長距離・夜行普通列車 ★2
いまではほぼ絶滅してしまいました。
薄暗い白熱灯の中、直角のシートに身を寄せ
朝焼けを見た遠い日。
そんな長距離・夜行普通列車のスレッドです。
マタリ語りましょう。
※前スレ
長距離・夜行各駅停車
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1221998814/ 何で民放や他マスゴミはNHKをすくらむぶる化しろって誰一人言わないんだ?
受信料なしで堂々とTV買えるし強敵が弱体化してくれるようなもんだろ。
うれしいことだらけじゃないか。 このタイトルから、山陰本線も随分と様相が変わったな!
国鉄時代は客車長距離普通列車の宝庫。
824列車を筆頭に乗換えなしで遠くまで行けたが、今ではブツ切り。
出雲市〜益田はキハ120単行がほとんど。
そして赤字ローカル線同然になった、城崎温泉〜鳥取や、益田〜幡生は存廃まで
取り沙汰されている。 夏の山陰本線 客車鈍行列車の昼下り 行き違い列車の待ち合わせで海辺の無人駅に停車 閑散とした車内は静まり返り 海側の窓を開けると線路の向こうから夏虫の鳴く音に混じって微かに波の音が聞こえてきた >>1です。
実は前スレも自分が立てて、14年続いたスレの2をまさか自分で立てるとは思わなかった。
なんだか感慨深い。
本スレもどうぞよろしく。 >>5
1986年の夏、旧型客車最後の年(和田岬線は除いて)
その状況を思い出します
浜坂の駅前の銭湯に入って、夜は居組駅でエキネ
餘部駅は先客で満室で諦めました 国鉄時代の山陰本線はボトーソ便所の宝庫でしたねぇ
今でもかなw 放送電波暗号化を開始しよう 09/17 03時03壺 インドの3等夜行普通列車に乗ると、古き良き時代の日本の列車を思い出す。
ただし、木製の座席はこたえる。 海外では、木製座席は結構体験しますね
特に短距離の、電車区間などは多いと思います
EUR長期出張で、土日には地元のプッシュプルの普通客車列車に交じり、時々古い客車にものりました
いまでは、2-4両の新しい電車や気動車になっているようです
廃線バス化も含めて、日本と同じ状態みたい 短距離の電車などでは、以前は木製、最近では樹脂製の椅子が多いです
(ヨーロッパ内) 時刻表1980/07から
京都発の客車普通列車
525:浜田(2121着)
550:園部(647着)
829:園部(954着)
907:出雲市(2154着)
1557:福知山(1857着)
1658:園部(1813着)
1718:福知山(2020着)
1740:園部(1853着)、休日運休
1814:福知山(2048着)
1855:園部(2005着)
2204:出雲市(翌948着)、山陰
朝夕の多客時の運用が多かった+長距離は荷物運用優先と思われる
末期の旧型客車の使われ方の考え方が見えてきます 時刻表1980/07から
大阪発の客車普通列車
537:出雲市(1950着)
727:福知山(1141着)
827:篠山口(1045着)
1008:米子(1040着)
1103:篠山口(1257着)
1213:鳥取(2007着)
1507:福知山(1836着)
1712:福知山(2032着)
1753:福知山(2120着)
1830:篠山口(2051着)
1958:福知山(2311着)
2145:福知山(翌043着)
こちらも傾向は似ていると感じました 冬の奥羽本線 下り夜行普通列車で迎える朝 昨晩乗車した上野駅の喧噪から何時間経っただろうか いつの間にか乗っていた赤い頬の女子高生や薄い学生鞄の男子高生もみんな米沢駅で降りてしまったようだ ひっそりとした車内にはジョイント音だけが響き疲れて重い体が心地よい 青森駅に着くのは今夜 まだまだ続く旅を楽しもう 普通 上郡⇔青森 は、いつからいつまで走っていたのですか。 時刻表1971/07から
421レ:上野2241→557福島620→742米沢804→916山形926→1512秋田1558→2157青森
自分はまだ小学生の頃のため、さすがに上記の列車は全く記憶にないです
記憶にあるのは、上野駅で見た次の列車
123レ:上野1117→2300一ノ関
この列車は、上野で家族と見たことがあります(親戚の見送りで上野駅に行った時)
一ノ関って、相当遠いところまで行く普通列車なんだ、と思っていました 421レですが、1971/08/11〜08/13まで、品川始発2147
かつ、東京・上野では乗車できません、という記載を見落としていました
ちなみに、尾久は通過ではなく2248という記載です
ということは、文字通りに解釈すると、品川の次は尾久になります
本当でしょうか、ね 本当でしょ
1975年までは山貨だけじゃなくいまでいう上東ラインにも臨時を通してた
盆や年末年始は混雑を分散するために品川発
上東経由のは東京、上野に止めるとなんのための品川発かわからないから通過 >>23
品川から乗車して1時間後にまだ尾久駅とはのんびりしたもんだ >>24
そういやなんで東北上越を高架にしちゃったんだろ
品川車両基地を流用するためなのか単純に東海幹直通をぶち上げたアフォな幹部が居たのか
東京~上野経由の富士行きってのもあったようだけど需要はあったのだろうか >>24 >1975年までは山貨だけじゃなくいまでいう上東ラインにも臨時を通してた
もう3年位早いんでは?
>>26 東京地下駅あるのに、更に新幹線用の地下ホームを東京駅の下に造る余裕あるんだろうか?この辺り、地下鉄路線も多いし。 オハ61とかオハ35とか。
背もたれにはクッションついてた。
板のまんまは80系の初期のやつ。
電車だし長距離じゃないが、広島−岩国あたりに1970年代まで残ってた。
青色の更新客車、10系じゃなくて、木部はグレーでペイントされ、金具もステンレスっぽいのに
取り替えられていたやつ。
照明も蛍光灯に変わってたな。
1960年代後半、日豊本線、山陽本線あたりで乗ってた。
急行「夕月」とか。 >>27
少なくとも1975年の年末までは上東ライン通していた。
鉄道ピクトリアルの1976年4月号に秋葉原駅を通過する急行あおもりの写真が出ている。 定期列車では1970年台前半まで平塚発の籠原行き(115系)が運転されていた
更に臨時だけど湘南日光(準急から急行へ格上げ、157系)が伊東から日光まで運転されていた 昭和30年8月
普通 柳井⇒門司港
柳井518⇒953小倉1000⇒1359大分1406⇒2108都城2122⇒044人吉056⇒327大牟田340⇒557博多603⇒854門司港
普通 鹿児島⇒京都(岩徳線、呉線経由)
鹿児島430⇒1019熊本1036⇒1618門司1628⇒玖珂2107⇒034呉040⇒233糸崎300⇒521岡山540⇒801姫路827⇒1126京都 柳井ってのがいいね。フェリーからの乗継客対応だな。 ガキの頃に、前橋発熱海行に、小田原から乗った記憶
時刻表1971/07から
前橋544→(2938M)→上野756→808東京812→(951M)→1023熱海
これらしい
北行は、熱海1501→(952M)→1707東京1711→1716上野→1718→(2967M)→1929新前橋
上野東京ラインは、普通電車は当時1本だけらしい 山陽本線なんかよく走ってたよなあ、白文字のB寝台。
普通列車の寝台には乗ったことないんだけどw
ましてや、ボックスの夜行なんて・・ながらの前身165には乗ったかww 貧乏人の数なら昭和40年代の方が圧倒的に多いよ
数字で物を見る癖を身につけた方がいいね JR貨物よ。
もうお前しかいない。
貨物列車に客車を連結し、座席や寝台を販売するんだ。
直に小売りできないなら旅行会社へ販売してもいいぞ。 大井川鉄道がJRへ線路使用料を払い、東京から大阪まで客車列車を運行してもイイと思ふ 大井川鉄道がJRへ線路使用料を払い、東京から大阪まで客車列車を運行してもイイと思ふ 夜行専門の第二種鉄道会社立ち上げ、なんてありえない?
相当高額な料金を覚悟 単純に貨物に頼んで、余裕のある列車に客車をくっつけてもらったらどうだ
問題は、大鉄の客車は、貨物より最高速度が低い事だろう 屑の論外妄想
・大鉄がJR各社に使用料を払って団体列車的な運転を行なう
・大鉄がJR貨物に使用料を払い、貨物列車の一部として運転を行なう
(客の扱いはどうする?)
・大鉄が第二種鉄道会社として、東京/大阪間の運転許可を得る
機関車はJR貨物から使用料を払うのがまだ現実的?
はっきりって、屑と言われてもしょうがないレベルにしかならなかったです
JR貨物が旅客輸送を行なうのはあり?
一番の障害はなになるのでしょう >>50
安心しろ
おまえ以上の鉄屑馬鹿はいないからw >>54
> 旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律
> 第一条 北海道旅客鉄道株式会社及び四国旅客鉄道株式会社(以下「旅客会社」という。)は、
> 旅客鉄道事業及びこれに附帯する事業を経営することを目的とする株式会社とする。
> 2 日本貨物鉄道株式会社(以下「貨物会社」という。)は、貨物鉄道事業及びこれに附帯する事業を経営することを目的とする株式会社とする。
> 3 旅客会社及び貨物会社(以下「会社」という。)は、それぞれ第一項又は前項の事業を営むほか、
> 国土交通大臣の認可を受けて、自動車運送事業その他の事業を営むことができる。
> この場合において、国土交通大臣は、会社が当該事業を営むことにより第一項又は前項の事業の適切かつ健全な運営に支障を及ぼすおそれがないと認めるときは、認可をしなければならない。
なのでまず国交大臣の認可が必要 >>54
次に運行する区間の第一種または第三種事業者に了解を取り、第二種事業者になることが必要
そしてここでも国交相の認可が必要
そして最後にJR貨物自体にやる気がないと駄目
おそらくここが最大の障害 夜行列車一般の話だけど、夜行列車の起終点となる操車場や操駅が今の日本ではほぼ絶滅してしまっている。アメリカでは今でも縦横無尽に長距離大編成列車が走ってるのに。また中国でも欧州班列なる長大列車が走ってるのに。
ただ、寝台列車となると、世界的に減少傾向が止まらないらしい。 「からまつ」「43レ/44レ」「441M/442M」「733M」「347M/344M」「南紀→はやたま」
「山陰」「731D/762D」「ながさき」が毎日走っていた頃が懐かしく思えてならない >>60
からまつが一番早い廃止で、青春18きっぷ利用で乗れる機会がなかったな。
からまつが走行してた富良野〜新得も、1年後に終了だし。 >>60
言うだけなら平成生まれでも可能だが
あなたは全部乗ってソレ言ってるの? 懐かしい、という言葉そのものです
「からまつ」→これだけ乗っていません
(ご指摘の方がおりますように一足早く廃止)
「43レ/44レ」→41レ/46レでお世話になりました
カーペット車増結の時もあり、ハが2両は少なかったように思えます(ハが3両や4両)
あまり空いている記憶がないです
「441M/442M」→一番お世話になった感じです(下りだけになっても使わせていただきました)
貧乏学生は当然として、社会人になっても頻繁に利用するとは思ってもいませんでした
「733M」→これは一度だけですね、赤羽→宮内ですが
新前橋か籠原で切り離しがあったような記憶です(大騒ぎしていた人たちもいました)
「347M/344M」→345/340も含めて定番ですね、ここに来る方なら何回もお世話になったのでは?
「南紀→はやたま」→旧型客車の頃は和歌山市発の附属の1両に乗車が一番印象的、この車両は空いていました
12系になっても一度ありました(165系は無いですね)
「山陰」→これも旧型客車で何回かありますが、途中区間の利用ばかりの記憶です
夜行区間ばかり乗りましたが、あまり空いていた記憶はないです
「731D/762D」→解放キロではなくて解放指定席車?すぐにこの車両からうまっていました
「ながさき」→2月か3月の利用ですが、寒い記憶、ナハ10など軽量客車は隙間風が多いと感じてPASS
蒸気暖房は前の車両があたったかいという都市伝説(列車伝説)で10系ではない前の車両に乗っていました
貧乏学生の記憶です
ちなみに学生時代の寝台車の利用は皆無で、
せめて旧型客車の普通列車の寝台車に1回くらい乗っておけばよかったと後悔ばかり、残念 自分もからまつ以外は世話になった
通勤客も含め混雑の天王寺発に比べ、和歌山市発は穴場中の穴場
今では考えられない設定だよね 国鉄時代は、意味不明な長距離鈍行が多かった。
旧客が活躍した線区の多くはそうだった。
荷物や郵便輸送も兼ねていただろう。
1984年2月改正の操車場合理化や、国鉄最後の1986年11月改正で荷物列車と旧客が消えて、夜行列車も相当消えた。 >荷物や郵便輸送も兼ねて
→荷物列車で、旅客輸送もかねて、もありました
末期では、41レ42レ43レ46レが良く知られておりました
函館⇔苗穂間なのですが、おまけで連結のハザは2両(多客時増結)函館⇔札幌間で旅客営業
北海道以外では、鹿児島本線や日豊本線で乗りました
時刻表には一部ですが荷物列車まで掲載もあり、同じ時間で普通列車の時刻も掲載があり、
それで旅客営業区間がわかりました
>旅客なんてついで
実際に九州の荷物列車は、本当にそう感じました(ハザは何と1両のみでした) おまけで連結のハザは通常は2両(多客時増結で3〜4両)
申し訳ございませんが修正させていただきます 夜行列車の衰退は日本に限ったことではないが、ただし海外の場合は夜行バスの台頭によるところが大きい。
例えば中国では寝台バスなんてのがある。
翻って日本では夜行バスも衰退傾向にあり、また夜行列車の衰退が旅客列車に限らないことから、もう少し根深い事情があるのでは。 >>71
最長距離鈍行824レの送り込みですね
あれって冬場の暖房どうしたんだろう?
関門間はEF30かEF81だから暖房用蒸気や電源無いし
自分が乗ったのは夏休みだったからか電機だったけど?確かDD51は関門トンネル走れた筈だから冬場はDD51?
それとも下関で予熱かけて出区?
トンネル内が殆どだから寒さは我慢してもらった? 真偽は確かめようが無いけど、
急行荷物列車で3等座席車を、
機関車の次位に1両だけ連結して、
普通はそれを旅客輸送にも使い、
時として受刑者の輸送にも供用したとか。
その時は別に荷物車編成の反対側に3等座席車を
何両か連結して旅客輸送に使用。
ありそうだと思える理由は、
昭和40年代から50年代にかけて、
東京から九州方面へ座席車だけの普通急行が残っていて、
その編成が機関車次位に3等座席車・2等座席車・以降が数両の3等座席車。
合計で6〜7両編成が2セット連結されて、
九州で分離されて別々の終着駅に向かう。
その普通急行列車に学割周遊券で旅行するのに、
機関車次位の3等座席車が空いている様子でホームで並んでいたら、
駅員から「受刑者(と後で意味が分かった)」専用だから乗れない、
と言われて後ろの3等の列に並んだ。
普通急行が需要の増加で定員しか乗車させない
「受刑者」輸送に使えなくなって、
ほかの刑務施設への移送も少なからず存在して、
急行貨物列車での移送になったらしい。と。 新幹線or飛行機とホテルより夜行列車で移動する方が効率良い場合もある
東京ー岡山のサンライズが良い例
バスは安いけど危険性が高いから一概に良いとは言えん
日本人は夜行列車を蔑ろにしすぎだわ >>77
何をもって「効率がよい」とするか次第だな
寝てる時間の間に移動できたら確かにその「時間」は有効に使えるけど
狭い寝台で車両の揺れや走行音、落としているとはいえ照明などに悩まされて睡眠の質が悪くなる、あるいは全く眠れない、とかだと翌日の仕事とかに差し支えるし 昭和59年2月改正で門司発福知山行き山陰本線824列車は、門司〜下関間が廃止されて
下関発出雲市行きとなり、出雲市で出雲市発福知山行き532列車と接続する列車となったが、
下関から福知山まで途中、出雲市での乗り換えがあっても普通列車で行けることには変わりなかった。
532列車はのち50系客車に置き換えられた。 >>79
そもそも門司発だった理由って何だったんだろう?
そして下関発に短縮された理由も
今現在だと福知山への山陰本線経由普通列車での日着は
門司だと不可、下関だと可だけど
このあたりの変遷がどうなっているかも興味があるな >>80
長距離ナンバー2の831レにも、対になる門司ー下関間の短距離列車がありましたよね
門司まで送り込んだのは荷物の関係かな?59-2で荷物扱いの整理進んだからわざわざ門司まで行く必要が薄れたとか? >>80-81
実態は区間列車の繋ぎ合わせだった。なので長距離利用は全く想定していない。
荷物輸送の絡みがあっただろう。国鉄時代は東北地方や北海道にもそんな列車が多かった。 福知山に到着した824レの客車は福知山駅で夜間滞泊後、翌朝一番の福知山発浜田行普通列車として
福知山を出発していたが、この福知山発浜田行普通列車ものちに福知山発米子行と米子発浜田行とに
系統分割された。 浜田発大阪行き726列車ものちに運転区間が米子~大阪間に短縮された >>84
寝台特急だけど長崎→大阪→青森(あかつき・日本海)という
運用があったな
車両基地を出たら5日間帰ってこれない 浜田まで折り返した後、再度別列車として下関まで向かってたんだろうか?
そうしないと再び福知山行きを仕立てることができないし 客車列車全部でローテを組むから凄い行程になるなのだろう
京都口、大阪口にも行ってたのだろうか
列車によって両数も異なるだろうし
やりくりが大変そう >>81
それだね。なんかで読んだと思ってみたらジャーナルの183号だった
大阪のスユニでだいせんで出雲市に来て、各停で下関、翌朝の631レ-824レで
福知山、翌日、大阪。これで郵便やってたんだからそりゃ廃れるわ
>>88
客車は4とか5両の基本編成があってその組み合わせ。それに付属の1両とか2両がつく
おなじジャーナルに米子の運用表あったけど京都も大阪も行ってるね 大阪発出雲市行き721列車は古市・南矢代は通過していた。
この列車は時折、鳥取から後藤車両所入場回送の気動車が連結されることもあった。 >>72
夜行バスも衰退傾向って何?
コロナ以外でそんな傾向あったっけ?? >>91
LCCなど航空運賃が実質下がったことや、格安高速バスの台頭で、高速バス同士の競争激化などだろう。 >>89
自分がこの運用知ったのはその183号をリバイバル掲載した623号の記事でした 民営化や6社化が無ければ、今より面白い事になってたな
今じゃムーンライト系すら全滅でクソだもの >>94
そうとは言えない。国鉄最後のダイヤ改正が緊縮財政で、かなり面白くなくなっていた。
北海道の函館〜札幌夜行廃止、天王寺〜新宮夜行が天王寺行きが廃止されて縮小気味。
ムーンライトシリーズの設定は民営化後。 オレも、少なくとも「今より」はそうだと思うが。
長距離と夜行は全滅状態ではなかったはず
社界というタガが無いからな。
今では社界どころか支社界すら跨げないレベルになってしまい
テツ的には大いにつまらん >>96
国鉄が天文学的な赤字で、末期10年程はお金がない大義名分で次々と縮小していった。
会社跨ぎの代わりに鉄道管理局の境目があったので、その調整もあった。
JR各社の支社なども旧鉄道管理局をベースで振り分けられ、バブル景気もあって、民営化数年間は会社間跨ぎもそのベースで融通が効いていた。
やがて各社の新型車両が、国鉄車両を置換えて跨ぎがだんだんと減っていったな。
そしてコロナ禍で、国鉄分割民営化時点で恐れていた路線の縮小などが、現実に直面している。 働き方改革?もでかいと思うよ
国鉄時代の長距離列車、夜行列車はそれこそ人を人と思わんレベルで酷使して成り立ってた部分があるだろうし
JRになって21世紀に入って、様々な技術革新があってもなお、長距離・終夜運行の人的コストは改善できない以上、取りやめていくという選択はやむを得なかったのでは 集団就職列車でお上りさんが乗った列車って普通長距離列車?
そのお上りさんも成功して寝台特急あけぼので帰省するのであけぼのは出世列車って呼ばれていたとか。 >>99
昭和40年代の集団就職では、
名だたる大企業が中高卒業生を首都圏の工場に連れて来るのに、
100人単位で上京手配をしていて、
毎年、旧国鉄がそのための臨時列車のスジを
予め用意してあった。
ワシが某企業の人事課にいて、
その時期になると手分けして各地方に
人事課の各部員が迎えに行くのが恒例行事に。
うちは製造業だったからお世話になる学校関係者などに、
「虎屋の羊羹」と言ったお土産もどっさり抱えて地方へ。 >>100
おまえのどーでもいいこそどーでもいいw 1969/05から
831D:長門市255始発→449下関
521レ:福島257始発→955盛岡
始発が早すぎる 1975/03から
盛岡発、539レ/927D
711発→736好摩739→539レ→752沼宮内
711発→736好摩742→927D→1039大館
よく知られた、客車気動車併結で両方とも営業あり、です 宮脇翁も興味をもった編成だね
最長片道切符の旅で乗る予定だったが、遅延で乗り損ねた >>105
この時代は、長門市や福島は24時間営業だったのかな >>111
福島は少なくとも深夜帯に東北・奥羽の夜行列車が多く発着していたので、24時間空いてただろう。
東北新幹線開業後にも残った急行津軽も、福島は深夜・未明だったし。
長門市も1984年1月までは夜行急行さんべが深夜帯に発着してたので、空いてただろう。 福島、3時台のやつって荷レに併結のやつだよね、荷1041レ。仙台まで末期まで残ってた
あづまくずれの仙台行もあった
花輪線で客車に併結してたキハ52、エンジン換装したとはいえ2000年代まで残ってたよな
そのあとミャンマーいったような 1969/05から
福島発下り2300以〜0630頃の定期+運転期間が長い季節
2307:101レ、急行八甲田2
2346:401レ、急行津軽1
0115:5M、特急はくつる1(ハザ1両あり)
0154:403レ、急行おが3
0233:103レ、急行北星(寝台急行)
0257:521レ、普通盛岡行き
0314:405レ、急行津軽3
0345:403D、急行出羽3
0403:107M、いわて4
0438:1101レ、急行新星(寝台急行)
0500:6403M、ざおう4、<季節列車>
0521:1521レ、仙台行
0614:421レ、上野発青森行(奥羽本線経由)
0624:1123レ、上野発急行あづま2号、福島から普通列車
ご参考 1969/05から
長門市駅発
下り夜間
2029:831レ、門司行
2212:859D、人丸行
0255:831D、下関行
0357:801レ、急行さんべ3、博多行
0426:841レ、門司行
0527:845レ、下関行き
0545:851D、人丸行
0613:821レ、下関行
0712:837D、下関行
長門市発着
上り夜間(下関方面からの終着含む)
2302着:850D、小倉発
0111着/0114発、802レ、急行さんべ3、博多発米子行
0211着:852D、下関発
0530発:822レ、鳥取行
852Dですが、下関2332発→211長門市着
これは遅い終列車です
もしかしたら、211着で255発831D折り返しの可能性
ご参考
>>111
>>112
福島駅は24時間開放していたしホームの待合室にも灯油ストーブが燈ってた
新幹線開業前は深夜でも急行八甲田、おが、津軽の旅客へホームで駅弁売りの
声が響いてこれは同じ福島県の夜行急行十和田が数往復走っていた頃は
平駅(現在のいわき駅)でも深夜の駅弁販売がされていました >>105
そのスジは、かつての京都発門司行の普通列車の深夜帯の浜田〜長門市間を廃止した残りの部分ですね。
1964年10月
普通811レ 京都9:38⇒23:44浜田23:50⇒2:44長門市2:49⇒4:55下関⇒5:11門司
1967年10月
普通837レ 京都9:25⇒浜田0:17
普通831D 長門市2:58⇒4:52下関
普通631レ 下関5:00⇒5:08門司
上りも同様に深夜帯の長門市⇒浜田間を廃止したようなスジがあります。
1964年10月
普通812レ 門司23:21⇒下関23:38⇒1:36長門市1:41⇒4:23浜田4:28⇒9:12米子
1967年10月
普通852D 下関23:51⇒2:09長門市
普通524レ 浜田4:19⇒8:46米子 >>117
素晴らしい回答ありがとうございます
なるほど、言われてみたら、納得してしまいました
そのうち、早朝や深夜の運転区間がだんだん短くなり、
夜行列車の廃止の痕跡がわからなくなるのかもしれません そもそも、このスレ的には
なにをもって「24時間営業」とみなすのかな。
きちんと改札係員が出改札業務を行う、ってことだよね? >>119
現在の駅ではそういう駅は一つもないんだからそういうことになるんじゃない?
あとはホーム上での運転扱いとかかな
とにかく、駅員が詰めていて、乗客が構内にいつでも入れるのなら24時間営業と言って良いだろう >>105
521レ:福島257始発→955盛岡
これも1967年10月の時刻表をみると
普通129レ 上野2048⇒243福島259⇒1030盛岡1115⇒1658青森
という、福島⇒盛岡間で1969年の521レとほぼ重なる便があります。
山陰本線同様、部分廃止の結果のように見えてきますね。 >>121
やはり521レも夜行列車の部分廃止、的な状態だったのですか
いや、いろいろ怪しい点がわかってきてありがたいです
もう少し最近になりますが
1987/06から
441M:新宿0001→557上諏訪
いろいろな利用でお世話になった115系ですが、これも記憶だけですが部分廃止的な要素があった?
1990年代の時刻表が手元にないためすぐには確定出来ませんが、
・最初に、新宿発甲府行となり、甲府で長時間停車後に松本行になった?(スキーで利用した記憶)
列車番号は変わるが、乗客は一度降りることなくそのまま乗車可能でした
・その後、大月/甲府間廃止?(この時から乗車経験なしです)
・その後、甲府/(茅野?)間廃止?
もしかしたら、似たような状態かもしれません
記憶だけで申し訳ございません >>122
長い間新宿〜長野の列車で1975年3月改正で、旧型客車から115系電車に置換えられた。
対向の上り列車も存在したが、1985年3月改正で上りが廃止され、下りは新宿〜上諏訪の運転に短縮。 >>120
正確さを期すなら、最重要な項目を忘れとる
「その駅で深夜未明に客扱いする列車がある」駅も追加 >0094回想774列車2023/04/06(木) 00:47:47.89ID:lwoUIe7p
>今じゃムーンライト系すら全滅でクソだもの
クソなのは、このようなこの板の無能おっさん爺さんのレスだっての
そもそも、1980年代になれば345M「大垣夜行」や731D「高知夜行」のような列車が
走っているのが、おかしいとも言えたわけ
「ムーンライトながら」なんかも、どうせ廃止するなら最初から走らせる必要も
無かったような列車だわ
まず、大垣夜行や「ムーンライト〇〇」は、青春18期間などは客のレベルが悪い
そうやって日本人の民度が1990年代、2000年代、2010年代と低下していったのを
表すような列車になってしまった
JRも指定席化するはいいが、「インターネット時代」との兼ね合いを把握してないから、
ネットで「ながら指定席の転売」なんかが、あたりまえのようにうじゃうじゃ出てしまった
高いものだと、指定券が3000円くらいで落札されているようなのもあったな
青春18きっぷを学生時代で卒業できず、それどころか、2000年代はおっさん爺さんの
年齢の利用が年々、目立っていった
いい歳して、新幹線に乗れるような旅行をしてない、おっさん爺さんが増えたということ
そんな日本の環境では、経済は衰退するのは当然のこと
また、宿泊するのも青春18きっぱーは、ネットカフェやファミレスで夜を明かすような
「せこい人間」も多く、そのような人間をつくる機会にもなってしまった
それでは、日本の旅館業は衰退してしまう原因
青春18きっぷは、若者なんかが使うと非常に良い切符ではあるが、
この20年くらいは、>>94のようなクソみたいなおっさん爺さんが
クソみたいな感想を言ってるような切符になってしまったな 昭和57年の、青春18のびのび切符からの利用者です
学生時代は1シーズン2さつとかありました
社会人になっても、結構重宝、スキーや夏の家族旅行でも使用
使わなかった年もありますが、定年すぎて給与激言語の最近では夏に1冊(いまは1枚)使いますね
>いい歳して、新幹線に乗れるような旅行をしてない、おっさん爺さんが増えたということ
>そんな日本の環境では、経済は衰退するのは当然のこと
60超えて悠々自適な生活ができるような状態ではないため、残念ではありますが利用してしまいます
日本が上り調子の高度成長期の延長ではなく衰退レベルであるのは、ご指摘の通り
成長期やバブルではない今と今後を想定したら、あまり無駄は出来ないですね
ただ、それ以上にビジネスではない場合限定ですが、熱海/甲府/高崎/宇都宮/水戸レベルなら普通電車往復が染みついてしまっています
もう少し先への往復でももちろん普通電車ですが、さすがに陽が落ちら帰りの夜は疲れがドッと出るようになりました 東北本線41レ
混合列車だけど人様より荷物優先青森まで乗りたかった >>130
> 混合列車だけど
混合列車ってのは貨物+旅客のことな
荷物+旅客は単なる旅客列車
荷物車は旅客車の一部だから もういい歳なのにまたくだらないことで喧嘩してんのか
41レはないけど1044レはあるな。ニユが6両なのに、ハザ3両
福島のスハフ32がよく繋がっててそれ目当てだった気がする
仙台福島が2時間くらいかかってた
41レ、仙台青森が10時間越えか。楽しそうではある
福島、3時台発の仙台行もあったな 荷物列車の番号をもつ旅客営業列車は、全国的にありましたね
北海道では末期では41レ43レ/42レ46レが有名(時代で番号が変わりますが)
函館⇔苗穂間の荷物列車にハザが2両(増結あり)下り側に連結
旅客営業区間は函館⇔札幌
夏冬とわず乗車率は記憶では結構高かったように思いました
時刻表1980/07から、東北線ですが
41レ:隅田川2330→838仙台907→1936青森、仙台青森間で旅客営業ありでした
42レ:青森738→1832仙台1846→312隅田川、同じく青森仙台間で旅客営業あり
旧型客車以外にも、50系客車もありました
同じく時刻表1980/07から
1044レ
仙台1036→1234福島、旅客営業あり、この後34レで福島1258→1814隅田川、の記載でした 自分が最初に乗った上野発の旧客普通列車は上野11:19発の
一ノ関行き123列車だったが終着の一ノ関に22時42分に到着
走行距離441.5km、運行時間11時間23分の昼行長距離普通列車
当時は青春18きっぷはまだ登場してなくて適当なミニ周遊券を
学割で乗ったよ 時刻表1971/07から
421レ:上野2241→557福島620→916山形926→1512秋田1558→2157青森
24Hはかからなかったようですが、丸一日です
123レ:上野1117→1956仙台2043→2300一ノ関、時期にもよると思いますが、多少変化があったかと思います 今421レのリバイバルを仮に実施しても、上野から青森まで乗車には耐えられるかな?
部分参加ならもちろんいいのですが >>145
主治医とでも相談してくださいって案件だな
年齢性別健康状態等全く分からんのに答えられるわけがない いや、ならんだろう
いま高くて話題になってる北陸線なにわみたいに
おそらく莫迦高いから 仮に421レのリバイバル列車を走らせるにも車両がない
それに福島駅 - 新庄駅間は標準軌なので仙山線迂回とか必要
宇都宮線を当時と同じ停車駅で運転されたら普通列車の迷惑かも 10年くらい前に旧客使った臨時で横浜ー郡山はやったよね 姫路〜下関間を113系でもOK ケツが痛くなりそう・・ 115系3000番台の瀬戸内色で下関岡山くらいなら復活可能じゃないの 昭和末期の四国土讃線夜行731D
急行編成使っててグリーン車開放、つまりリクライニングシートの
自由席扱い
常宿でした、その節はお世話になりました。 天王寺発新宮行
国鉄からJRに変わった瞬間に乗車していました
紀伊田辺あたりでJRマークの付いた113系を見かけた時に
JRになったんだなあと実感した >>154
セノハチ?
んなもん呉線経由で解決でしょ 153系の急行が普通に走ってたんだから電動車比率上げれば113系でも問題ないっしょ >>159
>電動車比率上げれば113系でも問題ないっしょ
ほぼ同じモーターで何で比率変えるの? 113系は駄目だけど80系とか111系とかはいいの? >>160
昔の153系時代だと4M6Tではそもそも登坂時に補機必須
6M4T以上なら補機いらない
ただしMT比が同数だと降板時の電制に不安があるから抑速ブレーキ必須とかそんな理由だったと思う
113系基本は2M2Tだし 特急白鳥が電車化された1972年10月改正までは大阪−新潟(長岡?)にも
直通の普通列車があったらしい。 >>164
525レ大阪22:18→新潟13:55 どなたかご教示を。
昔の旧客列車で、直江津か長岡発の上野行各駅停車があったように記憶しているのですが、発着時刻とかご存知なら。
何しろ運転距離が長いから、何十分もの遅延が普通だった記憶あり。 昭和39年5月27日訂補
普通328レ(高崎上野間748レ)
直江津発1827
上野着 420 昭和42年10月1日改正
普通326レ
直江津発 504
上野着 1510 新潟〜直江津〜長野〜高崎〜上野の直通旧客普通列車は83年ごろまで走ってましたよ
ただし、途中で列車番号が変わけど 1322レ新潟0555→直江津1013
322レ直江津1125→長野1401
326レ長野1504→高崎1830
2326レ高崎1916→上野2155
と直江津、長野、高崎で長いことホームに留め置かれるんで別列車になってるけど
1322と322は先発の普通列車ないんだから分ける必要ない気もする >>169-170
列車番号が同一だと、
長時間停車中であっても運転中の扱いだから車内乗務員が必要
ウテシは途中交代するからいいけど、レチは通し乗務が基本なので
レチの休憩時間を確保するため
あえて別の列車番号にして回送あつかいの留置きとする。 >>171
なるほど。
ただ、そんな状態で客を乗せててもいいってことなのね? >>171
326列車の車掌さんは長岡車掌区だったように覚えている。
長野から高崎まで仕事の邪魔をして申し訳ありませんでした。 列車旅のだいご味は車窓
景色が拝めない夜行列車は魅力も半減
(逆に言えば、貨物列車はばんばん夜行列車を走らせればいいのに、と思う) >>174
夜行童貞の知ったか乙
寝てる間に移動できるメリット無視すんな 近年まで岡山発下関行きとかあったが全線ぶっ通しは青春18きっぷユーザーじゃないといなかったはず >>172
レトロトレイン駒子号で高タカの旧客がトンネル規制で通れないから
トンネル区間前後のみ運転上は回送扱いにして通過させることで逃れた、
って実話もあるでよ。ちょっと例示するにはズレるけど
>>175を補強
鉄道(列車)はキャパが大きいから、夜行でも途中停車駅があれば
その駅からどの停車駅間でも任意に利用できるというメリットが大きい。
(バスはキャパが相当限られるからクローズドア方式にせざるをえない)
あとは「直通」ってことやね。つまりナシで朝に目的地へ着ける 日本で起こっている変化は、外国でも起こっている。
外国で起こっている変化は、日本でも起こっている。 車両運用がややこしくなるので全国的に細切れになってるよな
朝ラッシュ時と時間が被る区間ではラッシュ輸送もこなしてるがダイヤ乱れ時に特発出してた?
東海道・山陽新幹線でもダイヤ異常時新大阪から特発が出る 神戸市在住やったのに、隠岐の島旅行で鈍行山陰で京都ー米子を乗った事があった。
朝一で新幹線→やくも で行ったとしても到着時間はそんなに変わらんかった記憶ある。
あの頃は体力もあって若かったw(´・ω・`) >>182
ガチアスペからいちいち指摘される前の自衛補足だよ >>175
素人または経験の浅い乗り鉄
→ 見知らぬ他人が近くにいると思うと気になり
ちゃんと定時に到着するのか気になり
寝過ごさないかと気になり【心配で眠れない】
乗り慣れた乗り鉄
→真っ暗な中でもかすかな車窓の灯りが気になり、
今どの辺を走ってるのか気になり
対向列車なども気になり【ワクワクして眠れない】 >>175
夕方に東貨タ行けば判ると思うが…
21時代の羽沢跨線橋下を10分おきに通過する貨物列車を見て沿線民に同情したわ 旅客夜行列車は10分おきになんて全盛期でもないよ
あと騒音ガーの言い返しは>>175と視点がズレてる >>191
その当時は逆に騒音ガーは居ない
詭弁はやめようね
元の話題まで考慮してレスしよう。 東北新幹線開通前の上野駅の夜も、夜行列車が次々に発車ですからね
隔世の感です
その中で、上野発長岡行の夜行普通電車がありました
記憶に間違いがなければ、11両で前4両が新前橋止まりで切り離し
知らずに起こされて移動の人がいた記憶です 人によるからな
立っていても眠れる人から
個室寝台でも眠れない人まで >>198
> 人によるからな
それはそうだな
俺は寝れるけど、旅行中はお通じがね 夜行列車でよく寝られない話は、一般の方からもよく聞きます
しかし夜行連泊(別の列車)では二泊目は寝てしまいますね
三連泊四連泊(北海道周遊券など)では、間違いなく寝られます
出来れば同じ列車で長距離の連泊など経験したかったですが、
シベリア鉄道などはもう無理、カナダなどでなら可能性 >>194
115系で運転されていた上野発長岡行き、普通夜行733Mの事かな?
1979年3月時点では1〜11号車の内、8〜11号車の前より4両が
籠原駅で切り離ししてた。外した4両の115系は翌朝の上り通勤時間帯に
籠原駅で増結車として使っていた。 345M、733M、441Mは50歳以上の関東住みの鉄なら全部乗ったことあるだろ
40くらいだと、ながら、えちご、信州になるんだよな。この辺が小さいころ国鉄で育ったかJRかの境目 ですよね、もちろん全部のりました
347M/344M、345M/340M、ですねどちらもお世話になりました
441M/442Mも同じくです
さすがに425レは乗車経験は無いです
733Mは1回だけ、しかも赤羽→宮内 上越線普通夜行電車733Mといえば赤谷線や只見線に乗る時に乗車した。
あと宮内から長岡発→米原行きの旧型客車で運転してた522レに乗る際も
利用したが長岡まで乗るとギリ間に合わないため、宮内で下車するため、
あまり寝れなかった。
同じく小出駅で下車して会津若松行き、426D只見線始発列車に乗る時も
熟睡できなかったけど733Mは寝ずらい列車のようだ。
他にも北から からまつ、43レ/44レ、441M/442M、南紀「後のはやたま」、
四国731D/762D、山陰、ながさきの普通・快速夜行のお世話になったけど
一番お世話になったのが347M/344Mで高校2年生だった1975年に
初乗車してから345M/340Mくらいまで数え切れないほど乗りましたが
当時はまだ青春18きっぷはなく、多客期や繁忙期を避ければ東京駅に
入線前到着なら余裕で座れました。 >>204
> 345M、733M、441Mは50歳以上の関東住みの鉄なら全部乗ったことあるだろ
東海道以外はワイドで急行だったので733M、441Mは乗ってないなあ 上野2211→733M→440宮内445→522レ→453来迎寺552→121D→616西小千谷
→歩き→小千谷724→724M→732越後川口737→128D→806十日町823→102D急行野沢→1044長野
時刻表1981/07から
自分は信州ワイド使用のため、越後川口→西小千谷と、小千谷→越後川口、を追加で支払いでした
素直に戻って西小千谷→来迎寺→宮内→越後川口、でも可能のようでしたが、経費節減でしたね
急行野沢は周遊券のため急行券不要でした
ちなみに、733Mから西小千谷まで同じ行程の人が数人いたような(皆同じ金額で精算のため信州ワイドみたい)
自分以外はそのまま魚沼線往復したようです >>207
ロングシート夜行の経験を逃してもったいない
空いて居ればですが、115系の3人掛けの座席に横になり、
脚をドア側ひじ掛け下に通してドア横におろせば、ヤミ寝台
2000番台など端部ロングシートでは、靴を脱げば本当に横になれます
ただし空いて居れば、ですが 733Mで只見線初走破した時は都区内からの会津磐梯ミニ周遊券が
3,000円くらいの価格で自由周遊区間の入口が東北本線経由の他に
常磐線・磐越東線経由、高崎線・上越線・只見線経由から選べたので
小出駅から入り会津若松から会津線で会津滝ノ原駅まで往復。
会津若松まで戻ったあとは(湯野上⇔会津滝ノ原往復は乗り越し)
喜多方の親戚宅に泊まってから日中線を熱塩駅まで往復して
磐越西線と磐越東線の旧型客車で平駅まで乗り通して常磐線の
急行ときわで帰ったけど733Mが新潟まで延長すればいいのにと
思ったりしたけど普通の人は夜行急行佐渡に乗るから問題ないのかも? >>209
> ロングシート夜行の経験を逃してもったいない
別にそんなのどうでも良いよ ロングシート夜行と言えば新宮発天王寺行きの924レに12系1000番台の一部が
ロングシート化されており、シーズンオフの翌日平日だったのと空いていたので
遠慮なく靴を抜いて足を伸ばして寝かせてもらったけど普通なら空いてるBOX
シートに靴脱いだ前足を伸ばす方が楽だと思う 中央東線の普通夜行441M、長野行きは新宿駅のアルプスの広場という、
名前の割に空気が汚い場所に並ぶのが嫌だったし、ホームへ誘導する際も
適当で後ろから前に走っる奴とか入線する際にホームに並ぶリール無視の
乗客も放置でボンクラ国鉄職員ばかりだった
逆に上りの442Mは仕事を終えて自宅へ帰る仕事帰りの人たちが長野から
松本までは区間そこそこ混雑したけど松本で殆ど下車したので多客期を
除けば新宿まで1〜2名で1BOX占領できたし、松本駅の37分停車も食料や
飲み物調達で有り難かった ちゃんと誤字チェックしようぜ
あと改行は意味の区切りで頼むよ
中央東線の普通夜行441M長野行きは新宿駅のアルプスの広場という名前の割に空気が汚い場所に並ぶのが嫌だったし
ホームへ誘導する際も適当で後ろから前に走る奴とか入線する際にホームに並ぶルール無視の乗客も放置でボンクラ国鉄職員ばかりだった
逆に上りの442Mは仕事を終えて自宅へ帰る人たちが長野から松本までは区間そこそこ混雑したけど
松本で殆ど下車したので多客期を除けば新宿まで1〜2名で1BOX占領できたし、松本駅の37分停車も食料や飲み物調達で有り難かった >>213
紀勢線の夜行は
和歌山市→新宮、で乗った時は旧型客車だったけれど
そのあとは12系、ただ1000は記憶にないです
結構定期的に連結だったのでしょうか? 紀勢線夜行は「はやたま」時代は上りだと天王寺〜名古屋行きの924レに
和歌山市発・亀山行き4924レを和歌山駅で連結した
1984年2月1日で「はやたま」のB寝台車が廃止になり、列車名も消滅して
客車も旧客から12系の編成になって運転区間を新宮〜天王寺に縮小
1986年?くらいから白帯のない12系(オハ12-1000番台)が投入
白帯なしの12系は車端がロングシート改造された車両が1両混じる
1986年11月1日、12系だった921レと924レが廃止になり、924レは
165系として924Mとして残るが客車の魅力には勝てずに乗っていない 12系の紀勢線夜行に乗ったのは、1985年夏だから、1000は無かったのかな
山陰線や福知山線で12系1000はよく見ました
ただ当時は旧型客車ばかり狙って撮っていましたから、12系は来たら撮る程度
真夏の冷房12系は、涼しくて良かったです 俺は紀勢線でEF58やDD51が牽引する旧客はよく撮影したけど12系になってからは撮影しなくなった 紀勢西線でもDD51牽いてた?
おいらが紀三井寺あたりでよく見てた客レはDF50が引いてたんだけど 自分もDF50+旧型客車ですね
あと、後年ですが和歌山市→和歌山間の客車は、DD13と聞いて居たが乗った時には実際にはDE10でした(客車は1両) 50年以上前だと草津6:11発、和歌山市着20:51の722〜135列車もあった はやたまの1両の増結、天王寺から本編成を牽いてきた58を離してそれにくっつけて
編成の頭に連結してたんだよな
まぁ増結ってそういうもんだけど、ブルトレなんかだとドア閉めて入換するけど
はやたまのは増結の方に乗ると58の連結、入換、本編成への連結を開放デッキで楽しめたという >>221
新宮電化の翌年にDD51化じゃなかったっけ?
ということはDF50から直接EF58に変わってる筈 924レに連結する和歌山市から来た亀山行きの旧客1両は
昼間は紀和駅構内で昼寝してた客車ではないのかな?
924レは和歌山駅で4924レを併結するから11分停車してた >>224
そのはずなんですが、なぜか記憶に残っていないです
オハフ33だから本当に開放デッキ、もったいない話
和歌山市発の時は、ガラガラ、和歌山からさすがに人が乗ってきた記憶
一晩オハフ33にお世話になって、よく寝ていました あの紀和駅留置の1両は
急行大和の寝台車(各所で解結されるうち唯一東京へ直通される1両)
の、成れの果てなんだったっけ? 長距離普通夜行列車といえば懐かしいのが沢山あった
からまつ「小樽21:16→9:30釧路」、43列車「函館23:51→7:34札幌」、
43レは札幌駅からそのまま825レとして滝川まで行くので10時前まで
そのまま車内で寝ることが出来て乗り鉄ではよく利用したのが懐かしい
普通山陰「京都22:02→9:50出雲市」も乗車時間が長くてお気に入りだった
南紀(のちのはやたま)やながさきにも乗ったけど旧客は最高でした 昭和30年7月
普通409レ
函館21:38⇒小樽5:33⇒札幌6:43⇒滝川9:28⇒帯広14:58⇒18:22釧路 北陸本線終焉か…
米原発長岡行乗ってみたかった
米原発富山行は体験することが出来たがこれも今となっては十分長距離鈍行だった
米原駅のホームに停まってる475系はすでに北陸の空気を纏っていたなあ 逆の、長岡発米原行き522レなら乗車経験あり
ただし、宮内445→453来迎寺、まで(前川は通過)、わずか8分、実質次の停車駅 鈍行夜行「ながさき」には幾度も乗ったな。
基山⇒小倉ばかりだったので、夜汽車に乗ったとは言えないかもしれないが。
でも九州の日の出は遅いので基山でもまだ真っ暗ではあった。
一人で四人掛けを占領して眠っている客が多いので
着席できるところがなかなかみつからないのが早朝乗車の難点だった。 >>234
南福岡で後続の始発電車に乗り換えたら、博多で「ながさき」より先に発車して、小倉には10分以上早く到着できたのでは? >>235
南福岡で乗り換えるかそのままながさきの乗り続けるか
選択肢は2つあるが
何れにせよ南福岡か博多で座れそう >>218
和歌山市発の1両はかつての南海直通列車の名残。
南海が昇圧で客車を牽引する旧型車両がなくなったために南海直通は廃止されたが、国鉄線内は和歌山市発という形で残った。
だが、12系客車への置き換えと同時に和歌山市発の車両は廃止になった。 >>237
ああ、それだ。サハ4801やね
どうも 東京で泊まったのは中学の修学旅行が最後
大学生時代に東京に行ったときは165系か115系が宿だったw 紀勢線の客レは普通夜行の「南紀」や「はやたま」が走っていた頃が最高だった
非電化区間は亀山〜新宮がDD51が旧客を牽引して、電化区間はEF58が
旧型客車を牽引していたので昼間の客レを撮影しながら「南紀」「はやたま」は
ホテル代わりに利用していたよ