【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】5レ
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5レの食堂車といえば、「みずほ」「北斗星5号」になるか サービス終了は50.3か?
急行アルプスには暫く連結されっぱだったみたいだが。 確か最後まで残ってた信越・中央での営業やめたのが76年秋
RJ誌の76年10月号で信州1号のビュフェ追跡載ってるけど記事中でも先の短い扱いだった >>499-500
急行ビュッフェ全廃は76年11月末。
確かに>>489の通り、最後が中央・信越線電車急行なのが不明。
特急「あさま」「あずさ」でも当時食堂車がなかったのに、同区間走る急行にビュッフェが
営業してたのは不思議。 何かで見たか聞きかじった情報によると、冷房電源用のMGが欲しくて編成中にサハシを残したとか。 >>501
信越本線は碓氷峠で両数制限があるからあさまに食堂車組み込めなかった
あずさは時と共通運用で食堂車あったけど東北回送線が廃止になった時にあさまと共通運用になって食堂車がつかなくなった
急行は信越本線でも169系があるから12両編成が組めるのでビュフェあっても支障なし
特急に食堂車がないから逆に急行ビュフェ営業廃止が最後になった可能性 信越は57-11で白山に食堂車復活して嬉しかったなぁ
碓氷峠でコップの水見るのが楽しみで。 >>502
急行型ではないが、昔新聞の投稿欄に
「583系寝台列車の営業休止食堂車を外して寝台車を増やして欲しい」という旨の投稿があって
数日後に国鉄からやはり投稿で、編成の電源仕様上難しい、と
かなり詳細な解説付きで回答があったのを見たことがある。 >>503
181系はな。ただ急行ビュッフェ末期の頃は189系化されてたから、碓氷峠のネックは理由でなくなる。
それから「あさま」は一部489系運用の列車もあったのに、なぜそちらは営業休止にしたか?もある。 >>506
183系の時点で食堂車作ってないからね
昭和47年の時点で食堂車営業列車を増やす気はなかったんだろう キハ80系で運転されていた博多〜西鹿児島間の特急「にちりん」は、
当初、食堂車を営業していたが、のちにキシ80はキハ80に置き換えられて、
気動車「にちりん」の食堂車はなくなった。 >>505
サシ581はそんな理由があって、75年3月で西日本の583系全列車営業休止は怪訝に思えたものだ。
しかし85年3月に「きたぐに」583系化、東北方面も食堂車を外して編成を組み替えたので、
食堂車を外すのがそんなに大掛かりな事だったか?の疑問はあった。
75年は組合が強かったので、実施できなかったのか? 485系の「雷鳥」や「白鳥」でも食堂車は外されたが、キハ80系でも食堂車キシ80を
連結していなくても6両編成は組めるので、電車特急でも気動車特急でも食堂車を
外すのは大がりでもないように思える。 >>509
食堂車を抜くのは三相電源切り替えスイッチを移設すればいいだけでそれはかんたんで実際後年行われたけどさ
これって単純に食堂車を編成から抜いただけなんだよね
サシのかわりにサハネを連結する時の最大の問題点ってそもそもサハネそんなに余ってねえよってことだったんじゃないのかな? 知識不足なので予想っぽくなるけど…
キハ80系は編成を組む上でキシで回路を交差させる必要があるけど、短編成運用も考慮してキロの乗降扉側で既に両渡りにしてたから
容易にキシ抜きができたよね。
サシは>>511が挙げている三相電源の切り替えスイッチを移設する必要があって、少なくともS57年11月ダイヤ改正前の難解な転配が
連日行われていて、定期運行しつつ進めていたから自ずと慢性的な車両不足を呈していたね。一部は運休せざるを得なかったはず。
→回路移設のための入場なんてもってのほかだったから、やむを得ず食堂休止のまま連結を続ける事態になったのだと思うな。
転配が終わったあともサハの先頭車化とかが進んでいたけど、東北上越新幹線運行により車両には余裕が出ていたから、
S60年3月までに移設作業が進められたのだと思う。
勝手にウソついてることもあるかもだから、誰か補足してくれるとありがたいです。 しかしなんで70年代前半あたりで既に斜陽化してたんだろう 平成以降ほど駅中もコンビニも充実してないだろうに 日本以外だと韓国台湾も割と早いうちに食堂車消えてたっぽいが >>514
従業員が集まらなくなったのが大きいと思われ。 途中で書き込んでしまった。
70年代は労働市場の賃金が急速に上昇して、従来の安い給与で人材が集まらなくなり、
急速に食堂車営業の採算が悪化したということだろう。
メニューの値段を上げるにしても、駅弁との釣り合い上そうそう大幅には出来ないし… あのー、サハ?
3相切替スイッチはサシからサロへ移設
57.11と59.2で余剰になった「向日町の」合計15両から取り外されたものを下記へ移設
向日町の6両
青森の9両(うち1両は元向日町車)
これとは別に青森予備車である1両のサシから同じ予備車である1両のサロへ取り付け
この時点で
3相切替スイッチがないサシ 向日町15両、青森1両
3相切替スイッチのあるサロ 向日町6両、青森10両
60.3にて、3相切替スイッチ付きのサロと付けられていないサロを交換
青森は取り外した&余剰の合計13両のサシから、緊急で3両のサロへ、その後もう2両のサロへ移設
この時点で
3相切替スイッチがないサシ 向日町15両、青森14両
3相切替スイッチのあるサロ 向日町6両、青森15両
サシから取り外した3相切替スイッチ 青森8両分
こうして
向日町配置で3相切替スイッチのないサロは同配置のサシともども60年の年度末までに全車廃車
青森配置のサシは仙台市内での廃車体利用のために仙台へ送られた2両共々60年の年度末までに廃車
となる
※3相切替スイッチが付けられているサロ581でも4(青森配置)だけが余剰として62.2.6廃車 >>509
583系に関しては青森車は新幹線開業後は食堂営業なし、向日町も雷鳥以外の食堂営業がなくなってた上に山陽方面から撤退で大量の保留車出してたんでいよいよ外す余裕出たが
75年当時だとまだ編成崩す考えなかったり食堂を使うかもしれないと思われてた(実際向日町車は53・10でしらさき運用撤退、雷鳥運用に入ってサシ581の食堂営業復活)かと オシ16的なコンセプトの車両ってもっと増えても良かったと思うわ 平成期以降ならそうだと思う。昭和40-50年代の在来特急は
本格食堂のほうが好まれてたようだし、急行に乗る層は上限300円の急行券で節約や
周遊券で旅する層で、共食に余りお金掛けないだろうなと思う。
電車急行のビュフェも売上はあまり良くなかったんじゃないかな。
欧州もビュフェやファストフードが入るような簡易共食になったのが80年代後半以降
高速列車時代にビュフェが見直されたりしてるね。 なるほど急行のビュッフェは客層とミスマッチだったのか >>594
オシ16的な寝台特急用食堂車を製作して「みずほ」、「あさかぜ3・2号」「出雲3・2」号、
「瀬戸」に連結してもよかったように思えるな >>522
そうそう 時間や距離が比較的短いやつに食堂車代わりとして連結したり、既に食堂車あった列車にもロビーカー的な役目で連結したりとかさ >>521-523
そうだね。平成以降だとそういう使い方がベストに思う。
まだ90年代中は駅ナカビジネスも少なかったし、景気も今ほど悪くないから
自分も787系つばめ・にちりんシーガイアでよくビュフェ使ったし
九州の田舎帰る時は富士・はやぶさの非営業(1993以降)連結したままのに
乗ったもんだったよ。 >>523
寝台特急「日本海」にもオシ16的な食堂車を連結してもよかったかも 仮に九州新幹線が無かったらつばめのビュッフェはいつまで営業してたんだろうな ゆふいんの森のは今も存命だけど 九州出身者としては非常に気になる話w
まぁ高速化で885系投入だろうから、787の鈍足特急と
速達型振り子車で二分してたかも。 ビュフェは2010年代まで
継続してた可能性は大有りで、熊本震災や度重なる水害も無ければ
状況も良かったかもね。
思い出の一枚。
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org650494.jpg もし続いてたら昨今のD&S列車とかに合わせてビュッフェもリニューアルしてたんだろうか
>>527
おぉー、メニュー表じゃん チャオは一度食べてみたかったなぁ >>527
どうかな〜
車販でも廃止されてる昨今だから >>522-525
本来サンライズにも、そんな設備があってもいいけど。 >>528
チャオとコーヒー、よく頼んだよ。
4月の自粛直前、懐かしくなって延岡-宮崎空港間だけだけど
元サハシのビュフェ室だったシートピッチ拡大普通車乗った。
>>529
まぁ2010年代半ばくらいまでってとこだろうね。
新幹線が無くても今年現在じゃもう無理かな、観光特化以外は。
>>530
サンライズは出発時間が遅く到着が早く
夜食と早めの朝食しか売れないからキツイな。 サンライズって出雲の車内販売もやめる有様だったからねえ いつのまにかJR東日本以外の在来線から車内販売が消滅していた… 特に北海道とか4〜5時間かかることもザラだし無いと不便なのに >>488
そういや東海道線電車急行のサハシ2両も職人確保の困難さもあり、
片方は寿司カウンタを休止、ビュッフェカウンタも売店営業になっていたそうだから、
急行ビュッフェは東海道線でも既に翳りがあったのかな。 サハシで食べたことなくてもサハシで出していた寿司を食べたことある人なら
今このスレ見てる人でも何人かいそうだが 食べたという書き込みはあるが10年前
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1234605508/568
>[ 鉄道懐かし ] 【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】2A
>568 名前:回想774列車 []: 2010/01/28(木) 12:41:43 ID:wqRnJmRf
>静岡の清水にビュフェの寿司職人だった人が開いた寿司屋があるよな。
>一回行ったが、気さくなおじさんで楽しかった。
>寿司も安くてうまかったよ。 元食堂車乗りがゾロゾロ居る店でバイトしてた。
食堂車ならではのテクも、各人色々あった様だ。 いま板前さんが作りたて生の握り寿司を賞味できる可能性がある列車は高岡のべるもんただけ。
これもご多分に漏れず運休中だが、マスコミによる過度な自粛煽動で
生じた経済テロから脱却できればどうにか、改善できる見込みはある。 ならん。「皆で不幸を分かち合え、欲しがりません終わるまでは」抜け駆け許さないのは戦時中と同じ。 静岡のつばめ鮨は数年前に店主が死去(2016.11)なされ閉店
交通事故により閉店前から臨時休業していた
「「鉄」道の妻たち "ツマだけが知っている、鉄ちゃん夫の真実"」に営業していた頃の店内が書かれてある
ISBN:978-4-330-18210-0
再度ご冥福をお祈りいたします(合掌) 過度な自粛煽動ねぇ…。
まぁ確かに報道が頭のおかしいレベルだったのは確かだが
自粛しなかったらイタリアやスペイン、ニューヨークのような惨状になっていたこともまた確かだ。 スゲー! と思った食堂車テクは…
手を切ったら、漂白剤に突っ込む。
代わりの人いないし、衛生上、絆創膏なんて貼れないから、溶かして止血。
揚げ物は、高温短時間で美味。
包丁は、刃先を俎板に付け手元側で切ると、揺れても刃がぶれない。
準備室に隠して、彼女と駆け落ち。
あ、これ車掌だったw。 >>543が武漢ウイルスに感染しても、病院へ行くなよ
経済停滞するから 食堂車の米飯は一列車、米一升炊くんだろうな
いや、もっとか? 生米は積んでるが非常用
通常は炊きあがった飯をジャー(といっても4升とかそんなの)で積み込む
折り返しや途中で補充する場合もジャー
でないと車内で炊いてたら当然ながら炊き上がるまで営業開始できないから
なお車内で炊くときは鍋(片手鍋)で炊く
沸騰したら蓋の上に缶詰などの重しを乗せる
食堂車の経験があると鍋で飯が炊けるようになるのも食堂車テクか 特急「まつかぜ」の食堂車の調理室では、家庭用の大きめの炊飯ジャーが使われていた。
「まつかぜ」は出雲市以西は利用者も少なく、大阪〜米子間でも食堂車はあまり混み合うことはなく、メニューも欠品が多かったことから、カレーライス用の米飯などは家庭用のジャーで炊いても充分いけたのだろう >>552
それは山陰線の80系が博多まつかぜだけになった末期の頃かな?
鳥取回転6両を付けた13両編成の頃は、大阪~鳥取の時間帯が良かったので人気はあったけど。 >>546
そうなのですね。
その店でハチクマライスをオーダーして、「よくそんなもの知ってるな!」
と驚かれたのが想い出です。ご冥福を祈ります。 >>553
その末期の頃から博多まつかぜ1・4号がキハ181系化されて米子発着となるまでだった。
人気メニューの「大山おこわ定食」だけは、米子から材料が積み込まれてから
提供されていた。 炊飯ジャーなかった頃、ご飯の保温ってどうしてたのかね?
鍋で炊いたご飯は、飯櫃(おひつ)に移すんだろうけど
冷めるの防ぐために熱源である石炭コンロの近くに置いたりしてたのかな? >>555
おい!「まつかぜ」はキハ181になって食堂車無くなっただろう!
その書込みでは181系化後も、食堂車があったと思い込むぞ! 1985年にキハ181系置き換えと系統分割で滅びたろ、まつかぜは 小中学校の野外活動で飯盒炊爨やったことあるなら、焚き火で飯炊きくらいできるだろ。
食堂車の厨房の電気レンジで炊飯しようとしても火力が足らんだろうな。 特急「まつかぜ1・4号」用の食堂車キシ80は、向日町運転所に4両配置されていた。
2両使用して、残る2両は向日町運転所で予備車として留置。
新大阪〜博多間を何往復かした後、向日町運転所へ入区後、
編成中のキシ80は検査と走行距離調整のための車両組み替えのため、切り離され留置され、
予備のキシ80と差し替えが行われていたようだ。 >>560
足るよ
直径30センチの蚊取り線香のような電気レンジだぞ
火力は全・半・1/4でしか調整できないが 向日町キシ80
47.10で食堂車付きはかもめ・なは・まつかぜ・あさしお(4往復)の7列車9運用を10本で回していた
この時のキシが12両
49.4で食堂車付きは(なはと併結していたそれが独立して食堂車を持ち運転していた)日向が電車化されて、
かもめ・まつかぜ・あさしお(4往復)の6列車7運用を8本で回していた
この時のキシが13両
50.3で食堂車付きはまつかぜの1列車2運用を3本で回すことになり、
この時のキシが4両(ただし、余剰のうち1両以外は50年度内に廃車、残った1両は51.9に和歌山転出)
キシ80 19、20、21、26が向日町で残る
53.10の直後、和歌山(30、34)から2両来て、向日町の2両(19、21)が廃車
これがまつかぜキハ80系運用のなくなる60.3まで続く
60.7で26と34の2両は函館へ行ったけど、2両とも60年度内に廃車される
向日町へ残された2両は60年度内廃車 米子キサシ180
57.7でやくも全廃・まつかぜとはまかぜ各1往復が受け持ちになったものの、キサシは連結されず7両は在籍したまま
結局使われず60.5で7両全て廃車 まつかぜのごはんはうまくて、量が足りなかった記憶がある このキサシと、ナシ20の一番最後の増備車が最も不幸な食堂車だな。 なんであさしおとはまかぜに回さなかったんだろう 既にそれほど需要が低迷してたのか? 大篠津駅に留置されていたキサシ180は、その後、1両が大篠津から米子に戻され、
マニ50と連結されて、米子駅前で食堂として活用されていたが、この食堂も今はない。 >>568
舞鶴線・宮津線経由の「あさしお」は、天橋立以西は回送列車同然のガラ空きのことも多く、
食堂車など連結しても客が入らず、採算がとれないしな >>567
キサシに関してはつばさ電車化で尾久から米子に転属することもなく腐ったのもいるからそれ以上かも >>563
50.3までは、「はまかぜ」1往復もキシ80が連結されてた。
>>567
サシ581もな。
>>568
昭和50年以降は、在来線食堂車虐待の時代だった。
車両置換えやダイヤ改正で食堂車を外された特急が多かった。
「やくも」も電車化で食堂車が無くなったし、「白山」「はくたか」も長距離ながら
車両運用の関係で食堂車が外されたし、サシ581も昼間の特急で営業休止が相次いだ。 S49-53 は国鉄毎年値上げで客にも虐待の時代だよ >>574
それは昭和51年大幅値上げから、国鉄終了までだろうw
客離れが半端でなく、国鉄の相対的地位が大幅に低下した。
大幅値上げの客離れで、食堂車も一時期やる気を失せた列車が見受けられた。
九州ブルトレは朝8時に既に営業終了の列車もあったし。 なるほど。つばさ用キサシと、下関ナシの最終はほぼ同レベルだね。サシは繋がれて単に走ってた期間を加えるとマシてことになるかもしれない。
急行立山のサシ、めっちゃ懐かしい。一晩中サシで過ごした思い出。 誰だドリームつばめのビュッフェで夜を明かそうとした奴は Z寝台などとほざきながらカウンターに寝そべるってかw JRがブルートレインに完全に見切りつけたのって何時ごろなんだろうな やる気あるならサンライズみたいな新車もっと導入してただろうし食堂車廃止した前後でもう惰性になってたのか? >>580
それこそカシオペアやトワイライトが転機になったんじゃない?
A個室とディナーコースをセットにしたパックツアーの売れ行きとか
オークションでプレミアがつくほどA寝台から売れていくという売れ方
そして列車に乗ること自体が目的化したことからクルーズトレインに繋がるわけだろ 新車最終増備(改造車含まず)
サシ481 1974/7/19(76) 1974/8/30(75)
サシ489 1974/7/15(12) 1974/7/15(11)
サシ581 1972/2/4(35) 1972/3/9(34)
ナシ20 1970/8/13(27-29)
オシ14 1972/7/25(14) 1972/8/10(11,12)
オシ24 1973/9/27(5)
間違っていたらごめん サシ481-75・76、489-12は全て北斗星用スシ24になったんだっけ ブルトレに見切りを付けたという意味では、昭和48年の24系25形の登場でもう終わっていたね。
中間車同士の比較では20系は定員54名、583系45名、14系3段48名、24系25形34名。
居住性は良くなったが1両あたりの定員が減った分を補えるほどの値上げは行えず
収益力はどんどん落ちていった。
山陽新幹線の開通や北陸トンネル火災事故で、食堂車の要員を新幹線に持っていかれたことも加わって
乗車時間の長い東京九州ブルトレ以外は食堂車休止もしくは不連結になっていく。
JR化後の個室化改造は、車両の減価償却が完了する製造後13年を過ぎ
新会社になってタダ同然で承継されたので出来たこと。
でなければソロで1両の定員が28名しかなく料金が開放2段B寝台と同じなんてありえない。 スシ24←サシ48*
501 1-67 1973/8/24
502 1-75 略
503 1-76 略
504 1-64 1973/8/7
505 1-68 1973/9/22
506 9-83(元々は9-12) 略
507 9-7 1973/3/29
508 1-50 1973/1/9
1 9-3 1972/1/18
2 9-4 1972/2/8
3 1-52 1973/1/24
オハ24←オシ14
701 9 1972/8/4
702 4 1973/8/31 訂正
オハ24←オシ14
702 4 「1972/3/3」 サンライズが成功してればあるいは、というところかもね 寝台特急「あかつき」に使用されていた14系15型は、車体は24系25型に準じていたが、食堂車やA寝台車は製作されなかった。 それを言い出したら24系25形だって1両の試作車をのぞいて食堂車は作られなかったし
24系24形だって一部は14系食堂車からの改造で賄われたくらいだからねえ キハ183系キロ182形の車販準備室って、どのくらいの設備だったか気になって、鉄道趣味誌とか鉄道専門サイトを見た感じだと、0系新幹線37形ビュフェ車に近いと思いました。
実際に利用した方はどう感じましたでしょうか。 https://i.imgur.com/pNFonwU.jpg
温かい食事としてはカレーとかうなぎとかが最初は提供されてたみたいだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています