【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】5レ
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5レの食堂車といえば、「みずほ」「北斗星5号」になるか 米子キサシ180
57.7でやくも全廃・まつかぜとはまかぜ各1往復が受け持ちになったものの、キサシは連結されず7両は在籍したまま
結局使われず60.5で7両全て廃車 まつかぜのごはんはうまくて、量が足りなかった記憶がある このキサシと、ナシ20の一番最後の増備車が最も不幸な食堂車だな。 なんであさしおとはまかぜに回さなかったんだろう 既にそれほど需要が低迷してたのか? 大篠津駅に留置されていたキサシ180は、その後、1両が大篠津から米子に戻され、
マニ50と連結されて、米子駅前で食堂として活用されていたが、この食堂も今はない。 >>568
舞鶴線・宮津線経由の「あさしお」は、天橋立以西は回送列車同然のガラ空きのことも多く、
食堂車など連結しても客が入らず、採算がとれないしな >>567
キサシに関してはつばさ電車化で尾久から米子に転属することもなく腐ったのもいるからそれ以上かも >>563
50.3までは、「はまかぜ」1往復もキシ80が連結されてた。
>>567
サシ581もな。
>>568
昭和50年以降は、在来線食堂車虐待の時代だった。
車両置換えやダイヤ改正で食堂車を外された特急が多かった。
「やくも」も電車化で食堂車が無くなったし、「白山」「はくたか」も長距離ながら
車両運用の関係で食堂車が外されたし、サシ581も昼間の特急で営業休止が相次いだ。 S49-53 は国鉄毎年値上げで客にも虐待の時代だよ >>574
それは昭和51年大幅値上げから、国鉄終了までだろうw
客離れが半端でなく、国鉄の相対的地位が大幅に低下した。
大幅値上げの客離れで、食堂車も一時期やる気を失せた列車が見受けられた。
九州ブルトレは朝8時に既に営業終了の列車もあったし。 なるほど。つばさ用キサシと、下関ナシの最終はほぼ同レベルだね。サシは繋がれて単に走ってた期間を加えるとマシてことになるかもしれない。
急行立山のサシ、めっちゃ懐かしい。一晩中サシで過ごした思い出。 誰だドリームつばめのビュッフェで夜を明かそうとした奴は Z寝台などとほざきながらカウンターに寝そべるってかw JRがブルートレインに完全に見切りつけたのって何時ごろなんだろうな やる気あるならサンライズみたいな新車もっと導入してただろうし食堂車廃止した前後でもう惰性になってたのか? >>580
それこそカシオペアやトワイライトが転機になったんじゃない?
A個室とディナーコースをセットにしたパックツアーの売れ行きとか
オークションでプレミアがつくほどA寝台から売れていくという売れ方
そして列車に乗ること自体が目的化したことからクルーズトレインに繋がるわけだろ 新車最終増備(改造車含まず)
サシ481 1974/7/19(76) 1974/8/30(75)
サシ489 1974/7/15(12) 1974/7/15(11)
サシ581 1972/2/4(35) 1972/3/9(34)
ナシ20 1970/8/13(27-29)
オシ14 1972/7/25(14) 1972/8/10(11,12)
オシ24 1973/9/27(5)
間違っていたらごめん サシ481-75・76、489-12は全て北斗星用スシ24になったんだっけ ブルトレに見切りを付けたという意味では、昭和48年の24系25形の登場でもう終わっていたね。
中間車同士の比較では20系は定員54名、583系45名、14系3段48名、24系25形34名。
居住性は良くなったが1両あたりの定員が減った分を補えるほどの値上げは行えず
収益力はどんどん落ちていった。
山陽新幹線の開通や北陸トンネル火災事故で、食堂車の要員を新幹線に持っていかれたことも加わって
乗車時間の長い東京九州ブルトレ以外は食堂車休止もしくは不連結になっていく。
JR化後の個室化改造は、車両の減価償却が完了する製造後13年を過ぎ
新会社になってタダ同然で承継されたので出来たこと。
でなければソロで1両の定員が28名しかなく料金が開放2段B寝台と同じなんてありえない。 スシ24←サシ48*
501 1-67 1973/8/24
502 1-75 略
503 1-76 略
504 1-64 1973/8/7
505 1-68 1973/9/22
506 9-83(元々は9-12) 略
507 9-7 1973/3/29
508 1-50 1973/1/9
1 9-3 1972/1/18
2 9-4 1972/2/8
3 1-52 1973/1/24
オハ24←オシ14
701 9 1972/8/4
702 4 1973/8/31 訂正
オハ24←オシ14
702 4 「1972/3/3」 サンライズが成功してればあるいは、というところかもね 寝台特急「あかつき」に使用されていた14系15型は、車体は24系25型に準じていたが、食堂車やA寝台車は製作されなかった。 それを言い出したら24系25形だって1両の試作車をのぞいて食堂車は作られなかったし
24系24形だって一部は14系食堂車からの改造で賄われたくらいだからねえ キハ183系キロ182形の車販準備室って、どのくらいの設備だったか気になって、鉄道趣味誌とか鉄道専門サイトを見た感じだと、0系新幹線37形ビュフェ車に近いと思いました。
実際に利用した方はどう感じましたでしょうか。 https://i.imgur.com/pNFonwU.jpg
温かい食事としてはカレーとかうなぎとかが最初は提供されてたみたいだな コロナ自粛をこれ幸いとばかりに供食サービスは終了だろうな。 >>595
これこそが>>519あたりで話題になったオシ16的コンセプトだよね。
もう30年以上前だけれど、はやぶさにオハ24が付いた直後から活用されていなくて
少年心に勿体ないなーと思ったものです。 北斗星ってそこのカウンターでビデオレンタルとかシャワーカードの販売やってなかったっけな
カウンターのテーブルにウィスキーのボトルも立ってたような気がする 東北特急の食堂車のメニューで一番美味しかったのって、何でしたか? あさかぜのラウンジカーの売店は連結初期だけ活用されてたとか聞いたような ラウンジって聞くと、今渦中の接待を伴う飲食店だよね。 >>605
初期はちゃんと使われてたんだな
>>609
https://i.imgur.com/MLg28AV.jpg
まあオシ24改造車のこのエリアはちょっとキャバレーっぽくもあると思う >>610
古いビデオ録画からのキャプチャですまんが
北斗星オハ25-500のロビーカーにあった売店はこれね
ttps://imgur.com/hOoNNlv.jpg
このインテリアのグランシャリオの時代の話だけど
ttps://imgur.com/1VGkcpY.jpg >>614
こうして見ると椅子があさかぜ・出雲のオシ24と結構似てるね JR北海道所属車とスシ24-507は最初から4人掛け+2人掛けだけどね >>612
カップヌードル麻婆(アサバー)
麻の服を着た品のいいお婆ちゃん 結局
日本食堂
帝国ホテル列車食堂
聚楽
どれが一番美味いんだ? >>619
聚楽は評判良かった。
181系「とき」だけだったけど、聚楽営業列車を好んで選ぶ客もいた。
全廃からちょうど42年前か。
帝国ホテルも「ひかり」の食堂車で一流の味と評判だったが、値段も高かった。 >>619
知りたいならおまえが直接食べて判断しろ
他人に聞いたってうまいまずいなんて個々の主観でしかない
おまえがどんな味が美味いかなんて俺らは知らん 東海道新幹線だと私感これ
帝国>都>>日食>>>BT >>621
上越新幹線のビュッフェが聚楽持ちだったのはそういう経緯があったからか。 ビュフェとうきょうってどのサイトや書き込みでも評判悪いけどそんな不味かったの? 新幹線0系36型食堂車の通路と食堂との仕切り壁に窓が設置されていなかった頃、
客席は落ち着いた雰囲気を持っていて、日本一豪華な食堂車だった。 >>628 通路側の席で富士山が見えないってのは・・? 東海道新幹線、富士山が見えるようにビュッフェのカウンターを山側に設けたから、食堂車の厨房も海側に持ってこざるを得なくなった、ということなんだろうか。
駅や基地での汚水処理や水道の位置にも関係してくるのだろうし >>629
そいつにレスしちゃ駄目。 いつも「だった」と勝手な主観で
まるで公式歴史のごとく書くスレ荒らしだから。 >>623
それ、ただの思い込みだな。
「ホテル系(業界序列1)」 > 「ホテル系(それ以下)」 > 「列車食堂系(最大手)」 > 「列車食堂系(それ以下)」 >>626
どうだろうか
食材そのものは他と変わらないだろうし
他の3社と食べ比べて具体的にどこがどうまずかった、という話はほとんどないから
単に会社イメージからくる色眼鏡では
まあ従業員の質が低いのは認める 昭和の時代、急行アルプスには「アルプスそば」って立ち食いソバのカウンターが
設けられていた。
急行「安芸」には寿司のカウンターがあった。
今考えると、信じられないような話。
若い子に言っても「ウソだー」っていうかもしれない。 場末のドライブインのように、カップ麺とか蕎麦・うどんとかハンバーガー、缶ビールにワンカップの自販機をブルトレロビーカーにわんさか配置!するわけにはいかんかったのかな
自販機文化は既に完成の域にあったわけだし
しかし、まず缶ビールが売り切れ、宴呑兵衛が煩く、非難ごうごうになるかもしれん 缶飲料はともかくとして、食品系の自販機設置で問題となるのが、車両基地の留置時に
車内電源が断たれてしまうことへの対策。
自販機に食品を残せないから、終着後の回収と出発前の補給の手配を考えなくては
ならないが、それは国鉄・JRの要員体制では無理だろう。 >>636
ご教示感謝
運転のたび全回収しなければならないのなら人件費が高くつきますね
毎日棚卸しとは・・・たいへん
ても、ピーナッツと柿の種とハッピーターンなら腐らないのに いたまない缶や瓶の飲み物も積みっぱなしの期限切れが九州や東日本であったせいで
自販機の撤去が進んだわけだからねえ >車両基地の留置時に車内電源が断たれてしまうこと
対処方としては車両基地から外部電源を差し込むしかない
例外たるスハ25 300は留置場所を剛体架線式化して常時通電
結局1990年代後半になるとコンビニが広がり、事前購入しやすくなったため食堂車などの価値がほぼなくなってしまった せっかく旅に出るのにコンビニ飯とは勿体ない せめて駅弁だろう 東北・上越新幹線のオール2階建てE1系には、弁当の自販機が設置されていたが、
飲み物などと違って、弁当の補充は難しいなどの理由でこの自販機は稼働停止になったな フェリーはオートレストランのが結構あるよね オーシャン東九フェリーとか津軽海峡フェリーとか 車両基地でだって1か所に留めっぱなしじゃなく車体洗浄やら汚物処理やら検査やらであちこち動くから
そのたびに自販機のためだけに外部電源用意して接続するとか非効率に過ぎる
>>643
フェリーはドック入りの時以外停泊中も発電機回しっぱなしだし
乗員もいるし無人になることはない 車内供食は予約制レストラン列車以外採算取れなくなるんだるね。
安く食いたい層はコンビニパンかおにぎりで十分だし
駅弁は物珍しさの名物以外売れない。
列車の速度は速くなり平均乗車時間3時間切り時代だから
降りてから現地の店で食ったほうが安くて旨いになる。 今は駅弁フェスで買うものとして浸透しちゃってるんだよなあ >>646
駅弁は駅構内の売店で売られている有名な駅弁が特急や急行の車内販売では
販売されていない、その有名な駅弁がときおり車内販売されていても品数が
少なく、車販のものは値段が駅売りのものより少し高めだったりしてたよな 最近はピークシフト自販機(魔法瓶みたいになってて夜中だけ冷やして日中は電気切っても保冷できる)とかいうのもあるよな あるいは自販機に電池搭載したりとかはどうだろうか? そりゃ検討はしとるやろ中の人も
やらんということはそこまで売れん
それだけよ >>650 飲料等の食品自販機の冷蔵、加熱にかかる電力に要する蓄電池が、自販機の中に入りきるんだろうか?
外付けにするとしてもかなり大きくなりそうなんだが。電源切断の非常時に10〜30分程度持たせるのに、マイカーのバッテリー程度で足りるんだろうか? 自己レスだが災害時、バッテリーで二時間機能する普通サイズの飲料自販機があるな。自販機の価格は上がるだろうが >>648
言われてみれば確かに車販じゃあまり見かけないな >>654
ほとんどの列車では、既に車内販売すら見かけないけどな。 食堂車の厨房設備や車内販売準備室、それに自動販売機の電源は三相交流200V。
蓄電池から取る電源は、非常用で数時間稼働させる目的だな。
あと、インバーターを通して直流から交流を取り出すとかなりのロスが出る。 話違うけど、今はコンビニでも6600ボルト高圧受電しているね。昔は小規模店舗は3相200ボルトだった。零細町工場も。 北海道とかになると4〜5時間かかるのも普通にあるから自販機置いたり車販復活したりして欲しいんだけどなあ 何本も買っておかないと途中で飲み物が底をつく でもそういうお客さんがいなかったから車販がやっていけなくなって現在に至るわけでしょ
みんなちゃんと準備して乗ってきてるんだよ そんな有様だから余計に乗るもんじゃないなとなるわけだな >>658
旭川駅の立ち売り以外は不要不急のものじゃろ >>646
はあ?コンビニなんてなかったんだが?
時代が変わってからだったらどんなトンデモ論も正当化されるのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています