【国鉄最後の10年】1977年から1987年までの鉄道
「あずさ2号」大ヒットの1977年からJR発足までの1987年春までの10年を語ろう
国鉄民営化だけではない
京阪電車が京都三条〜七条辺りの地上を走っていた最後の10年でもあった >>69 阪和線天王寺駅構内でスピード超過による車止め衝突事故。それから間もなくしてNHKの特集番組で同駅構内からの中継で、阪和線の電車がいかにぼろくサービス悪いか、利用客へのインタビューが行われていた。 天王寺の事故と同年、1982年に名古屋駅構内での特急「紀伊」機関車衝突事故も起きているから、こちらも取り上げていたのかもしれない。
大阪、名古屋の国鉄車両は首都圏から回ってきた中古だらけ、のイメージがあった。 >>71 国労、動労とも実質的に解体されてるよ。活動家は国鉄民営化のとき左遷食らってるし。
親方日の丸でいられなくなったからね。 >>78
JR東や北の労組が何十年も幅を効かせた現実を無視して、尾羽根枯れ尽くした今だけを語ってもな >>79 JRなってから、首都圏の通勤電車が止まるような大規模ストやったことあったっけ?
労組が成田逃走に協力し当局に圧力かけるようなことも無くなったよな。民営化でストライキが違法ではなくなったのに、ストやろうとしなくなったわけで。 この頃は国鉄が商品力なさ過ぎたので、ライバル私鉄やバスはウハウハでしたね >>81 でも近鉄名阪特急は新幹線に押されて不振だったのでは?
京都発と上本町発が大和八木で連結して10両で伊勢志摩に向かっていた一方で、名阪特急は3〜4両蔵の短編成で走ってたような。 76年以降の国鉄の度重なる値上げでコスパで近鉄選ぶ人はいてむしろ増加傾向だった(どん底はその直前の75年頃)
その先で88年の名阪専用のアーバンライナー投入だったし。 民営化が決まり、経営不安な三島への餞別として開発された車両が多数登場した
【北海道】
キハ183-500
キハ54-500
【四国】
121系
キハ185
キハ32
キハ54-0
【九州】
415-1500
キハ31
まだほかにもあったかな?
キハ183-500を除きステンレス車体で各車登場時は新鮮だったけど
年数が経つにつれて劣化が進んできた
キハ31は便所無しなど使い勝手が悪く意外と早い時期に全廃された 国鉄末期の新車と言うと、あと211系。クロスシートの出来自体は改良されたが、
オールロング車も製造されたり、あくまで通勤のための乗車人員確保が目立つ形式だった。
これにしろ、キハ185、183-500等、従来の国鉄スタイルから脱却イメージを図った感じだが
言い換えれば私鉄風に寄せただけで、そこに独自の存在感はあまり感じなかった。 1979年の片町線四条畷〜長尾の複線化と共に、
片町〜長尾の各駅に自動改札機が設置。
西日本の国鉄の駅では最初の事例で、全国でも二番目だったらしい。 湖西線開業→113系700番台登場!
・電動方向幕採用とは近代的だなー
草津線電化開業→113系2700番台登場!
・シートピッチが拡大された。快適だなー
福知山線電化開業→113系800番台登場!
・ん?非冷房の4連?Mc+Mcの2連?!
・よく見たら全車ポンコツ改造車か・・・orz 山科駅南側
現在立体駐車場が建っているあたりはまだ小高い丘になっていて線路とはフェンスで仕切られていた
そこで一日中眺めていても飽きることがなかった
個人的に好きだったのは「青い雷鳥」583系でした 84年(昭和59)10月に和歌山線の和歌山寄りが電化したが、お金がないので低速向きの直接架線方式で
間に合わせ。投入車両も103系のそれも初期タイプの改造105系冷房無し。
大したスピードアップもなく、単に加減速がスムーズになったのと車内走行音が静かになったくらい。 >>90
同時期に全線一気に電化された奈良線は、車両こそ同じく105系だったが、シンプルカテナリで電化された、この差は何でだぜ? >>91
そりゃ列車本数の違いでしょ
奈良線は近鉄に完敗していたけど今や互角かそれ以上まで成長した
一方和歌山線は・・・ では何故電化したのか…?
まだ、片町線の木津長尾は非電化のままだったし、非電化区間一掃、という思想があったわけでもなさそうだが 大阪近郊区間内は電化しようとしていた感はあるが
実際最終的には全部電化されたし その後、「大阪近郊区間」が拡大して、加茂〜柘植は非電化路線のまま組み込まれたな
亀山まで含めて、もう、電化されることはないのかな 高山本線は電化工事が途中まで進んだようですが何故中止になったんでしょう?
実現していたら381系ひだが走っていたのかなぁ 「雷鳥」
485系&583系食堂車込12連
↓
583系廃止
↓
10連に短縮
↓
サシ481がサロ481-500に変更
↓
民営化
・
・
・
北陸本線のエースといえども縮小傾向だったのは悲しかった 新快速の成長時期でしたね
・113系スカ色で運転開始
・153系ブルーライナーに変更
・117系シティライナーに変更
・スピードアップに伴い停車駅の追加
民営化後もその成長は止まらず、今や着席サービスAシート車両設定まで 各鉄道管理局で12系がお座敷列車に改造された
初期は12系そのままの外観だったが14系欧風列車が登場したあたりから車体色塗り替えや展望室・サロン室の設定など段々派手になっていった 車内で喫煙できた
優先座席とはお年寄り優先座席で、妊婦や子連れは適用外だった 通勤時に特急車両の回送を営業利用したホームライナーが設定された 国鉄改革のスレが無いんでこっちに
東日本行きたがってたのに行けなかったってのは井手?葛西?どっちだっけ
井手の西日本配置は橋龍たっての希望とも西日本看板会社説とも言われてんだっけ 東の松田氏
海の葛西氏
西の井出氏
東京から離れるほどゾンビというか鵺というか・・・な人選
この三人では松田さんがいちばん人間味ありそうだし
松田さんの「私の履歴書」では橋龍から直々の指名だったそうですね 設計に初めてコンピュータを取り入れ、試作としてデハ8400型を2両製作。エコ車両の先駆けとなった。 鹿児島本線福北間の特急列車の停車駅について教えいただけませんか?
1985.3の時刻表を見ると、福北間特急(有明•にちりん)が吉塚◦折尾停車するようになっています
停車するようになったのは1984.2ダイヤ改正から変更になったとネット記事を見ましたのですが、手元には1982.11はありますが当時は両駅(吉塚◦折尾)を停車してなかったので、1984.2ダイヤ改正での追加停車化は間違いないでしょうか? 飛行機・私鉄・バス・マイカーに押されっぱなしの最後の10年間だった 押されに押されたマイカーを取り込もうとカートレインを走らせたら
こんどはレンタカーに押されちゃったり、もうね(´TωT`)トホホ >>115
それは東京−九州が飛行機の時代になってしまったことも原因。
そりゃ飛行機で移動して現地でレンタカーを借りた方が楽だからな。
マイカーをカートレインに載せて現地まで寝台で行くよりは。 紀勢本線、伯備線、福知山線といった西日本の亜幹線が電化してスピードアップの貢献はあった。 80年代初頭の紀勢本線・伯備線には381を新製配置
そして国鉄解体間際の福知山線にはアレ
わずか数年で時代は大きく動きましたね 便利レール、新ダイヤ
国鉄最後のダイヤ改正から37年 分割民営化が取り上げられ始めたのは1983年頃から? >>121
たしか82年くらいからじゃなかったかな・・
分割民営化をおおっぴらに打ち出したのって、中曽根政権からだったからな でも、さすがに四国だけでそのまんまっていうわけじゃなくて、
分割直前だったけど一部電化させて、瀬戸大橋も開通させて利便化図ってからだったじゃん
だからいいんでない?北海道よりはマシじゃないのかな・・
そういえばこんど、伊豆急のロイヤルエクスプレス、四国を走るらしいな