R90CKの記事にR89Cの画像を使うという痛恨のミスをしてる >>132
マジですかw
明日のGPCarStoryの新刊発売日だから立ち読みしてくるわ >>132俺も気づいた それでも初めて見る写真もあるんで良いじゃないか >>132 P29 あの写真の説明だと、
ミラー&ハチマキのロゴが白の、No24のTカー を載せるところ、間違えたんだね。
イグニッションモデルで、24T 販売してほしかったな。 >>132
しょっちゅうやってるんだよねそのミス
「ル・マン 見果てぬ夢」でも、R’on連載中だけならまだしも、別冊になっても直されなかった
あの黒井尚志の「ル・マン」でもやってる
R89C・R90CKのミニカーならイグニッションもQ-MODELもあらかた(24Tも作った、ついでにエグゾトのR89C#23も)持ってる俺が、編集部に乗り込んで校正をどつき回してやりたい >>124
話聞いた時はレーシングパレスの車はあそこで展示する用に
作ったというような感じの言い方だったけども
767Bには多分化けてないと思われる >>136 3分27秒02の動画だと思うけど、あの映像 黄色と白ミラー車が写る。
後からの合成では?No24が2台共コースにいたとは思えないのだが。
1基しかない VRH35Z:ブースト1.8仕様搭載車は、
白ミラー車だと思っていたが違うの? 寺田陽次郎さんは確かにルマンに何度も出ているのは素晴らしいと思います。
ただレーシング ドライバーとしての純粋な速さというのはどうなんですか?
なにかのレースで優勝したことはありますか? >>141
MX-R01に乗るには依野共々明らかに役者不足だったな
JSPCでは静マツ767Bに乗ってた方が良かったかも 寺田さんの総合優勝って81年スーパーシルエット最終戦が最後かね。 >>141
明らかに遅い
従野さんはルマンに出たマツダドライバーの中で予選トップタイム取ったこともあるんでそんなに馬鹿にできんが寺田さんは擁護の余地が無い >>145
GCで2位には入ってたと思うから、そう馬鹿にしたもんじゃない。あとチームマネージャー的な能力もあった。今でいやあ土屋武士みたいな感じでは? 91年富士500マイル、92年ル・マンとJSPCのMX-R01の対比、してみれば、運転手さえ良ければJSPCでもマツダはトヨタ、日産と勝負できたと思う。 寺田陽次朗の自伝「ルマン、午後四時」は名著だと思う
一緒にマツダで長いこと走ってたデュドネはインターTECの初代ウィナーなんだよな モラ田さんの広報・プロデュース能力は天性のもの
屈託ない性格は黒井本の冒頭で分かるとおり
大橋さんや片山さんが無口だったり鉄砲玉マインドだったから余計引き立ったでしょう
でもレーサーとしての速さはそれとは別 日産はドライに柳田さん切ることてぎたけど、マツダには無理だったか?
ガショー、ハーバート、バイドラ―、ヨハンソン級最初から集めてれば。徹がなあ。なんで太田は使い続けなかった? >>149
そうですか?
特に新しい発見はなかったけど >>150
モラ田にそういう能力があったとしても、レーサーである必要がないんですよね
監督の下のレーシングコーチとか?
ドライバーが納得しないよね >>151
90年に100馬力上げたそうだから、それ以前はああいうドライバーでちょうどよかったのでは >>148
モラ田はずっとマツダオート東京にいて、他人と比較できないんだよね。マツダ内では遅い。 >>146
ありがとう。面白く読ませて頂きました。
なんだかんだ言っても、大橋さんと寺田さんがいなかったら、マツダはルマンに行けず、優勝も無かったと思いますよ。片山さんや従野さんは速いかも知れないが、我が強すぎてチームプレイは無理。
カツラのスポンサー取ってまでレース出る熱意は凄い。 >>159
大雑把に書くと
リアオーバーハングの長さと
フロントカウルのフィンの有無
イグニッション製
http://neohobby.net/?pid=119998518 余談なんだがうちの職場に寺田陽次郎にめっちゃ似てる人がいて、初めて会った時もしかして寺田さんですか?ってマジで聞いてしまった。 >>160
ありがとう
並べてみると大分違うね
イグから予定されてて出なかった奴がこれに近いかな? 20年程前、北ロンドンに住んでた時近所に「だるまさん」という日本レストランがあって、そこのマスターが寺田さんにクリソツでワロタ。 小太りで短髪にして髭はやしたら誰でも寺田さんになれるような気がする。 寺田さんの話題なのでついでに
初歩的?かもしれんがなんで寺田さんはモラ田さんとよばれるの? そういえばマツダも80年代後半に若手を育成しようと選んだ選手が
太田哲也とかなんか人選が凄かったね。
耐久レース向けなのしれないけど… >>168
太田は著書によるとパートナーと競っちゃって、全然耐久がわかってなかったと反省していた
世評ではパートナーはいい人なんだけど、聞いても全く教えてくれなかった、後から考えたら彼は下り坂で若手に劣らないように必死だったんだな、今ならベテランを立ててうまくペアをやるんだが、とのこと
パートナーって従野孝司かな JSPCレギュラーとしてならF3000レギュラーのバイドラ―、ハーバート、ピロ、岡田、右京、あたりと契約する気なかったのかね?
運転手さえ揃えればマツダだって…。 ル・マンに全振り
JSPC(SWC)はそのついで
ってスタンスだったら「国内は余り物でいいや」って考えになっちゃうんだろうね >>174
黒井本より 各社のモータースポーツ予算
トヨタ 「80億〜90億の間」
日産 「全体で42億5000万 その予算ですべてのカテゴリーに出てユーザーサービスをして イベントを打ってPR誌を発行する Cカー予算は19億ぐらい(社員の証言)」
「実際19億あるのかもしれないけど 俺のところに回ってくるのは15億なんだよね(柿元監督の証言)」
マツダ 「ウチなんか安いよ カネ持ってないからさ 30億から35億くらいじゃないの(社員の証言) 最近のLMP1に置ける費用
トヨタ:100〜120億
アウディ:228億
ポルシェ:400億
日産:30〜50億
ジネッタ:15億
当時の貨幣価値から考えるとCカーでも結構使ってたのかな? WRCもやってるけど結構Cカー予算は使えてたのかなマツダ >>177
消費者物価指数で行くと、今を100とすると1990年は90位。みんな凄い金を使ってたわけだ。 >>176
>>175のソースはレーシングニュース別冊「栄光のル・マン24時間スペシャル」の黒井記事。 39ページに「トヨタのグループC予算は日産の1.5倍に当たる120億円」
44ページに「マツダの関係者によるとグループC予算はわずか35億円程度」 >>177
年間で?
ポルシェそんなに使ってたんか…
日産のLMP1てwww トヨタはそんだけの予算がありながら90CP辺りにコテンパンにやられていたのか… 模型板から来ました
今マツダ787B作っていてドライバーを乗せてみたんだけどヘルメットのカラーリングが殆ど分からない
DVDでもとりあえずこのカット位しか確認出来なかった
他のカテゴリー出場時のはいくつかネットで見かけるんだけどル・マン優勝当時のヘルメットは見つからない
どなたか資料持ってない?
https://i.imgur.com/J20wqdqh.jpg
https://i.imgur.com/CaM7Dwmh.jpg
https://i.imgur.com/khqBNbSh.png >>185
この写真を見る限り、ガショーはジョーダンの、ハーバートはチームル・マンのをそのままかぶってる感じだけど違うのかなぁ >>169
レースの世界じゃなくても プロ同士で都合よく教えてもらえるわけがないのに・・・
見て盗むような事が出いない人だったのかな? >>187
教えてくれるかどうか、というのがポイントじゃなくて耐久だから協力し合わなければ結果が出せないよね。個人のノウハウを開示するんじゃなくて、共通のメリットがある部分は情報を共有するという意味だと思う。 メットなんか適当に塗れよ…。
てかこの画像通り白に青ラインでいいやん >>169
Cカーレースのインタビューでよく語られるアクセルを抜く走行方法とかの
話を教えてくれなかったとかじゃね?
今挙げたターボカーの話だけとロータリーエンジンカーも走行方法の
違いがあるかもしれないしね
日産ワークス時代の星野選手の話だけ?い摘むと見て盗めの世界だけど
日産とマツダでは所属する選手の数が違い過ぎるけどね 我が拳は一子相伝、教えることは出来ぬ。盗め
ラオウ >>185
軽く調べたけど中々無いもんだね
2011年のハーバートの787Bの時の写真もあるけどスーツは1991年の物だけど
ヘルメットは1991年の物とは記載がないしね
RonアーカイブNo1-105PNo8-181Pにヘルメット横側面の写真が映ってるけど >>193
ありがとう
787Bは実車が走行可能でイベントに結構出てるので当時の写真等が異常に少ないんだよね…
もう少し探してみます >>178
マツダのWRCはベース車開発以外は殆どアキム・ワームボルドのプライベートだったんじゃないかな
ラリーカーストーリー買ってないから分からんけどさ
イメージだけど
Cカー:WRCの予算配分は
トヨタ5:5
日産7:3か8:2
マツダ8:2
それでも323GT-Aeは一度はグループNのチャンプ獲ってるから大したもんだ
排気量で損したけど、素性として明らかにパルサーGTI-Rより優秀だったんだろうね
>>193
ジョニーのメットは99年にデザイン一新してるよ imgur使うの初めてだからうまくいかなかったら勘弁
1991年の洋書でル・マン年鑑から
ハーバートの後ろ頭
https://imgur.com/h83P25L
バイドラーの横
https://imgur.com/nNl06yd
全部見たけどヘルメットはこの二枚しかなかったよ 優勝時のポールポジション見てみるとガショーはジョーダンの時と同じでバイザーステッカーはフィリップス、マルボロもついてた
https://i.imgur.com/TUvi6u1.jpg こうしてみると当時の掛け持ちドライバーはメインカテの装備品をそのまま使ってたんだなぁ 映像に姿が映りやすいフォーミュラーとは違い同業他社のステッカーが
貼られていなければOKなのね 倉庫行って当時のオートスポーツとレーシングオン見てきたけど
ハーバートの脱水が洋書と同じような構図で載ってて他にヘルメットは無かった ジョニーはF3000、ガショーはF1、バイドラーはスポンサー無しの物?を使っていたのだね カウルついてればバイザー閉めることないし昼間用につけたままなのかな?w 屋根付きなんでメットのシールド上げてドライブするのは割りと居ましたよ 安全の為のレギュレーションとかないのかな?
給油中はバイザー閉じる事とか ルマン行った事のある人なら分かると思うけど、本当に真っ暗なのは10時から3時まで位。外人は眼の色薄いから、スモークで眩しい時だけシールド閉めるのはありかと。 >>212
簡単に確認したらNSXの時はフルフェイスだな ボブ・ウォレクとかオスカー・ララウリとかポルシェのトップドラも時にジェットタイプだった 鈴鹿1000kmはジェットヘル
時間帯によっては ヘアピン なんかは、
もろに太陽が真正面に来るので
思わず目をつぶって、、なんてことも >>216
ぶれているので判りにくいけど、
ピットインの画像も ジェットヘル HEY GUYS
フルフェ-スが出始めた'60年代末期にはフルフェ-スに脱着式のヒサシを装着していたドライバーも
居たけど今は全然見ないね。
COMING SOON。 昔はCカーやハコ系に載ってるフルフェイスの人はシールドの所を輪切り?にしていたのに今のGTやS耐の人はそのままにしてる… HEY GUYS
ル.マンの終盤でTS-020のミシュランの左後ろがバーストした時
右京片山氏はバイザーをしてなかったよ〜な。
COMING SOON。 HEY GUYS
グリフィングラビナーのライフサポートシステムの様なモンは何故使用してないんだろぅか?。
COMING SOON。 HEY GUYS
漏れの主戦場はPure audio板とモタスポ板とGolf板と楽器板ですけど
何か>>226?
COMING SOON。 ダウアー962LMのボディカウルってダウアーオリジナルですか?
それとも何か別のモディファイ版でしょうか? >>227 おい弊害!ダウアーの事聞いてるんだから教えてやれや ググるのは無しだぞw しおらしく質問してきた人物が 回答した人に対して
ソースを出してください あなたの個人的な見解なんて聞く価値ありませんから
なんて豹変するのを モタスポ板では数限りなく見るよね・・・w HEY GUYS
ダウアー氏が962Cのロードゴーイングカーとして製作しモーターSHOWに出品した車を
ワークスポルシェがル・マンにレギュレーション上有利な市販車をGT1規格に仕上げたので
ダウアーオリジナルじゃぁね〜よ。ポルシェ製で型式が示す様にLM(ル.マン用)ですな。
CG誌のFROMヨーロッパ欄にPlease Mr.故ポール.フレール氏が寄稿し鳥ますた。
COMING SOON。 >>228
英語版のWikipediaを見るとダウアーのロードカー用オリジナルの
カーボンファイバー製のカウルと書いてあるな
アンダートレイも高速での安定性を高めるためにフラットバージョンに交換されたとか
かなり962Cから変更されてるいとか、日本語版より詳細にかいてあるね
ちなみに13台も生産されてる… フレームは962続きの番号だよね
違うのは外皮だな >>233
海外サイトを見ると皆962Cからの改造車と書いてある
https://www.autozine.org/Archive/Dauer/classic/962LM.html
ブルネイのスルタンが6台購入した車両も他のスーパーカーと同じく
いずれ市場に流れるね ダウアーのテールランプって何かの流用なんだろうか。
ずっと気になってる。 >>235
ポルシェ944に似てるけど、平面だからまともに考えてVW辺りの商用車の流用だろうな。 ちょっと脱線するけど84Cや85Cのテールランプはキャリィ、787BのウインカーがNAロードスター、ミラーがタイタンのから切ったやつだそうよ トヨタは専用設計でやってたしあそこもお金かかったんだろうな
20個も作ってないだろうし 商用車のテールランプはネジが外側に有るから整備性が良いというメリットもある。 トヨタGT-Oneのテールランプも商用車ぽいな。トヨエースとかダイナの流用では? >>237
787B調べてたらギアボックスはポルシェ製ってなってたけどCカーの構成部品は結構共通してるのかもね ダウアーポルシェは35号車962と36号車962LMが走ってたけど両車で何が違うの? >>241
それは出力軸が高いロータリーに合うギヤボックスがポルシェフラット6用ののひっくり返した奴しか無かったから。後年高回転化、パワーアップした際にはボトルネックになった。 そのおかげでマツダのGTPカーのレストア時にギアボックスのパーツ入手は
左程困難じゃなかったりして >>244
94年ル・マンのエントリーを見ると確かに36号車の方にだけLMが付くんだが理由が分からん。 HEY GUYS
漏れが何時も見ている海外サイトの'94年ル.マンの1位と3位のマシンのリザルトは下記の通りで違いはね〜ょ。
↓
Le Mans Porsche Team, D
Dauer (Porsche) 962 GT LM - Porsche 935/82
COMING SOON。 >>247
それが、956/962Cが大人気だから中々手に入らないらしいですよ。 >>235-236
メルセデスベンツのトラックからの流用らしいよ ダウアーのそれはベンツのキャンピングカーで見た。豊田2000GTの丸テールもトヨエース流用だから、合えばOK!、でしょ。 そういえば従来の956や962のテールランプってどこのだろう? >>253
あれは間違いなくトラックのだろう。同年代のGCマシンMCSIVも似たようなテールランプだったな。 走りに直接影響しないパーツを既製品から流用するのってまさに走る為の車、THE・仕事車って感じで良いよな。
トヨタ88C-Vのテールはかなり異端。 ダウアー962だけどカーボン製ボディパネルはすべてハンティンドンの
Lola Composite製なんだね。
メルセデスCLK-GTRなんかもモノコックは確か英国へ外注だし
この頃のドイツはカーボン関連ではまだ良い仕事をする会社がなかったのかな? 今も昔もレーシングカーの部品は当たり前のように英国に外注されておると思う。 ボディはイギリス強いよね
アメリカはまた別の文化みたいな感じだけど HEY GUYS
童夢の初期Gr.Cのカウルも英国製。
COMING SOON 010は青いカシオのが残ってると思うが残り2台はサードとトムスのスープラに部品取りにされたと思う。 JGTCスープラはTS010のスペアパーツ流用したのであって実車バラして部品摘出した訳じゃない
'92ル・マン仕様(#33号車)と'92スプリント仕様(#7号車)は実働状態で日本に保管、
'93ル・マン仕様(#36号車)は実働状態でTGR-Eに保管されてる 日産やマツダと違ってトヨタと直四エンジン時代のcカーは
シャシー番号って公表されてるのかな? 他は軽く調べた分だとこんな感じけど、実際はもっと残ってると思う
85C 1台
85C-L 2台とも現存
86C 2台
87C、88C IMSA仕様を含めれば6台以上?
88C-V 1台
89C-V 2台?
90C-V 2台
91C-V〜93C-V 2台以上?
94C-V 1台? >>266
001も移動してなければ国内にあるはず。確か青森だったか小樽だったか忘れたが展示されたことがある
横のNACAダクトが他の個体と違うんだよね
あと004はそれで合ってる
サードMC88Sは青森のツカハラミュージアムにあるはず うーむ詳しすぎるぜ皆
そんなお宝がこの日本にあるとは ちなみにトヨタ(トムス)のCカーはTS010や直4のは動態が多いけど、88C-V以降のV8ターボ車は動くやつが少ないみたい
(TS020もTGR-E居るやつ以外は動かないし、99年の3号車ことLM804も十年は走ってない)
グランツーリスモなどでお馴染みの88C-Vは十年以上動かしてなく、ここ数年でレストアしてる 意外と残ってるもんだね
アルミはわかるけどカーボンモノコックは何ゴミになるんだ?w >>272
行政が処理するんじゃないから産業廃棄物 日産Cカーの行方
スカイラインターボC→廃棄
LM03→朽ちて残ってる?
LM04→3台のうち1台が座間
LM05→07トヨタとしてコレクターに
マーチ83G→コレクターもの元に健在
マーチ85G→アマダ号(本物)、V8テスト車
マーチ86G→ニチラレプリカが座間とコレクターに。パーソンズが公道仕様に? >>271
020はそれこそF1のテストカーに部品取りにされたと聞いたけど? ローラT810→座間になんちゃってIMSA仕様
R88C→2台座間
R89C→2台座間
R90CP→2台座間
R90CK→3台座間。フロムA魔改造海外、ノーマルも座間から海外へ、のこり2台も海外。
R91CP→座間にデイトナ仕様、KOKUYO号が行方不明に
R92CP→座間に2台
P35→3台のうち1台が座間
NP35→座間 >>276
P35ってXJR-14がWSC95になったみたいにオープンプロトになったのがあったよね
あと座間にあるT810は元々はタカキューカラーだったみたいで、塗り替え前の痕跡が有るらしい
>>275
海外にいるやつは全て動くし、スペアパーツでやったかその後戻したんじゃないのかな?
LM801(テストカーで実戦経験無し)
https://i.imgur.com/KPHjsPu.jpg
LM802
https://i.imgur.com/rcRAgQ0.jpg
LM803
https://i.imgur.com/3sdKybi.jpg
LM804
https://i.imgur.com/c1ThOGy.jpg
LM805(今は3号車カラーだけど何度か替わってる)
https://i.imgur.com/kjCDNcp.jpg
LM806
99年のルマンでクラッシュして破棄
LM907
https://i.imgur.com/KCnRT8E.jpg 横からだけどTMGがF1参戦のための油圧とかの制御系システムのデーター取りで
TS020が使われてたというのは当時のレース雑誌に小さく載ってたな >>281
去年出たレーサーズ外伝を読んでも所有者についてはよく分からない
南フランスの某所に保管されているということであるが…
他にフォーミュラカーなどが同じ場所にあるので、少なくとも裕福なコレクターが持っていることは確かだ
ところで>>277の画像のLM907はLM805だね
LM907はZENTのフォントがだいぶ違うから分かる >>282
そうなの?
てっきりキルスイッチのステッカーの貼り方で判断してたよ >>283
改めて疑問に思ったので同じこと調べたけど>>277で合ってるかも…。
https://m.forocoches.com/foro/showthread.php?t=7509892
これがレーサーズでLM907として紹介されてたものとフォントが同一。
>>277の写真が撮られた時期と↑の写真の写真が撮られた時期のあいだにラッピングし直されたっぽいね。現在はこの姿。
TMGが所有しているLM805もランニングコンディション(ex.2015年ル・マンで右京が走ったデモランがコイツ)なので紛らわしい。
LM805
https://toyotagazooracing.com/archive/ms/jp/wec/special/road-to-lemans-2015-014.html >>284
わざわざありがとう
Twitterの方でもフォロワーがフォントので話題にしてたな ハイテク満載の1998年型は動態保存するには維持が大変そう
>>277
のリストを見ると1998年型で保管されてる車両があるのか良く分からないけど 一般的にはLM907と言われてるけど、キルスイッチのステッカーで判断するとLM805なる模様
https://i.imgur.com/O1puiyz.jpg 020はもう1年続けてアウディと戦ってほしかった。
若干コース変更あったみたいだけど単純なラップタイムはR8より020の方が速い。 コルタンツ氏は翌年仕様のアップデートを作ってオベ・アンダーソンに提出したけど、本社がF1を優先したので叶わなかったとの話 F1であんな調子でやってるなら他で頂点極められたのにな
今更だけど >>289 同感。
GT-Oneが、その後 数年ルマンに存在し続けたら
Expスピード8 は、出てきただろうか?? GT1レギュレーションの車とベントレースピード8のようなLM GTP車は
そんなに中身は変わらんもんかな? >>293
LM-GTPってLMP500に屋根付けて燃料タンク小さくしてタイヤ幅狭めただけじゃないの?GT1より相当速いぜ。 >>293
あくまでも、トヨタのような手法を用いればGT1規定でも同じ車が作れるということ
なおLMGTPは崩壊したGT1規定の受け皿として設定されたということだったはず 020の99年型はGTPだよ。
94年のダウアーとサードの関係と似たようなもの。
98年型のGT1と殆ど一緒だがカラーリング以外にもタイヤサイズなど微妙に変わってる。
つまりベントレースピード8と同カテゴリー。
アウディR8はLMP900でタイヤサイズ的に有利だがパワーはGTPより抑えられてる。
ちなみにR8は最終的に020のタイムを超えてない。 そういやLMP675って地味なクラスがあったなー。
MGは結構好きだったけど。 レイナードとかピルビームとか
LMP2に名前が変わってからはラディカルとか フェラーリ
童夢は、Fia スポーツカーの方だったか MGローラの1年目でLMP900に下剋上仕掛けたから2年目にレギュレーションを
いじられたような記憶
AMLSのポルシェRSスパイダーも同じ事したけど LMP675は一応建前上は格下ってわけでもなく、別にLMP900やLMGTPと競ってもいいものだった
そのためもあって675kgという数字だったのだろうけど、結局は画餅で675kgを守れている車はほとんどなかった
守れていたのはMGローラくらいで、WRが710kg程度、レイナードなんかは760〜800kgもあった
世の常だけどモノを軽く作るというのは大変お金がかかることなので、本格的に開発されたLMP675は広くプライベーターの支持を集めることは無かった
>>300
フェラーリ333SPや童夢はFIA-SCCのSR1規定でLMP900相当
SR2規定はアルミモノコックのルッキーニとかデボラとかピルビームで、これらの車がLMP675としてル・マンに出場することが可能だった 333SPはポルシェWSCと同じLMP1だから900だね 他国はどうか分からぬが日本人にはオープンプロトはどうにも人気がないようで。
屋根がないとカッコ良く見えないのは万国共通なのかしら。
歴史を振り返れば917、512らの屋根付きマシンが未だに大人気なのに、その後のグループ6オープンプロトは地味な存在。
んで屋根付きグループCがまたまた大人気でその後のWSC系オープンプロトは不人気。
さらにまたまた屋根付きGT1・LMPが盛り上がったと思ったらその後のアウディR8、パノスらのオープンプロトはイマイチ。
この屋根付きが盛り上がってオープンになって盛り下がるパターンはこの先も延々と繰り返されていくんだろうか。
それとも海外ではオープンでも一定の人気があるのかしら。 >>304
北米はオープンは人気があるとかで1990年代に屋根なしを導入したけど
デイトナプロトで屋根アリに戻ったから定期的に繰り返すんだろうね
屋根アリはクリアシールドがバカ高いからそれがない屋根なしが好まれるとか
鈴木タンの本に書かれてたね >>304
オープンプロトって素人にはフォーミュラカーにしか見えてないうえにその車達が活躍してる時代って日本メーカーやチームが少ないしね・・・ 屋根が無いならフォーミュラカーの方がかっこいいんだよな。
未練がましく横だけ残してるハゲと同じでどこかみっともない感がある。 >>306
富士GCシリーズで約二十年位の歴史はあったけどね… HEY GUYS
マニュファクチャラーズチャンプシップシリーズの末期3L Gr-6はポルシェ、フエラ、アルファ、フぉード総て
オープンだったよ〜な気ガス。
COMING SOON。 考えたら70年代当時って海外のレース事情はあまり入って来なかっただろうし、それが人気に現れているのかも >>288
この塗り分けはマルボロがスポンサーだったの?
なんかこの車が走ってた当時そんな話を聞いたことが
ある記憶があるだけど。
タバコロゴは入れられないけどそれでもスポンサーに
ついた、みたいな >>312
だからかタミヤのプラモデルでも実際に走ってた時の形と若干変更させているね マルボロの予定がドタキャンになったんじゃなかった? 基本ル・マン専用車なのにマルボロがスポンサーになったのも謎やな IMSAであんなに強かったエレクトラモーティブの日産GTPがデイトナ24時間で勝てなかったのはマシンが24時間向けじゃなかったのかね? >>320
だと思う。
セブリンク12時間では優勝できたけどデイトナ24時間は1991年から
R90CKを持ち込んで、V6ターボ車をあきらめてる形となったね。 VGが24時間を完走したのは、騙し騙し走った86年のアマダ号を除けばルマンでもデイトナでも300ZXになってからなんだよな VGだけど星野がアメリカで試乗した時と、輸入して日本で乗った時とでは
運転した時の違いが大きくて困惑したとか書かれてたけど何でだったんだろうね? それにエレクトラモーティブとの契約で日本側が仕様を変えられないとか、アホ過ぎることやってたよね
エレクトラモーティブなんてどうせ日産が資金源だろうに 耐久ではないけど87年WECでポール獲ったのも和田孝夫ドライブのVGだね すぐにぶっ壊れるLZターボとか、重すぎるFJターボとか熟成する予算もなかったんだよ
当時の日産は。エレクトラモーティブの方がよほど技術もあったし、日産車で戦っていたんだよ。 「なんだうちは、出れば止まる。ポルシェどころかトヨタにも勝てない」(日産の副社長)
「来年は勝ちます」(この日出来たニスモの社長に就いた難波さん)
…と勢いで言ったものの、FJ20ならLZ20よりはましだろうけど、その程度。まじで打倒ポルシェって言うならマルチシリンダー。
そんな時に来たのがエレクトライモーティブのオファー。そりゃ乗るわ。
外された追浜とニスモの関係は悪化したそうだが。 想像だけど
ニスモ「エレクトラモーティブなんて子会社だろ、適当な契約でもこっちの都合のいいように運用できるはず」
エレクトラ「アメリカでは契約が全てだ、文句あるなら裁判するか」キリッ
だったんじゃないの
それで思うように日本向け開発ができなくてダメダメ 最初のWECに来た時、デベンドルフさんに間瀬さんがインタビューしてたけど
如何にも頭良くて偏屈で・・・・・・みたいな受け答えだったなぁ。
エレクトラモーティブ
1979年にRX-7でIMSA遠征遠征した片山さん曰わく
あのZには敵わんかった。L28にL24のクランク入れて9500も回る。でも耐久性が・・・・・・
てなこと書いあってアメさんのZはすげーと思った。
そしてWECに来たZX-Tの速さ! アレには痺れた。 280ZX-Tは凄かった。L型エンジンが70度も傾けて搭載されていた。発想が違うというかなんというか。 歴史あるレーシンクチーム&チューナーを買収して3年後には潰すとはね…。 85富士500マイルデビューから86年富士500kmまで10戦ポールポジション5回。優勝1回。
87年以降も主戦で使えば88年頃は日本でも無双してなかった?
IMSAは87年1勝、88年9勝、89年10勝、90年7勝。 たらればだけど、VEJよりは良かったとおもわれ。
林 教授の著作を読むと、エンジン設計の古臭さをなげいていたね。 難波さんもそう思ってたそうで、87年ル・マンはワークスのワークスのVEJが全滅して、サテライトチームのVGだけ完走する可能性が強かったらしい。結果は全車リタイアだったけど。 VEJは昔R38シリーズのエンジン作った人に作らせると言うノスタルジーで設計者決められたが、
この人は完全にモーロクしてた。後にベストカーで必死に言い訳してたが。最初から林さんに白羽の矢立ててたらね。
V6のルマンにル・マン参戦を要請したのは難波さん。完全に本社に対する当てつけ。
失敗作とは言え、日産がレース専用エンジン開発したと言うやる気は星野も評価してた。 VEJは中川さん設計?
しばらくやってないとそういう意思決定になっちゃうんだろうね
林さんの内情暴露も大企業としては異例でいいぞもっとやれ、だけど VGも燃料制限なしのIMSA用だからCカーレースで使うと
予選番長にしかならんよね、日本で改良できないし >>337 >>339
VG32の購入も、当て付けだったのかな? 87年ルマンに出た29号車だったかVG搭載の赤いチームルマンのR86Vはニスモの難波さんがチームルマン監督の花輪さんにエンジンはいくらでもあるから何基壊してもいいと伝えていたりで、ルマンでのポールポジションを狙っていたものの予選出走直前に雨が降り出してまともにアタック出来なかったらしいけど、ドライでコース状況などの条件良かったとしてもNAとはいえシルクカットジャガーやポルシェ962Cなんかより速く走れたのだろうか 予選用ヨコハマタイヤの戦闘力もあるしドライバーもアレだし予選でも中々難しい話 トップじゃなくてもトップ争い程度で十分だったと思う オロフソンやフェルテにルマンのポールを取れる力は無いよ >>338
石川数正氏。R382のV12GR-Xエンジン開発した人らしい。ベストカーでのコラムでの言い訳が空しく…。 マーチ86はテストデイでは結構いいタイム出してた。予選フルブーストが、はまれば或いは。WECでは取ったのだし。 VG30IMSA
87 1勝
88 9勝
89 10勝
90 7勝
91 3勝
92 1勝(+ニスモ1勝)
31勝。末期はバスビーに供給されたとは言え(未勝利)エレクトラモーティブ(NPTI)だけでこれは凄い。TWRジャガー、ヨースト、ブルン相手に。 >>341
VG32って、IMSAで使われていたアルミブロックの3.2リッター版のVGがあったんだっけ?もう記憶が怪しい >>349
英語版のWikiを見たら4バブル化して逆にNPT-91でVG30の排気量を
2.5Lにダウンさせたと書いてあった >>349 アルミ・ブロック予選スペシャル。
87WECで、和田さんがPP。サテライトチーム専用なんだけど
予算確保したのが、スゴイw
>>342 当時フランス製模型KITで、ルマン日産車初めて販売されたのがNo29
No23&32よりは売れると考えたみたい >>346
どういう言い訳をしてたの?
日産対プリンスの社内抗争をこの時代まで引きずってたんだろうね。 R38シリーズの成功体験が仇となったのかな。レース用エンジンの進化についてこれなかったんだね。
ピストンはディープスカートにこだわったり、エンジンをストレスメンバーにするなんてあり得ないって感じだったらしい。 >>353
ベストカーのコラムで「ル・マンなんて大したレースじゃない。日産はル・マンよりラリーに身を入れろ」って書いてたw
日産辞めた後だけど。 IMSA-GTP
1982年 ポルシェ935 12勝 ローラT600シボレー4勝 フォードムスタング1勝
1983年 マーチ83G8勝(ポルシェ4シボレー3) ポルシェ935 4勝 ジャガーXJR-5 4勝 フォードムスタング1勝
1984年 マーチ84Gシボレー6勝 マーチ83G4勝(シボレー2ポルシェ2)ポルシェ962 5勝 ジャガーXJR-5 ポルシェ935 各1勝
1985年 ポルシェ962 16勝 ジャガーXJR-5 1勝
1986年 ポルシェ962 12勝 コルベットGTP(ローラT710)2勝 ムスタングプローブGTP(ザクスピード)BMW GTP(マーチ86G)ジャガーXJR-7(グループ44) 各1勝 1987年 ポルシェ962 13勝 ジャガーXJR-7 2勝 日産GTP(ローラT810)1勝
1988年 日産GTP9勝 ポルシェ962 3勝 ジャガーXJR-9 2勝
1989年 日産GTP10勝 ジャガーXJR-10 2勝 XJR-9 1勝 ポルシェ962 2勝
1990年 日産GTPZX-T4勝 NPT90 3勝 イーグルHF89 4勝 ジャガーXJR-10 2勝 XJR-12 1勝 ポルシェ962 1勝
1991年 ジャガーXJR-16 6勝 日産NPT90 3勝 イーグルHF90トヨタ 1勝 MKV2勝 イントレピッドシボレー1勝 ポルシェ962 1勝
1992年 イーグルMKV9勝 ジャガーXJR-14 2勝 日産NPT91 1勝 日産R91CP(デイトナ総合) ジャガーXJR-12(デイトナGTPクラス)
1993年 イーグルMKV10勝 ポルシェ962 1勝 ポルシェ962 54勝
日産 31勝(+デイトナ1勝)
イーグル 26勝
マーチ 19勝(シボレー11勝 ポルシェ7勝 BMW1勝)
ポルシェ935 16勝
TWRジャガー 16勝(+デイトナクラス1勝)
グループ44ジャガー9勝
ローラシボレー6勝
フォード 3勝 >>356
なるほどねえ。
R38シリーズから10年以上ブランクがあったから仕方ないところもあると思うけどね。
林さんは口も達者でプリンス残党に対しては辛辣なんだけど、それも含めてゴーンショック以前のグダグダな日産の体質という気もする。 どの雑誌でのインタビュー話かは忘れたけど
R381用のシボレーエンジンしかレーシング用エンジンを知らないとか言ってた人か >>350
現存しないのが非常に残念だ。
バートルータンは天才デザイナーだ! ・FJ20はプリンスだから追浜は当初乗り気でなかった
・なのにニスモは追浜すっ飛ばしてエレクトラモーティブのVG30導入したのでニスモと追浜に軋轢 前このスレで林さんにパワハラし続けたくそ上司の正体は中川氏ではないかと推理した方がいましたねw
いくら林さんでも中川さんの実名出してディスることは出来なかったと…。 FJ20は村山だと思いますが、FJ24やFJ23Tは追浜色が相当濃いですよね。
VG導入前に比較テスト用のLM04を追浜自ら購入してますし。
85年のWECJapanでFJ23Tが二位になって追浜陣営歓喜なんてAT誌に記事出たり。
あの二位で少しは軋轢とか薄くなったりしたのかね?
個人的には小学校時代追浜に、工場見学行ったんで追浜に思い入れ有ります。 >>346
徳川を出奔して豊臣に庇護された三河旗本と同姓同名か…
追浜といえばパマのR90C「P」(と個人的には湘南シーレックス)だが、なんでR90CJとCEorCBじゃなかったんだろ
クラウンフィールドのCじゃCCになるからCKにした、っていうけど、ジャップとユーロまたはブリテンで良かったじゃないか >>346
石川義和さんみたいだよ。
追浜の工場見学は学生時代に行ったことあるけど、自分は中川良一さんとか、戦時中からの歴史を引きずるプリンス系にロマンを感じるかな。
過給器をモノにできないまま敗戦して、40年かかって雪辱なんていい話だと思う。 >>366
ごめん!戦国武将とNISSANのエンジニアごっちゃになってたw >>366
そんなの気持ち悪いじゃん
わざわざ自らJAPなんて付けるバカな日本人はいないから >>369
ジャップはノリで言っただけw
普通にジャパンでもジャポンでもヤーパンでもJだ そういえばNPTIが閉鎖された時日本にR90CK全車が返却されたけど、
NPTIが開発したZX-Tシリーズや他のIMSAカーは日本に送られなかった。
北米日産の金で開発した車両だから日本側が拒んだのだろうか?
その後のIMSAGTOの300ZXは日本側の買い取りみたいだけど HEY GUYS
TOYOTA TS-020はグループCのマシンでは御座居まへん。
スレ違いになりますので誤注〜意願います。www
COMING SOON。 >>372
IMSAだとチャンピオンを取ったAARセリカやイーグルMK3なんかはトヨタが日本に保管してるんかな?
確かRonが撮影をした記憶があるが HEY GUYS
AARセリカ及びイーグルMkVはグループCでは御座居まへん。
IMSA-GTPで御座いまする。
故にスレ違いで御座居まする。
COMING SOON >>378
今までにも散々マツダ車も語ってるのに今頃うるさいわ糞コテハン マツダ車は、JSPC や WEC にでているからいいの ミニカーの紹介
なんだっけ?これ
フォード トムス86C ?
https://www.sparkmodel.com/en/products/12784
レイトン トヨタ トムス 86C を再生産したついでに商品化? トムス85Cがベースと書いてあるけどつま先レギュレーションをクリアしてるんだな >>381
JTK 63Cって書いてあるじゃん
>>384
確かそれだよね BB90Rは88C-010からの改造車らしく、最終的には88Cに戻されたみたいだけど
https://i.imgur.com/PEC28Y1.jpg 89の外観をした、90CP ?という認識でいいのかな?
発売が待ち遠しい。
ttp://www.hasegawa-model.co.jp/product/20462/ 1990年のR90CPがローラ製R89Cのパーツを流用したハイブリッド型で1991年の91CPからが自製という区分かな >>388
R90Vは1989年中盤にインチアップしたタイヤ径に対応してリアカウルを作り直してる
R89Cだからリアスパッツも廃止されてるタイプなのでハセガワがそこまで対応していればいいんだけどね >>388
新規パーツや金型の表記が無いから既存のR89Cのデカール替えだと思う
だからリアスパッツ廃止だと自分で切り取ったりパテを盛れという指示が有るかも?
(962CだとNACAダクトを埋めたり翼端板を切り落とすキットも有る)
ちなみにハセガワのCカーのタイヤは767B以外全て同じ物が使われてた 皆さん ありがとう。91年開幕戦での呼称は、R91V。
富士で新車R91VPを失った後、引っ張り出されたR91V(R89C)エントリー名は
R91VPと、Pが付いたまま。Ignの1/43を見るとカウル類はかなり改造されている。
90年開幕戦で、ニスモ2台の90CPが、1台は89カウルのままだった例があるので、
ルマンの車両は、それに準じて改良され続けたのかな?と思った。長文すまん。 マツダ787Bの模型を作っているんだけど車検証?60番のデカールの位置が分からない
説明書にも記載がない
MFHとサンエイムックの写真集で調べてみたけど分からない
どなたかこのデカールの詳細ご存じない?
https://i.imgur.com/AVzcf69.png どうもありがとです
現在の実車写真だとステッカーが無いので1991年当時だけ貼ってあったのかな?
助かりました 再販じゃないタミヤの旧キットだと指示がない…
忘れたのかな?
https://i.imgur.com/a1LmtBc.jpg >>394
ハセガワのR89C自体、リヤタイヤがデカイんだが >>403
トムスカラーの90C-Vが時々イベントで走ってるな >>404-405
ありがとう、CV系の動態は無いと思い込んでたけどもう何年か走ってるみたいね。 >>403 旧トラスト最終仕様94C-Vが、現オーナーの好み?で
外見、カラーリングは92年ルマン仕様に近づけてある。
モノコックは92年製造→翌年剛性強化(呼称93C-V)
コクピットは、現役当時より豪華になって、大切にされてるね。
(戦歴:92赤トムス→92白トムス→トラスト93→トラスト94) >>405
これの事かな?
中を覗いたり他の人の画像を見た感じではエンジン周りは結構きれいだったけど、動くのね
https://i.imgur.com/VyqDPd4.jpg >>408
コイツ(90CV-6)は動く「らしい」と言われているけど実際に動いているところは目撃されてないはず
この前Twitterで見かけた話だとトムスに余ってたモノコックにスペアパーツの寄せ集めだとか?
>>407
綺麗になっているのは良いんだけど、ただ、シャシナンプレートが新しくされちゃってるのは… >>409-410
なるほどね
昔はル・マンではTカーとして持ち込まれたやつだっけ Sports-Car Racing Vol.14にフロントウイング付きの91C-Vが載ってるらしいんだけど、誰か画像アップしてくれないかな。 >>409 オリジナルのシャシNoプレートご存じなんですね。
自分も見た事あるけど、見た目で 『ェ!』 番号で『ぇ?』だったよ。 今94年ル・マン見てるけどやっぱCカーはスタイリッシュでかっこいいなあ。
厳密にはCカーではないけどLMPや旧GT1にはないスタイリッシュさがある。 94年だったらダウア以外はテール周りがボテッとしてあんまりかっこ良くない なんで93年のヨーストは標準仕様のロングテールカウルになったんだろうな テストデイでIMSA仕様とロングテールの二台を走らせたのだが、IMSA仕様は速いのだが燃費が悪いのでロングテールにした Cカーと今のLMP見比べるとLMPの醜さに怒りすらこみ上げてくる。 そういう話が出るとデイトナプロトよりはましと昔は言ってたな 自分がださくて自己嫌悪。貼る前後間違えただけだった。 >>420
由良さんはポルシェ956を参考にMCSIVを作ったんだよね? JSPC後期にポルシェの有力チームが
ノバ→ニッサン
トラスト→トヨタ
と変更したけど、千葉氏のチームは国産車に変更しなかったね
トヨタへの変更は関係悪化でニッサンもキャパシティーの問題もあるだろうから
無理だろうけどNMEの90CKでもリースしてとか思うとちと残念 Cカー末期の頃にあったインターセリエってなんですか?
なんか使い古したグループCが走ってたみたいですけど。 インターセリエって、カンナムのヨーロッパ版、シングルシートオープンスポーツ化、Cカー再利用、って変化したのかな >>427
novaが日産と交渉した時の話を読むといい条件が来なさそう
トヨタを選択したTRUSTも型落ちシャシーの供給だし >>427
結果的にGT時代もワークスドライバー派遣してもらったりポルシェと関係続いて良かったのでは? 91年当時、富士500`の金曜日だったかな、パドックで
FromAが2台あって、自分は何も知らなかったからビックリした。
NMEの中古と、LOLAからの新車だったんだっけ??
89年から、エンジン供給の話、シャーシはNOVAで用意出来るのを見込んでの
交渉だったのだろうか?CPシャシは、パーツ供給面で選択しなかった。
その点CKならば、直で入手可だったと推測。 ローラR91CKだけどノバがローラから買ったニッサンR90CK-07はそれまで
ニッサンに引き渡された06号車までの車両と比べると購入時は特に違いはないのかな? >>436 T91/50と同じで、モノコック、TM、足回り、カウル等
各々パーツ状態でデリバリーされて、NOVAで組立られたのでは?
ex:NME車は、ミルトンキーンズ組立車を輸入→リビルド?
TS020は、モノコックの内部構造が最終機のみ異なると言うが、
90CKは どうなんだろうね。 http://www.lolaheritage.co.uk/2018/type_numbers.html
Lora T90-10 YEAR(S): 1990
DESCRIPTION: Grp C (Nissan R90CK/CP).
ENGINE: Nissan V8 ノバが走らせたR91CKだけど、ニスモの1992年のデイトナ遠征に付いていったけど
スポンサーのフロムAは大金を払ったもんだね。
アメリカの東海岸だから、ル・マン遠征と変わらない高額費用な気がするけど… >>440
ならば機材の運搬費と滞在費辺りはニスモが負担してたのかもしれませんね。 27ドアのドライバー名の一番下、長谷見さんの名前が記載されているが、
メデアは一切触れていない。23リタイア時、乗ってもらう契約かな?
90CKを3台投入したNPTIは、ニスモ同様GYだが、BSは 27だけの為に
持ち込んだのかな? >>442
リタイヤによる乗り換えも同一チーム内ならジャガーのMブランドルが何回かやってるけど
エントリーリストを見るとニスモとノバで分かれてるし不思議ですね
BSタイヤも最初はNISMOも履く予定だったりして >>443 98ルマンでは、NOVA緑車のエントリー ニスモだったね。
91年12月、デイトナ91CPテストはBSで。翌1月現地テストではGYに。
No27、1月の現地テストでは、ミラー配置がCPと同じ 左フェンダー、
右白のドアミラーになっている。本番では戻したので不評だった? >>439
1991年ル・マン参戦が流れたからその分。 ローラジャッドってあったじゃないですか。賃貸住宅ニュースの。
あれって何がダメだったと思いますか?
シャシー?エンジン?ドライバー? 購入したのがユーロレーシングだけで支払いも1台分とかでチームの資金的な問題と
ローラ側も開発に金をかけられなかったからじゃないかな
一台がローラ981という名称で1990年代後半の屋根なしレギュレーションに対応した車が走ってた
https://www.racingsportscars.com/photo/1998/Brno-1998-05-17-015.jpg エンジンもJUDD・GV-V10だけどマツダMXR1用の金かけたチューニングバージョンとは違うから性能は落ちるな あのローラって確かクレマーが買って参戦するみたいな話なかったっけか。
シャシー自体は悪くなさそうに見えたんだがなぁ。
有力チームのオペレーションで走らせてみたかった代物ではある。 >>447
一台レプソルカラーで出てたのに、燃料規定に引っ掛かりBPの燃料使ってたのが公になり、スポンサー降りちゃったんだよな(笑) シュパンがいすゞエンジンと言う噂もあった。
アドバンノバが無限エンジンと言う妄想してた。 ローラと別れた後だけど日産がV12エンジンのテスト用に購入していても
1992年のJSPCで実戦テストできてた気がする
シャシーはNPTIが担当だけどエンジンは日本での開発だし 当時アドバンがC9だか買う噂が有ってシリーズ無双する妄想してたな。 ローラジャッドって92年世界選手権のリザルト見るとマツダとどっこいの実力だったのでは?
むしろなんでマツダがダメなのかの方が永遠の謎だけど。
仮にTWRジャガーとしてXJR14/HBを進化させてたらプジョートヨタに対してどうだったのかな。 >>455
リザルト見てきたけど
マツダは2位一回の総合3位
ローラは4位2回の5位でスパイスの下というから差はあると思うな
マツダがダメな理由も1991年の途中でTWRか開発と中断したままの状態の
シャシーを購入して上手くアップデートできなかったのが理由だね
プジョーやトヨタは開発を進めながらシーズンに突入し戦ったけど、
マツダは開発の遅れが竿後まで響いたね >>456
マツダがMXR1で長年使用していたダンロップからミシュランに変更していたのも大きいかも
ベースモデルのXJR14もグッドイヤー前提で開発されてるから上手く行かなかったのかもね
トヨタの1993年の惨敗もグッドイヤーからミシュランへの変更も大きかったりして >>459
シュニッツァーならパレスがレストアして今はフランスだかに出張中だとか。
童夢のは現存するなら是非お目に掛かりたい。 ミニカーの紹介
豊田 TS-010
https://www.sparkmodel.com/en/products/12845
ろんどー、ろんどー、ろんどー
ゆかいなろんどー、たのしい ろんどー、ろんどー、ろんどー
(著しい誤まりがあるようだが気にしない)
https://www.sparkmodel.com/en/products/12927
※ 販売元は これホントに売れるのか?疑問をもっているらしいス ミニカーショップ限定の物が大体100が多いけどロンドーで400も売れるのか?と思う ロンドーは、M379シリーズで種類出し過ぎて、
売る方も買う方も困惑したんじゃなの
81-83年位の Cカー・Gr.6 は過渡期なので
結構面白い形の車多いし、好きなんだよね。 82年WEC富士は収集対象
伊太利屋ロンドーは福音
トムス童夢セリカCが欲しい 翌年残り数周でリタイヤ
怒りの余りテレビをぶん投げる >>471 俺、当時1コーナースタンドに居た。暗がりの中
スキール音と同時に 火花が見えた。サスだったかな?
>怒りの余りテレビをぶん投げる
それは知らなかった。 >>472
リヤサス破損で終了。
テレビをぶん投げたのは何処かのインタビューで優勝が決まる時に残り僅かでリタイヤして見ていたテレビを投げたと言ってたから多分。 質問なんだけど、日本語版wikiの1991ルマンのページのリザルトのエントリー名で55号車がマツダスピード単体、18号車がマツダスピード/モーラ、56号車がマツダスピード/オレカってなってたんだけど、1991年のマツダのオペレーションにモーラとオレカが関わってたのは知ってるんだけどそれぞれ担当が18号車、56号車と分けられてたってソースあったりする?
英語版wikiだと55号車がマツダスピード単体、18・56号車がマツダスピード/オレカとなっててわりと謎なんだけど
あとついでに、92年のトヨタでCASIOカラーが使われたのってルマンだけ?CASIOカラーに塗られたスプリント仕様のTS010は存在しない? >>474
1992年のCASIOはル・マンの3台目追加枠だしね
WSCは7がDENSO8がZENT
JSPCが36のESSOか
いつものリスト職人が調べてくれるでしょう >>475
サンクス、SWCで3台目の参戦がOKなのがルマンだけなのは知らなかった
>>476
これは公式のエントラントリスト?リスト上だとオレカの名前もモーラの名前も入ってないっぽいね
こうして見ると若いナンバーがSWCレギュラー参戦、30番より上だとスポットが多いのがわかりやすい気がする オレカ とか モーラ は
マツダスピードのレース運営の委託先だから
(少なくとも建前上は)名前は出てこない。 >>474
去年出た三栄ムックの787B本を見たら18号車はモーラと共同して
開発していた車両と書いてあるな。
ル・マンのオペレーションもモーラと書いてある 3台には、一人ずつ アシスタント(食事、洗濯、準備等)が ついていた。
55&18は、マツダスピードの女性、56は、オレカの女性。 SWC, WSPC の場合、年間エントリーが義務付けで
例えば、ルマンや地元開催のレースにスポット参戦しようと思ったら
年間エントリーのチームの名義を借りることになる。 >>479
>>480
なるほど、興味深い話をありがとう
この情報だけで考えると18号車はモーラが多く関わっていて、56号車はオレカが多く関わってると言えるかも? >>482
1991のSWC第2戦3戦の車両が787となっていてオペレーション担当がオレカだから、
ル・マンの56号車が787なのでオレカが担当していたんじゃないかな? >>483
確かにスプリントレースに出ていたのが787Bじゃなくて787だったのを忘れてた。その流れならオレカが56号車担当なのも頷けるわね
>>484
55号車の担当もしていたってことかな?モーラのHPに書いてることだから多分正しいんだろうけど、これもうわかんねぇな・・・ 設計 広島、マネージメント スピード、実働 モーラ、運転 モラ田
でも、別に不思議じゃないと思うけど、、、 自民総裁選で、思い出す。
91年SWS最終戦 オートポリス。レース終盤、『結果は、今夜のサンデースポーツ
で ご覧ください』…放送終了 (´;ω;`)。 直後 自民総裁選のライブ放送。
TS010デビュー、シューマッハC291初優勝、ヨッヘン・マス引退、
787B 58&18の2台。その後 XJR-14は 菅生JSPC最終戦へ。
2戦共に まさに名レースだった。 >>488
ポルシェを西ドイツの車と言ってたの覚えてたw Cカーのトランスミッションてポルシェ以外は最後まで皆ノンシンクロタイプなのかな? シンクロとかドグミッションとか文字では知ってるけど具体的にはよう分からん(敢えてググらないスタイル
クラッチ切らなくても繋げるのがドグだっけか マツダ787Bの模型作っていて写真資料集めているんだけど優勝当時の写真とレストア後の写真で見わけれるポイントって結構ある?
今のところ気付いたのは
・日の丸ステッカー
・サイドのゼッケンのフォント
・NGKのステッカーが白黒反転
・ドライバー名とスポンサーの行間スペース
・フロントゼッケンの白部分がミラーステーにかかっているかどうか(予選時の可能性もある)
コックピット内は助手席補器類のカバーの有無ぐらいかなあ… 他スレにあったけどマツダ787Bにはオレカが制作に深く係っているとか
ttps://bestcarweb.jp/news/motorsport/2889
三栄書房のスーパーディテールファイルと食い違っていて面白い ・翼端板の形状が違う
https://i.imgur.com/CxNet05.jpg
https://i.imgur.com/IMgs5gG.jpg
・リアカウルの方が色が剥げていない
https://i.imgur.com/JyWYfAJ.jpg
→これらはレストアする随分昔にクラッシュして治した痕跡
・グッドウッドのステッカー
おまけ:オイルクーラーの形状
タミヤのは斜めになっているけど、それは787の特徴?であって787Bは垂直に取り付けられてるように見える
https://i.imgur.com/G04axKv.jpg
※現在
https://i.imgur.com/cmBUYh4.jpg
テストカーの時点からそうなっていて、現存する001や003も同じ >>494
ありがとです
確かにオイルクーラーが全然違う形してる
作り直します 1982~1993年
全日本選手権
世界選手権
富士LD
1993鈴鹿
チーム
ポルシェAG 3勝
トラスト 10勝
アドバンノバ 10勝
チームタク 2勝
童夢 1勝
ホシノレーシング 1勝
フロムAノバ 6勝
トムス 8勝
TWR 2勝
ロスマンズシュパン 1勝
レイトンハウス 2勝
ザウバー 3勝
オムロンシュパン 1勝
ニスモ 10勝
サード 2勝
PTS 2勝
サンテック 1勝
ルマン 1勝 スポンサー
ロスマンズ 4勝
トラスト 5勝
イセキ 5勝
アドバン 10勝
スタンレー 2勝
ワコール 1勝
ニチラ/カルソニック 8勝
フロムA 6勝
ミノルタ 4勝
シルクカット 2勝
レイトンハウス 2勝
メルセデス・ベンツ 3勝
オムロン 1勝
デンソー 4勝
YHP 3勝
ESSO 4勝
サンテック 1勝 >>496
訂正
チーム
ポルシェAG 3勝
トラスト 10勝
アドバンノバ 10勝
チームタク 2勝
童夢 1勝
ホシノレーシング 1勝
フロムAノバ 6勝
ヨースト 1勝
トムス 8勝
TWR 2勝
ロスマンズシュパン 1勝
レイトンハウス 2勝
ザウバー 3勝
オムロンシュパン 1勝
ニスモ 10勝
サード 2勝
PTS 2勝
サンテック 1勝
ルマン 1勝 >>497
訂正
スポンサー
ロスマンズ 4勝
トラスト 5勝
イセキ 5勝
アドバン 10勝
スタンレー 2勝
ワコール 1勝
ニチラ/カルソニック 8勝
フロムA 6勝
タカQ 1勝
ミノルタ 4勝
シルクカット 2勝
レイトンハウス 2勝
メルセデス・ベンツ 3勝
オムロン 1勝
デンソー 4勝
YHP 3勝
ESSO 4勝
サンテック 1勝 メンテナンスガレージ
ポルシェAG 3勝
ノバ 22勝
チームタク 2勝
童夢 1勝
トラスト 4勝
セルモ 1勝
ヨースト 1勝
トムス 8勝
TWR 3勝
アストニッシュ+クレマー 2勝
ザウバー 3勝
シュパン 1勝
ニスモ 11勝
サード 2勝
PTS 2勝 >>501
Twitterで漁ったやつなので「787B オイルクーラー」で調べるとそれが出てくるのでその人に聞いてみてね >>501
Sports-Car Racing Vol.14 なるほど、そのシリーズ見たら結構情報量が多い感じっぽいし集めてみるかな スズキさんは今911DAYSでポルシェ関係の記事書いてる
最新号は962−011についてだった >>503
ありがとうございます。
あのシリーズもう売ってないんですよね。 >>506
962C本を出せなかった分をそれに掲載してるんかな? グループCカーのすべて Vol.1 1982-1988
https://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=11611
内容が不明だけど、過去に出ている R'on の特集とどの位違うんだろ 価格を見るとちょっと前に出たDTM特集ムック本と同じ作りと思われるので
Ronとは切り口が違うかもね
初見の写真に期待かな 性懲りもなくまた出すか?買いますw
書き下ろしでなくアーカイブなんじゃ?
個人的にはGP CARSTORYやラリーカーズみたいなスポーツカーのシリーズムック希望。 Cカーより前は、早く刊行しないと当時の関係者みんなボケるか死んじゃうからな シグマの加藤氏やマツダオート東京の大橋氏とか鬼籍入りしたスポーツカーレース系の関係者が出ているもんな >>513
「グループCはレース規模が大きくル・マンと世界選手権のほか北米や日本、ドイツなど
各国で国内選手権があり車種バリエーションが豊富すぎるため
Vol.1とVol.2の2冊に分けて刊行する。」
HPにこう書いてあるからCカーで北米と書いてあるからIMSA車両も取り上げるようだな
表紙には映っていないけど なんとなく Gr.C レーシングカー図鑑 のような予感 トムス83C とか トヨタ 88C
日産の 91CP だったか 92CP、CK
IMSA に出ているからねぇ 加藤さん富士のトイレで連れションしたなぁ
オシッコしながら
「頑張って下さい」
「えぇ?はい!」
なんてね 買った。データは少ないけどビジュアル的には完璧。ほぼ完全網羅。だがC2タイガだけない!決してマイナーでないのに…。
IMSAはジャガーとポルシェとトヨタ88Cだけが少し。
まあ完全網羅だから買っておいて損はないと思う。パート2こそ楽しみ。 スパイスのキャプションにタイガの名が出てるからな
何で載せ忘れたのやら… URDも無い。でも4メイクしかない現在と比べて百花繚乱。 JOESTポルシェ962Cは1990まで掲載しているけどVol2で1993年仕様まで取り上げるのだろうな
ワークスカーが供給されたのが1989年からだからタイトル通りに1988年でVol1は切っても良かったのに… オクタン誌のバックナンバーを見てたら、R92CPの1993年のデイトナ24時間に
挑戦する計画があったけど未遂に終わったとの記載があったけど
当時のASやRonにその話は載ってたのかな? 長文が馬鹿にしていたRX-7 254だが、RE雨宮でレストアやっててついにエンジンが掛かるようになったな
詳しい内容は今週発売のレーオンに書かれてるらしいが レーシングオン、読んだ。
251のデビューレースが間違ってるのが惜しい。
1977年7月の富士500kmレースで鈴鹿は走ってない。
251の外装を装着したマシンは後のスーパーシルエットに参戦してるけど
オート東京の251は1戦だけの実戦。
252iも外装を付けた石村さんのとか有ったけどフルフローティングの駆動系はオート東京の252iだけの装備。 例の254、ヲタクによって個体が特定出来たからしっかり直せばルマンクラシックに出られる条件を満たせるらしい >>528
あったよ。ジェフの凱旋レースになるとも。
NPTIが活動停止したのでニスモの遠征もキャンセル。 1992年のデイトナの記事に「勝ち逃げはしない」ともあったな。勝ち逃げしたけどw 日産って約束守らない会社だし…(ex. 2015年のWEC) >>530
77年鈴鹿500km は、RX-3※ を13Bに換装して Rクラスにしたんでしたっけ
※初期の RX-3 にあったライトカバー付きの車両 >>534
ありがとう
ニスモの予算が削られての結果かなと予想したけどNPTI閉鎖に絡めましたか
1992年はNOVAもR91CKを持ち込みましたけど、日産との関係が
1998年のル・マンを走ったJOMOカラーのR390に続くんですね Sports-Car Racing鈴木英紀より Vol.21発行後、しばらくの間、Sports-Car Racingの発行を中断しております。 ご心配かけまして、申し訳ありません。 当方も若くなく、家庭の事情もあって、発行を中断することとなりました。 Sports-Car Racingの発行は諦めた訳でなく、Vol.22は、ほとんど完成しておりました。しかし、掲載する記事が完成しても、本をそのまま発行出来る訳ではありません。 The car has just been fully restored with a rebuilt engine.だって
いいなあ、国内には動態のトヨタV8ターボCカーってないよね…
動いてる94CVも海外だし なんかWSPCに出ていた 89CV改 を
ミノルタカラーにしたように見えるけど >>541
しかも905やC292のトップナンバーも居るんだけど 稼働するR32が乗っかってるか
ブローさせたら部品が無いから終わりだろうな そのサイトにあるP35は座間で行方不明になったやつらしいけど、今はVRT35を入手して組み込んでるらしい 盗まれたかは不明だけど台帳に載っているのに見つからないのが有ったそうなので、手続きミスでそうなった可能性も・・・? R91CPコクヨやR90CKフロムエーのように売却先が非公開だっただけじゃないの? マーチ85Gテストカーも売却されて今はアメリカだっけ。
LM04Cはどうなったんだろ。 トヨタのV8ターボって、
材料だったか表面処理の問題(禁止物質)で
製作不可じゃなかったっけ。
たとえ作れたとしても、当時の性能は出ないよね。 イリジウムが禁止だったら
デンソー と NGK は大騒ぎだぞ。
特に NGK は ノーグッドカンパニーになってしまう エンジンブロックの鋳造時に巣を抑制する添加剤を入れていて、
それが90年代の時点で使用禁止されたという話。
鋳造技術は当時より大幅に進化してるんだから
禁止添加剤使わなくてもオリジナル以上の品質達成出来そうだけどね TS020までは使ったんだからなんとかなりそうな・・・別物なんだっけ TS020は図面を参考にしただけで別物
当初はGT1エンジンという名でR36V-Rですらなかった 2000GTプロトのレプリカ製作現場にしれっと写り込むLM07Cのカウル。
http://www.vistanet.co.jp/museum/2000gt/29.htm
なんちゃってデンソーカラーでイベントかどっかで展示されてた? 同じ所で037のサイドパネルが転がっている画像も有ったな JSPCでDENSOカラーが走り出したのは1989年からみたいね
塗られたのはその辺りかな? >>4
全日本F3000でそこそこの結果を出せるドライバーがWSPCでダメなんてことない。F3000よりもコーナリングスピードの低いスポーツプロトタイプはドライバーの差がF3000ほどでない。 >>4
WSPCの富士ラウンドは、日本のチームには重要な一戦だったが、
ヨーロッパのチームにとってはWSPCの一戦に過ぎなかった。
ヨーロッパのチームが予選にあまり力を入れなかったから
日本のチームが上位に入ることが出来た。 カーボンモノコックボディのTWRジャガーなんかは挙動がクイックすぎるから、
F1経験者の中堅所じゃないとレースディスタンスを速く走らせられないとか当時の雑誌に載ってたね。
岡田やカミカゼ右京もル・マンで速ければ翌年も呼ばれただろうし、
当時のWECではル・マンと日本ラウンド以外で日本人が走っていないだろうからダメだとは言い切れないよね。 片山右京は、
採用しようか迷ったチーム側が相談した相手が
片山義美と間違えて 良いんじゃない と言って決まった説 >>564
ダイムラー本社の博物館に岡田の名前入ってるズバリのクーロスカラーのザウバー置いてあるんだよね。 >>566
HPを見たらCカーは銀のC9と多分C11の2台だけみたいね >>551
そうなの?座間にないの?
シルビアターボCとスカイラインターボCのレプリカ、は叶わぬ夢か… >>570
当時の技術でチタン切削品ならそんなもんじゃねーかな 85Gテストカーは一度も実戦には使われてない?
LM04Cは柳田さんとこの代車になってたが。
タカキュー85Gはex星野車かな。 チタンって硬いけど粘りがなく割れやすいイメージだからこういう加工は少しずつ削るしかなく割高なんだろうね 昔チタニウムを車の車体下に取り付けて、擦らせて火花散らして遊んでいた >>574
テストカーって後の星野と長谷見が使用したどちらかの車両じゃないの?
しかしWECJAPANで優勝した車両が日産に残っていないのが面白い 調べたら日産は85Gを3台購入していたようだね
http://tech-racingcars.wikidot.com/march-85g
1985年の富士優勝車が1986年ル・マンのAMADA号でざまに保管してある車両だったのね・・・ テストカーじゃなくてFJ20搭載用として購入した85G#10か。
85WECに28Tとしてエントリーされてたならこの時にはもうVG30用になってたと。
86ルマンに出てた85Gはオーテクの記事で難波さんが「長谷見ちゃんの乗ってるシャシー」と言ってる。
もしそうなら>>578の記事とは食い違いが。
そして学研の「Gr.Cとルマン」だと現存のアマダは85G-010の表記。どれが正しいのだ?w 四国自動車博物館にあるデルタS4のシャシーナンバーは86年のツール・ド・コルスでクラッシュしてトイボネンとクレストが亡くなったやつと同じらしい
とは言っても内外装を本物に近づけているだけで違う個体なんだろうけど >>580
その個体も車体のシリアルナンバーとか色々調査が必要とは聞いた事あるな >>579
3台輸入して2台放出という事なんだろうけど、
海外のヒストリックカーイベントにも登場していないから、国内でIMPUL
マーチ83Gのように眠っているのかな? WEC優勝車はタカQ号に変身。
アマダ号は座間で永久保存。
テストカーは座間にあったが最近消えた?これニチラカラーに塗って欲しかった。 ハセガワが毎月Cカーの再販や新規デカールで出してる事に触発されたのか、タミヤが久しぶりに89年仕様のC9の再販をするっぽい >>586
RSCによればクラッシュしたマーチ85G#9は修理して翌年まで使ってたみたいだよ ドアハンドル一つも疎かにできない世界か…。88年の富士のストレートで、サードの青いCカーがカウルを飛ばしてたなぁ (^_^;) なんかサードって昔から現代のGTに至るまで最強って時代がないよな。
普通に優勝したりチャンピオン獲ったりしてるのにズバ抜けて強いって印象がない。 >>587
マーチ85Gの情報が正しいかどうかの話ではないく・・・
むかしのレースのレポートには シャーシナンバーまで載ってないからね・・・
外人が知ってるんだろうか? >>590
RSCは日本人の投稿も多いから関係者か昔の雑誌に書いてあった内容で出してたりして
しかし、R9xCP系列は自社製シャシーなのにローラ製と書かれているのは残念・・・ 90CPはローラ製の89を流用してるから日産オリジナルは91CPから何だろうね そりゃ日産製かもしれないけど・・・
91CPを これは完全に日産製のレーシングカーだ ローラは一切関係ない
って言うのは どこかの国並みに図々しいよねw >>592
失礼、R91CPからの話だった
>>594
RSCではシャシーナンバーの後ろに外注ならモノコックの製造メーカーが書かれるようになってるし、それに沿うならR91CPからはローラの文字は外れるべきだけど 日産がR91もローラの協力で作ってるという公式発表でもあればいいのだけどね RSCで記載してるのはあくまでモノコックの製造元だからね。
シャシーそのものをどこが設計したかは関係ない マツダ787Bの模型作っていてフロントサスペンションの画像探しているんだけど難しいね
組み付けてある状態だとあまり見えないから写真がほとんど見つからない
三栄の787B本の70ページにばらした状態はあるんだけど組んだ状態は無い
MFH本だと隙間からチラ見くらい
お勧めのサイトなり資料ってある? >>598
組んだ状態なら自分で002と003撮った写真が何枚かあるけどどういうのが欲しいの?
https://i.imgur.com/1vA5a1J.jpg ありがと
>>599
できればスプリングとダンパーが組まれた状態で見てみたい
リアと同じ構成?
>>600
そうそうこういう感じでオリジナルを見てみたい
さすがにこれは当時のではなさそうだね
3枚目のドアヒンジも当時と違うからかなりレストアしてるのかもね >>600
ん?運転席側の天井が盛り上げてある?
ここまで大胆にレストアするのかな
レプリカ? >>600のは787B-002ではなく787-002だったわ
とはいえ787と787Bのフロントサスはほぼ一緒だった筈(リアは異なる) >>601
ショックユニットが見たいってこと?
だとすればフロントは組まれてる状態では下のほうはちゃんと撮れてない
ダクトだらけで見えないし
フロント
https://i.imgur.com/6bbcPF5.jpg
https://i.imgur.com/4kCNYB9.jpg
リヤ
https://i.imgur.com/nXctgox.jpg
いずれも2017/4/30 モーターファンフェスタで撮影した787B-003 >>602
これは>>603で書いている通り787Bの前年車である787
002は改修して91年に787Bと一緒にルマンに出場した本物で787では唯一動くやつ
もう一台の787である001はルマンミュージアムに787Bのレプリカに改造されて展示されてる 最近 Tom's が twitter に Cカー その他
懐かしのレースカーをアップしているのですが
嬉しい反面、時折キャプション間違っているみたい。
まあ、古い話だし しょうがないんだろうけど TomsはCカーを保管してはいないんだよね
1980-90年代のJTCやJTCC車両も残っていないようだしちと残念
少し前のASに載っていたToms所有のJGTCスープラもエンジンレスだったね NISMOと違って、SARDと同じメーカー系列のチームだから残しても場所は取るし、固定資産?も掛かるし売ったり、捨てたりするでしょ? トムス独自に活動してた初期のもサードもGr.CやGr.Aはメーカーワークス車両は 書いてる途中で誤爆した
トムス独自に活動してたJTCや初期JTCCはともかく、
87C以降のGr.C車両はトヨタから各チームにリースする形だったからトムスは所有権ないんじゃないの
車両引退後にメーカーから買取でもしない限り。 ボコボコにたたきにくるけどさ
シュニッアーのショールームの記事を見ると残念なんだよな グループCまでやってたスタッフは何人残ってるのかな
まぁまぁ定年なるよね >>613
トムスも90年代半ばのリストラでそれなりの数をリストラしているからあまり残っていない気もするね トヨタ博物館に展示中の89C-Vのシャーシナンバーは003。
これって元は88C-V? >>615
トヨタモータースポーツ列伝というイベントが行われていることは知らなかったよ
日本にあるとは思わなかったセリカGTOを見に週末に行ってくる あのセリカは鈴鹿でTMSFやってた時にもあったけどずっと居るのかね。
行ったり来たりしてる可能性も。ガイドツアーに申し込めたら聞いてみたい。
88C-Vは001=テストカー/002=ミノルタ/003=タカキューという認識で
いいのだろうか。 >>615
モノコックだけね。
89C-V初号車はモノコック新造が間に合わなかったから88C-V#003の物を改修して使用した。
なので セリカのIMSA-GTOはずっとトヨタ博物館に仕舞われていたけどつい最近(昨年夏)に幕張でやったオートモビルカウンシルで久々に出てきたもの
というふうにオートモビルカウンシルの時に展示スタッフに聞いたよ。 途中で送信しちゃった
なので89C-Vは#001〜002が欠番。 セリカはAARに送れば動体状態にしてくれるかもしれないけど、このままだろうね
89C-Vはエンジンが搭載されているならいずれは走行できる様にするのかな? GTOのセリカ、成田空港で仕事したとき置いてあるの見たなぁ。87年だったか?
他にもカンプサのNSR250や市販仕様のFORD RS200が結構長く放置してあったりして
ちょっとした目の保養になった。
休憩中にMAXコーヒー飲みまくって太ったのは汚点。
スレチスマン >>622
Dガーニーの孫を走らせてるとか2000年代のASWebで見た覚えがあったので軽い気持ちで書きました >>621
トヨタV8ターボCカーでトヨタが持ってる中で動く奴って(たぶん)ないからなぁ
2年ほど前に綱島でレストア中だった88C-Vの続報もないし… >>624
まだあるけど、レースはあまりやって無くて、軍事や航空宇宙向けのコンポジット部品製造が本業。 >>622
例のデルタウイングの製作に関わっていたみたい トヨタ博物館に行ったら来期の11月オープン予定で富士にモータースポーツミュージアムを作るとかのポスターが貼ってあったね。
何故かマツダ787Bが一番大きく描かれてたから、マツダから借りてくるのかもね。
展示されていた89C-Vの後ろを覗いてもエンジンレスなのか良く分からないね。
TS-020も1998年型だから見慣れた1999年型と比べると目新しいかもですね。 >>630
ホンダコレクションホールみたいにメーカー関係なく展示してくれたらいいね >>631
トヨタ博物館やTGRFを見る限り心配いらないと思う >>630
787Bは小樽で展示されてた002 EX05かな? ts010やr92cpなど国産で有名なマシン達は鈴鹿の予選とかどのくらいのタイムで走ったんだろう TS010 鈴鹿はデモラン・ヒストリックレースでしか走っていないだろ 教えてくださり感謝します!
スプリントマシンのts010よりr92cpの方が予選タイム速いんですね! 今のスーパーgtの予選タイムが1:47秒、速いですね
やはりグループcはモンスターですね TS010 は、熱い8月で NA
R92CP は、涼しい4月で ターボ
その差もあると思う 面白そうなのでXJR-14が走った1991年の菅生の予選タイムを調べてみた
https://www.fmotor.jp/00423-jspc-rd-7-starting-grid
菅生のようなレイアウトだと3.5NAカーの方が予選ラップが速いね 鈴鹿は当時と微妙にコースレイアウト変わっているからね >>641
マツダMX-R01に全レースジョニーかガショー乗せて、タイヤもBSかGYだったら…おっさんズじゃ無理無理 >>644
1991年のル・マンで55号車に乗りたかったとおっしゃった従野さんと寺田さんコンビか…
フォーミュラーカーな作りのMX-R01をチームとドライバー双方が持て余したのかな? 寺田さんは人柄で乗れてた人だと思うんだ。
あの人が速いって思ったレースが皆無なんだが。 従野さんは1989年のル・マンではマツダの全ドライバーの中で一番速かったんだがなあ
ユノディエール無くなる前で3分25秒台は立派だしバイドラーもいたからダメドラばっかでもなかった
何よりGTPマシンでC1のニッサンR89Cと遜色なくトヨタ89CVよりは速かったんだからもっと評価されるべきだと思う >>646
実際速くなかったし現場の人間には不人気だったとか…w 従野さんはGCでもそこそこ速かったんじゃなかったっけ。余談だけど、従野さんは見た目がやたら若いと思うのはおれだけ?
マツダドライバーだと若い頃の片山さんが一番速いイメージだなあ
ルマンのときは片山さんもう結構いい歳だし。 >>649
GCだと何回か勝ってる
従野さんは童顔だから若く見えるんだろうね 太田哲也が著書でいじめられたと書いてる
でもそれは下り坂の先輩への配慮がない自分に問題があったとも書いてる >>651
確かマツダと契約したけどF3000とGCを止めずにいたのをマツダ側に咎められてという事で、チームとドライバー双方に嫌われてしまったみたいだよね へえそうなんだ
耐久なんてサブだと思ってたんだろうね
バブル崩壊で、全仕事がなくなったそうだけど 他カテゴリーからのフィードバックもあったんじゃないのかねぇ。
高橋徹がマツダに乗ってたらどうなってたんだろ。 太田哲也にあの時点でマツダ一本に絞る選択はないだろ
旧世代との意識格差かな
もっとも、もしマツダ一本だったらバブル崩壊も乗り切れたろうけどね 太田の同世代でF3000まで行ってマツダと契約してくれそうな選手といわれると
岡田は翌年レイトンだし、森本はヒーローズを首、茂木は年が上だろうし、太田か森本位なのかなF3000経験者で他メーカーや大スポンサーが付いていない若手選手って…
https://ja.wikipedia.org/wiki/1988%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%97%A5%E6%9C%ACF3000%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9 ある板で
VWのIDRのニュルのラップタイムは6分5秒で走っている、内燃機関では絶対に出ないって断言している奴がいた
1983年にポルシェ956が6分11秒で走ってるけど、って書いたらそいつはそのまま消えてしまったw
R92CPならどれくらいで走れたのだろうか >>657
ID.Rの前に魔改造の919Evoで5:19台なのにね
R92CPだったらあれこれ調整すれば6分切りは出来そう >>654
いくら広島もんだからって、マツダの金払いとニサヨタの待遇差考えればいつかはFAしてたんじゃないの
新井貴浩が超貧乏時代の広島カープから泣きながら出てったみたいにさ >>659
当時の状況でF2・GC乗ったって全然金にならなかったし、ヒーローズクビになるんじゃないかとビクビクしてたらしいから、喜んで乗ったと思うよ。生きてたらバブルの時にスポンサーついて、鈴木利男みたいになったのでは。 クリスクラフトが亡くなったと。
童夢に乗ってた人ね。 ヨーロッパ2リッタースポーツカー選手権で活躍してたな JSPCで2台位DFZを積んだスパイスが走ったけどパッとしなかったね AOスパイス、鈴鹿のS字は結構速かったんだけどなぁ。 ふと思ったんだけど今のGT500マシンは例えで言うならば当時のグループ何に当てはまるんでしょうか? C2って決勝何位まで上がったことあるんだろ??
ドニントンでジャガー追い回したとかあったけど >>638
日産は春、トヨタは真夏。
トヨタTS010はJSPC終盤に出たけどポールは取れなかった。グッドイヤーの予選会タイヤが無かったから。 >>673
84年の筑波だろ?あれはC1出てないじゃん。 全日本ではないが84年富士1000kmでグッピーがポルシェ下して優勝。 鈴鹿のF3000、初夏と秋は春と晩秋の2秒落ち。鈴鹿1000kmは春の3秒落ち。 >>552
シボレー・ベガやポルシェ928のエンジンと同じ高珪素アルミニウム合金製 84年までは全日本と富士LDが別だからややこしい。 Ronのロータリー特集本に1984年のWECジャパンで13Bターボを積んだマーチ84Gが載っているけど
そのレース以降も使用されたのかなマーチ84G?
この車両の存在を恥ずかしながら初めて知った… >>680
マツダとしては84年WECだけ。Web情報では売却されてIMSAに他のエンジン積んで出たんじゃなかったか? あのマーチ84Gはずっとカタヤマレーシングにあったんじゃないのか。 本物か知らないが海外のコレクターがマツスピ&ニコンの84G走らせてたな。 ググるとマツダスピードが購入した最終7号シャシーのようですね
エンジン熟成目的なら国産シャシーを使わず84Gを使った方がいい様な気がしますが、1戦で使用をやめるとか導入目的が気になりますね。 ターボからマルチローターへ舵を切ったことと関係あるんじゃね エンジンに関しては
中で、ターボ派とマルチローター派がいて
マルチローター派が勝ったってことでしょ
片山氏はマルチローター派だと思ったな。
シャシーに関しては、
とりあえず実績のあるマーチを買って
その間に自社開発ってとこじゃないの >>689
ずっと717Cにターボ付けてテストしてて、84年にマーチ買ってWEC出たという事でしょ。片山あたりが、「由良と宮坂のクルマでターボは怖い」と言う事で、当時市販シャシーで一番手堅いマーチを買ったんじゃないの。 30年前の本日、日産R91CPデビューウィン。
ル・マン制覇に向けて幸先の良いスタート。
…となるはずが…。 マーチシャシーってエンジン直上にインタークーラー配置で
IMSA用のV型やポルシェエンジンには向いていたけど
サイドから吸排気するエンジンには不向きだったのでは。
他に選択肢は無かったんだろうが。 エイドリアン・ニューウェイ設計で滅茶苦茶路面に吸い付く 黒井本に1984年のル・マンだったか
従野「エンジンにターボがつけばね F1だって1.5リッターのターボでやってるんだから ターボがつけばファミリアのエンジンだって勝てるよ」
その年の年末
寺田「来年?あるものでやるだけですよ ロータリーターボ?あれはモノにならないこと知ってるでしょう」
みたいなくだりがあったのを思い出した 13Bターボも今や海外のドラッグレースでは1100psを発揮しているし
700ps程度なら24時間持ちそうだけど燃費は悪いだろうな ドラッグレースは特殊燃料かつ限界ギリギリのセッティングでパワー出してるし、当時のギアボックスの耐久性を考えても450〜500psぐらいになりそう 当時のロータリーターボ、熱的にとても苦しかった。
日立に特別オーダーしてもらってた。
このターボ、レシプロで使えば熱的に苦しむことは無いって松田の人がコメントしてた。
あの頃に片バンクターボみたいな考えが有ったら面白かったかもね。 今は融点が高いチタンアルミのタービンが主流だから1100℃程度なら大丈夫
ロータリーといえどもそこまで高くはならない N1耐久のFD3Sくらい?JGTCはNAの13B→20B。 アペックスシールも新たな素材が投入されると格段に耐久性が向上するはず
靭性が高いセラミックなんてものあるしこのあたりが使われることを期待している IMSAネタは敬遠されるみたいだけど、1995年のル・マンも走ったKudzuDG-3の13Gエンジンって
マツダスピード製なのか、アメリカのチューナーが手をかけた物なのかどうなんでしょ?
ランニングコストが前年のビューイックと比べて、オイルとプラグ交換をこまめに行えば1シーズン乗り切れるとか書いてあったけど。 北米マツダでは3ローター用のエキセントリックシャフト作ってて最近まで販売してた
ノーマルオイルポンプが駆動できないドライサンプ専用だったけど バブル最盛期にホンダはF1に200億、トヨタはCカーに120億、日産は80億、マツダほ30億、だったらしい。
それ故マツダはJSPCは勝負捨ててテスト走行と割りきったんだろうなあ…。 >>561
デンソーinJAPAN
89富士500マイル〜(トムス)
90、91全戦(サード)
91開幕戦(トムス)
92終盤2戦(トムスTS020) >>707
マツダもWSPCとWRCの同時参戦もしていたから、少ない予算でやりくりしていたんだよね。 これの動画ではレストア済みの88C-Vも映ってる模様 90C-Vは2台ある模様
TS030は2013年仕様が1台の模様 国内にあるTSシリーズをざっくりまとめた
TS010
001:苫小牧にあるプロトタイプ仕様
002:93年テスト用
003:92年ルマン2位
004:トヨタ所有
009:国内にある可能性有
TS020
LM801:テストカーで98年 27号車のショーカー
LM804:99年ルマン2位
TS030
12-01:テストまでしか使われなかったが、エアロは12年ルマン仕様
13-01:富士でも勝った個体だがエアロは多分テスト用
TS040
14-01:数年前の屋外展示に雨によるテント倒壊でカウル破損
TS050
16-02:クラッシュテスト使ったものにテスト用エアロを纏ってる
16-04:17年ルマンテスト用エアロを付けて18年ルマン優勝車擬きになった
19-11:19年ルマン優勝 そういえばV8搭載車両のR36VエンジンはTS-020用にエンジンを回収されたとか言ってる話があったけど間違え? R36Vは現TGR-Eに開発用の資料として送られたみたいだけど、TS020には再設計したのが採用されたので結局使っていない
しかしV8ターボのCカーのエンジンが載ってる割合は多く、92C-Vなんて海外で元気に走っている模様 鈴木本では元々R36VのブロックをTS020に流用するつもりで
C-V車両からエンジン抜き取ったものの劣化が酷くて流用諦めたと書いてたけど、
コルタンツ曰く「R36Vはクランク高が高過ぎるから、当初から全面再設計するつもりだった」
と最近のインタビューで語ってる そうですか、ならば現存してるシャシーにはエンジンが乗っかってると思ってよさそうですね。
海外のHPに載ってた元TRUSTの車両はいい状態のようで…
http://www.artandrevs.com/news.php?id=183 >>717
その個体が元気に海外でやつね
92年の富士1000kmで大破したのを直したやつらしい カーボンモノコック車両は捨てるの大変?なのか結構残ってるよね 来月9日〜11日の幕張メッセで787B、737C、RX-7 254展示
後者2台はレストアしたばかりの姿になるかも
https://automobile-council.com/special/7173/ マツダ737Cをググっていたら、レストアプログラムをツイッターで公開しているんだね
その中にもう一台はニュージーランドにあるとの書き込みもあったね。
そしてマツダ727のレストアプロジェクトがドイツで行われるとか、楽しみですね。
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1587817945/ 昨日ご迷惑をかけた727Cネタ
ドイツのMX-5ショップが所有だそうだけど、MFR 13Bエンジンが無いので譲ってという叫びが泣けますね
リンクを貼るとおかしくなるので止めますけど、 日本でレストアしようとしたけど断念、作業途中の状態でドイツに渡ったんだっけ。 >>734
マジで?まだ若いだろうに
病気だったのかな?
ご冥福 >>733
リヤカウルに「ロマンチックツーリング 2013」というステッカーが貼られてるそうで、その辺りまでは日本にあったんでしょうね >>737
広告が多過ぎて見る気が失せるサイトだね… >>720
備忘録
情報くれた方ありがとう。
前売り券買いました。 >>720
737の86号車はオランダの博物館に展示されていて戻ってこないだろうから85号車は貴重ですね。
その博物館に1993年型のTS-010の38号車が展示されてるけど、売却されてたんだね。 今のLMP1用のミシュランタイヤはかせたらどんなタイムになるか 今回係りの人に聞いたらカウルの汚い部分はプロテクションフィルムが貼ってあって本来は剥がしたい
でもグッドウッド出場記念のステッカーがあるし剥がす時失敗するリスクがあるから剥がせないという事だそうな 幕張のイベント、RX-7 254、737C、787B、CカーじゃないけどTS020を見れて幸せだった
特に787Bは係員にお願いするとドアを開けて車内を見せて貰えるので最高だった そうそう
写真集でも確認出来なかったペダルが見れて良かった
あと模型的にはフロントサスペンションが見たいけど難しいだろうなあ…
しかしTS020はデカかったな
Cカーより2周りくらい巨大に感じた >>746
エンジンカウル開けは密になるからやらない関係者が言ってたし、そっちも厳しかったかもね まあエンジンは写真集で結構見れるから初見のペダルのほうが嬉しかった 日産ル・マン撤退決定30年。
ル・マン制覇より派閥抗争の方が大切なんです。 >>749
RX500 か
昔、ポスターもらって貼ってたな。
子供のころ10Aロータリー2基の4ローターと聞いたような気がするけど
実車は 10A 2ローターと聞いてがっかりした。
なお 高齋正 の小説に出てくる RX500 とは関係ありません。 土屋春雄さん、亡くなられたんだな。
OHV2バルブのサニーでDOHC4バルブのスターレットに挑み、勝ったエンジニアってのは知ってた。
はたから見れば無謀なことに恐れず挑戦していった姿が恰好いいなあ、と。東名自動車の鈴木誠一さんと口論して飛び出したとか
特殊な、独特のカムシャフトを研磨するための機械を自作したとか 、モータースポーツ界にかぎらず
こういう男がどんどん出てくるといい。ご冥福をお祈りします。 TRDとつなぐ窓口で鈴木誠一氏が居たとはいえ、上手くトヨタと契約できたよね >>756
大岩さんとかも親しかったみたいし、トヨタもSGC盛り上げたかったんじゃないの? トヨタに始めて行って会った時に
「日産との関係は大丈夫なんですか」
「スポーツキット売ってもらっただけです
一切優遇されてません」
という会話をしたそう
恵一の紹介だったような
ソースは多分レーオン 鈴木誠一氏は東名の創設者でしたね失礼しました
鈴木恵一氏でした だよね
30年の節目を期に、そろそろ褪せまくってる色込みでフルレストアすればいいのに
dpiでル・マン再参戦する事も無く、まさに色褪せた栄光になってるわ 現地で隈無く見たけど、黄ばんだヘッドライトカバーはともかく割れたサイドスカート、端翼板がひび割れてたり(一部接着剤で補修?)、昔修理したときのドナーとなった003の緑が見えてるんだよね
あと、フロントウインドウはヒビ入ったままだし
下手に直し過ぎるのもオリジナリティが失われますしまうから良くないけど、このままだとでデモ走行で外装が壊れそう
https://i.imgur.com/4N7giEj.jpg
https://i.imgur.com/l2lilGx.jpg
https://i.imgur.com/dPWEIsk.jpg
https://i.imgur.com/LfSsDZQ.jpg
https://i.imgur.com/Ks10nVq.jpg 博物館で働いてるような人連れてきて現状維持の方法を習ったほうがいいんじゃないか
デモランとかはレプリカでいいじゃんEVにしてスピーカーでエンジン音流してさw 当時の外国人社長がクラッシュさせて、その後の海外イベントへ出す予定を組んでいたから考証面に拘らず早く直した結果かもね。
その後もそのままな所を見ると松田という会社はそんなもんだと納得するしかないね >>769
大抵のマツダCカーは787Bのレプリカか売却しちゃったしね
社内で残っているMXR-01はもっと状態が悪いし・・・ マツスピ解散してるし単純に触れる人がいないんじゃないかな MXR-01も5台のうち3台容赦なく捨てたんだよな
1台はアメリカに逃げて生き延びて、1台だけは日本に不動で保管されていたが マツダっていう会社は「モータースポーツなんて馬鹿のやること くだらない」
っていう考えなんだよw
だからレーシングカーの補修に金をかけるような気はない
その一方でもう30年も前のルマン優勝を ことあるごとに引っ張り出してきて
ひけらかす・・・
当時のドライバーからも いつまでそんな大昔のことを宣伝に使うの?って
言われてるじゃん >>774
787Bのレプリカに化けたかそのままの状態で売ったという話ね
ただし、レーシングパレスに有った767から改造されたと思われるレプリカは行方不明だけど >>775
レーシングパレスの収蔵品も高橋国光のGTRやトヨタ86Cとか行方不明の車両が尾いよね 最近レーパレ所蔵車の復活が相次いでるね。
チームニッポンのスパイスはまだ持ってるのかな。 マツスピ解散させるくらいだからなあ
全くしょーもない会社になってしまった >>779
美祢を奪ったのは許せん。どうせなら野呂山使えばと思うなぁ。 晩年のマツダスピードはJTCCで失敗し、JGTCのRE雨宮に卸した車両も高い割にはトラブルが多すぎとか書かれてたしといいイメージが無いね。 >>780
美祢はマツダが買わなかったら廃業だったろうに
恨むなら唐突に美祢潰すと言い出したタカラだと思うけどねえ レボリューションとオークラにも売ったやつだっけ
雨宮にも一回風洞貸したとかそんなんだったよね とにかく予算を絞り、何も出来なくさせてから解散だから
スタッフも辞めざるを得ないし、マツダというかフォードはどうかしてた >>788
Vol2が出るの早いね
温い内容だけど安いから買ってしまう アルバ・スバルは入っているか
アラードJ2X特集はあるか
今度こそR89CとR90CKの写真は間違ってないか← >>792
それ#8トムススペシャルの92美祢最終戦じゃなかった?
俺も見たい シルクカットジャガーって91年からボディ全体が紫色になりましたよね。
あの濃い紫の部分って何かの模様なんですか?
左右非対称だしビッグキャットのマークでもなさそうだしよく分かりません。 >>794
シルクカットタバコ1991年で検索すると当時の宣伝ポスターが出てくるからそれ見て判断してちょ 昔ミノルタポルシェ962が走ってたんですが、あれはどこのチームだったか分かる人いますかね 高額で取引する為に車体No.の入れ替えなんて普通にやっているんだろうなぁ。 >>799
その辺はクラッシックフェラーリやコブラのような鑑定できる専門家がいるんじゃね? 片山さんの所にあったマーチ84Gを売却する際には
鑑定書みたいなの付けてたっけ。
マツダに残ってた書類まで取り寄せて。 >>799
シャシーナンバーの入れ替えまでは聞いた事ないけど価値を付けるために嘘のヒストリーつけたりは普通にあるらしいね。スカイラインミュージアムにあるGr.AのトランピオR32は元々TカーなのにインターTECウィナーって謳ってたりした。この間本物のインターTECで勝ったの(レーシングパレスで展示されてたやつ)がレストアされててSNSで軽く話題になってたね。 ルマン初優勝の赤白917Kも入れ替わっていたし…。 USマツダのプロトタイプRX-792Pはどこが開発製作したのか教えてください
ニッサンのエレクトラモーティブやトヨタのAARに該当するようなコンストラクターがあったのでしょうか >>804
英語版のwikiに載ってるね
シャーシの場合、マツダはクロフォードコンポジットの専門知識を使用してモノコックを構築し、ファブカーはプロジェクトを支援します。レースのスタイルが異なるため、新しい車はマツダの以前の取り組みである787Bとその前身とあまり共有しませんでした。浴槽はカーボンファイバーで作られ、LeeDykstraとRandyWittineによって設計されたボディワークは、前輪の井戸から流れ出る大きな露出したベントを含む、新しいスイープラインを備えています。
プロジェクトがキャンセルされる前に、合計3台のRX-792Pがマツダのためにクロフォードによって製造されました。 >>805
thanks
クロフォードコンポジットとファブカーだったんですね
ファブカーポルシェ935なんてのもありましたね
RX-792PとRT24-P USマツダは惜しい撤退を繰り返すなぁ >>802
四国自動車博物館にあるデルタS4はシャシナンがトイボネンが死亡事故を起こした奴と同じになってるし、ヒストリーが滅茶苦茶になってる >>802
亜久里がF1で表彰台に立ったシャシナンバーのLC90は3〜4台あるって本人が言ってた F1でいうとエディ・ジョーダンが「ミハエルが乗った」と詐称してJ191を売ってたとか聞いたことがあるな… 亜久里さんのローラF1には笑った(^.^)
昔のオートテクニックやオートスポーツには、毎レース毎にシャーシNo.を載せていた様な(うろ覚え
) RSCは直リンでは画像見せてくれないからブラウザにアドレスコピペすべし。 >>806
RX-792Pも北米マツダの予算で行ってる所が良いですね
予算も国内メーカー三社で1番の低予算とか >>807
>>808
やっぱそんなもんだよなぁ このご時世SNSに五万といるヲタクに一瞬で見抜かれてるし今考えるとそういうヒストリーつけて売る商法ってめちゃくちゃ脆い商売だわ。ネットがないからこそって感じ 買ったよ〜。
当時からのCカー漬けおじさんにはパッと見で新鮮味は無いけど
読み込んでいくとレース毎の細かい仕様の違いとかの写真がある。 10リッターイーグルは載ってるよね?
(セブンネットで注文済だけどまだ引き取ってない ブルンとコンラードが2ページももらえていて良かったよね
しかしスパイスの扱いがなー
残念 ブルンC91とゲフハートて同じ車かと思ったら違うのね NA3.5Lなら、プジョー905かな。発想の転換がフランス人だな、と当時思った。 シボレーイントレピッドRM1は異彩を放つ車両だったのにスルーですか GTPでは速かったのに
ジャガーもXJR16は無視だし GTP本じゃないからね。
日本メーカーが関わったGTPマシンだけ。 >>821
ゲブハートC901も屋根を取り外して、エンジンをインターセリエで使用したアウディ製ターボエンジンに換装し
ゲブハートG4としてスポーツレーシングワールドカップニエントリーして2004年まで走っていたとか
いい勉強になったわ ブルンとコンラッドがそれなりの扱いなのは嬉しいが、スパイスはその他扱いはないんでね?
伊太利屋のR91VPは実はR91CP-04、とは書いてないな。R90CPと。
R90CPのモノコックはローラの90でないんだが…。
プライベーターがローラからシャシーを購入し日産からエンジン供給を受けた例もあった、てフロムAだけじゃん。
まあ粗探ししてしまったがそれなりに満足。
大内って有名なライターではないよね?そこらのヲタの方が詳しい、ことはない? スパイスSE91Cはスパークからまだ出てないCカーミニカー最後のメジャーどころだな スパイスもJSPCを走ったAO-RacinngとFEDECOの2台の詳細も知りたかったね ノバが弄った日産Cカーは結構好きだったな。なるべく一体化したり、ドアをウインドウ部分だけに狭めたり。 >>827
>プライベーターがローラからシャシーを購入し日産からエンジン供給を受けた例もあった、
間違ってるの? マツダ787Bのドアを開けた時のシフトノブの近くにLIGHTって書いてあるんだけどスイッチはどこにあるんだろう?
ウインカーとかライト(パッシング)、ワイパーやウォッシャーって基本シフトノブと反対側かな? >>831
1例だけで「例もあった」って日本語的におかしくない? 富士の最終コーナーから第一コーナーまで、ずっと加速していた↑ 体感してみたい(^.^) あと予選中のFW11ホンダも FW11の富士の最終コーナー 加速もすごいんだろうけど
横Gがとんでもなくて星野さんが乗っても首が持たなくて悲鳴を上げたそうな バブル時代は、会社の体を成していなくてもスポンサーになれたんやなぁ。丸勝とかw 別に実態がなくて名前だけでも金さえ出せばスポンサーになれる
お金持ちが個人でその場で屋号作ってもいい バブル期のマルカツは中古車屋とバーキン等の輸入代理店してたのはカーマガジンの広告で見てたけど実態はそんなもんかな? たしかマルカツは実際に存在してたけど脱税しまくってたんじゃなかったっけ?
別の話と混同してるかな? 脱税で一旦潰してクライスジークだよね
スポンサーしたポルシェむっちゃ遅かった >>840
スポンサードしたチームが962Cを運用しているテームの中では後方グループの
ティム・リー・デイビーだしね >>837
赤城社長「金は3000万円出しましょう ついてはこのステッカーを車に貼っていただきたいのですが」
舘代表「わかりました しかしこの"レイトンハウス"って何ですか?」
赤城社長「それはまだないんですよ 実態はこれから作りますから」
舘代表「???」
こうだからなw 金くれるならお願いしますとしか言えないからねwww
スーパーアグリとかそれで失敗してるけど バブルな日本人相手にかなり吹っ掛けたスポンサー料を要求したんだろうなぁ(-.-) クルマの開発やチーム力upに使っていたなら、まだマシだったけど…( ̄ー ̄) 武富士ポルシェのスポンサー契約に関わった人が前その顛末を書いてたけど
・武富士の看板をサルテサーキットに出したのにちっともテレビに映らない
・「それならチームのスポンサーになれば武富士の名前を映せる」という話になる
・すんなり契約が決まる
・当の武富士側はちっともモータースポーツに関心がない
・「誰か一人行ってこい」と言われ担当者がルマンへ チームのピットに一度だけ顔を出して「頑張ってください」と声をかける
・あとはひたすら近くのゴルフ場でゴルフをしていた
こんな感じだったらしいねw レナウンの場合
ス 下位ばっかだからテレビ映らないじゃないか
マ すんませーん
ス それじゃ駄目だからせめてもっと派手なカラーリングにするべ?
マ 了解っす
結果 ルマン総合優勝
こんなだっけ レイトンハウスはクレマーのスポンサーになったけどテレビ放送のスポンサーはパスしたから放送中ずっとレイトンハウスを省いてクレマーポルシェと呼ばれ続けたと嘆いていたな。 >>845
武富士がチームのスポンサーになったのは1987年のロイドだからその年の話なのかな? XYZがBGMになってる自社CMがカッコよかったね
RLRの武富士 >>846
(当時の)マツダスピードの社長が
「うちのクルマなら速さはなくても完走率は高いからスポンサーには喜んでもらえるだろう」と思ってたら
レナウンがスポンサーについた途端立て続けにリタイアになっちゃって
その度にレナウンまで頭下げに行ってたって話もあったねw
>>848
確か「87年のテレビ生中継開始に合わせてコースサイドに看板出したのに全然映らない」ってところから始まったから
88年か89年の話じゃなかったかな >>851
それならシュパンの方だねありがとう
武富士ってロイド、ブルン、シュパンにスポンサーしてて結構節操ないんだよな シュパンのスポンサードの時に 武富士ポルシェがルマンに帰って来ました!ってアナウンスされてたね F3000で松田秀士のスポンサーにも付いてたね
何年度かは覚えてないけど 高須クリニックを初めて知ったのもクラージュについた時からだな
キッドボックスかromu特注で43出ませんかね、SWC鈴鹿に出たGTiとル・マンのC26両方 >>855逮捕される前にモデル化されたら良いね
スレチだけどスパーク別注は300個からだっけ? クラージュなら1987年ル・マンの3位に入った奴が欲しい
ずっと待ってるのに出ないしキットすらないからな >>852
そりゃあレースに興味が無いんだからそうなるだろ… バブル当時は目のやり場に困るハイレグレースクィーン沢山いたけど、やっぱりレース中なんか休憩中のドライバーなんかにモーターホーム内等で◯ッ◯したりしてたのかな 本山のカミさんが5ZIGEN、青木宣篤がラークマクラーレンのRQじゃなかったっけ グループcカーのすべてを見返したけどクラージュの扱いがひどいかもね
1987年のル・マンで3位入賞車のC20が無視されてる… 与太話ならバブル期のサーキット周辺繁華街は
レース週末になるとF1ドライバー候補だらけになってたみたいな >>827
>>863
ホントだな
スパイスとクラージュがコンラッドとBRM以下の扱いはないわ
ユーロレーシングのスパイスなんてSWCの年間ランキングではマツダスピードより上だったのに…
逆にTS010やNP35はもっと軽くていい >>860
ミカ・サロの嫁になった人はレナウンチャージクイーン(マツダのRQ)だったっけ クラージュC20辺りのアルミハニカムモノコックは自社製造なのだろうか?
英国の場合F1用の物を製造していた外注業者が数社あるからC2車両なんかの制作も敷居が低いけど
当時のフランスはどうなんだろうね?
当時の量産コンストラクターはマルティニ位しか思い浮かばないけど >>867
自社じゃないと思う。エアバスの下請け系の所や、ROCとか、MOCとかで作ったのでは? 日本だと元を辿れば伊藤レーシングサービス、みたいな。 >>869
やはりそうなりますよね
クラージュも当時ポルシェと提携していて、エンジンやギヤボックスなど有償供給されてたけどシャシーをどのような体制でまとめたのかが気になる所ですね。
2000年台のLC−70辺りは自社製造だったと鈴木氏の本で見た記憶がありますね。 89年のルマンで#9のクラッチトラブルでコカコーラを注ぎ込んでと書いてあるが、クラッチ板のほうに注ぐと洗浄作用と摩擦作用が働くのかな? 787Bもポルシェミッションだし、普通に単品で売ってくれるのかね >>873
売ってくれたけど、今は962Cがヒストリックレーシングで人気でミッションパーツが手に入らないんでしょう? そんなのを走らせているような大金持ちさんたちなら
どこかに作らせるくらいくらいのことをするんでは 金に糸目をつけないのなら現物持ってヒューランドかXトラックに行けば少量ロットにも対応してくれそう 当時のポルシェも911用に自社製トランスミッションを生産してたからレーシングカーの956用も生産したわけだけれど
当時のCカーのトランスミッションを自社製にしてたメーカーって少ないよね
トヨタも92C-Vで切り替えてというのは今wikiで知ったけど、TS-010では評判の悪い話しか知らないね。 88C-Vからマーチとトヨタが共同開発した88Tミッションを使ってた。
この88Tをベースに90C-Vル・マン仕様でトヨタ内製6速ミッションを投入して、
91C-V以降は更に改良した内製5速ミッションを標準化した
メルセデスも似たようなパターンでヒューランドをベースに中身を独自開発していって
最終的にC11でケーシングも新作した結果、完全オリジナル品になった 駆動系は内製率低いよね
ケースはともかく中身は専門の会社が良いんだろう 今でも60年代物の再生産したりとヒストリックレーシングカー用に供給してるけど
F1とかは内製化してるように見えるけど
中身の製造は今でもヒューランドが下請けでギヤとか作ってるのかな? エクセディとか日本メーカーも供給してたり?
F1のフェラーリとかここだったはず JSPCがわんさかyoutubeに上がり始めて狂喜してる
1990年までビデオデッキすらなかったので >>879
だから89年からトヨタのマシンがマーチになるとのガセ情報が流れたのか。 ぼくはひろしまにすんでいます。
ひろしまのがっこうではマツダにこうじょうけんがくにいきます。
じょしでも787Bっていったらレースでゆうしょうしたやつってしってます。
ほんとうです。 そんな人しりません
山本かいちょうをはじめ、すべてひろしまのほんしゃの人たちのてがらです 誰も釣られないw…
ハセガワからFATカラーの962Cが出たけど、後のヨーストやダウアーでもお馴染みなカラーリンングだけどCカーでの最初のスポンサードは今回の1987年のブルンなのかな? >>891
ありがとう
写真のフロントカウルに取り付ける特製ウイングも他にはRLR位しか使った写真を見た事ないけど主流にはならなかったですね >>892
ポルシェだとクレマーとか、
日産 マーチ でもやっているよ。フロントウイング xjr−6も付けたことあったよね。
最低のソリューションとしてあれはあったけど、お手軽だったんだろうね。
一気にわらわらと広がったし、IMSAのGTPなんて一時962はあれついてない
クルマがないほどだったもんな。 >>895
フロントのDFは増えるものの、気流が乱れてリアのDFが減ったりとデメリットも多かったからカナードの登場で消えたっけ? ハンドリングの調整用としてはウイングなんだろうけど
ダウンフォース量としては、カナードの方が効率よかったんだろうね。 こういう用途も。
>この車はダイブリップが殆ど効きませんでした。では付いているダイブリップは何をしているかというと、
>フロントタイヤの後ろに位置するオイルクーラーダクトの性能アップです。
http://www.sifo.jp/aerodynamics/aerodynamics-newsletter-018.html ヨハンソン アンダーステア対策としてベストではないがベターだから
パーマー/ヴィンケルホック ドラッグは増えるがアンダーステアが少なくなる。
ラマース ようわからん
由良拓也 効果は疑問。ただし、心理的効果はあるかも そのカナードにしても狙いがわかって使え始めたのは日産・GTP ZX-Tくらいからだから
88年ってだいぶ後になってからだよね。あれでもリアの気流までよくなっちゃったとか
言ってたくらいだから、まだまだ今の目でみれば手探りみたいなもんだったんだろうね。 そして91年にXJR-14とプジョーのevo1が地面効果が期待できるウイングをフロントに
仕込んできたけど、あれ見た目ほど効いてなかったんだって。デザイナーいわく
引き抜きが不十分で。で、同じ91年に優れたソリューションがアメリカに登場してた
んだな。イーグルmkVだね、フロントタイヤの後ろ側からフロントディフューザーの排気を
やるタイプ。これが最適解でその後のクルマのデザインはみんなこうなった。
日産・GTP ZX-Tもそうだけど、このクルマも知ってる人は知っているエアロダイナミシスト
はどちらも日本人。僕らはもっと鼻高々でもいいんじゃないだろうかw すげーな、ヒロ!!
やっぱガーニーの右腕?は伊達じゃないってか 所謂フロントディフューザーを初採用したのはイーグルMk.3ではなくAMR-1なんだけど、
鈴木本でイーグルMk.3を大々的に宣伝したせいなのか知らんけど日本じゃ全然語られないね アウディR8も屋根があったら956/962みたいに後世に残る名車扱いされたかな。
やっぱり屋根って大事だよね。 節子それ別物や
R8Rのアウディ顔のまま強かったらな
ライバルほぼ不在とはいえR8も十分名車なんだろうけど >>906
たしかにリアタイヤ後ろから抜くって点ではアストンが先だけど、
https://www.ultimatecarpage.com/chassis/1/Aston-Martin-AMR1-AMR1---03.htm
と
http://www.mulsannescorner.com/ToyotaEagleMkIII-4.html
の内容の差を見るとイーグルを設計した人がよくわかってフロントデザインを
ジェネレイトしたって言っていいんじゃないだろうか?アストンは惜しいけど
完全にわかってないデザインだと思う。あれは日本でいえば「トンネルディフューザー」
みたいなものではないかと画像を見る限り思っちゃうんだけど。 この2車の差はおっさんのたとえだとマーチ782とマーチ792くらいの差があると
思うんですけどね。 AMR1のフロントは角度調整式のディフューザーになってるんだよ。
フロントフェンダー後方を大きく開口して、リアエンドにラジエーター移設して
サイドポッド絞ったのはフロントディフューザーの気流を抜く為で、発想は00年代のLMPに近い。
他にもC291が成し遂げられなかった障害物が一切ないフルワイドのリアディフューザーも実現してるし
空力はかなり先進的だった。
https://imgur.com/ZBFZjqN
http://www.mulsannescorner.com/astonmartinamr1-1.html
http://www.mulsannescorner.com/astonmartinamr1-2.html なるほど角度調整式っておもしろいですね。うまく使えるかどうかはおいておいて。
それとリアラジエター思い出しました。あれに関してはやはりランチアŁC1からはじまる
ランチアプロト、フォードマスタングプローブGTPそしてイーグルMKVにいたる
ボディ内クーリングエアー通過型の流れから外れた仰天のアイディアでしたね。
おっさんは童夢セリカを思い出して青ざめた覚えがありますw ポルシェ956Bのフロントウイングも長くは続かなかったようだけど
レギュレーションで禁止になったとか? >>916
足回りの改造、オリジナルカウル、カナード等の空力付加物の開発が進み、
元々効果が疑問視されていたフロントウイングは不要になったから。 プロジェクトX4Kリストア版「ロータリー47士の闘い 夢のエンジン開発」[字]
6/29 (火) 21:00
NHK BSプレミアム(Ch.3)
小型で高出力、しかも清音。夢のロータリーエンジン開発に挑んだのは、マツダの技術者たち。リーダー山本健一は、妹を原爆で失った。47人の部下と共に歩んだ激動の日々。 >>920
でも山本会長って社長時代、オート東京(大橋さん)の挑戦に「恥かくだけだからやめろ」って横槍入れたんでしょ
で、結果出たら手のひら返して>>888の態度
プロジェクトXでも大橋監督の名前はちょっと出るだけ
大橋監督と名前すら出ない栗尾憲之さんこそが本当の地上の星だわ
しかしデイトナは本社主導なのに謎だな 大橋氏を引きずり降ろして責任者になった人って後で出世していたら恐ろしいな >>921
大橋達がいなければ優勝するまで地味に挑戦はしなかっただろうけど、本社の関与がなければ絶対に優勝しなかったろうね
だから一概には言えない 1991年7月10日付全国紙全面広告
祝福。
おめでとう、マツダ!第59回ル・マン初制覇。
1991年6月23日午後4時、あの、栄光と伝統を誇る第59回ル・マン24時間耐久レースにて
マツダ787Bが、日本車初の快挙という喝采の嵐の中、チェッカー・フラッグの栄誉に輝いた。
過去「ル・マン」のモータースポーツの一翼を担ってきたジャガーは、
いま、同胞として、マツダ車に、心からの祝福の拍手を送りたい。この、世界でもっとも過酷といわれるレースにおいて
7度の優勝の道程をもつ私たちでさえも、ただ一度の制覇がどんなに至難の業であるかを、
身をもって知っている。メカニズムとテクノロジーの研鑽と練磨の重み、
そして頂点に立つことの意義は、レースに出場する者誰しもの胸の内に、静かに、深く、平等にある。
エントリー全38台の一員として、あらためて、Congratulations MAZDA!
Jaguer Japan Limited 79デイトナというか IMSA は
デイトナ24H への参戦は マツダオート東京が参戦して
追って マツダワークス って形になっているけど
RX-7 の発売、プロモーション、現地チームへの支援など
色々あるから、ワークスでないと出来ない。 マツダオート東京に 山梨が行っていたような気もするけど
あれは レッドレイク氏(仮名)個人の参戦かな 本名はたくじゃなくてたかしさんは今マカオあたりにいるんだっけ。 本日BSプレミアムでプロジェクトX ロータリーエンジン回、再放送
787Bをスタジオで始動させるシーンもあるかも 今回の放送は省略版で787Bは少ししか映ってなかったな
あとエンジン開発の問題で映されたのはR26Bのカットモデルだった んだね
給気トランペット見てパッと分かった
IMSAも辞める今、レース活動はあまり振り返りたくない過去かもね 丁度ASWebにトムス83Cが掲載されてるけれど、チーム生沢にも1983年に供給されてるんだね
欧州F2用にホンダV6を引っ張り出したと思えば
次はトヨタが開発したエンジンが乗っかったCカーを供給(購入?)とかテツ生沢の人脈というか交渉力は凄いもんだね。 73年にシグマがルマン用エンジンをトヨタに断られた時に
石原慎太郎にマツダへの紹介状を書いてくれと頼んだのがテツさんだっけ。 R90CPってのは前後カウルを外した真ん中のモノコック部分はR89Cと同じってことですか? たしか90年の開幕戦とwspc鈴鹿はは一台は90cpに89のカウルを乗っけて走ってる。 >>940
RSCによれば同じモノコックで少なくともルマンまで出てるっぽいね そのの#23 R90CPは前年のル・マンとJSPC走ったR89Cのモノコックを継続使用してる
JSPCでの#24 R90CPはR89Cと同じモノコック形状だけどローラ製ではなく日産内製らしい あの時期のニッサンはIMSAも含めると一体何種類のクルマを用意してたんだ?って
なるくらいにバリエーションが多くてわけがわかんなくなりそうだよな。ノバに
出したクルマも最後はああなってるし。おもしろいっちゃおもしろいんだけど
どんだけ金がかかってるかって考えると非効率的なやり方だよな。
それと話題が違って恐縮なんだが、トヨタ。
童夢86Cってさ途中からウイング別体になってるけど、あれは87Cの先行開発的な
意味合いがあったのかね?それと妙にすぼまったリアのコクピット後ろの形状だけど
風洞の結果を見誤ったせいであれにしたらしいけど、その場所にトムスも童夢も後からダクトを
追加してるけどあれ何用なんだろ? Cd値減少を狙って絞り込んだけどさほど効果が無く
エンジンルーム内の空間が狭くなって冷却が辛くなった…みたいな? 私もそう思うんですけど、なにか証言かないですかねぇ。トムス86Cが販売サイトに
上がってたときの画像とか見てもそこらへんの構造がわかる画像がないんですよね。 それにルマンのクルマにはあのダクトついてないんですよ。 ダクトってシュノーケルダクトの事?ならリヤブレーキ冷却用だけど、違うダクトならごめんなさい。
リヤ独立ウイングはダウンフォース増を狙ってだろうけれど。
俺的にはダミーファンネルの模造のほうが興味あるかな。 >>943
空力に関しては童夢の先行開発じゃないかな
イクザワの86c?富士でリアカウル外れて大クラッシュしたんだよね
カウルじゃなくて本体側にウイングつけたほうがリアカウル外れてもウイング取れなくて安全って考えかも >>947
左右一対のシュノーケルとは別にv6模造ファンネルがモールドされていたところが
塞がれてそこにダクトがついてるんすよ。トムスのは形状まるわかりで童夢のは
こじんまりとちょっことしたのほうに。WECの画像をみればトムスのは「あ これ」
って具合にすぐわかります。 実は昔林ミノルが童夢のサイトでなんか昔話をボソボソシリーズでやってたのには、
86Cのリアのデザインはしぼりこんだのも普通のも風洞の結果がおんなじだったから
ならおもしろいほうがいいやってアレにしたらしいんですけど、あとで検証したら
性能がわるくって、トヨタからきてたお目付け役みたいなのの不興を買ったとか。
加えてルマンでとよたのお偉いさんの懇願を無視して「レースは全力で走ってなんぼや!」
とか調子こいて23時間目かなんかにリタイヤして決定的にトヨタに嫌われたとか
いつものボヤき節だったんですが、先行開発のこととかあのダクトのこととか何も
言及してなかったんですよねぇ。あーーー知りてぇ WEC以降の童夢86Cは、ボディ側面の気流をウィングやディフューザーの気流引き抜きに活用する目的で
カウル後端をカットしてウィング独立させたと鈴木本に書かれてる。
実走で明確な効果を得られたので87Cに正式採用 なるほど童夢が勝手にはじめたのを採用ってことですか。あとたいしたことじゃないですが、
独立ウイングは鈴鹿1000キロからですね。ありがとうございます。 TOYOTA 82C(セリカC) 〜 87C(88C) までは
マニファラクチャポイントの関係で TOYOTA を冠しているだけで
童夢が設計、トムス製作(童夢分 除く) >>954
おお、このシュトゥックの962Cミニカー持ってるわ
ルドビッヒ号の962Cのミニカー出して欲しいなあ これに出てくる白いクレマーCK6はスパッツ付いてる
ピット内にいる画像見るとヘッドランプの形状もよく見る90年以降みたいだけどはっきりとは見えないよね たまにポルシェ956Bって表記を見るんですが、これは普通の956と何か違うのですか? ポルシェ956B は標準のリアカウルが ロングテールで
販売後、ロングテールはルマン以外では向かない。となり
大半のチームは ショートテールのカウルを買い足すことになった。
83年WEC富士の際、ワークスポルシェは
トラスト(ノバ)がショートテールカウルを持っていないので余分に持ってきたものの
遅いだろうと思っていた トラスト(ノバ)の速さに驚いたそうな。
勿論、余分に持ってきたカウルは売れなかった。 >>959
日本のグループC本を見たら1、1984年富士500キロの写真でADVANNやFromAはスプリント用のカウルセットを付けてるけど、TRUSTが使用したカウルはロングテールを付けてるね。
いつ頃ショートテールにコンバートしたのだろう >>959
あれノバガレージはロングテールのが速いって開催前からわかってやってたって
森脇氏がなんかのインタビューで答えてたね。「なんでみんなショートカウルなんだろ?」みたいな感じだったらしいよ。 トラストノバがショートテールのままにしたのは
富士の場合、ロードラックの利点を生かしたまま
改造してダウンフォースを増やした方が良いと判断したから
リア下部に清流板を付けたのはノバが最初。
あと、フロントカウルもオリジナルのもの >>963
そう。フロントカウルも自前だったよね。だから仮にショート有利とわかったら
ノバは自前でこさえたと思うね。ポルシェのカウルは非常識なくらいに思いらしいから。 富士はわかるけど鈴鹿も走るんならショートがよさそうに思うが…
アドバンもノバだけどショートだったよね 富士 と 鈴鹿
どちらが開催か数多いか考えてみよう! 富士ロングディスタンスシリーズというのも組まれてたね ちょっと話はズレるけど、単純な高速コースとして存在した富士スピードウェイは
ある時期日本のコンストラクターを育てたと思うんだけど。GCの魔改造とか童夢の
グループ6とかああいうものは全部富士の空力性能が要求されるコース特性が育んだ
産物だよね。グランドエフェクト以前の日本のレーシングカーは富士生まれといって
いいんじゃないだろうか?特にスポーツカーで世界に出ていこうとすると当時の
ルマンの特性もあって必然的に富士が中心になるし。 >>968
マキF1が空気抵抗削減第1の特異なフォルムだったのが実戦登場時は平凡なスタイルに改造された
富士に影響受け過ぎで弊害の方が大きい >>968
GCカーベースのシグマMC73もル・マンでは光る速さを見せたという記事を見た事がある
なお耐久性は知らない… F2 の ノバ532P はダウンフォース不足で
ヨーロッパでは通用しなかった でも別にミュルサルヌですげー速いマシンが出来たって話も聞かないけどね 高速コースだからといってやたらレスダウンフォースにしたり
ロングテールにしてもアカンというのは学べたのでは。 童夢 RL79 > RL80 は
前影投影面積が増えても、コーナーリング性能を上げるために
50mmだか幅を広げているよね。 RŁ80は最高速80年で一番速かったんじゃないのかな?bXのポルシェもいる中で
これはバカっぱやといっていいのでは? 80年は予選とかタイム計測がコンピュータ計測になった初年度なんだけど、
童夢のあのクルマはリアタイヤがハヤシのホイールと相性悪くてパンクしたり
マイナートラブル続出のあと、ちょろっと走ってコンピューター計測3位、
旧時代の有力チーム系の手動計測だと6位だ、それ間違ってるで。のクレームで
6位に訂正、なおスタート時にはなぜか謎の7番グリッドとかいろいろあったんだ
けど、速いクルマは速いクルマだったんだよな。どうしてせっかくAMADAもついた
のに翌81年に向けて熟成を怠ったのか惜しい話ですねん。 >>975
WMは24時間どころかSWCですら走りきれたか 童夢が使っていた中古DFVの入手方法の話は良く語られていますが、
メンテナンスや、チューンを担当したのはマキやコジマの鹿嶋氏なのかな? 童夢のDFV、一基は元ヒーローズの242号機と当時のカーグラ試乗記事に
書いてあるね。メンテはどの記事にも書いてないけど鹿島さんが順当か。
近藤進治さんや五十嵐協二さんは車体周り? >>981
ヒーローズというとティレル007購入時のスペアエンジンですね RL79
DFV243 : KE F1用
DFV072 ; ニコルソンチューンを近藤で改造
DFV242 : ヒーローズより
RL81
DFV242 : ヒーローズより
DFV243 : KE F1用を近藤で改造 >>984 追記
RL79
#6 DFV243 : ex KE、F1用 主に予選
#6 DFV242 : ex ヒーローズ、主に決勝用
#7 DFV072 ; ニコルソンチューンを近藤ガレージでカムシャフトをF1用に変更
決勝でガスケット、シリンダーヘッド損傷
RL80 DFV242 ?
RL81
DFV242 : 予選
DFV243 : 予選、決勝 (予選と決勝でカムを替えたらしい)
いずれも、近藤ガレージ メンテナンス
参考文献 オートテクニック誌 すごい!コピペ保存させていただきました。あありがとう! オートテクニック(79/08)、うちにもあるのに忘れてた(汗)。
メカニックとして寺井さん本島さんの名前もあるね。 93年のデイトナ24時間一戦のみ出走の193
二段ウィングと、それに合わせた形状のリヤカウルはひょっとしたらあれしか残ってないかも? 767Bのクラッシュを修復した英国ですし、TWR物は資料が残ってるし大丈夫と思いたい FoSでクラッシュした767Bってずっと日本にいた方ではなかったか 動画見たけど、軽傷レベルじゃね?アンダーパスでテールスライドして干し草以外に
ぶつからなかった幸運もあるし。あの程度ならイギリスでちょちょいのちょいじゃ? モノコックやエンジンは多分大丈夫だろうけど、外装以外にフロアやサス、煙も出たから冷却系の配管も修理かな?
そういえば同日にXJR-15もクラッシュしたみたい
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