空手の型はやるだけ無駄と言う現実91 [無断転載禁止]©2ch.net
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空手家は型の意味を知っているのだろか???
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか???
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか???
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか???
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない??
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。??
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。??
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。??
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのは??
やるだけ無駄という現実。??
前スレ??
空手の型はやるだけ無駄と言う現実90??
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/budou/1501139457/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>850
なるほど
秘伝の鍛錬法だから非公開というわけですか
ナイハンチとコツカケの組み合わせは興味深いw いや、別に見たかったらオフでお見せしますよ?
今更隠しても仕方ないですし あ、非公開ということじゃないんですか
勘違い
でも隠されたままの方がファンタジーがあっていいでしょうw >>835
まだほざいてんのか?
ネットと本と場末の道場の低レベルな空手ヲタがw
あとな、大阪の三原流?
確かにあれ顔面に当ててやってたが、大した事は無い
>>842
だからまざほざいてんの?
場末道場のネットと本だけで知識を得たつもりの空手ヲタw
空手バカ一代がどーたらとか書いてたけど、お前のそのコテ、空手バカ一代から取ったの?
馬鹿なの?
死ぬの?
フルコンの連中も何なの?
どこのまともな人間が、暴力団員と義兄弟の盃を交わすんだよ
アホかよ?
例え名簿になくとも、実質暴力団員だハゲ
しかも、漫画とは逆に大山が弟分だ >>845
なんだ、関西の空手バカ一代ファンの、場末道場の空手ヲタかよw
>>846
お前もよくそんなバカの相手出来るなw 三原流知ってるんですか?
本当かな?╰(*´︶`*)╯
きっと貴方は知らないと思うなぁw >>854
しかしなあ、俺もいい歳だけど、お前さんも書いてる内容からして若くても40代後半、もしかすると50過ぎだろ。
いい歳して、馬鹿なの?
死ぬの? とか書いてて恥ずかしくないのかね?
さみしい独身男なのかな。
>>856
必死で検索したんだろうな。
しかし三原流もネットで知り得る情報はわずかなもんだ。
所詮は蚊帳の外でブンブン言ってるだけ。
まあ空手じゃなくてなんだっけ?そうそうクンフーの人だからなw なんか昔は過激なルールで組手の稽古している団体があったたという話で
盛り上がってるみたいだね。個人的に競技による発展を否定しない考えだが、
じゃあ昔の人と今の選手とどっちが強いか?おれは今の人の方が間違いなく
強いと思う。効率のいい防御、攻撃共に全体的に今の人の方が上だろう。
しかし過去を見たり考えたりすることは悪いこととは思わない。 >>856
知ってるよ
そこの二段が地域の不良どもに金吸い上げられてたわ
>>857
いい歳になるまで空手やってて、なんでそこまで物知らないの?
馬鹿なの?
死ぬの? へぇ いつ頃 どこの地域ですか?
腕立先生とか知ってます?w 馬鹿なの?
死ぬの?
って ネットスラングかな?って思って
娘たちに聞いて見たけど、昔流行ったらしいですね
貴方 街スレのドリーマーさんみたいw >>858
それはそこのルールに則れば、間違い無いと思います
しかし、現代の競技で培った経験がほとんどである場合、ルールが無ければどうかなとは思います
空手だけに限れば、貴方の言う通りかもしれません
>>800
ごめん 今更見た
そいつらゴミだね
ま、某国の若い太極拳の大物が、あっちの体重下のマーシャルアーツのチャンピオンにいわされてビビってたから、華僑のもそう化け物では無いかもな
ただ、強いのはいるよ
現代だと、黒社会の結社にいる中で腕がたつ奴が一番やばい
システムや技巧としてあっても、まるで使えてない奴はどこでも多いな
そもそも、相手の正面で止まってるとか、体格で圧倒してる場合以外は、その時点でどーかと思う >>858
おっしゃるとおりで、過激な組手というのは一時の過渡期のことで、だから現代空手より強いってわけじゃない。
そこから時代に取り残された流派は凋落しちゃってるし、順応した流派は今は普通にやってる。
>>859
>知ってるよ そこの二段が地域の不良どもに金吸い上げられてたわ
俺も知ってる。その話は不良にボコられたり金吸い上げられるのが、極真の黒帯だったり、寸止め流派の黒帯だったりバリエーションいろいろなんだけどね。
不良の喧嘩自慢や、特定の流派や道場を馬鹿にするときにするときの定番エピドソードをありがとう。
>馬鹿なの?死ぬの?
アラフィフ物知り博士のカンフー使いには参った、参った。
俺は馬鹿だしいずれ死ぬ。答えたから二度と聞くな。 >>862
いわされたのはハッタリで大物ぶってただけのやつなw >>865
>http://mmaplanet.jp/72524
>なので、本当に良く稽古をしていると、勝つために戦っている時に私が型の名前で指示を出すと、その選手はスッとその動きが出るのです。
すごいな、型がMMAの試合に役立っているw >>857
>しかしなあ、俺もいい歳だけど、お前さんも書いてる内容からして若くても40代後半、もしかすると50過ぎだろ
いや、結構若いよ。たぶん20代のハズ。頭おかしいのに違いはないけどね。 ここの前管理人が言ってたけど若い人ほど大人で子どもっぽい書きこみしてるのはいい歳こいたオッサン
不良に変な幻想持ってるとこからしてビーパップ世代でしょう 書いてる事もマニアックだしね。
しかし、空手に限らずだけど古流幻想って何で今でも一定の人達にあるんだろうね。
最近だと菊野もそれを利用して良く宣伝してるし。
古流だろうが、現代格闘技だろうが、所詮人が作った技術なんだからそこに
目的の違いによる質の差はあっても本来両者に優劣はない。
しかし今でも一定数の人間達には不思議な古流幻想があるよね。
古流の技術は戦場で作られた技術だから、現代の格闘技の技術よりも優れている!(筈だ)みたいなね。 大体、本当に古流の技術が現代格闘技の技術よりも優れているのなら、とっくに
今の格闘技界は古流武術の人間達に席巻されている。
ボクシングだろうが、総合だろうがね。
でも現実は中国拳法にせよ古流柔術(日本や海外のも含めて)にせよ、
格闘技界である程度通用している人間達は極々わずか。
そのある程度通用していると言える人間達も実際の所は技術のベースはやっぱり格闘技の技術で(菊野なんかはその代表だな)
本当に古流の技術を使いこなして戦えている人間なんて一人もいない。
中国拳法であのざま何だから、それを元にして作られた空手の型なんて使える訳ないよな。
現代の競技化した空手の技術の方がはるかに使えるだろう。
寸止めにせよ、フルコンにせよな。 >>871
>本当に古流の技術が現代格闘技の技術よりも優れているのなら、とっくに今の格闘技界は古流武術の人間達に席巻されている。
なこたぁない
目先の試合を犠牲にしてまで取り組まない・そもそも取り組むに値するレベルを維持してる所が少ないから取り組もうとも思わないし指導できる所も少ないだけ 久々に見たらこれなんのスレじゃ?
昔の空手を語り合うスレ? >>862
> 現代だと、黒社会の結社にいる中で腕がたつ奴が一番やばい
居ないよ
というのはあの動画は呉式太極拳の創始者の息子なんだよね秘伝をたっぷり受け継いで中国軍に太極拳を教えてた人なんだよ
しかもあの時代は中国拳法が盛んだった時代なんだよ
それであの動きなんだよね 相手のボクサーも酷い動きだし各々の流派の出来損ない同士の勝負だったってこと。 >>872
何故、少なくなったのかを考えるべきだね。
護身としてならともかく(現代でもシステマなどに一定の需要があるように)
格闘としては昔の武術、流派の技術や体系では未熟な部分や失伝(失伝している時点で元々大した技術でも無かったのかもね)した部分がある為に新興の流派や格闘技の存在に負けている現状を直視するべき。
現代の自称古流の継承者達を見ても殆どが、何処かの流派の技術の寄せ集めをさも、昔からあった古伝の技術です。
みたく主張している連中ばかり。 本当に昔からの技術を高い純度で継承している流派や先生もいるけどそう言う人達ほど知名度が上がらないこの矛盾。
古流系で有名になるのは、メッキを付けた連中ばかり。 掛け試しってのは、>>800の動画みたいな雰囲気だったんじゃないかと
それで空手と形というのは今でいう「格闘における強さ」では全くなく、
遊びで相撲をとるような感じだったのではないか?ということ
で、形と掛け試しは密接に関連した動きだったんだけど、途中から別々の
道を歩んで現在に至るという仮説 >>879
>掛け試しってのは、>>800の動画みたいな雰囲気だったんじゃないかと
>それで空手と形というのは今でいう「格闘における強さ」では全くなく、
>遊びで相撲をとるような感じだったのではないか?ということ
遊びでお互いの顔面を殴りあうって無理あるだろ。
沖縄以外のどこの国でそんなこと遊びやってんだよ。沖縄でもねーよ。 >>879
仮に掛け試しがその動画みたいなものだとしてさ、
たとえばどの型のどういう動作がその動画みたいなのに密接していると思う?
具体的な型の名前と動作を挙げて説明してよ。 掛け試しっていうのは、剛柔流の言う所のカキエのようにお互いが前腕を合わせた状態から技を繰り出す空手古来の組手の稽古法の一つで、
それを行う際には双方に信頼関係があり、また実力も近い者同士であくまでも相手の安全を配慮した上で行う物であって
決して今でいう所の自由組手の様な物ではない。
詳しくは、埼玉にある本部流の本部朝正氏が元々のやり方を知っているので興味があるのなら伺って見てもいいだろう。
真摯に空手の勉強のために教わりに来たと礼儀を持って言えば、多分あの御仁ならある程度は教えてくれるよ。
因みに剛柔流のカキエは明治時代以降に中国拳法から取り入れた稽古法なので元々空手にあった物じゃないが、
今や沖縄でも掛け試しといえばこのカキエ式の方がメジャーになっている所を見ても空手発祥の地だからと言って
空手本来の技術がちゃんと残ってる訳でもないと感じる。 >>882
話が堂々巡りするのがこのスレの特徴だねw
>前腕を合わせた状態から技を繰り出す空手古来の組手の稽古法の一つで
なんでそんな稽古を道場じゃなく辻の遊郭街でやってたんだろうね?
沖縄の若い衆は夜な夜な遊郭街に集って唐手の稽古していたっていうのかな。
ケンカ好き青少年たちによるタイマン勝負のほうが、まだ信憑性あると思うけど。
>本部流の本部朝正氏が元々のやり方を知っているので
なんで、本部流の掛け試しの写真は古いのでも平成4年のものなんだろうね?
なんで本部流HPで本部朝基の十二本組手の裏拳打ちを受けている写真を
あたかも掛け試しの前腕を合わせた状態の写真と誤解させるような掲載をしたんだろうね?
こんな調子だから権威ある先生が「実は昔はこういう稽古をやっていたのである」と言っててもあまり信用は出来ないな。
>剛柔流のカキエは明治時代以降に中国拳法から取り入れた稽古法なので
古い空手の文献でカキエなどというものを見たことがない。
わりと近年突然現れた稽古法のように思われるのだけど。
よくカキエは中拳の推手を取り入れたものと人が居るけど、中拳で推手をやるのは太極拳と意拳くらいでしょ。
どう見ても剛柔流はそういう拳法の流れとは違うと思うので不自然じゃないか?
仮に百万歩譲って、そういうスタイルの稽古法が古くから存在していたとしてもだよ
それらは別に型ともリンクしてないし、組手ともリンクしていないんだから
前に誰かが言ってた三戦の締めと呼吸法同様に
なんのためにやるのか?また空手の謎がひとつ増えるだけだよな。 >なんでそんな稽古を道場じゃなく辻の遊郭街でやってたんだろうね?
別に辻町だけで行われていた訳ではなく、当時はどうそれぞれの稽古場でも偶に行われていた。
辻町で行われていたのは遊郭街なので血の気の多い若者達が集まりやすく、また掛け試しの後でそのまま遊ぶ事も出来るので当時の空手に熱中していた若者達には色々と都合のいい場所だったからだよ。
なお、当時は道場なんていう立派な物はなく空手修行者達が皆で合同で行う際には大きな庭や広場で稽古をするのが一般的だった。
>こんな調子だから権威ある先生が「実は昔はこういう稽古をやっていたのである」と言っててもあまり信用は出来ないな。
なら何なら信用できるんだ?
君の妄想なのか?それとも君が信じるに値する先生でもいるのか?
或いは、その先生達よりも信じられる書籍でもあるのか?
>どう見ても剛柔流はそういう拳法の流れとは違うと思うので不自然じゃないか?
君も知っての通り、沖縄剛柔流の当時のトップの人間達が中国に学びに行ったのは有名な話で、
その影響か上地流など他のいくつかの流派の人間達も後に中国に行ってる。
そしてカキエが沖縄剛柔や本土の剛柔流でも代表的な稽古法の一つとして広まっているのも一つの事実だよ。
君のいう通り、古伝の沖縄空手には本来カキエなどという稽古法ななくまた確認もできない。
では、どこから伝わったのかと言えば結論は一つしかないと思うがね?
それとも君は別の意見とそれを裏付ける資料があるのか?
>なんのためにやるのか?また空手の謎がひとつ増えるだけだよな。
そんなの空手の技術を身につける為の稽古法でしかないだろ。
それを謎にするのか稽古法の一つとして行うのかは個人の自由でしかない。
君にとっては謎でも俺とっては謎じゃない。
その程度の話だと俺は思っているけどね? >>884
>或いは、その先生達よりも信じられる書籍でもあるのか?
こういうときの指針として「その時代に書かれたもの」なら一定の信頼がおける。
例えばナイハンチって型は本当に昔からあったの? 近年できたものなんじゃないの?
って疑惑が出ても、1880年代に公的な資料においてナイハンチという名称があることから、
一応その時代には存在したという一定の信頼はおける。
でも、ちしょうきんだとかルールーコーだとか、昔からあるある詐欺を言っても、じゃあ出典は?と問われたら
存在しないか、したとしても戦後になって急に言い出したり出版されたりしたものしか存在しない。
これじゃあ、信じろって方が無理だよね。
平成になって出版された本で、戦前からあるある言っても説得力ない。
戦前に出版された本にその記録が確認できたら、そりゃ説得力あるよって話。 >>864
アラフィフの知ったか空手馬鹿ヲタクが何ほざいちゃってんの?w
お前が知ってるのは話で、俺が知ってるのは現実だハゲw
お前は、ダンスのつもりで型を踊ってろアホw
>>868
それはお前が頭足りてないだけw
>>870
古流幻想も何も、ルールに則って限定的になってる方が強いという根拠は?w
>>871
空手は総合ですらボコられてる現実は無視なさる訳で?w
>>874
へー、いないの?
そう思うの?w
大体、あれまともにやってる様に見えるか?
あとお前には、日本少林寺の演武やドニー・イェンのアクションを見て、「あれは強い!」とか思っちゃうレベルの頭脳があるんだろw >>885
仮に後年に作られた資料だとして無いよりは参考になるので100%信用できないとしてもそれを超える程の信用性の高い資料がない場合は資料としてある程度価値を置かれるのは歴史学でも一般的な見解。
本部朝基の孫の朝正氏の証言が信用できないだとするのなら、信用できない明確な理由や根拠をちゃんと表明するべき。
「その当時生きていた人間じゃなから」だけでは、それはただの難癖。
100%事実では無いとしても100%間違っている証明にもならない。 個人的な私見を述べれば、よりルールを限定した方が、そのルール内で認められる技術に関しては、よりレベルが高くはなると思う
ボクシングしかり、現代空手しかり、散打しかり、柔道しかり、レスリングしかり
しかし、ボクサーにはがたかが前蹴りをかわしながら入る事が出来る人間が稀である様に、ルールを限定した訓練しかしていない場合、例え素手同士でも他の技術に対する対処に無理が出やすい 資料は資料
個人の日記でも、自身の事でも身内の事でも事実を改変していないとは言い切れない
戦争の歴史に残る大会戦でも政変でも、勝った側の都合で事実とは違う事を歴史書に描かれるのは日常茶飯事
だから、日本国内の歴史的に有名な戦闘でも、世界史の中の大きな出来事でも、未だに研究の結果、原因も経過も書き換わる そう、資料はどこまでいっても資料。
それが100%の事実にはならないとしても100%のだたら目とも言い切れない。
昔の事実は結局、そういう資料を少しでも多く集めて検証する事でしか、その時代の事実は解らない。
ただ、少なくともまともな資料を前提にしない個人の見解や妄想で進めた所で何一つ事実は出てこない。
またその資料を否定できる明確な根拠のない否定もただの難癖でしかないので相手をしても仕方がない。 >>887
>100%事実では無いとしても100%間違っている証明にもならない。
100%事実ではなくても、1%しか信じられないならそりゃ信憑性がないって判断されるわな。
>「その当時生きていた人間じゃなから」だけでは、それはただの難癖。
そうそう、同じように「息子だから」「孫だから」じゃあ信用ないんだわ。
カキエとやらが本当に存在したのなら、なぜ沖縄にその記録が残ってないのか。
「当時は道場なんていう立派な物はなく空手修行者達が皆で合同で行う際には大きな庭や広場で稽古をするのが一般的だった。」
引きこもって練習してんのならまだしも、こんなオープンでやってるのに目撃者も記録もゼロっておかしいだろ。
おかしくないってんなら、ほかのどの道場に本部流が言ってるようなカキエが伝わってるのよ。
どの道場にもナイハンチは伝わってるよ。そりゃ昔からナイハンチは存在してたからな。
じゃあカキエは? 名前や立場がある人が言ってるってだけで信じるのなら、STAP細胞も存在することになるなあ。世間ではそれを情弱という。 >>890
>それが100%の事実にはならないとしても100%のだたら目とも言い切れない。
うん、だから信憑性を上げればいいだけの話。
本部流のHPは信憑性を得るまでにはいけてないねってだけのこと。
そして、信憑性がないものを根拠に事実と言い張るのは滑稽だねって話。 >>885
うわあ、かわりに反論してくれてるから楽だなあ!
うん、そうそうそういうこと。と便乗しとこう。 何度言っても、結局悪魔の証明も議論の基本も知らない人には、何言っても通じないだろうから、最後にしとく。
>>346が的確に現状を表してるから、再度引用しとくよ
346名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ cdb8-hMWw [118.21.55.87])2017/10/01(日) 18:08:48.39ID:Z1d31OKA0
>>345
ツチノコは存在可能だから存在するんだ〜
なんて話をいつまで続ける気だよw
>100%事実では無いとしても100%間違っている証明にもならない。
だれも間違ってると証明したいわけじゃない。そんな必要もない。
ただ単純に根拠が不十分なら立証は不可能だねってこと。
そして立証が不可能なら、それは存在しないと見なされるってこと。ツチノコのようにね。
本部さんがツチノコは居るって言うのは全然構わないよ。否定もしない。
ただしそれだけで居ることの証明にもならない。
つーか、本当に堂々巡りだなこのスレ。前にも同じ説明した気がするよ。 >>891
ええと、ツッコミが入る前に言っとくと
カキエは剛柔流、本部流は掛け試し。 手を合わせてから始める掛け試しは「燃えよドラゴン」の試合シーンをヒントに作られたものだよ。
100%違うという証拠は無いだろ?w >>893
余談だけど、1920年代初頭に書かれた船越や本部の著書には
首里手や那覇手の型の名前が出てくる。
1900年代初頭の琉球新報の唐手の記事でも、船越や本部のよりは少ないが
一応那覇手の型は出てくる。自分の記億では、それよりさらに以前の時代に
型の名前が記された公的な記録というのは存在しない。
独自に見つけた1880年代の資料で、唐手の型についてどんなものがあるのか列挙
されたものを長いことかかって見つけたんだが、残念ながら首里手の型のみで那覇手の
型の名前は一切無かった。その首里手の型にしても、ずっと少ないんだなこれが。
年代が遡るごとに那覇手の型は減っていってる。首里手もそうだけど、那覇手はそれが特に顕著。
この資料のみで言うのではなく、色んな資料を見てきた結果導き出した答えとしては、東恩納が台頭
するまでは那覇手の型なんてのはそもそも存在しなかったんじゃないかと思うよ。 >>895
ああ、カキエじゃなくて掛け試しね。もうどっちでもいいよ、
どうせどっちも歴史浅いかごく一部の人しかやってなかったんだろうし。 私が書いているのは、飽くまでも「学問の基本的な考え方」なんだけどね。
悪魔の証明やらツチノコの話ではなくね?
「過去の事を知りたいのならまず資料を探せ」
これは、歴史学では基本中の基本でありまたこのスレのテーマにも剃った考え方だと思うがね?
空手の型や技術に関して論ずる場合、否応なくその歴史や著名人達の証言は無視できないじゃないか。
仮に資料の存在を全て根拠もなしに否定、無視するのであれば後は実際に生身で検証するしかない。
オフ会でも開催するのかね?
それとも何の根拠のない、個人の妄想だけで延々と論議するのかね?
根拠ないから永遠にそれが事実かなんて解らないのに? >>896
そうだな。
あとは、2ちゃんの匿名のお前の発言と本部朝基の孫の朝正の言葉のどちらに重みがあるかは、周囲が判断する事だな。
余程の悪意か狂人でもなきゃ、答えは決まってるけどね。 >>883
で、本部朝基語録は図書館行って調べたかい?
いつまで掛け手は平成になっての捏造とかデマながしてるのか。 >>892
>うん、だから信憑性を上げればいいだけの話。
>本部流のHPは信憑性を得るまでにはいけてないねってだけのこと。
>そして、信憑性がないものを根拠に事実と言い張るのは滑稽だねって話。
少なくとも今現在、私があげた資料を否定する別の資料がない時点で私は今、自分があげた資料の信憑性をあげる必要はないんだけどね?
現在の歴史学でも後の時代になってその人間の息子や孫がまとめた資料を元にしている話なんて幾らでもある。
後の時代という事で改変、創作された可能性は常に否定はできないが結局それを否定する場合も
何らかの資料なり根拠がなければ、それはただの個人の妄想や推測の域を出ない。
それに一々反応していたのでは、何も進まないので基本は無視。
当然、私も君の意見に反応する気は無いよ。
私があげた資料の信憑性を疑うのならまず、疑いに値する資料を出しなさい。 >>899
そう思うならこんなところに書き込むな。
ここはそういう場だ。
でもひとつ思うところだけど、証明できない事実というのはあるにはある。
たとえば前に書いた義信流拳法なんか、そういう流派の拳法が存在したという記録や資料、俺は見たことが無い。
だけど俺は実際に複数の義信流の人に会ったことがあるし、どこでどんな稽古をしていたかも聞いている。
その人たちはまだ生存しているから、今なら証言は取れるだろう。
でもこの先何十年もたって、その流派の存在を証明できるかっていうと、これはできないよ。
ただ本部流やら剛柔流みたいな人に知られた流派の稽古法がそんな有様じゃなあ。
>>900
だからそれならお前さん2ちゃんに書くなってw
俺は「偉い人が言ってます」だけで無批判に信用するほど権威主義ではないね。 燃えよドラゴンの手を接触させてからボカボカ殴るあれ?は掛け試しとは
違うんだろうなあ。掛け試しは戯れというか、遊びの一種だったんだろうと
想像するよ。強いという噂のある人に自信のある人が会いにいったり。
今の人が想像したり、小説に描かれてるようなものではなく。
遊びで力比べで相撲をやってみる、そういうのと同様のノリだったんじゃ
ないかなあ。
例えば崩して突くのなら、その突きは寸止めで。掛け試しは崩し合い、投げ合い、
それと寸止めによる極めが中心で。
形は足腰の鍛錬、いくつか技を並べて順番を決めて一通りやることにより
心肺機能をと技を練習するため、技の精度を高めたりするためにやっていた。
そこには舞踊および儀式的な要素も含んでいた。
もちろん、掛け試しは即興でやるため、形の第一挙動が掛け試しで最初にやる
技になったりするわけがない。場合によっては形で練習した技など一つも使わない
こともあっただろう。でも形の練習の成果は足腰の使い方や運足や強さ、崩しの
うまさなどに現れていたものであろう。以上が仮説。 >>901
掛け手じゃなく、今は掛け試し。
近所の図書館には無いんだな。
つーか、引用してくれないの?
俺は資料提示する場合、けっこう親切に引用してるんだけどな。 例えば、ツチノコにせよ、悪魔にせよその存在を否定できるだけの資料は世の中に大量に存在する。
事実、生物学的にツチノコなり悪魔なりの存在を肯定できる資料が何も存在していない時点で、その存在を疑うのは当然の話である。
所謂「悪魔の証明」とは存在していない物を理論上100%完全に居ない事を証明できるのか?という一種のパラドックだが私が求めているのは「資料の存在」でしかない。
資料の存在を求めるだけで、それが悪魔の証明になるというのならば、否定してる人間達は一体何を根拠に否定し続けているのか?
まさか、個人の妄想と見解だけなのか? あと本部語録は本部本人が書いたものじゃなく、後年の人によって70年代末ごろに書かれたものだよ。
本部自身が書いたものに組手は散々出てくるけど、掛け手なんてものは出てこないのは事実。 むしろ、一切の資料を提示しないで型を否定しているという時点で見れば、ツチノコや悪魔の存在を提唱している人間達と寧ろ、君達こそその人間達と同類と私は認識するのだが? なんしか。
名無しの想像の価値が低いのは間違いないだす。 土日と東京なので、新スレ立てておきました。
ワッチョイ無しだす。
空手の型はやるだけ無駄と言う現実92
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1508487417/ >>906
>生物学的にツチノコなり悪魔なりの存在を肯定できる資料が何も存在していない時点で、その存在を疑うのは当然の話である。
同様に戦前の資料に今の本部流の掛け試しやカキエの存在を肯定できるものが存在しない時点で、戦前からそれが存在したことを疑うのは当然の話である。
では戦後の資料は?あるなら提示して。
本部流HPで確認されるのは、平成四年現在には存在するということ。
別にそれは否定しないさ。 >>908
>一切の資料を提示しないで
俺も、上で反論してた人も今までさんざん文献や資料を提示してるんだけどね。
お前さんはどんな資料を提示したっていうのさ。 >>897
提案なんだけど、あなたコテハンつけてよ。
俺より資料の裏付けが豊富だし
そのほうが何かとやりやすいんだけど。 >同様に戦前の資料に今の本部流の掛け試しやカキエの存在を肯定できるものが存在しない時点で、戦前からそれが存在したことを疑うのは当然の話である。
それは、君が戦前は掛け試しは存在して居ない事を証明する資料を提示して初めて意味のある発言だね。
「戦前の資料には無かったから組手は無い」は君の手元にそれを証明する何の資料もない時点で、それはただの難癖でしかない。 >俺も、上で反論してた人も今までさんざん文献や資料を提示してるんだけどね。
お前さんはどんな資料を提示したっていうのさ。
では、その提示をよろしく。 >>914
????存在しない資料って?
戦前の書籍で「後に平成という時代になってから、前腕を掛けるところからスタートする掛け試しというものが存在したという人が現れますが、そのようなものは存在しません」
とでも書いてあるのを提示しろと? >>915
本部朝基本人が書いた著作は、今かんたんに手に入るだろ。
その全文を見ても、そんな稽古法ひとことも出てこない。 存在しないことを証明する資料って・・・
ほんとうに無茶苦茶いう人が存在することは証明されたわw スイシュやカキエみたいな訓練は詠春拳でも洪拳でも白鶴拳でもやりますよ
ただ、カキエは片手でやるので太極拳から持ってきたんじゃないかって思いますね。
南派拳法は正面向いて両手でやるので
カキエは上地流にもあるけど、お互いの手首引っ掛けあってお互い引き合う綱引きみたいなものだし、体力強化と手首の鍛錬として伝わってます 日本の柔術や島相撲が伝わっていた琉球ではスイシュとかは見向きもされなかったんじゃないかな?
組んで投げた方が慣れてるし馴染みあるんだから >カキエは上地流にもあるけど、お互いの手首引っ掛けあってお互い引き合う綱引きみたいなものだし、体力強化と手首の鍛錬として伝わってます
それならまだわかるのね。
カキエという言葉は見たこと無いけど、その鍛錬法なら古い書籍にも見つかります。
それこそが掛け手、あるいは掛け試し。
ただ、辻の掛け試しがそんなもんだったとすれば、本部朝基の強さってそんなものの話だったのってなっちゃうけどね。、 >>918
そうか?逆になにも自分達からは出さないで、
自分達を完全に納得させるものをだせ!
と言う方が悪魔の証明なんじゃないの?
俺からすれば、型アンチの方が悪魔の証明を要求してるように見えるよ。 >>905
申し訳ないが、ここの匿名さんにエサやるわけにはいかないな。
なんていうか、それくらい自分で調べれば?ということすらできない人間に
せっかく教えてあげても、いいこと何一つないから。
ちなみに戦前の文献にも出ているけどね。君では死ぬまで見つけられないでしょう。 >>922
> 自分達を完全に納得させるものをだせ!と言う方
って誰? >>924
例えば由利であり、ここの元1である常駐しているアンチ 由利はんってそんなこと言うてはりますかなあ?
元1である常駐しているアンチなんて、知りまへんわ。 >>886
> 大体、あれまともにやってる様に見えるか?
まともにやってあれなんだよ
組み手しないで型だけだとああなるんだよ
> あとお前には、日本少林寺の演武やドニー・イェンのアクションを見て、「あれは強い!」とか思っちゃうレベルの頭脳があるんだろw
何言ってるかわからん 型には掴んで崩して殴る技はありますけど、そんなの女子のケンカだってありえることです
スイシュとかみたいな技って
1刃物持った奴が腹を突いてくるから手首抑える
2手首抑えられたから手鏡で外して突く
3外されたから内側抑えて突かれるのを防ぐ
みたいなことから発達したんじゃないかと思うわけですよ
私には沖縄みたいな離れ小島で
そんな物騒な技術が発達するとは思えない
型やチーシーとかで汗かいて体鍛えて
巻藁なんかを突いて蹴る
後から工夫したりパクったりして今の空手があるんだと思いますね
でもそれでいいと思います
進化してるわけだから。 >>918
仮に資料がないで断言できる事はあくまでも「解らない」でしかない。
今、君の主張をそのまま鵜呑みにすれば、本部の古い著書には掛け試しの事は記載されて居なかった。
でも、そのお孫さんは掛け試しに関しては知って居た。
これがいわゆる「現時点で解っている客観的な事実」
朝基の古い著書に載っていないから存在しないはただの「論理の飛躍」。
また、そこで仮に「それはお孫さんの朝正氏の創作である」という推察が出たとしても、
それを裏付ける何らかの資料がなければそれは、所詮は個人の推察の域を出ないので、それに一々反応する気も無い。
何の資料もない個人の推察による否定を一々相手にしていたら何も話は進まない。
これは学問での基本的な考え方。
仮に悪魔であり、ツチノコで言えばこれらは逆説的な資料が数多く存在する。
今でも新種の生物の発見が出てくるので、やはり100%コレラの存在を否定はできないが、
それでもツチノコや悪魔ほどのサイズのある生き物で今日まで発見されていない時点で、その存在を疑われるのは当然の話。
だが、空手の型に関して言えば、悪魔やツチノコほどの逆説的な資料があるのか?
私が提示しているのは、明確な資料の提示。
それを悪魔の証明という時点で、既にその主張は破綻している。
資料が存在しない事実の一体何が事実になるのか? ま、アンチ側がむしろ悪魔の証明を強要しているというのには同意。 >>931
> だが、空手の型に関して言えば、悪魔やツチノコほどの逆説的な資料があるのか?
なに言ってるのかわかりまへんな。
悪魔やツチノコに資料?(笑) >>932
> ま、アンチ側が
ワテもアンチ側なんすかね? >>931
>それに一々反応する気も無い。
なら一々反応しなけりゃいいじゃん。 その時代の資料じゃなきゃ信用出来ないってのは、先ずは後の時代の資料を明確に否定出来て初めてそう言えるのであって、それも出来ないのなら、
後の時代の資料だってそれなりの情報源として無視は出来ない。
少なくとも、歴史上の人間の孫やその子孫の証言ってのは現代でも普通に歴史を調べる上での資料として重宝される。
それを否定する場合、その反論になる資料が出ない限りは否定は出来ない。
最近出てきた斎藤一の顔写真だって実はその子孫がねつ造しているかもしれないし、或いはその子孫も勘違いしているかもしれない。
けれど社会一般では子孫の証言には一定以上の信用を置くのが一般的だからそれを受け入れている。
なんだって難癖をすれば否定できる。 >>937
なんだって難癖だとすれば批判するのは楽だね >>938
だからこそ、資料の存在が大事になってくる。
否定するにしても資料ありきの否定と全くない否定とでは自ずと説得力も変わる。
普通の事だな。
これを悪魔の証明とか言ってしまう時点で元々破綻しているのを認めているような物だよ。 >>939
それこそ難癖なんだけどな
自分がちゃんと「ある」と考えられる根拠となる資料を出せもしないのに、文句ばかり垂れて
そもそも、学問の基礎は信用することではなく、疑うことだからあなたが前提を履き違えてる >>942
あなた、いつもこういうとき頓珍漢なこと言うね なんか、本で調べることについて、たくさん調べて知ってれば
エラいとかなんとかの話ですかね?あの〜おたくら、何をやりとり
してるっていうか、空手やってるんだったら、習って練習してる形
そのものがなんといっても重要で、その各動作について考えれば
いいんじゃない?その方がずっと面白いし。本よりも形そのもの
の方がエラいでしょ。 図書館行くのも面倒くさがって、ここでクレクレ言ってるんだから、学問とか関係ない。
それ以前の問題。
結局調べたら分かることを、横着してイチャモン付けているだけで、ここに資料をアップしても、何食わぬ顔でスルーしてまた別のイチャモン付けるだけ。 資料を否定するのなら、せめて名無しではなく正体をあかしたら?
出なきゃ2ちゃんの名無しのコメントに一体どれほどの説得力があると思ってるの?
俺はあかすきは無いから資料を最大限に使ってやり取りするけど。 しかし、資料を否定するなんて聞いたこともない。
それで一体何の議論をしたいのか。
双方共に何の資料もいらないのなら自分が思う
デタラメな内容を延々と続けるのが望みなのか。 本気で議論する気なら名無しでは書きまへんやろ。
名無しとの議論なんて型以上に無駄ちゃいますかね。
ここは書きたいこと書き散らす場ということでええと思いますわ。 >>945
俺はお前さんが技としての「掛け手」は戦後に創作されたものだと主張したとき
戦前の書籍名と親切にも引用文までここに載せてやったろ?
それでお前さんも納得したんじゃない。
それくらいサービスしてもバチは当たらないと思うがね。
このように「この時代に××は存在した」と証明するのは簡単なんだ。
たった1例のその時代の証拠を見つけるだけでいいからね。
しかし「××は存在しない」という証明は不可能だ。
どんな人間だって、世の中のすべてを見ることはできないからだ。
だから存在を証明する責任は「存在する」と主張する側にある。
これがいわゆる悪魔の証明の基本的な考え方だと思うがね。
これがいわゆる悪魔の証明の基本的考え方だと思うけどね。
>何食わぬ顔でスルーしてまた別のイチャモン付けるだけ。
たしかに、すでに本部語録は所詮は1978年に書かれたものだとイチャモンつけてるわw
でも、誤りを認めるときは認めてるんだぜ、過去にも。
ここから先は事実の証明じゃなくて信心の問題だな。
俺は偉い先生の御言葉を無批判に信じるほど純真じゃないのさ。 >しかし「××は存在しない」という証明は不可能だ。
>どんな人間だって、世の中のすべてを見ることはできないからだ。
>だから存在を証明する責任は「存在する」と主張する側にある。
>これがいわゆる悪魔の証明の基本的な考え方だと思うがね。
いや、その主張は正確には間違っている。
例えば「江戸時代に既にガソリン車はあった」と誰かが主張したとする。
では、実際に江戸時代にガソリン車があると前提した場合、ガソリンはどこから手に入れるのか?
その車はどこを走っていたのか?車のタイヤ痕は存在ないのか?車の残骸は?当時の文献になぜ、その車の存在が出ないのか?
ナドナド、それが存在する事で本来発生する多くの現象を調べていけば、結果論として存在しなかった。
と言える。
何かが存在すれば、それは他にも影響を与える。
少なくともその存在が誰もいない無人島や山奥にでも存在しない限り。
で、君のその話は果たしてそこまで資料を集めるのが難しいテーマなのかね? 資料とは、ズバリそれに関して明記されていなくとも重ねていけば、
自ずとそれのフォルムが見えてくる存在である。
疑う大いに結構。
でも、その疑いを自分の中だけで完結して発表するのでは個人の妄想と何も変わらない。
そこに一定以上の信憑性を持たせるために多くの科学者達は資料を持ち寄る。
そして、それは普通の話のはずだ。
何も特別こ事ではない。
何故、このスレのみ資料の存在をないがしろにできるのだ? レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。