【おおぞら】キハ80系を語るスレ 3D【かもめ】
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京都→長崎を走った80系「かもめ」は、3D時代が長かった。 確か高速走行を重視してハイギアになっているんじゃなかった?山岳路線ではますます不向きに… キハ80系でも高山線のひだみたいに無理して山岳線区に入ったケースはあったけど、
その場合は停車駅を最小限にして山岳区間での速度低下による所要時分の伸びをカバーしてたからな。
キハ80系時代のはまかぜが播但線内ノンストップだったのも山岳区間での速度低下をカバーするという面もあったし。 南紀末期は2M2mだったり、ときには2M3mってこともあったが荷坂峠は大変だっただろうな… 四国に入ったのはニセコエクスプレスがイベントで四国に入った時くらいか
オリジナル車が四国に転属してたら土讃線でキハ58よりも遅くなって問題になってたはず
キハ185系とはシステム上併結可能だろうが >>375
それニセコでなく、トマムサホロでっせ
北海道への帰り道、東北本線を客を乗せて
走ったんやでぇ(機関車牽引だったが) >>372
走れなくなって、運転時分の見直しを行っていた
>>374
半世紀以上経っていないか? トマムサホロはキシも組み込んだところにコヒの心意気を感じたな
心意気で終わっちゃったけどね(´・ω・`) >>377
なるほど、石勝線経由に移行した時と間違っていそうだ。
でも狩勝旧線を通った人は、151系時代の「こだま」に乗った人ぐらい
今は珍しいのではw >>379
2年差があるが利用者数考えると珍しさという点では狩勝旧線を通った人の方が希少だろうな 希少と言えば特急北海号で函館〜網走間を一気に乗り通した客だろ 2年ってなに?
石勝はキハ183と同時期、狩勝旧線って鶴見事故の検証実験したところだよな?
15年くらい違いそうだけど >>381
それも今となっては希少かもしれないが、昭和50年くらいまでの指定券が取りづらい時代まではある程度いたかもしれない。
究極だとおおとりの函館〜網走や、おおぞらの函館〜釧路を乗り通した人も希少だろう。多くは札幌で入れ替わっていた。 狩勝旧線は昭和41年9月末をもって廃線。
80おおぞら、おおとりの登場はサンロクトオだから5年間あの山道を通ってたのね。
連続25パミールが10キロ以上も延々と続く過酷な山道 >>384
新幹線ができるまでは「おおとり」は東京〜名古屋(151系車両)の特別急行でした おおぞらも初めは旭川行、釧路へ顔を出すようになったのは1年後なんだよな >>383
親父の転勤で釧路から函館までおおぞら2号のキロに乗車したことがある。
釧路発車前に蛍の光が流れたことと、函館のカーブしたホームに降り立つと「カランカランカラン……」のアイドリング音……。今でも忘れられない。 >>386
スレチだが、全日空の727が東札を70分で飛んどるのに萌えたw
スピード競争時代だね >>388
おおぞらの最初の停車駅は
函館、虻田(現在の洞爺)、東室蘭、登別、苫小牧、札幌、滝川、旭川
現在も停車駅なのは札幌だけなんだね
翌年の釧路編成の停車駅入れても帯広、釧路が増えるだけ >>386
新幹線こだま号に自由席がついて、まだひかり号と共通編成だった頃だな
まだ「ていね」に食堂車マシ35がついている
日本国内航空と東亜航空は合併前、のちに東亜国内からJASに
貴重な資料を有難うございました
なおNH60便・・・・・・
>>390
だからエンジントラブルを疑いもせずに操縦ミスで簡単に片付けようとした連中
B727の導入にかかわり、そのくせ事故調査委員長になり、その後日テレの某コンテストの審査委員?までやった、
いま逮捕者が出て問題になっている大学の某教授(故人)、おまえらのことだ >>389
>「カランカランカラン……」のアイドリング音
我は富良野でフラノエクスプレスで聴いたのが忘れられませんな
もちろんキハ84よりキハ82の方が好きだけども 今は黄色い新幹線が走っているのを見かけたら幸運が訪れると言われているが、
オラは小さいころキハ82系特急が走っているのを見かけたら、
幸せな気分になりワクワクしたわ。 >>389
おおぞら2号は、78年10月改正前の上下も1号から号数が始まる時代?
もしそうならおおとりと雁行して、青森からはくつるに接続だったけど、上り偶数号時代なら滝川から13両になった方だけど。
>>396
富良野経由で3往復時代は、少なくとも1往復は富良野通過してたな。 >>398
389の内容はどちらの列車でも当てはまるんだからどちらでも構わんだろ
フラノエクスプレスの話をしている人におおぞらの1往復が富良野通過してたと指摘しても的はずれだし >>399
時間帯と編成が違うから、そうはいかないだろう。 >>400
時間帯と編成が違うから何?
>>389
> 釧路発車前に蛍の光が流れたことと、函館のカーブしたホームに降り立つと「カランカランカラン……」のアイドリング音
これどちらでも一緒だよね >>389です。
昭和48年3月に乗車しましたので、函館行きおおぞら2号と釧路行きおおぞら2号が存在していた全席座席指定の時代です。
あと記憶にあることは、…車掌が天井にある空調装置のボタンを操作しながら車内巡回。太平洋の荒波。
洗面所の揺れるカーテン。
滝川駅停車の時、ED76 500牽引の旧客がホームに停車していたこと。電化区間に入り、架線が見えて「都会にきたなぁ」と思ったこと。
札幌駅到着前に黒々とした光景…たぶん苗穂機関区の蒸気機関車群?
「札幌で進行方向が変わります。座席の向きを変えて下さい。座席下のペダルを踏むと向きを変えることができます。」の車掌アナウンス。
札幌発車後、また黒い光景が現れる。
夕食時間帯にキロで調製したカレーライスの車内販売を見かける。
函館に19:30頃到着。カーブしたホームに降り立つ。
車内灯に浮かぶシートモケット…キロはエンジ色 キハは青色に白のカバー。黒いキノコクーラー。
そして「カランカランカラン……」のアイドリング音…。
行き先表示の赤サボとおおぞらと特急のサボ…
今思い出したが、アルプスの牧場のオルゴールのあと「この列車は特別急行おおぞら2号函館ゆきです」のアナウンス。
当時、なぜ特急ではなく特別急行なのか疑問に思っていた。
…………当時、8歳の私の記憶です。
長文スマソ >>402
言わないと言えないは違うんでね
関係のない俺に言っても意味ないし
まあ御本人が403で回答してるけどさ
マウント取り爺さんなのかな?
>>403
貴重な経験をしましたねえ その頃から北海道の気動車特急の呼称は特別急行だったんだね
貴重な経験裏山死す >>403訂正
✕キロで調製したカレーライス
◯キシで調製したカレーライス
確か隣の車両が食堂車だった様な気がします。
でも、食堂車で食事すること無く手弁当で済ませた記憶があります。
まぁ5人家族ですからしょうがないですよね。 >>406
再度訂正
×キロで調製したカレーライス
◯キシで調製したカレーライス
打ち間違いスマソ
お詫びついでにもうひとつの記憶。
釧路駅1番ホームに停車中のおおぞら2号に乗車すると隣の2番ホームには一般色と急行色を併結した気動車の編成が見えた。
ホームのアナウンスに「札幌ゆき急行大雪」まで記憶あり。
子供心に「急行なのにどうして一般色の汽車を繋ぐのだろうか?」と疑問に思っていたが、函館で急行えさしや松前が一般型気動車で運転され乗車したことで疑問が解けた。 >>409
スレチだけどあきあじって久しぶりに見たな >>409
釧網本線にSL撮影しに行ったんだろうなあ >>409
白鳥が気動車なので、>>403の少し前の時刻表だね。 >>413
ちょうど間の時ですね(笑)
73年10月もそこそこ大きいダイヤ改正だったので。
72年3月の山陽新幹線岡山開業から、75年3月博多開業までの3年間は、電化の延伸も多くて激しいダイヤの変動でした。
そのためスレタイのキハ80系も、相当な変化がありましたね(笑) >>409
>>403です。
どうもありがとうございます。
釧路駅2番ホームの急行は大雪としれとこの併結列車だったことは後で知りました。
網走方2両一般型で後が急行型だったのは記憶あります。
急行大雪は札幌と網走間がメインですが、私の大雪のイメージは今でも釧路発の列車です。
もう少し?当時の記憶を辿ると……
おおぞらの車掌さんは、真っ白の制服を着用して片腕に赤い腕章。制帽と靴も白で本当に格好好くて威厳がありましたね。
車窓なのですが、電信柱(ハエタタキ)が常にあり途切れないこと。
東室蘭の停車中に親戚から差し入れを頂いたこと。
洞爺を過ぎると闇夜に包まれなからも奇怪な岩と海。
トンネル‐海と漁り火‐トンネルと続く…… >>403
描写が一つ一つ頷ける。懐かしい。
それにしてもあの頃の80形式の特急は本当に特別感があったね
別格だったよ。
今の283だ261だ、みたいなのは風格が無い。
80形式はDMH17のエンジン音すら威厳を感じたもんだ。 >>415
続き
昭和48年当時、礼文の辺りは単線で海岸近くに線路が敷設していました。
千歳線も旧線で東札幌を通っていたのですが記憶無しです。
電化や複線化または線形の改良等により今は様変わりしてしまいましたね。 かもめは山陽本線内、電車特急と遜色ない所要時間だった! >>420
「つばめ」「しおじ」より停車駅が少なかったけど、走りっぱなしとも言えなかった。
東海道・山陽本線の停車駅は、大阪・三ノ宮・姫路・岡山・尾道・広島・宮島口・小郡・
厚狭・下関だったか。
九州に直通する特急は、「みどり」「なは」「日向」でも山陽本線内の停車駅は
絞っていたような。 瀬野八はオーバーヒートしなかったのか?
板谷峠よりかはマシとはいえ22.6‰がダラダラ長く続いてたら変速段のみで走行する事になってエンジンや変速機への負荷が凄い事になる >>422
なは・日向も含めて、その話は耳にしなかった。
元々亜幹線走行が前提で険しい峠越えも想定され、はつかりの初期故障を踏まえて
ある程度クリアできる設計だったのでないか?
北陸トンネル開通前の杉津峠や、北海道の狩勝峠、石北峠も負けず劣らずだったし、
はつかりは東北本線の勾配回避の目的で常磐線経由してたけど、ひばりやつばさも
東北本線の走行には問題なかった。 キハ82のエンジンは、必要以上に回転数を上げなければオーバーヒートはしなかった。
また上げられない構造にもなっていた。
だから坂道では低速運行せざるを得なかった。
キハ181になり高回転域が使えるようになったため、ウテシが調子ぶっ扱いて回すものだから、
オーバーヒートすることが度々起きた....というのが、国鉄時代の話。 >>425
> ウテシが調子ぶっ扱いて回すものだから、
ダイヤ通り走ってただけなのに >>422
> エンジンや変速機への負荷が凄い事になる
エンジンに不要な負荷がかからないようするためにあるのが変速機なんだけど >>391 >>393
> 岩見沢・深川も通過してた?
岩見沢はDC特急は全て停車駅だったはず
深川は50-7改正時でも「おおとり」は通過だった >>417
> 千歳線も旧線で東札幌を通っていたのですが記憶無しです。
3D(旭川・釧路行き)に乗った時は北広島辺りから北は妙にのんびり走ってましたね。
単線で急カーブが多かったからかな?
西の里信号場の「にしのさと」と書かれた駅名板?が印象的でした。 >>428
> 岩見沢はDC特急は全て停車駅だったはず
すまん岩見沢書き漏らしてた
393さんすまんね >>428
深川におおとりが停車するようになったのは、53-10の改正から?
それまでは長万部も通過する特急が多かったので、おおぞら・おおとりは別格だった。 >>431
おおとりの深川停車は55-10改正から
おおぞらは42-3の北海運転開始で釧路行単独運転になるまでは深川通過だったが、
47-3に北斗を受け継ぎ増発(3D/4D)された際の旭川編成は深川停車だった
55-10以前、他に運転開始当初の北斗とさちかぜ格上げのいしかり1往復が深川通過
だったが、運転開始から長きにわたり深川通過のおおとりはやはり別格 デッキと客室間のドアは引き戸ではなくドアクローザーが付いたタイプで、押すか手前に引いて出入りするドアだった。
キハ181系はキロ以外は引き戸でしたね。 >>432
46-7「さちかぜ」新設と引き換えに、7D・8Dが区間短縮(札幌〜旭川間廃止)になっている。 >>375
トマムサホロとJR東海のリゾートライナー >>441
https://shiranaimachiwoaruitemitai.at.webry.info/201602/article_25.html
>従来のアプト式を利用して走る列車(右)と新たな方式の試験運転をする列車。
>1963年5月から7月の間に撮影されたという=安中市で(碓氷峠浪漫倶楽部提供)
画像のURLそのまま載せておくれよ >>444
碓氷峠スレでアップした
無断転載とかかれたな >>445
無断複製と書かれたんだろ
意識してない人が多いけどimgurにうpは確かに無断転載だわな >>446
数多くの国鉄車両に携わったデザイナーの故黒岩保美氏だと思う。 >>449
ありがとうデス
国鉄のインハウスデザイナーだったんですね そういえばキハ82は、セノハチ越えで補機を付けたことが確かなかったな。
151系電車でさえ、上りは補機を付けていた。
こちらも181系になって補機解消されたのか? >>452
151系や153系は東海道本線くらいしか長距離電化区間がない時代の産物
キハ82は全国に特急網を構築するための車両
そりゃあ勾配に強いのはキハ82だわな >>452
181系になって補機解消だが、全車181系になるまで付けていた筈
なお、特急電車は勾配+カーブに案外弱い
中央西線の「しなの」が、シミュレートでは、181系では気動車と電車ではほとんど所要時間が変わらなかったとか。
電車の場合、勾配曲線区間ではノッチのオンオフを繰り返す「のこぎり運転」になりがちになる
そのために速度が下がってからノッチオンするので、スピードは上がりきらない
気動車の場合、5ノッチの連続に注意すれば、それなりに上がりきる
なお、気動車の勾配への実力は、キハ55>キハ58>キハ82 (勾配の程度にもよるが)
以上、石井幸孝氏の「入門鉄道車両」(ちっとも入門ではない)にこのようなことが書いてある
長々すまん 今朝、「新日本紀行」の「尾道」(1968)で、
空撮から尾道駅に接近する下り列車がキハ82先頭のキハ80系だったけど、
どの列車だったんだろう
熊本以南、大分以南、長崎本線はまだ非電化の頃だから
かもめ、いそかぜ、あたりかな
ヨン・サン・トオの前みたいだったから、なは、日向、はまだだったみたい キハ44000でやったスーパーチャージャー試験をキハ80系でもやってたらどうなっていたか キハ17←キハ45000だろ
でも、DMF17の改良は基礎技術力が低い時代に行われたため、排気周りの廃熱量を計算していないため改良せず、後年の5分5ノッチにつながった
だから、ターボチャージャーを付けても同一気圧における排気量すなわち排熱量が増大しているから、5ノッチ可能時間は5分を下回った
むしろ、端的な表現でDD13から運転制御装置を撤去して、読替装置を付けた100km/h運転化可能なブースター車両を連結した方がよいと思う
車両端は両側ラジエターの中央通路、車両中央はエンジンをやや片側にずらして反対側を通路
食堂車と普通車の間に繋いでおけば、そこそこ行き来があるから死角にはならない >>457
尾道駅に停車なら「かもめ」が濃厚だけど、通過なら「いそかぜ」かもしれない。 DMH17にターボを付けたら5ノッチ2分になってしまいそうだな
輸出用でターボ付きのDMH17HSがあったが平坦路線でしか使えなかったはず 小5のとき特急ひだがキハ80系との出会い
ようやく設定された禁煙車に乗れてもなぜか鼻先を漂うヤニ臭が消えなかった思い出
父親はタバコ吸わず、ヤニ臭に対する免疫がない家庭に育ったので、喘息持ちには辛い空間だった 座席がリクライニングしない上に背面化粧板とかチャチだな
485系は同一形状だが背面もモケット張り
日よけもロールカーテンだし気動車は予算が抑えられてたのが伺える
JR東海は転換クロスシートに交換したとか意味不明改造してた >>464
特急南紀
転換クロス・最高速度100km/h・要特急料金
快速みえの一部
新幹線余剰の簡易リクライニング・最高速度110km/h・料金不要(一部要指定席料金)
完全に逆転現象だが、既にキハ80系の命運は見えていたのでそのまま・・・ >>466
その台車は廃車したキハ82系からの流用というのは内緒か? >>466
その台車は廃車したキハ82系からの流用というのは内緒か? >>468
まあ内緒でもなんでもないけどな
更に付け加えれば
南紀・・・所定で2M2m(2エンジン車と1エンジン車の比率が1:1)という鈍足編成
みえの速いやつ・・・オールM、どころか、キハ58は350Ps×2というバケモノ
JR東海は元々長く使うつもりは無かったろうから、あえて放置か ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています