153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 21
153系、157系、165/169系、
451/471/453/473系、455/475/457系、
キハ55系、キハ56/57/58系、キハ65形、
スハ43系客車、10系寝台車、12系客車
などの急行形車両について、楽しく語りましょう♪
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前スレ
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https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1675946699/
関連スレ
修学旅行用155・159・167系・キハ58スレ
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1250373002/
【キハ55】日光型総合スレッド【157系】
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1252886038/ 朝ドラの草薙君
あまりにひどい棒読みだろあれ。
大河ではそこそこだったのに彼はどうなっちまったんだ? >>4
ああいう飄々とした役に合ってるといえば合ってる
健さんが何演じても健さんみたいに 急行型というけど自分が乗ったのはほとんど普通列車なんだよな >>5
木村拓哉が何をやっても木村拓哉みたいなモノか
木村拓哉も165系のモーターの垢でも煎じて飲めば芸が広くなるかも 貫通路はあるのに幌を繋がず通り抜け不可だった国鉄電車急行は伊豆と東海+ごてんばだけか?
それから編成中央に荷物・郵便車を連結している国鉄気動車急行があったが、それは幌だけは繋いでいたのだろうか? 幌への謎の義理立てw
あったとしてもせいぜい
組合が作った仕事とかそんなもんじゃね 編成中央に荷物・郵便車がある国鉄気動車急行はなんやったかな? >>14
「のりくら」の下り夜行がそうだったと思う、曖昧な記憶ですまんが、
<キハ58|キロ28|キハ28|キハ58><キハ58|キハ28|キハ58><キユニ|キハ|キハ|キハ> 名ミオ+名ナコ?+名ミオ
前4両は富山金沢から能登半島まで行き、1日中能登半島で使用され、上り夜行のりくらで名古屋に戻り、
普通で岐阜から美濃太田に戻り入庫、夕方まで休み
後4両だが、1日中高山線内のローカルに使用され、確か840D?富山発名古屋行の普通で名古屋へ、
のりくらの夜行で富山まで行き、また高山線のローカルに使用
2編成の使用だが、急行への使用はこの下り夜行のりくらのみ
形式を入れていないのは、キハ58・55×2、28・26×1 で、組成順序は示されていたかどうかは忘れた
いずれにしてもこの付属属編成は非冷房だったと思う、47.3から53.10改正以降もこんな感じだった記憶
キユニの運転台側の幌はつないでなかったんじゃなかったかな、見ていないので不明
曖昧な記憶を長々とすまん 美濃太田のキユニは17・26・28だから貫通路付きばかりだな 四国のキユニ15は雑誌で見て強烈な印象が残っている トイレ残したかったから種車(キロハ18)同じなのに運転台付けた向きがキユニ15と逆というキニ15 >>15
1980年10月号の時刻表を見ると
急行のりくら9号 名古屋→金沢(珠洲)
4両が金沢(珠洲)行きで1〜4号車、1号車が普通車指定席で2号車がグリーン車
前7両は富山止まりでなぜか4号車の次が9〜11号車、郵便荷物車をはさんで6〜8号車となっていました
順番にすると1・2・3・4・9・10・11・〒・6・7・8号車の11両編成で
なんかわけわかんないけど今思えばすごい列車だったと あと文字に起こすとすごくわかりにくいのだが
名古屋発の先頭は8号車になるので8号車から9号車までの7両が富山行きになるということです 金沢・岐阜◀ ▶名古屋・富山・珠洲
[1 2 3 4][9 10 11][郵 6 7 8]
名古屋・富山・珠洲◀ ▶金沢・岐阜
上だと思うけど
方向転換があるのでわからなくなるね 高山本線のホーム有効長が短い駅で荷扱いする都合でキユニを中間に入れてあるのだろう。
ガラ空きだったとは思うけど急行列車で10両となれば車掌は2人乗務していたはずで、検札ができれば幌を繋ぐかどうかはさして問題なかったと思われる。 夜行のりくらは送り込み的運用を兼ねての長編成だったと思うけど
今は10両以上の長距離列車って特急でも少なくなったような気がする >>20
真ん中の3両は季節によって富山地鉄立山まで直通する「むろどう」
51.10改正時点では
岐阜←<キハ58|キロ28|キハ28|キハ58><キユニ|キハ|キハ|キハ><キハ58|キハ28|キハ58> で、最後3両は増1~3
帰りは名古屋着最終ののりくらで(これは55.10時点でも同じかと)、編成は
岐阜←<キハ58|キロ28|キハ58><キハ58|キハ28|キハ58><キハ28|キハ58> 全部名ナコ
キロは2000番台限定か先頭のキハ58をキハ65にして冷房化
最後尾2両は下りのりくら1号で富山へ、季節運転で宇奈月温泉まで延長(うなづき)
それの折り返し
>>23-24
当時高山方面への観光は高山本線が主、富山金沢へも夜行は高山経由になるから、登山客が多かったのもあり観光シーズンは結構混んでいた
中央本線も東西とも多数の夜行臨時列車が出ていた
だから上りの夜行のりくらは4両の名ミオ持ち基本編成のみ、但し美濃太田から岐阜までローカル列車の回送を連結(多分回送扱い)
再び長々すまぬ 10連固定ならE657ひたち
9連固定ならE353あずさ基本E257踊り子&波動輸送用
だから定期最長は踊り子の9+5かな
西は基本固定最長6連(682/683/289?)だっけ+付属3くらい >>11
東北のまつしま・いわて・ざおう・ばんだい・あづま・ときわ・もりおかも基本+付属で編成連結していたものの幌は繋いでなかったな
東北は6+6、常磐7+4だったか >>11
1970年代後半、東北のまつしま・いわて・ざおう・ばんだい・あづま・ときわ・もりおかも基本と付属で編成連結していたものの幌は繋いでなかった
東北は6+6、常磐7+4だったか >>26
683系4000番台(通称ヨンダーバード)は貫通9連ですよ
9+3で最大12連まで >>29
中間にしらさぎ683系ユニット組んで12両貫通編成があった 何で編成間の幌を繋ぐかどうかにこだわるんだ?
普通の乗客はビュフェに行く以外はせいぜい隣の車両のトイレぐらいまでしか動かないだろう。
末期の急行は車販さえほとんどなかったから車掌が少し不便なぐらいしかデメリットがないぞ。 編成で行き先違う列車に乗り込んだ場合、編成を行き来できないと間に合わないこともあるな 幌だけでなくブレーキホースとかも繋いでなかったからな
一番前で運転士が警笛鳴らすと最後尾の運転席に居る車掌がタイミング合わせてブレーキ作動させてた 捨てられた子猫数匹を家に持って帰って飼おうとしたら祖父母に大反対され仕方なく全部にガソリンぶっかけて火葬したよ
焼死体を箱に詰めて博多駅で西鹿児島行きのぎんなんの網棚に載せて見送った大学3年の秋
あの猫たち今も西鹿児島駅で元気に暮らしているんだろうか… 酒鬼薔薇って結婚して子供がいるんだっけ?
コンクリ犯も結婚して子供がいるらしいが、マジで狂ってる!
俺がそいつらの息子だったら耐えられなくて○殺するわ!
罪人の血は絶やさなければならない! 両数繋いでいてブレーキホース繋がないのって貨物ヤード時代のハンプ突放くらいじゃないの
営業列車とくにじゃないわな
セノハチの補機特に走行中解放やってた時期は知らんが 昔の地方私鉄で電車や気動車で貨車を1両だけ牽引するときとか >>44
いつからかわからないけど法規で列車のブレーキは貫通してないとダメだと思う
旧型国電や気動車は自動空気ブレーキだから制約はあるけど貨車のブレーキを繋ぐのは問題ない
>>43
瀬野八は繋いでなかった。151は繋いでないね。153はどうだったんだろう。まぁ控車いるから止まってるよね
あそこは特例だらけだけど10000系から走行解放でも繋ぐようになった 10000系貨車はEF59,61-200,67-0全部空気管持ち密着自動連結器で連結してたよな
ただ空気のコック扱いどうなってたのか
電車の密着連結器もコック扱いとかありそうだが(自動解結装置無しの場合) 空気管付密自連、密連とも連結→圧着することで開通する形(連結/解結によるコック操作とかは無し)だったかと思うけど違いましたっけ? 瀬野八用のコキフ10000とコキ104の10000番台は電連つけてる
補機側で解放前に空気管を締切できるようになってるね >>47
あれって4本のうちの2本しか使ってなかったと昔聞いたが
詳細ワカンネ EF59の密自連の空気管は上2本だけだからBPだけだな
後補機に元ダメ供給する必要ない 153系や151系はモハユニットをもう1つ増やせばセノハチを自走登坂できたのかね
8Mとはいえ6Tもあったら出力的に無理か 153で4M3Tでセノハチどうだったか
ただ14連は1本の列車には山陽じゃ過大だろう 京都と長崎・佐世保を結ぶ80系気動車かもめが14両だったよな
というか80系気動車も非力そうな割にセノハチは自走してたんだな
板谷峠は機関車に補助されてたが 153系8Mだと3200kWでEH10の2600kWをかなり上回るから昭和30年代の変電所容量では全線運用は厳しかったんじゃないか。 ディーゼルは遅いけど粘るから
板谷も58ならいけてた
速度を出そうするとダメなんだよね
瀬野八は上越で157や161がMT比次第でいけたから153も6M6Tの時に補機が必要だっただけだな
151はなにやってもダメみたいだけど >>60
153系最晩年はセノハチを4M2T(時々x2)で快速運用をしてた
もちろん補機なし余裕で
151系のMT比1であっても動力性能的には問題はないそうだが、
過電流で放熱ができず、絶縁破壊を起こしてしまう恐れがあるのでつかえないとのこと
高速度試験に使ったサロ抜きの4M2Tだったらいけたかもしれない
ディーゼルが登れるのは全て液体変速機のおかげ
放熱さえ問題なければ速度は遅くなるけど問題ない
181系の板谷峠での運用は結局放熱性能が足りなかったということ もしかして153系・151系にとっては関ケ原や山科の勾配でも実は結構キツかったのかね >>62
関ヶ原なら153系は4M6Tで越えてたよ 優等列車は10‰勾配の新垂井経由だしな。垂井線経由は113系が主で無かったっけ?
153系列が居なくなった後に新垂井駅が廃止されて普通は垂井経由オンリーになった。 >>64
垂井経由も速度の査定は111系4M4Tだったな
153・155系の列車でも垂井経由はあったはず
まあ153系4M4Tで中央西線槙ヶ根の25‰勾配をこなしていたから、何とかなってたんじゃないか 要するに、力行する距離というか時間が長くなって、発熱するのが問題なんだよな
槙ヶ根は2kmくらい?
瀬野八は10km超あるからなぁ 京都―膳所の上り坂とか大した事ないん?
SL時代は難儀したそうやが 能登っていまだにキハ58の急行が走ってるイメージだったが、今は急行どころか路線自体が廃止になったんだな のと鉄道にも昔は急行用車両があったな
結局乗れなかった >>69
能登って2005年にのと鉄道が廃止になった時点で既に終わった地域じゃないの?
近年地震のあった中越や東北、熊本と比べるとあんまり応援する気になれない >>73
能登空港の代わりに犠牲になったのさ<能登線 へぇー。外房、内房にも153系が使われていたんだ。 そもそもキハ26、キロ25、キハ28、キロ28の置き換えなんて全部153系でも十分 房総も秋葉原―千葉―成田空港と安孫子―成田以外は四国と同様、非電化のままでも良かった気がするな
これは宮崎―鹿児島中央も同様 今のアクアライン開通後の惨状はともかく当時は需要あったわけで
結局鉄道も道路もっていう交通行政の
高速バスとマイカーに主力が移行した以降の地方の鉄道を私企業にされたJRに押し付けるなと 関東だと東海道線・東北線・高崎線は急行・普通両方が湘南色だったのに、
中央線と総武線は急行は湘南色、普通は青い海と白い砂浜カラーに分けられたのが謎だったな
常磐線も同じ小豆色とクリーム色を使用しているものの塗分けを分けていたのも謎 湘南色は80/153/165/111/113系の標準色
横須賀色(スカ色)は70系の標準色
中央東線は70系新製投入、混用する72系、115系もスカ色に
千葉は旧型茶色、101系黄色、113系は横須賀総武直通計画後でスカ色
静岡管内ではスカ色が支線用一般車の標準色になってたので
身延飯田でも急行(80系/165系)=湘南、普通(旧国)=スカ色が成立してた スレ違いが続いて悪いが
御殿場線の72系がスカ色だったのもその流れか 115系スカ色は、Mcがあったり低屋根だったりということもあって区別しようとしたのかね? >静岡管内ではスカ色が支線用一般車の標準色になってた
これが静岡管内だけでなくて静岡以東の電化区間にも適用されていたから同じくローカル支線である横須賀線も例の色になってのかね
伊東線だけ例外なのは実態としては東海道線の一部という扱いだったからだろうか… >>88
当時湘南色もスカ線色も単なるローカルカラー
関西に80系が入ったときも関西急電色だったし 直流の急行型中間車には必ずあった換気用の妻窓
交直流車ではパンタグラフと床下機器を結ぶ超高圧ケーブルなどの関係で廃されていたと思ったけどサハ451やサハ455にはちゃんと有るのね 117系とか身延線115系出る前の新造車のカラーリングってほんとバリエーション少ない
急行的には特急格上げ前に使われた185系と急行用区分のキハ54 527~529が最後? 国鉄直流電車は山手線・中央線・湘南色・ブルーライナーなど色々な塗装があったのに、交直流は小豆色、交流は赤に電車・機関車の区別なく統一されていたのが残念だった
急行型なら東北、北陸、山陽&九州で分けても良かったと思う 横須賀線は線路を共用していた湘南電車との誤乗防止のためで国電は路線区別など案内上色を分ける意味があった
意味なく塗装増やしてもコストが増えるだけでメリットは無い >>88
伊東線は当初は線内列車は大船区のスカ色
1979年に国府津区に移管され全列車湘南色に >>97
伊豆急線の車両じゃないかと思ったけど、
それは白黒時代のCMで、
カラー時代のCMにはスカ色113系が写ってたわ 窓周りが朱色ではなく深緑色なのが北海道にいたが、
これはこれでよく似合ってると感じた