ドアカットの思い出
乗り口を間違えると降りるときが大変!
京急梅屋敷・名鉄栄生・阪急西院などなど
過去帳入りしたドアカット実施駅の思い出スレ 大井町線の下神明 戸越公園 2駅連続ドアカットは酷かった。6両化した時は戸越で2両ドアが開かず大井町から飛び乗った人は中延まで連れていかれた人続出。 梅屋敷ははみ出し2両だったが
3両以上はみ出してた駅はありますか 京成の博物館動物園は若干ホームが短いがドアカットしない強攻策だったが
あえなく休止のち廃止 昭和50〜60年代、自社線内でのドアカットを嫌がって
阪急に三宮での解結(6連←→8連)をさせておきながら
後年あっさりと大塩のドアカットを受け入れてしまった山陽 阪急も対抗策として特急の乗り入れをやめて、三宮以西で利用率の低い普通に変えて解結を解消し、こうして相直は形骸化が加速していった。 大塩はホームと本屋の配置がまずかっただけでそれさえなければ簡単に6連分に伸ばせたのでは? 京阪5000系が閑散時間帯に第2ドアと第4ドアを締切にするのもドアカットの一種 乗ってる人全てに周知されているわけでないから、パニクる人も多いのでは。 >>12
そもそも相互乗り入れが暫定措置ですから。
形骸化する前に解決しなきゃならんのを先送りし続けてきた
阪神淡路大地震が引導を渡した格好になった