【おおぞら】キハ80系を語るスレ 3D【かもめ】
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京都→長崎を走った80系「かもめ」は、3D時代が長かった。 停車時間考えたら燃料タンク一個づつ給油とか無理だからなあ
走行用エンジン24台分の燃料タンクに一斉に給油しないといけない
それでも5分じゃ到底無理 手持ちのRJによると、80系が無給油で走れる距離は1000〜1100kmで、
かもめは長崎、なはは鹿児島、おおぞらは釧路、おおとりは釧路と網走で
給油していたようだ。白鳥も途中で給油せず青森で給油だろうな。 そもそもディーゼル特急の開発過程で大阪-青森の特急は想定済みだろ?
だったらそれに合わせて燃料タンクの容量決めるわな >>269 米沢駅構内には気動車用給油設備があるが、ここは奥羽本線が標準軌化されたという特殊事情があるからなあ。 トワイライトEXPみたく長時間足止め食らったらどうなる?
走らなければ燃料の消費はわずかか >>274 そのような場合には、タンクローリーに来てもらって給油することもあるが。
高山本線が豪雨で寸断され、部分運行再開で高山駅にいた車両を走らせたときはこの方法で給油した。
2005年、盛岡で給油するのを忘れて釜石線内でキハ110がガス欠したときも同様。 >>270
F1のピット作業みたいに人海戦術になるよな
自動車と違って燃料タンクが巨大なので満タンにするのに異様に時間が掛かる 白鳥のような片道8時間以上の長距離走行ならともかく、片道5時間位の名古屋、金沢間ひだのようなそれほどの長距離でない運用でも、燃料タンク満タンにしてたのだろうか?
ひだの場合、金沢発の往復で名古屋に三時間いるから、この間に機関区で整備して給油できるだろうし。
満タンにすると車両が重くなり燃費低下するし、条件が許せば満タン避けるのではないかと思うのだが。 この列車は、特別急行白鳥、青森行きです。
すいません、ガス欠しました。
てへぺろ(・ω<) >>276
鉄道に携わる仕事しているけど、水タンクでも満タンにするのに時間がかかる。 水は駅でいれてたな。あのホースなんだろうと思ってた
どこにでもあったのにな、あのホース >>277
一度仕業表を見て「水」、「油」などの表記がどこに書いてあるか知ったほうがいいよ >>281
配置区などでは、省略していると思われる場合がある 昭和49〜53年頃の北斗下り1号・上り3号は札サウ持ちだったとは驚いた
…てっきりおおぞら(併結の釧路編成)・おおとりとの共通運用で函ハコ持ちだと思ってた オイルショックの時が大変だったのでは?
燃料代押し上げて経費が嵩んで赤字になってた?
鉄道車両は免税軽油なので自動車とは違い軽油引取税は課されない >>285
そういえば、当時オホーツクと同じ編成だったな >そういえば、当時オホーツクと同じ編成だったな
同じ札転の7両編成なのに北斗1-3号は1〜7号車、オホーツクは4〜10号車だったな。 >>286
〜では?キチガイ
流れを読まないから嫌い >>290
当時の札転の受持ちは基本編成のみで北斗2・2号、3・1号の基本編成も4〜10号車だったが、
函運持ちの1〜3号車を増結する2・2号、3・1号はともかく、1・3号と同じ所定7両の
オホーツクが4〜10号車だったのが不思議でしょうがなかった >>291
当時の北海道総局の方針で、函館の80系が不測の事態が起こった際に、
札幌の編成で「北斗」を仕立てるようにしたのでは? >>292
当時(47-3改正 1972年)北斗の基本編成が札幌に移管されたのは函館の収容能力が
限界に達したからで、それ自体は別にどうということはない
わからないのは、同じ札幌持ちの北斗1・3号(48-10改正で増発)とオホーツクが
どちらも7両編成なのに号車番号が異なったこと
53-10改正で北斗3・4号と5・2号(改正前の2・2号、3・1号)の基本編成はキハ1両減の
6両(4〜9号車)となり7両編成の北斗1・6号(改正前の1・3号)やオホーツクとは運用が
別になったと思われるがオホーツクは4〜10号車のままだった
オホーツクの号車番号が逆順ながら1〜7号車になったのは北斗が函館に再移管された
55-10改正だった
長くなってしまった どうでもいいかwこんな話 オホーツクは48(1973).10から前(遠軽側)に3両増結して、北見で切り離す予定だったらしい
でも、雪まみれかつ極寒の北見で連結できるかと北見側に蹴られた
で、オホーツク増結用の3両はやりくりして捻出した3両を合わせて北斗増発(48.10の31D/32D)へ回された
定期で北見解結が行われるのは、55(1980).10のおおとりか1ら ようつべでおおとりのダイジェスト映像?を見かけたことがあったが、真冬は扉が凍りついて駅員だったか車掌が蹴ったりするシーンがあったりしていかに環境が厳しくて大変なのかが判ったわ。 >>295
当時通常期でも満席の日が珍しくなかったおおとりならともかく、盆暮れ正月を除けば
満席の日は稀だったオホーツクに増結なんて俄かには信じ難い話だが。ソースを教えてほしい。
(道内気動車特急の中で真っ先に自由席が設けられたのも乗車率の悪さ故と思っていたw)
北斗1・3号(31/32D)は なは 電車化で発生した捻出車による増発だったと思う。 「北海」の網走延長と間違えていないかい?(下りで末端は普通車全て自由席)
おおとりもオホーツクも自由席が通しで設定されたのは昭和53年10月ダイヤ改正からだったと思うけど >>298
オホーツクの自由席設定は、昭和51年10月から。 >>299
しかも初めは3両だったなorz(53-10改正から2両) JR東海車は117系と同じ転換クロスシートに交換するとか意味不明改造してたんだな
簡易リクライニングじゃダメか?
快速みえ用のキハ58とアコモデーションと最高速度が逆転してたとか異常 >>301
快速みえ用のキハはエンジンはカミンズに台車は82用のエアサス流用した化け物だからな
0系から発生した簡易クロスに置き換えてもあの爆走可能だったけど、82はエンジン乗せ換えはしていないからどうしても差が出ちゃうんだよな 歴史上、東京駅に定期で発着してたディーゼルカーは、キハ80、181しかないのではないか さっと思いつくのは、キハ81 ひたちとキハ181つばさかな。上野発着の一部特急が東京乗り入れしてたやつね。 準急「日光」キハ55系
1957.10.15−1959.9.21 >>305 いなほからひたち、それにその逆の運用の場合は東京駅乗り入れはなく上野で転換してたってことか? >>307
秋田0925→(2012D)→上野1741/1810→(1001D)→平2059
平0633→(1002D)→東京927→(この間の動きが分からん。尾久あたりに引き上げ?)→上野1350→(2011D)→秋田2200 >>308 尾久に引上げ、整備なんだろうな。キハ80系のはつかりもここで検修受けてたし。
東大宮かと思ったが時期的に早すぎるし遠い。 >>309
そもそも尾久配置でしたよね、80系も181系も。
(いなほ・ひたち時代の80系は秋田でしたが) キハ82やキハ181って中間に連結されている場合は運転室は通り抜けできたのかな?
機械室の関係とかで貫通路は飽くまで非常用というイメージだが。。。 機械室の扉が並んでたけど当然鍵付きで中も見えないから乗客が通り抜けても問題なし そうでないと、付属編成の客が食堂車に行けなくなり、問題になるだろう あの貫通通路は運転席も覗けないのでつまらない思い出 >>315
キハ82だけど、南紀引退後のナゴヤ球場臨で何度か乗ったが運転席を覗けたけどなぁ。 エンジン本体は床下にあるが全ての機器が収まりきらず機器室出来ちゃってる
キハ183N系は発電セットを丸ごと床下に収めて機器室を廃止できた 82も181も183も発電セットは床下だけどね。ラジエターやタンクが収まらないから機器室あるけど
N183はDMF13が小さいからラジエターも床下にできただけで キハ183_101〜104は、デッキ側に機械室だから、
座席にたどり着くまでに通路が長かった 同じキハ81系使用列車でも『いなほ』や『くろしお』は中間にキハ82が挟まっているのに
『はつかり』がそうじゃないのは何故?
『いなほ』や『くろしお』は途中の主要駅で編成の一部を切り離していた? 『はつかり』は駆動エンジンを持たないキサシ80を連結しており、同車は発電セットを持っているため、編成中にキハ82を組み込まなくても、9〜10両編成ができたと思われる。 >>321
発電セットが三台だから食堂車込みでも11両まで給電可能なんだよね >>321
???
『いなほ』や『くろしお』も食堂車は連結してたでしょ?
キハ82を編成中間に挟む理由とは関係なさそうだけど・・・? そのころには発電セットを積んだキサシ80をやめて、走行エンジンを積んだキシ80になってる
キシ80は別に電源が必要 キサシ80なきあと、食堂車込みで8連以上にするには電源車として中間にキハ82を連結する必要がありました。 43-10改正で増発された「北斗」が「はつかり」電車化で転属となったキサシ80を
組み込み、中間にキハ82を挟まない9両編成だった。
翌年の44-10改正で愛称が「エルム」に変わってもキサシがキシ80 903に改造される
までは同じ編成だったようだ。 >>322
名古屋直通は天王寺から10連で新宮で3両切り離してた >>326-329
なるほど
例えば9両編成だとするとキハ81が2両とキサシ80が1両有れば
両端のキハ81それぞれが自車も含め近隣2両の電源を賄い、
編成中間のキサシ80で残り2両の電源を補うと
それが食堂車をキシ80にするとキシ80自体には発電機能がないから
代わりの電源車として編成中間にキハ82を入れる必要が生じた
こういうことか
でもだったらキシ80なんて造らずキサシ80のままで良かったような気もするが・・・
同じ9両編成で中間にキハ82を入れたら編成全体の定員も減るだろうし・・・
これはまた別の事情がある? >>331
キハ81→キハ82に移行する際
・運用上、9両固定編成までは必要ないこと
・定員や分割併合を考えると、6〜7両が適当なこと
ちなみに6両の場合、キハキロキシキハキハキハ で総定員約300人
・6両の場合、走行性能からは最低でも4M2mにする必要がある
・両端がキハ82の駆動系1エンジン車になるから、中間は全て2エンジン車になる
・もし食堂車をキサシにした場合、先頭車は鼓動系1エンジン車と2エンジン車を作る必要がある
その場合は4M1m1T 、これでは3M3m相当で、勾配区間には対応できない
4M2m相当にするには、キサシにサービス電源を集中して、5M1Tにするしかない
・結局、食堂車をキシとして、ブースターにしたほうが何かと便利
・ブースターにすると食堂車の定員が減る(40→32)が、6両編成なら問題ない
結果的に実にフレキシブルに対応できる内容の系列になった
>>330
名古屋まで両端キハ81で来ていた記憶があるのだが、今手元に資料が無いからなあ
以上、長々すまぬ キハ82の前頭部をデザインした人は天才
本当に色褪せなくて格好いい >>331
同じ電源付きでもキサシ80は付随車、キハ82は1エンジン動力車だから走行上キハ82のほうが有利だよね >>331
36.10の改正のときの特急増発でキハ82を作って7両を基本にすることにしたときに
キサシだと走行エンジンが足りなくて遅くなるから
10両を基本にするならキサシでも良かったんだろうけど、7+7で方向別にして特急を
網羅したかったんだね
>>333
な。153の低運と高運の合の子でライト上にしただけの感じなんだけど、バランスが絶妙
横まで回り込んだパノラミックとか、運転席、視界よさそうだったもんな
でもパノラミック、歪んで嫌がる人もいて、0系やEF66、583なんかはそれで平面にしたらしいけど
キハ82や181はどうだったんだろう。一番曲率のあるパノラミックだと思うけど >>333
キハ181の先頭部が酷似したデザインだったのは、そういう事なんだろうな。
鉄道に興味ない人にとっては、恐らくキハ82と181は同じようなものだっただろうw >>335
>でもパノラミック、歪んで嫌がる人もいて
そういう面ではクハ481でも基本番台より後発の200番台が運転士には好まれたって話があったな
まー200番台は「運転室が狭い」「冬場は貫通路部分からの隙間風が寒くて叶わん」という問題点があったが・・・
けどキハ82は隙間風問題なかったのかな?
北海道各線や『白鳥』『はくたか』など寒さの厳しい路線では特に >パノラミックは歪む
20系極初期のように、昔の航空用ゴーグルのように4枚構成にすれば歪まずにパノラミックっぽくなるかと。 >>339
そのまま名鉄8000系、初代「たかやま」〜「北アルプス」号だな
名鉄の場合、コストダウンのため平面ガラスのみでパノラミックっぽく構成していた
パノラマカーやパノラマDXも
6500のモデルチェンジ者及びパノラマスーパーあたりから曲面ガラスを使うようになったんじゃないかな
(初代5000系と3400更新車を除く) >>337
まったくもって同意なのだが
ヲタ的には前照灯カバーのRの有無だけで完全に別モノなのよね(^_^ゞ
>>340
μ鉄はよい意味でドケチよね
量産時にパノラミックをやめた銘車0系もお仲間かな >>330 >>332
キハ81の一部廃車が始まった1977年に、名古屋くろしおの付属編成も白浜か新宮で折り返しになった。
それと同時にキハ81の名古屋乗り入れがなくなった。 >>342
キハ81の名古屋乗り入れは、くろしお電車化前まであったぞ!
ただ最後の2年はほぼ片方がキハ82だった。 キハ183-100もぱっと見キハ82ぽいけど、平面ガラスの組み合わせでパノラミックウインドウではなかった。 >>344
あれは最初、キハ183基本番台に合わせた塗装だったから、ブサイク極まりなかった
キハ82のような塗装になって、何とか見える物になった 曲面窓で景色が歪む問題はガラスの成型技術が未成熟だったためか?
厚さにばらつきがあると平面でも歪む
偏光サングラスをかけると良くわかるが1987年以前のフロントが部分強化ガラス(よく見るとガラスが波打ってて干渉縞が出来て油膜っぽく見える)の自動車では視界が見にくくなるので使用禁止 パノラミックウィンドウの大型曲面ガラスは当時としては画期的だったが製造が大変だったはず
151系や20系客車(登場当初は平面の組み合わせだった)位しか採用事例がなかった
153系や113系はコスト増大を嫌い平面+円筒面ガラスになった あーそうだったね還暦キハ82
クハ151とは対極の実用設計なのに
ちっとも古びない不朽のデザイン ライトの形が南海こうや号20000系に似てるが、当時の流行? >>351
確かに似てますね
キハ183-500がキハ82になりきれなかった素敵なライン >>28
もしキハ181に変わったとして所要時間はどのくらい早くなったのかな‥? >>358
キハ181系化された「まつかぜ」1・4号は大阪~米子間の所要時間が、
キハ80系時代より9分長くなったことから、早くなるより逆に遅くなっていた 山陰本線ではキハ181の本領は発揮できないね(´・ω・`)
ところでキハ82が好きな人ってゴハチなら大窓機よりも
100番台前半の米原機や宮原機とか好きそうソースは我 国鉄時代の山陰や四国ではキハ181は本気をあえて出してなかったからな。
新大阪−出雲市で運転されてた当時の特急おきでさえ、
山陽区間内の所要時間はキハ80とほとんど同じ所要時間で運転してたし、
やくもの米子−出雲市の所要時間もキハ80系の特急とほぼ同じダイヤ設定だった。 米子発京都行特急「あさしお2号」は、キハ80系時代は米子~倉吉間を49分で
走っていたが、キハ181系化後は47分、のち43分と所要時間が短くなり、
わずかだが、キハ181系の本領を発揮していたな >>358-362
上野〜秋田の「つばさ」は、80系からキハ181系に置換わってどうだった?
当初は福米間の補機廃止が目的だったけど、やがて運転上の支障で
キハ181系でも補機が付いた。
キハ181系は元々中央西線の特急新設が、80系では難しいため開発されたんだな。
電車化の際も381系が初めて投入されたので、国鉄時代は特殊な線区かもしれなかった。
また80系より馬力を強くしたにも関わらず、車両故障や欠車が多かった。
食堂車のキサシ181を欠車したケースも多かったので、中央西線や板谷峠の山岳地帯では
想定外の支障があったかな? >>342
スーパーカーブーム全盛期だな。77年は
名古屋駅で新幹線ホームからキハ81がチラッと見えた。修学旅行で京都に向かう途中 >>363
置き換え時に時刻の変更はなかったけどその後20分から40分短縮した模様 山陰本線って今は平地直線なら同行ですらガンガン飛ばすが
当時はあまりスピード出さなかったのか >>363
6両編成を4M2m(エンジン10基)で組んだ場合、キハ80系は車体が重いので
パワー/ウェイト・レシオでキハ58系やキハ55系よりも劣っていた。
ゆえに山岳線区ではDMH17系ではDC特急の設定は無理、と言われていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています