懐かしの国鉄電気機関車
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ガキの頃、東海道沿線に住んでいた。
踏切で列車を待っていると、小刻みで軽やかな先台車のリズムが聞こえてきて、
「あっ!ゴハチ(EF58)が来る!」と、列車の姿が見える前から判ったのが懐かしい。 東海道といったらやっぱEH10でしょ。特に1〜4号試作機は量産機と違って、バンの位置、車体長が異なり、異彩を放っていた。 おいらの時代EF58は荷物列車とブルトレのイメージ
上野口の夜行急行なんかも
ワキ、ワムフの長大編成EH10は見てみたかったなー EH10が引退したのは俺が厨房の時だなぁ…
走行写真は撮れなかったが、新鶴見機関区の一般公開で見た。
EF15、66なども展示されてた。 ダッタン、ダッタン、ダダ、ダダッ、ダダッ、ダダッ、ダダッ、ダッタン、ダッタンと行くEH10の牽く長大編成、中学生のころ消えていった。
ちゃんと撮ってないんだよな。小学生の頃なんて、雑魚釜扱い。ああもったいない。
旧貨物線、現スカ線を行く姿も懐かしい。 >>8
漏れもEH10は雑魚扱いだったなぁ
ガキの頃の興味って、旅客列車>>荷物列車>>貨物列車だったから。
だからEF60なんかもあまり好きじゃなかった。 邪道と言われそうだが、PS22Bに換装されたEH10も結構好き。
(でもゴハチ・ロクイチのはNG) 小・中学生の頃、横浜駅では沢山の機関車が見られたものだった。(EF15・58・60・65・66そしてEH10)
貨物線が羽沢に移ったせいもあるが、今や「富士・ぶさ」の66のみ。(それも来年の春で全滅)
東横線は地下に潜ってしまうし、今の横浜駅には何も感じる所は無い。
>>9
昭和50年代はじめの東海道東京口では、65P牽引のブルトレ、ゴハチ重連客線経由の荷35レがスターだったな。
貨物では、一応ロクロクが一目おかれていたが、それ以外は雑魚。EH10はもちろん多分EF15なんかもまだ走っていたと思うのに。 夜のホームで電車待ってると、ゴオーという爆音とともに闇の中から
EH10の引く貨物が通過していった。
あれは恐ろしかった・・・ 後にも先にも例がない黒塗りで、
しかも2両連結というのが強烈なインパクトだったなぁ。
新しい時代の仕事が出来そうな機関車って感じだったが、
子ども心には何となく取っつきにくい感じがした。 >>16 その視点は新鮮だね。
EH10の黒塗りは、貨車に合わせたって聞いたような肝酢。
黄色帯は、ワキ1000とかの急行便にあわせたんだっけか
それとも日通のテーマカラーからいただいたんだっけか。 やっぱ東海道貨物はEH10だよ!小学時代、東海道スターだった!
あの重苦しい重圧感がジワリジワリ迫ってくるのが好きだった。
小学時代の当時、藤沢−辻堂間の引地川にかかる鉄橋で度胸試しやったよ。
あの頃、引地川の鉄橋は線路と線路の間に一段下がって鉄板が敷かれていて、
高学小学生は皆、そこに寝そべって貨物が通過するまで度胸試した。
鉄板は今で言うガーター橋の高さ位だった記憶してるが。
枕木の下で寝そべらないと相手から丸見えになるが、たぶん毎回見られていたので
お巡りさんが毎回毎回駆けつけて来たなw
低学小学生は鉄板に下りると上がれない高さだったので鉄橋下で度胸試し。
最低5人6人で多い時は結構な数が居た記憶。
小学校で問題となり毎回毎回先生が「危ない遊びは止めましょう」と言っていた。
でも、うちの小学校だけじゃないんだよねw
そこら中の小学校生がやっていたんだしw 福島市で生まれ育ったこともあり、ED71に対する思い入れは今でも強いです。
晩年は、運転席側テールライトのみが外ハメ式に改造されたり、
ブタ鼻ヘッドライト改造車両も多くなりましたが、
愛嬌ある顔つきはその後の電機に継承される事なく終わってしまったのは残念でした。
しかし、あの頃の福島は、交流電機好きには天国みたいな所だったとシミジミ・・・・。 >>21
今じゃ機関区ごと消えてしまいましたね… >福島 ED72, 73, 75, 76、EF30で、さくら、はやぶさ、みずほ、あさかぜ、富士、あかつき、明星、彗星
私は、HM缶が無かった世代ですが。 オイラは…、
>21
EF71の重連に超萌え萌え
>23
EF30の四重連にも超萌え萌え >>21
祖父が福島(笹木野)に住んでいた為、福島機関区は行き帰りの車窓のみならず
自転車でもよく見に行ってました。
DE71の1号機が廃車になったその後も車庫にしまってありましたよね?
扉の隙間から覗くとスカートが半分取れてるソレが見えてびっくりした思い出が。 京阪神の省線電車に乗っていたら、横をEF15の貨物が良く併走してました
スピードが遅くて、楽々追い抜かして行く電車に優越感(?)を持ちました。 EH10は中央東線での勾配区間運行試験での失敗でセノハチ超えをあきらめたという。
そしてそれによって、わずか27年で現役引退に追い込まれた。 >>17
名鉄7000のデザインを担当した萩原政男さんの提案
だね。
国鉄の塗装規定に例外を設けることになるので随分
もめたとか。
荻原さんといえば何と言ってもED72・73の鳩胸とED
72(量産車)・73・EF61の綺麗なサイドビューに尽
きるんだけど。
>>27
確か中間連結器の座屈か強度不足か何かが問題にな
ったんだっけ。>セノハチ越え
あと、中央東線での試験よか前の話じゃなかったっ
け?>セノハチ越え断念
EH10が短命だったのはもう一つ。電動機数が多い=
補修費がかかる割にEF60以下の性能でしかなかった、
というのも大きいとは思うけど。 ED72・73の鳩胸と黄色ナンバーは、
「どういう意味があるのか?」って、子ども心に疑問だった。 >>27
EF59とは速度特性が全く合わない(低速、高速どちらも協調困難)というのもあった。 九州特急の通過は上下とも夜中の筈だが、何故か見覚えがある。
新幹線から見たにしては、随分そばで見たような気もするし。。
消防の頃は当然の如くだった20系も新幹線0系も、EH10も、
遠い夢の中。 ゴハチを追いやった事で嫌われがちな下関のEF62。
カラコロ、カラコロ…と高速で駆け抜けていく姿は、格好良かったな。
ただ、パレット&マニ50主体の短編成ばっかりだったけど。 そういえば、国鉄末期、浜松でEF58を運転させてくれる体験会があった。
参加しておけばよかった・・・・・・ 前面のヒゲがサビてる58をたまに見かけたが…あれはステンレスではなかったのかな? ステンレスでも錆びることはある。
一般的なSUS404でも、通常の環境でも錆びが出る事がある。
何十年も過酷な外気に当たって、ポツポツと錆びが浮く程度なら、
それなりの状態。 飾り帯ステンレスは、60、61だけ。普通は、クロームめっき。で、なにをクロームめっきしたかは・・多分、次の人が答えてくれるw
ちなみに、同様の勘違いは、60、61の下回りがステンレスという勘違いがありますね。あれは、ただの鋳鉄を傷の発見を容易にするためと装飾のため無塗装にしてある、というのはここの方には常識でしょうが。
保護のためグリスが塗ってあり、懐かし世代の普通はそれに汚れが付着して茶とも黒ともつかぬ色になっていたのがデフォ、でも最近はいつも綺麗にしてありましたね。そこがちょっと不自然でした。蛇足失礼。
オレはEF58よりEF61の方が正直好きだった。
新幹線博多開業前にも関西ブルトレを稀に61が牽引したことあったよね。 >37
なるへそ!クロームメッキだったのか
>38,39
製造両数が少ない形式にはオイラも萌えるな〜赤ならED74とか♪ コンパクトな旧型電機が好きだ。
飯田線のデッカーは別格として青梅線、五日市線、大久野線、南部線のED16は
渋かった。西国立にはED16いっぱいいた。奥多摩工業のホキ似合ってた。
青梅線終点が氷川だった頃、奥多摩湖畔までダム工事用の廃線跡を歩いた。
あそこまでED16が入線していたのだろうか? そう言えば、EF15って、国鉄末期まで、山手貨物線なんかで結構見かけたんだよな。 >>41
水根線は妃殿下ですたよ。
川崎機関区浜川崎支区だかどこだかのC11が入ってますた。 熊ン蜂EH10。
もっといろいろな派生型があってほしかった。 >>39,40
EF61派が漏れ以外にもいた
新系列のボディでSGの蒸気吹き上げるのが好きだった(だからED76も好き)
昼前に名鉄神宮前の御田踏み切りに行くと荷38レがマニの入換えをやっているの良く見た
その後しばらく待っているとEF66+レサ10000の「とびうお」返回も見れたっけ
南近畿ワイドで旅行中「はやたま」待ちの間大阪駅に行ってブルトレとか撮ったけど
その時の写真の中で一番のお気に入りはSGの蒸気を噴きながら発車待ちする荷31レのEF61
金が無くてモノクロ、自家現像だったけどこないだフイルム見たら奇跡的に無事だったのでスキャンして保存した 今、恐ろしいものを見てしまった。
ワム80000…をEF66更新機が牽引…
まあ、そういう時代なんだろうが、それにしても国鉄型機…特に66とDD51の更新機は醜い色使い。
旅客のはいいんだが… 俺の好きなEF65よりはEF66の更新塗装の方が遙かにマシだ(´・ω・`) EHエリック…じゃねぇ、EH10の蛇腹を通り抜けた経験のあるファンはネ申だな。
>>43
情報サンクス。調べてみたら非電化でC10,C11が活躍してました。
それにしても最近は廃墟ブームであそこはかなりの人に紹介されてますね。
またまた疑問なのですがなぜ横浜線の貨物レはC58からDE10になったのかな?
当時、[八]にはEF11,EF13,EF15,EF64,ED61X2など居ましたが重すぎたのかな。
[国]のED16ならぴったりなのにと思ってた。電車も72系だったし・・・
>>49
>横浜線
まつたくの仮説だけど、途中、連結解放する駅の側線に
架線が張られていないところがあったのでは。 なるほど。橋本、原町田駅など田舎くさかったからね。
橋本には非電化の相模線があるからなおさらDLの方が好都合だったのかも。
近年は団臨でEF64やEF65が入線していると聞きました。
昔は単線で木の枕木ペンペン草付きでは無く立派な複線レールに変貌だもの。 EF80が出てこないのは寂しいので出してみる。
20系ゆうづるに乗りたかった。orz 昔は機関車の付け換えで特急や急行でもそこそこの停車時間があったからのんびりしてて良かったよな
朝食の駅弁買ったりさ…懐かしい >>52
消防の夏休み、朝7時台に尾久→東大宮回送で近所の線路端で見たね。
越前回送のEF62と並んでうるさい機関車という印象が残ってる。
今考えると、尾久で一度機回ししてコック操作とかしてたんだな…。 >52
オイラはEF80の地元だったが初めてEF81を見たときは「なんて新しいんだ!!」と思ったな
水戸で旧客を長時間待たせてED75にスイッチしてたっけ… SLの保存はアチコチで見るけど、ELの保存はあまり見かけないので寂しい EF57は天プラも製品化されたし本物も復活してほしいねー >>64さん、
引退後はどうなるの?大宮の鉄道博物館で展示? 高二に留置されてた頃は、色褪せてぼろぼろだったので、せめて色位は塗り直してやろうっつーところから話が始まって、動態保存につながったっつーけど、よくそこまで話が広がったものだ。(余剰人員の活用というのもなくはない?)
それにしても、さよなら運転はトカ線でしてほしかった
馴染みの機関車はED16。鶴見線や南武線によく撮影に行ってたので。初めて見たのは小学校3年の時で、ずっと外国の機関車だと思ってました。
あと思い出の機関車はEF8022号機。1981年上野で撮った写真が最初で最後になりました。日立製の機関車です。 >>67-68
国鉄末期の増収策の一環で撮影会とかの開催が多かったとはいえ
とりあえず展示用に補修を計画→各部を点検したら機器の状態は良好→
足回りの状態も問題ない→構内走行だけで良いから動態復元を…という流れが
いつの間にか大宮に入場、本格的な修繕になってしまったからねw
東海道は本線復帰直後の沼津区100年記念イベント(一般公開でも展示)で走ったな。
元が特急「富士」「燕」牽引機だっただけに最後にもう一度東海道を走って欲しかった…
56とか57の広々とした両端デッキは
一体何のため?
ガキの頃の素朴な疑問だった。 バイトの子が乗って「電車がくるぞー」って叫ぶんだよw 線路上に人がいたら、デッキからダッシュして追い払うんですよね 分かります。 それは明治時代の京都N電では。
「電車が来ます。あぶのおっせ。」 つか戦後のドサクサであのデッキに乗った人とか居るんだろうな >旧型電機のデッキ
特別料金キロ当たり10円出すから乗ってみたいw >旧型電機のデッキ
EF57のデッキならあるけど、結構どころか、かなり揺れるよ。
昔はデッキの出入り口のところに、開閉式の扉がつけられて
いた記憶がある。 >>71
車体は貨物機と一緒だから先輪2軸の旅客機は広くなるんだよな。
>>77
58はその位置に運転台があるんだぜw >>75
戦後どころか、50年代でもガキんちょが一杯のってる写真があったと思うが。 拾い物
ttp://up2.viploader.net/pic/src/viploader824254.jpg 俺の好きな上越型だが、ど派手な殴り書きなぁ・・・(´・ω・`) 団結号なんて若いファンはしらんだろ。
蒸気の時はまいったけど、電関だとご丁寧にビラまで
貼ってあって以外に面白かった。 あれって白墨の粉を溶かしたヤツ?それとも校庭のライン引き用の石灰?
現代の糞ガイジンとその真似っ古事記の落書きは
メッセージ性は無いのだが容易に消せないのが癌。 消石灰は、Ca(OH)2:水酸化カルシウム
皮膚などがアルカリでやられるよ。注意wo つか昔は汚い機関車が多かったよなw
茶色は目立たないけど前掛けのクリーム色とか交直のローズ系 >>91
修理用部品が調達困難とかの理由だけどねえ…納得いかん >>93
戦前の機関車なんだから無理いってはいかんよ。 SLの場合は動輪とかボイラ管がネックみたいだけど、旧式のELだとどこら辺? あのボロボロだったEF55が、よく復活したモンだと思ったモンだが。
アレを見るに、電機に限らず、金さえかければたいがいの機関車復活は
出来るんじゃないの?なんて思ってしまう。 そうかカネか!
残念ながら旧型電機には蒸機ほどの集客力はないのかな? 何が旧型電機で、何がそうでないのか、イパーン人にはわかりにくいのかも。 ジーゼルカーを電車とか言ってる自称鉄ちゃんはざらに居るからな @戦前に製作されたもの
A戦後に製作されたが基本設計は戦前からのもの(ex;EF58)
正直、EF66以前ももう旧型だよな。
いまの66やらPFって58で大騒ぎした昭和60年前後の時の58の車齢越えてるぜ。 >>93
ひょっとしたら、今の世では使っちゃいけない部品が使われてて
その取替えがきかないのかも。水銀系、PCB系とかアスベスト系とか…
家庭用の蛍光灯の安定器でも型が古いとやばいのあるもんねえ… 安定機や開閉器の絶縁、配管接続のガスケットや防水シールも、当時はアスベスト使用がデフォ。
今じゃ絶対に使えない。全部を更新するなら、新造するより高価かも。 >>100
簡単に言えば省型と国鉄型との違いでつなぁ。 そんな調子では横川の体験訓練も「懐かし」くなりそうだ やってくる機関車のえり好みをしない俺でも、
あー、またEF15だ、ってのはあったな… >109
オイラの場合は、またEF65-0だ…ってパターン 反面、釣り掛け国電とか旧客は見向きもされていなかった。 0系新幹線だって、在来優等を淘汰した存在として
味気ないとか旅情がないとか、昔は相当嫌われてたもんな。 >>116
夜中まで走ってたほどなのに、
今や青梅線の貨物自体アッケなく廃止になってしまった…
ED16だと武蔵新城の高架を登れなかっただろうとのアヤシゲな説… >>114
全くだ。
今日書店で、0系の書籍が山ほどあったのを見て、滑稽だった。
民営化されるまで、誰も見向きもしない存在だったのにな。
個人的には0系は、大窓転クロがなくなった時点で終了だから、
今更騒いでるのが馬鹿らしい。 >>118
同意。
俺も1000番台以降の0系は興味がない。 さあ、今のうちですよ
103系EC撮るなり録るなりするのは
それとEF65やらキハ47系やらもw >>119
交通科学博物館なら来年1月中旬迄
0系展をやってる 末期になると>>118や>>121みたいなのが必ずでてくるなw
葬式ヲタを馬鹿にするヲタw それまで見向きもしなかったくせに、なくなるとか言われると、
急に懐かしがったり、ありがたがったりするヤツが多いからな。
親がガン宣告されて急に親孝行するようなもんだ。
普段から愛着あれば、そんな気にはならんだろ。 普段から愛着あれば尚の事最期をみとってやりたくなるんジャマイカ? 最終日のホームで鈴なりになってカメラ構えてるような人々に愛着があるようには思えないのだが…。 >>124 125 126 128
胴囲でつね。
ミ〜ハ〜連中が押し寄せるはるか以前に
愛着を持って撮ったり録ったり(盗りはしませんよ)します。
本当の愛着とこのようなもんでしょう。
SL最期の2〜3年頃、10系DCを録ってたら変人扱いされましたが
それで良いのです。 知らない奴が多すぎるな。
普通に「セカンド方(かた)」と呼称する。
「にえんど側」と、言い出したのは昭和50年ごろから。
そう、蒸気が用途廃止になった年だな。
蒸気は「こうしきがわ」「ひこうしきがわ」と一般に呼ぶと
思われているが、山陰地区では「セカンド方」と呼ぶことも
あった。
ちなみにPCでも「車重」ではなく「軸重」乃至は「整備重量」
なんて呼ぶ現場もあった。
中央鉄道学園の教科書を読んだことがないなら、黙ってな!
神戸に居たので大半はEF65「並型」、
たまのEH10や58がうれしかったよ。
当時憧れの、先台車付き茶色旧型電機は
竜華にしか居なかったかな。 >>130
軸重ではなくて、自重(じじゅう)では。
でないと、意味が変わってしまう。
慣用的にそう呼称していた現業機関があったと言われれば
否定のしようはないけど、、 >>130
空気読めない爺じゃなくて自慰は、年金もらうまでROMってろ 本当のプロは自慢せず、素人の愚問にも馬鹿にせず答えて下さる。
プロ気取り、業界と同体化の錯覚してるヤツが優越感を保とうと自慢する。 国鉄電機と言うと新宿駅東口側にあった円い顔のイラストがいくつも並んだ看板を思いだす。
(^o^)←こんな顔が羅列のイメージだった。 >>140
あった、あった!
あれが見えると、ああ帰ってきたなあと思ったものだった 新宿駅のあの顔のイラストの前でよくEF13や15が発車待ちをしてましたよね。
必ずと言っていいほど待機中の機関士さんはマスコンとブレーキに足を乗せてたっけw >>145
いえいえ、空系にはまったく門外漢ですが、
前に、戦中には迷彩塗装の機関車があったと何かで読んだものですから。
画像で確認がとれてやや興奮しています。
終戦直後の撮影だから残っていたのでしょう。
きっとD52あたりにもあったに違いないかと。 海外ですと、ドイツ系の鉄道模型で迷彩版が商品化されていたと思います。
また、月刊誌の鉄道不安の出版社の本で、迷彩機関車の写真を見たような気がします。
(写真でつづる鉄道の歴史…みたいな本だったかな?) 「EF57ものがたり」に8号機の迷彩塗装の写真が載ってるね 迷彩の電機の写真って結構あるのですね、ありがとうございます。
スレチ?だけど、蒸機の写真も見てみたいものです。 EF65 F型は1年間ほど東京発着のブルトレの牽引をしていたそうだが、
その姿を収めた写真には、未だにお目にかかったことがない。 ED911,11,21暖房車引いてた。仙山線。作並からはED14かED17に交換して山形へ。 >RF 1982年何月号だったか、EF65F特集(6〜9月?の4回)にあり。
513〜517のどれか。 ふと思い出した。
本当はP型(500番台)なんだけど(手違いで?)一般色で
出場してしまった機関車がHM付きでBT牽引中…
という写真を鉄童不安でみたキガス。 >>156
そういやそんな記事を見たことあるな。
手違いというかデビュー当初はわざわざ一般型と
塗り方を区別してなかったとか、そんな理由じゃなかったっけ?
>>156-157
EF65の501〜504が一般色で出てきちゃったね
EF60の500番台が特急色だったのでEF65で塗り分けない理由は無い >156-158
一般色で出たのはEF65 502 1両のみだったのでは。
一般色が茶→青クリームになった際、特急色は対象外だったが、大宮工場の勘違い。
他に大宮の勘違いによる塗りわけミスは EF60 512・513の一般色 EF65 501の塗り分けミス
最近見た記憶があったのでいろいろ探してみたら
「鉄道青春時代 東海道線」の川崎ー鶴見のページに
白黒写真があった EF65とパンつきカニ22のコンビって存在したんでしょうか?
時期的にはありそうなんですが、今の今まで雑誌で見たことないです。 >>163
ある個人の方の鉄道趣味HPでそれらしい姿を見ました。
s42の夏季とのこと。
カニパン側からの後追いでHMは見えませんが、65の500番台でしょう。 164
同じ方が撮った みずほ(HM)があった。
65(P)+カニパンで、間違いないッ。 ttp://jp.youtube.com/watch?v=rJ04gnGQbO0&feature=related EF51見たかった…ED19は現役時に見たけどカメラ無し… ED19って飯田線沿線のどこかに保存してありましたよね。
ED18っていまどこに居るんでしたっけ・・?
そろって保存させたいですね。
ED19 1 見に行きましたよ。
伊那松島駅から西へ、どうやって行ったか忘れましたが。
状態は悪くありませんが、屋根は無いです。 おまいら貴重なD型旧形式を見られてうらやましいぞヽ(ノД`)/ 今思い返せば竜華って恵まれてたんだな
EF52EF15ED60EF58・・・最後はEF60も
和歌山まで行けばDF50も来てたし >>174
ED61っていつくらいまで阪和線走ってたんでしょうか?
60と区別がついて無かったからかも知れませんがあまり覚えてないんです 俺は奈良の扇形庫で見たな<EF52
奈良駅付近は先日二十年ぶり位に行ったがあまりの変わり様にびっくりしたよ。 急行「しろやま」を牽いていたEF61、驚くばかりの蒸気を吹き上げてやってきた。
てっきり、電機が火災を起こしているんだと思い、駅に通報した覚えがある。 昭和40年代後半、上野口で鉄だった俺はEF57だよね。
EF65も東京口の500番台より上野口の1000番台が好きだった。 57は覚えてない世代だけど、宇都宮の65-1000は好きだったなー。
東京口の奴はスノプラが無くて、ちょっと間抜けな印象を受けた。 スノープローが無いとパンツ履かずにズボンみたいでスカスカだよな >180-182
東京口のPF、スノープローが無いよりも、ナンパーがエッチングになって
読み取りにくいのが気になった。
パンタもPS22になり、看板のブルトレを牽くにはかなり安っぽいなと感じた。
上野口のPFは耐寒構造の文字通り1000番台で500番台とは一線を企していたが、
東京口のPFは単に500番台やゴハチの置き換え用で、ツララ切がついているのに
スノープローや汽笛カバーが無くて間抜けだった。 東京口PFは新製直後はスノープローは付いてたらしいけど、
すぐに外されちゃったみたいだからね。
前任の500番台には付いていたのだから、
わざわざ外してくれなくてもなぁ・・・ >>185
制輪子交換するのに邪魔だから外したんだよ
頻繁に交換するのでプラウがあると作業効率が落ちる 昔、下関に信越からやって来たEF62があったが、80qのスピードでは、
EF58やEF66に劣っていた。
元々山岳線用のカマだからね>EF62
高速走行は本来の使用目的じゃなかった。
信越で余剰になり、たまたまEGがあったから白羽の矢がたった。
無理な運用であぼ〜ん・・・思えば不幸なカマだぁね。
>>188
廃車になるところを、
転属先があってもう一花咲かせられただけ幸運とも言える、
まあ信越本務機のくせに補機の影扱いだから、
もともとが幸運な方じゃ無いけど、
でもあのうるさいブロワー音は大好きだな、
62よりうるさい電気機関車って他にあるかなぁ? >187-188
山男やスキーヤーは山で見ると美形だが、
平地で見るともっさりして垢抜けしない。 東海道山陽スジの荷物列車を、すべて下関のEF62に置き換えるのを前提に、
準備段階として、ゴハチが下関に集中配置された。普段は浜松持ちの運用に、原型窓の宮原のゴハチが
入ったりして楽しかった。 スノープローといえば、寒い寒い碓氷峠のEF63にも付いてなかったね。
やはり、あのゴチャゴチャした連結器回りのせいなんだろうか。 関東⇔中越の貨物が信越線が切られ上越&中央ルートになったことで
EF62とEF64の明暗がくっきりわかれたんですよね。 振り返ればもう25年前
ついこの間のような気もするのに四半世紀前だよ… 東海道のEF62は高速長距離運用で故障が多かったらしいね、
せめて歯車比さえ変更すれば普通に使えたと思うんだけど、
スキーヤーをスキーヤーの格好のまま平地で使ったら、そりゃー疲れちゃうよ、
>>194
碓氷峠でスノーブロウで蹴散らすほど積もったら、そもそも運転が難しいんじゃないかな? プラウ、プロー、プロウ。。。ブロウ???
統一せんか。 plow か plough なんだよな
英語読みなら、プラウだろうな。 本や雑誌ですらバラバラだから統一は無理でしょう、
わかればどれでもいいのでは、
でも現場の人がどの言い方してたのかは気になるけど、 国鉄というと戦後限定なのかな。
西武にブラウンボベリーとか古典的な電気機関車がけっこういたけど、
あの辺も元は鉄道省だよね。
池袋でもよく見かけた。 >>207
スレタイトルの事ね、
思い出や思い入れがあるなら、
無理に国鉄につなげなくとも、私鉄の西武E851や東武ED5080でも構いませんよ、
みんな同じ、思い出の日本(国)の私(鉄)の(電気機関車)や! >>199
カープに昨年「ブラウワー」という投手がいたwww >211
近江鉄道ですね
貸しレにたまに行くがいつも大荷物なので寄ったことがない >>212
あれはもう近江鉄道の物持ちの良さというか奇特さに脱帽するほかない
車齢86年〜79年という文化財レベルの電気機関車がゴロゴロと、
しかも使いもしない機関車を、ED14とED31に至っては同形式で複数(3両以上)揃えてあるってのが信じがたい奇跡 ED14は束が大宮用に(東海道・仙山線ゆかり)、ED31は倒壊が名古屋用に(伊那電鉄の遺物)、
それぞれ欲しがるんではないかと ED14ED31まだあるのかよ。
すごいね。
30年以上前でも、おお、まだこんなの走ってるんだという感じだった。 北陸在住のオレはEF70が好きだった。
ED74は見たことないけどね。
ガキの頃、高架化前の中央線だと中野・荻窪
・吉祥寺・武蔵境・国分寺が貨物扱い駅で、
頻繁に立川区のED17が入れ換えに出張って来
ていた。
当時の沿線住民にとってデンカンと言えばデ
ッカーで、あのいでたちとグワヮヮヮ〜ン〜
という走行音が鉄の道への入り口となった。 >>217 雪中で日本海の先頭に立つ1000番台の勇姿は北陸本線ならではだな やっぱJNRの電機と言ったら俺は「エッチトウ」だな。
重連タイプの構成はもちろん、EF15なんかの三倍位広そうな運転室も印象的だった。 >>216
30年前だったらどこの私鉄も車齢50年オーバーの
EL持ってたんじゃない? >217 >219
同意、EF81より北陸線に似合っていた。
九州に行ってもそれなりにブルトレ牽引に当てられていたとこからすれば
名機としてもおかしくない。
>220
EH10は勿体無いな。
国鉄貨物がもう少し元気良ければまだまだ活躍する余地があったのに・・・
貨物なら何を牽かせても絵になっていただけに余計に惜しい。 似合ってたとか、絵になってたとかw
EF70もEH10も過渡期の機関車だからあんなもんだろ。
まぁEF81は汎用性ってだけで使われすぎの感はあるが。 2両1ユニットで他に例を見ない黒塗りで如何にも強そうなのに、意外としおらしいEH10 >>228 機関などの中身は旧型だからね。
EF66に、熊ン蜂の塗色をしてほしい。最強にイカツいだろう。 やっぱ、機関車には力強さを求めるよなぁ。
内容はともかく、デザインは。 S57の夏だったかなぁ
敦二のイベントへオヤジに連れて行ってもらったのは・・・
EF70の運転席に座ったよ。
当時小学生のオレでも膝が機器にあたって狭く感じた。
オレがEF70が好きだった理由は
「国内初のF級交流機はオレの住んでる北陸にしかないんだぞ!」
って云う単純な事だったと思う。
オレが生まれた頃にはもうブルトレ牽引からは外されてたはずだし。
EF57の八甲田、EF58の霧島/高千穂に乗り慣れ
た身にはEF62の白山の鈍足さがガックリきた
中速域からの伸びが全然無く、中央線のEF13
普レと大差がなかった
横軽越えの本務機でEF63との総括制御を考慮
したとしても何故同じギヤ比にしたのだろう
未だに疑問だ 62のギア比を63と合わせないと
横軽の下り(坂を登る)のときに不都合だから仕方がない、
瀬野八ではEH10が補機と合わなくて運用外されてるしね、
横軽は66.7‰もあるから合わないと大変な事になる。 あと、ずれてるとノッチ進段したとき当然本務と補機で負担が変わる、
片方が粘着出来ずに空転、
もう片方も負担が一気に全部来るからつられて空転、
全車大空転、
急勾配だとこうなる、
だから62と63はノッチ数まで合わせてある。 そこを承知で専用機同士、何か技術的工夫が
出来なかったのかと
もしくは横軽両駅に機回し線を上手く設けて
本務/補機とも63とするソフト面での逃げは
無かったのかと
色んな意味でEF62には徒花を感じる >>237
横軽両方で○キするの?その方が面倒じゃ? EF62
他に例のないC-C
イカツいマスク
直流機では1番好きだったけどなぁ 妥協だらけ設計、
捕機の方が人気ありすぎて目立てない、
そんな日陰者のEF62、
俺は大好きです。 まさに碓井の明花EF63、碓井の徒花EF62ってとこだね こういうのってさ、後から得た知識で記憶を上書きしちゃってるんだよな。
特に東海道荷レ置き換えの時の話は印象強すぎて、62は58より云々って話になってる奴が多すぎw
少なくとも上野−高崎間で62の越前や妙高が、58の能登や鳥海より遅かったわけじゃないし、今の81あけぼのや
64北陸と比べても所用時間は変わらないから。
山から下りさえしなければなんの問題もなかったのに、東海道に下りたばっかりにそういう印象で語られるのが62。
>>236
ノッチ数違うよ。まぁ弱め界磁の部分だから横軽は関係ないけど。 夜行の表定速度持ち出して何が言いたいんだよ 馬鹿野郎 山形機関区祭でED75に体験乗車した時にまわりのボタンとかをパチパチいじったら
機関士から怒られた。当時3歳ということで許してくれ。 >>244
それはエレガンス・アッキーの発表会んときのか? ED75のノッチってすごい数なんだろ?
20段変速みたいな 交流機は多い、
それだけ粘着しやすいって事だね、
運転映像で見るとノッチ進段のスピードも早くて面白い。 ED75は34段。自動進段の65がSPの弱メ除いて11段。58が25段。確かに忙しそうだ。
でもあの発車は逸品。 ここ数日で語られてる機関車たち。
漏れにとっちゃ、さして懐かしくないのだが。。。 75はともかく62辺りが懐かしくないと言うならば、
貴方達はある意味幸せなのですね‥ >>249
あんなにどこでも頻繁に見れた存在なのに、今は貨物15台+東5台の計20台しか動いてないらしい。
客車夜行の車内から見た深夜の黒磯の赤ベコ溜り場の雰囲気が好きだったなぁー 大丈夫ですよ、もうすぐに不況で鉄本買
い漁っていたユトリ屑鉄が壊滅して居な
くなりますから
鉄懐板の真骨頂はそれからでしょう 小牛田までじゃね。最後の頃は山王まできてたよ。
貨物だけじゃなくて、客レも山王発藤田行はED71だった。 陸前山王発藤田行き?
いつ頃の話?
ちなみにED71は東北のELなのに
スノウプラウが付いていなかったよね
豪雪地帯を走ってたわけじゃないしな。強風の名所を走ってただけだし。
でも今より雪は積もってたし、すごい強風でも列車はちゃんと動いてたな。
いなほの脱線以来、強風に対する危機感が変わったからなぁ 71はエキサイトロン整流器が凍結しかねないんで北へ持って行けなかったんだっけ。
しかし、思えばこの機関車が50年前の開発、
その他の国鉄標準型機関車各形式も、EF64-1000を除くとみな40年以上前の設計なんだから、
古いよなあ。 EF66 100代を作るときは純然たる新型を設計するイトマが無いため
みたいなことが書かれていた。
逆に今は一から作りたくてももう作れないだろうけど。 >>262
ED75は盛岡以北電化対応だから耐寒耐雪構造 さらに700代の耐塩害装備(だから碍子が青?)ってのも… 81とか75の碍子が緑…
あれはグリス。時間が経つと落ちちゃう >>264
完全に盛岡以北対応になったのは51号機から(1〜50号機も改修したが) >266
グリスだなんてしし知らんかった(゚Д゚;)━! >>268
あの緑は絶縁関連のグリスで、全検上がりの直流機もパンタグラフにちょびっとだけ塗られてる。
さっきニュースで旧東京機関区での撮影会やってた。
P、PF、66の3両並びの。
わびしかった。
逆に昔、ブームの頃、東京発ブルトレのヘッドマークつけた
Pが7、8両横並びで写ってた記念切符を思い出したよ。
もう30年ぐらい経つんだね。 東京駅で写真を取っていたら運転台に入れてくれたのが今じゃ信じられないね。 >>272
そだね。でも東京駅でそれやると、俺も俺もで人だかりになったりしてたね。 俺もEF65506の運転台に招き入れてもらったよ。
周りに何人かいたけど、誘われたのはなぜか俺と友人の二人だけ。
まだ周りの連中もおとなしくて羨望のまなざしを受けたっけ・・・。
その他八王子でEF6435、青森でED75、上野でEF5889、
和歌山でDF503、その他にもいくつか「乗るか?」って声をかけられた。
今じゃホント信じられないね・・・。 昭和末期には、わりにあったんだな。
おれも北陸本線の某駅でFE81に乗せてもらった。 >>275
俺は平成一桁の頃、真夜中の岡山駅で
迂回の『出雲』牽引に来ていたDD51 1177の
運転室に上がらせてもらったことがあったな。 JR化直後のトロッコ列車がDE10(スレチでスマソ)だったかな?
割と長い停車で運転席に載せてもらったな。帽子も被せてもらった。
イベント列車みたいなもんだから、実質的には撮影会みたいな感じで、
他にも並んで乗せてもらった子どもが結構いたけど、
そういうのも厳密にはダメなのかな。 JRで乗せてもらった人もいるんか、びっくり。多分最近は厳しくなってダメたろうね… 小学校の頃、学校が終わった時間くらいにいつも、
鎌倉駅の上りの側線にEF15の貨物列車が入換をするでも無く、長〜い間止まっていたなぁ。
EF15カッコ良くて好きだったけど、貨物列車が発車するまでは待てなかったなぁ〜 俺も予備校行く前に千葉駅でEF65の貨物眺めてたなぁ。
国鉄じゃなくてJRになってからの話だけど。 貨物なんかボンヤリ眺めていないで英単語の1つも覚えろよ!w EF15の切り抜きナンバー機は値打ちがずいぶん落ちた。
安っぽいよね。
1980年台半ばくらいまで山手貨物線を走ってたデッキ付は何? >>283>>284
ハゲド
>>286
EF15じゃない?
あれよく見たら80年代半ばか。
その頃でもEF15って走ってたのかな、嘘だったらスマソm(´・ω・`)m 80年代半ばは分かんないけど、走っていたならEF15だろうね。
個人的な記憶では12は高崎の吾妻線に飛ばされ、13と15が首都圏貨物だったかと。
あとは青梅南武のED16。
年代まではちょっと…
近くにあったもの程記憶に疎いね。
父の実家の磐田(浜松の近く)駅で長いデッキで悠然と入れ換えをしていたなかなか優雅なEF18も、気付けばいつの間にか廃止になっていた。 東北線の普通列車では混雑が酷い時はEF57のデッキに乗車するのが黙認されていたらしい。
実際にその画像も見た事あるが、戦中戦後ならいざしらず今なら考えられない事ですね。 ベテランの人に教えて欲しい。中央線の主であったED61牽引の客車列車を見た人いますか。当時はEF64牽引の客車(臨時列車?)しか見たことありません。このオヤジも既に50過ぎました。
もし牽引してたなら茶色塗装だったのか、教えて下さい。
>>291
ベテランではないのですが、「鉄道写真記録集 鉄道青春時代−中央線」(久保 敏、小山 政明著 電気車研究会刊)
の65ページに、ED61 12が牽引する客車列車の写真が載っています。場所は笹子駅で、撮影日時は1966.5.3とあります。
塗りわけからすると茶色塗装のようです。
清水越えEF16の画像は数多いが、EF10-13が清水越えしてたころの画像は片手くらいしかない…。
そういえば川端康成の雪国の挿し絵に、煙を吐く蒸気機関車が
画かれてたら、それはおかしい、とはよく言われますね。 もう時効だから書くけど・・・国鉄時代はいるんな個性ある運転士さん居たな〜
営業列車の機関車便乗とか何度かあったよ。
塗り替え直後、ピカピカのED75711の運転台に乗せてもらって
もうじき退職するから写真撮って・・・とか。
ED71にモグリで便乗させてもらった時は、ダイヤに余裕ありすぎるから
時速40キロしか出せなくてゴメンとか。
到着駅でバルブ写真撮ってるの入るから、停車時間長めにに欲しいので、
多少あおり気味で運転お願いしますとか言って、○○→○○間、96キロ
あるのを64分で爆走させたり・・・。(最高速度100なんだけど・・・)
楽しかったよ。
>>295
「雪国」の時代には、もう越後湯沢駅構内には蒸機はほとんど入らなくなってたわけだからな。
早くから電関の縄張りになってたって点では、丹那トンネル以降の熱海と同じで。
挿絵画家には言うべき事を言っておかないと何を書かれるかわからないのだが。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
「雪国」が描かれ始めたのは昭和10年だから、当然ED16だろうね。
F級大型機が本式に転属してくるのはもう少し後で。 ED75はナショナルのCDラジカセの機種番号とかぶる・・・。 いく度にすれ違って撮りそこなう EF81 304 、よく持ちこたえたものだ。 最後のSG付き新製機は何だろう?という質問はこのスレで出たんですっけ?
たしかじゃないけど、日豊本線全線電化に合わせて昭和54年に
増備された ED76の 1000代ではないかという説を聞いたのだけど桶? >>306
それで合っていると思うよ
54年当時電機でSG必備なのは九州地区だけだからね
>>307
それはどうも。
桜島の灰対策で、キャブの側窓がアルミサッシになっていた奴ですよね。
ナンバーが切り抜き文字じゃなかったような(そういう時代だったし)。
九州には何度も行ったけど何故か本物に出会ったことがないな…
微妙に懐かしくなくてすみません… ED72だかED73だかの黄色いナンバーはどういう意味合いがあったのだろう >>308
1000番台後番は切り抜きじゃないが最近の全検明けの奴はナンバープレートのレタリングが上手くて浮き出てるように見えるんだよな。 >>311
よし、懐かしの彼方になる前にまた九州いくぞ
(ED76後継機の話は好景気が戻るまでオアズケ?)
>>309
どっちかの1000代だけナンバー黄色だったような?
高速貨対応とかの意味じゃなかったっけ?(只今出先でぐぐれない) >>309
ED72量産型は残っていればなぁ
73はあぼ〜んされちゃったし 常磐専用だとばかり思ってたけど
実は東北本線でも走ってたと最近知った ヒサシ付きなら上越線用のEF58がカッコよかったな〜
あと、EF16のいる水上機関区を訪問した時、
どの機関車も丹念に磨かれているのに感動した。
デッキ付き電機の運転台を拝見したのもその時が初めてだったけど、
狭いけどマニアックな感じの運転台だったな〜
男の職場って感じかな? 水上機関区とか天の川とか鳥海とか臨時佐渡とか萌えるよね ハァハァ(*´Д`) ひさし付の上越型ならEF65 500Fもカッチョ良かったなぁ。
EF65だと1000番台が好きな俺は異端なんだろうか。 >>321
パンタが下交差じゃないやつは俺も好きでした。 後期型も嫌いではないのだけど、
殆どがスノプラ無しってのが好きじゃね(´・ω・`)
実際には元から付いてた奴をすぐに外しちゃったらしいけど、
あの頃の電気機関車で(ほぼ)デフォルトでスノプラ無しなんて、
他には殆ど例はなかったよなぁ。
そういやEF63は無かったか。
後期型でもスノプラが付いてれば割と好きだよ(`・ω・´) >>323
1118号機まではプラウ付きで落成
EF60やEF65基本番台は雪の少ない東海道〜山陽メインだった為、殆どプラウ無しでしたね EF70初期型やEF61もカッコイイ
EF62は丸っこくてどうも。65PF初期型ヒサシなしはかっこ悪い。 呼び方はね。
でも上越の58や65のヒサシの本来の目的はツララ切りだよ。
EF16なんか貫通扉やライトにもつけてた。
81も上越越えするからってツララ切りつけたけど、後付の65FやPF初期型と同じでライトにはついてないね。
だからイマイチ締まりがない。
64や64-1000はライトにもツララ切りついてるし、PFも1018からついてる。
ので、PFは1018〜1039が最強。 >>328
同じEF16でも上越線用に改造されたカマは前面窓だけだったけど、
奥羽線から転属してきたカマは前面窓だけじゃなく、
前扉、前照橙、それに汽笛カバーにまでツララ切りがあって、
それにスノープロウを装備した姿は格好よかった、
一度屋根に水タンクを装備した奥羽線時代のフル装備状態をみてみたかったなあ。 >>332
お前さんもしつこい奴だな、
そんなにヒサシ付きと言われるのが嫌なら本や雑誌の出版元に抗議してこい。 灯火管制ライトを思い出した
(モノホンを見たわきゃ〜ないが) >>309
亀レススマソ。
ナンバーが黄色なのはED73。
ED72と区別するために黄色く塗られたと75年頃のRF交流機特集号で読んだ記憶あり。
交友社の電気機関車展望に掲載されていた写真では、S39年頃、博多乗入151系つばめを牽引していた写真ではナンバーを白枠で囲まれていた。
懐かし板だし、
ここでひさし、って言ったら=つらら切り。って普通に理解される
かと思ったが凄いな。
あと、雪国(純文学)の挿絵に、ED16を描けってのもなぁ?
史実と物語は違うだろ〜? 懐かし板だし、
ここでひさし、って言ったら、つらら切り。と普通に区別される
かと思ったが凄いな。
懐かし板のスレで、ヒサシ=ツララ切りと、
「普通に理解される」と思っている人が居るとは凄いな。
これは出版元に抗議してもよかろう(W)。
ツララ切りとヒサシは、似ていても別物やし。 ヒサシ付きなんて通称だろ?
あだ名をどうこう言ってもね、
わかりやすく例えると、
「あっ、ムーミンだ、」
「いや、あれはEF55だよ、」
「え、だからムーミンだろ?」
「違う、あれはフィンランドの妖精じゃない、EF55形直流電気機関車だ、」
「だから、ムーミン=EF55だろ?」
「断じて、スニフやミーと会話したりしない、あれはEF55だ、」
「・・・。」
こんなん、まわりは呆れちゃうよ、
みんなツララ切りだって知ってるって。 いや、あれは野球帽をかぶったおやじだ。断じてそうだ。 ここはひとつあいだを採って
「ヒサシ切り」としようじゃないか そう、広工のEF58やEF67、EF66あたりはヒサシで間違いないな。
>ヒサシ付きなんて通称だろ?
>みんなツララ切りだって知ってるって。
ドン引きするわw
>>347>>348
そのとおりだね
広島工場改造のEF58など左右一体バイザーは
純粋に日避け効果を考慮した構想で「ひさし」
どーして温暖な広島に「つらら切り」がいるのかね
見た目が同じで呼名がいろいろな通称が有るなんて
懐かし板で言うのが板杉だな
そんなのは出版元に抗議してやるよ
>>344
> こんなん、まわりは呆れちゃうよ、
アンタに呆れるってことだよな
> みんなツララ切りだって知ってるって。
アンタはまったく何も知ってないじゃん EF65の話だったにEF66までもってきちゃたね、
だから、本や雑誌でツララ切りが通称ヒサシ付きって堂々と書いてあるんだから、
嫌なら抗議してこい。 それいうなら、ムーミンのニックネームを引き合いに出す方がトンデモナイっしょ。 ヒサシかツララ切りかの、本質の機能に対して、
EF55のニックネームが、見た目が同様の例だってョ。
馬鹿馬鹿しいというか、情けないにも程がある。 残念ながら『つらら切り付き車両=ひさし付き』は
実際広まってしまっているよ
思うに適当な略語がないんだよね『つらら切り付き車両』には
なので、ひさし付きが嫌だと言う人にパッと言える略語を考えてもらおうじゃないか 小さい頃は横須賀線沿線に住み、その後新鶴見機関区の近くに住んでいたので、
電気機関車には憧れましたなぁ。
横須賀線にはEF10という機関車が貨物のメインでした。日産で生産された新車を一杯にした
ク5000を10数両つなげて走っていましたな。
このEF10は番台区分はされていないものの、多くの形態が存在していて、
その形態の全ての写真を収めるのに走り回った想い出があります。
ちなみに、そういう知識は当時のバイブルだった誠文堂新光社の「電気機関車ガイドブック」なんかが基本になりましたね。
また、久里浜機関支区というのがあって、ここにはここだけしかないED17 23、25という小さなデッキ付きの舶来機関車がおりました。
ヨロイ窓がいっぱいのサイドビューと、この小さなデッキの存在は、雑多なED17の中でもカッコ良さではピカ一でしたね。
あと、入換用にDD11、12という小さなDLも走っていて、案外横須賀線は面白かった路線でしたね。
晩年はEF15とかDD13なんかに置き換えられてしまい、そして貨物列車そのものが廃止されてしまいましたが、
今臨時貨物とかお座敷車両で入線してくるEF64、65なんかは、貨物列車が走っていた頃には一度も入って来なかったんですけどね。 ディーゼルしか無かった千葉県佐倉の近くに住んでいた俺にとっては、
電気機関車というのは憧れの的だったなぁ。
今や佐倉機関区は無くなってしまったけど、都落ちしたEF65が生で見られようとは。 まぁ、いずれにしても蒸気機関車だろうねぇ。
デゴイチものがたりという絵本に、ソクーリな場面があったのを思い出した。 > いずれにしても蒸気機関車
こんなの見れば誰だって分かるだろうよw 今でも銃弾の跡が残っている蒸気機関車ってあるよね? つか、電機釜が連合軍から攻撃喰らったという史実はあるんかな?
>>360
EF55 1は昭和20年8月3日沼津機関区で留置中に機銃掃射を受けてる
ttp://sankei.jp.msn.com/photos/life/trend/081108/trd0811081757013-p19.htm
ttp://image.blog.livedoor.jp/dd51842/imgs/0/9/092f5ce9.jpg >>357は「電気機関車スレだけど」って言いたかったのでは 下野市小金井にある小金井駅の陸蒸気の車輪も、実は、戦争中、敵機の機銃掃射を受けたC57の動輪。 >>353
誰も『つらら切り付き車両』の略語を思いつかないらしいね。
ちなみにつららを切るという目的と同時に、落下する雪や氷などから窓を保護する役割もあるらしい、
なので『庇付き』という言葉はある意味間違いではないと思う。 なんか知らんけど、略語にせなアカンらしい。
なんでやろ? 普通に「ツララ切り」でいいじゃん
略語!? 「ツララ切り付き車両」を略して「ツララ切り」だよな >>368
それだとツララ切りそのものと区別しずらくないかい?
特に文章を書くときに問題あると思う、
でも、ツララ切りに落下する雪や氷を防ぐ役割もあるなら、たとえライトに付いててもヒサシで問題無いな。 上越型はツララ切りが正式名だって主張はわかるが、なんで広島は通称庇でよくて上越はだめなんだ?
家屋の「庇」って日除けじゃなくて雨避けだろ?
ツララ切りも日除けも雨避けが目的じゃないけどどっちも通称「庇」でいいじゃん。 ひ【×庇】
[音]ヒ(呉)(漢) [訓]かばう ひさし
1 上からおおうようにして守る。かばう。「庇蔭(ひいん)・庇護/高庇」
2 ひさし。「雪庇(せっぴ)」
日差しから守ろうが、ツララから守ろうが庇は庇。
まあ、日本語の語源は、「日支し」らしいから、日よけがより日本語
の語源に近いだろうが、「ツララ切りは断じてひさしじゃない」と
騒いでたヤツの負けって感じだ。ごめん、俺はもうやめるよ。 3週間に及ぶ戦争が終わったから、戦犯たちの語録を負の遺産として、
記録しておこう。過ちを繰り返さないために。
弁明は許す、寧ろ聴きたい。
>>320 :回想774列車:2009/05/31(日) 00:00:36 ID:8j0QV6aY
あれはツララ切りだけどね。
>>326 :回想774列車:2009/06/04(木) 21:29:39 ID:0lkHKdQ+
ツララ切りです
>>328 :回想774列車:2009/06/04(木) 23:50:40 ID:jV18HSQJ
呼び方はね。
でも上越の58や65のヒサシの本来の目的はツララ切りだよ
>>330 :回想774列車:2009/06/05(金) 07:17:04 ID:Cz6SQtkZ
ヘッドライトに「ヒサシ」なんかいらない
>>332 :回想774列車:2009/06/06(土) 07:17:51 ID:FByxxi5R
必要なのはツララきり ヒサシは無用
>>342 :回想774列車:2009/06/07(日) 22:47:36 ID:nsgB4AMo
懐かし板だし、
ここでひさし、って言ったら、つらら切り。と普通に区別される
かと思ったが凄いな。
>>343 :氷柱霧 久:2009/06/07(日) 23:21:48 ID:rMndWnd/
懐かし板のスレで、ヒサシ=ツララ切りと、
「普通に理解される」と思っている人が居るとは凄いな。
これは出版元に抗議してもよかろう(W)。
ツララ切りとヒサシは、似ていても別物やし。
>>348 :回想774列車:2009/06/08(月) 21:19:00 ID:14bu1szU
そう、広工のEF58やEF67、EF66あたりはヒサシで間違いないな。
>ヒサシ付きなんて通称だろ?
>みんなツララ切りだって知ってるって。
ドン引きするわw
>>349 :回想774列車:2009/06/09(火) 01:04:44 ID:IJJzOD2z
>>347>>348
そのとおりだね
広島工場改造のEF58など左右一体バイザーは
純粋に日避け効果を考慮した構想で「ひさし」
どーして温暖な広島に「つらら切り」がいるのかね
見た目が同じで呼名がいろいろな通称が有るなんて
懐かし板で言うのが板杉だな
そんなのは出版元に抗議してやるよ
>>352 :回想774列車:2009/06/10(水) 00:52:45 ID:fQYmg1r/
ヒサシかツララ切りかの、本質の機能に対して、
EF55のニックネームが、見た目が同様の例だってョ。
馬鹿馬鹿しいというか、情けないにも程がある。 >>375
やめなさいって、
まあこれはツララ切り云々が問題じゃないだろ、
正式名称だしね、
ただ、正式名称以外勝手に使うんじゃねーよ!って、大人げ無い押しつけがわるいんだよね、
意味わかるなら正式名称・通称どっちでもいいのに‥ すげぇ粘着。こんなヒマなジジイが日本にゴロゴロしてんだろうなw >>377
鉄道ファンは真面目だけど、場の空気が読めなくて、
自分の間違った意見に固執する奴多いよ。 子供の頃、ツララ切りって専門用語憶えて、そのころの日本語に対する
知識で「日除け目的の物しかひさしとは呼ばない」って勝手に刷り込ん
じゃったまま大人になったんだろうね。
さて、新しい話題を振ると、飯田線におED62って旧国最後の頃は、添え物
みたいな感覚でしか撮ってなかったけど、一灯、貫通型、飾り帯付、小型D型
直流機となかなか魅力ある釜だったね。あれが1990年代まで現役だったん
だから貴重だったな。飯田線の風景には、幹線用のゴハチよりED62の方が
似合ってた。 残念だったな。ツララキリ派の諸君よ。
さぞかし悔しいだろうが、そのうち良いこともあるだろう。
何か反論があるなら聞いてあげようじゃないか。 つらら切りの連中はグーの字も出ない
いまごろは>>375を読み返して涙しているところ ツララ切り厨全盛の頃、
>見た目が同じで呼名がいろいろな通称が有るなんて
>懐かし板で言うのが板杉だな
とぶちまけた>>349に、EF5863についていたものについてのコメントを
是非お願いしたいww ちなみにEF66の庇は窓の汚れ防止
(高速走行でパンタや屋上機器の油が後ろ向き運転台に付着するのが、試作機で問題になったんで取り付けられた)
100番台になぜ付いて無いのかはしらん。 >>386
試作機で問題になっていたんなら1〜20号機はなんで庇無しで落成したの?
試作機のEF90が落成してから2年も後に量産されたのに不思議だね >>387
そう言われるとそうだね、
そんな重大な問題じゃないし、急いで設計変更する事もなかったのかな?
何でだろ? 昔、下関に信越からやって来たEF62があったが、
加速がEF58・EF66に比べて鈍い。80q/hで、EF62は、能力が低下する。
EF58・EF66は、80q/hで、能力が発揮する。
ツララキリ原理主義のやつら、どこに逝ってしまったんだ?
よっぽどくやしかったのか。 質問されてるだろ、つらら切り君。
ちゃんと答えなさい。 >>389
鉄道ファンに元運転士の話が連載されていたな
EF58とEF66を足して二で割ったら最強の電機になるとか
それにしても58は足速い!! >>389
東海道〜山陽本線をかっ飛ばす用には出来てない。
元々勾配線用でEF63と連結して使う所に意味がある機関車だ。
碓氷峠でのみ本来の性能を発揮する。
逆に言えば比較的軽量な客車牽引でも上越国境越えるのに
EF16の補機が必要なEF58は見方によってはショボイなって事になるかと。
EF58は勾配用には出来ていないからね。
まぁ適材適所ってこった。
>>389
足して二で割って悪い所集めた方が出来たりしてw
力が無く足が遅くて電気馬鹿食い足回りは旧形態・・orz
そういやEF66の勾配性能ってどうなんだろね? EG載せててまとまった数が確保できるってだけでEF62が登用されたって、今にして思えば無茶な話だね。
どうしてそこで、そもそも荷レに暖房が必要かって議論にならなかったのだろう。末期国鉄にそんな柔軟性はないか。 確か荷レって郵便車に郵便局員乗って仕分け作業とかしてたんで、
暖房必要だったんじゃなかったかな。
車掌とかは別にして荷物車の方に人が居たかはしらないけど。
でもEF62来ていくらもしないで荷レ廃止になってたから、
最後までEF58で我慢しとけば良かったとは思うけど。
あーでも余剰のEF62に少しの間でも仕事が貰えたと思えばいいのかなw
59.2で車内での仕分けは廃止じゃないか?
ちょうどゴハチが廃車→62置き換え準備で下関に集中配備されたとき(泣 EF58の荷レを、真冬の米原駅で撮影していたとき。
ウテシが荷物車か郵便車の乗務員に、
「寒かったらガンガン炊くから言ってくれよ」
みたいなことを言っていた。 んで。つらら切り野郎たちは何処に消えたんだ?
はやく出て来いよ。コッチはいくらでも相手してやるぞ!
これだけ言われてシカトはハズカスィだろー。 出てこないようだな つらら切りの連中
いつまで逃げ隠れするつもりだ ツララ切り厨房よ。
聞かれてるだろ。答えねェつもりか?
>>384は「是非お願いしたいww」って頼んでんだぞ!
どーなんだ、答えるのか答えねぇのか?
よくわからんが、>>374で勢い付いちゃったわけだな。平日の昼間に2chでブツブツ言ってるキチガイには
関わりたくないからスルーするとして…
ひさし【廂・庇】(日差しの意) _〔建〕_寝殿造で、母屋もやの四周にめぐらした下屋げやの部分。
そこにある室を廂の間まとも呼ぶ。その外に簀子すのこ縁がある。源氏物語桐壺「おはします殿の東の―」
_本屋から外側に差し出した片流れの小屋根。窓・縁側・出入口などの上に設けて日や雨を防ぐもの。
源氏物語宿木「―の御車にて」_軍帽・学生帽・鳥打帽などの、額の上に差し出た部分。つば。_庇髪の略。
広辞苑第五版
>>374はなんの辞典か知らんがどっちにしてもツララのことは書いてないね。つまり
>ツララから守ろうが庇は庇。
これは>>374個人の見解であって、もともとヒサシにはそのような機能はないんだから、こう言い切る論拠
がわからん。発狂して粘着してるおじいちゃんはボケてそんなことも分からずにレスしまくって得意に
なってるらしいのが滑稽、というか可哀想…
まぁ一般人が気動車だろうが、客車列車だろうが、ひっくるめて電車って言うのと同じで、
機能の区別もつけずに「でっぱってりゃヒサシ」って言うなら、それでどうぞって感じだ。
レールの上を走ってるのは全部電車って言うようなボケ老人に説明してもわからないだろうし。
ちなみに一般家屋の軒先や庇から垂れ下がったツララは雪が落ちる時に内側に巻き込んで窓ガラスを割る
ことがあるそうだ。普通のヒサシはツララから窓ガラスを守ってくれないね。非常に残念だ。
このレスを読んで、勝ちだ負けだ言ってる幼児退行した2ちゃん脳の痴呆老人が頓死しないまでも、スレを
荒らさないか心配ではある。まぁどっちにしろキチガイ相手になにを言っても無駄って感じだ。
ごめん、俺はもうやめるよ。 ところで、EF65 1119以降についてるものは、原理主義さんたちは何て呼ぶの? パンピー「あれ何?」
ツラ厨「トンネルの入り口から落ちてくるツララから窓ガラスを守る覆いだよ」
パンピー「ふーん、あの庇、ツララから窓を守るんだね。」
ツラ厨「違う!ツララ切りだ。」
パンピー「へーえ、ツララ切りっていう名前の庇なんだ。」
ツラ厨「違うって言ってるだろ!」
パンピー「えぇ?何が違うの?」
ツラ厨「庇じゃないって言ってるだろ!」
パンピー「え?え?何で庇じゃないの?庇にしか見えないよ。」
ツラ厨「お前はツララから守る覆いを庇って呼ぶのか?そんなこと辞書に書いてあるか?」
ツラ厨「だって窓の上にあって日や雨をよける覆いが庇でしょ?」
ツラ厨「だからあれはツララをよけるものだって言ってるだろ」
パンピー「…」
EF5863を見て
パンピー「(恐る恐る)あれって庇じゃないんだよねぇ?」
ツラ厨「バカを言え。あれはひさしだ」 トンネルの入り口から落ちてくるツララから窓ガラスを守る覆い‥‥ まあ、伸びたのを切るのと、落ちてきたのを防ぐのと両方だろうな。名前の由来と主目的は前者だろうが。 で、つらら落としの目的のつらら切り整備の名目で取り付けられた庇状のものをもつ釜をなんでひさし付きって呼んじゃいけないのかは理解しかねるが。だって見た目ひさしだろ?
実際、上の方に出てるゴハチの63は、つららに関係なく正規にひさし整備の名目で同じ形状のものが取り付けられてるのだから、当初の名目はどうあれ形態的に「ひさし付き」でいいんじゃない?
あれ?この議論もう終わってた? EF58.あれは嫌いだったな。
山陽本線の駅近くの踏み切りで、いつも長々と待たされていた。
編成が長い上に、加速がトロいから、みんな結構いらいらしてたな。
俺は雑多な急行編成をゆっくり眺めれて良かったけれども、朝の上りなんぞ
来る列車来る列車全部EF58牽引だったから、嫌だったよ。 >>412
>朝の上りなんぞ来る列車来る列車全部EF58牽引だった
なんて贅沢な境遇に生きていたんだ、当時の>>412は!
今となっては、羨まし過ぎる環境じゃないか・・・ >>415
そうだね。59年2月からSGにしか対応してない車両は外されたね。
ブドー色のマニとか。33レなど一輛目が青だと、浜松釜が牽いてても下関後の59/2以降の写真だとわかる。 EF70・ED74は、高圧タップ制御である。
高圧タップ制御は、抵抗制御すなわち、直流電機に近い考え方がある。
EF65を交流電機にしたものと思えば良い。
ED74は細かい電流制御ができないので、貨物列車は運転しにくいと、
大分運転所の乗務員が言っていた。
ED76は、低圧タップだから運転し易いと。
当時、大分運転所のED76で、81〜86号機があったが、
元々長崎・佐世保線電化で使う予定であったが、肝腎の長崎若しくは佐世保線が電化完成が遅れて、放置する訳に行かず、6両ならば
ED74の予備に転用できるとして、大分運転所が、引き取ったという説がある。
窓から伸びた、覆い場のものは
みんなヒサシって読んでいいんだ
どうなんだ、ツララ厨房?
何か言いたいことは無いのか
>>410のゆうとうりだぞ >>418のいうとおり
いや、もしかしてゆとりと引っかけてあるのか。 >>400
元々、EF56・57のボイラーでは東海道の牽引両数では暖房キャパ不足、
って現場の声で、ゴハチの大出力ボイラーが開発された面もあるからなあ。
時代を感じるエピソードだ。
「ガンガン炊くから言ってくれよ」ってのは何とも豪儀なセリフでいいね。
>>417
タップ制御ってけっこう合理的なシステムなのに、
日本では機関車と新幹線だけが使ってたなあ。0系と100系の両数は確かに凄いとはいえ。
在来線の交流専用電車が、接点付き制御器無理な北海道だけで長く使われたから、
交流区間オンリー運用の車両が本州以南でも普及してきた頃にはVVVF時代になって、日本では実例が出なかったな。
旧ソ連の交流吊り掛け電車がタップ制御で、面白く思った。 ボイラーといえば、EF56、57のボイラーってボイラー要員必要だったって聞いたけど
手動で火加減制御してたんだろうかねw
その頃ってまだ二人乗務がデフォだったと思ったけどボイラー制御は機関助手がやってたんだろうか?
つーかそもそもいつ頃まで機関助手が乗務してたんだっけ?
疑問符ばっかりですいません><
>>417
制御の滑らかさは、各形式固有の制御設計の問題であり、
高圧タップだから、低圧タップだから、とは違うと思うけどね。
イグナイトロン整流で、位相制御の有無で粘着力最大を引き出せるかどうかが違うし、
低圧タップでも同様に、磁気増幅器やサイリスタによる位相制御を採り入れてるかどうかで大きく違う。
位相制御のある方が、粘着限界一杯の引張力を取り出せて、高圧タップか低圧タップかの差じゃあない。
もしかして「高圧タップ式」が2トランス方式で、高圧側に電圧調整用単巻き変圧器があるのを、1トランス式と誤解してませんか? >>421
EF56・57暖房ボイラ関連の操作は機関助士でおk
当初から一応制御装置は付いていたけど不具合続出で実質手焚き状態、
戦時中〜敗戦直後は一々方向転換して常にボイラ側を前に持ってきて
ボイラの不具合に備える有様だったが改修されようやく安定した。 庇ぶりに覗いて見ればまだ不毛な論争やってたのかよw ツララ厨には、茶色とか茶釜とか言ったら同じように怒られるのかな?
あれは「ぶどう色2号」だ、とか言われて。
「ため色」と「ぶどう色2号」とは違うんだから断じて混同して一緒くたに
茶色などと呼ぶな、とかとか。 >>420
新幹線100系はサイリスタ位相制御と聞きました。
スレチ失礼…では次の方〜 >>428
具体的構造をみると巻き線をたしか4分割して(6分割だったかもしれない)
これを1つずつ位相制御で100%導通にして加速するから、各段毎ではタップ制御であり、
その1段は位相制御。だからそれを「タップ制御」と言っても間違いではない正当な表現だ。
各段の制御がサイリスタ位相制御なのと、段を複数積んで1段ずつ順次オンにする実質タップ制御は両立する。
あほヲタ本式の文字列による形式的な「理解」ではなく、動作の実質を理解して発言して欲しい。
特に「川島大先生」に依る技術解説は、一般人は絶対に信用してはイケナイ。腐った部分を捨てられないからだ。
かなりの固有技術力のある人だけが、まだ腐ってない食える部分を拾えるというトンデモ本だ。
川島大先生自身、あの尼崎事故本のいい加減さに内心は反省しきりじゃないの?
あれをいくつかの記事やサイトで各項毎にぶっ叩かれてからは、自分の守備範囲でものを言う様に気を遣ってるみたい(w >>424
論争というか、何というか。
ずっーと読み返すと、ツララ厨叩きを書いているのは一人だけのように見えるが。
「ツララ厨」なる連中にしても、愉快犯でワザと書いているようにも見えるし。 さんざんアンチツララで煽っていたのが>>424だったりして >>374や>>375あたりが愉快犯に釣られてしまって、
恥ずかし紛れから、後になって煽ってると見た。
話題が暖房の方向に変わっているのに、
わざわざ言い出す>>424も同類だろう。 北朝鮮人 呉 萬洪 浅井昭衛 顕正会 北朝鮮
北朝鮮人 浅井昭衛 呉 萬洪 顕正会 北朝鮮 EF58置換え用の、EF70改造機を見たかった〜。
EF70を直流機に改造する計画はあったが、実現せず。 東海道のEF60が引くめちゃめちゃ不規則なジョイント音の長大編成カモレがなつかすぃ…。 EH10に萌え。
近代化改造(主電動機、制御関連換装、計器の電子化等)を施してEF200あたりとの爆走すれ違いを見たいような…
貨物専用機のイメージが強いけど客車牽引はやってたのかな
(ニコ動に試験列車で10系引っ張ってるのは見たけど) 1962年から1965年までの3年間ED60-2,3が甲府に配置されていましたが、
これらが何の運用に就いていたのかご存知の方いますか?
もしかしてED61と共に重連で笹子峠を通っていたのでしょうか? 旧型貨物電機を復活させて短編成で良いからワム・ワラ・トラを牽かせたいよね〜!! ふと思ったんだけど
EH10ってマーシャルアンプに似てない?
いや わけわからんなら
別にいいんだけど 皆さん、羨ましいです。。。
俺は小さい頃、赤羽に住んでいて、
よく電気機関車を見てました。
なかでもEF57が大好きで、あのごっついスタイルが
EF65とは違う引き込まれるようなモノがありました。
昔はデッキに乗ったりすることが出来たとか、、羨ましいです。l
昭和50年前後だったと記憶してますが、
生涯唯一、鴻巣まで客車列車に乗りました。
その時の牽引が、57だったような??
なにぶんにも、幼すぎて記憶定かならず。。
幼稚園の頃に、DC急行の「いいで」を見た記憶はあるんですが…
70年代初頭生まれです。 昭和50年前半までの山手貨物線は、機関車のバリエーションが多くて楽しかったな。
荷物はEF61か62っぽかったな。58も来た。旧客アルプスの回送で64が来たり。
貨物はEF15、EF13、EF60、EF65が来てたな。 S50年代に山貨にEF61とか62いたっけ?
61は浜松、62は旅客が上野、貨物が大宮まできてたのしか知らん。 昔、EH10 が貨車をたくさん連ねて走っていたよな。
ときに EH10とEF65が重連で数えきれない程の貨車とともに通った時
駅員さんと会話ができて、EH10ってすごく力持ちだよねっていうと
EF65はあれ1両で同じぐらいパワーがあるんだって説明したんで、
子供ながら驚いた記憶がある。 EH10は図鑑などでしか見たこと無かったが、
2両連結(連接と言うのだろうか)仕様だったので、
いかにもパワーがありそうに見えたモンだ。 パンタグラフがくっついてるのと、離れているのがあったね。
初期型の集電効率が悪いとかで、離したんだっけ。 大宮の高架下に寝ているED1610を何とかして欲しい。せっかく車体修繕・総剥離塗装までしたんだからねぇ。SLみたいに復活運転出来ないものか?八王子エリアを中心に。 ED16の復活運転!!
い〜な〜!!
是非またあのモーターの唸り音聞きたいよね〜。 音ならEF80でしょ
貨物と後期しか現存しないけどあの不気味な音がまた聞きたい EF80の思い出は東北線から水戸線へ直通する貨物を35が牽いていた。
EF80は常磐線専用と思っていたので意外だった。25年前のガキの頃。 電動送風機の音なら
EF62 EF63 EF64 EF64-1000 腹に響く重低音
EF60U EF61 EF65 EF66 EF81 甲高い音
って感じ?
61の音は知らないけど。60TのMT49は悲鳴のような音。EF66は狼の遠吠えのような音って
宇田氏が書いていたような。 ブルトレブームの頃にブルトレ担当の機関士になったんだけど、
夜中も結構小中高生が結構ホームに居たな。
でもその頃は深夜徘徊=非行少年の印象の少ない良き時代。
その頃はちょうどEF65P型からEF65PFに変わる最中で、
20系から14系や24系に置き換わっていった頃。
通学中の小学生数人が手を振ってくれたんで、
こっちも汽笛を何回か鳴らしてた。
その後、地味な貨物機から華々しい特急運用に上り詰めた
ロクロクに乗務するようになった。ロクロクでの時速110キロ運転は今でこそ
当然だけど、その頃は貨物運用が時速100キロだったので、
時速110キロ運転は未知の領域だった。
そんなロクロクと東京ブルトレ廃止まで乗務できたのが嬉しかった。 >>458
うーん、それは機関士冥利に尽きますな
鴨も新型機をやりくりしては徐々に投入してくれてるんで、在来機の過去帳入りが増えて辛いものがある…… 学校が東海道線の線路の近くで、踏切を渡らなくちゃならんかったんだけど、
ちょうど通学時間帯にブルートレインが走ってたんだよ。
消防の俺たちが手を振ったら機関士さんが汽笛鳴らしてくれて、
助士さんが手を振ってくれてた 5月22日大宮の公開でEF80-36が展示される。横川のEF80-63
とは顔が違うのでよく見てくれ。ちなみに最新型の後藤さんも展示される。 あれ、ID変わってしまったか。
EF30って、出たから来てみたのに。 >>468
路車板の仙台地区スレに書きこんだら、出てきたんだけど。EF30スレとか関門トンネルスレなんてある訳ないから、記念にここに来てみた次第。 スカ線沿線民だったけど、超ガキの頃はEF10が走っていた記憶がある。
物心がつく頃にはEF15だったなー。 洩れは容貌の頃EH10とシャム双生児のイメージが重なり(ry… おまぃらブラックネタはその辺にしといて、
イカロスから出たEF15×EF58って本は買ったか?
俺はEF65PF好きなんだが、懐かしい国鉄時代のPFがちょっと載っていたから、
それだけで1700円出して買ってしまったよw 子供のころ、自転車で岐阜駅まで行って、
国鉄を見ていた。EH10やEF58も来ていた。
朝の5時くらいに20系の銀河が来た。止まるのは
これだけで、ブルトレは全部通過した。
当時の国鉄はサービスが悪く、機関車もさびて、
汚かった。EHは貨物用だったから、特に手入れが悪かった。 DF50を見に、亀山機関区に行った。
車庫に2台ほどいて、写真が取れた。
三岐鉄道にも電気がたくさん居た。当時
私鉄には珍しい電気がたくさんいた。
豊橋鉄道とか、近江鉄道の電気は、かなり古そうなやつだった。 薄の穂が出ている夕時の東北本線を走るED71の顔に哀愁を感じる
のは俺だけ? >>478
ED60番台に夕暮れは似合わないのにね。 北陸線にED70というのがいたが、レトロなデザインは
秀逸だ。あの時期の電気はよく似ているが、たぶん
スイスの電気を参考にしたんじゃないかな。ブルドックの
キハもよく似たやつがTEEにある。 EL、DLの貫通扉って重連仕業の時、後ろのクルマの点検やスイッチ類、ブレーキ類のコックを
整備したりするのに使うんジャマイカ? デッキ付以外はそうだね。
ED70は総括制御できないのに貫通があるから>>483はそれを言ってるんだな 質問お願いします。
国鉄時代の三菱のエアーホーンがあるのですが、幾らくらいで売れますか?
真鍮のです。 南武線沿線に住んでいます。
私の貴重な目撃は、EF11の貨物です。
ED16に混ざって、EF10、13はたまに来るのですが、ときどきEF11がやってきました。
当時、小学生だったので、希少性がわからず、結局、見ただけに終わってしまいました。
残念なことをしました。
東海道線の島田。見慣れない機関車がいました。
EF18です。EF58の旧型の面影を残す、とても貴重なカマです。
次回、撮影に行こうと思ったら、いつのまにか姿を消してしまいました。
偶然、平日の3時ころ、東海道線の平塚の鉄橋でEF58重連の荷物車を見かけました。
よーし次はカメラを持って出かけようと思ったら、これも消えてしまいました。
まあ、こんなもんですね。
結局、撮れた直流カマは、
ED16、ED61重連、ED62
EF10、EF13、EF15
EF60、EF60500、EF61、EF62、EF63、EF64、EF65、EF66、EH10試作・量産
などです。 ED71と言えば、黒磯以北で客レを引いているのはよく見かけました。
当時はぜんぜん珍しくなかったんで、これも一枚も撮ってません。
うつくしい編成でしたね。 >>485
本当に使われたんだろうか?
重連で扉を開けるシーンは本は載ってないね。
セノハチの走行中の切り離しは、どこかのサイトに載ってた。 もっぱら、夏の止まっているときに暑いから開けてるって印象。 >>493
仕業前の点検の時とか本務機と補機を往き来する時。
あとは機関助士が乗務していた時代、助士が運転中の機械室点検で補機(実際は本務機?)に行く時とか。
そう言えば昔、鍵が掛かっていない機関車の貫通扉を開けて、客車の客が機関車に入って
何かやらかしたなんて事件なかったっけ? >>493
高崎操での話しだが、
機関区を出区して貨車に連結するまでは倉賀野方の運転台で運転。
連結したら機械室を通って貫通扉通って機械室通って高崎方の運転台にエンド交換。
そんな光景も見れなくなってしまったが。 蒸気暖房のために蒸気を出しながら走る冬のEF58
どこか煙くない蒸気機関車みたいな電気機関車で趣がある。 停車中に外に降りずに後部機に移乗できるのは分かったのだが、
走行中に行き来したりはするの? とてもじゃないけど幌がついてない
釜間を行き来するのは怖い(((((((((((((((((( ;゚Д゚))))))))))))))))) 蒸気機関車時代の「つばめ」は乗務員の交代は、客車→水槽車→炭水車→キャブだったんだよね
怖さは、貫通扉の比ではないように思う EF59の車体振り替えの詳しい経緯が知りたいのだが…。
実車を見た時元お召し機以外に乗務員氏名札入れが付いていた。 今月のRMに丁度いいことにEF59の事が載っているよ。
たしかほとんどが元EF53で最後の5両が元EF56だよね。 >>498
以前スイスのベルニナ線に乗ったとき、車掌は幌のない貫通路を平然と通って検札に来ていたな
多分カーブきついので幌付けられないのだろうが、要は慣れだろうな
>>499
この話有名だけど、キャブを多少広くして交代要員を待機させればいいのにといつも思う。 中央東線にてつらら切りではなくつらら除けの鉄格子を前面窓に取り付けた
新造のEF64を撮影した事がある。[八]のやつでEF13とED61重がメインの頃です。 >>503
蒸気機関車のキャブにいるのと、客車にいるのでは乗り心地が全く違うからでないですか?
電気機関車の時代になると、後ろ側の運転台に人が乗っていたりしたのを見たことがある
>>504
中央東線でED61重連やEF13が現役当時は、EF64は甲府配置だったと思うが
>>503
C51にはメカニカルストーカーも重油噴射装置も無いからキャブのほとんどは常時助手がスコップを振り回すスペース。
指導機関士の添乗にしても、機関士の後ろで小さくなってへばり付くかキャブ出入り口にハコ乗り状態。
多少広くしたくらいじゃ添乗なんてむりぽ。
重油専燃型のC59だったら可能かも知れないが、これは戦後の話。 >>503
日本でも名鉄の旧型車が幌無しの貫通路を渡っていたぞ。 その頃の乗務員って走ってる時にテンダーの上に載って石炭のかき寄せとかしてたんだろ?
瀬野八の走行開放も最初の頃は乗務員がランボード歩いて前まで行って連結器の解錠してたらしいし
乗り移るくらいたいしたことないんだろ。
旧型電機のデッキなんか安全地帯以外なにものでもないw >>509
瀬野八や旧型電機はともかく、石炭の掻き寄せは停車中。
走行中に掻き寄せとか、もし実例があったとしても、それはヘボ。
あと、終戦直後の蒸機や旧型電機のデッキは客席状態。 蒸気運転の重労働性・キャブの条件と居住性の悪さ・燕運転のプレッシャーを考えたら、行程の半分をキャブで待機なんてあり得ない。
そんな事も判らないんだろうか…? 俺は南武線の西国立に幼い頃(70年代)住んでいたが、ED16は言うに及ばず、EF10、EF15などを
見るたび「あぁ〜ぁ、ここにはEF65やEF66が無いんだよ!ボロい電気機関車ばっかだ」って
悔しがっていたが、今思えば宝箱みたいな機関庫だったんだなぁ〜
PFや66をそう思うのにさほど時間が掛からないと言う気もするよ。 EF66がブルトレを牽いたのを初めて見た時「なんじゃ、ガキのNゲージじゃあるまいし!」と思ったのも、つかの間・・・
この電機機関車でさえ、今や風前の灯状態だものなぁ〜 牽引がPFから66に変わったの見て「すげー!カッコイイ!」とか思っちゃった
当時小学校低学年のオレ…
大丈夫、ほとんどの奴が66になってかっこいいって思ったから。当時の趣味誌とかも待ってました
みたいな記事多かった。
上野口の初期形のPFはかっこよかったけど、それに比べて東京のPFとか間に合わせ感たっぷりの
安普請だったからな。 俺は66のブルトレは似合わんなぁと思ってたなー。
基本的には65好きなんだけど、東京口のはスノプラが無いから、それがイヤだった やっぱ65Pでしょ。PFは貨物機が引いてるようにしか見えなかったな。 65Pをはっきり知る世代には、置き換え用PFは安っぽく見えたな。
・ナンバープレートが切り抜き文字ではなくエッチング+ペンキ。
・パンタグラフがPS22。
・スノープロウが無い。
・貫通扉があるので、ヘッドマークがいまいち映えない。
・以上の「安物感」に加え、飾り帯がないので、どことなく締まらない。
という印象があった。個人差はあるだろうが。
66のブルトレもいいが、やはり[関]というのは・・・だった。
東京九州ブルトレは[東]+南シナでなければ、という感があった。
懐古厨+権威主義丸出しのカキコでスマン。
追 個人的には、ブルトレは65Fだな。 EF66って東京機関区じゃなかったんか、今まで知らんかった・・・
EF65非貫通の飾り帯ってEF58の特急牽引機イメージを踏襲してたんかも知れんですね。 EF10・EF15・EF58・EF65やDD13・DE10がゾロゾロとたむろっていた名門東京機関区も・・・(泣)
EF66ブルトレファンの皆さんへ燃料投入!
拾い物だけど、スカ線217と「富士ぶさ」2レのバトル。
http://www.youtube.com/watch?v=zunhBsFXWQg&feature=related
スカ線が60km/h位で一旦ノッチOFFの後、再加速、東神奈川手前で90km/h位で
第1コーナーに向けノッチOFF惰行。「富士ぶさ」は90km/hに達した時点で
弱界磁ノッチ均衡運転で90km/h定速。ジリジリと抜きにかかる。
惰行で速度が落ち続ける217が、ハマ線のガードをくぐった辺りから再ノッチ投入。
速度差が縮まり抜き返すかと思った辺りで、2レもVF8ノッチ投入。
90km/h以上では、66パワーが炸裂しちゃってるので、217も抜き返すことができず
ジリジリと後退。新子安を通過した辺りで、京浜の立体交差迂回のSカーブに向け、
217がノッチOFFし、ストンと失速。
この後の展開は、回復運転気味の「富士ぶさ」が110km/hまで加速して
217が全然追いつけず、さよならと思われ。
このバトルは、2レが横浜でもたついて発射が遅れると見られて、
2レで1回、スカ線で2回程経験してる。
今回のタイミングで、スカ線の発射直後の一旦ノッチOFFが無いと、
富士ぶさは一旦ぶっちぎられ、生麦の京浜の立体交差手前で追いつき、
花月園辺りでスカ線をぶち抜く展開になる。やっぱ定期特急は速くないとね。
ちなみに、このスカ線は戸塚付近で追い抜いてきたやつで、2レが定刻発射だと
バトルにはならなかった。
なぜかED16の記憶やら記録類って多いけど、同じ環境にいた
ED27って資料少ないよね。特にED34から27に改称した
あと、車体改造されるまでの過渡期のやつなんか少ない。
図面も写真も残ってるもの少なすぎる。 さすが国鉄最強の電気機関車EF66。
客レでも特急看板に恥じない走り。 今でもブルトレはEF65の方が似合うと思ってしまう懐古厨な俺。 >>526
俺がガキの頃はEF65-Pが全盛期だったので、当然Pは好きだったけど、
EF66(当時は庇無し)の方がカッコいいと思っていたから、
EF66がブルトレ牽けばいいのにと夢見てた。
今見ると、庇が付いてゴツくなった66よりも、
Pの方が旅客列車らしい優雅な雰囲気で、
やはりブルートレインには似合うと思うようになった。
EF65-Pの外観で、EF66のパワーと高速性能を持った機関車が、
ブルートレインを牽引すれば最高だったと思う。 ブルトレ、65Pなら分かるけど、同じ65でもスノープラウの無い東京区のPFはイマイチだったと思う。 スレチかもしれないが
定山渓鉄道時代のED5001って車体の色はなんだろ?
ED60って飯田線意外では活躍しなかったのかな?
東海道線や中央線などの本線では運用されたことはあるんですかね?
知ってる人が居たら教えて下さい。 電機に興味なかったが、ED60ったら大糸線か阪和線だわな。
東海道や中央線じゃ容量低すぎるし。ほかに適当な電機がいたし。 >>532
ED60は、直流新方式の導入試験機として作られ、まだED16などが走っていた中央線で試験運行してると思うが。
その結果を基にEF60などの本格系列が作られた。
今だってEH200試作機の試験は、様々な厳しい条件のある中央線でやったではないか。
あそこは山坂長い急勾配急カーブで天然のテストコース。日常乗ってる香具師はモルモットってか(w >>532
阪和線は回生制動を撤去したED62が配属されたんじゃ?
中央線配属は、ED60=バーニヤ制御導入機、ED61=更に回生制動だったかと。 >>535
ED60…阪和線と大糸線。ED61…中央線(一部阪和)
ED61の回生ブレーキ撤去・中間台車装着改造→ED62
ED62は飯田線 PFがガンガン廃車解体されていくなんて、未だに実感沸かないよ。
俺の脳内ではまだバリバリの新鋭機なんだが。 >>530
ED60の2号機3号機は甲府と八王子にも在籍してたから、その期間は中央線でも使われてる。
実際に1990年頃の鉄道ダイヤ情報に吉祥寺駅で撮影されたED60鴨レの写真が掲載されてた。
ただ、甲府区時代の使われ方がハッキリしない。
ED60もED61と同じように笹子峠を越えていたのかどうか…。 EF63の2は軽井沢駅で保存。あとEF62の3は長野総合にいるはずだが。 >>529
定鉄のEL、当初は青、ブルトレに近い色。窓下の細い白のストライプ。 尾久の架線の無いところに北斗星・ノーマル・カシ釜の3台がポツンと置かれていたよ…。
悲しいね…。 >>550
亀レスだが装備されてた
別の機器と間違えやすい位置や大きさだが EF66の意匠はやはり空気抵抗を減ずることを目的にしたものですか 555ゲト
でもEF55 5は存在しなかった
C55 5ならあったけど… >>553-554
ボンネットスタイルの特急電車のフロントを前後に押しつぶしたような形に見えます。
灯火の配置とか、特急電車の鼻先のエンブレムを意識したようなナンバープレートの台座の形状とか。 >>556
特急貨物専用だから特急エンブレムにこだま型の灯具類形状
欧州の電機も意識
66の生みの親である斎間氏の立案デザインはシングルアームパンタでまるで欧州の電機 ED72
EF70前期型
洗練されたスタイルが好きだ >>557
当時,踏切事故でウテシ死傷する対策にEF65で前面強化をやってた。
それなら高運転台にした方がよかろうということで,こだま型や
485/583のように座面を上げ。
んで,特急らしく意匠づけ。こんな流れだった記憶。
空気抵抗は110km/hそこらでは余り問題にならない。 EF65で前面強化?DF50や103系低運転台車みたいな補強板は見受けられないなぁ。
外板2.3oしかないらしいし。
その頃から前面強化対策はしていたのに何故成田線事故の悲劇が起きたのだろう? ブルートレイン他客車列車が全滅に近い今日このごろ。
今どきの子供は、きっと「機まわし」なんて見たことないんだろうな。 そういえば今日は「東海道全線電化55周年」の日じゃないか。
さっそうと走り出した電気機関車はいま・・・。 宮原のC59、C62や米原のC59、D52、D62を追い出した電気機関車はいま・・・
・・・生き残ってるのは蒸気機関車のほうが多いという
C621、2、26とD52403
EF5893と113(晒し首) >>569
あと当時宮原にいたのではEF5889が生き残ってる 20系牽引用に登場したEF60-500、高速に不向きでEF65-500にすぐに置き換えられた
なんで高速向きのEF61に20系用装備を施したEF61-500(仮)にしなかったんだろう?
もしSG不要だからEF60だとしたらEF61-500(仮)はSG非搭載でも良かったと思うんだけど スタイリッシュといえばEF81なんかどうですかね?
あと、ちょっと反則かも知れんけどEH10とか。 EF66
EF61
ED72/73
EF70一次型
だな 昔は被姦通・・・非貫通の65−500が好きだったが、
暫くしてからPFが好きになったな。
ブルトレ牽引機の変遷と共に嗜好が変わったのかも知れん。 もうJR型電機は二度と貫通型は出てこないだろうね。
PFだって活用されたのか、あの扉。
夏場に乗務員が開け放っていたくらいじゃないの? >>575
側面明り取り窓とエアフィルタの組合せを考えると、何となく納得する組合せだな。
明り取り窓がHゴムじゃないのが要点か。
EF80 1〜50は落選か?
また、もしEF61がMT52装備で出ていたら、ヘッドライトがEF80やED72タイプになっていたかもと、
つまらん妄想だが。 >>579
EF80は車体裾が長いからでぶっちょに見える >>578
え!どうして?
貫通扉って重連の時に機械室点検をする時に必要なんじゃなくて?
1人乗務でも重連の仕業前の点検では補機と本務機を行き来したり
2人乗務の時代は運転中に助士に点検に行かせたりとか。
だからダブルボディのEH機は貫通路があるんじゃまいか? >>581
EF30の貫通ドアは必要だったと思うけど?
「え!どうして?」が意味するところがわからないが。 東日本にいると貫通扉のない電機のほうが正直違和感あったがな >>582
「EF30ぐらい」じゃなくて必要な他機もあるってこと。
使わなくなったし寒いからと埋めたED70もあったが…。 貫通扉って走行中に開けて渡るもんなの?
貫通路があると運転席が窮屈じゃなかったんだろうか? EF66は二枚目のイケメン
ED75庇なしは不細工なブ男の三枚目に見えた >>585
そりゃ貫通扉がないほうが広く作れるだろw
でも必要だからつけてるんだろ?簡単じゃんw
例えば後ろの機関車に用があって行く時、いちいち線路まで降りて行く方が楽だとか安全だって
言うんなら貫通扉なんていらないし、EH級のダブルボディにだって貫通路なんて設けないさ。
特に降雪地で重連を行う機関車は必要なはず。 貫通扉が必要なケースがあるのは良くわかる。
おそらく、貫通扉不要の論は、
かつて貫通扉を装備した機関車でも
重連仕様はさほど無かったので、
実際には活用する場面が少なかったと
言っているんだと思う。
まあ、見方でそれぞれって事だ。 あああ〜
俺は決して貫通扉を否定してる訳じゃないんだよ〜
>>589が述べてくれたように
使用している場面を雑誌等でも見たことがなかったからさ
停車中ならいざ知らず、走行中に貫通扉で渡るのは危険が伴ったんじゃないかと
実はこういう時にも役立っているのであります。
撮り鉄が停車中の電気機関車を危険な撮り方していたからと貫通扉を開けて
絵にならないようにした…。なんて言うエピソードもありました。 まあいいジャマイカ。
貫通扉ひとつを取っても、良い話ができたと思う。 65PFの重連とかも、何度か写真で見たことあるよ。
扉を開けて使ってたのかは知らんけど。 >>594
若いかどうかは知らんが30代半ば。
65が走っている地域ではないのですよ。 >>595
多分そう言うことであろうかとだいたいのスレ住民は見当や察しがついてるよ。
他人の独り言なんてイチイチとりあって気にするなってw すまん。そういうことか。
俺は俺で、DD51の重連とかは写真でしか見たことないや。 >>599
つばめを動かす人々って映画に仕事ぶりが少し出ていたが
機関の調子を見て信号確認後部確認という感じ 詰所でお茶ついでやったり、眠くならないように喋ってやったり、事故の証人になってやったり、
マグロをかたしたり…w ボイラー操作、タブレットの受け渡し
列車に踏ませて凄まじい音だして危険を知らせる防護用具あったね
あまり使われなかったけど ナハネフ22やジョイトレの展望室から間近に見る牽引中の機関車の顔はカッコ良かった…。
それは普段見馴れていて「何だよ〜また○○だよ〜」と言うようなありふれた機関車であっても。 俺の保育園からの幼馴染に、EF65-500っぽい顔しているのが居た。EF67の顔にも見えた。
山陽電鉄の3000系の顔にそっくりな奴も居た。
I井君とN澤君、元気かな? 早売りのダイヤ情報より、EF58150とEF15158が正式に死亡(涙)
直流線区で何かと言えばEF58、EF15の時代…、極端に言えば食傷さえしていた頃、今までとは違って
EF64、EF65が先頭にたっているとときめいた頃があった。
今思えばホントにバチ当たりな事だったなぁorz 東北・北海道方面のヒサシ付き交流機
貫通扉&前面窓上下に付いているプロテクター取り付けボルトの
カッコ良さはガチ。 ED70は間延びして愛嬌のある顔
ED71は精悍な印象
前者はDF50と同じ顔?
後者は萩原政男氏の影響を感じますね ED72/73は誰がデザインしたの?
当時花形のブルトレ牽引機がEF65PFになってカッコ悪いと言う評判しかなかっただろうな。
しかし、国鉄時代の付録DVDに映っているPFはどれも初々しくて輝いている。 俺は70年代半ば産まれだから、PFの方が印象強いな。
もっともスノプラ付きが好きだから、宇都宮PFの方が好きだったんだけども。
どうでもイイが「国鉄時代」を講読してる人が、この板にいて良かったw
俺が立てたスレがあまりに閑散としておりまして(´・ω・`) >>615
> 当時花形のブルトレ牽引機がEF65PFになってカッコ悪いと言う評判しかなかっただろうな。
そうでもなかった。
むしろ66になった時のほうが、違和感ありまくり。 同意
ブルがEF66牽引になって幻滅した
たしかにEF65-500Pのカッコ良さが勝るが
1000PFだってサマになってた 66が評判悪いとは意外。
特急貨物機関車の66がブルートレイン牽引するのって、今のEF510が北斗星やカシオペア牽引するのと似ている。 あの当時小学2年生だった。
初めは嬉しかっよ。
だがこの頃からブルトレの斜陽化は加速的になった。
結果としてEF66にはトラウマのような思い出しか残って無い。 EF66って、やっぱ長大貨物を引いてこそ絵になる。 >>617
そうですw
>EF66のブルトレ
まぁ、やっぱり世代なんでしょうかね。
小さい頃に「カコイイ( ・∀・)!」って思った物が「変わっちゃう」っていう感じ。
70年代半ば産まれの俺の場合は65Pと65PFの過渡期だったので、
両方とも愛着がありますが、66になった時は違和感でした。
俺より下の世代の人は「66カコイイ( ・∀・)」!」って言っている印象があります。
結果的には斜陽の時代を長らく牽引した訳ですけど、
長い期間を楽しめたのは羨ましい気もする。
ブルトレの象徴と言ったら「65Pだろ」「いや俺は65PFだ」という意見も多いとは思うけど、
実は66の方が遙かに長い期間を担当してたんだよね。
講談社?のEF66ブルートレインの写真本見て、EF66が好きになり鉄道も好きになった。
家の前を羽越本線が走っていたのも影響あるけど。 自分はEF65PFからEF66に代わった頃から鉄道雑誌を読み始めたので、
EF66の方が好きですね。
EF58が引退した頃で現役時代をよく知らない、
近くの東海道線の荷レは、EF62に代わっていた最後の頃ですので。
世代的には少し下ですが。 俺も正直、「なにこのコケオドシ」って思ってた。(^^) EF66は前方斜めから見上げる角度が一番カッコよく見える。
貫通型の方がカッコ悪い。氷柱きりのないED75とかEF65とか。
三枚目キャラって感じだ。 EF651000PFは「万能汎用機」のイメージ
そりゃあ65Pは専用機の方が好印象
EF66は「貨物機の流用かょ」のイメージに縛らる
時代? いや世代なだw 俺、小学生のころはPよりPFの方が好きだったな。「なんでもできる万能機」のイメージで。
大人になってから、Pを美しいと思うようになった。 九州ブルトレがEF66になったとき、東京ではなく下関配置になったことで一度に醒めた。
あれで九州ブルトレが一変にローカル化、格落ちした感じがした。
やはり[東]でなければという思いがあった。
山口県、広鉄局管内の皆の衆、すまん! >>631
俺もPF惚れた、当時新車同様で眩しく感じたっけ。
静岡県だったので物珍しさもあったかも。
でも今になって当時撮った写真を見ると、Pの方がイイねw
66でゲンナリしてブルトレ追うのやめたっけ…。
オレも子供の頃大嫌いだったEH10やキハ82が、今になって格好良く感じたりするからなw まだ鉄道に関心なかった頃でも
ヒゲの流線型(EF58)
カッコいいやつ(EF66)
箱型(EF60、61、65)
の3グループの見分けはついたなぁ 俺は鉄道に興味を持ったきっかけがスーパーレールのEF66だったから
EF66がブルトレ牽引機になったときは嬉しかったな いわゆる「卵からかえったヒヨコが最初に見たモノを親と思う」
オレは、EF70の旧客やEF61の荷レが初めて見た親鳥だな 俺が物心ついた時にはすでに66はブルトレ牽引、スーパーライナー牽引で超花形なイメージだったな
デザインも他のとまったく違ったし
PFや64はそのへんの量産型感があった
65Pに至ってはあの塗装が違和感ある…んだけど、EF510の例えを出されると気持ちはわからなくもないw
デザイン性が顕著に表現されている電機って
EH10 新EF58 EF66 ED72 73 だと思う。
特にEH10や新EF58なんかはデッキ付きのそれまでの旧型電機のスタイルを一新した訳だし、
ED72 73やEF66は、欧州機関車のイメージした意匠を感じさせられる。 童話機関車やえもんに出てくる列車たちのモデル
意地悪電気機関車・・・EH10
特急電気機関車・・・EF58つばめ
なのかな? その昔、幼児向けの本(幼稚園当りで配っていたやつだろうか)の話。
EH10がEF58のスピードに嫉妬して、じゃ、ということでEF58が貨物を、EH10が旅客を牽くことになった。
駅員さんがいつまで待っても列車が来ないので、不思議がっていたところ、定時よりかなり遅れて、
EF58もEH10もヒーヒー言いながら列車を牽引してきて、駅員さんが驚いていた。
やっぱり慣れた列車を牽くのが一番、というオチ。
EF58もEH10も当然擬人化。
妙に印象に残っているが、こんなの覚えている人居るだろうか? 面白そうな絵本だね。トーマスの電気機関車版みたい。
「かもつれっしゃのワムくん」なら今でも増版中。
こちらは擬人化されてないけど、車両たちの会話で話が進んでいる。 「貨物列車のワム」なんて、今どきの幼児にわかるんだろうか。
貨物列車はコンテナばっかりで、それさえ走ってない路線がほとんどだってのに。 「かもちれっしゃのコキくん」に改作されてたりして・・・ EF66のデザインは東芝案と川崎案の二通りがあって、
東芝案が採用されたとか。
製造は川崎・富士電機・東洋電機・日本車両が手掛けたんだっけ?
東芝は交流電機に専念。 >>647
昨日沼津の明○舎にシキあったよ、スレ違いで申し訳ない EF6019 EF65501なんてもはや動態保存的存在。
大宮のEF65510が化粧直ししたときは、19号機の後釜になるかと思った。 大宮で外装レストアしたED16、たまには公開で展示してやって下さい。 国鉄型電気機関車の車内って天井もドアも低いよな。
特にEF63。俺は169弱だけど狭い。
今の新型電機はよっぽど高いのかな? 何でED76-500はボイラー搭載とか本家の76と同じなのに間延びしたんだろう? >>659
耐寒構造にした関係で機器類を全部車内搭載、さらに制御方式を変えた関係 それだけ変わっても形式名は同じ「ED76」という不思議。 EF64-0とEF64-1000みたいな理由かな!? >>661-662
当時の組合が猛反対した結果
EF71 ED78 ED76-500
は大型サイリスタトリオで好きだ しっかし、B-2-B配列ということでなら、
ED77やED78もED76の番台区分にしてもよかったと思う。 >>664
それが通じるなら全部ED75の番台区分で(ry ED76-500 ED75-500
ってサイリスタのS型とも言うんだ。
M型は磁気のマグネテックのM
P型はパッセンジャーのP? サイリスタの頭文字はTだよ。
シリコン制限整流素子SCRの頭をとったんじゃないかな。 現代美術館で開催中の「特撮博物館」を見にいったのだが
「ED1616」というプレートをつけた機関車の模型があった。
撮影用模型なのでディテールなんて全然なってないが
いちおうはED16らしくできていた。 ED70が列車を牽引しようと大きな力を出したら動輪のスポークが折れたことがあったとか。 >>671
わかったからさ、じゃーまずお前の頭ん中のPCB、
処分してもらえやw >>673
国鉄型電気機関車が今まで残ってきたのは解体・放置するのに異常なまでにコストがかかるため。
「PCB使用機械油搭載の主変圧器」なんて代物があったら一挙に処理コストが跳ね上がる。
だが、PCB処理施設稼働によって国鉄型電気機関車にも廃車が目立ち始めている。
電気機関車内部にあるPCB使用の主変圧器・整流器には・・・
「本製品にはPCBが含まれています」っていう表示ラベルを張ることが強制だし、
JR貨物保有コンテナにはコンテナ追跡用にGPSがついていて行方不明にならないようにしている。
理由は行方不明になったら面倒なことになるから。 >>674
で?それであんたはここで、何て評価してほしいんだ?
ほぅ、そうかそれはたいへんだ、って言ってほしいのか?
教えてくれてありがとう、って言ってほしいのかな?
すごいね、よく知ってるね、天才だね、ってほめてほしいのかな?
まぁ、言っている事実があるらしいことはともかくとして、
スレチだからどっかほかに行って吠えててくれないか。 ED73ってED72からボイラー外しただけだから
番台区分でもよかった気がする。 ED76のSGから供給された暖房の、旧型客車に乗れたのが良い思い出だな。
当時は電車のほうがカッコイイと思ってたんだがw 国鉄時代の電機は20年くらいで廃車にしたのが多いな
EF56 57は30年は使ったけど ねらった使用目的にはまったのが少なかったってことだろ
たまたま使い勝手がよかったとか
ほんとはこれじゃヤだけどこれ使うしかないし、
使って使えないことないから使っとけ、ていうのが
たまたま長持ちした、ってただそれだけの話 ED74の顔と側面を見ると、
EF61やEF70前期型の側面とEF60四次型やEF70後期型から始まる顔つきが
折衷されていて、ちょうどデザインが移り変わる時期だったと感じさぜるを得ない。 ED76-500が車体100o拡幅した意図はなんだ? 電機のワイドボディは81と64-1000とこれだけだよな。66でも標準幅
ED75-500は300mm長いんだよな。76-500は1000mm長い上に100mm広げてる
サイリスタ化しても77や78は標準ボディのままだから、耐寒耐雪分じゃね。SG用の水タンクとか大きくなってるし。
元々別物だよな。
かっこよかった、EDのくせに無駄にでかくて。まぁ64-1000の方が無駄にデカイけど たまにはちっこい機関車の話題も
といってもEB10は末期に見かけただけで鉄道100年の田端区公開で
みたくらいだけだが。(EB102は隅の方で廃車になってた)
その後府中に保存されたね。 ED72のあの鳩胸がたまらん。73もしかり。66はつんと前に向きすぎ。65はぺちゃぱい。64もしかり。 1965年に出たED93は見てくれは普通の国鉄の電気機関車。
だが、制御装置が半導体素子を使った「サイリスタ位相制御」
国鉄は私鉄に比べると新技術の導入には慎重すぎるほどで
そういう意味ではいつも私鉄より一歩後を歩いているような気がする。
それでもごくまれに、驚愕の新技術が颯爽と現れるときがある。ED93もその1つ。
鉄道車両の歴史が「ED93以前」と「ED93以降」に分かれるくらいのメガトンインパクトがある、非常にショッキングな車両。
http://digital.hitachihyoron.com/pdf/1966/04/1966_04_12.pdf
http://digital.hitachihyoron.com/pdf/1986/03/1986_03_03.pdf
しかし、この制御装置は「高調波を発生させる」というとんでもない欠点がある。そのため、当初は誘導障害に悩まされた。 まあ本質的には官品だからね。
仕様書だの承認手順だのとんでもないから。 私鉄に交流がなかっただけです
驚愕とかメガトンインパクトとか文系さんですか? ED71って水銀整流器イグナイトロンが凍結する恐れがあるから、
仙台以南の限定運用だったの? あのEH10は籠の中の鳥状態で、写真は無理だな。あの近くにDF50が保存している所もあったよな。 >>694
東淀川の東淡路でケージ内だ
まあ淡路なら仕方ないが フェミニスト政党の候補者を落選させ女性専用車両を根絶しよう
「未来の党と公明党は男性を差別した政策主」
石原慎太郎さんが都知事時代に的確な問題提起をされていますので、皆さんも視聴しましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=U04E6G2Cy8o&list=PLC6839F661C03104D >>691-692
60年代中ごろの半導体素子の信頼性はそんなに高くないのを考えたら
ED93に投入された新技術がいかにすごいかわかるだろ? 信頼性が高くない?EF70からシリコン整流器使ってたろ。発展させてタップの代わりに
サイリスタ使うのは普通の進歩だろうに。なんでこういう適当なこと言うんだろ ED77-901の宇宙船のような屋根上機器が好き。 >>700
半導体整流器の導入はこわごわだったと思うよ。
シリコン整流器なのに高圧タップ式を採用してるのは、ダメならイグナイトロンなど水銀整流器式に戻せる構造を残した。
実績を積んでから低圧タップ・ブリッジ整流式→磁気増幅器位相制御式→サイリスター位相制御式と、かなり慎重に採用してる。
当時、すぐに飛んでしまうサイリスターなど怖くていきなり採用なんてできなかったろう EF70を直流化したらEF68になっていたのかな? 形式インフレ起こしていたらどーするつもりだったのかな?w >>705
100番台かな。
EF69の次はEF150、みたいな。 JR型の直流電機を200〜にしたのは
そういうことだったのか。 EF64-1000とED76-500も別形式だったかも すまん。教えてくれ。
交流電気機関車って、電車みたいに交流危機を外したら直流機になるの? >>688
元国鉄もあるし、元青梅電気鉄道のもあるぞ >>712
青梅から国鉄番号もらわずに西武へ、と国鉄形式になったあと西武へ
の2パターンだね。でもみんな揃って西武へやってきた。 EF58のPS22装備機が好きなんだけど、24系25形の安芸を牽引した事はあったのでしょうか? EF65-500のPS22パンタの姿想像したら
凄いカッコ悪いww 色違いの100がPS22だったろ。EF67なんかシングルアームあるし。だから慣れれば違和感ないだろ
EF59ですらあったからな、PS22 全長の長い電機は似合うんだよ。
バランス考えると、やっぱりPS16 17が好きだ。 厨房の主観でしかないな。ED75-700とか普通に似合ってるだろ PS22は各機種とも1000番台によく似合うんだよな。 似合う機関車と似合わない機関車がある。
ED76-500とか先入観で似合うのかもしれない。
EF65-1000なんか増備途中で変わったけど違和感がない。貫通扉のせいだろうか?
EF62も一時期、前後でパンタ違うの載せていた。 65PFはどっちでも似合うな、どっちも実績があるからだろうけど。
前後違うパンタってマジでそんなんあったんか・・・ 66のガチャパンってあったんだ。広島はちゃんと揃えてたと思ったのに
大宮とか長野はガチャパンやってたな。62に64、PFの1052も一時期ガチャパンだったような >>700
>信頼性が高くない?EF70からシリコン整流器使ってたろ。
そんなわけがない。誘導障害と隣り合わせ。
誘導障害がおこると無線装置や保安装置、ATS、信号機だけならまだいい
沿線の電話線や通信ケーブルや、はたまた線路周辺の電気機器などに悪影響が発生しまくり。
鉄道車輛みたいな分野に半導体を使って、抵抗器を使わずに制御するのは
1960年代のパワーエレクトロニクス事情を考えたら、かなりリスクが高い部類になってくる。
(1965年当時、電機子チョッパ制御はまだ実車試験の段階)
国鉄時代の機関車ではED75-501が有名。誘導障害のため失敗作になった。(岩見沢〜旭川間の貨物運用にしか使えない) >>715
24系25形時代の上り安芸に乗った時の新大阪で撮った写真を改めて見てみたら、まさにその組み合わせ。16号機。
ちなみに春休みの時期でしたが、見事なまでのがら空き。
下関発車時点で乗客2名。広島から5人ほど、呉と広からもそれぞれ1人ずつ乗車がありましたが、結局この日の乗客は列車全体で10名ほどでした。 >>728
その乗車率では廃止も仕方がないか…。
絵入りトレインマークが無いのが残念。
写真、見てみたいです。 >>729
ttp://ef58.info/EF58/EF58vol02.html#anchor7164 >>730
Thx!
やっぱりPS22装備機はイカすなぁ。 昔立川機関区にいたED2711〜14って五日市線の大久野へは入線したの? 所用で富士宮へ鉄路で行ったのだが、あんな勾配区間をEF58牽引の創価臨が登ったのか…
もし途中で停止してしまった場合、再起動できたのだろうか? >>733
遠方からの創価臨客レは富士駅止まりだったと思う。
身延線乗り入れは品川からの80系/113系だったような >>734
またいいかげんな事を・・・・
昔の雑誌くらい見たらどうだ?
ゴハチは勿論
沼津機関区のEF60なんかも12系や14系で乗り入れしてたぞ
それより何の為に富士宮まで複線化したんだ?
富士宮駅に団体専用の出入り口が仰々しくあるのは何故だ? 電空単位スイッチだと、厳冬期には凍ったりしなかったんですか EF58/EF59にPS22を搭載してたのって広島運転所だけなの? 化粧直ししたが、2002年W杯の為敷地外へ移動したらDQNに落書きされたな。 俺は「えっちとう」が好きだったなぁ・・・。
淡路の静態保存、本線復帰してほしいなぁ。。。 近江鉄道ミュージアムにあるのは元国鉄電気機関車ですか? >>749の書き込みを見て,ED71をググり、久々にまじまじと色々な画像を
見たが、ED71って、相当な不細工面なことに気付いた。。。。
よくED60〜62の顔に例えられるが、なんか全然別物の気がする。
DF50の顔をわざと不細工にしたような顔だ。。。。 >>750
まあ好き好きもあるだろうが、当時流行りの、いかにも「電気機関車」っていう顔だな。 >>754
あの辺りの車両は保存車両が少なくて残念 ED731016は放置プレーで解体したし、北九州のは試作機でつまらないし。 >>754-756
試作機はいまいちなんだよなあ、中途半端な感じがして。
ED72は量産型に限る。
それはとにかく、なぜか1号機にこだわる人多いんだよなあ。 >>758
試作車やトップナンバーは好きだけど、ED72の 1号機はあまり好きになれないな。 ED72の試作機、前照灯や側面が野暮ったいんだよね。 運転室内灯と機械室内灯が白熱電球から蛍光灯へ
運転台の計器盤が有機EL表示へ
床板が木からメラミンへ
これらになったのは昭和40年頃なのかね? >>761
ELが世に出てきたのはもっと後なんじゃないかなあ。 ふだん民鉄電車ばかり見ていたからEL板にはビツクリ。
西武電車みて二度ビツクリ。 >>761
EF65初期型(昭和40年製)の床が木張りだったのは意外だったな・・・ 車板で出したIDが電気機関車っぽかった
・・・ってだけの話ですがw
ID:rGd/bEF50 日立製作所にあるED15は見れるチャンスはないのでしょうか? ED76-500とEF64-1000とEF81の共通点
車体幅が拡幅していること、前面外板の板厚3.2oが運転室の側面腰板に全て及んでいること、運転室後ろ側柱の強化
特に運転室回りの増厚化は戦闘機で搭乗員を保護する防弾板のような感じだ。 EF200は戦車って宇田さんの著書にあったな
車と比較するとシートベルトもエアバッグもないしブレーキもそこまで効かない
機関車に限らずとも乗務員の有事の安全をもっと考慮してもいいんじゃないか? この紙袋はちょっと欲しいかも
鉄道関係のサークルが配置される日もあるらしいし、気が向いたら行ってみようかな?
【国鉄型】電気機関車総合スレpart7【JR型】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/rail/1379948606/52
>コミケット準備会公式販売物の紙袋(大)にEH10形電機が牽引するコンテナ特急たから登場
>ttp://www.comiket.co.jp/info-a/C85/C85distributions.html
>ttp://www.comiket.co.jp/info-a/C85/C85BagColumn.html EF70一次型のワイパー、最初は車のリアウィンドウみたいなタイプだったが耐雪高速型に変わっていた。
北陸の雪、特に三八豪雪のときは殆ど役に立たなかった。 消えた電気機関車の中で好きだった形式
EF70一次型
ED72 一応は目にすることのできる環境にいてなお嬉しかった EF18 と EF60 500番台かな
あと普通に EH10、これは牽引する貨車も含めてかもw 一つ目ライトの60、61が大好き
東海道線沿線に住んでたから70は知らん
後はED62にが好きだなぁ
因みにブルトレはPF信者
地味な扱いの65一般形と違って「東」サボがエリート感があった
PS22パンタも似合う
ロビーカーが連結されて66になった時はがっかり
子汚い姿でコンテナ牽いていたイメージしかないしエリートの「東」が「関」になったのも幻滅した
出雲や銀河はPFだったが金帯のあさかぜに憧れてた
通風風が付いてた東北向けのPFは汚い印象しか無い 品川派出や大井機関区でずらりと並んだEF66とか迫力あった 66は無いわ
汚いフレートライナーのイメージしか無い 俺も今はそれ程でも無いけれど、なんか下品なイメージで大嫌いだった
むしろ顔がスッキリした100番台の方が好きだったわw EF70はEF65よりも長いのに、側面デザインのせいで胴短に見える。 7日に日立製作所水戸工場が一般公開されるから、ED15見られるかな?
1年でこの日しか入れないから、結構人来そう
送迎バスは勝田に来る? >>775
EF61が入っていれば、「なぜ俺のカキコが」となっていたぞw
>>783
EF66より普段時間的に見れない10000系貨車の方が俺を狂わせた ED60・ED62 機関車らしい顔が好き。品サロやお座敷列車の牽引は、国鉄末期で思い出深い。
動画があるので、もしよければ。
http://youtu.be/3j7aA55ijGg
http://youtu.be/yCGoMVAoa08 PS22はあったって聞いたことあったけど、ガチャパンもあったんだな。さすが篠ノ井だぜ
MT49、こんな甲高かったんだね。田切でこんな音聞いたの思い出した 昭和50年ころだったか、東北本線で那須高原に行った。
まだ新幹線なくてボックスシートの列車に乗ったので「なすの」とかだったんだろう。
途中の小山か宇都宮あたりの機関区だと思うが旧型電機が大量に停まってたのが記憶に残ってる。
当時関西に住んでいて、ブルトレや貨物の先頭はほとんど青かったから(たまに黒いのもいたが)、
茶色い車体がすごく衝撃的だった。 茶色の旧型電機というと、今はもう無いが赤羽駅北側の踏切を通過するEF15を思い出す。
列車線が地平ホームで、この踏切から近い赤羽の団地で東北上越新幹線反対運動が起こっていた頃。
南武線や青梅線ではED16が活躍してたな。 国鉄末期もう赤とは言えないピンク色してカサカサなEDがズラズラ並んでるのは恐かった >>793
蒸気機関車の煤煙の汚れが目立ち難い黒以外の色。 竜華機関区のEF58
ヘッドライトのシールドビーム2灯化やテールライトが大きいなど、
他線区のゴハチとは雰囲気が違っていた 蒸気暖房の蒸気がモクモク残る電気機関車が印象深いね。 【不買運動をしよう!】ルミネ(アオハライド)は女性専用車両広告を使う反社会的企業
差別をしていることによって発生した要件で宣伝して金儲けする
ルミネ(アオハライド)の反社会的な広告をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=2mPCB_SpHEA&index=1&list=UU-KZvGz1d10KEGXZ8KxVfeQ >>798
上野口は早くにEG化されたから、SG電機を目の当たりにしたことが無いんだよね。
西日本のゴハチを知って、なんてアホウなことをしてるんだろうと思った中学生時分。
蒸気方式は仕方ないとしても、まさか油で火を焚いてるとは知らなかった。
てっきり電熱器で沸かしてるんだと思うとりましたよ。 麩菓子水溶液洗剤ピルトイレ番組ニューヨークリベンジバック最終話林檎問題パック中学産責任野枯れエレベーター派閥編集長拒否きゅうり副クブララーメン宅備読流収艦携帯災難問題
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アリババ工場会長ぱんらーめん >>750
ED75よりED71が好きな俺は異端なのか・・・。 >>803
いいじゃん71
東北交流電化のパイオニア 世代の問題じゃね?
俺の場合は自分が鉄に興味をもった時期に
主力だったのがED75やEF65だったから必然的に
その辺が好きで格好いいと思っている。
でもそれだとSL全廃後に生まれた俺なのに、
D51が好きであることは説明が付かないのだが・・・ パノラミックウィンドウでなく
ステンレスの押さえ枠で角ばらせたEF63
これってデザインなの? >>806
特殊装備満載で制作費めちゃくちゃ高かったろうからそういうところで節約したんじゃね? >>808
何となく納得するわ、名鉄電車と同じ思想か?
5200、5500、パノラマカー、キハ8000、7700、6000貫通扉付き、全て曲面ガラスを使っていない(はず)。 >>808
昭和37年当時の国鉄予算って青天井じゃないの? >>810
そんな訳無いだろ?
黒字企業だったら経費無尽蔵とかないだろ? >>810
当時は新幹線以外への投資抑えてたから昭和40年代の在来線線増や電化でかなりの金使うことに >>808
なんかわかる気がする一方、EF60と同じ量産部品ならそれほど高くないんじゃないか?って気もする。 EF63はスノプラが無かったから、
今ひとつ好きになれんかったなぁ。
一度も付けたことはないのだろうか。 >>810
キハ58系はコストダウンのため前面を平面ガラスのみにし、内装をハードボードにした。
また空気バネの採用も見送った。
また、キハ80でもコストダウンのために巻き上げ式の日除けと内装にハードボードを使用した。 >>815
だから何?
事実関係だけ書き連ねても何が言いたいのか分からん 昔、東京(田端)でEF80を見たことあるが、九州で見慣れた、ED76に比べて古臭い。
意外と東京は九州に比べ遅れている気がする。 >>817
言いたいことがあるならその言いたいことをちゃんと書けよ >>818
ローズピンクは褪色した赤に見えるというか、交流機にくらべ鮮やかに見えないところもあるしな。
洗車をマメにやらないと、いや、マメにやっても汚れが結構目立つんだよね。
加えてEF80はF級でも寸詰まりに見えることもあり、EF81みたくフォルムにボリュームがなく、ツラも神経質なオバサン
みたいな顔立ちでなぁw >>818
その基準をもって東京が九州より遅れているという発想が
あまりにも斬新だw
でも何かEF80って好きなんだよなぁ。
20系とのゆうづるの組み合わせが好きだったぜ。
北国への旅情を感じるのかもなぁ。 >>823
客車の「ゆうづる」というと、EF80のイメージが強いよね。
ED75は思い浮かべてもEF81は想起しないから不思議。
完全にEF80で刷り込まれているよ・・・。 なんで常磐線専用なのにツララ切?って思っていたけど、
あれ奥目ヘッドライトに雨水が逆流しない為の機能なんだっけ。
後期型から標準的なEF65顔になったけど。 EF80、初期型プロウ付はかっこよかったな。24系も旧客も似合ってた。変に甲高く唸る大型モーターの音もよかった
大宮の36にプロウがないのが残念。29はエキスポまで残ってたし29を残してくれればよかったのに
>>822
短いのは60とか65、70で80は短くはないだろ。81や64-1000が長すぎなんだよ EF80はドンクサな電機、同じ電機でも、ED76は、EDとは思えない程スラッとしている。 小型機
ED60 61 62
ED70 ED71 ED73 ED74 ED75 ED77 ED79
大型機
EF62 EF63 EF64-1000 EF66
ED72 ED76-500 ED78 EF70 EF71
EF80 EF81
あとは中型だろ 新型電機だと18m超えるとデカイ部類だな。81や64-1000、76-500になるとワイドボディになるからパワーの割りに無駄にでかい
まぁ58や200は20m近くあるけど、旧型の58はともかく200は無駄に重いしEHも無駄にでかい >>829
無駄無駄言うけどさ
それだけ無けりゃ機器類収まらなかったんだろ?
無駄じゃないと思うが ここに居る諸兄なら昭和62年3月のEF30さよなら運転見に行った人居そうだ EF62は一部下関に転属したが、80km出している時の性能はEF58やEF66に比べて悪い。 下関移籍組の62は上り方運転台では電制が使用できないようにしていた
らしいが、そこまでやる必要あったのか? >>833
定格速度の事だね?
62に限らず60〜65は概ね45`くらいだっけ
当時の貨車に合わせた設計だったからかな 835の言う通り
EF65は45km〜72kmが出力の出せる領域です。 新性能機ではEF61だけ歯車比が違う。
貨物機転用時に変更し易い設計になっていたらしいな。 EF60初期とEF61のMT49搭載車は各々歯車比が違う。MT52は60後期、62、63が4.44。64、65が3.83
前者が貨物が65km/hで最適、後者は貨車が二段リンクになって75km/hになったからって宇田さんの本にあった
まぁ62と63はそれ以前に横軽越えるからだろうけど EF58はサラブレッド
これも宇田さんの本にあったな 電気機関車で出力の最も出せる速度領域
EF62は
39km〜63kmしかも63kmは並列ノッチに弱界磁併用で
EF65は
45km〜72km
EF58は
68km〜87km
EF66は
74km〜106km
如何にEF62は山陽本線・東海道本線では通用しない事が判るでしょう。 >>841
弱め界磁を使っちゃったら全力がでないんじゃ。。。? >>841
62は63と減速比が同じで高いんだよ、62と65の速度域
は減速比にちゃんと逆比例してるだろ
58・66は全く別物で比較にならん
当たり前な事を書くんじゃない アスペ まぁ62をだしてくるまでもなく、60-500で散々な目に遭ったんだけどね。まだ荷レだった62は良い方 そもそも下関にやって来たEF62なんて敗戦処理投手みたいなもんだ。 下関に転属してきたEF62はC−C台車の為、ジョイント音が独特であった。
タタタン タタタン
ED76は
ダダッ チャチャッ ダダッ
ED76のが独特であった。また、走りが軽やかであった。
EF62はドンクサであった。 関門トンネルのお陰で本州のオコボレで辛うじて食いつなぐED76w 山仕事一筋で生きてきた無骨な男が退職後に下界に降りて、
食いつなぎに、宅急便で慣れぬバイトをしている様な感じだったモンなぁ >EF62 下関に転属したEF62は慣れない山陽本線・東海道本線で荷物列車を牽引した、高速運用でモーターを傷めた、信越本線では考えられない事です。
また、ED76は今ではEF81やEH500に追いやられて影が薄くなった。
それでも昔は門司のみならず、大分、鹿児島に配属され『富士』『はやぶさ』を牽引した。
ED76が最も輝いていました、当然、門司操車場も輝いていました。
今の様に、ヤードの半分以上が病院、トライアル、葬儀社、小学校が建ち並んでいるのを見たら、隔世の感あり。
本当に門司は変わってしまった。 EF62の走行音って聞きたかったな
ヴォォー!!!ダダダン ダダダンって感じか 昔の模型屋ではEF66が人気だったのだが今ではそうでもないのね 門司機関区のEH500で
45〜50と66〜72は少し異なる点がある。
則ちメーカープレート、EH500は東芝製の電機であるが
45〜50は東芝の字体が今っぽい。66〜72は、東芝の字体が、ED76と同じである。 EF80の顔って凄い男前だな
EF65F型も共通している EF58代替用に次位回送で下関(広島工場?)に向かうEF62 4の塗装が廃車体みたいに色あせてた EH10、運用末期だったにしてもコイツだけ外装ボロかったのは悲しかった。 EF8037だけ、前面デザインが変わっているんだな。
初めて知った。 庇がつくだけで引き締まるもんだな
EF66二次型にEF65FにED75耐寒型にEF81上越線仕様に・・・ 昨日、北関東のある工場でED78が一般公開されてた
久々に見たが、やっぱりかっこいいな! EF60クイル式の走行音を聞きたかったなぁ。
EF61-200も似たような音だった? 78年頃。品川駅の端っこから南シナをよく眺めにいった。
あの頃はブドウ色の機関車がまだいたなあ。 >>864
78年なら、EF15かEF13だね。
EF13のほんとに最後のときだナ 山陽本線のEF62の音聞きたかったな
かなり喧しかったとか >>863
クイル式あったね。
精緻さゆえに短命だったという・・・ >>863
-200に改造された時は既にクイル式じゃないだろ。 改造前にEF60重連でセノハチ補機試験したのかな
それともいきなり改造したからマズかったのか? 車輪が片方だけスポークになっていなかったか?
>>EF61-200 今更言っても詮なきことだが流線形電機EF55がちゃんと動態保存が継続出来てれば‥‥ モーターヘタったらお終い。コイル巻ける技術者がもう居ない。
蒸気機関車も今有るボイラー使い切ったらお終いよ。新製は認可されないから。 >>872
蒸機の場合はさ
海外に貸出
海外でこっそりボイラー製造交換
海外から返却
で良いんじゃね? >>872
サッパボイラの社長が、蒸機のボイラーの新製はノウハウが失われているから技術的にも無理だと言ってたな。
>>873
ボイラーに認可番号(?)かなんかが刻印されてて、それが確認できないと認可されないらしい。
偽造とかは別の問題なんで知らんけど。 役所は規制ばっか作りやがっているけど、
蒸気機関車のボイラーってそんなに危険なのモノなのか? >>875
移動するから、普通の固定設置のボイラーに比べたら格段に厳しいだろうな。
ザッパの社長が言ってたのは、火室の機関車特有の形状の一部が作れないと言う事だった。 しなかったんだろ。アメリカで初期のころ安全弁がうるせーから締め上げて爆発とかもあったらしいな
>>876みたいに前にふっとんでくれれば乗務員は助かるかも知れないけど、日本だと戦中戦後の
粗悪ボイラーでD52がやって乗務員なくなってるね >>882
安全弁の圧力以下でも、製造の欠陥や老朽化すると爆発する危険はあるだろうな。 週一で夜の7時から公文式をやっていると
近くでEF70の甲高い汽笛が聞こえてきたなぁ〜
あれからもう30年以上経つのか… 塗色が、直流が青で交流が赤って
なかなかの発想だね。 >>877
と言う事は96年までSL造ってた中国位しか本線走れる大型のSLは造れないって事? 丸みの帯びたEF62から一転、角ばったEF63。
国鉄の意匠を感じられるな。 2ヶ月以上前にレスもなんだけど
その二つって、ほぼ同時デザインじゃないのけ? ということは>>891はとんだ見込み違いってことなの? EF13戦時型はボディが小さかった、無理すれば機器は入った
箱型は余裕を持った設計と言えそうだ 切り詰めたように見えるけどボディの鋼材使用量はそんなに減ってないんだってね 車体が軽すぎるから死重としてコンクリブロックを積み込んでいたという あまりにも危険で戦後すぐに改修に
節約したんだか高く付いたんだか分らない機関車ですね ボディは58の旧車体が使えたけど、工数は無駄か。まぁ戦時製造の蒸機はボイラー
載せ替えてるし、63系も改修かかってるし、当時はしょうがないんだろうな
EF13、31両じゃなくて34両あったら、58の32〜34もEF18にならずに58になってたかも知れんね >>900
EF18が出来た経緯からすればそれは無いだろうな 戦後復員兵で人は余っていただろうから結果オーライなんじゃね? >>897
そのコンクリブロックも積んでるだけでは勿体ないからと
別の用途に転用されたとか
死重に水を使う発想はなかったのかな 水は震動を伝播させるから不向きじゃないかな
よくわからんけど 瀬戸大橋の橋梁荷重試験のときの多重連に
EF65とEF66の他にEF62とEF64も混じっていたんだな
凄い豪華編成だ >>904
その水を貯めるタンクは何を使うのかな? 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
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中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース >>906
EF60/61がいたらEF6x本務機シリーズがほぼ勢揃いだな してたか?聞いたことない
62はまだ過渡期って感じがするな。60の二灯や64の頃になると同じ顔になったけど
形式で個性あったのが、EF70の二次やED75で前面のデザインは流れが決まっちゃったね 信越本線に特化した62をやや平坦向けにしたのが64だからな。言葉の意味合いは受け取り方で若干変わると思うが。
なお1000番台は・・・ うちにはNゲージの寝台列車が何編成か在籍しているのに
EF65が1両もいない
「山岳区間も走れるEF64がお得だよね」
「交流区間も走れるEF81がお得だよね」
EF64とEF81ばかり増えたがいいのかそれで… ED60、61、62
EF72、73、74
とかは子ども向け(とはいえなかなか詳報な)
ムック本とかに書かれていたよ ED61と62は同じだろうに
72と73はいいとして74は75寄り BSプレミアム 今日 11:00〜11:15 にっぽんカメラアイ「アキタ 鋼鉄よ よみがえれ」 現役時代を知らないんで懐かしでもないんだが、EF52。
2次型ギア比変更して客車列車用として適切になったんだったら、なぜ1次型もギア比
変更しなかったんだろう。EF53量産したという事情も考えられなくもないが。
尤もEF54→EF14やEF52もそのニッチなギア比故に生き延びれたのはありだね。 >>926
凸型なのにやたら屋根が長くてゴチャゴチャ載っけてて、頭が重いイメージで写真で見てもあまりスマートとは思えない
自分が機関車撮り鉄やってた時期とかぶるが関西に行ったときもこの機関車だけは完全にスルーだったな >>918
ここはあえてEF60-500で
>>926
ああいう変態機を見たい気持ちはわかる
SLだとE10とか >>931
E10、キャブが前後反対で、青梅で見たときは驚いたわ。 なにを見て驚いたのか知らんが、E10の前後逆は改造されてボイラー側に運転台あるだろ
左右は逆だけど それは初版だろ
三訂くらいになると無くなってた
存在がマニアすぎるからか 消防の頃、あのイラストのED30見て、銀河鉄道999の「マゼラニアン6号」の機関車みたいでカッコイイと思ったな。
巻末の索引読んで、EF55の改造だと知ったのはちょっと驚きだった。 おぉマゼラン(という表記もたまにあった)6号
俺は恐らく多くの人と同じくディーゼル機関車を想像したな
当時、ED30なんて知らなかった
(ていうか、実はいま知ったのだけど) 話題ブッタギリで申し訳ないが、小さい時はED75が好きだった。特に若番の配置が多い内郷の配属機が好きで常磐普通列車を見に行ったな。 ブルトレブーム全盛期に写真を撮ってたようなジジィがこのご時世に「大盛況」の中でネタ列車の写真撮ってるとか・・
https://i.imgur.com/tKPKMPv.jpg >>941
テールライトに円板が付く仕様の初期M型は、JR発足前に全廃になったな。
経年20年ちょい程度だった。
ひさし付き以降が殆ど30後半〜40年以上も残ったのに、極端に短命になったな。
貨物改革して大量余剰になって、秋田からも追い出された耐寒仕様が万全な700番台に置き換えられてしまった。 交流機なら他社局に再就職もならず
短命に終わるのもやむなしか EF66のフォルムがきっかけで機関車マニアの道に進んだ人も多いんじゃないかな 国鉄時代の鉄道ファン誌1月号で、EF66牽引ブルトレの合成写真が載った時は驚いた。
タイトルは「鉄道ファンの初夢」だったかと? >>950
そんなベストカーみたいなことやってたんかw
何年ごろの話し? >>951
記憶は曖昧ですが、40年位前です。
ヘッドマークは「さくら」でしたがこれも合成(画像処理)です。
時代背景は完璧に国鉄時代で、EF66の後付け冷房など搭載されていない、原形が保たれていた"美しい時代"です。
印刷技術に外国製の「スキャナ」が導入されるなど、近代化が進みつつある時代の出来事。 当時のスキャナは、フル装備のシステム価格で数千万円〜1億円したという時代です。 今のように、5000円でエプソンのスキャナが買える時代ではないです(笑) デザイン重視なのか1960年代初期の電機のワイパーってみんなクルマのリヤワイパーみたいな形。三八豪雪で懸命にフロントガラスの雪を払っていたEF70初期型の写真とか映像。 "EF65 501、EF65 1115、EF66 27…伝説国鉄型直流電機勢揃い! | 鉄道ホビダス" https://rail.hobidas.com/news/370636/ 電車は中央付近の高さにヘッドライトがあるけど、電気機関車は高い位置にあるから
遠くからヘッドライトが見えると電気機関車だ!っと嬉しかった。
実はDCが来てがっかりすることもありますが。 >>957
ライトで形式当て、自分もよくやりました。
でも旧国や101や103系が走っている区間では、そのセオリーが通用しないので、まぁ当たりませんでしたね。 EF66が鳴らすAW2の音をずっと理想の汽笛と思っていた。
子供の頃は親の帰省時にゆうずるに頻繁に乗ってたがEF80やED75の音はコレジャナイ感あって謎だった。
雪国用のホイッスルカバーが付いてると音が甲高くなると言うことを知ったのはだいぶ後になってからだったな。 ホイッスルカバーが付いてるだけで甲高くなるものかな?と昔から疑問…
ホイッスルに短い側と長い側があるからそれぞれのエアの噴出量を調整して寒冷地は甲高くして、暖地は低めにしてるのかな?と勝手に解釈。
どなたかご存知ないですか? 見た目が、
頭に色んなモノを載っけてるなあと、
第一印象。
機器流用のことはずっと後になってから雑誌で知った。 国鉄電機が回生ブレーキを取り付けなかったのは、電機牽引の列車が主に走る時間帯は他の電車が走っておらず回生失効に陥るから、だとか。 >>972
それはいまのJR機もだな。さらに国鉄の頃は技術が追い付いてなかった
EF16やED42、ED78みたいに峠の降坂限定で、電車だってチョッパや添加励磁まで実用的な
回生ブレーキはなかった
まぁ機関車はいまでも回生積んでるのはEH800だけだし、510-301は載っけてるけど量産はやらない
みたいなこと言ってるから貨物列車の回生は難しいんだろうな 国鉄交流機関車が発車する時に「ヒュ〜」という出す音が好き 21:17に赤羽をEF81-81がカシオペア引っぱって上野向かって走って行った。 22:29市川駅をEF65PFが貨物列車引いて津田沼方面へ このスレッドは1000を超えました。
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