食堂車・ビュフェ・カフェテリア 5
引き続き、会社を問わず、懐かしの日本の食堂車とビュフェの話題をしていきたいと思います。
食堂車・ビュフェ・カフェテリア 4 [無断転載禁止]
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1505186908/
現行の車内供食サービスやクルーズトレインのダイニングカーは下記スレにてお願いします
車内販売・ビュッフェ・食堂車&列車供食30食目
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1666248682/
クルーズトレイン総合【四季島・瑞風・ななつ星・Royal】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1646388671/ キオスクはあったけどコンビニやファミレスなんてなかったしね >>633
3時間10分だしな
食堂車を入れたのも博多開業を見越してのこと >>636
食事中に終点に着いてしまったときはどうしたんだろうか? >>636
7時間弱もかかっていたからまぁ必要でしょう 終着の1時間ぐらい前にオーダーストップして30分前には閉店で追い出してた
食べ切れなかったやつは残してくだけ >>638
JR時代の白鳥、新潟雷鳥、にちりんシーガイアにも供食あれば良かったが無理な話 >>639
特急「まつかぜ」1号博多行きの食堂車も下関付近で営業を終了していたな >>640
全区間乗り通す客より途中までや途中からの客のほうが多いから >>642
金沢で乗ったら指定席一両に俺一人だったことあるな@新潟雷鳥
その割に満席アナウンスするから何かと思えば加賀温泉で団体。 >>642
むしろそっちの認識が一般的
始点と終点だけを見て=乗車区間だと思ってしまうのは鉄ヲタ特有の錯覚 まぁいまは長距離が新幹線しかないからそうだけど、やっぱりはつかりは青森まで乗り通しが多かったし
そのためのやまびこやひばりや急行群だからな
地域によるだろ。北陸や九州島内特急なんかはそうなんだろうな >>639
元小学校教師だったウェイトレスが給仕する食堂車。
お残しは絶対許さず、食べ終わるまで下車させてくれない。
客によっては終点で回送列車になっても食べ終わらず、
泣きながら食べてる姿を見ることもしばしば。 >>649
車両は国鉄からの借り物だから乗務していい区間は決まってるし勝手な残業も許されない
パックに詰めて持ち帰らせるのがせいぜい 厳しいウェイターが乗務している食堂車
客が文句を言おう物なら「文句があるなら食わんでよい、早く席に戻れ」
と怒鳴られる。 【岩手→石川】「白鳥」最後の食堂車、小松へ 愛好者団体が盛岡から移送
https://nordot.app/1126241689277547006
485系食堂車@岩手県盛岡市→石川県小松駅前 >>648
それ連絡船経由で北海道へ渡る人たちだから 小倉、徳山、柳井港、呉、忠海
三原、境港なんか連絡船の風情があるよね。 >>652
よく今まで朽ちさせずに保存出来てたな。
白鳥と聞くと俺の脳内で何故かエデンの東のテーマが流れる。
何処でバグったのだろうか? >>655
昔埼玉に住んでた頃「おでんの東」って店があったのを思い出した。 >>635
あったのはキヨスク
キ「オ」スクというカナ表記は
JR東日本管轄の運営者が後年に変更したもの
それ以外の各運営者は国鉄時代からずっと
カナはキヨスクですよ >>648
地域によるんじゃなくて「利用者による」が正確やね。
乗り通し客の多い例にはつかりを出すのはおかしい
はつかりは北海道連絡列車だからな >>652
元北斗星や元トワイライトの車両は大幅に手を加えられてるけど、
そっちの方は基本的に原型のままだろうからな。
ベネシャンブラインドとかFRP製の椅子を復活させたら、
現役時代そのものになって昭和の雰囲気を再現できるし。 盛岡のサシは喫茶店として使われてたやつだから、ほとんど原型をとどめてないんじゃないか?
車内がどうなってたか、検索しても発見できなかったけど >>658
> はつかりは北海道連絡列車だからな
1M/2Mだと青森客は少なかったかもしれないが
他だと青森客も普通にいただろうよ 同志社前駅が開業した頃はサシ583が駅舎として使われ、喫茶店営業もしていた。
今は立派な駅になり、周辺も開発が進み隔世の環がある。 >>662
サシ583というのはない。583系の食堂車は全部サシ581。
それに昔の同志社前駅で駅舎に使用してたのはサシではなくサロ。
当初は国鉄の余剰人員対策も兼ねて喫茶営業もしてたけど、
JRになって電化されてからしばらくして単なる待合室に改装された。 >>661
青森に用事がある人と
北海道に行く人と
どっちが多いかと 666(σ・∀・)σゲッツ!!
666キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
666(・∀・)イイ!! >>667
食堂とは言わなかった。喫茶室。
軽食ぐらいなら有った。 蒲田の東急ターミナル寄りにサシ481が2両、レストランに改造されて営業してたけど行っておけば良かった JR九州が運営するパン屋のトランドールも元は小倉駅前のサシ改造のフランス料理店の名前だった 183系ってサシが製造されなかったけど、181系と混在していたときのときの食堂車はどうなっていたの? >>672
最初は181系のみ食堂車営業
のちに181系からも食堂車外されちゃったね 581/583系なんて当時はサシは編成から外せなかったから有明や雷鳥はそのまま営業休止してた >>672
ときに183-1000が投入される際サシ481を改造して食堂車営業を継続するという話もあったらしい
でもそうなると183系にもモロのユニットが登場していたかも知れない
485系の8M4T編成のようにサロ1両というわけにはいかないだろうし 仙台駅そばにサシ581の喫茶/軽食堂があった。
気がつけばいつの間にか消えてしまった。 列車食堂として使用するならともかく地上店舗としてならまずサイズからして向いてない
長さは20メートルもあるのに幅は3メートルしかないとか >>676
結局サシ481はつばさの電車化に転用されて183系ときは食堂なしになったとか >>563
はがきが1銭5厘の時代の50銭
現在は63円で来年85円に値上げ予定
当時の50銭は今なら2000円程度 金持ち御用達とまではいかんだろ
コーヒー10銭を基準(今ならさしずめ400円)にしても
現代の街の洋食レストランや和食レストラン(≠ファミレス)とたいして変わらんのでは >>676
その場合はサロ2両、サシ1両で13両編成したんじゃないかな
なお485系1000番台『つばさ』は計画ではサロ従来車+サロ車販準備室有だったが食堂車需要が有るんでサロ1サシ1に変更になったとか 当時、上野ではいなほを含む東北特急はサロ1・サシ1
とき・あさま・はくたか・白山の非東北系統はサロ2・無サシ
という不文律が有った 当時って言われてもなあ
はくたか、白山が食堂車無しになったの1978年だぜ
不文律なんていうほど期間は長くない >>675
雷鳥で営業休止はなかった。
雷鳥に運用されるようになって食堂車営業が復活。そのまま最後のサシ581となった。
そのまま営業休止だったのはしらさぎの方 とき・ひばり・雷鳥クラスの4時間程度の特急だと食事時間帯に全くかからない列車も少なくなかった。
乗客が多い区間と食事時間帯がうまく噛み合わないと食堂車は繁盛しないので、そういう面での難しさもあったと思う。
583系雷鳥はボックス席のため人気の時間帯を避けた運用をされていて、食堂車含めていつも空いてた記憶があるな。 0系使用ひかり号で名古屋⇔博多の運転のだけが営業していた頃。
ビュフェの品物や人員はどのように回していたのだろう。 白山のサシはサロ減車で復活しましたよね
6M6Tで大丈夫な線区と
8M4Tじゃないとダメな線区の違いも大きかったような >>690
日食とBTは名古屋にも拠点があった(博多にはもちろんある) 新幹線食堂車で一番豪華だったのはやっぱり帝国ホテルだったんだろうか?
イメージ的にホテル系2社がそう感じる
グランドひかりでの¥7000のステーキセットなんか本来ならトワイライトとか北斗星といった予約ディナーで提供するようなメニューだよね >>688
人員、列車を集約させるのが良かったのだろう。
また国鉄から委託の独特なルールがあったような。
>>691
1978年10月改正で、上野口特急電車の編成を揃えた要因もあったような。
上信越方面は183系ときと同一編成にして、181系ときと共に食堂車を無くし、189系あさまも12両編成にして、いなほ以外は全て6・7号車がグリーン車の同じ編成にした。
また東北方面の485系12両編成は、全て6号車がグリーン車、7号車を食堂車にして、ひばりの13両編成は無くなった。
そしてあいづに運用された485系9両編成も、食堂車が外された。 >>692
1985年3月改正の電車特急食堂車全廃時は、前年から段階的に食堂車を終わらせていた。
白山は1月までやっていたから比較的遅かったのでは?
一番早く終了は、青森所属だった白鳥・鳥海。
でもキシ80は、博多まつかぜもダイヤ改正前日まで営業した。 ひばりの13両は583だろ
あれは間合いのやり過ぎでぶっ壊れ始めたのと文句多くなってきたからやめたんだよ
東北の12両は3MGやるのに標準化して編成揃えた
183 1000番台もそうでしょ。3MGやる189の時点で食堂車はもうやらないことが決まってたし、急遽計画に上がった183 1000は数年後に転用決まってたしな
むしろ485がギリギリまで作ってた方が謎 今みたいに人口減少で働き手がいなくなっていく時代ならともかく
まだまだ人口が増えていた時代なのに食堂車が抜かれていくなんてねえ 廃止の理由は売上の減少
自由席が連結されるようになってからコーヒー一杯で粘る客が増えて大赤字になって経営が成り立たなくなった
ちなみに当時は相席が当たり前だったけど、満席にしても売り上げが立たなかった >自由席が連結されるようになってからコーヒー一杯で粘る客が増えて大赤字になって経営が成り立たなくなった
毎回したり顔でこういうこと言い出す奴いるが最初に言い出したの誰だろうな 飯食いたくてその場で待ってるのに
テーブルがあかなくていらいらしながら待ってる客だろ >>697
78年10月改正前までは485系13両もあったぞ!
1号車・2号車がグリーン車でクロ481を運用してたので、改正直前はひばりで数少ない両端ボンネット車。
その改正まで583系のひばりも1往復あったけど。 新幹線開業前の東北本線は酷使されて保線もままならず、揺れが酷くて食堂車もコップの水が溢れるくらいだったのかな? 急激に社会構造が変化していた時期だから、どれか一つの原因ってことではないだろう。
オイルショックによる景気低迷で東北上越新幹線の建設も6年遅れたわけだし、自動車や航空機の発達で国鉄も激しい競合に晒されるようになり年々財政が悪化していた。
特急に自由席が設けられたのも、それだけ本数が増えて大衆化したからであってね。 利益が下がったから給料が上がらない
1両あたりの売り上げが少ないから、客がいる限りは座席車にした方が儲かる
どれも密接にリンクしてて、どれか一つってことはない そもそもスピードアップで移動(拘束)時間が短くなって供食の必要が薄れてきた
地上店舗に比較して多数の人員が必要なので当然経費がかかる
社会の発展で同水準の賃金ならもっと労働条件のいい職場が増えて人が集まりにくくなった、
みたいな当たり前のことを言うより自由席の客がコーヒー一杯で…みたいなこと言ったほうが
話として面白いし食いつきもいいからな
鳥塚本人だって列車食堂業界の実体験もなければ調査や取材もしたことなくて誰かが先に言ったことをそのまま流してるだけだろ
(当人は真面目にそう思ってそうなのがアレだが)
列車食堂が歴史になっていけばいくほどこの手のキャッチーな言葉を鵜吞みにしてしたり顔でスピーカーのように流すんだろうな 鉄ヲタコックの宇都宮さんの或る著書では夜行急行・雲仙での勤務から話が始まっていた記憶だが、
その時刻表の抜粋を見て京都発―長崎行の列車ながらやはり大阪と博多で利用し易い時刻設定になっていて
やはりそうだよなメインは二大都市の大阪と博多で京都と長崎は或る意味では余禄なんだなと納得してしまった 京都2115→博多948→長崎1319
長崎1930→博多2235→京都1039
この運転時刻だと始発発車後30分で食堂営業開始として、夕食には遅く、夜の晩酌と朝食が勝負になる。
下りは昼食時間帯にもかかるものの、肥前鹿島1137発で長崎県内客しかいない末端区間。
座席車は九州内の区間利用でそれなりに埋まっていたとは思うけど、ボリュームゾーンはやっぱり大阪〜小倉・博多だろうね。 ボリュームゾーンは大阪〜小倉・博多だろうけど長崎発着が重要なんだな
それに下りはともかく、上りは博多から利用しようとすると通路やデッキに新聞紙敷いて座ることになるリスクもある >>696
1985年3月の電車特急食堂車全廃は当時としては明らかに行き過ぎだった。
所要時間3時間程度の列車ならともかく、当時は大阪−新潟・青森といった、
長距離を利用する客もいたんだから、そういう客の息抜きのスペースとして、
系統分割をしないのなら食堂車は残した方が良かったんじゃないかなと思う。
恐らく当時の国鉄も本音では白山や白鳥や新潟雷鳥を系統分割したかったとは
思うが、政治的圧力かなんかで系統分割できなかったんだろうな。 >>713
> 1985年3月の電車特急食堂車全廃は当時としては明らかに行き過ぎだった
それは当時の印象とは違うなあ 当時を知らない人が憶測だけで食堂車残せとかね
食堂車は高くて不味いってのは戦後ずっと言われてきたわけだし セントラルキッチンやサプライチェーンが充実した今を基準に考えるから
設備の限られた厨房で調理することの問題点が想像できんのでしょう
今時のオール電化キッチンのIHコンロが当たり前だと思ってたら
電気ヒーターコンロの非力さも分からんだろうしなあ 石炭レンジから電気ヒーターコンロに変わってコックが怒った
こんなのでテキ(ビーフステーキなど)が焼けるかよっね 石炭レンジの頃の食堂車は値段はともかく味はまだ良かったんだろうか? 電気レンジといっても家庭用のじゃなく直径30センチぐらいの蚊取り線香みたいなやつだけどな
石炭レンジには劣るかも知れないが(現在の)IHより強力 >>713
国鉄は食堂車縮小・廃止の方向になっていた。
昭和50年代は既存の食堂車でやりくりされ、サシ581は営業休止が多かった。
国鉄在来線で最後の新製食堂車は、昭和48年のオシ24では? 不味いとは思わないけど、駅弁や立ち食いソバとかと比べて高いのは確か
焼肉定食780円で駅弁は500円台からあったし、かけソバなら200円しなかったよね
まぁ運営する側の国鉄がやりたくなかったからな
1両まるまる使ってその程度の売上しかなくて、食堂車自体の製造費も高い >>721
> 駅弁や立ち食いソバとかと比べて高いのは確か
そんな当たり前なこと言われてもだな
今だって洋食屋の方が高いだろ 1980年頃にはもう在来線で5時間以上かかるようなところは新幹線か航空機に食われてしまっていたよ。
おまけに新幹線は運転本数が断然多く、限られたスタッフを新幹線の食堂車やビュフェに回したので在来線は手薄にならざるを得なかった。 >>720
サシ481も最終グループは48年
どっちが後かは未確認だけど >>724
24系客車は昭和48年10月改正から運用開始。
485系はつかりの運転開始も同じ改正から。
サシ481の最終増備は、恐らくそれに絡んだものだから、ほぼ同時だろう。車両メーカーの落成日が違う程度。 サシ481、489 のことをスシネタと言った・・? ネタの鮮度が悪かったのか、北斗星には無かった気がするが トワイライトにはキノコが生えてるスシがあった。 >>728
末期はキノコじゃない奴が一番不調だったみたいだけどね
だから特別なトワイライトの編成がああなった 食堂車が必要かどうかは
温かいものを食べたいところ、冷めたもので食べることを許容するかどうか??にかかっている。
昔からある典型は辨当。 >>734
シマウイ弁当は経木の箱がいい仕事してて
むしろ冷めて旨い弁当になってる。