食堂車・ビュフェ・カフェテリア 4 [無断転載禁止]©2ch.net
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引き続き、時代や会社を問わず、日本の食堂車とビュフェの話題をしていきたいと思います。
今回からはカフェテリアの話題もOKです。
前スレ
【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】3レ
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1358611883/ ガラスのクレア:
「銀河食堂からご案内でございます。
食堂の営業は9:00からの予定でございます。準備ができましたら
改めてご案内いたします。なおワゴンサービスのご案内です。
銀河食堂ではお飲み物、軽い食事おつまみなどを揃えまして
お席までワゴンサービスを行っております。どうぞ、ご利用くださいませ」 国内旅行もカフェ巡りもインスタ映えを意識していきたいところ
http://instaspot.jp/ 国内旅行もカフェ巡りもインスタ映えを意識していきたいところ
http://instaspot.jp/ 自由席特急券で485系スーパー雷鳥に乗った時の事。
予想通り自由席は満席だったのでラウンジコンビニエンスカーに移動して適当に席に腰を下ろすと・・・
店員の姉ちゃんがやってきて「ご注文は?」と・・・
「え?フリースペースではなかったのか・・・」と思いながら缶ビールを買ったと記憶している。 鉄ピク4月号(通算944号)で153系が特集されているが、サハシ153の豪華さに驚いた。
急行でここまでやるか?と思ったが、当時の急行は今の特急以上に贅沢な乗り物だったんだな。 >>10
白山にも同じようなスペースが有ったが
何かを売っていたという記憶が無いなあ〜 昔の北陸筋は489系や485系スーパー編成に
ラウンジカーをつなげたりサロ583を
フリースペースに供したりして楽しかった。 昭和40年頃電車特急「つばめ」で伯母と広島に行った時、
東京で乗車して間もなく食堂ボーイさんが、
お昼のお食事のご予約を承ります、と車内を回って来て、
1回目、2回目希望とコースの注文を聞いて書き込んで行く。
伯母はチキンのコースで私はお子様ランチだった。
食堂車で伯母の前に大きなママのチキンが運ばれて来ると、
伯母はウエイターさんに、お手数ですけど骨を外して頂けないかしらと頼んでいる。
ウエイターは心得たとばかりに厨房に一旦下げてそれから綺麗に骨を外したお皿を持って来た。
食事が終わった会計の時に、
伯母は手間を掛けたわね、と別にポチ袋を渡していた。
同じ頃、
常磐東北夜行急行「北斗」の2等寝台に乗ると、
寝台車専属の列車ボーイさんが居て、
駅弁やお茶を買ってきたり電報を頼まれたりで、
子供には「おぼっちゃま」「お嬢ちゃま」と言って至極腰が低かった。
駅に着くと付近で手摺を綺麗に拭って、
乗客の手荷物を駅の赤帽に受け継いでお仕事は終了。
なんであの頃はサービスにあんなに人手を掛けられたのだろう、
(2等は3等の倍の運賃で、1等は3等の4倍の運賃だったけど)
それとも人手が掛かって国鉄が赤字になったのか、
ある程度の富裕層ではサービスにチップは付き物と心得ていた気がする。 >>15
昭和40年には、すでに広島行きのつばめは廃止になっていませんか?
それはそれとしても、並みのサラリーマンが食堂車利用をするようになったのは
新幹線開業以降ぐらいでしょうね。 >>17
貴兄も良い資料をお持ちですね。
私の手元の1962−10の時刻表の
そのメニューではまだ寿司や麺類は登場していません。
定食類のお値段は同じですけど、
飲み物がそれぞれ5〜10円程安いです。
東海道線の電車急行の寿司はとうとう食べず仕舞でしたけど、
北陸線の電車急行ブッフェの麺類は
昭和50年頃になって大阪から北陸に出張に行く時に手軽でお世話になりました。
あの頃の看板特急列車の食堂は帝国ホテルも参加していて、
伯母もそれで満足していた様子でした。 >>18
にぎり寿司はあるけど、
メニュー記載がないだけです。 >>19-20
素晴らしい資料に囲まれるのが羨ましい。
私は1962-10がオリジナルでは最古の現物。
他は復刻版だけ。
当時、関東〜北海道を往復していた小生は、
青函連絡船の乗り換えは面倒だったけど、
朝の洗面がゆったりしてお湯も豊富に出た
船内の洗面所が嬉しかった。
足も伸ばせて歩きまわる事も出来たし。
但し、指定が無かった3等の乗客は「桟橋ダッシュ」を強いられた。
関門トンネルが開通していた関東〜九州各地の急行は、
24時間超えの丸一昼夜走る列車も多くて、
高い食堂車に行く訳にも行かず、
旅は苦労の連続の時代。 >21
贅沢な意見ですが、それを知らない世代にとっては本当に羨ましく感じます。 >>22
でも関門トンネル開通は、
1942昭和17年だから、ちょっとあやしい 学生の頃乗った、ウェストひかりのビュフェで食ったカレーが美味かったなぁ…
確か1000円しなかったのは覚えている。
学生には高い値段だったが、食堂車的にはかなり安い料金だったんだろうなあれでも。 >>27
昭和から平成にかけてのバブル期だった頃で?
ならば当時在来線で、北斗星・トワイライトは別格でも、末期の九州ブルトレもそんなにメニューは安くなかった。
あとは0系・100系ひかりのアラカルトか、サンドイッチといい勝負か! 食堂車の相場は料理が市井の二倍、飲料は同じぐらいと書かにゃずっと列挙されそうやな >>33
食堂車は、編成の中で流れている空気が違うよね
好き >>34
新幹線の0系の食堂車の通路とビュッフェ車には、いつもカレールーとコーヒーをミックスしたような
匂いが立ちこめていて、その匂いがまた良かったな カフェテリアったら、50系あそBOYの売店くらいしか利用したことないなあ。 新幹線100系のカフェテリアは、登場時は軽食、おつまみ、飲み物などの品数が豊富で、
いつも大盛況だったが、100系が「こだま」に転用されるようになると、陳列棚の品数も少なくなり、
夜間の100系「こだま」のカフェテリアの陳列棚は土産物のまんじゅうなどがわずかに並べられているだけのことも多く、
棚が空っぽの時もあった カフェテリアは列車からは消えたけど、東海道の「のぞみ」停車駅ホームには、
今でもかつての100系カフェテリアを彷彿とさせる販売コーナーが健在だからな。 >>17
見えて貰ってなんだけど、もう少し明るくならんかい https://www.youtube.com/watch?v=MdmUfPv-C_Y
寝台特急富士 食堂車に密着
乳飲み子を背負ったお母さんも食べに
来てるよ。懐かしいなあ。 鉄博でやってる食堂車の企画展みてきたけど
昭和中期から昭和末期にかけての物価の変化の割に
平成に入っての物価の変化の変わらなさにびっくりだ
ものすごく人が入ってるって感じじゃなかったけど展示期間延長してるんだな >>14
ラウンジカーって売店・カフェテリア扱いだったんだろうか?それともビュッフェ? アライアンスの最大のメリットは、自社名を冠した機内食をアライアンス内で共通メニュー として提供できることにある。
例えば今サマースケージュールでアメリカ夜発、羽田朝着という便がJLにもAAにもあるのは、 あのアメリカンブレックファストを提供できるからだ。
MHが成田夜発便を増便したのもKUL到着前にAA朝食を出せるから。
現在はエアライン名を冠した機内食の有無でエアライン選びをする時代。
エアライン側もそれを承知しているから自社名を冠した機内食の開発にしのぎを削っている。その開発の成功が航空輸送事業の成功に直結して いるのだ。 鉄の間でも食堂車派・駅弁派・駅そば派に割れるよな。
昔の文献で食堂車連結列車なのに駅弁食べる筆者や登場人物には共感できんかった。 そのうち、「名古屋のホームではうどんは出すな、全部きしめんにしろ」とか、
訳のわからない細分化が始まる。 国鉄ブルトレ14系と24系の窓って20系みたいな大窓なのに食堂車だけはサシ151に倣った横長窓。 >>47
どっちも営業廃止されていた14系さくらぐらいしか >>47 >>49
大阪〜青森・上野の「白鳥」のことを言っているのではと思う。
そうであれば、担当営業所が異なるので、味やメニューは個性があった。 このスレ重複だし、もう統一しようぜ。
紛らわしい。 >>51
もともと過疎っている板なのに
重複スレだらけだよな >>16
世の中の人件費がまだまだ高くなかった
現在ほど「女中さん」も金持ち専用でなかった時代ですね。
貴重な話をありがとうございます。 女給はいつの間にかホステスと言う卑しい職業になったのか。 青函連絡船が混んでいて貨物改造船にしか乗れず
海峡ラーメン食べられなくてorzな奴と
珍しい船に乗れたとあらまき弁当食べる奴は
同じ鉄でもわかりあえないんだろうな。 女給という単語は元々如何わしい意味合いもあった。
飯盛女の流れ。 >>58
青函連絡船ではグリル○○(○○は船名の大雪、十和田、羊蹄が入る)で
食事してからサロン海峡でまったりとホットコーヒーを飲みたいので青函
航路では定期船ばかりに乗ったよ。 VSEのシートサービスをやめていた時点で縮小傾向にあったには違いない スジャータってコーヒーフレッシュだけと思ってたらスープにも手を拡げてたんだね
しかも食堂車では定番 >>77
アイスクリームに至っては現在も新幹線の車内販売で絶賛発売中。 そもそもコーヒーフレッシュって牛乳由来じゃないでしょ インチキ車販、RJの乗車レポートで読んだな
山陰旧客鈍行のは正規らしいが、80系電車の
近江路の快速の記事のはインチキだっけか。 >>80-81 >>83
コーヒーに入れるいわゆる「ミルク」の成分はほとんど椰子油。
これが実は健康によくないので最近は全く使っていない。
保存料のBHAに発癌性。BHAが仮になくとも椰子油そのものが
成人病を引き起こしやすい。
ところがドトールコーヒーなんかではコーヒーを注文しても
牛乳を入れてくれないんだな。カフェラテを注文しない限りは。
これはとても困る。
国内の牛乳需要を高めるためにも、喫茶店でコーヒーに足す
無料の牛乳が定着してほしいと願っている。 >>86 牛乳苦手、アレルギーを持つ人が少なくない。 アレルギーはともかく味の面で牛乳やクリームよりもコーヒーフレッシュの方が好きって人とか居るの? >>90 植物油使用のアイスクリームが何でたくさん売られているのかねえ?
美味しくないどころではない、牛乳の乳糖が体質に合わないからまずいと感じる人もいるんだよ >>92 最近は常温保存牛乳もあるが、開封したらすぐ飲まなくちゃならないからな。 家で作ったパンは1日でカビるのに何某食品のパンは何日経ってもカビない!
と言っていた先生の話の本当の所がそもそも工場は家庭よりずっと衛生的だから、というのをふと思い出した >>86
だから俺はコンビニコーヒー飲まない
普通に缶コーヒー(牛乳・せめて乳製品使用)を飲む
コンビニコーヒー買っている奴ってバカだと思っている ブラックコーヒーしか飲まんから気にしてなかったが
コーヒーフレッシュやマーガリンとかショートニングの
身体への影響ってどれ位だかマトモに知ってる人って居るんかね
マスコミはスポンサーがデカいから何も言えんし医師もデータ無いだろうし マーガリン危険説はもはや過去の遺物でしょ 一昔前の健康ブームやエコブームは擬似科学の巣窟だった 摂取物に気を付けてる人に限って大酒飲みだったり、ヘビースモーカーだったりする >>85
近江路がどうかはしらんが湖東ローカルは以前車販乗ってたな
もちろん制服着用してワゴン押してた正規の車販
たぶん南陽軒(草津)か萩の家(大津)あたりの駅弁屋だと思うが ぶっちゃけフレッシュ入れたら旨く感じる人はいるのか?
オレにはわからんから旨いと言う人に思いっきり語って欲しい 国鉄在来線優等列車の車内販売は鉄道弘済会の独占事業だったな。 他から参入を認めてたら競争が働いてもっとサービス良くなってたかもしれないね 収益性の悪かった事業で競争を促すとみんな撤退しちゃうよ 収益性って時代や区間により大きく異なるはずなんだが。
収益性の悪い部門であっても自社の宣伝になり他の部門の黒字で十分補えるというのであれば参入するだろうが、そんなメリットもなければ参入しない。 独占で評判も悪かったから、国鉄が都ホテルや帝国ホテルなどに参入して貰ったのよ モグリ業者が居たくらいなんだから収益性は悪くないと思うのだか。
ショバ代が高過ぎた? 私鉄の車内販売も系列会社がやってるし、駅の売店も同様。 >>110
「モグリ業者」というより「モグリ個人」だな
ワゴンなんかじゃなく商品を両腕に抱えて売りに来る 公共企業体のままだったら系列会社との随意契約不可!公募による競争で広く参入を!
となったのだろうが民間会社だから系列会社との随意契約当たり前 車内販売、食堂車それに駅売店といった営業形態に参入希望する民間企業がどの程度存在するかだね。駅ナカや駅売店の一角で自分とこの商品を販売させてもらえれば十分、と考える企業が多いのでは? マクドナルド食堂車がコケた欧州ではスタバカフェカーが好評らしいね >>116
たしかにドリンクメニューは豊富なんだけどカスタマイズは出来ないし
フードメニューは通常の食堂車メニューの一品料理をを省略したような感じで
体のいい供食サービス合理化にも見えたけどね >>100
知り合いにそんな医者が居た。
食事もかなり気を付けていてスポーツジムにも通って汗を流していたが、
健康診断は「仕事が忙しい(本当は過度の飲酒・喫煙により悪い結果が出るのが怖かった)」を理由に全く受けてなかった。
結局40代半ばで勤務中に吐血して倒れて緊急入院。
胃癌が深刻な状態まで進んでいて半年後に亡くなってしまった。
まさに『医者の不養生』だった。
ただ医者としての腕はかなり良かったので亡くなって困った患者さんが結構居た。 ウエストひかりのビュフェメニューご存知の方居ませんか? 昭和60年3月改正を待たずに電車特急の食堂車が全廃になったのは、今にして思うと
予定していた分割民営化後を見越して、在来線昼行特急の食堂車をJRに引継がせない意向だったか?
大阪−青森の「白鳥」や、「白山」はせっかく2年程前に復活させたのにどうして?
と当時は不可解だった。
「雷鳥」は座敷車だんらんに改造したけど、結局利用不振だったし。
またその改正で、古いクハ481ボンネット車を九州から常磐線に転属させたのも、
古い特急車両を九州に偏らせない意向だったとも聞くし。 >>122
ありがとうございます!
シーフードカレーもあったんだ 白山やスーパー雷鳥にラウンジカー連結するんなら白鳥にも連結したらよかったのにと思う
>>120 ラウンジカーが出てきたのってJR化後でしょ?もうその時点で白鳥を長距離通し乗りする乗客は少なかったんじゃないの。 >>125
その問題じゃなく、どうして食堂車を全廃にしたかの話だろう! 利用客数が見込める新幹線部門に人員や予算配分を宛てる為にも在来線の食堂営業廃止に舵を向けたんだよ >>127
その新幹線も、利用者数が見込める皮算用でなかっただろう!
JR発足翌年に登場した100系G編成がそれを表している。 新幹線はまだ長距離利用客が見込めるから食堂利用を考慮する必要があったんじゃないの
採算面はある程度度外視して、長距離列車にはサービスとして必要って考えだったのかもしんないけど
食堂車付きのV編成だって民営化後に登場してるし
G編成は主に短距離列車に割り当ててたでしょ >>130
営業上はビュフェと案内してたけど設備的には食堂に近かったね
西日本の場合、在来線には一定の合理化を図った供食設備を有するラウンジカーを投入して
食堂要員は新幹線に集中投入してた感じか
あさかぜにもパンタ付きの新しいラウンジカー入れたりしてたよね
立派な売店カウンターもあったけど、あんまり活用されなかったみたい
所要時間で飛行機に敵わなくてもサービス向上で乗客を掴めるんじゃないかって目論見も民営化直後くらいまではあったんだろうなあ 85年の改正直前の時点で食堂車が残ってた昼行特急って
・雷鳥
・白鳥
・北越
・しらさぎ
・白山
・まつかぜ
・オホーツク
・おおとり
で全部か? あれ?北越でも営業列車あったんだっけ。
84年に乗った時連結してても非営業だった。 というか白鳥と白山はちょい前に食堂車なくなってるよな
北越は3往復時代で営業列車もあった筈 84年夏の乗車メモと時刻表が出てきた。
長野の帰り、あさまじゃなくわざと白山4号乗車
横軽区間でステンレス皿のカツカレー食いながらコップの水の傾きを見てた。
翌月に乗った北越はやはり非営業だったね。
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org685901.jpg >>129
東海で葛西が実権を持つようになってからは効率至上主義が徹底されるようになり、
食堂車などの長距離旅客向けサービスは無駄と切り捨てられていったからな。 今となってはまともな車内販売が残ってるの東海道新幹線と山陽新幹線くらいのもんだろ
むしろ良く持ってるほうだと思うが しなのに自動販売機あったのはちょっとびっくりしたわ
ひだ向けの新型車両はどうなんだろ >>132
オホーツクは85年3月改正で80系運用ができて復活!
改正前はオール183系運用で、食堂車なし。 >>138
編成組み換えか何かの都合ダイヤ改正を前に1月辺りで食堂営業終了だったな白鳥や白山 >>147
それは気付かなかった。60-3改正前やその前年59-2の前は
各地に旧客追っかけ専門で・・
当時18歳としては贅沢してたかも。同世代が18切符貧乏旅してた頃に
北海道遠征にTDAのヨーロピアンエアバスA300乗りたいとか
特急食堂車乗り歩きとか、バイト代フルに突っ込めたのは恵まれてた
85年100系ひかりのDD食堂開始にも乗れたし。
羨ましさを感じるのはナシ20やオシ17知ってる70歳くらい以上の方々かな。 せめて弁当とサンドイッチくらいは扱ってほしいけどねぇ >>129
その頃に新幹線で長距離需要なんて笑わせるな!
0系の巌窟な座席で長距離利用なんて、白鳥の関西〜秋田・青森の利用と似たり寄ったりw
85年頃なんか首都圏の国鉄職員でさえ、九州へは飛行機使う時代だったぞ!
思い込みだけで物を言うな!このでくの坊が。 >>153
じゃあ85年以降に新造食堂車が作られて東京博多間に投入されたのは何故?
需給予測が当たってたかは別にして、需要を見込んでたってことではないの? せめてスマートマルシェとかプチローソンとかみたいなのが
車内にあったら
「天気の子」を見ていてヲモタ 100系168は0系36の替わり
ただ、168を組み込むと打診した時には食堂車運営会社4社合同で猛反対したものの一蹴され、
その代わりに要員確保の名目で昼間特急から一律撤退(北海道だけはのちの北斗星とキハ183系車両更新の関係上86.11まで存続)
分割民営化してからビュッフェ(軽食堂)形式で一部再開したものの、結局は予約なし食堂車共々淘汰された 85年は好景気の始まりだよ、それから90年代前半までは夢と希望を追う時代
北斗星、トワ、JT各種・・・ダブルデッカーハイデッカーetc 183系、381系、24系25形から食堂車の新造はナシ。
183系は房総急行格上げ用だから分からなくもないが、あずさやときにも使われたからあっても良さげ。 要員や営業時間・距離の関係で183はビュフェかキハ183みたいな方式で充分だったのでは? 東北や関西のブルートレインにはオシ16みたいなのを連結してもよかったかも >>163
その末裔がオハ25 300番台とスハ25 300番台
1990年から1997年まで車内売店の形で営業していた >>157
>>158
話がループしちゃうんだけど、白鳥から食堂車を外して新幹線には0系の代替食堂車を新製して入れてるってことは
新幹線では長距離移動とそれに伴う食堂利用を一定数見込んでいて、白鳥では見込めなかったってことなんではないの?西日本なんかJR化後に改造ビュフェとV編成食堂車を作ってるわけで。
北斗星の食堂を引き合いに出したのは何故?営業方式が新幹線と違うし、北斗星の成功というのが具体的に何なのか分からない。
ところで北斗星食堂車の種車って白鳥から外れた食堂車? 『白山』のラウンジ&コンビニエンスカーを利用した方はいらっしゃいますか? >>164
国鉄時代製造のロビーカーにも売店カウンターがあったんだけど
ほとんど活用されてなかったんだよな
売店営業のために食堂車を繋いでおくくらいならロビーカーのカウンターを活用できなかったもんかと思う それ逆だ
食堂車を売店営業に使ってたから
ロビーカーの売店コーナーを使わずに済んだんだ >>165
それを言うなら>>120の意図が伝わってない。
60.3で当時の国鉄側が意図的に、電車特急の食堂車を全廃したかったのでないか?の話。
「白鳥」「白山」「新潟雷鳥」は利用率悪くなく、何もサシ481・489を
全廃させる事はなかった筈。
また新幹線博多開業から、国鉄食堂車も新幹線偏重があった。
東京〜新大阪運転の「ひかり」でも一部を除き全列車営業してた。
3時間強かかってたとはいえ、今から見ると過剰サービス。
東京〜博多の「ひかり」でも、稼ぎ頭は東京〜新大阪の区間だった。
それに国鉄が毎年の値上げで、新幹線の長距離利用のシェアも低下してきた。
それでも食堂車要員を新幹線に向けたので、在来線で本来必要な特急から食堂車が外されたり、
「くろしお」「やくも」のように、電車化と同時に食堂車終了の列車もあった。 その頃の私鉄特急はどうだった?
国鉄より資料が少ない分野こそ知りたい >>169
利用客数の見込みには大差ないのに、片や新幹線に食堂車要員を振り向けて片や白鳥の食堂車を廃止した意図が何だったのかって言ってるの? >>171
「白鳥」だけに偏るなよ!他の在来線特急もある。
つまり85.3までの国鉄は、何らかの理由で意図的に、日中の在来線特急の食堂車を
止めたかったのでないか?の話。
「白山」もせっかく食堂車を復活したのに再度廃止して、JR化後にわざわざ
普通車を改造してラウンジ&コンビニエンスカーを造る必要がどうしてあったか?
分割民営化も既に計画に入ってたから、複数会社にサシを運用させたくない
何らかの理由があったと想像できる。 何らかの理由ってかとにかく単にできる合理化は進めたかったって話じゃない?
郵便荷物輸送やヤード輸送の廃止とも重なるし
国鉄に対する突き上げが一番厳しかった時期でしょ そういや381系への食堂車やビュッフェの設置って需要や人員以前にそもそも可能だったんだろうか?振り子式だしなんか重量バランスとか厳しそうじゃない? >>173
だったらソースを出せよ!偉そうに!
>>174
「しなの」も気動車特急時代は食堂車はあったね。
「しなの」電車化直後に、「あずさ」の食堂車廃止が決まってたのと、
乗り心地や揺れで非難されたので、食堂車の設置は見送りになったか?
思えば381系デビューから、在来線特急の食堂車が衰退に転じていった。 >>172
「何らかの理由で意図的に、日中の在来線特急の食堂車を止めたかったのでないか?」のソースは?
「何らかの理由」とは、具体的には? 18切符の代わりは周遊券で、
1〜3等時代を知っている身としたら、
食堂もブッフェも採算が悪くて、
運営会社は天下りでの忖度で運営関与を続けたけど、
新幹線を含めて優等列車の急増で、
要員確保と人件費負担で限界が来ていたと。
鉄道会社としても、
食堂車からは運賃収入が無くて、
ただでさえ鉄道運賃収入での採算が低下して、
座席を売りたかったのでは?
長距離便の飛行機での機内食方式は、
停車駅が多くてサービス時間が定まらないし。
思い出を一つ書くと、
新幹線開業前の電車特急「つばめ」では
確か帝国ホテルが担当で、
一緒に乗った伯母がチキングリルを注文して、
「骨を外して下さらない?」とボーイさんに言ったら、
綺麗に外して持ってきたのは遠い昔の話。 >>175
381は高速化してつける必要ないって判断したんだろうな
3両ユニットとかしてる時点でサシは計画にもなかったんだろう。ときも上越新幹線が遅れ
なければ183-1000はいらなかったし、直流区間は長距離特急がなくなるからって話で
オシ24は1972年、サシ489は1974年まで作ってたんだから1970年初頭までは必要なら
まだやる気はあったんじゃないかな
1975年くらいから国鉄は急におかしくなったから、食堂車がやっかいになったのは増収しよ
うとして特急増やした53.10あたりじゃね >>175
他人を偉そうにデクノボー呼ばわりしときながらその言い草はないだろう
思い込みで語るなとか言っときながら自分だって思い込みでしか語れてないし >>172
さすがに白山や白鳥、新潟雷鳥までを食堂車を外したのは天下の愚策でしかなかったからな >>180
供食は車販で弁当売れば大丈夫という判断もあったんだろ
車販NG,食堂車でないとダメという理屈にはあまり説得力ないしな >>181
ペンドリーノやICE-T、スイスのICNには普通に食堂車ついとりますがな 実際にも食堂車でメシ食う客より自席で弁当(持ち込みでも車販で買っても)食う客の方が多いわけだし ペンドリーノと日本の振り子式車両って仕組み違うんじゃなかった?
>>183 車体傾斜機構付きで供食設備を有する車両は日本では小田急のVSEくらいか >>178 名古屋から長野まで三時間なら食堂車の需要は少ないという考え方。
白鳥などより長距離の特急でも三、四時限乗り続ける者は少なくなった。途中で客が入れ替わるだろ >>175
他人にはソースを求め自分はソースを示さず高圧的な態度。
自分が独善的なのにも気づかない。
甘やかされて育ったんだろうね。親の顔が見てみたい。
賛同だけがほしいのだろうか。チラシの裏にでも書いてれば。 >>186
その機能も5年前に実質的に封印
車販準備機能も2か月後には終わる >>189
1/8からロマンスカーの車販は営業中止だが
3月までそのままだったりしてな >>187
長距離列車でそんな短区間の客層もあったけど、それを言うなら新幹線も同じ。
そんな実情だったので、300系以降は食堂車が無くなった。
東海の運用効率化も含まれるが。 新幹線の場合は時間と効率だね
平成経済の失われた30年がなければまた違ったかも
コンビニで買って持ち込む(車移動でも)そんなチープな時代だよ
富裕層向けクルーズトレインやレストラントレインは成り立つわけで
効率的移動と食事が両立できない世知辛い世の中なだけ そんなにみんな金がないならなぜ東京駅の祭で高い駅弁が飛ぶように売れていくのかね
大丸地下のたっかいたっかい弁当やら惣菜やら買ってくる連中も結構いるぜ >>192
でも300系はまだ売店があったろ
100系G編成のカフェテリアからの流れで 地方駅は駅弁の取扱がどんどん縮小してるけどね
業者の淘汰も進んだし >>194
東京ですよ。平均所得突出してて、客も途切れないから商売成り立つ。
地方は>>196の言う通り。
ただ、出張で西都城行ったら駅内じゃなく外の元駅弁屋が賑わってた。
誰ひとり駅には行かず全員車で取りに来ていたが。 >>198
うん、なので暫く宮崎帰れん・・・
県独自緊急宣言とかいっちょるし >>192
そもそも食堂車を利用するような長距離客自体がが飛行機に転移したから、
長時間乗り通す客も少なくなったのは確かだからな。
東京−博多直通にしても新大阪などで多くが入れ替わるのが実情だし。 >>200
全くその通りだし、今でも東京〜博多運転ののぞみもそう。
JR東海はそれを着目して新幹線食堂車をやめる傾向になった。
西日本は当時のバブル景気と、山陽〜首都圏客をターゲットにしたのもあって、
100系V編成を造った。 >>174
381系が具体化する前の591系ベースでの計画(1970年作図)だと大まかな図のみだが食堂車が書かれてる
もっとも同時期に検討してた売店車の構想に近い配置なんでこれを単につけただけかもしれないが >>120
加越は新造車で編成されていたのに召し上げられて中古車
を宛がわれていたなあ。 >>125
ラウンジ&コンビニエンスカーの登場は国鉄時代では? >>208
白山のラウンジ&コンビニエンスカーは平成元年からじゃね?
雷鳥のだんらんは国鉄時代だと思うけど >>209
白山のラウンジ&コンビニエンスカー登場は、その1年前の昭和63年。
それと同時に金沢支社の変態白山色の塗分けに変わった。
どのみち>>208の国鉄時代ではない。
雷鳥のだんらんは昭和60年3月からで、国鉄時代は正解。 『夢空間』の食堂車は北斗星のように予約制だったのですか。それとも先着制? >>211
当初の「トマムスキー」では予約制でなかった。
定期の「北斗星」とディナーがメニュー・値段も違っていた。
臨時「北斗星」で運転になってから、予約制に変わったような。 >>85
インチキ車販を最後に見たのは1980年、東北本線久喜付近。氷菓。車掌に見つからないかキョロキョロ。だから逃げ易い各停。 >>211
1991年1月24日に北斗星トマムスキーのESに乗った時はディナーは予約制でなくて
夕方放送後に利用者が集まって時間と席の位置とメニューを事前に決める感じでした
メニューは肉中心コースと魚中心のコースがあって両方とも5000円でしたが北斗星とは
メニューが違うショートコースで魚コースだとメインメニューが海の幸のクリーム煮、
嫁が食べてた肉コースはビーフステーキでした 夢空間に乗った人いるのかなと思っていたら
いたので驚いた JRタワー完成に合わせて運行されたときは
割と運行頻度が高かったよ
三国清三氏プロデュースのディナーが売りだったけど
三国シェフどうしちゃったの?と言いたくなるブイヤベースだったな
当時すでにスイス向けの機内食でセントラルキッチンで出来上がったものを
乗りもので提供するノウハウはあったはずなんだけど 夢空間ならカニの他は開放ハネのみと組んだ編成の貸切列車に乗った事があるよ。
食堂車も営業。 >>216
その頃はクリスタルラウンジ「スプレモ」にバーテンダーが常駐して
カクテルとか酒を作ってくれた時代なので一番いい時に乗ってるかも
それもESって1部屋しかない1泊6万円(乗車券別)のエクセレント
スイートとはラッキー 今考えると煙草臭くて地獄だな。煙草の煙は無害だと思っていたのか。 上越新幹線のせいぜい片道2時間くらいの列車にビュフェがあった時代が懐かしい〜 このビュフェ車にデジタル式の速度計や公衆電話も設置されていたね 厨房時代の修学旅行でこっそりと一人でビュフェまで社内探検した。 ときは揺れが酷く食堂車のコップの水が溢れるくらいだったって? ビュッフェ有200系時代は最高速度210kmだしそんなに揺れるイメージじゃなかったが。 フル食堂車メニュー、と言ってもカレーやビーフシチュー・うなぎなどは湯煎・缶温め・レンチン主体であったと思う。
昭和50年代までは焼肉定食とか焦げ目がある如何にも焼きたてだったし、フライ物もちゃんと挙げてたと思う。
そんな東北本面の食堂車がほぼ全滅したあとの200系ビュフェはいかにもチンケであった。
が、セルフながら当初はビールも瓶の栓を抜いてガラスのコップだったし、カレーもちゃんとした容器とナプキンにくるまれたスプーンと水もガラスのコップだったと思う。
すぐにコップその他ほとんど使い捨て容器となり、ビュフェも終わり近いと感じたものだ。
そんな200系(0系37の流れか?)ビュフェも今ではととてもなく贅沢に感じる…。
当時は食堂車が無くなっても駅や車内で駅弁等が充実しており、選択肢として有難かった…。
自分はほとんど「やまびこ」だったし、「とき」ではビュフェに行った記憶がない。
新潟の駅弁が好きなのと、最大乗車時間2時間程度だったのもあるだろう。
聚楽の「おけさごはん」とか何とか「わっぱ」は如何でしたか? 時代が悪かったか、昨今の静かな鉄道の旅ブームなら食堂車も生き残れたかもしれない。
しかし、コロナと言う新たな伏兵が潜んでいたとは知る由もなかった。
メニューにコロナビールはあった? >>229
コロナビールのメニューはなかった。
コロナ禍の影響で、はやぶさ、こまちなども引き続き車内販売休止のままなので、食堂車だとすればやはり当面休止だろう。 特別ビイフステーキ定食とか特急にしかなかったり、洋定食は特急急行で
値段が違ったり、どんなものだったろ。 >>229
>静かな鉄道の旅
一人でこっそり乗り鉄してお土産も買わない旅ですね分かります >>166
実家から大学行くのに利用した
あさま、白山は全く停車せず、急行の一部のみ停車の深谷駅から利用してた
晩年たまにあさまが停車するようになり、確か9時21分深谷停車があさまから白山に変わり、金沢まで400キロわずかに切るのでグリーンも良く利用してた
深谷は下りのみ停車だった
ラウンジ&コンビニエンスカーはカレーライスが販売されていて毎回食べるのが楽しみだった 白山号→白山ランチ 安易であるが
雷鳥号→能登定食 何でだよ ってなるw >>236
内装が綺麗だな
てっきりJR時代のビュフェかなんかかと 通常のやつと食堂車に卸すやつで違いとかはあったのかしら この写真、白山の食堂が復活した1982年から85年の間なんかな 料理の内容的に白山ランチと能登定食の価格差が腑に落ちん。
白山がコスパ良いのか能登が割高なのか。 >>247
かつて、ふたばちゃんねる か おんぷちゃんねる で
拾った画像なので本の名前不明。子供向けだとは思うが 列車(店)によって価格が違うのはむしろ当然
>>248 は駅によって駅そばの値段が違うのにもケチつけそうだな 能登定食のマスの塩焼きの奥に盛りつけてあるものが何なのか気になる。 >>252
右隣のキュウリやトマトからして生野菜だな
鱒の左隣はタルタルソース 今のファミレスでも和定食系のほうがやや高め
ちゃんと料理しようとするとたしかにひと手間掛かるね。
おひたしもあるし、なめこ汁だけで鍋一つ作りおきは
シチューみたいには出来ないから。
白山のほうが豪華に見えるのはチキンカツ?の横に煮込みか何か
添えてるからだろうか。 >>254
揚げ物右隣は下にパスタが敷かれてあるからトマト系のソース和えにエンドウ豆を載っけているね。 朝、たまにハムエッグを作って丼飯に乗せて味噌汁を添えて、セルフハチクマライスやってる。
その日の気分によって、濃い口醤油かウスターソースをかける。 白山の食堂車では、碓氷峠通過時コップの水が溢れそうだった? 今年中はJR東日本の新幹線車内販売は、なしのままかな。 サフィールもそうだけど今月いっぱいはなしだな
スペーシアのホットメニューもコロナ問題以上に生産終了で再開しないだろうね
https://www.nichireifoods.co.jp/product/automatic/ >>259
緊急事態宣言が5月末までの理由だが、サフィール踊り子を除き今年の車販は
断続的に休止してる。
6月以降も緊急事態宣言延長が囁かれいて、そうすると年内は断続的に復活なしで、
東北・北陸新幹線などの車販はこのまま廃止もあり得る。 小田急の走る喫茶室もいつの間にか無くなっていたんだな。
利用してみたかったな
ってか未だにVSE未乗車だわ… 海老名でクールケーキは食べられるから
それで往時をしのぶしかない 森永エンゼルコンパニオンの夏服が印象に残ってます。 夏の森永って白いのだっけ?
紺の冬服に黒タイツも良かったように思う しかしエンゼルコンパニオン夏の制服をみたが、
若干記憶と違っていた。。。
やはり記憶は修正するんだね リニア中央新幹線ができたら、東海道新幹線に食堂車やビュフェやカフェテリア復活しないかな? 食堂車復活どころか路線自体が三セク転換される恐れがあるぞ。 >>268
東海交通事業が東海道新幹線の運営を引き継いだりして リニアがのぞみの役割引き継ぐから、東海道新幹線はアミューズメント性も向上というようなこと見たから、楽しみではある。
期待してないがw リニアは定員1300もないし
ポーディングブリッジで登場するから1時間最大8本も運転できないしで
繁忙期には明らかにキャパ不足でその救済をのぞみで行うことになるだろうから
どうだろうか >>271
新大阪駅までリニア開通後はのぞみ廃止予定。
けれども静岡県でモメているから、
30年経過しても名古屋駅止まりで無理そう。 こだまから車内販売無くしたんだしあまり期待できないけどなあ 確か静岡で売っていたこだま弁当は安くて美味しかった たしか静岡も知事選挙あるんだよな。
川勝負けろwww!! >>273
静岡で揉めてたら名古屋すら怪しいのでは? >>278
名古屋までは通さないと、
JR東海の経営が難しくなると思います。
静岡県知事が川勝から変わる時を待つか、
迂回ルートにするか、
何らかの対応を取ると思います。 静岡は一番安い幕の内が一番美味い(東京駅でも売ってるが)
あとマス寿司 九州ブルトレののメニューはさくらは最後までちゃんぽんがあったみたいです。
最終日のさくらのドキュメントをテレビで見ましたがさくらは丼メニューが中心とありました。
末期の九州ブルトレ食堂車はさくらだけ他の列車とメニューとちがっていたのでしょうか? >>285
食堂車最後の頃、
ズームイン朝かNHKでVTR放送されていた時、
リポーターの女性が、
ちゃんぽんと皿うどんを紹介していました。 出雲号、食堂営業中止後も車両は連結していたので
食堂車で車内販売から牛丼を買って食べた記憶がある。 >>288
ラウンジみたいな感じで、使うのは自由だったの? >>289
2006年に廃止されるまでフリースペースだった まだそれでも気分が味わえた。
どうでもいいが、まだそのころは意地の悪い駅員が
多かった。 285ですが287さんの記事見たことあります。
現役の頃は末期までさくらの食堂車にちゃんぽんなどのメニューがあるとは思いませんでした。
国鉄の日食長崎の頃は知っていましたが東京側に拠点が移されたあとも残っているとは思いませんでした。 >>295
デビュー当初のチャオとかシューマイは見た目はだいぶ頑張ってたけどレンチンだったね
比較的末期は四角いボックスに入った自販機用みたいな冷食をもう隠すのあきらめた感じだった 垂れ流し便所スレで食堂車の話題を振ったら怒られてしまった。 車内で暖かい料理を提供することがどれだけ大変なことか 787系のレンチンはよく出来てたよな。
味もまだ良いほうだと思った。中華は油出てもごまかし効くからいいよ
ニチレイさんが提供終了じゃもうだめだね 今思うと揺れる列車内で石炭レンジで
肉焼いたり飯炊いたり
すごかったんだね
おいら体力ゼッタイ持たナイ 今思うと揺れる機関車内で
ひたすら石炭くべて
走らせるってすごかったんだね
おいら体力ゼッタイ持たナイ 国鉄民営化直前に博多あさかぜがテコ入れされたけれども思いのほか長持ちしなかった
北斗星のテストベンチ的な意味合いもあっただろうけど
日食が分割された時に新博多(営)がジェイダイナー東海に組み込まれたのも痛手だったかね・・・ >>304
あさかぜは国鉄末期とはいえ、赤字国鉄の予算の制約内で行ったため、それが精一杯だった。
北斗星も国鉄時代から構造はあったものの、本格的着手は民営化後で、
予算の制約をあまり受けず、民営化後の発想の自由が許されていた。 なお電車用の食堂車を客車に転用する発想にはついていけないオタ多数 あれを最後まで認めたくない喧しいヲタは居たよな。
北斗星とトワは邪道と言い張る国鉄原理主義者。 ついていけなくはなかったけれども不思議だったな
オシ14やオシ24の余剰はホリデーパルにしたりロビーカーにしたりで無くなってた?
寒冷地対策にしたってTESのスシ24はキノコクーラー車だったし >>308
うん、足りてない。 オシ24は5両しか製造されず、それは全車700番台化
オシ14が14両中5両24系編入と2両がロビーカーへ、1両がホリデーパル
電車改造はスシ24が北斗星8両とトワの3両で11両も必要だった。 何度目かのループ
国鉄としては昭和50年にはごく一部のブルトレ以外は寝台特急から食堂車を全廃する気だったから
昭和47年前半時点での投入予定
品川配置 16
はやぶさ・富士 各3
博多あさかぜ・みずほ・さくら・浜田出雲 各2
宮原配置 3
日本海 2
しかし、北陸トンネル火災事故で14系と24系が分離するとかいろんな事情によって、日本海への投入はなくなる
どうしてオシ14とオシ24の共通利用が可能な配線へ改造しなかったのか不思議
昭和53年10月時点で
オシ14 14-5
みずほ・さくら・出雲市出雲 各2
予備 3
オシ24 5+5
はやぶさ・富士・博多あさかぜ・浜田出雲 各2
予備 2
あとは語りつくされているから省略 大昔の200系やまびこのビュフェはおでんとかカレーがテイクアウト出来たんだよね。子供の頃盛岡到着前にカレーを買って、はつかりで食べたけど、今思うと臭いで迷惑かけてしまったな。 何となくだけど、新幹線で買ったら
その新幹線の中で食べたくない? >>312
なんでだったかな?まだ小6か中1位だから座って食べたかったのかも。
後は盛岡到着がお昼前だからかね。 詐欺容疑で四方田 尚美 容疑者逮捕(飯能市)
職場同僚女性から計三回にわたり現金をだまし取ったとして、埼玉県飯能署は23日、
飯能市双柳在住、有限会社アド勤務、四方田 尚美 容疑者(61)を詐欺容疑で逮捕した。
調べによると四方田容疑者は2018年より2020年にかけて職場の同僚女性(73)に
「不動産修繕費用を貸してほしい。」と噓をつき、三回にわたり現金計約800万円をだまし取った疑い。
四方田容疑者は「疑う気配がないので何度でもお金をだまし取れた。ATMを持った気分になっていた。」と供述。
有限会社アドは「このようなことになって非常に残念。事実関係を確認し、厳正に対処する。」とコメント。
(2021年7月23日 毎日新聞) >>306
大篠津で余剰化してたキサシ180と新鶴見や厚狭で不遇を託ってたナシ20を25系用に流用出来なかった国鉄の車両マネジメントに於ける無能振りも >>315
その前に新幹線博多開業の改正から、九州で「有明」3往復の営業のみで、サシ481を無駄に集結したのもある。
思い切って早く「有明」の食堂車営業を見切れば、78年10月改正で、「白山」「はくたか」の食堂車を外す必要もなかったし。 売ってる時刻表にまだ食堂車記号凡例残ってるけど
どこに使ってる? 1975.3.10
改正前581・583系食堂車運転「有明」南福岡 : 改正後581・583系運転「有明」向日町
門司港0700→1243西鹿児島 : 門司港0655→1253西鹿児島
博多1055→1534西鹿児島 : 小倉1022→1612西鹿児島
博多1310→1739西鹿児島 : (時間が違いすぎるため略)
西鹿児島1059→1550博多 : (時間が違いすぎるため略)
西鹿児島1344→1816博多 : 西鹿児島1412→1904博多
西鹿児島1715→2304門司港 : 西鹿児島1707→2329門司港
改正後485系(481系含む)食堂車運転「有明」鹿児島
有明下り5・8・10/上り2・4・5
下5 博多1316→1816西鹿児島
下8 博多1616→2125西鹿児島
下10 小倉1722→2300西鹿児島
上2 西鹿児島0708→1204博多
上4 西鹿児島0901→1459小倉
上5 西鹿児島1013→1504博多
食堂車付専用4本だけ作れば済んだ話
鹿児島サシ481 14両 →1980年10月に全車取り外し、1981年8月末までに1-9の9両廃車・1985年後半に残り廃車
南福岡サシ481 6両(にちりん用。ただし食堂車は営業せず)→1975年9月に全車秋田転出 昭和48年のオシ24以降、国鉄在来線で食堂車を新製しなくなり、既存の食堂車を活用で非合理な転用が続出していった。 おそらく在来線食堂車で国鉄時代最後に新製されたのは、1974.8.30のサシ481 75が最後と思われる >>321
そのタイミングのサシ481新製は、何だっただろう?
1974年は10月改正がなかった。
翌春の新幹線博多開業で、485系配転を見越してかな?
その改正で「しらさぎ」は向日町の481・485系から、金沢の485・489系に替わったし。 正直分からんというしかない
あり得るとしたら、サシ481の初期版をサシ181化して183系1000番台ではサシを作らなかった「とき」へ投入するため?
1975.11時点サシ481/489配属
鹿児島 14(実用3+予備1で賄える)
向日町 13
金沢 (481)4+(489)14 489系は雷鳥・白山・あさま共通運用(うち「あさま」3往復)
仙台 17
青森 22
秋田 6 (1978年に「やまばと」「いなほ」新設で追加必要なサシは6両)
(183系1000番台「とき」 新潟7本)
鹿児島 14-4=10
→7 183系化新潟「とき」
→3 秋田追加(引通線増設必要)
金沢 あさま分を別にして(489)3を485系編成に繋ぎ、その玉突きで(481)3
→3 秋田追加(引通線増設必要) 当時向日町が13両なら、鹿児島の14両は無駄に多かったな! 鹿児島(+南福岡)へあれほど食堂車を回したのは、おそらく地場の駅弁屋の新規参入を諮っていたのだろうと推測する
鹿児島サシ481
1-7 サシ183化
8・9 →仙台60・76→秋田へ
23-26 そのまま残す
30 →青森64→秋田へ
秋田(元南福岡) 57,58,59,61,62,63
玉突(元仙台) 60・76
玉突(元青森) 64
玉突(元金沢) 65-67
これで秋田車は57-67と76のほぼ連番 うろ覚えで恐縮だが東海道線焼津駅側線で廃食堂車利用?の
レストランがあった記憶があります。 >>304
九州の日食は在来線部門が非力だった故にJR九州の同業子会社に合併されたのも云わば後のNREやFSNの先駆的ケース
FSNの前身たるにっしょく西日本はJD東海の云わば分身的請負業者として博多に進出した経緯も有る
因みにJD東海の新博多と広島は後にFSNへ吸収分割されてるのは御承知の筈 サシ481&489&581等をビュッフェスタイルに改装して食堂車で常態化した粘る悪質客に因る低回転率の一掃を図り
営業形態を旧態依然としたフルコースから軽食中心転換するメソッドすら導入出来なかった国鉄車両マネジメントや業者側の無能無策振りは人災でも有るのだ やっても無駄だったがな。 欧州も一回そっちに向かって失敗してる
好景気にグランシャリオやダイナープレヤデスにした施策のほうが賢明だ。
全予約制で高単価、これは21世紀に入った今もちゃんと機能して好評 サフィールも新システムになって事前決済が必須になったので実質完全予約制だな
上り列車にかぎれば当日空席の案内があったけど
うちは予約取ってから食べたのでどうやって当日のオーダー取ってるのかは知らん >>326
あれは下関あさかぜ用の殆ど使ってないナシ20だったはず。あのナシ20は実に勿体なかった。車齢で言っても、ついこの前まで現役だったトワイライト用キノコクーラースシと同じくらいだし。 技術的に凄く難しいのは承知の上だが481系電車がロールアウト以降の食堂車は、
全て客車・気動車・電車関係なく連結できる仕様で造って、
それを各所で使い回せば余剰留置などの無駄が減らせたかもな。
配置変更で連結する編成が変わったら塗装を変える。 特に軽量化が必要なキサシ180は単独となるものの、他共通はできるできないだけならできたと思う
ただし、特急編成で凸凹編成は許せんという時代だから、現実には難しかったと思う
1970年製のナシ20でさえ窓構造の変更をしなかったほどだし 窓といえば二代目ブルトレ食堂車のオシ14はサシ481より後に製造され設計の流用などがあったのか、
窓の寸法が他の寝台車両とかは違って横長なんだよな
ブルトレ車両は塗装が濃い青だから編成の中にあっても食堂車の窓の違いなんて然程目立たないけど
特急電車の様に明るい塗装だったら窓の違いもよく分かって特異さが際立ったと思う >>333
1978年に、食堂車を外した181系「とき」で凸凹編成をやってしまったけどw
同年10月改正で、上野発着特急電車の編成を揃えたのも謎。
181系「とき」が食堂車を外し、183系と、189系「あさま」、
更に489系「白山」「はくたか」も同一編成になった。
単なる合理化の施策なのか? 昭和40年代までは編成美って発想がまだあったと思うが
そもそも特急電車先頭がボンネットじゃなくなり、
キノコクーラーからAU13になった時点で質実系にシフト。
同じ14系と言いながら座席と寝台混成したらガタガタ、
転機って高度成長の終わりと合理化・岡山新幹線開業頃?
食堂なし特急の183デビューもその頃だっけか。 >>335
53-10は合理化改正だったから(スレチだけど1Mの並行ダイヤ化→スピードダウソとか)
編成を揃えること自体が目的だったのかもしれんね
後年の白山のサシ復活なんてよくやったもんだと思うよ 鉄オタ同士の旅行で食堂車派と駅弁派がケンカすることってある?
青函連絡船でグリーン料金をケチった連れのせいで後続の貨物改造船にまわされ
海峡ラーメン食べられないで地団駄踏んでいたら当の連れはあらまき弁当食べながら
「ん、どうかした?」という無神経さにキレた奴とか。 >>338
自分の周りでは無かった。
周遊券残りを回し合いして車中泊でケチるタイプは駅弁すら買わず
駅前雑貨屋(まだコンビニなど無い)菓子パンって話も当時の旅系誌で読んだけど
そういう付き合いしてたらあり得たかもしれない。
70年代後半-80年代に高校大学の世代だったから、もう海外旅行も出来る年代。
普通に宿に泊まり食堂車連結なら「乗ってみよう」と言う話になり、名物駅弁ある地域なら
それ買うのも良し。 結局時代が変わってもコミュ能力ってことだと思うけどねぇ。 >>325
鹿児島に集まったサシは初期車だし結構くたびれてきてたんじゃないかな?
鉄ピクの食堂車特集でも169系はサハシ153からの改造だから、なんだかんだで食堂側もボックス席も大分よれていたと当時のコックが語っていた >>340
だから、「とき」で使ってそれが新幹線開業と同時に食堂車は不要になるから、その時食堂車を廃車
廃車するなら、若番車なら問題ない >>341
改造目的なら新潟に持っていくんじゃないかな? 1975.3の話と1978.10の話はかみ合わない 新潟181系
6,7,9,11,12 元サシ151
12は42と同じ年月新製(1962.4)
41,42 元サシ161
43 発注はサシ161だけど、製造中に181系仕様にされてサシ181として新製配備
101 サシ181として新製 (101-103は1966.6。ただし、101以外は1972年にサシ489 100番台へ改造転出)
1978.6からは配置5本・使用4本
1978.10からは配置4本・使用3本 あとバラで1本分
1979.6からは配置5本・使用3本
予備入れて、6,7,9,11,12の5両だけ残しておけばよい
新潟183系
1975.3時点で配置7本・使用5+1本 元サシ481×7
1978.6時点で配置9本・使用7+1本 元サシ481×7、元サシ181 43,101
1978.10時点で配置12本・使用9+2本 元サシ481×7、元サシ181 41,42,43,101、仙台からサシ481 8を改造編入 >>337
上野駅の地平ホームの構造から、中央改札に近い位置にグリーン車が望ましい
考え方があっただろうな。
その背景でクロ481が誕生したのと、583系は長い間2号車がグリーン車だった。
181系「とき」も10両時代グリーン車は2・3号車だった。
しかしグリーン車から食堂車まで遠い不合理や、旅客からのクレームもあって、
上野発着特急も食堂車の隣にグリーン車を移したような。
北陸特急の「はくたか」「白山」のグリーン車は、食堂車隣接だったし。 >>345
特急は地平ホームだけから出てたわけじゃないし 特急・急行も上信越は5-8番から乗った記憶の方が多いよ。
15-18なんて新幹線開業後じゃない?
白山は食道復活して有り難い57年以降だが。 食道が復活は恐ろしいなw 失礼。
東北本線は一級線、上信越二級、常磐三級みたいな
扱いがちょっと感じられたね。 昔の上野って・・
もっと昔、子供の頃の記憶ではやまびこが東京駅14-15番始発で
上野始発じゃない特急が数本あったこと。
上野東京ラインで復活したのが実に面白いと思う。 >>339
>食堂車連結なら「乗ってみよう」と言う話になり、
>名物駅弁ある地域ならそれ買うのも良し。
両方ある時に割れないか? 食堂車復活後の「白山」とか
今の「しまかぜ」でもカフェか駅弁屋のしまかぜ弁当か迷うからな。 >>349
昨日書いた通り、コミュ能力は時代問わないと思うし
好きで良いと思う。全員同じ食堂に行かなきゃとか、
昭和”女子”学生の暗黙ルールや体育会旅行じゃあるまい
もし仮に特急が自由席なら空いてたとしても全員行くより
交代でや弁当派が荷物見てくれてたほうが良いじゃない。 >>349
しまかぜに乗って京都から賢島まで往復したけど、
カフェの方が記念になると思う。
駅弁は車内で購入しておけば、
あとでも食べる事が出来ます。
賢島宝生苑に泊まってお昼に食べた。 >>345
あれは東北常磐だけじゃなく、奥羽とあいづも共通にするために6M3Tにしてサシ組み込むと
サロが組み込めないからだろ。ときはモロユニットの向きの問題 列車の多くが客車だった頃は一等車・二等車・食堂車・三等車と、食堂車で乗客を隔てられたけど
電車・気動車が主体になってからは運転室や編成の機器的な関係もあって食堂車の連結位置で分けることが難しくなったんだよな
それでも東海道線全盛期の特急電車や急行電車はビュッフェ2両でグリーン車を挟んだりとか工夫
東京-岡山の頃までの新幹線や関西-九州急行電車は、一方のビュッフェはグリーン車隣接、もう片方は普通車だらけの中ほどとこれもちょっと工夫があった >>347>>352
東北方面の電車特急は、グリーン車が食堂車から離れていただろう。グリーン車の位置が食堂車の隣に統一されたのが、485系は昭和53年10月改正から、583系がその翌年からなので、それは上野駅が東北人の特殊性からでなかったか?
高崎線を行く特急は、確かに現在上野東京ラインが使う高架ホームが主流だった。
181系「とき」もグリーン車隣接に食堂車連結してたが、10両編成の時代は、上野方のクハの次にモロが2両そしてサシだったような。
これは80系気動車のキハ82+キロ80+キシ80に類似してる。「白鳥」「はくたか」「つばさ」「やまばと」の80系気動車時代は、上野寄りにそれが来ていた? >>353
元々特急は東海道だけで、それも優等を連ねても成り立ったからな。151もそれを継承して
固定編成で必要な分、形式作ったけど、地方を走らすようになるとそうもいかなくなって
サシは抜くようになると思わず真ん中におかないといけないような機器構成にしちゃった
からロにしわ寄せがいったんだな
>>354
クロができる前、483の時の東北特急のサロはサシの隣でしたけどね >>354
> それは上野駅が東北人の特殊性からでなかったか?
何を言っているか分からんが
上の駅地平ホームにだけあわせても意味ないような >>339
食堂車連結でも乗ってみようにはならんと思うぞ
サフィールなんか乗ってみてあるのに気づいて使ってみようならあるけど
それで事前予約の壁の前に追い返される客多数だからな >>357
70-80年代当時の話書いたんですけどね。
大学生の身分でも「お、食堂行こうよ」があって
1000円越えのメニュー(バイト時給400-500円時代)でも
友人と一緒ということは成り立ってた。
勿論弁当派もいて、
更に倹約の「周遊券駅前雑貨屋派」も沢山だった時代です。
例:https://dotup.org/uploda/dotup.org2548730.jpg >>358
食料品の物価は、
小学生時代の35年前、
昭和60年代とそれほど変わらないですが、
アルバイト・パートの人件費が上がってます。
正社員の平均給与は、
1997年頃から下がっています。 生まれて初めての食堂車は、親付きの日帰り旅行で、0系ひかり都ホテル列車食堂(1985年)
このときは親に連れられてだったから趣味的私情は入ってない利用だけど、
中学生になって単独旅行できるようになったときには在来線「従来式」食堂車は九州特急のみになっていて
営業当時「はやぶさ」等にも乗ってるけど、
当時の認識として、どうしても「高い・メニュー少ない・殺風景」なイメージだったんで
とうとう利用しなかったんだよね。
「従来式」食堂車が新幹線のみになってからは、希少価値という趣味視点から何度も利用した。
北斗星やトワイなどの食堂車は、いわば「滞在型豪華式」だから、わけて考えてます。
(バブル期に登場のため、アラカルトはあるとしても高価なコース料理がメインの営業体系のため) ↑
なにが言いたいかというと、
「食堂車があたりまえに連結されていた時代」あるいはその名残りがあった頃までの乗客って、
全員が全員、「食堂車が営業してるから行こうよ」とはならん、ということ。
そりゃ上のほうのレスにもあるとおり、一部にはそういう人もいただろうけど、
多くの人は「高い・殺風景・メニュー少ない」だったと思うよ。
「食堂車とはレアだ、行こう!」というのは食堂車の消え去った昨今の人の考え。 たしかに三十数年前に乗ったあさかぜやはやぶさの食堂車って今思うと殺風景だったな
駅の待合室と同じようなプラスチックの椅子に座って
知らないおぢさんと相席になって
ウェイトレスのおねいさんは調理場の方を向いたまま無言でヒョイとお皿を置いて
でもそれが普段使いの列車食堂だったんだよね >>361
実体験書くよ。 1984年秋、北陸と信州旅行の帰りに白山で友人と食堂に行ったよ。
もう在来線食堂車、それも電車は翌年廃止が噂されてたからね。
北陸エリアじゃ北越乗ったら営業休止、だから「帰りに食堂行こう」と盛り上がり
いつもお馴染みの横川釜飯はスルーして横軽区間でコップの水傾く写真も撮った。
ステンレスの皿ももう古くて傷もあったけど、あのカツカレーの味は忘れない。
翌年からは北海道のキシ80の最後までを何回か体験したくらい。
ただ、85年秋の100系ひかりデビュー時は1時間並んでも2階で食べたよ。
これは当時の彼女と京都旅行の帰り。興味津々で一緒に1時間並んでくれた。
昭和50年代の20代はチープな大衆食堂にさほど抵抗なかったんだよ。
10歳下の方たちとは世界が結構違う。バブルに10代はそれ受け付けないだろうね。 >>364
ファミレスとファーストフード、
チェーン店飲食店に慣れている世代との違いですね。
自分が1990年代に10代でしたが、
京都市内だと子供の頃から
個人店や大衆食堂の千成食堂でも食事していました。
経験が少ないのは10歳離れている弟、従兄弟と同世代、
昭和60年代から平成初期以降の人達に多いと思います。 新幹線の食堂車でコースを食べたなぁ。
実は、裏面がアラカルトだったのに気づかなくて頼んだ。
デザートのアイスクリーム、下車駅間際で食べられないと申し出たら
それでも食べていってくださいとすぐに出してくれた。
たいした思い出なくてスマソ >>361
鉄道ジャーナルの「白山」の取材じゃ食堂車廃止って
わかってる時期に筆者が釜めし食ってたからな。
あと若い世代は食堂車という発想自体が無い
とある漫画でJKが鉄道博物館に行く話があったが
455系で駅弁食べていて日本食堂には見向きもせず。 鉄ヲタには駅弁至上主義者がかなり居るからな。
それも構内販売の印のある掛紙があるやつしか認めない。 旧国鉄時代を墨守する様な鉄道構内営業原理主義者は
ISISやタリバンと同類の時代錯誤で百害在りて一利なし そんなあ、駅構内のうどんそばを殺伐と食べるのもええのに 食堂車で提供されるメニューが、普段と比べて特別に美味しい物だったかどうか?が懐かしむかどうかの別れ目な気がする
自分の頃は珍しくはあっても、特別に美味しかったわけでもなかったから、値段を考えると自然と駅弁2食に食指が動いたな >>374
まあ確かに国鉄時代からの食堂車は、街中のレストラン・定食屋のメニューと
同等なもので、特別感はそんなになかっただろう。
ただ「さくら」のチャンポン、「出雲」「まつかぜ」「やくも」の大山おこわ定食
など郷土料理は、やや特別感があったかもしれない。
その概念を打ち破ったのが「北斗星」のディナーだが、値段も高くなり事前予約の
必要から、味わって特別感あったかは意見が分かれそうだけど。 戦前の食堂車:基本は一等客・二等客(要は富豪)専用
戦後の食堂車:大衆化していくても人件費上昇や外食産業の発展などもあり衰退
現在の食堂車:資金に余裕がある乗客が利用できる施設に
寝台車もそうだがまた戦前の状況に戻っているがの興味深いな
逆に昭和30年代・同40年代前期の様に一般客(戦前なら三等客)も利用できる状態だったのが特殊だったのか >>376
オール3等時代のさくらにも和食堂車があったわけだが >>378
大阪万博で農協などが団体旅行を行って、
その後に一般人が定期的に旅行に出かけるようになったと、
昭和を扱った本、雑誌に載っていました。 食堂車はそれだけで特別感あるだろ。駅弁と比べてる奴はなんなんだよ
メシの味とか二の次 だめだこりゃ
世代のちがいによる価値観のちがいって
どうしても相互理解は無理だな それはあさかぜのオリエント調食堂車やグランドひかりの食堂車以降の話でしょう
それ以前はデパート併設のそっけない食堂レベルだったんだから コーヒー、ジュースの飲料一杯で長居する客層を排除出来なかったから回転率と採算が悪化したんだろ
これには自由席の採用が有るにせよ、為らば完全食堂ではなくビュッフェ形式に大半を移行させた方がまだ得策だった筈だが完全食堂形式への時代錯誤な固執振りを賛美するヲタの考え方も愚策 世代ってか体験したかしないかだろ
食堂車とかそのそっけない食堂レベルでいいと思うんだけど。なにを求めてるんだか
線路際で見てたあの特殊な窓配列にMGの音をさせてた車両の中でメシ食えるとか
感動でしかなかった
逆に北斗星のスシ24とか見てもアレだし、乗ってもキャバレー感しかしなかったしな
大人になるって嫌だねw デパートの食堂での食事ってあの当時は庶民にとってはむしろ贅沢な行為だったんじゃないのか 前にも書いたがサシ481以降は電車・客車・気動車関係なく使用できて、
尚且つ列車の走行線区や同じ列車でも走行時間帯に応じて全室食堂車、半室ビュッフェ、売店と車両交換が出来る
なんて魔法みたいな技術が出来れば少しはコスト削減になったのか
ま、無理だが >>382,385
大丸京都店に、
昭和から平成、令和時代に、
デパートの大食堂(ファミリー食堂)がまだ残っています。
検索していただければ、
昭和時代の食堂車の雰囲気が残っていると思います。 >>386
電車、気動車、客車で各々ブレーキ系統や引通し線の制御装置が異なるから困難だったな >>385
サザエさんはデパートの大食堂でお見合いだ。
サトウサンペイさんのご冥福を。 >>383
そういう論を張る奴よく見るがそれが列車食堂衰退の原因というならその前提として
粘る客のために他の客が席にありつけないという事実が必要となるわけだが
実際の経験上混雑してて席待ちが発生している場合は食い終わった客には「お待ちのお客様がいらっしゃいますので」
と追い出しはかけていたし、場合によっては車内放送で「ただいま食堂は混雑しております。また食事の終わられましたお客様は
お待ちのお客様と交代していただきますよう…」と放送までしていた。
やらない食堂長は単なる無能。
もちろんヒマな時はコーヒー一杯でいくら粘ってもらっても構わない
コーヒー一杯でなくてもだいたいが食うの遅くて回転率が悪いというならその通りだが
東京〜名古屋の2時間で2回転がいいとこだからな トワイライトエクスプレスのスシ24の冷房はAU12型だったけど、ドレイン水が漏れたとかトラブルは無かったんだろうか? 雨漏りみたいなことになってたことはあったけど
最後まで持たなかったのはむしろAU13付きのスシ24 3
特別なトワイライトが元第3編成の構成車を中心に組成されていたにもかかわらず
食堂車はスシ24 2が組み込まれていたのはスシ24 3の空調の不調が理由 で、ビュフェに移行とも書いてあるかビュフェだと客単価下がるうえにかかるコスト(人件費)は大して変わらない
そもそもが皆座ったら動くの億劫になるのかわざわざ車内を移動して食堂なりビュフェなり行って飯を食うより
座席で弁当(駅弁なり持ち込みなり)を食う方を選ぶ傾向はある
100系のカフェテリアがなくなったのがわかりやすい
採算悪化はなによりも人件費がかかりすぎるからだ
必要な人員はクルーだけじゃないしそのクルーだって
北斗星1往復として最低3班(同日に上り、下り、休み)以上は必要なので地上の固定店舗に比べると3倍、
そのうえ食材をキッチンから駅のヤードまで運ぶトラックの運転手と駅のヤードから列車への積み込み積み下ろしをする
台車のおっちゃんも必要になるからな >>394
今日、報道されたよ。
昭和の世相を描いた漫画家さんがまた・・・ 北斗星1往復として最低3班(同日に上り、下り、休み)
とかいたが2泊3日行路だから最低4班だな(同日に下り上野発・札幌到着折り返し・上り上野着・休み) メシの話なのに殺伐となんなや
昼休みに仕事の話する社畜かよ! 黒鉄ヒロシ御大もグランシャリオの体験記を書いていて、
ハーフボトル1ダースを空けたとか書かれていた記憶が。
半ダースだったかな? いずれにしても凄いです。 >>395-396
そうだったのか…
エッセイで一人旅をした時東京初の寝台特急のヒルネ乗車をしたと書かれていたな。
スレチ失礼。 新幹線ひかりの食堂車で30分くらい並んで待ったな
特別に旨いもんでもなかった記憶も確かにあるが、
特別な気持ちでワクワクしたのはよく覚えておる
国鉄時代末期
昔からあるデパートって、何故だか天井が低いわね
特に8階大催事場 着駅の最短回数券使って東京駅で入場券でひかり乗って
食堂車やトイレで粘ってキセルするなんて問題もあったな。 揺れる車内で調理や給仕
膝に負担がかかりそうだな
膝痛めて退職するコックやウェイトレスも居たんだろうか? そもそもが勤務時間も休日も不規則だし行路によっては泊りもあるし
それでいて給料はたいして良くないとなれば他の地上の固定店舗の同業種
(調理とか販売とか)に行くよな
個人商店しかなかった昭和30年代ならいざしらず昭和40年代後半以降になると
チェーン店なんかも増えてくるから雇われで働く箇所も増えてくるし
毎年4月になると高校卒業した子たちが入ってくるが1年たたず半分以上辞めていく 数年前、ちくま文庫から復刊された
獅子文六 七時間半
が面白いですぞ。 在来線の食堂車は日食系と弘済会系があったみたいだが・・・
分かる人いますか? 食堂車の調理場でのバイトやってけど、ほとんどレンジでチンでしたよ。
でもビーフシチューは美味しかったな。
ハンバーグはちゃんと調理してた。
身に着いたのは野菜カットの包丁さばきが速くなっただけかなw >>412
コンビニの積み上げた技術改良でよりうまくなったレンチン料理を食堂車でだな >>413
聚楽って在来線もやってたのか
てっきり上越新幹線専属だと思ってた 在来線をやっていたから既得権(?)で上越新幹線もできたのでしょうね
おけさごはん 「じゅらくよ〜ん」
東京の会社なのに、なぜか新潟のイメージ 丸玉給食も国鉄と関わってたのかな?
本社が百済駅の近くにあるから何となくだけど >>415
181系特急「とき」で入っていた。終了してから43年経つからもう記憶の彼方だな。
>>418
同系列
>>413
聚楽は>>411の日食も弘済会系とは全く違う。
都ホテルや帝国ホテル同様独立系。 >>420
いわゆる国鉄ファミリー企業ではない所からの新規参入ということで、当時かなり話題となった覚えが >>420,422
鉄道ジャーナル 1988年の記事で、
ウエストひかりのビュッフェが扱われていて、
丸玉給食の簡単な説明がされていました。
当時小学生でしたが、
関西人でも初めて聞く社名でした。 >>420
全然無関係
だから新大阪と博多両駅では満足に車販基地すら与えられず構内運送の協力すら同業者から得られない状態だった
(他は相互的扶助でサポートし合ってた) 北陸特急に限れば
雷鳥・北越=日食大阪・弘済会金沢
しらさぎ=弘済会金沢
白山=日食上野・弘済会金沢
白鳥=日食青森
が担当していたはず。
JR化後に上沼垂の485系(白鳥及び新潟雷鳥)にサハシ改造のビュッフェがあれば
聚楽が営業担当していたのかな? >>425
北陸筋では日食も富山と新潟に営業所を擁して後に金沢も追加されたな
日食富山は雷鳥の絡みで大阪の分所扱いだったけど金沢は弘済会から日食が営業権を譲渡された訳だろ >>424
確か新大阪駅構内にテナント出店した縁で新幹線にも進出という流れだったような
博多側には拠点を持ってなかったから、新大阪で往復分食材を積んで乗務してたと記憶しているが、古い話なので間違えてたらごめん >>428
車販経験者の方による古いサイトには大阪第一(列車)、金沢、富山で商品供給体制を敷いてると記されてたな
金沢はかがやき&北越、白山のラウンジ&コンビニの兼合いも有ったし 新大阪から以西に販売してるとシャコ飯いかっすか?と言うイカスカおばちゃんってのが居たw >>423
小学生だったら仕方ないが給食会社としては大手だよ
主に工場などへの給食デリバリー会社
>>427
1日一往復で朝新大阪を出て博多折り返しで夕方着だから
人員効率としては地上店舗に近くて一番効率いいんだよな
1チームで済むから
ただ12両だとコック(チーフ兼)・ウェイトレスと車販2人の最低4人いればいいから
交代で休みを取ろうとすればもう2・3人は必要かもな
運転時刻もあんまり売上よさそうな時間帯じゃなかったしな >>417
上野が拠点だったんだし「ひばり」「やまばと」の一部や
「とき」と同じ上越線列車「はくたか」「いなほ」なども受け持っても良かったのにな >>432
終点側に始発側の拠点ほどではないにせよ商品補充基地や地上の人員配置や
従業員の宿泊設備なんかも必要だからそこまで広げられなかったんだろ
さらに国鉄はガチガチに参入制限かけてそうだし >>431
店舗と併せた勤務ローテーション賭博チーム制を組んでたのでは?
食材も一括で調達出来るし、店舗と基地を兼ねてるからね
(一例)店舗→店舗→列車→公休の二勤一休 予期し得ぬ賭博なんて無関係な語句を挿れてしまった
↙(↲_↳)↘お詫びするゴメソ 度々見苦しい面をお掛けして悪いが
小生のイトコがJD東海新博多(営)のコックとして地上兼務で乗務していたが
同根のJウエストラン博多(営)と手分けしてJR西社員用の賄い弁当を製造していた事が有ったな JD時代の新博多(営)は筑紫口の日食ビルがJR九州の関連企業に接収された関係で
営業権を継承した帝国ホテル列車食堂とビュッフェとうきょう(BT)の施設を流用していたな
調理所が那珂の旧帝国だったのは厨房設備レイアウトが秀逸で博多駅南の旧BTや都ホテル列車食堂よりも遥かに快適だから
寮は那珂と博多体育館付近にも分散されていた
クルーセンターが新幹線高架下の2階に有りJウエストラン(JW)の事務所と併設、両社共に基地は地下に措かれていた
因みにJWはJDと比較してやはり設備も業務近代化も遅れていた 都ホテル列車食堂の歴史をググれば新幹線博多開業の直前に本体から小倉駅に在ったテナント食堂を母体として分離したと云う
因みに近鉄観光が名古屋都ホテルとコラボしてスナックカーのサービスを1967年に始めたが
国鉄事業専門の都ホテル本体は殆ど関与していない(但し名古屋都ホテルは1975年の新幹線事業開始から食材運搬作業で協力している)
詳しくは「散財日記」をご参照有れ 最末期の新幹線食堂車のメニューでイレギュラーメニューがあったけど
あれはどういう流れで提供されてたのか知ってる人いますか?
具体的には「フルーツヨーグルト」
見かけたのは一回だけで、載ってる状態がテプラだけか写真付きかすら忘れたが
食べなかったのを後悔してる 丸玉給食鰍ヘ百済貨物ターミナルの近くに本社が今でもあるよ
10年前に潟}ルタマフーズという名称に社名変更してるけど >>442
うちの職場に給食弁当を卸してた会社だわ。
メンバー入れ替えで弁当を頼む人が激減して向こうから断りを入れられたので、今はもう頼めないけど。 つまり特急かもめの【都】と
新幹線ひかりの【都】は違うのね >>443
職場で食う飯という時点で十分まずく感じる要素だけど
そのことを差っ引いても散々な評価で草 >>429
ラウンジ&コンビニエンスカー連結時代の白山はにっしょく西日本→JRウエストレストラン金沢が担当していたね。
クルーは日食(後のNRE、現JR東日本サービスクリエーション)上野で補給と滞泊をしてた。
その当時の雷鳥の車販は大阪第一の担当で長躯新潟までの行路もあったけど、こちらも新潟での補給と滞泊は日食新潟だった。
この頃のJR東管内の日食は旧日食の分社全社と協力関係にあって、札幌でにっしょく北海道から北斗星の補給、新潟・上野でにっしょく西日本(JW)へ雷鳥・北越・白山の補給、長野でJD東海へしなのの補給、米子・下関でにっしょく西日本(JW)から出雲・あさかぜの補給、博多・大分・熊本・長崎でにっしょく九州(JR九州トラベルフーズ)からあさかぜ・富士・はやぶさ・みずほ・さくらの補給をやっていた。
そういえば上にも書いた日食上野列車営業所の末裔、JR東サービスクリエーション上野(現在は東京支店の支所)はカシオペア紀行で今もひっそりと食堂車営業をしているのよね。 そっかーまだカシオペアの食堂車は健在なのね
それとJR各社と同じように、旧日食各社も最初は強力に協力できていたのね
TESの末期なんて食材は大阪でしか積まずクルーの滞泊は札サウの車輌内だったんだっけ >>447
首都圏の日食は品川(浜松町)がJD東海、上野(尾久)がNREに分割されたからな
其れ以外では従来通りの協力連携体制だったけど在来線の車販削減の嵐と相次ぐ3セク化で有耶無耶に
FSNも既に山陽新幹線主体の車販のみで弁当製造はしてないからな >>449
キシ80は最後まで営業してたのにね。
分割民営化を待たずに消えてしまったか? >>451
浜松町は分割後も日食とJD東海と双方の工場があってどちらも弁当とかサンドイッチとか作ってたんだけど、先に日食は尾久と戸田に移転、残った東海も江東区に移転した。
ところで日食の品川営業所は高輪なので浜松町とは別物だよ。旧品川営業所は後にNREの2代目本社なった。(初代は八丁堀、3代目は秋葉原で今もJR東日本クロスステーションのフーズカンパニーが使用) そういえば業者関連の話では有明の食堂車では西日本トラベルサービス担当列車があったね。
後のにっしょく九州と合併してJR九州トラベルフーズになった地場の車販業者だね。
国鉄時代地場の車販業者が全室食堂車を運営した例はこれだけじゃないかな?
あと末期の富士はやぶさは下りの車販が東京名古屋で復活したけど東エリアはNREだったが熱海からのJRCPに売れ残りの弁当が引き継がれたのは驚いた。 何時も思うんだけど葬式って亡くなったあとするものだろ
言葉としておかしいような たしかちほく線の廃止の時だったと思うけど
忌引をとっておいて最終日におなごり乗車に行ったやつが
テレビに映ってるのを会社の人に見られてバレたのを
あれも葬式には違いないとか言われたあたりが由来だろ 無理やり葬式のフリして最後看取りに行った話だよね
今言われてる葬式鉄は誤用だよなぁ、
どっちかと言うと倒産閉店セール鉄って感じだ >>456
どこに難癖したいわけ?
末期の使い方も全く正当じゃん 日食の就職するなら覚悟の上だろうが、帝国ホテルとかに入社して
「料理修行頑張って独立して小さな洋食屋さんでも開業しよう」と計画してたのに
食堂車勤務に押し込まれて揺れる厨房での激務で腰や膝を痛め切り傷や火傷も負い、
最終的には立ち仕事さえも出来なくって寝たきりとなり問答無用で解雇され、
家族から厄介払いのために沖へ連れ出されてゴムボート上に放置されて書類上は失踪扱いに・・・
という悲惨な最期を遂げた元コックさんも多いんだろうな いやゴムボートも勿体ないから、沖に出たらそのまま船からドボンかな?
「この寝たきり野郎がww地獄に堕ちろww」が最後に聞いた妻からの言葉
悲惨過ぎるな・・・ >>461
そういう枠は採用枠もリクルーティングも全然違うから間違ってもそうはならんw そして遺体は魚に食われ、それらの魚が漁船に捕獲され、市場から魚屋を経てその元コック家族の食卓へ
残酷過ぎる食物連鎖だな・・・ >>463
あ
そうなんだw
なんか安心したw
やっぱ食堂車での食事って最高だよねwwww >>461,462,464
なぜか泳げたいやきくんが流れた。 >>460
別にお前に喧嘩売ってるわけじゃないから落ち着けw 南宮崎のライオンという元食堂車コックの店は健在だろうか? >>468
去年感染拡大前には2度行った。
Google口コミが先月入ってるから普通にやってるみたい。 >>471
いいね。2分01秒〜の沼津駅のアナウンスが何とも。
この頃の放送の日本語ってこういう抑揚のない
喋り方が多かったみたいね。
3分33秒〜は「はままつー、浜松でございます」。
ハーモニカ売ってる女性はヤマハの従業員か何かかしら。
現代では考えられない。 >>461 >>462
まぁ昭和の時代は今みたいにドライブレコーダーも路上カメラも衛星監視システムもDNA鑑定もなかったからな。
今の時代は寝たきりだからといって沖へ連れ出してゴムボート上に放置されて書類上は失踪扱いに・・・
なんてことはできなくなってしまったし・・・。 >>472
ハーモニカ娘
パロディじゃなくてガチで >>268
東海道新幹線は並行在来線ではないだろ? >>478
平成元年あたりの九州ブルトレはそうなっていた。 サハシ165、455はあったけど、キシ28は無かったね。
そりゃ支線や地方交通線の急行用だから必要無いよね。 国鉄末期はともかく初期は幹線級のも多かったんじゃないの? 北海道の多層建て急行見るとね。駅ホームで駅弁または車販も居るからそこで買ってねって感じ?。
車販準備室ってキロ28が無い列車の場合はどう対処していたんだろ? 急行はもちろん普通列車にまでモグリの物売りが各地に出没していた時代だし >>482
東北の気動車急行の方が、東北新幹線開業前に幅を効かせていた。
確かに分割・併結する駅は、長時間停車してたから駅弁調達できたけど、
列車を乗り間違えると悲惨!
急行列車の実際の車販基地はキロ28よりも、普通車デッキすぐの2人掛けの座席を
使ってることが多かった。 >>484
大阪の古書店(末広書店)で、
昔の鉄道雑誌を探していた時に、
昭和50年代の鉄道ジャーナルで、
座席横で作業をしている車販車が、
ひっくり返っている様子が記事になっていました。 >>482-483
登録した個人事業主に車内販売をさせるような制度を
作ったらいいと思うけどね。どの列車で売るかは
その事業主に自由に選ばせる。
感染症が収束すればそこそこ需要があるんじゃないだろうか。
なんでも自社でやろうとすると結局車販そのものを
無くさざるを得ないことになる。 JRのような大きな企業じゃ厳しいだろうな
ローカル私鉄や三セクじゃ既に個人商店レベルがホーム立売も
イベントの車内販売もやってるが >>488
モグリの物売りだから自分の好きな時、好きな列車を勝手に選べるけど
正規の登録業者になれば原則365日営業だぞ
営業は月〜金のみ、その他不定期に休業日ありなんて当然認められるわけもなく
これで車販やめたローカル駅弁業者多いんだから >>490
そこを変えたらいいんじゃないの?「認められるわけもなく」じゃなくて。
車販そのものがなくなるよりは不定期でも存在したほうが利便性は高いだろうし。 でもそれ認めちゃうと、使う側から見たら
「どうでもいい時にだけ売りに来て、肝心な時に売ってない」
という風に見える状況を強くするだけだからな 特定の列車の特定の区間だけ業者が殺到とか有りそう
そして業者同士で客の取合いからの乱闘とかw >>492
なんかウーバーイーツに似てるなとちょっと思った
応じられる配達員が近くにいないと頼めないあたりとか
ただあれはネット前提でリアルタイムで状況確認できるからちょっと違うか
やっぱり時代が変わっちゃったってことなのかなぁ 毎日販売じゃない自由度高い業者の出入りってあるところにはあるよ。
千葉横断する小湊といすみじゃ、土休日と観光シーズンに地域の仕出し屋製
駅構内の弁当売が出てるが、いすみじゃグッズ共々車内ワゴン売りもある。
前社長がトキ鉄にいるから例の急行型の車内にも
地元業者を入れるんでないかな。地域あっての三セクと豪語するだけにね。 肝心な時に売りに来ないは新幹線あるあるだな
硬いアイスが食べごろになる前に
降りなきゃならん今更なタイミングでしか来ない >>495
南海加太線もそういうのあったな
地元の人による、土休日のみの車販
ああいうのでいいんで残って欲しいね 車販に定休日あったところでそんなに違和感あるかなぁ? 嘉例川駅みたいに週末のみ営業しているところもありますしおすし 毎日でなくても営業日固定することは重要だな
不定期で今週の土日は営業するが来週は休み、とかいうのが一番困る
もちろんイベント列車や観光列車は列車そのものとセットなので運行日=営業日でいいが
定期列車でそれではな 最近のシカゴ〜ニューヨークのアムトラック車内。
食堂車の様子もあるが、調理済のものをレンジでチンの感じ。
九州ブルトレ食堂車が売店扱いだった頃と似てるか!
https://youtu.be/_ackMk9_PUo >>502
コンパートメントの中にトイレがあるのが信じられん。刑務所みたい。
うんこしたら部屋が臭くなるじゃん。軟便なら流れてしまうが、
固いうんこだったら便器の中にこびりつくから。そんなところに
何十時間も滞在する旅行とか、どういう感覚なんだろう。 相部屋じゃなく個室なら安ビジホだってトイレとベッド近いからおんなじさ そもそも北斗星のロイヤルもカシオペアも個室内にトイレあるしな
他人のうんこの臭い嗅ぐのがイヤなのか >>503
トワイライトのロイヤルで21時間旅したけど何の問題もなかったぞ
その程度のことはとっくに対策されとるってわけだ 国鉄時代の電車列車の食堂車ってグリーン車の隣に連結されているのが多かったけど、
グリーン車のトイレ側と食堂車の食堂側が隣り合っている連結例が多かったな。
あれって臭気とか衛生面で問題なかったのかな?
ブルトレの場合だと隣の車両のデッキと食堂が隣り合う連結が多かったが・・・。 そんな事を気にする時代じゃない。食堂車の車内はタバコの煙がもうもうだよ 食堂車には従業員用のトイレもあることだし、隣の車両の連結位置までこだわってもしょうがないんじゃね。 全体の長い編成を眺めたときに、
食堂車とG車が真ん中ってのが、
絵的に美しいではないか
と俺は個人的に思っている >>508
トワイライトは隣のサロンカー(の食堂車連結面)に”従業員専用”トイレが
種車のサシ489が古いタイプで厨房内トイレが男子小しかなかったから。
なお同じコーナーに電話室があったが電話が廃止された晩年は
食堂車の倉庫と化していて水のペットボトルが置かれていた。 コロナ渦の今食堂車どころか車内の飲食行為自体憚られるご時世になったな え?
列車の座席で駅弁喰うのも今のご時世じゃアウトなの? それ、ほぼ公共部分全域禁煙でもタバコ売ってる世の中と同じ。
一応販売利益の保護もしてるが、買った後は不便でも知らねぇよって事。
家帰って食うか車の中でも?って意味だね。 今言うほど車内で駅弁売ってるか?
車内販売自体が廃止進行していて
JR東で車販が残ってる列車も弁当の取り扱いはやめた
東海道新幹線には残ってるけどオーボンヴュータンほどでないにしろ
弁当を乗せてるカートはレアの域 >>518
タバコと一緒にする奴がいるとは思わなかった
一時期みたいに「車内での飲食はお控えください」というアナウンスもしていないし、飲食禁止しているという論拠はなんだ?
>>519
数量の問題じゃなくて「食べていいから売っている」証明としての存在の話をしているので >>519
車販は減ってるけど普通に駅構内で売ってるじゃん
ニューデイズのおにぎりとかも含めて 昨日こんなアナウンスあったぞ
「なるべく車内での飲食はお控えいただきたいですが、
お飲み物等飲まれる際にマスクを外すのは最小限でお願いいたします」
だと、堂々と食事ご遠慮下さいを言ってる。 だがコロナが収束しても慣例として飲食禁止になる恐れはある。
網棚から新聞や雑誌が消えたように。 >>524
網棚から新聞雑誌が消えたのは別に禁止になったからじゃなくて買う奴が減ったからだろ。今じゃみんな車内でスマホじゃないか。一部の老害世代以外は車内で読み捨てるような雑誌読んでる奴ほとんど見なくなった。 復刻版(1968年)にのっている献立表でいくつか疑問点を
・1人1回600円を越える場合、1割の消費税をお預かりしております⇒すでに消費税あったんですか
・洋朝定食200円,ランチ420円⇒ランチは倍額以上しますがどういう内容だったのか
・特別ビーフステーキ1200円⇒税金のかかる基準の倍額。どんなに凄い内容だったのか
・プルニエ定食450円,チップポテト50円⇒これは何ですか
・お茶20円⇒弁当と一緒に売ると思われるもの。どういう販売形式だったのか >>528
> ・1人1回600円を越える場合、1割の消費税をお預かりしております⇒すでに消費税あったんですか
料理飲食等消費税 贅沢品にかかる物品税のたぐいはグリーン車やA寝台料金に課税された交通税と共に平成元年の消費税導入で一気になくなったな。 >>530
特別地方消費税は消費税導入時には特別地方消費税に変わっただけだよ
税率も3%に変更になった
特別地方消費税廃止は2000年 >>528
お茶は汽車土瓶に入れたやつじゃないのか?
新幹線の車内販売で、ポリ容器入りのは買った覚えがある。 グリーン券とかの券面に「税1割共」と書かれていたのが懐かしいね
グリーン車は消費税導入で税金が通行税の10%から消費税の5%になったんで数少ない値下げだったんだよね
今は消費税10%なんで元に戻っちゃったけど >>535
あ、そうだった、勘違いしてた
最初は3%で97年から5%だ
思えば高くなったなぁ >>528
当時は牛肉輸入自由化前
なので牛肉は今より高かった >>528
ビーフステーキ定食も別途記載されてるんで(どちらも※付)
「特別」なほうはスープやコーヒーのついたコース料理に近いものだったと推測
あと上にあるように牛肉自体が今より高価 プルニエといっても結局は魚のムニエルだからな
そら定食の響きが似合いますわ >>528
プルニエ定食?
俺も理解するまで随分かかった
ところで酒類の「ギネススタウト」ってやつ、ギネスって例の本の会社? この頃は洋酒が無茶苦茶高かった。さして旨くもないジョニ黒が高級品扱いされていた位だから
ギネスも洋酒扱いで高価だったんだろうな。 ウイスキー特級の税額がすごかったからね。
ただ、ビールは国産高級品と変わらんかったイメージ
今の地産品の地ビールのほうがよっぽどボッタクってると思う >>541
ジョニ黒、だいたい免税店で一万円位だったらしいね。まだ外為が固定相場の頃。
食堂車のメニューで清酒は一級酒と特級酒は見た覚えがあるけど、二級酒は取り扱いあったのだろうか。 リアルで見た奴はもはや生きていないであろう和食堂車
あのハードウェアなんで定着しなかったのだろうか?
一人でも利用しやすいし、何より車窓を向いて食事ができるのがよい。
通路の両側でテーブルとカウンターに分けた折衷構造なら
裾絞り無しの旧型客車でも定員確保できるのに。 一人分のテーブル幅がロングテーブル(和)はボックステーブル(洋)に比べて短かったため
あと、給仕の配膳が隣の客との間に割って入るしかなく、それも嫌がられた 昔のメニューを見たらコカ・コーラもかなり高い
当時は舶来ブランドの贅沢品だったんだろうね まあ食堂車価格ってのもあるんじゃね
比較対象として合ってるか分からんけど
資生堂パーラーだとコカ コーラは700円だ コロナ前にヨーロッパ旅行したときはコーラ500mlが
SBBのビストロで4.60スイスフラン
DBのボードレストランで3ユーロだったな
ちなみにどっちも税抜き価格
とりあえず>>553は気をしっかり持とう >>556
この頃の缶入りコーラが自動販売機で100円の時代。
食堂車はガラス瓶入り200mlで提供180円はまさに場所代と人件費だな。
コーヒーも含めて街中の喫茶店で頼んでもだいたい同じか少し高いくらいの価格。 そう言えば思い出したのは、日本食堂ってトマトジュースがデフォだよね。
オレンジジュースじゃなくトマトジュース・・・
駅にあった日本食堂のメニューもそうだったから
あれ嫌いな人も多いのに、と当時思ったもの、自分は好きだが 新幹線の車内販売だとこつぶが定番だったような記憶がある
250ml缶で300円だったかな >>558
昭和50年代の東北特急の食堂車の朝定食はオレンジかトマトジュースから選べたね。何時もトマトを選んでいたけど。 >>559
全社共通の引継ぎ商品はポンジュースだったんだが
つぶジュースは各社で仕入れて販売してたからな
粗利が違うんだろう >>560
朝出発の特急にも朝定食があったか?
昭和53年夏に上野8時発のひばりに乗った際、目にしなかったが、見落としていたのか?
>>561
昭和50年代はエル特急全盛期で、急行より特急の本数が多かったので、全然お大臣でないよw 当時唯一の気動車エル特急だった『やくも』は、全列車食堂車連結していた。電化とともに381系に置き換わって食堂車もなくなった。 当時の特急は、まさしく"特別急行"で
ごく一部のかぎられた人しか使えなかったのではなかったの? たとえば東海道新幹線の開業前の東京⇔名古屋
準急行2等料金(東海)= 100円
普通急行2等料金(いこま,六甲など)= 300円
特別急行2等料金(こだま,つばめなど)= 600円
準急で行くと100円ですむところを6倍払うというのは相当な格差. >>563
1978年から1982年夏位までの下りのはつかり1号や3号は有りましたね。
洋定食はハムエッグとどちらかのジュースとかでした。 >>568
いや、エル特急誕生の1972年からだろう。
房総特急「わかしお」「さざなみ」誕生から、特急の格が下がった。 >>572
ほとんどの急行はビュッフェで立ち席メインなんだし長っ尻する客は少なかったんじゃないの
クーラーがあるから涼みがてら来てた客はいるだろうけど
マシ35やらオシ17が急行「霧島」やら「ていね」やら「きたぐに」に使われてた時代は知らんけどさ >>575
少なくとも電車急行のビュッフェは立席でなかったぞ!
きたぐにで完全廃止になった客車急行の食堂車も、ある程度の料理は出してた。
もっとも特急の食堂車と比べてクオリティが下がり、お手軽感はあっただろうが。 あの席数じゃ多少回転率よくても儲からなかったんだろうね。
以前このスレでも書かれていたが、特急乗る客層と可処分所得が違うんで
長距離客レでも特別急行ほどの客単価が取れないし、
急行のボックス席で食べるのは良くて駅弁、
まず一食目は家から持ってきたおにぎりっていう時代だと思う。 確かに1960年くらいの食堂車の写真を見ると
今となってはちゃっちいパイプ椅子が並ぶ殺風景な車内なのに
テーブルにはフルーツが盛ってあったりしますよね
多くの人々に品格が備わっていた時代でもあったし
コーヒー1杯で長居なんて空気じゃなかったのだろうね 電車急行はビュフェなのは知っていたから
『急行列車の食堂』と書いたのに… >>580
> コーヒー1杯で長居なんて空気じゃなかったのだろうね
紅茶一杯頼んでそこにウィスキーだかブランデーだか注いで長居してた京大生知ってるw >>580
格っていう話だと、昭和30年代は今より遥かに格差社会。
食堂車に来る客層が上の層だったと言うだけ。
庶民は旧客三等の60-61系板背ズリの鈍行で旅したり
旅なんてしたことない。という人まで多かった時代。 特別急行のレベルが下がったのは食堂車を作らなかった
183系からと言う世代が今は多いと思うけれど、
諸先輩方曰く「151系(当初20系)からだね」とのこと。
登場時はビジネス列車で速度重視、一等車はなく二等まで。
食堂もモハシのビュフェだけで後の0系新幹線の基本となる形だね。
”上級”の特別急行はあくまで客車のつばめ・はとで、展望一等があり
いよいよ電車化となってパーラーカーや全室食堂が出来た経緯だからねぇ >>584
今考えると東京―大阪7時間弱で食堂車もなしビュッフェのみはさすがに無理があったな
電車特急の供食設備をどうするか当初は試行錯誤してたのな
後年の東海道新幹線や東北新幹線の乗車時間約3時間でビュッフェのみならわかるが >>585
難しい事情は予算面もあって、8両編成3本しか製造できず
とりあえず満席続きを乗り切るしか無かったそう。
これわかりやすいよ。
https://www.imon.co.jp/images_cache/images/web/151kei/151k_hensei_doc.gif
当初から全室食堂1両とハ1両でもいい感じだけれど
モーター付きにせざるを得ないM車比だからモハシにして
全室食堂装備でモシなら床下機器スペースと重量バランスが悪い話も読んだことある。
やむなくビュフェを二箇所分散配置したんだとか。 全室食堂はサシにしなくてはならないため、二等なのに電動車の
モロで何とか出力を確保する苦労が見られる。 モハシの食堂車だと水タンクを設置するスペースがないかも? キシ80みたいに床上に置けばいい。ただし、食堂定員が減るけど。 ユニットかつお金がなかったそして食堂車orビュフェで2等/3等を分けていたため汎用性が求められ、
先頭車のM化も不可だったことからなし崩し的にモハシが誕生し、その間にサロを投入
こうして、事故/故障しても事故/故障した1ユニット4両を交換することで冗長性確保
さらに同方向のもう1ユニットが壊れても方向反転させて連結できるよう配慮されていた 食堂車サシ153やサシ455はあってもよかったのではと思う
東海道本線の急行も8時間くらいかかっていたし
急行宮島(東京⇔広島)は朝出発して到着は夜。
新幹線できた後の急行玄海(名古屋⇔博多)も朝出発して夜到着。
ほかには(東京〜)上野〜青森を電車で設定できたかもしれない。 特別急行でも581系や583系を昼間に使っていたので・・・ 何度も言われているように急行の客層はね
家からのおむすび < 安い駅弁 < ビュフェ < 食堂
これくらいお金使う金額が違うから 一食分は持参おにぎりでも良かろう
夜行列車明けなど時間が経てばそうもいかぬ 急行や長距離鈍行だと2食目は停車時間長い駅でホームに降りてなにか買う、
または蕎麦・うどんだね。 客車急行高千穂に乗った経験が
オシ17廃止後の昭和49年だったので、それしかなかったのだが。
電車急行のビュフェはまだ若干あった時代。 それと特急は窓開かない・急行は窓開く(当時の常識)
言われてみれば当たり前田けれども気付かなかった いつの時代かって所で条件は変わってくるとは思ったけれどね。
自分みたいなアラ還位は若造って思われてしまう、昭和30年代以前を知ってる
先輩方が仰るには、「普通急行でも食堂車があって然るべき」 だったりする。
オシ16・17(特にこちら)は初期こそ特別急行用であったものの
20系登場後は貴重な普通急行の全室食堂となったのはご承知の通り。 昭和30年代以前ってそりゃ特急の希少度が全く違うんだからそりゃそうよ >>601-603
そんな時代の末期に、新幹線開通なんてある意味凄い事だったろうな!
そんな新幹線も、当初東京〜新大阪を4時間程度だったから、151系デビューと同様にビュッフェで充分になった。 昭和30年代は鉄道だけじゃなくあらゆる物が進化した成長期だからな
都内じゃ一戸建てですら風呂無しで
銭湯通いが当たり前、TVは金持ちだけ。やっと洗濯機や冷蔵庫を月賦販売で買うくらいから、一気に普及まで行った。 明治は近代化
昭和は戦争に戦後の経済成長
平成はバブルに崩壊に経済頭打ち
令和は衰退一途を辿るのか >>605
昭和30〜40年代は、三種の神器の電化製品が相当高額だったな。
カラーテレビ、洗濯機、冷蔵庫を合わせると50万円以上。
当時サラリーマンの所得からは相当大変だったのに、これに持ち家と車が加わると(驚) 令和は衰退一途ですよ
抗うも流されるも自由席
夜の東海道をオシ16で過ごしてみたいなぁ そう思うと、昭和30〜40年代の国鉄運賃・料金は相対的に安かった。一番良かったのは、昭和44年改訂の等級制→モノクラス制かもしれない。
その改訂で一等・一等寝台→グリーン車・A寝台がかえって安くなった。 上りトワイライトエクスプレスの食材って北海道フードサービス?が積み込みしていたの?
割り箸の紙に北海道のマークがついていた会社。 FSNロゴが北海道に見えるかもしれんけど北海道全然関係ないぞ
札幌側では全く積まないから上りのパブタイムが売り切れ多発だったり
上りが運休続きで積んでる食材が使えなくなると大阪から飛行機で食材をもって行ってた
食材もってく飛行機が飛ばないと最終上りトワイライトのようなことになる 北海道に行く元祖豪華列車なのに大阪でしか食材を積まないなんて(´TωT`)
そういえばコヒも駅弁の事前注文→途中駅積み込みを止めちゃって
我もしがない会社員なので事情はよーく分かるけれども切ないなぁ トワイライトも上りの車内注文弁当は五稜郭積み込みだったけどね
函館みかどが作っていたようで中身は北の駅弁屋さんだった 遠軽駅弁なんか積み込み中止をきっかけに廃業しちゃったもんな キサシ180は短命だったなぁ
「やくも」電車化から今年7月で40年 キサシ180って境線の大篠津に放置されてたのしか見たことないな。
旧大篠津駅から美保基地(米子空港)まで20分歩いた思い出の時代 >>612
たかが週4便(+不定期団臨)のために札幌に地上基地作って配送のトラックの運ちゃんやホームに
台車で揚げて積み込むおっちゃんも雇って…となると(他社に委託するとしても)どう考えても採算合わないよな >>618
キシ80の営業時代ならクリアできたけど、時代は合わないものだ。 合わないものですね(´TωT`)
そういえばキロ182の共食設備はいつ頃まで使われたのでしょうか
名目上の立食定員を設けたらキロシ182にもなりそうな設備でしたね
HEAT/Furico登場→駅弁の途中駅積み込み開始→バーターで車内調製中止? >>618
北斗星と共通化は難しかったか?
北斗星も仙台〜上野のクルーで、札幌を拠点にしてなかったのと、トワイライトは折り返し時間が短く激務だったのはあるけど。 単に札幌側に拠点を持つコストをケチっただけでしょうよ
カシオペア・北斗星は札幌駅近くにクルー休憩用のマンションがあったそうだし
札幌発の懐石は弁菜亭が調製したものが積み込まれていたけど
そういうのを共有するのも惜しんだってことでしょう クルーも食材も札サウでそのまんま折り返しでしたっけ? >>624
そうだが、上り北斗星はトワイライトと比べて、メニューの欠品が酷くなかったのが不思議だった。
運転時間の差がそうさせたのか?
またJR東の本社は北斗星のブランドとクオリティを確立したい目的があったが、トワイライトでJR西本社が対抗してきたので、共通化は面白くなく、お互いの道を進むになったかもしれない。 >>578
電車急行のビュッフェはサハシ455が窓側カウンターに止まり木を
備えていただけで他は全て立席では? >>627
https://www.toretabi.jp/train/vol34/01.html
そのようですね >>627-628
実際の営業運転は椅子があった記憶しかないので、登場当初だけだったか。
椅子がオプションで後付けだっただろうが、そのあたりはサハシ165なども共通なのね。
急行ビュッフェが全廃した1976年に、0系新幹線で全て立席のビュッフェが新登場
したのに驚いたものだった!
その当時は国鉄の累積赤字が露呈し、合理化でサービスダウンが謳われた時代だった。
併せて運賃・料金50%値上げも実施されたし。 37系ビュフェは食堂車ありきで設計されたんでオール立席
ビュフェというよりは車販基地メインだった
のちにこだまも置き換わったけどな(ただし電話室をビュフェ内に移して多少広げた) >>631
東北・上越新幹線の200系ビュッフェ車も、その流れで同じタイプになってしまったな >>492
いまはSNSやネットで告知できるから
その列車の運行全区間に有効な乗車券を提示した人だけが買えるようにすれば
鉄道会社側も増収に役立つんじゃないかな。 >>630
永年の疑問だった35と37の違い(違う理由)が分かりました
ありがとう
237は時代的にも「なし崩し」なんでしょうね(^_^; 1970年に大阪万博行くために乗った新幹線で初めて0系ビュフェを経験
富士山側にあるカウンター席に座って(くるくる回る椅子)ジュースと
カレーライスを食べたけど東海道新幹線のビュフェは意外と利用しなくて
0系や100系の食堂車ばかり利用していたあの頃ころ 37形は電子レンジ2台あるし奥にそこそこの広さの調理台はあるしチャンバーは35より大きいし
何よりコーヒーメーカーがあって(35は布フィルター)業務用扉もラッチ使う必要なかったんで
乗る側としては35より快適だったな
惜しむらくは提供するのが紙皿紙コップだったんで安っぽかったのが残念
今から思えば同じ紙皿でも(ハンバーガーチェーンがやってるように)トレイに乗せて出せば
印象違ったのかと思う
あと排水はシンクの下のポリタンクに溜めるんだが乗ったらまずやることはシンク下のチェックで
ポリタンクのままだったらゴミ袋で簡易ホースを作って排水口につなぐことだった >>637
それはもしや
本当はポリタンに溜めないとイケナイのを
排水口直結でタレ流していたという旧きよき時代のお話? >>636
通路って山側でしたっけ?
確か増備途中で壁に窓が付けられて通路越しに景色が見られるようになった >>639
> 通路って山側でしたっけ?
ビュフェは山側に窓だね
それに向かって座る感じ
> 確か増備途中で壁に窓が付けられて通路越しに景色が見られるようになった
これは食堂車 9分15秒ごろ、キサシ180を訪れる
【国鉄なつかしの風景】キハ181系「やくも」@〜1982年伯備線電化開業直前 松江→米子乗車リポ
https://m.youtube.com/watch?v=av0pi5jjyfY 富士の食堂車1978年か1979年。
コックと女性食堂長が長袖なのに、ウエートレスが長袖なのが不思議!
しかしコックの人数が、前画像の北斗星より多かったとは
https://youtu.be/w8FtOPfGSAc >>642
懐かしいポイントがありすぎるんだけど、
字幕! ななつ星や瑞風の服装指定にも引いてるのに
北斗星ごときでおめかしとか今の感覚だと何だかな >>639
>>640
通路側は山側で東京から新大阪駅に向かって右側です
一番山側には回転式の椅子が付いたカウンターテーブルがあって
次に通路があり、その次はキッチンカウンターがあって
山側の席が満席だとキッチンと隣あったカウンターで飲食する感じ
一番海沿いが厨房+キッチンと冷凍庫・冷蔵庫や棚がありました
以下のURL画像だと新大阪を発車して東京に向かう当時の0系
ビュフェをイメージした画像で大阪寄りの壁に速度計があって
東京よりには画像でも見えてますが手にエアーみたいなのを噴射して
手を消毒するような機械もありましたが詳細不明です
https://dotup.org/uploda/dotup.org2725242.jpg >>643
動画オープニングの富士が24系25形で牽引気がPFなので1978年以降ですね
昔の日本食堂門司営業所はパンちゃん(パントリー)、助さん(料理助手)、
料理長の3人乗務が当たり前の時で宇都宮氏も自信の単行本で書いています
1978年くらいまでは食堂車利用客も多かったし、動画の東京駅入線するところの
オシ24車内から撮影した入線時のシーンは貫禄さえあって懐かしさがこみ上げてくるよ
皿うどん、エビフライ、コンビネーションサラダ等でビールやウィスキーを飲んで〆は
ちゃんぽんを食べるのが自分のパターンだけど軽く飲むなら〆は関門定食に進む事が多く
一定金額以上に飲食すると飲食税の課税は痛かった 廃止直前の「ひばり」の食堂車で、こんなバーゲン価格があったとは!
https://youtu.be/3UzczIrbxGg >>649
フルカラーの8ミリで食堂車で食事っておぼっちゃまだなあw 同年代のぼくだけど、おとうちゃんは冷凍蜜柑しか買ってくれなかったな
特別急行に乗らなかったから、もとより食堂車なんかとてもとても キハ80末期「オホーツク」食堂車は早朝のせいか人気がない。
でも今は車販すらないこの列車に、食堂車があった事自体が奇跡か!
https://youtu.be/nXEzE6AEgaQ >>653
そりゃ現代からみたら奇蹟扱いだろうが、
当時は単にそれがデフォだったというだけだからな。
時代がだんだん変わってきて、食堂車が少しずつ消滅してきて、
その晩年の様子がその映像。 >>652
俺は子供の頃0系ひかりには何度も乗ったが、
親が「コスパ悪い」「席を立つの面倒」という理由で連れて行ってくれず
学生時代は18乞食だったし、大人になったら北斗星とトワイライトしか残ってなかったよ 親に食堂車に連れて行ってもらえずに涙をのんだ子どもは俺だけじゃないだろうな。
親が鉄でも駅弁派というケースもあるだろうし。
鉄でも食堂車に理解の無い奴は少なくない。
「ここだけ〇年前のスレ」で食堂車なくなったって愚痴ったら
「駅弁食べればいいじゃん」ってそういうことじゃないんだよ! それは鉄がどうこうは関係ないだろ
自分は連れて行ってもらった。サシ481、サシ581は覚えてる
なので子供はスシ24に連れていった。喜んでた
それ見て自分の親もこういう気持ちだったんだろうなって。自分が嬉しいんだな そんなん交渉次第やぞ
在来線は間に合わんかったが新幹線の食堂車はなんとかなったで 「自分で旅行(帰省)するようになってから食堂車に行きなさい」
自分で旅行できるようになったら飯代はケチるように 当時の食堂車の客の中には雰囲気だけでも味わおうとコーヒーやジュース一杯だけ注文する人もいたんじゃないかな。 幼少期にしらさぎ乗車中に退屈でゴネて、親父に連れられてジュースを飲ませてもらったのが国鉄時代の食堂車利用唯一の思い出。…多分4〜5歳くらいかな?未だによく覚えてる。 そら1日がかりで移動するし車内で2食は摂るからのお サシE261海側の、腰高感のある窓配置って
言われてみるとオシ16そのものですね(・∀・) カウンターに合わせて窓作ってるという意味では同じだけど
オシ16は窓は客の背後なんだよな
ついでにサロシ787(サハシ787)もカウンターの位置は窓が高い >>673
サンライズにもこの程度のものがあればなあ サンライズは出雲の車販すら消えたしな
前身の瀬戸のラウンジも生かされなかった 下り朝の岡山駅ホームでワゴン出せば何とかなるんじゃねーの >>677
今はコロナの影響やらでどうなってるか知らんけど、ホームの売店があったよ 自分は小学校の頃、上野から新潟行きの「佐渡」で食べたブッフェでの立ち食い蕎麦が忘れられない。
揺れながらこわごわ食べる蕎麦の味は覚えてないが、今となっては貴重な思い出だ。
その頃、立ち食い寿司もあったと聞いている。 東海道本線〜山陽本線の急行(比叡,宮島,関門,なにわ)
ではうどんそばのかわりに寿司を売っていた。 立ち食いではあるが、ちゃんとその道の職人が調理していたと聞いた。
味もそれなりにきちんとしていたのだろうな。 >>677-678
予約すればホームで待ってくれてて今でも買える >>682
だってフライヤーとはいえ天ぷら揚げられる人じゃないと 急行ビュフェの車両にフライヤーはないよ
揚げ物があるとしたら天ぷら鍋使用だ >>685
そうなの
メニュー的には天ぷらそばがあった オシ16の4人がけボックス
椅子が跳ね上げ式なのね
何故に!? 奥の人が出やすいようにじゃない?
イタリアのインターシティ用食堂車のテーブルの椅子もそんな構造だった こだまのビュフェは遅くまで営業していたが
同時期に100系のこだま運用があってもカフェテリアは全く営業しなかった。
カフェテリアの方が楽だろうに。(ワゴンの商材並べるだけ) いや売店営業もしてなかったよ
定期運行最終日にカフェテリアの特別営業したのが話題になったレベル 車販が来るのにわざわざ売店まで足運ぶ客も少ないし
売店営業するならそれ用に要員一人張り付かせないといけないし
車販のおねえちゃんが休憩してるときでも言えば売ってくれるし 東北新幹線のカフェテリアも末期は殆ど何にもなかったな
カフェテリアってどんなものかと廃止直前に仙台まで行って本屋覗いたらJTB復刻版時刻表の探してた
シリーズあったからムダに荷物が重くなって帰った記憶がw サンライズはユーチューバーの連中に車内販売やらせればいい
シーツ君とか喜んでやるだろう 食堂車調理補助、ビュフェ、車内販売のアルバイトは楽しかった
泊まりもあったり気の合うアルバイト同士ならホンマに楽しかったなぁ >>697
冗談抜きで日食の制服がめちゃくちゃ似合うと思う >>699
スーツは売る際に能書きが多いからクレーム出そう 初めて書き込むのですが(それもスマホで)
昔のお召し列車の食事関連について質問があるのですがここでよいですか? 満州皇帝溥儀が訪日した時のお召し列車に関しての話です。もしこのスレじゃない場合は誘導宜しくお願いします。 >>701-702
ここは板の性格的に個人的な思い出を語る場なんで
その手の資料もってそうな人はむしろ↓にいると思う
お召し列車スレッド 12号車
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1517628199/
ネタ鉄しか住みついててないかもしれんけど グランドひかりさよなら運転の時は食堂車復活営業してたが食堂営業許可証を返上してて車内で調理する事が出来ずケータリング業者に頼んでたはず そんなこともあったんですね
100系の食堂車よかったなーリニヤが完成したら復活しないかなー
葛西さんの影響力がどのくらい残存しているか次第か? リニアがのぞみ相当になって、新幹線はゆとりの旅を復活させる可能性も。
なんて記事がずいぶん前に。 輸送力逼迫&葛西イズム真っ只中の今は無理だけれども
ぷらっとこだまの旅を100系風味で味わえたら嬉しいよね
168-0のエッチングを復刻してくれたらボク泣いちゃうかもw >>708
リニアはのぞみみたいに1時間12本も走らないし
定員も1300はないし全席指定で立席も認めない(予定)で
基本キャパ不足なんで(とくに繁忙期)のぞみの役割は減ることはあっても
なくなることはないよ なくなることはないけど、非鉄アッパー連中はリニアに移行して乗ると思うから
ゆとりが生じるのは間違いなさそうだから、ヲタが期待するくらい自由ではと。 せいぜい全列車2+2座席化くらいの未来しか見えません ああそうか。ビュッフェ=食べ放題という
言葉に違和感があったのはそういうこと
だったか。すっかりと忘却していたよ。 海外のブッフェ(ビュッフェ)はそうだけど
日本だから、食べ放題という認識で基本OKかと。 buffet (仏)
1. 食器棚、飾り棚~転じて食卓の料理を自分で取り分けて食べる食事
2. 立食形式の会食
3. 駅や劇場の簡易食堂
4. ((俗))胃袋 >>713
それも車幅が在来線車両と同程度だからだろ >>715-716
当のフランスでは日本でいうビュッフェ的な供食設備はBarなんだよな
ドイツ語圏だとBordbistroやBistroになる
スイスにかつてBuffet Suisseという食堂車営業会社があって
営業は特に簡易というわけではなかったが
EW4食堂車はテーブル区画を一部つぶして
バーカウンターを設けた車両で営業していた
EW2やEW3の食堂車はそんな改造はしていない
かといってBuffet SuisseのEW4が日本のビュッフェサービスの
元ネタと考えるには新しすぎるんだよね みんながみんな早食いしてくれたら回転率が上がったが自由席代わりに長時間占領が多かったな
食材ロスも多かっただろうし 東京駅The Centralのメニューからビーフシチューが消滅してた
持ち帰りももちろんなくなってた
北斗星グランシャリオの名残ともいえるものだったので
サンライズに持ち込んで食べようかと思ってたんだが残念
デミグラスハンバーグはメニューにはあったけど店内のみ
持ち帰りはハヤシライスだけになってる ビーフシチューはサイドメニューにかろうじて残ってるよ
店の入り口にはメインメニューしか置いてないから載ってないけどね
ハヤシライスも以前のスペシャルハヤシが普通のハヤシライスとして一本化されたね
あとJR東系列の運営する店なのにオムライスを食堂車の味として
売りにしてるのはなんだかなと思った
オムライスなんてトワイライトのランチメニューの看板メニューだったのに オムライスは世代関係なく人気出てしまってるってのもあるんだろうな。
家じゃめんどくさい・・洋食屋っぽさでファミレスや
ラブホのルームサービスですら定番化w
食堂車現役時代利用年齢層より
若い世代にも売っていかなきゃいかんって事かも。 子供向けの図鑑で「半分作ったものを積んでいる」とか書いてあったな
調理時間短縮のために調理済みを積んでた
近鉄のスナックカーやしまかぜはレンジでチンしか出来ないはず >>720
エビフライやカニクリームコロッケとビーフシチューのセットもあるよ
ビーフシチュー単体をメインにしたセットは無くなったが
それだけ大きい肉を使ってたからかもね
赤ワイン煮込みも早々に取り扱い中止になってた
あと地味にドリアが消えている 厨房で使われた電気レンジは、単相200Vだと思うけど、ガスレンジに比べて火力や使い勝手はどうだったんだろう。
石炭レンジを知っているコックは不満だったらしいが。 見た目はIHが普及する前に建てられた古いワンルームについてるのと一緒よな 家庭用はニクロム線のコイルみたいなやつだけど、業務用はヒーターがぶっとい渦巻きのやつね。 >>727
石炭レンジの場合ステーキを焼く際に油を石炭にかけて火力を増すということをやってたらしいね レンジ用の石炭が足らなくなったら、炭水車の石炭を分けて貰った話もあったな。 サシが燃えます渦巻いて~
みんなくるくる
みんなくるくる
北陸隧道~ 帰りが北斗星の時間と合うと停車中にたまに自販機でサッポロクラシックとか買ってた記憶があるw >>738
ビュフェカウンターだけの車両なんて実在したっけ?
どの車両もテーブル席があるか、車両の半分が普通座席車だったか、カウンター前に回転イスがあったかしたはずだけど >>740
36+3のビュフェは半室グリーンで定員12名
その隣のマルチカーは定員0だけど食堂車じゃないのでスレチ >>742
こういう写真をホレッと出せるのがすごい。
記録しておきたくなるね。 当然オハ24-700ロビーカーもイスとソファー分の定員数表記されていた? https://www.youtube.com/watch?v=UhkDlJGF2TY
この動画(改造直後で出場前)を見たら、「定員 」で実数が空欄のままにみえる
ゼロにするかどうするか、最後まで決まらなかったんだろうか。 おそらく、オシ改造の701と702だけ定員24、
703-705の定員は26(?)だと思う。 >>739
オシ16って座席あったっけ?
あれはビュフェとはまた違うかも知れんが オシ16のデザイニングってすごいよね
ドトールとかで今も普通にありそうな感じ
内装を手がけたのも☆さん? プラ椅子ってのが木材よりも近代的でおしゃれとされた時代で
座り心地以外の見た目は確かに60年前としてはカッコいいよね
戦前や大正以前の住宅もまだあった時代、木目は「古いダサい」で
旧客も近代化改装と称してペンキ塗ってデコラ貼って蛍光灯化が美しいとされた時代
昭和末期~平成期に”ぬくもり”で木目・白熱色が見直されるんだから面白い まだソ連が健在だった1980年代のNHKのドキュメンタリー番組で、
シベリア鉄道が特集されてて食堂車から客席へ出前があるのを見て驚いた。
https://www.youtube.com/watch?v=lE-MRJlqn40&t=1491s&ab_channel=LorNa
24:20くらいから >>755
シベリア鉄道の伝統だね。今もあるよ、 制裁下と思えない普通の生活で
https://youtu.be/swa0vqU16z8?t=540 ウェルカムドリンクとフルーツ
https://youtu.be/swa0vqU16z8?t=1060 オードブルから、このあとメインも映る
日本人がロシアで割とリッチな生活してることの批判で 「帰ってこい非国民」
なんて中傷されて気の毒な人ではある。ドバイ永住権持ってるから余計にね
俺的には個人の自由と思うが >>744
なあ、貴方が納得する内容でなかったかもしれんが
>>745-748を一応レスしたんだから、何らかの反応くらいしてくれよ。 >>744
なあ、貴方が納得する内容でなかったかもしれんが
>>745-748を一応レスしたんだから、何らかの反応くらいしてくれよ。 Sイヒ
Cま
Rだ
Дな
Mの
B?
L
E 09/14 15時25壺 >>758
規制されて返信遅れました
ご回答ありがとうございました
お気に障ったのならこの度のご無礼をお詫び申し上げます >>635
37は27と共に新幹線電車では初の車いす対応個室を設置した車両。 ホリデーパルにナシ20が連結されていたはずだけど中はどうなっていたのか気になる そう、編成中一両だけ14系が組み込まれてた。
サービス電源の電圧は20系に合わせたのかな? サフィールに乗ってきたけど、不満だらけ。
第一に、カウンター席が座りにくすぎる。同じカウンター席でも近鉄しまかぜは座席がどっしり安定してるのに。
次に、予約システムが使いづらい。一番困ったのが、一人で料理を二人前オーダーできないこと。
食堂車でこの値段だと絶対に量が少ないやろと思ったら、やっぱりその通りだった。
あと、これは自分の勉強不足だったんだけど、いつのまにかラーメンばばあ終わってたんだな。ちょっと楽しみにしてたのに。 二人前オーダー普通にできるだろ
でなきゃ複数人のオーダーなんかできないでしょ
時間帯をまたいでのオーダーは出来ないから
二人前を一つの時間帯で食べきる必要はあるけど
あれを足りないなんて言ってる人なら余裕でしょ >>768
予約システムが昔と変わってるのかもしれないけど、少なくとも今は人数は入力できなくて、料理を2つ頼むと自動的に2人組と判断されて、座席を2つ占有するシステムになってる
なかなか予約の取れない列車なのに、隣の席が空いたままになるので、これはさすがに気まずい サフィールはメニューの更新に合わせて半年に一回くらいのペースで乗ってるけど
となりが空いてるのが気になるほど混んでたことなんて一回もないな
自分らも含めてだいたい3-4組くらいしかいない
予約なしで直接やってきて追い返される人たちは一杯いたけど >>767
足りない分の食料は事前にNEWDAYSで買い込んでおこう 新幹線の食堂車を利用するようになってから、ほどなく新幹線から食堂車が消えてしまった。甚だ残念な出来事だとボクは思う(-ω-)
寝台車の食堂は北斗星しか利用したことがない(-ω-)
北海道&東日本パスがお友達の旅だった。このスレで語るには経験値が余りにも足りなかったとボクは思う(-ω-) >>773
残念ですなー!ただ新幹線の食堂車が消えて、もう20年以上経つか!
トワイライトエクスプレスや夢空間の食堂車は利用してないの?
まあ2000年以降は、航空機移動は新幹線移動より実質交通費が安くなったのもあるが。 スシ24の厨房の排水って垂れ流しせずタンクに溜めていたの? 現役引退世代の当時撮り鉄でしたが、学生の頃含めて予算の関係であまり利用しなかったです
今考えたら、もったいなかったとしか言いようがないですね
DCでは、1986年のおおとりでの利用だけ(ほとんどキシの利用目的で比較的短区間だけ)
ECでは、1980年のいなほで、友人と一回くらい行ってみよう、で利用(サシはこの一回だけでした)
社会人になって、浜坂→東京で、いずも2号ではなく4号が直前で取れたため、
食堂車利用しました(これが客車では最初で最後ですね)
というわけで、のちにEURの列車に乗った時は、なるべく食堂車を利用しようといろいろ調査/調整しました
学生時代は、地方の名物的な駅弁も買わず、ホカホカ弁当優先になっていました
お前は、沖縄以外全国に行っているのに、地方の名物料理を全く知らない食っていない、と言われました
言われてもしょうがないです わかるなあ
あんなにあちこち行ったのに蕎麦ばかり喰ってた
みんなビンボが悪いんや 北斗星やトワイライト何度か乗ったけど結局1度もディナー食べなかった
1回くらい食べとけば良かった 鉄道博物館の日本食堂から北斗星廃止以来
ここと東京駅で楽しめてたビーフシチューがなくなってた
グランシャリオの残り香みたいなものだったのになあ
NRE系列の店なのにトワイライトのランチ名物メニューだった
オムライスが「え、俺所k同社独特のメニューですけど?j
って感じでメニューに並んでるのはなんかもやっとする >>776-778
昔の北斗星スレや食堂車スレでは
定期的にNREは高すぎるから吉野家にやらせろという議論が起こっていた 今でも小樽ワインを見るとつい手が出ちゃうのは
グランシャリオの所為。
当時はハーフを呑むのが精一杯だ(色んな意味で)った。 2002年大晦日、地元駅のみどりの窓口内に有ったチラシに八戸まで開通した
ばかりの東北新幹線と在来線特急に乗り換えて青森までが割引価格で行ける
企画券販売をしていることを知り、正月期間でも利用可能だと言うので、新幹線
のお試し乗車も兼ねて、青森駅から先は青函フェリーの2等ザコ寝室を経て北海道へ
渡った。
明け方、函館駅から遠くなった函館港から函館駅までの移動に難儀したが、
北斗星の無寝台乗車で札幌まで行った。ちゃんと食堂車で朝食も食ったよ。
車掌の「おはよう放送」の後を見計らって、車掌からシャワーカードも買って
シャワーも浴びた。
末端区間のみの乗車にも関わらず(それでも札幌まで4時間以上)、寝台列車で
やりたい事は大方やってしまった。
けど、長万部~東室蘭あたりまでに全ての行事を終えておかないと、地元では
どういう売り方をしているのか知らんが、北斗星の無寝台車両を午前の区間特急の
座席として販売しているらしく、長万部くらいまではB開放寝台の1階区画を独りで
占有できていたのが、ヨーロッパのコンパートメント席がごとく、その後は停車駅ごとに
続々と客が乗ってきて、札幌まで自分の区画は向かい合わせ5人で相席となった
ので、遅くにシャワーなんか浴びてると席を取られてしまいかねない。 2011/3/11の朝に、上り北斗星の食堂車からみた
汚染前の最後の清冽な安達太良山が忘れられない。
当時、直前にメニュー変更があり、
朝食がプリン付きなのをお姉さんが忘れてて
言ったら「ハァ?」みたいな応対が続いて
やっと気付いたのか途端に平謝りされたのも想い出。 個人的には人生初の食堂車は0系
しかも担当列車の少ない都ホテル列車食堂
トマトジュースも初めて飲んだ。
最後の0系食堂車は広島市民球場(広島ファンの大阪人です)からの帰路
和風スパゲティ。忘れられない。
100系では定番の「うなぎ蒲焼御膳」
弁当だが、当時存在した車内調製のうなぎ飯もよく食べた。ぶっといやつ
終焉時のビーフシチュー(復刻価格)も食べた。
本当の食堂車はトワイが最後かな。
でもなぜかよく覚えてない。乗り鉄的に自分に縁の薄い列車だったので アンデリスのプリンは悪天候でちょっと運休が入ると
在庫分が賞味期限を過ぎてしまうので
賞味期限に余裕のある夕張メロンゼリーに変わっちゃったんだよな 北斗星のディナーは一度だけ。1995年。
和風御膳のみロイヤルに出前可能だった時代、届けてもらった。
吸い物がきちんと熱くて嬉しかった。
朝食もロイヤルに出前できたっけ?出前してもらった記憶がある
しかしあれだね、単にロイヤルを取って乗るだけで
当時はタダでワインやら水割が付いてたんだなあ、と。
寝台列車の最末期の満身創痍な記憶に塗り替えられてそのままだから
あらためて今にして思えばすごいサービスだったよね。 下り北斗星はパプタイムでアラカルトでだらだら飲むのが最高だった。
白熱球の光、赤系の内装は、酔った眼に優しかったな。
>>788
お詳しいですね。銘柄とかゼリーに変更やらも知りませんでした。
貴重なデータですね 高いのもあるし雰囲気的なハードルが高そうだったので結局北斗星のディナーは食べず終いだったな
とりあえず適当に弁当食べて飲んで、パブタイムになったら食堂車行ってまた1食分食べて飲んでた
若い頃といえ相当暴飲暴食 >>791
確かにバブリーで、他と比べて高かった。
それでも北斗星は、廃止直前にディナー利用したけど、トワイライトは更に高く12000円だったので、結局利用せず。 一度だけ北斗星上りに乗ったことがあります
学生ではなかったですが、もちろん値段のため夜は弁当でした
朝可能なら、洋定食でも和定食でもあれば利用しようかと思っていましたが、
満席でこれ以上並んでも無理という放送が入っていました
よほど人気だったのでしょうかね
ちなみに、帰りの寝台券は当日朝に札幌駅で入手
はまなすの自由席に乗って、翌日のはつかりとやまびこの自由席券を購入しようとして掲示板を見たら
北斗星6号が×ではなく△になっていたため、窓口の駅員に今日の6号1枚と希望を言うと
もう売り切れ、でもたった今2号が1枚(B寝台)でました、と言ってきました
自分は瞬時に、それお願いします、という間に、駅員は同じく瞬時に操作開始
どうですかね、運ですが、タッチの差で取れなかったことが何回もありますから…
少しして、良かったです、取れました、2号のB寝台ですね
当時の人気は凄かったです
ちなみに、青函連絡船がなくなったあとは、この上り1回を除いて、
全部はまなすにお世話になりました スレチだが、はまなす号は秋田延長のに1回だけ秋田まで乗った
急客に長く乗れてお得だった。
まさか最後の急行/最後の定期客レになろうとはね。 昭和50年代食堂車の献立はどういうものだったのですか カレーライス、ハンバーグ定食、エビフライ定食、ビーフシチュー、幕の内弁当・・・ プルニエ定食(鮭のソテー、エビフライ、ホタテフライ)
スパゲティベロネーズ(カツ乗せミートソース) コンビネーションサラダ
はあったかなあ?
ハムサンドウィッチ
はあったと思う。 ビフテキに焼肉定食は必ずあったような
子供だから一応気を使って焼肉定食ばかり
自分で稼ぐようになったらビフテキ食ってやろうと思ってたら食堂車が無くなった >>802
銀河鉄道999では普通に使われている。
根が貧乏な鉄郎は食いなれていない。 >>802
「古語」だな。そっちが正しい。
世代的には通じる、生きていることばだからね。
死語ってのは、ことばとしてリアルで誰も使わなくなり、
文献や研究分野だけ取り扱われるような語のこと。
たとえばトラホームなんかは死語。 >>804
ビフテキから派生した語(トンテキ)のほうが
現代によく使われてる語の典型だね。 999のビフテキって合成だったっけ?
作品の中では合成じゃないラーメンが最高級のご馳走扱いされていたな そんな懐かしのアニメで使われてる用語を
今も使われてるみたいな体で語られても 新幹線の食堂車で食べたのは一度だけある模様、写真は残ってるが全く記憶にないのが残念。 さくらとかみずほでは、ちゃんぽんを出してたんじゃなかったっけ? >>810
らしいですね
まつかぜだったか、出雲だったかは
大山おこわ定食とか聞いたことある様な 「ビフテキ」なんて大阪の洋食屋へ行けば必ずメニューに載ってる
https://i.imgur.com/stFs7uI.jpg
勝手に死語や古語にしないでくれ 西村京太郎のトラベルミステリー「超特急つばめ号殺人事件」の中で1940年のつばめ号車中の描写があって食堂車のメニューに
「ダブルビーフステーキと野菜3種類(果物、パン、珈琲付)1円50銭」
というのがあったんだけど文字通りビーフステーキが2枚入った料理なんだろうか?
この当時だから当然石炭レンジの直火で焼いてたから美味しそう 言っても無駄だよ大阪の2字に反応してるだけだから
大阪ガー、鉄屑ガー、その他いろいろガーで有名な人物 食堂車にあった石炭レンジって、グリル直火みたいな使い方OKだったのかな?
よくよく思い起こしてみると、自分、食堂車の石炭レンジの構造全然知らないわ。どこから石炭焚べて、炎と熱がどういう風に流れて、最後に排気がどう煙突に流れるとか?
資料見たことない >>821
おくどさんみたいなもんでしょ
知らんけど >>810
ちゃんぽんは、さくらの方。
>>812
出雲・まつかぜどちらにもあったよ!あと気動車特急時代のやくもにも。 気動車の食堂車(キシ/キサシ)ってアッパー感あるの何故だろう
客車は別格にしても、少なくとも電車食堂車よりはアッパー感がある >>828
時刻表の気まぐれであったり消えたりw
ただ在来線昼行特急のメニューは、少なくとも新幹線博多開業以前に終わっている。 ななつ星の食堂車が廃止されて、サロン車に改造されたらしい
クルーズトレインですら食堂車が廃止される事に時代を感じる クルーズトレインは宿泊も地域の高級宿へ、にますますシフトして
日中の移動だけに特化する様になるんでないかな
景色も路線から見るより宿周辺の方が良いのが九州
線路際は草木生え放題で大した眺望じゃないし >>830
運行開始当初から展望車をダイニングルームにしてて
そっちで食事をとる客のほうが多かったけどな
1泊2日コースだと2日目朝食が阿蘇駅だったから
3回の車内食のうち1回当たるかどうかだった
3人グループがいて4人掛けテーブル席のリクエストがあったら
まったく回ってこなくなる人たちもいる >>831-832
食堂車で豪華な食事を提供する事に拘っている瑞風とは対照的だな
四季島はどうなんだろう 四季島と瑞風は全員ダイニングカーになる代わりに二回に分けるけどね
あと四季島はコースによって朝食がダイニングとラウンジに分かれる
ただし自由席なのでダイニングが良ければ空くまで待つという手もあった
瑞風はダイニングを使わずに全員部屋食の回もあった
ただ瑞風のラウンジの構造が食事を提供するには不向きだから
そうなってる面もあると思う
逆に四季島は客室には小さいテーブルしかないので部屋食ができない >>830
スレチになるが、やっぱり登場すぐに何でも乗ったほうが得策だわな。
価格も、サービスも。
ただし抽選式ではまったく勝ち目がないしどうしようもない
ネット予約(自分自身で素早く予約完了させた順)なら公平なチャンスがあるんだけどね スレチついでに
小浜線くろまつ、初年度から3年連続で乗ったが
初回は手探り的ハレ的な特別感や県の補助でもあったのか激安だったし、
二回目も買物の金券が付いてたり特製グッズ配布など充実してた。
ところがコロナ悪化で1年飛んだことが良くなかったのか、
つい先日の三回目は、ぜんぜん良くなかった
ふだんの丹鉄線内のやり方のまま小浜線へ延長しただけの感じで。
まあ、新型コロナの発生そのものだって、
「何があるか分からないから少しでも登場当初に乗るほうがよい」
に含まれることだともいえるけどね。 ↑
記念撮影用の特製ボードすら、今年は無かったんだよ。
(2回めまでは存在した)
あと、今年は乗車記念証が最初から置かれてて
自分で捺すというギミック感も失われ、
しかも押印済みの日付が翌日になってたし。。
沿線特産である若狭塗の箸が用意され、食事後に記念にそのまま持ち帰れるという、
まさに小浜線への臨時運行にしかできないような特色も
今回は無かったんだよね。
いろいろ残念だったから別の場所でも書いたけど
やはり早いうちに乗ったほうがよい一例として備忘しておきます。 >>835
みずかぜも、スイートはともかくとして、ロイヤルツインやロイヤルシングルは部屋食に向いた構造をしているとは言い難い
狭い部屋でギリギリ何とか部屋食サービスが提供できたような状態
>>837
出たばかりの頃はサービス価格で提供されるから安い値段で利用できる上、
車内の各種備品や設備をほとんど未使用の状態で使用できるからね
後になればなるほどサービス改定やら補修費用の負担などで値段が高くなっていく 昔の日本の寝台特急は、ななつ星、瑞風、四季島と比べて車内の食事が不味かったのは何故だろう?
クルーズトレインが出た当初は、往年の寝台特急と比べてこんなにも上等な食事が提供できるのかと驚いたものだが そりゃそうだろ。寝台特急は何人相手だと思ってんだよ。値段も違うし
大衆食堂と予約制のレストランを比べて不味いとかなに言ってんだろう
クルーズトレインの話したけりゃそのスレいけよ >>841
瑞風の1泊2日コースの二日目のランチは自分の部屋で食うぞ
それもななつ星の二日目のランチみたいなお弁当形式ではなくコース料理 新幹線グランクラスの軽食もどんどん廃止されてるしな
どの列車もとりあえず登場したらすぐ乗った方がいい 近郊型グリーン車も車掌に代わってアテンダントが乗務するようになった当初は
プラトレーパッケージのミックスサンドイッチを車内販売で売ってたな 国鉄時代、博多発着の0系「ひかり」で食堂車を営業していた頃は、新大阪以西の山陽新幹線内では
各駅停車になる「ひかり」もあったが、これらの「ひかり」は山陽新幹線「こだま」の
役割をしていたことになるため、山陽新幹線では「こだま」でも食堂車を営業していたことになる 新幹線のビュッフェは車内販売基地の役割もあって、車内販売のサンドイッチはビュッフェの厨房で調製したものだったんだよな。
いまのJRCPやJWFNSのセントラルキッチンで作られたものよりも、はるかに出来立てに近いものが食べられた。 0系「ひかり」の車内販売用のサンドウィッチは食堂車のコックが調理室で調製していたようだ。 >>847
各駅に停まろうとひかりはひかりでこだまじゃないから 夜間の東京発姫路行「ひかり」は0系で運転されていた頃はビュッフェのみ営業で
食堂車は営業休止、ビュッフェは東京~新大阪間営業だったが、100系V編成に
置き換えられてからも食堂車は営業休止だった。 >>848-849
サンドイッチもだが、上で書いたが車内調製のうなぎ飯は美味かった。
当たり前だが、食堂車が営業していなければ食べられない弁当だから
二度と食べられない。食べておいてよかった。
てか、ああいう弁当折の横幅フルくらいあるぶっとい鰻は
今は出回ってないから、再現もなかなか困難だね。
(あの太い鰻は我々の馴染んでる鰻とは別品種らしく、
昔は代替的な感じで流行ったが、日本人に好まれず下火になったらしい) >>850
食堂車を少しでも長く利用したくて、
わざわざ停車駅の多いタイプの営業ひかりを選んだりしたなあ。
もちろん少額でケチったりせず、きちんと頼んだよ。
それが目的なわけだったからね >>852
車販のうな重用のうなぎはこだまにも積み込まれてたよ(社内調製用なので)
だから食堂車の営業とは直接関係はない
なおうなぎそのものは新大阪積み込みは共栄水産、東京積み込みは登亭のもの
パッケージには鹿児島産となっていた(中華うなぎなんてまだない時代)
今この2社が当時と同じように扱ってるかどうかまでは知らない 新幹線車両は全幅が3,380mmで作れる為、100系の食堂車は中が広くて凄かったな
新幹線の車両限界の幅の広さが、JR在来線の観光列車や欧州の高速鉄道では不可能な広くて快適な食堂車を実現していた >>844
瑞風のザ・スイートのリビング・ダイニングで食べる食事は最高だよ
一両一室の部屋が無いななつ星や四季島では絶対に不可能な最高の部屋食サービス >>854
たしか米飯は予め炊飯したものをコンテナー(勿論食品運搬用)に入れて駅や車両基地で車内に積み込んでいたんだっけ。 かつての車内調製と今の工場製造のやつでは今のが美味しいかもよ
思い出補正前提でな 都ホテル列車食堂でも帝国ホテル列車食堂でも、新幹線の食堂車の料理に使う
ハンバーグソースやステーキソースは工場で作られたものだっため、
ホテルの厨房で料理長が仕込むソースの味とは異なり、人によっては、
新幹線の食堂車の料理は都ホテルが美味いとか帝国ホテルの方が美味いとか意見が
分かれてたよな 名前で損してたと思う、丸玉給食
学校の給食が嫌いだったから、子供の頃はこの列車だけは絶対乗りたくないと思ってた
「帝国」「都」「聚楽」と比較して「丸玉」という名前はコミカルなイメージだったし 上野駅前にレストランを出してるしお茶の水にホテルもあるじゃないですか あの聚楽ってマリリンモンローの聚楽とは関係あるの? >>854
意味がよくわからない
こだまなど別列車に積んでたことはよいが、
それは別列車(の食堂車)で調整したものなのか? それとも、ビュフェ内とかで車内調製してたってこと?
おそらくこっちかな
どっちにしたって、
「車内で製造された弁当」は今は食べられないことには違いないね
>>852で言いたかったニュアンスはそっちだったので >>860
損してたのはどちらかというと企業名の「給食」のほうじゃないかな。
「丸玉」もたしかにアレだが、単体では変わってるな程度で
そこまでマンガには感じない
けど、「給食」って付くと相乗効果で滑稽になる >>857
コンテナというが単にジャーだね
それも家庭用のじゃなくて酒樽みたいな業務用のもの
最低でも一本、多客期には複数
乗ったらまずうなぎ弁当の調製で飯を容器に入れパックのうなぎをレンチンして作る
東京折り返しの時に残ったのはそのままレンチン(付け合わせは一旦取る)か飯だけ入れ替えて下りで売る
なおこの時に入れ替えた元の飯は乗務員が食うこともあるが(捨てるだけなので)
飯にタレとうなぎの脂が染みてて結構美味い レンチンと言えば九州の787系ビュフェのメニューはなかなか美味かったな >>870
今の肥薩おれんじ鉄道区間で、海沿いの風景をおかずに食べた高菜ピラフはうまかった。
値段もそんなに高くなかったし。 都ホテル列車食堂は、キハ80系の特急「あさしお」の食堂車営業も行っていたようだが、
メニューはカレーライス程度の軽食主体で、食器もアルミ製だったとか。
「あさしお」の食堂車の営業成績は振るわず、昭和50年に「あさしお」の食堂車は
廃止された。 >>871
それも食べたよ。チャオファンシリーズ良かったな
にちりんシーガイアだと独自メニューがあったりしたもんだったなぁ
あれももう20年前か・・ >>857
どこで見たか忘れたけど、家庭用のジャーでライスを持ち込んでる列車がある
ホームで待機してるところを、確か撮影した気がするんだけど写真が出てこん >>869
酒樽みたいなジャーは保温機能しかなくて、炊飯はできなかったはず。
役割としてはお櫃みたいなもの。
大量の米を一気に炊き上げるには、ガスの火を使って大釜でやる方が効率がいいし。 >>875
もちろん炊飯機能なんかなくて保温のみであらかじめ地上設備で炊いたものを積み込む
なので多客期には数本持ち込むし途中で足りなくなるようであれば新大阪や東京(折り返し)駅で
要求して補充もする
食堂だと一応米も積んでるがあくまで非常用で車内で飯炊くことなんてめったにない
(炊くときは鍋を利用して炊く)
そもそも車内にガス設備なんてないし
第一車内で炊いてたら飯炊きあがるまで営業できないだろ 在来線食堂は経験ないのでわからないが昔のブルトレの列車追跡に「コックが朝5時半だかに起きて朝食用の飯を炊いた」との
記述があるんで長時間とか途中で補充できる駅がないとかだと車内で飯を炊くことも普通にあったんだろう
調理器具がレンジにかける鍋釜なのか電気釜なのかは不明だが
ただ上に書いたように車内で炊くと炊きあがるまで営業できないので発駅では炊きあがった飯を積み込んだのか
営業開始が発車後1時間程度たってからなのかは知らない(もしかしたら列車によって違うかも) キシ80の調理室には最後まで電子レンジは入らなかったので、トーストでも
焼き魚でも電熱コンロやオーブンで焼け具合を見ながら調理していた。 北陸トンネル列車火災事故の原因は、オシ17型食堂車の石炭レンジの火の不始末ではなく、
車両の電気配線の漏電が原因だったが、事故の翌日からはオシ17は全車運用から退いた。 >>881
急行の食堂車が風前の灯火だったので、いい機会だったのだろう。
当時はまだ特急の食堂車は、ほぼ当たり前だったけど。 >>882
きたぐに以外は十和田(下り2号、上り3号)だけだったんだよね サンライズ出雲には食堂車・ビュフェ・カフェテリアが無いが、
サンライズ出雲乗車中に食事を取りたくなったらどうするの?
外で弁当を買うにしたって、その為に電車を止めてもらうわけにはいかないだろうし >>881
そもそも労働組合側はずっと食堂車の廃止を訴え続けてた
揺れる車内で刃物や熱湯を使う仕事は危険だし、運転士なんかと違って途中駅での交代がなくて拘束時間も長すぎたから >>884
乗る前に買って持ち込むしかない
途中で買い物が可能なのは上り瀬戸の岡山停車中のみ
それ以外は停車時間が短かったり早朝や深夜で店が開いてない >>885
そもそも食堂事業者は国鉄じゃなくて別会社なんだから
組合が労働条件を盾にして口を出すのは余計なお世話だよな
食堂事業者のほうから採算が取れない人が集まらないから止めたい、と当局に申し入れするならまだしも >>878
宇都宮さんっていう食堂車でコックやってた人の本読むとその辺詳細に書いてあるよ。
夜行列車じゃ普通に石炭レンジで米炊いたそうな。
>>885
聞いたことないな。
運転士も車掌も食堂車から食事回してもらってて恩恵被ってたんだが。ハチクマライスなんかまさにそれだよ。
あ、もちろん運転士は弁当な。 >>888
宇都宮さんといえば、以前九州の門司港の博物館で講演聞いたよ。
当時副館長だったかな。 昭和26年に製造された旧型食堂車マシ36は、調理室に電気レンジや電気冷蔵庫を
備えていたが、これらの電化設備が不調だったために、石炭レンジや氷冷蔵庫に取り換えて、
マシ3511・12と形式番号が変更された。 >>890
発電用エンジンを積んでいた重量級食堂車か。
結局、サービス電源を編成単位で供給する集中電源の方式にした方が何かと便利ということで、後の20系客車の基本思想になったんだよな。
分散電源の14系はひとつの電源で5両まで電源を供給できたけど、何かと電気を食う食堂車を組み込むと、どのくらい影響が出たんだろうか。 電車特急「白鳥」の食堂車のクルーは青森から大阪まで途中駅で交代もせずに通しで乗務して、
大阪で一泊、翌日の青森行き「白鳥」で青森に戻り、2日休みという行程だった。 欧米では巨大な車軸発電機を床下に吊ってプロペラシャフトで回してた
走行抵抗も大きかったに違いない >>892
それが事実なら青森発は早朝6時台だから点呼時間何時なんだよという
事務所に前泊しないと出勤できないだろ
特に冬は積雪もあるし >>891
積んでないよ。発電用エンジンを積むようになったのはオシ17からだろ
どっちも車軸発電機はついてる。36は冷房もその電力からだけど、マシ35は直接駆動なんだよな 特急「まつかぜ」1・4号の食堂車は日本食堂米子営業所の担当だったが、
食堂車の従業員は大阪~米子間担当のグループと米子~博多間担当のグループがあって、
両グループの食堂車従業員は米子駅で交代していた。 >>894
当然寮、もしくは宿泊所が用意されてたよ >>891
うろ覚えだけど、オシ14が給電区分内に入ってると4両までの給電だった気がする。 かの「毒入りコーラ事件」の犠牲者は
新幹線食堂車でバイトしていた高校生だったそうですね。
宿舎に行く道中の電話ボックスに置かれていたコーラを飲んでしまった不幸だったとか・・・ >>898
合ってる
オシは2両分消費でカウント
登場時の基本編成は8両だったからオシ入でもキハネフ2両で足りていた >>894
白鳥に食堂車があった頃は、青函連絡船があった時代だから、青森発は4時50分だった。 >>900
手元に昭和63年当時の編成表があるけど、食堂車組み込みの14系はさくら・みずほの熊本運転所所属。
全8両で、オシ14は5号車。
その他はスハネフ14が2両、オロネ14は1両、オハネ14が4両。
スハネフ14が2両で10両分の電源を賄えるから、電力供給は1両分余裕があるな。 キハ80系はキハ82が7両編成まで給電可能だったが、食堂車連結の時は、
きし80は2両分と換算されて給電されていたな >>899
その事件以降某BTはバイトに高校生を採用しなくなったと聞いた
なお急変して死亡した某高輪の宿泊所(の部屋も)はそれ以降も普通に使われていたとも >>901
出勤の点呼ってだいたい1時間前ぐらいだから乗務員が青森ベースだと夜勤と変わらないな
点呼するほうも当直みたいなもんか >>905
でも折り返し時にしっかり就寝時間取れるじゃん
大阪側ベースだと仮眠時間取るの難しいぞ
23時50分着、4時50分着で5時間しかないからね 瑞風は、コロナ禍以降に積極的に部屋食サービスを提供するようになったけど、
四季島やななつ星はどうなの? 瑞風はコロナ前から最終日ランチは部屋食だぞ
四季島は割と車外での食事も多いし車内の食事も2回に分けてる
ななつ星は今回のリニューアルで定員そのものを減らした >>904
本人の不注意とはいえオフ時間に被害に遭ったわけで
事件と仕事場や勤務とは全く無関係なのにな。 一応労基法に準拠して休憩時間(睡眠時間)は取られている
白鳥(大阪−青森時代)の末期は、全区間JR東日本の車掌が担当しているものの
大阪−新潟 新潟運輸区
新潟−秋田 秋田運輸区
秋田−青森 青森運輸区
の3区が交代して乗務していた >>912
そうだよ
それを前提に話をしているわけだが 最近5chどこでも、こんなやりとりばっかり
噛み合ってない
まず最初にスレタイにまったく関係ない
車掌の行路の話を唐突にレスした910がおかしい 晩年の特急「雷鳥」の食堂車は酷いもんだった。
食器は使い捨ての紙皿やアルミホイル皿、ナイフ、フォーク、スプーンは
プラスチック製の使い捨て、定食は四角いプラスチック製の弁当箱に入ったものだった。 仮に他例として車掌行路の話題を出したいなら
「スレチになるが」とか、一応ひとこと含めたほうがいいね。 ↑どんな動画だと思ったら
唐松の例のJJIたちのキモい馴れ合い動画シリーズじゃん。。 >>903
編成途中にキハ82を組み込まない場合、最大で座席車のみの場合は14両、食堂車組み込みの場合13両の編成が組成できたんだな。 できないよ。4両給電だよ、キハ81とキハ82
キシをいれたら3両。独り言老人とは会話が成立しないから突っ込まなかっただけだよ >>919
違うよ、キハ82 1両の給電能力は座席車自車含めて4両分、キシ80組み込みは3両分。 基本組成は両端が82のキロキシ込みで7両、白鳥はそれを2本くっつけて14両編成にしてた いろんなサイトから拾った情報では、キハ80系は7両ないし6両で1編成になってるね。
基本的にキハ82が2両、キロ80とキシ80が1両、キハ80が2両または3両。
食堂車抜き編成ではキシ80の代わりにキハ80が宛がわれている。
これがキハ181系になると、最大9両で組成しているのでキハ181は1両でサービス電源を5両まで給電できるのがわかる。
1編成当たりキハ181が2両、キロ180とキサシ180が1両、キハ180が5両。
どっちにしろ食堂車1両で、2両分の電力消費とみなされているのは一緒だな。 >>920
はつかりでキハ81が2両で10連組んでたみたいだけど? >>924
はつかりは食堂車がキサシで発電セット積んでたからな
キハ81型2両とキサシ80型1両でこの3両から他車8両に給電可能 サービス電源用の電動発電機を搭載していたから、電源供給体制を維持するためにビュッフェの営業を中止した後も編成から外されなかったサハシ165みたいな例もあるからね。 >>926
MG故障の際、サービス電源をMG故障側に融通する切り替えスイッチがサシにあった為、中々編成からサシが抜けなかった583系ってのもあったね >>927
大昔で記憶も薄れたが、
ブッフェの設備は半車で2(3)等車との合造車、
売店設備になった時は、
車両の2〜3割ほどの面積だったような。 サハ164なら定員56人だから片側窓3つ+戸袋窓分(左右3ボックス半ずつ)客席が少ない(モハは定員84人) クルーズトレインのラウンジ車両だけど、瑞風は最初から乗客が目の前でバーテンダーが作るカクテルをそのまま飲めるバーカウンターを設置したのに、
どうしてななつ星と四季島は設置しなかったんだろう?
キッチンで作ったカクテルをラウンジにある席や宿泊室までサービス係に持って来てもらう方式だと酒やカクテルが届くまでタイムラグがあって楽しみが半減する そのかわり瑞風にはピアノがないから
バータイムの生演奏はピアノ抜きになっちゃうんだよね
バイオリンの担当が葉加瀬太郎風のヅラ付けて瑞風演奏し始めたのはワロタけど
でも四季島はコロナ中にしか乗ってないからピアノは昼しか使ってるの見たことないな 瑞風は車内でピアノを聴く事よりも、1号車や10号車の展望車で景色を見る事を重視しているように感じるから別にピアノは必要ないと思う クルーズトレインで食堂車での食事を二交代制にしてしまったのは、
高額な料金を支払っている顧客の側からすれば納得できないんじゃないの?
食堂車を2両にするとか、ラウンジを食堂スペースにするなどの工夫をして、
全ての乗客が一度に食事を取れるようにした方が顧客サービスとしては良かったと思う 2両でほぼ同時方式でやってたななつ星は結局定員減らして
1両に収まるようにしちゃったんだよな
ただ希望通りにいかない可能性があるという前置きはあるけど
ディナーの時刻の早めか遅めかはある程度希望を聞いてくれたように記憶してる 厨房が激狭いから一度に作るのは難しい
キッチンカーを先回りさせるなどの対策が必要 ななつ星みたいに朝食専用の施設火星を阿蘇駅に設置するとか、
瑞風みたいに朝食や昼食を提供する為のレストランアルマーレを設置するなどして車内厨房の負担を減らす方法がある
ただし、これは車内の食堂車や自室で食事を取りたいと考える顧客からは反発されるリスクがある ななつ星は、食堂車のキッチンスペースの面積が瑞風や四季島のキッチンスペースよりも狭いように見える
キッチンが狭い所為で、料理の供給能力に限りがあり、これがななつ星の頻繁な停車と車内の食堂車ではなく外部レストランでの食事の回数の多さを招いているのかも 厨房面積が広くないから外部レストランでの食事回数が多くなったのか
外部レストランでの食事の回数を多くするというコンセプトだから厨房に面積を取らなかったは不明だが
ただ意匠重視で実用(厨房面積)は気にしてなかった感はある 定員は収益に直結するから、あんまり客室スペースを犠牲にするわけにもいかんのやろ ななつ星は定員を減らした後また値上がりした
一人部屋があるトワイライト瑞風は別として
ほかのクルーズトレインは一人利用は料金が二人分と大して変わらないから
見合った分はしっかり客から取ってることになる
まず先に固定した料金制度がある普通の夜行列車とは考え方が違うよ ななつ星は、定員を20名にして3泊4日の値段を2名一室利用で250万円の高級路線で行くのなら、客室は全室一両二室前提で広々とした設計で作るべきだった。
1泊2日の旅行ですら130万円の値段設定なのに、一両三室で狭い上に簡易ベッドではななつ星マニア以外は納得しないでしょう いつまでヲタのどうでもいいベキベキを聞かないといけないんだよ
食堂車のスレだよ。しかも懐かし板。現役の話はしかるべきスレでやるべき クルーズトレイン総合【四季島・瑞風・ななつ星・Royal】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/rail/1646388671/
折角専用スレ立ってるのにな
現役系の鉄道系の板はお断りされてる連中がここでクダ巻いてるのかもしれんけど 現行語り&ベキ語りは全て>>931から始まってるね。 旧国鉄やJRの食堂車ばかり語るんじゃなくて、私鉄の食堂車に付いて語って欲しい >>949
厨房を備えたまともな食堂車って伊豆急ぐらいしか思い浮かばない
車外で作られた料理を食べるだけの場所って食堂車と言っていいのか? 明智鉄道の大正ロマン号や,肥薩鉄道のオレンジ食堂のことですか バックヤード的にはレトルトオンリーであっても
「あたたかい食事」が提供されるのは含めてよいと思う
近鉄特急(しまかぜ:各食事メニュー/青の交響曲:カレーのみ)
は含めてよいと思う。
ヨコカル時代の「白山」カフェテリア(正式呼称忘れた)もカレーがあったし
SVOの1階もカレーがあった >>950
伊豆急行のTHE ROYAL EXPRESSは、ななつ星の失敗を反省したより合理的なデザインとなっているように思う
厨房スペースがより広くなっていて調理能力が大きく改善されているようだ 東急の線路は車両限界がJR在来線よりも狭いんだっけ? 食堂車を自由席代わりに利用された列車の食堂車は軒並み廃止となった
食堂車を存続させるには、最初から食事代込みでチケットを販売しないと経営が成り立たない >>953
正式名称、ラウンジ&コンビニエンスカー
だったと思う。 >>959
950は現在の食堂車の話をしろなんて言ってないぞ >>963
958の最後の一文はそのグルメ列車とやらの話をしてるんじゃないのか >>953
何で懐かし板で近鉄の話をするのにスナックカーじゃなくてそいつらなんだよ >>962
屁理屈言うな
振ったネタが現代なら実質的に同じだ >>961
どうも
バブル期をかんじる随分モダンな名前ですね >>967
屁理屈でも何でもないよ
何で板違いの話題で居座ろうとするんだよ
訳が分からん
950は現代のネタなんか振ってないだろ
伊豆急以外って言ってるんだから昔の話だ >>970
やめたというか期間限定でどんどんメニューが入れ替わるシステム
今はスパゲッティになってる
次はうどん、そばにでもなるんじゃない? >>970-971
そういうことは>>966のスレでやれ 「べき調」なら、列車営業運転中の食事提供専用車両が廃れた理由としての「べき」の方が良いんじゃね?
廃れた理由 ← @@@@という手を打たなかったからだ = @@@@すべきだったんだ
っていうね。 個人的にベッキーのケツの形は好き
日本人にはない感じ >>978
二階建て食堂車は新幹線のスピードアップを妨げるから厳しいな
博多新大阪間で、一階建ての食堂車を設置し、二時間以上を掛けて高級料理を提供する食堂新幹線を実装するのはありかも でもその区間現役当時でも低コスト全振りの社食や学食向けの業者が営業してた区間じゃないですか 新幹線に乗る客はある程度裕福だから、安かろう悪かろう不味かろうの料理を提供しても売れない
大阪市や福岡市にあるまともなレストランと同等以上のメニューを提供しないと客が付かない というか東京からの客以外金使うの渋いってのが常識だったと思うが
今も歴然とある平均所得差で首都圏は突出してるし
航空会社のファースト・プレミアムも羽田からの路線に集中 消費税や自動車税をものともしないお金持ちは東京に住んで、
地方民は高額な消費税や自動車税に苦しめられる有様 >>982
瑞風は京都、大阪、新大阪、下関発で、ななつ星は博多発なのに、
どうやってお金持ちの客を集めているんだろう?
京都駅、大阪駅、新大阪駅、下関駅、博多駅は、首都圏から乗るには駅の場所が遠すぎる >>983
自動車税より駐車場代のほうが痛いと思うよ。
漏れは自前の土地だからいいけど、この辺りの相場は月額22,000円〜23,000円。 >>984
このスレで議論すべきは今走ってる奴じゃなくて
パーラーカーが山陽落ちの時に外された経緯とかじゃないの? そういうこと。一部の金持ちは何処にも居るが
多数が使わなきゃ定期列車の商売にはならん。 >>984
乗ることが目的なんだからわざわざ乗りに来てるに決まってるだろ
ななつ星なら飛行機でやってきてななつ星に乗って飛行機で帰る
鉄ヲタでさえトワイライト乗るために大阪へ行ったやつ多数いるのに 日本食堂から、食堂のご案内をいたします。
ただいま8号車の食堂では、お食事・お飲物をご用意して、皆様のお越しをお待ちしております。 >>988
鉄道に敬意を払って首都圏から博多駅まで鉄道で移動して来るのならともかく、
飛行機で福岡空港に乗り付けて博多駅に行くのはキモ過ぎる >>989
なお、自由席の客にコーヒー一杯で終点まで居座られる模様 いま列車内での食事場提供車両なんて組み込んだら、利用客に対してマスク マスクって
五月蝿いくらいだろうな。 >>990
ななつ星→目的
乗車まで・下車後→移動手段
なんだから何ら問題ない
「鉄道に敬意を表して」なんて平然と口にする鉄ヲタのほうがキモい
クルーズ船に乗るのに乗船地(横浜発なら横浜)まで他の交通手段使うのと同じだ >>989
食堂車が8号車とは、24系25型化後の博多あさかぜ・富士・はやぶさ・出雲とか? ここはコーヒーとバターとデミグラスソースが混じったような匂いが漂うスレッドですね。 このスレッドは1000を超えました。
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