空手の型はやるだけ無駄と言う現実122
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空手家は型の意味を知っているのだろか?
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか?
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか?
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか?
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。
前スレ
空手の型はやるだけ無駄と言う現実121
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1597314331/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured >>3の動画を見れば、型をやっても総合に役に立たないのは明白
つまり、昨今の伝統派出身の格闘家の活躍は型は無関係だということが言えると思う >>51みたいな正論を言われたとき、型肯定派は感情的になって無理くり型の弁護をするのではなく
事実を事実と受け止めて、使えない型に使える意味をこれから地道にこじつけて、きちんと実用化を
させてから、初めて「いや、型は使える」もしくは「型は使えないけど、自分が最近になってこじつけた型は使える」
と胸を張って言おう。これが前向きで正しい道。それが出来ない間は、使えないと言われたら「ハイそうですね」
と素直に認める。反論したいなら大して意味の無い昔からある型に自分で使える意味をこじつけてからにしようぜ。 >>51
短絡的意見だな。
外国人の型のレベルは見事ではあるが、身体に染み込むレベルには至っていない。
剛柔流の型など、総合の選手が組み付いてきたところで出せる箇所は幾つかある。
この空手をしてる外国人は型はまだ無意識に出るレベルになく、しかもフルコン系の試合とかやってたのかそちらの動きが無意識に出ている。
型を使えない人を出して型は使えないとか詐欺の論法だろ。
このチンかす野郎。 トカゲのしっぽ切りに似てるんだよなぁ
唐手、例えば首里手の技が大したことない現状を誤魔化すために
フナコシがー、体育的に改変したからー、フナコシがあー、フナコシのせいでー
ああそう、じゃあフナコシと同世代の他の唐手家はちゃんとした技術もってるの?
あるいはフナコシより前の世代の唐手なら当然沖縄に残ってるでしょ? ってなると都合悪いから
イトスがー、体育的に改変したからー、イトスがあー、イトスのせいでー
首里手じゃなくて那覇手でも同じだよねw
那覇手に技術がないって分かると都合が悪くなるから
ミヤギがー、改変したからー、ミヤギがあー、ミヤギのせいでー
じゃあ宮城以外の那覇手や宮城より前の那覇手は?ってなると。やっぱり都合が悪くなるので
ヒガシオンナがー、改変したからー、ヒガシオンナがあー、ヒガシオンナのせいでー
分かりやすいトカゲのシッポ切り。あるいは責任のなすりつけ、もしくは現実逃避。
唐手家の誰のせいじゃなくて、唐手家の「誰もが」踊り(型)ばっか踊るだけでロクに殴り合いの技術を追求しなかったから
現在大した技術が残ってないんだよ。それだと都合悪いから失伝したとか誤魔化してるだけ。みんな現実を受け入れようぜ ┐(´∀`)┌ あ、ヒガシオンナじゃなくてヒガオンナだった。全国のヒガオンナさんごめんなさい。 パーをグー程度でしっぽ切りにはならんよ
剛柔流は中国拳法色が強いといわれてて、情報が少ない時代はまだよかった。たとえば戦後とかまではな。
だけど昭和も後期になっていって、中国との国交も回復し日本人全体の情報(まだこの時期は雑誌媒体がせいぜいだが)も密になってくると
剛柔流は中国拳法色が強いというけど、実際の中国拳法とは三戦程度しか似てないってバレ始めた。それを誤魔化すために
宮城の時代にはカゲも形も無かったカキエなんて稽古を宮城没後に高弟達がこさえたり(俺はカキエと化勁(カケイ)のミスリードを
狙ってたんじゃないかと睨んでる)、そもそも剛柔流は純粋な東恩納の技術ではなく宮城が独自にまとめて編纂しなおしたものだ、という事にして
中国拳法とそれほど似つかなくてもそれは宮城流だから仕方ない、としっぽ切りをした。1970年代〜1980年代くらいかなこの頃は。 で、まだまだ情報が少ないので、沖縄のどっかに眠ってる那覇手なり、あるいは宮城以外の弟子(許田の東恩流)なりとかは
原型の那覇手を残してるんだろうなってことでうやむやになったが、平成とかに入って情報がどんどん発達してくると
どうやら東恩流も剛柔流とそれほど大差ないし、剛柔流と東恩流以外に那覇手なんて影も形も残ってないことが分かり
ちょっとおかしくね? 東恩納は本当に中国に修行に行って拳法を持って帰ったの? ってなった。
平成入ってから平成終わるちょっと前あたりの時代かな。1990年年代〜2005年くらいか?
で、宮城が改変しただけじゃつじつまが合わなくなるから、東恩納の時点でだいぶ東恩納が改変したから
中国拳法と似てないのはしょうがないって事にした。この歴史の流れの中で同じ那覇手に分類される上地流
というのがあって、その流派は剛柔流よりさらに中国拳法色が強いといわれてるんだけど、上地流の型が開手
で統一されてるのも剛柔流(那覇手サイド)にとって都合が悪かった。
だから後になって、「あれもホンモノこれもホンモノ」などという東恩納どころか宮城や許田でさへ
戦前ひとつも確認できない怪しい証言が後世になって急に飛び出してくる始末。駆け足の説明で分かり
にくい面もあると思うが、まあようするに握拳を変えた程度の話ではなく、想像してたよりも違うのは誰のせい?
ってなった時のスケープゴートみたいなもんよ。それがフナコシでありミヤギであったと。う〜ん説明が難しい。
まあ、本質的には型が使えないという本題とは逸れるただの後世の弟子や唐手家たちのコンプレックスや誤魔化しの問題なので
納得できないならそれはそれで構わないよ。もし純粋に他に質問があったら答える。 >>53
>> 剛柔流の型など、総合の選手が組み付いてきたところで出せる箇所は幾つかある。
出した事あんのかな >>59
いや、おまえ尻尾切りって書いてるやん
最近長文ご無沙汰だったのは、薬が効いてたから?
継続的に医者に行った方がいいぞ ∧ ∧
(・∀ ・) <型に深い意味なんて全然無いし
ノ( )ヽ 昔の唐手家達は組手してなくて弱かったんだよ!
< >
∧ ∧
ヽ(・∀ ・)ノ <バーカバーカwww
(( ノ( )ヽ ))
< > >>53
どうせ弱いくせに口も悪いな
救いようが無い この食材はどう調理するのが正しいのか、栄養があるのか無いのか
料理人同士がそうごちゃごちゃ長年言い争ってるところに颯爽と俺が現れ
「そもそも、手にもってるそれ『ウンコ』だから人間が食べる物じゃないよ?」
と真実を教えてあげたため、議論に決着がついた。食べ物でない以上、議論そのものが成立しない。
型が使える使えない以前に、殴り合いとほとんど関係なく誕生した踊りが正体だから議論にすらならんよ?
と教えてあげたわけだ。しかも無料で。
∧ ∧
(・∀ ・) 肯定派の連中はむしろ俺に感謝して欲しいくらいだわ。
ノ( )ヽ
< > 否定派は元から否定なんだから別にどうでもいいけど。 空手の型は本来、技の動作確認のためのもので、それを繰り返し練習した
ところで対人で強くなるものではない。腰を落として移動することで鍛錬、
一人で人に見せる演舞として舞踊や儀式の要素が加わっている。高度なものと
されているほど舞踊的要素は強まり、実際の武術の要素が薄まる。競技化に
よりさらに採点競技、体操の要素も加わっている。それらでいかに華麗、
アクロバットにやることができても対人格闘や武としての効果や強さとは
基本的に無関係である。 昔の武道板の書き込みで、昔股関節を痛めて今でも難がある人が
松濤館流の鉄騎(ナイハンチ)を毎日やっていたら改善したって
書き込みがあった。これな↓
https://youtu.be/7ZjJ8i95PHM?t=16
確かに動的ストレッチな効果は高いし充分ありえる話だ
船越自身も著書で、奥さんは唐手を本格的に習っていたわけではないけど
日々の家事が終わったあとに唐手の型をやって疲れを取っていた旨を記してる
昔の沖縄では、運動不足、あるいは日々の労働の凝りなど
ラジオ体操感覚で日々の健康を保つ役目だったんじゃないかな
そんで宴会の場とかでも披露できたりもするし、使い勝手良かったんだろう。
殴り合いの要素なんかなくてもよっぽど存在価値ある。 >>21
いくら型をやってもパンチは当てれないし、避けれないよ 運動音痴でなければ、型をやるとパンチを避けたり当てられるようになるっていうの?
それはいくらなんでも武道(格闘)を舐め過ぎじゃないの?
真面目に型をやってる人でもそんなこと言わないだろ。 パンチを避けたり当てられるようになるには対人稽古が必要だけど
昔の唐手は対人稽古が無かったから本土の学生様に約束組手や自由組手を作っていただいた。
型オタの希望の綱である手首をひっかけた掛け試し(こんな感じのやつね→https://youtu.be/wo1FiIRSrLc?t=7)
今で言う約束組手に相当する稽古も、本部朝基を含めた数人しかやっておらず、実際これを読んでる貴方の流派の開祖が
何ていう弟子とどんな掛け試しをやっていたのかも分からない体たらく。つまり沖縄で対人稽古なんてロクに行われておらず
また当の本部自身も掛け試しなんていう稽古を重視していた可能性は極めて低い。
なぜなら掛け試しにしろ本部が考案した十二本組手にしろ、本部が教えていた本土でも沖縄でもほとんど行われておらず
現在でも受け継いでそんな稽古やってるのは現在ほんの数人程度。なぜか?
本部は当時の沖縄ではめずらしく、実際の殴り合いを経験していたから掛け試しや約束組手
というものが、現実の殴り合いにおいて大して役に立たないことを知っていた。
手首をひっかけて崩した崩されたの掛け試しがどうとか、約束組手のような非現実的な攻防とかが
いくら練習したところで、現実の殴り合いのスピードと手数の世界では入り込む余地ないと知っていた。
これがガチの殴り合い。
https://www.youtube.com/watch?v=-zAvoJA2X34
>>64が言ってるように、型以外にも約束組手や掛け試しといったものも
実際の殴り合いの場においては大して意味はないよ。 約束組手や掛け試し(推手)を深くやり込んでるけど
自由組手の経験が乏しい同士が対戦した場合の動画がこれ
https://youtu.be/Cf0VKuUJPMc?t=290
見苦しいね。だけど俺は昔の沖縄の唐手家同士を対戦させたら同じ結果になると思うよ。
では今度は約束組手や掛け試し(推手)を深くやりんでるけど自由組手の経験が乏しい人と
さんざん自由組手の経験を積んだ人間が対戦した場合の動画がこれ。
https://youtu.be/IQ4JgrugUUs?t=55
本部が沖縄で無双できたのもこれが真相。自由組手の経験の差というのはこれほど大きい。
華麗で複雑な分解を考えついても、手首をひっかけた約束組手をいくらやり込んでも
自由組手をやり込んだ人間には勝てないよ。勝ちたいなら答えは簡単、自由組手をやり込むしかない。 >>73
昔の空手
ってのは、大正ころの本土の話で、沖縄では組手やってたと、本部も船越も言ってるじゃん 例えば、こんな型を使った攻防が実際の殴り合いで本当に行われていたと思ってるのかな?
https://youtu.be/BJo5iJT6npg?t=363 ちょっと質問が漠然とし過ぎてたかな。
じゃあ、貴方の流派の開祖の自由組手のスタイルと得意技
さらに何ていう弟子と自由組手をしてどういう展開になったのか
まあ普遍的に稽古で行われてたなら目撃例はごろごろあるでしょうから
解説なり資料の出典なりをお願いします
あ、自分の流派の開祖はちょっとな〜、というのでしたら他の唐手家でも構いませんよ。
昔の沖縄で行われてたという事ですので、
糸州の自由組手でも、屋部の自由組手でも、花城の自由組手でも構いません。
それぞれ弟子はいっぱい居たし、普遍的に沖縄で組手やってたのなら情報に事かかないでしょ。
まさか撮影用に向き合って取られた写真数枚とか、本に数行書かれてたとかしか出せない
なんてお粗末な話はありえないでしょうしね。どうしても困ったら戦火で資料焼けたとか秘密主義だったでもいいですよ。
ちょっと病院行ってくるので帰ってくるまでにお願いしますね。でわ。 追伸。ごく一部(本部の周囲数人)しかやってなかったと書いたので
多分松茂良とかあそこら辺を出すのが精一杯かな〜と思ってます。
名誉のために言っとくが、今から行くのは頭の病院じゃないからな。 >>74
そのMMAファイターはオヤジ狩りの卑劣漢扱いで
中国内でも居場所が無いみたいよ。 帰ってきたけど、案の定答えないよね。がっかり半分、予想通り半分ってところか。
糸州の自由組手も、屋部の自由組手も、花城の自由組手も、あるハズねーんだわ。
だって、や っ て な か っ た ん だ も ん
じゃあ自由組手をサボってた糸州や屋部や花城が悪いのか?って言ったら、それも違う。
何も悪くない。沖縄のほぼほとどんどの唐手家が実際の対人稽古での自由な殴り合いというのを
敬虔してないんだから。それが当たり前なんだよ。
>>35で俺言ったよね?
「多くの人が疑いもせず頭ごなしに信じちゃってる事だよな。思考停止で言われたまます〜ぐ信じちゃう
何が言いたいかというと、そういう頭の弱い人間が空手界には多い」
>>38に引き続き>>75もそうだな。これで2人目か。
自分の流派の開祖がどんな性質の突きをしてたのかもどんな自由組手をしてたのかも知らないのに
いやさ沖縄の唐手家は自由組手をしてたよ! とかさ。フルコン、寸止め、防具、どれも本土で形式が生まれたのに
いやさ沖縄の唐手は自由組手をしてたよ! とかさ。もうね……。頭ごなしに信じちゃうじゃなくて、信じたいものを信じちゃうだな。
俺は肯定派だからハッキリ言おう。昔の唐手家が組手したことなくてクソ弱かったとしても型も唐手の価値も変わらない。
価値は変わらないけど、こと殴り合いという技術に関しては唐手も型も非常に低レベルだからあちこちの武術からパクって
みんなでこじつけてハイハイ歩きしか出来ない唐手を立派な二足歩行の出来る人間レベルに引き上げるべき、ってのが俺の主張。 >>80
人格とか別にどうでもって感じ。
居場所があろうが無かろうが強けりゃいいんじゃない?
文句あるなら卑劣漢とかディスる前に中国拳法家の大家さんがボコればいいじゃんその卑劣漢をさ。
こっからは俺の想像になるけど、本部朝基も当時沖縄の唐手家たちに同じディスを受けてたんじゃないかと思うよ。
本部が言ってたという「やってみれば分かるのにな」って言ってたのは、つまりそういう事じゃないかな。
やらないけど(やったらボコられるから)やっかみ口を叩くだけの唐手家が当時多くてうんざりしてたんじゃないかなと。 補足として、レスの流れ上屋部は組手をやってなかったみたいな流れになってるが
自由組手は当然自分以外の人間が必要なので、俺は本部の自由組手の研究相手として
屋部が付き合ってたんじゃないかと思う。だから厳密には屋部はやってないとは思わない。
ただ、屋部にしろ本部にしろ、沖縄全体で見れば自由組手をやってたのなんてごく一握りの少数だし
予想していた松茂良との組手だって自由組手ではなく約束組手の域を出ていない可能性すらある。
途中からこのスレ参加して俺が何を言いたいのか分からない人に今一度言うが
結論として
型は中国拳法伝来などではなく沖縄人の創作で
さらに生まれた当初から武術ではなく踊りとして誕生したものだから大した武的意味は込められていない
さらに、その踊り(型)を伝承していく過程で対人稽古をロクにやってこなかった唐手家が大した技術を型に
こじつける事は出来ない、そもそも唐手自体が大した人数やってないんだから技術の発達も見込めない
故に、型は使えないしそもそも使えるように作られたシロモノでは無い、という結論。
ここまで書いてもまだ現実逃避して、型が使えるとか言うヤツは頭弱いんだろうなと可哀想になってくる。
・・・なんだかなぁ、同じことばかり書いてる気がするんで、レスの無駄な気もしてきたわ。長文でスレ汚してるだけな気がす。 ∧ ∧
(・∀ ・) 俺が書き込むとスレが止まるみたいなんで帰るわ。
ノ( )ヽ
< > 最後に何か聞きたいこと無い? 知ってる範囲で答えるよ 勘違いしてるけど、組手をやる人の方が多くて、型は秘伝だったからやってる人が少なかった
戦闘用ラジオ体操である型をやると運動神経や細かい筋肉が発達するから、強くなった
そんだけの話 首里城下町では、野試合が沢山行われており、ハブに噛まれて死ぬよりも正拳突きで殴り殺される人の方が多かった
型を知ってる人は少なかったけど、皆んなの家にいる巻藁があった
そういう意味では先ずは型よりも巻藁と組手やらないと強くなるのは難しいのは確かだろう ∧ ∧
(・∀ ・) ・・・・・・・
ノ( )ヽ
< > ∧ ∧
(・∀ ・) 頭の弱い人には何を言っても無駄だね。
ノ( )ヽ
< > 自分の動画は一つも上げれない悲しさ・・・
カワイソ(笑) 空手はコジツケ多いからね
形の分解は酷いものですよ 本土の柔術が薩摩藩経由で沖縄に伝わり、一人形になり中国拳法とかの動きが混ざって躍りになったものじゃないかなという気がする
本土柔術では打ち込みに対する方法を重視しているところが多く上段受けとかも多用する
上段あげ受けなんて突きに対する技とはとても思えない
本部流のブログに首里手は当てるといい、那覇手は殺すというらしいが、柔術では当身を殺という。 当身で殺して活でいかす 殺活自在である >>77の人は組手とか強いだろ。他の人は套路動画自体出てこない
から判断つかないな。 空手家が強いのは異論がなく、空手家は皆んな型をやり込んでる
(組手選手は型選手ほどはやり込んでないとしても)
けど、空手家の強さには型は無関係
ってスタンスなんだよな
この姿勢は、日本少林寺拳法の宗道臣開祖が言ってたことだから、このカキコミ一つにつき、少林寺拳法にカルマ(罪業)が一つ増える >>93
上段あげ受けにかかわらず、中段受けも下段払いもぜんぶブロックの技術。
あげとかはらいとかっていうのは挙動動作の説明であって受け方じゃない。
受け方は腕での強いところで打突からカバーするもの。 空手で「受け」と名前がつけられて相手の突きや蹴りを防御するものと習う
もの、これらは相手にこちらが指定する技を出してもらわなければならない
ことになるが、この「教育」に対しなんとなく不自然なものを感じる。
型を頭を柔らかくして考えるとすべての動作はこちらから仕掛けるものと
考えられる。状況としては片手で相手をつかむか引っ掛けるかして引きつけ
ながらもう片方の手(拳、鉄槌、手刀、掌、前腕など)をぶつけたり押し付け
たりする動作と考える。これで相手の攻撃を指定しないと動けないと思われて
いる型の不自然さが解消される。 受けは本来攻撃だった! とかってアホみたいなレベルだよな
そういう事を言ってるヤツがアホって意味でさ
受けは受けと認識してたから普通に唐手家は受けと名づけて教えただけだよ
それが使えないからきっと本来違った意味があるハズ!とかさ
本来の意味が攻撃ならその程度とっくに攻撃だって教えてるよ。その程度隠す必要がない。
どんだけ深読みして唐手に夢みたいんだお前ら? ドジョウすくいの踊り
あの踊りのザルのすくい方じゃ現実の田んぼで泥もドジョウも上手くすくえない
分かった! あのすくい方は別の意味を表していたんだ!
きっとドジョウじゃなく他の魚のすくい方を!
いや、ドジョウをすくうために必要な身体操作を隠していた!
・・・アホか。
ドジョウをすくう作業をモチーフにして作った踊りだから意味はそのまんまなんだよ。
現実に使えなくても何も問題ないし、踊ってる人が田んぼでドジョウ取れなくてもまったく問題ない。だって踊りだからな。
なんでそれが分からないんだ? なんでそれを受け入れられないんだ? 大正3 年(1904) 琉球新報「沖縄の武技」1月17日号掲載
「沖縄固有の武芸にして田舎の舞方(メーカタ)なるものが、
いわゆる唐手の未だ発達せざる時代のそのままであらう。」
寄稿者:安里安恒 そのように考えれば、型がいかに組手競技や格闘技と関係ない練習をやって
いるかが分かる。攻撃(とされているもの)も受け(とされているもの)も、
前に出す手と反対の手を手前に引かれている道理がこれで立つ。「回転力を
上げるため」、では説得力が弱い。
片方の手が攻撃でもう片方の手はなぜ引かなければならないか、それは
相手の襟なり袖なり腕なりをつかむか引っ掛けるかして手前に引いているから
ということになる。ではそれらの「攻撃」をなぜ受けと名付けたのか。
そこに集団教育をしようとする際の体育的教育的配慮を含めたものであろう
というのが私の仮説。 >>12
>そこに集団教育をしようとする際の体育的教育的配慮を含めたものであろう
>というのが私の仮説。
別に糸州も船越も大勢の学生に教えるのとは別に個人宅でも弟子取って個別指導してたけどな
集団教育が〜〜、で思考停止ってのこの業界でよく見かけるわ。 多分、昔は型稽古に意味があったんだと思う。
対人稽古をする場がほとんどなく、一人稽古がほとんどだったのなら、型をするしかなかったのだろう。
対人稽古や試合を多くやれる武道・格闘技、日本なら竹刀剣道とか西欧ならボクシング・レスリングとか、型はないかほとんど重視してないよね。
同じ稽古時間なら、型より対人稽古の方が有用だということになったからだろう。 >>102
じゃあなんで基本の突きや蹴りは、攻撃として教えてるの? つーか、集団教育ってそんな大事?
横一列に並ばせて「下段払い!」「エイ!」でやらせるのはいい。
だけどそれとは別に「号令上、受けと呼称しているが攻撃の意味もあるよ」と一言添えればいい
はて、その一言を言っちゃいけない理由は? 文献ばかりを漁り、そこに書かれていることの受け売りを盛んにやり、
いかにも自分の目で見たかのように語るのは愚かなことである。
しかも自分自身の型の練習と動作についての考察や言及が皆無。
ある動作そのものについて意味がないと自身の中で断定し、その「証拠」
を書物の中に探そうとする態度。 >>3の動画で答えは全て出ている
型は机上の空論でやるだけ無駄 ちょっと長くなって悪いんだけどさ。
>>104
>多分、昔は型稽古に意味があったんだと思う。
んとね、これ実は昔じゃなくておそらく今も意味があると思うんだ。
貴方のおっしゃる、対人稽古が主流の武道や格闘技がなぜ対人稽古をするかというと
当然相手を制圧する技術を学ぶためだよね? 素手にしろ武器にしろ。
で、意外に知られていないことだけど、当時の沖縄って唐手が学校の正科になる前から
本土から伝わった剣道とか柔道とかが正科になってて、部活も沢山あったし大会も開かてたりしてる。
ボクシングやレスリングは分からんが、1920年代には本土ですでに拳闘部(ボクシング部)があったから
沖縄でも似たような時期にすでにあってもおかしくない。剣道や柔道より前の時代は柔術(起倒流)の道場も
沖縄にあった記録が確認されてる。まあようするに何が言いたいかというと、剣道、柔道、相撲、ボクシング
唐手以外に戦える格闘技を習える環境が沖縄にすでにあったのよ。
戦前の当時唐手が衰退して絶滅に危機にあったってのは、何も秘密主義が行き過ぎてたからとか
若い人が伝統武術に興味を示さなくなったからとかじゃなくて、単純に対人稽古をしなくて弱い唐手なんかよりも
ガンガン対人稽古をして強さを身につけられる代替の武術や格闘技があったから、みんなそっちを選択しただけ。
だから、そんな中にあってまだ唐手をやる人ってのは、痛い思いをしたくないし、本当に強くなりたい気持ちはないけど
型をやって自分の世界に酔ってオナニーするのが好きな人
あるいは幼少期に唐手と出会って、思い入れがあるからそのまま続けちゃった人、くらいのもんだ。
どっちにせよ、本当に強くなりたい人はとっとと他の格闘技に行っちゃうから
必然唐手に残る人ってのは変な人とか夢見る人ばかりになっちゃうよね?
俺はこれね、戦前の状況じゃなくて現代でも当てはまると思うんだ。>>10の人達とかさ。
実際の殴り合いはしたくないけど、自分は強いって妄想、あるいは凄い武術を修行してる
って妄想に浸りたいんじゃないかと。だから対人稽古と対極にある型を好む。
だから、都合のよいオナニーの装置として今も型に意味はあるし今後も必要性はあると思う。そういう人達には。 実際に>>10の人たちのとこへ行って「型なんか意味ないわ」と
戦ってこてんぱんにしてくるのが一番説得力あるのに
自分も痛い思いしたくないからここで型ヲタ叩いてんだろw >>111
なに言ってんだ? 俺は>>10の人達のやってる事を否定しないしむしろ奨励する
棒立ちにさせて突きの威力の違いを体験させる、たったこの程度「すら」
突くという技術において唐手は大したものを持ち合わせて無かったんだよ。
これは分解にも言える。型は見栄えよく戦ってるっぽく作っただけの踊りなんだから
大した攻防(分解)なんか存在しないし、そもそもそんなのをこじつける必要もなかった。踊りだからな。
それを多くの人がシルエットクイズという珍妙な方式ではあるがこじつけてくれてる。
つまりハイハイしか出来ない赤ちゃんをつかまり立ち程度にまで引き上げてくれる行為だ。
だけどそのこじつけ方では不十分だし効率も悪い。
ではどういう方法ならいいのか?といえば例えばこれ↓
https://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/budou/1482156376/158
ただし ただし何度も言うが、丸パクリでこじつけるのは良いが
それをもって「これこそ古伝のワザだ」「本来の意味だ」とか
耳が腐るようなことを言うのはやめろと言いたい
突き詰めれば、受けが攻撃とかいうのもそう。
これは下段を払う技、これは上段に受ける技、唐手家たちはそうやって教えたのだから
(そうやって教えていないのならそもそも現在こんな問題は起こらない)、当然その教えが
「正しい」という事になる。ただし、正しいからと言って使えるかどうかは別問題。
だけど、唐手家はこの技は受けって言って実際に受ける技として教えたのだから
それに異論があるのなら「本来は攻撃だった!」とかいう都合の良い願望と誤魔化しをするのではなく
「組手したことない唐手家は受けと教えていたけど実際には使えないシロモノなので、つい最近になって
僕が伝統でも古伝でも何でもなく独自に独断で『受けじゃなくて攻撃』と解釈しました」とハッキリ言うべき。
それでこそ唐手は本当の意味で伝統武術としての道を歩みだすことが出来る。OK? 訂正
× 「『受けじゃなくて攻撃』と解釈しました」
○ 「『受けじゃなくて攻撃』という創作の解釈を最近になってこじつけました」
こっちの方がより正確だったな。失礼。 型ヲタは井上のように結果を出したらどうなんだ
能書きだけじゃねえか 型ヲタは井上のように結果を出したらどうなんだ
能書きだけじゃねえか じつは空手の上げ受けや中段受けなんかはケンカでみんな使っている。
下段払いとかは、蹴りを払おうとしているから不安視が起きているけれど、
実際は払うというのはモーションの説明であって、受けかたではない。
下段払いの形になって、正中線を守り、金蹴りや胴への蹴込みをブロックするもの。
上げ受けも同じで、顔の左右の急所をカバーする形なのであって、
敵の攻撃を上げるというわけではない。ここに決定的な誤解がある。
元々、大昔の沖縄空手には上げや払いという説明言葉は無かった。
本土の人がごちゃごちゃ説明をくっつけたせいで、言葉から誤解を招いた。
その誤解があるから、受けの機能性が今では理解できず、苦しんでいる。
前腕を使うすべての受けは基本ブロック技術。これ。 >>117
翻訳「古伝でもなんでもない『受けじゃなくて攻撃』という創作の解釈を最近になって僕が型にこじつけました」 もちろん、受け技は攻撃技などでは全く無い。
そういうありえない考えをおこしてしまうのは、
その人が受け技をどうしても理解できないもどかしさからのもの。
もどかしいからって無茶苦茶を言いだして世間の迷惑の種にしかなっていない。
そういう人らは例えば、中段受けが一体なぜ、外受けと内受けの二種類あるのかも解っていない。
受け技をまったく理解できていない証拠。 あ、ごめん。「受けじゃなくて攻撃」を「受けじゃなくてブロック」に訂正しといて。 >>119
>中段受けが一体なぜ、外受けと内受けの二種類あるのか
踊りとして動作が一種類だと見栄えが悪いし単調だからバリエーションを求めただけです。 >>121
> >>119
> >中段受けが一体なぜ、外受けと内受けの二種類あるのか
>
> 踊りとして動作が一種類だと見栄えが悪いし単調だからバリエーションを求めただけです。
そういうウソを吹きはじめるということ。これが受けを理解していない証拠。
中段受けが二種類あることの意味が分かっていないのは、受けを知らないから。 >>106と>>113の再録編集
これは下段を払う技、唐手家たちはそうやって教えたのだから
(教えていないのならそもそも現在こんな問題は起こらない)当然その教えが「正しい」
という事になる。ただし、正しいからと言って使えるかどうかは別問題。
横一列に並ばせて「下段払い!」「エイ!」でやらせるのはいい。
だけどそれとは別に「号令上、受けと呼称しているがブロックの意味があるよ」と一言添えればいい
はて、その一言(ブロック)を言っちゃいけない理由は? 本土の人の失敗は、技に不用に言葉を付けたことと、技の理解が不充分なままに稽古したこと。
そして、どなたかが先述されているが、並んで号令でいっせいに技をエイッと練習するしかた。
あれは技を稽古者に理解しにくくさせる。分からないまま覚えたような気を起こしてしまう。 >>124
>技の理解が不充分なままに稽古したこと。
理解が不十分なら師範に聞けばいいことですよねえ。
はて、沖縄の唐手家は「受けでなくブロックですよ」とただ一言いえばいいだけですが? >技の理解が不充分なままに稽古したこと。
私に言わせれば、不十分なまま稽古をしたのではなく
不十分と思われるような幼稚なレベルしか当時の唐手には無かったってことですよ
それを誤魔化すために、本土の人間が聞かなかったから〜、理解不十分のまま稽古したから〜
と責任をおっ被せてるだけ。弟子ではなく、大した技術が無いから教えられなかった唐手家が原因だとイイ加減気づけ。 >>125
自分が理解できていないことを隠そうとするからそういう言い訳や誤魔化しに走る。
あのような並んで号令でやる技の練習というのは、じつは近代体育が影響している。
体育教育をドイツから輸入したときに日本人が起こした教育への誤解。
そういうことを一切知らないから、沖縄のやっていること一つを理解できていない。 >>126
沖縄のひとは型から技を見つけようとして練っている、
でも、本土の人はその練ることをやらずに説明しようとした。
だからおかしな誤解を持ち込むことになった。その一つが受け技。 例えば、唐手家は戦前に唐手の本に関する著書をそれぞれ出版していますが
受け技について「払うのではなく急所に配置させ盾てのようにして受け止める技」
と書けばいいことだが、だ〜〜〜〜〜れもそんなの書いてないし教えてもないんだわ。
そんな基本的なことすら秘密にしたなんていう非現実的な話ではなく、
そんな基本的なことすら低レベルだったということ。OK?
>>127
号令をかける事と技の説明をする事は別問題ですよ。理解できますか?
号令をかけるイコール払うとブロックの違いを一切説明しちゃいけないし質問にも答えてはいけない
という戒厳令が発令されて、本土に来た唐手家達は合計1000人を超える大学および官公庁の弟子たちに秘密にし
また沖縄に居る唐手家たちも学校や内弟子たちにも一切秘密にし、書物に残ってたらそれを焼いて証拠隠滅し
目撃していた近隣関係者にはお金を渡して硬く口止めをし、これまた千人単位や万人単位を統率して秘密にしたから
今現在受けは払いではなくブロック、なんていう単純なこと「すら」世の中には知られていない、とお思いですか?
>そういうことを一切知らないから、沖縄のやっていること一つを理解できていない。
知らないのではなく、貴方が決めつけて思考停止してるだけですよ。 >>128
>沖縄のひとは型から技を見つけようとして練っている、
見つけるって・・・w その時点で伝承は途切れてますなあ。
好き勝手解釈してもいいのなら、平安初段の第一動作が筋肉バスターやゴムゴムのピストルを「見つけ出す」ことも可能ですしw 話を戻すが、
受け技を理解できていない人は、中段受けが二種類あるのも意味が分かっていない。
上げ受けの受けかたも解っておらず、下段払いも間違えて覚えてしまっている。
受け技の基本を完全に見失っている。 >>130
> >>128
> >沖縄のひとは型から技を見つけようとして練っている、
>
> 見つけるって・・・w その時点で伝承は途切れてますなあ。
> 好き勝手解釈してもいいのなら、平安初段の第一動作が筋肉バスターやゴムゴムのピストルを「見つけ出す」ことも可能ですしw
まさにこのように、本土の人は誤解を起こしていったというわけ。
まったく受け技を理解できていなかった事がわかってよかったと思うべき。 >>131
で、払いではなく受け止めることです、と基本的なことを唐手家が説明しちゃいけない理由は?
で、払いではなく受け止めることですか?と基本的なことを弟子が質問しちゃいけない理由は?
誤魔化さずに答えてくださいよ〜〜〜。 >>133
そのとおり。ごまかさずに回答してみなさい。出来ないだろうけど。
受け技を解っていない証拠。 >>134
いや、回答するのはお前だろ。
俺はもう何年も前から型に大した意味無いし踊りが発端だとこのスレで見解を述べてる。
ウソだと思うなら>>1にリンク張ってあるから遡って読めばいいし、古い住人もみんな知ってる。
では貴方の見解は?
払いではなく受け止めることです、と基本的なことを唐手家が説明しちゃいけない理由は?
払いではなく受け止めることですか?と基本的なことを弟子が質問しちゃいけない理由は?
誤魔化さずに答えてくださいよ〜〜〜www もっと言えば、それだけ受け技について不明であることに自ら苦しんでいる現れでもある。
その苦しみを明かせずにひた隠そうとしているから無用なレスばかりに暮れてしまう。 >>136
はいはい、で
数千人を超える本土の弟達にただの1人も受けではなくブロックと説明しなかった理由は?
数千人を超える本土の弟子達がただの1人も受けではなくブロックですかとと質問しなかった理由は?
してたら今頃こんな状態にはなってませんしねえ。はてさて、イイ加減誤魔化さずに回答をお願いします。 ↓↓↓俺の予想だとね、貴方は分かってないんですよ(キリッ↓↓↓
↓↓↓ってレッテル貼ってどうせ誤魔化すと思うよ都合悪いからw↓↓↓ 受け技を知らなかったという事実から逃げだしたくてしょうがない様子。
ごらんのように受けはこうやって誤解の連鎖を生んで今日見失ったというわけ。 んん〜〜〜〜香ばしい。予想通り誤魔化して終わったね。
今日の型オタはちょっとレベル低すぎだな。
もう少しまともな型オタいたらレス頂戴。遊んであげるから。 なので、中段受けの理解や、下段、上段受けを理解できなかったというわけ。
このような知恵の弱い者が空手をやるとろくな伝わりかたをしないので困る。 俺は今まで型オタを思考停止と指摘してきたけど、もしかしたら思考停止じゃなくて
みじめな現実を認めたくないから思考停止のフリをしてるだけなのかもなぁ。
例えばさ、目をつむってオナホにチンコを突っ込んで女を想像しながらオナニーしてる人の部屋に
俺がいきなり乱入して「それ女じゃなくてオナホだよ、セックスじゃなくてオナニーしてるだけじゃん」
って現実を指摘したら、気分悪くするよな?
俺はこれと同じことをしてるんじゃないかと思ったら、ちょっとカワいそうにはなってはきた・・・。同情するよ。 もうこんなことしか出てこないわけだ。受け技を知らなかった自分をまえにして。 そのいじけてしまう弱いところをどうにかしないと、いつまでも塞ぎこんでくよくよするしかないね。 ということで、受け技についてまったく知りませんでした。 https://www.youtube.com/watch?v=5vl-ACc5GgQ&list=PLB3132E11A38430EE&index=1
これ、エクストリームマーシャルアーツってやつだけどさ、かっこいいじゃない。
空手の型も、最初はこういう風に「空手っぽい動きで踊ったらかっこいいんじゃね?」って誰かが気づいて始まったんじゃないかなあ。 >>147
空手の例では、舞踊性というよりも正確に拳法を理解しようとしただろう。
中国の南部に空手の元となった拳法がある。伝わらなかったのは呼吸法。
呼吸法は理解するのに中国語が必要だったから難しかった。
よって、空手は外側だけが輸入できたことになる。 そういえば、受け技を理解していないということはサンチンも理解していないだろうな。
サンチンがどうしてあのような構えになるのかもまったく知らない状態なのだろう。 >>147
それなー
ちょっと大切なことなんだけどさ
動画で行われてる型って創作だよね? でもその型って200年後には伝統ある古伝の型になってるのよ。
例えば剛柔流なら、1920〜30年代には宮城が東恩納が作った型と許田が作った型を受け継いで
さらにそっから自分が作った型(例えば、セーパイこれだけはほぼ確定してる)とかを揃えて剛柔流にした。
だから、型の歴史でいえば、実は1930年代においては古伝でも何でもなく最近作られた型なのよ。
上地流も事情は一緒で、1920年代に上地が中国から持ち帰ったよ〜って吹聴したけど実は自分が創作した型を教えた。
とすると、剛柔流にしろ上地流にしろ、現在伝わってる型はまだ数十年の歴史しかない。
しかも作られたばっかはその数十年すらない、それこそ動画で外人がやってるような出来立てホヤホヤの型だったわけさ。
それを現代の人間が古伝だなんだとありがたがってる。
これね、俺は今でも結論が出ないんだが、この考えを突き詰めていくと
別に古伝の型にこだわる必要はなくて、それこそ動画のように現代の空手家は自分で好き勝手に型を作っても
論理的には問題ないという事になるのよ。だから、既存の型で気に入らない部分があれば動作を変えてもいいし
それこそ古い型にこだわらず、自分が新しく作っちゃってもいいと思うんだ。
ただし、新しい型を作った時点で、もうそれは唐手ではないと思うけどね。
型に大した意味がない以上、好きなものをこじつければいいというのが俺の主張だが
そうである以上は、型そのものも大して意味ないんだから自分で創作しちゃえばよくね?となる。
そういう意味では、動画の外人たちは先を行ってるのかもしれない。古き良き伝統を重んじるのが日本なら、あっちは開拓だな。 >>149
>サンチンがどうしてあのような構えになるのかもまったく知らない状態なのだろう。
サンチンについては完全に理解してるよ? 俺がどういう見解を持ってるかについては
これが全てだな↓ リンクだけじゃ読む人少ないから、悪いけど今回に限り全文コピペさせてもらう。
170名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 4ea3-MfeB [153.232.45.36])2019/12/18(水) 01:13:58.11ID:UvEkLGEV0
東恩納寛量が中国に行って習ったとかもさ
まあ、いいとこ貿易の仕事に行って現地で見学がせいぜいだわ。
型オタは三戦を唯一の根拠にして、中国拳法や白鶴拳とかとの繋がりを強調したがるけど
別に三戦なんて習わなくても見学さへすりゃ似たようなものなら作れるってw
ウソじゃないよ? 例えば俺は剣道習ったことないけど、面、胴、突き、小手、の四種類が
どういう部位を狙ってどういう風に竹刀を振り下ろすかくらいは知ってる。防具はどういうのを
つけるか知ってる。どういう風に試合をするかも知ってる。
竹刀の握り方なんて知らんし、防具の付け方も知らんし、試合のルールも知らんし、そもそも竹刀振ったこともないけどな。
で、見よう見真似でいいから剣道を作ってくれっていったら、上記の情報を寄せ集めて簡単に作れるわ。
そんなチンケな見聞じゃ、剣道に似て非なる上っツラだけしか似てないマガイモノしか出来上がらんだろうけど
それでもいいじゃん? 誰がダメ出しする訳でもないしさ、そしてその上っつらだけ似てて中身が全然伝わって
いないのが那覇手の三戦だよ。気やケイの概念もない、それどころか呼吸法すら満足に伝わっていない。
それもそのハズ、習ってもいないのに見よう見真似で作っただけなんだからな。
で、呼吸がどうだの筋肉の操作がどうだの気やケイの概念がどうだの、そういう都合の悪い部分は
ぜ〜〜〜〜んぶ秘密主義で失伝した、とか戦争で焼けた、ってことにしたらラクだよねw
現在がその状況です。だからみんなの道場に三戦の使い方が伝わっていない。失伝したんじゃなくて、元から無いんだよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています