夜行列車総合スレ★28
日本の夜行列車も2022年11月現在で定期運転しているのはサンライズ「出雲」・「瀬戸」だけになり、
臨時列車で何とか走っていた「ムーンライトながら」もコロナ禍などの影響で正式に運転終了とされ、
残るサンライズもいつまで運行が継続されるか不透明な状況で今後が気になります。
その一方で「ななつ星」「四季島」「瑞風」「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」
「WEST EXPRESS 銀河」など、豪華な客室を売りにする寝台列車は従来の夜行列車とは全く趣向が異なる、
ツアー方式クルーズトレインへの業態転換が特徴ですが、これらもコロナ禍で今後が不透明になっています。
当スレでは、もはや輸送列車としては絶滅寸前となった夜行列車全般について、
過去の列車の思い出話を中心に語ることで雑談などをします。
辛うじて現役である列車やクルーズトレインは、鉄道路線・車両板の個別スレでお願い致します。
更に今後の夜行列車展望・要望案やフェリーの話や現役海外夜行列車などはスレ違いはお断りします。
※前スレ
夜行列車総合スレ★27
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1669508968/ ボックスシートだろうと座れるだけマシ
通路に新聞紙敷いて体育座りで寝るとかの時代 新宿23:55発の長野行き夜行441Mに乗って小淵沢(5:01着)まで新聞紙敷いて床に寝ましたけど? アルプスってみんな白馬で降りるの?
大町で降りるのって少数派なんかな >>295
悪くても寝ざるを得ない
いやなら通路に寝る
ムリに上野から青森まで座ってるとケツが痺れて、必死でたどりついた青函連絡船の雑魚寝が天国 初めて青函連絡船に乗った時は座席だった
高校生だったからか隣のおじさんがとても親切にしてくれた
おじさん、ありがとうございました。 青函連絡船懐かしいなぁー
初めて乗船したのは1975年の夏の終りだったけど49年前でもまだ思い出が染み込んでいる
上野駅から19:00発の急行八甲田で青森(6:15着)まで乗り、青函連絡船5便で津軽海峡を
越えたけど椅子座席の海側を押えたけど殆ど同級生とプロムナードデッキで過ごしたり、
船内食堂で朝飯を食べて過ごして5便は函館駅桟橋へ10:20に到着。
優等列車接続は11:40発、釧路行きの特急おおぞら3号と11:45発の網走行き特急おおとり
だったけど当時の道内特急には自由席連結がなくて当然の事ながらワイド周遊券の
自由周遊券は急行の自由席しか料金フリーパスで乗れなかった。因みに下り特急は北斗が
東室蘭から、おおぞらが帯広から、オホーツクとおおとりが遠軽から、北海が札幌から
自由席扱いになる号車はあったけど急行が多かったので困らなかった。
函館11:50発の急行宗谷の自由席で札幌まで行ったけど山線経由で16:30に札幌到着、
上野から札幌まで21時間30分の旅だったけど当時はそれが苦痛に感じなかった。
大学1年生での初めての北海道だったのと青森駅60分と函館駅30分の乗り継ぎ時間が
あったせいと夏のお盆輸送を終えた8月下旬からの旅立ちで乗り物が空いていたのが
幸いして退屈しなかったのが要因だと思われる。 まだ特急が特別急行としての面目を辛うじて保っている時代だったね。