銀座線と丸ノ内線の旧型車を語ろう
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銀座線の車両の面白さを無くした元凶01系。これが置き換えられるらしい。
最近、復活したサインウェーブ。
こんなのじゃものたりない。かつての旧型車を語ろう。 地下鉄博物館で室内保存が理想だな
各地の屋外保存車が朽ち果ててきたのを見ると サインウェーブのない方南町方面の車はしょぼい、幅狭くて乗り降り怖い差別みたいな印象でした
でも銀座線だと一両は挟まれてる一番ボロい(1000?)車のふかふかロングシートに突進
あと今の溜池山王辺りに強引なカーブがあってギャンと捻られる楽しさ 来年から入る丸の内線の新車、サインカーブキボン。 2016.5.11
世界の車窓から
Vol.10007
アルゼンチンの地下鉄を走る旧丸ノ内線車両の映像
社内にリベット留めで掲示されているステンレスのパネル
表示字幕駅名順序表
1
2新中野
3方南町←
→中野坂上
4中野坂上
5中野富士見町
6荻窪
7池袋
8新宿
9茗荷谷
10後楽園
11銀座
12四谷三丁目
13回送
14試運転
15御茶ノ水
16東京
17新宿三丁目
18南阿佐ヶ谷
19
1〜19は四角い枠内に縦書き
13と14は赤字 腰巻き幌が実際に使用されているときの写真って無いね。誰も撮ってないのかな? 銀座線に01系が非冷房で登場した頃、大阪と名古屋では既に第三軌条式車両の冷房車が登場してたし、
同時期に登場した横浜市営地下鉄2000系も冷房付きだったからな。
80年代は東京の地下鉄が非冷房もしくは冷房準備車だったのに対し、
大阪・名古屋・神戸・京都・福岡の各地下鉄では既に新製車は冷房付きが標準だった。 生活再生支援ならNPO法人STAで
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詳しくはHPもご覧下さい。 銀座線・丸ノ内線はずっとトンネル冷房にこだわってたからな。 >>444
トンネル天井の高さが違うはず、
出っ張りのないクーラーは01系デビュー時点ではまだ無かった。 名古屋市5000とか厚みがあって室内側の突起が大きい、技術的に不可能ではなかっただろう
トンネル冷房にこだわり、車両冷房を入れる気がなかっただけでは? >>444
01系試作車登場時の鉄道ファン持ってるけど、そこには営団ではトンネル・駅冷房を積極的に進めているので、
ファンデリアでトンネルや駅冷房の冷気を積極的に取り入れるといった記述が書かれている。 銀座線はトンネル寸法や当時は地下水汲み上げによる温度上昇の問題もあって、それらを加味してトンネル冷房に踏み切っていた。
長期計画だし沿線施設との契約もあるから急に取り止めなんてのは不可能。
特に銀丸は当初から全線トンネル冷房にする計画だったから、車両冷房が技術的に可能になったからといってすぐに導入はできなかったわけよ。 旧1000の試験結果も出ていたし、当時の営団は車両冷房など眼中になかったわな
乗入れがある他線はともかく、銀座丸ノ内など絶対に有り得なかった >>450
そう言うけど丸線の池袋口なんてあれだけ地上区間があるんだぜ
トンネル冷房で賄える筈無いじゃん 結局銀座線も渋谷付近で、丸ノ内線も茗荷谷〜後楽園、四ツ谷で地上区間があるのが
トンネル冷房計画が上手くいかなかった原因なのか
大江戸線のように車庫も含めて全線地下だったら違う結果になっていたかも・・・ 丸ノ内線はともかく、末端のたかだか数十メートルそこそこでそんなに影響するとも考え難いが・・・
単に出力不足だったのでは 単純に車内を冷やすだけじゃなくて、トンネル内の温度上昇を抑制する目的もあったんだよ。
営団が長年チョッパに拘ってたのもそれが理由だし、その為に中継ぎで銀丸以外の路線もあえてトンネル冷房を整備していたんだよ。
銀座線にしても、たかだか300m程度の地上区間よりも地下の温度抑制と車内の快適化を両立させるのが急務だったと考えるのが妥当じゃないかな。 マニアの想像は自由だが当の技術陣が語った資料があれば トンネル冷房に決まった経緯、車両冷房に方針転換した内情など、
当時の担当者は口が裂けても言えないのでは?
ピク誌の営団特集を読み返しても、その辺りの突っ込んだ話は見当たらない
車両冷房を始めたのは方針転換ではない!と苦し紛れの発言はあるが とにかく何の役にも立ってなかったのは事実
渋谷駅だって1番線に到着した電車が引き上げ線に入って2番線に戻ってくる間にもうあっつあつですよ 確か営団50年史に細かく書いてあったと思う。
あれが発刊された頃はトンネル冷房の整備もかなり最後のほうだったから。 >>448
日比谷線03系は全車新造時から冷房付いていたのに、
丸の内線02系は初期形は非冷房で新造された理由はなんなんだろうね? >>461
日比谷線03系は全車新造時から冷房付いていたのは乗り入れ先の絡みじゃね? あっつあつと言っても当時の暑さとここ十数年の都心部の暑さはまた違うからなぁ…
ゲリラ豪雨や夜になっても気温が下がらない熱帯夜も今よりは少なかった いや02登場時はすでに今と同じだよ
高度成長期まえだったらそうだけど。 2050だけ車内の白デコラが違った記憶ある。確か相方先頭はグリーンガム色内装2069 2074さよなら運転、豪雨と記録的な蒸し暑さ。7月24日土曜日だったんだな。1993年。大猛暑の年だったような。
新京成800形もその辺りにラストランやったがあの年はかなりの冷夏で夏でも上着がいるような涼しさ。クーラーがすごい寒かった。
銀座2000はよくあんな猛暑年に非冷房車でやったな。 それ考えると、あの時代は平成の時代という感 >>467
え、1993年は記録的冷夏だったはずだよ
1993年こそ上着が必要だった位
たださよなら運転の日がどうだったかは覚えてない
タイ米の輸入流通が話題になったのを覚えている
大猛暑は翌年の1994年
各地で水不足になった 93夏コミ晴海待機は小雨だった、背広でヒヤヒヤ
その後官庁訪問逝った 1000型ってホントに黄色い時代があったんだろか?
どんな文献でもカラー写真は戦後のオレンジ時代のものだし、
戦前の100型がツートンカラーだったのは、モノクロ写真からもよくわかるんだけど
1000型の戦前のモノクロ写真は
どうみても黄色には見えないんだけど、、(100型の写真と比較して相当濃い色)
あのレモンイエローは、当時だったらそうとうハイカラな色だったはず。
まぁ、ただ、ただ素朴な疑問、、 >>470
これは当時の写真の感光材料によるもの
昔の感光材料は黄色や赤が黒っぽく写るものだった
それが昭和10年頃からきちんと写る写真乾板orフィルムが発売
その証拠に宮松金次郎氏の写真は黄色が黄色っぽく写っている。
その写真は「東京地下鉄車両のあゆみ」に収録されている。 連投失礼
ネットでもここにあった
ttp://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2016/09/28_28.html >>471
ありがとうございます。すっきり
しました。
当時の写真技術はこうも写りが変わるものだったんですね。
https://www.metroarchive.jp/wp/wp-content/uploads/2011/08/ginza_pic311.jpg
年末に出た鉄ピクのメトロ特集号を改めて見たところ
1200形の写真が掲載されていて、
撮影年が不記載なのですが、
他の写真とこの一枚だけ明らかに車体の色合いが違っていて
(かなり明るい色)
宮松コレクション撮影だと記載がありました。
戦前撮影のものなんだと思います。 鉄道に限らず戦前全般好きの者だけど、
いい歳をして>>471の件は初めて知った
勉強になりました。ありがとう 01が入る前は在籍241両
6×40で1両余った
半端は1572だっけ?
1574だったかな? >>20
頼りにしちゃいましょう、結婚祝い。
心にのこる結婚式場 青山メトロ会館
地下鉄銀座線外苑前駅下車徒歩2分 FS371
(一見FS331に似てるけど、よく見るとけっこう違う) 運転台にある電気関係のメーターがえらく安っぽい感じだったよな。 最初だけな。今なんか、新線建設無しで会社組織だからウハウハ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています