【あさかぜ】20系固定編成客車スレ05【さくら】
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
>>885
> 機関車が石炭でヨボヨボと動いてんのに
これは単なる偏見だよ
DD51が出来るまではC61やC62に勝てるディーゼル機関車なかったから そんなことよりシロクマとグリズリーの自然交配の話をしようぜ >>879
細かいようだが20系登場と同時期の公団住宅は、アルミサッシではなくまだ木造窓枠だな。
東京オリンピックの頃から、公団住宅には鉄プレス製窓枠が登場した。
どちらもペンキ塗りが必須で、無塗装で済むアルミサッシが採用されたのは70年代に入ってからだ。 H3前後に通っていた高校、S37~38年頃に建て替えられた校舎だったけど鉄サッシだったな…。東京オリンピックの頃はそれが普通だったんだね。
…ちなみにその高校、まだ建て替えられず現役。さすがにアルミサッシになってるみたいだけど。
スレ違いスマソ >>880
自分は実際に乗ってるが、客室ドアから内部はかなり静粛
その後の車両と比較してもおそらくトップクラスかと
20系のリアルを知ってると、サンライズの騒音は個室内でも相当ひどい
ただし20系はデッキ部分は走行音がし、その音は旧客に近いものだった
(14系や24系とは明らかにちがってた) 20系気動車とは凄い差があるな
どうしてこうなった? 同じ20系どうしだからって
さすがにキハと比較してやるなよw >>896
これがかつてJR北海道で走っていたというディーゼル車+寝台車の夜行かあ・・・
一度乗って見たかったのう・・・ 博多や熊本、大分で切り落とされて折り返しまで車庫に留置されてた所謂付属編成の電源ってどうしてたんだろう?
折り返しの合間の整備では電源が必要なると思うんだけど 博多や熊本、大分で切り落とされて折り返しまで車庫に留置されてた所謂付属編成の電源ってどうしてたんだろう?
折り返しの合間の整備では電源が必要なると思うんだけど 原始的にほうきとチリトリと雑巾で掃除してたんじゃない?
日本海の24系なんかは末期には終着の大阪駅でカニのエンジン切ってたこともあったし… ラジオで誰かが言ってたが、車両基地でブルトレのリネンの交換のバイトをやってたが、窓は開かないエアコンなしの地獄だったと。
切り落としの付属編成も同じではないかと…と思ったが、食堂車の冷蔵庫はどうした?? さすがに食材は入れっぱなしにせず全部積み下ろししてたんでは 食材はクルーごとの管理だろ?
当然クルーと一緒に動く
誰が何時入れたか分からない食材をプロが客に出せないだろ 皿コップ鍋調味料までそのたびに乗せて下ろしていたと、読んだ記憶がある。 東海道ブルトレも終着東京で回送発車までの間に電源車のエンジン切ってたね >>905
そのための業務用扉
台車で大量に積み降ろししてたのは食器もあったからか オシ17の時は食器も積卸していたけど、20系は最初期の数年間以外食器は積んだままになった
単純に始発・終着駅でのホーム待機時間が短くなり、食器まで積み降ろす時間がなくなったため 関ロッジ
ツイート画像見てたら、近年車両全体に掛けられていた青いシートすら
めくれてしまってて、結構ヤバい状態になってる感じやね。 >>914
そのまま朽ちていくんじゃ悲しいものがあるね だよね
オリジナル室に二度か三度ほど泊まったことある
枕木が腐って若干傾いてた。
夜中に半分寝てるみたいなときに人の気配がしたw
遅い時間にチェックインして
自分より早くチェックインしただけかもしれないし
単なる見学者、もしくは単なる巡回だったと思うが
当時少しだけガクブルしたもんだった。
うどん屋の24系も、屋根の有無も大事だけど
木枕木なのが心配だ。
関ロッジに限らず保存車って枕木から駄目になるからね。 20系客車利用のホテルは北海道の冬が寒そうだよな
断熱材が吹き付けアスベストだけ? >>919
見ちゃったよ!
プカプカとタバコは吸うわ棄てるわ
発進してるのにヒョイと飛び乗るわ
最後口笛吹きながら清掃兼見回りするわ
とにかく良い時代だったなww 1960年当時の交通事情
当時の日本は、旅客も貨物も長距離は鉄道と相場が決まっていた。
日本での飛行機の国内旅行はまだ一般的でなく、運賃高額、運休しやすいだけでなく、墜落事故も多発していて「空飛ぶロシアンルーレット」状態だった。
日本の道路は欧米諸国と異なり、馬車交通等を経なかったため、桁外れに劣悪でクルマの増加にインフラ整備が間に合わず、
リアルの戦争よりも交通事故で命を落とす人が多かった「交通戦争」と呼ばれた暗黒時代の真っただ中だった。
1960年の日本には都市間高速道路はまだ存在しない。当時の国道1号線はダート区間が存在していて、国道でさえ、7割〜8割が舗装されていなかった。
こんなんで東京−長崎間をクルマで移動するなんて狂気の沙汰だったろう。
「大いなる驀進」撮影の4年前の1956年、政府が東京 - 神戸間の高速道路建設の調査のために招いた
世界銀行のワトキンス調査団が発表した報告書にはこう書いてあった。
「日本の道路は信じがたい程に悪い。 工業国にして、これ程完全にその道路網を無視してきた国は、日本の他にない。」
by ワトキンス調査団 名古屋・神戸高速道路調査報告書 「日本の道路は信じがたい程に悪い。 工業国にして、これ程完全にその道路網を無視してきた国は、日本の他にない。」
「国家の繁栄と偉大さを決定するものに三つの要素がある。それは、肥よくな土地、繁忙な工場、人と物との場所から場所への容易な輸送である」
「高度に工業化された国において、このように鉄道輸送が全般的に卓越し、道路輸送がひどく遅れた状態にある著しい差異を示しているものは日本のほかにはない。」
「1956年の道路の未舗装率は、一級国道で77%、二級国道で90%、都道府県道では96%に及ぶ」
by 「日本国政府建設省に対する名古屋・神戸高速道路調査報告書」
1956年当時の政府がワトキンス調査団を招聘したのは、大きく2つの理由からでした。
ひとつは当時の戦後復興間もなく、まだ発展途上国だった日本の国家財政では高速道路を建設する資金など捻出するすべはなく、
世界銀行から建設資金の融資を受けるためには東名高速道路、名神高速道路を建設する計画の正当性を国際的に認知してもらう必要があったためです。
そしてもうひとつの理由は、当時の日本には自動車専用道路の専門知識を有する人材が日本にはいなかったからです。
(そもそも1956年の日本には高速道路など全くなかったわけですから当然なのですが) そういうわけで、1958年当時、国鉄が20系客車を作った理由がよくわかります
1958年の日本の交通事情では冷暖房があり発電装置が設置されている20系客車こそが
「当時の日本で妥当なコストで作ることができる最新鋭のハイテク鉄道車両」だったのです 20系を使った急行の格は以下のイメージ
全車寝台車>ナハ21入り>12系と連結 >>925
そう考えたらやはり銀河が急行ブルトレの王者となりそう ナハ21有:十和田、だいせん
12系混結:ちくま、さんべ、かいもん、日南
同じ車両を使っているのに銀河などと比べるとやっぱ格が落ちている雰囲気があった 20系急行でトレインマークが真っ先に絵入りになった銀河はやはり別格なのかもな
しかも20系化された当時はまだ20系が博多あさかぜなど特急で使われてたから余計にそう思う >>928
おがが20系になったときは季節になってるね
57.11で津軽を20系にしたらナハ21じゃさばき切れなくて、おがの14系ハザと編成を入れ替え 20系だいせん、出雲市~大社は普通列車として走ってた時代あったな オール寝台車編成の緩急車はナハネフ22
ナハ21入りや12系混結編成はナハネフ23
とちゃんと分けられていたのが意外だった レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。