【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】5レ
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5レの食堂車といえば、「みずほ」「北斗星5号」になるか 全検の都合とかそんなのでしょ。使えてるなら状態で転配はしないと思う
>>440-450
キハ82、発電エンジンが走行エンジンと同じポンコツで125kVAで4両、食堂車含めると
3両給電なんだよね。サシは自社給電で70kVAのMG積んでるからキシに同じくらい
使われると残りの2両は1両辺り30kVAに満たなくなって電力が足りなくなることもあったん
だろうね 厨房時代、修学旅行で上越新幹線に乗ったときに、まだビュッフェ車が連結されていたので一人で探訪しに行った覚えがある。 キシ80の電熱系は全てキハ81/82からの給電
向日町にはキハ81は来ていない
また、キハ82はいろいろあるものの、北海道(函館・札幌・苗穂)配備車は来ていない
(北海道から本州へ転出したのはキロが4両だけ) まつかぜはあまり速く走れない区間がほとんどで乗車率の高かった区間はそこそこ勾配のある箇所が多く、しかも西日本で暑い
要するに夏場は冷房+発電用機関冷却へ電気を多く使ってしまい、食堂車への電熱(調理場)系給電が滞った
まつかぜの所定は基本6両(82*2、ロ*1、シ*1、ハ*2)と増結4(82*1、ハ*3)あとで6(82*2、ハ*4)が「72(47).3まで」
それからは基本へハが1両加わった7両、増結側6両のうちハ1両がロ1両と置き換えられた最長13両編成となり、「82(57).6まで」続く >>459
ガス漏れの時、客の煙草の火、沿線火災の火が引火したりしたら危険だからじゃないかな。
食堂車の調理室でガスが使われるとしたら、車両の床下に長いプロパンガスのボンベが設置されるか、小型の丸いプロパンガスボンベが駅での食堂車の物資積み込みの
時に調理室に積み込まれていたかだな ガスコンロの炎なんてちょっとの揺れで消えちゃうからな
実用にならんのは当たり前 初めての食堂車が0系の都ホテル(1983)
最後の食堂車は廃止発表直前のトワイ(2014)
1990年代半ば、0系食堂車で食べた和風スパゲティが忘れられない。 昭和26年に川崎車輌で製造された食堂車マシ36-1・2は発電機式の冷房装置、
電気レンジや電気冷蔵庫を装備していたが、不調のため石炭レンジや氷冷蔵庫に交換されてマシ35-11・12となった。 その時代を語るなら冷房装置とは呼ばず空気調和装置と呼ばないとな。 >>466
空調用の車軸駆動式は通常の車軸発電機よりでかい(複雑)やつだった
とはいえこれで発電機と冷房のコンプレッサー等々の動力源を得るわけだしトラブルも少なくないことに >>462 >>467
スパゲティがありならラーメンが食べられる定期列車連結食堂車もあるな サハシ455の麺提供
現代ならばラーメンかもしれんね >>460
そういえばどこかの外国で乗客が持ち込んだコンロで車両火災起きていたな 今に比べれば相当に貧弱な線路状態で、
しかもかなり過酷な運用をしていた急行列車で、
あろうことか蕎麦やうどん等の汁物を提供するなんていう発想を実現させてしまっていたのが不思議でたまらない。 >>474
平均乗車時間が長かったから、供食サービスを充実させたい意向があっただろう。
急行で東京~大阪を乗り通す客も多かった。
東海道新幹線は乗車時間が限られたから、ビュッフェでお茶を濁した。 蕎麦やうどんって駅の立ち食いのと似たような感じだったんだろうか…? >>474
今に比べれば相当に貧弱な線路状態で、
しかもかなり過酷な運用をしていた
↓
汁物はこぼれ放題だったに違いない!
という単純な思い込みで語るなよ キハ58系にもビュッフェ車や食堂車の製作の計画があったようだが、実現しなかった。
実現していたら、長距離を走る気動車急行「しらゆき」、「青島」、「だいせん」などに連結されていたかも >>479
中央東線のアルプス系統にも組み込まれてたと思う。
最後の活躍はアルプスで、電車化後は松本で3年ほど放置された後、
キユニ28・キニ28の種車となって消滅・・・になってただろう。 長距離の気動車急行も多かっただろうに食事とれる設備無かったんだな もしあれば形式はキハシ28? キハ58系に限らず、日本の気動車は非力だったから、編成中に1エンジン車が多くなるのを嫌ったのでは。もしビュフェ車が造られたとしても、1エンジン車になっただろうに。 「アルプス」といえば、キロ28すらキロ58にして全て「58」としたトンデモ急行だから、
せいぜいキハ58の一部を売店にする程度
むしろ北海道のキハ56系にキハシ26が組み込まれる確率の方が高い >>482
でもそれならキシ80も同じ論理だが、特急と急行の違いからか?
あと80系は最低6両編成で運転してたが、キハ58・28は全運転台付きのため分割・併合で
支線区に最低2両で運用されるとビュッフェの連結が難しかった? >>485
編成単位で運用してたかどうかも要因ではなかろうか?
キハ58系は1両単位で運用されていたため、多層建て急行が多く設定されていた。末端区間では2両もあったくらい。
編成を組む電車や、気動車でも特急形は編成の中で供食設備を考えればいい。 急行ビッフェが繁盛したのは東京ー大阪だけで、他幹線の売り上げは芳しくなかったそうだからな。
山陽線ー北九州、上越線、東北線も、最初こそ東海道線急行と同じくサハシが2両連結だったが、
やがて1両となったし。
何かの本に、東海道線以外の急行は利用客層を考えるとサハ164みたいな売店付き車両か、
それさえもナシで車販だけでも良かったかも・・・みたいな記述があった。 >>487
それって151系パーラーカーが山陽本線で振るわなかったのと同じだなw
もっとも山陽本線の電車急行は、昭和48年には営業全廃になったけど。
北陸本線の「立山」「ゆのくに」「券六」のビュッフェ廃止も同時期だったような。 169系急行信州にサハシがついてたが(サハシ153の改造)、横川で釜飯買う客が多数いるのにビュッフェ利用客どれだけいたのだろうか?
幼いころ、大宮付近でプリンを食べた記憶。 急行ビュッフェって思ってたよりずっと終焉早かったんだね 客レ急行時代はオシ16以外は基本的にフルサービスの食堂車だったわけで
ビュッフェ自体が供食設備縮小の手段でもあったわけだし >>489
IDが一見D51
レス番も碓氷峠を連想させるなw >>491
所要時間が短くなる度にビュフェにしたがるのが国鉄って感じがする >>490
昭和40年代後半以降の東北や北陸だと特急増発に押される形でより急行のサービス縮小だったしな ところで490は急行ビュフェの終焉は何時頃だと思ってたんだろう? サービス終了は50.3か?
急行アルプスには暫く連結されっぱだったみたいだが。 確か最後まで残ってた信越・中央での営業やめたのが76年秋
RJ誌の76年10月号で信州1号のビュフェ追跡載ってるけど記事中でも先の短い扱いだった >>499-500
急行ビュッフェ全廃は76年11月末。
確かに>>489の通り、最後が中央・信越線電車急行なのが不明。
特急「あさま」「あずさ」でも当時食堂車がなかったのに、同区間走る急行にビュッフェが
営業してたのは不思議。 何かで見たか聞きかじった情報によると、冷房電源用のMGが欲しくて編成中にサハシを残したとか。 >>501
信越本線は碓氷峠で両数制限があるからあさまに食堂車組み込めなかった
あずさは時と共通運用で食堂車あったけど東北回送線が廃止になった時にあさまと共通運用になって食堂車がつかなくなった
急行は信越本線でも169系があるから12両編成が組めるのでビュフェあっても支障なし
特急に食堂車がないから逆に急行ビュフェ営業廃止が最後になった可能性 信越は57-11で白山に食堂車復活して嬉しかったなぁ
碓氷峠でコップの水見るのが楽しみで。 >>502
急行型ではないが、昔新聞の投稿欄に
「583系寝台列車の営業休止食堂車を外して寝台車を増やして欲しい」という旨の投稿があって
数日後に国鉄からやはり投稿で、編成の電源仕様上難しい、と
かなり詳細な解説付きで回答があったのを見たことがある。 >>503
181系はな。ただ急行ビュッフェ末期の頃は189系化されてたから、碓氷峠のネックは理由でなくなる。
それから「あさま」は一部489系運用の列車もあったのに、なぜそちらは営業休止にしたか?もある。 >>506
183系の時点で食堂車作ってないからね
昭和47年の時点で食堂車営業列車を増やす気はなかったんだろう キハ80系で運転されていた博多〜西鹿児島間の特急「にちりん」は、
当初、食堂車を営業していたが、のちにキシ80はキハ80に置き換えられて、
気動車「にちりん」の食堂車はなくなった。 >>505
サシ581はそんな理由があって、75年3月で西日本の583系全列車営業休止は怪訝に思えたものだ。
しかし85年3月に「きたぐに」583系化、東北方面も食堂車を外して編成を組み替えたので、
食堂車を外すのがそんなに大掛かりな事だったか?の疑問はあった。
75年は組合が強かったので、実施できなかったのか? 485系の「雷鳥」や「白鳥」でも食堂車は外されたが、キハ80系でも食堂車キシ80を
連結していなくても6両編成は組めるので、電車特急でも気動車特急でも食堂車を
外すのは大がりでもないように思える。 >>509
食堂車を抜くのは三相電源切り替えスイッチを移設すればいいだけでそれはかんたんで実際後年行われたけどさ
これって単純に食堂車を編成から抜いただけなんだよね
サシのかわりにサハネを連結する時の最大の問題点ってそもそもサハネそんなに余ってねえよってことだったんじゃないのかな? 知識不足なので予想っぽくなるけど…
キハ80系は編成を組む上でキシで回路を交差させる必要があるけど、短編成運用も考慮してキロの乗降扉側で既に両渡りにしてたから
容易にキシ抜きができたよね。
サシは>>511が挙げている三相電源の切り替えスイッチを移設する必要があって、少なくともS57年11月ダイヤ改正前の難解な転配が
連日行われていて、定期運行しつつ進めていたから自ずと慢性的な車両不足を呈していたね。一部は運休せざるを得なかったはず。
→回路移設のための入場なんてもってのほかだったから、やむを得ず食堂休止のまま連結を続ける事態になったのだと思うな。
転配が終わったあともサハの先頭車化とかが進んでいたけど、東北上越新幹線運行により車両には余裕が出ていたから、
S60年3月までに移設作業が進められたのだと思う。
勝手にウソついてることもあるかもだから、誰か補足してくれるとありがたいです。 しかしなんで70年代前半あたりで既に斜陽化してたんだろう 平成以降ほど駅中もコンビニも充実してないだろうに 日本以外だと韓国台湾も割と早いうちに食堂車消えてたっぽいが >>514
従業員が集まらなくなったのが大きいと思われ。 途中で書き込んでしまった。
70年代は労働市場の賃金が急速に上昇して、従来の安い給与で人材が集まらなくなり、
急速に食堂車営業の採算が悪化したということだろう。
メニューの値段を上げるにしても、駅弁との釣り合い上そうそう大幅には出来ないし… あのー、サハ?
3相切替スイッチはサシからサロへ移設
57.11と59.2で余剰になった「向日町の」合計15両から取り外されたものを下記へ移設
向日町の6両
青森の9両(うち1両は元向日町車)
これとは別に青森予備車である1両のサシから同じ予備車である1両のサロへ取り付け
この時点で
3相切替スイッチがないサシ 向日町15両、青森1両
3相切替スイッチのあるサロ 向日町6両、青森10両
60.3にて、3相切替スイッチ付きのサロと付けられていないサロを交換
青森は取り外した&余剰の合計13両のサシから、緊急で3両のサロへ、その後もう2両のサロへ移設
この時点で
3相切替スイッチがないサシ 向日町15両、青森14両
3相切替スイッチのあるサロ 向日町6両、青森15両
サシから取り外した3相切替スイッチ 青森8両分
こうして
向日町配置で3相切替スイッチのないサロは同配置のサシともども60年の年度末までに全車廃車
青森配置のサシは仙台市内での廃車体利用のために仙台へ送られた2両共々60年の年度末までに廃車
となる
※3相切替スイッチが付けられているサロ581でも4(青森配置)だけが余剰として62.2.6廃車 >>509
583系に関しては青森車は新幹線開業後は食堂営業なし、向日町も雷鳥以外の食堂営業がなくなってた上に山陽方面から撤退で大量の保留車出してたんでいよいよ外す余裕出たが
75年当時だとまだ編成崩す考えなかったり食堂を使うかもしれないと思われてた(実際向日町車は53・10でしらさき運用撤退、雷鳥運用に入ってサシ581の食堂営業復活)かと オシ16的なコンセプトの車両ってもっと増えても良かったと思うわ 平成期以降ならそうだと思う。昭和40-50年代の在来特急は
本格食堂のほうが好まれてたようだし、急行に乗る層は上限300円の急行券で節約や
周遊券で旅する層で、共食に余りお金掛けないだろうなと思う。
電車急行のビュフェも売上はあまり良くなかったんじゃないかな。
欧州もビュフェやファストフードが入るような簡易共食になったのが80年代後半以降
高速列車時代にビュフェが見直されたりしてるね。 なるほど急行のビュッフェは客層とミスマッチだったのか >>594
オシ16的な寝台特急用食堂車を製作して「みずほ」、「あさかぜ3・2号」「出雲3・2」号、
「瀬戸」に連結してもよかったように思えるな >>522
そうそう 時間や距離が比較的短いやつに食堂車代わりとして連結したり、既に食堂車あった列車にもロビーカー的な役目で連結したりとかさ >>521-523
そうだね。平成以降だとそういう使い方がベストに思う。
まだ90年代中は駅ナカビジネスも少なかったし、景気も今ほど悪くないから
自分も787系つばめ・にちりんシーガイアでよくビュフェ使ったし
九州の田舎帰る時は富士・はやぶさの非営業(1993以降)連結したままのに
乗ったもんだったよ。 >>523
寝台特急「日本海」にもオシ16的な食堂車を連結してもよかったかも 仮に九州新幹線が無かったらつばめのビュッフェはいつまで営業してたんだろうな ゆふいんの森のは今も存命だけど 九州出身者としては非常に気になる話w
まぁ高速化で885系投入だろうから、787の鈍足特急と
速達型振り子車で二分してたかも。 ビュフェは2010年代まで
継続してた可能性は大有りで、熊本震災や度重なる水害も無ければ
状況も良かったかもね。
思い出の一枚。
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org650494.jpg もし続いてたら昨今のD&S列車とかに合わせてビュッフェもリニューアルしてたんだろうか
>>527
おぉー、メニュー表じゃん チャオは一度食べてみたかったなぁ >>527
どうかな〜
車販でも廃止されてる昨今だから >>522-525
本来サンライズにも、そんな設備があってもいいけど。 >>528
チャオとコーヒー、よく頼んだよ。
4月の自粛直前、懐かしくなって延岡-宮崎空港間だけだけど
元サハシのビュフェ室だったシートピッチ拡大普通車乗った。
>>529
まぁ2010年代半ばくらいまでってとこだろうね。
新幹線が無くても今年現在じゃもう無理かな、観光特化以外は。
>>530
サンライズは出発時間が遅く到着が早く
夜食と早めの朝食しか売れないからキツイな。 サンライズって出雲の車内販売もやめる有様だったからねえ いつのまにかJR東日本以外の在来線から車内販売が消滅していた… 特に北海道とか4〜5時間かかることもザラだし無いと不便なのに >>488
そういや東海道線電車急行のサハシ2両も職人確保の困難さもあり、
片方は寿司カウンタを休止、ビュッフェカウンタも売店営業になっていたそうだから、
急行ビュッフェは東海道線でも既に翳りがあったのかな。 サハシで食べたことなくてもサハシで出していた寿司を食べたことある人なら
今このスレ見てる人でも何人かいそうだが 食べたという書き込みはあるが10年前
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1234605508/568
>[ 鉄道懐かし ] 【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】2A
>568 名前:回想774列車 []: 2010/01/28(木) 12:41:43 ID:wqRnJmRf
>静岡の清水にビュフェの寿司職人だった人が開いた寿司屋があるよな。
>一回行ったが、気さくなおじさんで楽しかった。
>寿司も安くてうまかったよ。 元食堂車乗りがゾロゾロ居る店でバイトしてた。
食堂車ならではのテクも、各人色々あった様だ。 いま板前さんが作りたて生の握り寿司を賞味できる可能性がある列車は高岡のべるもんただけ。
これもご多分に漏れず運休中だが、マスコミによる過度な自粛煽動で
生じた経済テロから脱却できればどうにか、改善できる見込みはある。 ならん。「皆で不幸を分かち合え、欲しがりません終わるまでは」抜け駆け許さないのは戦時中と同じ。 静岡のつばめ鮨は数年前に店主が死去(2016.11)なされ閉店
交通事故により閉店前から臨時休業していた
「「鉄」道の妻たち "ツマだけが知っている、鉄ちゃん夫の真実"」に営業していた頃の店内が書かれてある
ISBN:978-4-330-18210-0
再度ご冥福をお祈りいたします(合掌) 過度な自粛煽動ねぇ…。
まぁ確かに報道が頭のおかしいレベルだったのは確かだが
自粛しなかったらイタリアやスペイン、ニューヨークのような惨状になっていたこともまた確かだ。 スゲー! と思った食堂車テクは…
手を切ったら、漂白剤に突っ込む。
代わりの人いないし、衛生上、絆創膏なんて貼れないから、溶かして止血。
揚げ物は、高温短時間で美味。
包丁は、刃先を俎板に付け手元側で切ると、揺れても刃がぶれない。
準備室に隠して、彼女と駆け落ち。
あ、これ車掌だったw。 >>543が武漢ウイルスに感染しても、病院へ行くなよ
経済停滞するから 食堂車の米飯は一列車、米一升炊くんだろうな
いや、もっとか? 生米は積んでるが非常用
通常は炊きあがった飯をジャー(といっても4升とかそんなの)で積み込む
折り返しや途中で補充する場合もジャー
でないと車内で炊いてたら当然ながら炊き上がるまで営業開始できないから
なお車内で炊くときは鍋(片手鍋)で炊く
沸騰したら蓋の上に缶詰などの重しを乗せる
食堂車の経験があると鍋で飯が炊けるようになるのも食堂車テクか 特急「まつかぜ」の食堂車の調理室では、家庭用の大きめの炊飯ジャーが使われていた。
「まつかぜ」は出雲市以西は利用者も少なく、大阪〜米子間でも食堂車はあまり混み合うことはなく、メニューも欠品が多かったことから、カレーライス用の米飯などは家庭用のジャーで炊いても充分いけたのだろう >>552
それは山陰線の80系が博多まつかぜだけになった末期の頃かな?
鳥取回転6両を付けた13両編成の頃は、大阪~鳥取の時間帯が良かったので人気はあったけど。 >>546
そうなのですね。
その店でハチクマライスをオーダーして、「よくそんなもの知ってるな!」
と驚かれたのが想い出です。ご冥福を祈ります。 >>553
その末期の頃から博多まつかぜ1・4号がキハ181系化されて米子発着となるまでだった。
人気メニューの「大山おこわ定食」だけは、米子から材料が積み込まれてから
提供されていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています