名寄本線★2
江差線は指宿枕崎や島原みたいに線形的に不利だが、浮島トンネルが出来るまでは利用はあったろう
オホーツク沿岸で唯一空港があるんだし、みど窓くらいあって当然
西興部?だったかでモメなければ3セクの終点だったろうし 名寄本線が走っていた時代の遠軽駅はかなり混雑していたね 鉄道の利用が減ったのもあるが、石北などの本線系が衰退した一因は支線の廃止があるだろな
わざわざ転換バスと組み合わせてまで使わないだろう 名寄本線が通るまでは本州から網走地方へは
本州各地ー青森ー(連絡船)ー函館ー室蘭本線の長万部〜東室蘭間がなかったので
小樽経由ー旭川ー富良野ー池田ー北見ー網走、ずいぶん大回りだな。
名寄本線開通後は函館ー小樽経由ー旭川ー名寄ー遠軽ー網走
全通時は上下3〜4往復程度だったという 4時43分、急行大雪に接続する始発が遠軽駅を発った頃だ 朝早くて夜も遅い路線だったな
冬場などは不眠不休の作業だったと思うよ >>23
江差のみどりの窓口開設はかなり後発(七重浜や南稚内と同時期)だったし
需要は疑問だけど、紋別はまあまあだったのでは?
遠軽での接続もそれなりに考慮されていたし、
札幌直通も紋別や大雪も運転されていたので >>23
紋別駅には遠軽から乗車する客向けに
硬券の準常備特急券も用意されてたし
そこそこに需要あったかもしれない 留萌本線石狩沼田~留萌間の配線で留萌駅もみどりの窓口設置駅の廃止事例となる
古くは鍛冶屋線の西脇駅も
あれは野村~西脇間だけ突出して旅客数や列車本数が多かったのに杓子定規的に廃線になった >>23>>40
「旭川か名寄か遠軽までクルマで行ってそこからJRに乗るための指定券を買う人が多い」からこそ
端末が設置されたのかもしれないね。
そういう事情で端末が設置されたり残されてた駅は全国に幾つか存在するし、
北海道ならなおさらだと思う。
オフライン指定券を用いての中継発売は時間が掛かるからね。 旅行会社の支店代わりとか本来の目的と逸脱した使い方多かったのか 名松線家城もマルス置いてる理由が謎
近隣の高校の通学定期券を売るためだけか? ■ある日の遠軽駅■
名寄本線の普通列車は切り欠かれた遠軽駅0番線に到着、
乗客は全員ここで乗り換え又は下車。
石北本線への乗り換え客はホームで蕎麦(北一そば店)を食べたり、
駅舎直結のキヨスク窓口でお菓子や飲み物、
あるいは立売の弁当を買い求めて札幌行特急の到着を待つ。
1番線は遠軽からの乗客や乗り換え客で大混雑だが
対照的に0番線に佇む名寄本線の列車は静かそのもの。
やがて、1番線に上り特急列車が到着、特急というのに数分間も停まり、
もと来た線路を引き返す様に発車すると、
名寄本線の列車も通票を受け取り、名寄へと向かっていった。 海の会社は簡易委託でもマルス
でもなんでここでその話??
紋別は置いてあたりまえ
南稚内も稚内より賑わってるし >>49
確かに駅としての規模、需要共に稚内より南稚内だね
名寄本線では駅としての規模は紋別より(貨物輸送をしていた時代)の元紋別、
そして、興部シリーズでは興部、上興部、西興部の順いうところか? コレ、本編映像にも紗掛けしてるのかな。
70年代の映像で、どうせ写ってる人はほぼ世代的に死に絶えてる人たちなんだし、
都市部とちがって写されたら困る人も基本的に居ない
最終日わざわざ出かけてる人か関係者しかいない
マズい人が居ても50年以上前だし、そもそもほぼ鬼籍(略
現代的な観念を遡及させるのも程度問題だと思う 赤字83線廃線区間、キハ17、木造駅舎、国鉄バス
役者が揃ってる 廃止から34年・・・・・
当時としては異例の本線廃止だったけど
上砂川支線の廃止、そして、日高本線や留萌本線が続き、
函館本線の長万部ー小樽間廃止も決定
残る新函館北斗ー長万部間もどうなる事やら
函館発の気動車でも1両でもガラガラだからね 名寄本線とはいいつつも、名寄口よりも遠軽口の方が乗客も本数も多く、
名寄ー遠軽直通列車も多く運転されていたな
代替バスも名士バス、北紋バスの相互乗り入れの名寄ー遠軽直通便が
何本か設定されたが今は興部や紋別で系統が分断されている 切り欠きの遠軽駅0番線は50メートルくらいだったか?
2両編成がやっとという気がした 名寄口は大体1台での発車だったが、日中は興部や紋別で増結したりで
遠軽に着く時は2〜3台になる事も多く遠軽口も2両以上での発車が多かった
少し長めの編成は遠軽駅1番線から発車していたが1台での出発も...あった。
網走駅1番線を切り欠いた湧網線ホームは1台あれば十分だったけど。
網走も30年以上も前から釧網本線はほとんど1台だし、
今は石北本線も1台が多いよ バス転換は仕方がないけど、トイレ付バスにしてほしい。
名寄から興部行くのもちとつらい。 深名線代替バスはトイレ付きに改められた
(当初はホクレン多度志SSなどのトイレを借りていた) 石北本線が不通になった時に名寄本線が残っていれば...と思う事もあるな 遠軽駅では1番線又は0番線からの発車だったが
一応は2番線、3番線発着も可能な配線だった
名寄本線が先に通ったのだから、自然な配線かも知れないな
そして、0番線は1番線を切り欠く様にして
後から造ったのではと思うよ >>62
そう思う。名寄から紋別、遠軽を結ぶ本線が廃線になるのは今でも理解できない。 >>0060
バス転換後10年くらいは名寄〜遠軽直通も多く運転されていて
この長丁場で便所なし 催したらピンチだよ 名寄本線からは離れるが、宗谷本線恩根内駅が廃止だと
郵便局や駐在所もあって、まあまあの集落にある駅だが
1日平均乗客数3人、30年くらい前は農協支所があったり、
駅裏の木工場には原木が積み上げられていた
恩根内駅は明治44年に名寄ー恩根内間が開通して開業
本線上から、かつての終着駅が消えるのは寂しいね
森林資源も枯渇して、人口も減ったんだろうけど
名士バス恩根内線が名寄ー恩根内間を走っているので
美深町では廃止を受け入れた様だけど
恩根内ー音威子府間の需要とかもある筈
何本かは音威子府まで延長乗り入れでもするか?
ただ、バスが音威子府行になると咲来や天塩川温泉も危なくなりそう >>44
今なら宮古がそんな感じだな
盛岡からの新幹線切符を買ってそのままバスに乗って盛岡へ向かう >>70
山田線は数少ないし、時間かかるからね
106のバスは速くて便利 >>67
集落の有無と(日常の)鉄道利用とは今やまったく別物となってる
「誰が」「何の目的で」日常の鉄道利用をするかというと 紋別市はオホーツク紋別空港が羽田からの1往復しかないが「紋別タッチ」するマイル修行僧で潤ってるんだな
コロナ禍でも紋別タッチを敢行し路線を死守した
東京から紋別に医者が通勤してるとか 初野・紋穂内・恩根内・豊清水と4駅連続での廃止はすごいな
天幕・中越・奥白滝・上白滝の4駅と同率一位か 代替バスの最終便で名寄から興部に向かったことがある。
真っ暗なトンネルの中を走るようなバスだと思った。 代替バスの北紋バス、名士バス共に遠軽〜名寄を直通していた時期があった
往復300キロもの長丁場だし、ドライバーも一日仕事だったろうね