【シ,ハシ,Td,Tb】食堂車・ビュフェ【35,36,37,168】5レ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
5レの食堂車といえば、「みずほ」「北斗星5号」になるか >>310ってあさかぜ用のオリエント急行風内装のオシ24でしょ
なんだよっていうか、こういう色に改装したものだったはず
しかし確かに今見ると昭和の高級クラブ感が 懐かしいね
後に東京駅プラッツ店長になったa課長やん もっと懐かしいものを・・・
車販、食堂、帝国の本社ラウンジ、博多営業車が映ってるよ
https://youtu.be/R-f4vB_C44U お前ら新幹線のフライ定食食べたことあるか?
あれはうまかった
タルタルソースやデミグラスソースがあって、
ごはんがおかわりしたいくらいだったよ
当時としては、値段相応だったよな100系の食堂車だね 俺の定番はハムサラダとビール、締めにカレーライスだな
相席に嫌なタイプが来たらカレーは省いて東京迄我慢した
東京駅中央線と山手線ホーム間の下通路に帝国列車とBTの営業するレストランがあった
その隣の八重洲寄りには都列車の営業する和食レストランが
更にその隣日食の営業するハンバーガー屋があった
帝国の店では新幹線と同じシャリアピンステーキやビーフストロガノフとか食べられた
新幹線でカレーを食べなかった日は此処でカレーを食ったよ >>302
不味かったらしいね…。
最近までカフェカーかあって売店カウンターでレンジアップした弁当やポットから注ぐホットコーヒーを買えたけど、これも2年くらい前に正式に休止され、売店撤去が進んでますぬ…。 こだまのビュッフェで売っていたサンドイッチもあまりうまくはなかったな
コーヒーで流し込んだけど 思い出補正があるだろうけどやっぱり高かろうまずかろうだったんだよなあ >>321
40年ぐらい前は、こだまというか新幹線のサンドは、ローストビーフとハムとチーズでしたから、高いけど不味いかと言われると難しいですな。 基本車販用だから常温で長時間大丈夫なものになるね
ビュフェでその場で食べる場合はトマトやレタスなどの野菜を加えてあげたりしたが 新幹線車販、売店、ビュフェのハムサンドとうなぎ弁当は車内で作ってたんだよね
東京駅で乗り込むと同時に作ってた >>318
>日食の営業するハンバーガー屋
サンディーヌですね。
ピーチパイ と 夕張メロンアイス が懐かしい。 食堂車で食べるサンドイッチの付け合わせに出てきた赤ピーマン入りのオリーブとキュウリのピクルスが、特別感を出してたな。
子供の頃の非日常の食事で、特に印象に残ってるもののうちの一つだな。 北斗星のパブタイムの洋食とかトワイライトの昼食って国鉄時代のとは全然別のアレンジだったの? >>330
北斗星やトワは知らないが昔の新幹線の場合はハンバーグは最初は生の肉団子の状態で来る
ただ当然ながら生の状態だと足が速いので注文入って提供する以外にもあらかじめ焼いておく
(実は36形式にはコンロ下にオーブンもある)
これで日持ちがするようになるので余れば冷蔵して翌日も積み込みレンチンで提供する
数日たって残ったのは最後は社内調製のハンバーグ弁当で車販にまわる
なお営業中に途中駅や折り返し駅で補充するのは真空パック >>320
ソウルプラザホテルに委託していた頃は
まだ美味しかったそうだ 2000年頃に北斗星のパブタイムでハンバーグ頼んだとき、厨房でコックさんが生バーグを手でバシバシやって形を整えているのが見えた記憶がある ラグビーボール型のパティは小判型に成形しないと焼けないからね >>333
ソウルプラザホテルが担当してた頃の食堂車は雰囲気が日食の食堂車そっくりだったという。
というのも食堂車の営業開始にあたって日食で研修や営業指導を受けてたから。 >>339
日韓万華鏡
韓国の食堂車
http://9ch.net/0AneH
>ソウルプラザホテル外食事業部は食堂車営業の研修を帝国ホテル列車食堂で行っていた そういや日食が担当してた駅構内の食堂とかっていつ頃まであったの? オールナイトニッポンのスポンサーも担当していた。
旅のレストラン 日本食堂 0系がコック帽かぶってるマークも懐かしい。
紙ナプキンにも印刷されてた。
そういえば、新幹線のアイコンは今だに0系のがあるし、誰も指摘しないな。 車内放送で車掌の停車駅案内とは別に
「お食事の用意が出来ました」
みたいな営業案内があったよな? ただいまをもちまして〜 営業終了も含めあった。
後の時代でも車内販売の開始と終了のアナウンスをするのは伝統だろうね それぞれの鉄道博物館食堂は、サシ151、サハシ153などのレプリカを造ってそこで食堂営業して欲しいな。
サシ151の厨房部分は見学コーナー。
サハシ153はビュッフェカウンターの他、ボックス席の中央にもテーブルを置いて食堂にする。
窓はテレビモニターにして鉄道パノラマで走る模型車両に搭載した小型カメラからの車窓を映す。
混雑時の利用も想定して車外にもテーブルと椅子を置いてフードコート風に。 でもそんなんじゃ一定の食事時間帯に殺到する客をさばききれないってんで
大宮の鉄道博物館ではああいう食堂車風の内装になったわけだ
人数限定で時間を区切ってラリックのワゴンリみたいにするしかないけど
あれもティーセットだからあれだけ回せるわけで
ちなみにラリックは併設のレストランのシェフは車内供食やりたかったそうだが
窓が動かせず料理のにおいがこもるのはよろしくないとのことで却下になったそうだ 京都に食堂車食堂あるけど、そこまで演出するのは至難だろうな。
周囲が通路だし。 京都のナシ20、去年行ったんだけど喫茶営業だけになってたような
大阪に置いてあった頃はレストラン営業してたけど 大阪時代懐かしいね。 まぁカツカレーくらいしか食わんかったけど
結構雰囲気出ていた。後に駅弁販売になったが >>323
77年に乗ったひかり145号のビュッフェで購入したハムサンドは旨かった。
350円だった。サンドイッチの上にスライスした塩漬けピクルスが載っててお洒落に
感じた。
サンドイッチ自体も今のコンビニのそれのようにマヨネーズではなく辛子バターが塗って
あって美味しかった。
このひかりは東京駅発車時点で満席でビュッフェに行ったら10号車は食堂車待の行列と
厨房から流れ込むブイヨンと炒めたタマネギにバターとコーヒー香りと煙に包まれていた。
今でも待を歩いていてその匂いを感じると当時を思い出す。 今度の祝日は、ミートソーススパゲティにとんかつ乗せて
食堂車気分に浸ることにする。 ミートソーススパゲティにカツ、カレーかけたら擬似トルコライスだな 子供の頃、新幹線の時刻表を見ると食堂車担当欄に『日本食堂』『ビュッフェとうきょう』などが書いてあり、それは分かるんだが、
『帝国ホテル』『都ホテル』『新大阪ホテル』などは「どうしてホテルが食堂車を営業しているんだ?」と不思議だったな。 スパゲティベロネーズって神田鉄道倶楽部で出してた時も
もはや分かる奴にしか分からんレベルだったんだよな 帝国ホテルが日食より高かったというのは朧気に記憶あるんだが
うちにある時刻表のメニュー見ても僅差なんだよな。
「高いメニューが有る」ってだけかな。シャリアピン・ステーキとか 昭和の小田急ロマンスカーは日東紅茶と森永。
東武のデラロマは東武ホテルとかかな? 都ホテルのメニューで、うなぎご飯、ビーフステーキ、ビーフシチューは子供ながら高いなと、思ったよ 食堂車全盛期、俺の親父は喫煙者だったが肺が弱かったのか最期は肺癌だった。
長男教で長男の俺だけを大事にしてくれたが
肺癌になってからはゴホゴホうるさくて「うるせーな!咳すんな!」と
お袋や弟や妹、嫁や息子娘によく蹴られていた。
入院もさせてもらえず物置に放置で死因は一応肺癌と病院も診断してくれたが
本当は暴行死&衰弱死なんだろうな。
特に息子たちがかなり強めに蹴っていた。
威張っていた親父が息子らに顔面蹴られてジャガイモみたい変な顔はになっていたな。 東武の車販でアイス買ったら固くなかった
あと車販買った直後に買った当該列車の車販休止リリースがきてびっくり
https://www.tobu.co.jp/file/pdf/b3ca8ccc4939cb0168ad1efb80ad9330/一部特急列車における車内販売休止について.pdf?date= 伊豆急のスコールカー、どんなメニューがあったんかなぁ…
営業期間が短かったからか、あんまり情報が出てこないし。
サントリーが関わってたってくらいしか分からない… >>365
当時のメニューは英語が並んで表記されてた
か外人客向けに有名ホテルに委託では? >>374
元々東海道線の列車食堂を営業していたのが新幹線に移行した
なおビュフェとうきょうの前身は「東海車販」で弘済会の系列 鉄道弘済会担当の食堂車って、接客が酷くて高額で不味い料理(他社より量も少な目)を出しそうなイメージ。 まぁそう言われたとおりだけどね
クルーにもよるけど 帝国>都>日食>BTが定説 今の飲食業と似たようなもんやろ
低賃金で労働環境の悪い 新幹線博多開業後、食堂車営業担当は在来線では日本食堂だけになった・・・って話をコロタン文庫系の児童書で読んだが、
同時期の鉄道ファンや鉄道ジャーナルによると鉄道弘済会担当も何割かあったのね。 新性能電車が登場して以降の国鉄食堂車の窓って、ナシ17、ナシ20以外はサシ151に倣った横長の窓よね。
14系寝台車の場合、寝台車は20系みたいな大窓なのにオシ14だけ座席車横長窓。
(座席車も特急電車に倣った横長窓だったが) 20系は編成美重視、その後は立って見るもんじゃなく
着座基本の食堂は高さない窓でいいから。窓は小さい方が
構造強化と軽量化が両立できる。ガラス代も安いよ。 寝台も3段のは大窓だが、2段になった24/25や14/15は横長の細窓
国鉄的には窓小さくしたかったのが本音でしょう。
バブル期にグレードアップ改造で485や183/9が広げられたのは景気のお陰 >>385
オハネ25形(オハネフ25形)0番台は大窓だよ
寝台側の窓の上下寸法が小さくなったのは100番台から
単に上段固定化したからであって国鉄的に窓を小さくしたかった訳じゃないだろう
通路側の窓は変わらんかったし まぁでもあの辺は合理化だよな。合理化で固定化したから窓も標準化
妻面の窓も小さくしてる。切妻にしたし。昭和50年近辺の製造はそんなの多い
オシ14のころはそれほどでもなかったけど、やっぱり電車、サシ581なんかと同じ設計にして
作る側や働く側の面倒を避けたんだろうね。確かに窓は大きい方がよかった
>>381
オシ17 >>387
>確かに窓は大きい方がよかった
食堂車で席に座って外を眺める時大窓は必要ないと思うけどな >>388
そうかな。100系の食堂車はよかったよ。マシ26も
オシやサシ581は天井高いから余計大きい方がよかったと思うけど
まぁでも長居されても困るから、数を捌かなきゃいけない食堂車の居心地は
そこそこの方がいいかもな >>387
同じ食堂車だし電車・客車・気動車区別なく仕様を似せれば部品もある程度共通化できるからってことか。
納得できる。 >>384
挑発してスマン。
読み辛いのよ。
なんか編成美とか外れてる感じだったし。 グランドひかり仕様の0系食堂車があったらしいが全然見たことない。伝説だ。 西もち編成で使ってる椅子がグランドひかり編成と一緒の奴か
トワイライトエクスプレスも同じ椅子を使ってたしな >>397
いや平屋。
「食堂車バンザイ」という本の表紙の画になってる。
東海の博物館で展示されている36形の食堂は
オレンジの椅子と青の椅子の組み合わせだけど、
あれも元は奇数車両と偶数車両で、オレンジの椅子だけ、青の椅子だけってなってたそうね。
確か一番奥のソファブースも同様。 同じ列車に乗っていても食堂車やビュッフェで食事するのは裕福な印象で、
車内で駅弁がっついたり、おにぎりモグモグしてるのはなんか貧しさが漂っていた。
ゴミを出さないからかな? そもそも値段が倍くらい違うのが多かったからね。
当時も1000円超え駅弁はあったけど、昭和55-60年なら
500-700円中心、食堂車は900-1800円くらいデフォ >>323
あのサンドイッチのピクルスが好きだったな、今時のサンドイッチにスウィートピクルスなんて付いてないよな。サンドイッチ自体が高級料理だった。 >>378
従業員の入れ替え(すぐ辞める)が多い会社ほど質は低くなるの法則 食堂が2両有るときには別メニューで営業していたのですか。 20系時代の『はやぶさ』『富士』、北陸トンネル事故前の『きたぐに』などの長距離・長時間列車食堂車の従業員は
始点から終点まで乗り通しだったのかね?
それとも門司や新潟などの主要駅で交代? コロナ禍が落ち着いたらサフィールヌードルとグランクラス弁当も
しれっとここのカテゴリに入ってたりしてな >>405
はやぶさ、富士は、24系化後は少なくとも門司で交代してた。
新幹線博多開業前の20系時代は、西日本の食堂車乗務サイクルが大幅に違ってたので、
門司で交代してたか分からん。
しかもブルトレ営業が、日本食堂独占でなかったので。
きたぐにも更に古いので分からんが、同区間運転だった白鳥サシ481は、青森の通し乗務だった。 もし食堂車営業列車がそれなりにあった国鉄時代に今のコロナ騒ぎが起きたら、
食堂車は全面営業休止になるのかな?
現状でもグランクラスや、サフィールのヌードルバーも休止してるし。
瑞風、四季島、ななつ星も当面運休中になってるか? コロナ感染拡大の対応だつたら、営業休止だろうが、オタは食堂車で宴会するんだろうな 86年3月25日、就職直前でヒマだったので東京から浜松の巨人−西武のオープン戦に行った。帰りのこだまのビュフェに行ったら、野球の関係者パスをした男性とコマモテの男性の2人組。
何となく見覚えが有ったが、TBSの多田護アナと、この日はSBSで解説の田宮謙二郎氏だった。多田アナが「今年も巨人の優勝は無さそうですね」まあ、そうなったけど(笑)
田宮氏がシュウマイをおごってあげると「先輩、有難うございます!」
お二人とも鬼籍に入ってしまわれたが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています