153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 14
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451/471系の足回り流用はありますが,153系の足回り流用はありましたか。 自分の知る限り無いな
電動機出力が弱く使いづらかったのかもね 471系は主電動機をMT54に換装して実質473系になってなかったっけ? DT23/24系台車の別形式車両流用は聞いたこと無いな ベローズ空気ばねの整備が嫌だったそうだよ。
私鉄でもミンデンドイツタイプなどは社が限られてる あの地味にめんどくさそうな揺れ枕釣りとかが原因じゃなかったんだ >>548
119系のTc車がそれらをTRにしたものでは? >>544
153系末期には165系が普通に混ざっていたもんな
111系に113系のような >>549
でも客車用のTR217は最後までベローズ式だったよね。 元サロ153のサロ110-0/1000はTR59だったハズけどそこそこ長生きしたよね 直流急行電車の系列は少ないからいいけど、
153系 165系 169系
交直流電車になるとややこしい。 >>557
157系と167系のことも思い出してあげて >>559
1読むと関連スレで修学旅行用155・159・167系・キハ58スレ紹介してるから
ここでは扱わないんだろう >>559
ちなみに俺が167と書いたのは163の間違えだ
今気付いた
ごめんな 167系といえば、快速伊豆マリン
伊東から横浜まで乗ったが、超込んでてずっとデッキに立ってた >>562
あれ繁忙期に下田で100円で着席整理券売るくらい人気列車だったからねぇ
80年代後半-90年代初め頃だと思った。 サロのみ僅か7両の小世帯
1〜6は東海編成で長く使われてたな >>557
交直流電車は、近郊形も含めて、ほんとに複雑
近郊形は直流電車よりも先に登場したことも、その要因じゃないかと思う。
451/453, 455
471/473, 475
ときて、決定版が457っていうのがなかなか理解できなかったわ。
おい、戻るんかいって感じw
465にするべきパターンだ。
401/403
421/423
ときて、415っていうのは、抑速つき417の登場を想定したのかな?
でも、417は2扉で特殊だよねぇ。
結局、急行電車の格落ちで済まされることになっちゃったけど。 南九州しかも地元に475しかいない時期だったので学研の図鑑で457系を見て誤植?と首をひねっていた子供の頃
巻末の解説まで読んでようやく理解できたが457の実物拝めたのは数年後だった
西鹿児島駅で日豊本線運用の分オイ457編成が鹿カコ475編成と逆向きに停車していたなあ >>558
東京総合車両センターにクロ157が今も車籍がある状態で保管されている。
だから系列消滅はしてはいないんだな。 >>570
東海型低運転台の顔(クハ153、クハ401)の最後の生き残りでもあるよ。 >>569
おぉ、宮崎在住なんでご近所かも。457と475の違いがはっきりあったよね
クハ455-600もアタリの内装と何故かボックスへの改造車とか
あの頃は楽しかった。昨日の713車両故障を考えると、国鉄型は
七尾のクハ455共々あと1-2年ってとこかな。 >>568
三電源は二電源の十の位が少ない数字の方の続番ってことなんだろうね
近郊型は405にならなかったのは0は通勤型、1は近郊型と区分されるようになっていたから1にしたんだろう 交直流近郊型は福原氏の415系物語で既存形式の改番計画詳細が記されているよ
交直流急行型とパターンが違っていて未だに飲み込めていないが 153系初期型と名鉄5200は絶妙な時期の
デザイン競合ですね。 >>574
なぜ通勤型みたいな番号の401系にしたのだろう?
用途別に従うなら411系にするのが妥当に見えるけど。 111系より先で、当時は十の位0-4が同一だった。
通勤型も0に明確にしたのは後年なんだよ。
50/60Hz共通が405じゃなく415系になったのは近郊が10番以降制定されてから。
401→411 403→413改番計画もあったというからね 特急型の151系の次に急行型153系が来たように、
当時はあまり細かい区別を意識してなかったようだしね。
基本的に普通列車0番台、優等列車50番台の区別しかなかった。
特急型の80番台が早々に枯渇してしまったよなぁ。 >>579
JR東日本が50番台を使っているのは原点回帰? >>579
151から始まり159で終わる番台は薄幸なかんじ。 電車の形式の付番基準の話しているときに気動車言われても >>585
黎明期だから、造ってみたらいろいろと問題があったり、故障が多発して当たり前だよね… 15x系は根本的にはMT46に起因する電動車の出力不足と高耐候性鋼鈑採用前で経年で車体がボロボロなことか
153/155/159の場合は抑速無しとMc車が無いことによる短編成化での地方転用がしにくかった(その需要は165がとっくに押さえていた)というのも >>589
そういう意味だと、157系も加工窓が原因とされる車体腐食の対策ができなくて、短命だった。
153系のサロはユニット窓をはめ込んで延命したけど。
15x系→151, 153 MT46
16x系→161, 163, 165 MT54
18x系→181 MT54
このあたりの位置づけはわかりやすい。
こうしてみると、481系(1964)に合わせた181系(1964、161から変更の上落成)の登場で
特急形が改めて80番台になった事がわかるね。 161系はMT46のままだったね。
15x系→151 , 153 MT46
16x系→161(抑) MT46
163, 165(抑) MT54
18x系→181(抑) MT54
こんな感じかな? サロ152(112)にユニット窓改造車いたっけ? サロ165とキロ28だけだと思っていたけど >>593
ごめ〜ん、記憶違いしてた。
サロ152→サロ112はそのまま廃車になってたね。
東京駅で「田」の字を見ることが何度かあって、
まだ153系だと思ったけど、もう165系だったんだな。 >>567
乗るチャンスはあった、今思えば惜しいことをした。
18で大垣夜行普通車ばかり使っていた。 サロ152、サロ163、サロ165
見た目は同じように見えるけどねぇ。
冷房、抑速、台車以外に違いはあったの? >>596
サロ165は耐寒耐雪構造だけど外観じゃ判らないね
他にも細かい仕様の違いがあるらしいけど >>577
誠文堂新光社2017年8月発行の「最後の国鉄電車」で415系を計画された時、
401・403・421・423系を411系に改番する計画が有ったと書かれている。
費用対効果に乏しく実現しなかった。 何で国鉄・JRの形式の一の位は奇数なのかね?
最近のE231系とか、E230系で良さげに思うんだが。 >>599
1から始めるか0から始めるかって話になるけど一番最初の形式が1の方が自然な気がする
で、新性能電車の電動車ってMM'ユニット方式じゃん
Mが主制御器のある方で、M'がない方
これを区別するためにM'の方は一桁目を形式よりマイナス1にする
そうすると次の形式の末尾は3になるわな というか、なぜマイナス1にしたのかってことだよな。
基本番号に対する付属番号ならばプラス1にするのが普通だと思う。 >>601
考えてみ
モハ101-モハ100、モハ103-モハ102、モハ105-モハ104、モハ107-モハ106、モハ109-モハ108だと問題ないけど
モハ101-モハ102、モハ103-モハ104、モハ105-モハ106、モハ107-モハ108、まあここまでは問題ないとして
モハ109の相方がモハ100っておかしくね?
戻ってるじゃん 何で偶数を系列名にしないかって説明にはなってない気が 出来ないだろ
おまえが 自然な気がする ってだけだからな
新系列客車や新幹線は偶数だったし 亡くなられた星晃氏あたりじゃないと答えられないんじゃないの? 基本番台偶数なら、+1でも問題ないよな
というか、そちらのほうが自然 奇数って新系列3桁だけだよねぇ、旧国は70系だの80系
101系も登場時は90系だったし。
戦前まで遡ると0・2が両運モハ(後年クモハ)、1が片運モハで
6がクハ7がサハとかややこしくなるが。 まぁ元々は番号なくなって、さらに新系列になるとクモハの向きとユニットが奇数偶数で
重なってくるかもしれないから、分かりやすいように改正したんだろうけど
東京方が奇数でMM'のMが東京方奇数だったからそのまま奇数にして、さらに新系列って
ことを示すために101系にしたのかね
80系から90系で改正で101系だから違和感はあったろうけど
でも153は91系なんだっけ。本当につける番号なかったんだろうな >>611
雪が入らぬようにの対策。
本来ならシャッター付きタイフォン仕様なんだけど、
房総半島や日根野などの暖地にシャッター仕様が居たな。
ムーンライトえちごにもスリット仕様が残っていた。 >>610
101・201系が通勤型で100・200系が新幹線とか言っても
関係者やマニアしか理解出来ないだろうなあ。 >>613
それは結果的にそうなったけどさ
それが何だと言うのよ? >>591-592
151と161はたまたま10位が違うだけになったけど
151〜165までは単純に登場順に埋まっていっただけのような気もする >>615
181系の登場時に改めて特急型として区分されたんだと思うよ。
170番台を飛ばしてるわけだし。
同時期の167系は微妙だけど、
それより後の169系は、急行形としての区分で登場したと考えるのが合理的だね。 119系はどうせ横軽には行かないし・・・ということで付番したのかな? 急行新型が出ていたら直流用171系/両用461系/交流用751系だったのかな 169系、試作車のときは165系900台だったが、これでは横軽協調車両かわかりにくいという現場からの問題指摘があったのか? ステンレス車体で登場予定だった急行型キハの形式も気になる
68と69に納まったのだろうか >>620
その頃はすでに900番台自体が試作車を意味するものになっていたので、
そのまま使われることはなかったんじゃないかな? >>620
別形式導入は労使問題が絡んだから、点検整備項目が増えたのに同形式扱いで済ませられなくなったのかもね。 >>623 その一方で103系、ATC搭載型や地下鉄乗り入れ型含め、同一型式にしてるではないか。ATC搭載型だと特別の番台を割り振ることもしてないし。点検整備項目の増加ならATC搭載も同様だろう。
むしろ、労組から整備負担が大変になるのでやたらに新型車導入しないでほしいとの突き上げがあり、当局は新型車と見られるのを回避するために異形式とするのに消極的になった、番台の区分で済ませるようになったという話もあるが。 そういえば、EF64は、基本番台と1000番台はまるで別物なのに同一形式扱い。
新型導入時になされる労組との折衝を回避するためだということらしい。 >>625 70年代後半となると189が特例なんでは。横軽協調対応車であることを区別しやすくするため。
この時期、183にしても非貫通型を含めて同形式にしてるだろ。番台で区分しているが。 >>627
>この時期、183にしても非貫通型を含めて同形式にしてるだろ
こんなの昔からじゃん 近郊型のシートピッチ改善車もほとんど別形式でいいくらいの改良なのに番台区分で済ませてるな。 >>628 165系と167系の違いは? モータや台車など駆動装置系で差がある?
60年代、やたら車両型式名を複雑にしていったらクレームがついて、70年代にはなるべく統一させるようになった、番台区分で済ませるようになったということでは? 戦後GHQ統治下の頃は、物資配給統制で車両新製の許可得るのが難しかったから、部品かき集めて造った新製車両に木造車の型式記号を流用することによってクリアしたという私鉄もあったな。
そういう「大人の事情」に似たようなものかもしれない。 >>630
>60年代、やたら車両型式名を複雑にしていったらクレームがついて、70年代にはなるべく統一させるようになった、番台区分で済ませるようになったということでは?
完全に脳内妄想じゃん >>623
客車だけど、例えばスロ53と54、ナハ10と11が白熱灯と蛍光灯の違いだけでわざわざ型式名を変えてるのは、そんな理由なのかな。 国鉄急行型で便所がないのはキハ65だけ?
座席数確保だろうか。 65トイレ無しの理由は3つあって、重量軽量化、必ず58繋ぐこと。
12系デビューもあってシートピッチ拡大したかったこと。 トイレ黄害対策推進で処理先基地都合でのトイレ削減を考え始めた時期でもあるしね
どっちにしてもDML30HS系機関と4VK発電セットの重装備で軸重いっぱいいっぱいじゃなかったか >>637
その代わり連結方向に気を付けないと、3両編成でグリーン車の客室を通らないとトイレに行けないなんて
事態が多々あったらしい。 >>630
形式の多さは会計検査院から指摘されている
かなり丁寧に説明して何とか納得して貰ったと、国鉄幹部が何かの本に書いていた >>636
トイレを省略することによって、12系と同じシートピッチでキハ58と同じ定員を確保できている >>640
キハ65の乗客はキロのトイレ使っちゃ駄目だよね? >>636
65だけで編成を組むことは無いし65は発電所兼ブースターが任務だからなあ。 >>640
JR化後の「のりくら」の基本編成は、結構これが多かった。
<キハ65|キロ28|キハ28|キハ58>
キロ28は2000番台、4両のうち3両が4VK搭載車。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています