空手の型はやるだけ無駄と言う現実122
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空手家は型の意味を知っているのだろか?
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか?
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか?
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか?
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。
前スレ
空手の型はやるだけ無駄と言う現実121
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1597314331/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured 言っていることの内容としてはそんなにおかしくないですね。
それなりに解釈できている。 >>147
ああ、結論を書き忘れた。
>空手の型も、最初はこういう風に「空手っぽい動きで踊ったらかっこいいんじゃね?」って誰かが気づいて始まったんじゃないかなあ。
↑ その通りだと思うよ。特に踊りは女性が踊れば何でも映えるけど、男性が踊って映える踊りって
そうそうないじゃん? 柔らかな動きであればあるほど男より女、しかも年寄りよりも若い女が踊った方が
絶対いいんだしさ。男が踊ってバッチリ映える演目ってのが無かったとき、闘争や武術をモチーフにした踊りを
作ったら良くね? ってのが発端だよ。
そして、いつしかそれを個人的に練習していって独立していった。
だから、型であちこちに方向転換するのは何で?といわれても
敵が前後左右に居るのではなく、実は転進による投げが隠されていて〜〜なんて理由ではなく
踊りなんだから一直線じゃ単調になるからあっちこっち向きを変えて視覚的にも踊り手的にも楽しめるように
出来てるってのが本当のところ。型における手や足の意味不明な動作も、意味不明だけどなんか武術っぽいでしょ?
とか体のキレを表現できるでしょ?って意味でやってるだけであって深い意味なんてないのよ。
ウンスーの最初の方の動作とかがまさにそれ。武術的には意味ないけど、なんかキレのある動きに見えるでしょ?ってね。
そうやって、最初は踊りとして数個あった型が、いつしか「もっともっと武術っぽいものを」ってなって、色々増えただけ。
だけど結局踊りの域を出ないし、最初から技術ありきで詰め込んだ訳じゃないから、使えないのは当たり前なんだよ。 まぁ、そういう考えを極端に進めていくと空手の姿はすっかり失くなってしまうかもしれませんが。 話を立て直すが、ともかく、受け技は誤解されてきた。
受け技の元々の性能をきちんと理解できたなら、みんなの疑念は解消されるはず。
空手の受けはとても自然で無理のないものなので、正しく理解して素直に使ってほしい。 ついでにもう一つ、
先述にある柔術の影響についてだが、
柔術の影響というのは空手の中には見られない。
逆に柔術の中にも、空手のような当身は発達しておらず、
むしろ柔術は近世になって空手から当身を導入したというくらい。
導入する柔術流派は明治以降にいくつか出てくる。
空手のほうに柔術らしき体系は確認できない。
むしろ、沖縄相撲への意識のほうが見られると思う。
沖縄には砂浜でとる相撲が独自に発達した。 こじつけばかりw
形はシルエットクイズだよ
昔は意味があったかなかったか知らんが、伝わっていないのなら失伝。 どんな意味をこじつけても>>3と同じ結果にしかならない
型は机上の空論。 ウンスーのこの手を真下にチョンチョン突きだす謎の動作
https://youtu.be/gq1PTomwZE8?t=15
クルルンファーの前に進みながら体を波打たせる謎の動作
https://youtu.be/cRfZh9mI6Ds?t=32
これらの一見意味不明な動作も踊りとして見れば簡単なんだよ。
視覚的に力強く躍動感のある動作でしょ? ただそれだけなんだよ。
それを捕まれた手がどうとか身体操作がどうとかごちゃごちゃこじつけようとしてるだけ。
ねーよそんなの。あったらとっくに伝わってるっての。 うんスーは、指差呼称に似ているw
○○ヨシ!
まあ意味が伝わっていない分からないからコジツケばかりになるんだよ
最初から躍りみたいなものだったと思うよ
本土の棒の手や剣舞の劣化番みたいなもんでしょ
使えるとか使えないとか以前の問題だよ ひとつの型における動作の数が平均40前後だとする。
型の数は60あるとも80あるともいわれてるが、平均で70個あるとして
1つの型に40の動作だから、70個×40の動作で、合計2800動作。
上のウンスーやクルルンファーの動作の意味が「たまたま」失伝して分からないとしよう。
たった2つの動作だから、まあ失伝してしまったかもしれないなあ。
でも、実際は唐手の型の全ての意味が不明で失伝してしまったとかホザいてる。
つまり2800もの動作の意味が失伝してしまい、昔の唐手家が何て教えていたのか分かりません〜
ってことになってんだよ? ありえるか? それを信じちゃってんのが型オタw
ウンスーの手をチョンチョンも、クルルンファーの体を波打たせるのも、
残り2798もの動作の意味も、元々踊りだから大した武術的な意味ないので答えようがない。だから伝わってないんだよ。
その現実を指摘すると「本土の人間が勝手に解釈したから〜」「秘密主義だったから〜」
2800もの動作の意味をどうやったら勝手に解釈すんだよアホ。
2800もの意味をどうやって人目につかず練習して受け継がせつつその痕跡を残さず墓に持っていけるんだよアホ。
下段払い追いつきが主体の平安もそう。下段を払って追い突きしたら間合いが詰まって使えないとかいうけど、
関係ないんだよ。本当に戦うためのものじゃないんだからさ。
敵の攻撃を払って攻撃してますよ〜ってのを四方八方に繰り出してアピールし、最後に手刀受けで残心を表し終わり。
それ以上でもそれ以下でもない踊りなんだから、深読みするほうが間違ってる。 本当にきちんと伝わっているならコジツケなんてやらんし、解釈とかする必要ないからね >>151
俺からしたらこれこそ(↓)自分の意見を通しがたいための妄想だと思うけど
型のこじつけと五十歩百歩だよw
170名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 4ea3-MfeB [153.232.45.36])2019/12/18(水) 01:13:58.11ID:UvEkLGEV0
東恩納寛量が中国に行って習ったとかもさ
まあ、いいとこ貿易の仕事に行って現地で見学がせいぜいだわ。
↑こういう文献があるなら出してみて。「東恩納は見学してただけ」
とか当時の地元の人が書いてるでしょ。
あんたのレスは歴史的事実に基づいてる部分も確かにあるようだが
それと同じぐらい自分のこうであってほしいという想像が入ってるわ 受け技を解っていないのは、上段の受けかたを知らないことや、
下段受けを間違えていることや、中段受けが二種類ある意味分かっていないことから明らか。
少なくとも昭和の終わりまではきちんと伝わっていた。 >>164
俺は肯定派だから、一応唐手の弁護をしておこう。
本土に「居合い」というものがあって、唐手よりも歴史は古い。
居合いは江戸時代くらいにはすでに存在してたが、江戸時代の時点で
本当に使えるのか?と論争されていた。(ここらへん『型が使えるのか?』と似ている)
なぜ論争が起きたかというと、そもそも居合いは一人稽古で抜刀と納刀を繰り返すのが基本。
だけど実際に使えるかどうかではなく、居合いは「修養」として集中力を養ったり、あるいは所作を通じて
体を練磨したり、もちろん武術的にも何も習ってない人よりかは斬るという動作において精通できる。
相手が槍を持ってる場合の居合いだとか、戦場での居合いだとか、相手と自由に打ち合う居合いだとか
そういうのとは違う。どちらかというと弓道に近いものがあるんだよ。内的世界を高める、みたいなさ。
で、俺は沖縄の唐手も居合いや弓道とまではいかんけど、カテゴリーは同じで、ぶっちゃけ1人で練習して
楽しむためのものだと思うんだよ。そこに「実戦」なんて要素は必要ないし、それこそ「対人」なんてのも不要。
それが証拠に、戦前に本土に唐手を広めにきた船越が初期に行った稽古というのは
型をぶっ続けでやり通して、飽きたら今度はマキワラを突いて、それで終わりというもの。
これは船越だけでなく、摩文仁や宮城なども大同小異で違いはなく、ようするに船越を含めた
沖縄人が持つ「唐手」というものの認識が本土でいう「居合い」と同じような位置づけだった。
だから普及に来たにも関わらず約束組手なんか用意しなかった、というか本来必要ないからな。
でも、本土の学生は約束組手どころか「自由組手やりたい」とか言い出す始末。
これは居合いの先生に向かって「先生、寸止めでいいから自由に切りあいしましょう」
「先生、居合いの技を試したいから防具を開発しましょう」とかいうのと同じで、これは言うほうがおかしい。 (続き)
どこの世界に弓道の道場に行って「実際に相手と弓矢で射り合いをしたいから方法を模索しましょう!」
とかいうバカ居るんだって話でね。本来唐手は居合いや弓道みたいな人と戦うためのものじゃないんだから
そこら辺がまったく発達してないのはしょうがないし、発達してなくても誰も困らなかったのよ。
だから唐手にロクな分解も自由組手もなくて、唐手家が分解も自由組手もやったことなくてクソ弱かったとしても
弓道の先生が実際に人間相手に弓を放ったり、居合いの技術に槍で突かれた時の対処が無かったりするのと同じで
無いからといって悪いものではない。良い悪いの問題じゃないのよこれ。根本の認識が違うんだもの。
なので、そういうものが無いことをしっかり認めることこそが本来の正しい修行者のあり方。
別に認めることは恥でも何でもない。弓道家が防具をつけた人に向けて射る練習したことないって言っても
別に恥でも何でもないのと一緒。
むしろ恥ずべきは、ここまで不自然な現実に目を背けてレッテル貼りをし
あまつさへ虚構の願望を垂れ流す>>165-166みたいなヤツラ。
俺はこういう輩こそ、唐手や唐手家そのものをある意味侮辱してると思うわ。 居合いで刀を抜いて横に一閃する。その時
「先生、相手が鎧を着けてたらどうするんですか?それだと切れないですよ?」
納刀し、今度はまた刀を抜いて今度は縦に振り下ろす。その時
「先生、相手は正面ではなく斜め横に居たらどうするんですか? それだと切れないですよ?」
納刀し、今度はまた刀を抜こうとしたとき
「先生、相手が接近してエリ首を掴んでいた場合はどうするんですか? それだと切れないですよ?」
・・・・質問する学生の言い分はもっともなんだけど
大事なのは刀を抜くこと、切ること、納めること、それを練磨するのが主眼。
型も同じ。何もない空間に突きを出し、受けを出しながら前身し、また転進して蹴る。
「その突きじゃ間合いが詰まってしまって当たりません」「受けたまま前進するのは不可能です」
言い分はもっともだけど、そんなの関係ないのよ。居合いと同じく、受けて、突いて、蹴るのが主眼。
それを練磨するのが主眼であって、それが実際に使えるかどうかは二の次。ぶっちゃけ使えなくてもいい。
弓道も、構える、狙う、放つ、それが主眼であって
「先生、実戦でそんなに長い時間相手は待ってくれたりしません」って言っても、そもそもそういうものじゃないのよ。
俺が>>81で型に大した意味は詰まってなくて、唐手家が殴り合いクソ弱くても
唐手の価値も型の価値も変わらないと言ったのはそういう事。
もちろん、そういう意味での価値は変わらないけど格闘技としての価値でいえば
ハイハイレベルの赤ちゃんだから、まともに歩けるように成長するため皆頑張って意味を創作してこじつけようね☆
と言いたい。まあ、俺が言わなくても、み ん な が 意 味 を こ じ つ け て る 現 実 は 変 わ ら な い け ど ねw やはり受け技はこのようにして理解されずに今日まで陥ったわけです。 さて、悔しいひとの癇癪がおさまったところで、
みんなに伝えておこう。
本来の受けかたをこの機会に身につけてみてください。
今までの技法とそんなに違わない、ただ一つ、解釈が違うだけ。
中段そと受けは、「外へ払う」でも「外から払う」でもありません。
中段うち受けも同じく、「内へ払う」でも「内から払う」でもあらない。
敵の手技を払おうとする動作をやめて、ブロックするんだという意識でやってみること。
自分の急所や圧力に弱いところをきちんと確かめて、
しっかりと構えを作ってみて。そうすれば受け技がしっかりと生きてくる。
これは、古代からどこの国の人たちもやってきたベーシックな技術だ。
人間の人体がそのようにできている限り、いつまでも有効なフォームだ。
これを身につけて、受けの技の本来の性能をよく理解してほしい。
みんな誰もが、今とは考えられないほど強くなります。 と、古伝でも何でもない「僕が最近考えてこじつけた受け技の方法!」を解説してくれました。 俺は自分で頭をヒネって考えた技術を受け技にこじつけようが
ボクシングや柔道の技術を丸パクリして受け技にこじつけようが
別に全然いいと思ってる。どっちもどんどんやって欲しい。
ただし、自分でこじつけときながら「これこそ本来の意味」とかいう
クソださい真似するヤツにだけは皆さんならないよう肝に銘じて欲しい。
貧乏人な家に生まれた人間が金稼いで億万長者になってもいい。
なんとなれば銀行強盗して金稼いで億万長者になってもいいよ?
成金だろうが強盗だろうが、胸を張って金があることを主張すればいい。
だけど「うちは生まれつき金持ちで、この金は「本来」先祖が持っていた金なんだよね」
とか貧乏人の成金野郎が強盗した金をフカすなって話。それこそ恥を知れってね。 ∧ ∧
(・∀ ・) しっかしまぁ、俺は自分で言うのもなんだけど
ノ( )ヽ 良いこと書いてると思うんだけどなあ。
< >
∧ ∧
(・∀ ・) 良薬口に苦しで嫌われるのは仕方ないか。
ノ( )ヽ
< > このように世の中の全てのことが疚しく思えてならないような者には成り下がらないこと。
きちんと研究していけば技術の理解はできる。研究する努力をせずに馬鹿みたいにあれが悪いこれが悪いでは、
その者本人が空手を腐敗させている要因にしかなっていない。このような者は結局は空手を受け継ぐことなど出来ないし、
いつまで経っても空手を価値できずに周辺で腐りきっているだけの失敗例になる。
史料に基づきながら、よく確かめて出来るだけ正しく理解し、人の考察に耳を向け眼を洗う。
この繰り返しを地道にやることで本来の空手がわかってきます。
けっして、深淵な何かとか秘境神妙な何かでもない、空手はとてもシンプルな武術だから、
むしろそこに価値があるんだ。気づいてほしい。 ∧ ∧
(・∀ ・) と、貧乏人が見栄を張った事を言い訳しております。
ノ( )ヽ
< > 見苦しいですね。 ∧ ∧
(・∀ ・) さて、じゃあ新スレも無事続きそうだし帰るよ。
ノ( )ヽ スレが進んで、次スレ立てる人が居なかったら
< > その時また会おう。みなさん、おやすみ このような酷いありさま。
ひとの話を聞くのがどうしようもなく怖くなって、
自分が崩れ落ちるような恐怖心から逃避を起こしている。 結局、受け技について言論はできなかったという顛末。
上げ受けを誤解し、下段払いを誤用し、中段受け二種類は解らないので誤魔化しておく。
こんなことだから空手の受け技はいつまでも評価されなかった。
空手の受け技はとても合理的で素直なもの。
べつに空手でなくとも多くの武術でも似たものがある。
現代格闘技でも普通にやっているようなこと。
ボクシングテクニックばかり見ていると判らないだろうが、
人間のもつごく自然な技術だ。 >>179
現代格闘技でも普通にどうやってんの?
ダラダラ長文書いてるけど、具体性ないよ?
現代格闘技でもやっている「空手の受け技」ってどんな場面で「具体的」にしてんの?
普通にやっているなら例示できるはずだけど 解釈とかやってる時点で終わってるんだよ。
この技術は他の武術でもやってるってよく言うよねw
あれは○○の形のあの挙動に似てるとか
空手やってた頃よく聞いたよ。
一人形は都合がいいねw なんだったら、中段受けの二種類についてご意見きかせてくれても、いいんですよ。 >>181
ダラダラ長文興味ないから具体的に言ってよ >>187
御理解、聞かせてもらってもいいんですよ。 こんなダメなやつじゃ受け技なんて理解できるはずがないのかな。 空っぽだから空手という。
中身スカスカ、ハッタリの歴史
それが空手です。
自分だけがなにか真実をしっているって奴、どこにでもいるよね。
頭の中でコジツケてるだけの奴がw 上げ受け、外受け、内受け、下段払い、手刀受け、これらはすべて攻撃。
片方の手は脇までまたはみぞおちの辺りに引きつける動作だが、四つの「受け」
では拳のまま、手刀受けは開手でとなっているが、すべて相手を掴むか引っ掛けて
手前に引く動作。というのが私の解釈。これによりこちらが決めた攻撃を相手に
出してもらわないとならないというふうに教わることのおかしさがなくなる。
そして、上げ受け、外受け、内受け、下段払いでは受けた手を微妙に開いて回転させ、
相手の着衣や帯などをつかむか、首や肩や腕、胴体部分や脚に引っ掛けるかして
自分側に引きつけると共に、反対の手で当て身や突き、打ち、掌底で打つか押す
などの攻撃をする。型では実際には相手を破壊したり脳震盪で倒すほどのことは
やっておらず、相手を崩す、投げる、固めるなどのことしかやっていない。両者が
向かいあって用意スタートのような状況になると型はほとんど何も役に立たない。
そのようなわけで組手競技と型はほぼ何も関連性がないので型を練習しても組手は
うまくならない。 >>192
ほら、
こんな泣き言しか出てこない。
空手というか空頭ですねこの達人。 理解とか解釈とかしっかり伝わっていない武術が好んで使う言葉です。
日本武術だと合気系によくいますよ >>193
そんな馬鹿な話をしてしまうのは、いかに自分が迷って惑っているかです。 >>193
先述のひともおられましたが、
そんな破綻した話なら「攻め」というのもおかしな話です。
意味から破綻しないでほしいものです。 さっきから述べていることを読んでいけば受けの本来の性能は分かるはず。
読解力まではさすがに教えられませんからね。 はっきり言って解釈は人それぞれだと思うよ。
あんたがそう思うならそれでいい。
だって明確な答え、正解なんて最初からないのだから。 >>199
だめだよ、逃げだそうなんて。
考察ができない、そうきちんと述べること。まずはね。 形の考察とか解釈はバカらしいよ
最初から意味などないのだから いやだから、それをやって馬鹿になってしまったのがご自分なんだからさ。 ∧ ∧
(・∀ ・) 俺と入れ違いで出てきてるから一応言うけど
ノ( )ヽ 俺が別IDでレスしてる訳じゃないからな?
< > こうしてまったく中段受けが二種類あることを説くことができないわけです。 >>203
ああ、それは分かってるよ。心配いらない。 今伝わっていないというのは失伝。
そして解釈や考察の世界に入るのです。
私はね、戻ってきたんだよ。
このスレの最古参
まだあったとは驚いたよ でも、こいつらも受け技に戸惑っていて、本来の受け技を理解したいやつらなんだよ。
なんかいじけちゃってるけど、いじけるくらい苦手意識がついちゃったんだと思うよ。 ∧ ∧ なーんちゃって。
(・∀ ・) (ワッチョイW d244-RFg8 [125.12.138.170])も
ノ( )ヽ (ワッチョイW 97a7-HoSz [180.25.32.174])も
< > 俺の自作自演ですよ〜〜〜〜。
∧ ∧
ヽ(・∀ ・)ノ <ガッハガハガハ
(( ノ( )ヽ ))
< > 東京界隈の下町の道場とかではきちんと教えていたんだけどね、
馬鹿の能書きの声にいつしか掻き消されてしまって、
嫌になってしまったのかもしれない。 ∧ ∧
(・∀ ・) つーことで、お前らクソして寝ろボケ。
ノ( )ヽ
< > >>210
まぁ、受け技を説けるなら説いてみな。きちんと聞いてやるから。 このスレ122までやってるけど、いつも同じようなパターンとレスの応酬で回ってるよな。
中身同じ人たちなのかしらないけど。 空手ってなかなかいい技術だよ。
今では打撃格闘技の陰でひっそりとしてしまったけどね。
でも、身体けん骨をよく解っている良い武道だ。 現代の打撃ってコンビネーションとフェイント、フットワークに特化しているけど、
空手はもっと原初的な身体への知識だからね。それはけして悪いものではない。 だからこそ、受けの技術を解ってないのはイタすぎるんだよ。 >>206
>私はね、戻ってきたんだよ。
>このスレの最古参
最古参かぁ。居るところには居るんだなぁ。
いくつか前のスレで4年前からこのスレにお前居るだろって指摘された時に
俺は否定しなかったけど。実は自慢でも何でもなく恥だから黙ってたけど
それより前からこのスレに居るんだよね。それこそ17年以上前からこの板に在中してる。
ただ、俺も古くから居るが、それでも初代スレからじゃなくて
確かこの無駄スレはパート4かパート8あたりからの参加なのよ。
まあ武道板も色々あったよねえ昔は。今となってはこの通り、廃墟のようなアリサマだよ(藁 >>221
ああ、お前みたいな知ったかぶりもいっぱい居たなあ。
都合の悪い質問には答えない輩は昔も今も適当にしか相手にされないところも変わらないわ。
(ワッチョイW d244-RFg8 [125.12.138.170])はもう居ないみたいなんで帰るよ。ちょっと残念だわ。 型でやっていることはどのような状況で使うか。競技で使おうとするのは
違うであろう。合気道というものについて一部の団体を除いてやっている
人たちは戦いが始まってしまった状況では全く役に立たないという話を
よく聞く。私は空手の型の位置付けもそのようなものではないかと考える。
どのタイミングでというなら戦いになるよりも前、「未然」で使用する。 >>222
本当の受けを理解したければ、また来てね。 俺の時はカツユキがまだ正常にみんなと会話してたりラバブスレが残ってたなあ…思えば遠くにきたもんだ >>168
むしろ恥ずべきは、ここまで不自然な現実に目を背けてレッテル貼りをし
あまつさへ虚構の願望を垂れ流す>>165-166みたいなヤツラ。
と書いてるが、俺は以下のレスに
170名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 4ea3-MfeB [153.232.45.36])2019/12/18(水) 01:13:58.11ID:UvEkLGEV0
東恩納寛量が中国に行って習ったとかもさ
まあ、いいとこ貿易の仕事に行って現地で見学がせいぜいだわ。
↑これはお前の想像で書いてるにすぎんと言ってるだけで型の話なんぞ
ひとつもしてないぞw >>220
昔は、文章だけでも繋がれるのが画期的だったからね
今なら人気ユーチューバーになっているようなのも名無しだったから、2ちゃんは面白かったよね 空手をやる目的がホモのハッテンバなのと一緒だったよな 後輩を性奴隷にしてて、反撃でころされた奴とか
覚せい剤とステロイドで超人になってた高級官僚とか
ホラーみたいなのもいたしな
確かに >>231
結局、ろくに具体的な動作の例示はなし
現代格闘技におんぶにだっこ >>232
あぁ昨日はどうも。中段受けは分かりましたかな。 久しぶりに読んだら随分スレが伸びてるね。
気になる箇所があったから、一応書いておこう。
1つ目は>>163
型の使い方をあらかじめ定めるのは初心者向けであって、本来は型は達人の身体操作を学ぶものであり、決まった用法は型を学ぶ人が考えるものだ。
やり方が何パターンとかは西洋格闘技の発想であり、東洋の中国武術、日本武術、他アジアの武術などは1つの動きから万の技を生むのが元なのだ。
だから、基本となる動きの元、鋳造の型みたいだから型という言葉を使うのだよ。
あとは>>231の書き込みだが、受けは優秀とあるが、受けは型の用法を考えた人が受けに使うとしたから受けになってるが、本来は受けにも使える動きなだけで、受けに決まってはいない。
打撃にも崩しにも色々使える。
型を学ぶ上で集団に教えるときに、言葉を定めた時に型の大事なことが狂ってしまった。
皆さん、もっと自由な発想で型を見てみては如何かな?
型がもっと面白くなりますよ。 >>234
何か一つやったら何でも出来る様になると言うのは幻想。 >>236
何か1つをやって身につけるというのはなかなか難しいものなんです。
あなたが生まれて、本当にこれはしっかり身につけて応用まで出来るものはありますか?
幻想ではなく、しっかり身につける気持ちのない人は本当に身につけることは難しいでしょう。
真の一を身につけることが出来たなら、それこそが万に通じる絶対的技になる。
武術家は古来からそれを目指してきました。
武の世界で生き抜いた達人が身につけたものを後の人が身につける方法として編み出したのが型ですが、あなたは身につけるまで練習できなそうだから、最初から諦めた方が良いでしょう。 >>237
>武の世界で生き抜いた達人が身につけたものを後の人が身につける方法として編み出したのが型
夢見んな。やる事ねーから暇つぶしで生まれたのが型だよ。
船越が幼少の頃はテレビもラジオもなく娯楽といえば半年に1度くらいに来る旅芸人の一座程度。
昔の沖縄では本読もうにも潮風ですぐダメになるし、そもそも高価だから金持ちくらいしか持ってない。
娯楽といったら酒飲むくらいで、興が乗ったら三線を弾き、曲に合わせて踊る。その踊りから発生しただけ。
当時の琉球にネットやスマホがあったら型なんか生まれなかったんじゃない? >>234
あのね、そういうのが空手の病気なんですよ。
打撃?崩し?ぜんぜん関係ない。知識がないからそうなる。
思い込まずに調べること研究すること。
いま足りてないのは勉強です。 >>237
そうやって応用した結果が>>3では、やはり型は使えないって結論にどうしてもなってしまうな 出来ない人が使えないと主張し続けるスレだからなぁ
もしくは、型選手と組手選手の権威争いでもこういう話が出るけど。 型は使えないよ派
組手でも路上でも使えないから意味ないよ派
組手で使えないから意味ないよ派
使えなくても空手家を名乗る以上やらないとダメ派
型は使えるよ派
競技の型の技法は使えないが、古流の型の技法は使えるよ派
組手競技でも使えるが、使えないのはお前のレベルが低いだけ派
組手競技では使えないが、路上では型の技法は使えるよ派
型の個別の技法ではなく身体操作のあり方を学ぶんだ派
さあ、君はどれだい?
経験則上、型のある流派で型をやらないやつはだいたい応用力が無いか、身体能力がない奴が多い。
寸止めなら寸止め、フルコンならフルコンのその流派の組手が強くても、他のルールだととたんに雑魚いとか。 >>237
目指すのは勝手ですが現実的ではないのでアドバイスしたまでです。夢も大切ですが現実を直視する勇気の方が大切ですよ >>241
使えないと言っているアンチが使えないのは否定しません。だけど、使える人が誰もいないと言う現実を直視する事が何よりも大切ですよ。 >>242
て言うか、型をやっててオールマイティな人など一人もいませんよ。
人はやっていない事は出来ないんです。
練習せずルールが違う競技に出たら負けるに決まっています。
勝てるって言ってる奴は実際にやったことがないから言えるんです。
現実を直視しましょう。 言語言うものは意思疎通を図るものですよね。
じゃあ、日本語を完全にマスターしたからと言って英語やフランス語が話せるようになるでしょうか?
なりませんよね。
型ヲタはそんな簡単な事すら理解できないんですよ。
瞑想したらテレパシーで会話ができるみたいなオカルトを信じているのが型ヲタと言う人種なんですね。 >>246
これも型否定派がよくいう理屈だが、型やってる人間がどうして組手を否定してると決めつけるんだろうね? こんばんは。
空手の型は優秀だといったぼくですが、文句ありますか。 >>242
>>3の動画をみる限り、型やってる奴も応用力は無いね >>239
知識がないというより、知恵が無いから分からないのでは?
知識も知恵も足りない人が研究とかされても、益は少ないと思うのは私だけではありますまい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています