長距離・夜行普通列車 ★2
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いまではほぼ絶滅してしまいました。
薄暗い白熱灯の中、直角のシートに身を寄せ
朝焼けを見た遠い日。
そんな長距離・夜行普通列車のスレッドです。
マタリ語りましょう。
※前スレ
長距離・夜行各駅停車
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1221998814/ 何で民放や他マスゴミはNHKをすくらむぶる化しろって誰一人言わないんだ?
受信料なしで堂々とTV買えるし強敵が弱体化してくれるようなもんだろ。
うれしいことだらけじゃないか。 このタイトルから、山陰本線も随分と様相が変わったな!
国鉄時代は客車長距離普通列車の宝庫。
824列車を筆頭に乗換えなしで遠くまで行けたが、今ではブツ切り。
出雲市〜益田はキハ120単行がほとんど。
そして赤字ローカル線同然になった、城崎温泉〜鳥取や、益田〜幡生は存廃まで
取り沙汰されている。 夏の山陰本線 客車鈍行列車の昼下り 行き違い列車の待ち合わせで海辺の無人駅に停車 閑散とした車内は静まり返り 海側の窓を開けると線路の向こうから夏虫の鳴く音に混じって微かに波の音が聞こえてきた >>1です。
実は前スレも自分が立てて、14年続いたスレの2をまさか自分で立てるとは思わなかった。
なんだか感慨深い。
本スレもどうぞよろしく。 >>5
1986年の夏、旧型客車最後の年(和田岬線は除いて)
その状況を思い出します
浜坂の駅前の銭湯に入って、夜は居組駅でエキネ
餘部駅は先客で満室で諦めました 国鉄時代の山陰本線はボトーソ便所の宝庫でしたねぇ
今でもかなw 放送電波暗号化を開始しよう 09/17 03時03壺 インドの3等夜行普通列車に乗ると、古き良き時代の日本の列車を思い出す。
ただし、木製の座席はこたえる。 海外では、木製座席は結構体験しますね
特に短距離の、電車区間などは多いと思います
EUR長期出張で、土日には地元のプッシュプルの普通客車列車に交じり、時々古い客車にものりました
いまでは、2-4両の新しい電車や気動車になっているようです
廃線バス化も含めて、日本と同じ状態みたい 短距離の電車などでは、以前は木製、最近では樹脂製の椅子が多いです
(ヨーロッパ内) 時刻表1980/07から
京都発の客車普通列車
525:浜田(2121着)
550:園部(647着)
829:園部(954着)
907:出雲市(2154着)
1557:福知山(1857着)
1658:園部(1813着)
1718:福知山(2020着)
1740:園部(1853着)、休日運休
1814:福知山(2048着)
1855:園部(2005着)
2204:出雲市(翌948着)、山陰
朝夕の多客時の運用が多かった+長距離は荷物運用優先と思われる
末期の旧型客車の使われ方の考え方が見えてきます 時刻表1980/07から
大阪発の客車普通列車
537:出雲市(1950着)
727:福知山(1141着)
827:篠山口(1045着)
1008:米子(1040着)
1103:篠山口(1257着)
1213:鳥取(2007着)
1507:福知山(1836着)
1712:福知山(2032着)
1753:福知山(2120着)
1830:篠山口(2051着)
1958:福知山(2311着)
2145:福知山(翌043着)
こちらも傾向は似ていると感じました 冬の奥羽本線 下り夜行普通列車で迎える朝 昨晩乗車した上野駅の喧噪から何時間経っただろうか いつの間にか乗っていた赤い頬の女子高生や薄い学生鞄の男子高生もみんな米沢駅で降りてしまったようだ ひっそりとした車内にはジョイント音だけが響き疲れて重い体が心地よい 青森駅に着くのは今夜 まだまだ続く旅を楽しもう 普通 上郡⇔青森 は、いつからいつまで走っていたのですか。 時刻表1971/07から
421レ:上野2241→557福島620→742米沢804→916山形926→1512秋田1558→2157青森
自分はまだ小学生の頃のため、さすがに上記の列車は全く記憶にないです
記憶にあるのは、上野駅で見た次の列車
123レ:上野1117→2300一ノ関
この列車は、上野で家族と見たことがあります(親戚の見送りで上野駅に行った時)
一ノ関って、相当遠いところまで行く普通列車なんだ、と思っていました 421レですが、1971/08/11〜08/13まで、品川始発2147
かつ、東京・上野では乗車できません、という記載を見落としていました
ちなみに、尾久は通過ではなく2248という記載です
ということは、文字通りに解釈すると、品川の次は尾久になります
本当でしょうか、ね 本当でしょ
1975年までは山貨だけじゃなくいまでいう上東ラインにも臨時を通してた
盆や年末年始は混雑を分散するために品川発
上東経由のは東京、上野に止めるとなんのための品川発かわからないから通過 >>23
品川から乗車して1時間後にまだ尾久駅とはのんびりしたもんだ >>24
そういやなんで東北上越を高架にしちゃったんだろ
品川車両基地を流用するためなのか単純に東海幹直通をぶち上げたアフォな幹部が居たのか
東京~上野経由の富士行きってのもあったようだけど需要はあったのだろうか >>24 >1975年までは山貨だけじゃなくいまでいう上東ラインにも臨時を通してた
もう3年位早いんでは?
>>26 東京地下駅あるのに、更に新幹線用の地下ホームを東京駅の下に造る余裕あるんだろうか?この辺り、地下鉄路線も多いし。 オハ61とかオハ35とか。
背もたれにはクッションついてた。
板のまんまは80系の初期のやつ。
電車だし長距離じゃないが、広島−岩国あたりに1970年代まで残ってた。
青色の更新客車、10系じゃなくて、木部はグレーでペイントされ、金具もステンレスっぽいのに
取り替えられていたやつ。
照明も蛍光灯に変わってたな。
1960年代後半、日豊本線、山陽本線あたりで乗ってた。
急行「夕月」とか。 >>27
少なくとも1975年の年末までは上東ライン通していた。
鉄道ピクトリアルの1976年4月号に秋葉原駅を通過する急行あおもりの写真が出ている。 定期列車では1970年台前半まで平塚発の籠原行き(115系)が運転されていた
更に臨時だけど湘南日光(準急から急行へ格上げ、157系)が伊東から日光まで運転されていた 昭和30年8月
普通 柳井⇒門司港
柳井518⇒953小倉1000⇒1359大分1406⇒2108都城2122⇒044人吉056⇒327大牟田340⇒557博多603⇒854門司港
普通 鹿児島⇒京都(岩徳線、呉線経由)
鹿児島430⇒1019熊本1036⇒1618門司1628⇒玖珂2107⇒034呉040⇒233糸崎300⇒521岡山540⇒801姫路827⇒1126京都 柳井ってのがいいね。フェリーからの乗継客対応だな。 ガキの頃に、前橋発熱海行に、小田原から乗った記憶
時刻表1971/07から
前橋544→(2938M)→上野756→808東京812→(951M)→1023熱海
これらしい
北行は、熱海1501→(952M)→1707東京1711→1716上野→1718→(2967M)→1929新前橋
上野東京ラインは、普通電車は当時1本だけらしい 山陽本線なんかよく走ってたよなあ、白文字のB寝台。
普通列車の寝台には乗ったことないんだけどw
ましてや、ボックスの夜行なんて・・ながらの前身165には乗ったかww 貧乏人の数なら昭和40年代の方が圧倒的に多いよ
数字で物を見る癖を身につけた方がいいね JR貨物よ。
もうお前しかいない。
貨物列車に客車を連結し、座席や寝台を販売するんだ。
直に小売りできないなら旅行会社へ販売してもいいぞ。 大井川鉄道がJRへ線路使用料を払い、東京から大阪まで客車列車を運行してもイイと思ふ 大井川鉄道がJRへ線路使用料を払い、東京から大阪まで客車列車を運行してもイイと思ふ 夜行専門の第二種鉄道会社立ち上げ、なんてありえない?
相当高額な料金を覚悟 単純に貨物に頼んで、余裕のある列車に客車をくっつけてもらったらどうだ
問題は、大鉄の客車は、貨物より最高速度が低い事だろう 屑の論外妄想
・大鉄がJR各社に使用料を払って団体列車的な運転を行なう
・大鉄がJR貨物に使用料を払い、貨物列車の一部として運転を行なう
(客の扱いはどうする?)
・大鉄が第二種鉄道会社として、東京/大阪間の運転許可を得る
機関車はJR貨物から使用料を払うのがまだ現実的?
はっきりって、屑と言われてもしょうがないレベルにしかならなかったです
JR貨物が旅客輸送を行なうのはあり?
一番の障害はなになるのでしょう >>50
安心しろ
おまえ以上の鉄屑馬鹿はいないからw >>54
> 旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律
> 第一条 北海道旅客鉄道株式会社及び四国旅客鉄道株式会社(以下「旅客会社」という。)は、
> 旅客鉄道事業及びこれに附帯する事業を経営することを目的とする株式会社とする。
> 2 日本貨物鉄道株式会社(以下「貨物会社」という。)は、貨物鉄道事業及びこれに附帯する事業を経営することを目的とする株式会社とする。
> 3 旅客会社及び貨物会社(以下「会社」という。)は、それぞれ第一項又は前項の事業を営むほか、
> 国土交通大臣の認可を受けて、自動車運送事業その他の事業を営むことができる。
> この場合において、国土交通大臣は、会社が当該事業を営むことにより第一項又は前項の事業の適切かつ健全な運営に支障を及ぼすおそれがないと認めるときは、認可をしなければならない。
なのでまず国交大臣の認可が必要 >>54
次に運行する区間の第一種または第三種事業者に了解を取り、第二種事業者になることが必要
そしてここでも国交相の認可が必要
そして最後にJR貨物自体にやる気がないと駄目
おそらくここが最大の障害 夜行列車一般の話だけど、夜行列車の起終点となる操車場や操駅が今の日本ではほぼ絶滅してしまっている。アメリカでは今でも縦横無尽に長距離大編成列車が走ってるのに。また中国でも欧州班列なる長大列車が走ってるのに。
ただ、寝台列車となると、世界的に減少傾向が止まらないらしい。 「からまつ」「43レ/44レ」「441M/442M」「733M」「347M/344M」「南紀→はやたま」
「山陰」「731D/762D」「ながさき」が毎日走っていた頃が懐かしく思えてならない >>60
からまつが一番早い廃止で、青春18きっぷ利用で乗れる機会がなかったな。
からまつが走行してた富良野〜新得も、1年後に終了だし。 >>60
言うだけなら平成生まれでも可能だが
あなたは全部乗ってソレ言ってるの? 懐かしい、という言葉そのものです
「からまつ」→これだけ乗っていません
(ご指摘の方がおりますように一足早く廃止)
「43レ/44レ」→41レ/46レでお世話になりました
カーペット車増結の時もあり、ハが2両は少なかったように思えます(ハが3両や4両)
あまり空いている記憶がないです
「441M/442M」→一番お世話になった感じです(下りだけになっても使わせていただきました)
貧乏学生は当然として、社会人になっても頻繁に利用するとは思ってもいませんでした
「733M」→これは一度だけですね、赤羽→宮内ですが
新前橋か籠原で切り離しがあったような記憶です(大騒ぎしていた人たちもいました)
「347M/344M」→345/340も含めて定番ですね、ここに来る方なら何回もお世話になったのでは?
「南紀→はやたま」→旧型客車の頃は和歌山市発の附属の1両に乗車が一番印象的、この車両は空いていました
12系になっても一度ありました(165系は無いですね)
「山陰」→これも旧型客車で何回かありますが、途中区間の利用ばかりの記憶です
夜行区間ばかり乗りましたが、あまり空いていた記憶はないです
「731D/762D」→解放キロではなくて解放指定席車?すぐにこの車両からうまっていました
「ながさき」→2月か3月の利用ですが、寒い記憶、ナハ10など軽量客車は隙間風が多いと感じてPASS
蒸気暖房は前の車両があたったかいという都市伝説(列車伝説)で10系ではない前の車両に乗っていました
貧乏学生の記憶です
ちなみに学生時代の寝台車の利用は皆無で、
せめて旧型客車の普通列車の寝台車に1回くらい乗っておけばよかったと後悔ばかり、残念 自分もからまつ以外は世話になった
通勤客も含め混雑の天王寺発に比べ、和歌山市発は穴場中の穴場
今では考えられない設定だよね 国鉄時代は、意味不明な長距離鈍行が多かった。
旧客が活躍した線区の多くはそうだった。
荷物や郵便輸送も兼ねていただろう。
1984年2月改正の操車場合理化や、国鉄最後の1986年11月改正で荷物列車と旧客が消えて、夜行列車も相当消えた。 >荷物や郵便輸送も兼ねて
→荷物列車で、旅客輸送もかねて、もありました
末期では、41レ42レ43レ46レが良く知られておりました
函館⇔苗穂間なのですが、おまけで連結のハザは2両(多客時増結)函館⇔札幌間で旅客営業
北海道以外では、鹿児島本線や日豊本線で乗りました
時刻表には一部ですが荷物列車まで掲載もあり、同じ時間で普通列車の時刻も掲載があり、
それで旅客営業区間がわかりました
>旅客なんてついで
実際に九州の荷物列車は、本当にそう感じました(ハザは何と1両のみでした) おまけで連結のハザは通常は2両(多客時増結で3〜4両)
申し訳ございませんが修正させていただきます 夜行列車の衰退は日本に限ったことではないが、ただし海外の場合は夜行バスの台頭によるところが大きい。
例えば中国では寝台バスなんてのがある。
翻って日本では夜行バスも衰退傾向にあり、また夜行列車の衰退が旅客列車に限らないことから、もう少し根深い事情があるのでは。 >>71
最長距離鈍行824レの送り込みですね
あれって冬場の暖房どうしたんだろう?
関門間はEF30かEF81だから暖房用蒸気や電源無いし
自分が乗ったのは夏休みだったからか電機だったけど?確かDD51は関門トンネル走れた筈だから冬場はDD51?
それとも下関で予熱かけて出区?
トンネル内が殆どだから寒さは我慢してもらった? 真偽は確かめようが無いけど、
急行荷物列車で3等座席車を、
機関車の次位に1両だけ連結して、
普通はそれを旅客輸送にも使い、
時として受刑者の輸送にも供用したとか。
その時は別に荷物車編成の反対側に3等座席車を
何両か連結して旅客輸送に使用。
ありそうだと思える理由は、
昭和40年代から50年代にかけて、
東京から九州方面へ座席車だけの普通急行が残っていて、
その編成が機関車次位に3等座席車・2等座席車・以降が数両の3等座席車。
合計で6〜7両編成が2セット連結されて、
九州で分離されて別々の終着駅に向かう。
その普通急行列車に学割周遊券で旅行するのに、
機関車次位の3等座席車が空いている様子でホームで並んでいたら、
駅員から「受刑者(と後で意味が分かった)」専用だから乗れない、
と言われて後ろの3等の列に並んだ。
普通急行が需要の増加で定員しか乗車させない
「受刑者」輸送に使えなくなって、
ほかの刑務施設への移送も少なからず存在して、
急行貨物列車での移送になったらしい。と。 新幹線or飛行機とホテルより夜行列車で移動する方が効率良い場合もある
東京ー岡山のサンライズが良い例
バスは安いけど危険性が高いから一概に良いとは言えん
日本人は夜行列車を蔑ろにしすぎだわ >>77
何をもって「効率がよい」とするか次第だな
寝てる時間の間に移動できたら確かにその「時間」は有効に使えるけど
狭い寝台で車両の揺れや走行音、落としているとはいえ照明などに悩まされて睡眠の質が悪くなる、あるいは全く眠れない、とかだと翌日の仕事とかに差し支えるし 昭和59年2月改正で門司発福知山行き山陰本線824列車は、門司〜下関間が廃止されて
下関発出雲市行きとなり、出雲市で出雲市発福知山行き532列車と接続する列車となったが、
下関から福知山まで途中、出雲市での乗り換えがあっても普通列車で行けることには変わりなかった。
532列車はのち50系客車に置き換えられた。 >>79
そもそも門司発だった理由って何だったんだろう?
そして下関発に短縮された理由も
今現在だと福知山への山陰本線経由普通列車での日着は
門司だと不可、下関だと可だけど
このあたりの変遷がどうなっているかも興味があるな >>80
長距離ナンバー2の831レにも、対になる門司ー下関間の短距離列車がありましたよね
門司まで送り込んだのは荷物の関係かな?59-2で荷物扱いの整理進んだからわざわざ門司まで行く必要が薄れたとか? >>80-81
実態は区間列車の繋ぎ合わせだった。なので長距離利用は全く想定していない。
荷物輸送の絡みがあっただろう。国鉄時代は東北地方や北海道にもそんな列車が多かった。 福知山に到着した824レの客車は福知山駅で夜間滞泊後、翌朝一番の福知山発浜田行普通列車として
福知山を出発していたが、この福知山発浜田行普通列車ものちに福知山発米子行と米子発浜田行とに
系統分割された。 浜田発大阪行き726列車ものちに運転区間が米子~大阪間に短縮された >>84
寝台特急だけど長崎→大阪→青森(あかつき・日本海)という
運用があったな
車両基地を出たら5日間帰ってこれない 浜田まで折り返した後、再度別列車として下関まで向かってたんだろうか?
そうしないと再び福知山行きを仕立てることができないし 客車列車全部でローテを組むから凄い行程になるなのだろう
京都口、大阪口にも行ってたのだろうか
列車によって両数も異なるだろうし
やりくりが大変そう >>81
それだね。なんかで読んだと思ってみたらジャーナルの183号だった
大阪のスユニでだいせんで出雲市に来て、各停で下関、翌朝の631レ-824レで
福知山、翌日、大阪。これで郵便やってたんだからそりゃ廃れるわ
>>88
客車は4とか5両の基本編成があってその組み合わせ。それに付属の1両とか2両がつく
おなじジャーナルに米子の運用表あったけど京都も大阪も行ってるね 大阪発出雲市行き721列車は古市・南矢代は通過していた。
この列車は時折、鳥取から後藤車両所入場回送の気動車が連結されることもあった。 >>72
夜行バスも衰退傾向って何?
コロナ以外でそんな傾向あったっけ?? >>91
LCCなど航空運賃が実質下がったことや、格安高速バスの台頭で、高速バス同士の競争激化などだろう。 >>89
自分がこの運用知ったのはその183号をリバイバル掲載した623号の記事でした 民営化や6社化が無ければ、今より面白い事になってたな
今じゃムーンライト系すら全滅でクソだもの >>94
そうとは言えない。国鉄最後のダイヤ改正が緊縮財政で、かなり面白くなくなっていた。
北海道の函館〜札幌夜行廃止、天王寺〜新宮夜行が天王寺行きが廃止されて縮小気味。
ムーンライトシリーズの設定は民営化後。 オレも、少なくとも「今より」はそうだと思うが。
長距離と夜行は全滅状態ではなかったはず
社界というタガが無いからな。
今では社界どころか支社界すら跨げないレベルになってしまい
テツ的には大いにつまらん >>96
国鉄が天文学的な赤字で、末期10年程はお金がない大義名分で次々と縮小していった。
会社跨ぎの代わりに鉄道管理局の境目があったので、その調整もあった。
JR各社の支社なども旧鉄道管理局をベースで振り分けられ、バブル景気もあって、民営化数年間は会社間跨ぎもそのベースで融通が効いていた。
やがて各社の新型車両が、国鉄車両を置換えて跨ぎがだんだんと減っていったな。
そしてコロナ禍で、国鉄分割民営化時点で恐れていた路線の縮小などが、現実に直面している。 働き方改革?もでかいと思うよ
国鉄時代の長距離列車、夜行列車はそれこそ人を人と思わんレベルで酷使して成り立ってた部分があるだろうし
JRになって21世紀に入って、様々な技術革新があってもなお、長距離・終夜運行の人的コストは改善できない以上、取りやめていくという選択はやむを得なかったのでは 集団就職列車でお上りさんが乗った列車って普通長距離列車?
そのお上りさんも成功して寝台特急あけぼので帰省するのであけぼのは出世列車って呼ばれていたとか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています