夜行列車総合スレ★16
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日本の夜行列車も2019年2月現在で定期運転しているのはサンライズ「出雲」・「瀬戸」だけになり、臨時列車で
何とか走っている「ムーンライトながら」・「ムーンライト信州」も一時期より運転数を減らして残すのみとなり、
これらもいつまで運行が継続されるか不透明な状況で今後が気になります。
その一方で「ななつ星」「四季島」「瑞風」「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」など、豪華な客室を売りにする
寝台列車は従来の夜行列車とは全く趣向が異なる、ツアー方式クルーズトレインへの業態転換が特徴です。
当スレでは、もはや輸送列車としては絶滅寸前となった夜行列車全般について、
過去の列車の思い出話を中心に語ることで雑談などをします。
辛うじて現役である列車やクルーズトレインは、鉄道路線・車両板の個別スレでお願い致します。
※個別スレへのリンクは>>2以降で
前スレ(夜行列車総合スレ★15@鉄道懐かし板)
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1527218739
上記同名スレ@鉄道総合板はこちら
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1517052329/ 未来がある民衆が多かったからレジャーが流行っていたわけで、
今の状態では未来どころか金のない民衆が多いのでレジャーなんて流行らない
アメリカ同様「ビンボー人はバス(グレイハウンド)に乗れ」 そもそもレジャーのハードルが上がってるからねえ
井の頭公園や洗足池でスワンボートに乗るとかデパートの屋上の遊園地で遊ぶとか
レジャー扱いされない昨今だし >>347
難易度的に
交流の周波数切り替え>交直切り替えなの? >>351
3電源EF81電気機関車による交流の周波数切り替えは途中に直流を挟んでいた。
大阪から東海道・湖西・北陸・信越・羽越(白新含)・奥羽経由で大阪まで直通
列車に乗ると直流→交流60Hz→直流→交流50Hzと3ヶ所で電源切替をやってた。
同一AC電圧での周波数切替をすると地上の変電設備の周波数特性が完璧でも
ACは1分当りの位相が50回変わる(50Hz)のと60回変わる(60Hz)だけでも
架線からパンタを経由して位相10回分を調整してもACゆえのばらつきが生じて
それにより電位差のロスによって電動機に負荷が掛かる事による運転中の
ガックンや乗り心地が悪く事があるので機関車牽引の走行中に直接隣接にて
周波数を変える事は行わなかった。
しかしvariable voltage variable frequency inverterが機関車に搭載され
ればDC区間を挟まずに運転する事は可能。
AC=交流、DC=直流、位相=繰り返される現象の一周期のうち、ある特定の局面のこと 冬の夜行での蒸気暖房は心地よかった
ただ、電気と蒸気が途中で切り替わるのはとても寒かった
特に電気から蒸気へ変わる時は機関車を付け替えた時から少なくとも30分くらいは寒かった
臨時急行列車で1回だけあったと思うけど、何だったか思い出せない 冬の夜行列車でスチーム暖房だと機関車が変わってスチーム送気が
中断して冷えた後に別の機関車からスチームが送られると金属の
膨張音でカンカン音がするのは冬の旧客夜行列車の風情を感じてしまう。
各客車から蒸気が漏れて更に機関車から吹き上がる蒸気は古き良き、
日本の旧型客車の夜行列車浪漫というか哀愁を感じてならない。
急行利尻、急行狩勝、急行大雪は下りだとED76 500からDD51へと
機関車が代わり、両者とも蒸気発生装置搭載でスチーム暖房だったし、
鈍行はやたま(南紀)もEF58からDD51に代わるとこれまた両方蒸気での
暖房。九州は鈍行ながさきがED76とDD51両方蒸気暖房だったので
冬は夜空に蒸気が上がるシーンが見られた。
東北は直流・交流区間ともEG搭載の電気暖房で風情は無く、末期まで
定期夜行急行が旧客だった越前や能登もEF62・EF64の電気暖房で残るは
山陰線や福知山線くらいだった。 >>353
でも200系で長野まで行ける編成あったよね
あれってVVVFじゃないよね
そもそも交直セクションと同じ設備で周波数切り替えも出来そうだけどな
それなら難易度は変わらんよね >>358
長野五輪のF90編成の事書いてるんだろうが、長野は50Hzエリアな >>359
長野県は基本的には60Hzだよ
北陸新幹線も新軽井沢き電区分所より下り側は60Hz
北陸新幹線 新軽井沢き電区分所の
異周波数切替セクション
http://deadsection.image.coocan.jp/dead_sec/shinkaruizawa/shinkaruizawa.htm
今は新潟県が50Hzな為に新高田き電区分所で50Hzに変わって、新糸魚川き電区分所でまた60Hzに変わる
ちなみに長野県は基本60Hzだが50Hz地域も存在する
新幹線とは関係ないけどね
https://www.chuden.co.jp/home/shikumi/shi_keiyaku/hertz/index.html 軽井沢どまりのE4系P50番台編成と勘違いしとらんか 長野県内は電力会社が輻輳してるから(東北電力・中部電力・東京電力?)な
黒部とかは関西電力だな。この際だから北陸電力って地域はあんのか? >>363
>長野県内は電力会社が輻輳してるから(東北電力・中部電力・東京電力?)な
全域中部電力エリアだよ
黒部の昨期までの関電トンネルトロリーバス、今期からの電気バスは関西電力直営だが電力は中部電力からだよ
電力自由化で中部電力から卸売、小売的には自社給電って形になってる可能性はあるけど 岐阜県飛騨地方に3ヶ所、北電管内の地区がある
・飛騨市神岡地区(旧・神岡町)
・飛騨市宮川地区の一部(旧・坂下村)
・郡上市白鳥町石徹白地区(旧・福井県大野郡石徹白村 ※1958一部を除き岐阜県郡上郡白鳥町と越境合併に伴う) >>358
そいつはVVVFは交流電源から交流に変換してると思いこんでる知ったかヲタだからw
10回分の位相を調整とか笑いが止まらんわ 電力会社スレになって悪いけど!!
昭和50年代前半に上田市の証券会社にオンライン端末機導入されるんで
現場調査(現調)に行ったら店舗内の電気工事が絡んでくるので、工事業者と
打ち合わせを行ったが、その時に東北電気工事(現:ユアテック)の名刺をもらった。
上田市は50HZ区域でその当時は東北電力管内だったんでないかな?呆けてるけども(笑い) 爺さんが昼行の臨時列車のことを書いたら、スレ違いだとキーキーしてるのがいたけど、最近の機関車、電力会社ネタにはみんな寛容なんだな。 >>344
量産車はそんなもんだね
あとはED30 IIとED46ぐらいか >>369
確かにスレ違いなんだが間違いは正しとかないと駄目だろ >>363-365
長野県には関西電力の送電線もあるね
中央道の伊北あたりにある送電線がそれらしい 関電のトロリーバスって、中部電力の電気で走ってたんではなかったっけ?
何とか、鉄道関係の話題 トロリーバスは、バス・バス路線板そしてこの板の2つにあった
しかし、どちらともあまり需要がなかった
この板 11レスで落ち
バス・バス路線板 22レスで落ち
もし語るなら、バス・バス路線板で語るのがよいだろう >>375
そりゃあ発電所はエリア外にもあるからなあ 夜行列車の大半は新聞輸送のために走らされていたから
なので、下りの荷物車は満載なのに、上りの荷物車はそんなに積まれていないといういびつな状態
さらに新聞や雑誌の輸送は国鉄荷物輸送を巨額の赤字に追い込んだものの一つ 新聞輸送の夜行列車と聞くと急行鳥海(801レ)を思い出す
下り列車の最後尾に連結されたスニ41やスニ40の2両は
新聞パレット輸送専用車になっていて上野〜新津の連結
だったと記憶している
他に新聞輸送は急行のりくらのキユニ26でも行っていた 新聞や雑誌の輸送料は普通荷物料のほぼ半額だったから >>384 毎日、一定量の需要が確保されるのなら、割引率高くしても問題なし。通勤定期と似た話 >>385
片道輸送・深夜の積み込みや積み下ろしで駅職員を配置させなければならない
会計検査院から荷物輸送での新聞雑誌輸送について改善勧告が出される
http://report.jbaudit.go.jp/org/s56/1981-s56-0180-0.htm >>383
昔の大垣夜行347M/344Mや中央線夜行441M/442Mは先頭か後尾に
荷物電車のクモニやクモユニを連結して新聞輸送してた時代もある。 東武鉄道500系「リバティ」を使用「尾瀬夜行23:55」2019年も運行
東武鉄道と東武トップツアーズは、尾瀬への登山に便利な臨時夜行列車
「尾瀬夜行23:55」を5月31日から10月12日までの金・土曜日のうち計
31日間運行すると発表した。今年も特急車両「リバティ」を使用しての
運行となる。
https://news.mynavi.jp/article/20190430-815286/ 急行阿蘇で14系編成の下り方に新聞輸送でマニ37が繋がってたけど
下りは良いとして上りだと機関車との間に14系が入るから蒸気暖房
が出来ないはずだけど事実上の回送車だから問題無かったんかね? 急行越前には1968年10月ダイヤ改正以降定期列車としての運行終了時まで
福井客貨車区(金フイ)のマニ37形が連結され、新潟県西部地区向けの
朝刊の輸送に使用されていた。 >>393
どこの辺りまで「越前」が新聞を輸送して、それより先はどうだったのか知りたい。
金沢や福井はどうだったのか。 全国紙が地方紙印刷所に依頼してデータ通信を開始したのは、
電電公社の専用線(データ通信)がサービス開始した昭和45年前後
なんでしょうね。 >>393
「越前」廃止後も、上野〜金沢は「能登」がそのままのダイヤで運転されてたが、
その朝刊輸送もしばらく継続してた? >>394
急行越前の新聞輸送は上野から直江津までの区間のみ
機関車交代(EF62→EF81)で10分停車(2:52-3:02)して
たから新聞荷物の取り出しに好都合だった。
金沢や福井は大阪からの急行きたぐにで輸送してたのかも?
>>396
急行越前が廃止になった1982年11月15日からは急行能登が
信越線経由になったけど新聞輸送は継続されてないと思われる。 朝日毎日新聞 富山から福井 大阪本社管轄
読売新聞 高岡に北陸支社があってそこで発行
北陸中日新聞 金沢に本社があり石川富山分発行
新潟西部だけ3大紙は東京本社管轄で東京から輸送されてくるのだろう 新聞輸送って県内の結構な範囲向けの部数だと思うんだけど僅か
1両の積載スペースで済んでしまうもんなのかな? >>399
新潟日報とか北國新聞とかの地元紙がシェアの殆どを占めている地方において、
全国紙なんか特に事情のあるごくわずかな人間しか読まないんですけど >>399
新潟日報
NGT48を事実上の封印に追い込んだのはまぎれもなくこの新潟日報だからなあw
NGT48のキモハゲヲタには悪いけども、地方紙や地方局なめてはいけない特に、新潟日報新潟放送は田中角栄系であり、田中角栄全盛期とは比較にならないが、今でも新潟ではものすごい力があるよ。 >>391
元国鉄の車掌である模型店店主のサイトより
>14系併結時代は車軸発電機を2台にしてこれで乗務員室の暖房にしたそうですが24ボルトの暖房でどれほど暖かかったのでしょうか
ttp://www1.odn.ne.jp/fujiwaramokeiten/syashin.html
ttp://www1.odn.ne.jp/fujiwaramokeiten/mani37203.JPG
ttp://www1.odn.ne.jp/fujiwaramokeiten/aso.JPG
> 探せばありました、マニ37203の写真。84年8月26日 広島にて 新聞輸送で大阪からやって来た荷物列車の返却列車にて 荷1032レ広島発7時05分。
>この日「73系車両部品販売号」が呉から可部まで走るので「呉線73系の再来」乗りに行かんといけないと考え早朝広島駅で待っている時撮ったものです、
>早起きは三文の得。
> 元スロ50 7→マニ37 3→マニ37 203となった車両です。手前の電池箱が増設されたもので12系以降の新型が付いています、エコーの新型でなく
>エンドウの新型客車の電池箱ですね、箱の奥行きが深い。となりのエアータンクも新型です、航送用のフックらしきものがあります(U字形のもの)。
>14系併結時代は車軸発電機を2台にしてこれで乗務員室の暖房にしたそうですが24ボルトの暖房でどれほど暖かかったのでしょうか(14系には蒸気
>暖房の引き通し管がないので最後部だと暖房が効かない為)。
>この写真の荷1032レは11両中マニ37が2両、他はパレット用のマニ44やワキ8000.運転扱いの車掌1人の為にEF58や61のSGを炊いていたのでしょうか。
> 14系の急行のお供といえば「マニ37」!グリーンマックスのキットやカタログを見て育ったお子様(現在はおじ様の手前)には馴染みのある14系併結改造
>の200番台。KATOの14系の前につなぎたくてウズウズしている方がおられるようですので奈落の底に落とす写真をどうぞ。
>80年9月21日 遠賀川〜海老津間203レ「雲仙、西海」ED7648
> 10月の改正で消える14系急行の走行写真を撮る為、先行の「阿蘇、くにさき」で先回り、見知らぬ早朝の住宅地をウロウロして何とか撮った写真です。
>今となればマニ37の細部写真の方を撮っていた方が尊敬されたのでしょうが。 そかしこの元国鉄車掌の模型店店主の写真のサイト、チキ車で運ばれる広域転配中の国鉄バスとか、旧客改造の旧マニ30とか
EF66+12系2000番代の回送とか、救援車のオンパレードとか、広島を中心にネタがかなり多い
ttp://www1.odn.ne.jp/fujiwaramokeiten/syashin.html
ttp://www1.odn.ne.jp/fujiwaramokeiten/syashin2.html
ttp://www1.odn.ne.jp/fujiwaramokeiten/syashin3.html >>404
パレット輸送のマニ37は駅での荷物の積み下ろし時以外は原則として車内は無人 >>405
今の子には郵便車で言うところの護送便や締切便っても伝わらないものな。 荷物車で灯油ストーブを使用していた地域もある
名古屋で車掌をされていた方が書いている「昭和の鉄道員ブログ」にもそこそこ登場する 昔は荷物列車の方がメインだったな特に東北本線とか鹿児島本線等交流電化区間
人権が置き去りにされた高度経済成長期公害花盛り時代ならではの時代の闇だな 昔は車軸から動力取り出して冷房動かしてる車両も有ったからそう無茶な話じゃ無いかもな マニ30は某趣味系のみたまんまで書込みする事もタブーだったしな 2003年まで紙幣を鉄道で運ぶこともあったというのに驚いた。とっくにトラックになったと思っていた。 急行銀河は104列車だとEF58次位にマニ30系を連結して
現金輸送車として活躍いていた時もあったな
マニ30系は警備員(鉄道公安職員・鉄道警察隊員)用の
寝台兼用座席があってオロネ14形客車と同様の構造だった。 郵便車で区分した経験者から少し聞いた事あるが、締切便と護送便の区別がイマイチ分からん
もっと詳しく聞いておけば良かった 取扱便 車内で郵便局員が消印・仕分けを行う 普通荷物車
護送便 郵便局員の護衛付「締切便」
締切便 駅間無人輸送。停車駅で郵便局員が施錠を解除して郵袋の積み卸しの出し入れを行い再び施錠
上3つは郵便車もしくは合造車の郵便区画を用いるのに対して、下の1つはそれらを用いない
託送便 郵袋単位で鉄道事業者(国鉄・私鉄)に輸送を委託し、小荷物と同じようにして輸送 夜行列車も鉄道郵便があった頃までが華やったな
1984年2月に取扱便、車内継走区分が廃止
この辺りから夜行列車もつまらなくなった 本格的な登山をしたことがないので教えてほしいのだが、昔の中央線の「アルプス」や松本経由長野行きの鈍行で出発して翌朝山に登るひと多かったよな。
座席の夜行なんて大して寝れないと思うが、そんな状態で山に登って疲れない、というか危なくないのか? >>418 多少寝不足でも歩き始めたら慣れてくる。っていうか、登山口から急勾配を重い荷物担ぎながら登っていくから、どうしても目が覚める。 >>418
今マイカーの方がよっぽど危ないんだが
少しは考えたらどうだキモい鉄ヲタ君w >>418
昔、長野県内に住んだことがある。登山客にはいい印象がなかった。
夜行の通路に寝るために敷いた新聞紙を放置するので、その後に乗る一般乗客が迷惑。
朝の待合室を我がもの顔で占有。
急行自由席乗車列の先頭の一人か二人が車内に入るや窓を次々に開けてホームにいる仲間が荷物を放り込んで十数人分の座席を占領。
もちろん一部の者の行為であろう。
夜行車内の散乱した新聞紙を黙々と片付けるグループの姿が新聞の投書欄で報告されていた。
芳しくないのに限って目立つので。 >>418
当時の山男連中は平気で寝てた
ボックスに二人掛けがデフォ
リュックをうまく使って簡易ベッドにする
新聞敷いて床に寝てる奴もいたが、通行客に踏まれるリスクがあった
強者は網だなに寝ていた
新宿でてすぐに寝始めて八王子では完全熟睡
それが甲府すぎると目覚ましもないのにもぞもぞ動き出し
韮崎・小淵沢・茅野あたりで消える
日が昇り始める上諏訪であらかた客が入れ替わり地元の通勤客が乗り初めて
辰野より先に行く山男はまずいない >>418
山岳連中は新宿発車してすぐに寝るので小淵沢まで5時間寝れるから
問題はないよ。それに新宿駅の入線も発車約2時間前なのでその間に
飲み食いして新宿発車後に寝れるみたい。
441M利用の登山客やハイカーは殆ど早朝5:01到着の小淵沢駅から
小海線に乗り換えて八ヶ岳赤岳へ行く乗客が多く、塩山駅から
山シーズンのみバスの接続があった大菩薩嶺へ行く人は稀だった。
因みに441Mの5分前に発車した臨時の普通9431列車も同様だった。
441Mは上諏訪で48分停車して松本着が8:04、長野着が9:43だし、
大糸線との接続は悪くて普通は急行アルプスを使う。 >>425 40年前に441M乗ったが、大月で富士急の臨時に乗換えて富士山吉田口五合に行く連中も結構いた。まだ、吉田口砂走で降りてこられた頃だが。
それに甲府で南アルプス方面に行く連中が結構降りる。だいたい、テント担いで高山縦走のような本格的な登山する連中は、午前4時〜5時台には行動開始している。八ヶ岳赤岳日帰り位だともっと遅い時間に登山口に着いてもよいが。 40年前言うのが結構ポイントなんだな。これがもう少しあとになると恐らくは、中央道のバスかマイカーメインになる。 5月末から6月末にかけての尾瀬方面への沼田駅での降車客もすごかったな
JR沼田駅前が、ひと・ひと・ひとで埋もれてたっう感じだったな
それは、上野駅から夜行急行が到着するam3:00頃の光景だったか?
25年前くらいの話しなんだが、夜間早朝の新幹線運転がなかいからJR沼田駅に
集中してしまうのか・・・・・・ >>279
時代的にヒット曲で歌詞に「夜汽車」と入るのはチェッカーズの「夜汽車の窓にウオウオウオ 指で書いたねアイラービュー」辺りが最後?
1985年くらい? 1985昭和60年と言えば急行きたぐにが583系電車になったまさにあの年なのか34年前ならまだまだイケてた思ってたが 急行きたぐにと言えば1978年10月1日までの青森まで運転して
12系座席車にスロ62のグリーン車と大阪〜新潟間は10系のB寝台
とA寝台を連結していた時代が華だった 食堂車があった北陸トンネル火災までだろ。
もっと言えば「日本海」の愛称を召し上げられるまで。 1972年11月に起きた急行きたぐに北陸トンネル火災事故までの
急行きたぐにを知ってる>>433は65歳以上の老害ジジイですね 老害ジジイどころかおまえさんと同じくわざわざ懐かし板で知りもしない時代の話をさも知っているかのような顔して語りだかるガキだから安心しろ >>431
1985年は東北・上越新幹線が上野開業の改正で、同時に夜行列車は縮小されている。
夜行列車縮小は、その1年前の1984年2月改正でもかなりだった。 >>432
ごおさんとお以降も青森発着
57年11月改正から新潟短縮 >>438
そうだろうね。
でもグリーン車の有無程度ではクオリティーがそんなに落ちたとは思わない。
その意味では>>433かもしれない。
しかし新幹線博多開業前は、「高千穂・桜島」の24時間以上走る急行があったので、
食堂車の火災以外で「きたぐに」の注目度は低かっただろう。 急行「桜島・高千穂」は東京駅を10:00に発車して西鹿児島には
翌日の正午12時台に到着した全車座席車で1975年3月改正で廃止
廃止2年前に小学生1年か2年の頃に両親と東京駅から熱海駅まで
乗った事があるけど153系の急行伊豆・おくいず・東海に比べて
ぼろい事しか記憶に残ってない >>441
そりゃ冷房はなく、乗降ドアが手動の雑客車だったからw
でも当時は日中の東海道本線を走破した唯一の優等列車だった。
東海道本線内で重要性が薄く比較的空いていて、区間利用または乗換えを嫌う長距離客や、
周遊券での利用が主だっただろう。
東海道本線の昼行列車と、関西〜九州の夜行列車を足した列車だった。 急行能登と立山の関係みたいなもんだな
長岡駅や直江津駅での乗り換え必要ない急行として確かに重宝がられてはいたが快速電車まで冷房車なのにシビアだった 急行立山は北陸ワイド周遊券の自由周遊区間内の仮眠乗車が便利だった
敦賀〜糸魚川間は上り立山と下り立山を組み合わせれば敦賀で寝ると
地獄だけど組み合わせて特に下りでは安心して仮眠する事ができた。
富山22:40→(506M)→1:48敦賀2:22→(505M)→7:07糸魚川
定期急行立山は10両編成でシーズンオフの時なら自由席に空席はあった。 だから乗り鉄は鉄道会社から上客扱いなどされないんだよな 国鉄夜行の地鉄・立山乗り入れと言えば急行立山3号→特急立山と急行むろどう→特急むろどう
国鉄路線内は急行で運転して地鉄・電鉄富山から立山まで運転。457系の立山ならともかく、
キハ25やキハ55のむろうどうが地鉄線内では特急になるのは如何だろうかと思った事がある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています