そう、資料はどこまでいっても資料。
それが100%の事実にはならないとしても100%のだたら目とも言い切れない。
昔の事実は結局、そういう資料を少しでも多く集めて検証する事でしか、その時代の事実は解らない。

ただ、少なくともまともな資料を前提にしない個人の見解や妄想で進めた所で何一つ事実は出てこない。
またその資料を否定できる明確な根拠のない否定もただの難癖でしかないので相手をしても仕方がない。