空手の型はやるだけ無駄と言う現実91 [無断転載禁止]©2ch.net
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空手家は型の意味を知っているのだろか???
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか???
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか???
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか???
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない??
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。??
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。??
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。??
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのは??
やるだけ無駄という現実。??
前スレ??
空手の型はやるだけ無駄と言う現実90??
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/budou/1501139457/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>98
>大正14年の船越の著書「練胆護身唐手術」にもちゃんと掛け手は解説されている。
船越先生は組手を知らなかったから、それこそ口から出任せで書いてあるんじゃないの? >>101
もしそうなら本部が「世上、掛け手とは受けの一種なりと述べる者あるが、誤れるも甚だしい」と書き残しているさ(笑) 本部つながりで、本部王家に伝わる御殿手ってあるじゃん?
名前は武士の情けで出さないけど、戦後になって本部の関係者と名乗る
2人の人間がそれぞれ別々の著書でまったく正反対のことを証言してるんだよな
「朝基は御殿手を自分が習えなかったことを幼少の頃から酷く悔しがった」
「朝基は本土に来てから自分の家にそんな秘密の武術が伝わっていた事を知り目を白黒させた」
矛盾してる証言だよね。
朝基が本土に来たのは50歳過ぎてからの事だし、幼少の頃から知ってたのと晩年に知ってたでは食い違いが出る。
どっちかの人間がウソをついてる
どっちの証言も1990年代になって出たものだから、掛け手や掛け試しと同じく
死人に口無し、都合のいいように書いたんだろうね。
自分はこの相反してる2人の証言のどっちかがウソではなく、どっちもウソだと思う。
これまた掛け手や掛け試しの問題と同じく、昔から朝基が知っていたのなら、なぜ朝基は生前
それらについてまったくといっていいほど言及も記録もしていないんだろう? という問題に行き着く。
そんなもん存在しなかったんだから記録が無いのは当たり前なんだけど。
ただ、当時本人が知らなかったら存在していたという前提が崩れてしまうので、苦肉の策として
「記録は残してないけど当時本人は知っていた事にしよう」ってことで、後世に証言が急に出だす。
それでも説得力がない場合は、実際に稽古に取り入れたりしてな。お互い手を合わしたり。
ある段階になるまではこの稽古は教えちゃいけないんだ、とか言って急に教え出す。
なぜ掛け手なり御殿手なりが、口を使った証言や体を使った稽古などに限定されるのかというと
古文書みたいなモノを捏造して記録あるよって主張しても、今の情報時代じゃ媒体の材質や内容が
検証されて一発で近年作ったものだねってバレちゃう。武備誌がまかり通った時代とはもう違うんだね。 >>101
とりあえず、技としての「掛け手」が戦後の用語ではないことはご理解いただけたかな?
お前さんが空手やってる者なら一般的な掛け手という技について解説する必要ないとは思うけど
船越の解説は現在の掛け手よりやや細かく分類している。
「掛け手」とは文字通り手を掛けること。次に「掴み手」これは手を掴むこと。
そして「引き手」掴んだ手を引っ張りながら攻撃する。
現在はこの一連の動作を合わせて「掛け手」と呼んでいるよね。 判断に困るのは、リアルタイムで本部に習っていた人間の証言。
本当のことを言う人も居れば、ウソを言う人も居る。
その見極めは第三者の視点や当時の状況証拠などにより真偽を判断していくしかない。
現代、本部=ナイハンチ という図式が出来上がってる割には
朝基の弟子達が朝基はナイハンチの分解や身体操作をどうやっていたのか驚くほど記録を残していない。
分解や身体操作というのは道場で教えてなかったと思うよ。秘密だから教えないとかじゃなくて、教えるほどのものが無かった。
わずかに女子学生にナイハンチの第一動作の部会を指導している写真が残ってるくらい。
身体操作なんてもってのほかだろうね。
別に門下生の数が少なかったのではなく、当時ブームだから入門者は多かったけど、同じくらい辞めてく人も多かったらしい。
当時習った学生の証言で「稽古の内容は、1人の時は巻藁を突かせ、2人以上のときはずっと組手ばかりやらされました」
ってのが案外本当のことを証言してるんじゃないかと思ってる。朝基らしい身も蓋もない、ただただ殴り合いのみに強くなる稽古。
ま、そんなの毎日やってたら身がもたんし、よっぽど根性ある学生以外は続かんだろうね。松濤館流や和道流が
寸止めの組手を開発したのも、別にバカ正直に一撃必殺を信じていたから寸止めにしたのではなく、開発途中で
直接打撃の組手を試行したこともあったけど、やっぱ体がもたんから、という理由もあったからじゃゃないかと思う。 >>103
これはもう近年、空手界にはびこる自称古伝の正体を言いつくしているね。
信者には残酷な現実だから、彼らは目を瞑って琉球王朝から伝わるという古伝にすがるんだろう。
でも安心すればいい、古伝の唐手は決して失伝などしない。
なぜなら古伝の唐手は日々新製品が開発されているからさ。
古伝信者のニーズに合わせて提供されている。それなりの価格でね。 >>102
あんさん、本部と屋部以外は組手は知らなかった、ってここで何度も持論展開してたんじゃないの?
で、組手はしていなかった船越先生の組手技の解説は信じるんだ。 >>107
組手技?どこにそんなの書いた?
これは護身術の技だよ。「練胆護身唐手術」って著作名まで教えてあげてるのに何寝言を? >>108
「掛手とは敵の突込んで來る手に掛けるのでこの掛方に依り・・・」って書いてあるけど?
これはどうやったら型の解説だと読めるのかな? 組手の解説だろ?
で、あんさんの持論の沖縄の空手には組手はなかった、本部と屋部だけ例外だった
って話だと、船越先生のこの解説は妄想で、掛け手の本の執筆時に適当にでっちあげ
たんじゃないの? ×掛け手の本の執筆時に適当にでっちあげ
たんじゃないの?
○掛け手の用語は本の執筆時に適当にでっちあげ
たんじゃないの? >>109
あなた、ヤバい頭してるよ
落ち着いて読んだら? >>109
あのさ、お前さん誰かと勘違いしていると思うが、俺は自由組手は無かったと言ってるけど
型に護身術の意味はあっただろうってことは前から言ってるよ。
>船越先生のこの解説は妄想で、掛け手の本の執筆時に適当にでっちあげ
たんじゃないの?
百歩譲ってもしそうだったとしても、技としての掛け手が戦後の用語だというお前さんの主張は崩れただろうが。
平成になってから振って湧いた本部拳法の掛け手とは違うわ。 >>111
落ち着いて読んでるよ。あなたこそ、「護身術としての価値」のページ読んでるかい?
まさか原著も読んでないとか? >>112
船越先生は護身術を唐手の意味で使ってるんだが。
で、具体的に敵が突いてきたときには、型を演武するの?
あんさん、チンピラが殴りかかってきたときに、セイエンチンとかローハイ演武するの?
組手で戦わないの?
>平成になってから振って湧いた本部拳法の掛け手とは違うわ。
本部朝基語録にも書いてあるが。本部朝基が語ったから語録なんじゃないの?
これも創作? でも、あれは昭和の書物だけど、平成って? >>113
「護身術としての価値」のどこに組手のことが書いてある?
「徒手空拳で敵を挫き身を守る」とかが組手のことを指すのか?
お前さんにとっては護身もケンカも組手も同じものなのか?
>>114
なんか言葉の通じない相手だな。面倒くさい。
>あんさん、チンピラが殴りかかってきたときに、セイエンチンとかローハイ演武するの?
誰がいつそんなこと言った?わけのわからないこと言われても困るな。
>組手で戦わないの?
組手というのは稽古法であり、試合形式のことだから、組手で戦うなんて発想ないわ。
空手で戦うならまだわからんでもないけど。
チンピラに襲われたらお前さんは
「ちょっと道場に行って組手しましょう」って誘うのかね? >>114
>本部朝基語録にも書いてあるが。本部朝基が語ったから語録なんじゃないの?
>これも創作? でも、あれは昭和の書物だけど、平成って?
本部語録のどこに「掛け手」が出てくるんだ?
そんなことよか、技としての「掛け手」が戦後の用語といいうお前さんの説が崩れたのは認めないのか?
それもせずに何ネチネチとわけのわからないこと言ってるんだよ。 >>115
> 組手というのは稽古法であり、試合形式のことだから、組手で戦うなんて発想ないわ。
> 空手で戦うならまだわからんでもないけど。
> チンピラに襲われたらお前さんは
> 「ちょっと道場に行って組手しましょう」って誘うのかね?
いやいや、何で組手って現代のスポーツ空手の組手に限定してるの?
船越先生が本書いた当時、全空連も極真もなかったんだからさ。
敵が攻撃してきたら、殴ったり蹴ったり受けたりするのが組手でしょ?
言葉遊びみたいなことしたくないけどさ、あんさん、組手は沖縄になかったって
持論を何度も書いてるに、船越先生の組手の技の解説は信じてるからさ。
で、本部朝基語録の話はスルーか。都合が悪い話は無視するんだな。 >>116
読んだら見つかるよ。
読んだことないんだったら、図書館へゴー。 >>114
俺が>>98で
>本部拳法サイトの掛け手のページ、【他のページには原典が示されているものもあるけど】、ここには一つも無いだろ?
と書いているのをちゃんと見てくれよ。
あのサイトのすべてを否定してるわけじゃないんだよ。 >>116
>そんなことよか、技としての「掛け手」が戦後の用語といいうお前さんの説が崩れたのは認めないのか?
うん、すまなかった。 >>120
いいってことよ。
ところで例の本部語録は38語中、だいたい25語くらいしか読んでないんだ。
だからお前さんが実際に全語読んであるというなら、それはあるのかもね。
機会があれば確認してみるわ。
もっとも語録は本人の書いたもんじゃないし、それこそ戦後かなりたってからのものなので
俺の持論はあまり揺らがないんだけどね。 暴漢に襲われたら、目を突け耳を叩け、ってのは護身術
実戦経験が無くても、想像上で何も知らないよりかは暴漢に対して有利になる選択肢を述べれる
実際にどういう間合いでどういうタイミングでどういう攻防で目を突くのか、それらは組手を知らなければ分からないし、
逆に言えば組手を知らなくても知識により護身術(使えるかどうかは別)のワザを生み出すことは出来る
実際問題、喧嘩で掴みは使える。というか自然に掴み合いになる。
だけど、敵が突き込んできた手に掛けて受けて掴む、とかさ
実際の殴り合い、例えばこの動画のパンチに応酬に掛手どころか
空手の受け技全般間に合わんよ
https://www.youtube.com/watch?v=X7mqDjYx3eY >>117
>何で組手って現代のスポーツ空手の組手に限定してるの?
>敵が攻撃してきたら、殴ったり蹴ったり受けたりするのが組手でしょ?
稽古でやるなら組手。街中でやればケンカ。
昔はそれも護身で通用したんだろうけど、今やれば喧嘩だなやはり。
言葉遊びじゃなくて、これはそういうもんでしょ。
組手はスポーツ空手以前から稽古法の一種だよ。
あと、俺が昔の沖縄に無かったって言ってるのは「自由組手」だからね。
「互いに受け外しを試みる」ってのくらいはあったと思うよ。
船越だってそういう意味の組手は著書に書いてるじゃない。
でも文献上遡れるもっとも古い約束組手は本部十二本組手じゃないかな。 >>122の続きなんだが
本部が掛手に関して生前本人による記述を残してないってのは
さんざっぱら殴ったり殴られたりしてきたから、船越と違って突いてきた手を受けて掴むなんてのは
非現実的って身に染みてたからじゃないかな。分解みたいに、敵が突いたあとに硬直して手伝ってくれれば
掛けて受けて掴んでってのを出来るかもしれんけどさ。 >>124
>突いてきた手を受けて掴むなんてのは非現実的って身に染みてたからじゃないかな。
単に本部はんに技術が無かったってことだすかな。 >>125
唐手の神様みたいに神格化されてるけど、
パワータイプの人間で技術的なものはそれほど無かったんじゃないかな?喧嘩の経験則ならあったかもしれんけど。 >>124
それでも本部は技としての掛け手は十二本組手でちゃんと使ってるんだけどね。
現代、空手やってる人なら誰でも知ってる形の掛け手だよ。
つまり船越流にいうなら掛け手〜掴み手〜引手の流れだね。 そらそんな練習も稽古もしてまへんやろしね。
しゃないだすよ。 型をやってる合気道だって自由攻防の中で突いてきた手を受けて掴むなんて、どんだけの人が出来るのか。 そんなこと言い出したら植芝だって山師みたいなもんだろ。 >>130
武道家や武術家なんてほとんどそんなんやと思うてると、ワテは常々言うてるやないだすか。 現実うんぬんよりも理想を語る。
理想を目指して稽古させる。
そうでないと生徒や弟子が集まらんでしょ。 カキエと掛け手は同じものなので、それは掛け受けとかつかみとは
別のものなのに、それらを混同してあれこれ言ってるのがいるな
知ったかぶりでやたら長文だし、パンドラかな? 素手顔面攻撃!金的OK!頭突き!肘打ち!パウンド!関節技!
PRO-KARATEDO達人Y
2017年12月24日(日)開催決定!
https://www.youtube.com/watch?v=EcZs52pwtaQ&t=5s また開催するのか。伝統の内林選手は出るのかな。
東京で開催してくれないかな?東京だったら見にいくところ
だけど、難しいかもな。 >>134
>カキエと掛け手は同じものなので
カキエと技の名前じゃないほうの掛け手、どっちも推手の物まねのことだよね。
たしかに同じっちゃ同じかもしれないな。
>それは掛け受けとかつかみとは別のものなのに
掛け受けは剛柔流固有の受け技の名前じゃない?今話題にしているのは掛け手なんだけど。
たしかに船越の書いたとおり細かく分ければ掛け手と掴み手、引き手は別のものかもしれない。
でも型ではたいて、この3つがワンセットだからまとめて掛け手と呼んでるって前にも書いたんだけどな。
掛け手の親指を手刀みたいに閉じないのは、掴みが含まれているからだって習わなかった? >>134
さて、それでお前さんは>>100の疑問には答えてくれないのかい? >>138
100の質問?おれは96ではないけど、考えてみよう。
形と掛け試しのつながりってとこでしょ?
まず、沖縄の辻では喧嘩や果たし合いをやってたんじゃなく、一種戯れ的な感覚で
力試しを行っていたんじゃないか?というのと、それのやり方がカキエ(掛け手)
と同じようにお互いに片手を接触させてからスタートしたのではないか?ってこと
でしょ。
それとそれは形の順番の通りに動くのではもちろんなく、その都度即興で形で練習
した技のうちのどれかを使っていたのではないか?当然相手によっても技のチョイ
スが変わる。
で、形と掛け試しのつながり、これは直接につながるにしては動作に無理があるな。
だが現在の伝統派、フルコン双方の自由組手と形の乖離ほどには離れていないよう
な気はする。立ち足と運足について相手と接触状態であることを考えると形の鍛錬
が生きてくるのは分かる気がする。よく言われる「形の立ち足は、技が決まった瞬
間の立ち方だ」というのより、相手と押し合い、崩し合いで使う運足という方が、
理に叶っている感じはするので説得力はある。
中国武術についてはおれは知らん。 ええええ??
>>139さんは>>96さんじゃないだって!!!!
以降の書き込みは根拠の無い想像だしどうでもいいけど、それがいちばん驚いた。 >>96 名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 5ead-SlqC [153.214.113.123])
>>139 名無しさん@一本勝ち (ワッチョイ 5ead-SlqC [153.165.80.171])
ワテも驚く。 >>139
>沖縄の辻では喧嘩や果たし合いをやってたんじゃなく
>一種戯れ的な感覚で力試しを行っていたんじゃないか?
別に辻限定でやる必要はなく道場でも出来る割には、
誰も伝えてないし記録もほとんど残ってないね。
それはそれとして俺も同一人物じゃないって点の方が驚いた あーでもどうなんだろう?
例えば、自由組手にしろ賭け試しにしろ当時はそれが当たり前過ぎてわざわざ記録に書き記すほどの事ではなかった線とかは? 本部朝基のウィキペディアにはこんな記述があるな。これを強いと取るかヘタクソと取るかは評価がわかれそうだな。
剛拳ばかりでは体に悪いと兄である本部朝勇が取手の稽古を教えると、
練習相手の突き蹴りを、反射的に叩き落してしまい、攻撃したほうが苦痛でうずくまり練習にならないほどであった。 >>146
>これを強いと取るかヘタクソと取るかは評価がわかれそうだな。
それ以前に、その話を本当と取るかウソと取るかだな 若い頃の話ならそんなもんやないだすかね。
ワテも合気道を始めた時は、相手の打ちや突きをついつい弾いてしまって技にならんかっただす。
和合が大事とわかっていながらそれだすからね。
クセが無くなるまで三年を要しました。 >>145
もしそうなら、沖縄の唐手家たちにもっと組手のノウハウがあったはずだと思わないか?
ところが、本部や船越なんかよりより若い世代の摩文仁が、戦前ごろになってようやく組手を模索しはじめてたりする。
型分解だっておそらく最初に本気でやってみたのは摩文仁じゃないかな?
例の防具付けた写真なんかまさに暗中模索の時期ものだぜ。
防具を開発すれば本気で攻防する組手ができると主張していた。
逆に言うとその当時まで、そういう組手は無かったってことだよね。
しかし摩文仁は戦後にはすっかり自由組手に興味を失うんだな。
理由はわからないので俺の想像だけど、摩文仁は稀代の型コレクターで型の実戦性を信じていた。
ところが自由組手やってみると型はまったく応用できないことが分かる。
型を捨てるか?組手を捨てるか?で後者を選んだのかもね。 ついでに自由組手に関しては本土空手のほうが先を行ってたと思うな。
東大空手部とかは昭和初期すでに防具組手やってたらしいし。
それを船越先生が激怒したから船越は組手嫌いって定説になっちゃったんだよね。 >>149
摩文仁先生は掛け試しの立会人をつとめたって書いてあるけどね?
本人は俺が自由組手を始めたって言ってないのにそれを疑うのか。
ここのアンチの反論って結局全部自分のフィーリングで言ってるだけで、証拠示さないからなぁ。 >>151
俺も摩文仁が自由組手を始めたなんて言ってないぜ。
本部と屋部とその門下はやってたかもしれないし、上に書いた東大空手部だって摩文仁より先にやってるんじゃない?
ただ摩文仁のころにはまだ自由組手のノウハウが確立されてないって言ったんだよ。
だから特に書き記すほどなく昔から自由組手が当たり前だったとは思えないってこと。
>摩文仁先生は掛け試しの立会人をつとめたって書いてあるけどね?
すまんがどの本に?証拠を提示というならそこまでお願い。
>ここのアンチの反論って結局全部自分のフィーリングで言ってるだけで、証拠示さないからなぁ。
俺はアンチなのか?昔は型ヲタサイドに分類されてたんだけどまあいいやw
でも全体の流れからいうとここはアンチのほうが文献など証拠を提示する傾向が高いと思うけどね。
型ヲタのほうが無根拠に見える。まあそれこそ受け止め方の違いだろうけど。
あとお前さんはちゃんと文献を読んでる人なのに、感情的になりやすいよね。 証拠を提示というのでこちらから。
『攻防自在護身拳法 空手道入門 別名 空手術教範』昭和13年
自由組手に関する記述はこんなかんじ。
「真剣組手はなんら約束なしに自由に攻防の技法を行うもので(中略)この真剣組手においても手や足に十分に力を入れてやりますと危険を伴いますから、拳頭をもって突かず指で触る程度とし」
「組手の技法の組み合わせ方は空手の型の講義を読んで研究すれば自然と会得できますからここには省略します」
つまりこの時点では自由組手のための技術的ノウハウというものは特に無いって証拠じゃない?
型を研究すれば自由組手はできるって言ってるんだから。
さらに防具組手に触れ
「空手は型を単独に行い組手によって対敵研究をなしておりますが、しかし当身を主眼とする武術ですから真剣に試合することはできません」
「この点が空手の特徴なれば欠点とも言われております」
「防具問題は最近十年以内に起こった問題ではありますが、将来に残された大きな問題といわなければなりません」
というような感じ。
このころすでに数百年の歴史の中で自由組手が行われつづけ、成熟していたとはとても思えないんだよ。
まだ組手黎明期で暗中模索しているという俺の主張に無理があるかい? 日本の古流武術にしても空手のような拳での攻防の技術が少ないのは、
稽古相手に大きなダメージを負わせる危険性があるので稽古に適さなかったから、
とも言われてるらしいからな。
自由組手はなかなか難しかったろうな。 >.149
>しかし摩文仁は戦後にはすっかり自由組手に興味を失うんだな。
>理由はわからないので俺の想像だけど、摩文仁は稀代の型コレクターで型の実戦性を信じていた。
>ところが自由組手やってみると型はまったく応用できないことが分かる。
>型を捨てるか?組手を捨てるか?で後者を選んだのかもね。
ここら辺、剛柔流の宮城も同じだったんじゃないかと思う
中国に行ったのは源流の調査とかじゃなくて、自分達の型と似たような套路というものを持ってる中国拳法は
自由組手どうやってるの? って知りたかったんじゃないかな。一縷の望みを持ってた。で、中国行ってみたら
そもそも自由組手やってなかったか、やってたとしても摩文仁と同じく套路と剥離した攻防でがっかりした。
せっかく中国行ったのに、套路とか呼吸法とか鍛錬法とか中国拳法の技術をまったく日本に持って帰らなかったのも
別にそんなもん興味なくて、仮に興味があっても結局組手とリンクさせれないなら意味ないって思ったんじゃないかな。
金剛園だっけ? 中拳でなくレスリングの鍛錬具を持ち帰ってるのが皮肉な話だよね。ウェイトなら一応はリンクするし。
>>155
そうだよねー。それとね、多分なんだけど1880年代の時点では、沖縄には型の数が10も無かった可能性があるんだ。
個人が創作して自分だけでやってるとかは別にして、ある一定数の人間がやってる型は、確認できるだけで3つ。
それのみって事はないけど、もっとあるなら3つしか記録されてないってのもおかしな話で、まあ多分他にあったとしても
多く見積もっても3つないし5つが限度。合計6〜8しか当時の沖縄には型が無かったと思うよ。一気に増えたのは那覇手が乱造してからだね。 中国人は型も練功法も闘い方とかも全てを秘密にしてますからね 未だに。
門外漢には嘘の型だけ教えたりして。
東恩納寛量先生も上地完文先生も何も習えず嘘の型を見せてもらっただけの可能性が高いです。
ただ、戦前の中国人の武術家の大半は日本の柔道家や空手家に試合でぶちのめされまくった記録があるので
そもそも大したことなかった流派がほとんどだったと思いますけどね。 >>157
唐手も本土の人には本当のことを隠してたとかいうのを信じてるのがいまだに居るね。
中拳でもなんでも秘伝だのなんだってのは大した中身なんて無いんだよ。
本当に隠したいならその存在自体が知られちゃマズいだろうに
「実は凄い必殺技があるんだよ。だけど秘伝だから一般人には教えない」って宣伝はするんだから。 >>158
そう言う事
俺んちには10億の現金が隠されているよ!
どこに隠してあるか誰にも教えないけどねw
ってみんなに言いふらす馬鹿がいないのと同じこと
本当にあったら言わないよw >>159
>俺んちには10億の現金が隠されているよ!
>どこに隠してあるか誰にも教えないけどねw
まあ、そんな話信じるヤツも信じるヤツだけどなw 武術の秘伝なんてもんは、焼肉の秘伝ダレやうどんの秘伝ダシほどの値打ちも無いとワテは思いますわ。 >>159
>>160
武術ヲタにはそういう話を信じてる奴多いんだけど、さらに病が高じると
「みんなにはわからないだろうけど、僕はその秘密の技をすっかり理解してるんだよね」って思いこんじゃう。
youtubeの空手、中拳動画のコメント欄なんかにそういうのがよく居るわ。
こことかにもいるいるネット達人コメンターw
https://www.youtube.com/watch?v=8N5L7b000BQ >>161
その秘伝にはすごい価値のあるものがあるよ!
とある名店のすき焼きのタレ、まさに一子相伝だったのが失伝しちゃってね、非常に残念。 中国武術の秘伝って効率の良い人の殴り方だったり、練習方法だったりとかでしょう?
これって格闘技だと初歩から習うべきことだったりすることでは? って思ってます。わたしは。
沖縄の空手には秘伝とかありませんよ
体鍛えて思いっきり殴る蹴るだけです。
わたしも沖縄空手やってますが体の隅々まで鍛えて全速力で突いて蹴るだけですよ。
後は個人で鍛錬研究するだけでは?
私の考えて実践している空手っていうのは
体鍛えて突いて蹴る それだけです
後のワザとかやりたかったら剣術やり合気道なり柔道なりMMAなり 好きなことやればいいのでは? >>166
佐川急便にはあるんじゃないんですか?
多分大した内容じゃないと思いますけど >>157
>ただ、戦前の中国人の武術家の大半は日本の柔道家や空手家に試合でぶちのめされまくった記録があるので
>そもそも大したことなかった流派がほとんどだったと思いますけどね。
中国相撲の張洪玉と戦って敗れた牛島辰熊とか当時の日本ではかなりのビッグネームなんじゃないの?
王子平や霍元甲にしてもそうだけど中国拳法家の他流試合の逸話は相撲によるものが多くて意外と打ち合いをしたといものは少ない
王向斉と澤井健一の勝負も聞く限りではたぶん相撲
散打の試合が行われた明確な記録は1928年の国術国考が多分一番古い
まぁ何れにしても空手よりは早かったのは確か
戦前の空手の流派で試合ができるほどルールやテクニックが整備されたとこなんて一つもないだろ
まだ柔道のほうが一歩も二歩も進んでたんじゃないのかな
外国のボクサーと戦った記録とか柔道家によるものばかりで本部を除けば一人もいないのだから 秘伝て流派や伝人の胸三寸で気軽に公開するかしないか決めてるだけだろ
そんなのは色んな現代格闘技や伝統武術でいろんなレベルの技や練習法において存在してるだろ
ブラジリアン柔術ですら「このスイープの時の手の置き方はうち独自なんで出稽古で見せるな」とかいったものが無数にある 中拳だと上半身のこの関節と下半身のこの関節を垂直線上に置くとより力が出るとか
口腔内のここに舌先を置くと全身が纏まるとかな
こういったことを全員に教えるところもあれば内弟子にしか教えないところもある
全員に教えるならそれは秘伝でもなんでもなくなる > 中国相撲の張洪玉と戦って敗れた牛島辰熊とか当時の日本ではかなりのビッグネームなんじゃないの?
> まぁ何れにしても空手よりは早かったのは確か
何を言うてはるのかわからんだす。(笑) 秘伝のタレだってダシだって、工場や店の従業員には作り方教えるし客にも提供しまっせ。 つまり胸三寸で一般公開し放題で同じ流派の別会派間でも教えたり教えなかったりするような秘伝なんて不確かなものを
あるとかないとか論じるのは無意味 値打ちがあるかどうかも内容次第だな
例えば各派で研究が進んでる今と違い、ヒクソン登場当初は他派BJJよりチョークが外れにくくグレイシー一族独自のポイントがあるのは間違いなかった 本土の流派の型は仮面ライダーの体操型でウチのは本物の武術型
なんて言ってる空手の人もいるけどw >>160
秘伝があるって本気で信じているやついるじゃんw
こう言うレベルと同じだよw >>144
の動画でもさ、さすがジャパン背負ってるだけ、さすがに全てが洗練されているよね
でも、これ秘伝を習ったから出来るようになったわけじゃなくてさ、血の滲むような練習を
したから出来るようになったわけなんだよね。
型ヲタはそこをまるで分かっていない
あたかも豚になにかコツを押してもらえれば日本代表レベルになれると本気で信じているだろ?
いっちゃ悪いけど、見えないパンチが打てるはずの豚はこの選手に一発も食らわすことが出来ないし、パンチを避けることも出来ないよw ま、秘伝いうなら秘伝でよろしねんけど、
「で、それ美味いの?」って話だすよ。
味覚なんて時代によって変わるし、人によっても、同じ人でも年によって変わるもの。 >>179
>さすがジャパン背負ってるだけ、さすがに全てが洗練されているよね
そうすか?
>見えないパンチが打てるはずの豚はこの選手に一発も食らわすことが出来ないし、パンチを避けることも出来ないよw
そうすかねえ。 >>182
あんさんに豚の品質を見分ける力量おますのん?(笑) そうだすか。
じゃあワテがあの動画で批判したいこと、あんさんに解説してもらえますかね。
どこがどうセミナーマジックなのか。 >>186 >>187
いや〜その都度「キン」って音がしそうだ
そんなに腰で突かれたら、たまらない〜〜
なんて、先生、大変失礼しましたっ オカダンさんが言うには、空手は型がむだで、打突の鍛錬が本領だそうです。 そうですね。昔は柔術(古流)の約束練習にかなり似ていたのではないか
と思いますね。掴んで蹴るとか崩して打つとか引っ掛けて突くとか。
形がそれを物語ってるんじゃないでしょうか。
打撃メインの今の競技空手から形を考えるには無理がありすぎますからね。
仮に競技限定だとしても、現代で通用する「強さ」を得ようとするなら、
形よりも突く蹴るを練習しまくった方がずっと有効ということになりましょう。 >>190
>そうですね。昔は柔術(古流)の約束練習にかなり似ていたのではないかと思いますね。
>掴んで蹴るとか崩して打つとか引っ掛けて突くとか。
その割にはそういう稽古伝わってないけどね >>191
形の中にはそれが残ってるのに、組手を始めてしまったことにより
分離していったのでしょう。というか、自由組手というのは後から
開発したもので、思い切り競技でもあり、護身術としての元々の空
手にはなかったものでしょうね。 >>192
>形の中にはそれが残ってるのに
ラジオ体操の中にもそれが残っていますよ。見る人が見ればですけど。 >>190
>掴んで蹴るとか崩して打つとか引っ掛けて突くとか。
形がそれを物語ってるんじゃないでしょうか。
同意だね。
すべてじゃないけど、型に多く出て来るパターンは掛けて掴んで突いたり蹴ったりだから。
型にスペシャルな効果を求めるのは無駄だけど
型によってそもそも空手はどういう戦い方を想定していたのかに思いを巡らすのは楽しいよ。
今風にいえば「コンセプトは何か?を探る」ってね。
少なくとも空手の型はキックボクシングのようなパンチとキックの応酬なんか想定していないと思う。
昔の沖縄の唐手家の鍛錬や逸話ってやたら握力を鍛えるのが多いよね。
拳を固く握るという意味もあったろうけど、相手の手足を指で引っ掛けたり掴んだりが重視されていたからじゃないかという想像はできるな。
>>193の人は「型にはなんの意味も込められていない」と言いたいのだろうけど
たとえば正拳中段突きは単にグー握って手を前に突き出している運動とは普通考えないだろ?
いちおう唐手は武術として伝わってるんだから、拳で腹を殴ってるんだなくらいの想像はつくじゃない。
そこはラジオ体操と違うところだよ。
それなら同様に掛け手の動作とか、十字受けをクリクリってやってから引き付けて突きとか
武術的に考えれば掴んで引き付けて攻撃の動作に見えるけど
そういう動作にすら何の意味も無いと考えるのはかえって強引じゃないかな。
「空手の型にいかなる意味も込められているはずがない」という強固な信念があるならまあそれでもいいけど。
しかし俺は今ちょっと型ヲタモードに入ってるなw 相手の手を掛けたり掴んだりっていうとすぐ
「ボクサーのパンチがそんなので掴めるか」みたいなこという人いるけどさ
空手の型はボクサーと戦うことなんか想定してないんだよ。
素人が不用意に胸倉掴みに来たとかそういう手を掛けて掴むくらい
腕力と握力を鍛えまくっていた古の唐手家にとっては容易なことだったと思うよ。 >>196
ボクサーのパンチも掴めると勘違いする人がいるからでしょうね 掴みありが良ければ
素直に大道塾で組み手やった方がよくない? >>198
その論理は行きつくことろ何やるよりもMMAやればいいになるからあまり意味無い。
型の意味や古の空手の戦闘法に思いをはせるのに、そんなのよりこっちのほうが強いみたいなのはどうでもいいんだ。 >>132
> 現実うんぬんよりも理想を語る。
> 理想を目指して稽古させる。
> そうでないと生徒や弟子が集まらんでしょ。
結局ここのアンチもある意味白状してるが、武道っていうのは現実だけでなく理想とか幻想も大切なんだよ。
空手も含めて武道から完全に型をなくしてスパーリングオンリーとかにしたら、間違いなく武道人口は衰退するし道場経営も成り立たない。
MMAとか所詮スキマで生きるしかないニッチなジャンルだ。ごく普通のお父さんお母さんが自分の子供にMMAをやらせたいとか考えない。
武道で飯を食ってきたいと考えている人間を特にこのことを肝に銘じるべきだな。ここのアンチはそれがわかってないお馬鹿さんなんだよ。でもさすがにうすうす気づいてきてるんじゃないか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています