ワッチョイ無し【巨星】骨法です パート19【墜つ】
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>>509
紫帯が最強でも小柳津は、まあまあ普通の実力だったんだろうな。
MMAで1勝もしてないし。実績でみるとね。
練習しまくってたってのもどうなんだろー。 MMAとbjjは別競技だからな
早川とか当時の国内トップ選手だったが
ギ有りMMAに挑戦して柔術では青帯の相手に惨敗している
小柳津の柔術スタイルはパスは担ぎ噛みつき
下になったらクロスから締めを狙うかフックガードの古典スタイルだったよ。
非力だから丁寧に戦ってたのをカンペオで見た
ただ、彼の道着は臭かった。 ソースってチャレンジマッチのか?
連盟の公式記録見たらいいだろ
小柳津は青帯で勝ってるし
紫チャレンジでもきちんと勝ってる。
紫帯以上の指導者がいないのが当たり前の時代だったから
チャレンジマッチで紫になるのは割と普通のことだった 小柳津は意外に凄く足が効いていて
優勝したskの林に全くパスさせなかったのはビビった
彼が主催してたムサコガレージってアカデミーの会員だった人いれば話聞きたいね 骨法なんかやらずに最初から柔術やってたらよかったんだ やればやるほど弱くなる武道ってのもすげえな、考えようと思ってもなかなか難しいぞ
インチキをやるにせよもう少し実践に適うリアリティある形のものをだせなかったのか あの頃似たようなインチキ武術はたくさんあったよ。
骨法だけが目立ってただけ
鳳凰院心拳とか忍者犬の程聖竜とか龍眠楼の呉伯焔とか
唸るほどたくさんあったよ 龍○楼の呉伯○は軽く間接的に関係したから
ある程度分かるが、
技は本物だったし、老師も本当だったらしいが
本人に虚言壁があったのと、ちょっとアレな人だったらしいので
せっかく習ったホンモノがどんどん変になって行ったみたいだし
型も忘れたり消えたり変形してったり、最後は本見て覚えろと言われたりしたらしい
技に関しては確かに物凄いものがあった
弟子の人でさえ、触るだけで相手を地面に叩き伏せたり
木の葉が風に舞うように、
相手を自分の周りに巻き付くように回転させながら吹き飛ばしてたのが居たから
どんどんそういう技が出来る人も逃げ出していなくなってったらしいけど
あの人は、インチキ武術家とは微妙に違う別枠に入れるべきだと思う 武術のルーツなんて胡散臭いの多いしな。実力が胡散臭くなければ認められる。 >>513
小柳津が道着が臭いのが原因で骨法クビになったのホント? >>516
多分、骨法やらなかったら有名にはならなかっただろうね。
少なくとも格通で大きく取り上げられる選手にはならなかったでしょう。 >>524
師匠の経歴はナゾだが一応いくつかの流儀は確かな継承があるから助かったんだろうな
まぁ伝統的な武術は単なる型の保存会で確かな継承なんてあっても
弱いやつばかりで話にならないってのが現実だが >>518
そういう意味では人の集まる立地条件の良い都内で看板掲げて、
オカルト雑誌や書籍、漫画やテレビ、プロレスと言った
若者が好むメディア利用して広報活動した堀辺のセルフプロデュースの賜物だよな。
もし地方で細々やってたら表舞台に出ることもなかったろう。 堀辺に関して言えばは猪木のお陰で世に出て来た、それ以上でもそれ以下でもないだろ 堀辺は当日力持ってた週プロのターザン山本が、金くれたら職権乱用して提灯記事書くクズだったのがよかった。 >>489
こうやって見ると、最上晴朗と廣戸聡一時代の頃が雰囲気あって良いよな。
お稽古事として昭和の骨法は魅力的かもね。 最上晴朗たちの頃の昭和骨法は打撃中心で、平成骨法は寝技中心だけれども、やっぱり打撃中心の方が面白いよな。
寝技はどうしても気持ち悪い。
カポエイラ須田竜太が脱退するのもわかるよ。 打撃中心の昭和骨法
寝技中心の平成骨法
そして現在のナイフ術骨法
比較のしようがないよな >>533
根拠は?
お前の言ってることは柔道、剣道、合気道、空手のどれが強いか?と言うのと一緒だぞ?
妬み君は相変わらず広戸憎しでトチ狂ってるなあ >>532
分類すると以下になるか?
【先史】
・大東流合気柔術
・換骨拳
・鷹の爪
【黎明期】
・プレ昭和骨法(拳骨)
・昭和骨法(開手)
【迷走期】
・平成骨法初期(ペチペチ)
・平成骨法中期(寝技ジャパボク)
・平成骨法末期(ナイフ術)
うーん、なんか地球史みたいだなw >>531
気持ち悪いとは思わないが、もう骨法では無いよな。 >>534
その中で一番強いのは剣道だろ一番弱いのは合気道、それと一緒
歴代骨法の中で最強は武器有りのナイフ術、最弱は寝技が出来ない昭和骨法 >>535
仮にやるんだったら俺は廣戸最上の昭和骨法だな。
トレーナーとしての実績も後にできたんだから、当時でもストレッチその他でアドバイスできただろうし、彼らの蹴りを1つでも多く習得出来たらおもしろい。 >>537
寝技時代も寝技できるの大原くらいでヤノタクも他で勉強したから強くなっただけだもんなー。
あとその時代は逆お年玉や恫喝、イジメがあったりブクブク太らされたり最悪だから嫌だ。 >>539
最上晴朗たちの時代が一番まともだったんじゃないの?
変なお布施もないし、変なイジメもなかったようだし 初期骨法にも投げや関節技はあったはずだが
素人がいきなりバックドロップなんてできないだろ。 >>520
嘘はいかんな
OZさんにも聞いたが、彼は弱かったよ。
弟子も似たようなもん >>542
雑誌記者が堀辺に「骨法に投げ技はないのですか?」と尋ね、ありますよ、と廣戸に目配せして空気を読んで思い付きのアドリブでバックドロップをコンクリート床に薄いマットを敷いた状態でやっただけ。
次に関節技は基本的に堀部のやった写真しか残ってないので詳細不明。
最上晴朗が蹴り技っぽいもの、廣戸聡一がプロレス技っぽいのを中心に分担してたものと思われ。 >>544
中川カールいわく、バックドロップを受けてたのは
廣戸最上に次ぐNo.3の実力者だった佐藤誠。
全日本プロレスの練習生だったらしいからプロレス技は彼がもたらしたのでは? >>542
見せ技中心でガチンコで掛かるレベルの技は無かった証拠でもあるわな >>542
昔の人は柔道着じゃなく破れやすいボロい衣服を身にまとった
だから、骨法の投げ技はバックドロップだ
水府流骨法にはそう伝わっている >>548
一番の八百長は第一回骨法の祭典だけどね。
その「あるわな」って口調、毎回気持ち悪いなー。 八百長に一番も二番もないわなw
見せ技は見せ技でしかないわなw >>537
骨法のナイフ術て軍隊や自衛隊で通用するレベルなの? >>551
いや、一番二番の意味じゃないんだけどね。 >>552
超スローモーな動きだし、どうなんだろうね。
あまり語られないジャパボク期の話も聞きたいな。 >>548
この人ってパンクラスの選手と同級生って嘘ついて恥かいて消えた人だね。 >>555
昭和骨法上げするバカはプロレスをやたら格闘技として評価するよなw >>554
HPに書いてある説明だと、あのゆっくりの「ゆうけん」で技を練ってから、「しんけん」に進むのだそうだ
健康に良いというアピールも含めてシステマの影響があるように思う >>543
でも、その人は強かっただろ?
そしてその人は相当に憎んでるから
そりゃ悪口しか言わないだろう
そう言う裏が全く読めない人?
ところでその人、日本には帰って来てるのか? >>561
相手が受けてくれる見せ技と抵抗して来る相手に掛けるガチの技を混同する昭和骨法脳w >>559
500円や弟子の動画とか見ても弱いのわかるじゃん 別に試合で勝つ、とか喧嘩で勝つ、とか普通の連中はそこまで求めてないだろ?
ピアノや習字などのお稽古事と一緒さ。
そういう意味で派手な昭和骨法の方が面白そうだよな。 それと汗臭い男とくんずほぐれつの寝技なんて気持ち悪いよ。
かと言って立ち技メインのペチペチ平成骨法も不気味でキモい。
そうなると派手な蹴り技の昭和骨法の方が興味深いよな。
まあ、それでも昭和骨法やるよりは普通に伝統空手かボクシングでもやった方がいいだろうな。
本当の意味での練習法の方法論が確立されてるわけだし。
昭和骨法も結局は本人の身体能力が一番モノを言うわけで、練習の方法論が確立されてるわけではない(というより、堀部道場自体が机上の空論ばかりで方法論は最初から最後まで確立されてはいないが)最上晴朗と廣戸聡一についてこれる、
一部の身体能力に優れる道場生が(職人技を盗むような感覚で)独学するよりないだろうな。
堀辺正史と道場生の距離が近い昭和骨法の場合、堀辺が介入して事実上の「邪魔」をする可能性もあるから、伝統空手かボクシングをやる方がコスパもいいし確実だろう。 廣戸さんは見た目だけでなく身体能力もセンスもジャッキーチェン並みだし何者なのだろう 単なるアクション俳優崩れだよ、そりゃ演舞は上手いだろうね >>567
キャメルトロフィーっていう四駆のレースの日本代表にもなってるね。
身体能力凄かったのだろう。
時代が時代なら那須川天心みたいになってたかもな。 >時代が時代なら那須川天心みたいになってたかもな。
こんなこと書いてるから信者とか言われるんだろ… 佐藤誠の本、楽しみだな。
ほとんど資料の残っていない昭和骨法の謎がわかる >>574
骨法のネタは出尽くした感があったから、ここに来ての新情報投下に期待 キャメルトロフィーって今は、やってないが相当過酷なレースだぞ。 便乗して北條も本書きそう。
〔皆さんは骨法を誤解してます!〜イジメなんてぜーんぜん無かった〜〕 ミスターもフランス書院から出版したりして
「おぢさんとエッチしよう」 本当は小柳津が事実を書けば面白いけどな。
廣戸最上も少しは知っているしジャパボクもお布施の始まりや寝技に変わったのも知ってるし。
でも書いたら船木廣戸最上を倒し骨法トップにチョッとエッチなことしようとしただけとか言い訳する電波系な本になりそう。 >>579
性犯罪者が自伝出すのは色々社会的な問題が・・・ >>579
>>580
「愛と憎しみ、そして哀しみの骨法」〜青春を捧げて道を誤ったボクの反省記〜
・入門前夜〜剣道と日拳に明け暮れたボク、そして青学入学
・入門〜先生、師範代、そして佐藤さんと出会ったボク
・事件勃発〜最上さん、廣戸さん、佐藤さんを中心に皆去っていって1人になったボク
・師範代就任〜弱冠19歳で師範代になったボク
・青学中退〜専従者の道を選んだボク
以下続く って言うか、ミスターが昭和骨法を書くんなら絶対に買うぞ。 小柳津は日本拳法なんかやってなかった筈だぞ
剣道しか経験ないのだけれど。。 大原ってキャラなくてつまらんな、骨法らしさゼロだね >>585
キャラが立ってないからね。
でも寝技骨法好きのアンチ広戸にとっては最高のキャラだろ 俺的には骨法と言えば堀辺正史の骨法の極意と喧嘩芸骨法の2冊で完結してんだよね、要するに立ち技系で蹴り技中心の昭和骨法。
元々は空バカ観て「大山倍達すげー、極真すげー」と思い込みつつプロレスと相撲とボクシングを漠然と観つつ、佐山タイガーの蹴り技やカブキ、猪木、前田のそれに魅了され、1985年頃にプロレスも見なくなって、
武道やら格闘技やらボクシングやらともご無沙汰距離置いてる時に堀辺正史の書籍と出会って前述2冊を一気に読んで「すっげーうさんくせーけどおもしれーw」と思ってるとこに明治大に入った遊潤が、
骨法やるかボクシングやるか悩んだけれども、ボクシングにきめたよ、という報告をきいて「やっぱりうさんくせーんだw」と思ってしばらく経ってから「第一回骨法の祭典」のビデオを観て、
何だこの太鼓は?くねくね歩きは?ペチペチは?浴びせ蹴りなど派手な蹴り技はどうした?なんだこの学芸会みたいなお粗末さは?書籍に出ていた指導員の人達はどこいった?
それ以降、骨法への興味を完全に失いネットで小柳津弁当をみて「キャッツアイスタイルから柔道スタイルに変更したのか?」程度に流し見して、小柳津の惨敗を後に知って「コンセプト」が極めて短期間に変更される、
なんちゃって武道なんだと知り、いつの間にか小林よしのりとくっ付いて「武士ズム」を出してて、人知れず逝去した、と。
プロレスラーとしてのライガーの存在は知っていたが1985年以降はプロレスを観なくなったんで堀辺正史が新日ブレーンをやってたのは知らず、骨法とプロレスの関わりに関する知識は猪木の浴びせ蹴りくらいしかなかった。
だから何?ってか。
要するに俺も蹴り技の昭和骨法にしか興味がなかったわけで、寝技とペチペチの平成骨法を持ち出して「廣戸聡一と最上晴朗は試合に出ないから弱い」とか言われても困るんだよね。
上レスにもあるが、基本コンセプトが短期間でコロコロ変わる骨法で違う時代のコッパーを同一に語っても意味ないんだよね。 NO.3佐藤の骨法本楽しみだな〜
せっかくだから、最上晴朗と廣戸聡一も骨法本出して欲しいね
そして中川カールによるインタビュー形式の骨法本(小柳津弘、北条誠、大原学、カポエイラ須田竜太、霄洋明などに取材) >>586
廣戸最上は未知数だが、No.3の佐藤は柔道二段で全日本プロレスの元練習生だから寝技も強そう。 >>588
小笠原と骨法家協会(笑)の田中さんも追加 小林よしのりに堀辺正史の事をいろいろ突っ込んだら絶対に逃げるだろうな。
同じく永井豪に突っ込んだら「あの時はね〜、僕も若かったし…色々と反省しなきゃなんないよね…」みたいなことを申し訳なさそうに言いそうだよな〜。
ところでドリーム代って宝くじの共同購入だろ?
もし、万が一間違って当たってたらどうなったんだろ?
「普段からお世話になってる創始師範と局長に寄付」ってことになって堀辺正史の生活費になったんだろうな〜 >>587
「いつの間にか」が10年くらいあるじゃんwただ、その感じはわかる
俺はUVFで負けたのも知ってたけど、そこで完全に失墜したって感じはなかった
その時期惨敗を喫するなんて他もよくあった
その後もなんのかんの、堀辺さん自身はメディアに出て喋ったりしてたし、
何よりその後設立するPRIDEや、隆盛を迎えるK-1が起こす格闘技ブームに目を奪われて、
骨法のことがあんまり印象に残ってないんだよね
中の人やコアに見てた人は違うと思うが、ぼんやり眺めてた大方はそんなもんじゃないか
骨法に興味を興味を持ったのはやっぱ中の人たちの暴露話からなんだよな
あんなに知られてた団体に、こんなことあったのかっていう異常さに関心が出てしまった
言われてみると、俺もあんまり骨法の強弱には興味ないのかも
ただ、実像の一部として、強さの実像も知りたいとは思うけど 堀辺正史のお陰で武道全体を割り引いて見れるようになった。
そして宮本武蔵などの武芸者も話半分で見て聞いて、山師に近い存在なんだなとも思うようになった。
今では著名な武者修行者の殆どがある種の役者で、対戦相手、立会人、サクラとしての野次馬、弔う僧侶も含めて「劇団」を構成していたんだと本気で思っている。
要するに口先と演技の上手い戦国時代の「堀辺正史」だ。
堀辺正史が新日プロレスに潜り込んだように武芸者もまた大名に剣術師範として潜り込むのを画策してたのだろう。
その流れを汲むのが現存する全ての「日本武道」だと思う。
堀辺正史の失敗はガチ系の試合に弟子を出したこと。 小柳津北條の凡人時代に骨法が注目されたの失敗だったな。
その後のヤノタクとかの烏合ワイルドフェニックス勢が生まれたの良かったが、
そいつらは骨法に反発したからであって骨法で強くなった訳じゃないし。 なにも宮本武蔵まで疑うことはないだろう、そんなに時代を遡っても事実など確定できないさ そこまで根も葉もないかはわからないが、武蔵も基本、盛ってたと思うよ
胡散臭い連中が開いた流派が江戸時代まで続き、スポーティになったおかげで美化されてるところはある
武芸者だけでなく、戦国大名は歴史と家系を盛り、武将は手柄を盛り、職人は技術のルーツを盛り、
寺院は縁起と功徳を盛り、商人は商品の効能を盛りまくった時代だからなあ
堀辺さんと同時代でも、武術系は似たようなとこがあった
堀辺さんはプロレスや格闘技ブームに乗って、検証可能な世界で商売しようとしたのであんなことになったが、
少なくとも古武術系の人は堀辺さんを非難できないと思うよ 武術は哲学の分野だから検証可能な実験の場に出てはいけないんだよ >>596
>>598
>>599
宮本武蔵は複数居たって説もあるな。
実像は小説やバキのそれとは違うはずだ。
それ以前に収入源をどうしてるのかってことだな。
全国行脚で名を売らなければならぬドサ回り芸人歌手に近いものがあるから、定職に就くわけにもいかないし、名を傷つけるからヤクザの用心棒をやるわけにもいかない。
川崎のぼる「ムサシ」で土子泥之助の弟妹が泥之助の試合の野次馬から木戸銭を集めるシーンがあったが、建前としての弔い料名義で集めてたのではないだろうか。
そう考えると武者修行者≒旅芸人一座という>>596の説もありえなくもない。
江戸時代の力士も大名お抱えの士分だったのだから、お気に入りの武者修行者を大名が士分として抱えても不思議ではない。 >>603
当時、そう思った連中が多かったと思うよ。
あれを読んで入門したら廣戸聡一も最上晴朗も佐藤誠も誰も居なくなってて、ペちペち主体の異様な道場と知って見学した後に少なくない数の者が入門せずに帰ったはずだ。
だから会費三ヶ月分前納や、見学不可になったんだろ?
最上廣戸時代は道場破り歓迎だったのも、お断りになったし。 佐藤なんて誰も認知してないだろw
昭和ヲタマジキモいわ ペチペチペチアーック!漫画やゲームだとあんなに強いのに >>605
人が多すぎて面倒くさいからそうなったんだろ >>607
そりゃ、あれだけ格通で取り上げられたらね。
別に小柳津の力かじゃなくターザン山本と力だし。
その時期道場は儲かっただろうな。
会費以外に逆お年玉やドリーム代、父の日、母の日と金集められて。
申告もしてないだろうし。 >>610
そういう変な風習が始まったのも昭和骨法時代の指導員が抜けてからだし
それとライオネス飛鳥以外の女道場生がいないのはモモコが嫉妬するからって聞いたがマジ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています