なつかしの小田急線 7
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ふと思ったが
2600→関東大手では東武8000に次いで二例目の20m4ドア新性能通勤車
1000→関東大手では東急9000に次いで二例目の新造VVVF量産通勤車
共に派生型があり、また他社に側面デザインが類似している車両があったのも似ている >>950
京成は3400形が例外的に鋼製なだけで通勤車は1972年デビューの3500形以降皆ステンレスだが… >>953
ほーん
で、その中で大榮車両で製造したのは??? >>952
当時他社では珍しかった要素を早々に採用する感じ? SE車からして攻めてるしそういうの多い会社ではあるかもね
VSEの導入もあの頃にしては冒険だったろう えっ、展望あるし攻めて無いのはEXEでしょ?単なる通勤特急
次点でMSE、地下乗り入れは評価できるが汎用性だけ。 技術的にってことよ。
EXEは自働ホロ装置とか分割運転とか始めたし、MSEも地下鉄直通始めたし、GSEは何かやった? そう考えるとLSEもNSEの焼き直しで最高速度も大きく下がってたいしてせめてないが、全面の傾斜方向幕は評価出来る。
GSEは展望付なのにボギー車に戻ってるしね。
見た目はいいけど目新しさは無いと思う。 なるほどそっち方面ね。
技術って点じゃRSEも退化型だったな。
ボギー化のきっかけとメカ的にはLSE/Hi-SEから進化してない。
サービス面じゃスーパーシート2階はあったが。 間違っていたらすまないが追加
9000→関東大手では東急8000に次いで2例目の界磁チョッパ通勤車
2000→(当時の営団を除く)関東大手初のIGBT-VVVF新造車 関東大手で非冷房車全廃が一番遅かったのは東急で二番目が小田急… HISEはLSEをそのままハイデッカーにしたようなものだよね 軽量化のため最初からリクライニング状態の角度にしておいて機構を簡素に軽量化したというのを知ったときはなるほどと思った >>706
何故2400のモーターを旧4000に流用した一方で制御器は転用しなかったのかと思ったが、旧4000は元々制御器自体は新製だったのか >>970
2400の制御器は後に5000に設計が継承されるバーニア超多段制御で
発電制動も超多段が売りのやつだけど、
モーターを4000に転用する際、負荷-熱容量的に特に4連では無理が掛かるから
発電なしの4000の制御器を使い、ディスクブレーキの空制だけと言う仕様になった経緯。
6連の方は4M2Tで結構余裕あるんだけどね。 旧4000はツリカケとしては珍しい1C8Mだったんだな
でも2S4Pを4S2P接続にしてるから結構大掛かりな改造かと 伊豆っ箱にもあったような気がする。1C8Mのツリカケ。
いずれも三菱だね 伊豆箱根1000も第1編成だけMTMで単Mだったから
大井川に行ったんだよな。2編成目以降じゃ大改装必要。
後期車はそのままの制御器で西武のカルダン部品貰って近代化と。 >>974
つまり旧4000と同じ手法で新性能化されたのか >>817
もっと言えばJR東日本が103の全廃を決めたあたりから各社とも抵抗制御車の廃車を推進する方向になったような気がする 90年代初頭はJR東日本が103/113/115の車両更新工事、小田急が2600の8連化/5000系列(・9000)の車体修理という風にこの時点ではまだ基本は抵抗制御車を使い続けるような感じだったが 京王は1999年に大手私鉄で最も早く非回生抵抗制御営業車全廃し、
東急もその2年後の2001年に全廃したが。 >>969
プレリクライニングってLCCに結構見られるね
その後の車両がリクライニング機構付いたのに戻ってるから
イマイチ安っぽい印象は拭えないな 床が高いLSEってだけ
しかもそれが命取りとなる
実質失敗作 >>985
昨日とか懐かしすぎるよおおおおおおおお このスレッドは1000を超えました。
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