極限の気動車!181系 衝撃のターボサウンド Vol.1
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
特急形気動車としてその快適性から好評を博していた、在来のキハ80系の設計コンセプトを踏襲しつつ、
キハ90系試作車における大出力エンジン開発の成果を踏まえ、国鉄の量産気動車としては初の500PS級
大出力エンジン搭載車となった、平成22年11月6日にラストランを迎えたキハ181系について語っていきましょう。
ところで、「つばさ」に使われていた時代、東北本線内での485系との所要時間差はどの程度だったの? みんなこのスレに来てくれて
ありがろうね
キシサという食堂車を研究しています >>1乙
そして>>5は鉄懐板恒例の荒らしにつきスルー推奨 >>6
なにを根拠に
そんな言いモノがかり付けるの? >>6
ちょっとあなた
何を根拠にそんな言いモノがかり付けるの? >>4
時刻表上では2分差。
ただし、停車駅が少ない。
ギアが2速ゆえに加速するまで時間がかかるから仕方ない。 >>4 >>9
福島以南の停車駅がひばり・やまばとだと郡山+2〜3駅前後なのに対し
つばさは郡山+宇都宮か黒磯のどちらか、またはその両方だったな >>9
2分差というのは小さくはないんだろうけど、485系と比べても遜色ない走りだったと言えそうだね。
ぶっちゃけ583系だって、曲線通過速度の問題で485系よりは遅かったしね。 末期のはまかぜでは、キハ181系らしいターボサウンドは聴くことが出来なかったってホント? 山陰線の中距離快速に3連が多用された時期あったね。
城崎→米子を乗り通したけど、58系だったら尻が痛くなっていたかもw 上りつばさに乗ってみたかったなぁ。
奥羽南線は単線区間も多くて特に冬期は遅れがち。
そんな中ようやく板谷を降りてきた上りつばさの回復運転はそりゃーもう・・・。 気動車特急(といっても80系、181系だけど)のグリーン車のマークって、他のより小さいよね。 珍しくキハ181系では国鉄色を復活させなかったね。
撮り鉄に懲り懲りしているからだろうか・・・。 全盛期を知らない世代に取って、キハ181系というと加速が鈍いという印象の方が強かったり。
このリンクを貼らないとはどういう事かと小一(ry
ttp://kiha181.com/ >>14
上りの東海道山陽線内は新快速の後追いになるのでまったり走りだったよ。
かにはまの帰りなら新快速に追い立てられるからかなり飛ばしてたよ
国鉄式でスーパーチャージャーってあったっけ?
DML30はターボチャージャーだけどインタークーラー無かった。
インタークーラーつけたらもっと出力上がってたよね。
当時で4バルブターボって画期的機構だと思うけど。
キハ181系で餘部鉄橋を渡ったのも、今となっては古い想い出だ・・・。 そういやキハ181系って回転クロスシートばかりで、簡易リクライニングシートで落成した車両はないんだっけ? >>35
当時は特急用でも普通車にリクライニングシートはゼロの時代だから 「やくも」でキハ181の全盛期は終わった。
その後は長すぎる余生だった。 がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! やくもは食堂車があったけど、走りといえば山陽線以外は、あまり速度出ませんでした。
その点では、後年のはくとや白馬アルプス、おわらやしおかぜ、いしづちのほうが速度が速いのではないかと。
四国に引き継がれた、改造車のキハ181-102 103は、14系座席車発生(一説では、みやびとも)の座席だった。 がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! いまどきの気動車と比較すると、加速の鈍さが目立ってしまっていたな。
発車して3キロメートルくらいいかないと、120KM/Hにならなかった。 キハ183系も、キハ181系の改良型に過ぎないんだよね。 しなのも末期は120km/h出してたみたいだね
千種とか神領付近とか局所的にだけど 引退後に国鉄色にはなってくれましたが・・・
国鉄色が走っている姿を撮れなかったのが残念。 @Reply:>>46
キハ187系なら、僅か1.8km程度で120km/hほどまで十分に加速できるぞ。 おっちゃんはガスタービン車の試験運転を見たことがあるで。 そりゃスゴイね。どんな音だった?
それにしても、181系以降のキハ65、66、47ってエンジン音が
やかましかったなぁ。大出力の見返り? まあキハ40、キハ47、キハ48、キハ183、キハ184は大出力じゃないけど。 おっきいツチノコやなとおもったら
ガスタービン車やった >>55
キハ40は発電用のエンジンを使うとか、ぶっちゃけ有り得ない・・・。 DMF15HSAは、DML30HSHの片バンクだけを取り出した形の走行用エンジン。
エンジンの乾燥重量(2,720kg)の割には、出力は220馬力だった。
おまけに、40トン近くの過大な車重と、低速域では非効率な変速機設定が
災いし、動力性能はキハ20と比較してほとんど向上していない。
キハ40の液体変速機は旧型車の3段6要素型の変速機と比較して
起動直後は非常に不利な特性の1段3要素型であるため、
エンジンの回転数が高い割には、発進は非常にゆっくりといった感じだった。 220馬力・・・初代レガシィと同じ馬力かよwww
まぁ、トルクは段違いなんだろうが、それでもなぁ・・・。 繁忙期で満員のとき、やくもの中間運転台助士席によく乗った。
エアコン効かないが窓が開くのでよかった。
キハ82に比べて機械室の通路が長くて暗かったので枠付きの蛍光灯と
相まって船底のような雰囲気だった。
>>59
ぶっちゃけトルクの大小自体はどうでもいい。 まぁキハ40のアレもデチューンせずに燃調も初期キハ181並の調整で走らせてやれば最高295PSだな!
排気管から火を噴いたりオーバーヒート頻発するだろうがw >>63
『すでに既存エンジンを直噴改造して、300馬力に向上させた例もあります。』
『原付バイクのボアアップと同様、エンジンのシリンダーが直噴の圧力の耐えられるかを考える必要があるね。』 『キハ181系は条件さえ良ければ、キュォーンというエンジン音と、キーンというターボ音が聞けた。』
『変速段で高速域まで引っ張る特性上、80km/h以上の速度で走れる区間の方が楽だった。』
『70〜85km/h程度でやっと直結段に入るような気動車は、速度制限がきつく、加減速の多い運転が強いられる区間は
使い物になりません。例を挙げると、会津鉄道の特急形気動車もそうです。終減速比が低すぎて、ほとんど直結段には
入らず、やや効率の悪い変速段で占められる運転が圧倒的に多く、燃費もよろしくなかったでしょう。』 加速だけならキハ120の方が鋭くてキビキビ走るよな。 ttp://shinano7gou.at.webry.info/201012/article_16.html
キハ181系「しなの」最後の戦い
>>47
確かに。
結構写真残ってるもんね 『キハ181系だって、留置線で走行点検を行うときには、15〜20キロ程度でゆっくり走る。』
『同時に、ブレーキがかかりっぱなしになっていないかの点検を行う。』
『万が一、ブレーキが1か2の段でかかりっぱなしになっていれば、
惰行走行時に急激に速度が落ちるので分かるという。』 昨日、下関で久々御目にかかって興奮しちまったよ!
しかし、あの色どうにかならないの?
>>53.>>56
オイル・ショックの産物キハ391系、トラブル続きで実用化せず... キハ391は騒音&高速一定回転数で減速が大変、異物混入の問題(ジェット機でバードストライクが問題になるようなもの)
などの技術的問題が大きかったみたいですね。
バスみたいにCNGとか今なら他に色々できそうだが…
てか、まだ下関に解体待ちで残ってるの? >>71
>てか、まだ下関に解体待ちで残ってるの?
キハ391じゃなくて、下関にいたのはキハ181系って事。
キハ391は、鉄博入りする話聞いたけど... 10月15日の時点でもまだいましたよ。>181系@下関
キハ181って運転最高速度120キロなのに速度計の目盛りが120キロまでしか刻まれておらず国鉄型で唯一?速度計を目一杯使ってたんだな。
通常はある程度余裕を持たせて特急型電車の場合160キロまで刻まれているが。 >>73
特急型電車の最高許容速度は160km/hでしょ
実際には出すことはないけど キハ181って言わば直線番長なんだな、車で言えばアメ車みたいな感じ? >>76
何で山岳急曲線の中央西線に181系何だかよく分からん部分はあるな >>77
開発当時は振り子式以前の時代であって、
上り勾配をDMH搭載の急行形気動車より高速で登坂できるパワーをひたすら求めただけ >>78
その割には山岳仕様でも無いような気がするんだが このスレの最初の方で散々言われた、機関の過熱について
改めてWikipediaを見て、参考になった。
名古屋工場と名古屋第一機関区が、高山線や紀勢線への運用を
拒絶した、というくだりに苦笑した。
変速機が変直切り替えが自動のままだと不都合が生じたため、
のちに手動で切り替えられるように改造された、とどこかで読んだ
ような気がするが、忘れた。 >>79
予算と時間をいくらでも積み上げていいならパーフェクトな機械にも出来ただろうがね。 登場後まだ数年の「100年の国鉄車両」編集の段階では、
評価が定まっていなかったのか、不具合が多いとは書いてなかった。
後に、出力が過大にならないようにうまく調整されるようになって
安定して運用できるようになったように 、Wikipedia には書いてある。 >>83
大出力エンジンとそれに組み合わせ可能な変速機に合わせて車両を作っちゃったから
結果として後から見れば平坦高速適性になっちゃったので、
91系でのテストもそこそこにヨンサントウに間に合わせようと大急ぎで作って「しなの」に突っ込んじゃった時点では
近藤恭三、内村守男といった当時の国鉄設計事務所の幹部連は、そこまで深い思慮なんか念頭になかったと思われ
後に九州社長になった石井幸孝氏は当時設計事務所で開発に当たった一人の筈だが、
この辺りのグダグダに至った詳しい事情については口をつぐんでいる >>85
上の方というか、営業畑からかなりの圧力があったんじゃないか。
何とか43.10に間に合わせてほしいと。
キハ91で試験しながら、片方でキハ181系の図面を引くような状況だったんだろう。
技術屋からすれば、「正直、勘弁してくれ」と言いたかったのだろうな。 >>83
意味がわからない。
当時の技術力と史実通りの予算と時間で、山岳線用の気動車を国鉄が開発したら何ができていたというんだ? >>91
お前が馬鹿なんだろ
他人にわかるようなちゃんとした文章書けよ おまいらケンカしてどうするww
元々、昭和30年代後半の国鉄で山岳線に適していた気動車はDMHエンジン2基搭載の50番台気動車であって
それでも「まだまし、2基エンジン車比率を上げた編成でないと速度がでない」というレベル
それで単純に、DMHより遙かに強力なエンジン作ってみたはいいけれど、
当時の技術だと1段直結変速機しか作れないから、
山登りも高速運転も、と欲張った汎用性まで考えて設計したら、181系になっちゃっただけだろう。
無理に公称2000PS級の「誉」を作り出して、それで飛行機作ったらえらい目に遭った旧軍を彷彿とさせるな。 はまかぜのあの日から1年経ったのに誰もコメントが無い件 >>93
日本機も無理やり2000馬力級の「誉」作ったけど、過給が1段2速だから、
排気過給機を持つB29に比べて高高度性能が得られなかったのが髣髴されるな
「誉」については技術者が走りすぎたんだわ。当時の日本の技術水準では金星
程度が最終到達点だな
鉄道で言えば性能を落とした使用したキハ66/67程度が丁度良かったということか >>95
髣髴されるって何だよ
で、読みにくいから変な所で改行すんな キハ181系の不具合を、国鉄本社は把握していたのかな?
フィードバックされにくい組織だった?
幹線電化で予定数終了して、済み? 把握してたさそりゃ 派手にどんどんぶっこわれちゃんだからね。
で、どうしようもなかっただろう。 運が悪かったとしか言いようが無い がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン! >>98
そしてEF81の設計者である石田さんが、何の事前説明もなく181系トラブルの事態収拾に放り込まれてしまった
この状態で前任者からの引き継ぎなしというのがひどすぎる >>95
確かにハ112−Uは高レベルでバランスが取れていたんだろうね。
一方ハ45。河口湖で見たけど、約70年前の日本人が作ったことに驚きを感じたよ。
材料の質と精度さえ良ければ、間違いなく世界トップレベルの空冷発動機。
>>102
表定速度の話は良く分からないけど、最高速度なら、山陽本線での空中分解しそうな暴力的な走りと音が忘れられない。 >>103
はまかぜの最後の大阪ー姫路間での120Km運転では、結構流している感じがしたが、昔は実質それ以上出していたのか? >>105
ん・・・
平成10年8月30日のことなんだけどね。
その日は歴史的豪雨により中京地区が大洪水で、はまかぜから乗り継いだ新幹線で一晩明かした日だったんだけど、そんな豪雨の中の激走だったんだ。
何分か遅れていたんで、取り戻そうとしていたのかな・・・
その後、餘部旧鉄橋廃止間近に乗ったときは、全然違う静かな走りで拍子抜けしたよ。
尼崎の事故の前で何でも有りだった訳ではないだろうと信じたいけど、120kmオーバーだったのかなぁ?
そんなに出るのかな? 国鉄時代にはしょっちゅうメーター振り切って運転なんて話があるらしいが >>107 「つばさ」が有名だったね。板谷峠辺りで慢性的な遅延を回復する為、東北線内平坦区間で大爆走。
JRになってからは、過去に販売された某鉄道誌で「はくと」がメーターを振り切って走行してたとの記述。晩年の「はまかぜ」は181系定期運行最終の「はまかぜ」6号が6分遅れを取り戻すべく大爆走 はまかぜも国鉄時代は80系時代のダイヤでそのまま走ってたからまだ余裕があった。
その頃は大阪−姫路でも最速68分(最高速度100km/h)だったしな。
JRになってからは新快速の大増発・スピードアップもあり、
最高速度120km/hのフル性能で余裕時分が切り詰められたからな。 >>108
183系導入時にキサシを転用する案はあったみたい。
ただ非力な183系じゃ足枷になるだけなので実現しなかったが。 【日緬】JR西日本の特急車両、ミャンマーへ有償譲渡 「はまかぜ」などで活躍したディーゼル車「キハ181系」15両[02/01]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1328103259/ そりゃまぁすべての過給器はスーパーチャージャーだが。 118はクランクシャフト動力式のスーパーチャージャーのことだと思いこんでいるんだろう キハ181系で餘部鉄橋を渡ったのも今となっては良い想い出だな。 >>123
キハ181系のトルコンは、中間速度域での加速力低下を抑えるため、
変速運転で高速域まで引っ張ることのできるタイプを採用しています。
一方、キハ58系、キハ80系のトルコンは3段6要素型であり、低速トルクが
強いものの速度と伴に急激にトルクが低下するタイプが採用されていました。
トルクコンバータの構成は1段3要素です。エンジンの最高回転域での
トルクを引き出せる性質を持っています。このため、キハ181系が元気よく
発進する際には、エンジンの回転数がそれなりに高くなります。
ストールトルク比はキハ58系が5〜6倍なら、キハ181系は3〜4倍です。 >>126
>>118以外みんなわかっててからかってんだよw ミャンマーへ行ったキロ180は、4、12、13のどれ? 2両行ったらしいけど。 >>129
情報ありがとうございます。
4はフラットがあると聞いていました。
最終日の運用についていた12と13ではないかと睨んでいました。 俺が利用してるチューニングショップのオーナーはDML30のスペックを見て
「おかしいよ、ターボを付けて7割近く馬力を上げてるのにインタークーラーを付けてない。
(DMH17=リッター10ps強、DML30=リッター16.666....ps)
これ設計した奴は車とか鉄道とかいう以前にエンジンの基本を知らないのか。
はっきり言うとアホ」と言ってた。 >>131
まぁそれが不具合の原因にも繋がってるのかな >>131
世間には数多の工業研究者、技術者がいて科学技術、工業技術は日々進化してるんだよ
今は当たり前の常識でチューニングショップの親父さんでも知ってて当然なことであっても
当時はそうじゃなかったことがいっぱいある >>131
>>133
181系の試作車のキハ91が登場する以前にインタークーラーターボつきエンジンを載せたDD51が既に量産されている。
ただし、人事異動で着任早々181系のトラブルの後始末を押しつけられた石田啓介さんが開発・設計したキハ66・67も
そのあと登場した国鉄の新形式のディーゼルカーも新製時にはインタークーラーがついてない。 まぁ設計仕様と実際の使用条件がミスマッチのままつっ走ってしまったってのが実情だろうな。
山岳線仕様なら平坦線の高速運転で無理をさせてでも、
60、80km/hで最も効率良く運転できるセッティングにすべきだったかと。
91でさえ厄介なお荷物だったところに181の計画
送風機付いてても熱容量不足だったところに
送風機なし・キサシ組み込み
はまかぜは、大阪−姫路間が60〜70分と幅があったんで、列車によっては
微妙だった。
181系はくとは、120km/h区間は、京都・新大阪−上郡間で長かったし
、大阪−姫路間58分だったから、120km/h出てた区間がかなりあったかも。
いなばって、鳥取−米子間のこと?岡山−鳥取間のこと?
120km/h区間は上郡−岡山間だけで、こちらも列車によって5分くらいの差
があったんだけど、曲線が以外に多いので120km/h出てた区間があったか
どうかは微妙だった。
そうなのか。
最高運転速度とメーターの最高目盛が同じなのは珍しい。
目一杯指して走行していたのか。 あの性能で160とか表示してあったら、
ウテシのチャレンジ精神をそそってしまうじゃないか。 東北本線ではちょいちょいメーター振り切っていたとかないとか、、、
スピードオーバーの証拠隠滅の為か? C62特急でも、俺は110km/h出した、いや俺は120までいったぞ、
私鉄特急に負けてなる物か、みたいな応酬があったらしいからねぇ。 西明石の事故が起きるまで速度超過には割と寛容だったのか >>147
よく遅延を引きずったしダイヤがギリギリだったからな 国鉄時代はある意味で、定時に機関士も運転士も「意地」がありましたね。
悪い意味では、順法闘争とか。
実際に体験した良い意味では、釧路発の「おおぞら」が約1時間遅れで函館に着いて
連絡線が青森に40分遅れで接岸、接続する「ゆうづる」が上野に数分の遅れで到着とか。 >>147
東北線だけじゃないよ。JR四国でもちょいちょいメーター
振り切っていたし。
末期によくあった、8両編成でキハ181が4両入っていたしおかぜ
や7両編成でキハ181が3両入っていたしおかぜ・いしづちなんかでは、
中間でよく見ていたものだ。 上野―福島間でダイヤ上電車とほぼ同じ所要時間だったって事は、
相当強引な運転だったと思わせるに十分…。
今のキハ281(283)系位のパワーがなきゃ無理だったんじゃなかろうか?
せめて食堂車が「キシ180」だったら、とも思うけど…。 >>154
キハ183の話だが、JR北はマジで135キロとか出してたよ
まだ改造される前のノーマルの時の話な
>>155
キハ181系は平坦線を高速運転するのに最適な車両で性能的にも十分余裕が有る。
問題はそいつを山岳路線に投入して連続過負荷運転してしまったこと。
山陽・九州特急や北海道各線に投入されていたら評価も違っていたかと。
(まぁ北海道は80系以上に安定化に苦しむことになるだろうが。) >>154
130までいっちゃったら600mで停まりきれない・・・
>>157
それだけパワー有り余っていたのか。 >>159
キハ181系の貫通ブレーキはよく効くから、
120を超えて130近くでも、600m近辺では停まれたよ。 スレ違いで悪いけど、以前上りの「スーパー北斗」に乗った時、森を過ぎて
20‰だかの上り勾配に差し掛かったら、急にスピードが落ちて如何にも喘ぎ喘ぎ走行してる
ように感じた事があった。281(283)系の出力を以てしてもこうなのかと驚いて、
なるほど80系の頃上りの「北斗」「おおとり」が渡島砂原経由だったりしたわけだと
思ったもんだった。
だから181系で38‰の板谷峠越えは、やっぱり無理があったって事なんだろう…。
一旦廃止した補機を復活させざるを得なくなって、開発担当者はさぞ無念だったと思うが…。 昔、「来るかい?」のカレチさんのひと声で、80系北海1号の運転席に行かせてもらった時、
山線区間では30km/hそこそこでノロノロと登っていたよ。
「6分遅れ」なんて言ってものどかな雰囲気で、「昨日はここでキツネが死んでいた」とかなんとか言いながら、
結局、回復することなく、小樽で10分延着。
181系でも・・・かな?
やっぱり平坦のしっかりした線で威力を発揮ですかね?
因みに、その北海1号では、カレチさんから「座っていていいよ」なんて言われてグリーン席も体験できた。
2人しかいない乗客の老夫婦は「もっと倒れるんだよ^^」なんて言ってくれたし、
おおらかな時代でした。 今は凄いらしい>>>気動車
電車ではとうてい達成出来ない走りをしてるとか >>161
故障したのはほとんどが中間車。
スピードが落ちると屋上自然放熱器が飾り同然で役に立たなかった。
電源エンジンとラジエターを兼用してた先頭車とキハ65ではそういう話は出てないね。 >>161
森から先の登り勾配でスピード落ちるのはR=300の為だと思う。
たしか281の25‰均衡速度は100km/h近かったと思う。 >>164
まあ飾りとしては格好いいんだけどね。
wiki見るとエンジンや変速機系との取り合わせが悪く失敗作ということになっているけど、
コストは低いので、たとえば現代主流の多段式変速機と組み合わせてはどうなんだろ
そもそも、なんで平坦線用高速車両を山岳線用に使ったのか。
もしくは山岳線向けに平坦線高速特性に優れた車両を作ったのか。
要求仕様と設計仕様が根本的にミスマッチしてるとしか思えんのだが。 1) 電車に負けない気動車を
2) キハ60 駄目じゃん
3) DMH17でキハ80
4) もう一度挑戦だ! キハ91出来た
5) 良さそうだ 特急だ! いきなりじゃなんなんで中央線で様子見ながら 91も走ってるし
6) キハ91 駄目じゃん 良いときは良いけれど。。。
7) ええっ もう作ってるよ 181
8) 作っちゃったから何とか走らせよう、皆ガンバって
こんなもんじゃない? >>168
あまり山岳線向けにしすぎると、つばさの東北本線内で急行より遅くなりそうだし。 >>167
あれでなぜ、床下に強制冷却のラジエーターをぶら下げる常道より「安い」のかが納得できなかった。
屋根上には冷房だけあれば十分だろ。できれば機器類は床下に集めちゃった方がメンテが楽だし。 >>171
可動部分がないからでないのかな
でも本来はラジエータの位置は床下より屋上または前面や側面の方が向いている
床下にラジエータがあるとゴミなど巻き込んだり火災の原因にもなりやすい
エンジンの駆動軸でファンを回転させる都合上、仕方なく床下に置いていると理解 強制式だと可動部が増えることによるメンテコスト増大に加えて、走行用に使える出力の低下と燃料費の増大までくるので
うまくいくなら自然冷却式のほうが当然良い。実際の結果はご覧の有様だったが。
>>168
故障頻発の最大の原因は過大に調整された燃料噴射機の設定のせいだしなぁ。
さらに板谷に関していえば、あそこはただの山岳線じゃなく、日本でも屈指の山岳線(勾配と長さの両方で)だからなぁ。 >>173
本来は連続定格の1-2割増しを30分定格で使う前提だから、
連続定格以上を出せる燃料噴射機の設定は適正でしょう。
平坦線なら最大出力は加速時と一部の勾配区間だけだからそれで問題無いが、
勾配路線では高速特性重視で効率の低い変速段から抜け出せず、
ひたすら最大出力運転を強いられることになるのは当然かと。
どうみても設計仕様と実使用条件のミスマッチです。 当時からディーゼルは軽くみられていたらしくて、開発予算は少なくてチェックも甘い。
それをいいことに設計のトップは独裁者となって実用性よりも「ぼくのきぼう」を優先。
先行試作車のキハ91系列の試験は運行予定のない房総や御殿場線でやって「合格」といわれて名古屋に引き渡した。
「つばさ」と同じトラブルは「急行しなの」のころからあったって報告もでたというから何を況やだ。
キハ82系同様に「北海道から九州まで使う」計画があればもっと開発の段階で熟慮したろうに。
非電化区間が未だ多数だったのに何故 電化方式に関係なく汎用性もある
ヂィーゼル車の開発(ランカーブを電車並みに改良するとか)疎かにしたのかね?
電車の技術革新(高速化)は東海道に新幹線が出来た時点でひと段落でよかったとも思うのに・・・。 >>176
東北・北陸の両本線は勿論それに付随する路線や
九州島内の電化が進められていた情勢を無視してもな…
てか1960年代後半の国鉄車両は大なり小なり問題抱えたものばかりだったな >>175
最後の一行は違うと思うな
キハ80の時も同じだったじゃん >>176
ガスタービンやってたじゃない。
なので、>>169に付け足すとすれば、
9) 三度目の正直、今度こそ電車に負けない気動車を!
10) ポンコツのキハ07に試しにガスタービン載っけてみた。走らせたら、あまりの速さに唖然!
11) 俄然やる気になってキハ391を開発。走りは凄いが、騒音と燃料消費の物凄さにも唖然・・・
12) そこへオイルショックが直撃。ガスタービン? あんなトンデモ止めろ!・・・あえなく終了。
13) それからの10年、国鉄財政の大赤字と労使対立による職場荒廃で、高性能車の開発は不毛に・・・
こんな感じかな。 >>178
キハ80・81の失敗があったからキハ82は、あの程度のトラブルで済んだのでは? キハ82は、営業運転開始前に随分走り込んでトラブルシューティングしてたみたいね。 >>181
そうなんだけど、結局キハ81でトラブルが出る度にその都度対応した改良をフィードバックしただけで
熟考はしてないと思うんだよな スロットル式のマスコンとブレーキは斬新だった
人間工学と時代先取りだね 181系のうち、「おき」に使われたキハ180には車掌室が設けられて定員が減少したけど、
車番は変わらなかった。あれは実に不思議。
一方、キロ180の一部は元々あった洋式トイレを撤去して車販準備室化したが
(食堂車無の「損失補填」のつもりだとか)、こっちは150番代に改番してる…。 >>186
その時点でキロ180に100番台があったので
区別する必要があっただけ。 アンカーミスした。
>>186じゃなくて>>185だった。 >>186
サロ481の場合は確かにそうだけど、当方が所持してるガイドブックには、
キロ180-150に関しては「出入口側の洋式便所を撤去して…」って記載がある。
だから、0番代の場合は電車のグリーン車と逆で、ドアの方が洋式で逆側が和式
何だろうと思ってた。 >>189
文献見直してみたら、当方の思い違いでした申し訳ない
実車がいなくなるとこうも忘れてしまうものか・・・ がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! >>171
トンネル内で冷えないという弱点が有ったらしい
熱気は上に溜まるから トンネルの多いしなの&福島まで全力疾走した直後に板谷峠を登るつばさ
設計者が走行する路線の特徴を全然知らない、というか考えてないな。
「しなの」や「つばさ」の場合、もしかしたら最初から、数年後には電車に置き換わるって考えてた…?
だから安価に製造することしか眼中になかった(と言って悪けりゃ、それを最優先した)とか。
その後の転用先じゃどっちみちそんな高速で走らせることもないと思って…。
もし北海道とかに投入するつもりだったら、もっと頑健な設計になってたような気もしてきた。
福島まで全力疾走って、エンジンにとっては負担でも何でもねー条件じゃん。
まぁそもそも設計者が悪いと思ってる時点で頭悪いんだが。 ここは平和なのにキハ80系スレは厨房が湧いて凄い荒れまくっている あっちは意固地になって電車vs気動車の全く的外れな性能比較に夢中だからなw >>197
板谷峠でエンジン以外になんか問題出たか? >>199
あっちで歯が立たなくなって逃げ出したDC厨房も
何食わぬ顔でここに出入りしている模様。
おとなしくしてる分にはまぁいいけど。 キハ65・66・67・183だったら同じDMLエンジンでもラジエーターが強制通風式なので板谷峠で使ってもオーバーヒートはしなかったはず
しかもキハ66・67は440PSにデチューンしてる >>201
トラブルは冷却系じゃないよ。
排気系の加熱だ。 >>196
もし開発担当者が、走らせる前から「やっぱり福米の自力走行は無理」と気付いて、
当初から補機廃止の方針を撤回してた、ってんなら「設計者に非無」を認めよう。
結果的にしろ、あれだけトラブル続出したんだから、
事前に何の問題もないと思ってた設計者が悪くない筈ない。 鉄ピク 2008年8月号を読めばわかるよ、設計に問題があるってことが。
一番ひどいと思ったのをひとつ書き込む。
「エンジン、コンバータを繋ぐゴム継手の破損ですが、担当から耐油性のゴムに取り換えたので
大丈夫と聞かされましたが、運転局の課長から米子機関区でゴム継手の取り換え作業を見たが大変な作業だと聞かされました。
不思議に思って図面を開けてみると継手を防振ゴムとしては誤った使い方をしていて驚きました」
後任の設計者はこんな不良品の後始末を押し付けられてよく我慢したな、と感心しました。 >>206-210
東北にはキハ65が配置されなかったのも、181系でよっぽど懲りたということなのかな
急行は無理して冷房するより、まともに走った方がいいでしょ、みたいな キハ82だったら板谷峠は自力で登れないことは無いが20キロ程度しか出ないので速度維持の観点からEF71が連結されていたとか
キハ58は自力で登ってたが20キロ程度しか出なかった >>212
70年代までは東北のディーゼルカーは冷房機が付いてないのが普通だったので
登坂用はともかく、冷房電源付き車輌としてのキハ65は必要なかった。
例外は急行「きたかみ」「しらゆき」の基本編成くらいか。
「つばさ」の181系は尾久客車区の所属だが、ぶっ壊れた状態で秋田に到着するのだから
国鉄秋田の人たちもいい迷惑だったことだろう。 >>214
逆に上り「つばさ」の場合は、客車区の人が尾久駅を通過する所を観察した。
「今日は側灯がいくつ点灯してるかな?」
故障車は側灯(白)が点灯する。
3っ以下なら優秀、5っ以上はだめとか言っていたそうだ。
で、まもなく上野から回送されてくる車両の、今日の作業の予想をするわけだ。 キハ181系は定格だと100km/hしか出ないのに最大出力で120km/hを出すという無理な設計だったような
キハ183N系のDML30HSJから定格出力=最大出力とした(定格の範囲内で最高速度を出せるようにした)のでトラブルが少なくなったとか 最大出力で120キロ?500馬力エンジンだからもっと余裕ありそうだけど >>214
その上485系化の直前には発車したばかりの上りつばさが脱線 >>215
その上ただの経由地の山形に「つばさ」の名を盗られ…。
秋田の関係者さん悔しかっただろうね。
キハ181は1回だけ乗ったことがあるが80キロ付近の変直切り替えで「ドーン」という衝撃が走るんだな
最近の気動車は衝撃が少なく滑らかに変速するが >>216
無理な設計だったのではなく、燃調が車両毎にばらばらという整備不良が
原因で、しかも多くが燃料噴出量が過大になっており、500PSエンジンを
590PS程度まで回ってしまう車両が多かったからオーバーヒートや排気管の
過熱を引き起こした。
その後すべての車両で燃調を絞り、ターボ音もあまり聞こえなくなった。
キハ66・67や初代183系は同じDML30HSだが、さらに安全を見込んで出力を
440PSに落としている。 >>222
当時の設計思想では連続定格の2割増しを30分定格として使う前提だから、
590PS出るのは整備不良じゃないでしょ。
問題はそれを冷却も効かない山岳路線で連続で使ってしまう運用方法かと。 >>224
間違えていました。
590PSでなく、620PSでした。
燃調に問題がるため山岳路線でトラブルが顕在化したのであり、原因は運用
方法ではないと思います。 >>221
ドーンと変速しているのは、調子が悪い車両だ。
本来は、ショックなく自動変速するのだが、速度検知が
うまくいかなくなったり、変直切替がうまくいかず抜けた
りするしたので、吹かし直して変速するようになったり
していた。 連続定格の2割増を30分定格って・・・・
DMHでも本来連続定格のはずの180PSが5分しか維持できなかった実情がある。
設計、運用、どっちも無理があったし、
それで66・67用の30HSIで、設定上のチューニングどころか「ディーゼル機関自体の圧縮比落とす」という
実質技術側の白旗上げで何とか破綻回避に回ったでしょ。 >>228
揚げ足を取るつもりではないから念のため。
66・67用は30HSH。30HSIは183系用。
あと、圧縮比は変えていなくて、「平均有効圧」を落としたのですよ。 >>69
亀レスすまないが、
あの色はアーバン圏に良く似合ったと思うね
派手すぎずスマートな都会派キハ181という感じで 変速機だが、キハ60のときに直結2段変速を試したがうまくいかなかったというから
キハ91の段階で検討すらされなかったんだろう。
せめて試験導入して比較すればね。 181系もキハ91も自動変速だけに余計にそう思う。 直結2段式変速機が実用化されたのはキハ85からのはず
電子制御によって精密に回転数を合わせることができるようになったので実現できたとか 直結2段式変速機は国鉄末期時代にも、一部キハ183に試作DW14型が搭載されて
実用試験を行っていましたねえ。その後、DW14型は制式になりましたが。 キハ181系のグリーン車は最後まで国鉄仕様だったな
テーブルが小さく弁当なら兎も角ノートパソコンが置けなかった キロ180で思い出したんだけど、普通はシートの柄が縞ですよね?
昔“あさしお”に乗った時のやつは、急行型や近郊型のG車みたいなセコいやつだったんだよね。
落成時からではないっすよね?昔ったって20年くらい前のことですけどw ネット巡回中にWikipediaに書いてあるキハ91組み込みは事実かって議論を見かけて気になったんだが
保育社カラーブックスに写真出てたのって知られてない?
746 ディーゼルカー(2)JRに出てるんだが…
登場時の「しなの」、って写真の5両目がキハ91 >>237
あれがついたときは、電源の引き通しをどうしてたのか気になる >>238
電源類は両車全く同じ。逆にキハ91が在来車と連結できるように変換用ジャンパを搭載していた。 キハ82とキハ181が混在していた列車ではキハ181だと早着してしまうのでノッチ制限が掛けられていたのでは? キハ181系で中間車が全部グリーン車の編成を組んだことはある?
理論上は可能であるが キハ181-キロハ180-キハ181でごく普通に存在しただろ? >>242
それって中間車が全部グリーン車といえるだろうか? 1両中1両の中間「車」がグリーン車だ
それは間違いない キハ181系の屋根上ラジエーターは雨の日なら気化熱で冷えるのでオーバーヒートを起こしにくかったのでは? 最長の利用は城崎→米子の快速かな。
なかなかの俊足だったけど、トイレが真ん中キハ180の1箇所だけというのはキツかった。
洗面所をツブして男子小用に改造すれば、トイレ不足も多少なり改善できたのではと思う。 >>248
3両中一カ所のトイレで何できついの?一般型よりずっと多いと思うけど。
おまけに定員の少ない181系3両だから、トイレを使う人自体、滅多にいない
ような気がするが。 長距離列車って主要駅が近くなるとWC行く人が多くなるんだよ。 くにびきのトイレで、ゲロをぶちまけた人がいて使用禁止になった時がある。
>>249
3両編成だと一ヶ所になっちまうと言いたかったんじゃね?
そりゃ特急はそれなりに距離走るし乗車時間も長めだから大変
そういや後にキハ120にトイレが無いとテレビで取り上げられ事あったな
山陰は老人が多いから、乗務員も客も色々と困っていた
>>242
時刻表の編成表上では、平成4年3月から平成5年3月の間に四国の181系のしまんと・あしずりで
キハ181-キロハ180-キハ181になっていたことになっているが、実際はキハ180が増結されて
4両編成になっていたから、その編成は存在していない。 キハ181-キロハ180-キハ180-キハ181の4両編成。 >>249
外国では通勤電車ですらトイレ付きがふつう、トイレが1両に2か所ある客車も多い
いったん降りれば1時間も列車が来ないようなローカル線でもトイレなしの車両がある日本は異常 お前山手線や埼京線に1両2箇所トイレ付いてもそんな戯言言えんの? >>258
違うわ。変速1段、直結1段で、トルクコンバータは3要素1段形のリスホルム・スミス式よ。
変速段において、高速域まで引っ張ることのできるタイプのトルコンで、
反面、起動トルクは弱くなるわ。
変直切替の目安速度は85km/hであるが、フルノッチなら50km/h程度で自動的に切り替わる。
回転数を検知して、自動的にギアを切り替えるからにゃ。 東京口界隈を5年ほど煙で賑わした伝説の車両なんだよね。
今の山手線なんか見てたら東京では全く考えられない。 >>260
別にそういう意味では伝説の車両ってことはないよ
準急日光の時代からディーゼルで東京駅まで乗り入れてたし
特急つばさだってキハ181系時代に始まったことじゃなく
キハ82の時から乗り入れてる 昔のディーゼルは煙がひどいからな。 鉄道に限らずトラック、バスもひどかった。 80年代半ばまでは常磐線にディーゼル急行あったしなぁ。 人の多い三ノ宮なんかで新快速待ってる人とかキハ181の煙を被ってたね
もう過去の話だけど >>263
東海道方面以外ディーゼル急行が走ってたけど
常磐線が最後まで残ったね (怒涛の十両編成!!) 唸るキハ181系金光臨 ラストラン!? (Full HD)
http://www.youtube.com/watch?v=cc0y3LC0H2s >>259
充排油式って買いてあるけど?
リスホルムは充排油しないよな
特急ひだにもキハ181系を投入すればよかったのに
山岳路線なのでキハ82では山登りが大変だったはず >>270
しなので散々苦労させられたからもう勘弁ってことだったんだよ 第3セクター鉄道がキハ181系を購入すればよかったのに
こうすれば観光資源になったはず ★JR酉が、いったん退役した181系をリメイクした寝台列車を検討中★
運行区間
始発駅 東淀川駅
経由 東海道・山陽線〜播但線〜山陰本線
終着駅 長門市駅
編成
・1号車 キクロハネロハシユニ181
エンジン撤去
運転席後方の機器室を郵便・荷物室に
その後ろにA寝台個室×1、B寝台個室(2人用)×1
さらに、グリーン車座席 1列 普通車座席 2列
電子レンジを装備した簡易ビュッフェ
・2号車 キサロネロ180
エンジン撤去
A寝台×4(上下段/プルマン式)
グリーン車座席×6列
・3号車 キハネハタ 180
エンジンを2000psに増強した直噴インジェクションターボ
B寝台×4(上中下段/プルマン式)
普通車座席 4列
後位側車内に石油運搬用タンク
・4号車
キクロシ181
グリーン座席×4
食堂車
運転台装備あり
・5号車
エンジン装備車
キハネ180
上下2段雑魚寝スタイル
・6号車
キクロネテ181
A寝台個室×8
車端側には展望室
2013.1月〜運行予定である。 国内にはもう181-1,12、180-1の3両しか残ってないのになぁ〜 せめて引退前のさよなら運転は国鉄色に戻してほしかった
津山駅に保存されているやつは搬入時に国鉄色に戻したが しなのでしんどいながらもノウハウ蓄積されたんだから投入すれば変わってたかも>ひだ
しかし国鉄労組はむちゃくちゃだな >>279 4.25、関西線鉄オタ立ち入りのおかげです >>282
60-70年代の国鉄といったら長距離輸送も通勤輸送も、旅客も貨物もパンクして、
おまけに赤字が嵩み始めて、無難なはずのMT54系電車やDMH17系気動車でさえ
長距離列車の平常運行確保に苦労してたんだから、国労じゃなくても拒否られて当然かと。
先の見えていた「やくも」以外のキハ181充転用先といったら
フルパワーの必要がない路線ばっかりだったし。 >>282
かなり懲りていた>DML30
実はキハ65もあまり使いたくなかったとのこと。
53.10での転入は、仕方なく受け取った。
労組関係なく、上部も拒否していた。 >>285
大事なところの主語省略するの止めた方がいいな 空いてる時に調子よくて混んでる時期に故障してたら嫌われる >>288 高松発着の時? それとも岡山発着に変更されてから? キハ181系は乗用車で例えるとスポーツカーみたいな車両か
国鉄バスでもスポーツカーみたいな性能のバスをメーカーに無理矢理発注してたし >>289
岡山発着のは
うるせえよって怒られて
ゆっくりのそのそと橋渡ってくイメージ 末期のはまかぜは車掌室確保のためだけにグリーン車を連結していた?
開店休業状態だった上にキハ189系では廃止になったが
しかも最後まで残っていた内装が国鉄時代のままのグリーン車だった カニの時期に必要なものを年中繋ぎっぱなしという感もある。 海外に送られて今どうなってるんだろうね
西色のまま走ってるんだろうかな >>293
国や兵庫県の出張規定でグリーン車が定められていたから年中必要ではあった
ただしグリーン料金をもらって普通車指定席に乗るので乗客はいなかった はまかぜのグリーン車は編成両数の割に定員48名と無駄に多かった
廃車発生品の2+1列シートに交換しても良かったのに >>294
DML30の整備に手を焼いて、エンジンを撤去されてしまい、ただの客車にならんことを祈ろう。 >>297
絶対そうなると確信してたんだが、先に行ったキハ183がヤンゴン〜新首都間の急行に投入されたんで
とりあえずはちゃんと気動車列車として走りそう 自分は、はまかぜが新型に置き換わって以降、ニ休になりました・・・ >>298
181は台車が特殊なので、改軌で苦労する可能性はある。 >>300
1067mm→1000mmの改軌は車輪のフランジを少し削るだけで良い キハ181系に限らず国鉄の特急型気動車は電車と比べて作りが安っぽかったような
原型のリクライニングなし座席は背面にモケットが貼ってなかったし、カーテンが横引きではなくロールカーテン(グリーン車は横引きカーテン)だし そもそも儲かる路線は電化
気動車は儲からん路線の代名詞 >>303
でもキハ181系は相当金かかってると思うぜ >>302
気動車が高すぎるからコストダウンしているのでは。 >>302
HOT7000は横引きカーテンをリニューアルでロールカーテンにしたぞ
揺れの問題で カーテンに関しては東車両に多い、一列毎に開閉できるロールカーテンが一番使い勝手はいいと思う。 エンジンにカネが掛かってカーテン代ケチったのかな? >>302
キハ80系の普通車座席の背面にはモケットが貼ってなかったが、
キハ181系の普通車座席の背面には貼ってあった。 >>289
高松発着の昭和62年3月改正で高松−松山間が110km/hになってから速くなった。
岡山発着になってからでは、茶屋町−児島−宇多津間が110km/hとか120km/hだったけど
茶屋町−児島間は普通列車の続行だったりして速いというイメージはない。 昭和50年代でもしおかぜは速い印象がある。当時もっと遅い電車特急があちこちにあったような その頃の四国は殆んどの区間で最高85km/hじゃったろ。 >>311
大分以南の単線区間ではにちりんがトロトロ走りだったな 単線区間は、行き違いに一線スルーがあるのとないのとでは、駅の通過スピードが大違いですね。 >>311
昭和61年11月までは、予讃線高松−多度津間95km/h、多度津−宇和島間85km/h。
昭和61年11月からは、予讃線高松−松山間95km/h。
昭和62年3月からは、予讃線高松−松山間110km/h。
平成2年11月からは、予讃線高松−宇和島間120km/h。
平成5年3月からは、予讃線坂出−松山間130km/h。
平成7年ごろからは、予讃線高松−松山間130km/h。
昔は電車のわかしおが表定速度60切るとか、鈍足なのが他にたくさんあったからな。
キハ181のしおかぜでも相対的にマシに思えた。 昭和50年代のみどりなんか電車特急と思えないほど遅かった。
>>316
しかし、昭和36年10月改正のキハ58/55による急行「四国」の
高松−松山3時間切り・表定66km/hから大して速くなってなかったからねえ。
改善されたのは乗り心地ぐらいか? >>昭和36年10月改正のキハ58/55による急行「四国」の
>>高松−松山3時間切り・表定66km/hから大して速くなってなかったからねえ。
昭和36年当時は3時間切れてなく(3時間5分)、3時間切れは昭和40年で、表定66km/h
は昭和43年じゃなかったっけ?
どうとるかだけど、昭和47年3月改正でのしおかぜの高松−松山間は
最速2時間41分。その後はしばらく停車駅が増えて遅くなっていったが、
昭和62年3月に最速2時間34分に。平成5年頃に2時間20分になって
いった。 昔特急やくもで伯備線が不通になって津山線を迂回したところトンネル内壁にラジエーターをこすってしまったってマジ? 【ミャンマー国鉄】元JR西日本キハ181系 まもなく再起
ttp://rail.hobidas.com/rmn/archives/2013/01/jr181_17.html
元の車番判る人いる? >>331
推測だが、トンネル径が小さくて電化できなかった北上線で定期運用持ってた車両だぞ?
津山線で走行不能になるとは考えづらい。 『鉄道伝説』
第2回「キハ181 〜高速鉄道網を全国に完備せよ〜」
BSフジ 2013年1月19日(土)23:30〜24:00
http://www.bsfuji.tv/top/pub/tetsudo_densetsu.html もしも北海道にもキハ181系が配備されていたらどうなっていたことやら
キハ183系0番台はキハ82と大して性能が変わらずしょぼすぎw >>336
折戸に雪が吹き込んであっという間に使用不能になって終了。
台車の構造上引戸への改造は困難なはず。 >>336
北海道への181系配備、しなのややくもが電車化された際に妄想していたな。
折り戸の問題をクリアーし、函館−札幌間の海線を120km/hで突っ走れば、
当時の国鉄最速特急になっていたかもしれない。 >>337
吹き込みは、同じく折戸の583系ゆうづるで経験したけど、
あれでも長年頑張っていたな。 >>337
北海道で折戸は711系試作車でやってた
しかも4枚折戸
戸袋に雪が詰まって開かなくなるのを懸念したらしいが隙間風が吹くため結局引き戸化された N183が事実上181の北海道仕様みたいなもんだろうな。
あまりに時が経ってるがw 日本だって北海道のバスは折戸だよ。
鉄道に限って問題が起こる特有の理由があるんだろうな。 ロシアの雪って日本の雪と違って乾いてなかったっけ?
『鉄道伝説』第2回「キハ181 〜高速鉄道網を全国に完備せよ〜」
bsフジ 2013年1月19日(土)23:30〜24:00
ttp://www.bsfuji.tv/top/pub/tetsudo_densetsu.html
ttp://www.bsfuji.tv/tetsudo_densetsu/
80系から歴史を辿るみたいね 特急がっかり事故ばっかりと貶したマスゴミ記事出るかな >>345
見たが貴重な映像は嬉しかったが、ずいぶんいい加減な内容。
キハ81系は各車に発電エンジンを積んでるから非力とか、
後にキシ80は走行用と発電用のエンジンを積んだとか。
それと例のはつかり火災は、床下機器に溜まった埃に
ブレーキの火花が引火した事故だが、なんかオーバーヒートが
原因と勝手に解釈されてるし。 >>348
>キハ81系は各車に発電エンジンを積んでるから非力とか、
これはそうは言ってないな。
「冷房や車内照明などのサービスに使う発電用エンジンが走行の大きな負担になった。
エンジンは各車両1機ずつしか積めなかったため、食堂車などには走行用エンジンを
搭載できなかったのだ。」 初期トラブルを無くすために日夜努力して改善対策練っているのに、
現場簿苦労も知らず特急がっかり事故ばっかりと貶す新聞屋。
努力改善もしないタイマンな行政や政治の方を叩くべきだろ。
マスゴミって奴は。 181が勾配線区用みたいな言い方だったな。
キハ80のトラブルは大きく扱っていたが、181のトラブルの件はスルー。
画像も「はまかぜ」ばかりで「やくも」や「いそかぜ」、快速運用がちらっと出ただけ。
一応「しなの」にも触れてはいたが、、、、 まあ、コメットの悪夢のような事態にならない限りは、気長に見てやる方がいいだろう、旅客機の場合。 >>350
現場も苦労してるみたいだし、しょうがないよね、みたいな書きようをするところがあったとしたら
それはそれでまずいとは思うけどね。 キハ181系というと、トラブルが多かったイメージしかない。 昔のディーゼルは無茶してるからなあ
キハ181系だけじゃない 参考資料
ttp://v.youku.com/v_show/id_XMzA1MjQyMzcy.html キハ181系は本来平坦線の高速走行向きのセッティングで山岳路線だとオーバーヒートが多発したとか
後期型からキハ66・67みたく強制風冷式小型ラジエータに変更すればよかったのに 500PSの大出力で変速直結の2段シフトってのが無茶ありすぎ
変速を低速高速に分けられなかったものか 美濃太田に留置されていた
国内最後のキハ180もついに解体されてしまったみたいだな。
歴代の列車の中で一番インパクトのある中間車だった。 2日に運び出されて、4日には解体終了という手際の良さ・・・なくなるときはこうもあっけないものか >>365
最近の軽快気動車だと変速段が2段付いてるのあるな(キハ40のJR西日本のエンジン交換車など)
直結段での変速は精密な制御が必要でキハ60でやろうとして失敗し実用化は1989年のキハ85まで待たなければいけなかった 鉄道車両での変速複数段は、エレキ仕掛けでエンジンの制御が
自由自在にできるようになってからの技術だわな。
昔はメカ仕掛けだからとてもじゃないがそんなデリケートな制御は無理。 思ったんだけど、書籍なんかで東京と上野間の走行写真はまずないね
走行期間が短かったというのもあるだろうけど 自動車用のオートマチックトランスミッションの技術を応用すれば直結段変速は可能だったかもしれないがロックアップが出来ないために伝達効率が悪くなってしまうな
DD51も充排油式変速3段で直結段がないが >>364
キハ90、91の頃から担当していた設計のトップが異動でいなくなり
後始末を押し付けられた新しいトップの人は少ない予算と短期での改修を強いられたので
理想的な改良は無理だった。 BS日テレ 3/28 23:30〜24:00
2nd Life Train ニッポン列車異国紀行〜ミャンマー編〜
◆第4回「新たなる旅立ち! ミャンマー編〜ティラワ支線の旅〜」
まずは、ミャンマー最大の都市ヤンゴンの中央駅で運転司令室を特別に見学できることに!
その後、車両工場を訪れると、そこには日本から輸入されたばかりの最新の車両が整備されていました!
翌日乗車したのは、キハ52と連結された平成筑豊鉄道の気動車。
様々な出会いや発見を繰り返しながら、ミャンマーの発展を握る特別経済特区へ。
その車窓に嬉しい光景が…。
輸入されたばかりの最新の車両がキハ181っぽい・・・予告映像にあったけどラジエターはなくなってた >>376
建築限界の関係で、屋根上ラジエータを撤去して低屋根化している。
床下に普通の冷却ファン付ラジエータもつけてあるはずなので問題ない。
ただし、使われるはずだった観光客向け列車が白紙になったとかで、運行開始は未定。 バス対抗のヤンゴン-首都間特急が結局こけて183ともども朽ちていきそうだな
レールバスも中国製DLもそうだが、結局ミャンマーの場合は
鉄道当局が長期ビジョンを持てないままに
格安で手に入る中古車を買っては場当たりに改造し、使い捨てているばかりで、
ノウハウ蓄積で日本の中古車両の体系的な運用に取り組んでいるインドネシアのようなレベルには
到底到達してないってことだな ミャンマー行った気動車って大抵すぐ自走できなくなって客車代用になるしな。 キハ58は苦労している(DMH17H車は全車撤退)が、LE-car・NDCの類は支線が無数にあるのでヤンゴンで見かけなくなったというだけで意外と生き延びている模様。 >374見たが、キハ181のラジエータファン部分はキハ82に近い
エアコン部分は屋根一部くり抜いて車内に下げてる改造だった
あの低さは頭ぶつけるぞ・・・バット状になってるから水溜まって腐食と雨漏りの可能性も。 >>380
異国の風土に馴染めずすぐに客車化というパターンだね
キハ181先頭車の保存は名古屋と津山にいるくらい?
ミャンマーに持って行き過ぎだな >>378
そういえばJKT48に対してYGN48も無いな >>384
国内にあるキハ181系自体その2両のみになってるよ
ミャンマーにもって行きすぎというより、その話がなければ早々に幡生で(ry
しかし台車の構造が災いして、客車化しても先は長くなさそうなのが・・・ 別スレでこんな質問があった。
100 :回想774列車:2012/02/18(土) 23:56:54.19 ID:jiMwjxxE
キハ181は「しなの」や「つばさ」も勿論だけど、
「かもめ」や「なは・日向」に投入するのもありだったんじゃない? ミャンマーでも、動力関係の保守整備は大変だろうから、
タイのキハ58みたいに動力系は全て下ろして客車化して使用する以外にないだろうな。 もしもJR東海もキハ181系を承継していたらどうなっていたことか
キハ82では高山本線や紀勢本線の急勾配が辛かったのでは?
JR東海は現在でも気動車は2桁形式に固執してるが
キハ181系は国鉄初の3桁形式の気動車である >>390
その急勾配よりもヘンテコな自然冷却ラジエター維持する方が辛かったらしい。
キハ65は維持してたからDML30系はそこまで嫌いではなかったんだろう。 >>391
冷却能力不足は凄かったみたいだね。
おまけにDML30系って水平対向の複雑なエンジンじゃなかったっけ(あやふや)?
それならば、当時は枯れて来たDMH17系で纏めたくなるのが道理かと。 >>390
DML30系のエンジンは、かなり問題含みだった様子。
Wikipedia「DML30系エンジン」参照あれ。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/DML30H
ラジエータ以外にも機関の設計期間wの問題や、
燃焼室やシリンダヘッドや潤滑系から何から何まで極限の以下略・・ >>391
だからといって、好んで使っていた訳でもなかったそうな>名鉄局
分割民営化時に、天鉄局から4両引き取ったのには一寸以外だった。 181系の機関は投入当初はトラブルも多いと聞いた事があるけど、
なのに何故先頭車には屋根上の冷却器が付いて無かったんだろう。 >>395
電源エンジンも持ってるから、まとめて強制冷却にした。
こっちは大したトラブルもなかったので、最初の仕様のまま増備された。 >>396
あぁそうだったのか、納得w どうもありがとう。 >>398
うん。新性能配備ってより、ゴミ償却期限受け渡しだったんだね南風・・ 82系にせよ、181系にせよ、当時の特急機動車って、ゴミの新しいのと古いのしかなかったってこと?w 旧式で熱効率の悪い副燃焼室式ディーゼルをはじめ、旧弊な技術だけで大馬力を欲張った
更にはラムエアに頼ったラジエター冷却などという大博打に出た。保険も掛けずに
↓
熱力学の神様から当然の報いを受けた
という事か
空冷エンジンにとりつかれて失敗した本田宗一郎に似ているな >>400
そうマジだよ。
その辺が気動車の奥深さ、だとも思うんだけんど・・ >>401
キハ181系は設計思想的に平坦線高速走行仕様だし、
その条件下なら問題無く運用できていた。
問題は要求された運転条件と現物の仕様がミスマッチしていることで、
技術的問題より組織的問題が大きいかと。 >>405
>キハ181系は設計思想的に平坦線高速走行仕様だし、
いやー要求仕様は真逆だったと思うんですが
http://www.katomodels.com/n/kiha181/
>キハ181系は、非電化区間で活躍していたキハ82系を基本とし、さらに勾配線区に対応するべく大出力エンジンを搭載して昭和43年(1968)にデビュー。 だから要求は山岳線仕様の筈なのに、なんでコテコテの平坦線高速走行仕様で
設計されたのか、ってのが問題なんだが。 組織的問題としても具体的に何があったんだろうな
投入線区決まってるんだからそこに合うの作るのが当たり前なのに 結局キハ181系ってキハ80系のあるべき筈だった姿にしか見えんのだよね。
この性能をキハ80系が初期に投入された非電化主要幹線で達成できていれば、
電化範囲が変わったかもしれんくらいのインパクトだったと思う。
キハ80系の挫折を乗り越えてあるべき姿を実現したものの、
時既に遅く、無理を承知の登山しか用途が無かったのではないかと。
この辺の硬直性が組織的問題なのかな。 >>409
結局つばさでやらかすわけじゃん
白鳥あたりもきつそうだ 特急つばさでの運用にしても、上野〜福島は問題なく走れるのに、
自力登坂を期待された庭坂〜米沢でトラブル多発だったのは皮肉だね
それでも、この車両が果たした役割は大きいが つばさは条件キツすぎるからな。
上野から福島まで全力疾走していきなり板谷越え。
485系でもトラブルが出たからM車を増やした。 「とべないつばさ」と来たか。同志!、映画が一本出来そうだなコレww >>415
板谷峠を補機付きで登坂する姿は、まさしくその通りだな
上手い
>>418
なるほど あらすじ
主人公の五代明(ごだい・めい)は、学業は優秀だが、自分を庇って不良にリンチされる
クラスメイトを見て鼻で笑う様な性格の持ち主だった。
売れない画家である父親が交通事故で死亡したため、銀座のバーでドアボーイのアルバイトをして
学費を稼ぐ事になった明は、その境遇に不満を抱いていた。
ある日、客から預かった上着の中に大金の入った財布が残されていた事に気がついた明は、
トイレに行くふりをして中身の金を抜き、財布を窓の外(明はドブ川が流れていると思っていた)に捨てた。
だがそこには人がいて、落ちてきた財布を拾って店に届けた事でその所業が判明し、
明は警察に逮捕された。
練馬の少年鑑別所(ネリカン)、さらに山梨県の竜王特別少年院に送致された明は、
そこで初めて、少年達の間で横行するリンチや隠れて吸うタバコといった内部の世界に接した。
明はその持てる機知と策謀能力で立ち回ろうとする。
だが、同じく留置されていた少年や少女、或いは教官たちと接しているうちに、
明の心にはある変化が起こっていた… 予讃線はそんなもん。
それでも多度津〜松山間は国鉄時代から一線スルー化が進んでたからな。 そんなことはないよ。
大体の駅は、100km/hだったし。海岸寺、詫間、高瀬、本山、豊浜、箕浦、川之江、伊予寒川、伊予土居、関川、中萩、石鎚山、伊予小松、伊予三芳、伊予富田、大西、粟井、伊予和気、三津浜、後に波方、菊間、浅海、大浦、伊予北条 じゃあ、伊予亀岡が80km/h制限なのは構内配線が変則的だから?
確かにあの駅は通過線の両側に退避線があるけど。
―→―←―
←高松 / \ 宇和島→
――――――→―←―――――――――
\ /
――←――
伊予亀岡駅
―→―←―
←高松 / \ 宇和島→
―――――――→―←――――――――
予讃線多度津以西の一般的な特急通過駅(側線などは省略)
(原田勝正・宮脇俊三『山陽・四国920駅』小学館、1993年) >>384
その昔、ドイツが戦時賠償でイスラエルにあげたディーゼルカーもすぐ客車になったそうだ。 >>428
ちがう。
伊予亀岡の今治方1番線・2番線の分岐がYポイントになっているから。
駅の形や前後の速度制限の関係(松山方もポイントを交換したけど90km/hの制限)
で。 >>430
/つ_∧
/つ_,∧ 〈( ゚д゚)
|( ゚д゚) ヽ ⊂ニ) まじっすか!
ヽ__と/ ̄ ̄ ̄/ |
 ̄\/___/ はまかぜ最終日の「お別れ」の扱いの極端な偏りは何だかなと思ったわ。
下りだけで、しかも山陰区間まで乗り進めないと引退演出やら記念物配布を扱わないってさ・・
上り6号なんて大阪終着前の放送でも一切触れずにそのまま終了w
乗り込んでも車掌も巡回しないまま大阪に着いたし、どんだけw
せめて記念&証拠に車内改札印をもらおうと、大阪到着後に客出し→閉扉までの僅かな間に
必死に車掌を捜し当てて即依頼したら、スタンパーだけ手に持ってたのは
唯一レチGJだったけどw 補足
車掌室じゃなくてドア付近に立っててそんな姿だったんだよw
俺が声掛ける前にも貰ってた人が居た。最後の最後に空気読んでくれて有難うレチさん 車両更新なだけで、「はまかぜ」という列車自体は存続するんだから
そんな大げさなイベントを期待するのが甚だしく勘違いだ。 キハ181系のスレなんだから181系好き目線での語りになるのはごく自然なのにね 最終はやぶさの熊本到着前の車内放送も何も無かったよ。
そのごくいつも通りが良かったのかな・・・ 東京オリンピックまでに女性専用車の廃止させよう
<女のわがままを満たすために、男性が混雑や改札/階段から遠くなる不便さを押し付けられています>
この映像で混雑差の具合が分かりますよ
http://www.youtube.com/watch?v=cPWYZ0qm6FU&feature=channel&list=UL
オリンピックで来日した海外の男性にまでも及ぶ男性への侮辱
女のわがままを許容してしまった日本の恥
男性を差別した悪質な女のわがままである女性専用車両をを廃止させよう 復活
www3.nhk.or.jp/news/html/20130907/k10014366821000.html がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! >>447
もうあのエンジン音は聞けないんだよなぁ・・・。 キハ110系気動車のエンジン音もすごいぞ。
共通して言える点は、ギアが上がるとき、一瞬だけエンジン音が途切れること。
この点を覚えておけば、変速段、直結1段、直結2段の違いがわかる。
速度計を見ながらの方がどの速度域でギアが上がるのがわかる。
まずは、5ノッチでめいっぱい引っ張る運転士さんを見つけましょう。
そうしないと、気動車は元気よく加速してくれませんから。
変速段=0〜50km/h
直結1段=50〜70km/h
直結2段=70〜120km/h
車種に拠って、直結2段は75km/h以降で入るものもあります。 架線の分岐箇所がどうとかで
電車特急が110km/hしか出せない区間で
120km/hが認められていたケースがある
ってホント? キハ40の場合、概ね60km/hほどまで変速運転で引っ張るよな。
※実際には70km/h付近まで変速段で引っ張れる。
このため、1段3要素型のやつは常用速度域の大半が効率の悪い変速段で占められる。 運用実態はともかく、設計思想として高速巡行向けの
キハ181系が80km/h台で変直切替なのはわかるんだけど、
主にローカル線鈍行向けのキハ40系列は何でそうなんだろ。
このタイプの変速機は伝達効率自体も低速タイプより悪いよね。
4,50km/hで切替ならだいぶ経済運転が出来そうなもんだけど。 つばさ時代のキハ181系に乗ってみたかった。
東北本線を120km/hで駆け抜けるキハ181・・・嗚呼魅惑のターボサウンド。 はまかぜが最後までJR神戸線で120キロ運転やってたがパワーを下げてたせいか迫力に欠けてたような 晩年に智頭急行でかつてを思わせる走りを見せてくれた
全盛期をとうにすぎた「はくと」が表定速度の最高じゃなかったかな でも、瀬戸大橋線では最大の騒音源と言われてなかったっけ? >>457
そうだと思ってたら、実はキハ185でも大差なかったはず。 >>456
「スーパーはくと」は智頭急行では最高運転速度が130km/hだった。
「はくと」は智頭急行では最高運転速度が110km/hだったんだが。
「はくと」は東海道本線・山陽本線では最高運転速度が120km/hだったけどね。 速度計の歯車が動輪に直結しているタイプの車両では、空転を起こした場合、当然速度計の針が上がる。
これでは空転を起こした時に一時的に速度がわからなくなるので、EF63とかは遊輪に速度計の歯車が付いている。 181初見参は197x年、上井(現・倉吉)駅であった。
58/28の急行で交換待ちのとき、あの轟音がやってきた。 >>460
新幹線0系で問題になったような
滑走するとATCが誤作動するとかで問題になり速度検知軸だけブレーキ力を50%にする細工を施してた
最近の車両は中間車に速度検知軸を設けるようになった >>462
E233に至っては、先頭車両ながら速度検知用の車輪にはブレーキが装備されていない。 スポーツカーみたいな気動車だったよな
大出力だけが売りだった 大出力なしでは、東北線福島まで電車特急並みのスピードで飛ばせない。 がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
コンコンコンコンコンコン
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! キハ181はトンネル内壁にラジエーターを擦るために津山線入線禁止ってマジ?
やくもで津山線迂回運転やったら擦ってしまったらしい 国鉄時代、向日町運転所ではキハ80系「まつかぜ」用のキシ80やキハ80などの
予備車とキハ181系「あさしお」「はまかぜ」に連結予定のキハ180が連結されて
留置されているのをよく見かけた。 >>464
外観は平凡なのにあの運転台デザインも当時としては大胆すぎるよな
その後縦型マスコンは201系までなかったし、その後の203系も従来型だった
運転台だけみると黒基調・ブラックライト採用などとても1970年代の車とは思えない
運転台の斬新さだけを見ると国鉄ではEF66とともに双璧だと思う
(でも俺がウテシなら絶対運転したいとは思わないし組合からも難癖つけられたと思う) 新大阪〜出雲市間を山陽・伯備線経由で結んでいた特急「おき」は、
中間車にサービス電源用のキハ181が入らない10両編成だったが、
両端先頭車からの給電の問題はなかったのだろうか
キハ181系は8両編成以上の編成を組むときは中間にキハ181を連結しなければ
ならないはずだったが 給電区分は自車含めて5両(キサシ含むと4両)だと思うが >>470
「しなの」が10両の時も電源車は両端2両だった(47.10の国鉄の運用図表で確認)。
10両まではセーフじゃなかったかな。 向日町運転所所属のキハ181系と米子運転所のキハ181系は、
ドアの位置が向日町車は米子寄り、米子車は大阪寄りとなっていたが、
なぜ車両の向きとドア位置が異なっていたのだろうか
キハ80系の「あさしお」などの置き換えのためにキハ181系が米子から向日町に
転属したときに、ドアの位置と車両の向きを向日町運転所のキハ80系と揃えたためだろうか >>472
初期車は発電エンジンの容量が小さく8両貫通が限界 古い鉄ピクに載ってたけど、長野発大阪行きのキハ181系「しなの」2号が
名古屋方先頭車が故障で切り離されたため、DD51の重連にけん引されている写真が載っていた。
同列車は名古屋駅に53分遅れで到着したという。
同列車は名古屋で運転を打ち切ったか、名古屋から予備のキハ181が連結されて、大阪へ向かったかは
不明だが >>474
「しなの」登場時は9両だったはず。
鉄道ジャーナル1968年(昭和43年)10月号によると、キハ181の給電能力は5両、
但し食堂車を含む場合は4両とある。
また、キハ181系の紹介記事は9両セットで図面が載っている。
この記事の著者は谷雅夫氏(国鉄車両設計事務所) 「しなの」や「つばさ」のキハ181系は夏場になるとよくオーバーヒートや車両故障が
多発したというが、「やくも」や「南風」などではそういうことが少なかったのは、
所要時間が少し長くなってもエンジンに負担をかけないような走行や、過酷な運用をしなかった
からではないか キハ181系は平坦線での120キロ運転を想定していたので山岳路線への投入は想定外だったはず 「あさしお」、「はまかぜ」などもキハ181系化当初は、
キハ80系時代のダイヤと速度で運転されていたようだ 山陰みたいなカーブばっかりで巡行速度が遅く、
特別急勾配でもない路線が最も181系の性能を発揮しにくい。
そんでも所要時間延ばさずに停車駅増やせたのは181のおかげかと。 境線大篠津駅構内に留置されていたキサシ180の車内はイスが散乱したりしていて、
車内はかなり荒れていたような感じだった >>478
昭和62年3月改正で高松−松山間が110km/hになった後は、しおかぜで
エンジンカットが続出したんだけどね。
それ以上にキハ185系のほうが車両故障がひどくて大変だったらしいけど。 米子市内のスクラップ工場に引き取られたキサシ180はもうすでに
解体されて鉄クズになって現存していないと思うが キハ80からキハ181への変わり目の頃はフルノッチ運転すると速度が出過ぎるのでノッチ制限していたのでは?
キハ126が落成当初高速化工事が未完成だったのでノッチストッパーでノッチ制限してフルパワーを出せないようにしていたが キハ181-101は電源装置がキハ183系からの発生品だったようだ 米子運転所のキハ181系は西は小倉・博多、東は京都、大阪まで
広範囲にわたって運用されることもあって、エンジンもかなり酷使されて
いるように思えた 特急形車両で、回転クロスシートに乗ったのはキハ181系が始めて。
あのシートなら185系の転換クロスシートと大差ないと感じたもんだ。 >>478
山陰や四国では仮にキハ80系で運行しても余裕のあるダイヤで運転されてたから。
もし土讃線をフルノッチなんかで走ってたら中央西線や奥羽線と同じようなトラブルが発生してただろう。
それに四国にはキハ65が既に投入されてたからDML30系エンジンの扱いに慣れてたしな。 キハ181系のブルーの回転クロスシートは背ズリの裏側にもモケットが貼り付けられ、
キハ80系のシートよりも掛け心地が良く、温かみを感じた >>490
国鉄時代の四国特急は最高速度85キロとかとてつもなく遅かった
高速化されたのはJR化以降 向日町運転所に夜間、キハ181系の「あさしお」・「はまかぜ」・「まつかぜ」が
回送されてくると、給油、清掃、点検、編成減車、増結などの作業が行われていたが、
各列車に使用されるキハ181系は翌日以降も同じ編成が「あさしお」などで運用されて
いたのだろうか。 キハ181系は平坦路線を120キロで走るのに特化した設計だったので屋根上の巨大ラジエータは山岳路線ではあまり効果が無く設計ミスだったとしか思えない
キハ65みたいに強制風冷式を床下に設置すればオーバーヒート多発は無かったのに
先頭車のキハ181だけは滅多に故障しなかったとか 米子運転所に夜間留置中のキハ181系のヘッドマークの盗難が相次いだ時、
盗難防止のために米子車はマークの止めネジが南京錠に交換されたが、向日町車は
マーク取付け部にロック式の重厚な金属枠を取り付けてマークをその中に収納して
容易に外せないように改造されていた >>495
HM交換に貫通扉を開けないといけない構造になって一見防犯性が高まったように見えたが
夜間留置中に結局盗難にあうという・・・盗まれてもお値段的に高い枠まで持っていかれるのを避けるための対応だったか? >>492
重箱の隅のようだが、
高松−多度津間は95km/hだった。
昭和61年11月改正で多度津−松山間も95km/hになった。
昭和62年3月改正で高松−松山間が110km/hになった。
一応の高速化はJR発足直前だよ。 >>498
名目は補助冷却装置だったが強制冷却式がメインになってて主従逆転してた キハ181系の「はまかぜ」は播但線から山陰本線に入ると、
数分遅れることが多かった。単線区間での対向列車の遅れや、
キハ181系の性能面や山陰本線の線形の悪さもあったのだろうが 「あさしお」、「はまかぜ」がキハ181系化される2か月ほど前から、
米子機関区のキハ181系の一部が一足早く向日町運転所へ転属し、
山陽本線や山陰本線、舞鶴線などで乗務員訓練が行われていた。 北海道にも導入されていたらどうなっていたか
北斗で120キロ運転とか石北本線の常紋峠を高速で越えるとか大迫力になってたはず
しかし折戸から雪が入り込む懸念があるような
711系試作車も最初4枚折戸だったが隙間から雪が入り込むために結局引き戸になった 特急あさしお6・7号、はまかぜ2往復を米子運転所が担当していたころ、
多客時の増結時は同所のキハ180の両数が向日町運転所に比べて少ないこともあって、
キハ181が米子寄り先頭車の次位に1、2両連結されることがあったが、この編成は見た目が
決して良い編成とは言い難かった。キハ181を中間に組み込んでいれば見た目は良かったが 昭和60年3月改正で博多「まつかぜ1.4号」がキハ181系化された時、
それまで8両編成で運転されていた向日町運転所担当の「あさしお」全列車と倉吉「はまかぜ」1往復が
基本7両に減車されたが、「まつかぜ1・4号」用のためのキハ180を捻出するための減車だったのだろうか
またこの時点で、向日町運転所ではキハ181が不足したためにキハ180を先頭車化したキハ181-101が向日町運転所に配置されたが、
この車両は同所のキハ181が検査入場時や臨時列車に使用されたときの予備先頭車を確保するために配置されたのだろうか ミャンマーに売る時も、グリーン車入れるより先頭車をもっと多めにした方が良かった。 あんなお頭ばっかりで身の少ない車両は最小限しかいらんだろ。 舞鶴線を走行中の特急「あさしお」は最後尾のキハ181のテールライトが片方しか
点灯していないことがよくあったが、(キハ58系の急行「丹後」も同様)
球切れか、整備不良だったのだろうか >>511
国鉄時代はよく片側点灯見かけたけど単線区間のためだったのか
何で入れ替え標識なんだと思ったけどやっとナゾが解けた 今でも好かん。
正式な列車じゃないみたいで。
ムシャクシャしたから和田岬線のオハ64系で
片点灯なのを両点灯にしたったら
車掌が気づいて片点灯へ戻しやがったw
さらにむかついた 目視で先行列車の検知をする可能性がある場合は、
尾灯2個以上必須ということか。
単線でも閉塞信号があると駄目なんだな。
山陰本線は閉塞信号あったような気がするけど、
>>510の例は綾部で切り替えてたんだろうか? そういえば、昔の車両は電車を含めて左側にしか後部標識ないよね。流電ことモハ52あたりまでかな? 「いなば」や「はまかぜ」では、ヘッドマークの代わりにときおり貫通扉のヘッドマーク取付け部の
蛍光灯の入った小窓に「はまかぜ」などと書かれたステッカーが内側から貼られていることがあり、
マークが小さくなって見えにくいことがあった >>518
それって、ヘッドマークが盗難にあって所要数が足りなくなった為の処置じゃないの? ヘッドマークって運用表作って厳密に管理してたんで
結構予備が少なかったらしいね
盗難や破損があると大変だったみたいだ キハ181系の特急「まつかぜ1・4」号は1〜4号車が「おき5・2」号と共通運用だったが、
「まつかぜ」1号か「おき」2号が遅延して米子に到着する場合は、どうしていたのだろうか
「おき」5号や「まつかぜ」4号が遅れて米子を出発したか、米子機関区の予備のキハ181系で「おき」5号を仕立てたり、
または予備のキハ181系を「まつかぜ」1号の米子回転車に連結したりして上り「まつかぜ」4号を仕立てたりしていたのだろうか >>515
実体験例では、少なくとも国鉄時代の因美線(通票区間)の単行列車は片点灯だった。 キハ181系の特急「はまかぜ」5号は鳥取行きだったが、方向幕が、
「特急はまかぜ 浜坂⇔大阪」となったまま、東海道、山陽本線を走行していることが
よくあったが乗客は戸惑わなかったのだろうか >>523
鳥取へ行く人が間違えて乗らない様にそう表示してたんだろ 昭和61年11月改正で山陰地区で普通列車や快速列車の増発で設定された
キハ181系使用の豊岡・城崎〜米子間の快速、特急「あさしお6・7」号を
鳥取〜米子間は快速として運転、キハ181系使用の米子〜生山、下市間の普通列車は
キハ58系使用列車より快適で乗り得な列車だった 俺は「しなの」に登場してからすぐに乗ったが、
高速で蛇行中に力行するときにエンジンの回転数を合わせる為か
2回、ブーンブーンと空ぶかしをしていた。
その後そんな運転は経験したことがない。
何かの初期トラブル対策だったのかな? 智頭急行開業後、すぐキハ181系の臨時特急はくと81号に乗ったが、
この列車は山陰本線に入ってから最後尾5号車のキハ181が急にエンジン音がしなくなり、
静かになったが、エンジンが停止されていたか、ニュートラルになっていたのだろうか 181系のエンジン音を満喫しようと廃止前の「いそかぜ」に乗った。
キハ181はサービス電源の音もするからと3両の真ん中のキハ180に乗った。
ところが全区間平坦地でエンジンは動いていなかった。サハ180になっていた。
お盆休みで満席で席を変えるわけにもいかず、
トイレに行ったついでにキハ181で立ってエンジン音を聞いていた。 キハ181系も湖西線で130キロ運転やればよかったのに
但し速度計が120キロ表示なので振り切れてしまうが
北海道のキハ183系0番台みたいに車輪を早めに交換すれば何とかなるはず 岡山・大原間の臨時特急武蔵に乗ったが、PR不足のせいか1両に数人しか客がいなかったな。
ちなみに車内では乗車証も配られた。 >>528
末期のはまかぜでは、直結の力行から惰行になる時に空ぶかしする事があった。 山陽本線内を高速走行中のキハ181系の「はまかぜ」の先頭のキハ181に乗車していると、
駆動中のエンジンが大きな音を立てて身震いした瞬間、急にエンジンが止まったような感じで静かになることがあった >>533-534
色々な運転方法があったみたいだね。
当時のウテシに聞いてみたい。 向日町、米子両運転所の所属のキハ181系のシートがブルーの回転クロスシートから
回転リクライニングシートに交換された当初、シートの色は薄緑と薄茶のストライプだったが、
末期のキハ181系「はまかぜ」のシートはモケットの色が紫とブルーのストライプなどに変わっていた。
新たにシートが交換されたか、モケットだけが張り替えられたのだろうか はまかぜのグリーン車は最後まで国鉄型の座席かつ定員48名だった
テーブルが小さいためにノートパソコンが置けなかった
せめて雷鳥のグリーン車みたいに1+2にすればよかったのに 向日町運転所や米子運転所で、DE10やDD51がキハ181系を牽引、推進して、
転線作業や入換作業をしているとき、キハ181系はドアが開いたままDLに
推進されたりしていたが、キハ181系のギアがニュートラルでエンジンがかかっていなかったから
ドアが開いたままでも動かすことができたのだろうか 台車に干渉するからキハ180の扉が引き戸にできなかった・・・
というけど、ドアが車体の外側(便所側)に開くようにすれば何とかなるんじゃないかと思う
実車か実際の設計図と見ないとなんとも言えないが、実際のところ引き戸化は検討しなかったのだろうか?
引き戸に変更すれば北海道にも投入できた気がする
冷却系は見直さないといけないが
キハ181は扉の位置的に引き戸にするのは簡単だろうし 実は1ドアならドアとトイレを反対側の車端に設ければ済む話だったりもする。
実際にそれをやったのがキハ183系だ罠。
キハ183系の台車はもう少しオーソドックスなダイレクトマウントだが、
それでも台車そばにステップがあったら困るのはあまり変わらんし。 >>540
> 実は1ドアならドアとトイレを反対側の車端に設ければ済む話だったりもする。
この配置は客室を車端部から二重扉で隔離できるメリットもあるね。
寝台車もこの配置。だけど昼行列車に関しては客室と便所スペースを
デッキで隔離することを優先したようだ。 ツインターボは鉄道はおろか自動車でも稀だな
ターボを大径化すると過給圧を上げられるがターボラグが大きくなるというトレードオフを解決したが
昔のトヨタ・マークIIでツインターボ仕様とかゲテモノみたいなのあった 米子運転所のキハ181系は向日町車と比べると車体の汚れが目立ち、
傷みがあったりしていたのは長距離運用が多かったことや、海岸沿いを走る区間が多かったり、
また山陰地方の気候なども影響していたからではないか >>540
>>542
なるほど
国鉄にもう少し余裕があったら日本中で181が走り回ってたのかもね
北海道用にはキハ181-500番台 とか言う感じに もう少し余裕があったら、外国技術導入して、より高出力で軽量なエンジンの開発、量産を行ってたんでは?
80年代初めころに、カミンズエンジンのようなエンジン搭載の特急気動車が走り始めていたら JR化後、米子運転所のキハ180−25が試験的にエンジンが換装されていたが、
この車両は96年に引退した >>547
結局変速機が原形のままで加速性能落ちるとかで広まらなかったな
屋根上の巨大ラジエータが用無しになるので撤去可能だったが撤去しなかったのが不思議 キハ181系の特急「南風」などが瀬戸大橋を通過するとき、橋の下や近くの人家では騒音、振動がすごかったという
あまりにも大きすぎるというのでJR四国では岡山発着の「南風」などをキハ185系に置き換えたところ、騒音、振動は少し緩和されたという >>539
戸袋やドアエンジンの設置で便所が狭くなるし便所点検蓋が設けられないので難しい。
>>539>>545
少なくとも北海道形では車体の断熱性能、台車や機器の防雪・防氷が必要ゆえ181系の区分番台なることは有り得ない。
また当時は1エンジンに対する冗長性のなさに不安があったと聞いた事がある。
道路整備が遅れていた北海道で冬場の立ち往生は死を意味する。
>>543
国産乗用車ではトヨタのほか日産、スバル、マツダ、三菱と主要メーカーの高出力エンジンで採用してたから、稀という程のものでは無いと思うぞ。
一旦シングルに戻ったのはコスト面やVG化でシングルターボでもレスポンスが良く出来るようになったからな。
大型車では三菱と日野がV8ツインターボを出してたが、直6化で消えてしまった。
とはいえ現行のいすゞ中型バス・トラックは6気筒→4気筒小排気量化と併せてツインターボにしたから、
極低回転から過給させ、高回転ではより大量の吸気をするにはまだまだアドバンテージがあるのだろう。 >>550
>181系の区分番台なることは有り得ない
キハ82の立場無えな >>551
あれで苦労したから181には手を出さなかったんだよ。 キハ181系のエンジン、車両は古い型のため向日町、米子両運転所では夜間、長距離運用を終えたキハ181系が入庫してくると給油、清掃以外に、
エンジン、エンジンオイルの点検交換、台車点検など車両のメンテは欠かせなかったようだ >>551
キハ40とかも北海道向けと内地向けで番台区分しただけだよね
550の考えからすると違う形式になりそうだけどなってない
あと四国に旅行したときキハ54が四国にもいることを知らずに乗って、番号を見てびっくりした思い出がある
道内の54と全然違う車両だと感じたな がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
コンコンコンコンコンコン
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! 山陰本線では後藤車両所出場のキハ181が鳥取、松江、出雲市まで単行で
試運転後、客車列車の最後尾に連結されて米子に戻ってくることがあった まもなく、いそかぜ廃止から丸10年ですね。
周遊きっぷで旅行した際、下関駅でふくめしを購入してガラガラのいそかぜ車内で食べたのが懐かしい。
周遊きっぷ、ふくめし、いぞかぜ共々みんななくなってしまった・・・ キハ181系の「あさしお」などの運転士は日によって、キハ58系やキハ47系も運転していたようだ >>545
キハ80系自体が高性能エンジンの開発に失敗してDMH17でお茶を濁した存在だから、
キハ80系のあるべき性能を実現したのがキハ181系といってもいいかも知れん。
平坦線での高速運転に特化した性能設定なんてまさしく。
なぜこれで登山させようなんて考えたんだろうか… そのときにはそういう使い道しか残ってなかったからじゃなくて? 昭和57年に「あさしお」、「はまかぜ」、「まつかぜ」一往復がキハ181系に置き換えられる数か月前から、
山陽本線などでキハ181系3連を使用した乗務員訓練が行われていたが、それまでキハ80系を運転していた運転士に
キハ181系を運転させるための教習だったのだろう
向日町運転所でも気動車検修整備班が同年7月から向日町運転所に配置となるキハ181系のエンジンの構造や整備方法などの
研修を受けていたようだ。 >>559
内地で特急列車が高速で走るような路線はことごとく電化されて、
結局「気動車の特急車両」を使うべき路線は山岳路線(山岳区間がある路線)しか残ってなかったからでしょうね
本当に181か、同等の性能の車両(できたとしたら183?)が北海道に来れば良かったと思う
おおぞらや北斗にはうってつけの車両だったね >>562
山岳路線しか用途が残ってないなら山用の設定に出来なかったのかね。
低速連続高負荷運転必至の運用なのに、高速運転頼みで重量の嵩む自然空冷なんて…。
最高速度も100ー110くらいにおさえてその分ローギヤにした方が無難だったと思う。 >>563 キハ181、東日本から撤退した後、板谷峠のような補機が必要な急こう配区間を通る運用があったっけ?
土讃線は山岳路線と呼ばれるが、北海道の石北線とあまり変わらないのでは? 土讃線の大歩危付近、それに石北線の北見峠付近、両方とも最大25‰が存在する山岳路線区間だわな。
急カーブも多いし。 引退したJR四国のキハ181系をJR西日本が買い取るという噂もあったが、
これは実現しなかった。 キハ91で試用して上手くいかなかった自然通風式超大型ラジエータを見切り発車的に採用したとしか言わざるを得ない
強制冷却ファン動かす動力をケチってエンジン出力をとことん走行に回すのを目論んだが平坦線を120キロで走るなら兎も角山岳路線では冷却不足が露呈した
最初から強制通風式にしておけばパワーロスが発生するものの軽量化出来た上にオーバーヒート多発は起きなかったはず
後年補助ラジエータを床下に付けたが主従逆転してしまった キハ181系「しなの」は編成中にキハ91が組み込まれていることがあったが、
各種試験かキハ180が故障で急遽キハ91が連結されたのだろうか 301系のようなアルミニウム車体にして重量軽減を図ってたら? もっと予算があったなら・・という妄想だけど
44トンあるキハ181の重量が40トン割る程度(キハ185系並み)となり、出力重量比の向上を図ることができたのではないか
問題は車体強度だが、101系の半分といわれる301系が103系1200台と共に、混雑度の激しい区間の運用で30年以上稼働できたのだから大丈夫ではないか? キハ181系のエンジン内部にはすき間を0.15mmに保たなくてはならないシビアな
空間があり、すき間を0.15mm以上とると油圧が低下してエンジンの隅々にオイルが
行き届かなくなり、逆にすき間が0.15oを下回るとエンジンが焼き付いてしまう。
キハ181系の全般検査ではオイルや冷却水などの流路の整備、配管の締め付けなど徹底したチェックが行われ、
1両のオーバーホールに3週間を要したという 北越北線の早期開業を訴える看板に181系の絵が描かれていたね 当時の水準から見たらまさにスポーツカーみたいな気動車だったな そのスポーツカーで砂利道山岳林道に突っ込んだのが現実だった訳で…。 >>570
シリンダーを横に寝かせた形状だから潤滑に関しては意外にデリケートだったんだね。 意外にも予讃線の八幡浜−宇和島間の3箇所に最大33‰がある。 向日町運転所のキハ181系の中間車のドアの位置が米子寄りに統一されたのは、
同所担当の「あさしお」と「はまかぜ」のグリーン車が2号車から4号車に変更された時と思われる 山陽線末期「かもめ」などに投入してみたかった気もする 181の顔そっくりさん
キヤ391はとうとう死んでしまうの? 特急「あさしお」の廃止により京都総合運転所で余剰廃車となったキハ181系が
梅小路に疎開留置されていた キハ181系のマスコンは横軸だが、211系とは違い、押して力行、引いてノッチオフというパターンだった。
※当時の電車や気動車のマスコンは縦軸マスコンの車両が多かったからそうだったのかな。
引いて力行、押してノッチオフの方が使いやすいのにね…。 マスコンにはバネが入っているため、力行状態から手を離すと、
ひとりでにノッチオフに戻るようになっている。
※鉄道博物館にて、マスコンが展示してあるコーナーで触れてわかった結果。 キハ181系のマスコンは他に591系でしか採用されなかった非常に希少な構造なんだな
横軸で押して力行は営業車では唯一
0系が横軸式採用第1号だが「引いて力行」である(電気機関車と同じ、在来線で引いて力行の横軸マスコン第1号は201系量産車) おそらく手を動かす方向が進行方向ということが自然と思われたのだろう
押して力行、引いて力行、どちらが人間工学的に自然なのかはわからないが混在は事故の元
その後は後者に統一されたので、やはり引く方が自然だったと言うことなのだろうな まぁ加速で引く、減速で押す、の方が慣性力に逆らわないから安全だろうね。 当時は押して加速、引いて減速が人間工学的に合っていると考えられていた。
飛行機のスロットルも加速は押す方向。
ブレーキに関しては非常時に押す形式より、
引く方が人間は動作が早い。
非常ブレーキ時にマスコン、ブレーキ両方引く方が、
誤操作少ないと思われていたのではないかと。 181系は80系のマイナーチェンジ車ではないんだな
何でそんな大事なこと早く言ってくれない >>587
そう言うけどな
誰もお前が知らなかったなんて分かんないもん >>582
103系1000番台はデッドマン装置があるため戻しバネが入っていない
新幹線0系も戻しバネが無くうっかりノッチを入れたまま運転台を離れ戸ばさみを復旧させたら列車が勝手に動き出したとかあった >>586
結局、逆に落ち着くんだよな。
同じ理屈の上吐水式で阪神淡路震の際に落下物で問題が出たので
上吐水式が駆逐されたのと似てる。 いや、駆逐されたのは下吐水式のほうだな
吊ってくる >>591
新幹線のマスコンは戻しバネがないのは、右手で操作するため。
高速度で走行中、マスコンから手を離して、指差し確認するためにもある。
車両点検を行う際には、マスコンがノッチオフの状態に戻っているかを確認する必要がある。
1、2ノッチでも入っていたら、クリープ現象で動き出しちゃうからな。
新幹線は高速度で長い距離を走るため、ブレーキよりもマスコンの操作が重要視される。
このため、利き手の右手でマスコンを操作しやすいように右側にあるのだ。 流麗で出力の無いキハ82は女性的だけど、
角ばって大出力のキハ181は絶対男性だよな。 最近では、キハ54系を運転する女性運転士もいるが…。 >>568
“しなの”では故障連発で車両が足りなくなるのでキハ91を代わりに連結した。
毎日ではなかったが珍しくもなかったみたい。 キハ181系が車内での振動や発車時、加速時の騒音が静寂に感じられたのは、
エンジンに反力軸と呼ばれるエンジンと台車枠をつなぐシャフトがあり、このシャフトによって
振動を台車を伝って軌道に逃す工夫と、エンジンの車体との結合部を弾性結合として振動が車体に
伝わりにくいように工夫されていたからだという もしもキハ65が急行おがに投入されていたら板谷峠でオーバーヒートは起きなかった?
あっちは床下強制風冷式であったが
キハ66・67は屋根上強制風冷式であったが冷却水パイプがどうしても長くなってしまい冷却能力が低下するとかでエンジン換装時に撤去された ホンダ・S660のラジエーターも同じような理屈。
エンジンが後ろにあり、ラジエーターが前にあるので、
長いラジエーターホースが必要。冷却効果は悪い。
あと、マニュアル車は、トランスミッションとシフトレバーまでの間は
長いロッドが必要なので、ギアの入りは悪い。
1970年代の話。 結局2ハンドルとはいえワンハンドルマスコンと同じ扱いでノッチ進段とは何者だよ
あの運転台は電化路線でも今も国鉄型(115-1000)が主流の俺達には衝撃だねw
当時の投入線区の組合はよく飲んだね
個人的にはあの運転台と大馬力エンジンを搭載したDCを動かしたかったと思う 何かスポーツカーみたいな気動車だったよな
120キロ運転を達成できた画期的な気動車だったが故障が多発し現場泣かせだった
自然風冷式ラジエータはレーシングカーみたいだな >>600
スレチだけどさ、あなた酒飲みのギンコさんだよね?
総合板に車内酒スレ、路車板に呑み鉄スレがあるんだが
ロムり&時々レスしてくれないか?
俺も酒飲みで居るんだがどっちのスレも振るわないんで 2軸駆動を初めて実用化したのはいいが第1軸と第2軸で車輪の直径を厳密に合わせないとどっちか片方が引きずられ異常摩耗してしまう懸念があるのでは?
すべり粘着台車(異なる直径の車輪をプロペラシャフトで繋ぎ粘着係数を測定する)みたいな感じか
検査時は直径差が1%以内になるようにしてるが
http://bunken.rtri.or.jp/PDF/cdroms1/0004/2014/0004006092.pdf キハ181の編成出力を凌駕した気動車って未だに出てない? >>559 >>562
京都−長崎・佐世保間の「かもめ」なんかにも投入しても良かったような気もするけどな。
山陽本線では高速性能が発揮できるし、セノハチ以外にこれといった勾配区間もないからな。 >>605
HOT7000なら新快速より速いぞ
キハ181は停車駅を大幅に絞った上で互角(厳密には負け)だった >>601
そりゃ運ちゃんはオンボロより新車がいいよ。
(国際興業の小佐野賢治は新車投入で組合を黙らせていたそうだし)
合理化はカンベンだろうけど >>607
大阪〜姫路間は前後を新快速に挟まれて苦しそうに運転してたな
キハ189系になって改善された
もっと凄かったのが急行たかやまで95キロしか出ず急行のくせに新快速に追い抜かされてた でもなぜかその新快速も阪神間ではみまさか・みささよりずいぶん遅かったような 新快速は153系時代でも本気出したら大阪−姫路間65分での運転はできないことはなかった。
因みにキハ80系のかもめ・日向は同区間を65分で走破してたからな。
京阪間では雷鳥をも凌駕するスピードで飛ばしてたけど、大阪−姫路では特急に遠慮してたようなダイヤだったし。 「あさしお」などの使用車両がキハ80系からキハ181系に移行する直前、
キハ181系の乗務員訓練が山陽本線などで行われていたが、当時は米子機関区や向日町運転所には、
キハ80系とキハ181系を両方運転できる運転士はいなかったのだろうか >>612
確証が全くない、適当なこと書いてすまんが、50.3まで「しなの」が181系で、
夜間留置が向日町だった(これは確か)から、いくらかは居たんじゃないか。
また、米子は伯備線「やくも」を持ってたんじゃないか? キサシ180が持て余してる写真は衝撃だった
サシ481とか有効活用してたのに… >>612
格上げ後の「おき」が181系で京都から出てましたがな。 昭和46年8月、キハ181系の大阪行特急「しなの2号」の名古屋方キハ181が故障で切り離されたため、
DD51の重連に牽引されるという事態が発生したが、この時、乗客は空調もろくに利かなくなった蒸し風呂のような車両に
名古屋まで乗せられたのだろうか 中間車、ラジエーターでAU囲んで狂気の沙汰だったなあ・・ http://www.nicozon.net/watch/sm1941506
新快速が急行を下剋上ってw
急行たかやまもキハ181系にすればよかったのに 一部の区間だけの話でしょ
それにここの住人ならとっくの昔に存じてるかと >>615
北海道に転用してキハ183系の食堂車として活用する構想もあったらしい >>612
キハ80系は3段6要素のDF115A、キハ181系は1段3要素のDW4だったからね。
ただし、最終減速比が低かったので、シフトアップ速度は前者は70キロ、後者は85キロだったと…。
キハ80系はキハ58と同様に変直切替は手動切替だったような…。
キハ58=2.976
キハ80=2.613 3段6要素
タービンが3段(3枚)、ステーターが2枚、ポンプインペラーが1枚という構成のトルクコンバータの事。
合計6つの要素から成り立っている。
自動車用のトルクコンバータは1段3要素型が主流、
※一部には1段4要素も存在する。
トルクコンバータは1段3要素、3段6要素の他に、1段4要素、1段5要素、
2段4要素、2段5要素、4段8要素も存在する。
1段3要素にも、外向きタービン型も存在する。
流体継手の場合は、ステーターが無いため、構造的には1段2要素である。 特急やくもで津山線迂回運転やったらラジエーターがトンネル内壁を擦ってしまい以降津山線入線禁止になったってマジ? >>626
大ウソ。車両限界に抵触する建築限界があればえらいこっちゃ。 なんでキハ83系にならなかったんだろ
中途半端なジョイフルトレインに83を名乗らせたくなかった..... >>1の車両のエンジンが自動車レース以外での180度V型12気筒の代表的な成功例である。
180度V型エンジンは、左右のピストンがクランクピンを共有しています。そのため、左右ピストンが一体となったかのように、ひとつの動きとして往復します。
バランス面では、水平対向エンジンより不利になり、振動が起きやすくなります。反面、クランクシャフトの長さを短くできるので剛性を上げやすく、
また、クランクケースの圧力の関係から高回転に有利といった面があります。もちろんスポーツモデル、スーパーカーの類が中心です。
これまでの採用例はフェラーリの12気筒モデル(テスタロッサ、365BB、365GT/4BB、512BB、512TR、F512M、ベルリネッタボクサー)がもっとも有名です。 >>622
トレーラーのクセにあの変態台車を履いた時点で、雪国の使用は却下されてそう…。 キハ181系化された特急「まつかぜ1・4号」は、新大阪・大阪〜米子間で
キハ80系時代より所要時間が10分ほど延伸されたが、なぜスピードダウンしたのだろうか
キハ80系より強力なキハ181系なら、キハ80系時代のダイヤのままでももう少し速く走れて、
逆に倉吉、米子着が2、3分は早くなっていたのでは 昭和60年3月改正では米子7時発の「あさしお」4号がスピードアップして、
京都着12時18分と3分早くなったが、後の改正で京都着が12時22分着と
再び遅くなっている >>629
制御回路の電圧が、他の気動車と違うので、新系列として100台の形式番号が与えられた。 キハ181ってマスコンに戻しバネ無いんだな
しかも縦軸式でありながら「押して力行」である(新幹線0系や201系は「引いて力行」)
マスコン入れたまま運転席を離れ勝手に動き出した事例あったっけ?
新幹線0系でマスコン入れっぱなし暴走があってたまたま乗ってた専務車掌か何かが停車させ事なきを得たとか 他の板で書かれていたけど、
JR四国のキハ181系って比較的新しくてアコモ改善もして今後暫く使う予定だったのに、
瀬戸大橋ブームの終了と高速道路の急整備で2000系に置き換えされたんだ。 >>639
その割りにキハ181-1やキハ180-1みたいな古い車輛も在籍してたみたいですが西日本より古い車輛の割合が少なかった? ぶっちゃけ、キハ181ってあんまり速い印象がない。
個人的にはキハ126の方が速い印象がある。 山陽本線内や鳥取県内の山陰本線の直線区間では、キハ181系「あさしお」、「はまかぜ」は
高速で走っていた 120キロ走行か
速度計も何故か120までしかないから凄いもんだ キハ181系使用の臨時急行「シュプール白馬・栂池」や「マリン若狭」なども
北陸本線や湖西線内では485系の「雷鳥」同様に120キロ走行していたのだろうか >>641
元しなの用の転入車と四国に新製配置した車両をごっちゃにして考えてもね。
まあ、元しなの車は高松にも米子にもいたし、キハ181のラストナンバーは米子だったし。 昔、親戚の家族と一緒に大阪からキハ181系の「はまかぜ」で鳥取へ行った事があるんだが、
山陽線内はかなり揺れが酷かった。当時幼稚園児だった従妹が乗り物酔いでゲ○吐いた位だった。
新快速(当時は117系)はそこまで酷くなかったと思うんだが、あれは軌道等に起因するものではなく
キハ181系の側の問題だったのかな? 当時すでに軌道の整備は進んでいたから181系が原因でしょう >>649
阿部憲一君はしなのは機関車牽引だと思ってたようだね へえー、
国会質疑でもこんな細かい事を言うのが居たんだ… >>640
でも新型車両(185)は軽いから静かなはずって与島住民は期待してたみたいだけど
地元テレビが地上で計測したところ181と185で特に差はなかったというオチ
輌数条件が一緒かどうかとか風向きがどうとかまではしらんけど >>642
発車してから120km/hになるまで約3kmかかったからね。 キハ110の場合は、時速95キロほどまで達するには、
条件にもよるが、時間で1分30秒、距離で1.5kmくらい。
キハ40の場合は、平坦な区間であっても3分以上かかるが…。 >>637
https://www.youtube.com/watch?v=dzPCw16TO9Y
手を離してもノッチ入りっぱなしw
危ない危ないw
戻しバネなしは電気機関車や新幹線0系で見られた ミャンマーの気動車はエンジンをかけたら、バスと同じ感覚ですぐにスタート。
暖機運転は引き込み線において、歩くような速度で走りながら行うという。
日本では停車状態で暖機させるのが普通だが…。 >>656
キハ181のマスコンは211系、205系、キハ110系に見られる「引いて力行」ではなく、「押して力行」なんだな。
隣りにあるキックダウンボタンはマスコンを適宜よく操作しながら、左手の親指で押せるようになっています。
逆転ハンドルが前や後ろの状態でマスコンをほんの少しでも入れたらクリープ現象で走りだしてしまいますよね。
これも有って、入換作業では逆転ハンドルの位置をよく確認する必要がある。
逆転ハンドルが中立の状態なら、エンジンがガーガーと唸るだけで動かないが…。
キハ110系の空ぶかしも逆転ハンドルが中立の状態で行うという。 中間車が全部グリーン車の列車は理論上可能だがやった事例ある? 過去のRP特集を調べたら、キハ181-キサシ180-キハ181のロットが1つだけ有ったな。 その編成はプラレールのキハ181系でも再現されてたな この時期キハ181で思い出すのは大糸線での試運転中に路盤を踏み抜いたこと。 1両だけ試験的にエンジン交換したのがあるのは意外と知られていない
しかし変速機が原形のままで出力が低下したのか1両だけで終わった
DMF18HZを用いれば解決したが定格600PSを誇るが元々船舶用を改設計したものでキハ182‐200番台でしか使われなかった キハ183-200は知ってるがキハ182-200は見た事が無い >>667
甲鉄城のカバネリの甲鉄城で言えば、茨城交通湊線を走らせて、路盤を踏み抜くのに近いね。
重量級の気動車が簡易路線への入線ができないのは、路盤の弱さの問題。
スラブ軌道であれば、キハ181系なら30kgレールでも時速95キロほどで走らせたところでなんともないが…。 簡易線規格だった倉吉線にキハ181系は入線したことはなかったが、
キハ181系と同じエンジン搭載で、キハ181系より重量の重いキハ65を
連結したキハ58系の普通列車は、同線の平坦区間ではスピードが出てたようだった キハ180のノッキング音は酷いな…キハ47も引き継いじゃったけどw キハ181系はエンジンの推進軸のほかに台車側でエンジンを支える反力軸によって
振動を台車から軌道に逃がして振動を抑える工夫などが施されていたため、
走行中は振動が少なく、車内も防音対策が施行されてたようで走行中は快適だった 予燃タイプの国鉄形エンジンは
キハ40系でまだ揺られることが可能だけど、
大出力のものは過去のものになったのが残念
キハ65もあれへんし 675
山陰地区での国鉄型気動車はキハ47系だけになったな >>676
そうだけど酉は全て換装車だよね
原型エンジンは、北の一部、九の一部、四国の(40系)全車だけ 677
103系電車のようにリニューアル工事や延命工事が施されてるが、
老朽化が進んできたら、キハ126系に置き換えられて廃車されるかも > 車内も防音対策が施行されてたようで
これはガセ、キハ80系の方が確実に静かだったよ。
DML30系使用車では65改造のエーデル車が特段に静か、4VK回ってても
気にならない位。 米子運転所・向日町運転所構内では、昼間時、切り離されたキハ181やキロ180、キハ180などが
洗浄線や留置線などによくポツンと留置されていたが、キハ181系の各特急の組成作業や
編成組み換えなどは夕方から夜間にかけて運転所に帰区してくる「おき」や「あさしお」などの入区後に行われていたようで、
昼間はキハ181系の車両移動や組成作業を見ることはできなかった。 今の気動車は13リッターとキハ181系の半分以下の排気量でDML30系に匹敵する450PSを叩き出してるが過給圧を上げてインタークーラーを取り付けたから出来たとか?
船舶用だと13リッターで900PSとか凄いのがあるがあれは海水や淡水を冷却水として無尽蔵に使えるためで泥水を吸い込んだら故障の原因になる あと電子制御や直噴エンジンになったからとかだな
一番金があるJR東には、まだまだオリジナル貧力キハ40系がけっこう残ってるぜ
あの加速性能のクソ悪さはマジで具合悪くなるな 気動車の製作そのものをやめちまったからな
次の技術が安定するまで 場繋ぎ が必要な訳で >>682
船のエンジンでは回転数が馬力に大きく寄与するが、DML30は、2000回転まで行くの忘れてた。
DML30は全然だめだね。熱を無駄に発生させて、使わずに捨ててる感じかな。
このDMH17は1200馬力(端数切捨て)
http://www.mtu-online.com/mtu/products/diesel-engines-overview/general-purpose-diesel-engines/2000/ エンジンが一番冷えるトップスピードは熱効率が良く、そよ風すら当たらない勾配線での起動時(特にトンネル内)では大量に発熱する。
何で、設計者は気付かなかったんだろ? キハ91の時点で気づくべきだったのに見切り発車的に採用した感がする
ラジエーター冷却ファンを動かす動力までケチったっておかしいだろw 折戸だし14系座席車に改造・編入した方が無難だったかな?
発電セットが床上の一部を占拠していて面倒だがw 防音の話、同じ形式でも車によって煩さが違うんだよね
もちろん、座席位置の違いは認識してるよ 絶望先生でも「デチューン」の話題があっただろ。
糸色 望を気動車に例えると、キハ66系になるのはそのせい。
蟲師のギンコはキハ40系になるし…。
とある魔術の禁書目録の一方通行は当然JR東日本キハE140系気動車だが…。 F1マシンに似通った設計思想だな
ラジエータの冷却ファンまで省略してとことんケチって動力に回したってw
F1マシンのラジエータも自然冷却で長時間テール・トゥー・ノーズすると風が当たらないためオーバーヒートしてしまう 三笠鉄道村?で丘に上がったカッパ状態の
静態保存キハ181を見たとき、オレは長生きしすぎたのかと思ったよ >>695
>三笠鉄道村?で丘に上がったカッパ状態の静態保存キハ181
三笠鉄道村って北海道だよね?ならキハ181ではなくキハ82なんだが。 あらら?キハ82とキハ181の区別もつかなくなったか。そろそろオレも静態保存だな 後年取り付けられた補助冷却装置は実際は「補助」がメインになってたとか主従逆転してたな
思い切ってラジエーターを撤去しても問題なかったのでは?
キハ65は元から強制風冷が床下にあって仮にもし板谷峠で充当してもオーバーヒートは起きなかった? 直結2段ではない直結2系統なんてのをつくったらよかったのに、と思った。
当時の技術では直結2段( 変→直1→直2)ができないのは前提として、
{ 変→直1 または 変→直2 }
という変速システム
平坦地では、設計当初の181系の変速比で変→直2
勾配区間では、キハ65の変速比の変→直1 副変速機を用い、減速比を変えることで可能だが、駆動系が複雑になり製造コスト、保守コストもかなり掛かる。
構造的には最終減速機付近に副変速機があり、運転状況に応じて終減速比を切り替えることができる。
走行中は切り替えることができないので注意(無理やりやるとガリガリとなって歯車が破損する原因になる)。
この副変速機はスライディングメッシュ式(摺動噛合式)であり、シンクロ機構が備わっていない。 DE10が本線モードと入換モードの2つのギア積んでたな
本線モードが85キロで入換モードが45キロ 神戸新聞より姫路市の修学旅行についての記事
「6年前にはまかぜの車両が故障し、バスに切り替えた」
いつ故障しというんだ 九州には居なかったんだっけ
DCの知識がなくてこの辺が全く分かってない汗 ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーンロンロンローーン
https://www.youtube.com/watch?v=uWLnfkOLmfk京都京野菜ぼったくり取引価格
ダイエットニュース (アリババダイエット40代偽装結婚プロ級世代(ヤフージャパンタイ資金洗浄(40代ブラックバラエティ道路公団談合)
違法改造大好き在日中国人報道中国車リコール発言台湾反日飛行機会社
ヤフーネットダイエットコーヒーニュースタウンワークサービス不足まいちゃりマイカー窃盗犯
安売ドラマ魔界村ビールぼったくり販売員適正価格
適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (★民主党鳩山政権TPP問題★★
トランプジョーカー切り(放送大学消防庁コストカットアイドルマスターアップ株式会社テレビビジネス森友学園パチンコ必勝法オークション販売時代)
NHK中国人用トランプ大統領テレビニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京槍杉ギャンブル依存症顧問職員)
ヤフージャポンマイノリティ社員「日本とロシアは仲良くさせてはいけないーhondasouichirouー」(在日中国人3月決算)
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティーマスク女問題駅内マスクオンNACNN向け原文ダビンチ月刊(ニッカン)中國春文渋谷区木の葉崩しニュース7億5千万 DML30HS系は1時間に馬力あたり180gほど消費します。500馬力なら軽油で110リットルくらいになります。
「しなの」編成(8M1T)で名古屋ー長野間をシミュレートすると、約1,700リットル消費し、1両について見ると
リッターあたり1.3キロ程度走ることになり、車体の大きさからすると以外に燃費がいいとも思えます。
類似の条件で85系を使ってシミュレーションをやってみるとリッター当たり約1.8キロとなり、
直噴化、直結2段変速による低燃費化の効果がかなり現れます。
キハ35系とキハ110系でシミュレーションをやってみても、同様な件になる。
戦車はリッターあたり350メートルしか走らないと言っていたが、キハ20系は抵抗の少ない鉄路を走るので、
条件が良ければ、リッターあたり2キロ走るので、戦車より随分燃費がいいと感じます。 国鉄時代の四国特急の松山以西は変速段しか使ってなかった?
変→直切り替えはフルノッチで85キロだが特急が走るくせに最高速度65キロとか異常だった
変速段をずっと使いっぱなしにすると変速機オイル温度が異常上昇するために会津鉄道キハ8500で問題になった JR四国といえば、2000系の投入効果で181も末期は120km/h運転していたらしいけれども
伊予市〜内子以外は最高速度に到達する前にカーブで減速が必要だったと思うが 雨の日はラジエーターに雨水が掛かって気化熱でオーバーヒートが少なかった?
雪の日だと雪が積もってめちゃ冷えだっただろうな
雪解け水が凍って膨張しラジエーターが破損する危険性もあったはず 架空のキャラクターに例えるなら、とある魔術の禁書目録の一方通行の性能に近い。
と言うか、アキラの金田のバイクに近い性能だったんだね。
キハ181系は架空のキャラクターに例えるなら、めだかボックスの黒神めだか、物語シリーズの戦場ヶ原ひたぎに近い。
ゼルダの伝説のリンクは、キハ110系に近いからね。
経済性はリンクの方が上である。
※軽量化と直噴エンジンと直結多段化と電子制御が幸いしている。 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
トランプジョーカー切り(創価大学消防庁コストカットアイドルマスターパイナップル株式会社)30代好評人気連載漫画「ヒカルの碁お前ら何や」
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京ギャンブル依存症顧問職員稲田籠池豊田
40代社会人集団ストーカー対策ーhondasouichirouー 横浜ロアナプラスペイン上西フライングファイアーウォーターサーバーダイビングドライブシュート川中
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース 2軸駆動であるが故にタイヤフラットが発生したら通常の車輪転削盤が使える台車をバラシて車輪だけ取り出し旋盤に掛ける必要があった?
2軸の車輪径は厳密に合わせなければならず誤差1ミリ以下と厳しく設定されている
車輪径が異なるとすべり粘着台車のようにどっちか片方が滑って異常摩耗してしまう >>714
×車輪転削盤が使える
〇車輪転削盤が使えず
SLの時代は制輪子にバイトを付けて構内をブレーキを掛けながら転がし応急的にフラットを取り除く荒業も存在した ラヴィオ
「リンク、50ミリのバイトを取ってきてくれるかね?」
リンク
「50ミリのバイト?ああ?旋盤で使う50ミリの切刃ね。」
※大地の汽笛では、陸蒸気の重整備の経験があるので、
金属加工機械を使うことも習ったと思う。 181系の車内でのディーゼルサウンドを聞きたくて、ビコムの特急はまかぜの展望Blu-rayを買ってサラウンドヘッドホンで視聴したんだけど、走行中のエンジン音があまり聞こえなくて残念
停車中はカラカラとディーゼル音が聞こえるけど、いざ発進すると駆動系その他の「キュイーン」といった音がメインで電車のモーター音みたい
運転室での録音で、キハ181系はその後ろからの駆動音が大きいから仕方ないんだろけど、客席で聞こえる心地良いエンジン音を楽しみにしてただけにガッカリ
181系以外でも展望ソフトで軌道車の車内エンジンが楽しめるBlu-ray or DVDのオススメって何かないかな? 当時としては画期的なスポーツカーみたいな気動車だったな
最終減速比変えて湖西線に持ち込んで160キロ運転の実験やって欲しかった
JR北海道がキハ183NNで153キロ出してるが気動車の高速化はどこも消極的 >>718
費用対効果の問題がね
線形的に高速運転可能な非電化路線が思いつかないのよね
そもそも電化すれば最高160km/hでの運転は容易な場合
あえて金つぎ込んでディーゼルで高速化する意味あるのかって話になる 実効スペック590PS出てたんじゃないかとか言われてたが明らか過負荷運転だな
定格では500PS/1600回転だが100キロしか出ない
適正化で470PSになった車両も出てる
流石にトラブル続出で懲りたのか今の気動車は定格の範囲内で最高速度が出るようにしてる >>719
石勝、北越北、智頭、今福、阿佐、宿毛、高千穂
といっても石勝以外は平然とY字ポイントで作っていたが
強制通風+440PSデチューンのキハ182で不調を起こしてないから
それぐらいが適正だったんだろうな 南東北周遊券使って米坂線撮影の帰りに満員のつばさに乗った覚えがある、東北本線に入ると中間運転台のメーターがしばしば120km/hを指した、車販のお姉さんが運転台に座って休憩していた、特急券を払った記憶はない キハ181系は最高速度が時速120キロなのに、速度計が120までしか無い。
フルスピードで走ると、メーターの針が振り切れた状態になる。
※実際には、目一杯出しても110キロほどにとどまる運転が多いので不都合はなかった。
キハ58系は時速95キロまでなのに、速度計が120まであるのは、
下り勾配を万が一暴走した時に何キロ出ているのかがわからなくなるための措置と言えよう。 DML30系はJRになっても不具合続出でJR北海道でエンジンブロー起こしちゃったな
これでJR北海道も駆逐に踏み切った
DMF13系でもブースト圧思いっきり上げれば600PS位出る
漁船用エンジンなんか海水を冷却水として無尽蔵に使えるのでDMF13系のサイズで900PS出るのある >>724
電車の183系ATC車も目盛りが120キロまで
103系のATC対応メーターを流用したためみたいだが 平坦線区で高速走行することを前提に作ってたので山岳路線走行は想定外だったとも言えよう
自然風冷式ラジエーターも山岳路線で高負荷でゆっくり走ると冷えない
何かF1マシンみたいな気動車だったな
最高速度が65キロしかなかった国鉄時代の予讃線松山以西とか線路規格の低い路線だと変速段のみで走行することになり燃費が物凄く悪化する 何なら中庸な設計のキハ65に便所を取り付ければ良かっただけの事
一部は民営化後に実現したが キハ66は屋根上強制風冷にして解決を図ったが配管が長くて冷却水が半端じゃない位多くメンテに苦労したようである
キハ65は床下に入れたがラジエーターが巨大なためにトイレタンクが床下に収まらずトイレ設置を断念した 効率が悪すぎる ラジエータが巨大になるほど熱出すのが根本的にだめだったのだろう 大型トラックは大昔V12NAとかあったが今は殆ど直6ターボ
ディーゼルエンジンはガソリンエンジンと違ってノッキングの心配がなくピストンやシリンダの強度限界まで過給圧上げられる
80年代のF1は予選セッティングで過給圧6.5barで1500ccで1500psとか驚異的なのあったが殆どトルエンとか超有毒な燃料を使う必要があってピットクルーがガスマスクを着用する始末だった ゲームキャラで言えば、リンクはキハ66系で、スコール・レオンハートがキハ181系といったところか?
リンクは、誰でも扱いやすいように経済性を重視した設定で、
スコール・レオンハートでは、高速度を重視したピーキーな設定だと…。
※走行性能は目安です。
実際には、リンクもスコール・レオンハートに迫る性能を出せます。 INITIALDで言えば、
ハチゴーがキハ82系で、ハチロクがキハ181系
そしてエンジンブローをしたキハ181に
後継のキハ183の直噴ターボエンジンに
載せ買え660PSのキハ181が誕生 巨大なラジエーターが要るほど排熱が大きすぎたのも問題だったな
キハ183Nでは直噴化して改善した
キハ181系でシリンダブロック交換で直噴化チューンしたのあったらどうなっていたか
キハ40では実在した >>735
>巨大なラジエーターが要るほど排熱が大きすぎたのも問題だったな
別にあれ以上小さいラジエーターじゃ駄目だったかというとそんなことはない
自然通風式に拘っちまっただけのこと
実際キハ181形の自然通風式ラジエーターは問題起こしてないんだから >>735
DML30HSHエンジンを直噴改造して、530馬力に上げるとか、実に無茶だぞ…。
DMF15HSAエンジンの直噴改造では、実質的に265馬力弱の性能にしか過ぎない。 エンジン自体は水冷なのに、何で自然通風ラジエターに拘ってしまったんだろう?
その時代の鉄道技術者は戦前の航空産業出身者がまだ多くいたから
本多宗一郎みたいな空冷信仰があったのかな。 >>738
水冷エンジンを冷やす為の水があるだろ
その水はエンジンを冷やすと高温になるだろ?
それを冷やすのがラジエターの役割
冷却水冷やすのまで水冷にしたらいくら冷却水積んでも足りなくなるわな
結局は風通して冷やすしかない
その風を自然風(当然走行により発生する相対的な風を含む)に任せるのが自然通風式ラジエター
ファンを付けてその風で冷やすのか強制通風式ラジエター 120キロ走行時のエンジン回転数が定格を上回ってたのも問題だったな
そもそも定格が1500回転だがこれだと100キロしか出せない
キハ183Nから定格の範囲内で最高速度が出るようにした 本田宗一郎の空冷エンジン信仰のように、どうしてもこの方式に固執する中心人物がいて
自然空冷ラジエターを使うことが目的化していたようにも思えるが。
レシプロエンジンでこういうラジエターって他の乗り物で成功例はあるの? ちなみに航空用レシプロエンジンは冷却ファン無いわな あの黒々とした放熱ヒダを天井に載せ、
轟音と共に入線してくるキハ181を最初見たときは
少なからず衝撃を感じたものよ。 津山線はトンネル断面積が小さいためやくもで迂回運転したらラジエーターを擦ったとか話がある
キハ120が50キロでキハ47が30キロとか謎の速度制限掛かってるトンネルがあるがそこで擦った? 手立トンネルだったか?181があんな所通るなんて無茶だろう。 >>161
EF71も全部で15両しかなく、うち最終形3両は山形区に出張していた。
軸重増加した13~15は捕機に付いたことがなかった。
72年に一時期ED78も捕機に付いたこともあったが粘着重量不足で断念した。
こちらは901以外11両全機。
EF71も山形に3両出してた分、福島の12両、捕用で1両残して11両中4両を捕機に回さなければならなかったから、他の列車牽引の運用面に支障をきたすようになってきたわけ。
EF16や64より配置両数も少なかったからね。
碓氷峠のEF63みたく上り側に一定に連結すればいいわけではなかったから
マニュアルどうりで済む問題でもなかった。
連結開放含めて駅に5分は停車しなければならず、操車員の労力的な問題もあった。 >>218
この事故でキハ181-13、35とキハ180-8が廃車になった。
キハの35なんか車齢わずか3年で..
修理できない損傷ではなかったそうだが、やはり酷使でガタが来て、また、転属先も定かでない状況だったらしい。
廃車日付けは翌年1月17日。 ヨーロッパ製の軽快なスポーツカーを注文したら納車されたのは直線番長なアメ車だったでござるの巻。
それがキハ181系。 2軸駆動であるためにタイヤフラットが出来たら車両を分解せず1軸ずつ削るタイプの車輪転削盤が使えず台車を分解して転削する必要があった? >>750
お前何で自分で質問して自分で答え出してんの? 板谷峠でのEF71連結は「牽引」じゃなくて「協調運転」だったんだな
キハ80は「牽引」だったが重量的に7両編成が限界だった
キハ181系は協調で12連運転可能にしてたが7連以下だったら「牽引」にしてたはず >>752 キハ181とEF71の協調運転って、EF71の運転席でキハ181のエンジン出力やブレーキ制御もできるようにしていたのか?
エンジンをアイドリングにしていたのなら「協調運転」とは言わないだろうし。
とあるネットの記事で、細かい制御はせず、キハ181の方はただ推すだけにしていたという話もあるが、下りはエンジンブレーキかけるだけにしといたのだろうか?
当時、電車とDCとの本格的な協調運転のテストが行われたが、実用化には至らなかったわけだし。 キハ66・67を板谷峠に持ち込んだら強制風冷ラジエータとも相まってオーバーヒート多発は起きなかっただろうに
ただ屋根上にあるためキハ181系より小型で若干マシとはいえ冷却水の量が非常に多くなるのは避けられなかった >>753
総括制御と協調運転は違うからね。蒸機の重連なんかは協調運転だろ。 >>755 協調運転というと横軽協調を連想してしまうわけで、こちらの方は電気機関車の運転台で電車のモーターも制御できるわけだが。
もっとも、電車の方の出力は一定限度に抑えられているそうで。 本来補機付けただけなんだから協調運転という言葉を使う必要ないんじゃないのかとも言えるが
板谷峠の場合は歴史的経緯からDC側が無動力ではなく、ELはあくまで補助ってのを強調したかったのかもしれないな 急停止する場合など、細かい制御が必要な場合には、電気機関車とDCの運転台相互で車内電話で連絡取合っていたという感じかな?
おーい、もう少しDCのエンジン、アクセル強めに、と連絡がいくような。
今日のJR北海道キハ201の協調運転に比べると、相当、原始的なものではあるが。 >758
キハ181系つばさは協調運転されていても、運用が苛酷だったことや東北本線では
120キロ運転することもあって、とくに夏場は車両故障が続出してたよな 碓氷峠でEF63と協調運転の実験はしなかったな
やってたら話題になっただろうがオーバーヒート多発しそう >>758
尾久に配属歴のあるキハ181のマスコンには通常の運転位置以外に「協調」の位置と表示灯があった
基本的にキハ181系の側を抑え気味に運転させる(信号やブレーキ他の扱いはEF71側)ための位置だが >761
キハ181で尾久から小郡や米子へ転属したキハ181のその表示灯などは、
転属先で撤去されたか、文字は塗りつぶされたの? >>758
車内電話とか連絡ブザー用の引き通しってあったんだろうか?
緊急停車くらいなら汽笛で足りるか >>756
横川駅で下りあさま(189系)が発車するとき、63との連結面を見てたら
電車が先に動き出して、63を引っ張り出して発車した。
ああこれが「協調運転」って見た目でハッキリわかった。 >>759
181系も協調運転再開したとはいえ、EF71の補機の都合が付かず、あるいは運転遅延も無くならなかった。
1時間遅れぐらいはザラで、うちの母が秋田の祖父の葬儀に行ったときも余裕でそのくらい遅れたって言ってた。
もっと酷かったのは夜行ブルトレ「あけぼの」
雨や悪天候などで板谷峠でEF71が空転して登坂できず、1~2時間当たり前に遅れて、福島着が空が明るくなってきた朝4、5時頃になってた。
板谷峠は運転可能な車両形式が限定されてたために昼夜問わず、遅延とダイヤの乱れとの戦いだったんだなぁ。 >764
碓氷峠を登るときの189系や489系の運転士はブレーキ弁を外し、マスコンのキーをロックし、
運転は最後尾のEF63の機関士が運転していた筈だが >765
キハ181系つばさは置き換え当初は板谷峠を自力で走行していたが、のちに
オーバーヒートが多発して、凄い黒煙が出て動けなくなって秋田には3時間遅れで
到着したこともあった キハ91で問題無かったからキハ181を作ったんだよな?
それとも不具合は承知の上で量産体制のハンコをついちゃった?? >>765
>181系も
キハ付けてな
>>766
そりゃ重い機関車より軽い電車の方が先に動き出すのは当たり前じゃね? 70年2月、つばさをキハ181に置き換えてから、積雪期含めたテストを十分行うことなく、その翌年7月、編成量数を10両から12両に増やしてしまった結果、トラブル悪化ということかね。 >770
板谷峠での教訓からか、「やくも」や「南風」などで運用されていたキハ181系は、
伯備線や土讃線ではエンジンに負担かけないようにスピードを落として運転されて
いたため、車両故障やオーバーヒートは「つばさ」時代より少なかった。
「やくも」や「しなの」も夏場になると、先頭車故障のためDD51やD51に牽引されることもあったが もし特急ひだに導入されてたら連日の様にDD51牽引だったかもな >>768
Wikipediaとか参照するとわかるけど
キハ91も故障が多発するなど解決しきれない問題が多かった。
例えば、あの屋上ラジエーターは明らかに失敗だったって記述してある。
ある程度速度が出てないと効き目がないし
あと、キハ91-8のみ落成時からクーラーを取り付けて登場したけど
自重が45トンを越えてしまったので、軽量化の課題も出た。
結局キハ91も故障多発に泣かされて、76年に全車廃車になった。
量産車形式となったキハ65はキハ181と同じく、ラジエーターを床下配置にしたため、水タンクや便所、洗面所設置スペースを確保できず無しとなった。
キハ181系の板谷峠のトラブルを重く見た国鉄はキハ65の東北への投入を断念した。 772
名古屋機関区所属のキハ180の方向幕には「特急ひだ 高山」が入っていたよな
「ひだ」にもキハ181系使用予定があったようだが、「しなの」のキハ181系車両故障に悩まされた経験から、名古屋機関区はキハ181系を嫌ったらしい >>772
キハ82でも高山線は間に合ったのに?
同じ82系の「おおよど」なんて肥薩線の30パーミル越えに挑んだのに?
かつて、重装備D51プッシュプルでループ線登ることで有名だった難所を..
キハ181なら余裕だと思うけど。
逆に板谷峠にキハ85系が投入されたら余裕で登れたかも。
各車両30トン前半で軽量、エンジンは700馬力と強力だし。 キハ66・67みたいにラジエーターを屋根上強制風冷に改良したマイナーチェンジ車があったらよかったのに
発熱量が馬鹿みたいに大きくラジエーターが巨大すぎて床下に収めると今度はトイレタンクの場所が無くなる >772
米子機関区でのキハ181系特急の組成作業や編成組み換え作業では、DD51やDE10がキハ180やキロ180を牽引したり推進させたりしていたな キハ181系は、まだ2段以上の直結変速機が無いため、
変則段で80Km近くまで引っ張る設計だった。
そのため大馬力にもかかわらず勾配区間が苦手
キハ65は最高速度を95Kmに抑えるひとで、
65Km程度で直結段に移行する設計にしたため
従来キハ5828などとの混結して冷房化も可能とした。 山陽新幹線岡山開業前、新大阪〜倉敷間ではキハ80系「かもめ」とキハ181系「おき」が同じ線路の上を走っていたが、同区間ではキハ80系「かもめ」の方が速度が
速く、所要時間もキハ181系「おき」よりも「かもめ」の方が短かった >>779
かもめが大阪朝8時台発であるのに対し、おきは11時台出発。ダイヤの込み具合が違うこともあるんでは?
新幹線岡山開業前の大阪午前11時頃は、新幹線接続で中国・九州方面に向かう特急、急行がたくさん出ていた時間帯だろ。 1971年、特急かもめ、上り
http://blog.livedoor.jp/railart/archives/cat_133009.html
1971年、特急おき、上り、下り
https://inacafe.exblog.jp/iv/detail/?s=2124989&i=200605%2F11%2F55%2Ff0027355_20225814.jpg
岡山・大阪間上りだと、かもめが2時間13分、おきが2時間6分。姫路での停車時間は共に1分。ただし、かもめが21時台大阪着なのに対し、おきは17時台着。ダイヤの過密度の違いではないかと。
ちなみに、この区間、電車特急も気動車特急も所要時間はほとんど差がない。平行ダイヤで走ってるんだろう。 向日町運転所担当のキハ181系特急「まつかぜ1・4」号は1〜4号車が
特急「おき5・2」号と共通運用されていたが、新大阪・大阪〜米子〜小郡間を
東海道本線、福知山線、山陰本線、山口線経由で長距離運用されることもあってか、
ときおり車両故障も起きて遅延することもあり、特急「おき」2号が遅延して米子に到着すると、
その遅れが「まつかぜ4号」にまで及ぶこともしばしあった。 >>776
キハ66.67は筑豊で乗ったけどうるさかったな。
車内がゴミで散らかってたのもあってカオスだった。 尾久客車区時代のキハ181系の方向幕の内容って御存じの方居られます?
聞いた話では、「平」とか「越後湯沢」とか、臨時列車を想定した通常の運用以外の駅のコマも入っていたとか?? >>777
それよりキハ181単行の本線回送でしょ
>>783
4VK電暖だったのも大きいかと
なお筑豊の客層についてはお察し >785
全般検査で後藤車両所を出場したキハ181が1両だけで鳥取または出雲市まで
試運転してから、DD51牽引の客車列車の最後尾に連結されて米子まで戻ってきたあと、
米子機関区に入区、しばらく留置ののち運用復帰していたな んでキロ180の場合は定期「あさしお」の通路扱いと言うw >787
日中の米子機関区構内には予備車のキハ180、キロ180が数両、または
構内の外れに1両、ときには洗浄線などにキハ58などと連結されて留置されていたが、同機関区では車両の移動開始時間や入換開始時間などがあるらしく、
検車係や操車係もその時間まで誰も車両に近づいたりしていなかったな。
日中でもときおり、編成組み替え作業などに備えて、キハ180などの前にキハ58などが連結されることはあったが。
夕方以降、「おき」や「はまかぜ」などが入区してきて、減車、増結作業などが
開始されるとそれまで分散留置されていたキハ180やキロ180などが、
キハ58やDD51などに連結されて移動開始されて、米子駅ホームからその作業見ているとホームから離れられなくなったな。 >790
中央西線電化後も、大阪発着の「しなの」1往復だけはしばらくの間、キハ181系で運転されていたな >>791
大阪発着の「しなの」1往復だけじゃなくて、名古屋発着のも1往復だけキハ181系で運転されてたよ >792
キハ181系「しなの」は夏場、先頭車故障などが多発して、DD51牽引で
名古屋に到着したりしてたけど、名古屋着後、名古屋で運転が打ち切られたか、
または名古屋からは正常な先頭車が改めて連結されて、大阪に向かったりしてたんだろうね >>793
キハ181系のトラブルってキハ181じゃなくて中間車のキハ180とキロ180で発生してた訳だが >794
キハ181系「はまかぜ」などでは、キハ180のドア横の故障を示すランプの白ランプが
灯いたまま走行していることがあったが、キハ180が1両不調でも走行に問題なかったのだろうか。
それともその不調車両だけエンジンカットされていたのだろうか キハ181+キサシ180+キハ181で製作されたロットが1つだけ有った筈だが
落成試運転は成績良好…だったんだろうなw 796
キサシ180は床下にエンジンを積んでいなかったから >>795
それこそ区の前を通る「つばさ」で白ランプの点いたやつが何両出たかを毎日見る羽目になったのが尾久や秋田の担当者 その気になれば先頭車だらけで組成も可能だったがトイレが無く問題になりそう
山陰のキハ181は片っぽの先頭車の発電エンジンを撤去してトイレ設置と客室拡大工事してもよかったのに
3両編成だとトイレが編成中に1か所しかなかった >>795
その書き込みの前に
>キハ181系「しなの」は夏場、先頭車故障などが多発して、DD51牽引で名古屋に到着したりしてたけど
の件について反論したんだから
それについて書き込んでくれ 宇都宮の富士重工の構内に、ボロボロの尾久のキハ180が1両放置されていたが、あれは何だったんだろう?
http://www.asahi-net.or.jp/~se1t-imi/tw_fhi.htm >800
昭和46年頃の鉄道ファンにキハ181系「しなの」が車両故障で走行不能となり、
DD51牽引で高蔵寺を通過する写真やD51牽引で木曽川鉄橋を渡る写真が掲載されていた >>802
それは先頭車の故障なのか?
あなたは
>キハ181系「しなの」は夏場、先頭車故障などが多発して
と書いてるわけだが >803
それらの写真の解説には、名古屋方先頭車故障によりDD51に牽引される
キハ181系しなの2号などとあった 805
古本屋でその古い「鉄道ファン」を立ち読みしてる時にその写真見て、
その解説読んだだけだからうpは無理
ただ、キハ181系しなのDD51牽引で検索したら、車両故障によりDD51牽引で
中央西線落合川鉄橋を渡っているキハ181系しなのの画像見れるよ >>806
大事なのは先頭車故障かどうかだから
こりゃ当てにならんな >>792
その「しなの」も末期の「つばさ」同様キサシを外して10両編成になっていたよね。 >>808
電化直前の脱線事故でキハ減車は出たがつばさ・あおばは最終日まで食堂車連結
仙台到着後尾久へ回送された最終あおばの編成(付属編成も送り返す都合10両編成で秋田→仙台を走った)までもがキサシあり キハ181系「しなの」は運転開始当初、エンジントラブルによる車両不足か、故障対策のためか、
キハ180の代車として、キハ91系の中間車が編成に組み込まれている事があったが、
キハ91系のシートはボックスシートだったため、この車両に乗車する客はこの車両が
指定席なら特急料金が100円でも引かれたか、自由席として使用されるなら料金はそのままだったのだろうか セルフラップ式電磁自動空気ブレーキは後継車種に波及しなかったな
キハ183系でオーソドックスな自動空気ブレーキに逆戻りしてる
縦軸式マスコンも画期的だったが201系や205系は「引いて力行」だがキハ181系は「押して力行」である
「引いて力行」の方が万が一急病で運転士が倒れた時にマスコンが押されてノッチオフになるので安全なはずだが「押して力行」だと力行しっぱなしになって危険な事態になりそう >>810
羽後四ツ屋だか四ツ小屋で廃車が出たんだっけ? 814
この事故では脱線したキハ181-13、35、キハ180-11は修理したら使えそうな損傷だったが、「つばさ」の485系電車化も近いとあって、修理されることなく廃車となった。 >>815
75年9月5日の上りつばさ2号のことだね。
あの周辺はロングレール化工事中だったが
前日の残暑でレールがたわんだために、車両が脱線した。
181系気動車も尾久から名古屋に転属して「ひだ」に投入される予定だったみたいだったが、前述「しなの」のトラブル頻発に懲りたからか、見送られた。
結局、高松と米子の増備となった。
「つばさ」も485系電車化を急ぐあまり、1000番台の落成が間に合わず
暫定的に青森区の「いなほ」用車両を借りて75年11月26日から運転開始した。
181系気動車も、尾久から名古屋へ転属して、「ひだ」に投入される予定だった >>816
>暫定的に青森区の「いなほ」用車両を借りて
スレチになるのですまんが、一時的に青森車が入ったんか?
長崎佐世保電化用の門ミフ車を一時的に秋田に入れたのは知っているが。 >>812
キハ183はCLE方式な点は181と同じだが、北海道の機関士はずっとキハ82を運転してきたこともあってマスコンは左右に動かす旧式なものに戻された。
クラッチもキハ181はフルシンクロ接続型だが、183は半マニュアル接続型になってる。
ディスクブレーキは82系にも標準装備だったが、制動時にピッチングやロックを起こしやすいので、183系では旧式なシューブレーキに戻した。 >>817
南福岡区が中心だったの?
盛アオ車も見たけど..
青森は485系はいろんな区の車両が出入りしてたからな..
「白鳥」は大ムコだけじゃなく「雷鳥」と同じ金サワ車だったり。 >>816
電車化を急ぐんじゃなく、本格的に雪が降る前に電化工事を終わらせたから、電車を走らせようってことで、とりあえず使用予定のない、かもめ・みどり用の南福岡の485を使ったってことじゃなかった?
485の1000番代は、元々、翌年の3月改正に合わせて製造してたのでは? >>771
山陰・四国では国鉄時代はあえてキハ80系の性能に合わせてダイヤを設定してたからな。
以前のしなのやつばさみたいにキハ181系本来の性能で運行するようになったのはJR化直前の1986年11月以降。 821
キハ181系化された当初の米子発京都行き特急「あさしお」2号は、キハ80系時代と同じ米子7時発、倉吉7時47分着、同47分発、京都12時21分着だったが、
京都着がキハ80系時代より、1分早い、
昭和60年3月改正で列車番号が「あさしお」4号に変更されてから、
米子7時発、倉吉7時43分着、倉吉同44分発、京都12時18分着と、
キハ181系の性能によるスピードアップもわずかながら行われていたな。 「ひだ」の件は名古屋局が全力で拒否したんだよな
東北新幹線の名称を巡って盛岡局が「はやて」を避けるよう国鉄本社へ陳情した話と似ている 然しクーラーの真横に放熱器って…
同じ路線にキハ66/67使用の急行を走らせたら特急の面目丸潰れだったろうな… >824
キハ181系「しなの」の車両トラブルに悩まされた名古屋機関区は、これ以上、
扱いづらいキハ181系の整備や修理はしたくないという理由だったな。
そのため、「ひだ」には「おき」のキハ181系化で余剰となったキハ80系が転用されたな >>826
そのエピソード有名だよね
余程恨まれていたんだな 名古屋機関区も急行用のキハ65はスンナリ受け入れてたけどな。
キハ65は機関や変速機、台車はキハ91系やキハ181系とほぼ同じなのに不思議な気もする。 エンジンや変速機の機械的なことじゃなくて、変直自動とか制御系の面倒を見るのが大変なんでしょ 当時は国鉄の労使関係の対立などの問題もあって、名古屋機関区での受け入れを
断られたキハ181系を米子、高松などへ転配しようとしても、車両数が足りているなどの
理由でどこの機関区や運転所でも受け入れを拒否された。 寧ろ東日本の山岳路線でキハ65は渇望されてたりして… がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! キハ65は特急用に改造されて「エーデル鳥取」などに投入されたが、最高速度は
95キロ、「エーデル鳥取」と「エーデル北近畿」用は窓配置は種車時代のまま、
中間車は運転台が残され、中間車の前面はキハ65のままで、展望車キハ65が
入場したときなどは、ときおりその中間車が先頭に出ることがあった。 >>828
すんなりでもなかった。
最初(46.4改正)に長野からもらった2両は気動車「きそ」の指定席冷房化で仕方なく(配置2両使用1両)、
つぎ(48.7改正)にもらった1両は「きそ」全車冷房化のため(配置3両使用2両)。
50.3改正で更に2両松本からもらうが、これは「のりくら」のハロハ編成の冷房化のため。
53.10で長野の余剰車3両をもらうが、これはキハ57転入を断った代償(当時の中の人の談)。
そのためキハ57の一部は冷房が生かせない小海線へ左遷。
名古屋のキハ65はこれで8両になったが、正直持て余し気味だったとおもう。
だからJR化の際、関西配置車4両を引き取ったのはちょっと意外だった。 極限のハゲ!181系 衝撃のターボサウンド Vol.1 JR西日本で試験的にエンジン換装したのあったな
結局没になって1両で中止された 特急「ひだ」のキハ181系投入は見送られたが、臨時特急「おわら」号として、
京キトのキハ181系が湖西線・北陸本線経由で富山から高山本線に越中八尾まで入線し、
キハ85系特急「ひだ」との交換も見られたな。 JRグループのTVCMで模型のキハ181の2両編成を使ってる
趣味的にはいいとしても、客としては遠慮したい
>>818
北海道の踏面制動は雪対策の意味が大きいね 幻に終わったキサシ180の道内転用計画
もし実現していたらT車には無用の変態台車が嫌われまくっただろうな… >>842
キサシ80-1だけは渡道してそのまま運用を続けたけど後にエンジン2基を搭載し、客室を1区画つぶして水タンク室を置いてキシの903に改造されてたけど
結局5年ほどで廃車となった。
181系と80系は断面や車高が違うから混結不可だと思うよ。 じゃなくてキロ182を簡易売店にとどめた理由なんだが… 世が世なら「秋田リレー」に「あさしお」で使った車を転用したのだろうか ずっとぐるぐる回ってるスレだな
・「スポーツカーみたいな」
・「山陽線特急の『かもめ』に投入されれば・・・」
・「(長文)〜のだろうか」
・「津山線のトンネルでラジエーターこすった」
・「反力軸によって振動少なかった」
・「漁船用エンジンは海水を無尽蔵に冷却に」
・あとはギンコの痛い書き込みの跋扈
こいつが名無しで書いているっぽい部分もある がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! >>848
オーバーヒート起こしてエンジンカット白色灯点灯で無音。 キハ80系もそうだが日除けが大型のロールカーテンで2列分まとめて閉まっちゃうので前後の人に声をかける必要があった
特急気動車はあれこれケチってるよな
キハ80もモケットが背面に張ってない >850
キハ80系のシートは背ずりが直角に近い角度に設定されていたため、
長時間腰掛けているとだんだん疲れてきた
キハ181系のシートは改良されてキハ80系のシートより掛け心地が良くなり、
長時間腰掛けていても疲労が少なくなり、背ずりの裏側にもモケットが張り付けられて、暖かみを感じさせてくれたな いずれにせよ走行系に電車より金がかかるから
接客設備にしわ寄せが行くのは仕方がないよ
製造費的にはキハ80とかキハ181>181系電車じゃないの? BotWのリンク、ゼノブレのシュルクでは…。
水平直列6気筒・総排気量14リットルの小型エンジンになったが、走りはかなり逆転している。
これも、軽量車体と、直結多段化のおかげですな…。
例え話ですが、戦場ヶ原 ひたぎ、黒神 めだかにおけるDML30HSEエンジンに
ベストマッチする最近の直結多段式の変速機を開発すれば、吉都走行性能は向上するでしょう。
しかし、12気筒もあるエンジン自体が省エネルギーの推進化の時代にはそぐわなくなっていますね。 小海線を走行したら標高が高くて空気が薄いのでターボの回転数が上昇して凄い音を発してただろうな
DMH17HとかNAエンジンは標高が高いと出力低下を起こすがターボエンジンは出力が低下しない代わりにタービンの回転数が上昇するので高精度が求められる
屋根上ラジエーターも空気が薄いと効きが低下して夏場にオーバーヒートが多発しそう >>854 標高が高くなれば空気密度が低下するために外気温も低下、1300mならば海抜0に比べて理論上、9度位低下することも考えないとね。 >>850 >>851 >>852 気動車は電車より格下扱いされていたから
内装も安っぽい。
急行も電車は空気バネ。気動車はコイルバネ。グリーン車の台車も
コイルバネ。酷い。
冷房に関しては言わずもがな。
急行おがなんて最後まで普通車に冷房がつかなかった。 >>850>>851>>852
1960年当時、冷房化の難易度
←簡単 難しい→
電車<<<客車<<<<<<<<<<<<<<<<<気動車 特殊なマスコンハンドルは他に591系やキハ391系での採用例があるのみで営業用では唯一だな
通常の横軸式マスコンが「引いて力行」であるのに対しキハ181系だけ「押して力行」になってるので万が一運転士が前方に倒れこむように失神したらマスコンとブレーキが両方ONになってしまう危険性があったのでは?
東急とかの両手ワンハンドルマスコンはフェイルセーフに優れてて前方に倒れこむように失神したら自然と非常ブレーキが掛かる 佐久間レールパークにあったキハ181‐1は運転台の圧力計が1個だけ外付けになってたな
JR西日本は全てパネルに埋め込んでる
キックダウンプッシュスイッチは初期車には付いてなかった 特急「あさしお」のキハ181系化は昭和57年7月1日のはずだが、7月1日からあさしお2・5号の1往復をキハ181系化という記述もある。
その記述が正しければ、57年7月1日の特急あさしお2号は京都到着後、キハ80系に車両が交換されて折り返しあさしお5号城崎行となったのか、
倉吉あさしおと城崎あさしおはキハ80系、舞鶴線・宮津線経由城崎行のあさしおはキハ80系で城崎到着後、折り返して京都到着後、キハ181系に車両交換されて、
折り返しあさしお7号米子行となったのだろうか 861訂正
7月1日からあさしお2・5号→7月1日からあさしお2・7号の1往復をキハ181系化 これか
http://www.railstation.net/duke/ressha/ltdexp_asasio.html
>1982(昭和57)年には伯備線の電化により捻出されたキハ181系に全列車が置き換えられた。
>ちなみに同年7月1日から置き換えられたのは2・7号の1往復のみだったようだ。 >>863
キハ82系による「はまかぜ」と「まつかぜ3・2」号は昭和57年6月30日限りで姿を消し、
「はまかぜ」2往復と「まつかぜ3・2」号は7月1日からキハ181系で運転されるようになった。 >>859
キハ181系のマスコンは、横軸だから211系電車と同様なものかと思ったら、
押して力行、引いてノッチオフといった逆配置だった…。
おまけに、マスコンにはばねが入っていないので、ノッチを入れたら手を離してもノッチが戻らない。
211系電車、キハ110系気動車のマスコンはばねが入っている(鉄道博物館で実物に触れて確認済み)。 >>868
キハ82の運転台はキハ58や電車などと同様、右がブレーキハンドル、左がマスコンの
通常タイプだった。
キハ181の運転操作は自動車でいうとAT車の運転に相当する
向日町運転所のキハ82系特急「はまかぜ」などがキハ181系に置き換えられる2ヶ月ほど前から、
山陽本線や舞鶴線などでキハ181系の乗務員訓練が行われていた。 どっかでキハ181系の運転台を客が操作可能な形で展示したらいいのに
京都鉄道博物館でシミュレータにするとか 新快速電車に乗って、京都総合運転所を車窓から眺めていると、キハ181系の
予備車のキハ180が数両、洗浄線に留置されていたり、ときおり洗浄線近くの
留置線にキハ181が1両ポツンと留置されているのが見れたりもした。
最近の京都総合運転所は24系、14系、485系、583系、キハ181系、キハ65系の配置が無くなってから、昔に比べ活気は無くなっている。 >>859
レバー式カランも全て上吐水になったのは結構時代が下がってからだからな。 >>872
阪神大震災で上から物が落ちてきて出っ放しになる事例が多かったとか説があるがどうなんだろ キハ181系気動車は、アニメキャラに例えるなら、めだかボックスの黒神 めだかだな…。
黒髪ファントムは、キハ181系がエンジン全開で時速95キロほどで走るのに近いからな。 特急「まつかぜ」1号で13時43分に米子に到着後、切り離されて特急おき5号として小郡へ向かう
キハ181系と小郡から「おき」2号で米子に14時08分に到着後、特急「まつかぜ4号」となるキハ181系は米子で30分〜1時間近く小休止していたが、
やはり長距離運用とあって、エンジンも少し休めないとエンジンに負担がかかったり故障につながる恐れもあったのだろう。
米子駅停車中や、小郡機関区などでもキハ181系特急「おき」の車両点検、仕業検査は行われていた。 じゃ博多まで足を伸ばしてた頃のまつかぜ1号/4号(キハ82だが)はどうなるんだよ。 がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! 国鉄時代の四国は最高85キロで幾ら何でもオーバースペックだった感あるよな
変速段しか使わなかった?
かといってキハ82を四国転用したら今度は土讃線の急勾配がきつい >>879
キハ80系特急やキハ65を組み込んだキハ58系急行は、紀勢本線や土讃線の勾配区間では、並走する国道を走る男子中学生の自転車にまで追い抜かれたことがあるくらいだからな >>879 勾配きつくなくてもカーブが多ければ、馬力があって加速力高い方が有利なんでは? 最高速度が時速85qであるにしても。 >>879
確かターボのブーストを下げて燃調を調整して400馬力くらいまで落としてたんじゃなかったっけ? 片肺走行
キハ58系、キハ52系、キハ54系などの2エンジン車で、片方のエンジンだけで走行すること。
電車で言うなら、ユニットカットによる片肺走行に該当する。
当然ながら、性能は約半分程度になり、実質的にキハ28系と同じになる。 余部鉄橋を撤去すると聞いて、「銀河」と「はまかぜ」を乗り継いで往復した。
途中でDD51にも会った。
12年になるのか。
14も181も51も全滅や。 キハ181のエンジン音は最高だったな。はまかぜ引退前の数年間は何度も乗りに行った。
周遊切符北近畿ゾーンで5日間毎日和田山⇔浜坂を何度も往復した。(初日と最終日は姫路⇔浜坂まで乗った。)
毎晩、浜坂駅の待合室で駅寝して早朝のはまかぜ2号に乗った。あそこは駅寝としては最高の場所だったわ。 毎晩、浜坂駅の待合室で駅寝して早朝6時30分のはまかぜ2号に乗り、
22時着のはまかぜ5号で浜坂に戻ってきて駅寝。これを5日中3泊やり、
途中で1泊は、豊岡の駅近くの安宿に泊まり英気を養うのが常だった。
(豊岡泊の日は早朝に183系北近畿で篠山口まで乗り、タンゴエクスプローラーで
豊岡に戻ってきて、そこからバスで出石へ行くのが恒例だった。北近畿ゾーンは、
バスで出石にも行けた。) 特急「くにびき」の編成は通常はキハ181系3両編成だったが、この列車の編成は益田発米子行で米子到着後、米子機関区に入区して給油、点検、整備後、「いそかぜ」の運用に入っていた。
多客時の「いそかぜ」の増結作業はこの間に行われていたようだが、「おき」は
夏休み期間中などの多客時でも3両編成で運転されることが多く、夏休み中での
山口線内での特急「おき」の自由席車は3両編成でも空席がチラホラ目立つほどの
乗車率だった。 全盛期の頃シリンダーの中で燃やし切れなかった生ガスが排ガスとして流れてて生ガスでターボを回してたとか話あったな
アフターファイアーでタービンを回してたとか異常
ジェットエンジンかよw 燃料冷却ってやつだな。過給した空気の温度を下げるために多めに燃料を噴いてるだけで
燃やして回してるわけではない。酸素ないから燃えない。排気口でやっと燃えるからそう見える 板谷峠を自力で登っていたキハ181系「つばさ」は夏季になるとオーバーヒートが多発し、
板谷峠の上り勾配で走行不能となって立ち往生したこともあった。その時の排気は、
前も見えないくらいのものすごい黒煙で、秋田に3時間以上遅れて到着したこともあった。 がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! キハ181系に限らず昔の国鉄型は燃費が最悪だった
キハ40も車体重量とエンジン出力のミスマッチで異様に燃費悪かったし
予燃焼室式なんかにせず直噴を早期から採用していればよかったのに
国鉄での直噴ディーゼルの採用はだいぶ時代が下って1983年のキハ37からでDML30系を直噴化したのは1986年のキハ183-500番台から つばさ2号の脱線事故キハ181-13、35、キハ180-11は修理可能の損傷なのに廃車は勿体なかった。
名古屋に嫌われていたからひだに転用出来なかったが山陰と四国特急に転用出来たはず。
あと最後まで尾久に残ったキハ180ー27と小郡のキハ180ー8、28、29も
キハ181-100番台とキロ180-200番台転用なんかでもしてればキサシ180以外全車JR発足を迎えていたと思う。
その分キハ185系の両数が減っていたな。 キハ181系「しおかぜ」などが瀬戸大橋を通過するとき、橋の下の人家に響く
騒音、振動が大きすぎることなどが問題になったな。
そのため、キハ181系をキハ185系に置き換えると瀬戸大橋通過時の騒音、振動が
やや小さくなった。
キハ185系は製造コスト削減のため、キハ58系などの中古部品を20点も使用したり、
バス用部品を使用して製造された 図は、急勾配になっている駅にて、エンジンを吹かしすぎて、
思いっきり空転を噛ますスカイウォードソードのリンク。
よく見ると、一軸駆動の駆動台車がカラカラと空回りをして、
火花を散らしながら空転しています。
大空の勇者なだけに、砂蒔き装置も付いてねえのか? BotWリンクは、へブラ山の急勾配での空転対策として、
標準で砂蒔き装置を搭載している。
おまけに、空転を起こすと、再粘着させるように、
自動的にエンジンの回転が下がるCCS装置を積んでいます。
※BotWリンクの駆動台車は二軸駆動。 国鉄最後のダイヤ改正で、山陰本線の快速・普通に多く運用されてたなw
青春18きっぷで気軽に181系に乗れたのは、最高だったか! >>898
城崎発米子行快速はキハ181系3両編成だったな。
シートにはリネンはセットされていなかったが、この列車は米子到着後、
特急「おき」5号となって小郡まで直通していたな はまかぜ専用色になってから結構各地に乗り入れてるような・・・
いそかぜなのにはまかぜ塗装という訳のわからん組み合わせ 夏の臨時特急「マリンはまかぜ」などは、京ムコの先頭車キハ181が多くの臨時列車に使用されることもあり不足するかして、米子運転所のキハ181が京ムコに出向き、
1号車のキハ181は米ヨナの所属、2号車〜5号車が京ムコの車両などという編成になったりしていた。 伊勢修約臨が181に置き換わり、「けっ、西色なんて」と吐き捨てた奴が末期にはちゃっかり中在家で撮ってたのを見たら笑えたわ マリカ専用のキハ181系気動車
マリカなだけに、カラカラ砂漠の線路を走るのか? ということはキハ65系とかは新系列じゃないってこと? 学研の図鑑にはそう書いてあった>>907
新時代のディーゼル車である、と だから65系はどうなんだ?
学研図鑑に書かれていた定義に合うのか合わないのか 65が二桁形式である理由は、在来形式(58など)と混結出来ることからであろう。 繋がないとトイレが無い。
65系はなく65形のみ、58/28のパワー不足解消用。 寝台急行銀河と181はまかぜ乗り継いで余部鉄橋見に行ってからもう十何年になるのか・・
東海道山陽線をぶっ飛ばすDML30HSは電車に遜色なかった。 カタン ダカダカダカ キャラキャラキャラ
カタンカタン キャラキャラキャラ
カタンカタン キャラキャラキャラ
カタンカタン キャラキャラキャラ
カタンカタン キャラキャラキャラ ダカダカダカ カタン… がろんがろんがろんがろん、、、、、
!
グワッガッガッガッガッ・・・
グワオオオオオオオーーーーーーン!
クオオオオオオオオーーーーーーン!
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーん! 床下にラジエーターを追加したのなら、無駄に重しになっていた屋根上ラジエーターを撤去すれば良かったのに。 昔のF誌POST欄に
コマツ製だったかの新型エンジンを試験的に積んだ
キハ180の記事があったが、続報が無かった。 音楽館に頼み込んでキハ181系のシミュレーターを作ったらいいのに
運転台が現存してれば可能 >>915
DML30エンジンで見た乗った中ではキハ66、67が内外とも断トツの騒音だった気がします。65はカラッとしたサウンドで181は重低音なのに対して66、67は油圧ポンプが常に唸っていてアイドリングでもうるさいこと。今ではなつかしいけどね、 板谷峠でのEF71連結は「牽引」ではなく「協調運転」なんだな
牽引だと連結器強度の問題で7両編成が限界だったっけ? >>921
碓井峠と混同してないか?
碓井峠の場合は8両限界で連結器強度した車両のみ通行可で車番の前に・があり、協調運転が可能な169系、189系、489系は12両で運転可
因みにキハ181単独だとオーバーヒートしまくり、EF71牽引にて板谷峠を越えたが、その際181系はアイドリング状態で協調運転はしていない
全てEF71にお任せしてた ネットで探すと、先頭EF71でその後ろのキハ181系も紫煙を上げて力行している写真がある。 EF71だったか協調ノッチなかったか?
無線で息を合わせて力行する感じか 無線で連絡取り合っていたのか、それとも蒸気の重連みたいに汽笛で
合図してたのか…? 勾配区間、庭坂と峠、関根−峠の間は協調だったみたいだね
>>925
それ、67じゃないかな。均衡ノッチ EF71形単機で無動力のキハ181系12両編成を引っ張って板谷峠を登るなんて無理 自走不能な重故障はEF71重連で救援する羽目だっただろうな485系12連もユニットカットで6M6Tだと自力で勾配登れないのでやはり無線で息を合わせて協調してたはず 食堂車はキサシではなくキシにした方が良かったんじゃないかと思う
キシ80でもそうだが水タンクを床下に設置できず床上に設置する羽目になり定員が減ってしまうデメリットはあるがエンジンにかかる負荷が減る >>925
このスレでも以前に出た話だがキハ181側のマスコンに「協調」の段と表示灯があった
確かキハ181-12と47の運転台が最後までこの表示灯残してたか >>930
電車特急ではモシなんて視野になかっただろうに
導入初期から分割併合や亜幹線運用が当たり前になった気動車特急の宿命を感じるね
キハ80ではキサシ
キハ82でキシ
キハ181で再びキサシ 151系にモハシがあったでしょ。まあ完全な食堂車とは言い難いが… キロ180だけ方向幕が片側2か所ついてるのが謎だな >>936
そうすると均等に方向幕が来るように出来るじゃん なんとも贅沢な発想だよね
今なら逆の発想で省略しちゃうだろうに にょほう〜
俺の181系の記憶といえば、はまかぜで結婚前の嫁と海水浴行った思い出やな〜
あとカニ食べに行ったっけ 勾配を喘ぐようにして登る、という形容がオーバーでないことを感じた え?どんな坂道も物ともしない強力ディーゼル車の触れ込みじゃなかった? 寧ろ平坦線爆走仕様なんだよなあ
何で中央西線用にこれなのかよく分からん
キハ180もキハ181と同じ冷却システムにしていれば何の問題もなかったのに >>942
後継車の381系がマツダ・ロードスターなら181系はアメ車。 広島地区で乗車しました。確か下関迄の快速でした。
そもそも広島でのDML30エンジン車が違和感ありありかつ新鮮でした。
広島から五日市迄、各駅停車・短い駅間の起動後の加速の悪さを感じましたが、その後は本領発揮でした。
その後ははまかぜで山陽本線区間を乗車しました。
明石周辺で山陽電鉄と競争があり、起動から加速の悪さを感じましたが、勢いが乗ったらあっという間に山陽電鉄を追い越しました。
やはりキハ181は平坦地区での電車と互角が狙いだったような気がします。
勾配地区はキハ391に任せた方が良かったのかも知れませんね。
それとキハ181はセノハチを超えることはできたのでしょうか。
(そういう列車は設定されなかったのでしょうが) >>944
> やはりキハ181は平坦地区での電車と互角が狙いだったような気がします
しなのの平坦地区って? >>944
大阪発の大阪から名古屋の区間でしょうか。
この区間は381系も振り子機能が止まっているので遜色は無かったと思います。 944、946です。
945さん、大変申し訳ございません。
946は945さんに対するレスです。
タイプミスをお詫びいたします。 >>946
その区間電車と互角である必要あるのか? なぜ優等列車側が足の遅い列車に対して配慮する必要がある? 平坦線爆走してたのは「つばさ」だな。
当時の東北本線はダイヤが目一杯詰まっていたから、他の電車特急と
互角にする必要があったし。 明らか平坦線向きなセッティングだった
板谷峠ではラジエーターの放熱能力不足が露呈した
JR九州に承継されてたら豊肥本線でオーバーヒート多発して問題になってたはず もしも関西本線のあすかが存続していてキハ181系化されてたとしたらやはり加太超えでオーバーヒート頻繁させてたりして?
亀山〜柘植間のトンネルは加太トンネルはじめ標準軌非対応の小断面トンネルが多いし フルパワーでは走ってないけど、修学旅行臨ではあの区間を走っていたね。
加太築堤で録音したけどいい音していたなぁ。 山陰は車で走ると街と街の間に峠があるっちゃが、鉄道の方はトンネルがあるからカーブがきついだけで割と平坦な方? キハ181-キハ181-キサロハ182-キサシ180-キサロハ182-キハ181-キハ181 北海道に投入されてたらどうなっていたか
石北本線でオーバーヒート多発しそうだが >959
歯数比をキハ65と同じにすれば、最高速度は95キロに落ちるが
所要時間は急行よりも短縮できるし、オーバーヒートもないだろう。 北海道に投入しても加速度が良くなるだけで大して時短にならないか?
781系でも120キロ運転は1986年11月改正からでそれまではキハ82系と同じ100キロだった 極寒の北海道で運用してたら、屋根上のラジエーターが凍りついた
んじゃね?
で、結局はオーバーヒートw 空冷式のラジエターがどうやったら凍るのか
凍る対象物がないよね ん?
181のラジエーターは自然通風式ではあるが、空冷式ではないはず。 おそらく、ラジエーターに雪が詰まって、走行風で凍りついたんだろ。
氷点下の環境で、水で濡れたタオルを振り回すとたちまちのうちに凍りつく理屈と一緒。 クーラントの濃度を濃くすれば氷点下40度くらいまで行ける
しかしその分冷却力が落ちるので夏と冬で濃度を変えないといけない 雨の日の方が気化熱でラジエーターが良く冷えてオーバーヒートしにくいはず
九州でキハ185がオーバーヒートしてラジエーターに水ぶっかけて冷やしたことがある かなり昔の話だが、冬の北海道では自動車のラジエーター(エンジン)
が冷えすぎないように、ラジエーターの前に段ボールを挟み込んで
風が当たらないようにしてたらしいな。 >>969
プリウスで今でもやってる人がいる
冬になると暖房の熱を作るためにエンジンが始動して燃費が非常に悪くなる事で有名 雪というか溶けて凍ってを繰り返して氷が張りつくんだよな。で、通風が効かなくなってオーバーヒートする
あとはラジエターに残ったクーラントが凍って膨張して破裂するとか。濃度あげると冷却性能落ちるしな
極寒地は想像のつかないトラブルが起きる 屋根上のラジエーターや乗降扉が折戸であることなんかを考えると、
北海道には不向きな車両だなあ。
それでも北の大地で爆走する181を見てみたかったがw >>970
ってか今でもやってるんだw
昭和の、まだ技術的に発展途上の時代の話だと思っていたが・・・
まさに歴史は繰り返す、だね。 プリウスPHVは座席にヒーターを埋め込んでるので廃熱で燃費が悪くなる問題は発生しない
電気自動車だと必須アイテムである
鉄道では京阪3000系プレミアムカーの4人区画の座席に付いてる >>967
あ、思い出した。
冷却水におけるLLC濃度のことを! かつて、急行「銀河」から「はまかぜ」の乗り継ぎが成立した。
それで余部の鉄橋見に行ったんだが、大阪から倉敷、飛ばしてたなー。 >>973
軽便の単端を見て育つと
九セブンスター機関車のラジエターグリルに
カバーを掛けた姿を見たくなる マスコンのスロットルは前に倒すと加速なんだな。
意外だった。 >>976
>かつて、急行「銀河」から「はまかぜ」の乗り継ぎが成立した。
>それで余部の鉄橋見に行ったんだが、大阪から倉敷、飛ばしてたなー。
はまかぜ、倉敷は通っていないが。
大阪から姫路じゃないの? 最近のトレンドはダウンサイジングターボだな
過給圧を上げてエンジンを小型化してるがどうしてもドッカンターボになりがち
鉄道はドッカンになっても問題ないが路線バスは高回転で回さないとパワーが出ず低速トルクが落ちて運転しにくくなってるみたい >>981
銀河大阪着0718、はまかぜ1号大阪発0936,2007年11月 乗り継ぎというには時間も開きすぎてますね >>983
餘部を通るだけなら、まつかぜ1号でもいいんだろうけど。181系の爆走?も
目当てなら、はまかぜ1号なのかね。 >>981
いや、ひょっとしたら、丸一年も走らなかった短命列車の
「やくも」の前身、キハ181系「おき」(新大阪-出雲市、伯備線経由)と、
俺らが知ってる頃の「はまかぜ」と、ごっちゃになってるのかもよ? >>985
当時の山陽本線の特急ってそんなに飛ばしてたか?
おきの大阪-倉敷って2時間27分、表定速度78.5km/hだぜ
大阪発11時41分だし >>989
> しらんがな
だったら余計なこと書くな DML30は全国的に嫌われてたな
メンテ厄介で交換した事例多い
キハ181は試験的に1両だけ交換したのあった >>990
↑どうしても自己紹介を続けたいようだな(笑) ところでyoutubeで、
・西明石駅を通過する国鉄色はまかぜ(古いVTR)の映像
(最後尾キハ181機器室の発電エンジン音が去りゆく音がレーシングカーみたいなやつ)
・ムコからの回送として通過するJR色の11両(?)を、高槻かどこかから撮影した映像
(右の画角外にグラウンドがあるらしく、少年たちが野球をしている音がきこえる)
上記2つの動画を必死に探してるんだけど出てこない
かつては「キハ181系ターボ音を聴く動画」は前者くらいしか存在してなかった。
前者は、当初のは消えてて、最後に俺が確認した時点では再投稿のほうが見れたはず いろいろな意味で一番国鉄っぽい車両
(逆に、一番JRっぽくない車両)
正攻法的なかっこよさがある車両 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 4218日 2時間 42分 4秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。